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【秋が来た!】今、私はテレビのNHK歌謡コンサートを聴いている。テレビは見るものなのだが、私の場合は聴いているのだ。何故?私はテレビが嫌いで、テレビチューナー付きカセットレコーダーで聴いている為、見てはいないから…。しかし、今の新人歌手は皆上手い!私も日本カラオケ大賞の1級に認定されているのだが…。(これは自慢)(^0^)そんな話は、さておいて!今日で9月も終わる。今年も残すところ三月である。間もなく紅葉前線情報が新聞に掲載され、そして直ぐに街中ではクリスマスソングが流れだし、そして正月。1年の過ぎ去る速さに驚く今日この頃である。
2003年09月30日
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【秋の日差しと薫風の中で…】今朝目覚め、東に面した窓を開けると爽やかな風と共に金木犀の薫りが…。秋だなぁ~。ベットから離れて入浴。そして、朝食を…西部屋から東部屋に吹き抜ける秋の薫りを伴った爽やかな風。マッサージチェアーに座り司馬遼太郎の小説を読む。日差しは西部屋に移り、レースのカーテンが揺れている。部屋は音も無く、まるで「空」の世界のようだ。金木犀の薫風の中で司馬遼太郎を読み、そしてまどろむ。現在時刻は午後4時。まもなく日差しは静かに落ちてゆく。体調も良好。秋の日差しと薫風に包まれ、今日も静かに終わろうとしている。平成15年9月29日私には、このうえない幸せな時を与えてくれた日であった。
2003年09月29日
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【油断大敵】世の中には油断をすると、思いもしない事が起きるものだ。たかをくくって、気をゆるすと総て自分自身につけが周ってくる。油断は物事の失敗の元で、恐ろしい敵であると云うが当にその通りだ。今回、風邪をひき微熱が出たが静養せずに過ごしていた。元々食欲が無なかったので、食べたくなれば食べれば良いと思っていた。しかし、それがいけなかった。食欲と云うものは、体力が無いと食べなければ益々食べたくなくなるそうだ。健康体なら空腹を覚えるそうだが…。食べなければ意欲も無くなる。薬で栄養を補っても、口から入れる食べ物と薬では意欲や力に対する効果が全く違うようである。2日間寝込んで昨夜は無理やり肉を食べた。今朝、目覚めて驚いた。気力も充実し意欲が出ている。風邪も何処かに行った様だ。そして、久しぶりに此処楽天を見た。すると、1分前に書き込まれた悪戯書き込み発見。世の中、弱っている者に追い討ちをかける非情な者がいる。OCNのお嬢さん!因果応報と云う言葉を辞書で調べなさい。非情な行為をすると、必ず我が身にも不幸が訪れるということだ。今の時代、油断大敵である。
2003年09月28日
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風邪をこじらせて、ベットから離れられないでいました為に失礼しました。微熱があるので気力が湧きません。私は、お墓参りをすると何故か翌日に寝込むことが多い。そこで寝ながら思うのは、ご先祖様や父母が私を叱っておられるのではないのか?と云うことだ。自分では、叱られるようなことをしているつもりは無いのだが、仏様にはお気に召さない様である。しかし、人間生きていること事態が罪人なのかも知れない。生きているうちはご容赦願い、いずれ私もお墓に入るのだからその時にお詫びをしよう。 ☆新宿鮫虎☆殿へ「タイガース優勝記念タバコ」セブンスターです。何故かダイエーで買いました。
2003年09月24日
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今日はお彼岸である。私は、1度彼岸(あの世)に行った男だが岸の手前で追い返された。「お前は未だ此岸(この世)で成さねばならぬことがある!」と云われた男である。彼岸という言葉は、「彼の岸へ至る」ということだ。煩悩や迷いに満ちたこの世を「此岸」というのに対し、悟りの世界・仏の世界を「彼岸」と云う。人間は彼岸に行くには資格がいる。まずは、他人へ施しをすること・戒を守り、反省すること・不平不満を言わず耐え忍ぶこと・精進努力すること・心を安定させること・真実を見る智慧を働かせること…彼岸に行くことを願っても、資格がないと行けないのだ。所謂、行いを慎むことで彼岸に行くのを許されるようである。仏教の世界では解脱(げだつ)と云う言葉が有る。自由で理想的な心の境地にいたることや、心の安らぎの境地に到達しなければならないのである。今の私には、彼岸に渡る資格を得るには難し過ぎる。
2003年09月23日
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弟に迎えに来てもらい3ヶ月ぶりに我が家に帰る。季節はすっかり変わっていた。入院した時には真夏であったが、今はもう秋。そして変わったものと云えば、入院前と現在では、ものの考え方が自分でも変わったと感じる。総てにおいて意欲的になっている。行動的な面も病気前の私に戻っている。退院後の最初の行動は、両親やご先祖様へお礼の為のお墓参りだ。生きて帰宅できたことへの心からの感謝の気持ちと、断酒を墓前で誓った。サァ~!これからが私の今後の生き様が試される。
2003年09月22日
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今日からHPのタイトルを「男の背中」に変えた。アルコール依存症に罹ってあの世に行きかけていた男が、この世に戻って来た。依存症に罹る過程には、語りつくせないそれなりの訳がある。歳を重ねた男の背中には、その男の辿ってきた生き様が見える。それを、人は哀愁ととるかもしれない。又、人によっては頼もしいと見えるかもしれない。彼方も何時か、男の背中を見てみよう。寂しさや、悲しみや、怒りや、喜びを味わってきたことを総て背中が語っている筈だ。そんな男の背中に惹かれる女性も多くいる。それが男のダンディズムだと…。私も地獄を味わって、少しは男の色気が出ただろうか?悲しいかな我背中は、自分の目では見えないのだ。鏡やレンズを通して見る背中には、何も見えない。男の背中の語る生き様。生のこの目で見て見たいものだ。何を語っているのかを…。
2003年09月21日
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【お礼並びに、ご報告を申し上げます】今年4月より、アルコール依存症と云う病気をご存じない方々や、アルコール依存症の家族をお持ちでお悩みの方々、並びにアルコール依存症ご本人の一助になれば良いと思い書いて参りました「病棟日記」は、昨日で退院いたしました為終了させて頂きました。短い期間でしたが、御覧頂きました方々にお礼申し上げます。しかし、病棟日記はそのまま総て残しますが、数日後?からは新たにタイトルを変えて、退院後の日常生活を書いてゆきたいと思っております。アルコールでお悩みの方々は、今まで通りメールにお書き下さい。 ありがとうございました。by酒天童子
2003年09月20日
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10月29日(日曜日)【さようなら】今日は退院日。掃除当番は昨日で終わっていたので、洗面所で洗顔し部屋に戻ろうとするとデイルームに1人で座っている清元さんから声をかけたれた。清元さんは、インテリヤクザのような風貌の65歳ほどの男性患者である。今までは無口で誰も近づこうとしなかった人だった。その清元さんが私を呼び止め愚痴をこぼしたのだ。「ワシな~、今朝えらいめにあいましたわ!おばはんから今日から私の部屋が掃除当番なんやけど2人とも昨日から外泊でおらへんので私1人でやらなあかんのやけど、私ひとりじゃできへんさかいワシに手伝え云われましてワシも手伝ってやりましたんや、えらいめに会いましたわ!」と真面目な顔でうったえる為、私も驚き「流石、上東のおばちゃんもなかなかやるなぁ~」と感心。清元さんも見た目は怖いが見た目とは違い優しい男だと感心した。その後、食堂にコーヒーを入れに行くと洋子ちゃんが1人タバコを吸っていた。そして私に近づいてきて「今日は何時に退院するの?」と聞くので11時頃に弟が車で迎えに来ると告げ雑談をする。私は洋子ちゃんに「洋子ちゃんは可愛かったよ!心がなごんだし色々と助けてもらってありがとう!」と礼を云った。そして、デイルームに戻ると掲示板に私宛のメッセージが大きく書かれている。内容は病棟世話役としてお世話になったといった内容だった。少し心が動揺した。私はお返しのメッセージを書いた。「皆さんも私も、今日1日を良い顔で過ごしてゆきましょう。本当にありがとうございました」そして、朝食後に各部屋に挨拶回りをし、退院時には見送らないで欲しい旨を告げた。布団を看護士詰め所に返す。(この病院では、週に1度のシーツ交換も自分達でしなければなりません)それから、荷物の整理をはじめる。3ヶ月の入院生活で荷物が倍に増えていた。弟が11時頃に迎えに来た。丁度その時に、洋子ちゃんや宮本君と食堂で話していた時だった為、2人は見送ろうとするので私は一言「そのままで!」と言い残し、病棟の出入り口で一礼をし振り向きもせずエレベーターに乗り込んだ。正面玄関で、車に荷物を積み込み生き返らせて頂いた病院に別れをつげた。サラバ!素敵な仲間達。
2003年09月19日
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【回想Ⅱ】ようやく点滴針を抜きに来た看護士に対し、私は罵った。「この様な監獄以下の部屋に犯罪も犯していない私が閉じ込められる理由を聞かせろ!」との問いかけに納得ができる答えが返ってこない。私は直ぐに退院するからタクシーを呼ぶように依頼をしたが聞き入れてもらえない。そして、その看護士は部屋から出て行った。少し時間が経って違う若い看護士が入室してきた。私を説得しようと話しかける。「彼方はどうしてこの様な部屋に入れられるのか冷静に考えてみて下さい」と云う。しかし、冷静に考える環境の部屋ではない。まして世間の荒波に、もまれていない若造の看護士に云われると余計に腹が立った。私は怒鳴りつけた。「早くタクシーを呼べ~」と!看護士は説得を諦めて部屋から出てゆこうとするので、私は担当の先生を呼んでくれるように依頼した。すると、担当のドクターが入室して、私の枕元に座り物静かな声のトーンで話し始めた。「彼方は今の状態で出すわけにはいきません」「今夜一晩だけ我慢をして下さい」と云う。私は一晩も我慢ができないと告げたが、静かな口調の説得が続いた。不思議に心が静まってきた。やがて、担当のドクターは部屋から出て行き、替わりに看護士が1錠の薬を飲ませに入室してきた。私はタバコが吸いたいと申し出た。タバコも1日3本と規制されていた。その依頼は叶えられ2人の看護士が付き添い鉄扉の外の洗面所でタバコを吸った。その時に監視役に立ち会ってくれた1人の看護士に、タバコを吸いながら私の今までの生活状態や仕事の話を語った。その看護士は私の話を真剣に聞いてくれていた。私は仕事柄、錯乱状態の中でも人の顔を観察する癖がある。目を見て話す。その看護士には私の話に対する同情心が見て取れた。そして、1本のタバコを吸い終わるともう1本吸わせて欲しいと申し出た。その看護士は快く椅子まで持って来て「座ってゆっくり吸って下さい」と云ってくれた。私はその言葉が嬉しかった。今もその光景は忘れていない。素晴らしい包容力のある看護士さんであった。男が男に惚れると言う言葉があるが、まさに惚れる男性看護士であった。そのお陰で心も落ち着いた。そして、パジャマに着替えたいと云うと駄目だと言う。何故、パジャマに着替えることが駄目なのか今も理解が出来ない。部屋に入り薬を飲むと直ぐに眠気がさし目覚めると朝だった。数名の看護士が「ご苦労様」と私に云い、閉鎖病棟まで連れて行かれた。この、どん底の体験が以後の私の入院生活に多大な影響を及ぼした。閉鎖病棟に不平不満を言っている患者がいたが、その患者が滑稽に思えたのである。「お前も保護室を体験しろよ」と…。人間は、1度落ちるところまで落ちてみる体験が必要である。
2003年09月18日
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【回想】私の怒りが頂点に達した頃、ようやく看護士が入ってきた。先ず私は点滴をはずして欲しいと依頼した。それから、看護士に対し怒鳴りつけたのだ。 アルコール依存症患者の場合、色々な問題行動があるのだが私の場合は「静かなるアルコール依存症患者」であった為、家族にも暴言を吐かず、暴力も振るわない為にアルコール依存症であることは知られていない状態だった。むろん、家族もアルコール依存症と云う病気があることさえ知らないでいた。有名飲料メーカーの部長職で関連会社担当の為、毎日定時に会社に行く必要も無く部内をまとめ、与えられた職務を実行して部下の行動を把握していれば出社の必要もなかったのである。事実、私の部署は関連会社の監視、指導をする部署であった為、朝1本の電話で会社に「今日は何処其処に直行するから…」と連絡しておけば、それだけで良かったのだった。部下も私が居ない方が伸び伸びと仕事をしてくれていた。そして、仕事も順調におこなわれていた。しかし、それが私の飲酒に拍車をかけたのだった。朝は、関連会社に行くが昼食は関連会社の社長がご馳走してくれる。無論、私がビール好きなことをわかっているので注文をしてくれる。夜は別の関連会社や出入り業者による接待を受ける。私のご機嫌をとっておけば、本社に良い報告がなされるといった思惑があった為である。帰宅後は好きなワインやビールを風呂上りから飲み始める。そんな日々が続けば元々依存症的要素をもっていた者にとっては病状悪化に拍車がかかる。そして、耳の鼓膜移植手術をきっかけに退院後は耳の回復が思わしくなく耳鳴りに襲われた為、夜が眠れなくなった。その為に飲酒をする。そして眠る。会社からは、急いで出社しなくても充分に療養をしてくれと云われる。その言葉に甘えて数ヶ月休職をし、連続飲酒が始まったのだった。耳鳴りや目眩が一向に治らない為に飲酒量は益々増えていった。そして、身体も衰弱してゆき死ぬことを考え始めていったのであった。それでも家族は気が付かないでいた。元々アルコールは大量に飲んでいた為に、家族も気が付かなかったようだ。私自身が、そろそろ体力の限界だと思っていた頃、偶々テレビで見た久里浜式依存症テストを受けてアルコール依存症と云う病気を知ったのだった。そして、弟に依頼し専門病院を探してもらい、今の病院に入院したのである。まさか、この様な監獄に放り込まれることなど夢にも思わなかった。それだけに病院の処遇に対し怒りは爆発し、過激な抗議におよんだのである。(明日も回想は続きます)
2003年09月17日
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☆みなさま、昨夜から今日にかけて”お祝い書き込み”ありがとうございました。 10月29日(日曜日)【退院Ⅰ】待ちに待った退院日。しかし、今は喜びよりも寂しさの方が気持ちをしめている。入院したのが7月末の暑い日だった。歩くこともできない状態で入院し、入院に関する各書類にも手が振るえ、椅子に座ることすら苦しくてできず署名捺印もできない状態だった。息をするのも苦しい状態で、離脱症状が激しく襲いかかる。そんな状態の身体で入院したのに、入れられた部屋は「保護室」と云う人権無視の監獄だった。ベットも無い鉄格子の部屋。床に敷かれた薄汚れた”せんべい布団”。天井には監視カメラ。トイレも、目隠しの囲いも無く。看護士を呼ぶにも、鉄の扉を蹴飛ばして大きな音をたてて呼ぶ。そんな部屋で点滴を打たれて床に横になる。点滴が終わっても誰も針を抜きに来ない。トイレにも行きたいが、点滴の針を刺された身体は自由に動けない。しかし、トイレは我慢ができないので点滴を引き摺りながらトイレを済ます。これが病院か?騙されて監獄に入れられたのじゃないのか?色々な思いが交錯して怒りがこみ上げてくる。閉鎖された環境に、息がつまり頭が狂いそうだ。もう我慢できない!鉄扉を蹴飛ばし看護士を呼ぶ。なかなか来ない看護士。怒りは益々増幅してゆく。ようやく看護士が入ってきた時には私の怒りは頂点に達していた。
2003年09月16日
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☆18年ぶりに念願の優勝を果しました。(*^_^*) 18年ぶりの幸せに浸ります為、本日の病棟日記は休ませて頂きます。(酒天童子)☆監督就任2年目にして、万年最下位であったチームを優勝に導き頂いた【星野仙一監督】並びに【コーチ・スタッフの方々】に対し心よりお礼申し上げます。★オーナーに一言「来年は選手の年俸を、他のチームに恥じぬよう大幅に上げるように!」☆ゲストで書き込み頂きました青空さん・のんちさんへ大変な状況の中、お祝いのメッセージありがとうございました。(^:^)
2003年09月15日
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サァ~、明日から甲子園での胴上げが見られるぞ! (^_^)【やぶちゃんの退院Ⅱ】やぶちゃんを駅まで見送り直ぐに帰院した。部屋は寂しくなってしまった。ボンは大事件を起こしながらも退院したし、やぶちゃんも今日から居ない。そして、私は明日に退院する。考えて見れば、生まれて初めての経験をこの病院でさせてもらった。自主的な入院であったが、これほど人権を侵害しなければ治療ができない厄介な病気だとは想像もしなかった。それでも完治はしない。やぶちゃんの表情が穏かになったのも、酒を止めている所為もあるが、色々と教育プログラムで学んだお陰だろう。この病気は、一生治らない病気であり、家族に迷惑をかけ家族も精神的に追い込んでゆく家族病であると云う認識を持ったことは、やぶちゃんの総てを失った心に何か変化が起こったのだろう。しかし、この病気は治らないと云う現実を見せられた。再入院患者や再々入院患者の多いことだ。この病院は3度までしか入院ができない。それにしても、入れ替わり立ち替わり再飲酒の顔見知りが多いことにも驚く。みんな、退院してゆく時には二度と飲まないと自分に誓って退院してゆくのだが…。
2003年09月14日
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先日のオーナー発言の通り、胴上げは甲子園で行われそうです。憎い演出ですが、このところの試合が永過ぎる。負けるならアッサリと負けよう…。10月28日(土曜日)【やぶちゃんの退院日】私の退院も明日に迫った。今朝は、5時起きで1人でこっそり病棟の掃除をした。先日のお返しだ。今日は、やぶちゃんの退院日。3ヶ月間、やぶちゃんとは常に同部屋だった。気難しい男だったが私の云うことだけは素直に聞いてくれた。飲酒の為に、妻や子供も離れてゆき年老いた両親までも家から追い出した男が私には哀れに思えた。入院中も見舞い客が1度友人と云う人が来ただけだった。家族が誰一人来ない患者も珍しい。立派な事業をしている兄も居るのだが…。10時頃に荷物をカバンに詰め込み布団を詰め所の前に返す。家族が迎えに来ないので、重い荷物を私が持って駅まで送って行った。病棟の患者が見送る中で、洋子ちゃんが一言つぶやいた。「こんな別れ方は辛いわね~!」と意味不明の言葉。流石の気難しい”やぶちゃん”も別れが辛そうだ。2人で駅までの道を歩きながら話したのだが、3ヶ月の入院生活で性格が変わってきたと”やぶちゃん”は云った。私から見ても、最初に会った彼は今の様な穏かな顔をしていなかった。常に看護士と喧嘩をしていた。3ヶ月の入院生活で何がこの男を変えたのだろう?
2003年09月13日
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又、負けた(-_-;)しかし、これでいいのだ!胴上げは15日…やはり甲子園球場で見たい。【ボンの恋Ⅳ】益々、病棟は騒がしくなった。7時を過ぎても彼女は帰って来ない。ボンにも連絡がつかない状態である。ついに病院も警察に連絡しようとした矢先に、彼女は平然とした顔で帰ってきたのである。看護士一同、暫らく沈黙状態だ。そして、少し時をおいて看護長が彼女に尋ねた。「何処に朝から行っていたの?」すると、彼女は真面目な顔で「加賀さんと100円寿司を食べてたの」みんな唖然とした表情である。看護長は続けて聞いた。「朝から今まで?」彼女は云った「朝からは街まで加賀さんと、お買い物してたの」彼女には何の罪悪感もなく無邪気である。看護長「そして、加賀さんは?」彼女は云った。「加賀さんは明日も、お迎えに来るって」そんな話を聞いていた我々は、馬鹿馬鹿しくなり病室へ戻っていった。翌日、看護士にその後の話を聞いてみると、看護長は加賀君の家に電話をいれて激しく叱ったそうだ。当たり前だ。ボンはアル症であったが、今は精神には異常がない。しかし、彼女は精神が不安定な病人である。昨日の看護長との受け答えを聞けば、正気でないことが誰にもわかる。そのような女性を病院に無断で連れまわす神経に、みんなも怒った。その後は、彼女も退院しボンと暫らく付き合っていたようだが直ぐに別れたと噂を聞いた。本当に困った「恋物語」であった。明日は“やぶちゃん”の退院日だ。そして、私は明後日に退院できる。
2003年09月12日
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☆スワローズは強い!何とか引き分けた。神宮での胴上げは見られなかったのが残念だが、今日からのドラゴンズ3連戦で明日にでも…これでイヨイヨ、マジック2(*^_^*) 【ボンの恋Ⅲ】翌朝、私の「必ず帰れよ」の言葉にボンはOKサインを指で示して帰っていった。ところが夕方になって騒動が起こった。看護士から私の元に、加賀君は本当に帰宅したのか聞いてきた。私は「帰ったと思うが…」と答えたが、その後に患者の複数が4時頃、駅前で電話をかけている加賀君の姿を見たと報告してきた。既に時間は5時を過ぎている。私は看護士に、その事を報告した。その時に看護士が慌てて看護長の所に走っていく姿を見て、ただ事ではないことが推察できた。看護士詰め所に居る看護士に何があったのかを聞いてみると、ボンの彼女が朝病院を出たまま未だ帰院していないと云う。その話からすると、ボンが帰ると出て行ったのが朝9時過ぎだ。その時に、彼女を連れ出したのか彼女が一緒に付いて行ったのかのどちらかだろう。病院としては大事件である。当然、ボンの家にも連絡をしているはずだ。ボンと一緒に居ることには間違いがないだろう。しかし、確証が掴めなければ病院としては捜索願を警察に出さなくてはならない。精神状態に不安がある患者だけに心配だろう。ボンは携帯電話を持っていたが、誰も番号を知らない。ここの周辺にはホテルも無いし…。これは大変なことになってきた。
2003年09月11日
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★関東のタイガースファンの方々の為にも、わたくし酒天は夕食もとらず神宮での胴上げを願い「馬鹿じゃないの!」と云う声を感じながらも延長戦まで応援して参りましたが、心通じず惜しくも敗れてしまいました。誠に残念でなりませぬ。こうなったからには名古屋でのドラゴンズにも適当に負け、胴上げは15日の甲子園球場で実現したく存じます。18年間、この日の為に人生をタイガースにかけた人達も甲子園には多くおられます。関東のファンの方には誠に不本意とは存じますが、その人達の思いをどうかご理解頂けます様心よりお願い申し上げ候。m(_ _)m ★上記理由により、病棟日記は休ませて頂きます。(v_v)
2003年09月10日
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負けてもイイノヨ~ (^0^)楽しみは先に…。しかし、広島が負けてくれたのでマジック4(^-^)/【ボンの恋パートⅡ】私が入浴中に隠れるように退院していったボン。3ヶ月もの間、兄弟のように過ごしてきたのに、後味の悪い別れだな~と思っていたが私のベッドに置手紙があった。内容は、挨拶もせず退院してゆくことへのお詫びが書かれていた。 私に反対された彼女との恋愛は、どうしてもあきらめる事ができないようだ。仕方がない。そして驚くようなニュースが入ってきた。断酒会から帰ってきた患者から、私に意外な話が聞かされたのだ。その患者は、加賀君(ボン)を地下室で見たと云う。夜も9時を過ぎているのに、何故そんな場所に居るのだろう?退院していったのは5時頃だった。 それを聴いた私は、直ぐに看護士に頼んで病棟の5時で閉められるドアを開けてもらい地下室にゆくと、公衆電話ボックスの傍にあるベンチで座り込んでいるボンを見つけたのだ。人目に付かない場所なので警備員も気が付かなかったのだろう。私を見たボンは逃げようとする。しかし、仲間も一緒に来ていたのでみんなで捕まえた。そして、事情を看護士に話し、今夜は私の部屋の空いているベッドで眠るように説得をした。ボンは素直に応じてくれたが、何故こんな時間に病院内に居るのか?少し落ち着いたボンに私は聞いてみた。理由は、やはり彼女とのトラブルだった。彼女はボンが退院することを拒んでいると言うことだった。寂しいから病院に居て欲しいといわれている様だ。無理な話だがボンには辛かったのだろう。5時過ぎに病棟を出て行ったが、その後は彼女も5時以降は病棟の出入りが閉鎖される為、電話でやり取りがあったらしい。彼女はなんと言っても心を病んだ病人である。世間の常識が通用しない部分がある。しかし、恋は盲目にさせる。今の二人には、何も聞こえないし見えないようだ。「明日は帰れよ!」と私は云って眠りに付いた。しかし、翌日9時に病院を出たものの、二人は外で会っていたようだった。そして、事件が起こったのである。
2003年09月09日
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【昨日の続き】ボンには元々、恋愛依存症的な要素があった。入院中も「相手変われど主変わらず」の状態で、若い女性患者が入院してくると直ぐに恋をしていた。しかし、今回はケースが違う。相手の女性は、躁鬱病と云うデリケートな病気の患者だから…。私は例を色々とあげて説得してきたが、いつもは素直に聞くボンであったのに今回の話は聞いて聞かぬふりをした。かなり本気な様子だっただけに私の不安がつのる。そして私の不安が的中した。幽霊騒動の時にも、入院患者同士の恋愛から起きた騒動であったのに…。今日退院してゆくボンは、病棟世話役の一員だった為に午後からのビーンボーリング大会の世話をしてから退院すると云ってくれた。午前中から準備をいていたのだがボンの態度が落ち着かない。私から隠れるように携帯電話を院外に出てかけ続けていた。そして、私から見られると目をそらしてしまう。何か揉め事が起きているのが判った。午後からのビーンボーリング大会も無事終了しボンが退院する時間になった。ボンは私が入浴中だったのを見計らうようにして、挨拶もせずに退院していった。気まずい思いでの別れであった。ところが、退院していったと思ったボンは退院をしていなかったのだ。
2003年09月08日
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イヨイヨ神宮の3連戦…11日あたりがXdayのようだ。胴上げは15日の広島戦、甲子園でして欲しかったなぁ~! (^-^)/ マジック510月27日(金曜日)【退院まで、後2日】今日は、ボンの退院の日だ。入院当初から、私に付きまとった可愛くも困ったボンであったが別れるとなると寂しく辛い。彼には色々な面で私も救われた。精神面での安らぎと云うのだろうか、ボンには独特の個性があった。私には無いものばかりであった為、今まで仲良く生活を共にできたのだろう。しかし、よくボンには叱った。何度叱られても私から離れなかった。メアリーの下着盗難事件や幽霊騒動も二人で解決してきた。ボンとは、この先会うことはないだろう。彼は通院を自宅の近くの医院にした為に…。本来なら、退院を祝ってやらなくてはならないのだが困った事が起きていた。ボンは只今恋愛中なのだ。それも下の階の躁鬱病の女性が相手なので困ってしまった。数日前から紹介されてはいたが、私はその彼女を良く以前から知っている。売店のロビーでよく会って話していた女性なのだ。彼女は、モデルの様な容姿の綺麗な女性で、病院内でもひと際輝いている女性だった。私はボンに紹介された時に彼女を見て驚いた。今は躁状態であるが、彼女の鬱の状態を私は知っていたからである。だから、ボンには彼女との付き合いは慎重にしないと大変なことになると云い続けてきたのだ。もし、ボンが彼女に嫌気がさした時の彼女の病状の悪化が懸念されたからだ。躁鬱病の患者は何時変化するか判らない。ボンのことだから彼女が鬱状態になった時に対応ができないことは明白だ。必ず悲劇が起きると思うので、私は付き合うことに大反対をしてきたのだが…。
2003年09月07日
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イイノヨ~!負けたって!イイノヨ~(^:^) 10月26日(木曜日)【退院まで、残り3日】昨日の疲れもなく爽やかな目覚めだった。自分でも驚くほどに回復している。午前中は体育館でのトレーニングは止めて、久しぶりにホームセンターへ行き買い物をする。ここともお別れだ。午後より断酒会院内例会に参加し最後のスピーチを述べた。夕方、担当医より呼び出しがあり、先日の血液検査の結果筋肉を使った時の数値が高いが他には問題はないと言うことだった。筋肉の数値は、体育館での内緒のトレーニングの為に上がっているのだろう。血液検査とは恐ろしい。総てが解ってしまう。そして、退院後の検診は当面1週間ごとに通院するようにとのことだった。夕食後に私を呼びに洋子ちゃんが来た。何かと思って食堂に行くと、私の退院祝賀パーティーの準備ができている。驚いた。テーブルには、お菓子が並べられ10人ほどの患者が集まっている。私には内緒に準備がされていたようだ。嬉しかった。そして、消灯時間が過ぎても看護士が気を利かせてくれて電灯を消さないでいてくれた。みなさんには頭が下がる思いである。この様な扱いをされると益々別れが辛くなる。
2003年09月06日
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今夜は、奇跡的な幸運に恵まれ、チケットが手に入り甲子園球場にてタイガース戦観戦。 9回矢野のサヨナラ逆転2ラン!この目でシッカリ確認しました。o(^o^)oやはり、甲子園は異様な雰囲気に包まれており、久しぶりに私も興奮!未だ興奮冷めやらず!今夜は眠剤も効きそうに在りません。只今も幸せを実感しております。v(^^)v これでマジック6上記の理由により本日の「病棟日記」休ませて頂きます。 申し訳ございません。
2003年09月05日
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久しぶりに敗者の気持ちを味わったなぁ~ (*^_^*) 【死の行軍Ⅱ】ダムを回りながらの看護士とのふれ合いは、お互いに患者と看護士の立場を超えて親密になることができた。今後の私の人生にも忘れられない”ひと時”になるだろう。途中の休憩所でトイレタイムがあり休憩15分。そして、バスが待機している場所まで歩き帰院の途に着く。病院に帰って来たのが4時を過ぎていた。直ぐに反省会が始まり、初参加の私が感想を述べた。そして、ドクター並びに看護士さんへ感謝の気持ちを率直に語った。入院当初から、自分の身体の状態も理解せずドクターに無理を云って参加を希望していただけに、感慨もひとしおであった。仲間もサポートしてくれたし、私は幸せな男である。反省会の後、入浴する。入院以来、今日の入浴は特別に心地良い。退院も今週末である。本当に、この病院に入院して”人として”生き返らせて頂いた。
2003年09月04日
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7連勝!v(^^)v マジックは7 しかし、井川が心配だぁ~(-。-;10月25日(水曜日)【退院まで後、4日】昨夜は熟睡できたので体調は、すこぶる良い。今日は念願の大トレッキング参加ができる。しかし、天候は雨だ。出発前に、みんなに昼食用の弁当とお茶が配られる。みんなの話ではこの弁当が美味しいそうなので楽しみだ。そして10時よりマイクロバスで出発。トレッキングコース入り口に20分程で到着。みんなで歩ける喜びに少々興奮気味だ。しかし、雨は激しくなる一方だ。目的地はダムと展望台があるそうだが、それまでは狭い石ころだらけの山道を登ってゆく。大雨の為、道は川のようになってきた。私の後には桑名さんが付いている。彼女は時々悲鳴を上げる。振り向くと、石につまずき転びそうになっているので私の雨合羽を掴むように云うとシッカリと掴んできた。只、私1人でも苦しい勾配のきつい山道なので彼女に掴まれると重くて先に進む速度がおちる。そして数時間後にようやく到着。今回のコースは1番歩きやすいコースだと云う話であったが道は狭いし勾配もきつく足下は石だらけ。何時も、みんなが登っている苦難なコースとは、どの様なコースなのだろう。想像しただけでもゾッとする。神奈川の久里浜病院ではトレッキングのことを死の行軍と言うそうだが解る様な気がする。まさに、これは死の行軍だ。あえて、苦難なコースを選び心と身体にムチを打つのだろう。到着地点はダムが在り、周りが遊歩道になっている。そして、雨も上がっていた。早速、休憩所で昼食。最高に美味しい。今までは酒を飲むことで、お米を食べるのは苦痛であった生活が、久しぶりにお米の美味しさを感じたのだった。福祉士の先生も同行していたので久しぶりに話をする。すると、胸に付けられたネームプレートの名前が変わっているので聞くと結婚したそうだ。入院当初はお世話になった先生だったので嬉しくなった。半時間ほど食事休憩をして再び歩く。ダム周辺を一回りしながら看護士さん達と話しながらゆっくりと歩く。苦難を共にすると看護士と患者の関係も、より親密になる。この続きは明日に…。
2003年09月03日
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6連勝(^0^)/ これ以上連勝が続くと困ったなぁ~(*^_^*) 今日でマジック9(^_-)ネッ10月24日(火曜日)【退院まで残り5日】今朝、起床して驚いた。病棟の掃除が既に終わっている。ボンと森本君そして、やぶちゃんが私を見て笑っている。私が熟睡していたので起こさずにいたと云う。しかし、私が起床したのは掃除をする時間だ。寝過ぎた訳でもないのに…。怪しいので問い詰めると、私を気遣って早めに起きて掃除を終えるように、昨夜の内に3人で打ち合わせていたそうだ。なんとも心優しい連中か…。私が病棟世話役で色々と迷惑をかけているので、恩返しだとボンが云った。嬉しいな~。午前中は、明日の大トレッキングに備えて体育館で入念にトレーニング。午後からは内科の医師による講義だった。教育プログラムの内容は「肝硬変に付いて!」だった。肝硬変になった肝臓は、再生することは無いが現状維持をするには、断酒と栄養状態に気遣い、疲れないことだそうだ。講義の後に院内ミーティングがあった。明日の大トレッキングの説明があり10時出発、15時帰院とのこと。私も最初で最後の大トレッキング参加…楽しみだ。そして、今週退院予定者3名に終了証書授与。もちろん私も授与された。その後、みんなに別れの挨拶をした。いよいよ退院することが実感として湧いてきた。
2003年09月02日
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10月23日(月曜日)【退院まで残り6日】昨日は寝すぎて女性達に迷惑をかけた為、5時に起床し病棟内の掃除をする。午前中は体育館にてトレーニング。昼食後に病棟で発行している月刊誌の原稿を書く。1時半より小集団療法オリエンテーション。題は「お酒を飲むことで得をしたこと損をしたこと」だった。私の場合は、もちろん得をしたことのほうが多い。現在の生活が安定しているのも、お酒のお陰である。詳細は書かないが…。営業部所属の際も交渉ごとには酒席が必要である。交渉事がスムーズにはこぶのは、やはり酒席である。この事は接待と云って日本古来の伝統であろう。損をしたことと云えば、親から頂いた丈夫な体をアルコールにより傷つけ、現在この様な病院での入院生活だ。損得で考えれば、どちらであるのかわからない。命と引き換えに生活の安定を図るのは、間違っているような気もするが…。夕方より世話役スタッフ会議参加。次回の大トレッキングは、私を参加させる為に一番歩きやすい平坦なコースを決めてくれた。病院側の配慮に感謝、そして感激した。後で看護士から聞いたのだが、今回の様なコース変更は異例であるそうだ。病院が私の事に、その様な配慮をしてくれるとは…。世話役から病院側への報告事項は、次回のレクリエーションも評判の良かったビーンボーリングに決定した事を報告する。退院までに1週間をきった。
2003年09月01日
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