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9月11日(月曜日)曇り今日は朝から歯が痛い。病院に話して歯医者に行こうと思い、看護士にその旨を告げると担当医の紹介状がいると云う。何故、歯医者に行くのに紹介状が必要なのか?それも、病院側から指定された歯科医院である。私は、今まで治療していた歯医者がある為、病院指定の歯科医院には行きたくない。しかし、往復するのに半日以上かかる。その為の外出許可だった筈が…。紹介状が何故必要なのか?理由を聞くと「肝臓疾患患者の場合は必ずビールス性肝炎でないことを証明する為」だそうである。しかし、私が行きたい歯医者にはその様な証明書は必要ないのだ。精神病院の証明書は、やはり恥ずかしい。「私は今、精神病院に入院しています」と云う看板を胸から提げて歩いているようなものじゃないか…。外出許可はおりたが担当医が書いてくれた証明書は破って捨てた。朝食後に歯医者に出かけて治療をし、帰院したのが丁度午後のプログラムが始まる前だった。今日のプログラムはミーティングである。テーマは「何故、私は依存症になるまで酒を飲んだのか?」今日は私の発言の番だった為、1発長々と演説をした。(^0^)次回のテーマは「酒に言う」に決定!大変面白いテーマだ。このテーマに付いても語りたい。プログラム終了後、歯医者でお金を使った為、会計で小遣いを下ろしておこうと思い詰め所にゆく、小遣いを下ろすのにも使用目的や必要金額を書き込み許可をもらわなくてはならない。この際いちいち小額を下ろすのもこの様な手続きをするのは面倒な為、まとめて少し多めに下ろしておこう。そして、必要金額を記入して提出すると看護士が会計に連絡をとり実際にそれだけの金額が預けてあるかを確認する。私は何時も高額な預け入れを会計にしていたので預け入れている金額を聞いた看護士は驚いていた。患者を馬鹿にするなよ!金はあるのだ~(^o^)本当に面倒な手続きが多すぎる。明日は胃カメラ検査の為、午後9時以後は絶食だ。そして、その件で私は看護士を叱り付け大騒ぎに病棟がなるのだがその話は又明日に…
2003年05月31日
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9月10日(日曜日)晴今日も晴れ…この所、雨が降らない日が多いのが気にかかる。病棟内は閑散としているし、朝食後はひとり散歩に出かけた。裏山に登ってみるとお墓がある。小さな墓標には、それぞれに戒名らしき文字が書いてある。どうも病院で死亡した患者のお墓のようだ。こんな所にお墓が在るのは引き取る人がいなかった患者に違いない。一つ一つ見て行くと若くして亡くなっている。私は墓標を見つめつつ合掌をしたが頭の中では弔いの思いより病院で亡くなって引き取り手がいない状況を考えていた。このお墓の一人一人の方達の人生は、どの様な人生であったのだろう…。そして、病院の配慮にも感動した。普通なら、この様な患者のお墓は建てないだろう。無縁仏として公的に処理されている筈である。改めて、この病院の患者に対する思いやりを感じずにはいられなかった。精神を病み、そして永い病院生活の後に亡くなったであろうこの方達の終の棲家がこの地なのだ。しかし、私はそんな死に方は嫌だ!少なくとも葬儀は要らないが自分の墓に入りたい。そこには祖父や祖母や父や母、そして兄も眠っている。私の最大の希望は多くの戒名が書いてある墓標の母の隣に私の戒名を書いてもらいたい。あの世でも母とは仲良く語りたい。未だ語り足りない事が多く在ったのだから…。そして、この時に心に決めた。生きているうちに戒名を、私の事も知らない寺の住職に付けてもらわずに自分で自分の戒名を考えて、自分が納得のゆく戒名にすることを…。1文字が数十万円と云うような金で買うような戒名は、ありがたくないではないか!とも思ったのだ。そのことが世間の常識に反していても私は私自身で戒名を考える。そんな事を今日の散歩で考え付いたのだった。そのことが良いことなのかどうかは別として有意義な散歩であった。退院後にゆっくりと自分の人生を振り返り自分にふさわしい戒名を付けよう。宗教を持っておられる方には異議があると思うのだが、私は私の道を自ら作る。そして、逝き様だけは潔くいこう。心残りの無いように…。【まだまだ、そのようなことを考える歳ではないのだが、一応心の準備にね】(^-^ゝ
2003年05月30日
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昨日の続き…AAに初参加して会場が教会だというので、まさか教会内の敷地を借りたテント小屋での集会だとは思いもしなかった。(これは私が行った集会所であり、一般的には普通の会館や教会で行われていますので誤解がないように…)「断酒会」に入会するには住所、氏名、電話番号等を知らさなければならない。しかし、「AA」は薬物依存の者も参加している為、住所や氏名を名乗る必要がない。その意味では、プライバシーが守られている組織である。只、発祥がアメリカである為、規約には宗教・宗派・政党・組織・団体にも縛られていない。とあるが断酒を誓う相手が「神」としている、それはキリストであることには違いない。そして、若者も多く参加している。若者の多くは薬物依存や拒食症である。AAの場合、司会進行をする者を「チェアマン」と呼ぶ。約45分ほどの時間で参加者がチェアマンの進行により一方的に自分の気持ちを話すのである。決して話の内容に他者は口をはさまない。それが絶対条件のルールである。まず、最初にチェアマンの話から始まり、断酒の誓いを参加者全員で朗読する。「ミーティングハンドブック」というものがあり、その中に書かれている誓いの言葉を読み上げる。その後、チェアマンの指示で指名された者から順番に話してゆく。冒頭にニックネームを名乗るのだが、それに対する反応が面白い。私の場合は「酒天童子と云います!宜しく!」と云うと即座に、みんなが声をそれえて「ヘイ!酒天童子!」と答えてくる。最初はこれに驚くのだ。何だか”ツッパリロックグループ”の集会のようで違和感がある。そして話し始めるのだが、何処から見てもカタギでない人物でも話の途中から泣き出す者がいる。これにも驚くのだ。街で普通に歩いていると、ヤクザそのものである容姿の者がこの集会で泣くのであるから不思議だ。それだけに、聞いている方も”もらい泣き”をしてしまう。世間では、ダニのように見られている者でも本質は真っ当な人物であるのだ。どこかで人生の歯車が噛み合わなくなっただけの事。私は何時も云っている話に「ヤクザ」を警察が締め出した為に、素人娘が売春をし若い者が非行を平気でしても罪悪感さえも無くしたのだと話している。ヤクザを軽蔑する者が多いがヤクザ社会にはルールがあった。今の非行にはルールが無い!いわゆる縦社会が無いのだ。親分が居て絶対権力の下に子分が従う。素人娘が街中で声をかけ売春なんか出来ない組織ができていた。麻薬を販売する外国人犯罪も然りだ。「暴対法」が出来てから、一部の普通の女子高生が「援助交際」と名前を変えて売春をするようになった。この法律には功罪あるが罪の方が大きいのではないかと思う。私も多くのヤクザを見てきたが恩義と礼儀はわきまえていた。チョットしたトラブルでピストルを向けられても話し合えば解決できた。今の犯罪には動機や根拠が全く無い犯罪が多い。「キレタ」…だけで殺人を犯すのだ。AAに参加すると裏の社会も見えてくる。このHPにも開設早々不愉快なゲストの書き込みがあった。「元00住民」と云うHNで「去年、もう二度と楽天に戻らないと宣言されてHPを閉められた方ではありませんか」「何々組で荒らした者ではないか?」と云う様な内容であった。私は不愉快な書き込みと感じたので書き込みを削除すると以下の書き込みがあった。【どういう意味でしょうか?何故こちらの問いかけには答えていただけないのでしょうか?それとも答えないということ自体が回答ということでよろしいですか?また、私の精神病の事には触れてさえいない書き込みのどこに精神病患者を馬鹿にする記述があったのか、どう考えてもわかりません。その辺りも指摘していただけるとうれしいのですが。BBSを閉じられているようですのでメッセージで送らせていただいていますが、今後私が精神病患者の方を馬鹿にした発言などしていないと証明するために必要が生じればこのやり取りは公開させていただく場合がありますのでそのつもりでご返答お願いたいたします。楽天ID取得しましたので返答は私のHPでもメールでもどちらでも結構です。】この様な書き込みに誰が返答するのであろう。言葉使いは丁寧であっても内容は無礼である。元00住人と云うHNで今も住人になっているのではないのか?不思議な者が居るものだ。そして、無断でこのHPをリンクしている。まるで監視をするように…誠に無礼な礼儀の知らない者がいるものだ。自分勝手な思い込みで、返答まで自分のHPに書き込めと云う精神が理解できない。私は、この様な書き込みには虫唾がはしる。鬱陶しいのでゲストの書き込みを禁止した。その為に友人までが書き込みが出来ない。みんな私の気性を理解しているので良いのだが…。その意味でも精神病と云われている者達の方が真っ当ではないだろうか。1番醜いのが、真面目で普通に生活している振りをしている礼儀の知らない不可思議な人間である。
2003年05月29日
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9月9日(土曜日)晴今日は土曜日の為、病棟内の多くの患者は昨夜から自宅に帰り閑散としている。土曜、日曜は体育館も休みで使用できない為、朝から洗濯をして外出をした。内科医も休みの為、今日は堂々と外出できる。どこに行こうか?と考えた末、やはりホームセンターと本屋に行くことにした。ホームセンターでは文房具を購入し、本屋では「国家・宗教・日本人」という難しい題名の単行本を購入。11時頃帰院し、少しすると院内放送で私を呼び出している。面会者が来ているらしい。面会室に行くと弟と妹が面会に来てくれていた。久しぶりの対面に嬉しさを隠せない。精神病院には面会者も嫌がって余り来ないのに嬉しい事だ。しかし、この病院では病室には患者以外は入室できない為、面会室で歓談した。日頃のストレスから私が一方的に話した。現時点の病状のことや、病院の裏話等を話して時計を見るともう午後2時をさしている。アット云う間の2時間だった。このままで別れるのは寂しいので、もう少し居て欲しいと云うと2人は昼食が未だなのでお腹が空いたと云う。それを早く云ってくれれば私は病院食を食べずにいたものを…。そして、3人で近くのレストランへ出かけた。私は昼食を食べていたのでドリンクのみを注文したが二人はステーキを注文した。本来なら昼食後2時間以上も経っているので私も食べたいところだが、やはり未だ食欲がない。そこでも私は退院後の生活環境を変える話をした。ハワイに住みたいことも…。二人も賛成してくれたので嬉しかった。そして妹のご馳走で3時半頃別れた。しかし、面会に来てくれるのは嬉しいが普通の病院ではないので申し訳がない想いがする。夜には、初めてAAに参加した。この病院の規則で、退院までに最低5回自助グループである「断酒会」か「AA」への参加が義務づけられている。AAの会場は、病院から電車で30分ほどの所にある教会だ。19時から始まるというのでボンと二人で行ったのだが、初めての為どのようなシステムであるのか判らない。事前に少しは体験者から内容は聞いてはいたが小屋に入って驚いた。そこは、教会の敷地内にあるテント張りの「マクヤ」と呼ぶ8畳ほどの小さな汚いテント小屋であった。女性が1名、男性11名が参加していた。狭い部屋の為、これだけの人数が座ると部屋からはみ出しそうである。しかし、我々は始めての参加者ということで良い場所に座らせてくれた。それも、どこからか廃品回収で拾って来たような壊れかけたソファーだ。この続きは明日に…。
2003年05月28日
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9月8日(金曜日)晴今朝は、そろそろ夏に別れを告げているような涼しい朝である。何時ものように抗酒剤を服用して1日が始まる。9時40分より体育館でトレーニング。日々参加者が増えてきて、今日は上東のお母さんも一人でバレーボールで遊んでいる。失礼だがその姿が可愛い。11時半頃まで体育館で遊び、心地良い汗をかく。11時40分に内科医の先生より呼び出しがあった。体育館での運動がバレて叱られるのかと思ったが別の用件での呼び出しであった。ホルモンバランスの検査をすると言うのだ。そして、又採血をされた。先日、「呆けテスト」の際に若い女医さんをからかう意味で勃起しないと言った話が内科医の先生に伝わったようだ。(恥ずかしい~!)しかし、数年前より男性機能が低下しているのは事実だったので検査は、是非おこなって頂きたかった。午後より、今日はレクリエーションの日だ。1時半より3時過ぎまで屋外の運動場で「三角ベースボール」をして遊んだ。子供の頃によく遊んだが、それ以来数十年ぶりの遊びである為、子供のようにみんなで楽しんだ。今までの生活では、この様な遊びさえも忘れていたので異常に楽しく思えたのである。私のチームは負けてしまったが楽しかった。企画してくれた病棟世話役も事前の準備が大変であったろうに…。誠に感謝、感謝である。泥んこになった体を、帰院後シャワーで流すと久しぶりに気分爽快だ。共に遊んだ看護士さん達は、私が運動禁止患者であることを忘れているのか黙認してくれていたのか、どちらにせよ参加させてくれたのはラッキーだった。その夜は、患者の多くが帰宅した病棟で早めの就寝が出来た。爽やかな疲労感が眠剤の効き目も手伝って静かに体を包みながら…。
2003年05月27日
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昨日、これほどの病気に罹っているのに何故、病院で診察も受けずに過ごしていたのか?又、病院に行かなければ死んでしまっていたのか?と云う質問がありました。この病気の怖いところは、アルコールが体内に入っていれば通常の状態で生活ができるのです。アルコールが体内から抜けた時点で、あらゆる病気が発症してくるのです。私は入院をするまでは、クリニックにも行っていませんでした。体調は悪くなかったからです。初めて、入院した病院で診察を受けて即入院となりアルコールを体内から抜いた時点から、あらゆる症状が出てきました。(入院当日に、息絶え絶えで歩けない状態になっていたのは入院が決まった為、前夜よりアルコールを飲まなかったことによる禁断症状です。)当然、肝臓は痛んでいましたが「肝臓は沈黙の臓器」と言われるように、これといった症状はありませんでした。只、外出すると夏に汗をかくのは当たり前ですが、その汗が異常なほどの多さだったのです。それと、貧血のような症状を時々起こして座り込むことはありました。その程度のことですから、診察を受けることなど考えてもいませんでした。初めて自分の異常に気づいたのは厭世観です。時々死にたくなるのです。飲みながら首を吊る木を決めていました。私の場合は妄想はありませんでしたし幻覚症状も無かったのです。ですから、廻りの者には判りません。初めて自分でテレビの医療番組を見て「アルコール依存症」であることを知ったのです。そして、入院するまではアルコール浸けの身体が私の身体には正常な状態だと錯覚させる体質になってしまっていました。お酒の弱い方が少しのお酒で頭が痛くなったり身体がだるくなったり、眠気を感じるのと同じで私の身体はアルコールが抜けると、その様な状態になる体質に変化していったのです。これが、「アルコール依存症」の怖いところです。正常な身体を維持するにはアルコールが欠かせない体質になるのです。そのことによるリスクは、静かに各臓器に起こっているのですが…。私は入院をするまでは、足が浮腫んだり手足が痺れて痛んだりはしませんでした。入院によって、アルコールが総て体内から抜けると、あらゆる疾患が出てきたのです。ですから、入院治療をして痛みや痺れで生涯苦しむのが良いのか、入院もせずにアルコールを飲み続けて徐々に臓器が傷みだし、又精神的異常をきたし死んでゆくのが良いのか…今でも私には答えがだせない部分があります。アルコールを飲むことによって身体を騙して麻痺していた部分がアルコールを飲むことを止めることによって正常な身体に戻し正直に病気を表に出させるか…。難しい問題だと思います。あのまま飲み続けていれば今はこの世にいないでしょう。しかし、生きていることによる内臓疾患や末梢神経障害からくる手足の痛みの辛さはそうとうなものです。どちらにしても、重度の「アルコール依存症」は遅かれ早かれ死に近くなっていくことには間違いないのですが…。どちらを選ぶか…それぞれの方の考え方次第ですね。高齢者の場合は飲酒を止めない方が良い場合もあります。私の場合、今は痛みに耐えても生き抜く方をとっていますが何時負けるかわかりません。
2003年05月26日
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9月7日(木曜日)晴今朝は目覚めがスッキリしている。6時に採血があり詰め所で採血6本。早朝から、これだけ血液を採られると貧血を起こしそうになる。(^0^)朝食後、体育館にみんなと共にトレーニングに向かう。今日から三河さんも参加するので機具の使用方法を指導する。彼女も入院後、かなり体重が増えたようだ。本人も自覚しているようで、一生懸命にトレーニングに励んでいた。やはり、女性は体形が気になるようである。トレーニングが1時間程で終わった為、私は1人ホームセンターへ院外散歩に出かけた。買う物が無いが、手ぶらで帰るのもつまらないのでスリッパを購入した。260円でかなり良いスリッパが売っていたので思わず購入してしまった。12時半頃、足の指を怪我をしたので治療をしてもらいにゆくと、仲の良いナース嬢が手当てをしてくれようとする。そこに男性看護士が出てきて「そんな傷ぐらいは自分でバンドエイドを張っておいたら良い!」と言ったので、何時もなら怒鳴り返すのだが彼女の手前我慢!これが辛い!!ナースも先輩看護士が言うことに逆らえないでいる。総合病院なら手当てをしてくれて当たり前の事が、この病院ではその程度の怪我は問題にされない。仕方なくバンドエイドをもらい自分で手当てをした。(何の為に看護士が居るのだろう?)しかし、私は未だ良い方でバンドエイドさえ与えられない患者がいる。その様な患者は外出して薬局で購入してくるのだ。納得がゆかないことが沢山ある病院ではある。しかし、私も入院してから42日が過ぎた為慣れてきていた。「壕に入れば壕に従え」である。(漢字あっているかな?)13時半より院内例会があった。今日はAグループの発言であり、私はBグループの為聞き役であるので気楽であった。17時よりカウンセラーの先生と内科医の先生による同時の診察があった。内科医の先生より私の現在の病状が詳しく報告された。私の肝臓は“肝繊維症”であり回復は難しいとのこと。又、蛋白質が何かの影響を受けて体内で作り出される量が非常に少ないとのことで、その為に体力の回復が悪いとのことであった。医者としても、どの様な治療方法で蛋白質を補助してゆけば良いのか検討するとのことで不安が残る診察報告だった。そして、ダメを押すように、今の状態では身体のダメージが大きくトレッキング参加も再検討すると云う。未だに足の浮腫みがとれていない為である。足首を親指で押すと深く”くぼむ”ほどに腫れているのだ。ボンはそれを見て何時も嬉しそうに私の足を押して遊んでいる。しかし、私は気にはしていない。心筋が弱っている為、ポンプが弱く抹消まで血液循環が充分にいかないからだそうだ。入院以来、42日も経過して未だにこの状態では退院までに外出許可がおりるのだろうか?それが、辛い!9月12日に胃カメラ検査が決定した。胃潰瘍のその後の状態を見るそうである。これだけ多くの病気を抱えているのだから覚悟は既にできている。しかし、内臓疾患はなかなか治らない病気であることを痛感した日であった。本人は元気回復と思っているのだが体育館でのトレーニングも、これから先も内緒で続けなければならないのだ。マァ、自業自得で罹った病気なので仕方がないか…。(^_^;)
2003年05月25日
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9月6日(水曜日)晴今日は大トレッキングの日である。大変ハードなトレッキングで患者にとっては最大の苦行の日なのである。朝、10時より出発場所迄バスに乗り、そこから歩き出す。昼食は特製弁当が支給される。私は今回も参加が出来ない。みんなは嫌だと云うが、今の私は歩くことが喜びでもある為、参加したいのだが…。入院前までは、歩くことさえ出来なかっただけに歩ける喜びは誰よりも感じている。みんなが山道を、もがき苦しみながら歩いている時間、私達居残り組みは、ビデオ観賞の後有名クリニック院長による講演を聞く。今日の講演は「アルコール依存症とは、どの様な病気なのか…」を話された。講演で判ったことは、私の場合は他人に迷惑をかけない「静かなるアルコール依存症」であったと云うことだ。問題行動を起こさない一人静かに飲んでいる、家族が判り難く、又内蔵疾患をひきおこすタイプの依存症である。そして、今では1滴も飲んではいけない身体になった訳だ。午後3時半頃トレッキング参加者が帰院してきた。早速、反省会が行われる。みんな疲れきった表情で無言で椅子に座っているのが印象的だ。今日の大トレッキングも、かなりハードな行程だったようだ。「ご苦労様!私も退院までには必ず同行できるようになるので待っていて欲しい。」と居残り組みを代表して挨拶し、反省会を終えた。しかし、かなり辛く苦しいトレッキングのようで少々不安!。(^_^;)
2003年05月24日
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9月5日(火曜日)曇り~雨昨日、三河さんに渡した物に対する彼女の反応を知りたいと、藪岡さんや森本君が、朝から私に聞いて欲しいと嬉しげに云ってくる。私は慌てなくても、彼女の方からそのうちに何らかの話があると思っていたので、あえて聞くことはしなかった。今朝の食事時も会ったが、今までと同じ雰囲気で食べていたし挨拶もしてきた。只、彼女が変わったことは私達が毎朝体育館でトレーニングをしているのに自分も参加したいと云ってきたことぐらいである。私は、今日は朝から内科診がある為体育館には行けない。それを伝えると、明日から一緒に連れて行って欲しいと云う。快く了解した。お互いに共通の秘密を持った為に、より親しく感じる様になったのかも知れない。10時より内科の診察があり明日の
2003年05月23日
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9月4日(月曜日)晴昨日、私が思いついた悪戯とは「嗅ぎタバコ」の粉を、紙に少量入れて三角形の薬のような形にし、三河さんに渡すと云うアイデアだった。三河さんの反応を見たかったのである。このアイデアに藪岡さんも森本君も大乗り気、早速森本君がワープロ用の紙を使用して三角形に折って、その中に少量の粉を入れて粉末の薬のように作成した。その作業を見ていると森本君は嬉しくて仕方がない様子だった。一流企業に勤務し秀才でありながら、何度もリストカットをして生き甲斐をなくしていた青年とは今は思えない。彼にも子供の様な悪戯心があることを、この時始めて知った。5袋作成した薬状の袋は、誰が見ても薬袋に見える出来栄えだった。明日朝に、私が三河さんに、そっと渡すことになった。1番信頼してもらっているのが私だからだそうだ。嫌な役目だが、言い出したのは私なので了解をせざるおえなかった。翌朝、5時ごろお茶を食堂に入れに行ったときのこと、丁度三河さんが窓辺に座りタバコを1人で吸って窓の外を眺めていた。タイミングは今だ…。早速、部屋に戻り怪しい薬に見せた袋を取りにゆき、三河さんに「おはよう!」と声をかけた。三河さんは「早いのね~!」と云って笑っている。私は彼女の横に座り世間話を始めた。そして、別れ際に「三河さん、面白い薬が手に入ったのだけど1度使用してみない?」と云うと「どんな薬?」と聞き返した。「私は病院や仲間には内緒で気分が落ち込んだ時に吸っている薬なんだけど」と云ってポケットから袋を取り出した。「どう?1度試してみない?絶対に誰にも言わない約束で…」「この薬は鼻から吸引するんだ、このように…」と見本を示すと、彼女はサッと私の手から薬を取り上げポケットにしまった。作戦成功(^0^)そして、何事も無かったように私は席を離れた。部屋に戻った私は、2人に作戦成功の報告をすると2人とも大喜びだった。「お前も悪じゃのう!」と藪岡さん、「お主ものう!」と私、「これからの三河さんの反応が楽しみです」と森本君。大いに朝から盛り上がったのだ。今頃、三河さんは袋の中身を確認している頃だ。想像しただけでもワクワクする。私は病棟では謎が多い男と思われているので、役目としては丁度良い。そんな、子供じみた遊びで盛り上がる我々は、これでも大人なのだろうか?(*_*)そして、楽しみは今後の展開に任せて何時ものように1日のプログラムをこなした。今日は1時半より松山先生によるミーティングがあった。ミーティング内容は「閉鎖空間での体験に付いて」そして、夕刻に内科の先生に呼び出され「来週の小トレッキングに、貴方がそれ程参加したければ行ける所まで行きましょうか?」と云う嬉しい話があったのだ。私は即座に「お願いします」と答えた。そろそろ、病状の回復が見られてきているようである。
2003年05月22日
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9月3日(日曜日)晴今日も快晴!相変わらず外は灼熱地獄のようだが病棟内は空調が効き過ぎていて寒いほどである。何故、こんなに冷やすのか疑問だ。昨夜、森本君が買ってきた土産には藪岡さんも、おもわず身を引いたほどの物だった。森本君は笑って私に「土産です!」と云って渡した袋を開けて見ると、私は始めてみる小さな黒い容器に入った物だった。森本君は、おもむろに容器から少量の茶色い粉を手の上に少量注ぎ一気に片方の鼻で吸い込んだ。その姿を見ると薬物であることがすぐに理解できた。彼はAAに毎日通っているので薬物は簡単に手に入れることが出来るのだろうか?。どこから見ても吸引方法や茶色の粉は”ヤク”である。そして、彼は私にも試してみるように云った。「頭がスーッとしますよ!」と…。傍に居た藪岡さんは全く受け入れない体制でいる。私も興味がなかったので拒否をしていたが、あまりにも彼が頼むので云う通りに手をジャンケンのグーの形にして親指と人差し指の間に出来る”くぼみ”に少量の粉をこぼして片方の鼻の穴にもってゆき一気に吸い込んだ。途端に頭の中がスーっとしてきた。臭いはハッカの様な臭いがした。そして、眠気が醒めるような冴えた感覚になる。ちなみに言葉ではどの様な物か理解して頂けないので写真をお見せする。 そして、森本君はその粉はドイツの「嗅ぎタバコ」であることを教えてくれた。タバコとは口で吸うものであると思い込んでいただけに鼻の粘膜からニコチンを吸収するなんてこと事態想像もしなかった。しかし、容器には確かにGeisenhausen/Germanyと書かれている。何処で手に入れたのかと問うと秘密のタバコ屋があるそうだ。しかし、合法的に販売されているという。そこで、私はこのタバコを使っての悪戯心が芽生えたのだ。これは面白くなりそうだ!!(^o^)
2003年05月21日
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9月2日(土曜日)晴アルコール依存症病棟は土曜・日曜日は帰宅する患者が多い為、病棟が寂しくなる。残っている者は、病状が悪く帰宅許可がおりない者や帰る家が無い者である。私は病状から帰宅が許可されていない。しかし、私本人は自覚していない為、命知らずの行動をしていると思う。今日も9時半より未だに参加できないでいる小トレッキングコースを散歩してみた。しかし、余りにも危険な山道であった為、1人では危険だと判断して途中で引き返してきた。岩だらけの勾配が急な細い山道であった。1人がロープ伝いに歩くことしか出来ない道もある。大変危険なコースであった。これでは、担当医が参加を許可しないのがようやく理解できた。午後2時よりAAの方の依存症克服に付いての体験談の集いがあった。AAはアルコール依存の者だけではなく薬物依存の方も参加されている。いわゆる、「ヤク中」と云われる覚醒剤の患者である。断酒会はアルコール依存症患者の集いであるがAAは総ての依存症の患者の集いであり話が面白い。自分が今までおこなってきた悪行を自慢げに話す人もいるのが滑稽だ。3時終了。その後は予定は無く、院内で読書をして過ごす。外出許可がおりている者で帰宅しない者は断酒会やAAに出かけてゆくので院内は閑散としている。同室の森本君はAAに魅了されたのか毎日出かけてゆく。そして、土産を必ず買って帰院してくる。今夜の土産は不思議な容器に入った粉だった。鼻から吸引するのだと云う。変な物を買ってきたものだ。
2003年05月20日
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今日は都合により日記を休みます。頭の体操をして下さい。入院中は暇なので、こんな事を考えていました。(^0^)【完全八方陣】この枡の数字を「縦・横・斜め(対角線)」に足し算して下さい。総ての合計が、どの方向から計算しても260になります。これを【完全八方陣】と云います。魔術ですぞ~(^o^)◆無数の組み合わせがあります。(1~64までの数字の組み合わせ)根気と頭脳が必要ですので貴方も挑戦してみては如何?完成した時には髪の毛が白くなっていますよ~。(^:^)*教訓〓人にも色々な組み合わせがあります。組み合わせを間違えても他にも道は開けます!
2003年05月19日
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9月1日(金曜日)雨今日は、朝から久しぶりの雨午前中は院内の体育館で仲間と内緒のトレーニング。体育館に行く途中に内科医の先生の部屋がある。私は、見つかると禁止されるので仲間にガードしてもらい小走りで通り過ぎる。立派な体育館があるのに使用している患者は殆どいない。我々アルコール依存症病棟の患者のみが数名使用しているだけの状況である。トレーニング設備も会員制トレーニングクラブ並みの設備が整っているというのに…。何故、他の患者は使用しないのだろう?最初、体育館でトレーニングをしだしたのは加賀君(ボン)1人だった。そして、私が誘われて参加し、その後は日々に参加者は増えていった。今では10人程が使用している。午後より、雨もあがったのでホームセンターまで散歩をする。ビーチボール購入(購入の理由は夏だから…)\(^o^)/誠に単純な理由だ。1時半より、病棟患者全員と看護士も参加して体育館で「レクリエーション」「シャッフルボードゲーム」をして遊ぶ。ゲーム内容は、【細長い棒(キュー)で円盤(ディスク)を押し出すようにシュートし、得点を競うゲームです。ビリヤードのような知的なゲームで、陣取りゲームのようなものです。】ややこしいので省略。(^0^)3時終了し入浴。今夜は、プログラムが無いので読書をして過ごした。只、今日驚いたことがある。先日、入居してきた森本君がゲーム中に初めて笑ったのだ。それから、部屋に戻ってもからも「楽しかった!」…と子供のように話しかけてきた。他人から見ると、いい歳をした大人が子供の遊びの様なゲームで喜んでいるのは馬鹿馬鹿しく思えるが、皆こんな”戯れる”時間さえも忘れていた日常を過ごしてきたのだ。明日は土曜日、帰宅できる患者は夕方から自宅に戻って行くが私は許可がおりていない。金曜日の夕方は寂しい病棟になる。
2003年05月18日
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8月31日(木曜日)曇り今日は10時20分より、不安である「記憶力テスト」(呆けテスト)あり。テスト内容は、若い女性の岡山先生より各種の質問がある。それに答えてゆく訳だが簡単なようで難しい複雑な心境になるテストである。やはり「もしも、自分は…」といったプレッシャーがかかる。テスト内容は以下のような内容。・自分の現住所と氏名を書き、それに”ふりがな”をふる。・数字の100から3を引き続けて答える。・4種類の品物を5秒間机の上に置かれ、その後総て隠されてしまう。 そして、今置いてあった物を答える。・数字を6桁復唱し、その数字を後から答えてゆく。・不思議な問答が行われる。以上の様なテストであった。その結果!出された「呆け症状」は…。少々記憶違いの部分もあるが退院時には改善されるだろう。歳相応の反応である。(これが複雑な心境)(-_-)とのテスト結果であった。私は最後に先生に意地悪な質問をした。「先生!私は勃起がしないのですが何か原因が?」…と。突然の私の唐突な質問に、若い女性である先生は絶句したのだ。そして、顔を赤らめた先生は答えなかった。その話を皆に話すと、大喜びで大爆笑だった。(^-^)/13時半より15時まで院内例会があった。患者全員が参加しグループ別に発表する。今回は我々Bグループの発言の番だ。私は今までの「酒暦」を語る。そして、話の最後に断酒の誓いを述べるのだ。私の決まり文句は…「今後は、あらゆる協力をしてくれました親族・家族に報いる為にも今後の人生、一生涯断酒を心に誓い治療生活をして参ります。」
2003年05月17日
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8月30日(水曜日)晴今日は、内科の担当医より以前紹介があった他の病院での「心臓エコー検査」の結果報告があった。やはり、心臓自体には異常はないがアルコールによる脚気と心筋症との結果報告であったようだ。今回の結果により、小トレッキングの参加は見送られてしまった。早くみんなと同じプログラムを行いたいものだ。只、院外散歩の距離は少し遠くまで行ける様になったのだが…。そこで、ボンが私が参加できないことを知り、私が準備していたトレッキング用のウエアーを貸して欲しいと云う。自分のウエアーは格好が悪いそうだ。なかなか抜け目のない男だ。仕方がないのでウエアーとリュックを貸してやった。私は未だ1度も着ていないブランドもののウエアーなんだが…。(-_-;)今日のプログラムは●13時30分より、歩行に異常が無い患者は「小トレッキング」といって院外の山道を目的地まで歩くのだ。約、往復で1時間半の行軍である。しかし、私は許可がおりずに院内で「ビデオ観賞」これが、つまらない1時間半の時間である。体力も内科医に内緒で体育館でトレーニングをしている為、自身はあるのだが先生が許可をしなければトレッキングに参加できない。「ビデオ観賞」が終わると担当看護士とビデオ内容に付いてのミーティングがある。しかし、私は何時も最初は見ているのだが、途中から眠ってしまう。内容がつまらないからだ。だから質問があっても適当に答えていたのだが、今回は見つかってしまった。看護士より”嫌味”を云われた。注意する看護士もつまらないことは承知であるが、立場上注意をしなければならないのだろう。その後、洗濯をしているとトレッキングに参加していた者達が次から次へと帰ってくる。そして、風呂に入って汗を流すのだ。トレッキングに参加しなかった者は、皆が帰って来てから最後に入浴をする。そして、帰ってきた者には「ご苦労様」と声をかけるのが病院のマナーである。参加しない者の中には、体調が悪いと嘘をついて参加しない者もいる。私は参加したい方なので羨ましく迎えるのだが。明日は午前10時より脳の検査の一つである「記憶力テスト」がある。もしも、テスト結果に問題があれば落ち込むだろうな~誠に心配である。
2003年05月16日
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8月29日(火曜日)晴>昨日入居した森本君は、自由時間はワープロに向かい一生懸命に何かを打っている。ディルームに出て他の患者と話すこともない。只ひたすらワープロで何か難しい内容の文章を書いている。彼には一通りの開放病棟のルールを教えたので当分は静かに見守っておこう。今日もスケジュールが多い日だった。●13時半より15時まで、石田先生による講義があった。講義内容は「アルコールを、なかなか止められない理由」についての講義だった。講義内容は①依存症に付いての認識不足②自分は依存症ではないので少量なら大丈夫と云う否認の病③アルコール依存症による脳の病・前頭葉が痩せてきてしまう。(老人のアルツハイマーは後頭葉が痩せるそうだ)・前頭葉が痩せると今までの習慣や考え方を変えることが出来なくなる。・コルサコフ症候群(アルコールによって起こる病状)*見当識障害(場所、人、時間が判らなくなる)*記憶障害*作話等を起こすそうだ。④不眠症について・レム睡眠…浅い睡眠状態。・ノンレム睡眠…深い睡眠状態。レム睡眠とノンレム睡眠が、90分周期で起こっているとのこと。等の講義内容であった。●15時15分より病棟全体ミーティング・新人紹介2名・今月退院患者に対して部長先生より修了証書授与式・患者全員によるミーティング●17時30分より担当医師による個人カウンセリング・私は今も院外散歩の距離制限が解かれていない為、そろそろ制約を解いて頂きたいと申し出るが、内科医の許可が出るまでは自粛するようにとの悲しい答えであった。 又、γGTPの数値が減少してきているので徐々に回復してきているとの嬉しい話も聞くことができた。●18時より体育館で精神障害者による盆踊り観賞なんだか、忙しい日だったな~。
2003年05月15日
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今日は病棟日記を一休みしてみました。昨夜、アルコール中毒とアルコール依存症の違いは、どこにあるのか?と云う書き込みが優美さんからありましたので書かせて頂きます。アルコール中毒と云う言葉はスエーデンの医者が医学用語として最初に使われたそうです。その医者は急性と慢性のアルコール中毒を区別したのです。日本でも1980年位前までは、依存症と云う言葉は使いませんでした。「慢性酒精中毒」と呼んでいたそうです。しかし、1980年以後位からは「アルコール依存症」と云う言葉が使われるようになったそうです。何故、「アルコール依存症」とカルテにも記載されるようになったのかと云いますと、ひじょ~に話が永くなりますから簡単に云いますと「アル中」とは駅の片隅で酔っぱらって、うずくまっている光景が浮かびますね。つまり、社会的に除外された者の言葉なのです。所謂、蔑視の言葉です。多くのアルコールに問題がある人が治療しなかった理由には「アル中」と云う言葉が使われていた為なのです。「アル中」とは社会の落伍者で、四六時中アルコールを手放せない人を云います。「自分はチャンと仕事もしているし、やめ様と思えばいつでもやめられる、だからアル中ではない!治療なんか必要ない!」と云う人々でした。しかし、中毒と依存症は全く違うものなのです。中毒とは、ある物を摂取した結果、その人の身体に生じるさまざまな不快な反応のことですね。例えば食中毒を例に云えば、あの激しい苦痛と症状が中毒なのです。アルコールでも飲んで心臓がドキドキしたり、吐き気をしたりすれば、それは急性のアルコール中毒なのです。しかし、依存症は自らすすんで飲む気分の良さで、その気分の良さを忘れられずに繰り返し飲む行為を云います。腐った食べ物を、すすんで食べる者はいないのです。アルコール依存症は吐いたり、記憶を失ったりしても繰り返して飲むのです。そこが、アル中と依存症の違いなのです。そして、365日酒を飲んでいても依存症とは云いません。家族で楽しく晩酌をしながら会話して疲れが取れて良く寝られるのなら、それはアルコールに依存していても依存症と云う病気ではないのです。それよりも、週に1度休肝日と称して飲まなくても飲んで電車を乗り過ごしたり家族と諍いをおこしたり、社会的に問題行動をおこす人、家族関係を破壊する飲酒を「アルコール依存症」と云われています。現在、医学的には依存症は、精神的依存と身体的依存の両方からなる病気と診断されます。「精神依存」とは、人がある物の効果で快楽を味わう為に自らすすんで繰り返し行う行為であり、特にその物が無いと探し求めてでも手に入れなければ、そして目の前に無ければ我慢できない行動を「薬物探索行動」(精神依存)と云います。タバコでもそうですね。タバコを吸おうと思ったら無い!そうすると深夜であっても自販機まで買いに行こうとする行動も「精神依存」と云うそうです。「身体依存」とは繰り返して摂取されていた物が、身体から抜けていく時に不愉快な反応がみられる場合に身体的に異常をきたすことが「身体依存」と云います。例をあげれば手や指の振るえが良く知られています。しかし、この様な症状があれば判りやすいのですが、むしろ知らず知らずのうちに通りすぎることの方が怖いのです。体調が悪いので酒を飲まずに寝ていても寝付かず朝まで悶々としていたり、アルコールを飲まないと食欲が出なかったりすることが依存症なのです。只、日常的にはアルコールと関連しないで過ぎていく。そして、段々と症状が酷くなり苦痛や不眠・けいれん・意識障害・幻覚・幻聴等が生じて死んでいくのです。アルコール依存症患者は意思が弱いと云う方が多くいますが決して意思が弱い者が罹るものではありません。これは、病気なのです。風邪をひいた時のように寝て薬を飲み安静にしていれば治るのとは違い、断酒をすれば精神的依存は完治はしませんが、ある程度の身体的症状は回復するのです。判って頂けましたか?「アル中」と「依存症」の違いを…。きっと、多くの方には理解して頂けないと思いますが…。(参考までに、今回薬物依存で逮捕された「中島らも」の著書にもアル中とアルコール依存症の違いが書いてあるそうです。私は読んでいませんが。)
2003年05月14日
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8月28日(月曜日)晴ようやく昨夜からの雨も上がり今朝は快晴だ。朝から血液検査の為、看護士詰め所に6時に行った。そして、午後1時半からミーティングがある。今日のテーマは『閉鎖空間での体験』についてのミーティングだ。難しいテーマだが適当に流して話しておこう。それよりも午後から新たな患者が私達の部屋に入ってくるほうが楽しみだ。現在4人部屋の内、私と藪岡さんの2名で使用していたが、ようやく仲間が1人増える。もしも、掃除当番が2人の時に廻ってくると困ると思っていたのでよかった。それでも、1ベット空いているのだが…。そして、午後になり新たに若者が閉鎖病棟から引っ越してきた。名前を森本君と云う30歳の青年だ。しなやかな細い体つきで理知的な顔をしているが、神経質な雰囲気をもった青年で寡黙である。手荷物にノート型のワープロを持っているのに驚いた。本来ワープロやパソコンの持ち込みは禁止されている筈なのだが…。彼に聞いてみると特別に許可されたと云う。何故、特別許可をされたのか聞くと森本君曰く「僕はワープロで原稿を書いて放送局に送っているんです」との回答だった。「放送局?、何処の…」と問い直すと「海外の日本向けの放送局です」と云う。話の内容からすると、アメリカから日本人向けの宗教的要素を持った放送のようだ。そして、ワープロで打った原稿を見せられたが難しい内容で哲学的な言葉が羅列されており私には全く理解不能だ。「いったい君は何者?」と聞くと「00電気会社の企画部で精密部品の設計をしています」と云う。確かにそんな雰囲気の青年であるが、手首に包帯が巻かれている。場所からいえばリストカット(手首自傷症候群)をしたような感がした。私は「どうして、この病院に入院したの?」と聞いてみた。すると、彼はあっけらかんとした表情で答えた。「僕は婚約者に自殺されて、その自殺の原因が僕の責任で、僕も死のうと思って酒を飲み続けて何度も手首を切ったんです」と…。しかし、また大変な男が私の部屋に入ったものだ。これは注意をしなければ何時、また死のうとされるか判らない。要注意人物である。「今でも死のうと思っているの?」と聞くと「いいえ、今はAAに通うことと、キリスト教の勉強で気持ちを落ち着かせています」とのことで少し安心した。そういえば先々週に救急車で運ばれてきた患者がいたが彼だったのか…。それにしても、看護士さんも大変な男を、この部屋に入れてくれたな~!と看護士を恨んだが…。そして、彼は「僕は親を憎んでいます」と2度繰り返した。話の内容からすると住んでいる所は高級住宅地であり、かなりの家柄の1人息子のようで過保護に育てられたようである。この、森本君は話を聞きだすと興味深い話がかなり聞けそうである。そして、思った通りの利口だがチョット変わった男であった。(此処の患者は変わり者ばかりなのだが…)
2003年05月13日
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8月27日(日曜日)曇り時々雨先日、入院してきた閉鎖病棟の女性患者(桑名さん)は55歳の挨拶もしない無愛想なオバサンだった。今朝、彼女が初めて食堂に姿を見せて座った席が何時も市口さんが座っている私の横の席に座ったので「その席はもう直ぐ来る患者さんの占用している席ですから前の席に座って下さい」と私は云った。桑名さんは無言で席を変わった。そしてその瞬間、私の悪戯心が芽生えた。早速、市口さんの部屋に行き、事前に打ち合わせをしたのだ。「市口さんよ、君の席の前に新入りのオバサンが座っているので、君を見ると必ずオバサンは驚くはずだから、ニコニコ挨拶せずに黙って前に座ればオバサンは必ず驚いて席を移動するから愛想を振りまかないで黙って席につくように…」と。そして、市口さんも了解し彼は少し遅れて食堂に来た。彼は私が云った通りに無言で彼指定の席についた。桑名さんの表情を観察すると、市口さんを見て一瞬たじろいで席を変わろうとしている様子だ。それはそうだろう、こんな怖そうな男が前の席で無言で居れば誰でも席を替わりたくなる。私は作戦成功と思った瞬間、市口さんは桑名さんに醤油や調味料の説明を優しくしだした。席を替わろうとしていた桑名さんは少し驚いた表情ながら「ありがとうございます」と云って又、同じ席に座り直したのだ。アホか!これでは何の為に事前に打ち合わせをしたのか判らないではないか!私はテーブルの下で市口さんの足を蹴飛ばした。驚いた市口さんは私に対し目で「ご免!」と云っている。それから市口さんと桑名さんは病院内のことを楽しそうに話し始めたのだ。食事が終わり桑名さんが席を外した時に私は彼に叱った。「約束が違う!何故打ち合わせのように黙っていなかったのか…」私が叱ると彼は「ご免!どうしても自然に話してしまった。約束をその時は忘れていた」と云う。この男、市口さんは顔や姿は強面だが本質は全く逆で優しい男の為、自然に桑名さんが困っていそうだったので教えたのだろう。そして、彼は私に申し訳ないから1週間、私の云うとおりの仕事をするから許して欲しいと云った。私はそれでは、これから1週間私の「パシリ」をしてもらうことにした。(^0^)そして、私のタバコや飲み物の売店への買い物は総て市口さんに行かせたのだ。もちろん新入りの桑名さんにも、その事を話すと大笑いしていたが、あの時は本当に怖かったそうだ。一刻も早く席を変わろうと思ったらしい。桑名さんは、あの時は禁断症状で挨拶はもちろん話すことも苦痛だったそうだ。そんな、たわいもない悪戯で入院生活を楽しくしていた。桑名さんには驚かせて申し訳なかったが…。(^:^)そしていつの間にか桑名さんも「アダムス一家」の一員になっていた。アレ?私もいつの間にか「アダムス一家」の一員になっていたの??。これで、益々病棟が楽しくなる予感がしてきた。
2003年05月12日
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8月26日(土曜日)晴昨日、新たに開放病棟に来た一見ヤクザ風の市口さんは思いもかけない芸術家だった。45歳位の男性で体格が良く頭は丸坊主で耳にピアスをしている姿は、どこから見ても芸術家には思えない。ところが食堂で一人黙々と何かを書いているので傍によって見ると病院に咲いている花を繊細なタッチで描いていた。それも、花を見ながらではなく頭に覚えさせて書いているのだ。意外な光景に驚いた。私が話しかけると嬉しそうに丁寧に返答してくれる。見た目は、カタギには見えない男が無心に花を描いている姿は違和感があり、しかしほほえましくもあった。人は見かけで判断してはいけないと、つくづく思った。市口さんは今は退職しているが、元は鉄道会社に勤務していたそうだ。しかし、酒癖が悪く奥さんに逃げられ今は末の娘さんとの二人暮しだそうだが腸閉塞と糖尿病そして膵炎で流動食しか食べられない状態なのだ。そんな体でも体格はよく、どこから見てもその様な病気を持っているようには思えない。しかし、彼の食事だけは特別食で総てが細かく切り刻んだ鳥の餌のようなメニューである。その彼が食堂で選んだ席が私の隣の席だった。又、不思議なグループが出来上がった。彼の本質を知らない患者は傍に寄り付かない。きっと恐ろしい人間と判断したのだろう。どうして、私には変わった者が集まるのか?それは、私も変わり者だからだろう…。(^:^)そして、彼が書き上げた絵は素晴らしく繊細なタッチの絵だ。私は、早速その才能を生かすために、あらゆる絵画展に出品応募するようにアドバイスした。案の定、彼の作品は佳作で選ばれた。本人も今までは、単なる趣味で書いていたものが評価された喜びから毎日毎日あらゆる植物を題材に描き続ける様になった。その中から私も1枚の絵を購入した。将来、高い値が付くと思ったからだ。(^0^)そのようにアルコール依存症患者には才能豊富な人間が他にも多く居たのです。
2003年05月11日
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8月25日(金曜日)晴私も「アルコールてんかん」をこの目で初めて見たが、見るに耐えない状態になる。アルコールの禁断症状の怖さを再確認した。その後の彼女は数日後、再び病棟に帰ってきた。有り難い事に、誰も「てんかん」に付いて、触れないでいてくれたが1人だけ彼女に質問した者がいた。私はどのように答えるのか心配していたが、三河さんは「大丈夫!只の貧血よ!」と軽く話を流した。それを聞いて安心した。やはり、この病院に入院する者は只者ではない。世間の荒波に”もまれてきた”者が多い為、度胸が据わっているとその時に実感した。そして、又新たに開放病棟に来た患者が2人いた。この患者達もボンに云わせれば「アダムス一家」だそうだ。1人は丸坊主の、どこから見ても気質(かたぎ)ではない。ヤクザのようだ。そして、もう1人は女性患者で50歳位のおとなしい人である。ヤクザ風の患者は名前を市口さんと云う。女性患者は岡山さんと云う。そして、ヤクザ風の市口さんがユニークな患者であることが、しだいに判ってくる。どうしてアルコール依存症患者は皆、個性が強く魅力的なのだろう?。この話は専門書にも書かれているが、アルコール依存症の患者は医者にも魅力があるそうだ。女性の医者は依存症患者と恋愛関係になるケースがあると云う。女医さんまで魅了する。それほどにアルコール依存症患者には人生経験が豊富でアルコールさえ飲まなければ多彩な才能の持ち主が多いのだ。
2003年05月10日
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三河さんが倒れたその日、私は断酒会から帰院した直後のことだった。夜9時過ぎに病棟に戻った時は、彼女は私の部屋の横にあるベンチに座って皆とテレビを見ていた。私に「お帰り!」と声をかけてくれ、私が部屋に入った直後“ドーン”という音がした。それと共に、ざわめきが起こった。急いで部屋を出てみると三河さんが床に倒れ痙攣をおこしている。所謂、「アルコールてんかん」をおこしたのだ。知識のない患者は大騒ぎをしている。慌てて駆けつけた看護士に対し「どうか三河さんを助けて下さい、お願いします」と床に額をすりつけて懇願している男性患者もいるようなパニック状態になっていた。私は額から血を流して痙攣している彼女を見て「てんかん」と理解したので、騒いでいる多くの患者を一喝した。「てんかん」は稀にみるアルコールの禁断症状で、女性にとっては恥ずかしい発作である。余り騒ぎ立てると彼女の心に傷がつく為、見て見ぬ振りをしてやりたかった。総ては看護士に任せておけばよい事だ。看護士は冷静に彼女を処置室に運んでいった。「アルコールてんかん」は、見ている側には悲惨な症状に思える。あらゆる禁断症状の中でも衝撃が走る症状だ。床に叩きつけられ、痙攣をおこして口から泡を流している姿は、女性にとっては恥ずかしく屈辱的な状態なのだから。私は皆に言い放った。「総て看護士にお任せしなさい、そして忘れなさい!」と…。それでなければ彼女の入院生活に辱めを晒す事になるのだから…。それでは余りにも彼女が可哀相過ぎる。男性患者の中には興味本意で騒ぎ立てている者もいるのだ。アルコール依存症病棟の患者は理性的な者も多いが、中には常識に欠ける患者もいる。若い女性の醜態を、面白おかしくされてはたまらない。そう判断した私は騒ぎを収めるためにも、皆を一喝しなければならなかった。しかし、一喝した私自身は動揺していた。確かに「アルコールてんかん」は傍にいる者にとっては衝撃が大きすぎる禁断症状だ。それから数日後、三河さんは食堂に姿を現した。その姿は、額にガーゼを貼った痛々しい姿だった。患者達は、見て見ぬ振りをしていてくれたが私自身は悲しくなった。アルコールの怖さを再確認させられたのだ。そんなことを知ってか知らぬか、三河さんは無表情で食事をしていた。私は、そんな彼女を見ていると何故か涙がこぼれたのだ。*「アルコールてんかん」は断酒後に起こる。発作は大発作の形で起こりますが、治療は断酒を続けるだけでよく、抗けいれん剤を服用する必要はありません。
2003年05月09日
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女性のアルコール依存症患者の場合、この病気に罹る原因の多くが夫からの暴力、夫の浮気、そして夫の無理解である。三河さんの場合は夫の無理解にあたるのではないだろうか?優しくて妻に対し愛情があっても、妻の心情を理解できない夫は多いようである。その様な女性の心のモヤモヤがアルコールや買い物依存にはしらせる要因になっているようだ。アルコール依存症の女性の場合は男性よりも短期間で罹る。男性の場合は数十年の飲酒で罹るものが、女性の場合は数年で罹るといわれている。体質的なものが関係しているようだが、近年特に女性患者の増加がみられるそうだ。三河さんの話に戻るが、夫は彼女の要求は総て満たしていた。それほど優しい夫であったが彼女には、それでも不満があったようだ。それが何故かは、私には判らないのだが…。一つ言える事は「夫は優しいだけでは駄目だという事か?」彼女が欲していたのは、単なる優しさだけではなく他の何かだったのだろうと思う。開放病棟に慣れてきた彼女は日に日に明るく、朗らかになってきた。私が第一印象で感じた女性に戻ってきたようだ。そんな彼女だから男性患者は優しく接する。荒くれ者でも彼女に対しては素直な良い子になるのである。(^0^)私の部屋が掃除当番になった時には手伝ってくれたり、寝過ぎて起きない時には早朝に起こしにきてくれたりしたものだ。隔月ごとに発行している病棟冊子の原稿を彼女に依頼したときに彼女から渡された文章は今も覚えている。彼女の原稿、私の記憶の抜粋だが、この様に書かれていた。【私達は生まれながら元気な心と身体をさずかり、それなのに飲酒で駄目にしてきたのです。仲間のみなさんも認識して下さい。飲酒さえしなければ普通の人だということを。今はこの病院で平穏な毎日ですが、社会復帰してからは色々我慢しながら頑張り、生活の為に乗り越えなければならない辛さもあります。だからこそ、断酒だけは頑張り過ぎずに、又流されないよう自分自身と心を大切にゆっくり歩いていきましょう。明日のことはわからなくても1日1日良い顔で過ごしましょう。】その三河さんが突然倒れた。それも、床に叩きつけられるような状態で…。
2003年05月08日
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チョット女性の色気があっって、おとなしく見える三河さん。何処か憂いをふくむ表情で静かな女性だ。私にはボンが云うように「アダムス一家」の一員とは思えない女性なのだが…。そんな三河さんが、私に最初に話しかけてきたのは、私がディルームで他の患者と語り合っていたときのこと、突然「ハワイで暮らされるんですか?」と云う。私が何時もハワイの案内本やマニュアル本を読んでいたかららしい。「できればそうしたいな~と思ってるんです」と答えると「私もハワイで暮らしたいんです」と云う話から親しく話すようになっていった。男性患者は、久しぶりに若い女性が来たことで嬉しそうだ。特にボンは予想通りに、今まで私につきまとっていたものが今度は三河さんに”つきまとい”が代わった。(^0^)この三河さんにはご主人がいて、この病院もご主人が探して連れてきたそうだ。話を聞いていると、優しいご主人に思えるが彼女の言葉の節々に、ご主人に対する愛情が感じられない。あくまでも私感だが…。しかし、この三河さんは面倒見が良い。私が洗濯をしていると洗い方まで指導してくれるのだ。黒いポロシャツは裏返して洗って干すということは彼女から教わった。他の患者にも親切だ。口数は少ないが誰にでも優しく接している。余り人との接触は好きではないようだが…。私も、あまり他人に干渉しないタイプの男なので気が合うのか彼女もディルームで私の横に座って黙ってタバコをふかし窓の外を眺めている。ある日、身の上話を始めた。何故、アルコールに溺れたのかを語ってくれた。彼女が云うには九州の出身で、今は子供もなく主人とふたりだけの生活だが、一つの敷地の中で主人の兄弟がそれぞれに家族を持って生活しているそうだ。だから、ふたりだけの生活といっても常に誰かが出入りしている状態なのだそうだ。主人は警備員をしているので夜間の仕事が多いらしい、そんな時には小姑にあたる者が常に入り浸っているという。そんな環境が嫌で仕方がなかったそうだ。何時も誰かに監視されているように思えてならなかったと云う。そんなストレスから元々お酒が好きだった彼女はアルコールに、はしったそうだ。主人も数年前から気が付いていたようだが、おとなしい性格で何も注意がなかったのも不満の原因のようである。ご主人は知っていても理由を聞くのが怖くて云えなかったのだろう。この話は、女性独特のアルコール依存への道である。この続きは明日に…。
2003年05月07日
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【昨日の続き】私は、奥さんとの裁判を何故しなかったのだろう?と疑問に感じた。「原本さん、浮気した奥さんが一方的に財産を持っていくのは法的にも裁判をおこせば原本さんが勝ちますよ」と…。すると、原本さんの口から出た言葉は「俺は総て、くれてやったよ!」と云う。私は「何故?」と尋ねた。「あれは、頭がおかしいよ!そんな女は相手にしないよ!」と云う。再び私は、「頭がおかしい?」と問うと「話し合いで、かみさん精神状態がおかしくなっちまって…」と云った。私は思った、それはそうだろう。こんな怖いオッサン相手に話し合いは出来ないだろう。それも、奥さんには浮気をした後ろめたさもあることだし、恐怖から精神状態がおかしくなり財産を持ち逃げしても不思議は無い。人間「窮鼠猫を噛む」と云う諺もあることだし。その、窮鼠がライオンを噛んだのだ。普通の精神状態ではできないことだ。そして、最後にこうつぶやいた。「総て無くなってスッキリしちまったよ」と…。しかし、原本さんは退職金や数件の保健に入っていたので生涯生活の心配はないそうだ。「俺の命も永くはねえしな~!」流石に清水の男はいさぎよい。その話を聞いて私は、原本さんと云う男の表の顔とは別に、裏に潜んだ優しさを知ったのだった。その後、病棟では私と原本さんとで病棟の治安を守る任務に就くことになるのだが…。このアルコール依存症病棟では、患者に自主性を持たせる為に病棟内の“もめごと”の管理は患者に任されているのです。この世の中、それぞれが色々な事情を抱えて生きているのだ。そして、もう一人の「アダムス一家」の女性である、三河さんにも複雑な事情があるようだが又明日。
2003年05月06日
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昨夜、入院中の仲間が急死したと連絡がありました。どうも自殺のようです。自殺ですと今回で2人目です。改めて、この病気の怖さを痛感しました。そして、一生治らない病気であると再認識しました。Kさんのご冥福を心よりお祈り致します。【昨日の続き】昨日までは、上東さんについて書いてきましたが、今日は原本さんについて書きたいと思います。原本さんは静岡・清水市出身のマグロ漁船の船員を永年やっていた男性だ。出身が清水ということもあり清水の次郎長的気質があるようだ。なにしろ、気が荒く正義感が強い。病党内でも非常識な行動をする患者には関東弁で怒鳴りつける。普段が寡黙なだけに怒鳴りつけられると恐ろしい。そんな無口で無表情な男性だが、気が合う者とだけは笑って話をする。私は何故か、気が荒い男に好かれるタイプのようで原本さんのほうから私に話しかけてきた。ある日、院外散歩をしている時に、病院裏山の患者が耕作している農園に休憩所があり、そこのベンチで休息していたときのこと、原本さんから意外な話をしてきたのに驚いた。彼はマグロ漁船の船員だったので、1度航海すると数ヶ月は帰宅が出来ない。その為に奥さんが浮気をしてしまったそうだ。(ボンと良く似た話だが)それを知った原本さんは気性が激しいので即離婚を申し出た。すると、浮気をしていた奥さんが反撃にでたそうだ。原本さんの財産を、家以外の物は総て持っていかれたと云う。もちろん、多額の預金も総て名義が書き換えられていたそうだ。それからは、船員も辞め家で酒浸りの生活が始まったそうである。息子さんが1人いるのだが遠くの地に家庭を構えているとのことで、1人で永年にわたって酒浸りの生活が続いたようだ。もちろん、アルコール依存症に罹るのに時間はかからなかった。船員時代から酒との付き合いは、そうとうな量であったそうだから…。そして、そのやさき胃癌に罹り入院生活をしていたが退院後には酒の量が益々増えていったとのことだ。今度は当然のことでアルコール依存症に罹り息子さんが、この病院に収容手続きをした。私は原本さんの意外な話に只、聞き役に徹した。話の最後に一言「原本さん、裁判をしなかったのですか?」と聞いてみた。すると、原本さんの口から出た言葉に再び驚いたのである。
2003年05月05日
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今日も外出しますので朝から日記を…(^0^)上東さんに関しては、何から話してよいのかわからないほどのエピソードの持ち主だ。最初に驚いたことは、週に1回木曜日「院内例会」と云うプログラムがある。そこでは、40人ほどの患者と4名程度の看護士、そして司会進行を、週ごとに各担当の先生が行う。この、例会は断酒会の皆さんも参加して行われるプログラムで患者自身が今までにアルコール依存症に陥った経過と今の心境を個々に発表する場です。その場では患者が1人ずつ立ってマイクを片手に話すのだが、皆の最初の言葉は「こんにちは、00です。よろしくお願いします」から始まる。そして、緊張感から震えている患者が殆どだが…。しかし、上東さんだけは皆とは違っていた。最初の挨拶が「いらっしゃいませ」から始まるのである。「チョッと上東さん、この例会は貴女の主催するパーティーではないのですよ」との思いから皆が大爆笑するのだ。そして、自分でも可笑しくなるのかケラケラと笑う。それからも面白い。「あのね!私は何時もお父さんに申し訳ないと思ってんの、こんな病気になってなぁ~恥ずかしいわ…」が決まり文句だ。その姿、口調が、なんとも言えなく可愛い。緊張した会場を爆笑させる。既に知っている患者は、上東さんが立っただけで笑っているのは、どれほどに面白いかが判って頂けると思う。アルコール依存症に罹る患者に共通しているのは“シャイで神経質”な人が多いのだが、上東さんは、ここでも違っていた。それだけに、会場が緊張感から救われる為、皆が”なごめる”存在になっていた。ボンが云った「アダムス一家」の母の存在は大きいのであった。そして、いつしか病棟でも欠かせない存在になっていた。上東さんは、今夜も相変わらずテレビの前に一人陣取り、首を振り振り演歌を歌手と一緒に唄っている。その姿を見ると私は「お母さん!早く一緒に退院できるようになりましょう…」と声をかけたくなるのです。
2003年05月04日
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昨夜、schatzky☆さんより「アダムスファミリー」に付いて教えて頂きました。「アダムス一家」とは「妖怪家族」だそうです。(^0^)それも、仲が良くて家族愛の強さは、ほのぼのしている妖怪家族なのですね。これで、私にもボンが云っていた意味が良く理解できました。schatzky☆さん、ありがとうございました。8月22日(火曜日)晴 【昨日に続いて】昨日、開放病棟に引っ越してきた3人はボンの話によると「アダムス一家」だそうだ。何故かと訊ねるとボンが云うには以前から閉鎖病棟のディルームを開放病棟との境にある閉めきられたドアー越しに覗いていたようだ。確かにボンはその場所によく居たことは覚えている。そして、ボンの観察では閉鎖病棟の今の患者は皆ユニークで恐ろしい「アダムス一家」だと云う。私は「アダムス一家」と云われても知らないので、どの様な意味で云っているのか理解できないでいた。しかし、ボンの云っていた意味が少し理解できた。今度の3人は今まで解放病棟に来た者とはチョッと違う雰囲気があることは確かだ。言葉に表すと難しいが、「濃い~ぃ」人達なのだ。男性の原本さんは静岡・清水市出身の次郎長一家の大政のような男気がある海の男の薫りがする。2人の女性の内で上東さんは、おかあちゃんと呼びたくなる。只、この上東さんが皆を笑わせてくれる存在になろうとは思わなかった。最初に見た目が、そもそも異様で普通のオバサンではない。表情が、にこやか過ぎて怖いのだ。そして、人見知りしないオバサンだった。誰にでも声をかけて話し込む…。そして、上東さんを観察をしていると12帖程の畳のディルームがあるのだが、そこにあるテレビの前に座り、演歌の番組が始まると手を叩いて一緒に大きな声で唄っているのだ。 誰も傍に寄らない、そして寄れない状態だ。(^0^)普段は口がうるさく、気が合わないと怒鳴っている藪岡さんも上東さんには何も云わずに笑っている。そして、私に「又、オバハン唄とったわ!けったいなオバハンやな~!」と独特の関西弁で話してくる。私も面白いので、ドアーの窓から丁度ルームが見えるので見ていたが確かに可笑しい!少し頭が…と思っていた。アルコール依存症患者の中には、アルコールによって大脳に障害を持つ患者がいるので、その傾向があるのでは…と。しかし、なかなか私の予想に反して大した度胸のオバサンだった。やはり、ボンが云っていた「アダムス一家」のお母さんだったのだ。この続きは明日にでも…。
2003年05月03日
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今日は春満開の陽気でしたね。しかし、タイガース強いですね~「勝った~勝った~又勝った~~!」すでに、優勝のXディが9月15日甲子園球場での対広島戦だそうです。星野タイガース!バンザ~~イ(私もアホですね!) 8月22日(火曜日)晴昨日、開放病棟に引っ越してきた3人はボンの話によると「アダムス一家」だそうだ。何故かと訊ねるとボンが云うには以前から閉鎖病棟のディルームを開放病棟との境にある閉めきられたドアー越しに覗いていたようだ。確かにボンはその場所によく居たことは覚えている。そして、ボンの観察では閉鎖病棟の今の患者は皆ユニークな恐ろしい「アダムス一家」だと云う。私は「アダムス一家」と云われても知らないので、どの様な意味で云っているのか理解できないでいた。*今日の楽天は、これ以上書けません?何か文字数に変化があったようです。残念!。
2003年05月02日
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8月21日(月曜日)晴余談今日から五月に入った。月日の経つのが早すぎる。つい先日「あけましておめでとうございます」と挨拶していた様に思っていたが…。今日は朝から外出していたのだが暑いほどの快晴だった。久々のドライブは気持ち良く最高のドライブ日和。(^:^)/さて、今日は閉鎖病棟から開放病棟へ3人の患者が移ってくる。事前に聞いていたので理解しているが、ユニークな人達のようだ。3人の内2人が女性である。一人は50代後半の女性で、もう一人は40代前半の女性のようだ。午後から引越しの為、朝から看護士によって部屋の準備が行われていた。私は趣味でもある洗濯を朝からして、その後は院外散歩をし、ひと汗流して帰院した。そして、昼食後にお待ちかねの新たな3人が入所してきたのだ。報告通りに60歳代の男性患者と50歳代の女性と40歳代の女性患者であった。男性患者は元マグロ船の航海士で原本さん。見るからに気が荒そうな男性だ。50歳代の女性患者は「おかあさん」と呼びたくなる雰囲気の異常に明るい女性だ。名前は上東さんと云う。40歳代の女性患者は男性好みの色気がある女性で、名前は三河さんと云う。この三河さんは、可愛く素直で純粋な女性だと瞬時に感じた。上東さんは陽気で明るく、しかし少し変わっていた。そのことは今後に書くが兎に角、楽しい女性であった。三河さんは、男性だらけの味気ない病棟に色気を振りまく存在になるだろう。(^0^)必ずボンが接近すると思う…。(^o^)又、色々な事件を起こしそうな雰囲気がするのだが…。明日は上東さんからご紹介しますね。
2003年05月01日
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