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我が家のチワワ2匹との、初めての電車を使っての温泉旅行。『鬼怒川温泉-きぬ川国際ホテル』に行って来ました。先日、こちらに行き先あてクイズだけUPしておいて、肝心の旅行記はUPしていないのに気がつきました。(かなり遅い...)犬と一緒の旅行記はこちらにUPしてありますので、興味のある方はどうぞご覧下さい。もう読んでいただいた方にはごめんなさい。その他の旅日記も、犬がお供をしている場合は、すべてこちらにUPしてあります。右サイドバーの『こぶ丸は旅行大好き』からお入りになってね。
2006.02.23
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8年間の添乗生活では、結構たくさんの有名人に遭遇しました。中には、これはきっと見てしまってはいけなかったのだろうなという、いわゆる「お忍び」風なものも目撃してしまいましたが、そういうものについてここに書いてしまっては、ブログとしてはおもしろいのでしょうが、せっかくうまくいっている家庭にこんなペンギンのせいで波風がたってしまっては大変!やめておきます。言いたくてたまらないですが...。飛行機ではエコノミーで遭遇する率はあまり高くはありません。やはり、ビジネスです。昔、空港で印象に残っているのは田中美奈子でした。これは確かオーストラリアのゴールドコーストの空港ではなかったでしょうか。荷物が出てくるターンテーブルの所で。西部劇のようなブーツを履き、一般の人が待機している場所より一段高い所に上がって、監督のように荷物を見張ってました。彼女も若かった...そして威張って見えました。私は仕事に熱中しているので気づかずお客様が教えて下さることも多かったです。「ねぇ、ねぇ、ペンギンさん、今のは○○○だよね」なんて。いつも堂々としていて、高い遭遇率を誇るのは、なんといっても大橋巨泉さんでした。巨泉さんは「OKギフトSHOP」というお土産やさんを経営してらして、支店もいくつかありました。カナダのバンフスプリングスホテルにいらしている時に、たびたびお会いしました。私の担当していたツアーでも毎回指定店になっていて、ホテルチェックインの前や自由時間にお世話になっていたので、「あ!巨泉さんだ」なんて言うより、お世話になっておりますの挨拶をしていました。「お世話になります」と言うと、「あぁ、○○○(会社の名前)さんね、どうもどうも、ウッシッシ」という感じで笑ってらっしゃいました。オーストラリアのメルボルンではゴルフの中島プロにもお会いしました。集合時間間際にバタバタと客室とロビーを行ったり来たりしていた私が、エレベーターに乗ろうと慌てて手に持っていた上着を落としてしまい、エレベーターが行ってしまいそうになった時「あーー、すみません、ま、待ってー」と飛び乗ると(通常は、こんな恥ずかしい日本人にはならないで下さい)中にいた一人の男性がドアを押さえて待っていてくれたのでした。「ハァ...ハァ...すみませんでした...」なんて、その男性の顔をフト見ると、中島プロではないですか!私、焦り「あっ...!!」ちょうどその時は、かの地でコカコーラオープンが開催されていたのです。私に「添乗員さん?しかし、大変な仕事だよねぇ...」なんてニッコリ笑って下さり、TVで見るのと違い、うんとハンサムでした。あげればキリがないのですが、一番ヘンテコだったのが、柄本明でした。これは、先輩と2名で私がサブでヨーロッパへの14日間初添乗の時。ウィーンの夕食がフリーで、先輩が私を三越デパートの和食レストランに連れて行ってくれたのです。二人で天ぷら定食を食べていた時でした。座って食事をしていると、向こうから何やら見たことのある人が歩いてきます。私はその時その人が芸能人であるということに気づかず、どこかで見たことのあるきっと近所の人くらいにしか思わなかったのでした。無視したら失礼だなぁ、だけど誰だっただろう、と一応その人に座ったまま軽く会釈をしたのです。すると、その方も私に会釈を返してくれました。あー、やっぱり向こうも知ってるんだな私のこと...自治会の人か何かだっけなぁ。先輩は気づかなかったのです。帰国してからTVに映っているその人をみて、あらやだ柄本明じゃないのと初めて気づきました。あの時は「寅さん」の撮影でちょうどウィーンに来ていたのですね!調べたら1989年、私が添乗員2年目、海外1年目の新人で、寅さんは41作目「寅次郎心の旅路」で、マドンナは竹下景子でした。それで柄本明は心身症のサラリーマンの役まわりで出演していたのです。ウィーンに似つかわしくないあのヌボーッとした出で立ちは、そんな役柄のせいもあったのでしょうか?それにしても、古い話だなぁ。懐かしいけど...。寅さん模型です北海道から沖縄まで、「男はつらいよ」全48作のロケ地を巡り、心に残った108景を、いきいきとした水彩画で描いたユニークな画文集。私も旅先の気に入った風景を水彩画で残したくて、新宿の水彩画教室まで通ったんですよ。ペンでサラサラって書いて、薄く色を乗せるのが好きなんですけどね、なかなか旅先に画材まで持っていけなくて...こんなの持てば、あなたも寅さん気分?
2006.02.20

添乗員泣かせのツアー難所というものがある。ガイドさんが来てくれない地域で、添乗員一人でその日一日をアテンドしなければいけないような。そしておまけにその日は乗り物の時間がキッチリと組まれていて集合時間に1分でも遅れてもらっては困るような日である。そんな大変な場所の一つにあげられるのがスイス。ジュネーブなどの市内観光にはガイドさんが普通ついてくれるが、絶対に一人でやらねばならない日の一つ、ユングフラウ観光の日だ。会社の中で一日中、添乗員レポートや資料が詰まった部屋に篭り、最新の情報を仕入れコピーして、仲間からあんちょこをもらい、自分の準備ノートも赤のボールペンで「はやめはやめ」とか「ここでは絶対に解散しないこと」とか、何やら異様な緊張感が漂っている。ユングフラウ観光の最もオーソドックスなパターンとして次のプランがある。インターラーケンからラウターブルンネンにバスで。そして、ラウターブルンネンからブルゲンアルプ鉄道でまずは乗り換え駅のクライネシャイデックへ!この駅でユングフラウ鉄道に乗り換え、氷河の中をゆくことになるのだが、この往きの乗換えが一番の緊張ポイントだ。自分達の乗り換える電車を6~7分の間に探し、全員をうまくご案内しなければならない。「帰りにまた来るのですから、帰りにゆっくり楽しみましょう!」なんて言っても、そのわずかな時間にカメラを抱えてスルリスルリと抜けていってしまう人もいる。そういった方達の為に自分は、電車の目立つ所に立って目印になり、荷物番もする。ユングフラウヨッホでは、約1時間の自由行動の後また、ユングフラウ鉄道に乗り、クライネシャイデックへと戻ってくる。この、てっぺん「ユングフラウ」が二番目の難所。集合時間に姿を見せない人がいる場合、電車の時間に遅れるわけにいかないので添乗員が一人で探さねばならないが、前日お客様にも御案内したように、ここではなにしろ大声は出せない。走れない。(酸素が薄い関係です)前の晩、夜更かしをしないで早く寝ましょうまでは良くても、大声も出せないし走れないというのが実に添乗員泣かせなのだ。集合時間を大分さばよみして設定しても尚、何回息も絶え絶えになって小走りしたことか...!でもしかし、この難関を突破して帰路のクライネシャイデックに到着した時は先ほどまでの緊張が解かれ、いつも実に楽しいひと時になる。とにかく眺めの良い所であるというのはもちろんなのだが、なんといってもおいしいランチ!駅舎の中の『EIGARNORDWAND』というレストラン。メニューはソーセージ、スープ、サラダ、ヌードル。デザートにはお決まりのプリンで、添乗員レポートでも、ここは駅舎の中のレストランであるにもかかわらず、常に評価の良いレストランなのだ。ランチが済むと、皆さん思い思いに自由時間を楽しまれる。おみやげを見る時間もたっぷりある。私もお客様のカメラのシャッターを押したり、恥ずかしいがついお土産に熱中したり...ここには、駅舎の近くに、ある作家の記念碑もある。「アイガー北壁」などの優れた山岳小説を残した新田次郎さんの記念碑だ。この新田次郎という名前は、上諏訪角間新田出身で次男である、というところから付いたものであるらしいが、本人は「山岳小説家」という言われ方にいつも反発していたようだ。岩に小さな銅板のようなものがはめ込まれていて、そこに『アルプスを愛した日本人作家新田次郎 ここに眠る』と書かれてある。奥様にあたる藤原ていさんが分骨しておいたらしい。ちょっとわかりにくい場所だが、たまにそこの場所でアレッというふうに、足を止める日本人がいる。クライネシャイデックでのんびりし、それでこの日はバンバンザイかというと、まだまだ気は抜けない。その晩、レストランでチーズフォンデュを皆で楽しんでいると、先ほどのユングフラウ登山による高山病で急に倒れる人がいるのもこの時間なので要注意なのだ。ハネムーンの新婦さんに多いので、ディナー集合時間に顔色の優れない人がいたらさりげなく注意をしていないと...。レストランの医者がすばやく出てきて診察のあと、救急車で病院へ行き、その晩は入院になる。なにかと気の抜けないユングフラウヨッホエクスカーションではあるが、プレッシャーが多いだけに無事やり終えた一日の終わりは、スイスのきれいな澄んだ空気もひときわおいしく感じられるというものだ。木のおもちゃって好きです。旅ペンギンが旅行時必ず携帯するのが、ビクトリノクス。何かと便利よ。バレンタインに彼氏にいかが?
2006.02.03
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