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李小龍・生誕75周年の想い出 (031)昨年迄、総合格闘技UWFのコミッショナーを務めていた浦田昇氏が亡くなって1年と10ヶ月が経過した。氏は高校・大学の直接の先輩であった方である。初代タイガー・マスク(佐山さとる)の主宰する総合格闘技「修斗」のコミッショナーを発展に努めた方です。天上界に還り、李小龍とあったんで有ろう。二人は折りしも同学年である。地上の私に具体的な事業のインスピレーションを降ろしてきた。
2015.12.21
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李小龍・生誕75周年の想い出 (030)李小龍大師のダンス「チャ・チャ・チャ」のチャンピオンである事は有名な話ですが、奥様のリンダさんに聞いた話ですが本来は「ジルバ」が得意でダンス大会にジルバ部門が正式種目でなかったのが悔しかったようです。奥様の話ではアクロバティック・ジルバで9歳の時サンフランシスコにやって来た時、好きになった年上の金髪の子に持てるために必死に練習したそうです。15歳の大晦日のダンスパーティーで希望が叶い、見事に踊ったと自慢していたそうです。因みに彼女は18歳でしたとの事。
2015.12.06
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李小龍・生誕75周年の想い出 (029)「誕生会」11月27日(金)の李小龍誕生会は妻と二人会で中目黒の立ち飲み居酒屋で行った。12月1日(火)に改めて内村師範の稽古終了後、永山五段の快気を祝い、李小龍75歳の誕生会を立ち飲み居酒屋で行う。何故かしら水素水パワーの威力に盛り上がる。李さんの奥様、リンダさんが言ってたが、李さんは飲み物にこだわる人でプロテインジュース(バナナ・牛乳・蜂蜜)を良く作って飲んでいた話を思い出した。水にも拘って居たようだ。我々は本物の水素水を飲んでいるので、李さんも喜んで飲むだろうね。李さんも拘りそうなトークで花を咲かす。
2015.12.03
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李小龍・生誕75周年の想い出 (028)座頭市の西本カメラマンが賀蘭山(ホウ・ランサン)という中国名で有った事を知ったのは最近である。ネットで写真を拝見するまで賀さんとは気が付かなかった。私は日本語が流ちょうな別の方が西本さんと思って居た。李さんは彼の事をハーフだと言ってたような気がする。大連出身で 私の親父の大連一中の後輩だったのです。李さんの事も西本さんの事も凄い方とは存じ上げずに付き合って居たので、今になって本当に情けなく己を恥じて居ます。
2015.11.30
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李小龍・生誕75周年の想い出 (027)「今日は李小龍大師の誕生日」今日11月27日(金)は李小龍の誕生日である事を大気拳内村師範が知らして下さった。事実上の生誕75周年の記念すべき日である。
2015.11.27
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李小龍・生誕75周年の想い出 (026)「李小龍大師から聞いた結婚感」MLBで活躍している、マリーンズのイチローが試合前に身体の準備体操や道具の手入れをしている映像をニュースやユーチューブで観ると、何か李小龍大師と雰囲気が似ているものを感じます。結婚感に付いては本人から直接聞いたのでなく、リンダ婦人から聞いたのですが。結婚は一生と共にするのですから、リンダのお母さん、お祖母さんにも逢って、将来のリンダがどうなるか観察して居たそうです。
2015.11.16
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李小龍・生誕75周年の想い出 (025)李小龍大師に贈る光の言葉。「光ある時を生きよ 第2章人生に勝利する詩(うた)」 大川隆法総裁先生著書より(つづき)人々よ失恋などに負けるな失恋は詩人を創り宗教家を創り思想家を創り有名なスポーツ選手や政治家までも生み出すのだ失恋の数の世界記録にでも挑戦しろ人々よ離婚、再婚何するものぞ あなたは他人の何倍も貴重な体験を得たのだ他人の評価を気にするな あなたこそ人生の達人になって青年達の師となれる最重要の人物なのだ人々よ鼻歌を歌って歩もう どんな試練も経験と英知の珠玉に変えてゆこう大地にしっかりと立って さあ朝日に向かって歩いてゆこう不幸などない人間は永遠の生命(せいめい)だ幸福(こうふく)をこの手で がっちりとつかんでゆこう
2015.11.11
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李小龍・生誕75周年の想い出 (024)李小龍大師に贈る光の言葉。「光ある時を生きよ 第2章人生に勝利する詩(うた)」 大川隆法総裁先生著書より(つづき)人々よ時間を惜しめ時間は あなたの生命(いのち)だ その生命を見殺しにせず大切に使え不眠症の人は喜べ あなたは時間づくりの天才だ さあ悩んでいる暇があったなら バリバリ勉強しようじゃないか人々よ愛は貯金だ あなたが他人を愛したなら その愛は銀行の貯金となり あなたに利子が支払われる あなたが他人に愛されたら それもあなたの人徳で あなたの財布の小遣いは どんどん増えてゆく人々よ病に負けるな病の時には病を最大限に利用せよ あなたはまず反省の時間を得た この時に哲学者にでも詩人にでもなれるではないか病の時間を利用して長編小説を構想し大作家にでもなればよい
2015.11.10
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李小龍・生誕75周年の想い出 (023)李小龍大師に贈る光の言葉。「光ある時を生きよ 第2章人生に勝利する詩(うた)」 大川隆法総裁先生著書より(つづき)人々よ言葉には力があるのだ これを言魂(ことだま)という消極的な言葉を数多く使う人は打ちのめされた人生を送るのだ積極的な言葉には いのちがある魂がある これをなぜ活かさないのか人々よ自分の人生を肯定するように他人の人生をも肯定せよ他人をよき人だと思え他人を悪く思う人は自分も他人から悪く言われる陰(かげ)、日向(ひなた)なく人をほめよ ほめる力でその人はよくなり ほめる力で あなたもよくなるのだ人々よ常に善意を人に施せ他人が悪意を向けたからとって自分も悪意を創造するな あなたは善意の供給者たれ圧倒的な善意で この世の悪を押し流せ この世が善意で満ちたなら それがすなわち天国なのだ人々よ ビジネスに疲れるな ビジネスを時間の切り売りだと思うからこそ あなたは疲れたりするのだ ビジネスは神理伝道の場だ人々との出会いの場だ縁あって出会った人々をどうやったら幸福(しあわせ)にできるかを考えるあなたであれ
2015.11.09
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李小龍・生誕75周年の想い出 (022)李小龍大師に贈る光の言葉。「光ある時を生きよ 第2章人生に勝利する詩(うた)」 大川隆法総裁先生著書より(つづき)人々よ背伸びをするな嘘をつくな そんなことをせずとも あなたは神の子その身そのままで光っている うわべをつくろうな虚栄を排せ神の子はそのままで尊いのだ人々よ しかし絶望するな この世に不可能なことは何もないのだ人間は空を飛んだではないか人間は月を歩いたではないか人間は太平洋の底にもぐったり地下を打ち抜いては鉄道を通したではないか人々よ無気力になるな否定的な心になるな無気力からは何も生まれない否定からは肯定は生まれない強く打ち出せ自分の将来の夢を私はできるぞと宣言せよ
2015.11.08
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李小龍・生誕75周年の想い出 (021)李小龍大師に贈る光の言葉。「光ある時を生きよ 第2章人生に勝利する詩(うた)」 大川隆法総裁先生著書より(つづき)人々よ人生に勝利せよ成功をこそ実現せよ何のために悩むのか悩んで道が開けたか悩んで幸せになりえたか悩みを丸めて投げ捨てよ悩みを川に流しされ悩みの中に真理なし悩みの中に光なし人々よ不愉快を追放せよ不機嫌を追放せよ鏡に映った その無愛想な顔は一体誰の顔なのだ笑顔の顔こそ素晴らしい こぼれるばかりの白い歯こそ幸福駅の入場券 笑顔が笑顔を招くのだ人々よ なぜ喜ばぬ朝(あした)に命のありしこと夕べに家のありしこと吸う息があり吐く息もある樹木の緑のありてこそ清き酸素にめぐまれる熱き血潮の巡りてこそ身にあふれくるパワーあり
2015.11.07
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李小龍・生誕75周年の想い出 (020)李小龍大師に贈る光の言葉。「光ある時を生きよ 第2章人生に勝利する詩(うた)」 大川隆法総裁先生著書より人々よ大いなる希望を抱け(いだけ)ひたすらに神の光はあふれくる神の力はあふれくる神の勇気はあふれくる大いなる光の泉 知恵の海 愛ある山河 慈悲の空 涙に曇ったその目とて涼風一過 輝かん人々よ成功をこそ夢に見よ敗者は敗者の夢を見る勝者は勝者の夢を見る同じく夢を見るならば勝者の夢をなぜ見ぬか勝利の夢をなぜ見ぬか なぜ成功をこそ夢見ぬか常によき夢見続けて はじめて勝利の時いたる
2015.11.06
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李小龍・生誕75周年の想い出 (019)フアン・クラブ会員募集の件を大気拳の内村師範に連絡をする。フアン・クラブの代表は内村師範にお願いし、事務局は永山5段にお願いする事に致しました。
2015.11.04
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李小龍・生誕75周年の想い出 (018)フアン・クラブ会員募集李小龍大師との巡り合いは天のお導きだと思います。それも思いもよらぬ大師晩年の3年間の交友だけで、想い出を45年間引きづって参りました。それはどう言う 意味があるのかと考えましたら、天の正しい場所に還って頂く為にあるのです。李小龍(ブルース・リー)が還って居る世界は戦いの世界で、ひと時も心の休まらぬ世界に居るのです。正しい信仰の基に真理を学ぶ格闘家の愛念の力で死後三帰誓願させてあげたいのです。 その為のフアンクラブを作りました。 ー 記 ー期日 毎週(火) 9;00pm過ぎに李小龍マニアックなフアンを前にして話しています。場所 東急「中目黒駅」下車3分 焼肉「Zasso」 目黒区中目黒1-20-3岩川ビル3F初めて参加なさる希望者は事前に「Zasso」店長、永山さんに連絡して下さい。
2015.11.03
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李小龍・生誕75周年の想い出 (017 )「合気道の極意」を研究していた李小龍。合気道開祖の植芝盛平先生の写真を居間に掲げて居たリンダさん。大師が亡くなり、何年か経過して、奥様のリンダを尋ねた時彼女がキッチンから圧力鍋を見せてくれた事を思い出しました。当時、圧力釜の意味ですら何の事やらサッパリ理解出来ないレベルの私だったからです。李小龍大師が玄米食を実践していたか否かは解りませんが少なくとも李さん一家は玄米食を実践されて居た事は確かです。今にしてみれば李小龍ことブルース・リーと解りますが、ひたすら有名人を隠し通した大師です。李さんが素性を隠すのであれば、それに付き合うのも友人としてのあるべき姿だと思うのです。
2015.11.02
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李小龍・生誕75周年の想い出 (016 )「合気道の極意を研究していた」李小龍大師と1970年頃お逢いした時、合気道の植芝盛平先生と塩田剛三先生の事は知っているかと言われて、「存知上げません」と応えた覚えがありました。それが何を意味するかを知ったのは、李さんが亡くなって5年後、リンダさんとお逢いした時にリビングの壁に植芝先生の写真が飾っていました。この方は?と尋ねると「モリヘイ・ウエシバ」よ、知らないの?と不思議がられました。マクロビョティック(玄米食)の大家でもある人よと言われました。リンダさんは我が家は玄米食よと「圧力鍋」を見せてくれました。李小龍大師も玄米食を愛用していたのかも知れません。その後、私も玄米食を5年程続けた事がありました。それは李さんの影響もあるでしょうが、務めた会社の社長から勧められたのです。李さんは「合気道」の動きを研究していた事は確かです。
2015.11.01
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李小龍・生誕75周年の想い出 (015)「座頭市」芸とリンダさん。李小龍(ブルース・リー)の自伝は多く有っても、奥さんのリンダ本は少ないでしょう。今日は、それをブログにしましょう。丹田を鍛えるのに一番良いと李さんが思っているのが、御存知「ヌンチャク」です。私は後日あんな、李さんのヌンチャクの素晴らしさを拝見しましたが棒をビュン・ビュン振り回していました。ある時、座頭市のマネが始り、李さんは映画「座頭市」のフアンなんだと言う事を知り、剣さばきでは叶わないのでコミカル芸の一発芸をかましました。後日、リンダさんに聞きましたら、「あれは、最高に可笑しかった」と奥さんに話して居たようです。李さんが陰で練習していたのをリンダさんは見ていたようです。「何で、指を咥えて」登場するかが疑問だった様です。それが、「按摩さんの笛」「つまりホイッスル」だと言ったら、リンダさんもヒックリかえって大げさに笑いました。私も見たいと言われたので、流石に恥ずかしくて、出来ませんでした。
2015.10.30
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李小龍・生誕75周年の想い出 (014)李さんは格闘技の技は全て丹田で決まると強調されて居ました。それが持論であります。私は柔道家として李さんから教えて頂きました。足の蹴りの力は腕の十倍以上有りますので、丹田を鍛える事で正拳の突きや足の蹴りのスピードや威力が激増するのです。丹田を鍛えるには股関節を柔らかく伸ばす事で、上半身の体重移動と蹴りが威力を増します。柔道も丹田力が必要です。小内刈り、大外刈、内股などは丹田を鍛えて行くと見事に技に切れが生じて参ります。それには三角法の崩しがポイントになって参ります。
2015.10.29
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李小龍・生誕75周年の想い出 (013)李小龍大師は遊びもトレーニングにしてしまう才能がありました。李さんは丹田部分を鍛える事を「コアマッスル」と言っておられ、格闘技の全て丹田で決まると強調されて居ました。深夜TVのショッピングでコアマッスルを鍛える健康器具が販売されていました。それは直立して自転車のバーに掴まり、両足を広げたり閉じたりする簡単な器具ですが、股間節と丹田に付加が掛かりかなり、結構効きそうでした。そのコマーシャルを観ていて李さんの言っていた「コアマッスル」を鍛える遊びをしていた事を思い出しましたので紹介いたします。李さんはサッカーボールを足で挟みジャンプ歩行で前や後ろ斜めと鬼ごっこサッカーのような遊びを取り入れて鍛えていました。基本的ルールはサッカールールでボールは足で挟み、ゴール近くまで行くとキックしてゴールする遊びです。ゴールは李さんの庭の壁にポイントが描かれていて、そこはダーツのような得点方法になっていました。
2015.10.22
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李小龍・生誕75周年の想い出 (012)天下の李小龍大師が柔道の練習後、尋ねて来られた事が有ります。「格闘家とセックス」に付いてです。英語で尋ねられたので、当初尋ねられた意図が理解できませんでした。格闘家は煩悩と闘わなければいけない、それを君はどう?コントロールしているのかと尋ねられた。格闘で負ければ、その気にも起きないので、「勝つための御褒美だ」と申し上げたらニャッと笑って、親指を立てられました。格闘家にとって第一チャクラ、第二チャクラ、第三チャクラは非常に大事な鍛え所でして、鍛えれば鍛えるほど、強くなるのです。セックスが強くなる事は格闘家にとって大事な事なのです。禁欲は最高の修行の一つだと李さんは仰っていました。
2015.10.21
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李小龍・生誕75周年の想い出 (011)李小龍大師は柔道の大フアンで有ります。李さんが亡くなってから、日本人を嫌い、柔道も嫌って居ると勝手に広まってしまったのは残念であります。 それは映画で柔道家と戦うシーンが独り歩きして噂で広まったのでしょう。李さんの晩年、3年足らずの付き合いでしたが、柔道の練習に夢中でしたし。姿三四郎ばりに猫の如く投げられても立ってしまう事を目指して居ました。20代前半にも春日町の講道館に見学に来ていますし、晩年の3か月前にも講道館に見学に来ています。
2015.10.20
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李小龍・生誕75周年の想い出 (010)李小龍大師は柔道の練習を終えたら必ず儀式がある。それは体操の選手宜しくバク転や空中側転をやるのです。柔道着を脱ぎ捨てTシャツ姿で、見事な肉体を隠してパフォーマンスしてくれます。それが終わると「一人スワイショー」を行います。 一人 スワイショーはヌンチャクを持たない腕振りで、それが李小龍さんの整理運動で有るのです。
2015.10.19
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李小龍・生誕75周年の想い出 (009)李小龍大師がマニラに来た時、マニラの夜を楽しんだ事を思い出した。その時、李さんは踊り続けて居た。香港ではジルバの見事さを拝見しましたが、マニラの夜は普通(フォーマル)のダンスを何人ものパートナーを変えて踊るもんだから、これがモテモテの秘訣なのだろうかと感心させられた。李さんが俳優とも知らないで付き合っていたので、柔道好きでもセンスのある人だなと想って居ました。海外の柔道家は多彩と感じる。
2015.10.18
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李小龍・生誕75周年の想い出 (008)李小龍(ブルース・リー)との想い出を手記する大きな目的は李小龍大師の普段着姿を知って頂きたいのと、生誕75周年を期して李小龍大師に憧れる武道家に李小龍哲学を伝えたいと想ったのです。一番伝えたいのは、李さんが「柔道大好き人間」であると言う事です。特に小さな身体で大男を投げる、古典的な柔道に興味が強い方です。だから三船十段の柔道が大好きで23歳頃、三船十段の練習を講道館に観に行った事があるくらいです。今から考えてみれば、私を通じてコンバット・柔道を習得するのでなく、三船十段の技を掛けられた事の経験を聞いて柔道の真髄を知りたかったのではないでしょうか。そんな気が致します。
2015.10.17
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李小龍・生誕75周年の想い出 (007)亡き祖父は私が初段を取った時、凄く嬉しそうであった。 そして自分の得意技を嬉しそうに教えてくれた事を記憶している話を、李さんに伝えると「解るなーその気持」ちと同調してくれた。祖父の得意技は三船十段からの直伝、通称「空気投げ」でありました。創世記の講道館の初段は、相当な力が有ったのです。最初教わった時は絶対にそんな技は掛らないと思って居たのですが。数年後、三船十段と乱取りした時、見事に「空気投げ」を掛けられ貴重な体験をさせて頂きました。 掛けられた瞬間、つっかかって 、飛ぶしかない状況にさせられてしまいます。講道館、創世記の柔道着は空手着を彷彿させるような薄いもので有りました。
2015.10.16
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李小龍・生誕75周年の想い出 (006)李小龍大師は本当に柔道が大好きなのだ。私のカリフラワーのようになった耳を見て羨ましそうにしていた頃を想い出す。三船十段の耳はカリフラワーかと聞かれ、「十段は普通の耳」だと応えると、「何で」と言う顔をされたので「強いからだ」と解かると納得の笑顔をする。父は三段で祖父は講道館創世記の初段と話すと自分も段を取りたい仕草をした。
2015.10.15
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李小龍・生誕75周年の想い出 (005)李小龍大師は柔道が大好きなのだ。特に三船十段の空気投げに興味があった。私は三船十段に稽古を付けて頂いた話をすると、本当に羨ましそうな少年の顔に成っていた。三船十段が100kg近い欧米の4段を肩車して投げた話をしたら信じられないと言う顔をした。私も力を入れて十段に挑んだら、見事に膝車を掛けられて飛ぶように投げられた。「嘘だろ」と今度は上半身に力を入れて挑んだら内股で返された。当時、私は4段で有ったのに子供扱いで3分の乱捕りが終わり、十段は8人を相手にしました。当時私は20歳、十段は70歳を越えて折られたと記憶しております。
2015.10.13
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李小龍・生誕75周年の想い出 (004)李小龍大師がマニラに来た理由はYMCAで私が柔道を教えていると言うので練習しに来た事とカリと言うフイリッピン武道練習と友好を深めるために来ていたのだ。練習後、柔道師範のMr、ダシルバと共にマニラ公園内のホテルレストランで食事をした時ホテルレストランのオーナーの息子で弁護士Mr、アトニーは李小龍さんを知っていてサインをしてもらっていた事を思い出す。それも普通の手帳にサインをしていたので、彼が香港の大スターと言う事も知るすべもなかった。Mr、ダシルバはその後、マニラ市長となった。公園内で乾いた爆竹のような音がした時、私以外は全員テーブルの下にうずめたのには驚く。 それが拳銃の音を聞いた初めての時であった。
2015.10.12
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李小龍・生誕75周年の想い出 (003)大気拳の内村師範からの依頼で李小龍大師との出逢いを思い出しここにメモを記しておきます。45年前の出来事を良く思い出せると思われるが私は16歳から世界チャンピオンを目指してトレーニング日誌をつけ続けていた。現在も思慧日誌を付ける習慣を30年間続けている。一日の出来事をメモして置くだけで結構、糸口から想い出して引きだす事も出来るものです。李さんもリンダさんもスケジュール管理でメモがあるので日時の説明は付くはずである。
2015.10.11
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李小龍・生誕75周年の想い出 (002)「東京でニアミス」李小龍(ブルース・リー)フアンの内村師範の質問で、李小龍大師は日本に何回も来ているのかと尋ねられる。「京都が大好きな話はした事があります。」と応えたが、その後が思い出されなかった。数日、毎日気になって思い出す。李さんが亡くなった後、リンダさんを訪ねて当時スイスのチューリヒで逢った事を思い出した。それは、李さんが亡くなって4~5年後であったと想う。リンダさんが言うには、李さんは亡くなった1973年7月20日の数ヶ月前から私の居所を探していたそうだ。当時私はフイリッピンのパシングと言う街にホームステイさせて頂いていて、数回クリスマスカードをもらっていた。ホームステイ先には連絡があったので、講道館に帰った事を伝えたそうだ。私が日本に帰った事を知り1973年4月に東京は春日町の講道館に訪ねて行った事をリンダさんから聞いた。講道館に行けば私の消息が解かると思ったのだろう。私は春日町に住んで居ながらして、帰国して講道館には出入りしていなかったのだ。李小龍(ブルース・リー)が亡くなった事を知ったのは読売新聞で有った。直ぐに香港には行けず、11月の中旬に行く事となった。香港中では彼が偉大なアクションスターであることが雑誌で報じられて居た。日本では当時はブルース・リーの存在を知る余地もない時代で有った。
2015.10.10
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李小龍・生誕75周年の想い出 (001)10月6日、東京プリンスホテルで大気拳師範の内村匡人氏と会食する。時間差で古川師範や義弟の永山5段も合流。内村氏師範が私と李小龍大師の出逢いを取材したいというので楽しい宴となる。義弟の永山5段が大学生の頃、「ブルース・リーと知り合い」と話が切欠で有った。義弟が大気拳を始めて内村師範と出逢い、師範を李小龍フアンクラブのセミナーを2011年、五反田のぽーとゆーとぴあに連れて来てくれたのだ。その後、義弟の店「ZASSO・雑草」内村師範に招かれた大気拳仲間にも何度か紹介され昔話をさせて頂いた。新しく思い出した事はないのかと言う事で、綴ってみたのです。李小龍さんとフイリッピンはマカティのハワイアンレストランで食事した事を思いだし話した所、李小龍フアンが知らない事なので、これは大変な事ですよと興奮しまくりました。詳しい内容は、来年の出版を楽しみにして下さい。
2015.10.09
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