石の家に行ったとき、五郎さんから「お帰り」という言葉が心の中で響いた。「お前も子ども連れて北海道に帰ってきたか、焦る必要はないぞ、身の丈に合わせてゆっくりやっていけばいいんだよと」勇気を五郎さんから教えてもらった。悲して泣いたのではなく、嬉しくて号泣してしまった。そう私には、純と蛍がいる子ども達を育てて行くという決意も同時に生まれた。起業して今年で28年経過した。純と蛍もそれぞれ結婚して純は最初の子を亡くしてしまったが、弟が生まれた。蛍にも恐らくではあるが子どもができるだろう。私にとっての財産は家族である。それを教えてくれたのが五郎さんである。
黒板五郎さんは私にとって大恩人なのだ。2003年の遺言で唐十郎さんとのやり取りで「手間返し」というセリフがある。本州では「結」という言葉だ。私も起業した時とても世話になった人がいる。その方が始めた事業をその息子さんが後を継いだのだが、赤字続きでそこで私は「手間返し」をすることにした。そしてなんとか黒ずんできた。家内も子ども達も無報酬で馬鹿じゃないかいうが、五郎さんこれが手間返しだよね。
五郎さんまた富良野に会いに行きます。それまで達者でいて下さい。
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