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今更言うまでもないことだが、現代の人々は国際性を身に付けるべきだろう。自分の国際性を確認するために、時々、私は正装して成田空港を訪れる。成田空港に入る時に、警備員にパスポートを見せるが、この時に独り言をつぶやくように、「今回もワシントンに行って、ホワイトハウスでミーティングしなければいけないので・・・。」その一言で警備員の眼差しが変わるだろう。次は携帯電話を借りるふりをして、レンタル携帯の窓口のおねえさんと、「ニューヨークの国連で会議をした後で、ジュネーブに飛んで国際会議に出席する予定だけれど、同じ携帯で使えますかね。いつもは秘書が手配をするが、今日に限って病気でね。」窓口のおねえさんの言葉遣いがさらに丁寧になるかもしれない。他の窓口のおねえさんや列に並んでいる人々が、私の方に視線を送るだろう。そんな熱い視線こそが、わたしから国際性がにじみだしている証拠と満足して、人々の尊敬の眼差しにすっかり慣れているという風で平然とその場を立ち去るわけだ。もっとも皆から注目され、気持ちが高揚して、必要でもない携帯電話をつい借りてしまうという失態を演じる時もあるのだが。
Feb 25, 2006
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これは本当にあった話である。青森県産の帆立貝は死を決意した。そして、その死に場を北海道に求めた。北海道産の帆立貝としてその命を終えたかったのである。何年もかかって青森県産の帆立貝は移動を続け、ついに北海道沿岸に到達した。北海道産として捕獲された帆立貝は東京に運ばれ、大きなスーパーで販売された。北海道産の帆立貝は山のように積み上げられ、一段高い棚に陳列された。そして、堂々と北海道産という名札が付けられた。その下の段には、単にホタテと書かれた名札の置かれた、帆立貝の山があった。北海道産の帆立貝の山の頂点に、青森県から移動した帆立貝がいた。自分がとても誇らしかった。北海道まで長旅をした甲斐があったとその帆立貝は思った。しかし、どうしたことだろうか。何かの拍子に北海道産の帆立貝の山の頂上が崩れ、頂点にいた元青森県の帆立貝は滑り、その下の段の産地不明の帆立貝の山へ落ちていったのである。この悲劇はスーパーで買い物をしていたわたしの目の前で起こった。もっとも、北海道産の山からその下の段の安い帆立貝の山に滑り落ちてくる帆立貝があるに違いないとわたしは待っていた。おかげで北海道産の帆立貝を安価に購入できたのである。
Feb 18, 2006
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大規模な列車事故に彼は巻き込まれた。車内のコンパートメント型の座席が潰れ、その間に彼は挟まれていた。体のいたるところを負傷し出血しているのであろう。ややもするとその苦痛から意識を失いそうになる。ああ、まずいことになった。苦しい息の中で彼は悩んだ。自宅のパソコンの中にはインターネットのウエブで収集した女性のヌード写真が残っている。若い男なら誰でもやっていそうなことだが、彼の場合にはその枚数があまりにも多かった。数万枚は楽にあるだろう。毎晩続けていた成果である。このおかげで、妻の添い寝のない夜を耐えていたとも言える。生還できなければ、遺品としての彼のパソコンは妻に覗かれてしまう。パソコンに大量に残された画像を見て、侮蔑、嘲笑している妻の顔が、いつにも増して冷たい妻の顔が思い浮かんだ。このまま死ぬわけにはいかないという想いが彼の意識を支えた。次の日の新聞に救助された彼のコメントが載った。「わたしは妻のことをひたすら考え続け、救助されるまで必死に耐えていました。意識を失っていれば、わたしは助からなかったかもしれません。妻こそわたしの命の恩人です。」
Feb 11, 2006
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便座にすわりながら考えていた。かつて誰かが言っていたように思う。ひとつのことに自信が持てれば、他のことにも自信が持てるようになると。それが正しいときもあるだろう。しかし、胃のエックス線写真をとるために飲む、あの白いバリウムを、下剤を飲むことなく絶対に排出できるという自信は、いったい他のどのようなことを行う時の自信につながるのだろう。体からバリウムの白い塊がぼとんぼとんと出て行くたびに、わたしのわずかに残っていた自信が失われていくように感じられてならない。
Feb 3, 2006
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