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指紋認証キーは、いくらくらいするものか?ネットで調べると、5万円台、10万ちょっと、この2種類のようだが。朝、小倉に行って来た。指紋認証キーの製造・販売会社だ。弊社は、協力店にいつのまにか、なっている。ちょっと、怪しい。「未来通信」が頭をよぎる。儲け話は、リスクがつきまとう。権利金は、礼金と同じ。返ってこない。こりゃ、危ない。今日中に返事を求めるところが、怪しい。引くにかぎる。さようなら。
2006年12月30日
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25日(月)に城山に107回目の登頂完了。頂上で、新年の焚き火の用意、穴掘り作業。久しぶりに城山を守る会の仕事に参加。---------------------------------------昨日は、息子2人が東京(八王子、日吉)から帰宅。娘は天神へ塾。一家挙げての食事会はいつのことか?ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー不動産屋の仕事も、忙しいということは、有難きかな!あと20年の命、毎年正月には遺言をすると、息子たちに公言。そして、家の前の電柱、敷地内の電柱について、私のスタンスを説明。私に一任することを取り付ける。区と対決しても、筋を通すべき。末代までの恥はそそぐべき。売られたけんかは買うべし。
2006年12月28日
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岩見武蔵の4回目の小倉城での「誠心直道」の碑の前にての演舞、本日もまた、荒れ模様の天候でした。歯痛をこらえながらの昼食会でした。昨晩で4日連続の「頓服」使用、夜が怖い。歯医者が見抜けない、この歯痛の原因は?ところで、城山は、103回登山(昨日までに)。今年末までに、110回となるか否か?
2006年12月17日
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12月10日城山でのマルバツクイズの出題者殿へ貴殿とコミュニケーションを取りたく、以下の点についてFAX回答欲しく1)「赤間宿は古代より在ったか? マルかバツか?」 出題は、このように聞こえたのですが、聞き間違えでしょうか?2)「西郷隆盛、高杉晋作が幕末、五卿西遷のときに赤間宿に来たか? マルかバツか?」 出題は、このように聞こえたのですが、聞き間違えでしょうか?3)「豊臣秀吉は、朝鮮出兵の折、赤間宿に泊まったか? マルかバツか?」出題は、このように聞こえたのですが、これは電話で1昨日確認したとおり、"赤間宿"ではなく、"赤間地区"だったわけですね。実は、それ以降の設問は、区長代理と問答中で頭に入っていないのです。良かったら、それ以降の設問も教えて下さい。チェックさせて欲しく。赤間宿案内人として非常に興味があります。貴殿の趣旨は、地域の事を地域の人たちに知ってもらおうとしたわけで、立派な趣旨だと拍手です。もうちょっと、事実関係の確認と、相手にいかに平易に簡明に伝えるかの腕を磨かれたら、尚いいと思います。•・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・内野宿と違って、赤間宿はその起源が明確ではありません。多分に1620年代以降の参勤交代整備以降と考えられます。出光えびす屋、松尾大黒屋、萩尾釜屋の赤間に来たときを考えると、1620年代以降なのです。後、神山油屋(大正時代は油長)、白木米屋(大正時代は米喜)の系図を調べるべき。伊豆は宗像郡誌に載ってます、伊豆も赤間宿で初め栄えて吉武へ分家。 西郷隆盛が赤間に来たのは、事実ですか? 早川勇が走り回ったのは知っていますが、西郷の來赤は初耳。 有名人と結びつけると、面白く、市民の頭に残るかも知れませんが、もし作られた史実なら問題です。こういうことが多すぎるんです。赤間の歴史は。
2006年12月13日
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1)昨日は、区民、市民としての城山登山お疲れ様です。頂上で、市の職員がマルバツクイズをされました時に、『豊臣秀吉は、赤間宿に泊まったかどうか?マルか、バツか?』という設問がありました。回答は、マルというのが、司会者の立場でした。私はこれは市がしてることだから、答えはマルだろうが、こういう問題は悪いと言ってましたところ、赤間区の区長代理は市がしてることだから、今は黙っときなさいということで、沈黙。本日、市役所に電話で問い合わせると、『赤間宿ではなくて、赤間地区』と言ったつもりですと、マルバツ問題の出題者。だれも、陵厳寺の正法寺に泊まったなんて知りませんよ、それが赤間地区だって分りませんよ。赤間宿と赤間地区では、聞くほうも間違えますよ。一般の人は、赤間宿の起源についても知識がない。だから、赤間宿の起源の研究が急がれる所でしょうね。1620年代、参勤交代制以降の整備ですが。こういう当たり前のことが、市民の間では定着していません。赤間の古い家は400年前と言ったり、赤間宿の起源はクエスチョンというのが実情です。この件について、特に回答は必要ありません。私のたわごととして聞いて下さい。2)城山山頂の案内板;2004年12月15日の市からの回答;「一ノ構口」「二ノ構口」の件につきましては、現在の城山周辺には「一ノ構口」「二ノ構口」の小字が見られます。このことは城山の城に関する往時を語る手がかりとなることに違いありませんので、このままの表現で修正は考えていません。また、看板の文章中の「城山周辺の小字に、一ノ構口、二ノ構口、などが・・・・・」は、ここで改行されていることもあり、前段の「秀吉の命により、この城は壊されます。」とは切り離して考えられます。従って、豊臣秀吉の時代に「構口」があったという解釈にはならないと考えております。案内板に書いてあることは宗像郡誌等に載っていると明記してある。しかるに、宗像郡誌は、「一ノ丸、二ノ丸」と標記しています。「一ノ構口」「二ノ構口」という説明はあらず。宗像郡誌(上編p345、"筑前国続風土記拾遺"赤馬山古城)「今一ノ丸、二ノ丸、三ノ丸、芦屋堀、新堀、馬立場、馬責場、広丸、城道、陣ケ尾、水落谷、先陣楠、尾形口、大門口等の名残れり。この山猿多く住む。楠南天蝋えび根等多し。」このように書かれています。それを、どういうわけか、人為的に「一ノ構口」「二ノ構口」と書き換えられているわけで、敢えて書き換える理由が、大儀が見つかりません。市はいつものことですが、先人(案内板を書いた人たち)を守ろうとする態度で固く、自分たちの非を認めようとしません。いつも、あきれています。当方が、忙しいから、もう既に2年も経ちました。昨年度は、小生は丸々、高校教員。今年度は商売が繁盛しすぎで忙しく、はや12月になってしまいました。だけど、市の誤り、とんちんかんな回答にはいずれ、鉄槌を下そうと思っていましたら、昨日丁度城山に、谷井市長も一市民として登られたので、書くことにした次第です。どうして、「一ノ構口」「二ノ構口」では悪いか、まずは勝手に宗像郡誌の言葉を変えている。第二に、小字として「一ノ構口」「二ノ構口」が存在するとしても、ここで書くべき言葉ではない、お城の構口と宿場町の構口を一般の人は混同する。現に山頂で、「当時、赤間宿はあったんですか?」という質問が、この「一ノ構口」「二ノ構口」の文言から一般参加者より発せられている。お城にも構口はあるし、宿場にも構口がある。宿場の場合は、江戸側を東構口といい、その反対側を西構口という。2004年12月15日の市からの回答の文章を読み直せば読み直すほど、理屈が通っていない。"ここで改行されていることもあり" "従って、"。この項で、結論として言いたいのは、「赤間宿」「赤間地区」が同じように響くから、昨日のマルバツ問題で不適当であると同じく、「一ノ構口」「二ノ構口」も、赤間宿の構口と人が解釈する、こういう紛らわしい技工を凝らすべきでない。宗像郡誌を勝手に書き換えた罪はどう反論するんでしょうね。3)他、宗像市史の誤り、てんで話にならん回答幾つかあります。私のエネルギーが充満しているとき、時間のあるときに再度、しつこく、市の過ちを追及いたします。回答で、市の姿勢(先人の立場を守るだけ)をいつも感じます。回答を必ず出されることには、感服してます。問題は、てんで話にならん回答で、市の職員の程度をいつも疑っています。もっと、もっと、リストラ、首切りすべきでしょうね。ただ誤りであろうが何であろうが、先人の立場遵守しか取らない職員は首ですよ。市がフィールドワークに行かせてくれないとか、下らない言い訳をいう奴は、首ですよ。市史もかなり訂正してある。ということは、ある人が言ったら、訂正する、これぐらいの人だと、本の趣旨(現時点でのベスト、今後の学究に期待の前言の言葉)で、切り捨てる。人を馬鹿にしてるよ、全く。この項も、回答不要。
2006年12月11日
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朝9時、幼稚園前集合、バンダナをもらい候。9時半出発、頂上には10時10分でしたか?出発地点が、いつもでしたら、我が家(頂上まで45分)、水飲み場(頂上まで30分)。今回の出発点は幼稚園前。頂上では、城山案内人・田中万次郎さんの城山あれこれ、そして市役所職員のクイズなどで、賑わった。帰りは、ヤクルト3個頂く。私の城山100回記念は、このように皆様の祝福を受けた。(たまたま、100回目とコミュニティの催しが重なったということ。)
2006年12月10日
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中村天風の名前を武蔵と共に見た、そして、アパート王の書斎で天風の書物を幾つか表紙のみ散見。思い出すなあ、民俗学の大御所は、柳田國男ではなくて、南方熊楠だって、27年前に院で友達に言われたときのショック、南方熊楠って、その当時知らなかったよ。今回は、中村天風。ほとんど知らなかった、知らないってことだけで、好奇心をそそる、そして、別なルートで知ると、自分の無知に気づく。(城山99回目は、水曜日のこと。明日は、100回に挑戦。)
2006年12月09日
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今日は、98回目の城山登山を達成。昨日は、日曜日、プライベートに過ごすべしと、原町散策そして『恵比寿座』を赤間だけでなく他所も知りたくて、底井野へ。月之瀬八幡宮での『恵比寿座』。1時間、飲み食いしました。そして、浅木の大庄屋、有吉家を訪問、名乗ると、ちゃんとご存知でした。昔の繋がりの話で盛り上がりました。勤皇の志士、早川勇、永嶋丸二屋、佐治徳衛門などなどの人名が出てき候。祖先の作った縁、大事にしたいものです。1昨日は、娘と家内の久留米へ。そして、我が母ともども、吉井へ白壁見物。寒くて、歩くのは取りやめ候。母には、名物・大砲ラーメンをご馳走。私は2回目。うむ、昔なつかし、ラーメン。
2006年12月04日
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天気のいい日の城山登山、気持ちいいです。昨日、97回目の登頂成功、369M.97×369=ほぼ富士山の高さ今日は、朝から雨、天気予報は、一日曇りだったのに。風も吹いています。敷地内のアパート建築は、今日もあっています。12月、1月、2月で完成しないと。土、日はお休み、パートさんの来ない日は私もお休み。気が楽です。ずぼらな人間には、一番です。昨日のテレビ、AKWAYS 3丁目の夕日の売れない作家みたいなものです。
2006年12月02日
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