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5)時の庄屋・藤吉とは?お政事件の時の庄屋・藤吉はどこの人でしょうネ?庄屋は、赤間村(ときに赤間町)に1名、任命されている。大庄屋は、7~8名の村村(庄屋)の上に立つ者。お上の任命制だ。本家・恵比須屋が4代赤間庄屋をしている。甚五郎(5代目)、甚太郎良時(6代目)、甚次郎良則(7代目)、甚次郎良里(8代目)、その他に徳重庄屋を1回、武右衛門(または甚次郎延房、9代目、先代まで酒造り、9代目より宿屋、幕末より農業)。その他の赤間庄屋は、諸岡喜兵衛(寛永16年)、赤間村半三郎(宝永6年)、藤吉(享和1年)、藤市(天保11年)、釜屋勝三郎(嘉永5年)、石松三郎平(嘉永6~安政3)、新屋甚平。------------------------------------
2006年10月31日
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4)由緒ある名前・蛭子屋卯助(お政事件とは縁のない) 卯助は、由緒ある名前で、大庄屋卯右衛門の親が卯助。宗像郡誌の法然寺の項目で、観音堂創立とある。そして、私の3親等(すなわち曽祖父)の名前が、卯助。集中的に資料を漁っていると、おまさ事件の卯助の素性が見えてきました。当然、1848年の出光系図からは除外されています。ただ、見えてきました、彼が下家の養子に一度納まっていたであろうことが。 青柳種信さん、すごい。宗像郡誌上巻p421.
2006年10月30日
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3)「常盤草」登場人物の蛭子屋卯助蛭子屋卯助は、えびす屋一党4家の誰なのか、非常に興味があって、追及してきました。本家(恵比須屋)ではない。上家・えびす屋でもない。それでは、中家か、下家か、系図で確認して、私の平成3年発行の系図本『出光氏文ー出光運平直良の子孫の必読本』では、中家の4代目惣兵衛であろうと推測文を書いた。ところが、今回、もっとたくさんの『おまさ』を読んで、蛭子屋卯助の父の名前、そして母の素性まで出てきた。(青柳種信の婦萬佐傳)。ここにして、この蛭子屋卯助は、えびす屋一党とは血縁がないが、うやら下家が一旦、養子にもらったのではないかと推測。私は下家だが、2回絶えている。そして2回とも、中家から養女、養子をもらうことで、先祖の血は絶えていない。ややこしいですが、大庄屋家として繁栄したのは、中家。造り酒屋です。但し、大正期に赤間を去って、その後は戻らず。だから、赤間の人は、誰も知らない。 えびす屋(上家)、蛭子屋(中家)の位置を知っているのは、赤間で私だけという、信じられない状況なのです。
2006年10月27日
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2)私の直先祖たち我が直先祖たる2名も、その大変革で大庄屋になれたが、なんといっても、おまさ事件時の奉行・神谷目鼻が書いた『常盤草』の中に、蛭子屋卯助の悪行(馬医万助、庄野道仙等と共に)がしっかりと描かれており、蛭子屋一党の大庄屋許しがたしの声がお上に達したのでしょう、たった2年づつで、親子ともども、召し上げられています。初めは民の声で、危ないと感じた先代が婿養子に大庄屋を2年で譲ったけど、その婿養子(卯惣太)も大庄屋役を召し上げられたと推測。彼等は私の6親等、7親等の直先祖たち。
2006年10月24日
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10月18,19,20,21日と、3泊4日で東京見物。母と共に。頼山陽の真似事などしてみたく。1日目;横浜の中華街、外人墓地、港の見える丘公園、慶大日吉キャンパス、2日目;泉岳寺、慶大三田キャンパス、浅草、3日目;東京都庁(展望台)、早稲田大学キャンパス、出光美術館(伴大納言絵巻)、4日目;相田みつを美術館、江戸城、 子供2人の様子を見るのが主な目的。1日目に次男坊、3日目に長男坊。2日目は、自由ヶ丘のオーナーと初対面。忙しきかな! 東京巡り、2人旅。
2006年10月24日
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お政事件の波紋1)1817年の一大クーデター宗像市史の大庄屋一覧 東部では; 武丸村伊豆善衛門 (1797~1817) 赤間村出光卯右衛門 (1817~1818) 赤間村出光卯惣太 (1819~1820) 徳重村石松伴蔵 (1820~1849) 西部では; 久末村城戸源右衛門 (1808~1819) 宮司村阿部忠四郎 (1819~1820) 久末村城戸源右衛門 (1820~1831) 北部では; 勝浦村永嶋半五郎 (1768~1812) 勝浦村永嶋源五郎 (1812~1817) 宮司村阿部忠右衛門 (1817~1820) すなわち、1817年(文化14年)に大変革、大庄屋の首のすげ替えがあっている。赤間、宗像一円を揺るがした一大政治変革、クーデターであった。
2006年10月16日
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黒田六端城と長崎街道巡りというバス企画があります。9月16日は、益富城(後藤又兵衛)と内野宿を見学。今回(10月14日)は、松尾城と三奈木黒田屋敷、小石原焼の大田家の石碑をを見学。びっくりすることばかり。太田家の石碑の写真をアップ。
2006年10月15日
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壁修理現場の写真をアップしようとしてます。どないなることやら?
2006年10月13日
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10月8日(日)の節婦おまさ勉強会出席者数は、私を含めて7人。 たったの7人、一番の若手は14歳、中学3年生だそうな。 最長老は、67歳(河島悦子女史、唐津街道の著者)。 結論として言えることは、今の人は、節婦阿政なんぞには、興味がないってことですね。週間モエにも宣伝したし、私としては、出来る限りの手は打った。で、あの結果は、みんな、昔の話はどうでもいいってこと!ま、私が市議立候補というのは、全くナンセンスってことが、ようく分かり候。皆の後押しがないと、駄目。はっきりしてます。それでは、みなさま、さようなら!
2006年10月11日
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10月8日の午後1時から、「節婦お政」勉強会を我が家の座敷にて開催。ふるって、ご参加下さい。初めは、午前11時からの予定でしたが、諸般の都合に拠り、午後1時からの開始となり候。ま、福岡県下でないと、こちらに出向くのも難しいでしょうが。それと、二川秀臣先生の「赤間宿版画展」も開いておりまする。
2006年10月02日
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