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ここ10日ほど日記を休んでいた。産後家事を手伝ってくれた母がいてくれた時の日課は、毎日往復2時間かけての娘の面会だけだったが母が実家に帰ってしまってからというもの、余りにもめまぐるしい毎日だった。そんな訳で最近目がかすんだり、クラッときたりでパソコンの画面を見られない状態だった。‘貧血かな・・・とうとう疲れが出てきたか’と思ったが、原因がわかった。コンタクトを左右逆にしたまま気付かず、約10日過ごしていた・・・10日も気付かなかったなんて!・・・バカだ。そしてそんなバカな私の愛しの娘がやっと退院できる事となった!!!動脈管開存症+心房中隔欠損症の影響で心不全状態だった娘は転院後落ち着き始め、ミルクを飲めるようになった。そして心不全から脱出し、なんと先日の心臓エコー検査の結果、心房のアナが小さくなっていたそうだ!担当医が「これなら心房中隔欠損症の方は期待していいかもしれない」といってくださった。心臓内部の手術は免れるかもしれない!動脈管開存症の方は変化ナシだそうだが、元気になったのでとりあえず現時点での手術の必要性はなくなった。また強心剤・利尿剤の薬も止められたので退院後に私が薬を飲ませる事もない。動脈管開存症だからといって退院後、特に気をつけることもないそうだ。今後は月に一度の外来で様子をみていくだけでいいのだそうだ。一緒に過ごせる日がきたなんて・・・夢のようだ。12月からやっと家族で過ごせるんだ。育児はもちろん不安だが、愛情なら負けない!今までダッコ出来なかった分、思う存分ダッコするつもりだ。愛する娘。今まで感じたことのない幸福感を教えてくれた娘。良くなってくれてありがとう。あなたがちっちゃい身体で頑張ってくれたから、私も何とかやってこれたようなもんだ。そして今日、看護婦さんが「入院直後のお子さんは細くて、私でもオムツ替えるのがコワかった」と言っていた。本当に大きくなった娘。今まで私の日記を読んで下さり、一度でも「早く良くなれ!治れ!」と思ってくださった皆様、本当にありがとうございました!!!これからも全身全霊で娘を守る所存であります!12/1、夫と二人で娘を迎えに行ってきます!
2004/11/30
娘は大部屋の乳幼児室に入院している。おっぱいをあげる時は部屋の隅にパーテーションを用意してもらいその中で直母する。今日は私のほかにもう一人母乳をあげる人がいた。イスラム圏出身と思われる容姿のお母さん。私から話し掛けた。話し好きの人らしくカタコト日本語で一生懸命話してくれた。彼女から「コドモ、ドコワルイ?」と質問された。「ウチは心臓にアナがひとつ開いているのと、余計な管が一本ある」と応えた。彼女は「ウチは心臓にアナ2つ。あとダウン症・・・」との事だった。「でも1つは閉めた(閉まったの意)。毎日神にお祈りをした。朝、昼、夕方、お祈りをした。 手術イヤ。手術コワイ。心臓止めるコワイ。だから神に祈る。もうひとつも閉める。 この子産んで病気わかった。毎日泣いた。ご飯食べない。おっぱい出ない。困った。お餅食べた。おっぱい出た。」日本人と外国人。違うのはそれだけだ。『この子産んで病気わかった。毎日泣いた。ご飯食べない。おっぱい出ない。』私も全く同じだった。今、彼女の赤ちゃんは元気よくおっぱいを飲んでいる。神にお祈りが通じたのだろう。私の祈りは娘に通じると信じている。
2004/11/20
『動脈管開存』のため心不全となってしまった娘。転院してから検査、検査の毎日。先日『心房中隔欠損』であることもわかった。右心房と左心房の真中の壁に穴が開いている・・・。『動脈管開存』だけなら手術は背中からメスを入れて心臓を止めずに行える。しかし『心房中隔欠損』となると、心臓を一度止め、胸の間にメスを入れ骨を切り、肋骨を開くんだそうだ。でも娘、心不全の状態から抜け出したようだ。ミルクも飲んでいる。大きな声で泣く。手足も動かす。体重も増えた。即、手術をせずに済んだ。しかもわずかながら、『動脈管開存』は5mmから4mmへ。『心房中隔欠損』は7~8mmが4~5mmへと閉じてきている。このまま自然に閉じることを医者も夫も私も願っている。
2004/11/16
今日は夫と共に面会に行ってきた。娘、珍しく泣いていた。ダッコしてみる。泣き止んだ。・・・再び大泣き。「ミルクはさっき飲ませたんですけど」と看護婦さんから聞いたのでオムツかな?と疑った。でもこの病院方式のオムツ交換というのがあるので、勝手にいじれない。看護婦さんに許可を貰いオムツを開けると・・・大量おちっちとちっちゃなウンで汚れていた。‘あ、これが原因か・・・’と、新しいものと交換をした。娘、ご機嫌。昨日に引き続き、今日も直母にトライ。娘のクチにおっぱいを突っ込む。娘、今日も泣き叫びながら手足でチカラいっぱい私のおっぱいを払い除ける。でもチュクチュク吸う事もある。ささやかながら進歩している。・・・にしても泣き方が尋常でない。でもおっぱいの訓練は続けた。ふとオムツに鼻を近づける。怪しげなニオイ。夫も確認。夫、オムツに鼻をくっつけて嗅いだせいか、むせかえる。‘さっき、オムツ代えたばかりだけど・・・’半信半疑でオムツを開ける。大量にウンがついていた。‘顔を真っ赤にして泣いていたのは、これをずっと訴えていたからなんだね・・・’娘に自由に触れられるようになって一週間。と言っても一時間半の限られた面会時間。娘を産んでこんなサインを始めて受けた。だから理解できなくても当然だと思いつつ、娘にひたすら申し訳なく思う。あんなに泣いてたのにね・・・ごめんね。帰りの電車では独り猛反省会だった。
2004/11/10
今日も面会に行ってきた。娘、よく寝ている。乳児室の看護婦さんに「赤ちゃん好きなんですか?」と訊く。「だ~い好きです。他人の子でもこんなに可愛いのに自分の子だったらどんなに可愛いんでしょう! でもこんな可愛い赤ちゃんにお母さんは少ない面会時間でしか会えないなんて辛いでしょうね・・・ だからその分、私達が愛情をもって接していますよ!」もう300点の答えだ。本当に泣きそうになった。そして今日、なんとおっぱいの許可がおりた!子供に自分のおっぱいをあげられる日が本当に来るなんて・・・だっこ、沐浴に続いて夢のような話だ!娘の小さな小さなクチにおっぱいを入れてみる。娘、エライ勢いで泣いて怒った。今まで哺乳びんでしかミルクを飲んだ事がない。妙なものをくわえさせられて怒るのも当然だ。母親として悲しい・・・と言うよりは、こんなに大きな声で泣けるようになった事に感動。どんなに泣いても可愛く愛しい。いつ飲んでもらえるか分らないおっぱいを義務的に搾乳する事は張り合いがなく、正直疲れていた。そのせいか、ここ数日母乳が出づらくなってきていた。しかし今日、娘にいやいやくわえてもらい、帰宅後いつも通り搾乳するととてもよく出た。ホルモンの影響らしいが、これならこの先娘に満足して貰えるくらい出るかもしれない・・・と思えた。
2004/11/09
娘の点滴がはずれた!!大人の私でさえ点滴針を痛く感じる。生まれて間もない娘はどんなに痛かっただろう。そんな訳で初めて沐浴に挑戦した!娘、意外と重い。せっけんで手がすべる。私の不安が伝わるのか娘も不安そう・・・なんとなくお互い慣れてきた。娘、気持ちよさそう♪かわいい娘、お母ちゃんはメロメロよ~ん♪
2004/11/05
医者は言った。「金曜日から始めた心不全の薬が期待してたほど効かなかった・・・」続けて「手術まで視野に入れてやはり転院を薦めます。どちらの病院か決めましたか?」夫と私は都内のK病院と決めていたのでその旨を伝える。すると先生はすぐにK病院に電話をし、今から転院可能か確認をとってくれた。そして転院先まで一緒に行くとまで言ってくれた。部屋から娘は点滴と共に保育器のまま出て来た。‘保育器から出せないような状態なのか・・・’また落ち込んでしまった。そのままエレベーターに乗り1階へと降りる。外来の患者にジロジロ見られながら娘と一緒に移動する。「初めてのお出掛けが救急車になっちゃったな・・・」先生がポツリと言った。「お風呂にも入れてあげたかったな・・・」点滴が外せない娘はお風呂にも入れず、頭が吹き出物だらけになっていた。救急車が到着。しかし、保育器が入るサイズではなかった。救急隊員「保育器ごと運ぶなんて聞いてない!」看護婦 「本部に言ったわよ!」私は横柄な救急隊員に頭にきてナイフでも持っていたら刺してやりたい気持ちだった。10分ほど待たされ、救急車と隊員フルチェンジされた。今回は良心的な隊員だった。娘は皆に優しく守られ救急車に乗った。先生が乗り、夫が乗り、私が乗った。走り出す。車が揺れるたびに娘はビックリして手足を振るわせる。‘娘はこの先、一体どうなってしまうのだろう・・・’泣くのは昨日まで。と決めていたが、振動に驚く娘を見ると勝手に涙が出て来た。今日ほど首都高のカーブを恨めしく思った日はない。継ぎ目を乗り上げるたびに娘の手足が震えた。途中先生は優しい顔で何度も娘をみつめた。平日の首都高は恐ろしいくらいの渋滞だろう。一刻も早く到着したいのに・・・救急隊員は「患者搬送中です!道をあけて下さい!」と何度も言ってくれた。午後2:50。K病院に着いた。「こちらの先生に申し送りしておきました。また退院されたら顔を見せに来てください。」そう話す先生に夫と私はお礼を言って深々頭を下げた。小児科へ行った。担当医と少し話し、「お子さんと会っていいですよ」と許可が出た。広い乳児室に入った。しかし、保育器が見当たらない。手前のベッドに娘の頭の形に似た赤ちゃんが寝てる。‘まさか・・・’そう思っていると、看護婦が「お子さんはこちらです」とその子を指した。「え~!?保育器じゃなくていいんですか!?」ビックリして夫と二人で訊くと「体温が安定していたので大丈夫です!」とのこたえだった。しかも肌着まで着せてもらい、普通の赤ちゃんと同じ扱いだった。猛烈に感激した。「さ、触っていいんですか?」「もちろんいいですよ!」今まで自分の子なのに看護婦の許可なく触れなかった我が子。自由に触れられるなんて・・・夢のようだ。「ダッコします?」看護婦が言った。「えっ?いいんですか!?」もう嬉しくて涙が止まらない。この子を産んでから私はダッコした事がなかった。看護婦が私の腕に娘を乗せる。柔らかく温かい。そしてズシリと重かった。「ママだよ、やっとダッコ出来たよ・・・」さっきまでの涙とは全く違う涙。嬉し泣き。号泣。娘の写真は最近痛々しいものばかりだったので今日はわざとカメラを置いて来た。なのでこの感激の瞬間は撮れなかったが、一生あの感覚は忘れない。日本最高レベルの病院だし、後はお任せするしかない。‘うまくいくかも知れない’夫と私はそう思った。
2004/11/01
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