昨日16日は、関ヶ原を銀輪散歩して参りました。テーマは先般の大津歌碑散歩で大友皇子所縁の地を訪ねたことの続きとして、関ヶ原にある大友所縁の場所を訪ねてみようというもの、でありました。この銀輪散歩は追って記事にすることとし、今日はその帰途の銀輪散歩のご報告とします。
関ヶ原ですから日帰りで十分であったのですが、米原のビジネスホテルに一泊して、翌日(つまり今日17日)は前回失念した大津市大江地区の御霊神社を訪ねる傍ら大津をもう一度銀輪散歩してみようというものでありました。
出直すことも考えましたが、往復の交通費に少し足せば宿泊費、時間の節約にもなる、という訳で一泊することとしました。
朝9時頃に米原駅に。
伊吹山という名は万葉集には見えない。 奥十山 (巻13-3242) が伊吹山だという説(中西進氏)もあるが、奥十山は、犬養孝先生が大木曽山で木曽の山だとされた他、岐阜県可児市の浅間山説、多治見市の高社山説などもあって一定しない。
米原に うち出でて見れば 伊吹山
雪置き奥十の 山とや言へる (偐家持)
百岐年 美濃の国の 高北の 八十一隣 の宮に 日向ひに 行きなびかくを ありと聞きて わが通ふ道の 於吉蘇 山 美濃の山 なびけど 人は踏めども かく依れど 人はつけども 心なき山の 於吉蘇 山 美濃の山 (万葉集巻13-3242)
目指す御霊神社は瀬田駅からが一番近いのであるが、新快速は停車しない。一つ手前の南草津駅で下車。そこからトレンクルで走ることとした。
大津市に入った処で八坂神社があったので、立ち寄ってみた。
瀬田の駅前通りを過ぎて大江4丁目の信号で左に入り、ひたすら直進すると、御霊神社である。
由緒書きにある通り、此処も大友皇子を祭神としている。
前回の歌碑散歩で立ち寄ることを忘れて帰宅してしまった宿題をこれで果たしたことになる。
後は石山駅まで走るだけ。急がない旅であるが瀬田の唐橋を回って行くことにします。
さて、瀬田川と琵琶湖の境目は何処なんでしょうね。
そんなことはユリカモメにしろ。
この意味が直ぐに分かる方は万葉通ですな。
万葉歌では「後」を「ゆり」と訓んでいたりしますから、上は「そんなことは後にしろ」と「そんなことはイイカゲンにしろ」をくっつけた心算です(笑)。
伊勢物語など古典に出て来る「都鳥」はこのユリカモメであるというのが定説になっていますな。まあ、「思ふ人」のことをきかれたり、瀬田川と琵琶湖の境目をきかれたり、都鳥も「往生しまっせ」。
五月雨に 隠れぬものや 瀬田の橋
橋の近くに芭蕉の句碑がある。
先日の「大津歌碑散歩」の日記の瀬田の唐橋の写真を見て、友人の只麻呂氏からメールを頂戴した。元々が赤い色の橋であったのが、白い色に塗り変えられた。それに対して市民から色々と意見が出て、総じて不評であったことから、現在の黄色というか黄土色というか、このような色に塗り替えられたのだという。只麻呂氏も「白い唐橋」には違和感を持たれたお一人のようにて、以前に小生が白い色の唐橋の写真を掲載した折にも「色」について何やら苦言めいたことをいち早く仰っていたかと記憶しますが、今回の黄土色についてはご異論はない雰囲気でありました。
まあ、近江の人にとっては、瀬田の唐橋はそれだけ思い入れの深い橋であるということでもあるのでしょうな。
色々と もめて黄色の 瀬田の橋 (筆蕪蕉)
では、あっちこっちから、から橋をどうぞ。
この碑の隣の土手にタイル・モザイクで俵藤太(藤原秀郷)が描かれた大きな絵が嵌め込まれている。
その背後に小さな神社がある。竜王宮秀郷社という、藤原秀郷を祀る神社である。折角なので立ち寄ってみた。
瀬田川畔や琵琶湖畔を銀輪散歩したる後、石山駅前で昼食。早々に帰途につきました。石山駅(京阪側)の2階広場の一角に芭蕉さんの像。
行く春を近江の人と惜しんでいるうちに、どうやらすっかり居付いてしまわれたようでありますな。鴨も白鳥も渡りを忘れて居付くのが居ますから、居付く芭蕉も亦有りであります。それなりに馴染んで居ります(笑)。
石山の 上にも三年 経しからは
駅前広場 芭蕉の居場所 (お伴の旅人)
飛鳥川銀輪散歩(下) 2024.11.11 コメント(4)
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