偐万葉田舎家持歌集

偐万葉田舎家持歌集

2013.01.18
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カテゴリ: 銀輪万葉

  一昨日16日の記事です。
  先日(1月6日)の大津歌碑散歩の流れで、大友皇子関連で関ヶ原までやって参りました。関ヶ原と言えば天下分け目の戦い、関ヶ原合戦であるが、今回はもっと昔の天下分け目の戦い、壬申の乱(672年)の開戦の地としての関ヶ原である。
  天智天皇崩御後、その後継をめぐって天智の息子、大友皇子と天智の弟、大海人皇子との間で戦われたのが壬申の乱。
  天智崩御後大友皇子は天皇に即位したとみるか、即位していないとみるかは意見の分かれる処であるが、現在の歴史学会では非即位説が定説のよう。しかし、幕末から明治にかけては大友即位説が常識化していたようで、明治3年に大友皇子は弘文天皇と追号され、第39代天皇とされ、今日に至っている。大友が天皇に即位したかしなかったかで、今上天皇の代数も変って来るが、古代の天皇にはその実在の怪しいのがいくらもあるし、南北朝時代の天皇並立もあり、今は南朝を正統として代数を数えているが、北朝を正統として数えれば違った代数になる。ということで、その辺は歴史学としては立ち入らないという立場のようで、年表や代数表記では弘文天皇がそのまま第39代ということになっている。
  まあ、何れであれ、天智亡き後の近江朝廷を率いていたのは大友であり、それに反旗を翻したのが大海人皇子であることに変りはない。
  病床の天智に面会し皇太弟の地位を返上して吉野に隠遁した大海人は、天智が死ぬと東国に逃れ、この地で兵力を集め、大和で大海人に呼応する勢力と連携し、近江朝廷を滅ぼした。今風に言えば軍事クーデターによって権力を掌握したということになりますな。
  その最初の戦いがこの関ヶ原の地で繰り広げられ、大友軍を打ち破った大海人軍はその勢いで近江へとなだれ込み、瀬田の唐橋の戦いに勝って、最終的な勝利を収める。ここに近江朝廷は滅ぶこととなった。
  後の関ヶ原と同様、ここでも西軍は東軍に敗れて居ります。大友は石田三成、大海人は徳川家康といった処でしょうか。それかあらぬか、大海人皇子が陣を置いた野上行宮と家康が当初に陣を張った桃配山はほぼ同じ位置である。もっとも、大友は三成と違って遠く大津の宮に居たのでしょうが。

  関ヶ原駅前でトレンクルを組み立て、駅前を南に下り、国道21号線に出て右折。西へと走る。紫井公民館の処で旧中山道(東山道)に入る。
  150m程進むと出会うのが不破関東城門跡。
  ここは関ヶ原合戦の地、その陣跡遺跡などが随所にあって、頭の中は1000年近くのタイムラグの狭間を行ったり来たりと混乱するのであるが、日記の構成上、関ヶ原合戦の跡地はひとまず省略して進めます。

001国道21号線 (国道21号線 旧中山道との分岐付近)

002不破の関・東城門跡 (2) (不破の関、東城門跡)

003不破関関庁舎跡・兜掛石・沓脱石 (4) (不破関・関庁舎跡 右奥の木立の処が兜掛石、左の木柵が沓脱石)

  この付近に不破関の中心的な建物があったらしいが、今は花や野菜の畑である。その一角に兜掛石と沓脱石がある。兜掛石は壬申の乱の時に大海人皇子が兜を掛けた石で、沓脱石は沓を脱いだり履いたりする際に大海人が利用した石だと伝承されている。
  不破関は壬申の乱の後に天武天皇によって設置されたものであるから、これらの石が当初から此処にあったのなら、庁舎の建物はこれらの石を外して建っていたことになりますな。

003不破関関庁舎跡・兜掛石・沓脱石 (2) (兜掛石)

003沓脱石 (2) (沓脱石)

  更に数十米西に行くと不破関守跡である。関守の屋敷がこの一帯にあったらしい。

004不破関守跡 (不破関守跡)

004不破関守跡 (2) (同上)

  裏に回るとちょっとした空地があり、歌碑や句碑などが建っているが、特段の説明もなく、石碑の文言も古くて判読が困難。

004不破関守跡 (4) (不破関守屋敷跡)

004不破関守跡 (5)・芭蕉句碑 (芭蕉句碑)

  芭蕉の句碑は  秋風や藪も畠も不破の関  というもの。「野ざらし紀行」に出て来る句であります。
  この句碑は此処にあるよりも、先程立ち寄った兜掛石などのあった、民家の裏の畑に建っている方がしっくりする。
冬空や 裏の畑も 不破の関 (筆蕪蕉)  である。
  ついでにもう1句。 寒空や 関跡めぐり 不破で咳 (筆蕪蕉)

005中仙道 (旧中仙道の道標)

  左の坂道、つまり中山道ですな。これを下った処が壬申の乱の最初の戦闘の場となる藤古川である。その前に右の道を行くこととする。直ぐに不破関資料館がある。見学して行く。

006不破関資料館 (3) (不破関資料館)

  不破に因む万葉歌を1首。

関無くは  ( かへ ) りにだにも うち行きて 妹が 手枕 ( たまくら )  まきて 宿 ( ) ましを
                    (大伴家持 万葉集巻6-1036)

  時に家持23才。この年9月に藤原広嗣の乱が起り、天皇は10月29日から東国行幸の旅に出る。この東国への行幸は乱に動揺してのもの、大和で乱に呼応する勢力のあったことを警戒してのもの、曾祖父天武の壬申の乱の足跡を辿りその威光を高めようとしたものとか色々の見方があるようですが、若き家持も颯爽とこれにつき従ったものと思われます。それにしては歌が何ともであります。まあ、旧暦の11月、真冬の関ヶ原は寒かったのでしょうな(笑)。
(注)9月3日乱を起こした藤原広嗣は10月23日に捕縛されている。
   しかし、その知らせが天皇のもとに届くのは東国の旅に発った後
   の11月3日。その前の11月1日には処刑されているのでありま
   した。若し乱を恐れての東国行であったのなら、あっけなく広嗣が
   捕縛されてしまったことを知らされた聖武はきっと「これでは恰好
   がつかん。」と直ぐに京へ帰りたいのだが、それもならず、不必要
   に長くあちこちと回ることになったのやも(笑)。

  話が脱線しました。壬申の乱に戻します。しかし、字数制限一杯です。今日はここまでとします。( つづく






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最終更新日  2014.04.11 10:15:19
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