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5月末にかけて忙しくてブログ更新が全くできなかった(PCを起動できなかった)。まあ山に登ってないのでやまぶろぐ的にネタがなかった。更新してもしなくても一緒ですよ。5月末にむすこは3歳になった。そういうネタもあったが更新を逃した。まだ卒業できていないのが2つあるので、これを機会にトレーニング中。性格は良いところもあれば悪いところもある。完璧な人間などいない、そんなものか。もうすぐ下のむすめは6ヶ月になる。現在寝返りが激しく、布団からよく転がって「うげげー」と泣いている。腹這いで爪先立って暴れて少しずつ前進することもある(ハイハイではない)。そろそろ離乳食か。嫁さんは相変わらず料理が上手で家事ができて、美しい。文句の付け所がない(バキッ)。やまやろうは多忙のため精神的に追い込まれていたが、それも解決。卑屈な精神は変わらずか。この時期はじっと我慢の日々だ。梅雨明けまでは気分が落ち着かない。山の予定はあまりなく、他の予定が入っている。ネタがなくてとても困っている。そんなやまぶろぐでも毎日のアクセス数は3桁なので、気になっている方は全国におらっしゃるのだ、ありがたやー。更新を待っている方々の期待に応える内容のブログを構築したいがどうなるだろう。
2009/06/02
先週の激しい体調不良(風邪?、豚インフル?)の後、やまやろうの体質が変わってしまったようだ。昼近くになると激しい頭痛に見舞われる。生まれてこの方頭痛薬なんて飲んだことがなかったのに、箱買いして連日のように服用している。仕事をしていても疲れやすくなった。一日パソコンに向かっているともうへろへろだ。山に行かなくなったから体力が低下したか。これは今後挽回可能な気もする。頭痛は潜在的な病気の現れかもしれない。注意深く観察する必要がある。土日くらいは思う存分趣味を楽しみたいと思っているが、そういう気力も月金の仕事で削がれてしまっている。何もしなかったらそれは負の連鎖に突入してしまう。何でもいいから仕事とまったく離れたことに集中してみたい。
2009/05/22
本日社報をもらった。気になるのはリレーエッセイである。やまやろうも少し前に参加した。その時は自分なりに文章を頑張って書いたつもりである(やまぶろぐを糧にして)。本日見た方々のエッセイには驚いた。さらりと書いていながらやまやろうより面白かったりするわけだ。主題が明確、自分の文体になっている、さりげなく会社のこともからめてある。エッセイらしい文章だ。こういうのを見ると、やまやろうが1000日連続で楽天ブログを更新していたのは何なのよという気になる。うまい人は何をやらしてもうまいというが、そういう人には始めから敵わないということか。社会のヒエラルキーもそうですな。金持ちはもとから金持ちで、貧乏人ははい上がることはできない社会になっている。フツーの人がたくさん文章を書いて切磋琢磨しても、センスのある人には追い付かないということか。努力してもヒエラルキーから抜け出ることはかなわじ。
2009/05/21
風邪なのに昨夜は飲酒した(銚子一本)。そのためか今日は調子が良かった(寒)。過激なことをすれば身体は驚いて正常に戻るのか、と思いきや昼前に激しい頭痛。バファ○ンを飲んで耐える。それからは普通に生活。そして今夜は銚子二本(調子づいて!!)。その勢いをかって明日は登山だ。山菜目的ではない本格的な山登りは久しぶり。近所の山に行こう。リハビリ山行だから順番はやっぱり、SKTでしょう(何なに?)。
2009/05/15
風邪がひどい。一日家で倒れていて、本日出社2日目。朝の時点では回復しているのかなと思えたが、昼に近くなると悪寒と頭痛が激しくなった。午後もそのままであったが、なんとか業務をこなした。ちょっとした作業をしていて、手直しが必要となった。周りに3人ほどが見守る中、細かな作業をしていたら唐突にむせて咳を出した。その勢いで鼻水がどばっと出てしまった。おまけに作業着のズボンには大量の痰がびっちょりとこびりついている。「!!!」皆の凍った視線を感じながら、口元を押さえてその場を離れた。うをを、クールな印象で通っていた?やまやろうであるが、鼻汁出してイメージダウンは避けられない。なんであの時あの一回だけ咳が出たのかが分からない。人生の試練としか思えない出来事であった。今夜はヤケ酒だよ(病人なのに)。
2009/05/14
午後から熱が出てきた。先週から風邪をひいていてこの土日で回復傾向が見られた様な気がしたが、どうも違ったようだ。帰宅してから葛根湯を一気飲み、ご飯はお代わり。夜になったら関節がちくちくしてきた。うーむ、流行のインフルではなかろうな(米国往訪経験なしっす)。体力が落ちたと感じる。それもこれも山に登っていないからだ(と想像)。山に登れば気分一新、風邪も吹っ飛ぶと思っている。今週末はどうかと思っていたが週間天気予報はいまいちではないか。参ったな。
2009/05/11
夜中、痒くて目が覚めた。耳をすますと「プワ~ン」と嫌な羽音がする。早くも蚊が飛んでやまやろうの腕を刺したようだ。2箇所やられた。一緒に寝ていたむすこも嫁さんもやられたようだ。まだ5月なのに蚊が発生したのだ。今から豚さん(アースノーマット)を使っていたら、一体何ヶ月使い続けることになるのか。
2009/05/07
やまやろう家の上棟であった。なに?知らないって??そうさ会社の上司にも知らせていなかったのだ(オイオイ)。やまやろうは旅の者(県外出身者)。いずれどこかにと思っていた家であるが、県出身の嫁さんと結婚したことで富山に骨を埋めることにしたわけ。入社してから魚津に住んでいたこともあり、魚津に建てることにした。今日はよく晴れて上棟も順調に進行した。やまやろうは朝の挨拶、10時の休憩、12時の昼食、15時の休憩、17時の上棟式の合計5回現場に足を運んだ。現住まいから車で10分ちょっとであるが結構しんどかった。だんだんと、さんかくやねのいえが出来上がっていくのを見ると、大工職人の手際のよさに感心するとともに、果たしてこれは自分等の家なのかという疑問もわく。いまいち現実感に乏しいのだ。設計図はよく見ていたのであるが、それが実際に組み上がることとうまくつながらない。お茶出し、弁当受け取りなど実務作業に追われて、上棟そのものを満喫できたかは疑問だ。一生に一度あるかないかのイベントであったが、ばたばたのままに終わってしまった。上棟が済んだらあとはどんどん工事が進んでいく。暇を見ては現場に足を運ぼう。
2009/04/28
魚津で今シーズン初めての春型蜃気楼が発生した。それを知ったのはしんきろう通信(無料メールマガジン)である。知ったからといってすぐに見に行けるわけではなく、かえってそわそわしてしまう。出たからには見てみたいのだ。やまやろうは海っぺりに住んでいるので(しかもマニアが集う観察地点にほど近い)、土日だったら駆けつけることができる。そうそう巡り合わせはないけどね。蜃気楼の情報は、埋没林博物館で。
2009/04/08
仕事で、関連会社に行った。事務所に入り、受付で会いたい人を訪ねた。敬語を言おうとして「○○さん、いらっしゃいますか」と標準語で喋ろうと頭の中で準備していた。しかし口をついて出た言葉は「○○さん、おらっしゃいますか」であった。まんま、富山弁やにか。まさか自然に口から出てくるとは思わなかった。事務のオネーサン方も笑っていたぞ。やまやろうはそこまで富山に染まっていたのか。出身は東京であるが、会社勤めでここ富山県にやってきた。この4月で10年になる。早いものだ。右も左も分からなかったもんが、山を知り家庭を持って徐徐に富山に根を張ろうとしている。もう東京に帰る気はないよ。だって山があるし、山菜があるし、スキー場は近いし。一番は水がうまいことか。水道の蛇口をひねってそのまま飲めるというのは東京ではなかなかないよ。魚津に居を構えようと奔走中。
2009/04/02
メーカーチラシを見て、「低燃費」と書いてあると、環境に悪い車だなと思ってしまう男、やまやろうです。低燃費ではなく省燃費!?ガソリンの暴騰、暴落を経ても、一番気になるのは燃料消費を如何に抑えるか。やまやろうのライフ四駆は4ATなのでアクセルワークによってかなり異なる。通常走行速度である50~60km/hrでロックアップするかしないかが微妙なのだ。座席の位置や右足の位置などの微調整を繰り返した結果、よさげな位置を把握した。右足はブレーキペダル側に置く、そこでカカトを付けたまま、アクセルペダルを踏む。そうするとアクセルをしっかり踏みつけるというよりも、ふんわり置く感じになる。それがいいのか割合スムーズにロックアップしてくれて、ecoランプの点灯が早まる気がする。それに加えて最近は、セカンド発進もやってみている。わずかながら効果があるとは思う。通勤以外の使用が加わると(例えばスキー)、前回給油時と単純な比較ができなくなるが、スノータイヤでも夏タイヤと同じくらいの燃費になっているのではと試算。
2009/02/06
本日をもって、社有車のアルトが廃車になった。世界的不況は我が社にも押し寄せ(やまやろう本人には実感はないのだが)、経費削減の大号令によりこの処分となったわけ。台車に乗せられ、ドナドナされていったのを目撃した。何台かある社有車でも割りと使用頻度は高かった。マニュアルというのが面白かった。部署に来た当初は、運転にとまどったものだ。なにせマニュアル車なんて学生時代以来だったから。一年近くが経つ現在では、ほぼ問題なく運転ができている。そして新たな悩みとしては、MT車に興味を持ったこと。やまやろう号(ライフ4WD)を乗り換える予定は全くないが、ホームページではちょくちょく現行MT車をチェックしている。RSとかRとかのスポーツ仕様でなくても充分なのではと思っている(違いの分からん男)。MTで4WDって少ないんだよね。軽四ならワゴンRとかジムニーにあるか。スズキはMT多いな。
2009/01/30
黒部の突坂山の画像を追加。本当は1月1日であるが、ブログ更新していない本日に割り込ませる。テントを撤収し、下山開始。まだ薄暗い。雪は少ないのでツボ足で歩いた。往路下山。トレースは新雪に埋もれたが、点検道のため歩きにくくはないし迷うこともない。雲が、初日の出で染まっていく。雲は多いが天候は安定している。谷深い黒部、どこでお天道様を拝めるか全く読めなかった。送電線鉄塔の下で休憩。視界が良く利く。潅木に雪が着き、白いトンネルとなった。触らぬように身をかがめて歩く。点検道から途中で別れ、笹平駅真上の斜面から下ってきた。ここにも道があるのだが、雪のため分からなかった。動物の足跡すらない静寂の笹平駅。トロッコ軌道の橋の上から黒部の流れを見下ろすと、水墨画の世界が広がっていた。残念、黒薙温泉は施錠されていた。初日の出に、谷間が輝き出した。あと少しで山行も終わりを迎える。
2009/01/28
富山はまずまずの天気。スキー日和であるが、家事都合を優先する。洗濯、掃除、熊手飾りなど。昼から魚津神社に出かけて、旧年のお守り類をお焚きあげ。そしておみくじ。でろでろでろでろでろ、ジャーン。「中吉」。おいおい、嫁さんの実家近所で引いたおみくじと同じではないか。今年はまぎれもなく中吉の年であるな。大吉の次なので、なかなかの運勢か。その足でホンダの初売りへ。くじ引きしたら4等。ハンディ体脂肪計が当たった。微妙ですな。
2009/01/04
昨日やることはやってしまったので(スキー&私用)、今朝はゆっくり寝ていた。というか起きられなかった。やる気が一気になくなってしまったようだ。布団の中でごろごろ。それでも何とか床から抜け出て、いろいろ用事を済ませる。その足で献血へ。いつものマリエ献血ルーム。「本日の必要量は確保しました」と言われる。そのため血小板ではなく血漿の献血となった。頑張って魚津から来たのに、それほど必要とされていなかったということだ。平日に来たら至れり尽くせりになったであろう。実際今日は人が多かった。あっさり終わった52回目。今回は、ふりかけとセッケンをもらう。生活に役立つ洗剤とか箱ティッシュが欲しいなー。今度の献血では是非。
2008/12/28
朝起きると車に雪が積もっている。道路はしゃべしゃべ(シャーベット状)の雪がうっすらと。これはノーマルタイヤでは滑るのではないかと心配になった。でも、外は暗くて寒くタイヤ交換に出る気持ちにならない。嫁さんに言ってみたら「まだ換えなくてもいいんじゃない」と楽観思想。天気予報からは、まだ交換しなくても大丈夫な印象を受けたのであるが、なんのせ心配性なやまやろう。道行く車が鉄っちんぽいホイールなのを見かけて「交換している車ばかりやじゃ」と思ってしまった。朝食後もどうしようかともたもたしていたところ、外から工具の擦れる音が聞こえる。お隣さんがタイヤ交換しているのだ。これでやまやろうの心は決まった。物置からスノータイヤを出して、やまやろう号のタイヤ交換を始める。出勤前の一仕事。20分で終了。いつもの時刻に家を出る。道の雪は少ないな。でも工場に着いたら、さらさらと雪が降ってきた。積もるほどではないが。交換してよかったとこの時は思った。その後車を使う機会があったが、スノータイヤにすることもなかった感じだ。山間のスーパー農道を走ったのであるが、普通の道(濡れた道)であった。まだ早かったかもしれないな。それにしても気に入らなかったのは、燃費の悪さだ。アクセルを踏んでもちっとも加速しない。スノータイヤは燃費が悪くなるのは承知していたが、今日はひどかった。何か重量物を積んでいるのではと思えるほどちんたらしていた。会社帰りに空気を入れてみたところ、少しは転がるようになった。冬仕様になったものの、本格的な降雪があるのはもう少し先なのではないだろうか。暖冬傾向があるしな。山で降って(特にスキー場)、街では降らないで欲しい。ちなみに去年は11月22日に交換していた。
2008/11/20
昨日と今日で出張であった。まず昨日。仕事が片付かないため、退社時刻が電車に乗れるぎりぎりとなってしまった。一度帰宅して着替えて用意してなどしていると、タイムリミットが迫る。市営駐車場に車を置き、雨の中小走りで魚津駅に着くと、みどりの窓口に人が並んでいる。切符の予約は済んでいたので支払うだけなのだが、気が焦る。切符を受け取り改札を通ると、ほどなく電車が滑り込んできた。そのため夕食を買うことができなかった。社内販売で選択の余地なく弁当を買う。ビールを含めて1400円近くの出費。お財布には割と入れてきたつもりであったが、心配になる。その後もビジネスホテルでの酒で出費。そして今日。私鉄とタクシー代で朝から出費。残りの札数が気になり出す。仕事終了。帰りの電車に間に合うようにするには、特急に乗らなければならない。yahooの路線検索では、特急料金が表示されていなかったため、ここで予定外の出費が生じる。タクシー代はカード払いでないと電車賃がなくなることが判明。しかし帰りのタクシー代は、先方がチケット払いしてくださった。特急には無事に乗れ、お金の心配はなくなった。今度はダイヤだ。何せ初めての地、乗り換えが不慣れだ。先方営業に教えていただいた通りに歩き、スムーズに階段に移動。停車していた電車に何も考えずに飛び乗る。再び乗り換え駅に着いたら小走りに駅構内を移動。動体視力を駆使して歩きながら案内表示を確認、サンダーバードの待つホームへ。ここでも弁当を買う時間がないまま扉が閉まる。これでようやく安堵、魚津まで帰れる。振り返って考えると、私鉄からJRへの乗り換えで、何も考えずに飛び乗った電車に乗れなかったら、サンダーバードには乗り遅れていただろう。駐車料金を払ったら、財布の残金は1700円であった。夕食と土産を同時に買う余裕はなかったな(時間もなかったが)。最後までぎりぎりの移動劇であった。
2008/11/19
去る7月に献血運動推進大会があった。やまやろうは参加できなかったので、賞状と記念品が本日届いた。賞状をもらうなんていつぶりだろうか。記念品は高岡銅器の一輪挿しであった。献血50回の表彰らしいが、先日15日にまた献血に行ってきた。忙しかったのでちょっと日が開いた。驚いたのは血圧がとても低くなっていたことだ。110台である。嫁さんが塩分に気を付けた料理を作り、適度な運動(山登り)をした結果だと思う。
2008/08/19
じゃんとこい魚津まつりの最後は、蝶六の踊りだ。やまやろうは魚津に何年か住んでいるが、踊りに参加するのは今回が初めてだ。事前の4回の合同練習に参加したが、本番直前にも先達に伺う(昔から一夜漬けが得意です)。三列になって踊るが、初心者は中列が通例。が、集合時なぜか真ん中ばかりが伸びてしまい、あぶれたやまやろうは左側(よりによって観客側)となってしまった。腹をくくってやるしかない。団体の中番目くらいで踊り始める。先達の動きを必死になって追い掛け、遅れないようにした。1時間以上踊り続けていたようだが、それを感じさせない雰囲気であった。終わった後の爽快感は特になかったが、お客さんに見られているという緊張感と優越感に浸っていた。踊りが終われば打ち上げ。明日仕事だと思っていると、酔わないものだ。途中から水を飲み始めたし。おかげさまで無事帰宅できた。
2008/08/03
精神的に限界に近く、フラフラになって帰宅。ポストに封筒。献血功労者に対する表彰状の贈呈についてのお知らせ。表彰の対象は団体、個人いろいろあるが、個人138名のうちの一人のようだ。大会冒頭、石井知事が挨拶するようだ。生で見てみたい気持ちもあるが、行く気はゼロ。こういうお知らせに心動かすことができないほど、仕事で心が荒んでしまった。明日は天気が持ちそうなので登山に行けるが、気持ちはまったく山に向いていない。仕事以外何もしなかったら、生きている意味は?
2008/06/27
終業後、会社の部署対抗ボーリング大会が行われた。黒部市の会場まで向かうのが大変。夕方の国道8号線は渋滞するのだ。スーパー農道を使って迂回し、渋滞を避けた。それでも会社から30分かかるのだが。四人一組の2ゲーム合計点を競う。やまやろうはボーリングは何年ぶりだろうか。練習もそこそこに大会開始。1ゲーム目は13ポンドの球を使ったが、どうも思うところに転がってくれない。スコアも悪い(言えない位)。2ゲーム目は12ポンドに落とし、指の穴をきつめにした。そうしたら三連続スペアなど含め、倒ピン数が増えた。結果1ゲーム目よりスコアが40ほど伸びた。それでも大したものではない。もちろん入賞にからむこともない。やまやろうは昔から賞には無縁だ(特に運動分野)。20時に解散したので、大阪屋の開店時間に間に合った。チラシはチェックしてこなかったが、店内うろつきながら欲しい物を安く購入。一番の心配は、仕事を片づけずにボーリングに行ってしまったことだ。明日は朝から大忙しになりそうだ。仕事もボーリングのように転がすことができたら最高なのだが。
2008/06/24
ここ数日メール送信をしようにも、送信できない状態が続いた。受信は可能であった。メールソフトShurikenのサイトで調べてもうまくいかない。どうしたものかと悩んでいたらふと思い立ち、プロバイダmicnetのサイトへ飛んでみた。迷惑メール対策の強化として、ポート番号が変更になったと書いてあった。切り換えとなったのは4月1日。その間まったく気付かず送信のみできずにおかしいなおかしいなと思っていたのだ。送信できなかったら諦めていた(おいおい)。さっそく番号を変更して確認したところ、あっさり送信ができた。なんだやまやろうが設定変更を怠っていただけだった。送信履歴を見ると、3月27日を最後にメールを送っていない。それで平気であったかやまやろう、さびしいやつだ。まあひとつ問題が解決できて良かった。人生、他にも解決したいことは山積している。どうしたものか。悩んでも仕方がないので、寝る。
2008/06/10
この時期は精神的に落ち込むのだ。後ろ向きのネタとなるのはやむを得ない。金曜日になり、少しは気楽になった。土日嫁さんとむすこに会って、気分転換しよう。何となく自動車のネタ。やまやろうはホンダのライフに乗っている。オートマなので楽なシートポジションで運転していた。すなわち、シートを後方に下げて背もたれを傾けて、だらーんとした感じ。いろいろ調整した中で、これが一番楽だったのだ。運転しながら対向車をよく見るが、右手でハンドル握って、左手で頬杖ついて運転するような危険なドライバーまではいかない。自分の中では真剣な思い。山道大好きで、この座席位置できびきび走っていた。4月より社用車としてマニュアル車を運転する機会が増えた。クラッチ操作が有るので座席位置が重要となる。これまでのようなリラックスした位置では、まともにペダル操作ができないことに気が付いた。前気味にして背もたれも立てることとなる。まあそれで疲れないのだ。ということはこれまでのリラックスモードは無理な姿勢だったのではと思い始めた。マニュアル車のシートポジションが一番楽なのではと考え、今週ライフの座席をいじってみた。肩口が座面に密着され、長時間の運転が楽になった気がする。丁字路での左右確認は、これまで前方に身体を傾けていたが、それが不要となった。シートとの一体感が感じられ、運転に集中できるようになった。いいことずくめだ。次は嫁さんの車を運転する時のシートポジションを考えよう。
2008/06/06
自分がコツコツとデータを集めて、「これでやれば良い結果が出る」と思って、ようやくテストに取りかかっているところ、横から同様のテストをやってさっと良いデータを先に出されてしまったら、皆さん、どう思います?特許の先願主義ではないけれど、取締役の前でバーンと発表されてしまったら、その人の手柄になってしまうのですかね?データを集めて理論的に攻める人よりも、どうしてそうなるか説明できないけれど結果を出す人の方が、会社では伸びるのでしょうか?理不尽な 世の中憂い 酒あおる残業を しても結果は 残らない石の上 三年乗っても 先越されがむしゃらに 働きデータは 利用され 成果獲られて 評価そのまま
2008/05/29
職場に会社の社長が視察にやってきた。パソコンに向かっていたやまやろうは、直接顔を合わせることはなかった。その後、上司から懇親会参加の指示が出され、仕事を適度に切り上げて参加する。夕方作業が入り、会場入りが遅れてしまった。皆、顔が赤い。追い付こうにも社長が話をされているので、ぐいぐい飲むことはできない。なんのせ隣の隣に座っているのだ。隣の部長から食べなさいと言われて、やまやろうは鍋をつつく。それで他の人も箸が動き始めた。ちょっとお話したが、社長はやまやろうのことを知っているのだ。何百人といる社員の中のぺーぺーなんだが。短い会話とその後のお話の中から、社長とは、引き出しが多くて、本をよく読んでいる人種だということが分かった。本を読む時間が取れなくてねーと思っているが、ブログは毎日欠かさない。これ意外に時間がかかるのだ。ブログに関する時間を読書に充てればいいのではと昔から思っているのだが、習慣で1000日も書き続けていると、急に止めるわけにもいかない。各々の作業を集中して時間を短縮し、空いた時間を確保していくしかなさそうだ。今夜は読書できません。このまま寝ます…。
2008/05/20
仕事の関係で、白樺ハイツに泊まった。有峰林道のゲート手前に建つ。やまやろうは、登山の帰りに温泉を利用したことが何度かあったが、宿泊は初めてであった。夕方到着で、食事までは部屋で茶を飲みゆっくりする。ケータイが圏外である(DOCOMOは通じる)。下界のことを忘れ、窓の向こうの新緑の山々を眺める。食事は可もなく不可もなく。それでいてご飯は茶碗3杯。食後に散歩。そこいらじゅうに食べられる葉っぱがあり興奮。明朝の散歩で土産にするか、と考えていたがそんな時間的余裕はなかった。標高は400m。散歩で冷えた身体を温泉で温める。かけ流し100%だそうだ。硫化水素泉なので、硫黄臭がする。前回入浴した日を思い出せないくらい、久しぶりにやってきた。広い湯船はいいねー、ウチのバスタブは膝頭が出てしまうのだよ。白樺ハイツは良いもの(温泉)を持っているが、繁盛しているかは微妙な印象を受けた。隣の2件の旅館は廃墟になって長い。人が減ったからか、魅力が薄れたからか。新たな付加価値を見つけなければ、いつかは閉鎖されるだろう。
2008/05/09
夜中は雨が降った。明け方まで残り、テントを出るに出られないので出発を遅らせる。上を目指しても、現地に行って帰ってくるには時間が足りない。テント設営地点で下山を決める。山中の行動に慣れただけでも収穫である。往路下山。安全をみて一般路(踏み跡)を使ったが、雪と根っこの混合斜面はとても歩きにくい。登高に使った雪斜面をザクザク下った方が楽だった(慎重な足さばきが要求されるが)。徒渉地点では再び靴を脱いだ。堰堤下流の2回目の徒渉ではもう脱ぎたくなかった。出発前に考えていたやり方で、ばしゃばしゃと川を飛んで歩いたら、濡れずに済んだ。ひたすら歩いて馬場島。桜が見頃。人はちらほら。絶品山菜そばを平らげて大満足で山を下りる。馬場島周辺はまだ山菜採りには早かったので、今度は家族で遊びに行こう。
2008/04/27
勤務中に関連会社に行くことになった。同行の会社の人からは「バン(社用車)で行くから出しておいて」と言われる。バンってもしかして、マニュアルトランスミッションではないすか?やまやろうはMT車なんて超久しぶり。学生時代に友人の車を借りて、夜の首都高を回った以来だから、13、14年前だろうか(走り屋ではない)。駐車場で少し練習して、いきなり公道に出た。しかも同行者2人付き。平らでスムーズに流れている道路だったので救われた。無難にシフトチェンジをこなす。右左折時1速で曲がりながら加速するとうるさいことに気付く。そこでハンドルを切りながら2速に上げることに挑戦しうまくできた。操作について身体は覚えているものである。何事もなく目的地に到着できた。帰りはなるべくエンジン回転数を上げないようにエコドライブを心がけた。そうしたら青信号発信でエンスト2回。アクセル開度が少なかったようだ。同行者にはうけたが。また、会話をしていたら曲がるところを間違えた。ひとつのことしかできない性格なのかと突っ込まれてしまった(そのようだ)。MT車は男のあこがれ(そうか?)。やまやろうも最初の車はMT車にしようと考えたくらいだ。中古車展示場でMTのエスクードかATのインプレッサで悩み、結局子供の頃から気になっていた後者にした記憶がある。今回久しぶりに運転してみて、大変さが身に染みた。走らせながらエアコンをいじる余裕はなかった(助手席の方がやってくれた)。運転そのものを楽しむことはできるだろうが、毎日の通勤でそういうものは求めない。
2008/04/14
朝食後に犬の散歩に出かける。わんこ(柴犬メス)は、引き綱をビンビンに張り、アスファルトに爪をカリカリ立てつつ先を急ぐ。そうかと思うと急停止し、路傍の草むらをくんかくんかと嗅ぎまくって立ち去る最後にマーキングする。ルートは特に決めていなかったが、たくさん歩くことにした。神社の参道から旧街道に入り、住宅地を抜け丘の上へ抜ける。山道から階段を下り、造成地の棟上げを見学。その入口で車の家族連れに道を尋ねられるが、やまやろうは不案内。犬連れの地元民面しているが、魚津市民です。帰ってきて時計を見たら45分間の運動だった。犬のための散歩であったが、身体を動かしていないやまやろうにとっても、ほどよい内容であった。途中で走らされるし。犬を飼うと自分も健康になるかもしれない(世話は大変)。ひとつ気になったことは、道中喉の渇いたわんこが坂道の縁を流れる水を飲んだことだ。坂の上には田んぼがあり、農薬や除草剤がその水に含まれているのではと考えたのだ。のほほんと綱を持っているだけでは飼い主にはなれないな。犬の世界にもKY(空気読めないではなく、危険予知)が必要みたいだ。終わったらわんこは小屋でおやすみ。
2008/04/13
実は昨日で会社を辞めた。只今無職。もうやってられるかーって、机の中をばっさばっさと片づけて、バーンと飛び出してきた。嫁さんは「別にいいよ」って言ってくれた。ありがとう。実は二人目ができたのだが、生活費はこれまでの蓄えがあるので何とかなるだろう。嫁さんの財テクも役に立つ。ま、今夜は先の事考えず、立山二級酒をきゅいきゅい常温で飲る。気にせんといてください、やまやろうは、ノー天気、お気楽極楽な性格ですから。実は今夜はエイプリルフール。なーんちゃって、ルパーン三世。でも、虚実入り交じっているよーん(ホントかよ)。
2008/04/01
午後から仕事の関係で、富山中心の施設に向かう。魚津からなら1時間ほどであるが、渋滞を見越して早めに出た。国道8号線、41号線は、それほど混雑はしておらず、目的の場所には予定時刻の40分前に着いた。が、すんなり駐車ができない。入り口には数台が待っている。その最後尾につく。時間があるからじっくり腰を落ち着ける。10分に一台くらいの間隔で車が出て行く。これならば大丈夫だろう。やまやろうの前に一台待つ状態が続く。時間は過ぎる。聴講会開始まで20分を切った。後ろの車はしびれを切らして列を離れていく。とても迷った。ここまで待って車列を離れるのが得策なのか、ぎりぎりまで粘るのがいいのか。残り5分を切ったら諦めて別のところに駐車することにした。5分前となった。と、駐車場に動きが見られる。一台、そしてもう一台が、ゲートにやってきた。間に合いそうだ。ぎりぎりまで待って正解であった。この感じは株価動向を見極めるデイトレーダーに似ている? 駐車しドアロックしたら、小走りで建物へ。予定時刻には間に合ったが、聴講会はすでに始まっていた。薄暗くなった会場内へ身体を滑らせる。必死にメモをとるが、途中でやめた。プレゼンがいまいちだ。入り口で渡された資料に記載されている文章と同じことを喋っている。ならば聞く必要がない。喋りもスムーズでなく、心が落ち着かなかった。途中聴講だったので30分で終わってしまった(プログラムでは1時間)。盛り上がりに欠ける内容だった。駐車待ちの方が長かった。すぐにエレベータで下り、駐車料金を精算。1時間未満だったので料金がかからなかった。まあ来て損はしなかった(資料はもらえた)。帰りの道中コーヒーを飲もうかと思ったが、それすらもったいなく感じられたのでやめた。自腹ゼロ。
2008/03/17
ここ2、3日、眠い(特に○事中)。コーヒーをぐびぐび飲んでも、しゃきっとしない。まぶたが垂れるほどではないが、頭がぼーっとしてしまう。春が近いからか。季節の変わり目を敏感に察知し、体調に変化をきたしているのかもしれない。それにしても気が早くないだろうか? まだ雪はたっぷりあるし、今週末も降る予報。思い当たるふしがある。この前の登山二日目の帰り、用水のコンクリートの隙間にフキノトウを見つけたのだ。まだ小さかったが、雪の中の黄緑色がまぶしかった。「春だねー」と同行者と言い合っていたが、これで春スイッチが入ったのだろう、間違いない。
2008/02/22
魚津は朝から晴れている。昨日雲の中だった僧ヶ岳は、雪がまぶしく輝く。一日違いだったらと思うと後悔しきり。自然相手だからどうにもならないが。嫁さんとむすこは実家にいるので、やまやろうは独りで過ごす。マリエ献血ルームに行き、いつもの成分献血。今回でちょうど50回目。昼から始めたので早く終わらせて欲しかった。ために感慨はない。成分献血のポイントカードがたまったので、景品を選べる。箱ティッシュにトイレットペーパーまでもらう。ドラッグストアで買い物した客みたいだ。下階の無印店内を歩いていたら「ありがとうございました!」と店員に言われてしまった。両手は荷物でいっぱいだが、何も買っていないよ。景品を入れた袋の中には、50回の記念品も入っていた。ガラスの杯である。色で献血回数が分かるのね。次は70回の有功賞だな。50回、長かった。学生時代に献血を始めたように記憶している。暇さえあれば新宿の献血ルームに行っていた。ここはドーナツが食べ放題。それが目的ではなく、山の店巡りのついでであった。やまやろうの血液で、何人の方が救われたのか。献血はちょっとしたことであるが、人の役に立ったかと思うと清々しい。
2008/02/11
朝、雪洞から出ると、下界の灯りがきらめく。視界はきいている。予定通りの時刻に出発。まずは三ツ倉山に向かう。林道をまたぎ若いブナ林に入る。最後の急登は激ラッセル。目の前の雪壁をストックで削り落とし、足場にしていく。ここは雪崩が気になり、ビーコンを付けた。急登が終わると、北側から雪まじりの強風が容赦なく吹き付ける。ヤッケのフードがたちまちパリパリになり、眼鏡の湿気も凍り付く。周囲は灰色で、雲の中にいることが分かる。第一目標の三ツ倉山には着いた。しかしこの風は厳しい。上部は樹木が減っていくので、僧ヶ岳まで風をまともに受け続けることになる。雪を掘ってツェルトをかぶり、30分ほど天候を見極めるが、回復しない。前日のようなラッセル速度だと、残りの高度差400メートルは3、4時間かかる。僧ヶ岳の山頂を踏んだとしたら、もう一泊しなければならない。潔く引き返す。下ってすぐに、風は弱まり青空も見える。うわー選択を誤ったかと思ったが、つかの間の回復。山は灰色の雲に覆われた。下界は晴れているのに下山とは、後ろ髪を引かれる。下降は楽である。雪洞でスープを飲んで休憩し、往路下山。昨日のトレースは消えている。慎重にルートを選定する。標高を下げるとトレースが残っていたので、もう安心。何も考えずひたすら重力に任せる。昼過ぎには林道に立つ。そこからは長い。ただただ歩くのみ。側壁からの雪崩に気を付けながら、危険地帯を通過。無事に帰ってくるのが、登山の最大の目的だろう。登頂はその次だ。しかしながら、僧ヶ岳に到達できると信じていたのに、果たせなかったのが残念だ。半月ほど時期を遅らせれば、雪も締まって歩きやすくなるか。このまま終わらせることなく、再挑戦したい。
2008/02/10
出掛ける事なく一日中、嫁さんの実家にいた。夜中に胃が痛くなり、朝まで悶えていたのだ。思い当たるのは、昨夜のご飯。正月とあってごっそが机上に並び、酒の勢いもありついつい食べ過ぎてしまったのだ。山行中、濡れた身体で行動し、体力が低下していたことも消化を悪くしたのだろう。布団をかぶって汗をかいたら回復した。風邪気味でもあったのだ。午後は食欲が出てきた。この調子なら、明日は家族で初詣ができるだろう。あり余る時間は、日記書きに充てる。年末年始の山行をノートに書き込む。細かい文字でびっちり3ページに渡った。日記は15才の正月から付けているから20年近くになろうとしている。一時期パソコンで付けたこともあったが、確実に残せて見たい時にすぐ見られる紙の日記に戻った。やまやろうは山行中によくメモを取るが、その行動の原点は日記にあるのだ。
2008/01/02
正月山行から10時に無事下山。警察署にヤマタンを返却、共同装備の片付け、食料の会計を済ませて解散。 ウチで昼飯、入浴、洗濯、年賀状チェックなどを済ませて、嫁さんとむすこの待つ実家へ。 部屋に入ると、むすこがトコトコトコーと歩み寄ってきて、やまやろうにピターと抱きついてきた。しばらく離れない。 「おとう、どこ行ってたんだよ!」と態度で示しているかのようだ。いとおしくてムギューと抱きしめる。 山行の内容については追々書き込むことにしよう。
2008/01/01
学生時代の友人から、手紙が来た。といっても自分の会社のダイレクトメールだ。自筆で挨拶文がしたためてある。読んでみる。「ブログ 見てます」とある。うわー何やら恥ずかしい。遠く離れていても、連絡を取り合っていなくても、思ってくれている人はいるのだ。去年の学園祭以来会ってないな。彼とは学生時代、ボケとツッコミのコンビであった(どっちがドッチ?)。講義も部活もいつも一緒であった。男同士でなかったら、間違いなく付き合っていたであろう、という位の間柄。学生時代の友人は、一生の友人という。そうね、そう思う。何年かぶりに会っても、昔と同じようにダラな会話ができるって、素晴らしいことだ。また飲みたいね。
2007/11/15
10年間使い続けたSEIKOのダイバーウォッチである。忘れもしない1997年10月20日、東京は新宿のさくらやウォッチ館にて購入。ポイントカード入会日だったから、数字が記憶されている。当時の日記を紐解くと、こうある(10年前の日記がちゃんと残っているんだよね)。eco-driveで6ヶ月でルミブライトで200m防水でチタンを探した。それに合致したものはあった。只どれにするかだ。値段も様々であるし。電池交換が不要かつエコロジーなソーラー駆動は必須条件。ルミブライトは暗闇で光る塗料で、夜中に時刻を確認する時便利。防水性は高いものが安心できる。チタンは肌に優しいし錆びない。総合的には「止まらず機能的なもの」を求めた。最終的にはふたつに絞った。ひとつは細腕のやまやろうには大きいのでパスした。残り(買った方)は在庫なし現物のみ。ベゼルのゼロの位置と文字盤のゼロの位置が、微妙にずれているのが気になった。また、7時の位置のドットに、わずかなかすれが見られた。長く使うのだから完璧な物が欲しい。これでいいのかと腕を組んで、ショーケースの前でとても長く(1時間)悩んでいた。隣には店員ベタ付き。今思えば、とっても迷惑な客だ。ベゼルがずれているから時計の全てが悪いわけではない。肝腎なのは時計の方なのだ。ということでお買いあげ。しかし、でも損な買い物したのは確かだ。これは電撃的にピピッと来たわけでもないし。と続けて書いており、納得、満足して手に入れたわけではないことが分かる。まあそういうものではあったが、肌身離さず付け続け、今では体の一部のようにしっくりとなじんでいる。壊れることなく、今でも正確に時を刻んでいる。秒針のずれはほとんどなく、2ヶ月に1回カレンダーの日付を調整する程度。10年も経てば写真の通りキズだらけだ。また、ロレックスやオメガなど、男なら一度は憧れる時計が欲しくなったことも二度三度。お金がなくてやめましたが(結婚指輪の代わりにちょっぴり期待していたところもあった!?)。ここまで使い続けたら、他の物にする気にならない。とことんまで愛用しようと心に決めた。次の10年、20年には、どういう姿になっているだろうか、楽しみである。
2007/10/19
富山県内、(天気予報が外れて)おおむね登山ができる天候であった。しかし今日は休養日にあて、山には行かなかった。身体がだやいこともある。沢遡行の片づけを済ませて、午前中にマリエとやまの献血ルームに向かう。いつもよりも人が多い。少々待たされてから成分献血へ。最近食生活に気を付けている。その甲斐あってか、血圧がこれまでの数値よりかなり下がっていた。それと関連あるかは不明であるが、血が薄くなっていると言われた。もう少し食べないとだめなのかしら。約1時間の採血中、1冊のタクトを2巡する。富山県情報満載の雑誌であるが、やまやろうの心の琴線に触れない記事ばかりですな(趣味が特殊だからなのだが…)。帰り道で、食堂に寄ってめしを食べる。好日にもふらりと寄って、中型ザックを物色する。心をぐっと捉える品はなかったな。往復に2時間かけ、ガソリン使ってまで血を抜かれに行く意味はあるのか?いやいや、どうでもいいことに血道を上げるのもまた人生。やまやろうの行為で、誰かが一人助かるのだと思えば、些細なことにも価値があるものだ。自身の健康管理にもなるしね。
2007/09/17
OKィ! 出張です。午後発夕方着。帰宅前に、新丸ビルができたということで寄ってみる。テナント名はカタカナばかりで何の店かサッパリ分からない。それに高級過ぎて、やまやろうの金銭感覚と乖離してますわ。 隣の丸ビルへ向かう。日本・チリ修好110周年記念事業として、本物のモアイ像が展示されている。懐かしいな、子供の頃親に連れられてモアイ展で見た以来か。 これは現地の人が昔の製法、運搬法でこしらえたようだ。当時のモアイには目玉があったことは知っていたが、背中に紋様(多分刺青)があるとは初めて知った。他の人も興味があるようで、正面より裏に人が集まっている。 丸ビル自体は、やはり高級過ぎてうちへの土産すら選べない。住む世界が違います。金がかかる場所だ東京は。
2007/09/11
ゴロゴロ、やまやろうと読む。同名タイトルのやまぶろぐは、二回目。昨夕から嫁さんの実家にお世話になっていた。夕食後は義父と差しで飲んでいて、負けた。半日、布団の上で過ごす。嫁さんとむすこは遊びに行ってた。何もしない休日もたまには良いだろう。
2007/09/02
義父のうちに、短期交換留学生が、やってきた!ベルギー人のお嬢さん二人!!義父は一日、日本の文化、自然を案内する役割を担う。やまやろうは通訳?として同行する。まあ、日中は国際交流員が英語でやりとりしてくれたので、大いに助かった。17時、国際交流員は帰られた。ここからは我々だけで対応、あれー義父がいない。テレビで夕食までの時間稼ぎ。夜は、津幡町の倶利伽藍不動尊へ。ここの万灯会(まんとうえ)での灯籠流しを見に来たのだ。鏡のような池に、無数の灯籠が静かに流れる。境内にはろうそくが灯され、蛇行や円形に配置される。読経や鈴の音が響き、この世のものとは思えない雰囲気である。見ているだけで涼しくなった。ベルギー嬢からは、一日でかなり英語がうまくなったと言われた。そうだよね、段々と慣れていくものなのだ。しかし、慣れた頃にお別れが来る。大変刺激的な忘れがたい夏の一日となった。
2007/08/15
嫁さんがFMとやまで聴いた曲を気に入り、アマゾンでCDを買った。それが今日届くとあって、気になる様子。朝ポストを見たら、別の物が入っていた。アマチュア無線の免許だ!合格だぁ!!知ってたけどさ。次は開局申請が必要。盆明けですかな。明日からやまやろうは、G会の夏合宿であります。天気は良さそうなので、山行&写真が大いに楽しみです。
2007/08/11
またもや魚津図書館の新刊。石原千秋著、「未来形の読書術」、ちくまプリマー新書。読者は、本をどういうふうに読めばよいのかを説明した本であるが、引用文が小難しいので、全体的に難しい印象を受ける(著者の文は、平易である)。厚みは薄いが、一回通読しただけでは理解するのに時間がかかり、すんなり頭に入って来ない。そんな中でも、やまやろうの心に留まる一文があった(著者の言いたいこと-主題文-からは、ずれている)。引用する。若いということは、いまの自分に満足していないということでなければならない。いまの自分に満足している若者は現実にへたり込んだ精神的な「老人」である。精神的な「若者」は、いつもいまの自分に不満を抱えている。だから、理想の自分へ「成長」しようともがくものである。日々の生活がマンネリ気味のやまやろうにとっては、がーんとショックな一文だ。今自分は、精神的に「老化進行中」なのかもしれない。心のどこかに「今のままでいいわ」という思いが、なくはなかったのである。実は不満だらけで、今のままでよいとは思っていないのだ。あきらめと投げやりが少々混ざっていて、本心ではない。どうすればよいのだろう。もっと自分に素直になればよいのか。何にでも挑戦して、興味のあることは、「どうせ何やっても同じ」と思わないで、まずはやってみることが大事なのだろう。やまやろうの身近な話題に当てはめると、kiss5の後にkiss7を買うのではなく、本格的に写真をやりたいのであれば、7sを買えということだな。悩んでいる暇があったら、買ってしまえ!でも、吝嗇ながで今のカメラを大事に使い続けます。著者の伝えたいことから、かなり飛躍した結論になっているが、それもまたアリ(本の読み方は、読者に委ねられている)なのである。
2007/08/02
すっかり読書づいたやまやろう。今日も退社後に魚津図書館に立ち寄る。まずは新刊コーナーを覗く。新鮮な情報を得たいもので。2冊手に取る。うち1冊は、空海に関する本。弘法大師空海!なつかしやこの響き。実はやまやろうは、学生時代、仏教にはまっていたことがある。特に、空海の真言密教に強く惹かれた。仏教関係の資料を耽読し、般若心経の意味を調べた(暗記はできなかった)。そして卒業前の春休み、自転車で四国八十八箇所巡りに行った!コースは、一番霊場からの順打ち。ガイドブックとツーリングマップを参考に寺を探し、読経と納経を行った。各寺で必ず写真を撮っていたのは、カメラ好きの片鱗か(APSだけど)。連日雨で巡礼はまさに苦行であった。そしてジーンズでロードレーサーをこぐか普通。あの時はちょっと頭がおかしかったから、格好を気にすることはなかったのだ。でも、一本しかないジーンズを履き続けていたので、自分でも臭いが気になったぞ。途中、24番札所の最御崎寺で、フリーライターの取材を受けた。何のために霊場を巡るかなど、夜中まで語り通した。後にそれはアエラの特集となった。そうです、やまやろうは全国誌に名前が出たことがあるがです(高橋尚子が表紙の号)。自転車にテントを積んでいたので基本はキャンプ。でも連日の雨で毎日というわけにはいかなかった。飯は、昼に讃岐うどん、夜に袋ラーメン。毎日讃岐うどん以外ろくなものを食べていなかったので、栄養不足となり、足がむくんでしまった。そういう時はみかんを食べた。エネルギー源としてうどんを食べていたつもりであったが、うどんにはグルテン(タンパク質)が含まれているんだよね。自転車をこいで1週間経たないうちに太股がむきむきになった(実話)。8日間で43番札所の明石寺までたどり着く。ほぼ半分というところで、心が揺らいだ。公衆電話での実家への定期更新時に、友人からの連絡が入っていたと知る。卒業式も近かったし、帰ることにした。また自転車で巡ることを約束して。あれから数年経つが、まだ巡礼を果たしていない。後半が白い納経帳を大事に保存しているので、歳を重ねたとしても、いつかは、必ず巡りたい。
2007/08/01
またもや一夜(精確にいうと帰宅してから風呂に入るまでの間)にして、一冊を読破してしまった。石田衣良著、『てのひらの迷路』、講談社。雑誌に毎月掲載された、原稿用紙10枚分のショートショート、それが2年分で24編。短編は、どこからでも読めるから、気軽である。手透きの時間にちょっとだけ読み進められるので、挫折することが少ない。今回は短い文、一編一編に集中でき、一気に頁が進んだ。気付いたら読み終わっていた。それだけ面白かったのである。石田衣良は初めて読んだ。テレビのインタビューを見たことがあり、とっつきやすそうな人に感じられた。文章も、同じようにとっつきやすく、すいすいと頭に入りイメージ化しやすかった。実はやまやろうは、石田衣良と同じ行政地区に住んでいた。地元のタウン誌にコラムを寄せていたのは、有名になる前か、有名になった直後だと思う。そんな時期から名を知っていたことで親近感を覚え、作品に入りやすかったのかなとも。さて中身は、心にぐっと来るもの、思わずニヤリとしてしまうもの、空想をめぐらせてしまうものなどさまざま。一人の作家が、ファンタジー、私小説、エッセー風など多くのジャンルをかき分けられることに関心してしまう。エッチな内容が多いことは、見た目とは裏腹で面白い。読んで思ったのは、ショートショートは題材がいろいろあって面白いのだから、やまぶろぐも、山にこだわらなくていいのではないかということ。ブログで紹介できる登山情報はたかが知れているし、詳しい事を知りたかったらガイド本を読めばいいのだ(やまぶろぐ全否定)。ただ、ガイド本にはない、新鮮でマニアックなネタを揃えているので、差別化がはかれるのではないかと思っている。今では登山ネタ以上に熱心なむすこネタは、子供の成長を比べたい同じ年頃の親御さんに向けた、かなり限定的な情報となっているが、周りにそういう子供の少ない現在では貴重なのではないか。価値のある情報源として(大概はお笑いネタにしかならないが)、これからもやまやろうは、ブログを更新し続ける次第であります。
2007/07/31
時間があると図書館に寄る。昨日がそう。たいていは3、4冊を一度に借りる。写真がいっぱいのパラパラと読めるもの、興味のある自然科学系、そして読んだことのないジャンル。この三本立てが多いか。文字ばかりでは、読む前からあきらめてしまう。パラパラ系で本への関心を高め、自然科学系で活字に慣れ、準備ができたところで未知のジャンルへ挑む。一応、流れというかつながりを持っているのだ。一度ハマルと一気に読み進めることが多い。今日読了したものもそういう感じ。読むといっても速読で、内容は余り頭に入らないのであるが、何となくのイメージはつかめる。もしくは著者の言いたいこと一文など。読んでは忘れ、忘れては読みの繰り返しだ。頭の中は常に洗い流され、まっさらになっているのであるが、わずかではあるが、読んだ内容が頭に残ることがある。それが何回も何回も続き、鍾乳石のように長い年月をかけて、ひとつの形を作る。それがやまやろうの概念というか、考え方に昇華する。本の中身が自分の血肉となった瞬間だ。東 照二著、『言語学者が政治家を丸裸にする』、文藝春秋。小泉前首相と阿倍首相の違いを、使う言葉に着目して分析した本だ。対照的な2人の言葉を通し、聞き手を引きつける言葉遣いとはどういうものかが、よく分かった。「情報」的な言葉と「感情」的な言葉の使い分け(切り換え)が重要であるようで、これは会社でのプレゼンや商談での話し方にも応用できそうだ。
2007/07/30
家のADSLがつながらない。今夜なんて、一時間ほど待ったのではないか。モデムのランプが点灯して、消える。その繰り返し。パソコンを再起動しても症状は変わらない。以前はこんな不便はなかったのである。どこかの家と干渉しているだと思うが、NTTになんとかして欲しい。光なんて速度は要らない。途切れない、そこそこの速さのインターネットが使えるようになれば良い。高望みはしていない。待ち時間は、ノートに日記を書いたり、雑誌を読んだりして過ごしたので、むすこが寝た後の貴重な自由時間をムダにすることはなかったのが、せめてもの救い。でも、肩が凝った。
2007/07/19
行こう行こうと思っていた献血に、ようやく向かった。なんと今回は、嫁さんも初挑戦してみたいということで、2つの血液型を提供することになった。午後から、マリエとやまへ。信号手前から立体駐車場待ちの車列ができる。動きはあるので、しばし待てば駐車場に入れた。献血は2人同時にはできない。暴れん坊が同行しているのだ。採血時間の短い嫁さんが先に検査し、その間は待合いルームでむすこと大人しくしている。インターネットができるので、やまやろうのホームページを見てみたら、カウンターが「77776」であった。惜しい! 自分で切り番ゲットするところであった。抹茶オレを飲んで待っていたら、嫁さんがやってきた。体重50kg以下は、全血200mlまでしか採血できないのだそうだ。400mlしようとやる気満々であった嫁さんは、少し拍子抜けしていた。だいぶ待たされて、やまやろうが検査に入る。うを!女医だよ、しかも若くてキレイ。今までは男性の医者ばかりで、しかも大丈夫?と思うくらいよろけている方もいたりして。それがガラリと変わったのだ。血圧が高めになりましたわ。やまやろうは慣れたもので成分献血。タクトを2冊見たら終了。全血と成分献血では、もらえる粗品に差があるみたいだ。嫁さんはボールペン1本であったが、やまやろうは今回の分とスタンプが満たされた分2回の粗品がもらえた。4種類の中から選べるのだが、洗剤にした。ウチはこの先、洗剤を買わなくてもよくなるかもしれない。嫁さんは、全血200mlしかできないということならば、半年か一年に一回でいいわと言っていた。そうねー2人同時に成分は無理でしょう。託児所があるなら別であるが。まあその分、やまやろうが足繁く通えばよいでしょう。
2007/07/14
嫁さんが、日記を書き始めた。NHKの「スタジオパークからこんにちは」今日のゲスト石田衣良の影響である。なんでも、若い頃から日記を書いていて、それが今の小説家としての土台になったようである。日記を書いて小説家になれるのであれば、やまやろうはとっくになっているぞ!と嫁さんに言ってみた(嫁さんは、何を目指すの?)。やまやろうは、中三の元日から日記を書き始めた。当初は数行の他愛もない文章であった。書き付けるものも、もらいもののシステム手帳であるとか(大概使いにくいサイズ)、そこらにあったノートとかであったが、次第に普通の大学ノートに収束していった。現在、65冊目。一日の出来事を簡潔にまとめている。嫁さんの料理も毎夜記録している。写真家の荒木経惟が、自身の食べた料理を毎日写真に撮っていると知り、書いてみようと思った次第。筆記具は、鉛筆からボールペン、万年筆にステップアップ。やはり物書きには万年筆でしょうというミーハーな考え。万年筆は、履歴書用の安物から始まり、国産のパイロットを経て、舶来のパーカーに到る。学生時代に偉く奮発して手に入れた一本だ。その思いによるものか、浮気することなく使い続けている。そして、やまやろうはどうなったか?小説家にはなっていないが、ブロガーにはなった。石田衣良と同じように、日記を書き続けることでその後の人生に役立った気はする。
2007/07/02
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