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二日前、懿徳天皇の時代の祭祀王は兄のオキソミミで、シキツヒコは祭祀王ではなく軍事王であったと訂正しましたが、2013年に学研から竹内氏が出した『正統竹内文書の謎』ではオキソミミが祭主代で、シキツヒコが祭祀王であったとしていますね。
それを『古事記の邪馬台国』で竹内氏が修正・訂正したことになるわけです。
つまり私が書いたことも間違っていたけど合っていた、ということになります。
でもどうしてそういうことになるかというと、一面においてはしょうがないわけです。
というのも竹内氏は12の長老家からそれぞれ口伝を継承するのですが、それぞれ皆違う口伝を竹内氏に伝授するからです。
『日本書紀』でも一書(第五)に曰くとか、次々と別の書が出てきますよね。
あれが常に12あると思えばいいわけです。
で、竹内氏の仕事の一つは、それらを全部聞いて覚えたうえで、審神者をして何が本当の歴史かを明らかにすることなんですね。
ですから竹内氏は最初のころ(2013年の『正統竹内文書の謎』まで)は神武天皇の即位年を西暦56年としていましたが、その後2017年の『古事記の邪馬台国』までには、第73世武内宿禰としてすべての口伝を勘案したうえで、最終的に西暦57年であると決断したわけですね。
ちょっと脱線しましたが、次からは孝昭天皇の時代の倭国大乱の有様を見てゆきましょう。
(続く)
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