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三人の桃太郎の活躍によりようやく吉備を平定した邪馬台国こと大和国は、九州から大和への東遷を図ろうとします。
西暦186年に即位した孝元天皇の時代です。
残る抵抗勢力は、東国の人たち、すなわちアラハバキ軍ということになります。
ここで思い出してもらいたいのは、『東日流外郡誌』では孝元天皇はアラハバキ系であったと書かれていることです。
「えっ!?」って思いますよね。なんでアラハバキ系なんだ、と。
断っておきますが、この件に関して竹内氏は何も言っていません。
ただ、「物部一族の方が竹内家 ( 当時は天皇家 ) に嫁いできた。その段階で出雲系と大和系(天皇系)の統合があった」とだけ書いてあります。
実はこれが非常に重要なポイントなんですね。
孝元天皇はアラハバキ系の王女を正妃に迎えたんです。
太田亮の『系図要綱』をよく見ると、浮かび上がってくるでしょ。
ナガスネヒコの妹ミカシキヤヒメの直系を孝元天皇は正妃に迎えるんです。
一種の政略的結婚です。
竹内氏はこれを「物部一族の方」と呼んでいるんですね。
間違いではありません。ミカシキヤヒメと政略結婚したのは、物部氏の祖であるニギハヤヒですからね。
そうすることによって、孝元天皇はアラハバキ系の抵抗勢力を懐柔したのではないかと私は思っています。
このことについては、もう少し詳しく語りましょう。
(続く)
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