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邪馬台国(大和国、倭国、日本国)が再び大和の地を奪還できたのには、二つの大きな理由があります。
一つは竹内氏が言っているように、女性が再び祭祀王になったことです。
孝元天皇の妹であるヤマトトトヒモモソヒメ(倭迹迹日百襲姫命)ですね。
第百代卑弥呼(日巫女あるいは日御子)です。
初期のころの卑弥呼はこちら。

スメルの女王プアビです。大英博物館に展示されているプアビ像を撮影したものです。
初代卑弥呼(日御子)かもしれませんよね。
女性が祭祀のトップに就くことによって、「全員の目的型組織になったから」吉備国に勝てたのだと竹内氏は言います。
女王が国を一致団結させたということですね。
もう一つの理由は、孝元天皇が正妃としてミカシキヤヒメの直系であるウツシコメを迎えたことです。
ミカシキヤヒメはナガスネヒコの妹ですから、当然徐福の直系ということになります。
これは大きいですよね。
まさにアラハバキ系と言えます。
ここまで理解している人は少ないです。
だから、「東日流外三郡誌」を書いた人はよくわかっているな、と思うわけです。
アラハバキ系が正妃になったわけですから、一種の政略結婚であったともいえるわけです。
東国の反乱も沈静化したはずです。
でもどういうわけか、竹内氏はそのことを書いていませんね。
昨日も書いたように、「物部の一族の方」が嫁に来たと書いています。
実はよく系図を見ると、二代続けてアラハバキ系が天皇家の正妃についています。
ウツシコメに次ぐ二人目がイカガシコメ。
孝元天皇の側室となり、武内宿禰の祖となったヒコフツオシノマコトを生んだだけでなく、次の開化天皇の正妃となり、崇神天皇をも生んでいます。
まさにアラハバキ王朝とも言える状態です。
もっとも厳密にいうと、徹底抗戦して東北に逃げたアビヒコとナガスネヒコが後にアラハバキ系になったのであって、和平派として大和国に残ったミカシキヤヒメとウマシマジはアラハバキ系とは言えませんね。
ただ広い意味で徐福系をアラハバキ系とみれば、確かに「東日流外三郡誌」がいうように、開化天皇や崇神天皇はアラハバキ系となるわけです。
( 続く )
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