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対面詩人 坂村真民 対面の不思議が わたしを生かしてきたといってもよい ああそれにしても 今日は何というありがたい日であろう 法隆寺夢殿の秘仏 救世観音さまと 一対一でだれにさまたげられることもなく こうして相対しているのだ おん顔よおん手よおん足よおん衣よあふれ出る思いが 光の渦となり 千三百年のへだたりをなくしてしまう 射し込む朝の光がおん頬を おん唇を 一層霊妙にする 塔の雀たちが 喜びを告げる そのなかにはいかるがもいるであろう ああ 二度とない人生での 今日のこの聖なる ときめきよ たかなりよ《好幹の感想》法隆寺は、西名阪から近くであるので、行きやすいのかたびたび行く機会がある。夢殿にもたびたび行くが、その中に祀られているのが観音様だとは知らずに過ごしてきた。一日でも多く一回でも多くときめきのある時間・楽しい時間をすごしたい。二度とない人生だから!今日もお越しいただきありがとうございました。素敵な人生でありますように!
January 31, 2005
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うつしよにほとけいまして詩人 坂村真民 うつしよにほとけいまして われをみちびき われをまもりたもううつせみのいのちを いまにいちるまで あらしめたもうちからよわきわれに うからをやしなわしめ いのちのひのかてを あたえたもうああ うつつのごとく ほとけいまして なみだながるる ひかりながるる 《好幹の感想》人間の力は小さなものである。私たちは何かに守られ、何か大きな力に生かされている。私の友人に、事故で下半身不随になった人がいるが、彼女はじこから立ち直った後からのほうが、私のような健常者より生き生きと生きておられる。私もがんばらねば。と思う。二度とない人生だから!今日もお越しいただきありがとうございました。素敵な人生でありますように!
January 30, 2005
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父の足跡牧師 山地明 寝たきりになった父親を、忙しい商売をしているある夫婦は懸命に看病しました。父親の好物のひとつは入浴でしたがそれが大変な仕事で夫婦で父の両脇を抱えて浴槽に入れてやるのです。ある冬の日仕事で帰宅が遅くなった夫婦は父親の浴槽を翌日に延ばそうと思いましたが、父親の顔を見るとそういうことも行かずこのときこそがんばらねばと、子どもにも手伝わせて父親の入浴を済ませました。父親の入浴が終わったとき小学生の子どもは「お父ちゃんは偉いなぁ。お父ちゃんがおじいちゃんみたいになったら僕が風呂に入れてあげる」といいました。 この夫婦の親孝行を見て育った子どもの心にやきつけられたそのよい感化は生涯消えることはないでしょう。《聖書の言葉》私がキリストにならうよう者であるように、あなた方も私にならうもの者になりなさい。コリント人への第一の手紙11の1《好幹の感想》私の子育てはどうだったであろうか。たぶん失敗したのではないだろうか。今からでもよい。よい感化を与えたい。二度とない人生だから!今日もお越しいただきありがとうございました。素敵な人生でありますように!
January 29, 2005
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高ぶりは滅びにさきだつ牧師 山地明 昔、イギリス海軍の舟が地中海を航行していたとき、海図に書かれていない小さいけれど危険な暗礁を発見し、早速、海軍本部に報告しました。本部は直ちに航行中の全船舶にその危険な場所を書き込むようにと指令しました。その後最初に危険海域を通りかかったのは熟練した老船長の船でした。老船長はその知らせを受けたとき「それは、変だ、そんな場所はありえない。私はもうこれまでその場所を何度も通っているのでよく知っている。何かの間違いだろう。」といいました。そして、自分の正しいことを証明しようと海図に書き込まれた危険海域をフルスピードで通りすぎるように命じました。ところが船はとがった岩にぶつかってさけ、とうとう沈んでしまったのです。老船長は海図に頼らず、自分の経験と知識を過信したためにこのような悲劇となったのです。《聖書の言葉》高ぶりは滅びにさきだち、誇る心は倒れにさきだつ 箴言16の18 《好幹の感想》自分の人生にはバックボーンが必要なのである。そこに宗教もそんざいするのであろう。人間の小さな計らいでどうなるものでもないことが多くあるのだ。、小さな計らいで人生を無駄にしないでおこう。二度とない人生だから!今日もお越しいただきありがとうございました。素敵な人生でありますように!
January 28, 2005
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努力と犠牲牧師 山地明 アフリカの聖者、デービット・リビングストンは貧しいスコットランド人の家庭に生まれました。(中略)彼は宣教者の精神を持っていました。彼の残りの生涯は暗黒大陸アフリカの人々のために犠牲としてささげられました。彼は天の父なる神に信頼し、どのような問題のときにも助けを求めて祈りました。(中略)彼は聖書を愛しました。彼の生涯の3年間の間に4回通読しました。彼の日記の最後にへブル人への手紙3の14の聖句が書かれていました。「もし最初の確信を、最後までしっかりと持ち続けるならば、私たちはキリストにあずかる者となるのである。」彼の生涯は人間の努力が神にささげられる時、人類の幸福のためにどんなに大きなことがなされるかということの生きた証です。《聖書の言葉》 すべてあなたの手のなしうることは力をつくしてなせ 伝道の書9の10《好幹の感想》一日を送っていく上で私たちはどのような価値判断を下しているのでしょうか?自分に都合がよい。好きか嫌いか、損か得か、それともこれらを超越した考えか?出来れば、これらを超越した考えで一日を送りたい。二度とない人生だから!今日もお越しいただきありがとうございました。素敵な人生でありますように!
January 25, 2005
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不安と平安牧師 山地明 以前朝日新聞社が全国的に調査した結果、日本人の八割の人々が日頃、何かに不安を感じていることがわかりました。自分の健康についての不安が一番多く、不慮の災害、家族のこと、暮らし向き、仕事や職場、戦争、心のよりどころのなさ、地域の付き合いや対人関係等々に不安を感じているとの結果が出ました。様々な原因による結果が不安がこうじてくると、不安神経症、いわゆるノイローゼになってしまいますが、最近はこのノイローゼが激増しています。(中略)人間には誰でも不安がありますが、問題は不安にいかに対処するかということです。《聖書の言葉》 事ごとに感謝をもって祈りと願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば……神の平安が、あなた方の心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。ピリピ人への手紙4の6・7 《好幹の感想》一日一日の積み重ねが、一年であり、一年一年の積み重ねが一生である。自分の一生を感謝のうちに暮らしたいものだ。今日の日を無駄にしないでおこう。二度とない人生だから!今日もお越しいただきありがとうございました。素敵な人生でありますように!
January 22, 2005
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罪の荷物牧師 山地明 紀元79年8月24日、イタリアのポンペイ市はひどい地震によって揺れ動きました。 地震の後まもなくべスビアス火山が爆発しました。市中にいた数千の人々はすぐ避難し、安全なところまで必死で走り続けました。しかし逃げ遅れて亡んでしまった人々も大勢いたのです。 ある人たちは貴重品をうずめるために留まりました。市中の混乱はだんだん激しくなり翌朝までに脱出しなければ危険であることは、はっきりしていました。(中略) これは危機の時代に生きる私たちに何と適切な教訓でしょう。(中略) キリストはこの運命の日に対して私たちに次のように警告しています。「あなたがたが、放縦や、泥酔や、世の煩いのために、思いがけないとき、その日がわなのようにあなた方を捕らえることのないように、よく注意していなさい。その日は地の全面に住むすべてのひとに臨むのであるから」(ルカ21章34・35節)罪という名の荷物に邪魔されないよう注意したいものです。聖書の言葉「イエスは言われた,『すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなた方を休ませてあげよう』」マタイによる福音書11の28《好幹の感想》 私たちは、法律を犯さなくても、心で色々な罪を作っている。あのひとがどうのこうの。世の中がどうのこうの。会社がどうのこうの。社会がどうのこうの。一つでも少なくして、一日を送りたい。二度とない人生だから!今日もお越しいただきありがとうございました。素敵な人生でありますように!
January 21, 2005
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他の聞けるところを聞かざるはなし赤根 祥道 学ぼうという謙虚な気持ちほど尊いものはない。(中略) 「人の聞かざるところを聞けることはありと雖も 他の聞けるところを聞かざるはなし」懐奘 朝、目を覚まして、あらゆる人々から、人生の教訓を学ぶ。夜、寝るとき、今日学んだ幸せにひたりきる。安らかな眠りにつつまれる。 人生は学ぶ幸せにみちみちている。虚心に心を開いて学ぶものが克つ。 《好幹の感想》 この虚心に中々なれないもので、俺が私がと言う我が心を占める。 この我があるがぎり学べるものも、向こうから逃げていく。 出きるだけ無我の一日を送りたいものである。二度とない人生だから!今日もお越しいただきありがとうございました。素敵な人生でありますように!
January 20, 2005
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阿字よりくれば生死も不生にもどる赤根 祥道 「うまるるも阿字よりくれば死とてももとの不生にもどりこそすれ」生れ落ちると、幼子は、にこにこと無心そのもので、何ものにもとらわれていない。それなのに、欲が芽生えると、心に垢がつきはじめる。大人になると欲の皮で全身がつつまれる。この欲をはがして、阿字よりきたという清浄の自覚を持てば一切不生で調うのだ。《好幹の感想》 欲や妬みで二度とない人生の大半を送る悲しい人々が多い。出来ない欲を出すのはよそう。妬みで一日を送るのはよそう。二度とない人生だから!今日もお越しいただきありがとうございました。すばらしき人生でありますように !
January 19, 2005
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一日赤根 祥道 「この一日の身命は、たうとぶべき身命なり一日をいたづらにつかうことなかれ。一生百歳のうちの一日は、ふたたびうることなからん」道元・『正法眼蔵髄聞記』 今日の一日は、もう再びはめぐってこない。山奥の湧き清水が細い水の流れを作り、大河となって大海に注ぐように、人の一生は墓穴に向かって一直線につき進んでいる。だからこそ、この一日の身命は、かけがえのないものになってくる。今ならなくて、いったいいつやるのだろうか。 今日もお越し頂き有難うございました。素敵な人生でありますように
January 18, 2005
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自分を愛すること女優 秋野暢子 日頃から「上手に死ぬために、よい生き方をしたい」と考えています。その背景には「後悔するような死に方だけはしたくない」という思いがあります。また、中学から高校と仏教系の学校で学び「もしかしたら来世というものもあるかもしれない。そうだとしたら、死とは、そこですべてが終わるのではなく、次へのステップなのだ」という意識を、自然と持つようになりました。 そんな考えが軸となって「ちゃんと死にたい」という気持ちが生まれ、だからこそ「よい生き方をしよう」と心がけてきました。(中略)生き方上手になるには、自分が幸せであることが基本だと思います。「自分が不幸な人は他人を恨み、他人の幸福を妬む。自分が幸せな人は、周りの人も幸せになって欲しいと願う。そういう人は、自分だけでなく、他人も幸せにできる。自分が幸せになるには、自分を愛することだ」 これは若い頃に、事務所の先輩であった竜雷太さんから教わった言葉です。 《好幹の感想》 自分で自分を愛する。いい言葉だと思う。自分の現状を嘆いたところで何も変わらない。まず、自分の現状を愛して、そして今日よりも明日を良くして行こうという意気込みで毎日を送りたい。二度とない人生だから!今日もお越しいただきありがとうございました。すばらしき人生でありますように
January 17, 2005
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生き方上手早稲田大学教授 加藤諦三 「なぜ自分は評価されないのだろう」と嘆いているだけでは、評価されないことへの不満が募るばかり。漫然と「評価されたい」とねがっているだけではなく、もっと明確な目的を探してみてはどうだろうか?「自分のアイデアを実現させてみたい」でもいいし、「昇進をして家族を喜ばせたい」でもいいだろう。そうすれば仕事への取り組み方が変わるだろうし、取り組み方が変われば、周囲の態度や自分に対する評価も好転していくはずである。 《好幹の感想》 不平不満は、大なり小なり誰にでもあることだ。それを自分の心の中でどう処理していくかで自分の人生が変わる。社会が悪いと思うのか、相手が悪いと思うのか、自分に至らぬところがあるのだと思うのか。思うのは、それぞれ勝手である。出来得る限り、自分で自分を自分しよう!二度とない人生だから!今日もお越しいただきありがとうございました。すばらしき人生でありますように
January 16, 2005
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めいめい持ちの心を捨てる赤根 祥道 人は能力のある人ほど「オレが…おれ…」と、自分の能力や仕事を誇って、自分を少しでも偉大な人物に見せようとする。 「人間は、このめいめい持ちがほしいんじゃものな。学問するものもそうなら、坐禅するものもそうである。このめいめい持ちであるならば、どれだけ高尚でも、どれだけ偉うても、それは何でもない」沢木興道 めいめい持ちの虚栄や虚飾を捨てることだ。背負いきれないほどの肩書きを名刺の裏に書き威張ってみても、めいめい持ちの我執の強さを天下に示しているだけで、誰も尊敬などしない。 人間として尊敬される人は、苦しみにあえぐ人々のために尽くすはらのある人なのだ。 《好幹の感想》沢木興道さんは、私の地元の出身者の禅宗の有名なお坊さんである。一生寺を持たず全国を回って膳の教えを広められ世に「宿無し興道」と言われた。我を出して一生を送ってそれで納得している人々が多い。何とむなしいことであろうか。人生無駄にしてはいけない。二度とない人生だから!今日もお越しいただきありがとうございました。すばらしき人生でありますように
January 15, 2005
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利他円満の妙位無上涅槃の極果なり/H3>赤根 祥道 「謹んで真実証を顕さば、すなわち是れ利他円満の妙位無上涅槃の極果なり」親鸞 人間には、何をやっても、すべて上手く行く人がいる。ついていると誰もが羨ましがる。しかし、目には見えないところで、ひたすら、他人の希望にそって、自分の力を尽くしているから、上手くいくのだ。利他の心をあふれさせて仕事をしていけば、道は大きく開けてくる。 《好幹の感想》 親鸞聖人が開かれた真宗高田派の本山が私の地元にある。私の家も宗門である。今親鸞聖人の恩に報いるための報恩講が7日7夜にわたって行われている。地元では「お七夜さん」といってこの期間に、一度は本山にお参りをする。利他共に発展していこうというのが大乗仏教の教えの極意である。利他共に向上しょう。二度とない人生だから二度とない人生だから!今日もお越しいただきありがとうございました。すばらしき人生でありますように
January 12, 2005
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今日とも知らず 明日とも知らず赤根 祥道 「我や先 人や先今日とも知らず明日とも知らず」蓮如 御文章 今日とも、明日とも知れない生命だ。尊い生命を使い果たすことが人生の喜びでなくてはならない。不完全燃焼の人生では悔いが残る。毎日精一杯完全燃焼することだ。 《好幹の感想》一瞬一瞬を完全燃焼する。私が今日まで心がけてきたことであるが、ほとんど不完全燃焼卯の日々である。完全燃焼の一日を心がけたい。二度とない人生だから!今日もお越しいただきありがとうございました。すばらしき人生でありますように
January 11, 2005
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羅針盤 牧師 山地 明 だいぶ前のことですが、ラジオのクイズ番組で「今、国会図書館にある蔵書を、一日一冊づつ読むとして、何年かかりますか。」クイズに出場していた芸能人たちはせいぜい二桁の年数を答えていたようでしたが、実は正解は一万年以上もかかるのです。しかし一万年かかっても読みきれないでしょう。なぜなら、一日に何百点と発行される図書がぞくぞくと追加されていくからです。(中略)情報過多時代と言われ、多様化社会と言われ手いる現在において私たちは、どうしとても何が人生にとって一番大切であるかをはっきりと考え、その基準に従って何事にも賢明に選択して大切なものを優先させてゆかなければなりません。《聖書の言葉》 「まず神の国と神の義とを求めなさい」 《好幹の感想》右へいくか左へいくか。すべては、自分の心が決めるのであるが、そこにしっかりとした羅針盤となるものを持たなくてはならないのである。二度とない人生だから!今日もお越しいただきありがとうございました。すばらしき人生でありますように
January 10, 2005
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仕事と余暇 牧師 山地 明 人生を本当に生き生きと過ごせる人は日々の仕事に意味を見出し、その中に投入できる人です。発明王のトーマス・エジソンはそのような人でした。はたらきすぎのエジソンを見て妻は「たまには休まないと身体をこわしますよ」と言いました。「どこに行けばいいのだ」「どこにでもあなたの行きたいところに行ってみたら」「それは大変良いことだ、じゃ早朝でかけることにしょう」翌朝妻は彼が実験室で一生懸命働いている姿を見たのです。「二つのもの……仕事と楽しみ……がはなればなれになるのではなく、私の生活の目標は、それを一つにすることです。私の天職も私の余暇もちょうど私の二つの目が一つのものをみるようになるのです。」というロバート・フロストの詩のような人生でありたいものです。《聖書の言葉》 「つとめて落ち着いた生活をし、自分の仕事に身を入れ、手ずから働きなさい」テサロニケ人への第一の手紙4の11 《好幹の感想》自分の仕事が天職だと思え、仕事も余暇のうちになれば大したものである。野球選手や歌手等は自分の余暇を仕事にしているからいいと思うが、それはそれで大変なことなのであろう。何事も自分の考えどおりになれるような運命を作りたいものである。今日もお越しいただきありがとうございました。すばらしき人生でありますように
January 9, 2005
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人 牧師 山地 明 世の中の「世」は竹の節と節との間をいう「節」と同じ語源から来ているそうです。節と節で区切られた一つの空間。世の中のことを世間というのも、間を特に強調した言い方なのでしょう。日本ほど間を大切にする国はありません。家の中では居間、茶の間が大切にされ、芸事では間のよしあしが問題にされます。気がきかなければ「間抜け」とどなられます。人のことを人間というのも日本独特の呼び方です。 人と人との間のつながり、結びつき、関係を意識しているので、わざわざ人間というのでしょう。《聖書のことは》 おのおの自分のことばかりでなく他人のことも考えなさい。 ピリピ人への手紙2の4 《好幹の感想》 人と人との結びつきを大切に今年一年がんばりたいものです。今日もお越しいただきありがとうございました。すばらしき人生でありますように
January 8, 2005
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水を器に映すが如くせよ赤根 祥道 人間にとって自分以外はすべて皆自分の師だと思えば、生涯学ぶ人生となる。 自分の貯えた知識にこだわらないで、無心に学ぶ人は伸びづつける。 教えを聞こうとする人は、身心を清浄にし、目耳を静粛にして、師の語るところを、一言も聞き漏らさないように、無心になって受け止めることだ。 ちょうど、水を一滴もこぼさずに、別の器に映しかえるように、自分の器を大きくして、何ものにもとらわれないですべてそのまま一言もこぼさず映しかえる心構えが欲しい。 《好幹の感想》 我々には、こだわる心があるからいいことを聞いても自分の血とし肉とできない。 あのひとはああだ、こうだというこだわりが自分にあるから、いいことも聞き逃してしまうのである。無でありたい。今日もお越しいただきありがとうございました。すばらしき人生でありますように
January 7, 2005
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山として入るべき無く世として避くるべきなし赤根 祥道 人間の、いたるところは、どこへ行っても、欲と欲がぶつかりあい、我執と我執が争いをやめない。「山として入るべき無く、世として避くるべき無し無法にものを化するを及ち名づけて宴となす」(宴……正しい法の座)『聖徳太子 維摩経義疏』 心安らかな天地は、山にも無く、世にも無い。あるのは、自分の心の中なのである。 貪らない心で、自分の心を満たす。とらわれない心で自分の心を磨く。その中に心安らかな天地があるのだ。 《好幹の感想》 とらわれない心 こだわらない心 広く広く もっと広く それが般若心経 空の心なり。と薬師寺の高田好胤氏は言われていた。とらわれず、偏らず。こだわらない心を磨きたいものだ。今日もお越しいただきありがとうございました。すばらしき人生でありますように
January 6, 2005
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徒衆は嬌奢に致すべからず赤根 祥道 人生をいろいろ飾り立てたいものだ。飾り立てて、嬌奢になると、これでも足りない、さらにその上を、と欲望はとどまることを知らなくなる。苦しさは、限りない欲望にふりまわされて起こるのだ。(中略)大木にまつわりついていく蔓のように、欲望の蔓が人間にまつわりついていくと、人間の生命に活力を失わしてしまう。やがては、からしてしまうのだ。 《好幹の感想》 人間には、誰にでも欲はある。欲が無ければ進歩も止まる。だが、この欲が時として、自分の背丈以上になり、欲で自分自身を滅ぼしてしまうのである。自分の力を知り、自分の力以上のことはしないことだ。今日もお越しいただきありがとうございました。すばらしき人生でありますように
January 5, 2005
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文字言句名聞利養に貧著せず赤根 祥道 誰にでも、貪る心はある。これをはこびらせると、醜悪になって、自滅の道を歩むことになる。 自分の心を絶えず点検して、貪る気持ちが顔を持ち上げてこないように、しっかりとふたをしておくことだ。文字言句、名聞利養から離れたところに真実の人生があるのだ。 《好幹の感想》 毎日毎日、自分に言い聞かせていたお坊さんが居たという。「おい!起きているか」「だまされるなよ!」何にだまされてはいけないのか。自分自身の心に騙されてはいけないのである。点検!点検という言葉が合わなければ、自分に反省!今日もお越しいただきありがとうございました。すばらしき人生でありますように
January 4, 2005
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今生は御主をひとりをたのみとせよ赤根 祥道 人は、独りで生きていくわけには行かない。人と人との縁を大事にして、よい縁を結ぶようお互いが努力していくことだ。そこに人生の幸せがあると言える。「今生は御主をひとりたのみまいらすれば、さむくもひだるくもなし。それも御主にこそよるべけれ」蓮如・御文章 人生の幸せの中でも、自分が「御主」(おんあるじ)と尊敬できる人生の大先輩をもつことができれば、これ以上のものはない。 一生懸命に働いていけば、人生の大先輩は、必ず善い縁を結んでくれる。危機が来ても必ず助け船を出してくれる。人生の財産は、自分が尊敬できる大先輩を持つことだ。 《好幹の感想》 「縁は奇なもの味なもの。山坂越えて野を越えて山葵や刺身のつまとなる。」という言葉があるが、人生の良縁は何処にでもある。それをものにするかしないかは、その人その人の器量である。今日もお越しいただきありがとうございました。すばらしき人生でありますように
January 3, 2005
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不安と平安 牧師 山地 明 以前朝日新聞社が全国的に調査した結果、日本人の8割の人々が日頃、何かに不安を感じていることがわかりました。自分の健康についての不安が一番多く、不慮の災害、家族のこと、暮らし向き、仕事や職場、戦争、心のよりどころのなさ、地域の付き合いや対人関係等々に不安を感じているとの結果がでました。様々な要因による不安がこうじてくると、不安神経症、いわゆるノイローゼになってしまいますが、最近はこのノイローゼが激増しています。(中略) 人間には誰でも不安がありますが、問題は、不安をいかに対処するかということです。《聖書の言葉》 事ごとに、感謝をもって祈りと願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば……神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあってまもるであろう。 ピリピ人への手紙4の6・7 《好幹の感想》 人は誰でも不安はある。不満もある。だから人間なのである。それらをどのように自分で解決していくかが分かれ目になるのである。その答えを親に求めるのか?友に求めるのか?自分の中で解決するのか?神・仏に求めるのか?解決できればいいのである。今日もお越しいただきありがとうございました。すばらしき人生でありますように
January 2, 2005
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あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願いします。今年もいい年でありますように
January 1, 2005
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