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何かをやろうとする時、 あるいはやめようとする時、 その行動がもたらす成果がどうであるかということよりも、人にどう思われるかを気にしてしまうことがあります。 実際、評価や「他人の目」は、強烈なモチベーションになることもあれば、決断を鈍らせる要因にもなり、やるべき時には一気にやってしまうのが重要です。 人は大抵、いつも自分のことしか考えていません。 『大きく考えることの魔術』(ダビッド・J・シュワルツ 実務教育出版)の中に、こんな話があります。 道行く人100人に、ランダムでいきなり質問し、 「今、何を考えていましたか?」 と時や場所、性別、年齢を変えて何度も聞いてみた結果は…。 なんと、90%以上の人が「自分のこと」を考えていたというのです。 確かに、日本の朝でも、全く同じ光景が見られるでしょう。例えば…。 「髪型を変えたけど、変化に気付いてもらえるだろうか」 「今日の遅刻、叱られないだろうか」 「昨日の失敗を笑われないだろうか」 「志望校に落ちて、バカだと思われないだろうか」 「今日のあのドラマを見るべきか」 などなど、ほとんどの人が「自分のこと」ばかり考えています。 つまり、これは裏を返せば「誰も人のことなど考えていない」ということ。要は、あなたが気にしていることの大半は、他人の関心事ではない、ということです。 「六次の隔たり」という法則があります。 これは、世界中で任意に2人を選び出したとき、知人の知人というような知り合いの連鎖の中で5人程度の仲介者によって間接的につながっているという考えです。 SNSの下地となる考え方です。 1997年にアメリカで創設されたSNSサイト「SixDegrees(6次の隔たり).com」は後に閉鎖されますが、それが2004年に開設された日本の「GREE」の名前の由来にもなっています。 実際の実験ではネブラスカ州オマハの住人160人を無作為に選び、 「同封した写真の人物はボストン在住の株式仲買人です。この顔と名前の人物をご存知でしたらその人の元へこの手紙をお送り下さい。この人を知らない場合は貴方の住所氏名を書き加えた上で、貴方の友人の中で知っていそうな人にこの手紙を送って下さい」 という文面の手紙をそれぞれ160人に送ったそうです。その結果42通が実際に届き、42通が届くまでに経た人数の平均は5.83人でした。 ということで、世間は多くて6人だと考えましょう。 人が自分のことをどう思っているか、も大事な時があります。 しかし、それよりも重要なのは何かを決断する時、自分が自分のことをどう思っているかです。 それがなけければ、情報を受け売りで処理し、決断をできない結果となります。 まず、決めること。 そして、周りが引き止めようと、チャレンジしてみましょう。 成功したり、何らかの結果を出したりすれば、その人は「そうなると思ってたよ」と必ず言ってくれます。 ということで、世間は6人です。 友達が言ったから 先輩が言ってたから ニュースで言ってたから 雑誌で読んだから やるのは他人ではなく、あなた本人だからです。 自分のために全力を尽くせる人が、人の役にも立てるのではいでしょうか?
2012.04.30
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よく貧乏勉強ができない成績が悪いという「状態」ばかりが取りざたされる。そして、その状態を見た誰かが「おい!ダメだろ」という。なんだそりゃ。そんなのは、対策でも教育でもなんでもない。調教だ。義務感で押し付けられたものは、教育ではなく調教だ。状態とは、何かをやった結果だ。だから、大事なのは「状態」に至った理由だ。そうなった理由と経緯にその人自身がいるのだから、本質的に重要?なのは、そうなってしまう思考回路だ。思考回路の追求と反省なくして、本質的な成長はない。同じ境遇に立って、越えなければいけないハードルが出てきたとき、また状態に対して物事を説いていかなければならない。それは、いわば「結果のモグラたたき」に過ぎない。きちんとした思考をしますことが第一だそうすれば、時間的労力や精神的劣等感から解放される。そして、その人にとって未来の見通しがつけることができる。それはその場の物的充足とは関係ない。 であるから、 心から笑って自分の人生を見つめるのであれば、停滞するわけがない。 本当の停滞は、状態ではなく思考だから。 時々、何かができない状態を嘆き続ける人がいる。語学ができない仕事で結果が出ない勉強ができない運動ができない本当にもったいない。何度もそうなったり、そう思ってしまう思考を見つめなければ、ま?た繰り返してしまう。だから、「まだ笑うことができる限り、彼はまだ成長する」とも言える。
2012.04.29
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気づかないうちに、何かに影響されていることがあると感じます。固定概念というのは怖いものですね。恐怖とは、何なのか。この頃、アランの幸福論が流行っているそうですが、私が以前に読んだのはアランの定義集(岩波文庫)です。アランの定義集には、恐怖の本質が書いてあります。 「恐怖の恐怖たるゆえんは、その人を完全に飲み込んでしまい、恐怖への自覚を奪ってしまうことだ」 つまり、「本当の恐怖とは、実は全く怖くない」ということです。 先日までしなくてはいけないということを、いつのまにか「ま、いっか」とやらなくなってしまうことが一番恐いということです。 将来の自分がひとり死んだと思ってもいいくらいです。 そういう恐怖はいつも優しく寛容で、まるで自分の好みの異性のような姿で 「それくらい、別にさぼっていいじゃない」 と魅力的に語りかけてくるものです。 それに答えて「そっか、まだいいよね」と誘いに乗ると、将来あるべき自分は弱っていきます。 そして、考えなくなります。「昔頑張って身に付けた知識」「去年は持っていた意欲」は失われていき、仕事や試験などにおいてそれに気付くわけです。 自分の安穏としていく日々に片足を突っ込みつつある時こそ、やるべきことを見つけ習慣化していく時期が始まると心得るべきです。 そして、小さな積み重ねが大きな結果となっていつの日か花咲きます。 「これまで目先だけの成功していたら、今日の努力はできなかった」 と考えられる日がきますね。
2012.04.28
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今日は、久しぶりに新卒で入社した会社の同期と飲んだ。ひとつひとつの言動に気を付けながら発言しようと思ったが、心が許されてしまい、飲みすぎてしまった。学生時代や新入社員時代に持っていた夢。原点に返るべきだと思いました。就職活動をする学生の中ではとにかく 「やりたいことがある」 ということを良く聞きます。 それがあれば「すごいね~」といわれ、なければ「私はだめかも」と思ってしまう。 私自身も学生時代に就職活動する際にこの「やりたいこと」にずいぶん悩まされました。 そしてずっと疑問に思ってきました。 しかし、 この「やりたいことって何でしょうか?」 その前に企業をきちんと定義しておく必要があると思います。 そもそも会社は何のために存在しているのでしょうか。 利益を上げるため お客様のため 社員を成長させるため などなどいろんな定義があると思いますが、 私は、 『社会の何かしらの課題や問題に取り組み解決すること』 だと考えます。 そもそもニーズがなければ会社の存在意義はありません。 そう考えると「やりたいこと」というのは意味を成さない言葉です。 それは取り組むための対象が不在だからです。 問題を解決するためには、当たり前ですが「相手」がいないとできません。 そう考えるとそもそもやりたいことなど存在ということになります。 学生や求職者の言うやりたいことを正しく言うならば 「してあげたいこと」 「自分を成長させ提供したいこと」 となります。 「やりたいこと」だけを前提として考えて仕事をすると独りよがりの仕事しかできません。 そして結局は言い訳をします。 この条件ならできたとか、自分がやりたいはこの仕事じゃないなとか。 そしてそれに見合わないならばやめるか、成長を諦めるというサイクルをとります。 その会社や商材を通してどういう「コト」が世のため人のためになるのかという視点はそこには一切ありません。 企業で何かを提供する場合には「モノ」ではなく「コト」に注目すべきです。 営業のバイブルといわれる「ホイラーの法則」では 「ステーキではなくしずるを売れ」 といった言葉で見事にこの「コト」への注意を喚起しています。 相手が欲している心理状態や物質的満足度を満たせということです。 そう考えると、「やりたいこと」はあくまでも自己満足で受身の世界です。 もちろん、このやりたいことがきちんと相手を踏まえたうえで話している人がいるのも事実です。 しかし、そうでない人間もたくさんいるということを知っておくべきです。 仕事は雇用されるかどうかという問題ではなくて、社会の中でどうお役に立ちたいかという観点で話されるべきです。 そうでない人間は、企業のブランドや規模に乗っかって 「俺の会社はこんなにすごいよ」 「俺の所属はこんなに大きなことをやっている」 「この広告は俺が手がけたんだ」 など といった独りよがりのことを話すようになります。 (私も以前はこちらでした、そして友人に諭されたりしました。ありがとう。) しかし、重要なことは 「こんな人に喜んでもらえた」 「こんな価値を生み出し、社会を良くした」 「このことができなくて人に喜んでもらえなかった」 という観点で仕事はなされるべきです。 就職活動をしている方であればそこから志望動機を捻出すべきです。 わたしはこんな社会の問題を解決したい。 そして、そのためにこんなことをやってきました、と。 そして、そのためには心からの同意が必要です。 こんなことをいうと、そんなに社会は甘くない。 という人もいますが 要は、自分が打ちひしがれて甘くないといいたいだけで、 そういう人はちょっとの失敗をしただけで、自分が新入社員や学生のときに 描いていた目標を諦め、思考が停止して、会社でただ与えられた「作業」をしているだけです。 こういう人の話は聞かないことです。 そして仕事は楽しい。 こんなことをして社会的に役立っているという充足感に満ちた人の話を聞くべきです。 就職活動においては巷でまかり通っている方法論でも、入社できます。 なぜなら企業は慢性的に人手不足だからです。 それは不景気だろうがなんだろうが関係ありません。 人材が充足しているのはブランド力のある企業だけです。 それ以外の中小企業は人が足りていない状態です。 しかし、仕事が何なのかということが認識されないまま就職活動をすると ブランドがある企業、知っている企業に流れます。 受かるのは学歴がよかったりいわゆる「見栄えがいい」人です。 よく行きたい会社ランキングなどが新聞に出ますが、 あれをよくよく調べると、広告費と比例した結果になります。 そして入社してからこの会社は自分にはあっていない、社会はこういうもんだと勝手に定義して、思考を停止して作業をし始めます。 会社を理由にする前に、自分の考えの不足を反省すべきです。 それだけの能力をあなたは持っているからです。 何のために自分は行動しているのかと考えるべきではないでしょうか。 新卒の就職希望者に話を聞くと、 「この書き方でうかったらしいよ」 「服装はこのほうがいいよ」 「自己PRはリーダー経験を言ったほうがいいよ」 などなど。 そんなことを考える前にきちんと 「仕事とは何かを考えるべきです」 賢いとは、多くのことを知っている人ではなく、大事なことを知っている人をいうのだ。 アイキュロス(古代ギリシア劇作家) 大事なことはその基盤となる考え方。 平たく言うと基礎や本質といったことです。 基礎なくして方法論は役に立ちません。 スポーツでも勉強でも何でもそうです。 まずはきちんと仕事が問題解決であると考え、自分がどう役に立とうかと考えるべきです。 内定のために就職活動をする人は、内定だけを得ます。 自分の役割を社会の中で認識し、総合的に考えて自分の道を決める人は 自分のプレゼンスを家庭・社会・会社の中でどう生きていくかを考えるため、自分の決断に迷いはありません。後に迷ったとしても際立った一本の動機があるのでぶれません。 どちらがいいかは明確です。 頑張ります!!
2012.04.27
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書店などに行くと 「夢を持て」 「目標を持て」 「生きる意義を持て」 このような本をたくさん見ますね。 これは、本屋だけでなくTVなどのメディアでもよく取り上げられる言葉です。 スポーツ選手になるという夢 トップ営業マンになるという目標 幸せな家庭生活を送りたい!! 未来を描き、それを「達成する」ことに皆、躍起になります。 一方で、明るい未来を描き、それを達成した人を見て 「あいつはすごいからな・・・・」 「あの人と私はちがう・・・・」 「私には無理、あんな努力できない・・・・」 そんなことを思う人は世の中に腐るほどいます。 何かを手に入れた人、成功した人は、もちろん人並みならぬ努力をしています。 大きな夢や、目標を持つ。 その効用は単に、対象として追いかけるものをさがすということだけではなく、 より重要なのは 「目標や目的、または夢を設定することで、思考の枠組みを拡大するということ」「他人の尺度で行動しなくなる」 ということです。 そうでなければ、その人固有の最大限の努力ができません。 思考の枠組みと、自分の心から同意した目標をを設定できなければ、努力の幅は狭くなり、時間がたつにつれあれもやらなくてはいけない これもやらなくてはいけない という結果に至ります。 また、他人に目標を設定されたならば、あの人に怒られないだろうかあの人に褒められるだろうかなどの尺度を付与してしまう可能性があります。サッカー日本代表の本田圭佑はレアルマドリードに入ることを目的としているからこそ 評価されるためのシュート力 フィジカルの鍛錬 ブレ球シュートなどの新技術の研究 などの発想が生まれたはずです。 そして、それは誰にも強制されることはありません。Jリーグのみを目標にしていれば、発想は限定され、努力の枠組みはより狭くなり、他人に依存した目標を設定してしまいます。なぜなら、自分の目標との差で、物事を判断できなくなるからです。 こう考えると 目標や夢、目的を設定するとは思考の枠組みを設定し、そして、はじめて考える行為・努力が必要になるわけです。 大きな枠で考えるからこそ、新たな発想や他人とは違う「努力の幅」が生まれるわけです。 将来を明るく描き、最大限大きな枠で、他人に依存せず、考えて生きていきたいものですね。
2012.04.26
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人生には無駄な時間が何種類かあると思います。 私が自分でもよく無駄だと感じるのは、「失敗で失う時間」よりも 「決断するまでに費やす時間」です。 「事前に完全な見通しが立つなら、決断力など不要である。恐れるべきは、見通しが不完全であることより、決断が遅いことである」 という言葉があります。 完璧ではない現状を、未来の目標に近づけるためにこそ、人は決断するからです。 つまり、決断しなくてよいような状況は、取るに足りないものだ、 ということですね。 状況は、待っていても、自分の願うように勝手に整ってくれるものではありません。 むしろ、その逆でしょう。 だから、そうならないように、自分が望むように進展させるべく、決断が必要なわけです。 見通しとは、 「立つもの」ではなく「立てるもの」 そうだと分かれば毎日はどれだけ、建設的で積極的な決断に満ちることでしょう。 決断とは、 「リスクがないこと」によって下されるのではなく、「リスクを引き受けてもよい」と判断した時に下されるものです。 ダラダラ決めたり、やっとのことで決めたりしていては、収穫に対して自信を持つことはできません。 素早く、積極的に決めるのが自信の秘訣です。 今日からは、どう考えても「良い」と思うことは、クヨクヨ迷わず、 「よし!」 と即決することが見通しを立てる大前提ですね。 消えない意欲は、即決から生まれるわけですね。
2012.04.25
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以前、派遣社員の教育係をやりました。仕事に対して前向きな方も多い中、私の担当した人はとにかく文句ばかりでした。何をやっても、だるい。こうすれば私楽ですよね?なんで、こんなめんどくさい仕事してるんですか?何回も、殴りそうになりました。が、常に無言でやることをやりぬけました。この頃、思うことがあります。何かを示す時に、どう伝えればいいか、どうやったら伝わるか。要は、方法論ばかり考えていても何も始まりません。人が心を動かすのはここまでやってくれるのかこの人なら間違えないと自分との対話で確認するからです。そうであるならば、どう伝えるかは2次的な話です。以前、こんな話を聞いたことがあります。ある時、ある映画監督が新作を撮影することになった。主演を誰にするかは決めていないが、新作ではラーメンを食べるシーンがあるため、監督は二人の俳優に声をかけ、「ラーメンをおいしそうに食べた方を主演に抜擢する」と伝えた。撮影は二日後。その時、おいしそうに食べた方が主演の座を勝ち取る。二人はそれぞれの受け止め方で監督の要望を理解し、早速、準備に取り掛かった。一人は、審査内容を知るやいなや、すぐにラーメン屋に駆け込み、ラーメンの食べ方を練習することにした。目つき麺のすすり方照明の当て方箸の使い方器の持ち方食後の満腹そうな表情など、それは経験豊富な俳優の名に恥じない熱心な練習ぶりで、誰もが「おいしそうに見えるよ」と言ってくれた。彼は何度か同じような練習を繰り返し、鮮明な成功のイメージを持って当日を迎えた。さてもう一人は。。。。審査内容を聞いてから、撮影の瞬間まで何をしたか。彼は断食をしたのである。別に、これといった対策を練ることも、練習を行うこともせず、ただ、何も食べずに当日を迎えた。勝負の時が来た。練習を重ねた俳優の食べ方も、名演技と呼べるものであったが、二日の断食を経て当日の撮影を迎えた俳優にとって、目の前のラーメンは、ラーメンである以前に食べ物であった。それも、命をつなぐための有り難い食事であった。人工的に演出した空腹感と、飢えにも近い本物の空腹感とでは、到底勝負にならなかった。頭で作り出した「おいしそうな食べ方」と、心の底から生まれた「おいしそうな食べ方」を比べた後、監督は断食をして撮影を終えた俳優に「君に主演を任せよう」と言った。たったこれだけの話。ちなみに、断食をして撮影に臨んだ俳優が高倉健であることはよく知られていますね。教育や情報収集において、世の中は「何を言っているか」は大事ではないと考えます。なぜなら、いつも見られているのは「誰が言っているか、どんな人が言っているか」だからです。私は、シンプルな言葉でも相手を集中させるだけの行動や姿を備えていきたいと思います。企業経営の世界でも、立派なことを言うコンサルタントや、計算や理屈だけにはやたらと強い「貧乏社長」がいますが、誰もそんな人の正論は聞きません。頭で分かっているだけの状態など、誰も認めないからです。経営の世界は「結果論」で、残した結果が全てです。いくらやる前に意気込んでいようが、立派な正論を吐こうが、結果が出せない人間の「動機論」など、誰も相手にしないものです。ですから、もちろん基礎知識や、技巧も必要です。しかし、その基盤となる人間性がなければ、宝の持ち腐れになってしまいます。どうすれば、営業ができるようになるんですか?どうすれば、いい人材になれるんですか?どうすれば、相手の心を動かせるんですかね?そんなものは、ないと思います。いい言葉ばかりを並べられる人間になるのではなくやろうと思って、やった続ければできるようになる目標達成に向けて頑張る毎日の積み重ねそんなシンプルな言葉が、様になる。そんな人間になりたいものですね。方法論は、そのあとです。
2012.04.24
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自分の言葉で言いなさい。 自分の言葉で表現しなさい。 自分の言葉で伝えなさい。 本当に言及されるべきは、それに至った動機と工夫であり、そこを追求しなければ、何度言及しても無意味です。そんなことは、よく言われます。 でも「自分の言葉」って何かと聞かれて、本質をついた回答が出てこなければ理解していないと同じです。自分の言葉って個性的な言葉? ただ奇抜なだけでは意味がないし、学力不足じゃないかと疑われる可能性が高いですね。 よく使う言葉? 仲間内で通じる言葉を使ってみたところで、相手が首をひねるのは、よくあることです。 知的な言葉? 一時的に知的に振舞おうとしても、繰り出す言葉の組み合わせでばれてしまいます。 はてさて「自分の言葉」って、何なのでしょう? 私は、 「自分一人で責任が取れ、他人に確認せず、言い直さなくてよい言葉」 だと思っています。 だから、反応が速いだけなど無意味だと思っています。返答の反応を速めるのは、それ以前の思考と物事の受け止め方の問題です。言葉は数うちゃあたるはそれこそ通用しません。この頃思うのは、結果を責められてもどうしようもないということです。なぜなら、動機と工夫にこそ個性が表れ、個人の人間を表すからです。ですから、動機と工夫への理解なしに、コミュニケートするのは相手を無視しているのと同じです。重要なのは、言うに当たって完全な同意をもって繰り出し、言った後に何を言われようが言い訳せず、自分が発した発言を貫けるということです。 例えば、あなたが面接や会社で 「私は地場企業を応援して地域経済を活性化させたい!!」 と語ったとしましょう。 それを聞いた上司や面接官が、「ほぉ…。きついよ。経済活性化どころか、利益を増やすだけでも相当な経験とスキルがいるよ。それでもいいんだね?」 と答えたとします。 その時に、 「はい!」 とすぐに言い切れれば、それは「自分の言葉」です。 反対に、 「いえ…まあ、きつくない仕事がいいです」 と言ったり思ったり、 会議後に 「先輩~、あんまりいい反応じゃありませんでしたよ~」 と愚痴を言いに言ったり、 面接であれば友達に 「あれって圧迫じゃない?圧迫!」 とか言っていたら、それは借り物の言葉です。 松井証券の松井道夫社長という方がいらっしゃいます。 弱小だった会社を新サービスで、信用取引の分野だけではあるものの、巨人・野村證券を追い抜いた方です。 そのときの話を聞いたことがあります。 かなりの過激発言の方です。 松井さんが著した「かねよりもだ」(KKベストセラーズ)という本があります。本の帯には「かね政治家とかね経営者は地獄に堕ちろ!」と書いてあります。 「この本は俺は読まないだろうな」と思っていましたが、知人に勧められ読みました。 かねよりもだ これは、 「かね」よりも「だ」 という文節に分けられます。 もう少しわかりやすくすると 「~かね?」よりも「~だ」 ということです。 本書の中では人間を「かね人種」と「だ人種」に分けています。 「かね人種」とは、 「これって○○じゃない?」とか 「これ、○○かね?」と 他人に確認しないと意見を持てない人種のこと。 反対に「だ人種」とは、 「これは○○だ」、 「私は○○だ」と 断言し、自分の意見に責任を持って語る人種のことです。 皆さんは日頃、自分の言葉で生きていますか? あるいは、誰かに判定してもらい、決めてもらいたがる生活をしているでしょうか? 人から何かアドバイスをもらったときは一時的に元気になります。 しかし、結局は自分の責任で結果を出し、言葉を練り上げ、行動しなければ無為です。 「自分で考え、決断し、それでやってるんだ!!」 と思えて初めて、実力というものが発揮されます。 よく 「自信がないんです」 ということを言われます。 自信を手に入れる術はひとつです。 何かやろうと決めて、一切弁解せず、できるまでやり抜けばいいだけです。 そうして行動した自分を振り返って、改めて確信できた自分固有の哲学が生まれ、「自分の言葉」になり、他人の誘惑や中傷にさらされても、断固として自分を貫ける根拠となっていきます。 そこに個性が表れます。 以前、教わった言葉に 成功の理由は単純、失敗の理由は複雑 という言葉があります。 成功の理由はいつでも 「やろうと思って、やった」 です。 しかし、それとは反対に「失敗」の理由はいつも複雑です。 環境や他人、あるいは自分の状態、外的要因など、何かの責任にして自分を守らねばならなくなるからです。 自分で決断し、行動し、目標を成し遂げたいですね。
2012.04.23
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自分の発言に自信がもてない知識がないのではないかとしり込みする自分の意見は相手に受け入れられるかどうか臆病になってしまう そして、「わたしは発言ができない、聞いているだけの受身の人間です」という人は、多いです。 しかし、「受身」はそんなに悪いことなのでしょうか? 言葉がたどたどしいことや、ボキャブラリーが少ないこと、ビジネス用語を知らないことなどは、経験を重ねることによって自然と身についていくものです。要は郷に入っては郷に自然と従うようになるということです。 しかし、「感受性」というものは、勉強や意識的に努力するだけでは向上させることが非常に困難です。 というよりも、正しい感受性があってのみ、正しい発信があるのだと私は思います。 受身はよくない!!積極的な発言や主張がいいんだ!!などという人もいます。しかし、それは正しい「受けとめ方」があって初めて発信できるものです。ですので、「受身」はそれほど悪いことではありません。 現に売れている営業は、まず相手の状況を「聞く」ことに終始します。そして、そこから出てきた課題や問題点に対してできる「財・サービスの提供」の基本なのではないでしょうか? 正しい受身ができていない人は、総じて正しい発信はできていません。 人が相手の印象を決める要素は、「どれだけ強い思いを伝えてくれたか」ではなく「自分をどれだけ真剣に受け止めてくれたか」です。本当は、体を張って相手の思いを受け止める姿勢全てが、人の印象に残るわけです。 上がり症でも口下手でも言葉がシンプルでも心からの思いを誠実に表現してくれる人の話は、右から左へ受け流しながら話を聞いている人と比べても、何倍も胸を打つものです。 ですから、今自分を「受身」だと思っている人は、ぜひ受身の姿勢に自信を持ち、どうせやるなら、徹底的に受け止められる自分を目指してはいかがでしょうか。 将来像を考える際においても、現状を受け止め、今後迎える将来を創造する際に、一度もネガティブならずポジティブ全快で考えている人がいるとするならば、ただの楽天家です。 へこんだり暗くなったりするのは当然のことだと思います。 挫折や失敗などに直面することが問題ではありません。 挫折や失敗から立ち上がらないことが問題なだけです。 ですから、自分の課題を真剣に受け止め、どう生きるべきか、何をなすべきかを悩みながらも考え続け、そこからふつふつと湧き上がる冷静な積極性を維持することのほうが、よっぽど建設的です。 受け止めるべきものを無視し、もしくは気づかずにそれで笑っていても、それは本当の実力ではありません。 反対に、受け止めるべき課題や思いを受け止め、自分の将来へ向かって最大限の努力をすること。それこそ強さの証明なのですから、自信を持って歩んでいくべきです。よく受け止められる人が、よく発信できるものです。長期的に見れば笑顔になれるものです。 喜劇王チャップリンは1歳の時に両親が離婚、父はアルコール依存症で亡くなり、母も精神病にかかったため、孤児院で暮らす日々が続いたそうです。 そして、生活費を稼ぐためにミュージック・ホールでパントマイムを始め、 10歳の時には、プロのダンス集団の一座に入り腕を磨いていったそうです その後、彼はこう言っています。 人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である。 何事からも目を逸らさず、両足を踏ん張ってしっかりと受け止められるようになれば、受身の積極性を生み出すことができます。そして、物事を肯定的に捉えられるように思います。「何かいい出来事ないかな」と考えるのではなく、「どんな出来事でもいいと思える考え方」を育むことが重要です。起きたこと全てに良い意味を与えられる人の方が伸びます。 トーマス・エジソンは電球を発明するまで700回以上の実験を繰り返しました。 ある記者が 「あなたは、700回近く失敗したそうですね?」 とたずねましたが、 エジソンは 「失敗なんかしちゃいない。うまくいかない方法を700通り見つけただけだ。」 エジソンは実験がうまくいかなかった「コト」がどのような価値を持つか。きちんと受け止めていたということです。その後、同じことでつまづくことはないということです。なぜなら一度経験しているからですね。物事に良し悪しなんてありません、良いか悪いか判断する人間がいるだけです。そのことをどう受け止めて建設的に考えていけるかです。 「自己主張」よりもまず健全な「受身」を優先し、今一度、日頃の自分の受け止め方を見つめ直してみても成長の足がかりになるのではないでしょうか?
2012.04.22
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久しぶりの飛び込み営業を経て、改めて思ったのは経験するほど、謙虚になることの重要さです。私は、2年前から日記を書き始めました。私に最初にあった能力といえば、「話を聞く能力」と「新しいことに着手してみる能力」だけです。そこに、「続ける能力」を付加するため、情報を仕入れ、外に向けて発信してきました。よく、そんなにできるね?寝てんの?読むの速いね。とか言われることもあります。しかし、私なんかより、もっと早くて正確で本質的なOUTPUTができる人間なんて、地球上には星のようにいます。強いて言うならば、そういう友人や先輩などと直接、また教材などを通して出会えたことが私にとっては財産であり、切磋琢磨できる人々を意識できることは何よりも欠けがいのないものです。何か目に見える能力が得る何かをできるようになるいわゆる、何かしらの能力があると判断される場合習慣や考え方の視点が好転した結果であり、本質的成長の副産物ではないかと思います。私の場合は日常的に、メモをとったり、手帳に書いたり気に入った言葉を携帯に入れたりしています。ブログを書くときはそれを写して、相手に伝わるようにカスタマイズするだけです。こんな偉そうなことを言っていますけど、最初始めた時は、本当に「だるいな~」「面倒くさいな~」「飲み行きたいな~」という感想しかありませんでした。しかし、最初の一週間の目標を「続けること」においた結果、こんな気づきがありました。 1日目←めんどくさい2日目←ちょっとめんどくさい3日目~7日目←めんどくさいけど、根性8日目~10日目←めんどくさくなくなる11日目~20日目←続けるのが苦ではなくなる20日目~30日目←続けていること自体が楽しくなる30日目~50日目←やめるのが嫌になる50日目~100日目←習慣になり、意識しなくても続けている 要は、自分が掲げた目標をクリアしたという成功体験があれば、そのあとはやめない限り、自分の目標を引き上げることができるということです。その過程で、「ようやるね~」と言われることもあります。その時は、他人からの評価を自覚しつつ、さらに続けていくことが大事だと考えます。時々、「そんなにやって大変じゃない?」と言われますが、まったくもってそういう実感はないです。なぜなら、やっていることは生活の中に染み込んで習慣になっているからです。 だから、そして、今日もやったという達成感を得ることで、明日への活力を得ることにつながります。以前、あることを教えてもらいました。 例えば、目を閉じて「赤、赤、赤、赤」と唱えてみてください。そして、目を開けると・・・・・あら不思議赤いものが目に飛び込んでくるんですよ。 人って無意識に、自分が求めてるものを見てしまうんですね。だから、 「内定さえもらえればいいや」 って思ってると、そういう情報が入ってくるんです。 「仕事ってきついよね」 ってなると、そういう情報だけ手に入れるんですよね。「この人嫌い」と思うと、嫌いなところばかり目に行きます。 逆は・・・言わなくてもわかりますよね。健全な考え方をしていると「健全で有益な情報」が目や耳に入ってくるんです。何か誰かの役に立つものないかな成長できるようなきっかけを見出そうと思っていると、気になる出来事や本に目が行くようになります。見方を変えれば、何について話しているかをきちんと見るとその人の思想基盤は浮き彫りになってしまうわけです。そう考えると、相手を介在させた目標を具体的に作ることで、今日という日は作られていくということは合点がいきます。ということは、何かに着手できず能力が得られないのは、能力がないからではなく、自分が心から同意できる目標がないからだと思います。てなことを、偉そうに言っていますが、自分の目標に向かって頑張っていきます。
2012.04.21
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仕事とは何か営業とは何か質問とは何か計画とは何か予定とは何か・・・こういった、素朴な言葉の深い定義を学び、本質を捉えておくと世界が明るく見えます。どんな分野でも、「心から同意できる定義」を持っておくと、並大抵のことではぐらつかず、自信と余裕を持って本番に臨むことができますね。表面的な対策で焦っても、準備の最大の成果である「自信」が育つかといえば、そうとも限りません。準備を頑張ったのは、本来「目標達成」のはずだったのに、いつしか準備とは「間に合うためのものである」と、レベルが下がったりはしていませんか?間に合うとは、目標ではなく、「条件」です。バタバタと忙しく取り組んだから、充実するのではありません。それは、「充実した気」になっているだけかもしれません。良い行動とは何でしょうか?「良い行動」の定義は、「それ自体が、計画の確認である行動」です。やってどうなるか何のためにやるのかどうやるか・・・それが分かれば、不安は無縁になります。人間は偶発性の連続にストレスを感じます。それは、作業の量や難易度とは無関係です。他人から与えられた作業にとらわれると「受け入れられるだろうか」「期限に間に合うだろうか」といった条件が目標になってしまい、結果として充実感を手に入れることができません。きちんと、自分の目標さえ想定さえしていれば、あとは、実際に行動して確かめるだけです。そして、不足分や達成といった建設的結果を手にいれ、その人固有の成功体験を入手できます。そのためには、想像力を要します。想像力とは「やってみないと分からない」を、「やる前から楽しい」に変える力です。やる前から楽しいのは、目標が明確であるからであって堅い言葉でいえば、「目標を定めて達成基準を作る」と言えます。要するに、物事の達成度合いはその人が考える「やろうと思って、やった」の「『やろう』ができたかどうか」によって楽しさや充実感は規定されます。その基準が可視化され、相手の基準を超えていれば「すごいね」と言われるだけのことです。ですので、日常的に他人の想像を超える目標を持っていれば必ず相手の想像を超えることができます。当たり前ですね。その想像基準は、きちんと繰り返せば自然と上がっていきます。その作業を1年間毎日やり続けた結果自分のハードルが見える「想像力」を手に入れ、最適な準備をし、計画たてることができるようになりました。そして、毎日ブログを書き、毎週5冊の本を読み、仕事をして、毎日8時間の睡眠時間をとっているわけです。別に私がすごいんじゃなく、私が学んだ先輩や達人の計画や準備の仕方がすごいだけです。 ただ、色々なものを定義して「なるほど!」と余韻にひたるのは楽しいものですが、その際に忘れがちになる、「あるもの」があります。それは、他ならぬ「今日」という日です。誰しも、自分の住んでいる家やいつも着ている服いつも食べているご飯のように「慣れ親しんだもの」ほど、意外とよく知らないものです。これは、自分が毎日住んでいる「今日」という時間についても、当てはまるのではないでしょうか。ならば、「今日」という日に対して積極的な定義を持っておけば、毎日が積極的に過ごせる「素敵な時間」になるはずです。 皆さんは、「今日」という日をどう考えていますか?今のように、日々の仕事やプレゼンの準備で忙しい時期は、そういうことをゆっくり考える時間もないかもしれません…と言いたいところですが、事実は逆で、「今日という日の意味を分かっていないから、むやみに忙しい」のではないでしょうか。今日という日を「過去の延長線上にある最新の日」とか、「早く終わってほしい日」「久しぶりに休める日」としか考えていないのでは、心から満足できる一日を過ごすのは、難しいでしょう。それは、全て今日を「過去」とつなげた捉え方だからです。現在が「過去」の影響を受けているのは当然のことですが、現在という時間は、同時に「未来」の影響を受けている時間でもあります。だから、ちょっと視点を変えて、「今日は、残りの人生の最初の日」と考えてみてはどうでしょうか?過ごしてきた過去ではなく、過ごしたい未来が「今日」を作ると考えれば、どれだけ人生の展望が変わってくることでしょう。 「過去と未来のどちらに頼って今日を過ごしたか」で、その日の価値は決まります。未来の最初の日は、想像力次第で、いくらでもチャンスが溢れた一日にできますよ。
2012.04.20
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ライト兄弟はご存知だと思います。 飛行機の発明者で世界初の飛行機パイロットですね。 自転車屋をしながら兄弟で研究を続け、1903年に飛行機による有人動力飛行に世界で初めて成功した偉人ですね。(まだ飛行機ができて100年くらいなんですね…) 彼ら以前300年、多くの研究者や飛行愛好家たちは「人力で飛ぼう」としました。そして、何人もの人々が実験により命を落としました。 ある人は、こうもりの格好でビルの30階から飛び降りたり。 大きな傘をもって飛び降りたり。 大きな団扇をもって、飛ぼうとしたり。 そして、ことごとく失敗しました。 実に300年も人類の空への憧れは大自然の前に圧倒されてきました。 数々の自然科学の研究や技術改善の軌跡を学んだライト兄弟が最後に悟ったのは、 「人知を捨て、人力への過信を去り、ただ自然の法則に合わせる」 ということでした。 初飛行に成功した兄弟にある人が 「おい、よく空を征服したな」 と祝福の言葉をかけられました。 すると、兄弟は 「冗談じゃない。我々が空に合わせて変わったんだ」と言いました。 自然の中には「大気」や「風」という現象があり、ただ人間がそれに合わせさえすればいつでも飛べたのに、そんな単純な事実も「腕力や走力で飛べる」と思っているうちは、見えなかったということです。 仕事でも何でもそうだと思いますが、 「自分のやりたいこと」に相手を合わせさせるのではなく「相手の望み」を察して自分の長所や性格を表現する。 これが重要ではないでしょうか? ただそれだけの単純なことが、知識を詰め込むほど頭が鈍くなり、できにくくなる場合があります。 仕事のスタイルはこうだ 仕事がこうあるべきだ 就活はこうあるべきだ 社会はこういうもんだ 世の中「自分なり」とか「自分らしく」という価値観ももてはやされています。それも一面の真理はあるのでしょうが、人はすぐに慢心して目の前のことさえも見えなくなるものです。 そして、自分の思うことに固執していきます。 また、何か問題が存在すると、それらは全て「不足」によるものだと無意識のうちに決め付けてしまうことがよくあります。 「集中力が足りない」 「時間が足りない」 「思いが足りない」 「行動が足りない」 などなど。 私は、それは不足ではなくエゴや虚飾の鎧が重すぎて潰されているだけではないかとこの頃思います。 就活がうまくいかない人ほど勉強していたりします。 仕事がうまくいかない人ほど知識があったりします。 全員がそうではないですが、そういう人の中には 認められたい よく扱われたい 他人より良く評価されたい 他人から良く見られたい といった自分中心の発想に囚われすぎて、自分を見失っている人がいます。 以前、このブログでご紹介した『春宵十話』という本の中に、道元禅師の言葉があります。 出光佐三さん、松下幸之助さん、稲盛和夫さんなどの日本を代表する偉大な創業者は、禅の言葉を大事にしています。 その中のひとつに 「自己をすすめて万法を修証するを迷いとす。万法すすみて自己を修証するは悟りなり」 「学ぶとは、自己を習ふなり」 という有名な言葉が出てきます。 この頃、多くの人と話すようになって 人が新たな達成を得る時は 「何かを身に付けた時」ではなく「元々あったものに気付く時」 ではないかと思います。 達成や悟りはいつも期待を下回って素朴なものです。 大きな感動や偉大な達成は、いつも 「やればできる」 「練習の成果」 「お客様のおかげ」 「みんなに感謝したい」 など、シンプルな言葉で表現されます。 現実には皆こういう言葉を使いますが、心からそう思えない限りは、そう思えるようになるまで、何度も何度も現実から波状攻撃のような教育を食らうのではないかと思います。 実際、私も食らいまくってますしね。 そして、傲慢で利己的な執着を捨て去った時、そこに元からいた素朴な「自分」の姿に気付き、「なぁんだ、自分ってこういう人間だったのか」と気づくのかなと、若輩者ながら思っています。どこで何をしようが、結局は「あるべき自分」や「元からそうだった自分」に立ち戻る行為を続けていて、それを受け入れられるかどうかが重要なのではないかと思います。 私は、人が人を変える、個人が社会を作り変えるなどといった発想は慢心なのではないかと思います。できるのはただ、「本来あるべき自分」「そうありたい自分」に気付かせるささやかなきっかけ作りに過ぎません。 どれだけ「私には無理なんです」と言おうと、 経験的に未熟であろうと、才能や可能性が「ない」とは思えません。「ある」と信じるからこそ、あれこれ手を尽くして、お手伝いしていこうと思っています。 そして、何かの目的や目標が達成された時は 「自分で考え始めただけだよ」とか「自分を思い出しただけだよ」と言おうと心がけています。 少なくとも、「変える」のような他律的な思い上がりで接することだけは避けようと思っています。自分が手を尽くして変えるのではなく、自発的に変わる手助けをする引き立て役に徹することです。 なにせ、「学ぶとは、自己を習ふなり」ですから。 大それたことや珍しいこと、無茶なことやテクニカルなことをしなくても、今ここに「あるべき自分」になれる全ての材料は揃っているのではないでしょうか。もし本当に何か知識やスキルに欠けがあるのであれば、エゴや虚飾の鎧を脱がねば見えてきません。 大きいことをやるのが自分らしさではなく、小さいことをどれだけ大きく優しい気持ちで受け止められるかが自分らしさです。 ですから、 何かを伝えるときは経験を語るのではなく、経験で自分を語ることです。 何かを提供するときは自分がしたいことではなく、社会の誰かが望んでいて、自分がせずにはいられないこと であるべきです。 営業でも同じです。 商品を売るのではなく、商品であなたが、考えて、保有している価値を売る 自分が売りたいモノではなく、相手が望むコトを売る ということであるべきです。 小さいことにも大きく感謝でき、自分を全面的に受け入れたら、一歩前に進めます。あなたが劣っているわけではないです、劣っていると思う自分がいるだけではないでしょうか? まず鎧を脱ぎましょうね。 動くには重過ぎませんか? そうしたら、自分の本当の欠けや姿が見えてくるのではないでしょうか?
2012.04.19
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「営業」大半の人が「したくない」と言います。なぜそうなのかを聞いてみると、極端なエピソードばかりが「噂」として流れ込んでいるようです。 「身内にモノを売らないといけない」 「毎日ノルマを果たすまで残業」 「見知らぬ人に会って断られ続ける」 「月末はめちゃくちゃ大変らしい」 営業を嫌がる人は何をしたがるかというと、 「企画」とか 「マーケティング」とか 「クリエイティブ」という答えが返ってきます。 なぜか聞いてみると、 「カッコ良さそう」 「面白そう」 とのことです。 それは確かにそうですが、現場を知らず、自分でお客を作れない人間が作った企画は採用されることは少ないです。 企業は、営業ができない人に大事な仕事を与えることはありません。 そう言う人の自己PRを見ると、 「私は前例にとらわれない柔軟な発想ができます」 「型にはまらない独創的なアイデアを出せます」 などと書いてあります。 しかし、企業側からしてみるとそれは 「私は企画の仕事を理解していません」 ということにしか聞こえないことが多いです。 会社で働く上で、アイデアには二種類あり、二つが揃わないと本当のアイデアとは呼びません。 一つは、「何を売るか」です。 面白い商品、今までなかったサービス、他社が扱っていない商品、業界では先駆的な商材、などがこれに当たります。 これが「企画」です。 そしてもう一つは、「それをどう売るか」です。 お客にどう面白さを伝えるか、どうやって購買意欲を喚起させるか、どうやって差別化を図ってメリットを訴求するか…。 これが「営業」です。 だから、「使えるアイデア」とは、企画面と営業面の要素が揃ってこそ、初めて実行可能になるわけです。自分の頭に浮かんだ「面白い」、「新しい」、「売れそう」、「役立ちそう」くらいの物事は「アイデア」と呼びません。実際の販売の難しさや債権回収の手間を考慮していなければ無意味です。 お客様にとっては 「あればいいな」は必要なく、「ないと困る」価値が必要です それができて初めて一人前の企画となるわけです。 「予算・期限・人数・競合他社」という制約の中で実効性のあるアイデアを思いつくのは、並大抵の頭脳や経験ではできません。「企画」と口にする時、果たしてこの「制約」はどこまで考え抜かれているかが重要です。 「営業ができる」ということは、 「何をどう伝えれば、赤の他人がお客になるかを知っているということ」 であると思います。 営業は「担当分野のコンサルタント」です。企業には必ず事業目標があり、それを目指している「今」という状態は、必ず何かの分野で「不足している」という状態です。だから、提携企業や他社の知恵、商品、経験を活用し、目標達成に向かって挑戦するわけです。 そこに関わるのが、営業の人々です。 ですから、営業に求められるのは 「クライアントがわからない部分を明確に示し、解決策を提案する」 ということです。 こんな話があります。 ある工場長が、工場の機械が壊れたため修理のプロ(営業)を呼びました。しばらく機械を触ったり見たりした後、プロが数回、ハンマーで機械を叩くと…機械は正常に動き始めました。彼が「五○○ドル」の請求書を残して去ろうとすると、工場長は「あれだけの作業で五○○ドル?明細書を見せろ」と納得いかない様子。が、後日送付された書類には… 叩く作業=一ドル 叩く場所の選定=四九九ドル と二行の答えが書いてありました。 という話です。 参考図書:実践 億万長者入門 フォレスト出版 「相手が分からないことが分かる」というのは、貴重なスキルです。 「機械修理」という企画は、それを実行する相手の存在と、その相手の要望があってこそ仕事になります。 営業がうまくいってこそ、企画の人も喜べます。場所が分かってから叩くのなら、誰でもできる作業のように見えますが、どこを叩けばよいかはなかなか分かりません。この、チャンスを見抜く力こそ、営業の力。営業が開拓したルートに、あとは企画が開発した商材を流し込んでいけばいいわけです。 だから、「企画」という仕事の九割は「営業」です。 企画と営業は別物ではありません。 それは表裏一体のものです。 営業の現場を無視した企画は最初から成り立たず、企画の苦労や思いを忘れた営業も成り立ちません。 「人が嫌がっているものを歓迎する」のが、アピールの基本です。 熱い叩き方、真剣な顔をした叩き方、激しい叩き方、礼儀正しい叩き方を練習するのも結構ですが、叩く場所がずれていたら、意味がありません。 それは就職活動でも営業でも同じです。 就職活動は、仕事の第一歩です。 自分という商品を企業に買ってもらうことですね。 企業からすると、新卒採用の費用は一人当たり100万円ほどかかります。 相手の、どこをどう叩けば商品や自分を快く買ってくれますか?
2012.04.18
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本日の内容は、先輩から教わったことを記載しています。 ================================== 営業をするのはもう嫌だ。 このご時勢に受注できる企業なんてねーよ。 と言っている。 俺はこんなに頑張って、考え抜いてるんだ!! と言っている。 なるほど。 人の評価はいつも、「何を言っているか」ではなく、「何をやれているか」で見極めるのが適切です。 言葉は、信用の担保材料にはなりません。上に立つ者ほど、体で語らないといけません。 先日、保険会社に勤めていてトップの成績をおさめる先輩とお話しました。 「できない営業マンは、契約を取るのが仕事だと考えている」 と言っていました。 1.保険、とりわけ金融業界の仕事は、「偏見との戦い」である。 2.その偏見を打ち破り、期待と信頼に変えるには、当たり前の継続以外に方法はない。 3.契約した後に高まるお客さんの気持ちを汲み取り、どこまで迅速なサービスが行えるかがやりがいや楽しさを決める。 4. 義理、人情、プレゼントも確かに必要なのだろうが、お客様は何より「金融商品」を買われたのだから、責任を持って契約後のフォローを行うべきだ。 5.本当の仕事は契約後からやっと始まるのに、ダメな営業マンは「契約を取ること」を仕事だと勘違いしている。 だそうです。 私も最初、人材業界での営業はダメダメでした。 仕事って何ですか? と、この頃あほみたいに聞きまわっています。 「会社に行くこと」 「言われたことを嫌でも続けること」 「いずれはやめるもの」 「やりたくないが、生活のためには仕方ない反復強制作業」 「できるだけ責任を引き受けず、できるだけ多くの報酬を得たい作業」 「何をしたいかは選べず、何をやるかは運任せ」 と言う人も中にはいますね。 人は誰でも「自分が仕事だと思うこと」をやるので、その人が仕事そのものにどのような定義を持っているかは重要です。 きつい、嫌だ、やめたい、逃げたい、したくない… そんな感想を持つ人は、自分の間違った定義によって苦しんでいるだけで、会社のせいでも、上司のせいでも、仕事のせいでもありません。ただ、自分の頭で自分を虐待・搾取しているだけなのです。 「営業はきつい」と言う人もいます。 私も最初は打ちひしがれて 営業はきついと思っていました。 なんせ、3か月で2万円しか売れてませんでしたから。しかし、だからといって「営業とはきつい仕事」だと考えるのは間違っていると諭されました。 きつい仕事を恐れる余り、きつさを避けようとして知覚過敏になり、自分が逃げようとしたトラップに自らはまりこんで、しなくてよかった余計な「きつい仕事」にはまり込み、「営業=きつい」という目標を達成しただけだと何度も言われました。 「きつい仕事だから、きつい」というのは、思考の前提から考えて明らかに間違った発想だったわけです。 「きついと思ったことから、きつかった」というのが正しい認識です。 大事なことは、その人が何をきついと思い、楽しいと思っているかです。 営業における本当の達成と真の成長を想定している人だけが、そこに至るまでのプロセスにめげず、最後は想像したとおりの営業を成功させます。 そして、契約は「営業の準備」に過ぎないとわかりました。 お客様から考えれば、契約は「この人と付き合って良い」という承諾であり、「人間関係のスタート」です。 それはゴールではありません。 仕事や人間関係における成功の極意があるなら、それは常に、「ここまでやるか」と、良い方向に相手の期待を裏切ることによって成り立ちます。 お客さんでも学生でも、人は誰でも、「自分を他の人より大切にしてほしい」と願っているものです。 そのような相手の想像、関心のありかと度合いを見抜き、誠心誠意、当たり前の基本を続け、「ここまでやってくれる人はいない!」と感動したら、人はその営業マンを誰かに紹介せずにはいられなくなるものです。 そのためには、日常的に自分がどういう態度をとっているかです。 あの会社は今受注できない 現段階ではニーズがない 担当者が気にくわない 怒られた だから、行きたくない。 だから受注できませんでした。 短期的にしか考えず、「今の姿」で可能性を判定しているのであれば、メールマガジン一通送っておけばいいわけです。 特に営業員が説明する必要はないでしょう。 それのほうが、ずっと合理的で効率的です。 もっと先を見て、相手の可能性を大事することが必要なのではないでしょうか。これは営業だからというわけでなく、人と接することの基本でしょう。 だからこそ、営業は仕事の基本と言われるわけですね。 私の経験から言うと、売れそうなときだけ連絡してました。そして、将来本当に困ったときには連絡しない営業でした。 そりゃ、売り上げが上がらないわけです。 信頼されないですからね。 ・・・とはいえ、 「断られてばっかりで精神的にまいってしまって…」 とよく言われます。 私も言ってました。 では、「断られる」って、どんなことを言うんでしょうか。 「今、時間がないんだよ」と言われた 「話は分かるが、資金的な余裕がない」と言われた そして、「契約なし」でトボトボと退散してきます。 私も以前同じコトを言ってました。 そして上司や先輩に 「断られてねーだろ!?」 と言われました。 口では「すみません」といってましたが、心の中では 「だって、金(時間、必要)がないって言ってるじゃないか!」 「だから契約してもらえなかった。これが拒絶じゃなくて、何が拒絶なんだ!」 と叫びながら無理やり商品すすめてさらに怒られてましたね。 そして言われたのが 「会計やれ」 「契約してから営業だぞ」 の2つでした。 「時間がない」や「金がない。」 たしかに、断り文句に聞こえます。 でも、よく考えてみてください。 「時間がない」って言ってるんですよ?聞きました? 「時間がないんですよ?」 これは、素晴らしい情報です。 企業経営において「時間がない」という状態を招来する要因は、 1.不良棚卸資産が販売活動を圧迫し、利益率が下がったため、目先の営業目標ばかりに囚われるようになり、自分が何をやっているのか分からなくなる。 2.負債や乏しい現預金によって精神的な余裕がなくなり、仕入れにおいて「機会損失」が頻発し、「今やっていること」の結果を漠然と「無駄(損失)」ではないかと想像してしまう。 3.社員か提携先の状態が最適の状態になく、人的資源が不足しているか、あるいは「そうあるべき状態」に比して大幅に超過している。 といったものが考えられます。 要は 「時間がない」とは、 「一人の担当業務が多い」 「利益が上がらず、量か回数で帳尻を埋めねばならない」 「借金返済か経費支払いの期限が迫っている」 ということから生じる「結果」です。 「時間がない」という言葉と、相手の業態や商品構成、価格帯、人員配置、販売動向を掛け合わせてみれば、時間が足りない理由が見えてきます。 ですので、「時間がない」とは、できる営業マンにとっては、この上なく役立つ「トップシークレット級」の情報です。 感謝しても足りないくらい有り難い「次の宿題」をくれたのに、これを「拒絶」だと思うのはもったいなすぎます。 「全ての仕事は、問題解決だ。人の悩みを喜びに変えるために、今の仕事をやっているのだ」と思っていれば見過ごすはずはありません。相手が「問題」を教えてくれるなんて、これは感謝しないわけにはいきません。 「金がない」についても同様です 金がないなんて、時間よりももっとリアルに問題の所在を示してくれる、有り難い情報です。 企業経営において「金がなくなる」のは… 1.投資が回収を超過するか、回収が投資に満たない場合(要するにどっちも同じ)で、販売計画か市場調査が不適切で、価格設定が妥当でない。 2.自己資本が目減りし、負債が増え、金利負担が増えて「資本コスト」が上がりながらも、棚卸資産の回転が思うように進まず、固定費の出費ばかりかさんで、「出超」の状態が持続する。 3.金払いの悪い客ばかり集めたため、「売掛金」や「受取手形」ばかりで売上を計上し、キャッシュフローの回転が悪いために現金が十分に回収できず、「買掛金」や「支払手形」が増え、フリーキャッシュフローが目減りしていく。 という場合などに、よく起こります。 「金がないって言ってるんだよ!」怒鳴った人のB/SやP/L、店舗状況を観察してみれば、社員の動きや客の入り方、動き方、買い方、出方などから、「なぜ金がないのか」の原因を推測することもできます。 あるいは、曜日ごとの力の入れ具合をチェックし、営業時間の設定方法を調べ、企業担当者の願いとその企業が抱える顧客の願いの「ギャップ」を計算してみれば、「金がなくなっていく理由」も推測できます。 要は 「付き合わなくていい負債」と「増やすべき資産」を時間、努力、客層、商品などから推測できるということです。 後日、推測結果からまとめたデータを担当者の所感と突き合わせてみれば、「なぜ金がないのか、どうやったら金が入り、残り、増えるのか」のアイデアが出てきます。 「金がないって言ってるだろ!」 これを断り文句だと考えるか、チャンスだと考えるかは、契約を取ることが仕事になっているか、何かしらの問題解決をすることを仕事にしているかで気づくか気づかないか変わってきますね。 ということで、 「時間がない」、「金がない」は、 根本的経営資源が不足していることを意味する声です。建前でそう言っているだけにしても、何もないよりは、提案する余地はあります。 これは大変貴重な情報であることが分かります。 お客さんは悲鳴を上げて、問題の所在を「これなんだ、これが原因なんだ」と告白しているということです。 お客さんは、一度も断ったりしていません。 偉そうに言ってますが、私は本当にできませんでした。 会計をちょびっと勉強して、真摯に上司や先輩に確認をとりながら、ワードで資料を作って配り歩くことで少しずつ受注できるようになっていきました。 営業は契約をとることが仕事だと思っていないか。 自問自答が必要です。
2012.04.17
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twitterやSNSサイト、テレビにラジオ、雑誌、新聞、本、人の噂。 いろんな情報が飛び交っています。 人が何かを噂して 「あの芸能人は○○らしいよ」 「あの会社は○○らしいよ」 「○○の企業はやばいらしいよ」 「あそこの会社は受けないほうがいいよ」 などといった色んな情報を耳にします。 そういえば学生時代にメディア論に一年くらい取り組んだことがあります。 特に読んだのはマーシャル・マクルーハンという教授の本です。40年以上も前に世界で初めて「グローバル・ウェブ(ヴィレッジ)」という言葉で未来を定義して、それが現代のインターネットとほぼ同じ構図であるという、その先見性はすごいですね。 その中でも、特に欧米の通信史、とりわけマスメディア形成の歴史を描いた「ニュースの商人ロイター」という本は印象深く、そしてその後考えていくと恐くなったのを覚えています。 非常に難解な本なので、理解するのに何度も読みましたが…。 日本ではメディアと言えば、テレビと新聞が一番早く頭に浮かびます。しかし、これらは情報を加工して売る、小売業のような位置付けで、本当にマスコミを握っているのは、欧米の通信社です。 例を挙げればロイター、AP、AFPなどです。 もちろん日本にも通信社はあります。 「時事通信社」と「共同通信社」の二社がありますが、大手の下請です。テレビでも主要ニュースは、「ロイター通信によりますと…」とか、「AP通信が伝えるところでは…」と言いますよね? あれは、「カネを出して情報を買った」というサインで、テレビ局や新聞社が自前で入手した情報ではない、という意味です。 日本のマスコミは、取材規制も強いし、お金があってもバラエティ番組などに投じるので、自前で情報らしい情報を取ることが困難です。 そこで、大金を出して情報を購入しているわけです。 日本では「ロイター(共同)」、「UPF(時事)」などとついています。つまり、「ロイターが一次情報を掴み、共同通信が選んで買い(二次情報)、新聞やテレビが味付けして小売り(三次情報)している」ということです。 ということは、私たちが見ているテレビや新聞の情報はいわば「又聞き」だということです。 つまり、「何かについて考える前に、既に何らかの先入観を持ってしまっている」という状態に置かれているわけです。 例えば、 イスラム教と言って思い浮かぶ地域はどこですか? 大概は「中東」という答えが返ってきます。 しかし、 世界最大のイスラム国家で、かつ日本に一番近いイスラム国家は、インドネシアです。 このような例が、私たちの頭には無数にあるということです。 ですので、印象だけで決めたり、表面的情報のみで決めたり、何より一部分のみを見て「いい!!」と決めるのは危険ですね。 それと似たようなことをやって、困ってしまう人もいるようです。 よく 「○○業界にだけは就職したくない」と言いれます 「それって誰かに聞いたの?」と聞くと 先輩 彼氏 彼女 OB 友達 ・ ・ ・ から聞いたと言われます。 その情報は 二次情報かもしれません 三次情報かもしれません 四次情報かもしれません はたまた 十次情報かもしれません そして、何かしらの先入観が生まれてしまうんですね。 表面的事実や限られた情報による先入観で、全てを知ったように錯覚する人を 「象を撫でる群盲」 と呼びます。 よく引用される言葉なので、聞いたことがある人もいるかもしれません。 正しくは 「群盲、象を撫でる」 と言います。 盲人が数人で「象」という巨大な動物を触っているところに、あなたが「象とはどんな動物ですか?」と尋ねたとします。 ある盲人は牙を触り、「象とは硬く冷たい動物です」と答えました。 ある盲人は鼻を触り、「象とはゴツゴツ、グニャグニャ動く動物です」と答えました。 ある盲人は皮膚を触り、「象とはザラザラ、のっぺりした動物です」と答えました。 ある盲人は口を触り、「象とはネバネバとした温かい動物です」と答えました。 しかし、これらの答えは、いずれも間違っています。 これらの断片をいくら「情報」としてつなぎ合わせても、「象という本体」に対する認識や愛情がなければ、断片はいつまでも断片のままです。触るほど、次々と奇妙な情報が集まり、最後は「おそろしく奇妙な動物」を想像するしかないでしょう。 ですので、物事の全体像を考えて、それに対して自分が価値を「見出す」のだという積極的態度が必要だということです。 ただ流れてきただけの「噂」で… 「営業?きついらしいぜ」 「広告?帰り遅いってよ」 「ベンチャー?危ないって聞くね」 と言っているのは、悲しすぎます。 それでは、学べば学ぶほど選択肢と可能性を減らしてしまいます。 仮にそれで知識が増えていったとしても、「学ぶほど身動きがとれなくなっている」だけのことです。 可能性を減らしてしまってはもったいないです。 物事を学んだり、知ったりする目的は可能性が広げるためではないでしょうか? 先に「象」の全体を眼で見みて、その大きさや愛らしさに感動しましょう。 そして「部分」に詳しくなっていくことが、誰が考えても健全ですし、正確ですね。 あなたの一次情報は、誰が入手したものですか? 二次情報は、誰が加工していますか? 三次情報は、どこでどうやって手に入れていますか? そして、 情報を得ることで可能性を減らしてないですか? きちんとした情報を得て、可能性を広げていきませんか?
2012.04.16
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ざっくり、ここ2週間の気づきを挙げてみる。・会議をする場合、目的を共有しなければ不毛な会話が続くだけ。・PRとは、public relatioの訳であり、相手と自分を結びつけること、決して自己主張ではない。・気持ちを形にして、他人に示すには、言語化と視覚化が必要であり、それにより客観視される。・自分の発想には限界があり、他者の発想を借りることで、1×1が10にも100にもなる。・コミュニケーションとは、「いかに話すか」ではなく、「いかに相手がわかるか」に本質がある。・組織とは昨日集団であり、それぞれが価値を海、社会から対価を受け取ることで存続する。・何かを伝える前には、必ず確認することで、その後の時間と労力を軽減することができる。・企業には、製造業と非製造業しかない。会計的に言うと「メーカーと商社」しかない。・各人の価値観を知り、理解し、全体としての総意を行動で示すのがリーダーである。・海外ビジネスにおいて、6つの「あ」と4つの「現」、リスク想定が必要だ。・メールは立派なビジネスツールである。・言葉は人となりを表す。・ジョハリの窓を意識することで、無自覚な自分を知ることができる。まあ、こんなもんか。。。
2012.04.15
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時間は主観的な要素(資源)で、 あると感じればあるし、ないと思えば欠乏を感じるものです 客観的な有無はさておき、「まだ間に合う」と思わなければ行動は生まれません。 大事なのは、あるかないかではなく、 「あると思っているかどうか」 です。 今、何かの期限に追われている人、追いかけているものがある人は、「自分は夢に間に合っている!」と心から思うことで、行動に対する最も効果的な動機付けができます。 人は、「自分は間に合っていない(目の前の現実に「合格」していない)」と思った瞬間から、努力を放棄し、ただ終わることだけを企図した行動に走ります。 例えば、誰もが体験したことがある、こんな光景を思い出してみて下さい。 「間もなく、1番乗り場から、中洲川端行き電車が、発車します」 駅でアナウンスが流れています。 アナウンス通り、電車は間もなく、出発しようとしています。 ドアも当然、閉まろうとしているかもしれません。 しかし、その電車をまだ見ていない、たった今切符を買ったばかりの人が、階段を降りながら猛スピードで走っていくのは、なぜでしょうか? 答えは一つです。 彼は、「間に合う!」と思っているのです。 自分に「時間がある」と思えば必死の努力ができ、間に合うことも多くなります。遅れることもあるでしょう。しかし、必死の努力で味わった失敗は、次に生きる教訓となります。 「あ~あ、もうダメだ」 と階段に向かうことなく、何本も電車を見過ごすような態度なら、間に合うものも間に合わなくなり、アナウンスが流れても走らず歩かず、のんびりと遅れ続ける人生を送るだけです。 そのうち、アナウンスはあなたにだけ、聞こえなくなるでしょう。 「時間がない」 と思えば、そういう根拠を次々と思い起こし、「以上の理由で、あなたは手遅れです」と証明してくれるのが、人間の心です。 反対に、 「ある」 と思えば、そういう根拠を列挙し、 「よって、あなたにはチャンスがあります」 と証明してくれるのも、人間の心です。 成功するのはいつも、「時間がある人」ではなく、「時間がない人」ではもちろんなく、「時間があると思った人」だけ。 やろうと思ってもなかなか集中できない人 今さら頑張って意味があるのかと思っている人 は、「間に合っていない自分」を正当化して気疲れしてませんか? そう思っているのは、大抵、世界で自分一人だけですよ。 嘘だと思ったら、周りの人に手当たり次第に聞いてみて下さいね。
2012.04.13
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メールについて学んだ。なるほど。ここにきて、こういう風に経験とはこのように色づくのだなと思う。以前は、学生も入れば、社会人、また、経営者の中で学んだ。そこでは歴史や古典を深く学び、言葉を用いて真のコミュニケーションをしていく。 過去から学び、言葉を紡いで、未来をきちんと描いていく。 かっこよく言えば「学び舎」です。 ・・・・言葉・・・・ ある一定の集団内で話される言葉は必ず共有されています。 これは話す双方で言葉のイメージにずれがないからです。 ある言葉を交わすだけで、瞬時にその人と共有する空間が出現します。 時々あった友達とでも話し合える。 また、それができなければ「あいつは変わったな」って言われますね。 互い同じ想像が喚起可能な言葉を共有することで、一体感や共感を生み出します。 企業やサークル、部活といった組織の維持・発展を考えたとき、そこで共有された言葉は組織を支える思想的インフラとなります。 全体に思想が貫かれた組織となっていきます。 1918年に創業された松下電器(現パナソニック)は、故松下幸之助氏の言葉がHPに掲げられています。 「松下電器は人を作っている会社です。あわせて電機も作っています」 「消費者の暮らしの向上と社会の発展に貢献し続ける」 松下幸之助氏亡き後も、その思想は現在もつながれ、時代の変化に対応しています。それは、世界を市場とした現在も、表現は若干の広がりを見せていますが、そこに流れる思想は不変でしょう。 言葉というのは、あらゆる人々が普段使っているものです。それが故に、人の認識や精神はどんな言葉を使っているかの影響を多分に受けていると言えます。 言語が変われば単語の認識も代わり思想文化も変わってきます。 それと同様に、同じ言語内でもある一定の集団内で使っている言葉は、その集団を離れれば同じ意味を含有しているとは限りません。 ですから、組織もどんな言葉を共有しているかによって、風土は確実に変わってくると考えます。 それは、いわば基軸通貨のようなもので、組織の原点であり、活動と歴史によって色付けられてきた言葉が、その後の運営や発展の軸となります。 「これをするのは当たり前」 「これをしないのは当たり前」 という基準が時空を超えて共有されることで、ぶれない組織を構築しています。 しかし、言葉だけをただ唯物的に眺めてもその意味は理解できません。 大事なのは、言葉自体の共有よりも、その背景にある思想の理解の共有が重要であり、その理解があって初めて、同じ言葉を聞いても同じイメージができ、同じように理解できるということです。 思想とは単純化すると動機と工夫です。 この動機と工夫に人は感動するわけで、そうでなければ理解は存在し得ません。 人が感動するのは事実に感動するのではないということです。 動機と工夫が個性であり、同じことをやればやるほど個性がそこには滲み出てきます。 真の理解とは言葉の意味を理性的に理解すると同時に、その背景にある思想を共有できたときに、初めて 「わかった!!」 と言えるのであって、言葉自体が大事なのではないということです。 よく使う言葉ほど、よく見つめるべきだと思います。 努力 失敗 成功 行動力 継続 わかる 可能性 よく見つめて、誰かとその「意味」が共有されたらその言葉は生き生きとしてきます。 小林秀雄氏の本の一節にこんな文章があります "言葉というのは紅葉のように色づくものだ" 言葉は、時空を超えてつながりあえるという意味で時間を保存できます。 先人の教えや学びをこのごろはしみじみ深いなぁと、古典や歴史から新しい発見が次々とあります。
2012.04.12
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結局は顧客価値の追及が必要。顧客価値とは何か問えば、いろいろな答えが出てくる。社外では、「相手より相手のことを考える」ことだ。社内でも、「社長より会社のことを考える」ことだ。そのために、知識、スキル、能力を蓄えていく必要がある。舞台が海外になれば、そのための知識や経験は必ず必要になる。結局何にも、まして必要なのはスキルではなく、いわゆる「やる気」だ。現在、JALの再建に取り組んでいる稲盛和夫氏は人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力 という。これは、ただの言葉遊びではなく本質だと思う。みな、能力だけ鍛えようとする。能力があがっても熱意がなければ、使う場所を失うだけだ。知識やスキルはそれにあたらうだろう。そして、考え方。物事の本質をとらえていくこと。現状、自分は知識が乏しい。要は、能力が乏しいわけだ。これは、この1か月で手に入れなければ。時間は有限。時間にきちんと帆をはり、羅針盤をもってきちんと目的地までたどり着かねば。。。。
2012.04.11
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会議の運営。なかなか難しいですね。会議の目的は何なのかというのをおさえることが先決だと考えます。会議をうまく進めるためのスキームはいくらでも出せます。要は、手段はいくつも方法あります。私は、会議の進め方でもっとも重要であるのは、目的と議論の視点において共通認識を持つことだと考えます。そうでなければ、プレゼンテーションのためのプレゼンテーションを行い、いわゆる「伝えること」がもくてきにならず、「プレゼンを終える」という最低限の目標達成しかできないからです。それは、いわば相手不在の作業であり、無意味です。プレゼンテーションだけにとどまらず、コミュニケーションの最終目標は、当然ですが「相手に何かを提案、伝え、何かしらの行動につなげていただくこと」です。そのうえでmeetingの手順や内容が重要になるわけです。グローバル化が進み、国家という概念を飛び越えて、様々なもの・人・情報が行きかう現在、異なる文化背景を持った人たちと、コンセンサスをとったうえで物事を進めていく必要があります。そうした中では、有限な時間でいかに答えをだすか。そして、目標を達成していくかを導くコミュニケーションは必要です。個人的には、会議の進行が課題ですが、目標と視点の共有。そして、それいぜんの概念定義は怠らずに物事に協力してとりくんでいかなければいけないと痛感しました。
2012.04.10
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AKB48がアメリカでブロードウェイでミュージカルをするらしい。その真偽はどうなのかわからないが、日本のマーケティングモデルの完全輸出はうまくいかなかったということだ。味の素のカツオが受け入れられず、結局タイ、ベトナムにおいてはカツオではなく、豚を使うことで市場参入していった。どちらにも共通することは、「顧客第一」ということである。この顧客第一という言葉を取り違えることが多い。それは、単純なホスピタリティ精神ではない。「仕事とは相手の問題解決である」という定義は普遍的なものであることを踏まえれば、相手以上に相手の問題解決のために心血を注ぐことに他ならない。もっと大きく言えば、相手の問題解決を通じた社会貢献である。それを遂行する上で日本で生まれ育ったならば・清潔感という概念を保持している・質の高いサービスを提供できる・協調性の強さなどの特質を生かし、国際社会に価値を生むことができるだろう。そして、最悪の状況を想定した上で4つの「現」である現実現場現物現金を確実に確認し6つの「あ」あきらめないあなどらないあせらないあわてないあてにしないあやまらないを心にとどめることだ。海外で働く日本出身ビジネスマンにとって大事なことは世界じゃ「あたりまえ」なのに、日本じゃ「何それ?」日本じゃ「あたりまえ」なのに、世界じゃ「何それ?」という落差を埋める行為であり、相手の問題解決をするという本質は変わらない。そして、これは単なる意識改革ではなく、ビジネスチャンスのヒントそのものである。「世界のあたりまえ」と、「日本のあたりまえ」の間にビジネスチャンスがたくさん埋もれている。たとえば、下記の動画のようなことである。http://www.youtube.com/watch?v=kWyOInzopQU&feature=relatedその上で国際情勢はきちんと把握しておく必要がある。国際情勢を鑑みるには、情報取得の時空間を広げる必要がある。要は、●情報入手の視野を世界的な構図の中でとらること●長期的視野で物事を観察することの重要性である。~1990年:米ソ冷戦構造1991年~:第一次ITバブル2000年~:米一極主義VS ロシアorEU各国2008年 :リーマンショックにより米一極主義の終焉2008年~:中国の台頭 vs 米 +ロシア現在は、アメリカの「ドル防衛」、「利権争い」の2つに戦争や紛争が集約されていくということだ。ただ、現在のアメリカは貿易赤字であり、これまでの歴史でもそうだったように、貿易赤字国の通貨は必ず下落していく。この30年間もドルは暴落している。その上、イスラム教が台頭しつつある。20年後や30年後を見据え、現在を生きる必要があるだろう。イスラム教の台頭↓http://www.youtube.com/watch?v=6-3X5hIFXYU&feature=fvst
2012.04.09
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