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「今日も異文化の壁と闘っています」(千葉祐大著、三笠書房)を読みました。異文化間のコミュニケーションに関心を持っている私は、書店でこういう本を見るとつい衝動買い的に買ってしまいます。ただこれまで私が読んできた多くの本とこの本は少し違いました。これまでは異文化コミュニケーションに科学的にアプローチし、分析し研究してきたものを多く読んできました。しかし本書はアカデミックというよりもビジネスシーンにおける異文化間の摩擦対処法としてのノウハウがちりばめられた、どちらかというと指南書です。かつて日本人が異文化コミュニケーションに遭遇する多くのケースと言えば、自分が海外に行った場合がほとんどでした。異文化コミュニケーションの問題に直面する人は海外の大学や研究所に留学した人か海外の職場に駐在、赴任したりする人がほとんどでした。しかし現在は状況が大きく変わっています。ご存じの通りアジアを中心に世界中の労働者が日本全国で働き、観光客は毎年史上最高を更新しています。国内で異文化コミュニケーションと真剣に取り組む必要が出てきたのです。しかしまだまだ日本人同士と同様に向き合うケースも多く、それでは異文化の「壁」は乗り越えられません。そういった問題に対処するため本書は、来日する外国人の文化特性を国ごとに紹介しています。6章建て、68トピックからなる本書には、各トピックごとにひと目で内容がピンと分かる4コマ漫画が添えられとっつきやすくなっています。さらに平易な文章とともに豊富な事例があげられています。具体的な引用元が明示され、グラフや図表がたくさん出てくるところも説得力があります。各文化の特性を端的に短く言い表しているところには本当に感心します。外国人材がいる職場で働く日本人にとって、国民性や対処法を手軽に知るにはいいハンドブックとして使えそうと思いました。
2026年05月24日
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沖縄は梅雨がもどってきました。昨日から降ったりやんだり。庭の野菜には恵みの雨ですが、困るのが雨もり。雨もり?いや、正確に言うと雨もりではありません。私が住んでいるのは築50年近い家ですが、コンクリート造り。木造の家のように屋根や天井にガタが来て雨水が侵入してくるということはありません。そのかわり、雨の季節になると洗面所の天井から結露した水滴がぽたぽたと落ちてくるんです。住み始めた初期の頃は雨もりと同じように洗面器で受けていました。しかし、2拠点生活者なので雨季に留守にしていることもあります。そんなとき帰るとビシャビシャになっていたことも。そこで何か対策が必要と考えて、数年前から結露がひどいところをテープで覆い水滴を集めて天井の端っこまで導き、そこから三和土(たたき)に落とすようにしました。普通のテープだと弱いので強力補修「ゴリラテープ」を使って天井に溝を作り、これである程度は防げました。それでもテープはテープ。中を水が通るので湿ってくると少しずつ粘着力が弱くなりはがれてきます(よくわからない写真ですみません)。毎年テープを貼りなおしていましたがらちがあきません。そこで昨日ひらめいたのが天井に雨どいをつけること。ホームセンターで千円ほどで購入し、早速取りつけました。これで完璧。もう水滴で悩まされることはない。と思っていたのですが…今朝見るとテープが一部はがれて、雨どいがだらーんと垂れ下がっていました。あ~あ。やはりここでも強力テープは水濡れに弱いようです。そこで次に考えたのがテープではなく突っ張りポールで雨どいを支えること。早速実行しました。これでもう雨どいが落ちることもなく、水滴は三和土に流れていきます。突っ張りポールなので水濡れにも関係がなく雨どいは落ちません(そのはず)。もうこれ以上何もないことを祈るばかりです。
2026年05月23日
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映画「ひつじ探偵団」をみました。そもそもネタバレが嫌いなので、ほとんど内容に関する知識を持たず簡単なプレビューだけを見て映画館に行きました。こちらでもネタバレするようなことは書きませんが、こういう映画のジャンルをひとことで言うとなると「推理小説ファンタジー(あるいはファンタジック推理小説)」とでもいうことになるのでしょうか。パンフレットを見てわかる通り、映画には「羊のショーン」よりもっとリアルなアニメーションの羊たちがリアルな人間と一緒になって登場します。といってもこれは子ども向けではなく大人が楽しめるもの。とりわけ動物&推理小説好きにはたまらない映画でしょう。コナン・ドイルやアガサ・クリスティを生んだイギリスの推理小説の伝統にのっとった、結構正統派の作りになっています。ただ私はそれほど推理小説好きというわけではなく、推理小説のいわゆる推理、謎解きが得意な方ではないので、そこまで凝ったストーリーにしなくてもいいのでは、というシロートらしい感想をもってしまいました。見ているうちに羊たちの顔が「そんな感じの人っている、いる」と人間のように思えてくるのが不思議でした。
2026年05月22日
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「がんばらなくても死なない」(竹内絢香著、株式会社KADOKAWA)を読みました。私は普段からあんまりがんばらない人です。でも周りには「そこまでがんばらなくても」と思う人もいます。著者の漫画家、竹内絢香さんもがんばりすぎてしまう人のようなので、彼女の「がんばりすぎ」をどうやって克服したのかが分かるかもしれない。私には当てはまらなくても、もしかすると私の周りにいるがんばりすぎている人へのヒントが得られるかもしれないという思いで読んでみました。竹内さんは一般の会社員として働いたのち、アラサーになって漫画家として独立した人です。会社員時代からずいぶんと頑張りすぎ、漫画家になってからもとりわけ最初の頃は頑張ってかなり無理をしていたようです。本書は、そんな彼女が人生を諦めることを憶え、タイトルにある通り「がんばらなくても死なない」と達観していった自らの経験を描いています。元はTwitter(X)にエッセイ漫画として掲載し、反響も大きかったとか。一読した私の感想は、竹内さん自身の性格や考えが極端なのではないかということです。自らも完全主義者で自己評価が低い人間だったと認めています。自らを描くときにはそれをさらに「謙虚に」「自分を卑下して」描いているので、余計にそうなってしまっているのかもしれません。でももし本書の通りの人間なら、ちょっとそこまでの人はなかなかいないのではないかと思いました。漫画を描くことを通して自分を客観的に見ることができるようになり、徐々に欠点を克服していったのだろうとは思いますが、克服してようやく世間並みになったという感じがします。メンタルマイナス2の人が0から1や2になるというより、著者の場合マイナス5ぐらいから始まっている感じです。著者はかなりアップダウンが激しくて、他人には些細なことでも彼女にはメンタルにかなり影響が出、落ち込んでしまう性格なのだろうと思われます。本書ではそうした自分自身の性格が客観的に分かってきて徐々に「がんばらなくても死なない」と思えるように成長している姿が描かれています。でも多くの人はそこまで頑張ろうとしていないのではないでしょうか。本書はメンタルがマイナス5の人向け。ネットで反響が大きいということはそんな人も多いということかもしれませんが。
2026年05月21日
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「がんばらなくても死なない」(竹内絢香著、株式会社KADOKAWA)を読みました。私は普段からあんまりがんばらない人です。でも周りには「そこまでがんばらなくても」と思う人もいます。著者の漫画家、竹内絢香さんもがんばりすぎてしまう人のようなので、彼女の「がんばりすぎ」をどうやって克服したのかが分かるかもしれない。私には当てはまらなくても、もしかすると私の周りにいるがんばりすぎている人へのヒントが得られるかもしれないという思いで読んでみました。竹内さんは一般の会社員として働いたのち、アラサーになって漫画家として独立した人です。会社員時代からずいぶんと頑張りすぎ、漫画家になってからもとりわけ最初の頃は頑張ってかなり無理をしていたようです。本書は、そんな彼女が人生を諦めることを憶え、タイトルにある通り「がんばらなくても死なない」と達観していった自らの経験を描いています。元はTwitter(X)にエッセイ漫画として掲載し、反響も大きかったとか。一読した私の感想は、竹内さん自身の性格や考えが極端なのではないかということです。自らも完全主義者で自己評価が低い人間だったと認めています。自らを描くときにはそれをさらに「謙虚に」「自分を卑下して」描いているので、余計にそうなってしまっているのかもしれません。でももし本書の通りの人間なら、ちょっとそこまでの人はなかなかいないのではないかと思いました。漫画を描くことを通して自分を客観的に見ることができるようになり、徐々に欠点を克服していったのだろうとは思いますが、克服してようやく世間並みになったという感じがします。メンタルマイナス2の人が0から1や2になるというより、著者の場合マイナス5ぐらいから始まっている感じです。著者はかなりアップダウンが激しくて、他人には些細なことでも彼女にはメンタルにかなり影響が出、落ち込んでしまう性格なのだろうと思われます。本書ではそうした自分自身の性格が客観的に分かってきて徐々に「がんばらなくても死なない」と思えるように成長している姿が描かれています。でも多くの人はそこまで頑張ろうとしていないのではないでしょうか。本書はメンタルがマイナス5の人向け。ネットで反響が大きいということはそんな人も多いということかもしれませんが。
2026年05月21日
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「どうすればよかったか?」(藤野知明著、株式会社 文藝春秋発行)を読みました。統合失調症になった姉とその家族を、映像作家である弟の藤野知明さんがドキュメンタリー映画にし公開したのが2年前。その映画を私は1年半ほど前、沖縄の桜坂劇場で見、大きな衝撃を受けました。先日本屋さんで監督の藤野さんが著者の、同名の本が出ているのを発見し一も二もなく購入しました。書籍には藤野さんが映画を撮るに至った経緯が書かれています。それはお姉さんが病気を発症するよりもずっと前の、姉と弟の子ども時代の生活から始まっていました。中心は姉の発症と両親の対応ですが、映画にはない藤野さんの葛藤や彼が姉のためにやろうとしたことが描かれます。ドキュメンタリー映画は撮られた映像が中心になるのでどうしてもお姉さんの病気に伴う異常行動、そして病気を世間から隠そうとし、なかったことにしようとしている両親の対応が多くなります。しかし本書によって発症以前のお姉さんの様子や藤野さんと家族の関係がよく分かり、映画を立体的に理解することができました。映画を見た人には書籍の方も一読を勧めます。まだ見ていない人は本書にあわせて是非映像もご覧になるといいでしょう。
2026年05月20日
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1ヶ月半ぶりに首里城に行ってきました。目的は前回訪問時つくりかけだった見学デッキの確認とパスポートの更新。首里城の年間パスポートは一般入場料400円のたった2倍の金額800円で、年に何度でも入場できて首里城公園の各店舗で10%引きの買い物ができるというスグレモノ。その金額でこのために入場券売り場の職員の手を煩わせ、別室で写真を撮ってもらうのは何か申し訳ない気がします。でも今年あと何度も来ることを考えるとやはり私に年パスは必須。1年前はなかった「年間パスポートを作成されたお客様へのご案内」という注意書きまでいただきました(しわしわですが)。たしかに首里城正殿が完成し披露されたときは大混雑するでしょうから。昨日も雨模様にもかかわらずまあまあの人出でした。お目当てのもうひとう、見学用デッキは完成していました。もっと高いものができるのかと思っていましたが、従来の見学者通路から約1mほど高くなった程度。でも、おかげで少し斜めからではありますが、正殿の正面がよく見えるようになりました。そして、やはり首里城には琉装がよく似合う。といってもこれは貸衣装を着た、金髪がきれいな親子さんでした。前回訪問時に正殿の裏側には仮設の階段棟(エレベーター付き)ができるとの予告がありましたが、これはまだ完成していませんでした。「見せる復興」として首里城の再建途上を一般に広く公開しながら進めてきた首里城再建。この仮設棟ができると車いすの訪問客にも正殿が見やすくなるので、出来上がりが楽しみ。公開に向けて少しずつ姿をあらわす令和の首里城。秋の公開が楽しみで仕方ありません。
2026年05月19日
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「これからの時期、夏野菜は農家の人にもらえるので買わなくていい」と言う人がいました。残念ながら私はそういった農家の知り合いはいません。その代わり、最近プランター家庭菜園を少しずつ増やしていて4月に植えたキュウリ、バジル、オクラ、ピーマンに加えてプチトマトとナスを育て始めました。それぞれ2本ずつですので、うまく育って収穫できたとしてもたいした量ではありません。採れすぎて誰かにあげるなどは絶対にありえません。それで思い出したのが、アメリカでのこと。私は家庭菜園を借りて日本から取り寄せた種で日本の野菜を育てていました。借りた菜園は結構広かったのでいろいろな種類の日本野菜を家族が食べられるほどの量を作りました。知り合いの日本人で同じ規模の菜園を借りて野菜を育てている人がいたのですが、彼は畑にキュウリとナスばかり作りました。当然、キュウリとナスは一時に大量に収穫でき、漬物にもしたようですが、それでは消費しきれず近所に住む日本人家庭にあちこち配っていて、我が家もよくおすそ分けをいただきました。不思議なのは、なぜ余るのが分かり切っているのに2種類しか作らなかったのかということです。こちらとしてはありがたくいただく身ですから、敢えてその疑問を彼にぶつけたりはしませんでした。わざわざ日本から送ってもらった種なので、余すところなく全部使い切りたかったのでしょうか。私が作っていたトマトやオクラ、トウモロコシなどは向こうでも日本と同じようなものが買えるので、敢えて作る必要がなかったということでしょうか。それとも特別にキュウリとナスが好きだった?そうとも思えないのですが。私が生涯で唯一、ありがたく野菜をおすそ分けしていただいた思い出です。
2026年05月18日
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「素人校長ばたばた日記」(川田公長著、三五館シンシャ発行)を読みました。三五館シンシャの日記シリーズは様々な職業の内実が分かり、かつ著者の人生が味わえる好著が多く、よく読んでいます。これまで読んだ十数冊の日記シリーズの中で最もさわやかな読後感を持ったのが本書でした。他の本は、どうしてもその仕事のイヤなところや理不尽な部分など、ネガティブな要素が多く描かれるものですが、本書にはそういうエピソードがまれで、出てくる話ひとつひとつに著者に共感できる部分が多く、読みながら著者を応援していました。県庁職員を長年務めていた教員経験はもちろん、教員免許もない一般職員の著者が、県立高校で2年間校長を務めた話です。私の読後の結論は、彼が校長になったのは大成功だったのではないかということ。人事担当者は彼の人物の特性を見抜いて彼ならやれるとの期待があったからこそ、本人をはじめほとんどの人が予測もしなかった彼の転身があったのでしょう。彼の校長職は2年という短いもので、最後まである意味「部外者」的な視点はあったかもしれませんが、それゆえ同じ「部外者」の私たち読者にも校内の様子がよく伝わりました。同じ組織にずっといることで見えなくなってしまうことが、部外者や半部外者にはよく見えます。高校にはいいところもおかしなところも、いっぱいある。校長ではありますが半部外者の彼の立場から語るとそうした側面がよく見えてきます。おかしなところの一つは例えば一般にブラック校則と呼ばれている部分。彼の学校にもそういったものがたくさんあります。それを半部外者の著者が変えていくところや、新しい学校行事を作って学校を盛り上げていくところなど、読者にとって痛快な話がいろいろ出てきます。こうした経験を経て著者は教職の魅力に目覚め、校長職を辞したあと教員免許をとりたいとすら考えるようになりました。このことは2年間の経験が有意義で、教員という職業が彼にとって魅力的だったということを示しています。実際は年齢のこともありそれは断念しますが、校長としての経験は彼の人生に大きく影響を及ぼしました。彼は60歳で県庁を退職した後社会福祉士の資格を取り、発達障害を抱えた成年の「保佐人」となって、日常生活の世話をする仕事をするようになります。希望とは少し違う方向にはなりましたが、「2年間の異世界生活」(p.205)が彼に合っていたのは間違いないようです。彼を校長職に抜擢した人事担当者の卓見にあらためて拍手を送りたくなりました。
2026年05月17日
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我が家のお庭農園のバナナが色づき始め、早く収穫してくれと言っていたので昨日はバナナ作業の日となりました。切り落としたバナナの房には100本以上の実がついていて、切り落とした途端、腕にずっしりと重みがかかります。あんまり重いので重さを測る前にテーブルの上に投げ出してしまいましたが、感触的には30㎏以上はあったでしょうか。去年の収穫のときは高校生の孫が手伝ってくれたのであまり重さは苦になりませんでしたが、今回は自分で持ってみてバナナってこんなに重いものだったと再確認。段ごとに切り分け解体が終わると、次は追熟作業です。ひと房ひと房に紐をかけ、屋内干しハンガーにつるしました。つるしているバナナは普通に見ると「あぁ、バナナだな」と思いますが、逆光で見るとなんだかちょっと不気味です。あとはこの実を提供してくれたバナナの木を切る作業が残っています。バナナは植物分類上は木ではなく草の範疇に入り、株分かれで増えていきます。そして一度実をつけた木はもう実をつけないので切ってしまわないといけません。今回の木は直径30㎝ぐらいで高さが3m近くになる大きなもので、これを切り倒します。タケノコみたいなもので、太いだけで簡単に切れますが、やはり大きいのでそれなりに労力は必要。昨日は気力が残っていなかったので、切り倒し作業が今日に延期に。色々苦労はあるけどこの実が熟して、スーパーには売ってないようなねっとりと甘いバナナになるのがめっちゃ楽しみ。
2026年05月16日
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一昨日、3週間ぶりに帰ってきた沖縄の我が家。主(あるじ)がいない間にも野菜や果樹はしっかり育っていました。驚いたのはキュウリ。しっかりと延ばしたつるが行き先を失って地面を這っていたので昨日リング支柱を立ててやりました。昨日はテキトーにつるをリングにひっかけただけなので葉っぱが横向きや裏向きとバラバラでしたが、今朝はちゃんと全部の葉っぱが表を上にしていました。この調子で行くと初物の収穫もそう遠いことではなさそうです。一昨日花が咲いていたピーマンは今朝見るとすでにちっちゃな実になってます。バジルはいつでも食べられる状態です。バジルはもとよりピーマンも、キュウリより先に初物がいただけそうです。これまで関西地方やアメリカ中西部でしか経験のないガーデニングですが、沖縄で初めて野菜作りに挑戦してみてびっくり。どの野菜もこんなに早く成長してくれるなんて思ってもみませんでした。成果に浮かれてますます野菜熱が上がり、もっとたくさんの種類を育てたくなりました。果樹も手入れ待ったなしの状況で、昨日はマンゴーの実をつりました。ただバナナまで手が回らず、切り落としは今日の予定。3週間留守にしたとあってガーデニング作業がとっても忙しくなりましたが、自分が好きでやっていること。楽しみます。
2026年05月15日
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姉から珍しくLINE。何ごと?と思ったら今日が母の亡くなった日、ちょうど1年前の今日でした。去年はゴールデンウィークを沖縄で次男一家とともに過ごし、彼らを5月5日に見送った後、私も5月8日に沖縄から奈良に移動しました。奈良にいるし「母の日」ということもあり、ちょっと顔を見せに行ってこようと奈良から和歌山の実家に帰省したのが11日。入院中の病院にお見舞いに行き母と面会して、何を言っているかは聞き取りにくい状態でしたが、話もしました。去年は5月13日に私が腰の手術を受けた半年検診の予約があったので、その日は奈良にとんぼ返り(往復8時間)。面会した母はもう数カ月も口から栄養をとっていないためにがりがりに痩せていて「どうしてこんなので生きていられるのだろう」と思うくらい、いつお迎えが来ても不思議ではない状態でしたが、「これで半年近くもったのだし、すぐにどうということはないだろう」と思っていました。母にはそのうちまた会いに来ようと思っていました。奈良に戻った後、姉から連絡が来たのが14日朝6時過ぎ。誰にも看取られず苦しみもせず母はまさに老衰で逝きました。姉はLINEに「去年もこんな青空で木々の緑が鮮やかだったね」と書いていましたが、どうだったか私は何も覚えていません(笑)。ま、雨は降っていなかったでしょう。当日の天候は忘れましたが、母のことはもちろんよく覚えています。葬儀はキリスト教式だったので、命日とか一周忌とかの行事は行いません。姉とは「我々がこうして元気でいて、時々思い出してやることが彼らへの供養かもしれないね」と話し合いました。姉は、介護施設から返してもらった両親の名前の入ったタオルを今も使っているそうです。
2026年05月14日
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3週間ぶりの沖縄。一番気になっていたのはプランターの野菜です。沖縄を離れる直前に、3つのプランターにキュウリとオクラ、そしてバジルの苗を植えました。留守中の散水の問題は積み残してあったのですが、都合よく植えて間もなく梅雨入りしたのでこの問題は大丈夫かなと期待して帰ってきました。帰ってすぐプランターを見てみると・・・。結果は2つに分かれていました。キュウリとバジルは予想をはるかに超えて成長しています。しかし真ん中のオクラは、植えたときと変わらないどころか、虫食いが目立って瀕死の状態でした。キュウリは地ばい種ではないので急いで支柱を立ててやらなくてはいけません。バジルはもう普通に食べられるほどになっています。そして、オクラはどうしましょう。手前の1本は生き残っていますが、また新しい苗を買ってきて植え直した方が早いかな。生い茂ったキュウリの葉っぱの陰になったのも「敗因」の一つかもしれないので、オクラのプランターは別のところに移します。それにしても、たった3週間でキュウリとバジルがこんなに育つとは。さすが沖縄。余っていた植木鉢に植えたピーマンもそこそこ育っていました。ま、こちらはキュウリやバジルと違って予想した程度の成長でしたが、ひとつ花が咲いていたので、そのうち初物が味わえるかもしれません。ネギは前から作っている(というか放置栽培)もので、これは必要なときに必要な分だけ使ったらまた伸びてくる代物です。野菜にばかり気が向いていましたが、果樹の方も成長は最盛期。気になって見てみると、バナナは一部が黄色くなり始めています。もう、すぐにでも収穫しなければなりません。マンゴーも小さい実がころころと地面に落ちていて、樹上に残っているものは色づきがいい加減になっています。こちらも急いで袋掛けをするタイミングです。奈良でのんびりしている間にどれも一刻の猶予もできない状態になっていました。明日から大忙しです。
2026年05月13日
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今日はおととし受けた腰の手術(脊柱菅狭窄症)から1年半たった、術後チェックの日でした。術後最初のチェックは手術から1か月後、それが何回かあり、調子がいいとのことで期間が3か月に延び、そして半年に延びました。今回は前回から半年後のチェックでした。腰のレントゲン写真を何枚も撮った後、検査室から診察室前の待合に移動。「もうそろそろ診察が最後になって欲しいな」と少し期待しながら順番を待ちました。待合で30分ほど待った頃に名前を呼ばれ診察師の中へ。医者「手術の後から骨に変化はありません。今日で終りにしましょう」私「ヤッター!」(心の声)手術以降痛みがぶり返したことはなく毎日ジョギングもしているくらいですから、自分では多分大丈夫だろうと思っていました。でも医者からお墨付きの言葉をいただくと全然ちがいます。本当に手術を受けてよかったし、この医者に巡り合ったのが幸運でした。手術を受ける前から「期待が100%、不安は0%」だと思っていましたから治ったとの確信はあったのですが、いま痛みはなくてもいつか再発するとかはないだろうかという心配は心のどこかにありました。しかし手術から1年半。本当にこうして何も心配のない元気な体になったのです。再発もないだろうと言われました。手術を受けるまでは間欠跛行といって、少し歩くだけで足腰に痛みが出て立ち止まってしまったり、杖をつかないと歩けなかったり、「よぼよぼの老人」みたいでした。最初のうちは痛む理由がわからずちょっと無理したりしては痛みをひどくしてしまったこともあります。前にかかっていた医者に痛み止めの注射を打ってもらい、少しマシになってまた無理をして再発させてしまって叱られたことも。そして1年7~8か月前、この医者に巡り合い、手術をすることになりました。手術には不安を持つ人がたくさんいます。手術をしても完全には治らなかった人やますます悪くなったという人も、などという話を聞いて手術に踏み切れない人も多くいます。痛み止めの注射をしてもらいに通っていた前の医者も「最後は手術するしかない」と言い、まるで「そうはなりたくないだろう」みたいな、手術=悪のような言い方をしていました。でもなぜか、今の医者に会って話を聞き、私は「手術すればきっと治る」と思えたのです。この病院とこの医者に巡り合うまでいろいろとネット検索もしました。すると、この分野が専門で手術の実績も豊富な医者が何と自宅から車で15分の、市内の病院にいることが分かったのです。そこで私は何の躊躇もなくその医者にかかり、トントン拍子で手術をすることになりました。それが1年半前。あれほど悩まされていた痛みは、手術が終わったあとから一切なくなり、それ以来まったく出ていません。今日とくに体がなにか変わったはずはないのですが、少し体が軽くなった気がします。痛みの心配がないのは幸せです。
2026年05月12日
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前日は普通だったのに昨日突然声が出なくなりました。それで喉にいい金柑を食べたら治った、という話ではありません。うちの庭の金柑は毎年大豊作ですが私を含めて喜んで食べる人がほとんどいません。そのため鈴なりの実がポタポタ落ちてしまいます。先日喜んでもらってくれる人を山形に見つけて、今季は2度ほど宅急便で送りました。それと先週は奈良にやってきた孫たちが喜んで金柑摘み遊びをし、ある程度食べてくれました。それでもまだまだあります。そんなとき「うちの母が金柑好き」と言った人が近所にいたので昨日、袋いっぱいの金柑を持って伺いました。アポなしで行ったので心配だったのですが、幸いピンポンを鳴らしてしばらくするとお母さんが出てこられました。彼女には何度かお会いしたことはありますがおうちを訪ねるのは初めて。最後に会ったのは5、6年前。ドアを開けて出てこられた方は私が誰かわからず、やや不審そうな顔。私も彼女の顔は覚えていなかったので、向こうも多分同じ。それに金柑を持って訪ねてくる話も聞いていなかったのでしょう。「こんにちは、お久しぶりです。娘さんからお母さんは金柑が大好きだと聞いたので早速もぎたてを持ってきました。」と言おうと思ったのですが・・・あれ?声が出ません。独り暮らしの私は誰かと会う約束がない限り、しゃべるのはどこかのお店で商品のことを尋ねたりするときぐらいで、一日誰とも話さない日もあります。そう言えば昨日はその金柑好きさんに会うまで一度も声を出していませんでした。4~5日前に風邪を引き、痰が絡むことはあっても声は普通に出ていました。金柑好きさんの娘とは、その前日(おととい)会って、普通に話しましたし。しかし説明は必要。出ない声を絞り出し何とか分かってもらい、話しているうち私の顔も思い出してくれた様子。前回お会いしたときより私が5kgぐらい痩せたのも気づいてもらえなかった一因かも知れませんが、ま、数回しか会ったことがない人がいきなり5~6年ぶりに家にやってきて分かれという方が無理かも知れませんね。しかも変な声の何を言っているかわかりにくい人が、金柑の入った袋をぶら下げていきなり訪ねてきたのですから。正体が分かると眼の前で早速袋から一つ取り出して食べ始めたので本当に金柑好きだったようです。また持って行こ。
2026年05月11日
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昨日はなかなかできない貴重な体験ができました。空港で働いている友人を訪ねて伊丹の大阪国際空港に行ったときのこと。彼女に会いに空港に行くのは2回めで、ほぼ1年ぶりです。前回と同じように(性懲りもなく)彼女の会社、JALの看板の前でパチリ。去年は彼女は遅番で、会った時間も遅かったので、どこにも寄らずに奈良の彼女の家まで送り届けたのですが、今回は早番。ちょっとどこかに寄る余裕があります。せっかくなので飛行機が近くで見られるところに行こう!となりました(空港でも結構近いのですが)。そこは最近できた豊中つばさ公園(ma-zika)。ここは空港近くにある公園で、空港の展望デッキなどから見るよりもさらに近くで飛んでいる飛行機を見ることができます。那覇空港でも近くで飛行機が見られるスポットとして瀬長島に行くのが好きな私。彼女も行ったことがないということなのでワクワクしながら行ってみました。うーん、瀬長島と変わらないな、ちょっと期待外れ。しかも瀬長島だと離陸、着陸両方見られるけどここは着陸のみ。などと思っていましたが、より間近に見える場所があるとのこと。公園を出て千里川の堤防がまさに滑走路の直前。川を越えると飛行機はすぐに着陸です。ここだと飛行機が自分の頭のすぐ上を通過していき、こわいぐらい。これは瀬長島よりずっとずっと近い!豊中つばさ公園、ちょっと期待外れなんて言ってすみません。公園の愛称ma-zikaは「間近」のことでしょうが、誰もがmazi-ka「マジか」と言いたくなります。私もマジ興奮しました。
2026年05月10日
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「昭和の僕らはバカでした “小学46年生”に突き刺さる!『超ノスタルジックエッセイ』」(中曽良ハミ著、ワニブックス|PLUS|新書)を読みました。昭和期に小学生を過ごした漫画家、中曽良さんのショートエッセイ60話が、見開きページに漫画とともに描かれています。昨日はバスと電車で遠出をする日。普段は読みかけの本を用意して出かけるのですが、昨日はうっかり忘れてしまったので乗換駅にある本屋さんで何か適当に一冊みつくろって買うことにしました。それがこの本です。パラパラっとめくって簡単に読めそうだし、第1話の、あの頃の小学生はファミコンのカセットがうまくつながらないと接点に息をフーフーふきかけた、というのを読んで「やってたな」と思い、買うことにしました。私は著者とは同年代ではなく、子どもたちが彼と同じ年代。なのでフーフーしてた子どもらを思い浮かべながら読みました。第1話の「カセットフーフー」に続いて第2話は「お試しゲーム」。当時のデパートには、ファミコンのゲームを試しに遊ぶことができるコーナーがあり、そこに長蛇の列を作りながら「いま試しに遊んでいるやつ、早くミスしろ、早くやられろ」と思いながら見ていたとあります。これなどまさにタイトル通り「昭和の僕らはバカ」だったエピソードです。しかし第3話以降はおバカエピソードが影を潜め、むしろほのぼのエピソードが多数を占めるようになりました。うちの子も含めて、1977年生まれの著者と同年代の人が読むと「そうそう、そうだったね」と共感を呼ぶような子供時代のノスタルジーに満ちた話が続きます。私にとっては子どもたちと同年代の著者の思い出話ですから、もちろん読んでいて微笑ましくはあるのですが、タイトルにあった「バカでした」といったエピソードはほぼ出てこず、子供時代の郷愁に満ちた話のオンパレードです。うちの子どもの方がもっとバカだった、とやや物足りない気持ちで読了。でも息子に上げたら懐かしい話満載で喜びそう。
2026年05月09日
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半世紀近く前のこと、大阪朝日放送ラジオに「フレッシュ9時半キダ・タローです」という番組がありました。あの、浪速のモーツァルトと呼ばれた(自称していた?)キダタローさんがラジオのパーソナリティをやっていた番組です。その前の時間に「おはようパーソナリティ中村鋭一です」という番組があり、阪神が勝った翌日には必ず「六甲おろし」を歌うのでそれを聞くついでにキダタローさんの番組を聞いていたところもあります。内容はほとんど忘れましたが一つだけ今も印象に残っている話があり、それが「長嶋茂雄の一本愚僧*健康法」です。*愚僧=グ◯キダさんが紹介していたこのシンプルな健康法は今もよく覚えています。要するに毎朝トイレで長さ・太さ・色・ツヤのよい愚僧が一本ぬるっと出るのがその日の健康のバロメーターだと長嶋さんは信じていた、という話をキダタローさんがしていました。それ以来私もこの「一本愚僧健康法」の信者になり、健康な一本を毎朝、心がけてきました。なぜいまそれを思い出したかというと、ここ数日私はこの健康法に逆らった生活をしていたからです。普段気ままな独り暮らしをしている私はほぼ毎朝、一日一回健康な一本愚僧を出しています。それはもう人に見せたり写真に撮ったりしたくなるぐらいの(しませんが)惚れ惚れとした立派な作品です。ところが5月に入って次男一家が泊まりに来たり、彼らが帰ったと思ったら長男が息子をつれて泊まりに来たりして、ゆっくりトイレにこもる暇がありませんでした。この健康法は焦るとよくありません。ゆっくりできないときは「今日は出なくてもいいか」と出さない日が続きました。その結果、4日の間便秘が続いてしまいました。ようやく一人になった昨日ゆっくりこもることができたのですが、今度は愚僧が腸内にこもってしまって出たがりません。すぐそこにいるのは分かっているのですが、サザエのふたのように出口を閉ざしてしまっています。何分も(あるいは1時間近くか)苦しみましたが、一向に出る様子がありません。最後の手段、やむを得ず摘便をすることにしました(尾籠な話ですみません←話の最初からでしたか)。そして何とか一息つきました。普段当たり前に出している一本愚僧がこんなに大事なものだったのかと再認識。たかが便秘ですけど、いつものものが出ないとこんなに苦しいものだったのですね。今後は誰かを待たせても、予定が遅れても、一本愚僧だけは大事にしようと思いました。一日一回、決まった時間に一本愚僧を心がけます。長嶋も調子が悪かったときは立派な一本愚僧に見放されていたのかも知れませんね。
2026年05月08日
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4日、中国で大規模な花火工場事故がありました。NHKテレビでそれを見ていて、ひとつ驚いたことがあります。事故を受けて習近平国家主席は4日、行方不明者の捜索やけが人の治療にあたり、事故の責任を厳しく追及するとともに、公共の安全管理を強化するよう指示を出しました。習主席は事故の原因を追及するより先に事故の責任を追及するのかと私には聞こえました。もちろん、ほとんどの事故は誰かの何らかの過失があって起こるのでしょう。そのため管理責任や過失責任など、事故の責任者を探し出すことはこうした不幸な事故の再発を防止することにつながるのは間違いないと思います。でも順番としてはまず事故原因を追及することではないですか(ちょっとした揚げ足取りと言われるかも知れませんが)。NHKは多分中国政府の発表をそのままニュースにしたので、上のような表現になったのだと思いますが日本で同種の事故が起こったときにはあまり見かけない言い方です。順番としては事故原因が詳細になった段階で責任が問われることが多いように思います。これまでも中国関連では、建築中の高層ビルの倒壊事故などでまず「責任者が拘束された」というニュースから入ってくることがよくあります。原因追及よりも責任追及が来るのは何となく「トカゲの尻尾切り」を連想してしまいます。数年前に中国で起こった列車事故の際には事故車両を土中に埋めて事故を「なきもの」にしようとした仰天ニュースがありました。これもまた、責任追及をされるのを恐れた人たちの何とも非人間的な「事故処理」の仕方だったのかと思います。もしかしたら彼の国ではこういう事故を起こした「犯罪者」は極刑に処されたりするのかな。もし本当に「トカゲの尻尾切り」でものごとをおさめる体質があるのなら、こうした事故は繰り返されそうです。
2026年05月07日
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3泊4日で奈良のじいじのところに来ていた次男一家。ようやく昨日の朝、帰りました。5歳と2歳の孫娘は可愛く、さよならするときは二人と目いっぱいハグ。それはいいのですが、やはり普段勝手気ままに独り暮らしをしている私は他人がいるとそれなりに窮屈さを感じます。血のつながった子どもであっても孫であっても別々のところで日常生活をしていると、それぞれ生活パターンも違うのでお互い気を使う部分はあります。まさに「来て嬉し 帰って嬉し 孫の顔」です。どこの誰も同じように思っているのですね。その次男一家が昨日帰り「さぁ、これからマイペースでのんびり過ごそう」と思っていた矢先、夕方になって長男から連絡が入りました。「今日は下の子(小学生)がキャンプに行っていていないし◯◯(奥さん)は帰りが遅くなるので、上の子(高校生)と二人でじいじのところに行って、酒盛りをしよう」それはいいけど、「お酒を飲んだら帰れなくなるのでは?」と問うと、「泊りがけでいく」と。彼は弟一家がその日の朝まで私のところにいたことを知らず、ちょうど入れ替わりになりました。私は次男一家を送り出した後に彼らが使ったシーツを洗濯し布団を天日干ししておいたのですが、それらをまた取り出して、今度は長男と孫の、男二人のために再び準備。昨夜はさんざん飲み食べ、早めに就寝。今朝は彼らが寝ている間にルーティーンのジョギングと入浴をすませ、その後彼らの朝食を準備して起こしました。まるで次男一家の滞在が1日延びたようなものです。二人は先ほど帰っていきました。これでようやく一人になれるかな。子どもたちがいつまでもお父さんを頼ってくれるのはうれしくもありますが。ふぅ
2026年05月06日
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昨夜、寝ている最中に喉の奥に痛みを覚えました。熱っぽさもあって久しぶりに風邪を引いたみたいです。今日は奈良の我が家に遊びに来ている次男一家が帰京する日。朝のうちに最寄り駅まで車で送っていかなければならず、風邪だなんだといっている場合ではありません。扁桃腺も腫れているのか唾を飲み込むと痛くて早めに薬を飲みたいものの、薬を置いてある部屋には次男が寝てるし起こしてはいけないと、悶悶としているうちに朝になりました。症状は何とか落ち着いています。痰も切れて唾を飲み込んでも夜中ほど痛くはありません。多分夜にはあった熱も引いてます。思えば昨夏、長男の子ども達二人(高校生と小学生の男子)が沖縄の我が家に来たときも私は39度の熱を出しました。普段めったに風邪を引かないのに誰かが来ているときの私の弱さが分かりました。でも弱い一方、速効で治してしまう強さもあって昨夏も今回も一気に憔悴し一気に回復のパターンは一緒です。昨夏など39度の熱を出した翌日、ケロッとして海で泳いでいましたからね。にしても何でこんな時に限って・・・人はこれを孫熱(造語)と呼んでいます。さて、そろそろ彼らを送る準備をしなくては。
2026年05月05日
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久しぶりにコーヒー豆を買いました。奈良の老舗のお店で500gを2袋。奈良用に1袋、沖縄用に1袋。独り暮らしですから、毎日飲んでいてもそうそうは減りません。奈良町にあるこのコーヒー豆専門店に前回行ったのはいつだったか。おそらく3ヶ月ほど前だったでしょうか。もう何十年も通っていますが、今回豆を受け取り何か違和感を持ちました。これまでは豆を量って入れてくれていた袋は薄茶色の専用のプラスチック袋でした。それが紙袋になっていたのです。そこにお店の名前が印刷されています。これもイラン情勢の影響でしょうか。こんなところにも小さな変化が起こっているように、身の回りでも少しずつ変わっていっていることがあります。たいていのことはほとんど気がつかないまま、自分の方がいつの間にかそれに慣れてしまっているのでしょう。しかしこう、なし崩し的に憲法9条の解釈が変わっていって日本が戦争の出来る国になっていっていることへの違和感は強いものがあります。憲法第9条第1項:戦争の放棄国際紛争を解決する手段として、国権の発動たる戦争、武力による威嚇、武力の行使を永久に放棄する。第2項:戦力不保持・交戦権の否認前項の目的を達するため、陸海空軍その他の「戦力」は保持しない。国の「交戦権」(戦争を行う権利)は認めない。・・・自衛隊の存在、的基地攻撃能力の獲得、殺傷能力のある武器の輸出、どれも第9条とは相容れないものにしか見えません。それが分かっているからこそ、ちゃんと憲法を変えて現実と矛盾しないものにしたい人がいるのは理解できます。しかし、そうやって国際問題の解決を武力行使によって行おうとする姿勢は私には理解しがたいものがあります。昨日は憲法記念日。知らないうちに戦争に巻き込まれる(また加担する)ことがないよう一人ひとりが考える日でした。
2026年05月04日
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東京より次男とその子ども達(私の孫)が来襲、ではなく来寧。ゴールデンウィークに奈良の我が家にやって来ました。本当は沖縄の我が家の方に来たかったらしいけど、じいじ(私)が諸般の都合で今年のGWは奈良にいるもので、それではと奈良の方に目的地を変更。奈良の家は1年半ぶり。孫のうち5歳の姉はじいじの家を覚えていたけれど、2歳の妹が覚えていないのはやむなし。でも、じいじのことは昨年末に沖縄で会ったので覚えていてくれました。沖縄では那覇空港に迎えに行ったら逃げた妹も、さすがに今回はちゃんと覚えていて「じいじ、じいじ」と寄ってきました。東京からのお客さんに加えて、京都府に住む長男一家も加わり昨夜は近所の居酒屋で私の誕生祝い。とは言っても「誕生祝い」らしかったのは最初の乾杯のみ。あとはドライバーの私以外が全員で酒宴(もちろん大人だけ)。「誕生祝い」が終わったら会計は私。次男一家を私の家に送り、長男一家を彼らの家に送る、ドライバーも私。主賓の大役を相務めさせていただきました。さて今日は奈良公園をはじめ、あちこちに孫を連れて行きます。どこもかしこも混んでいるんでしょうね。
2026年05月03日
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先日行った、トレッドミル検査(ランニングベルトの上を走る負荷心電図検査)の結果を聞いてきました。今回も担当医から「完治しています」の答えはもらえず、無罪放免とはなりませんでした。残念。心電図を見ると負荷をかけた後の(ベルトの上を走った後の)血流が微妙に落ちているそうです。これは心臓の血管の一部にまだつまり気味の部分があるからだとか。そんなわけで、服薬による治療は続けることになりました。本人にはまったく自覚症状がありません。グラフの表示も「正常とほとんど変わらないけれど完全とは言えない」程度。「血管のつまりがもっとひどくなると、どんな症状が出るのですか?」と尋ねたところ「胸痛と言えるような、刺すような痛みはほとんどありませんが、何か胸がもやもやするといった不快感がでることがあります」との返事。「人によっては胃が悪いと思って受診する人もいます」とのこと。いずれにしても何か症状が出ればすぐに診察を受けるように言われました。同時に「運動も続けてください」とのことでしたので、ということは日常生活に支障はないのだろうとひと安心。もう終わりかなと思っていた服薬をこれからも続けることになったのはちょっと面倒くさい。とは言え、薬さえ飲み続けていれば日常的にあまり心配せずにいられるので大変結構なことです。「1年後にまたトレッドミル検査をしてみましょう」と言われたので、1年間は受診もないのかと思いましたが、「薬の切れ目が縁のつなぎ目」、7月下旬に診察の予約が入りました。その頃はマンゴーが気になる時期。沖縄にいたいけどガーデニングができるのも健康があってこそ。一病息災と捉えます。
2026年05月02日
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「老活の愉しみ 心と身体を100歳まで活躍させる」(帚木蓬生、朝日新書)を読みました。帯に書いてあるとおりの内容です。長年の精神科医としての経験と作家としての人間観察に裏打ちされた、高齢者向けの健康指南書と言っていいでしょう。著者が高齢者に言いたいのは高齢者としての長い期間を健康に過ごすためにはどうすればいいか考えましょう、終活よりも老活です、ということ。心や体の鍛え方、食事をはじめとした生活全般にわたる「老活」の具体的な極意が書かれています。今「ろうかつ」と入れるとちゃんと「老活」と変換され少し驚きました。この言葉、筆者の創作でもなかったんですね。ただ、本書の内容はこれまで高齢者向けに唱えられてきた健康法と変わるところはなく、従来のそれらをまとめて一冊にしたような感じです。私には既知のことも多く、それほど目から鱗のような箇所には行きあたりませんでした。巻末にちゃんと参考文献が上げられているのは親切ですが、逆に言うとそれらをつまみ食いして本書にまとめているようにも思えました。気になったのが、独特の正義感や倫理観をもった自信家の部分。有り体に言うと少し鼻につきました。自分の生活や過去の経験を例に上げ「私がこういうことをしてきたから健康な今がある」という書き方が何となく気になります。間違ったことを言っているわけではなくて、私の僻みもあるのだと思いますが「地中海料理が健康にいい」と言われてもなぁ、などと感じてしまいます。酒もタバコも「百害あって一利なし」みたいなことを言いながら、お酒はたまの嗜みならいいでしょう、この私を見てくだされば分かります、みたいな言い方をするのも自分に都合のいい方に話を引き寄せているように思いました。そんなことを思いつつ読んでいたところ、ニュースに帚木さんの名前が出てきました。彼の書いた小説が回収されたそうです。ニュースによると実在する人物を小説の中で実名で取り上げて、現在もご存命なのに亡くなった設定にしたとか。しかも本人には何の連絡もなく、だそうです。なぜそんなことをしたかの理由を帚木さんは「尊敬する人物なので実名にして世間に知ってほしかった」「亡くなった設定にしたのはコロナの怖さを描きたかったから」と言っています。本人に謝罪もし、本も回収し問題の部分は書き換えるそうです。ただ、この彼独特の理由に何となく本書に流れている雰囲気に似たものを感じてしまいました。
2026年05月01日
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昨日、奈良市内を運転していたとき前の車が沖縄ナンバーでした。これ、初めて見たかも。沖縄で他府県ナンバーに出くわすよりも珍しい。沖縄では走っている車の99%が沖縄ナンバーです(多分)。なので、他府県ナンバーの車が走っているとめったに見られないものを見て何となく得をしたような気分になります。そしてつい遠いところを旅してきた、その車の来し方を想像してしまいます。奈良は観光地なので他府県ナンバーを見ることはしょっちゅうでとくに隣接する京都のナンバーは5~10台に1台以上。東日本や九州、四国となると割と珍しく東北、北海道ナンバーの車はそんなには見ませんが、たまに室蘭ナンバーや苫小牧ナンバー、熊本ナンバーなどは見ることがあります。しかし、沖縄ナンバーは初めて見たかも知れません(記憶にないだけという可能性はありますが)。そのため他府県ナンバーを見ても何も覚えない感慨を覚え、つい写真におさめてしまいました。昨日は私のすぐ前を走っている姫路ナンバーの乗用車も見ました。あまり珍しいことではありません。ゴールデンウィークで観光に来ているのかな。こっちから姫路に行くこともあるので、その逆も当然あるんだろうと思っていました。そう深く考えてみていたわけではありません。ところが、信号待ちで止まったときに車の後ろに貼ってあるステッカーが目に入りました。そこにはこんな文字が。「奈良に住んでいます。I LIVE IN NARA.」文字の横には奈良県の県の形をかたどった絵も。そうなんだ。姫路から観光に来たわけじゃなかったのね。しかしなぜそんなステッカーを貼っている?奈良愛かなぁ。
2026年04月30日
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奈良の家を留守にして2週間。庭の雑草もさすがに2週間ではそれほど勢力を拡大していませんでした。芝刈り、というか雑草刈りは1時間足らずで終了。庭がきれいになるとますます金柑が目立ちます。先日、奈良を発つ前にたくさん摘んだはずなのに、全然減った感じがありません。私も含めて好んで食べる人がいないなか、一人だけありがたいことに「欲しい」と言ってくれた人がいたので1kgほど採ってクロネコヤマトで送りました。先月に続いて今年2回めです。召し上がってくれるなら何度でも送りますよ。写真は1kgの収穫後ですが全然減っているように見えません。週末にやってくる孫に摘ませます。食べるかどうかは別。沖縄からリモートカメラで見ていた満開の牡丹は、来てみると残念ながら3輪とも散ってしまっていました。代わりにというわけではありませんが、芍薬がきれいな花をいくつも咲かせています。芍薬は苗や種を買った覚えはありません。牡丹を購入した時、その苗が芍薬の株への接ぎ木だったので牡丹とともに庭に根付き、牡丹が終わる頃に毎年こうして芍薬が咲いてくれます。1粒で2度おいしい感じ?帰寧に際してもうひとつ楽しみにしていたブルーベリー。実はたくさんあるものの残念ながらまだ熟していませんでした。これでは孫たちにも摘ませられません。というか私が奈良にいる間に熟してくれるといいのですが。あと、フェンスにつるをからませたデラウエア(ブドウ)に花のつぼみができていました。去年は大豊作でしたが、今年は裏年なのかあまり数が多くありません。今年はジベレリン処理をして種無しにしようと、すでに薬を用意しています。物の本によるとそろそろ1回めを行うタイミングみたいなので、ワクワク。以上、奈良のお庭果樹園(+花園)報告でした。沖縄ではバナナやマンゴーが待っています。そっちも気になる~。
2026年04月29日
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病院でトレッドミルの上を走ってきました。トレッドミル、すなわちランニングベルトを走る負荷心電図検査です。私は1年半前に脊柱菅狭窄症の手術を受けたのですが、その術前検査で心臓の冠状動脈にややつまりかけの部分があるとの診断を受けました。自覚症状はまったくなく手術には支障がない程度だったのですが、念のために外科手術の1ヶ月後に心臓カテーテルでステントを入れる処置を施してもらいました。それから数ヶ月に一度ずつ経過を調べてもらっています。3か月前の診察で心電図を見て主治医はまだちょっと気になったらしく、負荷心電図検査をすることになりました。そういうものがあることは知っていましたが、経験をするのは初めて。でもトレッドミルなら家にもあります。雨が降って外でジョギングできないときはランニングベルトに乗って走っています。なので、初めての体験と言ってもそれほど心配はしていませんでした。ま、うちのトレッドミルみたいな簡易なものではなくてもっとちゃんとしたものだろう、ぐらいに捉えていました。そして当日。検査技師に付き添われて検査室に入ると、あったのはジムにあるような立派なトレッドミル。部屋に入ってベルトに乗る前にまずベッドに横たえられました。そして腕や胸、お腹に電極を装着されます。これが時間がかかります。最初は神妙な顔をしてまだ若い技師さんになすがままにされていましたが、10分以上かかったでしょうか。そろそろ終わる頃に「ずいぶん準備に時間がかかりますね」と話しかけると「そうなんです。これで半分ぐらい時間をとります」との返事。そこからは何となく打ち解けて、いろいろと会話がはずみました。私が毎朝ジョギングをしていることや家にもトレッドミルがあることを話し、なので検査もそれほど支障なく受けられると思うと告げました。「検査を受ける人の中には日頃運動をしていない人も多くて、転倒の危険がある場合は後ろから背中を支えたりすることもあります」とのこと。自分で歩ける人でもベルトに慣れてないと、いきなり動きだすのは慣れないと難しいかも知れません。「少しずつ速度を上げ、坂道のように角度も上げていき、ある一定のところまで心拍数が上がるとそれで終わりです」「この検査は始めてどれぐらいの時間かかりますか」と尋ねると、「普段あまり運動をしていない人はすぐにその数値まで心拍数が上がり、1~2分で終わります。でも鍛えている人は多少スピードを速くしても角度をつけてもなかなか上がらないことがあります」とのこと。「最後まで目標値に達しなくて、打ち切る場合も」あるとか。私はどうかな。時間がかかりそうかも。と思いつつ検査を開始。最初はゆっくり、徐々に速度を上げていきます。計器を見ていると100m、200mと進んでいき500mほど進んだところで「はい終了です」。時間経過はものの数分だったでしょうか。案外早く終わっちゃいました。「早かったですね。あんまり鍛えていないということでしょうか(笑)」と尋ねると「いや、そんなことはないです」と慰めてくれました。「この検査で汗びっしょりになる人もいます」とのことでしたが、検査着はうっすらと汗をかいた程度。検査着を脱ぎ、着てきた私服のTシャツを着ようとするとそちらの方が検査着より濡れていました。「検査室に入るまでの方が汗をかいていたみたいです」と技師さんに見せて二人で笑い合いました。念のためにと持ってきていた着替えのTシャツ(検査着に着替える話は聞いていなかった)の方を着て、技師さんにサヨナラをして部屋を出たのでした。検査室の滞在時間28分。電極をつけたり外したりの時間が20分以上でした。結果は後日わかるそうです。
2026年04月28日
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「90歳、男のひとり暮らし」(阿刀田高著、新潮選書)を読みました。まことに申し訳ないことに阿刀田さんの本はこれまで読んだ記憶がないのですが、新聞のコラムで見た彼の話が面白かったのとNHKニュースーンに出ていた彼の言葉に賛同できる点が多かったので「これは読んでみなければ」と思い、買ってみました。そして、私の勘に狂いはありませんでした。今では彼の小説を読んでみようかという気になっています。昨日の那覇ー関空の2時間のフライトの間に、それまで半分読んでいた本書の残り半分を一気に読んでしまいました。内容はタイトルの通り、90歳を過ぎてひとり暮らしをしている作家、阿刀田高の日記や思うところを綴ったエッセイ集。表紙にある言葉「今日もまあまあ。それでいい」と日々考えている筆者が示す「機嫌よく暮らす老年のヒント」がまさに私の人生哲学(というほど立派なものではありませんが)とぴったり一致していて、共感できる部分が大いにありました。年齢はずいぶんと違うものの、私もひとり暮らしを実践して20年あまり。男の単身生活を機嫌よく過ごしている一人です。いい加減ながらも料理をし、落語や映画を楽しみ、言葉についてあれこれ無駄な思索(暇つぶしとも言います)を楽しんだりするところなど、彼には共感するところが少なくありません。なかでも死とは無に還るという考え方はよく分かります。私の妻や私の両親も彼の妻と同様、クリスチャンでしたので死に際しての儀式はキリスト教式で行いました。それはそれで良かったと思います。でも私自身は宗教をもたず、死ねばどこにも行かないし先に亡くなった人に会えるとも思っていません。故郷には私の先祖をはじめ、両親や妻、娘の骨が入った墓があり、漠然と私もそこに埋められるのかなあとは思っていますが、そこは子どもが現在住んでいる京都や東京から車や列車で行くには相当な時間がかかる場所。わざわざ遠くまで墓参りのために行かなくてもいいのではないかと思っています。ただしそれは私ではなく、子どもたちが決めること。そのあたりも氏と意見が一致します。「私にとって“死は無なのだ”と今は固く信じている。(中略)90歳の私は無を選ぶ。無を信じている。ーそれでいいのだー今のところの結論である。」(p.198)「今日もまあまあ。それでいい」と、何ごとにも煩わされず生きている老翁の心境に近づきたいものです。
2026年04月27日
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浦添市美術館で開催中の「YUMEJI TAKEHISA展」を見てきました。岡山にある夢二郷土美術館の作品から130点ほどが出展されていましたが、ゆっくりと見て回っているとあっという間に1時間半ほどが経っていました。私は、実は岡山にある郷土美術館には行ったことがあります。瀬戸大橋ができて間もなくの頃、兵庫県に住む妻の両親を車に乗せて橋の見物がてら行った記憶があるのでもう40年近く前の話です。改めて再見し、私は岡山で一体なにを見てきたのだろうと情けなくなりました。夢二はただの美人画家ではなかったんです。もちろん夢二は画家、アーティストです。でも単なる人物画、とくに日本女性を「夢二式」で美人画として描いただけの人ではなかったのだとよく分かりました。晩年の欧米滞在中に描いている西洋人女性などは全くタッチが違いますし、風景画や静物画など印象派的なタッチの絵も描いています。しかも、彼の才能は絵だけにとどまりません。彼は自分が描いた絵をいかに世に知らしめるか、何をどう生み出せばよいかを熟知していたように見えます。出展されている作品にはいわゆる絵画以外にも、楽譜のジャケットや雑誌の表紙、葉書、版画、染色、グラフィックデザインといった分野のものもありました。しかもそれらは頼まれたものを引き受けたというより夢二が企画段階から主体的にかかわったものばかり。夢二はプロデューサーであり、ディレクターであり、それらをすべてそつなくこなす天才マルチクリエイターでした。夢二は単なる美人画の画家ではない、稀代の鬼才であり奇才だったのです。それを私は、今まで夢二=美人画と思い込んでいました。岡山の美術館に行ったはずなのに。美術館の入り口にチケットの絵【アネモネ】が「顔出し看板」になっていました。どんな沖縄美人が顔を出してくれるかな。
2026年04月26日
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男性の皆さんは小用のとき、家の洋式トイレに立ってする派ですか座ってする派ですか。私も以前は立ってしていました。20年ほど前の話になりますが、長男の結婚式のとき「新婦から新郎へのお願い」の一つに「新郎にはトイレで座ってして欲しい」というのがあり、笑いました。そのときは立ってするのを当然視していたので「女性は便座が倒れている方がやりやすいけど、男性は上がっている方がすぐに使えるので、これはどっちが強いかの争いかな」くらいに考えていました。しかしその後社会情勢は変化し、現在では座る男性は優に50%を超えています。そう言う私も今は座ってする派。立ってすると、気をつけていてもどうしても便器の外にもハネが飛んでしまいます。そのため便器の周囲や便器の外側を常に掃除して清潔にする必要が出てきます。私は20年ほど前から一人暮らしをしておりトイレの掃除係は私なのですが、昔からの習慣で当たり前に便座を上げて用を足していました。しかしある時ふと思い立って座ってするようになり、それからは掃除がグンと楽になりました。というか、便器の周辺や便器の外側がほとんど汚れません。匂いもしなくなりました。ところが先日長男のところの孫が二人(どちらも男性)我が家に泊りがけでやってきたとき2日目ぐらいからにおいが目立つようになってきたのです。「これは、きっと立ってやってるな」。彼らは自宅では母親に言われて座ってしているはず。でもじぃじのところでは解放的な気分になってつい立ってやっていたのかもしれません。そう思い口頭で「すわってしてね」とお願いし、その後は匂わなくなりました。友人知人が来た時にもトイレは使います。そこで上のような張り紙を作り、奈良と沖縄のトイレに貼り出しました。
2026年04月25日
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「誰も書かなかった 玉城デニーの青春 もう一つの沖縄戦後史」(藤井誠二、光文社)を読みました。知っての通り、玉城デニーは現沖縄県知事。本書は玉城デニーに焦点を当て、彼が子どもの頃から関わってきた多くの人へのインタビューを通して彼の生きてきた足跡をたどるパーソナル・ヒストリーです。しかし、そこから我々が知るのは統計資料や概括的な説明では実感することが難しい具体的な沖縄の戦後史。それがデニーの生い立ちとともに鮮やかに描かれています。デニーは1959年生まれ。当時は米政権下にあり、1972年の本土復帰時は中学生でした。その名前や風貌が表す通りデニーは米軍人と日本人の母の間に生まれたアメラジアン(Amerasian=アメリカン・アジアン)です。彼は「ハーフ」や、より差別的ニュアンスを含んだ「混血児」と呼ばれて育ってきました。彼は父親の顔を知らず、また産みの親と育ての親という二人の母を持つ、ある意味「フクザツな」家庭環境で育ちました。背景には、子だくさんの沖縄では昔から親類や友人に預けられた人も多く、ましてまだ戦後の混乱が十分に収まっていない時代というのもあったのでしょう。米政権下の沖縄、コザ暴動や本土復帰、米軍関連の事故や事件が多発していた時代に生きていたのがデニーでした。そうした時代背景や家庭環境のなかで当時のウチナーンチュ、なかでも「混血児」は自らのアイデンティティをしっかりと持つことが非常に難しく「自分はいったい何者なのか」と悩む人がたくさんいました。戦前は日本人としての教育を受けた沖縄県民。しかし戦争では「日本の捨て石」とされ、アメリカ軍に家族や親せき、友人らを多数殺され、他方日本軍にもひどい目を合わされてきました。アメリカ人は悲惨な戦争から「開放」してくれましたが同時に、戦後アメリカ軍は沖縄を去らず、犯罪や事故など住民との間に多くの摩擦を生じさせることにもなりました。そのアメリカ人と日本人の間に生まれた子供は多くいましたが、「混血児」はひどい差別やいじめを受けることもしばしばでした。そこにアイデンティティ・クライシスが起こります。「自分は日本人なのかアメリカ人なのか、それとも沖縄人なのか」。デニーも自分が何者なのかについて深く考えていました。しかしそんな境遇にいても悩んだりぐれたりすることもなく持ち前の明るさと前向きな気持ちで自ら未来を切り開き、福祉関係の仕事をし、高校時代からのめりこんだロック音楽に没頭し、プロに混じってバンド活動をしたりしています。それがきっかけでラジオのDJになって人気者になり、政治への道にも進んでいくことになります。政治家への道のりはあまり本書で触れられていませんが、沖縄がデニーを県知事にしたのはすごいことだったようです。アイデンティティもはっきりしない、どちらかというと陰の存在のような「混血児」が沖縄を代表する政治家になったのです。保革の壁を越えた「オール沖縄」を率いた故翁長雄志知事に後継指名されたとはいえ、デニーのようなある意味「正当なウチナーンチュ」ではない人が一県の代表になる選択を沖縄県民はしました。ハーフの都道府県知事はデニーが初で今でも唯一です。外国人政策で分断が進んでいます。アイデンティティ問題を自分ごとと捉えられる政治家の活躍を期待したいものです。
2026年04月24日
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今日から雨だというので、昨日我が家から車で10分あまりの波の上ビーチに行ってきました。今年の初泳ぎです。気温は30度にわずかに届きませんでしたが、4月5日にすでに海開きしているビーチにはたくさんの河童たち。最初水に入るときには「寒っ」と感じましたが、一旦入ってしまえばもう何ともありません。水温のせいか海に入っている人は波打ち際で遊んでいる人を含めて20人程度。浜には甲羅干しの人がその10倍ぐらいはいましたので、ちょっと寂しく感じました。でも泳いでいる人が少ない分、ちょっと沖の方に行けば誰にも邪魔されずスイスイと泳げます。私の場合はスイスイというよりプカプカ浮かんでいるのですが、本気で泳いでいるオジさんがいて、ぶつかられました。こんなに空いているのにぶつかってくんなよ、と思いましたがまあ私もふわーっと浮いているので彼からすれば邪魔は邪魔だったのでしょう。とちょっと反省しました。その後もまったく周りを見ていない様子の彼からは、何度かぶつかられそうになりました。そんな彼、あらら他の人にもぶつかっているではありませんか。こんなのんびりしたビーチでそんなに本気で泳ぐかなぁ。ただの困った人だったみたい。私は反省を取り消しました。などということがありつつも、楽しい時間でした。駐車場入場→スイミング→シャワー→出場で1時間足らず。駐車料金は200円でしたが、去年まで3分100円だったシャワーが200円に値上がりしていました。それでも合計400円。安いレジャーです。シャワーは1分半残ったので、外で待っていた知らないお兄ちゃんに「まだ1分半残ってるから使って」と声をかけました。「いいんっすかぁ」と言いながらお兄ちゃん、いそいそとシャワー室に消えていきました。うん、いいことしたな(満足)。
2026年04月23日
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しばらくやめていた野菜作りをしたい気持ちが高まって、プランターを買ったのがつい数日前のことです。2拠点生活をしているために散水の問題があるのに、それを解決する前に苗を買っちゃいました。今週はまだ沖縄にいるからいいのですが、来週になると2週間ほど奈良の家に滞在予定なのです。ホームセンターで見たタイマー散水機は長くてせいぜい2日の間隔をあけて自動的に散水されるらしい。それじゃちょっと間隔が短過ぎです。私の畑づくりの感覚では散水は土が乾いたときにたっぷりと行い、そして乾くまで放置。2日ごとでは早すぎます。そんなわけで散水問題がまだ解決していないのに買ってしまった苗。植えないわけにはいきません。とにかく留守の間に土が乾かないようにマルチを敷くことにしました。これで多少いい天気が続いてもすぐには土が乾かないでしょう。マルチに穴をあけ水が表面に浮いてくるぐらいたっぷり水を入れ、それから苗を植えました。左からキュウリ、オクラ、バジル。水が多すぎて植えた苗が倒れ気味(笑)ですが数時間後にはちゃんと起きました。プランターの中で、苗を挟んで上下にあるのは角材です。マルチを押さえるのにどうしようかと考えていた時ホームセンターで見つけた1個50円の端材。何かの工作に使った木材の切れ端がまとめて売られていたので、これを「押さえ」に使うことにしました。ただちょっとデカかったので、苗を3本ずつ植えるはずが2本しか植えられなかったのは誤算。さぁこれで留守の間も、しおれたり枯れたりせずに育ってくれるでしょうか。ま、枯れても50円の苗、植え直します。P.S. 奈良の家の庭をリモートカメラで見ると、牡丹の花が3輪、風に揺れていました。帰寧するまで散らないでいて欲しいな。
2026年04月22日
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今日は私の誕生日。朝、さっそく長男から「おめでとう」LINEが届きました。私は二人の子供(長男と次男)および彼らの連れ合いを含めて5人で家族LINEグループを作っています(最近は長男の高校生の息子=私の孫=も「読むだけメンバー」として加わっています)。このLINEグループは普段はバラバラな土地に住む家族が、家の行事や休暇で集まったりするときの事務連絡用。それに加えてお互いの誕生日にメッセージを交換するのに使っています。誰かの誕生日になると私が最初に誕生日おめでとうメッセージを送り、それを皮切りにメッセージが飛び交います。今日は私がメッセージを受け取る番でした。まず朝の7時過ぎに長男から私にあてたメッセージが届き、私がそれに返事をしました。するとほどなく次男の嫁と長男の嫁からメッセージが届き、最後は次男からのメッセージが。次男からのメッセージは言葉ではなく彼の二人の娘(5歳と2歳の私の孫)が映った動画でした。上の孫娘「じぃじ、たんじょうびおめでとう」。つづいて下の孫娘「じぃじ、たんじょびおめれと」。そして下の孫娘がカメラの方に向かって走り出し何かわめいていますが、何が何やら分かりません。数秒の短い動画でしたが気持ちをほっこりさせる幼い子どもの力はすごいもの。おかげで今日は一日気分よく過ごせそうです。次男一家はゴールデンウィークになったら東京から奈良にやってきて、そのうちの一日は京都府に住む長男一家とも合流し、会食を予定しています。つまりじぃじとしては散財の機会なのですが、こんな大きな活力と腹いっぱいの笑顔がもらえるなら安いものと思いました。
2026年04月21日
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沖縄に一戸建ての家を借り、奈良の自宅と沖縄で2拠点生活を始めて7年ほどになります。以前は親の介護や自分の病気などで奈良に戻ることも多かったのですが、最近はそうした用事も少なくなって沖縄の家にいることが多くなりました。それでもどちらか一方にずっといるわけではなく、半月ほどで行ったり来たりする生活をしています。そのため以前はよくやっていた野菜作りを最近は諦め、もっぱらあまり手間の要らない果樹づくりにシフトしています。失敗もありますがバナナ、マンゴー、パパイヤは沖縄で、キンカン、ブドウ、ブルーベリーなどは奈良でよく育っています。それはそれで楽しいのですが、最近やっぱり再び野菜も作りたいなあと思うようになってきました。最初はアメリカで畑を借りて、キュウリやトマト、ナスなど、アメリカにもあるけれど日本のとは品種が違うものを作っていました。トマトはともかくアメリカのキュウリやナスなどはバカでかくて味も違います。それで日本から種を取り寄せて栽培をしていました。それに味をしめ、日本に帰ってからも引っ越しのたびに必ず一戸建ての家に住み、庭の一部に畑を作ってきました。でも今は野菜は十分な世話ができないと考え果樹を育てるのみになってしまいました。が、だんだんと「また野菜が作りたいなあ」「採りたての美味しい野菜が食べたいなあ」と思うようになりました。特に最近はスーパーに行くとびっくりするような値段がついていて「自分で作ればもっと安くておいしいのが食べられるのに」と思います。そして昨日ついに決断。まずは手始めに60㎝ほどのプランターと土を買ってきました。あと、鶏糞ペレットも。帰宅してさっそくまず鶏糞ペレットをプランターに敷き、その上に培養土を掛けました。ただし苗はまだ。今日は何を植えるかゆっくりと考えます。やっぱりトマトやキュウリ、シシトウなどは定番かな。ナスやスイカもいいけど、このプランターはちょっとせまいな。ピーマンやオクラも作りたい。これでうまくいけばプランターをもっと増やして。そのうち掃き出し窓の下にはゴーヤーも植えて日よけにするかな。などなど楽しい妄想は尽きません。留守中の課題は水やり。自動で水やりができる散水装置を探さなくては。そんなことに考えをめぐらすのも楽しいものです。
2026年04月20日
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「言えないコトバ」(益田ミリ、集英社文庫)を読みました。ここで言う「言えないコトバ」とは、流行が過ぎ去ってしまった言葉や、ちょっと気恥ずかしさがあって口に出すのがはばかられる言葉などのこと。前者では表紙にもなってる「なんちゃって」や「チャリ(自転車)」、後者には「チェイサー(水)」や「カフェ(喫茶店)」などがある、と著者は言います。それ以外にも「ひとりごはん」や「孤独死」など定義がはっきりしない言葉なども口にしにくいとか。古本屋で見つけたこの本は2012年第1刷発行とあり、扱っている言葉も多少古くなってしまっているものもあります。著者の言葉に対する感性は鋭く「あるある」と思わせられるものも数多く見られます。アラフォーの著者はいわゆる同棲をしていますが、その相手のことを「彼氏」と呼ぶのはいいかどうか、躊躇します。「彼氏」というのはもっと若い人が使う言葉なのではとか、それではと「恋人」と言えばロマンチックすぎるし、「パートナー」と言えば何らかの主義主張を感じさせてしまうのでは、などと思い悩んでしまうのです。そんなの気にしなくていいのにと最初思っても「言い分」を聞いていると妙に納得してしまうものがいくつもあります。たとえば「元気だけが取り柄です」なんて私もつい言っちゃいそうですが、著者は自分が歯痛に悩まされていた時にはマクドナルドでむしゃむしゃハンバーガーを食べる、普通に生活している人を見ては「痛くないんだなぁ、いいなあ」と思ってしまったりしてしまい「健康とは、元気とは、なんとありがたいものだったのだ~」と思ったとき、「元気だけが取り柄」は軽々に言えないコトバだと思う。と、そういわれると「確かにそうだよなぁ」と共感してしまいます。でも半分照れ隠し気味に言っちゃいそうですけどね。当時ズボンのことを「パンツ」と言えなかった著者、その十数年後の現代でもジーンズを「デニム」と言うのは無理そう。
2026年04月19日
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私は大きなショッピングモールなど、駐車場に車をとめると必ずと言っていいほど、とめた位置を忘れます。そのことは1か月前のブログにも書きました。忘れ物防止のスマートタグを買ったけれど、なぜか私のスマホではタグが認識されない顛末の話です。いまだにその原因が分からず、同じことが起こりそうなので別のタグで試してみることはしていません。人に相談したら車のダッシュボードに人形を置くとか「子どもが乗ってます」みたいなシールを貼るとかを提案されました。せっかくの提案ですが、申し訳ないけれどそれでは役に立ちません。私の車は奈良のも沖縄のも、同じある特徴的な番号をナンバープレートにつけています。したがってナンバープレートさえ見れば自分の車だと分かります。そのプレートと同じ側面にシールやら何やらが見えたとしても先にナンバープレートが目につきます。目印をつけるとすると、ナンバープレートが見えないところにつける必要があります。そうなるともう屋根しかありません。と言って、ルーフキャリアーは大げさだしなぁと悩んでいました(お金もかかります)。そこで一つ思い当たりました。屋根の上には折り曲げ式のアンテナがついています。あれを使って何かできないだろうか。車から降りるときアンテナに旗でもしばりつけたらどうだろう。その程度なら違反にはならないと思うし。というわけで百円ショップにしばりつけられるものを探しに行きました。条件は濡れても大丈夫で遠くからでもよく見えるもの。ただ旗だと風がないとペタンとなってしまってあまり見えないかも。そこで見つけたのがこれ、ペット用おもちゃ。これを降車時にアンテナにひっかければどうかな。右の写真が実際に取りつけてみた絵ですが、ふーむ微妙。さいわい私の車は車高がやや高めなので他の軽自動車よりは上に出ていることが多いかもしれません。でも暗かったり間に遮蔽物があるとやっぱり見えないだろうな。このおもちゃ、音が出ます。でも私にはまったく無用の長物。光りでもすれば見える確率も上がりますが、そうなると値段が上がったり電池代がかかったりします。今は110円以上お金をかけようと思っていません。ダメもとダメもと。どの程度役に立つか一度試してみます。
2026年04月18日
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裏庭のマンゴーの木、花が終わり実が育ち始めました。3週間前はイクラ大だったのがドングリほどに成長しています。屋根に上って、マンゴーの木を眺めると今年も立派に育っていることが分かります。実が大きくなってくると、一つ一つ袋掛けが必要になってきますがそのためには袋をぶら下げるための装置が必要。プロはハウスの中に骨組みを作ってそこに袋をぶら下げますが、こちらは素人。ハウスもない「自然農法」(笑)なので毎年、高いところにロープを張りそこに袋をぶら下げることにしています。仕掛けは単純。庭の横にある風呂場の屋根にブロックを上げそこからロープを垂らして端をブロック塀に縛りつけるだけ。袋掛けが必要になってくるのは1~2ヶ月後。まだドングリサイズのマンゴーですが、これがビワぐらいのサイズになってきたら、このロープに袋をぶら下げマンゴーの実を守ります。袋掛けまでには摘果が必要ですが、いつ・どれぐらい摘果をするかはマンゴーの実の成長具合と相談ということになります。今年もたくさん実がついています。おいしいマンゴーが収穫できるのは約4か月後。「ゴール」まで楽しい準備が続きます。
2026年04月17日
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古本市で見つけた司馬遼太郎の「街道をゆく6 沖縄・先島への道」(朝日学芸文庫)を読みました。初出は週刊朝日1974年6月21日号~同年11月5日号、単行本は1975年5月に刊行され、文庫本は1978年12月初版発行です。司馬の紀行文はときどき週刊朝日をリアルタイムで読んでいましたが、「沖縄・先島」に関しては読んだ記憶がありません。文章は紀行文の体なので司馬が行った旅行体験を述べているのですが、そこにその土地の歴史に関する知識が深く盛り込まれています。しかも隣のおじさんから話を聞いていると錯覚を覚えるような、軽やかな筆致で描かれているので内容がスイスイと頭に入ってきます。初出が半世紀以上前ですから、司馬が見た沖縄本島も先島も現代とは全く違った様子になっているのではないかと思います。しかし読んでいると、そこに流れる沖縄の社会思潮というか人々の考え方に大きな変化は感じられません。沖縄の本土復帰が1972年で司馬がこのとき訪ねたのは本土復帰後の沖縄ですから、それより前だとまた違った雰囲気だったのかもしれませんが、彼の描く50年前の沖縄と現代の沖縄には通じるところがたくさんあるように思いました。司馬の「今回」の沖縄訪問の目的は先島でした。石垣島、竹富島、与那国島を訪問しましたが西表には行っていません。首里王府が治めていた沖縄の本島を中心とした歴史はある程度一般にも知られていますが、先島に関しては歴史や地理、民俗は50年後の現代どこまで知られているでしょう。本書に登場する赤蜂、すなわち石垣島の英雄オヤケアカハチのことはかろうじて知っていましたが、与那国の女酋長(巫女)サンアイイソバの名前を私は初めて知りました。与那国島には今でも(50年前の話ですが)、サンアイイソバが寝そべった岩陰があり住民はそこで宴を催します。そうしたいまも息づいている歴史を、司馬は紀行のなかではつい昨日のことのように話してくれるので、いかにも歴史を学んでいるという風情ではなく近所のできごとを楽しく聞くように読者の耳に入ってきます。最近司馬遼太郎の本をしばらく読んでいなかったけれど、こうしてあらためて目にするとその面白さを再確認しました。また別の本も探して読んでみねば。まずは奈良からそんなに遠くない司馬遼太郎記念館を訪ねようかな。
2026年04月16日
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1週間ぶりに奈良から沖縄に戻ってきました。1週間では何も変わっていません。と言いたいところですが、ひとつ大きな変化がありました。それは関西空港第2ターミナルの搭乗ロビーです。もっとも1週間前に関空に行ったときは到着ロビーしか通っていないので搭乗者のロビーはその前に沖縄に来た3週間あまり前、つまりここは3週間ぶりということになります。ロビーだけでなく保安検査と荷物預け入れも3週間前とは全く変わっていて、どこに行けばよいか一瞬戸惑いました。システムもいろいろと変化があり、これまで人間が搭乗券などをチェックしていたりしていたのが自動改札みたいになっていました。セキュリティ・チェックの手荷物を入れる通函みたいな入れ物もちょっとだけオートマチックになっていて、人の手を煩わせるところが少なくなりました。その分(なのかどうなのか分かりませんが)、X線チェックを終えて通函が出てくる時間が長くなりました。セキュリティチェックを終え、搭乗者ロビーに入るとそこの空間はこれまでより広々とし、新しいお店も入っていました。新たに入ったのは「かごの屋」と「あずさ珈琲」。改装前のあの大きな番号札と大きな声で番号を読んでくれる、田舎の食堂風のちょっと鄙びた感じのレストランも好きだったんですが、あそこで働いていた人たちは新店舗に雇ってもらっているのでしょうか。「かごの屋」側の壁面にはコテコテの大阪弁が書かれていて「らしさ」をアピールしていました。私はKIXカードを使って駐車場の利用料を割り引いてもらったり、レストランで料金をオマケしてもらったりと、いろいろと得をしていますが、昨日は搭乗ロビーが新しくなったために登場利用登録の機械がどこに行ったのかわからずうろうろしてしまいました。結局は同じ場所にあったのですが、動線が変わったために奥まったところに取り残された感じでした。利用しやすくなった搭乗ロビーですが、一つだけ残念なのは書店がなくなったこと。毎回寄っていたんだけどな。
2026年04月15日
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大阪歴史博物館で開かれている「特別展 小泉八雲 怪談とフォークロリストのまなざし」を見てきました。会場を入ったところに八雲の大きな肖像写真。それを撮っているとちょうど前を横切った人がいて、何となく「怪談」で知られる八雲らしい絵になりました。「ばけばけ」の余韻もあってか展覧会にはそこそこの人数が入場していましたが、平日昼間のせいか窮屈なほどの入場者でもなく、ゆったりと見ていられるちょうどいい感じの「混み」具合でした。この特別展は6月8日まで開催されていますがやはり「ばけばけ」ロスの気持ちがあるうちにと開催3日めに訪れました。展示内容としては以前に読んだ「小泉八雲の妖怪図鑑」で知ったことがらが多く紹介されていましたが、もちろん本とは違います。単なる写真ではなく眼の前に八雲が使った道具や書いた本、描いた絵などの実物があるのですから。八雲がギリシアで生まれアイルランドに渡った頃からアメリカでの生活が紹介される第一章から「ばけばけ」でもおなじみの松江の生活、その後の熊本や東京での生活などの様子が生き生きと展示されています。ドラマでも扱われず、とりわけ興味を持ったのは来日以前の八雲の前半生です。日本人なら小泉八雲といえば「怪談」をすぐに連想しますが、展覧会の副題にもあるように彼は各地の幽霊譚にだけ関心を抱いていたのではなく、フォークロリストすなわち民俗学の研究者でもあったようです。進化生物学者ダーウィンの影響を受け「社会の進化」を唱えたヒューバート・スペンサーの説にも興味を持っていた彼はカリブ海の島でも参与観察を行い、民俗研究の成果を発表しています。とは言え、やはり展覧会の中心になるのは松江での生活。そしてそれ以降の「怪談」執筆に至る後半生。こんな地図を見るとすぐにでも、八雲や妻セツの足跡をたどりに松江に行きたくなってしまいました。そして非常に数多く展示されたもののなかにはこんなものも。左は八雲自身が描いた「雪女」のイメージ画像。八雲の筆によるこんな作品がたくさん見られるのもこの展覧会の魅力の一つです。そして、右は家族で作った「狢(むじな)」の渋団扇掛額。立体的な人形は物語冒頭の池のほとりで泣いている女性(実はのっぺらぼう)の姿です。大阪歴史博物館といえばちょっと苦い思い出があり、1年ほど前、大阪・関西万博の開催に伴って、エクスポ70(大阪万博)の企画を見に行ったものの期待外れでした。それで「歴博の展示はちゃっちい」という気持ちが頭にこびりついていましたが、今回は逆の意味で期待外れでした。つまり期待以上の素晴らしさでした。特別展は6月まであるし、また見に行こうかな。
2026年04月14日
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3ヶ月ぶりに隣市の大和民俗公園に行ってきました。車で15分ほどで行ける、自然いっぱいの公園です。前回ここに行ったのは1月のこと。季節は確実に移り変わっていて、あのころどこにでも咲いていたサザンカの花はすっかりなくなり、つぼみだった梅もとっくに花の時期を通り越していました。芝生広場の桜もソメイヨシノが花吹雪の時期になり、代わって八重桜がたくさん咲いていて、3か月の時の流れを感じました。何十種(百種以上?)と植えられている「しょうぶ園」の菖蒲も葉っぱが伸びてきています。もうすぐ花も咲きそう。公園の中に遠くから見るとソメイヨシノのように白っぽいピンク色をしている桜があり、近づいてみると八重の花をつけている桜がありました。八重桜といえば濃いピンク色と思っていた私は「これは珍しい」と写真をパチリ。調べてみると、普賢象(ふげんぞう)という種類の桜で、室町時代から親しまれているものだとか。ここでもまた私の無知がバレてしまいました。明日は沖縄に戻ります。その前に、花いっぱいの公園でくつろぐ人々とともにゆったりした一日が過ごせました。
2026年04月13日
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「これがそうなのか」(永井玲衣著、集英社)を読みました。今年はじめに沖縄タイムスで永井さんの記事*を読み、おっしゃっていることに共感できる部分が多かったので彼女の名前は記憶していました。それで最近、あるとき本屋に入ったところふとこの本が目に入ったので、何気なく手にとってパラパラッと読み、「読みやすそうだな」と思い購入することにしました。* 身近な問いで「対話」を 年始論壇インタビュー 作家の永井玲衣さん 手のひらサイズの哲学 提唱(沖縄タイムス2026年1月7日)記事にもある通り、永井さんは身近な問いを大切にした「哲学対話」というものを各地で開いている作家で哲学者です。あとがきを含めて300ページ以上ある本ですが、読み始めるとどんどん読み進めたくなる本で、ボリュームの割に比較的短時間で読み終えることができました。しかし、感想を書こうとすると、なかなかまとめることができません。読んで理解するのはそれほど難しいとは思わなかったのですが、「何を書いてあったのか」と問われるとさっと適確な返事ができません。「これがそうなのか」というタイトルは何を表しているのでしょう。著者が幼いときに自らの経験から得た知識が目の前で説明されたり再現されたりしたとき、過去に学んだことを思い出し「これが(あのときに知った)そうなのか」ということでしょうか。また逆に、理論や通説として「頭で」理解していたことが目の前で実際に起ったときに「これがそうなのか」と納得する、そういった意味でつけられているのでしょうか。そんなふうにこじつけてみようとするのですが、それもまた間違った解釈のような気もします。「哲学」という言葉を聞くと難解な理論などを想像する場合もありますが、本書に書かれているのはそういうものからはかけ離れた、とても身近な具体的なことなので著者の話の流れを追いかけるのに苦労することはありません。しかし、読後にさて何を書いてあったのかと問われるとなかなかうまく説明できません。何か具体例に遭遇したとき、私も本書で得た知識や理解を思い出し「これがそうなのか」と思う、ということでしょうか。
2026年04月12日
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なにこれ?楽しすぎるんですけど、阪神タイガースの試合。いつも夜は9時に就寝の私。タイガースも負けているし、そろそろテレビを消して寝るかなと思っていたところにじわじわと反撃を開始して寝られなくなりました。9回ツーアウト、中日ドラゴンズからすれば「あと一人」。そして高寺も追い込まれ「あと1球」にまでなりました。が、中日守護神松山はボールを続けて最後の一球はキャッチャーのサインに首を振ってストレートが外れました。昨日の松山は首を振るたびにストレートを投げていたので、素人の私でも配球が読めました。この、高寺へのフォアボールが命取りになりました。代打で出た阪神前川が1球目を一振りしてライト線へ痛打。3塁走者だった植田がホームイン、ライトのエラーもあって1塁走者まで帰ってきて大逆転となりました。その後も阪神はさらに1点を加えて「あと1球」まで1対3と追い込まれていたのに、9回だけで4点取って5対3と大逆転。最後は岩崎が締めてくれました。そして翌朝の今日、ケーブルテレビ(J-Sports2)でまたその試合をまるまる再放送しています。全部ではなくてときどきチャンネルを変えながらも、最後の9回の大逆転の場面はもう一度じっくりと味わわせてもらいました。そうそう。サトテルと大山の連打で1点を返し、大山の代走に植田が出て、盗塁成功。木浪のボテボテのゴロで植田が3塁に行き、高寺がフォアボールを選んだところが大きかった。そして前川のタイムリーから・・・。うーむ。やっぱり生のスポーツ中継は面白いですね。ましてや応援チームが勝つと最高。これ、ケーブルテレビと契約している奈良の家だからできること。いつも言って(書いて)いることですが沖縄の家だと地上波の5チャンネルしか選択肢がないので生で見られるスポーツ中継は本当に限られています。奈良でこうして楽しい経験をしてしまうと、沖縄でも生中継が見られるネットチャンネルを契約したいなあと思ってしまいます。でも、そんなことをすると毎日毎晩テレビ漬けになり夜9時になんか寝ていられなくなりそう。やっぱりやめとくか。
2026年04月11日
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2月に受けた心臓内科の検査を受けて4月末に負荷心電図(トレッドミル)検査を受けることになった私。自覚的には何ともないし、毎朝ジョギングもしていて今日のように雨の日には自宅室内でトレッドミル(ランニングベルト)で走っています。なので、トレッドミルによる心電図測定は全然平気なのですが、中にはこの検査で体調に変化をきたす人もたまにいるとか。そのため、本人プラス親族の同意書への署名・捺印が必要と言われました。ああ、面倒くさい。月日は流れて2ヶ月後。もう4月です。検査は今月末。来週からは沖縄だし仕方ないと、息子に連絡しました。「こうこう、こういった検査をすることになったので前の手術のときと同じく同意書に住所氏名を書いてくれない?あとはんこも」とLiNEしました。昨日はたまたま近くまで行く用事があったので、用紙をもって彼らの留守宅へ。合鍵で入って食卓の上に用紙を置き「夜に取りに行くからそれまでに書いておいてね」と連絡しました(息子の家は奈良の自宅から車で20分程度です)。しばらくして息子から「置いておいてくれたら書いておくよ」と返事。ありがたい。持つべきものは息子。それに付け加えて「久しぶりに今夜は一緒にご飯食べる?」「いいね。」とやり取り。しばらくして息子とその嫁、二人の子どもたちも都合がつくことが分かりました。最初はおうちでごちそうしてくれるのかなと勝手に想像していましたが息子から「外で食べるのもありかな」と。ははぁ、そういうことか。ま、仕方ない。「お寿司でも食べに行くか?」とLINEすると、即座に返事がありました。「いやっふー!」そんなこんなで息子の住所氏名をかいてもらい、回る寿司屋(でも、皿によって値段が違うところ)に私を含めて5人がそろい久しぶりの会食とあいなりました。男子高校生と男子小学生の孫たちもですが、息子も食欲はなかなかのもの。少しも遠慮はありません。お会計は5人の合計1万7千円あまりの、ちょっと高い同意書代となりました。2ヶ月の間親族蘭が空白だった同意書が無事、埋まりました。ありがたい。持つべきものは近くに住む息子。なのか?
2026年04月10日
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おとといの夜3週間ぶりに奈良の我が家に帰宅し草ぼうぼうの庭を見てがっくりした話は昨日のブログに書きました。私には沖縄にもう一軒家があって2拠点生活をしていることを近所の人は知っていますが、知らない人が荒れ放題になっている庭を見ると「誰も住んでいないんだろうか」とか「手入れがなっていない家だ」と思うことでしょう。寒い季節はさいわいなことに雑草も伸びなかったのですが、こう暖かくなってくるともうダメ。草刈り隊(私だけですが)出動です。今日は夕方から雨が降るというのでお昼すぎから草刈りを始めさっきようやく終わりました。ぼうぼうだった庭がすっきり。たくさん実をつけている金柑まわりの草も刈ったので、実がもっと大きくなるかも(誰も食べてくれないけど)。バスケットボールのゴールの周りとブルーベリーの木が2本あるあたりが一番草が茂っていましたが、こちらもスッキリ。電動草刈り機で1時間半ほどかかりましたが、終わった途端に近所の小学5年生(推定)がやってきて、「バスケットゴールを使わせてください」。「ちょうど今草刈りが終わったところやねん。めちゃタイミングええやん」と言いましたが、2軒ほど先の家なので草刈り機の音が聞こえていて、やんだタイミングをはかっていたのかも知れません。「ゴールの高さもう一段、高くしてください」このゴールは可動式で高さを5段階替えられます。ただし子どもがやると危ないし多分無理なので(私がやるのも結構大変)私が沖縄から戻ってきた頃合いを見て「あ、車がある」と気がついた彼は「ゴールの高さを変えてもらえるチャーンス」とばかり、耳を澄ましていたのかも知れません。すごくいいタイミングでしたからね。いいよ、どんどん使ってね。草も刈ったし、君たちが遊んでいると留守宅だとバレずに泥棒よけになるんだからね。
2026年04月09日
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昨夜沖縄から奈良の我が家に戻ってきました。帰宅が日付が変わる時刻だったのでそのときは気づきませんでした。今朝あらためて庭に出てみると、雑草がびっしりと生えています。本土も春めき最高気温が20度前後まで上がってきているという話は聞いていたので、まあ覚悟というか心の準備はしていましたが、実際に見てみると「ここまで」という思いはありました。3週間前にここを出るとき咲き始めていたレンギョウはすでに終わり周りにはカラスノエンドウ(かな?)が。芝生の上にも同じく。今回の奈良での滞在は一週間ほど。その間いくつかの用事を済ませながらの草刈り作業になります。しかし、うれしいこともありました。(1)牡丹に大きな蕾 (2)ブルーベリーの花が鈴なり (3)金柑の実も鈴なり我が家の牡丹、花は毎年ゴールデンウィークの頃に咲きます。私の次の奈良滞在は4月末から5月半ば。ちょうどその頃に咲いてくれるといいのですが、何だかもう、すぐにでも咲きそうな気配。ブルーベリーは今が満開ですが、実の収穫はもう少し後かな。こっちは次々となってくれるので口に入るチャンスはありそうです。そして金柑ですが、これはもう去年の秋からどんどん実がつきながら放置されているもの(笑)。ゴールデンウィークに東京から遊びに来る孫たちに摘んでもらいましょうね。食べるかどうかは知らんけど。
2026年04月08日
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今日は3週間ぶりに内地に移動する日。その前に現在の復興の様子を見ておこうと久しぶりに首里城に出かけてみました。平日、しかも雨模様でしたが訪問客は引きを切らず、とりわけヨーロッパ系の観光客が多く目立ちました(容姿と聞こえてくる言葉からの推測です)。私は裏手にあたる上の毛(うぃーぬもう)側から上っていきましたが、途中で台湾から来たらしい若いカップルに呼び止められ、道を聞かれました。というかスマホを見せられました。日本語も英語も理解されませんでしたがスマホに向かってしゃべりかけるとちゃんと簡体字が出て無事案内ができました。首里城は再建が決まって以来「見せる復興」を旨としていて、正殿が建てられているときはその周りに見学者用の仮設建物が作られエレベーターも用意されて、屋根瓦を葺く様子や龍頭棟飾が取り付けられる様子が間近に見られました。正殿の外側が完全に出来上がってからは見学者用仮設棟は取り外されましたが、見学者用デッキは残りました。昨日、そのデッキが新たにより高い位置に架け変えられる工事が行われていました。よりよく見せる復興は続いています。また、正殿の真裏、世誇殿(よほこりでん)の前でも工事が始まっていて、そこには正殿が裏から間近に見られる仮設の建物の建築が進んでいました。こちらには以前あった、正殿の横から復興段階が見られる仮設棟のようにエレベータも取り付けられるとのこと。車いすでも正殿を裏側の高い位置から見学できるようになります。仮設階段棟の設置のため現在は世誇殿側からは正殿が隠れてしまっていますが、仮設棟が完成すればより近くで正殿が見学できます。この秋に完成する正殿に続き、南殿、北殿が完成したときには仮設棟も撤去され、そのときは何者にも邪魔されないで元の首里城全体の姿が見られるようになるはずです。つい先日まであった正殿の前の御庭(うなー)に置かれたクレーンなども昨日はなくなり、焼け残った御庭の紅白の縞模様も見ることができました。秋の正殿完成に向け「見せる復興」は続きます。赤ちゃん誕生を待つ親のような気分で復興を見守っていきます。
2026年04月07日
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土曜ドラマ「お別れホスピタル」。シーズン2が始まりました。番宣を見て前から興味はありましたが流していました。先日、「チコちゃんに叱られる」に出演していた岸井ゆきのさんの、天然気味のチャーミングな雰囲気を知ってちょっと興味がわき見てみようかなと思いました。シーズン2の前にまずはシーズン1だと、NHK ONE(NHKプラス・・・ま、どっちでもいいんですが)で再度見逃し配信されている2回分を見ることにしました。岸井さんが演じるのは死を間近に控えた高齢者が入院する療養病棟の看護師。毎回、様々な患者が登場します。見始めは少々シリアスなドラマだと思って真剣に見ていたのですが、老患者を演ずる俳優陣たちの演技力もあって、だんだんと「これはコメディか」と思えてきました。取り上げられているテーマはシリアスなものばかりです。しかし一人一人の患者にまつわるエピソードがあまりにも典型的過ぎ、それに対処する医療関係者たちの演技がまたクサいほど深刻ぶっていて、だんだん漫画チックに思えてきました。原作は沖田×華。たしかに漫画です。彼女は看護師経験もあり、それなりに経験に基づく話ではあるのでしょう。しかし、全体にストーリーが収まるところに収まりすぎです。物語は意外性があってこそ面白いのですが、このお話は予想とは全く違う展開というものがありません。それにあんなにいかにも深刻ぶらなくていいのにな、と思ってしまうのです。私の母も昨年5月に亡くなるまで、同様の療養病棟に入っていました。でも病院の関係者はもっと淡々としていましたよ。もちろん外部からではわからない内側の葛藤などもあるのでしょう。でももっとそれをさりげなく出して欲しい。悲喜劇(tragicomedy)というジャンルがあります。本人にとっては悲劇だけど周りから見ると喜劇にしか映らないというものです。このドラマはその逆の喜悲劇(comic tragedy)ではないかと感じます。結末はほぼ「死」ということになり悲劇かもしれないけれど、そこに至る登場人物は喜劇を演じている、少なくとも我々視聴者には喜劇に映ります。制作者もそれを狙っていると思います。死や医療を冒涜しているとまでは言いませんが、何か軽く扱っているような印象を受けました。海女
2026年04月06日
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