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今回の入院で私は7冊ほど病院に本を持っていき、退院までにすべて読了しました。7冊の内訳は入院に備えて新たに購入したのが2冊、読みかけていたのが3冊、買ったものの読み始めていなかったのが2冊です。入院したのが11月4日、手術が6日、そして退院が11月22日。つごう19日間の入院生活でしたが、入院から手術までに2日あり、しんどくもなくすることもなかったのでまず7冊のうち2冊を読んでしまいました。手術前に読んでしまったのは「養老先生再び病院に行く」と「論語の教え」でした。手術直後はさすがに読む気がしなかったのですが、術後3日目にもなるとかなり動けるようになり体に繋がれた管もはずれたので読書を再開。ただし、頭を使う本は疲れるので軽く読める「佐藤愛子の孫は今日も振り回される」から読み始めました。その後、読みかけていた本2冊を読み最後に手をつけていなかった2冊を読みました。どの本も私の退屈な入院生活に刺激を与えてくれ、選択に誤りはないものばかりでした。なかでも、買ってはいたもののなぜか少しも読んでいなかった2冊「ルビンのツボ」と「沖縄のことを聞かせてください」が一番印象に残りました。もっと早く読めばよかった。入院中に読んだこれら7冊の本について、感想は明日から順次載せていきたいなと思っています。
2024年11月23日
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退院しました。今月4日に入院、6日に手術、そして今日22日に退院できました。順調です。長かったような気もしますが、あっという間だったようにも感じます。手術をした夜はさすがに夜通し身悶えしていました。痛さというより点滴やドレイン、導尿管などがつながっていて身動きできない、寝返りできないつらさがありました。もちろん痛みもありはしましたが、耐えられないことはありませんでした。翌日になると、いろいろ管はついていましたが起き上がることができたので不快感は随分マシになりました。その日から立ち上がる練習や歩く訓練を開始。いきなりスッと立ち上がることができ車椅子や歩行器を使ったのは結局1日だけでした。あとは難なく自立歩行ができ、術後3日目に面会に来てくれた人は普通に歩いている私を見て驚いていました。他人の例は知らないので私自身はこんなものかと思いましたが、もしかしたら回復はかなり早かった方なのかもしれません。リハビリがつらいといった感覚は一切ありません。1年以上悩まされてきた脚の痛みがないので歩く楽しさだけです。入院中看護師に「足の痛みはないか、しびれはないか」とよく聞かれましたが、一切ありません。これって脊柱菅狭窄症の手術としては大成功なのでは。人によっては痛みやしびれがある程度の割合で残る場合があるとも聞きますが、私にはそういうのが全くありません。手術の前に期待していた通り、100%いや120%の結果をもたらしてくれました。初めて脚に痛みを感じた昨年3月より前の、何も心配なく走っていた頃に戻りました。もう最高。
2024年11月22日
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ドラフト1位で指名されました。じゃ、なかった。退院が決まりました。退院は明日、22日の午前中です。今月4日に入院し6日に手術。そこから2週間で退院が決まりました。入院した頃は季節外れの暑さでTシャツ一枚でやってきましたが、そろそろ晩秋の季節。さすがにTシャツ一枚だと寒く感じる季節になりました。こんなこともあろうかとカーディガンを持ってきた私は先見の明あり?いや、当たり前かな。さてどうやって帰るか。入院中は駐車場に車を止めておけないので、来るときはバスと電車を使いました。帰りもバスと電車でもいいのですが、荷物が重いので自分だけ車をとりにいったん帰宅してその後もう一度病院に荷物を取りに来ようと考えていました。でも、退院することを知らせたら嫁(長男の妻)が迎えに行くよと言ってくれました。病院からは30分ほどのところに住んでいるので距離的にはそう遠くないのですが金曜日は出勤日のはず。わざわざ有休を取って来てくれます。手術も平日だったので、これで有休を2つ使わせちゃいました。これも日ごろの良好な関係のおかげでしょうか。たまにですが、彼らが忙しいときはそこの小学生(私の孫)のベビーシッターをしたり、一家が沖縄に来るときは飛行機代から食事代を提供したり、運転手もしたりしました。と言っても、もちろん家族だからやっているだけでこういったときのためにあれこれ恩を売ったわけではありません。が、こうした関係があって結果的に私も助かることになりました。そもそもあそこの一人目の孫は私と二人で暮らしたことがあります。孫が2歳のときに東日本大震災が起こりました。その頃東京に住んでいた彼らは福島第二原発の事故による子どもへの影響を恐れて奈良で独り暮らしをしている私のところに子ども(私の孫)を預けることにしたのです。2歳になったばかりの孫と私は2週間ほど一緒に暮らしました。昼間は職場に連れて行き、夜は二人で寝る毎日。孫は初日こそ「おかあしゃーん」と夜泣きしましたがそれも1日だけ。あとはじぃじと二人の楽しい暮らしを満喫したのでした。その孫も今は高校生。今度はじぃじが面倒を見てもらう番になりました。因果は巡る。情けは人のためならずですね。
2024年11月21日
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いよいよ退院が秒読みに入りました。久しぶりの医師のチェックで「手術の傷はもう治っています」と言われました。傷口に貼っていた透明フィルムのようなものも剥がされ、ドレイン口にあった絆創膏も剥がされてただの「傷跡」だけになりました。手術から2週間が経過し自覚的な体調だけでなく、体の中での回復も順調に行われているようです。今朝はやくに採血があり、その結果がよければあさっての退院となります。自分が感じる限り体は元気だしリハビリだけでは物足りないほどで昨日は院内を6千歩以上歩きました。でも今と変わらず元気なつもりでいた1週間前の血液検査では「まだ炎症反応が出ている」と言われ自分の感覚だけでは分からないものだなと思いました。が、自分自身の感覚としても1週間前よりは明らかに調子がよくリハビリで同じ運動をしても1週間前より軽く感じます。やはり先週は自分が分かっていないだけで体力的にもまだ回復途上だった、ということが今なら分かります。今は検査の結果を今か今かと待っている状態。先週はお昼頃、先生が来てくれたのでどこにもいかずに部屋で大人しく待っています。合格発表を待つ受験生かドラフト会議での指名を待っている野球選手のような気分です。自分では受験生ならA判定、ドラフトなら1指名確実と思っているんですけどね。入院用に持ってきた7冊の本、最後の1冊があと3分の1(150ページほど)残っています。あと2日で読み切れるかな。
2024年11月20日
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昨日のウォーキングでめでたく5千歩を達成しました!1日で5千歩ってたいしたことなさそうですけど、入院中の私が歩いたのはすべて病院の中。脊柱管狭窄症の手術をして明日で2週間。日増しに手術痕の痛みも和らぎ、寝転んでいるのも退屈になり、退院が近くなってきたのもあって足腰を鍛えるため歩くようにしています。おとといは4993歩と、あと一歩のところで(実際は7歩)5千歩達成を逃したので昨日は歩数をちょっと意識して歩きました。私は、脚が痛くないときは1万歩を軽く越えて歩いていましたが、痛くなってからは1日5千歩に目標を下げました。手術前はおもにショッピングモールをカートを押して歩いていましたが、脚の痛みもあり人混みもありでなかなか目標値には達しません。でも病院だと廊下がまっすぐに伸びていて歩くのには好都合です(実際リハビリ仲間もよく歩いています)。ただワンフロアーだけではたいした距離を稼げないので、私は上に行ったり下に行ったり。階の上下には階段を使うので、そこでも歩数が稼げます。昨日はこれ以外にリハビリで自転車こぎ(3~4kmに相当)もやりましたがこちらは歩数には反映されません。そんなこんなで、変な言い方ですがすっかり健康な入院生活を送っています。これもいくら歩いてもももやふくらはぎに痛みが出ないようにしてくれた手術のおかげ。手術には必ずしも100%の成功ばかりではなく痛みやしびれが残る人もいると聞いていましたが、こと私に限っては120%うまくいったように思います。感謝、感謝です。
2024年11月19日
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こんなふうになってたのか。脊柱管狭窄症の手術をして10日あまり、初めて自分で傷跡を見ました。なに分背中の手術ですからそう簡単に見ることはできません。鏡に映そうにも真後ろにある傷を見ようとしても体の硬い私には無理。それにあまり体をねじってはダメとも言われています。どうやれば自分でキズが見えるだろうと考え、思いついたのがスマホのカメラで撮影すること。早速試してみることにしました。しかし、コトはそう簡単ではありませんでした。手を伸ばしてスマホを背中側に回すことができません。普通のカメラと違ってスマホの場合は「シャッター」の位置がわかりにくく、シャッターを切ることが難しい。それでもこの辺かなと当たりをつけて撮るのですが、撮った写真はただ背中が映っているだけで傷口は全然見えません。ちょっと途方に暮れたそうになったときに思いついたのがスマホを固定してビデオモードにし、こちらが動くこと。うまく撮れました。ちゃんと傷が映っていました。傷口だけでなくドレイン(血液排出管)の穴に貼った絆創膏も。初めて傷を見た感想は「結構切ったんだな」です。私の体には幼稚園児のときに切った盲腸の手術痕と高校生のときに切った心臓カテーテルの痕がありますが、それらに比べてこちらの傷はダントツ1位の長さ。目測で7~10cmぐらいはあるでしょうか。これで私も立派なキズものです。今後ビーチに泳ぎに行くときはあまり注目を浴びないように必ずラッシュガードを着ないと、と思うのは意識しすぎですかね。今まで痛みでしか手術をした実感がありませんでしたが写真を見るとやっぱり手術したんだなとあらためて思いました。
2024年11月18日
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最近ちょっとヤバい状況に。脚の痛みがどんなだったかどんなときに痛むのか分からなくなってきました。脊柱管狭窄症の手術をしてまる10日。手術後すぐから脚の痛みは消え、翌日に歩行を再開した当初から「痛みがなくてうれしい。手術をした甲斐があった」と思っていました。でもその頃は、まだ自分がどういうふうに体を動かせばどこがどう痛くなるか覚えていました。手術後その動作をして痛くなるはずの部位が痛くならないので喜んでいました。それに慣れてきた今、どういうふうに痛かったのか、どうすればどこにしびれが来たのか、忘れかけているのです。思えば1年半ほど前、日課のジョギングをするとももからふくらはぎの外側にかけて痛みが出て、最初は何が起こったのか分からず少し休むと楽になるので走ったり休んだりを繰り返しながらジョギングを続けていました。痛みがだんだんと日常生活の中でも起こるようになり、それが間歇跛行(かんけつはこう)と呼ぶ症状なのだと大分経ってから知りました。神経ブロック注射をしてもらって少し軽快してはまた悪くなりを繰り返し、結局は手術をすることにしました。手術の直前まではいつどういうふうに痛みが出るのか、もちろん分かっていました、外来受診の時には医者に言葉や体の絵を使いながら説明をしていました。でもこの痛みは主観的なものなので、医者にはきっちりとは伝わらないのだろうというもどかしい思いがありました。「他人の痛みは分からない」という言葉の通りです。ところが、この時の痛みがいまの私には「他人の痛み」になってきたのです。あれ?どこがどういうふうに痛かったんだっけ。どんなことをしたら痛くなったんだっけ。だんだんそれを忘れてしまいそうになっています。意識すれば、こういうときに痛かったんだったよなとは自覚できるのですが、日常生活で歩いたり階段を上ったりしゃがんだりを問題なくやっていると、それが「普通」になってしまって、どんなときにどこにどんな痛みが出るからその動作は避けようとしていたのか警戒感がなくなっています。そして気がつきました。痛みがなくなるということは痛みの記憶もなくなるということ、痛みが他人ごとになることだと。
2024年11月17日
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久しぶりに生観戦の醍醐味が楽しめました。生で見るスポーツが大好きな私。いつも家ではケーブルテレビのたくさんのチャンネルで野球、サッカー、アメフト、ラグビーからウィンタースポーツ、モータースポーツなどの生中継を楽しんでいます。しかし入院中の今はそれができません。病室にテレビはありますが、カードを買いたくないのでそれもなし。もっぱらNHK+で見られるスポーツだけをパソコン画面で観戦です。大相撲以外、生観戦はあきらめていました。が、DAZNがサッカーW杯予選を無料配信してくれるという太っ腹。おかげで昨夜は日本対インドネシア戦をたっぷり楽しませてもらいました。入院中で四六時中ベッドにいるため普段なら10時消灯になる前から寝てしまうことも多いのですが、昨夜はベッドにパソコンを持ち込み、カーテンを隔てた隣の入院患者にまで灯りが漏れないようにしてイヤホンで観戦。入院後初めて夜11時まで起きていました。このワクワク感、久しぶり。やっぱり自分の趣味は生スポーツ中継観戦(種目は色々)だったと再認識。こんなに楽しいなら早く腰を治して家に帰ろうと思い直す、動機づけにすらなりました。DAZNには感謝、感謝です。19日の中国戦も無料配信があるので今から楽しみにしています。でも一つだけ。ファンゾーンの無料配信ではなくメイン画面を配信して欲しかった。画面の20%ぐらいを占めてやべっちとかが映っている画面があるため15インチのパソコンの画面ではピッチ画面が小さく見にくくなってしまいました。それにゲストのトークとか、要らないし。集中して試合を見ているときに拍手はともかくプレーに無関係の笑い声などが入るのは邪魔。そこが少し残念でした。
2024年11月16日
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少し退院の希望が遠のきました。体は正直、というか、体に嘘をつかれたというか。昨日病室に主治医が来て「血液検査の結果、炎症反応の値がまだ高いのでもう少し様子を見ましょう。来週もう一度採血をして、値が下がっていれば退院になります」と言われました。炎症反応って何?と思いましたが、先生に聞く間もなく出て行かれたのでネット検索をすると、要するに体に傷があれば起こる「症状」で値が高いうちはまだ十分癒えてないことだと素人解釈しました。そうか。自分では元気だと思っているけれど、体はまだ負った傷を治そうとがんばっているんだ。朝晩何度かやってくる看護師に「痛いところはないか。しびれるところはないか」と尋ねられても、痛いところは手術した背中の傷口だけで手術前に痛かった脚はもう全く痛みませんと答えるだけ。手術の痕の痛みも徐々に治まってきています。リハビリは課された課題以上のこともできるし自分ではすっかりよくなっていると思っていました。そのため炎症反応の値が高いと告げられたことにちょっと驚いています。そして考え直しました。先生の言うとおり、あと1週間はじっくり治そう。もともと手術から2~3週間で退院と言われていたので予定通りと言えば予定通り。気がつけば背中の傷の痛みもずいぶん引いてきました。当初は軽い咳でも傷に響いていたものが今では咳き込んでもくしゃみをしてもそれほど痛みません。寝返りも、靴下を履くのも最初はおそるおそるやっていたのが今では難なくできます。どれもこれも、快方に向かっている証拠。この1週間は退院後の日常生活に支障を来さないために準備をするまさに「リハビリ」期間だと受け止めます。
2024年11月15日
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いよいよあと2冊になりました。退院までに完読しちゃうかな。現在私は脊柱管狭窄症の手術を受けて入院中ですが、入院前、病院ではたぶんすることもないだろうからと本を7冊持ってきました。以前内科的な病気で入院したときは読書する気力がありませんでしたが、今回は整形外科。頭のほうはしっかりしているのできっと暇を託つ(かこつ)と思い、未読や読みかけの本を持ってくることにしました。思惑通り、読書は順調です。というか、順調すぎて読む本がなくなる可能性が出てきました。今回持ってきた7冊のうち入院直前に買った本が2冊、以前買って読んでなかった本が2冊、読みかけていて読了していなかった本が3冊。前からもっていた本は割りとかたいものが多かったので、そういうものばかりだと疲れると思って比較的やわらか目の本も買いました。入院期間は2~3週間と告げられていましたが、最初の数日間は読書どころではなかろうと予想。ところが入院後手術までに、何もない暇な日が2日あったのが誤算でした。暇でしょうがないのでこの2日で7冊のうちの2冊を読んでしまったのです。普段それほど速読でないのでこれは計算外でした。テレビやYouTubeを見たり新聞も読んだりしました(オンライン)が、それでも時間があまります。手術前にして5冊に減ってしまいました。手術後、意外と早く元気を取り戻し本が読めるようになるのも早かったのはいいことですが、これも誤算。そんなわけであと2冊。そのうち1冊は病院に持ってきた時点で3分の1ぐらいは元々読み終えてある本です。ただ、もう1冊は500ページ近い分厚めの本で一から読み始めますし、中身もしっかり詰まっていて内容も図や表がほとんどない濃いものなので退院が近づいてきているいま(希望的観測)、まあ病院を出るまでは読了することなく何とかもってくれるでしょう。娑婆から隔離されてみて、自分がこれほど活字好きだと初めて知りました。読後感などはまたまとめて退院後に。
2024年11月14日
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背丈の話です。私は昭和半ば生まれの中では少し背が高い方です。計測してこれまでで一番高かったのは175cm弱でした。通常は174cm。と、ずっと思っていました。二人の息子たちもほぼ同じ身長。背比べをすると目線が同じぐらいでした。が、最近彼らの方が大きく感じられます。実際、入院した際に病院の身長計で測ったら172cmだと言われました。やっぱり歳のせいかな。加齢で身長も縮んだかと納得していましたが、そうではないかも知れないと思わせるできごとが最近ありました。4日ほど前に見舞いに来てくれた嫁(長男の妻)が私の姉に「じぃじ、もう普通にあるいていてビックリ。それに前より背が高くなったように見えた」とLINEを送っていたのです。それを聞いて姉は順調に回復していると思ったそうですが、回復したら背って伸びますか?でも言われてみると、足に痛みが出ないように無意識のうちに身をかがめて歩いていたのかも知れません。同じ日、私のリハビリ担当の女性に身長を聞かれ172cmというと「もっとあるでしょ」と言われました。以前は174cmあったけど、病院の身長計で測ったら172cmだと言われましたよと答えましたが、よく考えてみると身長測定をしたのは手術前。リハビリ担当の彼女と会ったのは手術の3日後です。手術で痛みがすっかりなくなり、これまで歩いているとすぐに痛くなった脚が全然痛くありません。それでシャキッと背筋を伸ばせるようになったのですね。嫁やリハビリ担当の女性に会ったときは背伸びをしたわけではありませんが、背は伸びていたのかも。
2024年11月13日
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今月の4日に入院してからまる1週間が経ちました。私の部屋は大部屋の4人部屋です。入院する前に大部屋にするか個人部屋あるいは二人部屋にするかと希望を聞かれました。敢えてお金をかけて個室や特別室にする必要もないので大部屋でいいと返事しました。そのとき想像したのは同室の患者さん同士でいろいろと自己紹介したり交流することもあるかなということでした。昔、高校生の時に入院した病院では自分が最年少ということもあり同室のみんなにやさしくしてもらった経験があります。しかし、実際は想像とは全く違いました。現在の同室のみなさんとは一切やりとりがありません。私が入院したときは先輩が二人いて、1部屋は空いていました。どんな人たちかなと想像はしましたが24時間カーテンが閉まりっぱなしで顔すら見られません。声は聞こえますが、元々が難聴気味の私ですから医者や看護師と患者の間の会話の内容ははっきりとは分かりません。面会に来る人もいませんでした。いまはこんなものなのか。しかも、その二人の先輩はいつの間にかいなくなっていました。その後も入れ替わりの激しいこと。先輩が出た後に入った人たちも知らないうちに全員退出、いまは隣に高齢のおじいさんがひとりいて、あとのベッドは空いています。たった1週間あまりで私が牢名主 w になってしまいました。私の病室以外もみな入り口のドアが閉まっていたりカーテンが閉まっていたりしてどんな人が入っているのか分かりません。リハビリ室やトイレでは顔を合わせますが、どの部屋の人かは不明。これはここが整形外科病棟だからでしょうかね。内科病棟だともっと交流があるのでしょうか。昨日洗濯をするために別の階にあるコインランドリーに行きました。この階は要介護老齢者が収容されているようで、エレベーターから洗濯室までの間に、寝ている高齢の方をたくさん見ました。こちらはみなドアが開放されていて、中が見えました。なので、もしかしたら私の病室や病棟の雰囲気は病棟の特徴なのかも知れません。他人がいると気を使ってしまう私の性格からして、同室同士でも交流がないのは気が楽で歓迎ですけどね。
2024年11月12日
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脊柱管狭窄症の手術を受けてから今日で6日目。今日のリハビリは日常に潜む危険からの回避方法でした。まずは床からの起き上がり方。私の家には畳がなく、ソファーが中心で寝るときもベッドなので地べたから起き上がる状況というのは転倒したときぐらいしかありません。でももし万一コケたりしたらどうすればいいか。手術後なので普段のようにはいきません。床にものを落としたときにも応用できる、床から起き上がる動作です。床に両手をついて四つん這いになり、そこから片足を曲げて一歩ずつそろそろと立つことだそうです。しゃがんで腰を折り曲げた体勢を取ると傷口によくないので覚えておくべきことらしいですが、これを私は簡単にクリアー。全然どうってことなかったので1、2回やっただけですぐに次に移りました。次は60cmのバーを乗り越える動作です。なぜそんな動作が必要かというと、これはお風呂に入るとき出るときの動作だとか。なるほど。普段は考えたことがありませんが人によっては大変なのですね。これも難なくクリアー。縁につかまってもよいということでしたが私は手放しで軽々乗り越えられました。私を担当してくれている療法士はとっても前向きな人。初日から何をやらせても簡単にやってしまう私にはもしかしたらあきれていたかも知れませんが、1日1ステップずつのところを私がどんどんやってしまうので1日3ステップぐらいやらせてくれました。これも彼の楽観的で合理的な性格のせいだと思います。なかなか相性が合っていました。とにかく私に用意してくれていたプログラムはすべて終了。聞いてみました。「療法士さんから見ていつ頃退院できると思いますか」「リハビリ的にはもういつでも退院OKです」。あとは傷口の状態などを見て医者と相談してください、ということでした。あと数日で本当に退院になるかも知れません。今日はこれから洗濯に行きますが、これが最初で最後の洗濯になるかも?ちょっと期待しています。
2024年11月11日
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脊柱管狭窄症のため背中の手術を受けてから今日で4日目。回復は順調です。昨日は嫁(息子の妻)がお見舞いに来てくれました。彼らとはLINEでやりとりをしているので私の順調な回復は聞かせていたはずですが、実際に普通にひょこひょこ歩いている私の姿を見た彼女は「ほんとに介護するものなしにフツーに歩いてる-」と驚きを隠せないようす。周りには手すりを使ってそろそろと歩いているリハビリ仲間達がいて、そんな姿を想像していたようです。そして今日はまた一歩前進。シャワーをあびました。染髪はしてもらっていましたがシャワーは初めて。これも、第一回目は看護師さんにあれやこれやと介助してもらうのが通常らしいのですが、私はとくに介助してもらう必要がありません。衣類の脱ぎ着から頭や体を洗ったりするのも普通にできるので看護師さんは「終わったらナースコールを押してください」とだけ言い残して去って行きました。若い女性に洗ってもらうのも恥ずかしいしちょうどよかった。でもナースコールを押したら今度来てくれた看護師さんは中年の方。あわててパジャマ着なくてよかったか。その方も、私がすべてひとりでやっているのを見て「自分でできるようですね」と言い残して去って行きました。何のためのナースコールだったのか。ま、その方が気を使わなくてこちらとしてもよかったのですが。私が服を着ているのを横でただつったって見ていてもらっても仕方ないですものねえ。今日は昼食の後、リハビリ室に行くことになっています。でも何かすること、あるのかな。普通に歩けるし階段の昇降も出来るし、さて。階段の3段上から飛び降りろとか言われたりしないでしょうね。たぶんそんなことをしたら手術室に逆戻り。
2024年11月10日
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昨日は手術後2日にして体につながれていた管が外れ、自由歩行ができるようになったと報告しました。ところが好事魔多し。発熱しました。37.7度。十年以上も微熱すら出たことがない私なので、この程度でもダルさがこたえます。しかも病院内で熱が出たことでコロナやインフルエンザの感染が疑われ、鼻の粘膜を取られました。が、検査の結果は陰性。安心したら熱も半日で下がりました(解熱剤ももらいました)。陽性だったら隔離され、4人部屋を出て個室に入れたのかなあと思うとちょっぴり残念な気持ちもないではありません。あとの大問題はお通じ。普段はきっちり毎朝、朝食後に立派なのを生み出す人なのですが、もう3日。昨夜は寝る前に下剤をいただきましたが、本日10時現在まだ兆候はありません。このままだと座薬を入れてもらうことになりそうで、昼食後の一番に予約をしました。それまでに自然分娩してくれるといのですけれど。とまあ、小さなことでバタバタしているところはありますが全体としては順調な入院生活ということになるでしょう。でも背中の傷口はまだ痛いので後で痛み止めをもらいます。日にち薬と人は言うけれど、やっぱり痛いものは痛い。
2024年11月09日
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手術が終わって2日目です。手術当日はお昼頃に手術が終わって次の日の夜が明けるまで、さすがに身の置き所のない状態が続きました。でも手術翌日の昨日からリハビリが始まり一気に体が解放され気持ちも楽になりました。まずは車椅子に乗せてもらいそこからリハビリ室へ。最初は平行棒につかまってまっすぐ歩いてくださいと言われました。難なく成功。次は歩行器を使って歩いてください。これも問題なし。手術の翌日からいきなり歩いてもいいことになりました。動くときはいちいち看護師に頼んでいたのが、自分でできることが増えたのでは全然気分が違います。ただ抗生剤などの点滴や血液排出のドレインなどがつながっているため動くときは必ず看護師を呼んでついてきてもらうことが必要でした。さらに今日はこの2つの管、点滴とドレインが外れました。もうどこにでも自由に行けます(外はダメ)。歩行器ひとつあればどこにでも、と言ってもトイレに行くか歯を磨きに洗面所に行くくらいですけど。それでも気分は爽快。とくに点滴をしていることもあってトイレはしょっちゅう看護師さんを呼び出して行っていたので、自分一人で行けるようになって要らぬ気を使ったりおしっこを我慢したりする必要がなくなりました(夜中は尿器を使っていたのでまだマシでしたが)。そんなこんなでこれまでのところ、トータルでは快適な入院生活と言えるかも知れません。食事は手術直後の昼食を除いては全部普通に出ます。ただ、誰も助けてくれないので自分で横になったまま食べた手術日のご飯だけ完食できず75%で力尽きました。でもそれ以前も以降も出されたものはすべてしっかり(美味しく)いただいています。ちょっと量が少ないのが玉に瑕ですけど、1日中動いてないんだからこんなものかな。写真は今日のお昼ご飯。
2024年11月08日
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今日はこれから脊柱管狭窄症の手術を受けます。全身麻酔のため朝から絶食絶飲。そう思うともうお腹が空いてきましたが、夜まで食事はありません。入院して3日目ですが、ここでいただく食事は普段の半分近くのカロリーしかないんです。でも、味がいいし動いていないせいかあまり量が足りないとは感じません。今までが食べ過ぎだったのでこのまま行くとやせそう。手術に対する不安はなく、あるのは痛みがなくなる期待ばかり。これまでちょっと歩くと足が痛くなっていたのが手術でそれがなくなり、以前のように元気にウォーキングやジョギングができるよう期待しています。そのためなら手術もリハビリもどんどん受けたいという気持ち。手術前夜の昨夜もワクワクしながらぐっすり寝ました。夜中に同室の人が、夢を見てうなされたのか一度叫び声を上げそれで起こされましたがまたすぐに寝ました。病院ってところは面白い。もうすぐ病院の朝早い朝食の時間ですが、こちらは絶食。暇です。でも暇なのも今のうちだけ。間もなく手術の準備の検査やらチェックやらが始まり、そのうち息子夫婦も訪ねてきてくれるのでにぎやかになるでしょう。パソコンに向かう時間があるうちに手術前の最後の日記を書いておきます。明日から書き込みがしばらく抜けてしまうかも知れませんが、術後の回復とともにまた復活します。それでは数日後に。
2024年11月06日
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昨日、無事入院の運びとなりました。いや、無事と書きましたがちょっとしたアクシデント?あり。昨日の日記に書いたとおり、病院へはバスや電車を使って向かいました。が、ひとつ手違いが。昨日は文化の日の振替休日。診察日ではなかったのです。そのため道のりの最後に使うはずだった、電車の駅から病院までの送迎バス(シャトルバス)がお休みでした。それを知らずにしばらく送迎場所で待っていたのですが、いつまで経ってもバスは来ません。もう一度、病院のホームページで確かめてみたところ、診察のない日は送迎バスもないとのこと。入院予定時刻よりだいぶん早めに家を出ていたので、時間に余裕はありました。しかしバスで行く思惑がはずれました。そこでもう一度駅に戻り、電車に乗り直して最寄り駅まで移動。さらに最寄り駅から病院までは15分の道のりを歩いて行ったため、もう汗びっしょり。ゆっくり歩く分には爽やかな風が吹いていて気持ちがよかったのでしょうが、ちょっと焦り気味だったので一杯汗をかきました。それでもともかく入院予定の30分前には病院に到着。がらんとした待合室でひとり汗をひかせました。そのうち職員さんが寄ってきて事情を話し、入院病棟受け付けに案内してもらいました。その後は説明やら何やら順調に行ったら、もうすることは何もありません。昼食、夕食を美味しくいただき夜もぐっすり。沖縄と奈良で2拠点生活をしている私は、最近両親の介護等で実家にも泊まることが多く枕が変わる経験をよくしています。そのせいか病院の最初の夜もゆっくりやすむことができました。手術は1日後。明日です。今日もまた暇な一日を過ごすことになりそう。ま、ゆっくりさせてもらいます。
2024年11月05日
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そんなわけで(どんなわけで?)今日、私は入院します。あさってが脊椎管狭窄症の手術です。ビビリの私は早めに各種の書類や持って行くものを昨日までに準備し終えました。それが意外と多い。入院する人は自家用車では行けないので、今日はこれからバスと電車、そして病院の送迎バスを使って病院に赴きます。しかし思ったよりも荷物が多くて、キャリーケースひとつで行くつもりがすべて詰め込むとあんまり重いので軽いものはリュックに分けました。徒歩5分、バス10分、電車5分、そして送迎バス20分。一番たいへんなのは坂道を上っていくバス停までの徒歩。Tシャツ、ワークパンツでリュックを背負ってキャリーケースをひきずりながら歩いている人を見ると、これから入院してあさって腰の手術をする人には見えないでしょう。知り合いに会ったら「どこかにご旅行ですか」と聞かれそう。とにかく、今日の奈良はいい天気でよかった。これで雨でも降っていたらこの大荷物に傘まで差してかなり難儀したはずです。私が入院し家に誰もいなくなるので息子が昨夜、先日亡くなった父の、納骨前の遺骨を預かりに来ました。じいちゃんを迎えに来るよりとうちゃん(私)を病院に連れて行ってくれた方がよかったのですけれども、彼も彼の奥さんも今日は仕事の日。私の方から「大丈夫、一人で行けるからそんなことで仕事を休まなくていいよ」と断ったときにはここまで荷物が多いとは予想していませんでした。ま、いいか。早めに出てえっちらおっちらバス停までの坂道を上ろう。幸い最近、歩くときに痛みがあまり出なくなってきたのでなんとかなるでしょう。なら手術を受けなくてもいい?いやいや、痛みが出なくなったと言ってもそれは普通に歩けるのとは全くレベルの違う話です。うまく歩けば10分やそこらは痛みを出さずに歩けるというだけでそれ以上はやはり痛くなります。それに日によっては最初から痛みがあるときもあるし、やっぱり普通とは全然違います。これが手術をしてすべて取れてくれればいいな。リハビリ、頑張ろう!
2024年11月04日
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「日本語とにらめっこ:見えないぼくの学習奮闘記」(モハメド・オマル・アブディン著、白水社)を読みました。入院用図書(明日から数週間入院するわたしの暇つぶし用に買った図書)のはずが面白すぎて、入院する前に読み終えてしまいました。困ったこっちゃ。著者のアブディンさんは全盲のスーダンからの留学生。19歳で日本に来て日本語を覚え、鍼灸の資格を取り、大学院に進学。現在は大学の教員、研究員として、またエッセイストとして活躍しています。本書は、全盲かつまったく日本語を知らなかった彼がいかにして自分で日本語の本を出すまでになったのか、彼の日本での「奮闘記」です。「奮闘記」は副題にもなっています。しかし「奮闘記」と言われると何か違和感を覚えます。面白がりな彼のキャラクターもあって、奮闘記というより周りの人に可愛がられながら楽しく日本語を覚えていった感じがしてなりません。奮闘はたしかにしているし並大抵の努力ではないほどの体験はしているのですが、苦労したことも大変だったこともすべてを糧にしプラスにしていく彼のポジティブな性格のゆえ、そんなに奮闘しているように見えないのです。アブディンさんのおやじギャグが大好きなところも災い(?)しています。それは同音異義語の多い日本語の特徴をうまく理解して、会話に応用していくということなのですけれど。たとえば鍼灸の仕事でいきなり全盲のアフリカ人がやってきたのでびっくりする日本人の客から、「出身地スーダンはどんなところですか」と聞かれ、「スーダンは日本より数段広くて、数段暑いです」と言ってすぐに距離を縮めてしまったりします。初対面人との少しの会話からすぐに出身地を当ててしまうほど方言にも造詣が深いのは全盲ゆえの耳の良さがあるのかもしれません。が、やはりそこには彼の強い探究心があるのだと思います。たくさんの親切な日本人たちに囲まれていたのもよかったのでしょう。私自身、盲人の学習の手伝いをしたり留学生の勉強に関わったりした経験があるので、アブディンさんの学習環境がいかに恵まれていたのかはよく分かります。盲学校や鍼灸の学校以外にもボランティア的にホームステイやホームビジットを受け入れてくれた人たち、また彼の入学後、点字にする機械や盲人用パソコンを要求に応じてすべて準備してくれた筑波大学。やはりこうしたサポートがないと彼の努力だけでは難しかったところもあると思いました。それにしても大人になってから日本に来てこれだけ日本語を扱えるようになったアブディンさんはやはり稀有な存在。いくら環境に恵まれていたといっても、それは彼の努力があってこそ環境も整っていったということ。熱心に勉強し「奮闘」したことがよく分かる本でした。遊び心というか、本書を読み進めていくと何でも楽しんでしまう彼の前向きの性格が随所に見えました。やはり盲人とか留学生とか関係なく、どんな分野であっても勉強は楽しんでやること、好きになることが大事。それはスポーツや習い事などでも同じ。そんなことを思わせてくれる、とっても気持ちのいい読後感をいただきました。
2024年11月03日
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11月1日から年賀状の発売が始まりました。ただ、今年10月に父が亡くなった我が家は来年の年賀状は出しません。この前に喪中欠礼の連絡をしたのはいつだったか。2006年に家族が亡くなったとき以来なので18年ぶり(「以来」と「ぶり」の使い方、合ってるかな)になります。18年前はたくさん喪中欠礼の葉書を出しました。その頃に比べれば出す相手が亡くなったり付き合いがなくなったりして、いまでは年賀状の購入枚数は当時の半分近くに減っています。今年は普通の葉書を買って欠礼葉書を出す予定ですが、いつ出せばいいのでしたっけ。私はあさってからしばらく入院(脊柱菅狭窄症の手術を予定)するのでそれまでにとも思いましたが、あんまり早いと受け取った方が忘れて年賀状をくれる可能性があります。郵便局の年賀状受け付け開始が12月15日なので、いくら早くから準備する人でも12月に入ってからがほとんどだと考え、退院後に出せばいいということにしました。手術が11月6日、医者は「入院は術後2~3週間」と言っているので11月下旬には退院しているはず。退院後の最初の仕事が葉書作成になりそうです。ま、葉書作成といってもパソコンで作った文面と保存してある宛先を印刷するだけのことなのですが。ただ1ヶ月先の話なので忘れないように早速カレンダーアプリの11月末に「喪中葉書を書くこと」と入れました。これ以外にもお歳暮の注文とか、いわさきちひろのカレンダーの注文とか退院後にやるべき予定がカレンダーアプリにたくさん入っています。その頃はリハビリも順調に済んで、もう脚も痛くなくなっているはず。1ヶ月後生まれ変わった私が元気に予定をこなしている姿を想像するのは楽しいですね。
2024年11月02日
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私は半世紀以上、阪神タイガースファンです。ここ最近は沖縄のキャンプにも行くほどです。昨年はクライマックスシリーズから日本シリーズと楽しみが長く続きました。しかし、阪神が早めにコケてしまい、Bクラスに終わった年などは10月に野球を見ることはありませんでした。日本シリーズに出場するチームは押さえていても、中継を見るでもなくいつの間にかその年の野球シーズンが終わっているという感じでした。でも今年は阪神が出ていないのになぜかソフトバンク対DeNAの試合中継を見てしまっています。たぶんこれも大谷効果のひとつでしょう。毎朝海の向こうの野球中継をドキドキしながら見ているせいで野球の生中継がもつ面白さに引き込まれ、夜もそんな気持ちになれることを期待してしまうのです。日本シリーズの視聴率を見ると、そう考えるのは私だけではなさそうです。フジテレビ系では朝の大リーグの試合を夜にも放送しているので、逆に生で放送している日本シリーズを見たいという野球ファンもいるのではないかと思います。ドジャーズが優勝し大リーグはシーズンが終わりました。日本シリーズはまだ続いていますが私の野球シーズンはこれで終わりかなあ。でもせっかくここまで見たのだから横浜決戦も最後まで見届けようかな。ところで今朝のニュースで驚きが一つ。前回のドジャーズ優勝のときはコロナ禍のため優勝パレードが出来なかったのだとか。そのためパレードは「1988年ぶり」なのだそうです。一瞬野球って紀元1世紀頃からあったのかと思いました。半世紀ほどのファンなんてたかが知れてますね。
2024年11月01日
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来週には入院して手術を受ける私。必要書類や持っていくものを準備していてふと思いました。私にとって日常生活で必須となっているのがパソコン。これ、病院に持っていっていいんだろうか。入院する病院の入院案内ページを見てみました。「電気製品の持ち込みはダメ(火災や盗難の恐れがあるため)」という項目はありますが、パソコンに関する記述はありません。電気製品ではあるけどまさかスマホは禁止されないでしょう。が、パソコンはどうなのかな。一般的にどうなのか色々な病院の案内を見ると禁止しているところもあれば許可しているところもあります。このブログをはじめ私には毎日ルーティンで回っているサイト、書き込んでいるサイトがあります。そういったところへのアクセスはパソコンがないとちょっと厳しいです。スマホでパソコンの代わりができないことはありませんが、フリック入力はキーボード入力ほど慣れていません。もしパソコン持ち込み禁止となるとちょっとつらいところです。そこで、先日購入したBluetoothのキーボードをスマホに接続するよう設定を行いました。試しに打ってみました。パソコンほどではないけれどフリック入力よりもずっと効率よく入力ができます。一応これなら使えるかな。でもやはり画面は小さいしパソコンと同じように扱える訳ではありません。パソコンが持ち込めるかどうか、直接病院に問い合わせればいいだけの話です。でも、もしダメと言われたらそれでアウト。なら、問い合わせないでそうっと持っていって使おうかという悪い考えも起こります。ま、ダメなときはダメでしゃーないか。思い切って電話をしてみました。え?OK?あっさりしたものでした。「ただし大部屋で消灯後に使ったり音を出したりなど、周りに迷惑になるような使い方はやめてください」とだけ。なんだ、散々気をもんで損した。スマホのBluetoothキーボードの接続も必要なかったな。NHK+やTVer、YouTubeもパソコンで見ることができれば、「おむすび」も「光る君へ」も「ワルイコアツマレ」も「ぽつんと一軒家」も見られるので、テレビカードも購入しなくてよさそう。テレビっ子ヨッサンとしては楽しい入院生活が送れそうです。案ずるより産むが易し。私は何を迷い、悩んでいたのでしょう。
2024年10月31日
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姉から連絡があり、先日亡くなった父の年金手続きをするために「死亡届」のコピーが必要だから送れと。一応、死亡届は喪主である私が預かっています。ただ私は実家から離れたところに住んでいるので事実上、各種手続きは姉に任せっきりです。すると、こういうことが起こるんですね。こうなるんだから私は死亡届も姉に持っておいて欲しかったのですが、物事の筋を重んじ、大事にする姉は「死亡届は喪主が持っておくべき」と譲りませんでした。遺骨も私の奈良の家にあります。父からしてみれば一度も住んだことのない家。戸惑ってないかな。いずれ納骨するべきお墓は実家や姉の家の近くにあり、そのときはまた父の遺骨を持ち帰ります。何事にも合理性を優先して伝統や慣習にはいいかげんな私、いろんな手続きに必要なのは姉の方だから死亡届にしても遺骨にしても姉があずかってくれないかなと心の中で思っていました。が、それでは姉が承知しないだろうと「私が奈良で預かるよ」と言うと姉夫婦は深く安堵した様子でした。しかし、私は独り暮らしですし、もうすぐ入院と手術を控えています。今回の年金終了手続きは私の入院前で何とか間に合いましたが、ほかにもこれから死亡届が必要な手続きが出てくるかも知れません。そこでコピーを2部取り、1部は年金手続き用、もう1部は今後また別件で必要になったときに姉にコピーしてもらう用にしました。さて、来週から3週間(おそらく)の入院中、父の遺骨はどうしましょうかね。亡くなっている人に寂しいも何もないと思っているのですが、近くに住む息子に預けた方が姉は安心するのかなぁ。
2024年10月30日
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「日本語界隈(にほんごかいわい)」(川添愛、ふかわりょう著、ポプラ社)を読みました。著者の川添さんは言語学者、ふかわさんはご存じ、芸人の方です。「ご存じ」と書きましたが、私自身は容貌は知っていますが、あまり芸については存じません。本屋の棚で見たこの本のタイトルに引かれ、無作為にめくって読んでみたページがあまりにも面白く、購入することにしました。衝動買いのようなものですが、通読してみて正解だと十分に思い知りました。川添さんはもちろんですが、ふかわさんがこんなに日本語の表現に造詣が深い方とは。お見それしました。本書は二人の対談形式で、さまざまな日本語にまつわる話題を語り進めていきます。読み始めは「川添さんにもっと解説して欲しいな、ふかわさん素人の割りに口を出しすぎて、うるさすぎじゃないか」と思っていたのですが、途中からは考えが変わりふかわさんの言葉に対する感覚の鋭さにすっかり魅了されてしまいました。川添さんはあくまでも学術的な観点から言葉を語り、ふかわさんは感性の部分で言葉を捉え、どんどん話題を拡げていきます。ふかわさんの疑問はみな現代に生きる一般の我々の疑問になっていて、思い当たることばかり。表紙の帯に書かれたいくつかの疑問はほんの一部、「そう言えばそうだな」という言葉に関する疑問がふかわさんの口から無限に溢れ出し、いかに彼が言葉に敏感なのかがよく分かります。しかもそんな疑問を次々と、楽しそうに語ります。それは対談後の川添さんの言葉によく表れています。「言葉について語るときのふかわさんの楽しそうなこと!お話ししていると、ふかわさんの「たのしい!」という思いが波のように押し寄せてきて(中略)私の頭のなかの堤防もいつしか「たのしい!」の波に呑み込まれ、気がついたらあっという間に時間が経っていました。」(同書234ページ)この気持ち、よく分かります。私もどちらかというと川添さんの側の人間です。でもそんな「凝り固まった頭」(同書)はふかわさんにかかると軽~くほぐされてしまいます。よくこんなに次から次と話題が出てくるものだと感心しますが、ふかわさんはそれだけ言葉を愛し、言葉に敏感で、言葉と楽しく遊んでいる人だとよく分かりました。来週入院するベッドの上で読もうと思っていた本なのに一気に読んでしまい楽しみがひとつ減りました。
2024年10月29日
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昨日はハロウィーンでした。本当は3日後の31日がハロウィーンなのですが、小学生の孫にとっては昨日の日曜日が仮想をして近所を回ってお菓子を集める(トリックオアとリーティングの)日でした。私は昨日ちょうど彼のベビーシッターを仰せつかっていたので、彼の家にやってくるご近所の子どもたちにお菓子を配る役割も果たすことになり、魔女やおばけになった幼稚園から小学生の子どもたちのかわいい訪問を受けました。そんな話をある人にしたところ「日本も変わりましたね」と。その人はハロウィーンとは渋谷など繁華街に集まって飲んで騒いで路上パーティーをする日だとばかり思っていたみたいです。なのにいつの間に子どものお祭りになったのかという疑問が出てきたようでした。いやいや、私の知っているハロウィーンは30年以上も前からこちらでなんですけど。アメリカに住んでいた30年ほど前、うちの子供達はハロウィーンの日に「トリック・オア・トリート」と声をかけながら近所を回っていました。各家々の窓にはかぼちゃのお化け(ジャッコランタン)が飾られてありました。うちの窓にも当然あって、その飾ってあったプラスチック製のジャッコランタンは帰国時に持って帰り、一番下の子どもが小学校を卒業するくらいまでは日本でも飾っていました。こちらが正統なハロウィーンなのかとずっと思っていたので若者風俗を中心にしたものがハロウィーンだという認識を聞いたときにはちょっと驚きました。いずれにしろ楽しい習慣が根付いていくのはいいこと。商業主義と絡んでいるとは思いますが、渋谷の路上パーティーもUSJのゾンビーナイトも他人に迷惑をかけない範囲でやるのは結構なことです。ただ私としては仮想した子どもたちが家々をまわってお菓子を集めるのを見るのが一番楽しいかな。 (孫はハリー・ポッターだったそうです)
2024年10月28日
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久しぶりにトイレが詰まりました。レバーをひねっても水が流れていきません。これはヤバいですよ。以前はあわててトイレのスッポン(正式にはラバーカップと言うのかな)を使ってみたりしましたが直りません。それもそのはず、原因は便器の近くにはありませんでした。問題は敷地内の会所枡。下水への排出物が一旦集まる場所です。我が家には会所枡が2つあり、1階のトイレは第1会所枡に、お風呂や洗面所、台所、2階のトイレは第2会所枡に流れていきます。排水は第1会所枡から第2会所枡に流れ、そこから地域の共同の下水に流れていく仕組みです。そして、我が家のトイレの詰まりはいつも1階で起こります。もう何度も起こっているので原因はわかっています。第1会所枡から第2会所枡へのパイプの詰まりです。今日も第1会所桝を見ると、すでに溢れかけていました。枡の蓋を開けると排水や汚物が満々とたまっていました。いつもと同じだ。そこでいつも通り、長い棒を第1と第2の間のパイプに通して詰まりを取り除きました。手慣れたもので、ものの1、2分で詰まりはなくなり流れは元通りになりました。家の中に入ってトイレを見ると便器で漂っていたものはすっかりなくなっていました。しかしなぜたびたび(数年に1回は起こります)詰まりが生ずるのか。その原因は会所枡の位置です。枡の周りには芝生が生えていて、徐々に根を伸ばして会所の中にも侵入するのです。それが詰まりの原因になっています。今は原因も分かりすぐに解消できますが、最初は理由がわからずあたふたしてトイレにスッポンを常駐させていました。とくに1回目が起こったときのすぐあとにゲストが来て、トイレに行くと言ったあと随分長い間出てこず心配しましたが多分自分のものが詰まったためにスッポンを使って自力で解決させていたのでしょう。一応流れてはいました。それ以降は原因が分かり、つまらせたままにすることはなくなりましたが、あのときのゲスト(それがまた若い女性でした)には本当にかわいそうなことをしました。
2024年10月27日
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11月に受ける手術や入院について、執刀医と麻酔医の説明を受けてきました。別の種類の手術ですが、半年前に手術を受けた姉から「いろいろと脅されるよー」と聞いていましたが、まあたいしたことはありませんでした。たしかに出血が思ったよりひどく輸血が必要になるなど、最悪の事態に関する情報を色々と聞かされましたが、確率の問題なのでお気楽な私はあまり自分ごとと捉えることなく、説明を聞きました。家族と一緒に聞くことになっていたので、長男の嫁に付き添ってもらいました。彼女もどちらかというと私と同じオプティミストです。どんなに厳しい可能性の話にも笑顔で反応。医師の前で「じいじ、もう手術をやめようと思ったんじゃない?」と冗談が出るくらいでした。こういう人がいるとどんな話も深刻になりません。あんまりフランクに馬鹿話を交わしていたので看護師さんから「娘さんですか」と尋ねられました。「いえ、息子の嫁です。」しかしやるべきことはやってくれる信頼の置ける人でもあります。受け取ったたくさんの説明用紙、いつの間にか「必要なところは写真を撮っておいたから」と。そのあたりは抜け目がありません。もともとは息子が来る予定でしたが、用事が重なったために嫁の方が代わりに仕事を休んできてくれました。息子を信用していないわけではないけれど結果的に嫁が来てくれてよかったです。入院中もどちらかというと嫁の方に世話になると思いますし。その代わりというわけではありませんが、今日は彼らの次男、小学4年生の孫のベビーシッター。これは私が手術をすると決めるずっと前から入っていた予定です。今日と明日の二日間、彼と一緒に半日ずつ過ごします。昨日のことやこれから入院中にお世話になることもあり、ちょうどよかったかも知れません。今日ちょっと恩を売っておき、これからは息子夫婦にいろいろ頼んじゃおうかな。まずは手術の日に二人には立ち会ってもらうことになっています。私は別に誰にも来てもらわず一人で手術を受けようと思っていたのですが、彼らは最初から予定を立てていてくれました。そんなものなんですね。私が非常識だったようです。しかし、日ごろそれほど会うわけでもないけれど、こういうときは立ち合いを当然と考えてくれる家族がいるのはありがたいものだと実感しました。
2024年10月26日
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今季の朝ドラ「おむすび」の評判があまり芳しくありません。前季の「虎に翼」の評判がよかった分それと比べられたり、有名なモデルのいない現代劇は当たらないと言われたり、さまざまな「不評」の理由がネットで言われています。私も今のところフォローはしていますが、正直言って惰性で見ているところはあります。NHK-BSで「おむすび」の前に放送されている再放送枠の「カーネーション」が面白く、そちらにつられて見ていると言っても過言ではありません。「虎に翼」や「カーネーション」に比べて「おむすび」はなぜ今ひとつなのか、私も考えてみました。今日の回を見ていてちょっと分かった気がしました。ひとことで言うと次の展開に期待する「ワクワク感」がないのです。もちろん「おむすび」も徐々に話は進んでいくのですが、話の筋にあまり関係のない小ネタを間に挟みすぎて、ストーリーの展開が遅すぎます。阪神大震災がきっかけになるのは視聴者には分かりきっているのに、そこに至る流れが遅く思わせぶり過ぎです。優れた作品は15分のなかで思いも寄らないことが起こり、解決しようとしてさらに次の展開へと視聴者が導かれます。各回ごとに新しい問題が持ち上がりそれを何とか解決し、しかしまた次の問題が起こる。それがどうなるのか、視聴者は次回を期待します。1回の放送分を見るだけでも満足感があります。ときには次の回だけでは解決できず一旦脇の流れに進んでいくことがあっても、そのうちにこの問題は必ず「回収」されます。「おむすび」は一つ一つの問題をひっぱりすぎ、その結果ストーリーの内容が薄~いものになってしまっています。「虎に翼」は毎回見終わったあとに言葉で言い表せないスカッとした充実感がありました(「佐江子」のときだけはモヤモヤが残りましたが)。その満足感を得るために毎回、見るのが楽しみでした。様々なエピソードがみな女性の置かれている立場や人権意識などと結びついていました。「おむすび」は今のところ物語の芯になる部分が見えません。ただ、色んな小さなエピソードを小出しにしている感じです。そのうえ一つ一つのエピソードはなかなか視聴者の共感が得られにくそうです。たとえば今日の回、ヒロインたちが踊るパラパラが観客の心を捉えヒロインの心も変えていくほどのものだったでしょうか。登美丘高校のバブリーダンスくらいのインパクトがあれば別ですが、そんなにノリノリとも思えない、あの程度のダンス(失礼)で劇的に観客の心をつかんだとする展開にはかなり無理があったように思います。神戸編になる次週には若干期待しますが、そこでも話の流れが遅いようだと多くの視聴者が、そして私自身が脱落してしまわないかちょっと心配です。
2024年10月25日
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へッジトリマー(生垣バリカン)を買いました。これまで使っていたものの調子が悪くなったようだからです。「ようだ」というのは、これまで使っていたものを貸していた人から「調子が悪い」と連絡があったからということ。お貸しする直前に自分で使ったときは何ともなかったんだけどなぁ。変な使い方をして壊したんじゃないの?などという文句は一切言わず「長く使ったのでもう限界だったのかな」と一言。本当に限界だったとしたら、ちょうど借りたときに壊れたのは借りた方の災難です。これがもっと高額なものなら文句も出たかもしれませんが、せいぜい数千円のもの。買い替えるタイミングかな。そう思い、ホームセンターに出かけました。予算は5~6千円と踏んでいましたが、お店で実際に5800円のものを発見。と思ったら、それは充電式でした。私は充電式じゃなくて長いコードをつけたやつの方がいい。これまでのもそのタイプです。そちらのタイプを見ると安くても1万円ほど。前に買ったときもそんなにしたんだっけ。めったに使わないものにかけるには少しばかり大きなお金です。そこで、リサイクルショップで掘り出し物がないか探してみることにしました。ありました。これ、税込み2,200円。見たところきれいで、そんなに古ぼけた感じもありません。お店の人に「完動品ですか」と聞くとそうだと言い「使用して不具合があれば返品を受け付け、返金します」とのこと。これまでのものに比べるとやや大ぶりで重そう。前のトリマーを貸している人は小柄な女性なのでちょっと扱いにくいかなとは一瞬思いましたが、その人のために買うのではないのでこれが一番安かったし、で購入を決定。家に帰りさっそく、庭のこんもり繁ったヤマブキを刈ってみました。これだけ刈れれば上等!これまでのものよりちょっと重いし、音も大きいけど文句は言うまい。なんせ8千円のお得ですから。前のトリマーを貸している彼女は文句を言うかもしれないけど、それは知ったこっちゃございません。
2024年10月24日
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もうすぐ行う腰の手術と入院のため、その間に読む本を探しに書店に行きました。手術や入院をするのは久しぶりです。手術は20年ほど前にキャッチボールをしていて小指の骨を骨折して以来。入院となるとさらに10年ほど前に慢性疲労症候群(の疑い)で大阪の病院に数ヶ月入院して以来です。前回の入院のときは暇つぶしのために本や小型のテレビを持っていきました。でも入院しているときって、いつもは普通に楽しくやっていることができなくなるんですよね。このときはあまり本を読む気になれませんでした。ま、病気が慢性疲労症候群というもので表向きはうつ病に似た症状があり、何をするにも気力が出てこないというものでしたから無理もありません。いま思うとそのときは何をして暇をつぶしていたのか。本は読めなかったと記憶していますが、では何をしていたのかが思い出せません。でも今回は違うはず。外科的な手術で歩行のリハビリをしながらの入院ですから、本を読む気力は普通にあるはず。このところ外出をするたびに本屋さんに立ち寄り、入院中に読める本を探して書棚をチェックし、面白そうな本を見つけては購入しています。しかし入院前だというのに、買った本をつい読み始めてしまい、面白くて読み進めてしまうありさま。入院用の本を入院前に読んでしまい、また新しい本を購入しなければならない状態が続いています。そんなとき、以前に買ってはみたものの何となく読みそびれて家の本棚に並んでいる本が代わりになってくれます。面白そうと思いながらテーマが固かったり大部だったりして何となく手を出せていない本はこういうときが読むチャンスかも知れません。話は少しずれますが、私は料理や洗濯などの家事のときに生じる「待ち時間」が好きです。後でやろうと思って放っておいたことが、待っている間の空白を利用して片付けられるからです。つい面倒くさがって放置していることが空白時間に片付けられる。入院もまた時間の有効活用をする機会にしたいものです。
2024年10月23日
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昨日は久しぶりに歩いた歩数(「馬の競馬」的重複?)が5千歩を超えました。あまり趣味のない私ですが、ウォーキングやジョギングは毎日欠かさず行う、趣味とも言えるほどの習慣でした。それが1年あまり前に椎間板ヘルニアによる脚への痛みが出だしてから買い物などの歩行にも支障をきたすようになり、歩くことがグンと減りました。ひどいときは杖をついて歩き、痛みが少しマシになってからもショッピングカートやキャリーバッグを杖代わりにして歩いていました。それが昨日は何にもつかまらずに5千歩を超えて歩くことが出来ました。奈良のなかでは比較的大きなショッピングモールに行きました。ここに行くときはいつも入口でショッピングカートをゲットし中を移動する時はずっとそれを押して歩きます。階を上下するときも必ずカートを押しながらエレベーターを使い、ベビーカートを押すお母さんやお父さんとご一緒するのが常。なのに昨日は駐車場から建物まで歩いてもあまり痛くなかったのでモール内もカート無しで歩いてみました。カートなしでも割りといけます。歩き方に気をつけさえすればカートなしでも連続してずっと歩けました。モール内で歩いた歩数は4千歩以上。それでも痛みが出ないのは最近ではちょっとめずらしいかも。ふと、「これなら来月早々に予定している脊柱管の手術はしなくてもいいのでは?」という考えが浮かびました。でもすぐ考え直しました。これはめったにないことだし、どっちにしろそろりそろりと歩くのに変わりはありません。去年の前半までは痛みが出ることなど心配せずに歩いたり走ったりしていたし、痛みが出ないように気をつけて歩くモンキーウォーキングやちょこちょこ歩きなんかしていませんでした。背筋を伸ばしてまっすぐ立っただけで痛いので、立っている時は常に身をかがめた姿勢をしているのはやっぱり普通ではありません。昨日痛くならずに5千歩超歩けたのはたまたま。手術をして以前のように毎日1~2万歩あるけるようにならなくちゃ。
2024年10月22日
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「ナツコ 沖縄密貿易の女王」(奥野修司著、文春文庫)を読みました。本書が最初に単行本として発行されたのは2005年、その後2007年に文庫本になりました。著者の奥野はこの本で「大宅壮一ノンフィクション賞」を受賞しました。本土ではあまり目にしませんが、沖縄の書店ではいまでも郷土本コーナーだけでなく、平積み台にもよく置かれています。前々から気になっていた本ですが500ページ近くあるボリュームに圧されてしばらく「積ん読」していた本でした。読んでみるとその展開の速さとしっかりした事実の裏打ちに、どんどんと読み進めていけました。沖縄は第二次大戦後、日本から切り離され米政府の政権下に置かれ、経済も本土とは切り離されていました。アメリカのお粗末な占領行政の下に置かれた沖縄はアメリカからも日本からもまともな物資が入ってこない状態が続き自分たちで「何とかしなければならない」立場に置かれます。そこで生きるためにやむなく行ったのが「密貿易」でした。密貿易と聞くと私腹を肥やすのが目的のような悪印象が強いですが、当時の沖縄ではそれが生き残りの手段でした。そこで若くして才覚を現したのがナツコこと金城夏子でした。夏子は商売の才能や情報収集能力に長け、若くして沖縄の「密貿易」の中心人物になっていきます。20代の若い小柄な女性でありながら、大男達は彼女の手下か子分のように働き、誰ひとり文句ひとつ言わなかった、言わせなかった。それだけの才覚があった人物でした。本書は、それまでほとんど記録にも残っていなかったこの夏子の生涯を、家族や関係者を丁寧に調べ上げ、多くの証言を得たうえで再構築しました。本書によって戦後の沖縄の経済活動の礎を築いたと言ってもいい「密貿易」の実態が、夏子という女傑の生涯を通じて明らかになりました。本書はウチナーンチュ(沖縄人)が誰にも支配されず主役となって活躍した時代を、夏子を通じて描き出した歴史書としての価値をもっています。と同時に、夏子と娘達の家族の物語でもあります。夏子が晩年、といっても30代後半ですが、娘達に見せた深い愛情を描いた第10章と終章は、ノンフィクションでありながら涙なしには読めませんでした。物語としての味わいを持ちながら沖縄の戦後の庶民史を知れる好著です。
2024年10月21日
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衆議院議員選挙の期日前投票をしに、市役所に行ってきました。以前の不在者投票の制度は入院中や仕事の出張など、よほどの事情がない限りできないものでした(少なくとも私はそう認識していました)が、新しくなった期日前投票制度では必ずしも投票日当日に投票所に行けない事情を明らかにしなくても簡単に期日前投票ができるようになりました。私も27日には出かける用事がありますが、本当は当日投票を済ませてから出ても大丈夫なんです。それでも念のために早めに期日前投票を行いました。これまでは投票日当日も期日前投票の時も、周りを見渡してみると私の同輩か先輩がほとんどというのが当たり前でした。でも今回はちょっと違った雰囲気が漂っていました・・・若い人が割りと多いんです。50歳前後の親と一緒に来た、有権者になったばかりぐらいの若者。小学生の子どもたちを連れた夫婦連れなども目立ちます。小学生の孫を連れたおじいちゃんも見かけました。さすがに小学生の孫は投票できませんが、これくらいの歳から選挙の雰囲気を味わっておくのはいいのではないですか。投票を終えてブースから出ると新聞記者が待ち構えていました。この女性記者、前回も私をつかまえて「出口調査」をしていた同じ人だ。是非今回も協力をしようと思ったのですが、手に持っていたゴミを先に捨ててからと思いゴミ箱の方に歩きかけた私を見て、彼女は諦めてしまいました。申し訳ないことをしちゃいました。ま、私が調査に協力しようがしまいが調査の大勢に影響はありませんが。でも選挙は「自分の1票があってもなかっても同じ」ということはありません。小さな1票が集まって大きな流れができます。その意味で、今回投票所で見た多くの若い人たちの姿は頼もしく感じました。政治に関わるチャンスはしっかりと使いたいですよね。
2024年10月20日
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私は11月になると手術を受ける予定です。去年から脚に痛みが出て日常生活もままならなくなりました。椎間板ヘルニアという診断を受け、ブロック注射を受けながら静かにしていれば引っ込むこともあると言われましたが、私の場合はそもそも脊柱管が狭くなっているのでそれだけでは治りませんでした。痛みが出だした当初はだましだまし暮らしていましたが、自然治癒はしそうもないので入院し手術をすることにしました。そしてそのための術前検査をいろいろとしたのですが、心臓の検査で引っかかりました。心臓についてはその昔、先天的奇形があるために心電図のデータに異常が出ると言われたことがあります。今回もそれだと高をくくっていたのですが、本当に問題がありました。端っこの血管に梗塞というのか血栓というのか、やや詰まりかけた部分が見つかりました。手術には問題ないということで、入院・手術は予定通りでいいとなりましたが、心臓に本当に問題があったことにはちょっとびっくり。定期的におこなっている血液検査ではコレステロールの値など、どの項目もいつも標準値なので心配していませんでした。一般的な血液検査だけではわからないこともあるのですね。でも逆に言えば、今回手術をすることになって検査をしたからこそ見つかった心臓の血管の詰まり。血液検査のデータにも自覚症状にも現れず気がつかなかった異常がこういう形で見つかったことはむしろラッキーでした。手術が終わってリハビリも済み、退院した後の12月に心臓カテーテルを行うことになりました。この際ですから体を一度オーバーホールして、元気な状態に組み立て直してもらいます。
2024年10月19日
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本日は車の12ヶ月点検でした。購入後7年と時間が経っているぐらいで、ほぼ何も問題はないそうです。「前回からあまり距離が出ていませんね」と言われました。このところ遠出と言えば片道200kmの和歌山の実家を往復するぐらいでした。それも月にせいぜい2~3回。あとは月1~2回の関西空港往復だけ。普段はほとんど市内で買い物するかウォーキングのために適当な場所まで車に乗っていくか、ぐらいしか乗っていません。しかも月の半分は沖縄にいるので本土で車に乗る機会はますます少なくなっています。奈良でいま乗っている車を購入したのが2017年の10月。沖縄で車を購入したのが2022年12月。沖縄の車はもうすぐ購入後2年ですが、まだトータルで6千キロも乗っていません。沖縄本島内では遠出をすることができませんからね。よく行くところで比較的遠いところと言えば美ら海水族館でしょうか。それでも家から100キロもありません。現役バリバリで毎日通勤に使っていた頃は奈良の車の走行距離だけで年間2万キロを越えていました。それに比べたら随分乗らなくなったものです。以前の乗り方なら(そして沖縄との2拠点生活をしていなければ)いま頃この車は15万キロを越えていたでしょう。でも実際は10万キロを少し越えたぐらい。とくに調子の悪いところもありませんし、この分ならもうしばらくは乗り換えずに済みそうです。あと5年ぐらいもってくれればうれしいのですけど。その頃には私もトシをとり、運動神経も徐々に落ちてきているはず。次の買い換え時には自動運転車が欲しいと思っています。世間では来年、2025年にはレベル4の自動運転が一部実現するといっていますが、完全自動運転のレベル5まではもうしばらくかかりそうです。レベル5が当たり前になるまで、いま乗っている車と私は元気でいられるでしょうか。何とかもう少し私も車も頑張らなくては。もっとも沖縄の車はまだ購入2年の5千キロなので世の中がレベル5になってもまだ手動運転は続きそうですけどね。
2024年10月18日
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父の葬儀に出席してくれた参列者の芳名帳を整理しました。出席は前夜式44人と告別式35人、のべ79人でした。102歳の父はもちろん、私を含めて子どもたちもすでに現役を離れています。そのため子や孫の職場関係の出席はなし。参列は近所の人や親戚が中心で、たまにかつて父の同僚だった人が混じっていました。私の妻が亡くなった時は、彼女には友達も多く、夫(私)も現役、子どもたちも現役ということもあり百を優に超える参列者がいましたが、超高齢者となるとまあこんなものでしょう。参列してくれた人の住所も同じ町内か隣の市や町がほとんどでした。前夜式の弔問44人のうち同じ町内の人が42人、あとの2人が隣の市と町から、告別式は35人のうち町内からが30人、それ以外が5人でした。5人の内訳は同じ和歌山県が2人、大阪府が2人、三重県が1人でした。遠方の人たちも、いずれも日帰りする人たちばかり。東京などに住む人からは弔電が届いていて出席はありませんでした。満102歳の大往生。それなりに悲しさや寂しさはありますが、参列者も年齢層が高く比較的静かなお見送りとなりました。それにしても、訃報を知って最初に届いた弔電が町長から、そして今回の衆議院議員選挙に立候補予定の(この時点で公示前)保守系候補のお二人が続いたのにはちょっと呆れました。機をみるに敏というか半ば事務的に送っているのかは知りませんが、こういう「無意味な挨拶」に政務活動費など税金を使うのはいかがなものかと思ってしまいました。
2024年10月17日
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最近よく昭和の頃は雑誌の文通欄に住所や電話番号が掲載されたとの「あり得ない」話題を耳にします。芸能人やスポーツ選手の住所も普通に誰もが知ることができた、性善説に基づいて一人ひとりの市民が信用されていた時代だったのでしょう。時には誘拐事件などの犯罪を誘発したりしましたが、そういうのはめったにいないとんでもない輩が引き起こす、例外的なことがらとしてみな認識していたのでしょう。あとの人はほぼみんな常識や善意を持っている人たちであると。その、素朴な善意が今も残っているのが沖縄だと思います。本日付の新聞、沖縄タイムスにこんな広告がありました。(2024年10月16日第14面)左側はサラ金の広告ですが、右側は首里高校の同窓会を知らせる一般個人による案内広告です。問い合わせ先として二人の方の個人の携帯番号が載っています。新聞では全ての番号が記されていますが、一応こちらに転載するにあたって一部を塗りつぶしました。沖縄は地元のつながりが強く、各高校の同期会(クラス会)が盛んなところ。街なかを車で走っていてもこれと同じような内容の大きな横断幕を目にすることがよくあります。そこにも幹事さんでしょうか連絡先の名前と携帯番号が堂々と書かれています。本土で暮らす人の多くは、これは明らかに個人情報の公開、漏洩と受け取りますが、沖縄では公開することで悪用されるデメリットよりも連絡が容易になるメリットを優先しているのでしょう。本土出身の私がつねづね感じるのは沖縄は大都会であっても何か田舎の雰囲気を持っていることです。人々の助け合いの風土を残し、家や一族のつながりを重視し上下関係を大事にする、ときにはそれにしばられて身動きが取れなくなってしまうこともあるのかもしれません。それがいいとか悪いとかではなく、それが沖縄ということだと思います。歴史や風土は違いますが、本土の田舎に通じるところもあるのではないかと感じます。「黄金の花」の歌詞ではありませんが、これからも素朴で純情な人たちに満ちた島であってほしいなと思います。
2024年10月16日
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今日は近所の病院で検査を受ける日でした。受けるのは造影剤を入れた心臓CT検査。14:30に予約を入れていましたが、その前に心電図を取ったり点滴を刺したりするので30分前に来てくださいと言われていました。この病院は家から15~20分ほどで行けますが今日は別の用事を済ませてから行く予定にしており家を早めに出ました。別件の用が早く済んだので病院に到着したのはかなり早い13:20。いくら何でもちょっと早すぎると思い車内で20分ほど読書。13:40に病院の門をくぐりました。機械で再診受付をして、出てきた診察用ファイルを持って最初に行くように指定されていた心電図受付へ。ファイルを提出し呼ばれるまで待っていようとしましたが「すぐに出来ますから中に入ってください」と。心電図検査が5分ほどで済み、次は点滴をしてもらうための処置室へ。こちらでもほぼ待ち時間0ですぐに中に呼ばれました。点滴の針刺しも無事にでき、点滴コードをつけたままいよいよCT検査室へ。予約した時間より早い14:15。たまたま前の予約がなかったのかキャンセルになったのかは知りませんが、検査室に入るとすぐに検査台に寝かされました。そしてあれよあれよという間に検査開始。これが10分あまりだったでしょうか。最後は造影剤検査。熱くなると聞いていたので楽しみにしていましたが、一瞬熱くなっただけですぐに平常に戻ってしまいました。「こんなものか」とちょっと拍子抜け。このように各セクション前倒し、前倒しで私の初造影検査は滞りなく(あっけなく)終了。時計を見ると14:42でした。すべて終わったので会計にファイルを提出し、待つこと数分。これまた早く処理ができ、ゆっくり読書するまもなく私の会計番号が点灯し、料金を支払って領収書が出てきたのが14:49。駐車場に着いてから1時間半、院内に入ってから1時間20分で本日の診察(検査)は終了。かなりいろいろなことをしましたよ。なのにこの時間ですべて終わるとは。他に患者もたくさんいたのに、なんてテキパキした病院なんでしょう。しかも職員がみなニコニコしています。きっと患者ファーストの精神が浸透しているのでしょうね。ここなら入院するのが楽しみです。
2024年10月15日
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父の葬儀が終わり奈良に帰ってきました。2日続けての喪主挨拶も、滞りなく?こなしました。前夜式と葬式に来てくれる人は同じ人も多いので違う挨拶をした方がいいよと言われていてそのような準備はしていましたが、驚いたのは牧師の話が前日とは全然ちがったことです。喪主挨拶は多少変化をつけて、と思っていたのが牧師の話の内容を聞いてこちらも急遽、大幅に変更せざるをえませんでした。前夜の内容の3割ぐらいを変えようかと思っていましたが、結果的に8割ぐらい変わりました。もともと話そうとしていた内容は5割ぐらいに激減。あとは牧師の話に呼応したアドリブになりました。前夜式の出席者は身内のほかは信者さんたちがほとんど。でも葬式には近所の人や信者でない人がたくさん来てくれます。クリスチャンでない人は牧師の話や讃美歌などはあまり聞き慣れていません。「普通の」言葉を聞くのは喪主の挨拶ぐらいなので、牧師の話の翻訳ではありませんが信者でない人にもわかるような言葉で挨拶を心がけました。冷静に話をしたつもりでしたが、病気入院中で葬儀に参列できなかった99歳*の母のことを話した時はさすがに感情が込み上げてきました。とにかくこれで一連の行事は一区切り。今後は腰の入院・手術に向けて自分のために時間を使わせてもらいます。*数日前に誕生日を迎えたのですが、間違えて98歳だと思っていたので挨拶の途中で姉に訂正されました。この日記にも98歳と書いてしまった箇所があります。
2024年10月15日
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昨夜は前夜式(通夜)が滞りなく終了。本日は父の葬儀の日です。キリスト教式の葬送は久しぶりで段取りを忘れていましたが、敬虔な信者だった父を他の方法で送り出すことはあり得ません。ただ喪主と言っても「お仕事」は遺族代表挨拶ぐらいのことであとは借りてきた猫みたいにしていれば周りがちゃんと動いてくれました。その挨拶、ちゃんとできたかな。たくさんの人の前に立ってしゃべるのは久しぶり。一般の葬式と違うので禁句がどうとかとか信仰関係用語とかで戸惑う気持ちはありましたが、ウケ狙いも不要ですしまあなるようにしかならないと腹をくくってやりました。準備7割、アドリブ3割。時間を計っていなかったのでよく分かりませんが、実感としては3、4分ほどかな。今日は葬儀です。たぶん同じような人が集まるので前夜式とは挨拶の内容を変えなければなりません。これだから何かの主役になるのは嫌いです。もっとも本当の主役は父ですけど。こちらは物言わぬ主役。私はものを言う方の主役。あっけなく逝った父にあわてて帰省したのが金曜日。土、日、月と父と二人で過ごし今日で4日目。今日でお守り役から解放され日常生活に戻れます。明日は私自身の病院の予約があるので、今日は火葬を見届けた後すぐに3~4時間かけて奈良に帰ります。葬儀後の片付け、諸手続などは残っていますがしばらくは自分自身のために日々生活させてもらいます。
2024年10月14日
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さて、本日は10日に亡くなった父の前夜式。いわゆるお通夜です。自宅で行うため、朝から葬儀屋が来てバタバタ。といっても、対応はほとんど姉とそのダンナがやってくれているので私はちょこちょこ意見を言うぐらい。ほぼすべて姉のペースで段取りが決まっていきます。この姉、細部にとてもこだわりが強い人なので柩や献花の位置、会葬御礼葉書の文言の一言一句がきちんとなっていないと気が済みません。私は腰に痛みをかかえているので姉がすべて取り仕切ってくれるのは助かります。しかもダンナがこれまたよく働く人。姉の指図通りにも動くし、自分から意見も言うタイプ。たぶん普段は姉の好きなようにさせているけど重要な決定はダンナがやっているんじゃないかな(推測)。どちらも表に出たがるタイプなら結婚生活は何十年も続いていないことでしょう。もうすぐ金婚式だけど、夫婦の間に波風が立ったという話は聞いたことがありません。と、父の葬儀の段取りの話が姉夫婦の評定にすり替わってしまいました。とにかく姉夫婦には感謝。いま姉夫婦はいったん自分の家に帰り、弔問客や業者がいつ来るか分からないために実家を離れられない私(一応、喪主)や、これから到着する私の子どもや孫のためにおにぎりを作って持ってきてくれるそうです。永らく嫁として義両親の世話をしていた姉。東京暮らしも長く声楽家でもある姉ですが、案外田舎の嫁の典型だったのかも。
2024年10月13日
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昨日は父の死亡報告をしに、母が入院している病院に面会に行きました。現在この病院では、流行しているコロナのために原則として面会は禁止状態が続いています。しかし、父が亡くなったことを母に告げないわけにもいきません。さいわい昨日はちょうど母の98回目の誕生日でもありました。それで特別の許可をもらって、15分の面会をさせてもらいました。入院してから2週間あまり面会禁止のため誰とも会っていない母は私の顔をみて満面の笑み。まず「誕生日おめでとう」と言ってからすぐに父の死を話しました。「誕生日にふさわしくない、つらい話だけど昨日お父さんが亡くなったよ」と話すとしばらくつらそうにしていました。ただ、つらい顔も20秒ほど。そこから孫やひ孫の近況を話しているうちに母はそちらの話に夢中になりました。そして「あなたの奥さんはどうしてる?」というので「もう20年近く前に亡くなった」と言うと「エッ!」と驚き、父が亡くなったことを報告したときよりもびっくりした様子でした。これなら連れ合いが亡くなったショックもそれほどではないかな、とひと安心。認知症がなく頭がしっかりしていたなら、面会謝絶の病室で孤独のなかで悲しみにふさぎ込んでいたでしょうが、この調子ならおそらく父の死のことももう忘れていて、息子が会いに来た喜びだけが心に残っていることしょう。病室を去るときは「もっといて」とずいぶん引き留めたがりました。そして「早く退院してまた会いに来てもらいたいから健康に気をつける」と言っていました。きっとこうしてつらいことは忘れ、楽しい思い出だけが残るよう神様は人間に認知症を与えてくれたのでしょう。
2024年10月12日
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父が4ヶ月ぶりに帰宅。無言の帰宅です。4ヶ月前、この家を出て施設に入ったときは話もしたのにな。あっけないものです。いや、102年と1週間も生きたあとの大往生ですから、あっけないという言葉はふさわしくないのかも知れません。でも4ヶ月前のことを思い出すと、人間ってこんなに簡単に生から死に移っていくのだなという気持ちがぬぐえません。4ヶ月前は一緒に服を着替えたりご飯を食べたり昔の思い出話をしたりしたのに。高校を卒業してから実家を離れ、帰省しても数日「お客さん」として滞在しただけの私でしたが、最後は一緒に暮らせました。今年は前半から、2人暮らしをしている両親の世話を中心になってしてくれている姉が入院したり、母が骨折をして入院したりで、私がそのたびに助っ人として実家に帰省し、両親と(または父と)一緒に数週間にわたって生活をともにしました。こんなことは高校卒業以来初めてですが、少しだけ親孝行のまねごとをさせてもらえました。別々に離れて生活していて、「チチキトク スグカエレ」ではなかったのはよかったかな。今日10月11日は母の誕生日。98回目です。姉によると父の逝去のことはまだ伝えてないとか。いまは病院のベッドで寝たきり状態なので、伝えたところで父の葬儀に出ることもできません。聞いたときは悲しむでしょうが、認知症のためにすぐ忘れてしまう可能性もあります。そもそも、いま病院はコロナの大流行のために面会することもできません。そのうち色々と落ち着いた頃に、父の思い出を母とともに語れる日が来ることを待ちましょう。
2024年10月11日
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父の状態が思わしくないとのことなので、本土に移動してきました。予定では13日まで沖縄にいるはずでしたが、航空券をキャンセルして急遽「当日券」を取りました。LCCと言えど当日や前日に購入すると航空券はグンと高くなり、大手のところと変わらなくなります(大手の価格帯は実はよく知らないので推測ですが)。今回支払った料金(片道)は、安い時期に那覇-関空の往復切符が買える値段の3倍!驚いてしまいましたが、結果的に帰っておいて正解でした。さっき姉から連絡があり、父の呼吸が止まったと。明日いちど顔を見に行こうと思っていましたが、予定を変更して今日これから帰省することにしました。今日からあさってあたりにかけて、葬儀やら何やらで忙しくなるので日記を毎日書くのは難しくなるでしょう。喪主は母になるのかなあ。でも認知症なので実際の喪主は長男である私になるんでしょうね。いずれにしろ間一髪、本土に戻っていてよかったです。1週間前に102回目の誕生日を迎えた父、よくここまで頑張りました。ほんとにお疲れさま。
2024年10月10日
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先日102歳の誕生日を迎えたばかりの父の食欲が落ちている、と姉からの連絡。入居している施設から連絡があったと。施設には今後の方針について家族間で意思統一をはかっておいてほしいと言われたそうです。入院して点滴を受けさせるのかどうか、重篤な状況に陥ったときは救急搬送を要請するのかどうか。そのあたりについて、施設は自分たちの一存では決められないので家族の意向を聞かせて欲しいと知らされた、ということです。重い判断です。私は前から単なる延命措置は不要と考えてきました。姉とも意見が一致しています。しかし、あさって99歳の誕生日を迎える母の例もあります。彼女も一週間あまり前、施設から連絡があり食べることに対して意欲がなくなり、ご飯を食べてくれない、点滴も管を抜いてしまう、痩せてきた、と聞かされました。そのときは「無事に誕生日を迎えられるだろうか」と心配しましたが、案ずるより産むが易し。入院し点滴を受けると徐々に回復してきました。医師や看護師が常駐していない一般の高齢者施設の限界ですが、それは承知でお世話を願っています。今日は施設の職員を通して父を病院に搬送するかどうかの判断を医師に仰いでもらっています。と書いていたらちょうど今、姉から連絡がありました。医者の意見は「高齢だし、このまま自然の状態に任せましょう」ということだそうです。そかそか。よく頑張ったね、父。徐々にそのときが近づいているようです。
2024年10月09日
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こんな面白い番組が深夜に放送されていたんですね。タイトルは「紫式部のスマホ」。NHK+で見ました。NHK+の番組一覧を見ていると、その中に「紫式部のスマホ」があり、「これはいったい何だろう。紫式部というのだから『光る君へ』と関係がありそうだけど、そこにスマホが出てくるのはいったい何?」という素朴な疑問が浮かびました。主役として掲載されている女優さんの顔も見たことがあるような、ないような。サイトに行ってみてやっと分かりました。「水曜日のカンパネラ」の詩羽という人なのですね。特徴的なメイクのせいかデパートの化粧品売り場のポスターで見たのを覚えていました。歌手なのかと思っていましたが、俳優でもあったのですね。と、主役の俳優が分かったところで「光る君へ」との関係、スマホが出てくる理由がまだ何も分かっていません。一度見てみました。面白い。シリーズの8話を一気見してしまいました。見つけたタイミングもよかったと思います。最初の放送は9月9日から19日にかけて各話5分の番組が1日1話×8回にわたって放送されたようですが、10月5日の未明(4日深夜)に8話がまとめて再放送されていました。NHK+はある程度時間が経った番組は削除されるので、いま気がついたのがいいタイミング、その1。もう1つは最初の放送だと「光る君へ」本編よりも話がやや先に進んでいましたが、今だとすでに本編で出てきたエピソードばかり。これがタイミングがよかったその2。もちろん本編の解釈とは違うところもありますが、これを見てむしろ本編の理解が深まりました。なんと言ってもスマホを通して式部が家族や道長、清少納言、中宮や女房たちとやり取りするのが絶品でなぜか違和感がありません。「光る君へ」本編を見ているからこそ登場人物の性格、人となりがある程度わかっているわけで、名前を聞くといちいち「光る君へ」の登場人物の顔が思い浮かび彼らがLINEのやり取りをしている様子が目に浮かびます。1話が5分。全部で8話なので通して見ても40分。「光る君へ」ファンならこちらも是非。お薦めです。
2024年10月08日
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どこに行ってもテレビがお友達、テレビっ子のヨッサンです。暇さえあればテレビにかじりついています。でも奈良と沖縄では視聴パターンが全然ちがいます。なぜなら、奈良では地上波、BSに加えてケーブルテレビのチャンネルが数限りなくあり(いや、実際は無限ではありませんが)、ドラマからバラエティそして私の大好きなスポーツ中継と、どこかにチャンネルを合わせさえすれば興味深いコンテンツに出合います。それが沖縄の我が家では地上波しかチャンネルが選べません。ケーブルテレビはおろかBSもなし。地上波のみ。そこで沖縄ではNHK2局、民放3局(日テレ系列は無し)以外はネットアプリを通してコンテンツを楽しむことになります。NHK+やTVer、楽天TV、ABEMA、YouTube、TikTokなどです。私はプライムビデオやNetflixなど有料で動画を提供するネットサービスには入っていませんが、それでも奈良で見られるチャンネル数以上の、暇つぶしに見ようと思うと時間が全く足りないほどのコンテンツが揃っています。考えてみると奈良より沖縄の方がずっと自己決定的な行動をとっています。奈良では何か面白いものはないかと地上波からBS、CATVとザッピングしていますが、沖縄では検索したり登録したりして見たいコンテンツを自分で選択して見ているので、見せられている感がありません。奈良の、ケーブルテレビや地上波、BSは面白いコンテンツも多いですが、放送局が送ってくる時間帯にチャンネルを合わせないと見ることが出来ません。それに対してアプリを通して見るコンテンツは自分が見たいときにいつでも見ることが出来ます。もちろん奈良でもこうしたコンテンツを見ることはできますが、テレビのチャンネルがたくさんあるとついそっちに頼ってしまうのですよね。奈良の視聴習慣は昭和的、沖縄では令和的。奈良と沖縄を行ったり来たりしながら視聴方法も行ったり来たりしています。
2024年10月07日
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こんなことが起こりうるのか。いや、こんなことが起こるのがアメリカンフットボール。だから、私はアメフトが大好き。それはおとといのこと。アメリカのプロリーグNFLのサーズデイ・ナイト・フットボールの試合がありました。日本では金曜日の朝の生中継。第4週までの成績が3勝1敗のタンパベイ・バッカニアーズ対2勝2敗の地元、アトランタ・ファルコンズの試合の生中継です。試合は最初こそファルコンズが先制しますが、そこからは常にバッカニアーズがリードし、ファルコンズが追いかける展開。ファルコンズは最終第4クォーターに27-20の7点のリードを追いつくも、フィールドゴールで再び3点差をつけられます。俄然面白くなったのがここからでした。バッカニアーズは試合時間残り10分あまりで30-27のリード。攻撃権はファルコンズに。まだ試合時間が十分あるため、ファルコンズはこの攻撃でタッチダウンをとれば逆転、フィールドゴールでも同点は固そうに見えました。そして3rdアンド8ヤードからQBが敵陣深くでフリーになっているレシーバー、ムーニーにパスを投げました。ボールはきっちりムーニーの腕に入りました。と思った瞬間、なんとムーニーはパスを落としたのです。やむなくファルコンズはフィールドゴールを蹴って同点を狙いにいきました。が、キックがブロックされ30-27のまま。ボールが再びバッカニアーズに渡り、順調に前進していきます。このままならタッチダウンも狙えるし、悪くてもフィールドゴールを決めれば6点差となりあとはどうやって残り時間を消化していくか、というところです。ところが相手のゴールライン目前でランニングバックがファンブル。ファルコンズがボールをリカバーしました。点差は3点のままなのでフィールドゴールで追いつけます。しかし、試合時間の残りが3分を切って自陣奥深くから始まった攻撃はなかなかうまく進みません。4thアンドロングが残りました。ここでパントをして相手に攻撃権を与えれば万事休す。ほとんど勝利は相手に与えたようなものです。そこでファルコンズはギャンブルを選択。大きく前にパスを投げました。が、これをバッカニアーズがインターセプト。今度こそ万事休すと思われました。が、ファルコンズは3つのタイムアウトを全て残していました。バッカニアーズは攻撃失敗や反則でフィールドゴールレンジから徐々に後退。試合時間を1分あまり残して最後はパント、ファルコンズは自陣15ヤードからの攻撃権を得ました。しかし時間がありません。ファルコンズにはタイムアウトも残っていません。それでも徐々にボールを前に進め、一つの攻撃が終わればノーハドルですぐ次のプレーを行いながら最後は時計をとめるためスパイク(クォーターバックがボールをたたきつけて敢えてパスを失敗させ時計を止めるプレー)。なんとか試合時間1秒が残りました。ここでキッカーが今度は52ヤードのフィールドゴールを成功させ、延長戦に入りました。延長戦はサドン・デスで行われ、コイントスで勝ったファルコンズの先行。あれほどゴールが遠かったファルコンズがどんどんボールを進め、ついにはタッチダウン成功。地元ファンの前で劇的な勝利を飾ったのでした。*NFLの延長戦ルール 最初の攻撃チームがタッチダウンをとれば終了。フィールドゴール以下なら相手も攻撃。
2024年10月06日
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奈良はめっきり秋の気配。夜、窓を開けたまま寝ると寒くなり閉めなければならないほどになりました。昼間も長袖のシャツを着て、少し暑ければ袖を折って調節するのがちょうどいいくらい。年中こんな気候が続けば暮らしやすくて最高です。と、思いつつ今日は沖縄に移動してきました。自分自身の入院・手術の準備や和歌山の二人あわせて200歳の両親のことなどのために本土であたふたとした時を過ごしていて、気がつくと前回沖縄を離れてから3週間が経ってしまっていました。その間に沖縄に来た台風で我が家も停電したかも知れないと気をもんでいましたが、冷凍庫には解けたものがなく無事でした。郵便物の中には家の賃貸契約更新書や光熱費の請求書なども含まれていましたが、適正に処理されているので特に問題はありませんでした。それより、何、この暑さ。那覇空港に着き一歩建物の外に出るとめっちゃ蒸し蒸ししています。奈良ではもうほとんどつけなくなったエアコンを沖縄の家に到着して即、つけました。風を通したいので吹き出し窓を全部開け、扇風機を強でまわしながらエアコンも温度をちょっと低めに設定してつけています。こんなことをしているとウチナーンチュに「クーラーが逃げる(エアコンの冷気が出ていく)。すぐ閉めなさい」と叱られますね。沖縄は夏。奈良で忘れかけていた季節を思い出しました。最高31度、最低26度。熱帯夜の寝苦しさは健在。でも、逆に考えるとまだまだ夏を楽しめるということですよね。本土ではお盆以降は気温が高くても泳ぐ人が少なくなり、海水浴場も閉鎖されるところが多いですが、沖縄は11月ぐらいまで普通に泳げます。監視員もいてくれるところが多いです。明日あたりビーチに行こうかなー。
2024年10月05日
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