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私は半世紀以上、阪神タイガースファンです。ここ最近は沖縄のキャンプにも行くほどです。昨年はクライマックスシリーズから日本シリーズと楽しみが長く続きました。しかし、阪神が早めにコケてしまい、Bクラスに終わった年などは10月に野球を見ることはありませんでした。日本シリーズに出場するチームは押さえていても、中継を見るでもなくいつの間にかその年の野球シーズンが終わっているという感じでした。でも今年は阪神が出ていないのになぜかソフトバンク対DeNAの試合中継を見てしまっています。たぶんこれも大谷効果のひとつでしょう。毎朝海の向こうの野球中継をドキドキしながら見ているせいで野球の生中継がもつ面白さに引き込まれ、夜もそんな気持ちになれることを期待してしまうのです。日本シリーズの視聴率を見ると、そう考えるのは私だけではなさそうです。フジテレビ系では朝の大リーグの試合を夜にも放送しているので、逆に生で放送している日本シリーズを見たいという野球ファンもいるのではないかと思います。ドジャーズが優勝し大リーグはシーズンが終わりました。日本シリーズはまだ続いていますが私の野球シーズンはこれで終わりかなあ。でもせっかくここまで見たのだから横浜決戦も最後まで見届けようかな。ところで今朝のニュースで驚きが一つ。前回のドジャーズ優勝のときはコロナ禍のため優勝パレードが出来なかったのだとか。そのためパレードは「1988年ぶり」なのだそうです。一瞬野球って紀元1世紀頃からあったのかと思いました。半世紀ほどのファンなんてたかが知れてますね。
2024年11月01日
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来週には入院して手術を受ける私。必要書類や持っていくものを準備していてふと思いました。私にとって日常生活で必須となっているのがパソコン。これ、病院に持っていっていいんだろうか。入院する病院の入院案内ページを見てみました。「電気製品の持ち込みはダメ(火災や盗難の恐れがあるため)」という項目はありますが、パソコンに関する記述はありません。電気製品ではあるけどまさかスマホは禁止されないでしょう。が、パソコンはどうなのかな。一般的にどうなのか色々な病院の案内を見ると禁止しているところもあれば許可しているところもあります。このブログをはじめ私には毎日ルーティンで回っているサイト、書き込んでいるサイトがあります。そういったところへのアクセスはパソコンがないとちょっと厳しいです。スマホでパソコンの代わりができないことはありませんが、フリック入力はキーボード入力ほど慣れていません。もしパソコン持ち込み禁止となるとちょっとつらいところです。そこで、先日購入したBluetoothのキーボードをスマホに接続するよう設定を行いました。試しに打ってみました。パソコンほどではないけれどフリック入力よりもずっと効率よく入力ができます。一応これなら使えるかな。でもやはり画面は小さいしパソコンと同じように扱える訳ではありません。パソコンが持ち込めるかどうか、直接病院に問い合わせればいいだけの話です。でも、もしダメと言われたらそれでアウト。なら、問い合わせないでそうっと持っていって使おうかという悪い考えも起こります。ま、ダメなときはダメでしゃーないか。思い切って電話をしてみました。え?OK?あっさりしたものでした。「ただし大部屋で消灯後に使ったり音を出したりなど、周りに迷惑になるような使い方はやめてください」とだけ。なんだ、散々気をもんで損した。スマホのBluetoothキーボードの接続も必要なかったな。NHK+やTVer、YouTubeもパソコンで見ることができれば、「おむすび」も「光る君へ」も「ワルイコアツマレ」も「ぽつんと一軒家」も見られるので、テレビカードも購入しなくてよさそう。テレビっ子ヨッサンとしては楽しい入院生活が送れそうです。案ずるより産むが易し。私は何を迷い、悩んでいたのでしょう。
2024年10月31日
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姉から連絡があり、先日亡くなった父の年金手続きをするために「死亡届」のコピーが必要だから送れと。一応、死亡届は喪主である私が預かっています。ただ私は実家から離れたところに住んでいるので事実上、各種手続きは姉に任せっきりです。すると、こういうことが起こるんですね。こうなるんだから私は死亡届も姉に持っておいて欲しかったのですが、物事の筋を重んじ、大事にする姉は「死亡届は喪主が持っておくべき」と譲りませんでした。遺骨も私の奈良の家にあります。父からしてみれば一度も住んだことのない家。戸惑ってないかな。いずれ納骨するべきお墓は実家や姉の家の近くにあり、そのときはまた父の遺骨を持ち帰ります。何事にも合理性を優先して伝統や慣習にはいいかげんな私、いろんな手続きに必要なのは姉の方だから死亡届にしても遺骨にしても姉があずかってくれないかなと心の中で思っていました。が、それでは姉が承知しないだろうと「私が奈良で預かるよ」と言うと姉夫婦は深く安堵した様子でした。しかし、私は独り暮らしですし、もうすぐ入院と手術を控えています。今回の年金終了手続きは私の入院前で何とか間に合いましたが、ほかにもこれから死亡届が必要な手続きが出てくるかも知れません。そこでコピーを2部取り、1部は年金手続き用、もう1部は今後また別件で必要になったときに姉にコピーしてもらう用にしました。さて、来週から3週間(おそらく)の入院中、父の遺骨はどうしましょうかね。亡くなっている人に寂しいも何もないと思っているのですが、近くに住む息子に預けた方が姉は安心するのかなぁ。
2024年10月30日
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「日本語界隈(にほんごかいわい)」(川添愛、ふかわりょう著、ポプラ社)を読みました。著者の川添さんは言語学者、ふかわさんはご存じ、芸人の方です。「ご存じ」と書きましたが、私自身は容貌は知っていますが、あまり芸については存じません。本屋の棚で見たこの本のタイトルに引かれ、無作為にめくって読んでみたページがあまりにも面白く、購入することにしました。衝動買いのようなものですが、通読してみて正解だと十分に思い知りました。川添さんはもちろんですが、ふかわさんがこんなに日本語の表現に造詣が深い方とは。お見それしました。本書は二人の対談形式で、さまざまな日本語にまつわる話題を語り進めていきます。読み始めは「川添さんにもっと解説して欲しいな、ふかわさん素人の割りに口を出しすぎて、うるさすぎじゃないか」と思っていたのですが、途中からは考えが変わりふかわさんの言葉に対する感覚の鋭さにすっかり魅了されてしまいました。川添さんはあくまでも学術的な観点から言葉を語り、ふかわさんは感性の部分で言葉を捉え、どんどん話題を拡げていきます。ふかわさんの疑問はみな現代に生きる一般の我々の疑問になっていて、思い当たることばかり。表紙の帯に書かれたいくつかの疑問はほんの一部、「そう言えばそうだな」という言葉に関する疑問がふかわさんの口から無限に溢れ出し、いかに彼が言葉に敏感なのかがよく分かります。しかもそんな疑問を次々と、楽しそうに語ります。それは対談後の川添さんの言葉によく表れています。「言葉について語るときのふかわさんの楽しそうなこと!お話ししていると、ふかわさんの「たのしい!」という思いが波のように押し寄せてきて(中略)私の頭のなかの堤防もいつしか「たのしい!」の波に呑み込まれ、気がついたらあっという間に時間が経っていました。」(同書234ページ)この気持ち、よく分かります。私もどちらかというと川添さんの側の人間です。でもそんな「凝り固まった頭」(同書)はふかわさんにかかると軽~くほぐされてしまいます。よくこんなに次から次と話題が出てくるものだと感心しますが、ふかわさんはそれだけ言葉を愛し、言葉に敏感で、言葉と楽しく遊んでいる人だとよく分かりました。来週入院するベッドの上で読もうと思っていた本なのに一気に読んでしまい楽しみがひとつ減りました。
2024年10月29日
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昨日はハロウィーンでした。本当は3日後の31日がハロウィーンなのですが、小学生の孫にとっては昨日の日曜日が仮想をして近所を回ってお菓子を集める(トリックオアとリーティングの)日でした。私は昨日ちょうど彼のベビーシッターを仰せつかっていたので、彼の家にやってくるご近所の子どもたちにお菓子を配る役割も果たすことになり、魔女やおばけになった幼稚園から小学生の子どもたちのかわいい訪問を受けました。そんな話をある人にしたところ「日本も変わりましたね」と。その人はハロウィーンとは渋谷など繁華街に集まって飲んで騒いで路上パーティーをする日だとばかり思っていたみたいです。なのにいつの間に子どものお祭りになったのかという疑問が出てきたようでした。いやいや、私の知っているハロウィーンは30年以上も前からこちらでなんですけど。アメリカに住んでいた30年ほど前、うちの子供達はハロウィーンの日に「トリック・オア・トリート」と声をかけながら近所を回っていました。各家々の窓にはかぼちゃのお化け(ジャッコランタン)が飾られてありました。うちの窓にも当然あって、その飾ってあったプラスチック製のジャッコランタンは帰国時に持って帰り、一番下の子どもが小学校を卒業するくらいまでは日本でも飾っていました。こちらが正統なハロウィーンなのかとずっと思っていたので若者風俗を中心にしたものがハロウィーンだという認識を聞いたときにはちょっと驚きました。いずれにしろ楽しい習慣が根付いていくのはいいこと。商業主義と絡んでいるとは思いますが、渋谷の路上パーティーもUSJのゾンビーナイトも他人に迷惑をかけない範囲でやるのは結構なことです。ただ私としては仮想した子どもたちが家々をまわってお菓子を集めるのを見るのが一番楽しいかな。 (孫はハリー・ポッターだったそうです)
2024年10月28日
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久しぶりにトイレが詰まりました。レバーをひねっても水が流れていきません。これはヤバいですよ。以前はあわててトイレのスッポン(正式にはラバーカップと言うのかな)を使ってみたりしましたが直りません。それもそのはず、原因は便器の近くにはありませんでした。問題は敷地内の会所枡。下水への排出物が一旦集まる場所です。我が家には会所枡が2つあり、1階のトイレは第1会所枡に、お風呂や洗面所、台所、2階のトイレは第2会所枡に流れていきます。排水は第1会所枡から第2会所枡に流れ、そこから地域の共同の下水に流れていく仕組みです。そして、我が家のトイレの詰まりはいつも1階で起こります。もう何度も起こっているので原因はわかっています。第1会所枡から第2会所枡へのパイプの詰まりです。今日も第1会所桝を見ると、すでに溢れかけていました。枡の蓋を開けると排水や汚物が満々とたまっていました。いつもと同じだ。そこでいつも通り、長い棒を第1と第2の間のパイプに通して詰まりを取り除きました。手慣れたもので、ものの1、2分で詰まりはなくなり流れは元通りになりました。家の中に入ってトイレを見ると便器で漂っていたものはすっかりなくなっていました。しかしなぜたびたび(数年に1回は起こります)詰まりが生ずるのか。その原因は会所枡の位置です。枡の周りには芝生が生えていて、徐々に根を伸ばして会所の中にも侵入するのです。それが詰まりの原因になっています。今は原因も分かりすぐに解消できますが、最初は理由がわからずあたふたしてトイレにスッポンを常駐させていました。とくに1回目が起こったときのすぐあとにゲストが来て、トイレに行くと言ったあと随分長い間出てこず心配しましたが多分自分のものが詰まったためにスッポンを使って自力で解決させていたのでしょう。一応流れてはいました。それ以降は原因が分かり、つまらせたままにすることはなくなりましたが、あのときのゲスト(それがまた若い女性でした)には本当にかわいそうなことをしました。
2024年10月27日
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11月に受ける手術や入院について、執刀医と麻酔医の説明を受けてきました。別の種類の手術ですが、半年前に手術を受けた姉から「いろいろと脅されるよー」と聞いていましたが、まあたいしたことはありませんでした。たしかに出血が思ったよりひどく輸血が必要になるなど、最悪の事態に関する情報を色々と聞かされましたが、確率の問題なのでお気楽な私はあまり自分ごとと捉えることなく、説明を聞きました。家族と一緒に聞くことになっていたので、長男の嫁に付き添ってもらいました。彼女もどちらかというと私と同じオプティミストです。どんなに厳しい可能性の話にも笑顔で反応。医師の前で「じいじ、もう手術をやめようと思ったんじゃない?」と冗談が出るくらいでした。こういう人がいるとどんな話も深刻になりません。あんまりフランクに馬鹿話を交わしていたので看護師さんから「娘さんですか」と尋ねられました。「いえ、息子の嫁です。」しかしやるべきことはやってくれる信頼の置ける人でもあります。受け取ったたくさんの説明用紙、いつの間にか「必要なところは写真を撮っておいたから」と。そのあたりは抜け目がありません。もともとは息子が来る予定でしたが、用事が重なったために嫁の方が代わりに仕事を休んできてくれました。息子を信用していないわけではないけれど結果的に嫁が来てくれてよかったです。入院中もどちらかというと嫁の方に世話になると思いますし。その代わりというわけではありませんが、今日は彼らの次男、小学4年生の孫のベビーシッター。これは私が手術をすると決めるずっと前から入っていた予定です。今日と明日の二日間、彼と一緒に半日ずつ過ごします。昨日のことやこれから入院中にお世話になることもあり、ちょうどよかったかも知れません。今日ちょっと恩を売っておき、これからは息子夫婦にいろいろ頼んじゃおうかな。まずは手術の日に二人には立ち会ってもらうことになっています。私は別に誰にも来てもらわず一人で手術を受けようと思っていたのですが、彼らは最初から予定を立てていてくれました。そんなものなんですね。私が非常識だったようです。しかし、日ごろそれほど会うわけでもないけれど、こういうときは立ち合いを当然と考えてくれる家族がいるのはありがたいものだと実感しました。
2024年10月26日
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今季の朝ドラ「おむすび」の評判があまり芳しくありません。前季の「虎に翼」の評判がよかった分それと比べられたり、有名なモデルのいない現代劇は当たらないと言われたり、さまざまな「不評」の理由がネットで言われています。私も今のところフォローはしていますが、正直言って惰性で見ているところはあります。NHK-BSで「おむすび」の前に放送されている再放送枠の「カーネーション」が面白く、そちらにつられて見ていると言っても過言ではありません。「虎に翼」や「カーネーション」に比べて「おむすび」はなぜ今ひとつなのか、私も考えてみました。今日の回を見ていてちょっと分かった気がしました。ひとことで言うと次の展開に期待する「ワクワク感」がないのです。もちろん「おむすび」も徐々に話は進んでいくのですが、話の筋にあまり関係のない小ネタを間に挟みすぎて、ストーリーの展開が遅すぎます。阪神大震災がきっかけになるのは視聴者には分かりきっているのに、そこに至る流れが遅く思わせぶり過ぎです。優れた作品は15分のなかで思いも寄らないことが起こり、解決しようとしてさらに次の展開へと視聴者が導かれます。各回ごとに新しい問題が持ち上がりそれを何とか解決し、しかしまた次の問題が起こる。それがどうなるのか、視聴者は次回を期待します。1回の放送分を見るだけでも満足感があります。ときには次の回だけでは解決できず一旦脇の流れに進んでいくことがあっても、そのうちにこの問題は必ず「回収」されます。「おむすび」は一つ一つの問題をひっぱりすぎ、その結果ストーリーの内容が薄~いものになってしまっています。「虎に翼」は毎回見終わったあとに言葉で言い表せないスカッとした充実感がありました(「佐江子」のときだけはモヤモヤが残りましたが)。その満足感を得るために毎回、見るのが楽しみでした。様々なエピソードがみな女性の置かれている立場や人権意識などと結びついていました。「おむすび」は今のところ物語の芯になる部分が見えません。ただ、色んな小さなエピソードを小出しにしている感じです。そのうえ一つ一つのエピソードはなかなか視聴者の共感が得られにくそうです。たとえば今日の回、ヒロインたちが踊るパラパラが観客の心を捉えヒロインの心も変えていくほどのものだったでしょうか。登美丘高校のバブリーダンスくらいのインパクトがあれば別ですが、そんなにノリノリとも思えない、あの程度のダンス(失礼)で劇的に観客の心をつかんだとする展開にはかなり無理があったように思います。神戸編になる次週には若干期待しますが、そこでも話の流れが遅いようだと多くの視聴者が、そして私自身が脱落してしまわないかちょっと心配です。
2024年10月25日
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へッジトリマー(生垣バリカン)を買いました。これまで使っていたものの調子が悪くなったようだからです。「ようだ」というのは、これまで使っていたものを貸していた人から「調子が悪い」と連絡があったからということ。お貸しする直前に自分で使ったときは何ともなかったんだけどなぁ。変な使い方をして壊したんじゃないの?などという文句は一切言わず「長く使ったのでもう限界だったのかな」と一言。本当に限界だったとしたら、ちょうど借りたときに壊れたのは借りた方の災難です。これがもっと高額なものなら文句も出たかもしれませんが、せいぜい数千円のもの。買い替えるタイミングかな。そう思い、ホームセンターに出かけました。予算は5~6千円と踏んでいましたが、お店で実際に5800円のものを発見。と思ったら、それは充電式でした。私は充電式じゃなくて長いコードをつけたやつの方がいい。これまでのもそのタイプです。そちらのタイプを見ると安くても1万円ほど。前に買ったときもそんなにしたんだっけ。めったに使わないものにかけるには少しばかり大きなお金です。そこで、リサイクルショップで掘り出し物がないか探してみることにしました。ありました。これ、税込み2,200円。見たところきれいで、そんなに古ぼけた感じもありません。お店の人に「完動品ですか」と聞くとそうだと言い「使用して不具合があれば返品を受け付け、返金します」とのこと。これまでのものに比べるとやや大ぶりで重そう。前のトリマーを貸している人は小柄な女性なのでちょっと扱いにくいかなとは一瞬思いましたが、その人のために買うのではないのでこれが一番安かったし、で購入を決定。家に帰りさっそく、庭のこんもり繁ったヤマブキを刈ってみました。これだけ刈れれば上等!これまでのものよりちょっと重いし、音も大きいけど文句は言うまい。なんせ8千円のお得ですから。前のトリマーを貸している彼女は文句を言うかもしれないけど、それは知ったこっちゃございません。
2024年10月24日
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もうすぐ行う腰の手術と入院のため、その間に読む本を探しに書店に行きました。手術や入院をするのは久しぶりです。手術は20年ほど前にキャッチボールをしていて小指の骨を骨折して以来。入院となるとさらに10年ほど前に慢性疲労症候群(の疑い)で大阪の病院に数ヶ月入院して以来です。前回の入院のときは暇つぶしのために本や小型のテレビを持っていきました。でも入院しているときって、いつもは普通に楽しくやっていることができなくなるんですよね。このときはあまり本を読む気になれませんでした。ま、病気が慢性疲労症候群というもので表向きはうつ病に似た症状があり、何をするにも気力が出てこないというものでしたから無理もありません。いま思うとそのときは何をして暇をつぶしていたのか。本は読めなかったと記憶していますが、では何をしていたのかが思い出せません。でも今回は違うはず。外科的な手術で歩行のリハビリをしながらの入院ですから、本を読む気力は普通にあるはず。このところ外出をするたびに本屋さんに立ち寄り、入院中に読める本を探して書棚をチェックし、面白そうな本を見つけては購入しています。しかし入院前だというのに、買った本をつい読み始めてしまい、面白くて読み進めてしまうありさま。入院用の本を入院前に読んでしまい、また新しい本を購入しなければならない状態が続いています。そんなとき、以前に買ってはみたものの何となく読みそびれて家の本棚に並んでいる本が代わりになってくれます。面白そうと思いながらテーマが固かったり大部だったりして何となく手を出せていない本はこういうときが読むチャンスかも知れません。話は少しずれますが、私は料理や洗濯などの家事のときに生じる「待ち時間」が好きです。後でやろうと思って放っておいたことが、待っている間の空白を利用して片付けられるからです。つい面倒くさがって放置していることが空白時間に片付けられる。入院もまた時間の有効活用をする機会にしたいものです。
2024年10月23日
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昨日は久しぶりに歩いた歩数(「馬の競馬」的重複?)が5千歩を超えました。あまり趣味のない私ですが、ウォーキングやジョギングは毎日欠かさず行う、趣味とも言えるほどの習慣でした。それが1年あまり前に椎間板ヘルニアによる脚への痛みが出だしてから買い物などの歩行にも支障をきたすようになり、歩くことがグンと減りました。ひどいときは杖をついて歩き、痛みが少しマシになってからもショッピングカートやキャリーバッグを杖代わりにして歩いていました。それが昨日は何にもつかまらずに5千歩を超えて歩くことが出来ました。奈良のなかでは比較的大きなショッピングモールに行きました。ここに行くときはいつも入口でショッピングカートをゲットし中を移動する時はずっとそれを押して歩きます。階を上下するときも必ずカートを押しながらエレベーターを使い、ベビーカートを押すお母さんやお父さんとご一緒するのが常。なのに昨日は駐車場から建物まで歩いてもあまり痛くなかったのでモール内もカート無しで歩いてみました。カートなしでも割りといけます。歩き方に気をつけさえすればカートなしでも連続してずっと歩けました。モール内で歩いた歩数は4千歩以上。それでも痛みが出ないのは最近ではちょっとめずらしいかも。ふと、「これなら来月早々に予定している脊柱管の手術はしなくてもいいのでは?」という考えが浮かびました。でもすぐ考え直しました。これはめったにないことだし、どっちにしろそろりそろりと歩くのに変わりはありません。去年の前半までは痛みが出ることなど心配せずに歩いたり走ったりしていたし、痛みが出ないように気をつけて歩くモンキーウォーキングやちょこちょこ歩きなんかしていませんでした。背筋を伸ばしてまっすぐ立っただけで痛いので、立っている時は常に身をかがめた姿勢をしているのはやっぱり普通ではありません。昨日痛くならずに5千歩超歩けたのはたまたま。手術をして以前のように毎日1~2万歩あるけるようにならなくちゃ。
2024年10月22日
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「ナツコ 沖縄密貿易の女王」(奥野修司著、文春文庫)を読みました。本書が最初に単行本として発行されたのは2005年、その後2007年に文庫本になりました。著者の奥野はこの本で「大宅壮一ノンフィクション賞」を受賞しました。本土ではあまり目にしませんが、沖縄の書店ではいまでも郷土本コーナーだけでなく、平積み台にもよく置かれています。前々から気になっていた本ですが500ページ近くあるボリュームに圧されてしばらく「積ん読」していた本でした。読んでみるとその展開の速さとしっかりした事実の裏打ちに、どんどんと読み進めていけました。沖縄は第二次大戦後、日本から切り離され米政府の政権下に置かれ、経済も本土とは切り離されていました。アメリカのお粗末な占領行政の下に置かれた沖縄はアメリカからも日本からもまともな物資が入ってこない状態が続き自分たちで「何とかしなければならない」立場に置かれます。そこで生きるためにやむなく行ったのが「密貿易」でした。密貿易と聞くと私腹を肥やすのが目的のような悪印象が強いですが、当時の沖縄ではそれが生き残りの手段でした。そこで若くして才覚を現したのがナツコこと金城夏子でした。夏子は商売の才能や情報収集能力に長け、若くして沖縄の「密貿易」の中心人物になっていきます。20代の若い小柄な女性でありながら、大男達は彼女の手下か子分のように働き、誰ひとり文句ひとつ言わなかった、言わせなかった。それだけの才覚があった人物でした。本書は、それまでほとんど記録にも残っていなかったこの夏子の生涯を、家族や関係者を丁寧に調べ上げ、多くの証言を得たうえで再構築しました。本書によって戦後の沖縄の経済活動の礎を築いたと言ってもいい「密貿易」の実態が、夏子という女傑の生涯を通じて明らかになりました。本書はウチナーンチュ(沖縄人)が誰にも支配されず主役となって活躍した時代を、夏子を通じて描き出した歴史書としての価値をもっています。と同時に、夏子と娘達の家族の物語でもあります。夏子が晩年、といっても30代後半ですが、娘達に見せた深い愛情を描いた第10章と終章は、ノンフィクションでありながら涙なしには読めませんでした。物語としての味わいを持ちながら沖縄の戦後の庶民史を知れる好著です。
2024年10月21日
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衆議院議員選挙の期日前投票をしに、市役所に行ってきました。以前の不在者投票の制度は入院中や仕事の出張など、よほどの事情がない限りできないものでした(少なくとも私はそう認識していました)が、新しくなった期日前投票制度では必ずしも投票日当日に投票所に行けない事情を明らかにしなくても簡単に期日前投票ができるようになりました。私も27日には出かける用事がありますが、本当は当日投票を済ませてから出ても大丈夫なんです。それでも念のために早めに期日前投票を行いました。これまでは投票日当日も期日前投票の時も、周りを見渡してみると私の同輩か先輩がほとんどというのが当たり前でした。でも今回はちょっと違った雰囲気が漂っていました・・・若い人が割りと多いんです。50歳前後の親と一緒に来た、有権者になったばかりぐらいの若者。小学生の子どもたちを連れた夫婦連れなども目立ちます。小学生の孫を連れたおじいちゃんも見かけました。さすがに小学生の孫は投票できませんが、これくらいの歳から選挙の雰囲気を味わっておくのはいいのではないですか。投票を終えてブースから出ると新聞記者が待ち構えていました。この女性記者、前回も私をつかまえて「出口調査」をしていた同じ人だ。是非今回も協力をしようと思ったのですが、手に持っていたゴミを先に捨ててからと思いゴミ箱の方に歩きかけた私を見て、彼女は諦めてしまいました。申し訳ないことをしちゃいました。ま、私が調査に協力しようがしまいが調査の大勢に影響はありませんが。でも選挙は「自分の1票があってもなかっても同じ」ということはありません。小さな1票が集まって大きな流れができます。その意味で、今回投票所で見た多くの若い人たちの姿は頼もしく感じました。政治に関わるチャンスはしっかりと使いたいですよね。
2024年10月20日
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私は11月になると手術を受ける予定です。去年から脚に痛みが出て日常生活もままならなくなりました。椎間板ヘルニアという診断を受け、ブロック注射を受けながら静かにしていれば引っ込むこともあると言われましたが、私の場合はそもそも脊柱管が狭くなっているのでそれだけでは治りませんでした。痛みが出だした当初はだましだまし暮らしていましたが、自然治癒はしそうもないので入院し手術をすることにしました。そしてそのための術前検査をいろいろとしたのですが、心臓の検査で引っかかりました。心臓についてはその昔、先天的奇形があるために心電図のデータに異常が出ると言われたことがあります。今回もそれだと高をくくっていたのですが、本当に問題がありました。端っこの血管に梗塞というのか血栓というのか、やや詰まりかけた部分が見つかりました。手術には問題ないということで、入院・手術は予定通りでいいとなりましたが、心臓に本当に問題があったことにはちょっとびっくり。定期的におこなっている血液検査ではコレステロールの値など、どの項目もいつも標準値なので心配していませんでした。一般的な血液検査だけではわからないこともあるのですね。でも逆に言えば、今回手術をすることになって検査をしたからこそ見つかった心臓の血管の詰まり。血液検査のデータにも自覚症状にも現れず気がつかなかった異常がこういう形で見つかったことはむしろラッキーでした。手術が終わってリハビリも済み、退院した後の12月に心臓カテーテルを行うことになりました。この際ですから体を一度オーバーホールして、元気な状態に組み立て直してもらいます。
2024年10月19日
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本日は車の12ヶ月点検でした。購入後7年と時間が経っているぐらいで、ほぼ何も問題はないそうです。「前回からあまり距離が出ていませんね」と言われました。このところ遠出と言えば片道200kmの和歌山の実家を往復するぐらいでした。それも月にせいぜい2~3回。あとは月1~2回の関西空港往復だけ。普段はほとんど市内で買い物するかウォーキングのために適当な場所まで車に乗っていくか、ぐらいしか乗っていません。しかも月の半分は沖縄にいるので本土で車に乗る機会はますます少なくなっています。奈良でいま乗っている車を購入したのが2017年の10月。沖縄で車を購入したのが2022年12月。沖縄の車はもうすぐ購入後2年ですが、まだトータルで6千キロも乗っていません。沖縄本島内では遠出をすることができませんからね。よく行くところで比較的遠いところと言えば美ら海水族館でしょうか。それでも家から100キロもありません。現役バリバリで毎日通勤に使っていた頃は奈良の車の走行距離だけで年間2万キロを越えていました。それに比べたら随分乗らなくなったものです。以前の乗り方なら(そして沖縄との2拠点生活をしていなければ)いま頃この車は15万キロを越えていたでしょう。でも実際は10万キロを少し越えたぐらい。とくに調子の悪いところもありませんし、この分ならもうしばらくは乗り換えずに済みそうです。あと5年ぐらいもってくれればうれしいのですけど。その頃には私もトシをとり、運動神経も徐々に落ちてきているはず。次の買い換え時には自動運転車が欲しいと思っています。世間では来年、2025年にはレベル4の自動運転が一部実現するといっていますが、完全自動運転のレベル5まではもうしばらくかかりそうです。レベル5が当たり前になるまで、いま乗っている車と私は元気でいられるでしょうか。何とかもう少し私も車も頑張らなくては。もっとも沖縄の車はまだ購入2年の5千キロなので世の中がレベル5になってもまだ手動運転は続きそうですけどね。
2024年10月18日
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父の葬儀に出席してくれた参列者の芳名帳を整理しました。出席は前夜式44人と告別式35人、のべ79人でした。102歳の父はもちろん、私を含めて子どもたちもすでに現役を離れています。そのため子や孫の職場関係の出席はなし。参列は近所の人や親戚が中心で、たまにかつて父の同僚だった人が混じっていました。私の妻が亡くなった時は、彼女には友達も多く、夫(私)も現役、子どもたちも現役ということもあり百を優に超える参列者がいましたが、超高齢者となるとまあこんなものでしょう。参列してくれた人の住所も同じ町内か隣の市や町がほとんどでした。前夜式の弔問44人のうち同じ町内の人が42人、あとの2人が隣の市と町から、告別式は35人のうち町内からが30人、それ以外が5人でした。5人の内訳は同じ和歌山県が2人、大阪府が2人、三重県が1人でした。遠方の人たちも、いずれも日帰りする人たちばかり。東京などに住む人からは弔電が届いていて出席はありませんでした。満102歳の大往生。それなりに悲しさや寂しさはありますが、参列者も年齢層が高く比較的静かなお見送りとなりました。それにしても、訃報を知って最初に届いた弔電が町長から、そして今回の衆議院議員選挙に立候補予定の(この時点で公示前)保守系候補のお二人が続いたのにはちょっと呆れました。機をみるに敏というか半ば事務的に送っているのかは知りませんが、こういう「無意味な挨拶」に政務活動費など税金を使うのはいかがなものかと思ってしまいました。
2024年10月17日
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最近よく昭和の頃は雑誌の文通欄に住所や電話番号が掲載されたとの「あり得ない」話題を耳にします。芸能人やスポーツ選手の住所も普通に誰もが知ることができた、性善説に基づいて一人ひとりの市民が信用されていた時代だったのでしょう。時には誘拐事件などの犯罪を誘発したりしましたが、そういうのはめったにいないとんでもない輩が引き起こす、例外的なことがらとしてみな認識していたのでしょう。あとの人はほぼみんな常識や善意を持っている人たちであると。その、素朴な善意が今も残っているのが沖縄だと思います。本日付の新聞、沖縄タイムスにこんな広告がありました。(2024年10月16日第14面)左側はサラ金の広告ですが、右側は首里高校の同窓会を知らせる一般個人による案内広告です。問い合わせ先として二人の方の個人の携帯番号が載っています。新聞では全ての番号が記されていますが、一応こちらに転載するにあたって一部を塗りつぶしました。沖縄は地元のつながりが強く、各高校の同期会(クラス会)が盛んなところ。街なかを車で走っていてもこれと同じような内容の大きな横断幕を目にすることがよくあります。そこにも幹事さんでしょうか連絡先の名前と携帯番号が堂々と書かれています。本土で暮らす人の多くは、これは明らかに個人情報の公開、漏洩と受け取りますが、沖縄では公開することで悪用されるデメリットよりも連絡が容易になるメリットを優先しているのでしょう。本土出身の私がつねづね感じるのは沖縄は大都会であっても何か田舎の雰囲気を持っていることです。人々の助け合いの風土を残し、家や一族のつながりを重視し上下関係を大事にする、ときにはそれにしばられて身動きが取れなくなってしまうこともあるのかもしれません。それがいいとか悪いとかではなく、それが沖縄ということだと思います。歴史や風土は違いますが、本土の田舎に通じるところもあるのではないかと感じます。「黄金の花」の歌詞ではありませんが、これからも素朴で純情な人たちに満ちた島であってほしいなと思います。
2024年10月16日
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今日は近所の病院で検査を受ける日でした。受けるのは造影剤を入れた心臓CT検査。14:30に予約を入れていましたが、その前に心電図を取ったり点滴を刺したりするので30分前に来てくださいと言われていました。この病院は家から15~20分ほどで行けますが今日は別の用事を済ませてから行く予定にしており家を早めに出ました。別件の用が早く済んだので病院に到着したのはかなり早い13:20。いくら何でもちょっと早すぎると思い車内で20分ほど読書。13:40に病院の門をくぐりました。機械で再診受付をして、出てきた診察用ファイルを持って最初に行くように指定されていた心電図受付へ。ファイルを提出し呼ばれるまで待っていようとしましたが「すぐに出来ますから中に入ってください」と。心電図検査が5分ほどで済み、次は点滴をしてもらうための処置室へ。こちらでもほぼ待ち時間0ですぐに中に呼ばれました。点滴の針刺しも無事にでき、点滴コードをつけたままいよいよCT検査室へ。予約した時間より早い14:15。たまたま前の予約がなかったのかキャンセルになったのかは知りませんが、検査室に入るとすぐに検査台に寝かされました。そしてあれよあれよという間に検査開始。これが10分あまりだったでしょうか。最後は造影剤検査。熱くなると聞いていたので楽しみにしていましたが、一瞬熱くなっただけですぐに平常に戻ってしまいました。「こんなものか」とちょっと拍子抜け。このように各セクション前倒し、前倒しで私の初造影検査は滞りなく(あっけなく)終了。時計を見ると14:42でした。すべて終わったので会計にファイルを提出し、待つこと数分。これまた早く処理ができ、ゆっくり読書するまもなく私の会計番号が点灯し、料金を支払って領収書が出てきたのが14:49。駐車場に着いてから1時間半、院内に入ってから1時間20分で本日の診察(検査)は終了。かなりいろいろなことをしましたよ。なのにこの時間ですべて終わるとは。他に患者もたくさんいたのに、なんてテキパキした病院なんでしょう。しかも職員がみなニコニコしています。きっと患者ファーストの精神が浸透しているのでしょうね。ここなら入院するのが楽しみです。
2024年10月15日
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父の葬儀が終わり奈良に帰ってきました。2日続けての喪主挨拶も、滞りなく?こなしました。前夜式と葬式に来てくれる人は同じ人も多いので違う挨拶をした方がいいよと言われていてそのような準備はしていましたが、驚いたのは牧師の話が前日とは全然ちがったことです。喪主挨拶は多少変化をつけて、と思っていたのが牧師の話の内容を聞いてこちらも急遽、大幅に変更せざるをえませんでした。前夜の内容の3割ぐらいを変えようかと思っていましたが、結果的に8割ぐらい変わりました。もともと話そうとしていた内容は5割ぐらいに激減。あとは牧師の話に呼応したアドリブになりました。前夜式の出席者は身内のほかは信者さんたちがほとんど。でも葬式には近所の人や信者でない人がたくさん来てくれます。クリスチャンでない人は牧師の話や讃美歌などはあまり聞き慣れていません。「普通の」言葉を聞くのは喪主の挨拶ぐらいなので、牧師の話の翻訳ではありませんが信者でない人にもわかるような言葉で挨拶を心がけました。冷静に話をしたつもりでしたが、病気入院中で葬儀に参列できなかった99歳*の母のことを話した時はさすがに感情が込み上げてきました。とにかくこれで一連の行事は一区切り。今後は腰の入院・手術に向けて自分のために時間を使わせてもらいます。*数日前に誕生日を迎えたのですが、間違えて98歳だと思っていたので挨拶の途中で姉に訂正されました。この日記にも98歳と書いてしまった箇所があります。
2024年10月15日
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昨夜は前夜式(通夜)が滞りなく終了。本日は父の葬儀の日です。キリスト教式の葬送は久しぶりで段取りを忘れていましたが、敬虔な信者だった父を他の方法で送り出すことはあり得ません。ただ喪主と言っても「お仕事」は遺族代表挨拶ぐらいのことであとは借りてきた猫みたいにしていれば周りがちゃんと動いてくれました。その挨拶、ちゃんとできたかな。たくさんの人の前に立ってしゃべるのは久しぶり。一般の葬式と違うので禁句がどうとかとか信仰関係用語とかで戸惑う気持ちはありましたが、ウケ狙いも不要ですしまあなるようにしかならないと腹をくくってやりました。準備7割、アドリブ3割。時間を計っていなかったのでよく分かりませんが、実感としては3、4分ほどかな。今日は葬儀です。たぶん同じような人が集まるので前夜式とは挨拶の内容を変えなければなりません。これだから何かの主役になるのは嫌いです。もっとも本当の主役は父ですけど。こちらは物言わぬ主役。私はものを言う方の主役。あっけなく逝った父にあわてて帰省したのが金曜日。土、日、月と父と二人で過ごし今日で4日目。今日でお守り役から解放され日常生活に戻れます。明日は私自身の病院の予約があるので、今日は火葬を見届けた後すぐに3~4時間かけて奈良に帰ります。葬儀後の片付け、諸手続などは残っていますがしばらくは自分自身のために日々生活させてもらいます。
2024年10月14日
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さて、本日は10日に亡くなった父の前夜式。いわゆるお通夜です。自宅で行うため、朝から葬儀屋が来てバタバタ。といっても、対応はほとんど姉とそのダンナがやってくれているので私はちょこちょこ意見を言うぐらい。ほぼすべて姉のペースで段取りが決まっていきます。この姉、細部にとてもこだわりが強い人なので柩や献花の位置、会葬御礼葉書の文言の一言一句がきちんとなっていないと気が済みません。私は腰に痛みをかかえているので姉がすべて取り仕切ってくれるのは助かります。しかもダンナがこれまたよく働く人。姉の指図通りにも動くし、自分から意見も言うタイプ。たぶん普段は姉の好きなようにさせているけど重要な決定はダンナがやっているんじゃないかな(推測)。どちらも表に出たがるタイプなら結婚生活は何十年も続いていないことでしょう。もうすぐ金婚式だけど、夫婦の間に波風が立ったという話は聞いたことがありません。と、父の葬儀の段取りの話が姉夫婦の評定にすり替わってしまいました。とにかく姉夫婦には感謝。いま姉夫婦はいったん自分の家に帰り、弔問客や業者がいつ来るか分からないために実家を離れられない私(一応、喪主)や、これから到着する私の子どもや孫のためにおにぎりを作って持ってきてくれるそうです。永らく嫁として義両親の世話をしていた姉。東京暮らしも長く声楽家でもある姉ですが、案外田舎の嫁の典型だったのかも。
2024年10月13日
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昨日は父の死亡報告をしに、母が入院している病院に面会に行きました。現在この病院では、流行しているコロナのために原則として面会は禁止状態が続いています。しかし、父が亡くなったことを母に告げないわけにもいきません。さいわい昨日はちょうど母の98回目の誕生日でもありました。それで特別の許可をもらって、15分の面会をさせてもらいました。入院してから2週間あまり面会禁止のため誰とも会っていない母は私の顔をみて満面の笑み。まず「誕生日おめでとう」と言ってからすぐに父の死を話しました。「誕生日にふさわしくない、つらい話だけど昨日お父さんが亡くなったよ」と話すとしばらくつらそうにしていました。ただ、つらい顔も20秒ほど。そこから孫やひ孫の近況を話しているうちに母はそちらの話に夢中になりました。そして「あなたの奥さんはどうしてる?」というので「もう20年近く前に亡くなった」と言うと「エッ!」と驚き、父が亡くなったことを報告したときよりもびっくりした様子でした。これなら連れ合いが亡くなったショックもそれほどではないかな、とひと安心。認知症がなく頭がしっかりしていたなら、面会謝絶の病室で孤独のなかで悲しみにふさぎ込んでいたでしょうが、この調子ならおそらく父の死のことももう忘れていて、息子が会いに来た喜びだけが心に残っていることしょう。病室を去るときは「もっといて」とずいぶん引き留めたがりました。そして「早く退院してまた会いに来てもらいたいから健康に気をつける」と言っていました。きっとこうしてつらいことは忘れ、楽しい思い出だけが残るよう神様は人間に認知症を与えてくれたのでしょう。
2024年10月12日
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父が4ヶ月ぶりに帰宅。無言の帰宅です。4ヶ月前、この家を出て施設に入ったときは話もしたのにな。あっけないものです。いや、102年と1週間も生きたあとの大往生ですから、あっけないという言葉はふさわしくないのかも知れません。でも4ヶ月前のことを思い出すと、人間ってこんなに簡単に生から死に移っていくのだなという気持ちがぬぐえません。4ヶ月前は一緒に服を着替えたりご飯を食べたり昔の思い出話をしたりしたのに。高校を卒業してから実家を離れ、帰省しても数日「お客さん」として滞在しただけの私でしたが、最後は一緒に暮らせました。今年は前半から、2人暮らしをしている両親の世話を中心になってしてくれている姉が入院したり、母が骨折をして入院したりで、私がそのたびに助っ人として実家に帰省し、両親と(または父と)一緒に数週間にわたって生活をともにしました。こんなことは高校卒業以来初めてですが、少しだけ親孝行のまねごとをさせてもらえました。別々に離れて生活していて、「チチキトク スグカエレ」ではなかったのはよかったかな。今日10月11日は母の誕生日。98回目です。姉によると父の逝去のことはまだ伝えてないとか。いまは病院のベッドで寝たきり状態なので、伝えたところで父の葬儀に出ることもできません。聞いたときは悲しむでしょうが、認知症のためにすぐ忘れてしまう可能性もあります。そもそも、いま病院はコロナの大流行のために面会することもできません。そのうち色々と落ち着いた頃に、父の思い出を母とともに語れる日が来ることを待ちましょう。
2024年10月11日
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父の状態が思わしくないとのことなので、本土に移動してきました。予定では13日まで沖縄にいるはずでしたが、航空券をキャンセルして急遽「当日券」を取りました。LCCと言えど当日や前日に購入すると航空券はグンと高くなり、大手のところと変わらなくなります(大手の価格帯は実はよく知らないので推測ですが)。今回支払った料金(片道)は、安い時期に那覇-関空の往復切符が買える値段の3倍!驚いてしまいましたが、結果的に帰っておいて正解でした。さっき姉から連絡があり、父の呼吸が止まったと。明日いちど顔を見に行こうと思っていましたが、予定を変更して今日これから帰省することにしました。今日からあさってあたりにかけて、葬儀やら何やらで忙しくなるので日記を毎日書くのは難しくなるでしょう。喪主は母になるのかなあ。でも認知症なので実際の喪主は長男である私になるんでしょうね。いずれにしろ間一髪、本土に戻っていてよかったです。1週間前に102回目の誕生日を迎えた父、よくここまで頑張りました。ほんとにお疲れさま。
2024年10月10日
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先日102歳の誕生日を迎えたばかりの父の食欲が落ちている、と姉からの連絡。入居している施設から連絡があったと。施設には今後の方針について家族間で意思統一をはかっておいてほしいと言われたそうです。入院して点滴を受けさせるのかどうか、重篤な状況に陥ったときは救急搬送を要請するのかどうか。そのあたりについて、施設は自分たちの一存では決められないので家族の意向を聞かせて欲しいと知らされた、ということです。重い判断です。私は前から単なる延命措置は不要と考えてきました。姉とも意見が一致しています。しかし、あさって99歳の誕生日を迎える母の例もあります。彼女も一週間あまり前、施設から連絡があり食べることに対して意欲がなくなり、ご飯を食べてくれない、点滴も管を抜いてしまう、痩せてきた、と聞かされました。そのときは「無事に誕生日を迎えられるだろうか」と心配しましたが、案ずるより産むが易し。入院し点滴を受けると徐々に回復してきました。医師や看護師が常駐していない一般の高齢者施設の限界ですが、それは承知でお世話を願っています。今日は施設の職員を通して父を病院に搬送するかどうかの判断を医師に仰いでもらっています。と書いていたらちょうど今、姉から連絡がありました。医者の意見は「高齢だし、このまま自然の状態に任せましょう」ということだそうです。そかそか。よく頑張ったね、父。徐々にそのときが近づいているようです。
2024年10月09日
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こんな面白い番組が深夜に放送されていたんですね。タイトルは「紫式部のスマホ」。NHK+で見ました。NHK+の番組一覧を見ていると、その中に「紫式部のスマホ」があり、「これはいったい何だろう。紫式部というのだから『光る君へ』と関係がありそうだけど、そこにスマホが出てくるのはいったい何?」という素朴な疑問が浮かびました。主役として掲載されている女優さんの顔も見たことがあるような、ないような。サイトに行ってみてやっと分かりました。「水曜日のカンパネラ」の詩羽という人なのですね。特徴的なメイクのせいかデパートの化粧品売り場のポスターで見たのを覚えていました。歌手なのかと思っていましたが、俳優でもあったのですね。と、主役の俳優が分かったところで「光る君へ」との関係、スマホが出てくる理由がまだ何も分かっていません。一度見てみました。面白い。シリーズの8話を一気見してしまいました。見つけたタイミングもよかったと思います。最初の放送は9月9日から19日にかけて各話5分の番組が1日1話×8回にわたって放送されたようですが、10月5日の未明(4日深夜)に8話がまとめて再放送されていました。NHK+はある程度時間が経った番組は削除されるので、いま気がついたのがいいタイミング、その1。もう1つは最初の放送だと「光る君へ」本編よりも話がやや先に進んでいましたが、今だとすでに本編で出てきたエピソードばかり。これがタイミングがよかったその2。もちろん本編の解釈とは違うところもありますが、これを見てむしろ本編の理解が深まりました。なんと言ってもスマホを通して式部が家族や道長、清少納言、中宮や女房たちとやり取りするのが絶品でなぜか違和感がありません。「光る君へ」本編を見ているからこそ登場人物の性格、人となりがある程度わかっているわけで、名前を聞くといちいち「光る君へ」の登場人物の顔が思い浮かび彼らがLINEのやり取りをしている様子が目に浮かびます。1話が5分。全部で8話なので通して見ても40分。「光る君へ」ファンならこちらも是非。お薦めです。
2024年10月08日
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どこに行ってもテレビがお友達、テレビっ子のヨッサンです。暇さえあればテレビにかじりついています。でも奈良と沖縄では視聴パターンが全然ちがいます。なぜなら、奈良では地上波、BSに加えてケーブルテレビのチャンネルが数限りなくあり(いや、実際は無限ではありませんが)、ドラマからバラエティそして私の大好きなスポーツ中継と、どこかにチャンネルを合わせさえすれば興味深いコンテンツに出合います。それが沖縄の我が家では地上波しかチャンネルが選べません。ケーブルテレビはおろかBSもなし。地上波のみ。そこで沖縄ではNHK2局、民放3局(日テレ系列は無し)以外はネットアプリを通してコンテンツを楽しむことになります。NHK+やTVer、楽天TV、ABEMA、YouTube、TikTokなどです。私はプライムビデオやNetflixなど有料で動画を提供するネットサービスには入っていませんが、それでも奈良で見られるチャンネル数以上の、暇つぶしに見ようと思うと時間が全く足りないほどのコンテンツが揃っています。考えてみると奈良より沖縄の方がずっと自己決定的な行動をとっています。奈良では何か面白いものはないかと地上波からBS、CATVとザッピングしていますが、沖縄では検索したり登録したりして見たいコンテンツを自分で選択して見ているので、見せられている感がありません。奈良の、ケーブルテレビや地上波、BSは面白いコンテンツも多いですが、放送局が送ってくる時間帯にチャンネルを合わせないと見ることが出来ません。それに対してアプリを通して見るコンテンツは自分が見たいときにいつでも見ることが出来ます。もちろん奈良でもこうしたコンテンツを見ることはできますが、テレビのチャンネルがたくさんあるとついそっちに頼ってしまうのですよね。奈良の視聴習慣は昭和的、沖縄では令和的。奈良と沖縄を行ったり来たりしながら視聴方法も行ったり来たりしています。
2024年10月07日
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こんなことが起こりうるのか。いや、こんなことが起こるのがアメリカンフットボール。だから、私はアメフトが大好き。それはおとといのこと。アメリカのプロリーグNFLのサーズデイ・ナイト・フットボールの試合がありました。日本では金曜日の朝の生中継。第4週までの成績が3勝1敗のタンパベイ・バッカニアーズ対2勝2敗の地元、アトランタ・ファルコンズの試合の生中継です。試合は最初こそファルコンズが先制しますが、そこからは常にバッカニアーズがリードし、ファルコンズが追いかける展開。ファルコンズは最終第4クォーターに27-20の7点のリードを追いつくも、フィールドゴールで再び3点差をつけられます。俄然面白くなったのがここからでした。バッカニアーズは試合時間残り10分あまりで30-27のリード。攻撃権はファルコンズに。まだ試合時間が十分あるため、ファルコンズはこの攻撃でタッチダウンをとれば逆転、フィールドゴールでも同点は固そうに見えました。そして3rdアンド8ヤードからQBが敵陣深くでフリーになっているレシーバー、ムーニーにパスを投げました。ボールはきっちりムーニーの腕に入りました。と思った瞬間、なんとムーニーはパスを落としたのです。やむなくファルコンズはフィールドゴールを蹴って同点を狙いにいきました。が、キックがブロックされ30-27のまま。ボールが再びバッカニアーズに渡り、順調に前進していきます。このままならタッチダウンも狙えるし、悪くてもフィールドゴールを決めれば6点差となりあとはどうやって残り時間を消化していくか、というところです。ところが相手のゴールライン目前でランニングバックがファンブル。ファルコンズがボールをリカバーしました。点差は3点のままなのでフィールドゴールで追いつけます。しかし、試合時間の残りが3分を切って自陣奥深くから始まった攻撃はなかなかうまく進みません。4thアンドロングが残りました。ここでパントをして相手に攻撃権を与えれば万事休す。ほとんど勝利は相手に与えたようなものです。そこでファルコンズはギャンブルを選択。大きく前にパスを投げました。が、これをバッカニアーズがインターセプト。今度こそ万事休すと思われました。が、ファルコンズは3つのタイムアウトを全て残していました。バッカニアーズは攻撃失敗や反則でフィールドゴールレンジから徐々に後退。試合時間を1分あまり残して最後はパント、ファルコンズは自陣15ヤードからの攻撃権を得ました。しかし時間がありません。ファルコンズにはタイムアウトも残っていません。それでも徐々にボールを前に進め、一つの攻撃が終わればノーハドルですぐ次のプレーを行いながら最後は時計をとめるためスパイク(クォーターバックがボールをたたきつけて敢えてパスを失敗させ時計を止めるプレー)。なんとか試合時間1秒が残りました。ここでキッカーが今度は52ヤードのフィールドゴールを成功させ、延長戦に入りました。延長戦はサドン・デスで行われ、コイントスで勝ったファルコンズの先行。あれほどゴールが遠かったファルコンズがどんどんボールを進め、ついにはタッチダウン成功。地元ファンの前で劇的な勝利を飾ったのでした。*NFLの延長戦ルール 最初の攻撃チームがタッチダウンをとれば終了。フィールドゴール以下なら相手も攻撃。
2024年10月06日
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奈良はめっきり秋の気配。夜、窓を開けたまま寝ると寒くなり閉めなければならないほどになりました。昼間も長袖のシャツを着て、少し暑ければ袖を折って調節するのがちょうどいいくらい。年中こんな気候が続けば暮らしやすくて最高です。と、思いつつ今日は沖縄に移動してきました。自分自身の入院・手術の準備や和歌山の二人あわせて200歳の両親のことなどのために本土であたふたとした時を過ごしていて、気がつくと前回沖縄を離れてから3週間が経ってしまっていました。その間に沖縄に来た台風で我が家も停電したかも知れないと気をもんでいましたが、冷凍庫には解けたものがなく無事でした。郵便物の中には家の賃貸契約更新書や光熱費の請求書なども含まれていましたが、適正に処理されているので特に問題はありませんでした。それより、何、この暑さ。那覇空港に着き一歩建物の外に出るとめっちゃ蒸し蒸ししています。奈良ではもうほとんどつけなくなったエアコンを沖縄の家に到着して即、つけました。風を通したいので吹き出し窓を全部開け、扇風機を強でまわしながらエアコンも温度をちょっと低めに設定してつけています。こんなことをしているとウチナーンチュに「クーラーが逃げる(エアコンの冷気が出ていく)。すぐ閉めなさい」と叱られますね。沖縄は夏。奈良で忘れかけていた季節を思い出しました。最高31度、最低26度。熱帯夜の寝苦しさは健在。でも、逆に考えるとまだまだ夏を楽しめるということですよね。本土ではお盆以降は気温が高くても泳ぐ人が少なくなり、海水浴場も閉鎖されるところが多いですが、沖縄は11月ぐらいまで普通に泳げます。監視員もいてくれるところが多いです。明日あたりビーチに行こうかなー。
2024年10月05日
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栗の渋皮煮を作りました。人生、初体験。田舎に住んでいる人が毎年、自宅の庭になった栗を送ってくれます。これまでは茹で栗として食べていましたが、今年はなんとなく渋皮煮を作ってみよう、と思い立ちました。経験は一度もありませんが、以前お裾分けした息子の嫁が渋皮煮にして返してくれたのを思い出し、自分でも作ってみようかという気分が湧いてきました。まずはネットで作り方を検索。うわ、ものすごく時間がかかるんだ。何度も何度も水を替えてゆっくりアクを取りながら煮るらしい。ま、暇だし乗りかかった船、やってみようか。栗はあるので、あと必要なのは砂糖と重曹のみ。これは家にあります。私は料理にあまり砂糖を使わないので、たくさん余っている砂糖を消費するのにもちょうどよさそう。栗は、一人暮らしなのであまり要らないと言っていたのですが300gも送っていただきました。それを全部使用します。砂糖は栗の半分から等量ぐらいを使うと書いてあったので、重量比で栗の7割ぐらいを使用。作り始め、砂糖は最後の方で入れるので、最初はお湯でアクを取りながらコトコト煮るだけです。鍋に栗を入れてひたひたに水を入れて沸騰したら中火にして、20分ほどとにかくアクを取り続ける。水を替えながら、これを3回ほど繰り返しました。最後に砂糖を投入して、これまたゆっくりコトコト。面倒くさがりの私が2時間ほどつきっきりでようやく完成しました。1、2個つまんでみましたが、問題なくちゃんと美味しく出来ていました。黒砂糖を使ったからか色黒の渋皮煮になりましたが、初めてにしては上出来と自画自賛しています。一晩おいた方が美味しいとのことなので、今晩からしっかり自家製渋皮煮をいただきます。楽しみ、楽しみ。
2024年10月04日
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「怪物に出会った日」(森合正範著、講談社)を読みました。モンスターというニックネームを持つボクサー、井上尚弥と「出会った」対戦相手へのインタビューで構成された本です。著者の森合はスポーツ記者で、けっしてボクシングを見る眼がないわけではありません。しかし、井上がなぜこれほど強いのか、何が強いのかはわかりませんでした。そこで井上に負けた相手にインタビューすればそれがわかるかもしれないと思ったのがきっかけで、インタビューを始めました。最初は当然、負けた試合のことを尋ねるのは失礼ではないかとかなり迷い、逡巡したそうです。ところがインタビューを申し込むと、敗者たちはみな快くOKしてくれ詳しく試合の様子を話してくれました。井上戦について話すことを楽しんだりする者さえいました。井上に敗れ引退したもの、さらにそこから自らを奮い立たせリンクの上で進化したもの、対戦の「その後」は様々ですが誰もが一様に井上との対戦を喜び、それを糧にし、勲章にすら思っているという事実がありました。私と本書の出会いは最初ひとつの章をネットで読んだことでした。感動し、全部を読みたいと思って本を買いました。ネットで読んだのは若い井上に敗れ、またそこから再起するメキシコのボクサーの話でした。それだけでも十分惹きつけるものがありましたが(だからこそ本を買ったのですが)、実際に読んでみると一つ一つの対戦、一つ一つの章には井上と対戦したそれぞれのボクサーの人生が描かれていました。敗者たちの人生をこれだけ変えてしまうという事実がモンスターと呼ばれる井上のとてつもない強さを表しています。技術的なことなどはわかっていないボクシング素人の私ですが、それでも十分に読んで楽しめる本でした。
2024年10月03日
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何でもネットで買える世の中、再配達の労力や人件費が問題になっています。再配達は受け取る方にも負担がかかります。昨日、私の家に届け物がありました。が、残念ながら午前中は出かけていたために受け取ることができませんでした。それでお昼前に帰宅し、すぐに「不在票」を見ながら再配達を頼みました。そのとき頼める一番早い再配達の時間帯は14時から16時とのことでしたので、その時間の再配達を頼みました。待てど暮らせど配達員がやってきません。16時近くになりしびれを切らし外に出て郵便受けをみると、あれ?新しい不在票が。どゆこと?その時間、家にいたし。「まだかなまだかな」と待っていたし。こういうことは今回が初めてではありません。以前にも(去年ぐらいだったか)再配達の配達員がインターホンを鳴らさずに不在票だけを置いていこうとしていたことがありました。そのときは、その様子がちょうど窓から見えたので慌てて外に出て、配達員を呼び止めて荷物を受け取りました。なんでそういうことが起きるのでしょう。インターホンの故障も考えましたが、前回も今回も後で試すとちゃんとピンポーンと鳴り音声スイッチも入りました。再配達で、配達員の手間が増えて困るのは分かります。でも、こちらも再配達のために(一人暮らしなので)外出もせず、お風呂にも入らず、ピンポーンを聞き逃してはいけないとトイレのドアも開けっ放しにして待っているのです。3度めの配達に備え、昨日はやむなく早めに買い物に行き、お風呂も配達の可能性がある時間よりも先に入って待ち、無事受け取ることが出来ました。この無為に過ごす時間がいやで、一度目の再配達のときに郵便局に取りに行こうとしたのですが局受取は翌日からだと。待っていた荷物は知人からの届け物で、庭でできた収穫物などをチルドで送ってくれているのでできるだけ早く受け取って賞味して、感想を報告したいのもあり、3度めも2時間の配達時間の間、家でじっと待つことにしたのでした。宅急便の場合は家の近所のコンビニに届けてもらうとか集配所に留め置きしてもらうとかするのですが、ゆうパックも受け取る側、配達する側の両方がより楽になる方法はないのでしょうか。
2024年10月02日
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今日は朝のうち、病院に行ってきました。もう1年以上患っている椎間板ヘルニア。昨夏ごろ、走っていると突然脚に痛みがきてから、いろいろと治療はしましたが完治しません。保険適用の限度まで目一杯ブロック注射をしたりしましたが、痛みはぶり返し繰り返し、なくなることはありませんでした。まっすぐ歩くと痛くて腰を曲げたモンキーウォークでしか歩けない。それも長く歩くと痛くなる。1年経っても結局は元の状態からあまり変わっていません。セカンド・オピニオンを聞きに近くの病院に行きました。今日は先週受けた検査の結果を聞きに行きました。こちらの先生の診立ては椎間板ヘルニアというよりも脊柱管狭窄だろうとのこと。いずれにしろ脊椎のなかを走っている神経が圧迫され刺激されて、その結果神経の通っている脚やももなどが痛んでいるということ。ファースト・オピニオンとセカンド・オピニオンの病名は違ったけれど、手術が必要ということでは一致していました。話を聞き、即決で来月そうそうに手術をすることにしました。入院期間は2~3週間だそうです。思ったより長いけど、手術の翌日から歩行のリハビリを始めて日常生活に戻るにはそれぐらいかかるそうです。まあ、年齢のこともあるでしょう。若い人ならもっと早くに退院できるのかもしれません。手術をすると決めたら、実際にそれが可能かどうか今日、いきなりたくさんの検査をすることになりました。胸のレントゲン、腰のCT、心臓エコー、心電図、肺活量、血液検査、尿検査・・・急なことで予約もなしでそれぞれの検査には飛び込みで向かったのですが、各セクションがテキパキと検査を行ってくれて、手術すると決めてからすべての術前検査を終えるのにかかった時間は1時間半ほど。次の診察日時の予約、会計処理と実にスムーズに進み、今朝9時の診察予約から2時間半後には料金支払まで済ませ、お昼には帰宅していました。この病院を初めて受診した時は職員の親切さに感激しましたが、今日は要領のよさに星5つです。入院、手術が楽しみです。
2024年10月01日
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十年あまり前のこと。当時、経済的に苦しい若い人たちと関わることが多かった私はよく彼らにお金を貸していました。別に起業の手助けや投資とかいうものではなく、生活の足しになる程度の金額です。勉学を極めたいけれど生活のためにアルバイトをして時間が削られる、僅かな金額のために将来の夢を諦めざるをえない、といった人に私のできる範囲で手助けをしていました。さいわいこちらには若干の余裕があったので、無利子無期限の催促なしで十数人の若者に1桁~2桁万円を貸しました。返済は人によっていろいろなパターンがあります。一定金額を毎月あるいはボーナス月ごとにきちんきちんと返す人。思い出したように数回に分けてまとめて返す人。全然返さず連絡もしてこない人(これは困ります 笑)。ボーナスが出るたびに一定の金額を返済してきたある人の最終回は、私からの融資があって夢が叶いました、とのメッセージつきでした。金額の小さい人ほど、何も言ってこない率が高いようです。借りた覚えがないのかも。私もまあ、捨てた気ですけど。十年経過するうちに彼らにも返済の余裕は出てきているはずですが、お金を借りて返さないでいるのは寝覚めが悪いことはないのですかね。他の用事で私に連絡したり会ったりしたくても、借金がある状態ではそれもしにくいことでしょう。こちらは何にも思っていなくても、です。自分で付き合いを狭めてしまっているのはもったいないことですね。そんな、もう返済する気がないのかなと思っていた人から昨日入金したと連絡がありました。彼にしてみれば大きな金額だと思います。ボーナス1回分前後の金額でしょう。貸したのが10年前。一度、5年前に会う機会があってそのときに半分だけ返してくれました。その後また音沙汰がなかったのですが、昨日残りの金額全額を振り込んだ、といきなり連絡がありました。おぉ、返す気があったんだ。私としては半ば返してもらえると思ってなかったお金です。こういうことがあるとうれしい。まだまだあちこちの「銀行」に預けたお金があります。いつか返ってくるかな。
2024年09月30日
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「人はなぜ負け続けても賭けてしまうのか? 本当は怖い行動経済学(博学こだわり倶楽部編、KAOKAWA夢文庫)」を読みました。本屋さんに並んでいるのを見つけ、タイトルにつられてちょっと読んでみると内容が腑に落ちることが多く、文章も平易で読みやすいのでつい買ってしまいました。タイトルにある行動については、「負債があると人はギャンブラーになる」や「つぎ込んだ分は取り返さずにいられない」「どんな方法で得た収入かによって、お金の使い方が変わる」などの説明があります。たとえば「負債があると人はギャンブラーになる」に関してこんな実験結果が紹介されています。実験1 被験者に次のA、Bのような条件を提示してA、Bどちらを選ぶか聞く。 A.100万円が無条件で手に入る B.コインを投げて表が出れば200万円手に入る、裏なら何も手に入らないすると圧倒的な人数の人がAを選びますが、少数の人(ギャンブラー)はBを選ぶそうです。これに似た実験が次です。実験2 あなたは200万円借金を負っているとします。次のA、Bどちらを選びますか。 A.100万円無条件で返済減額される B.コインを投げて表が出れば200万円減額、裏なら減額なし今度はBを選ぶ人が圧倒的に多くなるそうです。Aは負債が減額されるものの、まだ100万円借金がある状況、Bは借金がなくなる状況で、多くの人は後者がより魅力的と感じるそうです。実は、実験1と2はほとんど同じ質問なのですが、借金のあるなしで人の行動が変わってくることを示唆しています。このように本書は、実験に基づいた研究の成果を紹介しながらある状況下で人はどのように行動するのかを豊富な行動経済学の知見によって分析し、わかりやすい言葉で綴られています。おかげで私のように経済学や社会学の予備知識のない素人にとってもとっつきやすい本でした。ギャンブルや投資で損をし続けている人は、一度本書を読んで頭を冷やしてみることも必要でしょうね。
2024年09月29日
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MRI検査を受けたときのこと。以前、病院でレントゲン検査を受けたとき、腰の写真を撮ったので技師さん(同性)に「ズボンを膝まで下ろしてください」と言われました。そのときは検査を急に受けることになったものでたまたま穿いていたヤバいパンツを技師さんに見られてしまいました。もちろんプロですから、パンツに関しては何もおっしゃらなかったけれど、こちらが焦りました。それで今回は地味な下着を選択。でも、着替えエリアはカーテンで仕切られていて下着を見られることはありませんでした。なんだ、心配することなかったか。それならまたあのレインボーTバックを穿いていても大丈夫だったんだ(穿きませんけど)。着替えも無事終わりいよいよMRI装置の中へ。私は閉所恐怖症ではありません。それにMRI装置は頭の後ろが開いていて閉所というわけでもありません。「腰の検査ですから30分かかります」と言われました。30分も静かにゴロンとしていると普通は眠くなります。でもMRIは耳元でガンガン音がしてうるさい。ガンガンといった爆音でも同じ音が続くと慣れてきますが、敵もさる者。いろんな種類の爆音を手を変え品を変えて鳴らしてくるので安眠を妨げられます。そこで30分間ずっと1秒毎にカウントをとって本当に30分かかるのか測ってみることにしました。バスケットボールの審判になったつもりで頭の中でずっと手を振っていました。暇でしょ。暇なんです、実際。装置に入ってからずっと秒数を数え続けました。爆音がやんで「はい、終わりました」といわれたときの手元の数字は22分30秒。思っていたよりちょっと早い。着替えエリアに戻り、はずしていた時計を見るとエリアを出る時から26分経過していました。カウントがゆっくり過ぎたかな。実際に手を振ってカウントするとだいたい正確に測れるつもりなんですが、今回は頭の中で手を振っていたので少し誤差があったかな。気がつきました。装置のなかでしばらく記憶を失っていた時があったことを。あの爆音でも私は寝ていたのでした。
2024年09月28日
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高齢者施設に入居している母の容態に関して、さっき姉から電話がありました。数日前の様子では食欲がないので施設の職員たちも心配してくれているとのことでしたが、今度は発熱したということです。37度から38度台になったりして本人も少ししんどそうなので医者に連れて行ってもらったとか。レントゲン検査などで肺炎やコロナの心配はなかったけど、少し様子を見るために何日か入院となったとのことです。それはよかった。かも。医療機関ではないので施設では24時間の点滴は出来ず、そもそも本人が管を抜いてしまうとのことでした。言い聞かせれば点滴の重要性は理解できるので少しの間は管を抜かないのですが、認知症のせいで抜いてはいけないことを忘れてしまいます。施設の職員さんたちも困っており私達も点滴で栄養をとるのは無理かなと半ばあきらめていました。医療施設に入院すればちゃんと点滴もチェックしてくれ今までよりも栄養が取れるのではないかと期待できます。認知症ゆえトンチンカンなこともありますが、基本的には誰に対してもちゃんと受け答えをし意識もしっかりしていて、現在の自分の状態はちゃんとわかっています。ただ頭がしっかり働いていても、食欲は体の問題なので本人にその意欲がない以上どうしようもありません。ですが、入院すれば栄養摂取に関してはいい方向に向かいそうです。私たち家族は延命治療を望んでいません。急に心臓が止まったらそれはそれで仕方なく、AEDも不要と伝えてあります。このところ食欲がないと施設から聞いていたので、いつかは覚悟も必要になるだろうと姉とも話し合っていたところですが、その「いつか」が今回の入院によって少し先になったのであればうれしい。あと2週間で母は99歳の誕生日を迎えます。この調子だとプレゼントを何か考えなければいけないな。
2024年09月27日
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さて、きょうはこれからMRIを受けに行きます。去年から悩まされている椎間板ヘルニアの検査です。問診票を記入しています。心臓ペースメーカーが入っていますかとかタトゥーはありますか、磁石固定式の入れ歯をつけていますか、閉所恐怖症ですか、などなど。ほぼすべて「いいえ」に◯をつけていますが、それらの質問項目よりも大事なことを思い出しました。地味なパンツを穿いていかなくちゃ。以前これで失敗したことがあります。MRIではなかったですが、何かのおりに急にレントゲン検査をすることになり、下半身が下着一枚になることがありました。その日はたまたまこれまでにないド派手なパンツを穿いていた日だったのです。職場のゲームか何かで当たった(はずれた?)パンツ。とても穿くことはないと思っていたのが、「もらってから一度も穿いてないし、せっかくだから一度ぐらい穿いてみようか」と思ったのが運の尽き。そんな日に限ってぎっくり腰になり、急遽医者に行くことになってレントゲンを取りました。そのときのパンツがこれ。レントゲン技師のお兄さんは何も言わなかったけど、きっと変なおっさんだと思っただろうなあ。それ以来このパンツはタンスの奥深くにしまわれ、今日ひさしぶりに日の目を見ました。また、奥深くしまい込んでおきます。もう穿くこともないと思うんですけどね。
2024年09月26日
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いつも寝ている間にしておくスマホの充電。ところがケーブルに接続しても充電ができなくなりました。一泊だけの予定で行った和歌山への帰省。一泊だけだし普段から車に積んでいる充電ケーブルだけ持って部屋に入りました。寝る段になってケーブルをスマホにつなぎ、最初のうちは「充電中」になっていたはずなのにふと見ると「使用中」になっていて、だんだんパーセントが下がっていきます。最初は30%以上あったのに徐々に下がり、みるみるうちに20%を切りました。接触が悪いのかなと差し直したりしてあれこれ試してみましたが、その間も充電率は下がり続け、15%に。床についてから1時間ほど経っていました。解決策はみつかりません。そこでやむなく着替えをして新しい充電ケーブルを買いに行くことにしました。スーパーなどは車で15分以上いかないとない田舎の土地柄ですが、コンビニだけは車で2、3分のところに2軒あります。無事コンビニで充電ケーブルをゲット。帰宅しスマホにつないで安心して眠り、朝には100%になっていました。私は普段、ほぼコンビニは使いません。早朝や深夜などに活動することもないので基本的に買い物はスーパーやホームセンター、モールなどで済ませます。奈良の自宅にも沖縄の自宅にも歩いて数分のところにコンビニがあることはありますが、これまでとくに必要性を感じるできごとは起こりませんでした。同じ商品がスーパーやホームセンターなどよりもコンビニの方が高いイメージもありますし。でも昨日ばかりはコンビニが開いていて本当に助かりました。コンビニがまさにconvenience storeである意味がわかりました。今年高校生になった孫も最近コンビニで働き始めたということですし、こんなことがあるとやはりなくなっては困るものなので、もう少しコンビニに立ち寄る機会も増やしましょうかね。
2024年09月25日
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実家近くの高齢者施設に入居中の両親。そのうち母の食が細くなったと施設から連絡がありました。というか、実際には施設から連絡を受けた姉から私に連絡がありました。食欲を失いかけている人に対しては点滴、経管栄養、胃瘻などの選択肢があるが、家族と相談して欲しいと施設の職員さんから言われたそうです。そんなわけで急遽奈良から紀南に帰省し、施設職員や医師と面談の予定が組まれました。施設職員とは昨日会い、また入居中の両親とも直接話をしました。父の方は問題なさそうですが母の方はたしかに食べてくれないんだと優しい職員さんは困っている様子。点滴を試しても、血管が細くなってきていて入りにくい。何より、不快なのか本人が管を抜いてしまうそうです。そのため経鼻経管栄養も抜いてしまう恐れあり。となると、胃瘻形成もあり得るのでしょうかと職員さんは話してくれました。そして今日、担当してくださっているお医者さんと面談。医師の意見ははっきりしていました。もうすぐ99歳という年齢や認知症の進行具合からみて、食べることに執着がなくなり消化する力が衰えてくるのは極く自然な現象。思考能力や記憶力が徐々に衰えてくるのと同様、嚥下能力や咀嚼能力が衰えてくるのも当然なので、自分としては食べたくない人に無理矢理食べさせる必要はないと思う、との見解でした。ただし、本人がどう考えているか、また家族が何を希望するかにもよります、と。本人は食べたいという気持ちはあまりなさそう。いまこれを書きながらもぐもぐと口を動かしている私からしたら食べたくなくなるなんて信じられないことですが、それもまた人間の自然な姿なのでしょうか。普通に話もできている母、食べてさえいてくれればまた元気を取り戻しそうに見えます。そこでストレートに、いまの状態から考えて点滴や経管栄養、胃瘻などの処置は「延命治療」の範疇となるのかと聞いてみました。そういうことだと思う、というのが医師の診立て。そのときが近づいているのかも知れません。
2024年09月24日
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「さきがけ!歴男塾」(賀数仁然=かかずひとさ=著、沖縄タイムス社)を読みました。このシリーズの第4巻「慶良間ぁー見ーしが、まち毛ー見ーらんの巻」です。と聞いても、沖縄に関係のない人にとってはもう何が何やらですね。しかもこれは子供向けの本なんです。第4巻とあるとおり、これまで1~3巻までが発行されていて私は全部持っていますが、各巻ともすべて沖縄の歴史についてさまざまなエピソードが書かれていて、沖縄のちょっとした裏歴史から正式な歴史までが学べる仕組みになっています。本書は沖縄タイムス社発行の子供新聞「ワラビー」に連載されていたものが数年後に本になったので首里城は燃えていません。タイトルの歴男は近年はやりの歴女と、沖縄の古い呼び方であるレキオをかけたものでしょう。また第4巻のサブタイトル「慶良間ぁー」は沖縄の格言で「慶良間諸島は見えても自分のまつげは見えない」つまり「灯台下暗し」の沖縄版です。実際晴れた日には那覇空港などから慶良間諸島がよく見えますが、よほどのつけまつげでもしていない限り自分のまつげは見えません。本書は1~3巻同様、沖縄に特化した歴史的エピソードが並んでいますが、小学生対象なので理解しやすい内容になっています。第4巻では沖縄の紙すきや鶏の固有種、軟弱地盤に建てられた座喜味城とそれを作った英雄護佐丸のすごさ、などなど民俗文化から歴史上の人物のことまでが取り上げられ、ユーモア溢れる文章を通じて沖縄通になれる仕掛けになっています。沖縄県以外でこの本をみかけたことはありませんが、県内の本屋さんにはたいてい置いてあります。子供向けだけあって軽く読めますが内容はきちんとしているので、沖縄に興味のあるナイチャーにはお勧めの一冊です。
2024年09月23日
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二十代の女性二人と会食。ひとりは金融関係、もうひとりは航空関係に勤務。十年近いつきあいの彼女たち、そのうちの一人が転職を経験しその活動の疲れを癒やすために私を誘い出しました。いわば私は息抜きの材料に使われたわけです。しかも会食した2軒の費用は私持ち。この関係は昔からなので彼女たちも当然のように思っている様子です。知らない人が見たら親子でしょうか。にしてはちょっと「お父さん」年齢が離れすぎ?昔の流行語を使うとメッシー&アッシーですね。一人は沖縄の私の家にも泊りがけで遊びに来たことがあります。コロナで美ら海などが閉まりかけていたので3年前か。もう一人も近いうちにシュノーケリングに来たいそう。さらに彼女たちの中では母親も連れて私の家に泊りがけで遊びに来るという話になっているのだとか(私は母親とも顔見知り)。合計4人。こちらとしては大歓迎ですけど、2人でもスケジュール調整が難しいのに4人(全員働いています)の予定を合わせるのはなかなか大変じゃないのかな。私はキホン暇にしていますが、ただ老親案件で突発的に予定変更なんてのもあり得ます。などと障害は色々ありますが、母娘4人旅が実現したらいつもは静かな我が家がどんなに賑やかになることか。どこに連れて行こうか、何をしてもらおうか、思っただけでも楽しそう。考えているうちに早く実現しないかとワクワクしてきました。できればバナナやマンゴーが熟している頃に来てもらうのがサイコーですね。
2024年09月22日
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今日は先日の定期健康診断の検査結果を聞きにお医者さんへ。診察室に入った瞬間、お医者さんから開口一番「りっぱりっぱ。何も悪いとこなし」と告げられました。血液検査で異常値が出ることはめったにない私ですが、それでもこのところ椎間板ヘルニアにはなるし、体重も増加気味だし、心配すべきところは色々とありました。前回の検査では悪玉コレステロールの値が多少ヤバいところに近づいていたのもあるし、その前には一度尿酸値が高く出たこともありました。でも今回はそういうのは全部なし。きれいな数字が並んでいました。いつもはマイペースな生活をしている私が昨日は珍しく人と会食をし、その後もあちこち動き回ったりしたので少々お疲れかもと思っていましたが、検査結果を聞いてそんな疲れはすべて吹っ飛びました。このところ高齢の両親のことをはじめ何かと気をもむことがありますが私は健康、すくなくとも血液から見る限りは健康のようです。今の生活をもう少し続けていいよと専門家に太鼓判を押してもらった気分。もう少しこのままワガママにやらせてもらっていいかな。
2024年09月21日
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やりましたー。大谷翔平前人未到のMLB 50/50。今日20日の試合でドジャーズ大谷が49号、50号を連発。そのどちらも私は生で見ました(テレビですけど)。なんとラッキー。MLBの試合はテレビでよく見ていた割りに今年これまで大谷のホームランを生で見たのはたぶん2、3本。一生懸命応援しながら見ているときはたいてい凡打か四球。打ってもヒット。チャンネルを変えていたりして気がついたときには本塁打を打った後だったり。そんなことが続いてほとんどの本塁打は試合途中のリプレイかニュースの録画映像でしか見ていません。それが今日に限って2本とも生で見られるとは。しかも気がついた時には試合がすでに始まっていて、彼の第1打席から3打席目までは見逃していました。チャンネルを合わせた時にはあと二人ぐらいで大谷が第4打席に入るところ。ここはチャンネルを変えず、辛抱しながら待ちました。そして出た、第49号。その後もザッピングをしながらいろんなチャンネルを浮気していました。でも大谷の打席が近づいてきたところで再度MLB中継にチャンネルを戻し、ロックオン。この日はそれまで4打席連続でヒットが出ていたし、ベンチにいる彼の顔にも何かやる気が満ちていて、これは連続打席ホームランが出るかもという予感がしました。とか言うもののきっとこれは後付けの「予感」でしょうね。たぶん毎打席ごとに「ここはホームランが出るかも」と期待していただけのことでしょう、実際は。とにかくほとんど生で見られていなかったのにこの歴史的瞬間だけちゃんと見られたのは事実。何かもっているのかな、私。いや、何かもっているのは大谷ですね。間違いない。テレビを消してこれを書き、いまテレビをつけるとありゃー。大谷次の打席もホームランを打っている。51号。見逃した~。やっぱり「もっている」のは大谷で、私は「もっていない」人でした。
2024年09月20日
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今日は半年に一度(かな)の内科検診、検査の日。昨夜は早めに夕食を済ませアルコールも我慢して、今朝は絶食、絶飲。いつもほぼ同じ時間に朝食をとるせいかきっちりお腹がすいてきたのをMLBの中継でごまかしていました。大谷の出番も終わったし、そろそろ出かけよう。ちょうど開院の時間になる頃だろう、と時を見計らってテレビを消して出かけました。いつも患者さんがまばらな町医者に到着。ドアを開けると先客が一人、会計を待っていました。早っ。着いてすぐに名前を呼ばれ診察室に入ると、あらま。MLBの試合、さっきの続きが映っています。前には診察室にテレビなんかなかったはずなのにいつの間にこんなことになったのか。この町医者さん、歳の割りに電子カルテの導入が早かったのでカルテ用のディスプレイにアンテナケーブルをつなぐことくらいお手の物かも。ん?ディスプレイは2台あったかな。ま、どっちでもいい。それにしても診察しながら野球観戦かい。今日は検査だけだったので別にいいけどね。それだけ暇なのかな。だいたいいつ来ても前後に客が一人いるかいないかです。ちゃんと客を見て「この人だったらMLBを見ていても文句は言われないだろう」と判断しているのかもしれません。私がドアを開けたとき会計を待っていたおばあちゃんだったら診察時にはテレビを消していて、次に来たのが私だったので「この人ならテレビ見ながらでも大丈夫」と思ってつけたのかもね。そんな気楽なつきあいが30年以上。私のことを知り尽くしてくれているこのお医者さん。やめられません。
2024年09月19日
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文化庁から「国語に関する世論調査」令和5年版が発表された、とニュースで言っています。調査によると、最近よく使われる言葉「まったり」や「もふもふ」「きゅんきゅん」などが気にならないと答えた人は8割を超えているそうです。たしかに私も気にならないし、それ以外の表現を探す方が難しいかもしれません。「古寺の縁側で一人まったりする」「カピバラの赤ちゃんを見てきゅんきゅんした」など、別の言葉ではなんと言えばいいでしょう。この調査書には新語に関する意識だけでなく、様々な調査結果が載っています。他に気になったのは長音記号(ー)の使い方。「エレベーター」と「エレベータ」、「コンピューター」と「コンピュータ」など、どちらを書きますかの質問にはほとんどの人は長音記号を使った方を選んでいます。かつてパソコンの記憶装置が今では考えられないぐらい高価で容量も少なかった頃を知っている者とすればとにかく節約のために「コンピュータ」「プリンタ」「メモリ」など長音記号を省略していたことを思い出しますが、今では贅沢に(笑)使うのが当たり前なんですね。もうひとつ、「ファーストフード」か「ファストフード」かにも驚きました。調査によると「ファーストフード」と書く人が全体で7割弱、「ファストフード」が3割弱。私も前者しか書いたことがないのでこの結果には納得なのですが、年齢が下がるにつれて「ファストフード」派が増えて、10代と20代ではなんと「ファストフード」が上回っています(下図は同サイトより)。これにはびっくり。世の中は発音もだんだんとファストになっていっているのですね。ネイティブの発音はどうなっているのか検索して発音させてみました。イギリス的だとやや伸ばす感じ、アメリカ的だと短い感じです。ただ、どちらも「ゆっくり発音」させると「ファースト」と聞こえます。ゆっくり発音だとどうしてもアクセントのある母音が長く発音される傾向があるので当然でしょうか。今度マクドナルドに行ったときにどっちなのか聞いてみましょう。あ、誰も「ファストフードください」とは言ってないか。
2024年09月18日
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久しぶりに整形外科に行ってきました。もう一年以上患っている椎間板ヘルニアのため。最近は少しずつ痛みも手なづけられるようになり、休みながら毎日数千歩あるいてきました。が、昨日は痛みが強くてほとんど歩けず。こんなことは久しぶり。黄色信号が灯った感じがして、今日は朝から近くの整形外科病院に。これまではペインクリニックでブロック注射をしてきてそれなりに効果はありました。でも注射の回数が保険適用範囲いっぱいになりストップ。あとは自然回復を待っていました。徐々に体力や脚力をつけてきましたがそれだけでは無理でした。絶対に走れるようにはならないことが分かりました。そこで手術もやむなしと、脊椎専門の医者を探したところラッキーなことに家から15分ほどのところに専門医がいることが分かったので診てもらうことにしました。この病院、まったくの初診です。診察券を作ってもらうところから始めます。大きな総合病院で医師や看護師、職員もたくさんいますが皆さん愛想が良くテキパキと働いています。医療機関の良し悪しはそういうところからもわかると思っている私。これは当たりかもと判断しました。今日は受付から始まって看護師による症状聞き取り、医師による診察、医療技士によるレントゲン検査、そして会計までをやってもらいましたが、みんな態度に患者ファーストの姿勢が現れていて気持ちよく受診することができました。待ち時間が少ない割りに診察は丁寧。レントゲンも立位、仰臥位、あっち向けこっち向けと10枚近く撮影してもらいました。MRIや次回診察の予約もスムーズ。すべてが1時間半あまりで終了。料金が高くつくかなと思いましたが、初診料含めて1640円(2割負担)。規則通りなんでしょうがこれも良心的なお値段。「ここなら信用できそう。どんな治療も受け入れよう」と、気持ちよく命を預ける気持ちになったのでした。いいレストランは前菜からメインディッシュ、デザートまでどれもハズレがありません。ふっとそんな感覚を覚えました。
2024年09月17日
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今日も朝からテレビでスポーツ中継三昧のヨッサン。沖縄の我が家ではBSが映らず、おまけに沖縄ではNHK2波以外は民放局が3つしかなく日テレ系やテレ東系が見られません。あとはTVerやNHK+、ABEMAなどで補うぐらい。そんなわけでテレビっ子、とりわけスポーツの生中継が大好きな私と言えどそんなにテレビにかじりついていることはありませんでした。パリオリパラが終わって日々の静寂がようやく戻ってきました。そのはずが幸か不幸か奈良の家では地上波、BSにくわえてケーブルテレビが映ります。やれJ-SPORTSだGAORAだ、Sky-Aだといくらでもスポーツ中継が見放題。野球、サッカー以外にもゴルフ、モータースポーツ、卓球、ラグビー・・・と、チャンネルをかえるとどこかで生放送を映し出してくれます。夜は日本のプロ野球がほぼすべて中継されています。そして朝は大谷出場のドジャーズの試合。さらに9月からは日テレジータスでアメリカンフットボールの生中継が始まりました。スポーツの生中継はどれも面白いですが、私が一番ドキドキするのは多分アメフト。アメリカにいるときはカレッジやNFLの試合を生で見ていましたが、テレビでもあの興奮を思い出します。そんなわけで毎日テレビの前のソファーに座っていると楽しみが次から次へとやってきて、他に何も出来なくなります。いつまでも奈良にいてはダメ。民放チャンネルが3つしかない沖縄に早く帰った方がいいと真剣に思い始めています。
2024年09月16日
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庭の草刈りをしました。おとといもしたのですが、それは下刈り。昨日が本刈りでした。おとといの「下刈り」では全然ちゃんと刈れてなかったんです。庭の草を刈るには芝刈り機を使うのですが、問題は芝刈り機にセッティングされた刃、ブレードです。おととい使った刃はビンテージものだったので昨日は◯年ぶりに刃を交換してから「本刈り」を行いました。取り替える前の刃と新しい刃の写真はこちら。左の刃は、右の刃と同じものだったとは思えないくらい摩耗しています。よくこんなので刈っていたと自分でも感心してしまいました。これではいくらがんばってもそっと草の表面をなでているようなものだったでしょう。時間をかけて刈ってもたいして刈れなかったわけです。私が使っていたのはすでにお亡くなりになっているものを無理やり立たせて使っていたゾンビーのような刃。時間と労力を無駄にしていました。刃を取り替えてようやくまともな「草刈り」ができました。これでしばらくは草刈りをしなくても大丈夫、のはず。道具は大事ですね
2024年09月15日
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ひと月前に奈良に帰ったとき、沖縄で買ったパパイヤの苗を渡した人が現在の写真を送ってくれました。わずか2ヶ月で倍以上の高さに育っています。大事に育ててくれているのがよく分かり、うれしい限り。それにしても鉢が窮屈そう。奈良は冬が寒いのでその時は屋内に取り込まざるを得ず、地植えにはできません。でもこの調子なら沖縄で地植えにしている我が家のパパイヤのように2mを越える日が来るかもしれません。もう少し大きい鉢に植え替える日が間もなくきそうです。彼の家では出窓のシェード用ゴーヤーも十分繁っています。きっと彼はグリーン・サムを持っているのでしょうね。庭先で鉢植えのキュウリやナスが大きな実をつけている家を見かけることがあります。それを見て、野菜や果物を地植えでしか育てたことのない私は感心するばかり。私も野菜や果物は割りとよく実をならせる方ですがいつも地植えばかりで鉢植えでうまく育てる自信がありません。地植えは栽培能力がなくても土がよければちゃんと育ちますが、どうすれば鉢植えでこんなに立派に育てられるのでしょう。グリーン・サムの彼は毎日葉っぱをなでて「おおきくな~れ」と言っているそう。私は半年に一度、思い出したように土に肥料を与えるぐらいで、あとは「実がなってないかな」「熟してきてないかな」と自分の好きなときに見ているだけです。彼とは愛情のかけ方が違うのでしょうね。やはりテクニックよりも愛情。祖父が「畑の野菜は足音を聞いて育つ(よく育てるには頻繁に目をかけてやること)」と言ってたのを思い出しました。
2024年09月14日
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