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いよいよ明日が父と母の高齢者施設入居の日となりました。姉と手分けして今は準備の真っ最中です。姉は施設に持っていく衣類を購入し名前を書いたり、その他こまごましたものを準備してくれたりしています。私はケーブルテレビや新聞の解約をしたり定期購読している雑誌の購読中止手続きをしたり、ヤクルト、配食サービス、ヘルパー、訪問看護などの終了に伴って料金の精算をしたり。といった手続きを担当。明日になればこの家には人の出入りがなくなり、1軒「空き家」が増えることになります。私達子どもが独立し、二人暮らしになってから両親が元の実家近くにこの家を建てたのが40年ほど前。それ以来変わることなく二人がここで暮らしてきました。私がこの家に住んだ経験は無く今回の1ヶ月あまりの「帰省」が今までで一番長い滞在となりました。なので私自身はこの家に対する思い入れはそれほどありません。しかし両親にとっては思い出深いこの家。絵を描くのが趣味の父が、アトリエを持ちたくて建てた家。父は明日離れることが分かっているのでしょうか。母は病院から直接施設に移り、いつかまた帰ってきたい希望を持っていますがおそらくそれがかなうことはないでしょう。骨折、入院によって突然断ち切られたこの家とのつながり。二人は明日、新しい住まいに移りもうこの家で暮らすことはありません。父も母ももうこの家に帰ってこないと思うと切なくなりますが、彼らには新生活を楽しんでもらいましょう。
2024年06月12日
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二人合わせて199歳の両親が高齢者施設に入る日が近づいてきました。1ヶ月前に98歳の母がベッドから落ちて骨折。それまでは2人暮らしだったため、101歳の父をひとりにしておくわけにいかず急遽実家に来てそこからは父と2人暮らしをしています。母は病院でリハビリを頑張っていますが、もとのように実家で2人暮らしを再開できる状況ではないので、施設にお願いすることになり入居日があさってに迫ってきました。奈良と沖縄の用件をすべてストップさせ父の介護に専念してきた1ヶ月は私にはある意味「失われた1ヶ月」。私自身の病院や歯医者の健診の予定をキャンセルし先延ばしにしたり、奈良や沖縄の家にある果樹の世話も先延ばしにしたり。庭も雑草が伸び放題に伸びているはずです。しかし今はとにかく実家の一大事なので、そちらのことはすべて放り出してやってきました。でも「失われた」ことだけではありません。私には多くのものを「得た」1ヶ月でもありました。父との暮らしで老いの実態をしっかりと見せてもらいました。認知症の人にも心や情はしっかりあります。いまも爽やかな風を感じ、うつらうつらしていたはずの父が「なんと涼しいねえ」と笑顔を見せています。昔話をしながら子ども時代を懐かしむ姿を見ていると、自分の老いを先取りして見せてもらっているような気もします。足腰が弱くなった人、指先が不自由になった人、自分で「おしも」の処理が難しくなった人の援助、介護に自信がつきました。これから介護ヘルパーにだってなれそうな気がします。ただし介護にはやはりかがんだり体をねじったり、重いものを持ち上げたりすることが多いので、私のこの椎間板ヘルニアから来る足腰の痛みがなくなれば、ですが。
2024年06月11日
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父@101歳と2人暮らしを始めて約1ヶ月。この生活もあと3日となりました。気づいた父の性格。普段はご飯を食べる以外はたいてい居眠りをしています。ときどき新聞を読んだり何か書き物をしたりしています。父は毎年あたらしい日記帳を買ってそれを漬け続けているようです。中身を見たことがないのですが、最近も毎日のように何か書いているので多分続いているのでしょう。それ以外はほとんど寝ているのに、しっかりと目覚める瞬間があります。それは女性の来客があったとき。それまでぐっすり寝ていてもサッと目が覚めるみたい。先日は今度入居する施設の職員が二人やってきました。彼の介護がどれくらい必要なのかをチェックしにやってきたのですが、父はなぜかウキウキ。自分がつけているノートに訪問者の名前を書いてもらってうれしそうに見つめていました。昨日は体が弱るまで毎週必ず通っていた教会の信者(女性達)が訪問してくれました。このときも、それまでうつらうつらしていたのにパッと目を覚ましました。そして「また賛美歌を歌いましょうね」と言われ、手を握られて大満足。男性客(めったに来ませんが)のときはここまでの反応はありません。そう言えば訪問看護師の女性が来たときも体調を聞かれ「元気元気ハッハッハ」みたいな要らんことまで話していて、だいたい女性の訪問があったときはテンションが一段、上がっています。そう言えば私も「ヨッサン、若い女性と一緒にいるときはうれしそうにしている」と指摘されたことがありました。・・・自分ではその自覚がなかったけど遺伝でしたか。
2024年06月10日
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今日も健康生活の父@101歳。朝からお通じもあり食欲もあります。毎日測定している体温、血圧も安定。これも世話している私のおかげ。とは言いませんが、早寝早起きの安定した、規則正しい生活のたまものでしょう。彼自身もそのあたりに関心が湧いてきたようです。以前は検温しようが血圧を測ろうが他人ごとのようにあまり興味がなさそうでしたが、最近は測定した数値をのぞき込んできます。私が「安定してていい感じ」と言うと、「健康優良児だ」と自分で言っていました。「健康優良児というよりも健康優良じじいでは」と返しましたが、無反応でした。私のダジャレが面白くなかったのか、そんなことはどうでもよかったのか。孫(私の甥っ子)が訪ねてきたときも「元気だね」と言われて「健康一等賞」という名言(迷言?)を吐きました。自分が元気なのがうれしいようす。口数も増え、ご飯を食べるときも「おいしい」を連発してくれます。今朝、寝室に様子を見に行ってはだけていた布団をかけ直してやると目を覚まし「ああ、もう天国じゃ」とひと言。・・・それはまだ早い。
2024年06月09日
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朝6時、何やら階下でごそごそ音がします。リモートカメラで見てみると「あれ、もう起きてる?」。最近早寝早起きの健康生活をしている父(@101歳)が裸になっていました。もう着替える気が満々のようです。それでも着替える途中でもう一度寝てしまうこともあるのでそのままカメラを見ていましたが、どんどん着替えていきます。普段もたもたしているのに今朝は何だか元気いっぱい。そのままにしておくとやばい。着替え終わると食堂に行って勝手におやつを漁ります。前歴(実績?)あり。それで仕方なく私も今起きたふりをして階下に。「今日は早いね」などと言いながら着替えを手伝いさりげなくトイレに誘導しました。そしてこちらは急いで朝ご飯の準備。ある程度は前夜のうちに用意してあるので、ものの5、6分で準備完了。めでたく父にはおやつでなくご飯を食べさせることができました。私も一緒に6時台に朝食終了(普段は父とともに8時過ぎが朝食時間)。こりゃ早めにお腹が空きそう。と、今朝もバタバタの父との2人暮らしですが、考えてみるとこのバタバタもあとわずか。来週木曜日に父と母は高齢者施設に入居することが決まっていておそらく二人はもうこの家に戻ってくることはないでしょう。こうして父と暮らせるのもあと数日。2人暮らしになってからの父はだんだんと頭もクリアーになり口数も増えてきました。母が骨折していなければまだまだ自分の家で暮らせていた感じです。・・・恐らくこれが最後のささやかな親孝行。あと1週間、父との生活を楽しみます。
2024年06月08日
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骨折して入院が1ヶ月ちかくになる母の、退院および施設入居の日が決まりました。父も同日入居です。予定が決まったのはいいのですが・・・思ったより遅い。退院・入居日は来週の木曜日、一週間後です。ほんとは今日明日にでも入居してもらえるのがよかったのですけど、まあ相手のあることですからね。病院側、施設側、そしてこちらと三者の都合が一致したのがこの日だったというわけです(地域包括支援センターの都合もあるかな?)。父との生活はあと一週間続きます。二人生活自体はイヤではないのですが、いろいろと残してきた沖縄と奈良の家が心配。沖縄の家のマンゴーはどうなっているか、それが一番気がかりです。摘果と袋掛けは一応してきましたがさらなる摘果ができずに1ヶ月放置しているのであんまり実は育ってないかなあ。小さいままで落ちてしまってないかな。たくさん実をつけていたパパイヤ、もう熟している頃じゃないかな。奈良のブルーベリーやブラックベリーは生い茂る雑草に栄養を吸い取られてしまってないかな。小さな実をたくさんつけていた葡萄はどこまで大きくなったかな。葉が茂って外に張り出し、通行の邪魔になっていないかな。栽培している植物だけではありません。1ヶ月放置ですから郵便物なども心配です。また梅雨に入っている沖縄の家の湿気対策も。雨漏りはしてないだろうなあ。などなど心配の種は尽きません。でもま、いろいろ考えて思い煩っても仕方ありません。どっちにしろあと1週間は今の生活を続けないとだめなのですから。なんくるないさーです。
2024年06月07日
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新聞を読んでテレビを見ても分かっているのかいないのか反応がイマイチの父、101歳。それでも新聞は毎日かなりの時間をかけて読んでいますし、テレビも居眠りをしていないときは見ている様子。子どもが車にはねられたとか地震で被害が出たとかの悲惨なニュースには眉をしかめたりするので、こういう話が父の琴線に触れているのだなと分かる瞬間です。その父が間違いなく好きな番組がスポーツ中継。私も好きなのでよくチャンネルを合わせます。バレーボールのネーションズリーグを一緒に見ていると、最初はどちらが日本なのか分かっているのかなと思っていたのですが、ちゃんと日本の得点のときは喜んでいるし失点の時はくやしがっている風なのがわずかですが、表情に表れます。野球を見ていてもどのチームを応援しているのか分かりませんが、一挙手一投足ごとに「あー」とか「うっ」とか声を出すので楽しんでいる様子が分かります。一番好きなのが器械体操。体操関係は自分も若いときはある程度経験があったのでとくに好きそう。鉄棒を見ても平行棒、床運動を見ても私などはどれも「すごいなあ、超人的だなあ」という素人の感想しか出ませんが、父は優劣が分かるらしく目を輝かせて見ていてよい演技のときは拍手までしています。言葉としての感想はなくても、父のスポーツを見る目はなかなか確かなことが分かります。分かっているのかいないのかなどとつい上から目線で言ってしまいがちですが、好きなことには見る目が備わっている父です。
2024年06月06日
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骨折して入院、リハビリ中の98歳の母の面会に行きました。母の希望は退院したあと自宅に戻り夫婦二人での生活を再開することです。でも現実には難しい話。そこで姉と、夫婦で入れる施設を探しそちらに入ってもらおうという計画を立てていました。最近ようやく条件に合うところが見つかったのでその説明をするための面会です。面会時間は15分。そのなかで大事な話をし、かつリハビリの様子も見学することにしました。ただ私が病院に着いたときは残念ながらリハビリは早めに終了したと職員から聞かされました。しかし病室にも母の姿はありません。リハビリを切り上げてトイレに行ったとのことで、病室で待つことにしました。なかなか帰ってきません。面会時間は刻々と過ぎていきます。ようやく病室に戻ってきたので例の「大事な話」を伝えようとしましたが、「トイレに行ったけど出なかった。したいのに出ない、なんでかな」と自分の話を優先。そのうち「もう一度行ってみる」と言いだしたので、急いで施設入居の件を説明しました。どこまで理解したのかは分かりませんが、一応了解は得ました。もう一度トイレに行くと言いながらすぐに看護師さんを呼ばないでそわそわしている母に「看護師さんは仕事だから遠慮せずにどんどん頼めばいいよ」と言うと母曰く「看護師さんに遠慮なんてしてない。でもトイレに行きたいのに出ない自分がじれったい」。あ、そういうことか。さすがいつも人生の中心に自分を置いてきた人。こういうところはもっと見習いたいものです。
2024年06月05日
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101歳、要介護度2の父との生活も4週目に入り、だいぶん「さじ加減」が分かってきました。食事は時間はかかりますがほぼ介護が要らない状態。一番手間がかかるのが着替えです。最初の頃はできるだけ自分ですべてやるように仕向けていたので、朝夕2回の着替えに30分から1時間近く時間を要することもありました。ヘルパーさんはどうなのかと見ていると、時間も限られているためかかなりの部分手伝っている、というか着せてやっている印象です。自分でやることで自尊心が高まり、体や頭の能力が保てると考えて私はできるだけ作業を見守るようにしています。指先がやや不自由になってきて、パジャマの大きなボタンなら止められるけど、ポロシャツの小さなボタンは難しい。脚を曲げるのが少しずつ大変になってきたので靴下を履くのもひと苦労。そういうときは自分でやらせながらさりげなく補助の手を入れ、半ば自分でやったように思わせます。これから着る衣服も方向関係なく自分で前後左右を判断するようにして渡します。こちらでやってやればいくらでも頼ってきます。それは本人にも私にも楽な道。でも、長い目で見てどうでしょう。幸か不幸か、いまの私には彼の世話にかける時間が十分あります。というか、奈良や沖縄の家にいればやることは山ほどあるのですが、和歌山の片田舎にいる限りそれらはすべてストップ。時間をとって父とじっくり向き合えています。ただし父も、眠気や空腹が勝っているときに着替えるのに時間をかけすぎるとストレスになるので、その辺ちょっと甘くなって手伝うこともあります。徐々に衰えるのはやむを得ません。が、可能な限り自分でやらせ少しでも衰えを引き延ばす作戦、というところでしょうか。
2024年06月04日
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父の「早起き癖」は完全に習慣化したようです。前日に入浴介助をしてもらおうがもらうまいが、足湯をしようがしまいが、父は規則正しく7時前後に起きて食堂にやってくるようになりました。理由はお腹が空くからです。物音がして何かごそごそし始めたなと思ったら、私はリモートカメラを起動して父の様子を確認します。5時頃にトイレに行くときはそのまま起きてしまわずまた寝室に戻ります。でも7時頃になると完全に目が覚めます。この時間に父が起きる理由がはっきりしました。空腹に耐えきれず、ということに間違いなさそうです。このところ父は出されたご飯もおやつも必ず完食します。「今日のご飯はかなり量が多いかも」と思って「お腹いっぱいになったら残していいよ」と声をかけても、私の話を聞いているのかいないのか、毎回すべて食べきります。母と2人暮らしだったときは夕食後、ベッドに入るまでにいつもおやつを食べてました。私と2人暮らしになってからは6時台に夕食を済ませると、その後は何も食べさせません。すると自然に眠くなってくるのか、9時前後になると自ら「眠たい。寝室に行く」と言い出すようになりました。母と2人だと昼間にたっぷりおやつを食べるので、夕食が7時台や8時台になることがあり、夕食後も何らかのお菓子を食べていました。そして寝ることが10時を過ぎることも。寝るのが遅い。お腹も空かない。そりゃ、起きるのも遅くなります。お昼近くまで寝ていたのも道理。間もなく私との2人暮らしも終わりになり、父は病院から帰ってくる母と一緒に2人暮らしが出来る施設にお世話になる予定です。今後は規則正しい生活を求められる施設の生活になるので、父を早寝早起きにしておいたのは結果的によかったのではないでしょうか。ま、早寝早起きと言っても食事時間以外の大半はリビングで寝ているのですけど。
2024年06月03日
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入院中の母を見舞いに行きました。「98歳で、あのやる気はなかなかない」と看護師さんたち褒められているくらいの頑張り屋さん。とは言え、大腿骨骨折の手術から3週間で、まだベッドから下りるのもポータブルに座るのも人の手を借りなければできません。リハビリを頑張っているようですが、まだ手押しカートにつかまって数歩あるける程度。骨折前の元気さを取り戻すのは容易ではないと見ました。以前より探していた夫婦二人で入れる高齢者施設に空きが出ました。母の希望は自分の家でもとの生活に戻ること。ですが、この調子だといつになるか分かりません。いつまでも病院においてもらう訳にもいきません。ここは施設の方にお願いするのが現実的選択。私も父との2人暮らしを3週間続けてきて彼の世話にも慣れてはきましたが、奈良や沖縄の家はその間、留守のまま。奈良や沖縄の生活をすべて犠牲にしているこの生活を永遠に続けることはできません。そろそろこの辺が潮時でしょう。というわけで、来週は施設の職員さんに父と母の「本人面談」をしてもらうことになっています。面談の1、2日前に私が母を説得をしに病院に行ってくる予定です。母は納得してくれるでしょうか。二人で施設に行くことになると、私も父との2人暮らしから解放されるのですが。自分の生活(と健康=椎間板ヘルニアには今の環境はよくありません)のためにも母をしっかり説得しなくちゃ。
2024年06月02日
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母が父のために用意する朝ご飯はだいたいルーティーンが決まっていました。母が入院してしまって助っ人に来た私も同じようなものを準備して父に食べさせています。パンとコーヒー。果物に野菜、ハム類、牛乳そしてヨーグルト。これに食前、食後のお薬がアペリティフとデザート代わり。本気なのかギャグなのか、父は毎回コーヒーをすするたびに「苦い」、ヨーグルトを食べては「すっぱい」と言います。今朝もやや遅めの朝食が父の完食で終わり、薬も飲ませたので洗い物をするために流し台に立ちました。父に背中を向け「この後は父を着替えさせて」などと段取りを考えながら洗い物をし、終わって振り返るとなんと勝手に父が棚からおやつを出して食べようとしているではありませんか。最近食べるのが早くなり、食欲もあるので朝ご飯は少し多めに出しているつもりですが・・・いくら多くても父には足りなかった?いや、そんなことはないと思います。たぶん甘味が足りなかったんでしょう。昔から甘党の父は同じく甘い物好きの母と一緒に、今よりずっとたくさんおやつを食べていました。それでは体に良くないと私と2人暮らしになってからはかなりおやつの量を減らしました。でもおやつの盗み食いはちょっとショック。パンにつけるジャムをもう少し増やしてあげようかな。
2024年06月01日
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朝の5時。もう夜も明けてきている時間、父の様子を見ようとリモートカメラをみましたが、いません。二人あわせて199歳になる両親は実家で2人暮らしをしています。何かあると心配なので寝室と食堂、リビングにリモートカメラをつけて姉と二人でスマホで監視、もとい、見守りしています。いまは母が骨折して入院中なので私が父と二人で生活していますが、二人と言っても私は2階、父は階下で別々に寝ているのでリモートカメラは必需品です。寝室にもどこにも父がいません。寝室にいないと食堂に行って勝手におやつを食べているのが常ですが。トイレかなと思いましたが、10分、15分経ってもカメラに映りません。心配になってきました。階下に降り、寝室に行ってみると・・・いました。カメラの死角になるベッドの下でコケていました。ベッドから起きようとしたのかトイレから戻ってきたのかのどちらかでしょうが、これまでコケたことのない場所。もがいている姿を見て驚いてしまいました。何もなかったような顔をして助け起こしてベッドに座らせ一件落着。それにしても最近コケる頻度が高くなってます。そんなこんなで朝早くから体力を使ったのか、普段ならとっくに起きているこの時間にもまだ寝ています。最近早寝早起きだけど今朝は起床時間が早すぎました。さっきトイレに起きたので、その後いつものように「腹減った」と食堂の方にくるかと思いきや「もうちょっと寝かしてくれ」と言って寝室に戻っていきました。ま、たまにはゆっくりするのもいいでしょう。朝からあたふたして疲れたもんね(こっちは寝不足だけど 笑)。
2024年05月31日
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大正生まれの父。最近、使う言葉がだんだん昔風になってきました。昭和50年代まで教員をしていたので「現代語」も知っているはずですが、年齢を重ねていくと口をついて出る言葉はより昔使っていたものになっていくようです。トイレに行くときは「便所」、スプーンを取って欲しいときは「さじ」と言います。そのあたりは平成生まれの若い人も知っているでしょうが、こんな言葉は分かるでしょうか。下着の長袖シャツを指して「じゅばん(Juban)」、ズボン下は「ばっち(Batchi)」。「じゅばん」は和装の長襦袢などに言葉としては残っていますが、父の着るのはもちろん長襦袢ではなく普通の下着のシャツ。ズボン下は股引ともパッチ(P)とも言わずにバッチ(B)。この言葉は時代だけでなく方言が影響している可能性もあります。でも現代では当地の若者も「じゅばん」や「ばっち」とは言わないでしょうし、そもそも長袖の下着のシャツやズボン下を着る習慣自体が廃れているようにも思います。ただ下着のパンツは「さるまた」とは言いません。彼が穿いているのはおむつ型のパンツで、かつて穿き慣れた物とは違ったからでしょうか。昔の言葉だけでなく方言丸出しの会話は私を子どもの頃にタイムスリップさせてくれ楽しい時間を過ごしています。
2024年05月30日
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今朝、父と二人でご飯を食べていると父が突然突飛なことを言い出しました。「こうして二人でしている会話を文にしようか。」「なんで?」「本にして出したら売れる。」この人、何を言っているのでしょう。それまでしていたのは他愛もない普通の会話です。さらに続けて「漫才にしたら笑ってもらえるかなあ。」とさえ言います。何が面白いのかよく分かりませんが、父のツボにはハマったらしくハッハッハと笑っています。「俺もあの舞台に立とうかな。」101歳の人がこんなことを言い出したら知らない人は100%、認知症が進んだなあと思うでしょう。しかし、父の場合は昔からこう。突然脈絡と関係ないことを言い出すのは常にあることでした。なので、家族の会話のなかではいつも一人浮いていて、あんまり相手にしてもらっていませんでした。母が入院する前、私がたまに実家に来て三人でご飯を食べていても会話をするのは私と母。父は蚊帳の外。昔から蚊帳の外で当たり前だったのですが、今は父と私の二人だけなので父との会話には付き合います。すると、上のような会話が出てくるのです。母より父の方が記憶力もいいし、認知症の検査をしても受け答えは正しくできます。でも普段は普通に会話をしようとしてもボケているのかフリなのか、相手が期待する答えが返ってくることはマレ。それで「この人は認知症が進んでいるので会話が出来ない」と思われてしまうこともあります。でも、これは父の性格。身体能力に衰えはありますが頭の方はOK。ただ根っからの「変な人」なだけなのでご安心を。
2024年05月29日
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例のヘルパーさんを泣かせた(?)お話。平日に毎日来てくれる父の担当のヘルパーさん。仕事は寝ぼすけの父を起こし着替えさせ食の介助をして薬を飲ませること。そして父の脱いだ服、パジャマ等を洗濯して干してくれること。時間があれば掃除も。のはずですが、最近の父は早寝早起きをするため、ヘルパーさんが来たときにはもう着替え終わって、食事も済んでいます。おとといと昨日は「粗相」があって色々と汚していたので、洗濯も私が行いました。するとヘルパーさん、やることがなくなりました。父は起きている、着替えている、洗濯もすんでいる。担当は1時間もあるので間が持ちません。普段は1時間で足りないくらいなのですが、あとは掃除ぐらいです。ヘルパーさん、困ってしまい「ほかに何かやることはありませんか」と私に尋ねてきました。父はお風呂に入りたがっていたので「入浴介助はできませんよね」と聞きました。でも準備がありません。「いつも時間をオーバーしてやってくれているので早めに終わった日ぐらい、早く帰ってくれたらいいですよ」と言いましたが、根がとっても真面目な彼女にはそんなことは無理な注文のようです。「では床の拭き掃除をします」と宣言して、フローリングの床を隅から隅まで磨き上げてくれました。湿度の高いジメジメした日に拭き掃除は大変だったでしょう。手を抜かない、真面目な彼女に感謝。
2024年05月28日
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昨日の夕方、父とのんびり大相撲の観戦。父が分かっているかどうかは別にして、私は大の里の優勝をしっかり見届けてお風呂に入ることにしました。入浴後、台所に行き夕食の支度をしていると・・・何やら父がごそごそしてる。リビングにいる父のところに行くと、ありゃ、上半身の衣服を脱いで裸になっています。「どうした?何やってるの」と聞くと「風呂、風呂」とうめきます。入浴はいつもヘルパーさんにやってもらっているのですが、急にお風呂に入りたくなって実力行使を始めたようです。「今日は入浴日じゃないから」と言いますが、なおも「風呂」とどうしても入浴したい気分のようです。仕方なく、夕食の準備をしている手を止めて体を拭くことにし、洗面器やタオルを用意しました。幸い昨日は寒くなかったので裸にして清拭しても大丈夫。おむつの方にも「して」いたのでそちらもきれいにして、清拭を無事終了。父はさっぱりしたでしょうが、入浴したばかりの私はまたまた汗をたっぷりかきました。それにしても最近は私との生活に慣れてきたのか少々ワガママを言ってくるようになりました。今朝も用意した朝ご飯だけでは足りなかったらしく「もっと欲しい」と要求。母との二人暮らしでは母にしっかり押さえつけられていたのが息子になら言えるのね。どんどん要求してくれたらいいよ。
2024年05月27日
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今日も父(101歳)のなんちゃって介護。朝5時。リモートカメラで確認するとちゃんと起きてベッドに座っています。どうするんだろう。まさかまだ起きないよね。20分ほど座っていて、また寝ました。よしよし。こっちももう一度寝ます。朝6時半。カメラに映ったのは上半身裸の父の姿。昨日と同じだ。このまま起きるかな?昨日は裸になっていたのであわてて寝室に行き服を着せるも、その後また寝てしまいました。しばらく待っていると、父は上半身裸のまままたベッドに潜り込み寝始めました。昨日のことがあったのですぐに寝室に行かなくてよかった。もう少し寝てくれるでしょう。私がいっしょに暮らし始めたこの2週間。父の行動は段々パターン化してきました。以前は起きる時間がバラバラでお昼を過ぎてから「朝ご飯」を食べていたことも。最近は7時~8時には朝食を食べ終え、お昼も軽く。一日2食から3食になりました。何が彼の行動パターンを変えたのか考えると、夕食時間と就寝時間の固定化に思い至りました。午後6時になると夕食、午後9時になると就寝(それぞれ開始時間です)。母と2人暮らしのときはどちらも結構ばらばらだったので起床時間もバラバラだったのかなと思います。夕食など、午後8時過ぎのこともありました。今は必ず6時からと固定しました。おやつも夜は与えません。それで朝はお腹が空いて起きてくるようになったのではないかと。なんだか赤ちゃんかペットの話をしているみたいですね。さて、そろそろ起きてくる頃でしょう。カメラを見ると、おやおや起きて着替え始めているぞ。では手伝ってきまーす。
2024年05月26日
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私が父の見守り介護を始めてから2週間。父の早起き癖は定着し、頭もなんだか冴えてきています。母と2人暮らしだったときは11時に来るヘルパーさんに起こされるのが当たり前で、ヘルパーさんが来ない週末は午後まで寝ていたのですが、いまは6時台か7時台に必ず起きるようになりました。彼は1階、私は2階で寝ているのですが、朝早く扉(引き戸)の開閉の音がすると必ず目が覚めます。たいていはトイレに行きまたベッドに戻って寝るのですが、そのまま起きてしまうこともあります。起きてくると着替えさせたり朝食の準備をしたりしないといけないので、何時であってもこちらも起きなくてはなりません。それで階下の物音には敏感になって5時を過ぎると私も眠りが浅くなっています。何せ、彼の転倒する可能性が一番高いのがこの時間帯ですから。今朝も5時半に一度トイレに行き、その後またベッドに。私も安心して寝ました。そして次は6時半。今度もまた寝室に戻ったのでしばらく放っておき、リモートカメラで確認すると上半身裸になっているではありませんか。「起きる気になったのか」と台所に行き、朝食の準備をしながら寝室に行って着替えさせることにしました。パジャマの上はもう脱いでいたので、下着のシャツを着させてポロシャツを着させて・・・とやったところで「もう一回寝る」と言い出しました。着替えの途中でもう一度寝るのは珍しい。お腹が空いて起きてくるのが常なので今日はあまり空腹でない?朝食を作りかけていたので仕方なく作り終えた後は私ひとりで朝ご飯。父の食事を見守りながらだと40分~50分かかる朝食が15分足らずで済みました。「父の寝ている間にいろいろ仕事ができるかな」と布団を日に干していると、また物音がしました。小一時間もしないうちにまた目が覚めたようです。なぜか上機嫌で「腹減った-」と陽気に主張し、いきなりおやつを食べようとするので「おやつは後」と言ってご飯。いつもは一緒に食べて見守っているのですが、今日は変速的なことになったので洗濯をしながらときどきおやつを食べてないかチェック。洗濯物を干し終わる頃に父もようやく朝ご飯を終えたので食後の薬を飲ませました。今はリビングに移動してソファーでしっかりご就寝。食べているときだけ起きていたみたいです。ともかく「早起き」癖はいいこと。こうして私もパソコンに向かい、父との些細な日常を書くこともできますしね。
2024年05月25日
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今日も父は早起き。早起き、遅起きを繰り返している順番からすると今日は早起きの日でいいのですが、昨日も予想外に早かったし、三日続くと「早寝早起き」が定着したのかもと感じます。ま、早起きは悪いことではありません。6時半に起きて30分ほどかけて着替えをし、その後1時間かけて朝食。満腹で満足した父は9時現在ソファーでうたた寝しています。こう書くと平和な日常の始まりですが、実際は昨夜寝る前と今朝起きた後は「クソじじい」でした。寝る前にはパジャマに着替えさせ、朝はパジャマを脱がせて服を着させるのですが、昨夜からちょっとお腹が緩くなっていたみたいでパンツ(おむつ)を見るとそこにはすでに・・・出ていました。昨夜も今朝も。彼は一応自分でトイレに行き、おしもの始末も自分でできるのですが、こうなってしまうともう無理。就寝前の時間にバタバタとお尻やトイレ周りをきれいにし清潔な物に着替えさせ、こちらは目が覚めてしまいました。と思いましたが、父がすぐにすやすやと寝てくれたので私も安心してすぐに眠りに。私も父のお気楽性格が遺伝しているのでしょう。ぐっすり寝た翌朝。今朝も父は早起き。着替えさせていると・・・あら、また間に合わなかったみたいです。普段の脱ぎ着は時間がかかっても全部自分でやらせるのですが、これはまずい。そんなわけで今朝も「クソじじい」の拭き拭きから朝が始まりました。そんなことがありましたが、本人はいたって元気かつ陽気。朝ご飯もしっかり完食し「もっと食べたい」と言うほど(食べ過ぎになるのであげません)。いまはうたた寝中です。昨夜からの連続粗相など気にする様子は全くありません。ほんとクソじじいですけど、本人が幸せなら、まいっか。
2024年05月24日
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なぜか一日交替で早起きと遅起きを繰り返す父、今日は遅起きの日なので私もゆっくりできるかなと期待していました。ところが、朝6時にリモートカメラで寝室を見ると父の姿がありません。食堂のカメラを見てもそこにもいません。「トイレかな。もしかしたらそのまま起きちゃうかも、残念だけど」と思いながら、しばらくそのままにして何度か寝室と食堂のカメラをチェックしてみてもどちらのカメラにも父は登場しません。そうこうしながら15分してもカメラに映らないので、やむなく階下に降りてみたところ、父発見!廊下でコケていました。正確に言うとコケたというよりもへたり込んだというか、ドアを背に座り込んでいました。彼は杖とバリアフリーの支え木をもって何とかそろりそろりと歩くことはできます。それでベッドからトイレやリビングにもゆっくりと移動します。椅子から立ち上がることも可能です。しかし一旦床に座り込んでしまったらそこからはもうどうにもできません。今朝はそういう状態でした。そういうことが月に1、2度あります。たいていは早朝なのでいつもは慎重にそろそろ歩く父ですが、寝ぼけているのかも知れません。今日はいつからそこにいたのでしょう。体が冷え切っていたわけではないので、そう長い時間ではないと思います。とにかく放っておくことも出来ず助け起こして立たせました。立たせたあとは自力でベッドまで歩いて行ってもらい寝かせました。そして現在も就寝中。今日はやはり遅く起きる日のようです。朝のスリップダウンは余計でしたね。
2024年05月23日
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我が家を担当するヘルパーさんはとても生真面目な人。どこかで調整しているのかいつも開始時刻ぴったりに家に来て、終了時刻を数分過ぎてから家を出ます。洗濯をしてくれた後、干すときに必ず「外に干してもいいですか」と聞いてくれます。取り込むのは私がするのですが、椎間板ヘルニアで重いものが持てないのを覚えてくれているからです。でも聞かれるたびに「取り込むときは乾いて軽くなっているので外に干して大丈夫です」と応え一度も断ったことはありません。それでも必ず「外に干しても?」は言わないと気がすまないみたい。昨日は父の血圧が少し低くて、それとともに足の色が多少薄かったので大騒ぎ。起きてから少し長めに涼しい格好をしていたので足の色がやや変化していたのでしょうが、それを見てすごく心配してくれ、今にも救急車を呼ばんばかりの様子です。「放っておいても大丈夫そう」と思いながら「じゃ、足湯をして温めてみます」と言いました。その後も「何度測っても血圧が100未満」と不安そうでした。聞くと98と97。それぐらいはときどきあります。父のことより彼女を安心させる方が大事に思えてきて「しっかり経過を見ておきます」と告げました。案の定ほどなく血圧は100を越え父は一日、普段と変わりませんでした。真面目で仕事をきちんとやってくれるけど心配性なヘルパーさん。そしてどこかドジなところがあります。買い物代行なのにレシートをなくして大騒ぎしたことも。忘れ物もよくします。玄関先に忘れ物の傘があれば間違いなく彼女のもの。おとといは何と「ここの前の利用者さんのところにカバンを忘れてきた」と手ぶらでやってきました。カバンと言えば商売道具。引き返すのもいけないと思ったのか、結局その日は血圧も測らず帰りました。今朝は珍しく遅刻したといって慌てて電話してきました。こっちも気づいていなかったし、遅れたといっても2分ほど。そんなの遅れに入りません。真面目なのにどこかポッと抜けてる50代(かな)のおばちゃん。とってもカワイくて憎めないキャラクターです。
2024年05月22日
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先週の火曜日に実家に来て、母の留守(入院中)ひとり暮らしになった父を見守っています。その父、このところ早寝早起きしていました。これまでは放っておくとお昼近くまで寝ていたり、下手するとお昼を過ぎてからやっと起きてきていたのに、この数日は7時前後に起きています。おとといなどは6時半には着替えまで済ませていました。いったい何時に起きたのでしょう。久しぶりに、いや初めて息子と2人暮らしになって張り切ったのでしょうか。しかしそれもおとといまででした。昨日は元に戻って11時にヘルパーさんに起こされるまで寝ていました。リモートカメラで寝室の様子を見ていると、6時と7時、10時に3度トイレに行っていたのでこれを機にそろそろ起きるかなと思いましたが、トイレから帰るたびにベッドに潜り込み再び寝ていました。そう言えば、4月に一時帰省したときにも父は数日間は早く起きてきていました。意識をしているわけではないでしょうが息子が来て何となく張り切ってしまう気持ちがどこかにあるのかも知れません。それに私が起きていれば早めに朝ご飯にありつける予感も?母と一緒にいるときは自分の目が覚めても横で母が寝ているのがわかるので朝食はまだだと分かりますが、別室で寝ているわたしはもしかしたら起きているかもという期待があるのかも知れません。もう一つの可能性はおととい姉が「足湯」のバケツセットを買ってきたこと。その日から夕方父に足湯をさせたりマッサージをしたりすることが日課となりました。足湯につかって父は気持ちよさそうにしています。普段はヘルパーさんに週に一度しか入浴させてもらえない父なので、足湯だけでも血行が良くなり、体がリフレッシュして睡眠の質が上がっていることも考えられます。というわけで現在午前9時。起きる気配はありません。こんなによく寝るなら足湯、毎日してあげるよ。
2024年05月21日
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101歳の父と食事。というか、こっちはすぐに食べ終わるので食事の見守り。以前はひとりで食べさせていたのですが、放っておくと途中で寝てしまったりするので食事の最後まで付き合うことにしました。毎食1時間余りかかりますが、一緒にいると父がだんだんと問わず語りに口を開いてきます。ほとんどが昔話。入院中の連れ合いのことはたまに思い出したように口にするくらいです。昨日突然「女の子をいじめるのはなんであんなに楽しかったんだろう」と言い出しました。おいおい。そんなことをしていたとは初耳。一応小学校の教員をしていた人なのでまさかそんなことを思っていたとは。もちろん小さな時の思い出でしょうし、具体的にどんな「いじめ」をしていたのかは教えてくれません。とくに父の弟(私のおじさん)は乱暴者で有名だったらしく、「〇ちゃんの顔を見ただけで女の子は逃げた」と付け加えていました。実際おじは力も強く、町内の相撲の大関だったそうです。兄弟でつるんでいじめ回っていたのかな。父の食事に時間がかかるのは必ず完食をするからです。好き嫌いなくとにかくすべて食べきるのは物の乏しかった大正生まれのせいでしょうか。今朝も1時間半近くかけて完食し、その間に思い出話をいろいろしてくれました。これからもっともっと父たちの「悪事」を引き出してやらねば。
2024年05月20日
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どうしたんだ、マイ・ダッド(@101歳)!父がこのところ早寝早起きができるようになって喜んでいます。以前はお昼近くになっても起きてこなかったのにここ1週間、私が付き添うようになってからはちゃんと朝7時に起き、夜は9時過ぎに寝るようになりました。昨夜も9時前に寝室に行き、パジャマへの着替えも私が何も手を出さないのにちゃんとできました。しかも10分ですべて。これ、新記録です。そして今朝。6時半にリビングに行くと、すべて着替えてソファーに座っている父がいるではありませんか。普段の着替えのときは下着からアウターまで一つ一つ手渡しながら「はい、次は〇〇を脱いで、それからこれを着て」と言ってやらせているのですが、今朝は全部自分でやったらしく、ポロシャツからズボンまでちゃんと着ていました。脱いだパジャマはベッドの上にうち捨てられていましたが、それはご愛敬。いまはソファーですやすや寝ています。空腹でお菓子をあさったようで、空になった袋が散らばっていました。朝ご飯はもうちょっと後でいいかな。
2024年05月19日
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母が骨折して入院してしまったため独り暮らしになった父の世話にやってきて1週間。101歳と7ヶ月の父を観察していると「これは100を引いた1歳7ヶ月児ではないか」と見まがうような言動が見られます。3つの点からこの説を検証してみます(大げさ)。その1:お腹が空いたらとにかく何か食べる今朝も朝早く寝室でごそごそしている様子。昨日は7時に起きてご飯を食べ、その最中に寝てしまったので放っておけば今日も寝るだろうと思い、敢えて父のところに行きませんでした。でも20分ほどして父のところに行ってみるとびっくり。寝室から食堂に移動しお腹が空いたのにご飯かないものだからお菓子を食べていました。食卓の上にはお菓子の小袋がわんさか。食欲に任せて食べていたようです。普段はお菓子に見向きもしないのに、ちゃんと保管場所を知っていたのね。仕方なく朝食を出しました。その2:好きなものから食べる毎日の父の食事のパターンを見ていると、どうも好きなものから食べています。好き嫌いなく何でも残さず食べる父だと思っていましたが、肉類、汁物などを先に食べ野菜や漬け物類は後。さすがに大人なので好きなものから食べきってしまうことはなく、最終的にはバランス良く残った皿をひとつひとつ空にしていきますが、見ていると何が好きかがよく分かります。その3:食べている途中で寝てしまうこれはもう子どもと同じで食べていても眠くなったら寝ます。さすがに箸を落としたりはしないけど、気がつくと静かに船をこいでいます。昨日の朝は半分も食べずに寝てしまい、朝ご飯がお昼ご飯になりました。今日は完食してから寝たので、今日はお昼ご飯が要るな。運動能力的には102歳と2歳児は変わらない感じですが、102歳(近く)は知識の蓄積があり、そこが2歳児とは違います。でも本能に基づく行動は変わらない印象。
2024年05月18日
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本日も相変わらず、父のなんちゃって介護ヘルパーです。入院中の母と一緒にいるときはお昼前にようやく起きてきていた父。下手すると午前様ならぬ午後様(午後1時や2時に起床)だったのに、私が一緒に暮らし始めてからはどんどん起床時間が早くなっています。今朝はなんと午前7時に起床した気配、起きたなとは思っていたのですが、しばらく放っておくとリビングのソファーに座っていました。一応午前11時にヘルパーさんが来て、彼女に着替えさせてもらって食事の介助もしてもらう手はずです。こんな頃に起きてこられたらその辺がぜ~んぶ私の仕事になるじゃないの、もー。と思いながら「まだ早いよ」とは言うのですが、全然寝る気配がありません。仕方がないのでコーヒーを淹れてやるとうまそうに飲みました。「さ、寝ようか」と声をかけるも目は冴えてくるばかり。「コーヒーがいけなかったか」と思いつつも仕方がない。「パジャマのままじゃ寒いからちゃんと着替えようか」と寝室にゴーバック。寝室に行けばもしかしたらもう一度寝てくれるかなという淡い期待は打ち砕かれ、父は着替え始めます。パジャマを脱いでパンツ(おむつ)も脱いですっぽんぽんになり、そこから今日のお召し物を一つ一つ渡しながら「はい、次はこれを着て」「次はこれ」とやっていると30分が経過していました。着替え終わると当たり前のように食堂に行きます。仕方ない。朝食を準備して食べさせました。が、半分も食べないうちに目がトロトロしてきて開かなくなったので、やむを得ずリビングに導きソファーに座らせました。結局その後、ヘルパーさんが来るまで2時間熟睡。そんなに眠いなら7時に起きてくるなよ、は私の心の声。ヘルパーさんが「血圧や体温を測りたいので起こしてもいいですか」と尋ねるので「起こしてやってください」とお願いしました。最初は眠そうにしていましたが、さすが2時間もうたた寝をした後だけにどんどん目が覚めてくる父。検温や血圧測定が終わったので「ご飯の残り、食べる?」と聞くと二つ返事で「食べる」と。朝食を朝と昼の2回に分けて食べた父でした。全部食べたので「ごちそうさまにする?」と聞くと「もっと食べたい」と言うではありませんか。ひと寝入りして前半の分は消化しちゃったのでしょうか。追加のあんパンを食べ現在、ソファーでよだれを垂らしながら熟睡中。自ら「俺の仕事は寝ること」と言うだけあります。
2024年05月17日
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もうすぐ102歳になる父のケアのため、おとといから実家に帰省。父は普段お昼前に起きてくるのに、私が帰ってからは昨日、今日となぜか8時前後に起きてきました。お腹が空いたというので朝ご飯の準備を前倒しし、パジャマのままで朝食を取らせました。食欲はあるのですが、なかなか箸使いが難しく完食するまでに3~40分。着替えも30分余り。食事も着替えも見ているだけでほとんど手を出さず自分でやらせるので余計に時間がかかります。これまではヘルパーさんが来てから父を起こし、着替えさせご飯も食べさせてくれていたのに。早起きをするようになったのでその辺が私の仕事になりました。そして本人は今・・・リビングのソファーでぐっすりお休み中。いま寝るなら早く起きてくるなよと言いたいところですが、まあこれも父なりのサイクルがあって、いまは早起き期間なのかもしれません。ぽかっと口を開けて寝ている父を見ていると文句を言う気にもなりません。食事や着替えの様子を見ていると能力的には2歳児ぐらいでしょうか。でも違うのは頭ではどのように食べ物を口に運べばいいか、服はどちら向きにどのように着ればいいかが分かっている点。長袖の下着シャツの上に長袖のポロシャツを着るときはちゃんと下着シャツの袖口を持ってポロシャツを着ています。衣服の前、後ろを間違えることもないのはさすがに年の功、食事の時にこぼしそうなものはちゃんとお皿を受けているのも経験知でしょう。できることは100歳を引いて2歳児ぐらいですが頭の中にはたくさんの知識が入っているようです。
2024年05月16日
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昨日から101歳の父を見るために実家に帰省し、なんちゃって介護ヘルパーをやってます。母が骨折して入院してしまったための一時的な生活。普段は口数も少なく、実家に来てもあまり会話がはずまない父と2人暮らしになりました。ヘルパーさんも1日1度、1時間ほど来てくれますが、それ以外は私がご飯の用意をしたり着替えさせたりしていて、まさにヘルパー気分。これまで父と私が二人だけで生活することは一度もありませんでした。普段は帰省しても母がいるので、たいていは母と会話をし父と話すことはほとんどありません。食事も長くかかる父は途中から放っておかれ、母と私はリビングに移動し最後は一人食卓に取り残される父。でも二人だとそうもいかず、こちらの食事が終わっても父が終わるまで食卓で付き合うことにしました。すると、いつも寡黙で食事中ほとんどしゃべらない父がいろいろと話し出しました。自分の父親や母親(私の祖父母)のこと、旧制中学校に通っていた頃のこと、生意気盛りの中学生だった自分が先生につっかかっていったこと、などなど。話のなかで父は小林一茶の有名な俳句を英語にした「替え歌」を友人たちと言い合って笑っていたと言っていました。下記の通りですが、これは私も聞いたことがあります。Free care car was to become miss note.(細部の異なるいくつかのバージョンがあるようです)私がこれを知ったのは50年以上前ですが、もっとずっと前(80年以上!)からすでに流行していたのですね。誰が言い出したのか知りませんが、若者は昔からバカなことが大好きだったし、父もそんなバカなことを言って喜んでいた若者の時代があったことがわかりちょっと可愛く感じました。
2024年05月15日
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母が昨日、骨折して手術、入院することになりました。これから手術をします。取りあえず1ヶ月の入院、リハビリが必要と言われていますが、何せ高齢なのでどういう経過をたどるかは終わってみないと分かりません。夕方、手術後に執刀医から説明を受ける予定です。そちらはもう病院にお任せするしかないのですが、お任せできないのが父親の方。百年以上、まともに料理もしたことのない父。とてもひとりで置いておくわけにはいきません。昨日も配食サービスのご飯を朝食のときに使ったスプーンで食べ、朝いれた冷たいお茶をそのまま飲んでいたらしいです。箱入り娘のことを「箸より重いものをもったことがない」などと言いますが、父はさしずめ「箸のありかが分からない」人。お茶もいれたことがないのでどれくらい茶葉を使うのか分からないし、それ以前にお湯を沸かすという発想もなさそう。日本人の高齢カップルは、夫に先立たれた妻は長生きだが妻に先立たれた夫は半年以内に半数以上が死ぬとか。その統計を耳にしてまさかと思っていましたが、分かりやすい実例がすぐ近くにいました。父の場合、半年どころか半月、いや半日で後を追って亡くなりそうです。その昔、出張で食べ物屋さんのない田舎に行ったとき、そうめんをゆがいたはいいけどつゆをつけることが分からなくて醤油をかけて食べたという伝説のある人。あれは父を揶揄する都市伝説(田舎伝説?)かと思っていましたが、きっと真実ですね。間違いない。
2024年05月14日
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実家で父と二人暮らしをしている98歳の母親が寝室で転倒しました。今朝、ベッドの脇でコケて起き上がれなくなっていると姉から連絡がありました。実家の寝室につけてあるリモートカメラで私も確認。横に101歳の父もいますが、自分自身ギリギリ歩けるかどうかですから父は何ともできません。手を貸すこともできず、ただ心配そうに見ているだけ。でも父がいてよかったのは父が咄嗟に母に電話の受話器を渡したこと。母に言われて受話器を渡したのか、自らの意志で渡したのかは分かりません。父はその辺のことをきちんと説明することはできません。でもそのお陰で姉に連絡がつき、救急車を呼んでもらうこともできました。「母がコケた」との姉からの知らせを受け取ってから30分間リモートカメラを見ていましたが母はとても痛がっている様子。父は自分もほとんど歩けないのに心配そうに母につきそい、毛布をかけやっていました。救急車が到着したのが「事故」から40分ほど。リモートカメラごしに見ているとレスキュー隊員が4人来ており、母はそろそろとストレッチャーに乗せられ寝室から出て行きました。その後のことは姉から逐一電話やラインで報告があり、救急車の中の様子→病院に到着→ただいま検査中、と続きさきほど「検査の結果、大腿骨骨折だった」と連絡がありました。超高齢の母のことですから、また日常生活ができるまでに復活できるかどうかは微妙です。入院しているとせん妄が出たりして、体の面だけでなく頭の方にもダメージが出る可能性があります。客観的に見て、このまま寝たきりになる確率が一番高いでしょう。一応自立して暮らしている母がいたから何とか父も一緒に自宅で暮らせていたのですが、母の介助がなくなりもはや父も自宅暮らしは無理。我が家は大きな転換点を迎えました。早急に本土に飛んで姉と今後のことを話し合うことになりました。
2024年05月13日
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3日前の日記に間欠性跛行(かんけつせいはこう)のことを書きました。間欠性跛行とは一定の距離を歩くと脚がしびれたり痛くなったりしてそれ以上進めなくなる症状を言います。ただ、少し休むと回復してまた一定の距離が歩けるようになります。よほどの健脚の人でない限り誰でも一定の距離を歩くと足が疲れるものですが、この症状がある人は「一定の距離」が数mだったり数歩だったりと極端に短くなります。3日前、私の「一定の距離」は現状で500~600mだと書きました。でもここ数日でさらに距離が延びました。昨日「脚が痛くなるまでどれくらい歩けるだろう」と、近くの運動公園に行ってトラックを歩いてみました。すると痛くなるのは1000歩前後、距離にすると700m前後でした。痛くなってどうにも歩けなくなるのは普通にはそう起こることではありませんが、家の中はもとよりショッピングなどでもずっと700m歩きづめということは滅多にあることでありません。普通の生活にはあまり支障が出ない状況になってきました。でも、歩けるようになることで期待していたもう一つのことはまだまだ実現していません。それは体重の減少。元々5年前にジョギングを始めた動機は体重を絞るためでした。実際に効果てき面で3、4年で4キロぐらい減り「シュッとした」と褒めてもらっていたのですが・・・昨年脚を傷めてからは体重がリバウンド。走り始める前に戻ってしまいました。増やすは易く、減らすは難しです。運動せず食べる量は変わらないので当然ですが、何としてもまた走れるようにならないと好きなものも食べられません。
2024年05月12日
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昨日のリハビリ・ウォーキングは浦添ようどれ。かつて沖縄中部一帯を治めていた英祖王のお墓です。沖縄は昔、琉球王国という日本とは別の国でしたが、江戸時代末期の19世紀後半に幕府の命を受けた島津藩(薩摩)によって侵略を受け、滅ぼされました。琉球王国の成立は15世紀初頭なのでこの王国は450年余り続いたことになります。琉球王国以前、沖縄は群雄割拠の戦国時代が続いていて、本島では北部、中部、南部の3つに大きく分かれた勢力争いが続いていました。中部でもとりわけ有力な地方勢力があったのが浦添(昔の名前は「うらおそい」)の地。浦添では12世紀半ばから舜天(しゅんてん)、英祖(えいそ)、察度(さっと)と続く3つの王統が興りましたが、舜天は歴史上の人物であったかどうか疑わしいところがあるとされています。そのため英祖王こそが事実上、浦添を中心とした中部沖縄(中山=ちゅうざん)をまとめた人物だろうと言われています。英祖には太陽伝説があり、母親がお腹に太陽が入る夢を見て身ごもったのが英祖だとか。太陽は沖縄のことばで「てぃだ」「てだ」と言うので、太陽の子という意味で英祖王は「てだこ」と呼ばれるようになりました。今も浦添のニックネームは「てだこ」。那覇空港駅を出発するモノレールの終点の駅名は「てだこ浦西」と、ここにも「てだこ」が使われています。首里城も含めて沖縄各地にある城(グスク)は戦いに適した、見晴らしのいい高いところにあります。浦添ようどれ自体は英祖王らが入ったお墓ですが、これは浦添グスクのすぐ横に作られています。浦添ようどれに行くにもたくさんの階段や坂道を上り下りしなければなりません。でもこれこそが椎間板ヘルニアで傷めた私の脚を回復させるリハビリ・ウォーキングに適していると信じてしっかりと階段を降りてようどれにお参りし、グスク跡の坂道を上がりました。最初こそ脚に痛みが出ましたが、途中からは痛みも薄らいで気持ちよく歩けたのも英祖王のご利益だったのでしょうか?昨日の歩数は8,278歩。
2024年05月11日
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椎間板ヘルニアの痛みが少しずつ和らいできた私の脚。まだまだ痛いのは痛いのですが、徐々に耐えられるようになってきました。不思議なことに閉塞的な空間を歩くときより開放的なところを気分よく歩いた方が痛くなりにくい気がします。どんな作用なのか分かりませんが、ショッピングモール内を歩くと痛くなる脚の痛みが自然のなかを巡っているときはしばらく忘れています。昨日は沖縄本島西海岸沿いにある浦添パルコシティー前のイノーを歩いてきました。イノーとは珊瑚礁でできた沖縄の島々の周囲に広がる、広大な潮だまりです。本土でイメージする潮だまりとはあまりにスケールが違いすぎるので、この言葉は適切では無いかも知れません。ただ潮が引いたときにあちこちに残る海水の水たまりという意味では同じで、水の中には小さな魚やなまこが取り残されています。かつて沖縄の人は大きめのイノーで漁もしていたそうです。ほとんど真っ平らなイノーが何百mも続いているのでここはリハビリ散歩に最適。ゴールデンウィークが終わったばかりで観光する人たちは数えるほどしかおらず、はるか向こうに残波岬半島を望むパルコ前のイノーはほとんど貸切状態でした。梅雨入り前の、沖縄で一番いい季節「若夏」の空気を感じながら潮風に吹かれて歩も進みました。昨日の歩数はトータル7,831歩。
2024年05月10日
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最近脚の調子がいい私。調子に乗りついでに昨日は近くの運動公園のトラックを2周してきました。1周850mなので1.7kmになります。もちろんジョギングではなくてウォーキングなんですが。半年ほど前に椎間板ヘルニアになってからは杖をついたりカートにつかまって歩いたりと、ずっとおとなしい生活をしていたので、こんな日が来るとは想像していませんでした。もっとも昨日もトラックを1周もしないうちに脚はしびれ、痛くなってきました。そのうちだんだん脚の感覚がなくなってきましたが、何とかがんばって1周してからベンチで休憩。間欠性跛行(かんけつせいはこう)とは一定の距離を歩くと脚が痛くなり、休むとまた動けるようになる症状を言います。まさに私の症状がこれにあたり、脚が痛くなっても少し休めば何ごともなかったかのようにまた普通に歩け、少しするとまた痛くなる、を繰り返します。座っている限り脚は痛くなく、痛くない状態から立ち上がって歩くと最初は杖もなしで歩けます。でも一定の距離を歩くとどうにも痛くなり座り込んでしまいます。この「一定の距離」が最近は大幅に伸びました。一番ひどいときの「一定の距離」は数歩でした。でも昨日は数百m歩いても痛くならず「もう痛みは出ないんじゃないかな」とさえ思いました。実際は5、600m歩くと痛くなったのですが、それでもひどかったときに比べると百倍ぐらい痛くならずに歩けています。すごい進歩です。もう歩行に杖は要らないし2、30段の階段なら普通に上り下りします。エスカレーターもしんどくてエレベーターを探していたのが嘘みたい。でも1年前はこのトラックを10周分、走っていたんですよねー。いつかまたそうならなくちゃなー。
2024年05月09日
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最近なんとなく脚の調子が上向き気味。昨日はマンゴーの袋掛け(ネットかけ)をするのに背を伸ばしても大丈夫でした。数十個の袋掛けをした後もしびれや痛みはほとんど出ません。蒸し暑いなか、蚊に刺されながら袋かけをしていたら汗だくになりました。でも気持ちのいい汗です。シャワーを浴びた後まだエネルギーがありそうなので久しぶりに首里城に行くことにしました。2019年11月に全焼した首里城は、2026年の正殿復元を目指しています。今回の復興はそのプロセスを見せる形で行われているので、見学者はどこまで再興できているのかを確かめられ、私も年間パスを購入しときどき復興具合を確かめることにしました。ところが、半年余り前に椎間板ヘルニアを発症し、あの坂道と階段だらけの首里城は私にとって難攻不落の城になってしまいました。それでも行ける限りは杖をつきながら登ったりもしているのですが、昨日は杖無し登城にチャレンジしました。途中で痛みが出てきたのも想定範囲内。少し座って休めば大丈夫。ほとんど出来上がった新しい城の屋根の様子を見た後は東のアザナ(あがりのあざな=展望台)にのぼって遙か彼方を見渡しました。下山した後もまだ脚は大丈夫。その後、本屋に寄り買い物をして帰宅しましたが、しびれや痛みは最小限に抑えられています。またひとつ自信が積み重なりました。この調子だと首里城とともに、いやそれより早く復活できるかも。今日は近くの運動公園に行ってみるつもりです。一年前は毎朝ここを走っていたのです。今日のところはウォーキングにしておきますが、なじみ深いコースを歩いて回ればそのうちジョギングもできるようになりそうな気がします。
2024年05月08日
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2週間ぶりに戻った沖縄の庭ではマンゴーが生長していました。写真は自然落下していたもの。大きさはイチジクほどで、蜜がひと筋流れていました。色だけ見ると食べられそうな感じもするのですが、まだ固くて蜜の筋もかちかちです。甘~く追熟するかなっと期待しながらテーブルの上に置いています。枝にはこれより大きな実もたくさんついていて、しなって重く垂れ下がって折れそうな枝も。いいタイミングで沖縄に戻ってきました。まずは摘果をし、太らせる実に袋かけをしなくちゃ。とは思ったものの、通常8時間睡眠を取る私が昨日はアラームのトラブルで4時間弱しか寝ていません。もう眠くて眠くて、買い物に行くのが精一杯。テレビを見てゆっくりしていると知らないうちに寝落ちしてしまっています。それでも頑張って農作業をと思った矢先、夕方から雨がザーザー降ってきました。今日は休めとの天の指令と受け取り、夕食を済ませて早々にベッドに。今日は朝からいい天気。摘果、袋かけ、袋つるし、がんばろう。
2024年05月07日
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今日は朝イチの便で沖縄に来ました。関空から沖縄(那覇)に向かう便の中で1番目というだけでなく、私の乗った飛行機は関空を出発する全便の中でも1番目でした。6時35分出発。さて、そのためには出発30分前すなわち6時5分にはチェックインを完了しておかなければなりません。先日これで一度失敗しています。あのときは途中の高速道路に工事閉鎖区間があったためですが、今日はそういった工事はありません。順調なら奈良の家から関空までの所要時間1時間10分前後。遅くとも5時半までには着いておきたいものです。そう考えアラームを4時にかけ、荷物や着替えは前夜のうちに準備をしておき、起きて顔を洗ったらすぐに家を出られる体制を整えました。4時10分に家を出ればだいたい5時20分には関空到着、途中で何かがあっても6時になることはない。その予測の下4時にアラームをかけました。なのになのに。前回の遅刻の原因はアラームが鳴らなかったことです。そこで今回は別のアラームアプリに替えました。ところがこの新しいアプリが誤作動して、なぜか2時半にアラームが鳴ったのです。セットし間違えたかと思ってセット時刻を見るとちゃんと4時になっています。2時半にセットした形跡はみじんもありません。何もセットしていない時刻に鳴り出すアラーム。もう一度確かめましたが、セットした時刻は4時でした。ご丁寧に「アラームまであと1時間30分」という表示までありましたがもうこのアラーム、信用するのが怖くなりました。次に本当に4時に鳴るのだろうか。保証はないぞ。もし万一4時に鳴らないとまたチケットがパーになります。そう考えると寝られなくなりそのまま起きる以外の選択肢を思いつきませんでした。その結果、空港に着いたのはまだあちこちシャッターが閉まっていてチェックインも始まっていない5時前。いつもは混んでいて空きスペースを見つけるのが大変な駐車場はガラガラ。入口に一番近いところに駐められたのが早起きによる「三文の得」ではありましたが、いつも8時間以上はたっぷり寝ている人が昨夜の睡眠時間は4時間弱。もう眠くてたまりません。
2024年05月06日
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歩くのがいいのか、おとなしくしているのがいいのか。今どちらが私の足腰にいいのでしょう。椎間板ヘルニアを罹患した当初は医者に「とにかくおとなしくしていること」ときつく言われ、ここ半年はそれをよく守り日常生活でもできるだけ何もしないでいました。でも最近は多少歩いても痛みが出なかったり、痛みが出ても割りとすぐに引っ込むようになってきて、先日1日8千歩あるいたときも痛みが短期間でおさまり、歩くことに自信が戻ってきました。このところ毎日歩いています。モールが中心だったので昨日は自然の中を歩くコースを探してみました。奈良にいくらでもあるお寺や子どもが遊べる公園などあちこちあたってみましたが、お寺は駐車料金が必要です。駐車場代としてはそんなに高くないのですが、単にウォーキングするために500円も千円も払いたくありません。駐車無料の子ども向け公園は歩ける距離が短か過ぎます。たっぷり歩けて駐車場代の要らないところはないかと考えていたら、ありました。郡山市の県立大和民俗公園。一周2キロ強のコースは散歩やジョギングに最適です。ここは家から車で15分と近いし、駐車代は無料です。以前は毎日のように訪ねてはインターバルジョギングで4周まわっていました。アップダウンもあって今の私には負荷がきついコースかと思いましたが、行ってみることにしました。四季折々の花を見ながら走れるこのコース、いまはツツジの満開です。家族連れや老夫婦とすれ違いながら歩いていると、今の私にはきついかもと思ったコースも余裕で一周できました。朝早く走っていたのは数年前までですが、いつも同じ時間に行くので同じ顔ぶれに会っていた記憶が蘇ってきました。早春には梅が梅雨時になればアジサイが満開になります。ジョギングの途中で、そこここにある東屋で休憩したり移築された旧民家を見学したりしたものです。昨日も本を一冊持っていったので、休憩しながらの読書も進みました。かつて元気に走っていたコースを歩いていると、またあの頃のように走れる希望と勇気が湧いてきました。
2024年05月05日
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昨日は連休後半の初日。いい天気の散歩日和でしたが行楽地は混んでいるだろうと思いショッピングセンターに行きました。こちらも混んでいるかなとの予測に反して、立体駐車場に入るための車の行列は少なめ。意外に思いながらパーキングゲートをくぐりましたが、そこからがなかなか進みません。空きスペースがあるとハザードランプをつけて車を駐車するのですが、それがいつもより時間がかかっています。ハザードランプを出してから駐車するまでが普段の倍。あーなるほど。ホリデードライバーが多いんだな。ここの駐車スペースは割りと狭め。仕方ない。そんなわけで地味-に混んでいるモールだったので買い物客もそれほど多くはありません。買い物をしてレジに向かうと各レジは数人の列。ただしセルフレジはすいています。これ幸いと私はセルフレジへ。セルフが空いているのに、有人レジに並ぶ人がいるのを私は理解できません。同じくらいの混み具合でも私は躊躇なくセルフに並ぶ人です。でも世の中にはセルフレジが怖い、というか緊張する人がいるんですってね。バーコードが素早く読み取れなかったり、バーコードのない商品をパネルで探したりしていると後ろにいるレジ待ちの人たちの目がプレッシャーになるのだとか。たしかにたまにすごく時間がかかっている人がいますが、セルフレジはいくつもあるので待っている人はそんなのほとんど気にしていません。私はむしろ有人レジの方が「袋はご入り用ですか」とか「お箸はつけますか」「お支払いは何で」「スタンプカードは大丈夫ですか」「ポイントは使いますか、貯めますか」などと聞かれ、そちらの方が煩わしい。予想外のことを尋ねられると、耳の悪い私は聞き直しが必要。そちらの方がよほど申し訳なくプレッシャーを感じます。そんな私には最低限の動作でパパッと用が済むセルフレジの方がずっと気が楽な存在です。セルフレジを発明した人、ありがとう。
2024年05月04日
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昨日も8千歩以上歩きました。今朝は起きてから脚が張って張ってたまりません。歩くのは椎間板ヘルニア克服にはいいことなのか悪いことなのか。でもブロック注射をしてもなかなか痛みが取れなかった数ヶ月前に比べれば、痛みは少しマシになってきています。休み休みではありますが、杖なしでこれだけ歩けるようになったのは前には出来なかったこと。昨日は奈良公園に行く予定でしたが、平日無料の駐車場が一杯だったのでショッピングに予定変更(基本おケチです)。近くのモールに行ってウォーキングがてら買い物をすることにしました。成果は夏物のシャツとズボン、靴、本屋さんでの立ち読みと和箪笥用の防虫剤を買って最後はグローサリーショッピング(要するに食料品の買い出し)。お買い得品を探して2つのモールを巡ったのでそこそこの距離歩きました。結果、やはり痛みが出ました。でもそれは立ったときだけで座っているとすぐに痛みは消え、しばらくは痛みなしで動けます。寝起きが一番痛かったようで、起きて動いているとだんだん脚の張りも少なくなってきました。これまでは医者の言いつけ通り、出来るだけ大事に大事にしていたので1日2千歩も歩きませんでしたが、実際動けるのなら動いて筋肉を鍛えた方がいいのかなと迷い始めています。まだまだ疑心暗鬼ですが歩けなくなるほどひどくはならないようなので、今日も歩いてみよう。
2024年05月03日
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このところ、急に脚の調子が良くなった気がします。椎間板ヘルニアで座骨神経痛に悩まされている私。昨夏からジョギングも中止し、それまで1日平均1万5千歩以上歩いたり走ったりしていたのがこのところは歩行計の数字が全く進んでいません。1日平均1000歩からよくて1500歩。そのため5千歩以上は歩かされる2ヶ月に1度の美容室行きは苦行以外の何ものでもありませんでした。何せ奈良から兵庫県まで電車とバスを乗り継いで2時間半かけていくのですから。昨日が2ヶ月目のその日でした。4ヶ月前のそのときは電車で座席に座れず、死ぬかと思いました。駅に着いても美容室までの道のりが永遠に感じました。それで2ヶ月前は中身が入っていない旅行用キャリーバッグをお供にし、いつでもどこでも座れる体制をとって出かけました。ドラえもん風に言うと「どこでも椅子~」です。住宅街の道ばたでキャリーバッグに腰掛けている変なおじさん、それが私。昨日はキャリーバッグの代わりにキャンプ用の折りたたみ椅子を持参しました。キャリーバッグよりはちょっとはマシ?でも住宅街で一服している姿はやはり変ですね。その椅子を一度も使いませんでした。3日ぐらい前から急にあまり痛みを感じずに歩けるようになってきたのです。これまで歩行時には杖やカートを頼りにしていましたが、それらがなくても歩ける距離と時間が長くなってきました。これまで1日2千歩も歩けばよく歩いた方だったのがおとといは6千歩超、昨日はなんと8千歩以上歩けました。「もしかしてこのまま治っちゃう?」と思ったのもつかの間。さすがに今朝は脚のハリが半端ありません。久しぶりに歩行困難状態になりましたが、座ると一瞬にして痛みは消え尾を引きません。この回復ぶりはこれまでになかったこと。これなら休みやすみだと今日も5千歩以上は歩けそうです。そろそろ回復期に入ったのでしょうか。これまで1日の生活の中心にジョギングやウォーキングを据えていた人なので、回復の兆しが見えてきたのは嬉しい限りです。久しぶりに奈良公園にでも行けそう。ま、無理はせず折りたたみ椅子も持参ですけど。
2024年05月02日
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またしてもアラームアプリがすかしてくれました。おとといの(きのうの?)夜のことです。普段は早寝早起きの健康生活をしている私ですが、29日の深夜にあったパリ五輪を決めるサッカーU23の試合はどうしても生で見たかったのでアラームをかけて寝たんです。キックオフが日本時間の午前2時30分だったので、アラームも2:30にかけました。ところが目が覚めたのは2時52分。またまたアラームは不発(だったはず)。このアラームアプリはつい先日も私を起こしてくれませんでした。そのときは朝の早い時間帯の飛行機に乗るために午前4時にセットしたのですが、目が覚めたのは4時50分。いくらねぼすけの私でも枕元でアラームが鳴れば起きると思うのですが、起きませんでした。止めた形跡がありません。そもそも鳴った形跡も。一度失敗しているのにまた、です。さすがに業を煮やして即座にこのアプリを削除し別のものをインストールしました。2回続けて不発とはどうしたことか。これまでも何度か使ったことがあったので多分使い方を間違えたということはないと思うのですが。色んな機能があって便利なものだったのですが、アラーム機能が使えないと何にもなりません。新しいアプリは単純に起きたい時間をデジタルで入れるだけのものにしました。サッカーは目覚めたときはまだ0-0。直後に細谷のゴールが出て得点シーンと勝利は見届けられました。
2024年05月01日
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NHK-BSの映画「日日是好日(にちにちこれこうじつ)」をみました。茶の湯は私にとって興味はあるけれど遠い世界。女性ばかりの世界というイメージがあります。この映画もお父さん役の鶴見辰吾以外、男性はほとんど出てきません。「茶の湯」は妻もやっていたし、学園祭では茶道部のブースに行ったりして知らない世界でもないのですが、茶の湯の本質はまるで分かっていないので、それが何かこの映画でヒントを得たいという気持ちもありました。ストーリーはあるような、ないような。淡々と進んでいきます。本質もこれと言って分かりません。主人公典子(黒木華)のごくありふれた人生が時の流れとともに淡々と描かれます。ときには葛藤もありたまには他人を羨みながら典子は生きていく。普通の、平凡な人生。典子は受け入れるしかないと思っているのか。意識することすらなく受け入れているのか。そして典子の人生のなかに毎週土曜日の「お茶のお稽古」があります。武田先生(樹木希林)の言葉や扁額の文字とともに。扁額にはタイトルの「日日是好日」があったり、達磨大師のお顔があったり。ドラマチックなストーリーの展開を求める映画ではないです。人生のフェーズごとにそれぞれ感情の起伏もありながら、あるがままに生きていく主人公を見ていると人生ってそんなものなのだろうと思えてきます。そして、そうして過ぎゆく日々はどれもこれも好い日なのかも知れません。映画を見てお茶の形式美にも興味を持ちましたが、やっぱり女の園に入っていく勇気はちょっとないと思いました。
2024年04月30日
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昨日は東京に住む次男一家と京都に住む長男一家、あわせて8人+私が長男の家に集合。一週間遅れで私のバースデーを祝ってくれ、長男からは何やら由緒ありそうな工房(?)で作られた素敵な扇子、次男からはアウトドアで活躍しそうなカッコイイ帽子をいただきました。それぞれ選ぶ人のセンスが出ているプレゼントでしたがいい歳をした子ども達がいい歳になった親に贈るプレゼントも素直にうれしいものです。扇子はいつも持っているショルダーバッグに忍ばせておけばこれからフルに活躍してくれそう。帽子もこれからの季節には欠かせませんが、できたら椎間板ヘルニアで痛めている脚を治してジョギングするとき用の帽子にしたいです。いずれも高そうな代物ですが、値段を調べるような野暮なことはしません。ま、彼ら全員をしゃぶしゃぶのお店に連れて行った運転手さん&会計責任者さんへの報酬と受け取れないこともないですね。0歳~15歳までの4人の孫たちの元気な姿を見られたのもいいバースデープレゼントでした。
2024年04月29日
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最近、トイレの様子がおかしい。床に敷いたマットが濡れています。どうもどこかに水漏れがあるみたいです。水を流した後で気をつけてよく見るとタンクとトイレ本体のすき間からじわっと水が出てきていました。はは~ん、原因はここだな。我が家にもう1箇所あるトイレでも以前同じ症状が起こっていたのですぐに気づきました。そのときはタンクを取り外して見てみるとタンクと本体の間のパッキン(ガスケット)がぼろぼろになっていました。こちらも同じ症状です。前回は30年もよくもってくれたと思って交換したのですが、それからさらに数年。40年近くもよくもったと思います。ここ十数年、使用者が私ひとりになったのも大きいのでしょう。早速タンクを取り外しひっくり返して見てみると案の定パッキンはボロボロになっていました。あの不気味な万博キャラ、ミャクミャクみたいです。タンクに一部のゴムがくっついてしまっている部分もあり、剥しとるのに時間がかかりました。きれいにした後は、近くのホームセンターで購入した新しいパッキンを装着。ウォシュレットとタンクの取り外し、取り付けは面倒ですが、業者に頼むと下手すると1万円以上取られる修理費が税込み627円で納まり、大満足のヨッサンでした。
2024年04月28日
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おとといの沖縄、モノレールの車内で。始発駅から乗車の私はゆったり座っていました。那覇空港に近づくにつれて車内は徐々に、徐々に混んできて私の隣の座席以外はほぼ埋まりました。隣の席は空いていたのですが、何駅かは誰も座らず空いたままです。かさばるキャリアバッグを持っている私の隣は少し狭めの空間だったので敬遠したのでしょうか。3、4駅はそのままでしたが、ある駅で若い女性がその席に座りました。そういうときは男性でも女性でもたいてい浅めに腰掛けて両隣の人からはスペースを開けるものです。しかしその女性はしっかりと深く腰掛け太ももを私の脚にピッタリと寄せてきました。体温が感じられるほどでした。それが小汚い爺さんとかならばちょっとヤメてよと思うところですが、清潔感がある人だったのでそのままにして、しかし心の中では「図々しめの人だな」と思っていました。でもその女性が取り出したスマホの画面をひょいと見て、納得できました。そこに映る文字は繁体字。あ、台湾からの旅行者だったんだ。なるほど。そんな経験はよくあります。飛行機でも堂々と肘掛けを自分のものにしたり脚を拡げてくる人はたいてい外国の人。とくに台湾の人に遭遇することが多いです。以前、知り合いの台湾人と話をしていたときに、あまりに距離が近かったのでしょう。「さっきの女性はヨッサンの奥さんですか」と尋ねられたことがあります。謎が解けて女性の態度を何とも思わなくなりました。日本では車内が空いているのに敢えて女性の横に座ってくる男性の「トナラー」が問題になったりしていますが、台湾だったら起こらないかもと考えてしまいました。隣の人と少しでも触れあいたくない日本人はちょっと神経質過ぎなのでしょうか?でも距離の感覚はたいてい無意識なので、どこかで勝手に誤解を生んでいるかも知れませんね。
2024年04月27日
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昨日は沖縄から奈良への移動日。疲れていましたが、夜中のサッカー五輪予選の試合が気になります。奈良に着き、夕食をとったあとサッカーが気になりながらも寝てしまいました。そしてアラームもかけてなかったのに目が覚めたのが午後10時半。キックオフ30分前なのはよほどサッカーが気になっていたのでしょうか。ハッと目が覚め、試合が始まる頃には目も冴えてそこからはしっかりと日本代表に声援を送りました(心の中で)。試合終了後、監督や選手のインタビューを見て気持ちよくベッドに入り、目が覚めたのが朝の5時半。すぐに起きてゴミ置き場へ。今日は近所の「燃やせるゴミの日」なのです。昨日戻ったばかりでゴミはほとんどなさそうですが、実は一杯ありました。前回奈良を離れたときはタイミングが悪く、出せないゴミが結構溜まっており、それを冷凍庫に保管してありました。2ヶ月も大事に保管してあった生ゴミを処理してすっきり。冷凍庫が空っぽになって安心した私は今まで二度寝(三度寝)をしてました。3+3+4=10時間。あ~よく寝た。
2024年04月26日
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今日は本土に帰還しました。沖縄は朝から雨で涼しかったけど大阪は暑くなるというので半袖で移動。沖縄では車のエアコンをAUTOで26度に設定してあります。昨日までは冷房だったのに今朝は暖房になっていてちょっとびっくり。さすがにすぐに切りましたけど。移動中の機内では半袖の人は少なく「まあ、これぐらいなら長袖がちょうどいいか」と思いましたが、午後2時に着いた関西空港は外に出ると暑くて私の勝ち(誰も負けたと思ってない)。そんなことより一週間前の教訓をまた忘れるところでした。危ない、危ない。一週間前には家から関空まで行く途中、阪神高速の一部が通行止めになっているのを把握してなくて飛行機に乗り遅れたのでした。しかも切符を取り直した翌日の便は朝6時半関空発。4時起きで家を出発するつもりだったのに寝過ごしたのは私。危うく2日連続で乗り遅れるところでした。そんなことがあったのに、今日もまた空港からうっかり、途中が通行止めになっている阪神高速に乗ってしまいました。もう何十回も同じルートを通っているので癖になっていたのですかね。途中で工事のことを思い出し、早めに一般道に降りてゆっくりと普段の倍ぐらいの時間をかけて奈良に帰ってきました。奈良の我が家に入ると、1週間前に慌てて着替えたTシャツが、脱ぎ捨てられた姿そのままにソファーの上に転がっていました。すぐに洗濯機に放り込みましたが、考えると脱いだものをビニール袋に入れて沖縄に持っていけばよかったか。あのときは2日連続乗り遅れそうだったし、そんなことを考える余裕もなかったなー。
2024年04月25日
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久しぶりにおきみゅー(沖縄県立博物館・美術館)を訪ねました。しばらく行けていませんでした。年間パスを持っているのに。走って10分で行ける場所にあるのに。昨日はお目当てのイベントが二つ。美術館の方では有料イベントで「キングダム展」もやっていますが、アニメや漫画にあまり興味の無い私はスルー(こちらを目的として来館している人の方がずっと多いようでしたが)。私が目当てにしたイベントのうち、「科学の眼で見る・・・」の方は無料のイベント。年間パスを持っている私としてはあんまり「元をとる」ことにはなりませんが、お金関係なく見たいものを見なくては。そしてその無料の催しが結構面白かったのですから興味と金銭的価値は一致しません。水中カメラをはじめ、顕微鏡、エコーなど最新技術を使って魚を撮影したり健康診断したり。また水中で動かせるマジックハンドみたいな道具を使って新海の生物をゲットしたり。水族館やテレビで見る生物の生態はこのような技術に支えられて明らかにされているのだと、よく分かる展示でした。これは見る価値あり。しかも無料。もう一つの「アートと虫の美しい世界」はちょっと中途半端な印象。虫嫌いに虫を好きになってもらいたいというコンセプトを持った展示でしたが、虫なら虫、アートならアートのいずれかに絞ってもらいたいと思いました。虫はよく見るとたしかにアーティスティックで美しいのですが、既存のアートと比較するのではなく、虫そのものをアートとしてディスプレイするだけでよかったのでは。虫はそれだけで素晴らしく美しい存在です。わざわざ「こんな風に見るときれいだよ」と導いてくれる必要はないと感じました。脚の痛みがなくてもっとゆっくり見て歩けたら展示者の意図がより理解できたかも知れませんが、ゆっくり見る余裕が無かった私にはいまいち深く興味を引かれることがなく、滞在時間15分ほどでそそくさと回って終わってしまいました。推してる展示イベント「じゃない方」に興味を持ってしまい、おきみゅーさん、ごめんなさいね。
2024年04月24日
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