全28件 (28件中 1-28件目)
1
2024/01/31/水曜日/日差しは力あり今月3回訪ねた蕎麦屋さんは全て同じ。いつものお店◼️手打蕎麦 ふじや新宿区先々週、いつもの十割蕎麦、980円。半月振りにやって来たら、蕎麦の表示には生産者の名前まで出ていた。先週も先々週と同じ蕎麦粉。ところが、十割蕎麦なの?という喉越しなんだなあ。そこで本日は二色もり1250円、で違いを見つけようと試みる。蕎麦粉に変化なし。量が大盛りに増える。ツユとワサビの量は変化なし。ワサビがいつもより香りよし。初めに二八。さすがに喉越しが良い。香りもそこそこある。やがて十割蕎麦と蕎麦湯左が十割。太さとコシが違う。画像では判別難しいけれど色も違う。何といっても蕎麦の滋味を覚えるのは十割ならではやっぱり明日以降も十割蕎麦で。
2024.01.31
コメント(0)
2024/01/30/月曜日/晴れ、春ちかし27日土曜日、気持ちの良いお天気の中を江戸川沿いのげんげ工房さんを、知人を誘い訪れた。知人と主催者の恵津子さんは旧知の仲。しかもここで初めてお会いする方が私と同じ町内仲間という、驚きの出会い。まあ話が盛り上がること!そこへ、恵津子さんのマクロビランチ、拍手ものピースボート、山本太郎、伊藤野枝、トランプ、北海道のオーロラ、バイオダイナミクス、梨木香歩、子安氏の再婚、大阪と維新、投票にはボールペン持参の案件、平塚らいてふ、女性の人権意識は大正期からなぜ後退したか、コモン、杉並区長選と八王子市長選、福田村事件、処理汚染水、寄付行為のまともなあり方、塩田廃止と海水塩、エプスタイン島ハニートラップなどなどみなが皆話したいことが後から後から尽きず。私が読書中の『美は乱調にあり』を読んでいて、駅を乗り過ごしたといえば、恵津子さんは今これを読んでいて、おすすめしてくれた。食後には、思い思いの手仕事に没頭して静かな時間が訪れる。手先を使う作業はよい。簡単に作れるけれど美しい。ローズウィンドウ
2024.01.30
コメント(0)
2024/01/28/日曜日/一瞬の地揺れ震度4先日東京ヴォーグ学園で毛糸を買う。買うと貰える帽子の編み図「ドット模様の2玉帽子」byハマナカ漫然とプレゼント用に編み始めたら、娘が2月から能登にボランティアとして入ることを知る。それに間に合うように、3日で編み上げる。以前に編んでおいたリストウォーマーと一緒に梱包して発送した。これを必要とする方がいたら、どうかプレゼントしてほしい、との思いを託して。娘はトイレキットを携えていくらしい。今までDマットで受講したことがお役に立てるようになって何よりです。職場の方にも感謝!余震も気になる。どうしても起きなくてはいけない地震なら、被害の少ない場所で小出しで、と自然に祈りたい。毛糸はハマナカ、ディーナ。洗濯機丸洗いOK針は6号輪針リストウォーマーはサイチカさんデザインほぼ1玉半で完成するので、二つ編むつもりで3玉購入。さてそれもプレゼントするか、自分用にするか。
2024.01.28
コメント(0)
2024/01/26/金曜日/梅がちらほらよそ様のお庭でこの編みもの本からは、子どもたちにいろいろ編みました。それがいつの間にやらお孫ちゃまに!ベビーシューズみたいなのを編んでみた。参加冊子は図書館から借りたもの、表紙の画像保存を忘れてしまった!左右で手の緩みがチガウ!+輪針で編み辛かった。やはり4本針で編むべきであった。ついでにお帽子も。全て4号で。母子にはぬくぬく過ごしてほしい。端糸が溜まってきたので、アルネ・カルロスさんのクリスマスボールを一つ編む。3号針指定なのだけど、1〜2号が良いみたい。端糸全部飲み込んだらちょっぴりおでぶになったエルクさん。↓ラトビアの森のマーケットでおじさんから買ったこの小箱に毛糸がいっぱいになったら、クリスマスボールの作りどきこちらはクリスマスボールの本
2024.01.26
コメント(0)
2024/01/25日/木曜日/大寒の朝、水瓶に氷張る〈DATA〉出版社 文藝春秋著者 絲山秋子2023年11月10日 第1刷発行「文學会」2021年二月号、九月号、2022年一.五.八.十一月号、2023年三、七月号〈私的読書メーター〉〈表紙を見ながら小さな木のパズルを思い出した。上手くいくとカニが仕上がる、みたいな。うんと小さな子にとって、年長の者がするするピタリとそれに到達する不思議は正に神の手だ。この物語の神もまたそんな身近な神だ。人間とは何であるか。八百万もいる神の中にあって、奇特なことに神自ら人間と彼らが暮らす日本のどこか地方、ここでは黒蟹県に住み入り人間を学ぶ。その土地の中にあるだけの素材を用いて時々神の手パズルでピタリとシンクロさせては神の恩寵の道筋を人間との間に蘇らせる。作者が与える土地、植物などの詩的な想像力が高い。〉あーあ、消えちゃった。うっかり者だから、ねえ。いろいろ感想を書いたのになぁ。とりあえず記憶に残るものを拾い集める。建築家として世界的な賞を得て益々の、という矢先にすっかり仕事ができなくなった赤い髪の男が、実はあの、消えた幼馴染で…彼は売り出されたガソリンスタンドを自分の手でリフォームし、クリーニング店を営み、ミシンまで踏んで暮らす。そこに加わる誰かしらの屋台、カフェと様相が変化するのは植物層のなんとか、のようである。人間社会層?ある男が、今までの世の価値を捨て去った後に湧いてくる新しい世のカタチであるか。そうして贈与交換の社会建築家となるのだが、神は何らか手を出したのか、出さなかったのか。いやいや、そこまで行ければ去るた彦、でござる。という。神さま、おいらたちにチャンスを。
2024.01.25
コメント(0)
2024/01/24/水曜日/空気は冷えて大寒〈DATA〉出版社 毎日新聞出版著者 梨木香歩2023年9月15日 印刷2023年9月30日 発行毎日新聞連載 202006〜202303掲載〈私的読書メーター〉〈毎日新聞連載のエッセイ集。2020年6月から2023年3月までを収録。大学卒業後に英国留学した後『西の魔女が死んだ』でデビューして以来、この方の持ち味が一貫している様に驚きつつ敬愛の念が湧く。認知症を患う母を施設から引き取り、古い自宅を処分した上で家族と交互に看護している九州の実家、その近在の山荘、高度1700mの八ヶ岳の山荘、かつて暮らした琵琶湖の見える住まい、東京の自宅などを鳥のように渡りながら、カラやアカショウビン、シカやヒメネズミ、キノコや樹木、草花との交歓を記す。湯たんぽの結びの文が秀逸。〉さて、その秀逸な文末が掲載されていたのが「秋は悲しき」なぜ湯たんぽを英国の人はホットウォーターボトルというのか。それはどう見てもゴムバックであるのに、と彼女はいう。二十代で暮らした英国の下宿女主人は、寒い夜には梨木さんにも夜の儀式のよう湯を入れ、カバーを掛けて手渡した。大荷物になるに関わらず旅先にも梨木さんの分まで携行する。思えば40年以上、その疑問を抱えて生きて来た、旅して来たといえる彼女の境涯である。なぜバッグでなくてボトルか。おまじないを唱えながら湯たんぽを手渡してくれた夫人ももうとうに草葉の影に横たわる。その由来がとうとう判然とする。「長い間持ち続けてすっかり血肉になったような、昔馴染みの疑問に、墓標が立った思いでいる。寂しい、けれど決着を見届けた安堵、とでもいうような。」墓標が立った思い。そう言える疑問を携え続けることの重さと長さえ、たかが湯たんぽだって⁈なんで(どんな理由で)泣いたか、ではなく、どれだけ泣いたか、それが決定的に重要だと『飛ぶ教室』の長い前書きでケストナーも言っているではないか。彼女がこの世を去って、件の夫人と再会したならば、必ずやその話題に花を咲かせることだろう。そんなお土産話を携え、あの世に渡れる仕合せをしみじみ寿ぐ。
2024.01.24
コメント(0)
2024/01/23/火曜日/少し日差しも旅に持参したガイド本はこれだけ。正確に言うと『ザイム真理教』も持参して空港や機内では読んだけど。旅名人ブックス322004年8月30日 第2版第一刷日経BP企画谷克二・鷹野晃 著このガイドブックはスコータイの紹介から始まる。なぜなら、スコータイは最初のタイ人国家の都だから。なのだろう。タイの複雑な歴史背景を丁寧に解説している。元旦バンコクのワットプラケオ、とにかく凄い人で炎天下並んで入るのは考えられない。なんか同日の浅草寺を思い出すけど、あちらは邦人以外も無料だし。寒い時なので押合いへし合いもおしくらまんじゅうみたいで暖かい。タイ人以外は入場料500バーツには驚く。2300円くらい。美術館の発想であろうか。バンコクは今から40何くらい前に2、3泊したことがある。丁度10年前に訪ねた時のベトナムの街のような姿だった。この10年でベトナムも随分変わったのだろうけど、バンコクはさすがに40年。大都会になっていた。地下鉄なども6ラインあり、ちょっと不在にしているとどんどん伸びて知らない駅ができているらしい。私は古いもの、地方、自然、手仕事、ダンスなんかが好きなので、あまりバンコクに留まりたいとは思わなかった。都会はどこの国も似たり寄ったりでその国らしさが感じ取れない。ただ一つ、暁の寺 は見逃したなあ。『豊饒の海』を読んでからいらっしゃい、ということかしらん。辻政信にも目を通した上で、暁に染まるかの寺をじっくり眺める。それを次の旅縁としておきたい。あ、体調万全の胃袋でカニカリーも再び。今回のアイテネラリーホテル出たのは4時!だったんだ。はやっ。
2024.01.23
コメント(0)
2024/01/23/火曜日/曇ると寒い、大寒1/3 朝5時 スワナンプーム空港に向けて車を手配ホテル指定のナンバーを忘れてしまってのだけど、そこを通して決済なので、運転手と現金のやり取りは発生しない。誰が支払ったかというと私たちより後にチェックアウトした次男と思われる。タイエアラインカウンター付近には、辰年向きなオブジェが到着とお見送りをしてくれる。空港のセキュリティに手間取るからバンコクではデパーチャーの3時間前にカウンターに行け、と助言されたけど早朝のためかスムーズ。セキュリティチェックを終えてゲートに着いた時点でまだ1時間余裕である。早朝でも、私には無縁なハイブランド免税店は開いている。ラウンジを探すとゲートそばに幾つかあったけど、営業中はターキッシュエアのラウンジだけ。他はみな8〜9時オープンだったような。この日はターキッシュエアがお当番かな?トルコ風ではなくあくまでタイ風の朝ごはん。お魚ダンプリングの温かいスープは嬉しい。それに、あのお豆原料スイーツも!あら、食欲ややカムバックなり。ラウンジもガラガラ。日本人年配グループの方が朝早くから賑やかによく食べて異彩を放つバンコクは晴れて暑い一日になりそう。おかえり成田、はどんより曇りで思ったよりも温かい。やれやれ旅は愉し!コロナ雌伏四年。こんな旅を有難く思いつつも殆ど自前のことと思い暮らしていたのか。旅心に火を灯して家路に就く。
2024.01.23
コメント(0)
2024/01/22/月曜日/雨上がる1/2 ランチに来たのはプラウチャイ、Saithongriverというレストラン。駐車場からは伺いしれないけれど、奥まった通路の向こうは、川に面して明るいレストランが現れる。この川でしか取れない立派な手長えび?←オニテナガエヒ というらしい。他を頂いた。相変わらず食欲の戻らない私一人恨めしげにみなの食欲に圧倒されるのだった。故にアジも殆ど分からずT_T↑立派なメニューは写真付きなので注文に便利↓ドライブようにとお嫁さん一家の方が朝ご飯の後用意してくださっていたヘルシージュースが私にはとても良いありがたかった。これ、アユタヤのお土産ショップにも置いてあったけれどスムージーよりもお高い高級品なのだった。お腹を膨らませた一向は、バンコクの悪名高いラッシュを避けるために5時までには市内に入るべくアユタヤを後にした。↓途中、タイ風のシュガーコットン固い麺付き?をお試し用にドライブスルー方式で買ってくれた。ここら辺の名物らしく、沢山お店があった。ホテルに戻る前にお嫁さんが学んだカセサート大学へ。トイレ休憩かねて立ち寄る。↓高校生みたいに見えるけど、大学生は上は白下は黒、の制服がある。足元はフランク。つい最近まで髪を染めることもできなかったとか。なかなか厳しい。驚くことに車で誰でも出入り自由。学食や縁日の屋台風、キッチンカーで食事が取れる。マンゴースムージーを見て俄然食欲戻る。わーい、一人に丸々一個のマンゴー!それにしてもマンゴーの実を実に上手にカットします。これを飲んでかなり気分がスッキリ。ホテルに戻る。明日早朝ホテルを去る前にこんなホテルだったのか、と改めて確認。3泊もしたのに。最後の晩餐も食欲湧かず、スーパーで求めたマンゴスチンやデリカテッセンお買い物で部屋食。刻々変化する窓外の眺めがご馳走だった。
2024.01.22
コメント(0)
2024/01/21/日曜日/雨のち晴れ1/2 ワットプラマハータートで菩提樹の根本に囲まれた仏頭と向かい合ったあと、もう一つの遺跡とお寺へ車で移動する。その名の通り、菩提樹であった。遺跡からは、あちこちに池や水辺が伺え、素晴らしい環境にアユタヤ遺跡群は散在している。全て見ようとすると一日では済みそうにない。実は日本人村も割愛してしまった。この土地に日本人ツーリストが多いのは山田長政らの日本人村が17世紀初めに、このアユタヤの地に建造された歴史的背景もあるのだろうか。山田長政はバタビア王国に加勢してスペインを2度まで退けたという。日本史授業でそんな一コマを聞いた記憶があるが、この史実はタイ側には何も残っていないため、授業で触れられることもなければ、タイの人は全く知らないのだった。アユタヤには王室特級の重要なお寺がある。その名も ラーチャウォラウィハーン が寺名の最後に付き第一級の王室寺院を示すのだとか。お寺の名称ワットニウェート タンマプラワットの後にこれが付くのでやたらと長い。まるでイタリアの教会のような寺院が、日本で言えば明治の半ばから建てられたそうだが、離れた場所にあり、これも割愛。残念なこと。↑プラシーサンペット寺の駐車場で車から降りた途端少し先で土煙りを上げながら小さな竜巻が。瞬く間に上空へ駆け上がり消えて行った。その駐車場のおばあさんからお供えの蓮の花を買う。蓮は必ずつぼみ。これは合掌の形だから。アユタヤで訪ねたもう一つの遺跡ワットプラシーサンペットには、お参りできるお寺もあった。タイでは曜日生まれ毎にキャラクターカラーが決まっている。この黄色い旗は現国王の色?その国王は実は殆どタイにいない。どこにいるかというとドイツに構えた豪邸に愛人20人を引き連れて暮らしている。王不在の王国タイ。タイ国人は先王を深く尊敬し、現王を嫌っていることは確か。先王と王妃の若い頃の写真を見た時、とっさに美智子さんがお手本にしたのではなかろうか、という王妃の佇まいだった。しかし王室と皇室はその役割が明らかに違う、と私は思う。質素を旨として国と民の安かれを祈祷する、そのための祭祀を司る。これが本来の在り方で、その姿が民の敬愛に繋がったのでなければかくも永きお代が続く筈もない。平成流の反省の上に本来の姿を取り戻してほしいもの。お寺では寄進をするとお線香と紙包を頂いた。お香をたてる。紙包には、薄い金箔が入っており、これを入り口の仏像に貼り付ける。このお寺の仏像二つ。左はクメール的。右はガンダーラ的。アユタヤ遺跡の再現された仏頭はどれもほぼクメール的。右のお顔は珍しい。
2024.01.21
コメント(0)
2024/01/19/金曜日/春来るらしアユタヤはタイ語族の人にとっての古都でバンコクからも近いため、観光客がいっぱい。タイの他の街では見かけなかった日本人ツーリストにもたくさん出会う。食いしん坊にとってはここでしか食べられない、特別な川海老が食べられる街らしく。アユタヤに着いたら、最も有名な木に覆われた仏頭のある遺跡へ。↓なぜか、本日はアユタヤの遺跡やお寺はFREEentryなのだった。一番最初に目にするのがピサの斜塔よろしくかしぐ仏塔だった。ここは日差しを遮る所が少なく、日傘が自由に借りられるように用意されていた。私は時計回りに回ったが、それは最も最後に木の根本の仏頭を見るコースとなった。廃墟となった、祈りと王の居場所としての一大施設。殆どの仏像は首なしなのだ。↑首がないのは怖い、とかで新たに首が据えられた仏像も幾つかある。胴体と同じような仕上なので違和感はない。大勢の観光客がふと消えるような時間があり、不思議な時間が訪れる。ベネチアで感じたような不思議な光と影と音が思い出されるのも興味深い。こういう時はできる限り一人でへめぐりたくなってしまう。一見の価値のあるものは等しく見るものの心を揺さぶる。
2024.01.19
コメント(0)
2024/01/18/木曜日/好天続き乾燥注意1/2 旅もツゴモリ、明日は帰国という日本日予定はアユタヤへ、レンタカードライブその前にぜひ連れて行きたい朝ごはんの場所がある、との先方さまのお言葉に甘えマーケットへホテルまでお迎えしてくださる。本日の午後からお仕事開始のようなのに、ありがたや。連れて下さった方は、足元が濡れてないマーケットがお好きなのだとか。なるほど。そんな選択ポイントがあるのだなぁ。ここでは始終清掃の方がこまめに掃除しています。清潔で心地の良い空間。オートーコー市場というらしい。↓すごい銀杏の山!甘い味付け?テーブルの並ぶ感じはシンガポールのホーカーズが彷彿とする。テーブル席に面する朝ごはんのお惣菜店で何品か頼んで席につくと注文品が運ばれ、清算する。みんなすごい食欲だなぁ、朝というのに。私は未だ胃のモヤモヤが取れず、お粥を啜る。左下は高菜漬けみたいな味がして、お粥と相性がよく、幾分か食が進む。鮒の唐揚げらしき濃いめお味もお粥に合う。さて、この市場に素晴らしいスイーツショップがあった。王室にも納めるお菓子やさんらしい。基本はお豆でできている。カタチが華やかで可愛らしい。ほんのおちょぼ口向きのお菓子で、ひな祭りにぴったり。お豆とフルーツがミックスしたお味で、特にマンゴーやココナッツを感じた。賞味期限は半生で1週間くらい。↑右下は創立者?私が買ってきたのはこれ。頗る美味しい。日本でも手に入るのだろうか?お土産まで頂き、空港のレンタカーまで送って頂き、さあアユタヤへ。
2024.01.18
コメント(0)
2024/01/17/水曜日/好天1/1夕方 次男のお嫁さんファミリーとソンブーンシーフードパンタットン本店へ。これが今回の旅の第一目的。ホテルからは車で30分弱。行こうと思えば地下鉄もあるのだけど。タクシーを使う、あちこちでスムージーを飲む、つまみ食いを楽しむ、という東南アジアスタイルなのだ。郷にいれば郷に従う。タクシーが付けたのは裏口側で、お店の駐車場もこちらにあったみたい。丁度ご先方とそこで出会してご挨拶をする。↓おやおや裏口通路には写真が掲げられていて、A宮氏が美女に囲まれ思わず緩んだ表情ばっちり。ここは日本人観光客にとても人気らしく日本語がメニューに記載されていた。何といってもカニカレーが評判とかで、ごろごろと蟹の身が入ったカレー、殻付きカレー、川海老、川魚、蟹チャーハンなんぞをみなで中華風に分け合い食べる。あああ、美味しそう!でもいかんせん。先ほどのマンゴーと餅米のスイーツを欲張った私は天罰で食欲が湧かない。美味しいのに食べられない!胃の口まで餅米が_:(´ཀ`」 ∠):これは辛い、悲しい。みなさんの食欲、特にウチの次男坊と旦那は遠慮を知らぬ勢いで、団欒より食べるが先行。遠慮がちに小食の人、と思われているかもな私。いえ全然違うんです〜普段は旦那より食べるんです〜楽しく美味しいひととき、色々安心して再会を誓いそれぞれの帰途に着く。顔を合わせて美味しいテーブルを囲むっていいなぁ道々マーケットを冷やかす。地面はびしょびしょなので、足元注意。魚介にお肉、お惣菜にお菓子、果物にお花、色々ある。この季節なのにシャインマスカットも!どこ産なんだろう。ホテルに戻り、正露丸を飲んで休む私はタイの喜び、マンゴー、マンゴスチンに辿り着けず寝る。次回訪問して必ずや味わい食べたい、食い意地は横にならない私であった。
2024.01.17
コメント(0)
2024/01/15/月曜日/晴れ2024/0101 ゆっくり起きて朝食を摂りに近所の食堂街に出かけたが、お目当てのお店は元旦?のためか閉店だった。その隣のお店で頂くタイらしい朝ごはん汁なし汁ありにチキンボール安い、早い、旨い。バンコクでもほとんどの女性は食事を作らない。働くことが当たり前なのだ。さて、Chom phon とかいう食堂街に近い地下鉄に乗って、件のエメラルド仏が鎮座するワットプラケオ界隈を目指す。↓感心したのがクレジットカードで乗り降りできること。外国籍の観光客もOK。観光立国を目指すなら日本も取り入れてはどうだろう。↑タイのスマートな地下鉄は日本の協力でできた、と頌栄されていた。何事も後からの方が改良、改善されている。タイの新年は4月、とはいえ27日辺りからお休みでやはり人びとはお寺詣に勤しむ。そして、バンコクはとにかく暑い。チェンライ、チェンマイの気候とはまるで違う。スパイダーマン看板のお店でミックスフルーツアイスキャンディを食べる。最初に訪れたのはワットポー涅槃寺。入場料は300バーツ、本日から値上がりしたらしい。タイの人は無料なので、あれ、列を無視してない?と思うとそれはタイの方。タイのお寺は入ると広大なのに入り口は狭い。ここでも入るのに混雑。王様やお妃様の墓陵と思われる装飾パゴダが三基この中ではマッサージの施療が受けられる。敷地内には世界遺産?になったタイマッサージなら歴史資料館が併設されていた。元々お釈迦さまに施術したお弟子さまのテキストがあったらしい。それが書写されタイまで伝搬した。随分以前に戦災で消失したが、技そのものは細々と残っていたらしい。前国王はこれの復活を目指し、先ずマッサージの学問所をこの寺域に設立した、のだそうだ。寺内では、菩提樹を見ながら木陰で屋台で買ったランチやデザートが食べられる。靴は脱いでね。↑前々から聞いていた餅米とマンゴーの取り合わせ。ギョッとしそうだが、フレッシュなマンゴー餡と餅米がお口の中でおまんじゅうに仕上がる、と思えばよろしい。ほぼ一人でこれを平らげてしまった。とにかくマンゴー好き。しかし、これが後々敗因となる事を思い知るのである。長大なお釈迦さまの涅槃像観光客の私たちも敬虔な仏教徒も入り乱れ。タイの古式マッサージについて少し学んだので、涅槃のお釈迦さまはむしろ気持ちよくマッサージを受けられている姿に見えた。◼️その後、肩と頭部のみのマッサージなら直ぐできると聞いて受けてみた。思ったよりも痛くない。15分か20分くらい。終了間際に耳を手のひらでぽっかり塞がれた時、不思議な感覚があった。時空が何も感じられない、というような。その手ががぱっと開かれた時、一斉に音も時間も空間も開かれ、まるで産まれたて、みたいな感じ。そして次なる予定のワットプラケオへ↑暑さと食い意地に負けてサトウキビジュース。東南アジアの路上で買い食いしない戒めなんかとうに忘れ果て門前まで日差しの強い中をよろよろ辿り着くと長蛇の列。長時間は待つと聞かされる。炎天下を歩き続けへとへと、気持ちはとにかくクーラーの効いたベッドへ。しかし、これがタイの冬なのである。真夏の再訪は絶対ムリ。過去にプーケットを訪れたことがあったが、あれも3月だった。それでもひどい日焼けでうつ伏せでなくては寝られなかった記憶が…↓最寄りの地下鉄駅までトゥクトゥクに乗る。交通ラッシュで進めない。排気ガス吸いすぎで気分が悪くなる。大都会バンコクの移動は地下鉄+日陰を歩く、がよろしいかも。↓小洒落たウェルカムドリンク飲んで部屋でバタンキュー、夜の会食に備える。
2024.01.15
コメント(0)
2024/01/14/日曜日/晴れさようならアカマッドハウスのある村、また来れたら嬉しいな。12/31 タイ旅の5日目も暮れようとして、バンコクに戻るその日は大晦日、チェンライ空港へ。ここで3日お世話になったティンさんともお別れ。パーソナリティが素晴らしく、運転はもちろんカメラの腕が抜群。次回にもチャンスがあればぜひお願いしたい。この費用は13000バーツ。それに別途ガソリン代はこちら持ちで支払う。最大五人乗りなので、一人当たり11000円。これだけディープな旅、偶然の場所、常に駐車場を気にせず最短の場所で乗り降りしてくれるサービスを思えば大変お得だと思う。チェンライ空港はコンパクトなので搭乗も楽。やはり民族衣装やプロダクトが人気。例のプランテーションのお茶屋さんショップがあった!高級品でございますー。さすがタイ。こんな小さな空港でもお坊さん専用のラウンジがあり、待合室のコーヒーサービス棚の上にはお釈迦さまこの日のこの便を持ってスマイル航空は、タイエアの傘下に入る、最後のフライト。に乗り合わせてしまい、何やらノベルティを重役が機内サービス。バンコクの空港に着くと、空港で待っていた取締役らしき方やスタッフと記念撮影が待っていた。バンコクは何といっても大都会。デパート、ショッピングモール併設ホテルに宿泊部屋に入ると間も無くニューイヤーの花火があちこちから上がる。
2024.01.14
コメント(0)
2024/01/14/日曜日/雪残る朝12/31、午後わりとアバウトな時間予約で現地へいやはや。運転上手のティンさんはこの村を出た後で、2度とこの道は走りたくないなぁ、ともらすほどの危険な悪路、ではあった。そんなこともツユ知らず。えええ、怖い道だねえ、落ちたらおしまいだあーと我らは呑気なものである。そうして辿り着いた。先ずはウェルカムティーでもてなしてくれるご主人。プランテーションのお茶とは違い、この辺りに自生するお茶の木にジャスミンをブレンドしたもの。旅人に先ずはお茶を振る舞うのはアジアのマナーこの方はアカ族で、一人で20室のコテージを作り、経営している実業家だ。50室に増やす気満々。健康で温かく知力も行動力も胆力も充実して大きな人、という感じ。久しぶりにこんな男性を見た。草葺きの屋根は90度ほどパカっと開く仕組み。夜星を見るため?何故かは聞きそびれた。それが彼らの住まいの古典様式であるのかははっきりとしなかった。どうやって開け閉めするのか尋ねたら、実践してくれた。何と電動式。彼が自分で作ったという。昔は紐て゛開け閉めしたよ、とこれも見せてくれた。奥さんがお食事サービスして下さる。因みに奥さまはタイ人でチェンライで公務員として働いていられるとのこと。奥さまもみなぎるような健康な温かさの持ち主と見えたのだが、例のワクチン以降体調が元のようではないそうだ。こんな自然の人びとは免疫力は相当高いと思われる。不要なものを用い残念なことだと憤る。↓美しく盛られたお食事下の左の山草はこの地域でしかフレッシュで食べられないらしい。私たち日本人にはどれも美味しい。山野草を中心にしたメニュー、お出汁はキノコや野菜から。お代わりも望むだけ継ぎ足してくれる。おかわりの方が多かったりする。何度もお代わりしてそれを空にして満腹。↓フロント。カフェサービスもあり、アカ族の民族衣装を付けて写真を撮るサービスは無料だ。お腹がくちくなると探検私たちの後から、マレーシア辺りから宿泊しに来たカップルが食料などをコテージに運んでいた。アカ族の人とのウォーキングみたいなエクスカーションもあるみたい。ハウスの外に出てみるモン族の人の村のように、犬が寝そべり、女性は輪になっておしゃべり、子どもたちはどこかでつるんで遊んでいる。花が咲いている。私たちがランチを取った建物を遠くからみるとまるで清水の舞台だった。若しくは宮崎駿の世界建造物は全てこの土地ならではの赤い土で作られている。ここのコテージはプランテーションのそれの半額、およそ五千円。部屋の向こうから朝日が昇るのが見えるそうだ。
2024.01.14
コメント(0)
2024/01/13/土曜日/天気予報では雪?旅日記の私は12/31お昼前タイ北部チェンライの一大お茶の産地で、人気プランテーションのお茶屋さんに辿り着いた。どこまでも広いお茶園と洗練されたカフェがある。敷地の高低差を巧みに取り入れた建物の、屋外屋内のあちらこちらで、まるで鳥たちのように、自分の好みの止まり木場所を見つける。ここぞお茶を囀る場所、と座り待っていると間も無く選択したお茶が運ばれて来る。↓若い人たちはお茶系ドリンク、私共夫婦は高山茶と烏龍茶例年の大晦日といえば、一日中台所に立ち続ける習わしが、強い日差しを避けながら、目前で摘まれたお茶をゆっくり頂けるなんて。僥倖でございまする。何者かのおわするや、かたじけなさに涙零るる。ショップを覗いてみると、結構なお値段がする。タイの普通の暮らしではかなり高額だろう。お茶器なども扱っていて、どことなく台湾のお茶屋さんが思い出される。台湾では阿里山、日本では宇治の滋賀県側、お値打ちのお茶が買えるなぁ。記念にティーバッグ1袋のみ購入、庶民の懐なり。ここの風景が一服のお茶空間なのだ。見渡せば欧米系はおらず。アジアの様々な人びとがうち揃い、明るい顔でみなそれぞれにお茶を楽しんでいる。幸せだなぁ。↑座った場所から見えるのはバンガロー。一棟一泊確か日本円で一万円くらい。部屋から見えるのは茶畑とお山と空。朝日や星空がさぞや美しいだろう。再び訪ねることがあれば泊まってみたい。この辺りはアカ族が沢山暮らしている。アカ族の人はクリスチャンが多いとか。車上からも小さな村に教会を見た。こんな所までミッションにやって来た当時の彼らの情熱をしばし考える。幾千の言語辞典を作り、住民の病気を治癒して教化し、その土地の植物や種や文化財を収集し、地図を作り資源を記し、総本山に持ち帰る。総本山はその情報や資源を元に大資本と結びついて巨万の富を蓄えた。総本山に戻れなかった者は異郷で骨となったか。そんな歴史も畳み込まれた山襞なのである。ワットプラタートドーイトゥンは、この眺望の更に北にある。昨夜私たちを乗せてくれたトゥクトゥクの運転手さんがチェンライに来たならぜひそこを訪ねてほしいと教えてくれたお寺。今回は時間不足でそこまで行きつけず心残りだ。メーンライ王国の最初、つまりタイで最初のお寺。そこにある二つのパゴダの左にはお釈迦さまの鎖骨が納められているという。右のパゴダにはお釈迦さまにまつわる聖遺物。上座部仏教の人の聖地ともいえるお寺なのだ。いつからそこに建っていたかは未だよく私自身調べていないけれど、Google情報ではほぼ紀元前後のこと述べている方も。当時どんなルートでお釈迦さまのお骨が伝搬されたか。インドとの距離を見てみると、悟りを開かれたブッダガヤとお寺は徒歩でも24日で行ける。インドとタイはミャンマーを挟んですぐそこ、おそらく山の民にとっては。なんだなぁ。
2024.01.13
コメント(0)
2024/01/13/金曜日/一陽来復次の目的地に向かう途中、道路沿いに点々とあるパイナップル売りのスタンドで、ドライブスルーのようにしてパイナップルを求める。チェンライでしか食べられない、しかも今が旬のパイナップル。小粒で芯まで甘くイガイガしない。売り子さんの帽子もパイナップルみたい、笑顔が弾けるよう。ガソリン代は日本とほぼ同じ。走り行けば、もう殆どミャンマー国境。簡易なパスポートチェックなどの建物を見つけたりしながら山襞を登って行く。好い天気と眺望この道を切り拓いた人への感謝かな?流石にここまでは一般的なタイ旅では訪れにくいのに違いない。表記は日本人にも読める漢字。タイとミャンマーとラオスが接するこの地は、いわゆるゴールデントライアングルと呼ばれるケシの一大生産地だった。山岳民族に国境は無いだろう。あるのは山の尾根や谷戸。それに山の幸。焼き畑などしながら季節ごとに自由に移動していただろう。そこに雲南からも多くの国民軍が南下して来たのは蒋介石が台湾で政府樹立した前後のこと。国境の曖昧なこの地域で中国共産党の部隊と戦闘しながら、いわばタイ王国の傭兵のように働いた。ひょっとして敗残日本兵なんかも含まれていたかもしれない、などと想像する。メコン川は近いのだ。山の英気を吸い込んで、麓の小さな町が賑わっていたのを認め、下車してみる。同乗2名が、ヘアピンカーブの連続で車酔いしたため、休憩も兼ねる。生活者のためのマーケットであり、時々訪れる近在の人のためのマーケットでもある。ここはアカ族の人と中国系の人が半分ずつ仲良く暮らしている様子が窺える。あるいはミャンマーのシャンあたりから政権の迫害を逃れて来た人もいるだろうか。アカの人たちも手芸や装飾に手の込んだ仕事をしているが、マーケットでは薄利多売の土産物が並んでいる。私は薔薇のお茶を買った。この土地で採れ、この高山の気候で乾燥させた薔薇のお茶。それと好物の胡桃棗。上の画像の美少女からアカの人のマーケットでは大人のものと同じ分量で子どもの民族衣装も商っていた。こちらはとてもステキな元美少女、アカの婦人。そういえば、日本の半纏みたいな上着が見られた。
2024.01.12
コメント(0)
2024/01/12/金曜日/窓辺は温かい12/31 ホテルはコテージスタイル三つ星にしては、フェイスタオルがない、とかバスルームには換気扇がない、とか、コンセントが日本企画にアジャストしないとか。野生的。まあ、そんな状況も楽しみつつフロントでフェイスタオルをもらう。朝ごはんは素晴らしかった。幾つかの選択メニューから卵のお粥を選択したら、実はどのお粥にも卵があったので、2個!このホテルには夜分着いて、朝には出てしまい、肝心のファシリティである、プールやガーデンは少しも楽しまなかった。もっともこの季節、チェンライ辺りはお昼前後でなければ涼しくて、水遊びをしたいとは思えない。私のチョイスはどうせ使わないプールの維持管理費の乗っている宿泊料を払わなくてよいホテル一択なのだけど。こちらは次男夫婦のチョイス。本日一番目の訪問地は ワットプラケオタイでワットプラケオというと、バンコクの王宮側にある王室保護のお寺、かつエメラルド仏で有名。ところでバンコクの方では今年から入場料が何と500バーツ。2200円もする!4人で入れば一万円近い!ただしタイの人はただ。↓沢山のコーナーがあり、其々に熱心にお祈りをする人が沢山。年末年始はよくお寺を訪問するらしい。こちらのワットプラケオは入場無料だったと思う。エメラルド仏もレプリカだけど本堂に鎮座されている。30年くらい前に中国に発注し、本物よりも1ミリ小さく再現されたそうだ。しかし、バンコクのエメラルド仏はこのチェンライのワットプラケオからチェンマイを経て、異なる王統の所有となったのだった。元々は遠くスリランカから渡って来たらしい。15世紀半ばのことだ。その間にもラオスの部族に盗られたり。かつては王の一族だけが見ることのできる秘仏で、仏像の中に隠されていたのが、ある日秘仏のお堂に雷が落ちて、みなの目に触れることになったとか。そんなエメラルド仏にまつわる歴史エピソードを伝えるコーナーもあった。ここには休暇中の軍人さんも。休暇中でも、外では制服で過ごすらしい。敬虔な祈り。世界平和さて、タイのお寺の素晴らしいところそれこそ沢山のお寺のどこかしらでいつでも食事が無料で振る舞われ、飢餓でタイ市民が亡くなるなんてことはないそうだ。困っている人はどこかのお寺に身を寄せることができる。雨つゆ凌いで空腹も満たせる。タイでは成人男性が2週間お寺で修行することが義務だとか、そんな若者が困窮している人の世話をしてくれるかもしれない。日本でも今はもちろんないけれど、兵役より寺役?の仕組みがほしい。カルト宗教に絡め取られることも防げるのではないだろうか。↓私たち旅の者すら、サービスのご婦人に振る舞われ青汁のような飲み物、かすかに竹の香り。と、沢山の中から一つだけスイーツを頂いた。あ、蒸したお芋2種も分け合って食べた。もっちりした食感、中はココナッツ。甘さは控えめでとても美味しかった。全体的に健康食、オーガニックなお料理が並んでいるように見受けられた。ご馳走さまでした。感謝は、わずかばかりの寄進で。ここには博物館もある。明るい気が溢れている。
2024.01.12
コメント(0)
2024/01/10/水曜日/光が少しずつ戻る12/30 チェンライ街中橋の街頭も異国情緒を灯す。夕方6時ごろだろうか。日本との時差は2時間だけど日は長い。ホテルに戻り、ホテルのレストランで夕飯をさくっと。ティンさんも一緒に。味はまあまあなんだけど、スタッフが少ないとかで、やたらと時間がかかった。この後マーケットの場所まで送ってもらう。ティンさんは7時までの契約で、また明日ドライブ。ところがまぁ、すごいひとひとひと。車はなかなか進まない。↑タイでも人気、タイ式たこ焼き。食べたいけれど、夕飯を済ませてしまったのだった。試しに食べたのは昆虫!生まれて初めて食べまする〜 流石に手足はボロボロこぼして胴体だけにしてトライ。意外にクリーミーで美味しいかも。でも袋詰めで買うのは控えた。↑タイ式スシ?うむむ。人気のようで良く売れていた。↓右の細い棒のようなお菓子?ちまきみたいなものかなぁ。後で半分こしようと言いながら、次男夫婦の部屋に行ってしまい、食べ損ねる。しくしく。↓マーケットの中ほどに、お花が豪勢に飾られたエリアがあった。中まで立ち寄れず。この辺りから、ぐっと日用品、普段使いなお店が並ぶ。とても広大なマーケットなので、ただ歩いて眺めるだけでも随分時間がかかる。全体の三分の一も回れない内に店仕舞いを始めるブースも。聞くとチェンマイのマーケットを凌ぐ大きさらしい。↓雑貨や衣料品は特に目を引くものはなかったけれど、少し上質のTシャツがあったのでそれをお土産に。また一つ、竹で編んだ素晴らしいお茶入れが後ろ髪を引く。旅先でのモノコトヒトは一期一会なんだけど。さて、夜もふけてまいりました。憧れ?のトゥクトゥクに乗り、今宵一夜の宿へリターンタイは元気だ。若い人も多い。そしてみな楽しんで暮らしているように見える。
2024.01.11
コメント(0)
2024/01/10/水曜日/程よく良い天気12/30 チェンライ県にてカレン族のテリトリーの出口ではアカ族の女性が機織り中。↓画像のアカ族は正装らしく、さすがに普段の暮らしは上の左のような姿。犬をよく見かける。みんなで飼ってるのかな?タイでは犬はたいてい寝ていることが多い。大人しい。仮そめの住まいでも家の周りを植栽して、きれいに清掃されている。遠くの方から笛や太鼓の音が聞こえる。どうやら舞踊を始めるらしい。お年寄りの方ばかりだけど、その身体にはその部族の文化、芸術、振る舞いがその年月の分染み込んでいるのだから何となく有り難さも増す。真ん中の白い頭の男性が、いわばコンサートマスターみたいな雰囲気で、民俗芸能を大切に伝承している雰囲気がこちらにも伝わる。強要されるわけではないけど、ドネーションの入れ物が柱に付けられているので、ここは奮発してドネーションしたい。お金を入れると、みんなが明るい顔で大きな声でお礼をのべてくれる。どこまでも明るく対等な感覚が好ましい。↓なんて美しい風景だろう。背中の男性は私たちがうろうろしている間、ひたすらこの赤いたちを掃いていた。おかげでテリトリー全体に清潔な空気が流れている。昔からの知り合いみたいに、こちらにすっと入って来て舞踊を見せてくれ、私たちも踊れという。輪の中には93歳の女性がいて、彼女は毎朝薪を割るそうだ。小柄で痩せていてしなやかで屈強だ。思わずハグする!日も翳り始め、村ともそろそろお別れ。沢山の人が訪れて、ここでプロダクトを買って欲しいなあ。村の佇まいはどことなく懐かしい。
2024.01.10
コメント(0)
2024/01/08/月曜日/好天 白い不思議の寺から車で40分ほど北上して山岳民族の村の見学をする。↓入場料は日本円で1280円くらい。これが彼らの生活を支えてもいる。アカ族、ヤオ族、ラフ族、カレン首長族、カヤ族と案内が見られる。Googleではカレン族村となっているけれど。確かにスペース配分としてはカレン族が大きいけれど。入り口からは森の中、階段を下る。左側に抜け道みたいな道があり、そちらへショートカットすると、カレン族のテリトリーに入った。カレン族の彼らは他の部族と違い、はっきりミャンマーに属する人びとだ。コロナの時は観光客が来ず実入がないため、ミャンマーに帰国したのだとか。今再びここで生活文化を紹介しながらプロダクトを売る小さな店を構えている。地機を織ってスカーフやテーブルセンターなどを作っている。それ以外はミャンマーから持ち運んだお土産物だという。スカーフを幾つか買う。彼らの生計になるのだから。カレン族の美しい女性。美しいメイク。素朴な暮らしを見るのが大好きなのだ。文化人類学の勉強をすればよかったと今更ながら思う。高校時代には思いつかない学問だったなあ。彼らはここで生活もしている。誠実で正直な雰囲気を持っている。穏やかな暮らしを慈しんでいるような。撮影フィーはフリー。男性の姿は無い。 ミャンマーで働いているのだろうか。年をとるほどに首は長くなる。そうなると首の金属重量は5kgを超えるらしい。うわー肩凝り族の私はとてもムリである。この首輪が撮影用に用意されている。女性だけが着用するものだけど、男性も撮影していた。一説では、山で虎などに襲われる時、首の動脈などに噛みつく事が多く、これを防ぐために始まったという。↓美しい色合いのスカーフカレン族のテリトリーは広いので、いきなり買い始めず、ゆっくり眺めてお気に入りを探すのがよい。二つと同じ色合いは無い。道を辿って行くと、広場らしい所に村の学校があった。だの民族の少女だろうか。放課後らしい学校の前で、ノートに英語の文字を書いていた。この少女が大人になって活躍する頃、世界は今よりずっとずっと美しくなっているよう、願わずにいられない。
2024.01.08
コメント(0)
2024/01/08/月曜日/気持ちよく晴れるパイ屋さんを出て車は30分ほどで異形の寺ワットローンクンへ。このお寺は僧侶がいるわけではない。一人の、タイの人間国宝みたいなアーティストが自分の手で作り上げているらしい。地獄門の入り口の橋を渡り、極楽イメージの天上世界へ渡る。白一色、眩しい、暑い、ひとひとひと、の世界。タイ版恐山。タイのお寺や博物館、観光地にはパンフレットが今までのところ無い。それで規模がよくわからないけれど、これから仕上りを待つお堂がいくつある。件の芸術家は死ぬまで作り続け、未完に終わるか、志を継いで、サクラダファミリアになるのか。お坊さんも観光か、楽しんでいる。左の建物は深い泉が作られていて、真ん中の台に投げ銭が乗ると願いが叶う。投げるポジションは自分の干支の位置から。何と、私の1円玉が乗っかる。投げる前に願いを唱えるのだがささやかな祈りで、もはや忘れているという。タイのお寺には生まれの曜日の仏様に油を注ぐ、というお参りもある。左。芸術家の作品 など案内が別棟で見られる。このお寺というかワンダーランドというか、施設にはタイ人以外は入場料が必要。施設を出ると山岳小数民族の村が近いことを伝えるようなショッピングモールが。あまりの暑さ、日差しの強さにスムージー。
2024.01.08
コメント(0)
2024/01/07/日曜日/午後から曇る12/29 チェンマイの朝は上着が必要なくらい。日本からやって来ると過ごしやすい。ドライバーのティンさんの運転でチェンライ、タイ北部へと向かう。タイは田舎の道でも車が多く混雑している。ガスステーションにはコンビニやテイクアウトのタイ食、果てはロトなんかも売っていた。↑タイの人がよく食べるらしい、焼きトンの甘だれ風と餅米。それぞれビニール袋入り。快適なトイレもあるので、2時間毎には立ち寄ってくれる。といっても、途中渋滞があったが、お昼にはチェンライのリゾート地で人気らしい、ティンさんおすすめの、スアンチャンリゾートパイでランチを摂る。アクセスの道が分かりづらいので、知ってるティンさんも間違えたくらい。現地では人気らしい。レストランからの風景が素晴らしい。川には日本で見たことのない、樹木の種がたんぽぽか蝶のように白く吹雪ながら舞っていた。元々がパイ屋さん。ご飯はタイカレーが数種類、シンプル。タイでは飲み物はミネラルウォーターを頼む人が多い。カレー用の辛めスパイスドレッシングは、そこまで辛くない。チーズのパイ、チーズはリッチ、甘味がやや強いけど思ったよりいけました。学生時代に訪れたカトマンズのやたらめったらのパイ屋さんを思い出す。ハシシを求め欧州から流れ着いた若い人たちが、パイだけは捨てられなかったのかな?↓パイ屋さんにあった地図さて、車は更に北上へ。タイの地図のてっぺんの方へ。
2024.01.07
コメント(0)
2024/01/06/土曜日/これは冬?という暖かさ12/28 夜7時スタートの舞踊を楽しみながらチェンマイ料理をいただくプラン↓オールドチェンマイ文化センター旧市街のホテルから2.2キロほどの距離、わたし一人なら断然歩くのだけれど家族がいるので車で。歩かないと旅の面白さの殆どが奪われるような気がするのは私だけ?周囲は薄暗いため、勝手が分からないとまごつきそう。英語で表記されているとはいえ、見落としそうなウェルカムドリンク。新婚旅行も未だな息子夫婦との共旅のおかげでいただけた。年はとってみるものです。民族衣装やハンドクラフト、民族舞踊が好きで機会があればそれに出会いたいと願っている。会場に入った時には既に満席状態で、最後部のテーブル席だった。欧米系が7割、日本人は私たちだけ、みたいな印象。あとは東南アジアや地元の人かな。ここではランナー王国地方の郷土料理、お代わりあり。を頂きながらの音楽、舞踊、剣と火の舞など。ランナー料理は台湾のウーライで食べた山岳民族料理を思い出すような味。タイ北部、チェンマイの踊りはバンコクと比較するとゆっくりしているとのこと。言葉も振る舞いも人当たりものんびりしているので、バンコクの人もこの地方で癒されるのだとか。獅子舞が客席を回り、口に投げ銭するのは日本の懐かしいお正月さながら。↑ツレが投げ銭中これは、でも獅子ではない。牛かな?馬かな?8時半ごろのフィナーレでは、銘々好きな人がステージに上がり、タイ舞踊を真似て輪になり踊る。もちろん私も参加(^^)
2024.01.06
コメント(0)
2024/01/05/金曜日/温かい夕方12/28 ドーイステープを下りて来たら丁度お日さまが湖向こうの山に沈みそうなので、湖畔で一休み。この湖はキャンパスの中にある。なんて広大な敷地。タイは大学進学率100%と聞いたけれど、実際のところはどうなのだろう。画像では人が余り写ってないけれど、それはそれは沢山の市民、特に若い人でいっぱい。↓ワンちゃんが上手にお水を呑む。大学キャンパスを観光客にもオープンにしたら、コロナ前の中国人観光ラッシュの時に授業中の教室にも押しかけて今は建物内には入らないとか何とか。中国人は逞しい。↓宝物、ではなく貨幣博物館チェンマイ市内で通りかかった博物館は入場フィー無料なのに私たちだけ。新しく清潔な建物なので、お手洗い利用にも良いかも。マスク着用を求められます。↑デザイン力高め。私の好むところに近い。↓貨幣の歴史が学べる。貨幣の歴史が学べるだけでなく、別棟の小さなスペースには、少数民族の民芸品展示も。江戸時代前頃から?お茶人のエキゾチックな茶器の収集は、この地方まで及んでいた。↑今のタトゥーとは異なる。デザインではなく信仰心とか祈りに近い印象。紋様の連なりはイスラム世界のデザインのようでもある。↑ぽんぽん飾りが愛らしい。女性を花のように飾る文化が好ましい。
2024.01.05
コメント(0)
2024/01/05/金曜日/仕事始まりは晴れ12/27 ホテルで予約してもらおうとした makkhahealthandspa.com マカーというスパ。実は翌日もトライしたが2日続けてブッキングフル。このスパは何日か前には予約した方が良さそう。ホテルとは目と鼻の先で、オールドタウン内なんだけど。2番手希望のthehomemassageandspa.comザ ホーム はすぐ予約が取れる。これはオールドタウン外で東南角方向にある。ホテルとスパの送迎車含む。甘いお茶を頂きながら面談、タイの古式マッサージ全身90分コースを選択する。ここの価格設定は良心的とのことを後から教えてもらう。高くない印象だった。現金ならばカード払いの手数料分を引いてくれる。さて、古式マッサージは2種類の塗布剤を選べるらしい。タイガーバームはすぐ理解できたのだけれど、もう一つの説明が私の英語力では理解できない。イリーガル、ジャパンなどが聞こえるのできちんと把握したい。面談者はソフトなお兄さん。分からなくてもスマホの日本語翻訳で、それが大麻由来のCBDオイルであると知る。東南アジアでタイが初めて大麻を合法化して以来瞬く間に依存者が増加して社会問題になっていることを当地に来て初めて知った。コンビニで普通に買えるものも。それと知らずに買ってしまうこともあるらしく、よほど気をつけないと日本で見つかればパスポートが持てなくなる。スパ風に脚を丁寧に洗ってもらうところからスタート。上のフロアに移動し、夫婦並んで施術。強く感じたらノックノックと声を掛けるらしい。私は、ミドルを選んだけど脚部はもう少し強くして、と伝えた。90分はあっという間、施術後は身体が軽くなり、それに伴い気持ちもさっぱりする。タイでチップは求められないけれど、気持ちの良い女性ドライバーの方だったので100バーツを。
2024.01.05
コメント(0)
2024/01/03/水曜日/バンコクも早朝は上着12/28↓村の駐車場に着いたところモン族の人びとが集まって暮らす村が、ドーイステープ西側山麓にある。↓このゲートをくぐると民芸品のお土産もの屋さんがずらりと迷路のように枝分かれしながら山に沿って登りながら続く。かつては王国を築き、その文化が古いタイの人びとに影響を与えたそうだが、今は昔。↓ゲートから入って少し奥の左側の食堂でランチ、カオソーイ。窓からは学校が見える。しかしながら、手仕事の精妙な仕上がりに幾何学的妙を覚える。昔の手仕事を愛する私にはたいへん魅力的な村だ。ここで今回旅のお土産をほぼ買う。民族衣装のスカート12000バーツ、編みカゴ300バーツ、ヘーゼルナッツやドライフルーツなど。チェンマイのお寺界隈の出店の半額から3分の1くらいの値段。ただし街の方がより洗練され、良いデザインがあったかな。↓モン族の長のような方が個人で作った素朴な民族博物館。やはり、展示されていた古い手仕事がはるかに美しい。残念なことに、これしか展示がない。東北のコギンザシのような味わい。良いものは公共の博物館や好事家の手に殆ど渡ってしまったのだろう。↓小さな博物館を抜けると、山に向かって天上の花園、なるほど所々にはケシも見ゆる。タイでは2年前に法的に許されているらしいが、一般のタイ人大人はアンビリバボーと受け取ってるとか。↓チェンマイのブティックで見かけたやばいスーツ花園の中を歩いて少し登ると上にステキなカフェモン族の人たちはケシからコーヒーの栽培に切り替えた。このお店はそんなムーブメントの開拓者らしく、自家焙煎のコーナーもある。美しく歳を重ねたモン族のオーナーマダムがカウンターでコーヒーを淹れてくれます。トイレはタイ式。ペーパーは流さずゴミ入れへ。脇のお水を柄杓で掬い流す。山奥だけど清潔。20バーツの代金が必要。カフェから下ると子どもたちが山の水を溜めているため池で遊んでいる。小さな魚をすくっていた。案外深いらしい。↓対面には村の人たちがカフェでビールを飲みながらのんびりおしゃべりをしている。年代もまちまち。子どもらを花園と一緒に眺めながら。ちゃんと大人の目が届いているのだ。なーんかゆたかだなあ。ショップにいる人たちは何かしら手を動かしている。刺繍の衣類は、自分のお店のものは自分で作っているお店が多いようだ。↑真ん中カゴの写真、一番手前下のを買った。お土産にも二つ色違いで。イスラムの少女は珍しい。とても可愛い。かつて刺繍した布のプリントの布なども。一つ一つゆっくり見ていくと3時間以上はかかりそう。同じものを扱っているようで微妙に違う。
2024.01.03
コメント(0)
全28件 (28件中 1-28件目)
1