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2024/04/30/火曜日/雨のち晴れ間3月のニット教室は久しぶりのブリオッシュ編みしかも作品作る系とは嬉しい。↓この模様の左は編んだことがある。右は挑戦したことはある。こんなレベルの私め。3月お教室で習った後、今月1日からひたすら挑戦しているのが、右より複雑なブリオッシュレース編みのスカーフ。↓この状態で編んでは解くこと日に10回ではきかない。何でこんなに間違うのか?イタリアンキャストオンばかり上達T^Tというのも、二本の糸をそれぞれ独立で編み、かつ斜めの絵柄なので、間違えた所まで戻るのもややこしく、えいやっと始めまだ戻ることに。少しばかり、過ちを記録しておく。↓涙の5日目くらいにはおや、いけるの?私。広げて見るとなに、ここ、なのだった。この製作はフリー、先生曰く彼女の初期頃発表の作品だから、丁寧に説明されているとか。英語の文字、省略形をひたすら目で追う内に眠りの魔法はかかる。あらぬ方向に編み進むを繰り返し、とうとう同じミスを犯していることに気がついた。そこで製図説明書を自分なりに調整して、一目を作るところを省略、その目に二目入れる、戦法に切り替えた。そしてシンメトリーな法則を最優先で編んだ。ようやくブリオッシュレースの中では比較的シンプルなこの模様編みが自分のものになりつつあることを実感T^Tそれでも途中に何回か編みほどいてやり直したけれども、始めまで戻らずリカバリーできた。4月のお教室では、殆ど完成品を先生に見ていただけた((o(^∇^)o))寒くなるのが待ち遠しいなあ、しみじみ。
2024.04.30
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2024/04/29/月曜日/八ヶ岳は薄曇り同じ神奈川県なのに、ウチからは本当に遠く感じる電車三本乗り換えの1時間30分。それが元町・中華街駅が最寄りの近代文学館そんなわけで近代文学館では興味深い催しがあっても腰が重い。しかしながら、今、絶賛積ん読中の橋本治の回顧展が開かれていて、彼の編み物も展示中。しかも前期後期で若干入れ替えがあるというではないか。むりくり時間を拵えた。爽やかな晴れ間、港の見える丘公園を散歩しながら海風を感じお散歩を楽しめるのも一興と。橋本治はたまたま今読書中でもあった。一番の楽しみはやはり彼の編み物。残念ながら撮影ができない。これ、近代文学館の方はちょっと考え直してほしいなあ。彼の作品は基本が編み込みで、その緻密な色彩配分にあり。やはり桜のカーディガンに目を奪われた。ところで橋本治が影響を受けた作家2名、久生十蘭と有吉佐和子、との紹介である。有吉さんとは交流があり、千羽鶴?鶴?のセーターをプレゼントする口約束をしていたらしい。突然の有吉さんの訃報の後、セーターは編み上げられ、親族の方に贈られた。義理堅いのである。真面目に遊べる人である。駒場祭ポスターデザインで一躍有名になったように、彼の仕事のスタートはデザインだったのだなあ。ポスターは着れないが、セーターなら着られる。これが編み物開始のきっかけという。沢田研二ステージに衝撃を受け、突発的に編んだ作品が素晴らしいできだった。丘を南に下りて、李園でエビそばを食べ、再び港の見える丘公園沿いに駅に戻る。日本的な味付けの町中華。人気店、うむ旨し。横浜雙葉を通り過ぎたところに素敵な住宅を見て、ベーリック・ホールだけ早足で見学。弘前でもこれと似たサンルームの洋館があり、そこでアップルパイを食べたなぁ。子ども室らしい演出が施されている。ここが一時期学生寮になっていたとは!しかしどんな具合に部屋を分割したのだろう。パタパタと次の集会所でバナー作り。私の持分は き の文字。チチアガールをイメージして、とりあえず作りあげました〜これは政治的手芸部のフラッグに。
2024.04.29
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2024/04/27/土曜日/曇り、涼しく過ごしやすい先週土曜日、日比谷の楽器店が持つ小さなホールでフォルテピアノとバイオリンの演奏を知人と聞く。ソナタ演奏の順番が4.3.5になっているのは、3が難曲なので、先ず手馴しのためにハモりやすい4を先にした、ということ。ただ、バイオリニストの尾池さんは弾けば弾くほどこれをベートーヴェンらしい名曲と感じられたそうだ。私にはその辺り、よく掴めない。お若い明日香さんより更にお若い尾池さんだけれど、既に輝かしいキャリアをお待ちだ。ベートーヴェンの時代、ピアノはチェンバロからフォルテピアノへ、そして現代の形へと激しく変容していた。それに比してバイオリン本体は楽器としてほぼ完成しており、弓だけその材料や反りの形が変化したのだという。明日香さんはフォルテピアノを欧州で学んだ実力派。その演奏に若く才能豊かな尾池さんが、弓の持ち位置を変えながら歌いあげる。フォルテピアノはFから始まりFで鍵盤が終わるとか。そしてベートーヴェンの勝負曲はFdurだよねー、という二人の掛け合いも面白く。最後の春、の演奏になりました。3番などは非常に心理的な響きを感じ、第3楽章で二人の演奏が溶け合う一瞬を覚えた。タイトル春が付いている5番はバイオリンからすると、2度のあまりの連続がちょっと不気味な印象を持ってしまうのだとか。ピアノと共に聞くとその印象は薄れる。
2024.04.27
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2024/04/26/金曜日/西へ東へ南へ花粉多少〈DATA〉出版社 芸術新聞社著者 平山周吉2015年4月20日 初版第1刷発行〈私的読書メーター〉〈本タイトルは意外にも物議を醸す現代アーティスト会田誠の展覧会から。彼の作品に藤田のアッツ島玉砕を読み重ね、過日著者が向き合ったその絵の背景を縦横に追う。編集者由来の執念を覚える。閑話休題、会田誠は社会学教授実父を疎い、父三島由紀夫、祖父小林秀雄を仮想しているとか、笑う所か呆ける所か揺れる。藤田の揺れ方もそのサービス精神においては三島同等か。しかしアッツ島を観た刹那、私はこれを反戦画であると直感したしゲルニカにはこんな動揺を持たなかったことを思い出す。岡本太郎には自身の同心円拡大芸術の一つのカタチを見る。〉我が市の図書館にはこの本の所蔵がない。ふん、何が平和都市宣言か。選書会議をまともに持てるほどの人材もおらぬかと毒づきたくもなる。したがって随分待った上に2週間ポッキリで返却せねばならぬ。中5日は旅行で不在。同じ著者による小津安二郎の本だと全然間に合わなかっただろうが、これは比較的早読みが可能だった。また、私の関心の寄せる分野でもあった。藤田嗣治は、現地に行かず、というより現実的には行けずに取材や写真を通してアッツ島玉砕を描いたのである。しかしその絵が現実と同じ力を持って戦争の悲惨な痛哭を観るものに訴え来るのだ。この絵は絵以上なものである、と直感した著者がその絵の根源を探っていく、そんな本である。本書にはアッツ島で玉砕した一兵卒と部隊長の実例が詳細に取り上げられている。花巻出身で帝大を繰り上げ卒業した太宰治の弟子にして詩人、三田循司の父が10年後、アッツ島に骨をかひろいに行く章の、父の哀切。部隊長山崎保代の境涯も涙無くして読むことはできない。このご家族のもつ、日本人とは何かを語りうる佇まいは、もはや令和の世で見つけることは無いだろう。 私たちが平和で民主的であろうとして失ったものも確かに存在するのだ、という事実は相当苦しい。 藤田の父は森鴎外の後任として陸軍医総監になった人物で、息子から画家になりたいと聞くと森鴎外に相談した。そんな環境で育った彼は親類縁者から戦局の機密も漏れ聞いたことが想像されるのだ。まして欧米に芸術家として受け入れられ、世界的視野をもつ藤田は、あれだけの戦争ゆえに転倒したとはいえ、その芯の芯は近代を凌駕しているように思われる。花々。北限の、短い夏を命を燃やし咲くアッツ島の花藤田が観想でとらえ、杉山吉良が歳月を超えフィルムに捉えた花の姿そこに托されたのが著者の、藤田アッツ島玉砕という戦争画への祈りでもあるのではないか。ところで、ここでも小林秀雄である。平山周吉氏は、大叔父小林秀雄と仮定かな?かなりな敬愛ぶりだ。同時に読んでいる橋本治と同じ引用を見つけたが、私もこの小林秀雄の啖呵にはしびれる。「僕は無智だから反省しない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか天皇制の問題も単なる政治問題ではないでしょう。それは単なる政治的判断ではないからだ。日本国民という有機体の個性です。生きている個性です。不合理だからやめるというわけには参らぬ。個人でも強い人間は飽くまでも天賦を生かして行くでしょう。短所欠点さえ美点に変じて生かすでしょう。偉い人は皆そういうことをやっている。日本国民がもし強いなら、天皇制を生かすでしょう。」平山周吉は『小津安二郎』から2冊目この人の日本人へのアプローチが好きだ。しかし、この人には蒋介石を書いてもらいたい。蒋介石を通して日本人を見る。なんて。
2024.04.26
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2024/04/26/金曜日/春の日の芽吹き4/15 ようやく巡り会えたお茶やさん◼️プロローグ前々回だったかの台湾訪問は阿里山で過ごした。そこへのアクセスは嘉儀市で現地ツアー申込みの上、マイクロバスでうねうねと手入れされた茶畑を上り詰めて行った記憶がある。後からホテルの往復バスが嘉儀と高雄から利用できることを知ったのだった。統治時代に建てられたクラシックなホテルには蒋介石とその妻、宋美齢の資料展示室もあった。日米戦争の真の立役者は宋美齢では?と思わされる内容をそこで知った。彼女は客家の出身だが、9歳での米国留学を考えれば精神構造は米国人である。米国芸能界や報道、ホワイトハウスへの働きかけなどの手法を知ると単なる令嬢ではない。稀有なロビーストである。おっと、お茶から遠く離れてしまった。さて、その折に求めた高山茶が無くなり、前回訪問の2020年2月には知人が教えてくれた茗心坊で幾つかのお茶を買った。残念なことにその日ご当主は不在で、留守番のお客さんの対応だった。そのお客店長がやたらとお茶の投資を勧める。お茶のビンテージはシンガポールや上海のオークションで高く落札されるのだとか。お茶はお店がキープするそうで、日本人名の書かれた壺を幾つか見たけれど、そんな景気が今、大陸にあるのかしらん、とコロナを挟んで思う。日本人を応援したい彼が親切で言ってくれたとはいえ、お茶を投資と考えるのはいかがなものか。茗心坊の独特な焙煎発酵で臭みのないプーアール茶と阿里山茶、小梨山茶がまだ少し手元にある。後者二つは香り高く美味しい。それがお茶の全てだ。と思っていた。◼️興華名茶しかし、良いお茶はよい人をも育てる、そんなことも学んだ、今回のお茶体験。オーガニック、お茶などのキーワードでお茶やさんを探すと、乗り降りしている東門駅のお茶やさんがヒットした。お店に入ると直ぐに先客と私に小さな紙コップでお茶が出された。ご主人に挨拶して、陳列されているお茶の試飲ができるか尋ねると一瞬の間の後、構わないという。後から知ったが試飲一人500元と案内が出ていた。どんなお茶が好きか、と尋ねられ高山茶、でも東方美人茶も好きだなんぞと返答し、何年か前に阿里山で美味しいお茶を飲んだ、と伝えると阿里山茶を出してくれた。◼️台湾茶の淹れ方↑興華名茶のパンフレットから茶壺←急須茶海←急須のお茶は一旦ここで受けて聞香杯に配ら れる。湯冷し、片口の形態聞香杯←筒型の小さな湯呑み茶杯←茶碗小さい筒形の茶碗に入れてくれる。それを平たい小さな茶碗に自分で移す。初めの茶碗で残り香を聞くのである。平たい方では色を見る。2杯目の時、急須の茶葉を茶匙で優しく天地替えみたいな作業をしている。それは何かと尋ねると茶葉に空気を触れさせているのだとか。3杯、4杯、味は力強くなってくる。5杯目くらいがピークで7杯ではカタンとばかり弱くなる。お茶を楽しみながら、四代目ご当主の台湾茶の講義が延々と始まる。お茶のバイオダイナミクスについて。農薬と消毒薬、化学肥料の問題について。モンサント社のことまで話が及ぶ。もちろん日本語である。或いは喫茶の哲学について。うちの店のお客さんは夜、夫婦で静かにお茶を愉しむ、本を読み音楽を聴く。そんな時間を持てるのがお茶なのだ。お茶は瞑想だ、ともいう。本物のお茶を飲むと身体は忘れない。脳の感覚が開く、というようなことを説明してくれる。ときどき私のお茶体験について質問をする。そんな話をしている内に特別なお茶の試飲をしてくれるというではないか。茶館に向かったツレに急遽電話して、そちらをキャンセルしてこのお茶やさんに至急来るよう伝える。何処の茶館?何で茶館?と聞かれて、ツレはその雰囲気が好きなようだと応える私。ご当主のお茶好きな知合いは、見晴らしの良い所でお茶を楽しみたいとき九份の茶館に行く。お茶は自前で、お湯だけ貰う?買う?のだとか。あんな観光地に美味しいお茶はない、という。なるほど。観光客=私、の知らないことだらけだ。先ほどの阿里山茶は花の香り。色は蜂蜜。私の薔薇ピローと似た香りだと帰宅後感じた。ご当主が直接管理している茶園は阿里山と梨山にあるという。梨山の茶園は高度2300m。雪は降らないとのこと。寒暖差が大切。日が昇る頃、霧が立ち込めその霧にはお茶の香りが漂うのだという。見せてくれた茶園の動画には鳥の鳴き声も聞こえ、まさに深山。お茶はこの高山の土のミネラル、草、花、熟した実、と杯を重なる毎に変化するのだと教えてくれる。確かに梨山茶は香りも味も阿里山茶の変化とは次元が違う。お茶の中に大自然が映り込んでいる。梨山のお茶の色は翡翠のよう。香りは深山とでも言うのか。香りと味の境界がないような、渾然一体の深山の体験、とでもいうのか。味の言葉の表現が追いつかない、とでも言うべきか。とにかく体験、体感するしかない。ということを知った。お茶がパワフルな時に感じる渋みは、これが甘さの元であることが分かる。間に呑んだお水がびっくりの甘さ。うーん、これが自然。ポリフェノールやタンニンに転じる土、虫、樹木、雨、風、太陽人間が沢山入り込むような茶園ではよいお茶は育たない。土がダメになる、汚れる、というようなことも言う。彼の梨山の茶園の堆肥は大豆だそうだ。発酵させているのだろうか。大型トラック一台分で120万元⁉︎←聞き間違いかも←だから店で売ってるお茶の価格は割に合わないとか。阿里山の茶園の堆肥は大豆ガラ、高度も自然環境も梨山とは違う。まあ価格が順当に反映している。ご当主のお茶の話には一切うそがない、と私は感じた。日本の水は軟水だが台湾の水はどうか?お茶には水が重要なのだ、こんな会話が弾むお茶やさんに出会えたことが今回の台湾訪問の最大の喜び。喜びはごく近い所にあったのだ。廃棄する茶葉はどうするのか聞くと、有機栽培の茶葉は政府?市?が回収して堆肥にするのだとか。そんな循環が組織化されている台湾、市民自治と公共がうまく噛み合い、羨ましい。私たちは阿里山茶と梨山茶を購入した。どちらもそれぞれのミドルクラス。このお茶やさんに私は何度も戻って行くだろう。渡りの鳥のように。
2024.04.26
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2024/04/24/水曜日/終日こぬか雨4/15 旅も4日目、明日は空港本日は月曜日。一日を猫空予定でいたらロープウェイが月曜日はお休み、もちろん美術館なども。それで三箇所目のお寺を訪問することに。行天宮 今までの観光客も信者もごった返すような寺の雰囲気とは少し違うのは朝早めの訪問ゆえか。↑手水がある。心を洗い、心に問いなさい、とある。お静かに、みたいなプラカードを掲げた人や、お寺参拝の正しいやり方を教えてくれる奉仕者の方が沢山いた。みな真剣に祈願していた。気持ちの落ち着く廟だ。元々は関羽を祀る廟で、財産家が寄進して建立したのだとか。宗教としては台湾道教といわれる。商売の神様でもある。↓これなんかは道教的?タオイズム龍山寺では占いの仕方の勉強不足だったので、今度こそと予習して出かけたら、こちらはコロナの名残で未だ封鎖中だった。明後日くらいから再開らしいT^Tお守りが頂けると聞いて建物に入ると日本人なら奥の女性に尋ねなさい、とのこと。彼女は流暢に日本語を話し、お守りを私に下さり、お守りの言葉を唱えながら祈願しなさい、と仰る。無料だという。ありがとうございますと謝意を伝えると、また来なさい、とのこと。はい!やはり正しく占いをしないと(´∀`*)↓交差点地下の通路にびっしりブースがあった。有名な廟やお寺の界隈には占いのブースが沢山並んでいる。2度も占いが不発なので、占いついでにこの近所で人気の占い師さんの所に行ってみた。私が訪ねたのはこちら。先客がいて、外の椅子に腰掛け待つ。日本語が達者で日本人に人気らしい。出て来られた方も日本人親子だった。マスコミにも随分登場している様子。こちらの先生は毎年日本までも出張されていて、当たると評判。15分で3つの手法による占いで1300元。え、かなりお高めなんですけど。これが相場なんだろうか。特に占ってほしい切実感なくふらふらやって来てしまった。まあ仕事の事や、さほど長くはない将来のことなど尋ねる。本当は聞きたいことをちゃんとメモして時間を有効に使うのが良い。名前の字画、生年月日、米粒占いが用いられた。アドバイスをいくつか頂く。宿曜占星術や四柱推命でみてもらったラッキーナンバーとカラーが同じ。細々と考えたり妄想せず、とにかく好きなこと楽しいことを何でもやりなさい、ですと!聞いたか、ツレよ。そのように生きさせて頂きますと力強く頷く。先生はさっぱりしていて好感の持てる方でした。↓先生から頂いた春節に売られる運気アップのお菓子!これ普通に美味しいゼリーみたい。おまけに商売繁盛のお守り占いの後はマッサージ。鉄板な台湾でございます。肩凝りからくる腰のモヤモヤを解してもらう。オーナーは日本人。台湾で生きるためのあれこれをレクチャーしてくれたりして興味深い。時間がなければそれなりなアラカルト対応もしてくれます。日本語が通じるのはやっぱり嬉しい。何だか本日午前はみなさまにお世話をやいて頂きました。ありがとうございました。ランチは昨日の持ち帰りフードを捨てたくない!ということで、東門市場の反対側に広がるエリアでお惣菜やご飯をテイクアウトしてホテルの朝ごはんの食堂←24時間、自由に使える、コーヒー、お湯あり←で食べる。ワサワサと残り物が片付いて主婦的満足度高し。
2024.04.24
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2024/04/23/火曜日/寒さを感じた曇り4/14 午後と夕ご飯の過ごし方さささと周囲を偵察するとノレン?にAKAcafeとある。おやびん、見つけましてござる。こんな奥まった所にいかがわしいとも思えぬキャフェバァとやら。 うむ。ここでよか。てなわけで、入店。細い路地を入る。お店の人はあまり関心を向けてくれぬが、先客と思しき人が2組ばかり。声をかけると予約されてますか?とのこと。ここは基本予約らしい!そうなの⁈でも幸運なことに、隅のテーブルをあてがわれました、親分。席に着きましたら。入店してびっくりな、良き時代の古い洋館。新建材とは全く違う空気の中でゆっくりコーヒーを啜る。予め連絡しておくと超人気で予約の取れないお店のにゅうろう麺も頂けるらしい。それ相当なお値段かと。値段以外は私のツボなカフェである。どうやらここで半日のんびり過ごす人もいるらしい。これでは予約必至である。2階はスペシャルなことで使うらしいけれどそれ以外は見学できる。細長い廊下の左右に、リノベ以前のこの洋館のモノクロ写真が並んでいる。オーナーは台湾の方で、働いている人数名の、私たち対応組は日本の方。アジアでは今やこうなのか。奥まった所から見る油化街の内側は案外バタくさい中華の風情が漂う。おやびん、もといツレとはここで別れて私は国立博物館と中正紀年堂の見学を目指す。かれこれ5.6回は来ている台湾なのにその二つを訪ねていない。実は故宮美術館も∑(゚Д゚)B級グルメを堪能して市場を冷やかしお茶やコーヒー飲んでぼーとしているだけだった、という。博物館は台北駅南だから駅から歩くつもりでバスに乗る。バスは駅前北側に停車。駅前道路は横断出来ず、地下からアプローチ。台北駅地下のどの出口が最寄りかは分からず。出鱈目に地上に出たらお巡りさんがいるではないか。博物館への行き方を教えてもらう。謝謝。建物は帝冠様式というのか、堂々として、例のクラファン国立博物館にも似る。しかし内部空間はちょっと狭い。係の人にマストシーは何?と訊ねると2階、とのこと。え?なのだがまあとりあえず2階へ。一番関心を引いたのが、台湾の街や村で暮らす様々なルーツをもつ家族の暮らし振りのスライドショーだった。主に2013年前後の、ごく普通の暮らしのスナップ。その10年以上前から大陸の成長を果実として豊かになった台湾の人びとの変化をこの15年ばかりの時間の中に強く感じる。↓天皇、台湾滞在時の銀食器。初日コーヒーブレイクした建物は昭和天皇即位を祝した建物だった。束の間の滞在、ここから公園を抜けて台湾のシンボル、中正紀念堂を目指す。徒歩30分くらい?道路幅が広く、横断待ちもなかなかなのだ。このスケール感は立派、さすが中華文化だなぁ。建物の中にまでは入らず仕舞い。1975年亡くなった、中華民国初代総統である蒋介石の巨大な座像だけ、ちらりと眺める。今回旅では北甫や故宮美術館側の蒋介石邸も予定には入れてたけれど全部パス、というハメに。ここから宿までは徒歩で12分ばかり。街を知るには歩くに限るのだ。ツレ、午睡中昨夜ホテルで予約してもらった享鴨さんへ北京ダックの夕飯に出かける。↓サインが何もなくて戸惑うけれどレストランはここの2階二人前コースを頼んだのだが、これがまあ凄い量で失敗。何しろ残せない性分なので中華は飲茶以外は要注意なのだった。↓付け出しとかビールとかで半分満たされていたらギャルソン風の店員さんが私たち胃の小さな日本人向けにアラカルト対応をしてくれようとするのだけど、お互いカタコトの英語な訳で上手く伝わらず、結局コースにしたのだった。↓まあ、これの半身だしねえ、余裕。↓皮が美味しい!生姜もっと欲しいええ⁈チョイスの4品の量、半端ない!熱々の大根餅の揚げ炒め、とても美味しいが二つ食べると鴨肉が入らぬ〜ツレは何としてもお粥=ご飯は残せぬ、とビール腹にかき込む。殆ど罰ゲームのようなディナーである。二品は持ち帰りにしてもらう。もし次回行くことになったら、時間をとってメニューをながめ、断然アラカルトである。
2024.04.23
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2024/04/21/日曜日/薔薇2本植樹、レオの夢みる4/14 旅も3日目朝一番で台北植物園に出かける。3日目も曇天で、思ったほどには暑くない。バスに乗って植物園みなみ口から入る。こちらが正門の様子。台北はそんなに大きくない都市だけど、緑が豊富で道路が広い。↑木の根?菩提樹の仲間かな?都市計画に基づいた姿と、庶民的な活気のある市場がちゃんと立派に活躍している姿。そのバランスがよい。スクーターでもあれば、直ぐにお気に入りの場所に行けそう。↑紫の花以外はみな月桃の仲間公園の大きさに比して随分大きな蓮池がある。幸運にも蓮が昨日から咲き始めたらしい。アマチュアがプロか、頗る本格的なカメラを携えている。花を眺めれば、そこだけ天上である。これは、一体どうした花ぞ。桜、薔薇、蓮しかし、こんな花も!台湾の方はみなさん大変親切だ。日本語が使える人に今回は以前より多く出会った気がする。そんな方から↑これはバナナの花だと教えてもらった。バナナには芭蕉の名札が。ストリート太極拳先生の姿の、中心の備わった清らかさよ。今日我最美、いいですねえ。蓮もそれはそれは美しいけれど、園の中で今、一番命を燃やしているのは私。目に留めてね、そんな風に呼びかけている地面には金平糖みたいな小さな小さな花が白く光っていた。台湾の植物相や分類学の礎を築き、その発展に貢献したのは日本統治時代。そんな資料がここでも垣間見える。大東亜戦争を平かに省みる必要があるのではないか。日本が100%悪だった訳ではない。小林秀雄や藤田嗣治、山田風太郎の言動にも触れ、そう感じる。あの時代を反省し二度と戦争に与しないために、世界の平和貢献とアメリカからの独立を願う。そして軍隊のない独立国というものは存在しないことも含めて、熟慮と対話ということを考える。台湾という微妙なポジションを保つ場所が私に内省を促す。森林浴とバードウォッチングを楽しんだ。植物園を出たのは北口。ここから地下鉄緑ラインの小南門駅←北口出たのに、駅は南門←がすぐ側にある。これに乗って北門下車し少し北上すると永楽市場、油化街へ出られる。歩行者道路になっていた永楽市場界隈は、若い人や観光客でいっぱい。植物園とは真逆。素の台湾は植物園や朝市にあるのかな。永楽市場は日曜日は半分以上お休み。名物の油飯←台湾チマキ←も食べ損ねたT^T果物店とすごい人気のお寿司屋さんは観光客の長蛇の列。私たちはパパイヤのミルクセーキ70元を頂く。永楽市場の建物の9階には大稻埕戲苑という人形劇を中心とした劇場があり、その使い手に人間国宝指定となった方がいるらしい。この日は休演だけど。8階の展示室は時間内なら、いつでも誰でも無料で楽しめる。人形のための楽器も精工にこしらえられている。指の仕掛けが小動物の骨のようで怖い。人の技がどんどん深みにハマるよう。辻村ジュサブローの人形が蠢く「我こそはたまずさが怨霊〜」の南総里見八犬伝を思い出す。子ども心にも恐ろしく、記憶にこびりついてしまった。江戸は中華文化のトンキンのごたる。↓好きなカシラ三つ館を出ようとすると受付の女性が追いかけて来て、立派な冊子を下さった。人形劇演目あらすじなんかを北京語と英語と日本語で解説するもの。これを無料でとは、台湾は豊かになったことを実感させられる。さて、この界隈の人気な昼ごはん屋さん、共に市場内が休店のため台南料理の度小月で台南に何店舗かあったと思う。海老ロール揚げとたんずーみーふん台南でも海老ロールは人気だったと思う。油化街を行ったり来たりして、お茶屋のピンとくるところはないか、とか。探す。ピンとくる所がなくて、結局は前回も買い物をした爵林堅果坊で一通りお土産を仕込む。お腹もいっぱい、お土産も買った、そこでツレ、コーヒーを所望と宣わるなり。へい、斥候まいりやす。
2024.04.21
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2024/04/19/金曜日/武蔵野丘陵の初夏風4/13 夜 まだ台湾2日目立派なオフィスビルの中に劇場、台湾戯棚 がある。企業メセナなんだろうか。それとも政府の肝煎か。何しろ伝統芸能だ。劇場のフロントには千里眼と順風耳の大きな鬼神像鬼神のように、ようく目と耳を働かせて京劇を堪能しなされ、という計らいかな。エレベーター脇の窓口で予約を告げチケットを貰い、劇場フロアに上がる。エスコートの素晴らしいスタッフは丁寧で、楽しんでほしい気持ちが伝わる。劇場前に様々なアトラクションがあり、これならもっと早く来ても良かった。中国琴の演奏で迎えてくれる。めちゃイケメンなメイクアップアーティストが、腕や首に絵を描いてくれたり、京劇衣装を着ての撮影もあり。顔の隈取りデザイン。それぞれ役向きがあるのだろう。歌舞伎に比べるとパワフル。レスラーの仮面マスクのようでもある。化粧に関心のある人が多い?主役の女優さんが、メークの経過ごとに役の中の人物へと変容するみたい、顔つきが変わる。眠るなんてとんでもなかった。台湾EYES は 観客を楽しませる事に徹した芝居集団。舞台装置はない。壁の、おそらく白蛇伝のシンボルのみ。舞台右奥の演奏陣は充実している。川を渡る舟に揺られる場面など登場人物の呼吸のあった動きや音楽で、その情景を表す。トーンの高い声のミュージカル仕立て。白蛇の精が風光明媚な場所に遊んで、見染めた美しい男に恋をするが、高名な僧侶がこの結婚を怪しみ、男を救い出そうとする。白蛇軍と僧侶軍の闘い場面が見せ場アクロバティックな動きや、舞踏のような武闘にハラハラワクワク、大人も子どもも大喜び白蛇は僧侶に向かい、私は千年の修行を積み、ずっと昔からこの村のものたちの病を治し霊験あらたかだ、などと字幕スーパーでは読める。僧侶の寺は水に沈める寺となりぬ。白蛇に属する水の精の激しい連続バック転がそれを暗示しているかのよう。さて、どちらが勝者かは俄かには分からない。西湖のような、美しい風景に思わず人間以外のものも呼び寄せられるのだろう。異類婚姻譚であり、アニミズムと新興宗教の転換でもあるのだな白蛇伝は様々なバリエーションがあるようだが、日本長編アニメの嚆矢となった作品とも聞く。高いキーも柔らかい中国語で聞くと気にならなかった。動画は撮れないが、画像はOK日本のエンタメも少し見習ってはどうだろうか。
2024.04.19
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2024/04/18/木曜日/昨晩四国南西部で地震4/13 お昼前に駅に着くと、目の前の広い花博公園ではファーマーズマーケットが開催中奥の方は農産物展示販売、前方では何かの催し、プロダクトワークショップ、チャリティーなど。マッサージブースを見つけて思わず立ち寄る。溜まりに溜まった肩凝りを20分1500台湾ドルくらい、の施術所をしてもらう。結構痛い。しかし目や胃に来ていたモヤモヤは時間が過ぎると消えていた。担当してくれたのは屈強なお兄さん、え〜力強いはず?暑さの中、今がシーズンの桑の実ジュースを飲む。虫さんも冷蔵庫上、0の下で休憩中どうやら一村一品運動みたいに、台湾中の特産品が並んでいるらしい。試食するとツイ買ってしまうので、要注意。あーあ、搾菜のお漬物買っちゃったよ。どうするの、手に一杯ぶら下げて。日本では食べたことのないさっぱりとした浅漬けな塩味、美味しい。フレッシュ&ジューシー。花蓮県の少数民族らしきブースで足が止まる。お茶の実?種?から採ったらしい苦味の強い油を勧められて飲んだり肌に塗ったりする。油の味はツレのお気に召さないらしく、苦茶油を用いた石鹸を3つ買うことにした。白、ベージュ、茶の色の濃さが茶油の濃度を表すらしい。真ん中を求める。娘たちへのお土産。そんなこんなで、時間が過ぎ公園北にあるMadison ACME を観てうっとり。館内は、いかにも若手アーティストの作品展示中。台北市では古い雰囲気を壊さず生き帰らせて、とにかく若い人びとに開放している。明るい指向。その小さなガーデンを眺め市立美術館前工事につき公園の横断ができない。向こう並びのローズガーデンと林安泰古暦文物館の見学は諦める。既にお天道様は真上にあり、お昼ご飯は断じて諦めない、B級グルマンとしては。この界隈なら美食通りとして有名な夜市場所にある黄記魯肉飯だ。並ぶけれど、旨い、早い、安い。魯肉飯、魚団子のスープ、イカ団子のスープ、揚げ豆腐の煮物。ふむふむ丁度良いボリューム。杏仁脆片やドライマンゴー、ラー油にお漬物に石鹸と妙な生活臭を漂わせながら一旦ホテルに戻り身軽くなるや、コーヒーで一服。ホテル側に素敵な書店発見。純良社書店。2冊新刊を買うと古本を一冊プレゼント。グッドアイディア!↓真ん中はそう、『成瀬は天下を…』なのだ。早い日本の翻訳も揃っている。小さいスペースに小さなカフェテーブルが二つ。コーヒーと確かシナモンロールが頂ける。ヘルシンキのアアルト設計の書店みたいだ。規模は違えど本好きの空間は同じ。オーナーが助けたノラネコちゃんも、店内でケアされていました。すてき。こんな本屋さんに浸りたい。しかし。うちらはドヤドヤと永康街へ。歩けばこんな家にも当たる。おやおや。足は自然と阿原ユアンに。結局待合せのレストラン前ではなくここでツレに遭遇して、よもぎや月桃、ドクダミの石鹸を買う。日本で買うとめちゃ高い。台湾で買っても円安でやはり高い!しかし一度使うとまた使いたいと感じます。ここの石鹸のインパクトは絶大で、台湾に魅せられた最初の事件?事故? 2番目が高雄のサニーヒルズ魚介類の中華店、府岸台菜海鮮城←17:00オープン、と同時に夕飯をとり、8時からの京劇を観るのだ。カニは何と一万超え。ムリ。海老と貝と芝海老チャーハンとその他野菜料理、台湾ビールで満腹。殆ど生感覚のシジミ老酒醤油漬け?これ後を引くなあ、ニンニクと共に。京劇で寝ないだろうねえ、われら。
2024.04.18
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2024/04/17/水曜日/小雨のち曇り4/13/土曜日朝一番は東門市場を通り抜け、自家製辣油を購入。円安日本人としてはカラスミは諦める。きんぴらごぼうやお稲荷さんも。ここに来ればオックステールが簡単に手に入り羨ましい。地元の人でいっぱい。食べ物屋さん意外は早い終わり。人気らしい御園坊には並び待ちの人もナチュラルな仕上がりのドライマンゴーも購入。小さくカットしてグラノラに。辣油とドライマンゴーを携え我ら、台北で一番古い龍山寺へ老若男女に観光客も入り乱れる中、午前の早い時間のためか、何といっても台北の発展と共にあった古いお寺。熱心な祈りの渦が巻いているのである。赤い半月型の石?を投じて、筮竹をぐるぐる回し一本を引いてその数のおみくじを引く、という方式。事前の予習も無いまま手前勝手に試みたら、禍々しいような内容。ありゃま。お賽銭とお祈りで罪咎憂いを洗い流してくださいまし。龍山寺の辺りは古い街並みや建物が残り、お散歩が楽しい。お寺といえば街のお菓子屋さん。以前にもここ、太和で買った杏仁脆片。大好物なのだ。ここのは素朴で美味しい。しかし円安か値上がりか。以前は一袋200円もしなかったのに、今や300円!大人買いはムリ。日本統治時代の古い公設市場建物は、地域の文化施設や若い人の活動拠点に、古いものを残しつつ、リノベしては上手に利用しているケースがここにも。お次はちょいとスイーツ休憩。消極的なツレのゆるゆる歩きもこらえて萬華仙草冰へ。あーこれが食べたかった!めちゃくちゃ美味しい。甘味はサトウキビ、それにミルクプラス。店内壁には仙草の説明があるのだけれど、解読できず。おウチの方に頼まれたかしらん、マイ容器で買いにくる男性も。気づくとツレも、お裾分けのつもりがしっかり半分食べているではないか。さて、疲れも暑さも癒すお味の次は、目を癒しにローズガーデンと林安泰古歴へ行こう。赤いラインの地下鉄で円山駅下車。
2024.04.17
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2024/04/16/火曜日/曇り桃園空港の楽しみはラウンジ!成田みたいにしょぼくないのだ。第1ターミナルの場合、ボーディングの後、左に進むと免税店と医療施設がある。その先左奥のエレベーターで上へ。降りるとすぐキャセイパシフィックのラウンジ、その奥にPlazaプレミアムラウンジがある。貧乏旅では利用価値大、なのだ。ランチワインを赤白いただく♡しかし楽しみにしていた牛肉麺の提供はなかった(;ω;)そもそも今回の台湾発動はそれ。次男オススメの御牛殿麺の側に宿予約したのに、タイミング合わず、最後の望みのラウンジも…で、チキンヌードルとるーろー飯などやけ食い気味に、しっかりとデザートも頂く。機内用に最後の台湾のお味を帯同。携行ドリンクは人気らしく、これ一つだけ。今回はジェットスター利用につき、飲み物などは全て有料なのである。13:10の桃園空港発で17:00には荷物回収あらまあ、もう日本なのだった。台北はずっと曇りでたまに晴れ間が見えた。気温もそんな時27度くらい、多湿ではあったけれど過ごしやすかった。
2024.04.16
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2024/04/15/月曜日/本日だいぶ晴れ間ありもう台北4日目あっという間の明日、帰国。さて4/12 午後の部ホテルを出たのはチェックイン後の3時半頃この時間帯は飲茶か茶館がオープンしているけれど、レストランは殆どお休み時間。まともなお昼を食べれない移動なので腹ペコなのだ。しかし双月食品店チェーンの内、大安森林公園店のみ休まず営業。バスで移動。かなり並んでいる。店頭で必要事項を入力し、番号札をプリントアウトし、待つ間にお店の外の画面で日本語とメニューを照らし合わせて決定し、オーダーにチェック。↓この汁なしピリカラ坦々が美味しい!お代わりしてしまう。350円程度!量的には控えめ。後は貝柱入りのスープと筍炒めをシェアこのお豆腐の煮込みも惹かれたがもう満腹。ここは高くない。実感でいうなら値打ち、お安い。一人700円くらい?消費税無しが痺れる。満腹の後はコーヒー、確かヘリテージビル中山堂の4階でコーヒーが飲める。地下鉄で最寄り西門駅へ。表ホールはロックされている。え〜と思いながら諦め切れずぐるぐる建物を回っていると、以外とひっそりした通りに面した扉に守衛さんがいて、カフェに行きたいと伝えると入れてもらえた。時間は既に5時過ぎ。7時までだけどよいか?と聞かれる。え?一体他のお客さんは何時間滞在しているのだろう?まあ、確かにコーヒー一杯は千円以上。場所代を含んでいるわけね。空間と美味しいカフェラテを堪能しつつ、次の行き先である饒河街觀光夜市への経路その他を確認。ここへは二つの目的お寺、慈裕宮参拝と有名な胡椒餅を食べること。お寺は縁結びで有名なんだとか。足元のスヌーピーも探せ無いごった返し状況の中、台湾の地震を含め、世界の災害が少しでも小さく収まりますよう祈念する。この熱気、日本に無いなあ。と思いきや、夜市入り口にいきなりその胡椒餅名店がありました。うーん、これは美味しい!石窯、炭火焼きで肉あんの芯まで熱々。お腹が満腹で、二人で半分こ。今度は丸々一つを食べるのだ。
2024.04.15
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2024/04/13/土曜日/曇り昨日早朝5時!自宅出発。2020年2月以来の台湾たび、二人、再び。↓LCC専用の第三ターミナルに、ヘラルボニー作品展示が!ツレにここのネクタイを3年ほど前にプレゼントしたのに、きゃつは何にもご存知ないのだった。早い出発は一度首都高事故にハマり、飛行機出発を逃した苦い経験があるから、だ。↓出発ゲートの数字も大きい。正確にいうと20分前にギリギリチェックインできたが、LCC便の哀しさで対応して貰えず、新たにチケットをその場で買うという、ケチケチ旅に相応しくない事態に陥った。思えばその頃日本円はまだ力があった。タイも台湾も確実に豊かになるのに反比例し、日本は沈む太陽の如し。↑LCCはトランクも有料故か、預ける人が少なく瞬く間にピックアップは心地よし。↓4年ノーチャージの、ちゃんとチャージできました。2年未使用だと使えないと記憶していたけどコロナ対策か、期限が延びている。カワイイお弁当屋さんは休店中。公衆電話も駅の何ヶ所かには設置されていた。今回逗留するホテルはぎりぎり、台北城市の東↓ホテルの周辺で
2024.04.13
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2024/04/12/金曜日/過ごしやすい春霞先週、知人が学びの節目を迎えるパイプオルガンのコンサートが共催された。教会でたまに数曲聴くことはあったが、パイプオルガンをこのように幅広くたっぷり堪能したのは初めてのこと。宗教的な響きもあれば、森の中をそぞろ歩きするものや華やかな曲、と随分彩りがあり可能性を感じた。荘厳だけではないのだなあ。スウェーリンクという作曲家を初めて知った。ファンタジア・クロマティカの曲に心惹かれた。この曲に耳をすませているとハンガリーの小さな村ホローケーの木造の教会が思い出された。教会にはパイプオルガンなどはないのだが、そこに設られたオルガンは森の茂みや光、風に誘われあちこちを散歩してたっぷり愉快になってしまったような。そんなイメージが広がる。知人の方はといえば、技術に裏付けられた構造と骨格と精神のある、超絶技巧?で圧倒された。彼女は学生時代にピアノ科を専攻、ここ七年はオルガンに打ち込んでいた。その成果を私たちにシェアしてくれた。帰途、桜はその命の輝きを、みなにシェアしてくれていた。
2024.04.12
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2024/04/11/木曜日/ちょうど良いお天気先週土曜日、桜の好い季節に市ヶ谷で降りて飯田橋方面へ歩いてみた。いつもは通勤電車から見るだけの風景だが、かつてはこの駅の日仏会館で、仕事の後にフランス語を習ったこともあったっけ。あそこのカフェはフランスそのものでいい味わいだったけれど、今はどうなのか。すっかり日本回帰の私は亀岡八幡宮神社の階段を上る。この辺りはアップダウンがあり、神社からはとても市ヶ谷駅側とは思えないのどかさこの階段途中にあるのが茶の木神社。元々は五穀豊穣を祈り土地神様→稲荷大明神となって祀られた所に東向した弘法大師お弟子さまも立ち寄られた由緒ある、武蔵江戸ではかなりな古刹。殆ど潟のような江戸湾地域でここには真土の丘があった?因みに成田山はここの分祀だったか、曖昧階段を上り詰めれば太田道灌が江戸城の西の守りに据え置いた八幡さま。こにらは鎌倉鶴岡八幡宮の分霊なのだとか。薄墨色のような桜が渋いと眺めているとおや。これは何だろう。石に龍と宝剣?新しいものではなかろうか?↑八幡さまを抜けたあとの、道なき道がとても好い。写真撮り損ねたが、どう見ても行き止まりみたいな所を野良猫気分で抜けられる。↓初めて見た月桂樹の花↓そうして通りに出れば間も無く市ヶ谷の杜時間がなくてゆっくり見られなかったのだけど、年代がかった古い印刷機体験など楽しめて無料!活版印刷の仕組みが分かる。ここの半地階カフェコーナーも落ち着きがある。ここからは神楽坂の下の方へと折れてゆくのだけど、素通りできない美味しそうな蕎麦やなどが並ぶ通りがある。いつも人で混雑しているメーンストリートに出る前に興味津々なお店が。↑後から調べると黒執事なサロンらしい。あったり、え!こんなギャラリーショップあったかな?というお店も。最近、生活に即したプロダクツを作る若い工芸家が増えると同時にこんなお店があちこち増えている気がする。古い建物や住宅をうまく改装して手頃な良いものと出会えるのは嬉しい。基本モノは増やしたく無いのだけど、台所用品はつい買ってしまう。↑渡邉浩幸さんのカッティングボードミズナラ。そうこうしているウチに、飯田橋駅からルーテル教会へ知人のパイプオルガン演奏へと辿り着く。
2024.04.11
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2024/04/09/火曜日/風と雨①手打蕎麦 里り世田谷区もり+ワサビ 950円店内も蕎麦も頗る清潔感高い。蕎麦はトイチ、ワサビは別途何といってもここの魅力はツユ。私好みの濃さと蕎麦湯で割った時の淡白さ、出汁とのバランス4月6日 土曜日知人のパイプオルガン発表が飯田橋であり、早めに出かけて出会ったお蕎麦屋さん②蕎麦の膳 たかさご新宿区 初訪問野菜天ともり 1750円初めてのお店ではもり、がマイルールなんだけど、腹ペコにつき野菜天付きで。いやー久しぶりにお蕎麦そのものが美味しかった。天ぷらは凡というか、まあ普通なのだけど、お蕎麦は、食べた後に身体を清流が過ぎるような。ところで、ご主人は角川春樹監督の映画みおつくしで料理検番を務めたとか。へえー。新規開拓の蕎麦屋がそれぞれ美味しくて嬉しいが、普段の生活圏に重なりが少ないと次も、というようには重ならず、それが寂しい。
2024.04.09
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2024/04/06/土曜日/訪は先週のこの日3/30 午後遅めの熱田神宮鳥居が直角に見える、というのも面白い。杜に入って直ぐ、左にある別宮八幡宮と上知我麻神社←何とも古事なひびき←が鎮座している鳥居と正門が、東面、南面している場所樹木に覆われ隠れる清潔で簡素なところ、それが清々しく嬉しい日本の神社ご祭神の熱田大神は、草薙剣の御霊代とされる天照大神、と御由緒書きにある。自分なりに考えると、やはりご祭神は草薙剣であろうけれど、剣はうつわなり。魂はいづくぞ。ということになりて、倭建命ではなく素戔嗚でもなく天照大神となる次第か。さて、上古。倭姫が霊剣である草薙剣を抱えてその鎮まるところを求め、大神神社から室生寺に至る道には一時的なお宿りもあった。天照大神が夢枕にたち、ここが宜しいとようやく落ち着いた先の伊勢神宮。ここに本来奉納されていた剣であれば天照大神の御霊と共にお祀りする、という運びなのだろう。しかし古代。三種の神器は天皇が代々保持するものではなく、時の政務を司る有力者の合議で次代の天皇が選ばれた後、その証としてこれら三種が一時的に天皇に預けられた、とものの本で読んだことがある。世襲を目論み、二代に渡り天皇に即位した、諡号皇極帝だったと記憶する。どさくさに紛れ彼女は神器のそれまでの扱いを変更してしまった。やまとしうるはし、の衰微始まりぬ。今、鏡は伊勢に。勾玉は皇居に、剣は熱田に。参道をゆくと左手にそれは立派な経年の大クスがあり、空海お手植えとのことだがそれは如何?↓熱田神宮の歴史絵巻が参道で眺められて、歴史がよく理解できる仕組み本宮前で掃除をしていた方に、ここに本当に草薙剣はあるのですか?などと尋ねてしまう。穏やかに応えてくださるには、さてどうでしょうか。剣そのものを見たことのある方はただの一人もありません、この神社でもっとも尊い方でも、儀式の折に布に包まれた剣城を運ぶことができるだけなのです。とのことだった。では、まごころでそうある、と知るのですねと重ねて尋ねるとまごころ、そうです。というお返事で会話を終えた。江戸時代。剣の箱を新調する時に大禰宜らが目にして流罪、謎の死の『薔薇の名前』事件もよく知られる。何故、倭建命は形代とも頼むべき剣を我が身から離して、交わってはならぬときの夜須姫の元に預けたか。我が太刀はや、との声が切ない。ほどよい大きさの くさなき広場は花ざかり日本が世界がどうか安寧でありますようさてさて、神宮側のひつまぶしで有名なお店、2時間待ちの時間の頃合いをみて店内へ。一人前があまりの量で、大喰らいの私も食べ切ったとはいえ、デザートなど何も受け付けない様に。しかし、本当に美味しい!あんまり美味しいを繰り返したので、後ろに控える店員さんが、感に耐えない感じでありがとうございます!と言われてしまう次回はお嫁ちゃん名付けのレディースセットに致します。ひつまぶしが半分より小さめでうまき卵のセットらしい。値段もその分可愛らしい。
2024.04.06
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2024/04/05/金曜日/晴明の小雨ふる本書を手にとってから、かれこれ4週間が過ぎたので、もはや貸出延長もオーバー。遅々として進まぬ、我が言語消化の幼さよ。というか。編み物に日々のエネルギーを吸い取られ、あちこちへの小旅行に時間をとられている節が多大。合間に仕事もこなす、という。いつ、寝るんだ!ということで寝落ちの前の、重力負けな本書との日々は、一ヶ月に及び今現在、その二部構成の外篇を読み終え、内篇に入ったところである。〈DATA〉出版社 作品社著者 熊野純彦2018年9月5日 第1刷印刷2018年9月15日 第1刷発行元々は小林秀雄の『本居宣長』を読むつもりで立ち寄った図書館の1類書架に本書を認め手にしたのは、著者の名前に惹かれたところが大きい。といって彼の経歴を既知だった訳ではない。その姓名の文字面、響き、顕れた仕事、それらの合致というかハーモニーと称するか、そこが自分には重要、というだけのこと。熊野純彦 やまとしひびきなからんやそんな訳でこんな、漬物石並みに重い大部を借入、夜話に読み、電車内では小林秀雄版を読む。こちらは間も無く読み終えるが、下巻が未完のままに遺されている。リニアな電車では小林版モノラルが。眠りの前の読書には、熊野なる研究者版に夥しく登場する本居研究並びに本居に影響を与えた国学者や儒教仏教のとつくに思潮が、山彦の如く往還の多声唱和が小波大波のように寄せてくるよ〜難儀なことである。外篇が終わるに辺り、要約、引用、防備を記す。竹岡勝也が、倫に悖る「もののあはれ」の裂け目、すなわち「不倫の恋はやはり泥水」であるところの物語世界と世の常の道理との矛盾について宣長がどのように捉えたか、言及竹岡は「物のあはれの心」を「神々」につうずる「永遠の道」として発見した宣長を高く評価した。それは「道を焦点とする国学の完成を語るものであって、彼に至って国学は初めて儒仏と対立し得る内容を組織立てることが出来た」と。世の常の道理についてならば、それは儒仏が支配するところであるかもしれない。それでも「もののあはれ」を感じとる感受性は神々から与えられた「心の本然」にもとづくものであり、こころを「儒教的道徳の拘束」から解き放ち、神々への通路をあらたに切りひらくものであったのだ。続けて熊野は、竹岡が近松の浄瑠璃へと筆を運ぶ、長めの引用で、近松の本質本年が宣長と結びつき、源氏の恋を受け入れた藤壺へと戻りくる、なかなか読むものの心に響く一文を案内する。竹岡勝也は昭和初年に活躍した文化史家。宣長歌論の蓮田善明のみやび理解、契沖の尊ぶ「歌のはかなさ」と真淵の「ますらをぶり」「たわやめぶり」を対比し、宣長は「たわやめぶり」を雅の本質とみなすことへの言及を受けて熊野は『あしわけ小舟』の冒頭を引用する。そこから『石上私淑言』へと文は歌の道を伸びる。外篇十のお終いには戦死する詩人蒲田の、若い時の仕事である倭建命の望郷の歌の現代語訳が、元歌と共に付記されている。訳のみ記す。大和は夢に包まれて重なりつづく山脈(やまなみ)の青き垣なすその中に隠(こも)る大和のうるわしさ生きて帰らん供人は平群の山の白檮の葉を永久(とわ)に生きんしるしとて髪にかざして暮らせかし遠い戦地で妻と幼い子を気遣う愛情こもる手紙を届け、間も無く上官を殺害し自らピストルで自決した彼の境涯を述べる熊野の筆は詠うが如く。十一からは小林秀雄、丸山眞男、吉本隆明、村岡信嗣、大久保正、西郷信綱、書き留めきれないほどで、丸山眞男の徂徠学が見渡されるなど、敗戦後からの国学のパースペクティブ『日本政治思想史研究』も目を通せとかや。そんな遠回りはできないので、熊野氏の咀嚼を好機とみてそれを食べ散らかすのみ、である。小林秀雄とほぼ同じ頃、足立巻一『やちまた』これは読みたい。大学紛争の最中、梁山泊のような、ひたぶるに国学研究や源氏を読む濃密な教師と学生、研究者がいた話などには相良享、清水正之、百川敬仁、東より子、藤井貞和、藤原克己、山下久夫、子安宣邦らが続々と。神野志隆光『古事記の達成』『古事記の世界観』どちらかは読むべし。
2024.04.05
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2024/04/04/木曜日/駆け込み乗客、指さはみ目標は5月中だったのに、昨日夜半には編み終わり。我ながらすごい。編むだけなら一ヶ月。その間仕事も2泊の旅二回も含む。とにかく睡眠を削る、読書をけずる。ひたすら編む。結果寝ながら編んでやり直す(T_T)↓半分繋がり、着てみる。袖方向ジャストサイズなのに着丈が随分短い。どこまで成形できるか。実はメインのTvinni tweedが足りなくなると思い、発注をかけたのだが、残り糸を繋いで何とか凌いでしまった。あーもう頼んじゃった。あの糸は一カセ100gある!不要となったのに、高いのに(T_T)どないひょーまあ、引き揃え糸を変えると表情がまるで変わるので、いいことにしよう。しばらく塩漬けかな。編みあげてからが長い作業となる。ハニカムのカラフル糸を短く切ってはつなげる、を繰り返しているため、結びコブがある。表に見えるコブは一つ一つ裏側に引き込んで端糸を始末→脇を縫い閉じる→また端糸を始末→水に潜らせる→成型する→自然乾燥をまつ。という工程の最後に辿り着く。あとは那覇の久高民藝で買ったボタンを付けて完了このカーディガンは信じられないほどよく考案されたデザインであることが編んでみるとよく理解できる。構築的な発想は西欧のもの、かなぁ。編んだばかりなのに、既にこんな糸買っちゃったーヽ(´▽`)/懲りないアタクシめ3月教室のブリオッシュレースも未だ手付かず。
2024.04.04
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2024/04/02/火曜日/穏やか晴れ日、桜二分昨年冬に益子今年春には常滑と陶磁器、手仕事の旅の続く3/30 常滑は初めての訪問だ。焼き物散歩道という細い路地にはギャラリーやカフェが並ぶ。↓実はここに友人が作品を出していて、彼の作陶場を訪ねることが目的でもあった。↑モリーナ。ご主人が大変勉強熱心で彼の眼力の適った陶磁器が並んでいる。ここで発行している手作り新聞が勉強になります。無料!古い家並みが、土地の区分も曖昧なままに開発を逃れてぽっかりと残ったらしい。↓モリーナご主人のお母さまのギャラリーも週末開催。スペースとこなべここで、浜比嘉詩子さんの観音さま購入しました。↑童女のようなふっくらした可愛らしさ甕や下水管が地場産業として栄えた往時を偲ばせる廻船問屋のお屋敷もある。アニメ聖地というよりも新鮮な郷愁を呼び起こすのか、こういう場所には古いもの好きな若い人が案外多い。みんな大好きな路地、何故モダンな都市計画はそれを見落とす?お昼はカメラ好きの知る人ぞ知る、すぎカフェへ。タイカレー、デザートアイス、初飲みのブルンジコーヒーが付いて1300円!驚きのクォリティである。カレーもデザートもコーヒーも全て大変美味しい。オーナーの方は京大理学部卒らしい?こだわりがランチ意外にも随所に。彼自身の写真作品やカメラコレクション、著名な写真集など、カメラ女子も一日満喫できそう。とうとう、友人の急須を購入。すごいなあ!こんな美しい作品を造形できるようになって、おめでとう。
2024.04.02
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