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2022/02/19/土曜日/夜の雨年長の従姉妹が九州に住んでいて、中々会えない。思い立ってニットの帽子を贈ろうと、先ずは手習。自分用に試作した緑色。色々やり直しもしたけれどプレゼント用はそこそこに仕上がった。続けて同色でカウルも編んだのだけれど速攻で梱包した後に写真撮り忘れに気づく。えー作品残せず。そちらはラベラーな無料レシピでガーターとメリヤスのシンプルなデザイン。帽子のウネと同調する所が良いかなと。少し自分のアレンジを用いて台形フォルムの裾広がりを持たせた。昨日発送終えるともう次の作品ゲージへ。止まらぬ楽しさエンドレス。次はネックから編むプルオーバー
2022.02.22
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2022/02/18/金曜日/光の春めいた晴天書道教室をお昼前に出てその足で乃木坂の新美術館へ。金曜日日中は予約無しでも入り易いと期待して、ぐるっとパス利用の百円引きで30分ほど待ち入館。これほどの作品が国外にまとめて出ることはメトロポリタン美術館が自然光取り入れ鑑賞のため改装中の今ならではかも。Ⅰ フラ・アンジェリコ、フィリッポ・リッピなどイタリアの至宝。この豊かな静けさⅡクラナーハのパリスの審判。ホメロス『イーリアス』の世界が広がるが、パリスの魅力があまりにも欠けている。クラナーハって時々何処かに粗雑なところがあるのでは。そしてカラヴァッジョ。この絵は彼の作品中それほど魅力的を感じられない。それでも才能は頭一つ同時代を飛び抜けているのと感じる。この区分ではフェルメール「信仰の寓意」。随分前にニューヨークMETで観て以来二度目。フェルメールの作品にあって少し違和感を覚える作品。直線と円球、陰と陽、固いものと柔らかいもの、生と死、カトリックとプロテスタント。全て一なるものから生じた。信仰の寓意というより信仰は寓意、なのか。それにしてもこの女性の球体に剥き出した目!パンフレットにはターナーのヴェネツィアとグアルディのヴェネツィアが並んでいるが、会場ではⅡとⅢの室に別れていて比較が難しい。しかし風景画を通して明らかに意識の跳躍がある。二人の画家の間には70年の歳月が横たわる。その間、産業革命、東インド会社設立など欧州、特に英国を中心に世界が沸騰した。江戸には幕府顧問オランダ人三浦按針が日本橋辺りに住んで江戸都市開発を担ったのだった。Ⅱの、女性画家の描く「マリー・ドニーズ・ヴィレール」の軽やかさよ。光あふるる。Ⅲ オノレ・ドーミエ「三等客車」フランス革命以降に。ゴッホの初期作品にも似て。同時期のマネの描く少年。彼の階級とその寂しさの宿る表情にもまた時代の寄せ来る波を見出す。ゴッホ「花咲く果樹園」、束の間の健康な安らぎ。誰もが大好き、美術館ショップでファット・ウィッチーズのチョコ発見!大好きなブラウニーはやっぱりニューヨークじゃないと買えないのかな?と聞くと、スタッフさんが私はまだ食べてないけど美味しいんですってね、そこにお店のパンフレットありますよ、と仰る。なんとなんと!代官山にお店があるですと!凄いですね〜ニッポン。京都にも!だいぶ前このお店を訪ねた時は、確かチェルシー地区のショップモールの片隅の小さな小さなお店だった筈、へーへーへーである。つい先日代官山に行ったのに最近は和菓子屋さんしかチェックしてなくて見落としてしまったぞい。
2022.02.21
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2022/02/16/火曜日/日陰は未だ寒い晴恵比寿秋から西郷山公園に向かい10分ほども歩いた所に元豪農で政治家としても活躍した朝倉家の旧居が公開されている。立派なお屋敷とお庭で、ロケーションは申し分ないけれど、住みたい意欲が湧かないのは何故か。この住宅の利用意図が商工会議や政治に用いられた事にもよるのだろうか。功上げ名を成した、ややもすると権威的な雰囲気が私の好みとは異なる。建具が唯一女性的で華やかに美しい。保存状態よく見学できる。唯一好ましく感じた平床、変わり地袋の、あっさりした数奇屋風の部屋。庭の形状は林芙美子邸とよく似た崖線の、水捌け陽当たりの良い雰囲気。再び訪ねるなら、私は林芙美子邸。
2022.02.20
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2022/02/15/火曜日/曇りから晴へ映像フェスティバル中なのに、がら空きなのだ。初めて訪れた美術館。アプローチはえ、ここ日本?みたいな印象。色彩と配分が品が良い。何となく小淵沢リゾナーレなんかを思い出す。美術館として中身と器の一致感高い。ぐるっとパス消化モードだったが、俄然意欲湧く。入館時、本日現在第14回恵比寿映像祭中であり入館料発生する事を知る。受付の方がすかさず、地下と2階は無料です、のフォローをしてくれて、そちらだけを訪問した。二つの展示で釘付けとなる。佐藤朋子「オバケ東京のためのインデックス序章」なるほどなあー岡本太郎のエコーはまだまだ強烈。レクチャーパフォーマンスっていうのか、ゴジラによるジグゾーパズルの都心破壊、アイディア光る。ひらのりょう「ガスー」いやいや、これ凄いでしょ。生首に心肺消化器官、大腸ぶら下げた女の妖怪、ひゃーかわいい、こわい、こわい、かわいいー、アニメーション、音楽、才能の塊かと。結局2時間も滞在で、無料ですみません!
2022.02.19
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2022/02/18/金曜日/光は春本日今月2度目のお習字で、前回全く「春」が書かず苦しむ春さながら。↓これは2月の初め左右の払の中にバランスよく「日」を置くのは私にはとても難しい。それで今日もチャレンジ↓これは本日少しは空間が掴めるようになったろうか。この感じを忘れず次回に持ち続けるように、と先生からのお言葉。筆をもつ時間がありがたい。私の字ばかりではうんざりなので、壷中居の今月のウインドウから、この季節らしい青
2022.02.18
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2022/02/16/水曜日/穏やかな晴1999年。とある市立庭園温室のハーブ講座。半年ほども通ったろうか。終了作製のオードトワレは3種類位のエッセンシャルオイルを自分の鼻を頼りに調合して、アルコール度の高いスピリッツと混ぜたと記憶する。ボトルはなんと栄養剤ドリンクの空き瓶。当初は嬉しくてもったいなくてアトマイザーに移し5分の1くらい利用したかも。引越し後には寝室棚の奥で静かに揮発していつの間にやらこんなに少なくなっていた。その名のとおり、トイレの窓辺に置いてトワレの余生をじっくりと楽しもう。その横ではこけしの賢治さんがトワレのノートに耳を傾けている。
2022.02.17
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2022/02/13/日曜日/明け方の雪は雨に舞台、映画、舞台の怒涛の3日。オミクロン及びこの天候、地獄に堕ちた勇者ども、か我らは。と後ろめたさに浸りながらのラスト観劇は、日生劇場に天井桟敷の人びとと化す。松本白鸚は市川染五郎と名乗っていた頃からこの舞台を務めて53年、1300余回。これは凄いことではなかろうか。初日が開けてまもなく濃厚接触者が出たとかで、ようよう本日再開の喜び。座席は老若男女でぎっしり。この特別な時間空間を共にしたい長年のファンの方の熱気が伝わる。あー既に記入済みの方をミスで削除してしまった( ;∀;)とにかく気を取り直して再度書いてみよう。壮年セバスチャン染五郎が老ドンキホーテに変化する化粧シーンはその醍醐味が実年齢が凌駕したいま、薄れたのかもしれない。でも役者白鸚と彼個人とセバスチャン、ドンキホーテは、修練と長い人生体験と時を経て磨き抜かれた魂の造形が、セリフ回しや細やかな身振りのディテールに立ち現れている。最期のシーンは当にその三者が一体となり目頭が熱くなった。長年見続けた方はその歳月を通し一つの舞台として体感されるのではないだろうか。村野藤吾設計の日生劇場もまたこの舞台に実に相応しい。
2022.02.16
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2022/02/12/土曜日/晴〈DATA〉株式会社河出書房新社/川本直2021年9月20日初版印刷2021年9月30日初版発行装画 TANAKA AZUSA〈私的読書メーター)〈うむむ。騙され戸惑い弄ばれ感疾走。川本氏は覆面作家アンダーソンの回想録である本書を訳すが、それは20世紀アメリカ文学の裏面史とも言える内容だった。1968年政治の季節、NBCトークショー「文学の今」の放映シーンが真に迫る。いや爆笑。ホスト役A・ウォーホル始めトルーマン、ノーマン、ゴア・ヴィダル(←未読)それにジュリアンら今をときめく作家の個性炸裂にM・ジャガーのシャウトが被る。放映に続くアクシデント迄がハイライトか、川本氏登場後ややぬるい。プルーストが小説で示した「書くとは何か」実はこれが小説の主題?〉パローレとリテラを象る二人、それはジュリアンとジョン。歌い踊るジュリアンと資料を収集し編集し記録するジョン。この二つの行為によって創られる小説というものを、評論家である著者が物語の中に落とし込んだ配置。著者でもある?ジョンのナラティブ、プルーストを踏襲した小説でありアメリカの一時代を活写した古今東西物語案内、といえるのかも。ジョンの「失われた時を求めてを読み終えた二十歳、最終章の『見出された時』に驚嘆した。小説は問いだと言われるが、プルーストは答えを出していた。失われた時を求めては難解だと言われるが、それは間違いだ。ここまで手の内を見せてくれる小説もありはしない。失われた時を求めては如何にして小説を書くか何故このように書かれたかについて書かれた小説だと読者は知るのだ。」この部分はジョンに被せた著者の独白のように思う。これはプルーストみたいに描いてみた小説。振り返ってみた歳月は第二次世界大戦終戦前から60年ばかりの、アメリカ文化を野蛮なものと低く見てパリやイタリアで過ごした、その一時代のアメリカ人作家の心象。さらにこの物語に深い陰影を与えたのがアレクサンドロスとへファイスティオンの額物語を、ジュリアン=アレクサンドロス若しくはアキレウスに模して、その土地へ赴かせた描写と現在進行形の二重螺旋構造だろう。この努力が、ジョンなる人物を骨太くしたと思う。この段落のアリアのような歌い上げは素晴らしい。フィリップス・エクセター・アカデミーとかユニオンスクエア側の書店とかサンタマリア・ノヴェッラとかジバンシーとかハリーズ・バーとかに幻惑されていると本質をこぼしてしまう。それらは音楽でいうトリルの如き、ジュリアンのドレスのフリル如きもの…と想像したところで、はっ!ジュリアンってあの大島弓子の「ミモザ館でつかまえて」の亜麗じゃないの⁈という思いが拡がる。亜麗って悪魔って字に似てる、と平凡な女の子である主人公がため息つく…(1.2.3では遅い)touで立て♪亜麗がブラウスのフリルを震わせてタンバリンを腰に当て歌い踊る、あのイメージが凄く喚起されるんですけど。あー記憶が靄る。大島弓子作品は現在別の場所に保管中で確認できない。やっぱりトリルもフリルも好きだわ。本に導かれ、『ブライスヘッドふたたび』『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』を逍遥したい。最終章には多田智満子さんへのオマージュが。ハドリアヌス帝は確か、ユルスナールをいくつか漁ったときに出会っていたのか。詳細を存じ上げず検索、ハイライトしました。こんな方がいたのか、彼女の書物にも当たりたい。
2022.02.15
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2022/02/08/火曜日/午後には良い天気書道の先生から招待状を頂くも、期限がこの17日であり強行で出かける。こじんまりとして好きな美術館。年に1.2度は出かけているだろうか。羊のズンが特に好きでショップでハガキを一枚は買う。↓今回求めたもの着物の技法の微に入り際に穿った手仕事を凝視していると、日頃の睡眠不足のためか、意識が朦朧としてよろめきそうになる。これは殆ど曼荼羅である。意識の飛翔体験。そもそもホール。ここで石仏に引き込まれていたのだった。私の好きな十一面観音様の、十一面は損なわれているも、尚神々しいこの面にすっかり参っていたのだ。花の無い枯れた庭で殊更石仏の存在が光る場所で冷気に辺り呼吸を深くして帰途につく。
2022.02.14
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2022/02/12/土曜日/お天気、春の光夕方、近所の映画館へ。近所とはいえ久しぶり。ましてこのチョイスは同行者ゆえシリーズを観ていた同行者は、とても良かった、歴代スパイダーマンが出て来て嬉しい、みたいな感想で何だか同窓会のノリなのかしらん?私としてはカンバーバッチ様の登場だけで行く気になったのだけど、ええーカンバーバッチ様はこんな役回り?何だか私の知るスパイダーマンとは異なる世界が繰り広げられてるんですけど。同行者曰く、アメコミやアベンジャーに触れてないと、とそこまで楽しめないかもね?とか。いやいや、いま読んでる『ジュリアン・バトラーの真実…』の描写のアメリカの純粋好き若者好き文化が刻印されるばかり。ハリウッドの政治的に正しいキャスティングとコロンビアに被さるsonyロゴ、勝利の女神から自由の女神のアイコンへ?のサブリミナルで、オマケに貰ったこのハード仕様のクモたんマンカード?何に使うのか、不明。映画はまだまだ続く様相でジエンド。スクリーンで見る動くアメコミだった。主人公の役者、トム・ホランドは「ビリー・エリオット」を演じた一人とか。身体のこなしが柔らかいのはなるほど。カンバーバッチ様、内的困難抱えた近世美丈夫ストーリーが見たいでございます。
2022.02.13
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2022/02/11/金曜日/午後から晴で雪消えるいつ以来だろうか、の舞台ミュージカル。しかも、ザッツミュージカルと呼びたい「雨に唄えば」。ロンドンからアダム・クーパーのカンパニーがシアターオーブへやって来て、雪を雨に変えてしまった。↑本日はマチネーで、夜の部はクーパーのトークもあったけど残念ながらそのことを知らず、お昼の舞台を観た。右上、分かりづらいけれど前5列くらいはレインコート席。雨がざんぶり降る舞台、オーケストラは何処に⁉︎それは中休みにちゃんと分かるけど、でもオーケストラも前後動く仕組み?不思議が残る。↑撮影可能タイムの様子アダム・クーパー扮する大スター、ドンの雰囲気はクーパーにピッタリで不可分なくらい。気品と育ちの良さが身体、身振り、歌声に反映される。役の台詞「ディグニティ」が明朗さ軽やかさと共にある。こういう姿は日本の役者では中々得られない、文化様式の違いに近いと感じる。駆け出し女優キャシー役のシャーロットもほんと素晴らしかった。踊りも声も容貌も役どころにピッタリ。他のステージも見てみたい。例えばメリー・ポピンズやサウンドオブミュージックなど。ひょっとしてシカゴなんかもいけそう。大女優のコミカルでどこか憎めない可愛らしさ満載リナ役を演じたジェニーの、本当の生声もどんなのかしら?素晴らしいコメディエンヌ振りで笑いを誘う。あと、強く印象に残ったのは↑右下2番手、3番手の役で歌った彼、名前が分からぬ。何しろ、パンフレットは写真集の体裁で、公演が可能かどうか、ぎりぎりの所で作った様子。クーパーのインタビューと舞台写真のみ、なのだ。そのパンフレットに昨夏、ロンドンで一年半ぶりに舞台が戻り、この演目の千秋楽カーテンコールの様子を舞台奥の指揮者が撮影した一枚が掲載されている。観客と役者の歓喜、舞台との一体感が見事に伝わる。Show must go on, and done!観劇中は四六時中、コロナ下のマナーを喚起されるのでついつい椅子に沈み込む私たちがいる。演じる側だけでなく観る側も加わって舞台は出来上がるのだから何となく煮え切らない。今日のステージは舞台の熱の方が遥かに高い。その日集った観客の個性でもパフォーマンスは毎回変化する。あの写真のような溶け合う一体感の一期一会こそ舞台の、フェイクの真実だと思う。それこそ考えられる限りの準備、細心の注意を払っても実現できない事もあった舞台が、奇跡のように持たれ、そこに居合わせる喜びにもう少し寛容であっても良いのでは。余計なお喋りは論外だけども、感動に足枷はできない。
2022.02.12
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2022/02/11/金曜日/午後晴れて雪は消えていた12/28訪問した大倉集古館でこのパスを購入し篁牛人(タカムラギュウジン)を観る。これを振り出しに、この2ヶ月弱で10ヶ所の博物館、美術館、庭園を訪れた。勤務や習い事の無い週日限定。しかも都心を午後3時半には離れるルールを作ったので会場で時間的余裕はあまり無かったけれど、このパスが無ければ訪れなかったであろう平櫛田中彫刻美術館や五島美術館に行くことができた。図らずも平櫛田中館では、大江宏の住宅建築外観を覗くことができたし、漲る美丈夫の六代目菊五郎の姿も見られた。林芙美子記念館は山口文象の設計とはあるが、実際は職人らを京都まで引き連れて日本建築を実地で学ばせた林芙美子の手腕が光る住宅だと想像する。実際に住むなら堀口捨己よりこちらだろうか。アトリエの付随する日本住宅、というのが非常に好ましいと思うようになった。建物を見に訪れた松濤美術館では、その設計者、白井晟一展が開催中で、パリ時代に林芙美子と白井晟一が恋愛関係?にあったことをここで知ったという繋がり。個人のお屋敷みたいな館内はリラックスできる空間だが、茶室にはあまり感心できず。利用日から2ヶ月限定のこのパス。時期の研究が足りなかったことを反省。庭園のいくつかを訪ねたかったのだが、一月初めに訪問した向島百花園は、一年で最もお花の無い季節だったと行って気づく始末。他も推して知るべし。訪ねたかったちひろ美術館が一月半ばから三月まで休館だったのが心残り。あともう1つ2つ行けるかしらん。
2022.02.11
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本日は思ったより細雪、稍重の。永青文庫に出かけた先週は春模様2022/02/02/水曜日/春を感じるお日和早稲田駅下車、神田川を椿山荘の塀を見ながら遡り、急な坂をよろめき登る。坂の鼻突き右手は松尾芭蕉がかつて水番屋暮らしをしていた場所で、左手には水神社。古来水と神社は分かち難い。吉野の水分神社など。と、思う間も無く左に永青文庫。質素な建物だ。本来は細川家の家政事務を預かる所だったが、骨董美術、特に古代中国の種々を愛する細川護立がここに住まいやがてそのコレクションを披露したという。残念ながら国宝細川ミラーは前期の公開から入れ替えられていた。鶴岡真弓さんが垂涎しそうな渦巻である。今は別の国法、金彩鳥獣雲文銅盤が展示されていた。因みに所蔵国宝8点は三菱の静嘉堂文庫美術館より一点多い。さすがというべきか。三菱とでは歴史が違うというべきか。織田信長書状や宮本武蔵の水墨画もある。文庫の名が付くことから想像できるように展示スペースは小さい。その、疲労感を覚えない大きさがよい。更に良いのが庭園がオープンされていること、誰でも立ち寄れる。庭の作りは武家らしくあっさりとしているが、老若男女それぞれに寛いで気持ちがよい。高田馬場に出るか、都電、バスで行くか。今回も結局高田馬場駅を目指す。途中、甘泉園公園を抜けて行くと紅梅が盛り、薔薇のような椿。水稲荷神社の裏手に抜け出るとヤギさんお出迎え。
2022.02.10
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2022/02/08/火曜日/朝の内曇り館内は左右二つの展示からなる。ロッカーにコートなどしまい、近い展示室2から入る。こちらの主題は「懐石膳」入り口展示の茶碗を撮影しようとしていたら、館内の方が駆けつけ注意を受ける。撮影禁止は見つけられなかったが、岡のドア付近に掲示されてました。出品リストにシャープペンでメモ書きしていると、注意を受ける。いわゆる普通の鉛筆以外は禁止とか。鉛筆とボードを親切にも貸して頂く。(80)源内焼、三彩六角皿。平賀源内が指導した窯が讃岐にあった。緑と金茶と小豆色のハーモニー(82)頼山陽文字入盃、龍文堂安平は青木木米の親友だとか。(90)萩結文向付、十代三輪休雪、力強か美しい。懐石膳の命名、朝鮮唐津の呼び名と特徴展示室1 入り口に伝運慶、愛染明王坐像。武野紹鴎、小堀遠州、千利休、豊臣秀吉などなど。展示室に、敷地内の現在非公開の3茶室の床を模して、掛け軸や陶器で室礼を見せている。(13)(14)井戸茶碗(21)鼠志野茶碗(23)祥瑞胴〆茶碗のコバルトブルー。呉須(38)三島白花文(43)黄瀬戸盃の、ほんのり浮かぶ緑色(60)武野紹鴎作、茶匙をくるんだ細手更紗が素晴らしい。あと手鑑という名の裂地サンプル。お大尽さんにはたっぷりと時間があってあちこちから使用した珍奇な布地の残りが集まったんだなぁ。布地の美しさばかりでなく交流の広さも見てとれる。画像で確認できないのが残念、ただお庭も広いし、素朴な石佛が沢山あった半日は楽しめますが、食事やお茶の頂ける場所がない。↑二子玉川駅に最寄りの出口は入ることはできない。Googleではここからもアクセス可能なようになってるけれど。↑お持ち帰りのお土産
2022.02.09
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2022/02/01/火曜日/穏やかな晴庭園美術館、旧朝香宮邸へ来るのは25年以上前の開館近い頃以来。新館が増設されていた。スキャパレリからアントワープ派、日本の着物も。ワビサビの真っ向からの雄叫びが聞こえる、人毛三つ編みドレスとか、ダリのオブジェいくつか。中でも「燃える女」。奇想のモードの流れにによく合う。ひょっとして映画「燃ゆる女の肖像」はこれにインスパイアされたのかも?玄関ホールモザイク、ホール斜め階段下の不思議なスペースの鉄のデザインフレームなど、ゼセッションインテリアの撮影不可が残念この扉が開かれれば素晴らしいオブジェが待っている。↓新館への通路、ガラスの模様に屈折する太陽光のあぶくを抜けて向こうへ↓日本的フェティシズム炸裂コーナー日本的技術、光る絹糸ドレスの浮遊↓案内から、矢張り朝香宮邸の美しさ宮さま方は和装で寛がれている様子の写真を見たけれど和室はない!徹底してると思っていたら敷地内に純和建築がある模様。やはり。
2022.02.08
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2022/01/31/月曜日/〈DATA〉株式会社岩波書店/岸惠子2021年5月1日第1刷発行〈私的読書メーター)〈確かに伝記だが数奇な人生は映画世界のよう。バレエレッスン後に初めて観た映画「美女と野獣」。関心は映画に向かう。瞬く間の人気女優絶頂期、川端康成介添えでパリ御屋敷のマダムに‥は、やはり収まりきれない彼女の知的好奇心の疼き。思えば2.26事件の日の朝のラジオ、異様な緊張。幼い彼女の最も古い記憶は彼女の知らないユダヤパレスチナイラク訪問へ地続きだった。空襲下、大人に従わず命拾いした後の「もう大人の言うことは聴かない。十二歳.今日で子供をやめよう」の決意のきっぷの良さも雀百まで踊り忘れずの有り体で美貌と相乗効果。〉本当に美しい魅力的な女性。パリの街角でこんな日本人女性に出会ったら、同国人である事に少しばかり誇りを持ちそう。バカバカしくあろうとも気持ちってそんなものなのだ。ケンゾーが熱狂を持って迎えられたパリで、才能は才能ながら、矢張り三宅一生の登場に溜飲を下げたのは、娘さんのデルフィーヌさんではなかったかと記憶する。そういう事を書いたりするのがこの方のストレートに正直で愉快なところだ。ケンゾーさんは不愉快だろうけれど。例えばTV番組のためにアフリカの村を訪ねた時の記述、「ないものはない。あるものを感謝を籠めて享ける、という、ゆったりとした謙虚さは素晴らしい。」などに彼女の気質が見える。川端康成の『花のワルツ』を読んでバレエをやりたいと思ったのも、「挫折してゆくバレリーナの切ない美しさに惹かれて」であって、決して舞台のスポットライトを一身に浴びる華やかさでないところが、私的共感度高い。話は川端康成に飛ぶ。前回読書会のテキストが彼の『乙女の港』だったが、ついでに川端康成をいくつか読んだメンバーが彼はヤングケアラーの走りだよね、みたいな発見をしていて面白いと思った。文字化し共有されたのに普遍化はされてなかった、ということか?子どもは更に幼い子の世話を主に女の子たちが担っていたのに、当たり前過ぎて社会問題にさえならなかった、ついこの前の時代。老人の世話に倦む思春期の少年、しかも知的な。再度カワバタ読むべしかな。閑話休題。卵を割らなければ、の比喩は別れた夫イブのプロポーズの時の言葉でフランスの諺らしいが、トーマス・マンの『デミアン』「鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。」がやはり思い出される。私の思春期、この言葉はいつも脳内に鳴り響いていた。彼女は日本という卵から飛び出した。そして上流の家屋敷の卵からも飛び出し、アフリカや中東に飛んだ。そして娘家族とのメゾネットアパルトマンという卵からも飛び出し、再び横浜の家に戻ってきた。次に壊す卵の世界とは、この地上だろうか。白州正子が韋駄天のお正なら、岸惠子は韋駄天のお惠といえる。おふた方とも自由である。自立している。突拍子もないけれど基層に小さきもの弱きものへの思いやりがある。曲がったことが許せず、権威など無縁。そしてどことなし両性具有の美がある。これぞ日本の女の美、ではなかろうか。
2022.02.07
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2022/02/06/日曜日/外と南面窓辺りの温度差甚だし晴イタリア製のアルパカレジェーロ(リッチモア)三玉で試作した帽子とケープタイプのマフラーショール。ほぼほぼ使い切り、が完成。ショールは「Wheelwrihgt Shawl」という命名で、purlsohoさんから無料提供されているもの。そのまま76目作り目では毛糸不足かと案じて、例によって解きては編み、で58目作り目であとはレシピどおり。↓スチームしたところ。糸始末はまだ。Wheelwrihgt?車輪製作?の名のような中心点から38cmばかり半径に仕上がる。針は8号。実は、ショールは実物スウォッチ、帽子は手習。これからが本番。年長従姉妹にプレゼントする心づもりなのだ。同じアルパカレジェーロの色違いで帽子とケープタイプマフラーを二玉で編む予定。なんて、もう立春なんですが。手が覚えているうちにがんばろー
2022.02.06
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2022/02/01/火曜日/温かい晴四谷怪談は忠臣蔵の裏ストーリーだと聞いたことがある。昨年末に観た文楽の仮名手本忠臣蔵!こんなアレンジがあるのかーと楽しんだ。そういえば、ボルヘスだったか日本で一番のヒーローは吉良上野介との賜ったとか。今日になっても日本人の庶民には忠臣蔵は未だ大きな物語だ。その四十七士と関わりが深い泉岳寺だけに一度は参拝をと思い漸く訪ねた。しかし、墓所への立ち寄りはさすがに真摯なお参りでなければ近づけない雰囲気が流れている。谷中や護国寺辺りの共同墓地とは全然違う。上野戦争で敗者となった会津武士を弔っている千住の円通寺の墓地を何となく彷彿とさせる。仇討ち、幕末、震災、戦災、東京には沢山の慚愧の念が層となって今があるのだろう。こちらの御朱印は手書きしてくださる。その間に例えば色即是空、空即是色などお経の一部を写して奉納させて頂く法があって好ましい。また御朱印料は依頼者に委ねられているのが禅宗らしくてよい。泉岳寺のご縁起は、徳川家康自身によるもので元は今のホテルオークラの地にあったという。寛永の大火でこの地に移り、かつては二百名の学僧を数えた曹洞宗江戸三ケ寺、三学寮の一つであったとのこと。歴史の重さを感じつつ、海はすぐそこの高輪ゲートウェイ駅へ。駅前の開発で数年後に風景は様変わりすることだろう。
2022.02.05
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2022/02/01/火曜日/春の訪れの日差しの日Googleに従って入り口を探すと、そこは車止めと閉門の場所で入れない。この通用門は目黒通りに面し、立ち並ぶマンションの間の空地からアクセスする。立派な本堂正面には御本尊のお釈迦さま。右に布袋さんが。こちらは江戸で最初の七福神のお寺の一つ。あまりに布袋さまのおみくじ入れが可愛らしく思わず買ってしまった。社務所窓口の桟に何の虫?温かい日差しで日向ぼっこかな?紅梅一輪咲いています。お寺中庭?水の張られたコートが鏡のように空を映し、深く低い日差しがぐるりと巡って、どことなく根津美術館と似てる。同じ隈研吾設計。こちらでは御朱印の奉納五百円は赤十字に寄付されているとのこと。これはお寺ならでは、なのかしら。神社ではあまり聞かないように思う。
2022.02.04
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2022/02/03/木曜日/大寒の最後の日年の離れた従姉妹に軽くて温かい帽子を贈りたい、と考えた。でも上げるにはそれなりに美しく仕上げたい。それでテスト編みをした。↓こちら編み図はスカーフ、purlsohoから。この糸はイタリア製のアルパカレジェーロ。アルパカ75ナイロン25.一玉50gなのに225m!有難い糸です。製図をお店で頂きさっそくトライ。そしてエラー(´;Д;`)エラーの大きな原因はマーカーを置かなかったこと。直ぐに解いて、丁寧にマーキングしながら編み進める。私の大好きなマーカーとマーカーケースは京都のアミリスさんのもの。このドングリの中に金属製マーカーが入ってます。裏からの引上げ編み、何とか仕上り、さて2枚目はプレゼント用だけど、その前に同じ糸はでマフラーを編むとなると、プレゼントは来シーズン⁈かも。
2022.02.03
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2022/01/28/金曜日/歩けばそこそこ温かい日未来へつなぐ陶芸 伝統工芸のチカラ展新橋駅から旧新橋停車場広場裏の便利な場所にこんな美術館があったんだなあ。カフェが無いのが残念。土、釉薬、灰、焼成温度、色、形、テクスチャー、文様、造形、手の働き。110余点の存在感板谷波山の1914〜1919年作品を例外に、後は殆ど1950年代から2021年の作品まで満遍なく収集展示されてきる。撮影ができず画像がないので、リストと焼き物の姿を具に思い出すのが難しい。目録は買わないことにしている。出品リストに合わせて鉛筆を用意して下さっているのはたいへんありがたい。清水卯一★田村耕一島岡達三市野元和寺本守市野雅彦徳田八十吉伊勢崎創★の作品は好みで、特に★有りは印象的だった。これら作陶家の焼き物を見る機会を捉え、自分の焼き物における好みを見極めたいもの。
2022.02.02
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2022/1月新蕎麦とまだ言いたい松の内。❶3日/水曜日/墨田区向島七福すずめのお宿三人で柚子冷酒と日本酒一合をそれぞれ注文。天ぷら盛り合わせと二種ツユの付くせいろ大盛りを頂いて一人五千円弱は蕎麦としては高い設定。しかしながらアワビなどのお正月特別付き出しも大変美味しく、天ぷらは海老、キス、野菜も香りあり。お餅のデザート、お年賀土産の昆布茶6包まで付いてたので、大満足。なんと、肝心のお蕎麦を撮り忘れ!ミソのツユ、蕎麦の実やアサツキ、七味を足してたいへん香ばしい。江戸時代の復活モードらしい。返しの出汁も新鮮みがある。蕎麦は玄ソバに近い10割、歯ごたえ、コシ、ほのかな甘味も。元料亭板前さんの仕事かしらん、というくらいどれも美味しい。向島は蕎麦好きには格好の街❷12日/水曜日/中野区手打ちそば 山商依然一度訪ねた時に臨時休業だった。今回思いを遂げられ嬉しい。初めての蕎麦屋さんでランチ、となるとせいろでいきたい、と思いつつも、ついお得セットを頼むことに。まあ天ぷらやご飯の良し悪しも分かることだし、今回もランチメニューの、天丼ならぬ「天ぷらご飯」にせいろ、を頼むと白い蕎麦か黒い蕎麦かと聞かれる。白い蕎麦をチョイス。なるほどほんとに白く磨かれた更科、実に美味い。またツユの量は少なめだけどカエシのカツオ節の上等さがよく分かる。天ぷらだって六品、海老にキスありですよ!え、これで1150円⁈有り難く頂きます。これだけ美味しいお蕎麦を出してくれるとあってはお品書きの後ろに紹介の一つもあるだろうと眺めると果たして。ご飯がやや、ゆるめに柔らかい以外文句の付けようなし。次回はせいろ、三種盛りともう決めている。❸14日/金曜日/中央区ソバキチ 室町コレド店天丼蕎麦ランチ¥1100本当は室町砂場でせいろを頂くつもりが、あまりの風の強さに、手前でドロップアウトしてしまう。ここはチェーン展開してしている蕎麦居酒屋の様子蕎麦は二八とのことだが、玄ソバ二、小麦粉八の感強し。もったりして旨くないと後悔。神田駅に向かい砂場前を通ると珍しく、外に並んでいるではないか。そんなに外食するわけじゃ無し、矢張りシャキッと美味い蕎麦が食べたいな。❹19日/水曜日/渋谷区ソバ番外編 梅蘭 アコルデ代々木上原店2時近い時間にこの場所。お蕎麦に恵まれそうにない時はどうするか。で、目の前の中華料理店へ。玉子スープは生ぬるく、杏仁豆腐は業務用の大袋から出て来たようなお味だが、この焼きそばにはハマったかも。まるでタルトタタンの焼きそばバージョン。カリカリ玉子とおソバのこんがり揚げの内側は熱々とろみのソバと魚介という焼きそば。1750円なり、満腹にて候。❹25日/火曜日/世田谷区しんとみ腰の強い噛み締める蕎麦。香りも甘味もしっかりしていて食後体内の管が清涼に調う感じ。山葵は目の前ですり下ろしてくれる。こういう態は蕎麦屋で初めてかも。ツユも鰹節が効いて品よし。夜がとても期待できそうで、この近所住まいなら間違いなくお気に入りになりそう。おおもり、価値ある1100円。❻28日/金曜日/港区本陣坊本店三色大海老つけ天蕎麦 1600円。三色は順番に運ばれて来る。1.ユズきり 2.せいろ 3.田舎。蕎麦の変化と個性が面白い。破格の価格。つけ汁は私にはお醤油濃さが過ぎている。喉がひかひかの午後となり、たまらずお水を買いに走る。次回は素直にモリでツユの確認をしてみたい。
2022.02.01
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2022/01/29/土曜日/朝は曇り〈DATA〉株式会社すぐ書房/カーリン・ブラッドフォード訳者 石井美樹子1991年11月20日初版第1刷発行1987年度カナダ総督賞受賞作品〈私的読書メーター)〈ナショナルギャラリーマストシーの一つ「レディ・ジェーン・グレイの処刑」。19世紀作の画名はレディだが英王室は最初の女王と見なすとか。離婚のためにカソリックから宗派替えしたヘンリー八世亡き後、教会、貴族大衆含め宗教的大混乱の中、嫡男エドワードは早世。姉のメアリーかエリザベスが後継、のはずが権謀渦巻く権力闘争の中、騙し討ちのようにジェーンが担ぎあげられる。学問好きでギリシャ語でプラトンを読み、何よりも信仰と王の義務と議会を重くみる、王侯貴族中最も教養と品位を持ち合わせた少女は16歳で処刑台の露と消えたのだ。〉読メで、小学生の時にこれを読み衝撃を受け、何度も読み返してはナショナルギャラリーの絵を見に行くことを夢見て、10数年後とうとう思いを果たした、と投稿されている方がいた。何かとの出会うことの妙味というか、運命的な決定的な瞬間を持てることの僥倖とはこんなことなんだろうと思わされる。私は背景も知らず憧れもないままにこの絵を何度か見た。未だに記憶しているくらいだから絵そのものが訴える力は感じたけれど、所詮それで過ぎ去ってしまった。この本を読むと確かにもう一度「レディ・ジェーン・グレイの処刑」をじっくり見たいなあと思うのだ。ケストナーが「何」で泣いたかより「どれだけ」泣いたか、それが重要だと『飛ぶ教室』の序で書いていたと記憶するが、例え原因は些細なことであっても激しく魂が揺さぶられる、そんな体験は決定的なことではないだろうか。そこに大人も子どもも高尚も低俗も差異はない。真実の体験のみがあるのだろう。
2022.01.31
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2022/01/28/金曜日/曇り時々晴お習字のお稽古、本日は漢字が五文字、おさまりが難しゅうござりまする。先生の香の字はまことに香り立つように見受けられ、伸び伸びうつくしい。お稽古を早めに引けて、ちょっと電車に乗り思い立ち日比谷神社にご参拝。いやいや習字が上達しますようにではなく、瀬織津姫にご挨拶を。こちらの神社も江戸築城計画であちこちとうつられた様子。当時は大名各々の崇敬厚くあったれど、明治になってからは村社に下げられ辛い頃もあったかと想像する。23区で私の知る限り唯一瀬織津姫の名がまします。御朱印は書き置きというのはこの歴史を思えばちょっと寂しいけれど、ビルやら高速道路やら高架の隙間で神さまはさぞ切なかろう。
2022.01.30
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2022/01/25/火曜日/朝は日差し〈DATA〉株式会社筑摩書房/鶴見俊輔 関川夏央2011年8月10日初版第1刷発行〈私的読書メーター)〈対談?形式だし鶴見さんの語り口は平易ですすすと読めてしまう。しかしその中身は思索のための手掛かりが豊富で読者の関心に応じ、本の地点から幾らでも広がることができる。明治150年が巷間賑わしていた頃、そこに意識を当てた私の試み読書。それが関川さんと鶴見さんで語られているとは美味しい。天才的個人が作り上げた見事な樽としての明治国家という装置論。日露戦争が終わった1905年以降の下降、戦後変わったものといえば高文の私腹肥やす賄賂と氏は言うが更に公文書書換も加えなくてはならない。読みたい本ばかりか漫画も増えます。〉母親の正義の恐ろしい効果に慄然としたのは河合隼雄『あなたが子どもだった頃』の鶴見俊輔の段。裸の自分をここまで晒す人間力というか、彼の言う敗北の力というものがこの対談にも連なる。江戸末期に個人として立つ有能な人物が沢山登場した。この国の貧しさを知る彼らは篩ではない樽国家を作り上げ、ジャンブリーズと大洋に漕ぎ出した。しかし樽は「個人」を産まず、衰微は既に日露戦争後に始まったと氏はいう。樽の持続効果ほぼ50年、その後の退廃と大敗の百年を経て、とうとう原発事故に繋がってしまった。長州が欧州連合にこっぴどく負かされた下関戦争後、伊藤博文は急遽留学先の英国から帰国し、藩内で使えそうな洋食食材を探し集めて自ら調理し戦勝国側を饗応した。鶴見氏のいう敗北力とはこれらの行為を指すらしい。日露戦争後、日本人はこれを無くしていると。そういえば、かの芥川龍之介が海軍機関学校の英語教師だった頃、学生らに「君たちは負けることを学んでいないから自分が教えてやろう」という面白い授業を展開していたとどこかで読んだ。各国リーダーと対話など老人政治家のペルソナが思い浮かばない。中曽根氏のちゃんちゃんこ、その後彼らの友情?はつづいたのかどうか。少なくとも明治末から大正過ぎまでは魯迅や李登輝ら東アジアのリーダーが胸襟開いて付き合える大人がこの国にはいたのだった。エネルギー➕あわよくば国防という戦略の原子力発電所の事故。防波堤の高さ不足や冷却装置電源予備など専門家のアドバイスが無視されたのであれば、あれは人災になる。鶴見氏の言う樽は「東大、文科省、天皇制」であろう。鶴見氏が強く実感していた頃に比べれば随分様変わりしているだろうが、明治天皇や東郷平八郎、乃木希典、吉田松蔭の神社があるのが私には不思議。彼らはついこの前生きていた、ただの、失敗多い人間ではないなだろうか。罪は知らないが神ではないだろう。そこそ樽ではあるまいか。あの敗戦時が千載一遇のチャンスであったものを、樽に詰めとけとばかりにGHQが外から手前味噌なタガを締めて、のうのうのうのうゆらゆらりん、未だ何処かの水際をちゃぷちゃぷ浮かんでるんだな我らは。その樽を壊すのでもなく飛び出すのでもなく、樽の内側をしっかり見据えよと言った吉本隆明を鶴見氏は高く買うそうだが、今現在、見据え続ける余裕が我らにあるだろうか。他にたいへん重要だと感じた、鶴見氏を生かし続ける己の内にある悪について。この悪という癌は年をとるほどに小さくなっているが、ぽっかり消えれば自身死んでしまう、と鶴見氏が感得するそんな悪の存在。悪が自分か自分が悪か。あるいは悪を収容する器は悪に染みるか。デモーニッシュ。これに取り憑かれて初めて人生の深みも尊さも、いやさ信仰も芸術も度し難さも己のものとなって発酵するわけで、味わいそこにあり。コロナウィルスもそのうちそうやって飼い慣らしていく?ネガティブケイパビリティについて。今日的現在的病をつらつらと考える今日この頃。
2022.01.29
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2022/01/26/水曜日/午後から晴玉川上水の緑と水の袂にある美術館と邸宅、お庭、お茶室など、彫刻作品と住空間を楽しめる。ところで、寡聞にして知らずの明治大正日本彫刻の世界。名前も読めず、しばらくは平櫛さんと田中さんのお二人の作品を展示しているものと誤解していたくらい。長い漆喰の塀と土器色の湿式壁の色のハーモニーに常緑樹と空の色が映える。建物が期待できそう、と入館。作品は撮影ができず、コロナ禍で住居庭園スペースもほんの一部だけ眺めることができただけ。でも幸い資料、パンフレットによって幾つかのことを知る。設計は住宅の名伯楽というべきか大江宏。パンフレットに並ぶ写真四人の右端の方、その左が平櫛田中。上野あたりの都心から転居して来た竣工時、実に98歳である。住居号はそこから取って平櫛翁自ら名付けたという。98歳で思いの丈の籠る最晩年の家を普請する。明治人かつ芸術家の健啖ぶりに驚愕と尊敬の念。その後アトリエを作り更に作品を仕上げる。モデルは伊勢の赤福餅の女将でこれが最晩年の作品らしいが、107歳で帰天される。葛飾北斎もうなることだろう。因みに平櫛の左が武原はん。流石に美しい佇まいで風景に溶け込むかのように自然にそこに立つ風情。これだけの建物なので、上棟と竣工の舞など捧げたのかもと想像する。コロナ禍以前はお茶室でお茶なども頂ける催しも。氏は最晩年まで創作意欲が衰えなかった、というように門から入ると左手に、彫刻材の大きな楠が迎えてくれる。大きめの枯れた中庭を囲む屋根の美しい平家住宅だ。古典的な和の建築は決して古びない。
2022.01.28
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2022/01/25/火曜日/穏やかな晴こちらは記念館。サザエさんのおうちのお茶の間が実物大で再現されていて、撮影できる少ない場所の一つ。館内にはサザエさんはもちろんのこと、エプロンおばさん、意地悪ばあさんがほぼ同じボリュームで楽しめるように展示されているのが嬉しい。発見!サザエさんは当初波平さんとフネさんをパパママと呼んでいたのでございます!大好きなハンサムなお父様が早くに亡くなられ、お母様は一年伏して泣き暮らしますが、ある日がバリと起き上がり、上京。15歳の町子さんがふと漏らした弟子になりたいの一言に反応して田河水泡の元に行かせるなど、驚きの行動の方。いやあ、意地悪ばあさんのユーモアと毒とペーソス、本当こんなにケケケと笑えるのは久しぶり。エプロンおばさんだって庶民の姿を見てを活写して見事。素晴らしい才能です。美術館は道を挟んで反対側にあり、こちらが先にできた。町子さんとお姉様の鞠子さんで集めた美術品を、社会還元しようと自分たちの力で開館したのが昭和60年。その経緯も実に正直にパンフレットに紹介されている。ただ今ひと足お先の、桜新町桜満開展示中。両方とも見学にで大人900円。カフェの100円引き券付き。ショップで絵葉書と波平さん織り地ネクタイを衝動買い。
2022.01.27
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2022/01/25/火曜日/午後から曇天生誕120年の後半「向井が愛した家具とともに」入館料200円失われていく日本の民家を描いた洋画家といったごく表面的な印象で訪ねる。何しろアトリエを見るのが好きだ。その人となり、選択して来たこと、時代背景を知ると向井潤吉という人間と作品が切実に迫り来る。仏像はその寺で見るのが良いように、アトリエで作品が見られるのは本当に喜ばしい。住宅やアトリエには芸術家の本懐のようなものが篭っている。今回は彼愛用の家具などにも触れることができた。家具は吉田ショウヤ(彼の存在を民藝の百年展で知った。)と木工作家の林次郎の紹介があった。林次郎は今回初めて知った。彼の作品は残念なことに不審火で焼失。チェストだけが手元に残り、館内でベンチに転用されていた。彼の作品をまとめて見たいものだ。内部は作品が展示されているためだろう、撮影禁止なのが残念。大きくはない庭だけれど、昔日の世田谷の印象を刻んでいるらしい。石が多く用いられているが重苦しさは無く柔らかく自然な感じ。
2022.01.26
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2022/01/25/火曜日/午後から曇天半蔵門線桜新町駅最寄りの神社ならぬ神宮。神社と神宮の違いすら知らないのだけれど、何となく有り難さに吸い寄せられる。こちらは古式神道の総本山的な役割を担うのだという。初詣は瀬織津姫ご祭神の武蔵一宮、小野神社だったし。いいのかしらん。ご朱印帳に並んで。と案じつつ、まあ八百万ヤオヨロズと唱える。ご朱印を待つ間にご由緒をチラ見すると明治15年創建とある。え?思ったより新しいですねーと尋ねてみると、神田今川小路から当地に移ったのは神官にお告げがあっての事だとか。移転は大正8〜11年にかけて行われ、その翌年の関東大震災や大空襲を免れたので、災難除けに霊験あらたかとして参拝される方が多いとの事。小さいけれど格式の高いお社でした。
2022.01.25
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2022/01/23/日曜日/朝から寒い曇天〈DATA〉株式会社文藝春秋/李琴美2021年6月25日第1刷発行第165回芥川賞受賞〈私的読書メーター)〈昨年の芥川賞作と思い出すまで、YA小説は久しぶりと読み進めた。著者は台湾出身で独学で日本語を学び2017年来日。えーそんな短時間で日本語で、更に先島らしき言語も駆使してノロの世界を創造したのか。主人公の記憶を無くした宇実のように大変な勉強家で努力家だ。地理的状況は物語後半で明かされるが、車や太陽光発電パネルが島にもたらされても時代特定できないのがユニーク。寄せる波のように繰り返される歴史、災害、パンデミックとマイノリティへの目配せがパラレル感を読み手に与える。鳥葬など上橋菜穂子的文化人類学テイストも。〉台湾はじめ南沙諸島辺りは、人も風景も穏やかで優しい感じがする。時に『首里の馬』みたいなとてつもない台風が来るけれど、確かにその傷跡は残すけれど、過ぎ去ればどこまでも青い空があっけらかんと広がるのだ。沖縄本島を訪ねたほんの3年ほど前、人のいない砂浜で立派な紳士と娘さんらしき人が夕なずむ海に向かい、膝まづいて祈りを捧げる姿に出会わせたことがあった。しんとして威厳があって、信仰というものが太古からこうして続いて来たのだと、こちらも居ずまいを正したことだった。沖縄とその周囲は祈りの島々だ。台湾の道教のお寺とは明らかに違う。神道の最も古い姿を留めているのではないかと直感された。彼岸花の咲く島で、島生まれの少女と島に打ち上げられた記憶の無い少女がノロになるために女語を学ぶ。ノロは島の歴史を語り継ぎ、薬草作りや葬儀祭事、神事を司る女性の集団だ。彼女たちの鉄の掟で小さな島は原始共同体のようなまとまりを持ち平和に暮らして来た。二人の少女も自らの意思でその道を歩み出す。ニライカナイの解釈が私には腑に落ちなくもあったが、著者の母語ではない言語という挑戦に拍手したい。
2022.01.24
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2022/01/22/土曜日/暖かく穏やかな晴天随筆編『骨董』中、秦秀雄「猿投」を読んで、慶應大学日吉キャンパス造成の折、川崎市南加瀬土中から発掘された国宝秋草文壺を見たいと思いたち出かけてみた。読み直してみると秦氏は慶應大学までこの壺を見に行ったのは昭和15年とあるが、大学のネット掲載情報では17年とある。何にしても氏が藤原古陶を追い始めて数年、廬山人の鎌倉古陶鑑賞発見から10年ほど。万を辞して土中からひょこりと現れることが面白いではないか。壺の時代は平安と特定できたが、どこの古窯かは未だ特定されないそうだ。氏の考えではその後瀬戸系や常滑と派生していく猿投窯業の広範な広がりを知ることができる。さて、2階国宝室には今回この壺はなく、羅漢図が架けられていた。調べもせず思い立って出かけては空振りすること多いが、二体の十一面観音立像に見えて幸福だ。そちらは撮影禁止。右大日如来坐像うるわし。秋草文壺は無かったが、猿投の立派な壺は見られた。蓋付き。左10世紀猿投、右12世紀常滑。やると言われれば猿投を頂きます、私。トーハク150年に当たる本年は、めでタイガー。応挙のトラと刺し子陣羽織に瞠目しつつ、田中抱ニの若松春草にほんわか。七歳の書に教えられ、八十一歳乾山の手になる陶箱の書を寿ぎ、寅の陶枕で邯鄲の夢、琉球3人弁当箱で野遊び哉今年は会員にでもなって、とにかく秋草文壺に出会えるまで辛抱強く通おうかしらん。
2022.01.23
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2022/01/21/金曜日/早朝寒し、晴〈DATA〉株式会社作品社/編者 安西篤子1991年11月25日第1刷発行1994年7月20日第4刷発行日本の名随筆 別巻9〈私的読書メーター〉〈1991年初版だからまだ31年。だのに、この古色然とした風貌内容を怪しみ、過年の電脳変幻世界が思われ眩暈する。エッセイ選者が実に気が利いている。矢張り卓越しているのは小林秀雄「真贋」だろうか。氏は良寛の「地震後作」の詩軸を得て得意満面、が良寛研究家の知人から越後の地震後、良寛はこんな字は書かないとばっさりやられる。で氏も名刀で掛け軸をばっさりバラしそれを肴に夜更けまで二人して酒を呑む。凄まじい。私の好みは井伏鱒二、加藤楸邨、自作土偶の話、猿投などか。実は先日良寛の地震後作を見たのだが果たして真贋いかに。〉芝木好子を読みたいと考えていたところ、この随筆集の中に彼女の名を見つけ喜ぶ。加藤楸邨発見の喜びも加わった。氏の「骨董夜話」は6つの掌編から構成される。其々タイトルを付し、初硯、もう一つの世界、からむしの昔、達谷の銘、月下信楽、掌中仏。それらには俳人らしく、氏の句も添付されている。全体がその表題に似つかわしい静けさと深まりをたたえ、同時に氏の人間的魅力が伝わってくる。長く身辺にある硯について。戦前の中国開封の古い城内で出会った軍人とのたった一度お茶を共にした出会いの、いわば形見として手渡された端渓硯。それが東京空襲の最中、一刻一瞬を俳句に凝集するしか明日のない日々の中に入り込んだというのだ。自分で求めたモノに非ずして、自らの生命にも等しい己が創作を描き付ける筆記用具、硯。ただならぬ関係だ。このような出会いは余程の縁を結んでなければ生じ得ない奇瑞であろうか。詩人は「一日が終わってさて夜を迎えるというような時、暗い机の前でしずかにこの硯の面を撫でていると、かつてこの硯を持った代々の人々の思いがひそかに胸中を去来する」ような気持ちを述べる。ー 初硯ひとひらの雪載りにけり初夢、初詣、初硯。取り止めのない日々に句読点を入れて、新たまる心のありようを寿ぐ我らの暮らしの中に不動のように思える、重持ちする石の硯。そこにひとひらの、まるで己が命の如く儚い雪が淡く触れる刹那、うたが生じるそんなふうに感得、鑑賞するのだろうか。「もう一つの世界」は、昼の生活では掴みきれないもう一つの世界を生み出してくれる枕の話。氏が墨台にしていた陶枕がやがて本来の用途に戻っていく様子が可笑しい。そういえば、ル・グゥインの『夜の言葉』ももう一つの世界につながるエッセイだった。「からむしの昔」 筆算として用いたらさぞや良かろうと骨董店の灰皿に執着するも商品ではないと断られてみれば、それ以上先へは進めない。ところがこれもちょっとお世話する件があり頂戴することになった。何の用途か誰も分からなかったのを鮮やかに開示したのは奥さまだった話。その反応が氏の教養や品性の健やかさを伝えて気持ちよい。「達谷の銘」 衝動のように湧き上がるギリギリ簡素な暮らしへの憧れ、そんな時日本の辺地やシルクロードなような乾燥地に出かけるという詩人の心。その100分の1くらいは私にもあり、荒波が寄せ来る、木も生えないような岩だらけの北の島嶼へ旅することを夢見る。氏の焼き物への好みもそのようであることが、次の「月下信楽」へと展開される。最終「掌中仏」、これもまた敗戦色濃い昭和19年、従軍僧となったお坊さんが別れ際に氏のポケットに入れたものという。何か託さずにはおれぬ、加藤楸邨とは人をしてそのように思わせる、そんな心のありようの詩人なのだろう。モノとの出会い、或いは骨董というものの本質を言葉を弄さず伝えるのは技量にあらずして、氏の心と見た。
2022.01.22
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2022/01/21/金曜日/じょうろや鉢からからこぼれ落ちた水は木製デッキの上で直ぐに氷と化す朝、晴天。尊敬する年上の同性の友人がいることは有り難く幸いなことだ。今年頂いた彼女の年賀状には仰天。こんな作品を頂いていいのかしら。でも本当に嬉しい。私は年賀状をダウンサイジングしているけれど、こんな素敵な作品が届くと止められないとつい欲張ってしまう。さて、彼女が先日手渡してくれた一冊の本もまた鳥にまつわるもので、読んだらこの本を好きそうな誰かに渡してね、とのこと。その際自分の印を残してバトンするのがお約束。ちょっと面白い企画。
2022.01.21
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2022/01/19/水曜日/思ったより寒くはない晴天白井晟一といえば、飯倉交差点にあるNOAビル。学生時代この建物に遭遇した時のことを思い出す。明らかに周囲の建物と異なる存在感。求道的というか殆ど宗教的。ゴツゴツした重さ、アメリカではなくヨーロッパ志向。などなど。考えてみれば不思議な経歴の方だ。京都の現工芸繊維大学を出た後、ドイツでヤスパースの元、哲学を学んだという。その留学、帯殴時代に林芙美子と交友を持ったことが会場で紹介されている。なんと。先週林芙美子邸を訪ねたばかり。彼女の住宅は素晴らしいものだった。山口文象設計と言い状、実際は旺盛な建築学習欲で芙美子の方が彼を圧倒していたのではないかと想像される住まいだ。彼女の伴侶は彫刻家であり、彼女自身、画家を夢見たという。さて当初は建物見たさの松濤、まさかの白井晟一展でドンピシャ。渋谷駅から道玄坂を登り神泉辺りのヤバヤバな隘路に紛れ込み、つつつと斜め急ぎ。ちょっと気位の高い松濤へ。竣工当時は建物が美術、とささやかれていたような小さな入り口から入館すると右手で受付。左手にホワイエ、ロッカー、資料展示など。入り口からまっすぐ、オープンな渡り廊下。地下2階と地上2階の真ん中、この演出はお寺の、俗世を離れるお太鼓橋でもあろうか。芸術に身を投ぜよ、と。階段というのはそもそも劇場的だけれど、それをよく心得た抑えた構成だと思う。静謐で穏やかだ。館内に二つの大小オーバルタイプの周り階段。仕上げは同じだけど、小さい方は円形プランから生じたニッチな空間が面白い。こんな所に展示があっても良いのに。2階のギャラリー、サロンミューゼは、リッチなマンションの居間にでも迷い込んだかのよう。竣工当時、白井晟一は私有物で展示の具合を確認したらしく、その様子を再現したインスタレーションだとか。館内のあちこちに置かれた鏡は当初から。何故鏡か。哲学するためか。正面に飾られた旧約聖書からキリストの受難のタピストリーが私には垂涎の逸品だった。サロンミューゼ隣接の小さな展示室には書をよくしたという白井晟一の作品と共に道具類の展示も。地下二階のお茶室は今回初公開だとか。ただし一度もここでお茶会がもたれたことはないとの事。週末実施の職員による建築ツアーは全て満席。展示を廃して、建物を見せる。ちょっと意表をつく展覧会ではあったが、ささやかに村田勝四郎のダックスフンドの像などがエレベーターホールにあったのはご愛嬌実はここから、和菓子の岬やさんまで遠くない。ここの最中は他所で見当たらないくらい私には美味しい。眼福の後は口福、帰宅の愉しみ喜び
2022.01.20
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2022/01/19/水曜日/寒いけれど好天毛糸屋さんを除いて色や手触りを確かめて毛糸を買うのも好きだけど、割と面白いのがネットでまとめ買いなる、ギャンブル的な買い物も面白い。もちろん当たり外れとか混合玉石はあるけれど。自分の好みで買うと何の意外性もないのは当たり前、そこを破るのがまとめ買い。届いたものを見てあーあ、みたいにため息ついて2、3年寝かしていた内にふと思い立って2枚目ケープと帽子を編んでみると中々良い出来栄え。自分のお買い物ではあり得ない、他の方の選択の毛糸との出会いって面白い。
2022.01.19
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2022/01/14/金曜日/風強く吹く晴月2回のお稽古が始まり未だ2ヶ月。教室以外で筆を持つこともないままで、せめて鉛筆でも良いから、少しでも丁寧に文字を書く時間を今年は持つように努めたい。↓今年初めての文字、これは先生お手本↓10枚書いた中で先生から「よろしい」をもらえたもの。本日の学び慈雲尊者の讃月や花のようにありたい、相手により変えることなく、嫌なことを言われたりされても等しく己の自然な姿で接する。忍。
2022.01.18
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2022/01/14/風多少あるも陽当たりよし都庁舎から近い所にある、今まで何度も通りながら気づくことなく通り過ぎたビルの、アプローチの分かりやすい場所にある、学園附属の服飾に特化した博物館。ただ今、欧米クチュリエに繋がった歴史の展覧会中民族衣装のような手仕事の感じられる服飾に昔から関心があり、旅先では可能な限り民族博物館などを訪れる。小さな町の資料館でびっくりするようなモノに出会えるととても楽しい。かつて佐倉で見た民族博物館の蚕のコレクションには圧倒された。サンフランシスコ、チャイナタウンにある資料館の民族衣装の刺繍も素晴らしい。ドイツの名前も忘れた村唯一のお店兼観光案内の建物二階でバルラハを始めて知ったことなども懐かしい。↓これは多摩美だったと思うけれどユーラシアの渦巻き紋様を追って鶴岡真弓さんと西洋占星術家の鏡リュウジさんの対談というまあ、面白い企画で。↓ラトビアの森の手仕事マーケットとラトビアのミトンを地域ごとにまとめたコレクション本を出した女性が持っている手仕事のお店に併設された民族衣装コレクションの画像ここは野外民族博物館となっていでとても充実している。物資不足の共産圏時代、彼らはここに集い物々交換経済で息をついていたのだ。なんと日本語訳があったショップ。このお店で典型的なラトビアのスカートを購入したけれど中々着用機会がない。↓アジアの手仕事、特に刺繍が好きでハノイの国立博物館はとてもよかった。建物の屋根の意匠に目を見張る。今では実物があるのかどうかは不明。ベトナム人女性、というよりおそらくその地の少数民族の人びとの手先の器用さ他に台湾、ウーライの山岳民族資料館で見た衣装、その刺繍やプリーツなども。今回展覧会で興味深く思ったのが、戦時中の陸軍被服厰の熱心な現地調査と記録。態度は大変学術的。もう少し資料数が多ければ貴重な、興味深いものとなったろう。欧米が世界各国の民族衣装を受容しデフォルメする幾つかの展示の中で青いかすりのドレスのオリジナルがとても美しく印象に残った。
2022.01.17
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2022/01/14/金曜日/都心は風の強い晴〈DATA〉東京創元社/著者ポール・アダム 訳者青木悦子2014年5月30日初版2014年7月4日再版創元推理文庫〈私的読書メーター〉〈ヴァイオリン奏者の娘が、殺された父のヴァイオリンを追う児童書『消えたヴァイオリン』が思い出された。ミステリーとしてはそちらが面白かったかも。釈然としないのが伏線の曖昧な所。冒頭で弦楽四重奏を楽しむ仲間の3人のボリュームに比して一人神父は早々と立ち消え、別途犯人は最終やや唐突に登場。それにあのストラドはどんな経路で?これは私の読みが拙いのか或いは読者の想像で補うのか、そこがミステリー。むしろヴァイオリン器楽のためのオマージュとして上等な味わいがあると感じた。真に音楽的なるものは天上の如く倫理を奏でる。〉著者は英国人。イタリア好きはドイツ人と思いきや、英国人もそうなのかも。偉大なるシェイクスピアはいたけれど、音楽家って英国に誰がいる?なのに、オックスフォードにル・メシーがある事実を著者はスコットという英国人登場人物を配して、コレクターとしてのイングランドという一面も描いたのではないか。大英帝国時、世界の富の三分の一だかなんだかのポゼッションが彼らの女王のものだったのだから。そういえばクレモナ。アニメ耳を澄ませば、の男の子が旅立つ街と記憶。以前お稽古事レッスンでご一緒した方のお嬢さんがクレモナでヴァイオリン職人目指して留学中、とお話を聞いたことがある。何でも18世紀以前の建物に寄宿して、そこにはレッスン室があり、お嬢さん自身ヴァイオリンを弾くので嬉しいとか。さて、今はどんな活躍をされているのかしらん。物語次回作では、オークションに影のように出てくるアノニマスな日本人ではなく、こんな東洋の女の子が事件に絡んで意外に活躍、なんてなると面白いのに!ヴェネツィア、ミラノ、フィレンツェ、ローマ、ナポリ、ヴェローナ、ボローニャ。かつて3週間ほど旅して回ったけれど、クレモナには行ったことがない。本書を読んで訪ねたいと感じたのだから観光ガイドとしても成功している。もしイタリア渡航の機会があれば、そことボローニャに再び行きたいな。
2022.01.16
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2022/01/12/水曜日/寒いけれどうららかな晴私はこの画家を知らなかった。碌山ともつながる中村屋に出入りしていた夭折の人。彼を支援するパトロンがいて、下落合にアトリエを持った。アトリエの天窓のあしらい、アトリエの空間並びにそれにつながる居間への内法寸法、漆喰壁の肌合、全てのスケール、素晴らしい雰囲気に満たされる。誰の設計か、中村彝自身のものか。だとしたら素晴らしいセンスの持ち主だ。ここで暮らしたい!そんなふうに思える空間は少ないが、このアトリエには魅せられる。どこか禁欲的で精神の休まる、そんな印象が深い。そしてとても音楽的なのだ。チェロやバイオリン、弦楽器が似合う。外壁の焼き杉板?下見張りとこの屋根瓦。冬薔薇が痩せた姿をフリーズさせ、まるで音符のように南面土台に並んでいる。37歳で逝ったが、その少し前、髑髏を持つ自画像が描かれている。大原美術館が所蔵している。まるでグレコのような。清浄な世界へと昇っていくような。これも、彼の一つの絵である、と思う。
2022.01.15
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2022/01/13/木曜日/寒い晴れの日30歳でパリで客死した。その時まで2度もパリに滞在した。ユトリロやセザンヌの影響の感じられるタブローを残している。当時の日本人画家の中では一番パリに触れた人、のように感じる。アイスブルーのグラデーションが彼には似合う。学生時代に結婚し、アトリエ付き住居を構えた。↓竣工した頃の魔界が記念館に置かれている。妻の米子も画家で、彼女の絵からは苦悩のようなものはやって来ない。↑右上が米子の作品。住居部分は失われ、アトリエだけが修復再現された。↑親密な、ヌックのような空間のある小部屋は祐三自身が建てた空間で、素人の手ながら関東大震災にもびくともしなかったそうだ。在学中に土地を買い、家が建てられ、就職することなく家族と共にパリで学び暮らした。しかし2度目滞在で精神を病み、衰弱死する。それから2週間ばかりして一人娘も可愛い盛りに命を落とした。米子は二人の遺骨を抱いて帰国、まもなく日中戦争、太平洋戦争、大空室、敗戦と続いた日々を生き抜いた上での、あの花の絵、なのだ。
2022.01.14
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2022/01/12/水曜日/穏やかでも空気が冷たい「ぐるっとパス」を12月末に購入したらオミクロン株急蔓延。少しでも行ける内に足を運ぶ。林芙美子といえば放浪記、のイメージで建築とはおよそ結び付かなかった。しかし家の普請に当たり200冊からの住宅関係書を買い込み、研究し、大工連れで京都の見学までしている。求道心の塊のような方である。「生涯住む家を作るなら、何よりもまず愛らしく美しい住宅を作りたい」と多忙な流行作家の傍ら、昭和16年の夏に竣工させた。この住宅には武張ったところも権威的なところもない。水回りと茶の間に最大予算をさいた、まさに芙美子という人間の見える住宅だ。浴室西壁一杯の引違い窓からは寝室とアトリエのある棟の前に植えられたカエデのイチギョウジとオオサカヅキが西陽に照らされ臨める。オレンジと真紅の紅葉が並んだ美しさは例えようがないとか。茶の間の東奥には母のための四畳半がある。すっきりとした狭さを感じさせない内装。こういう部屋を見ると半間でも床の間があるとよいなあ、と思う。玄関アプローチの床石、カマチの踏み石、床の黒曜石、また隣接の客間の意匠は数寄屋風で、作家の住宅らしい格調がある。プライベートな空間のほのぼのとした柔らかさと好対照作家の書斎。ずっと正座で書き続けられる、なんていうことに感嘆する。雪見障子で光をコントロール、裏庭の見える廊下に面した障子戸の内法の低さが美しい。正座から見た内寸法だろうか。右上の照明は書庫の天井灯。当初からのものはこれとアトリエの天井灯だけだそう。また画像で判然としないけれど、外壁テクスチャーに独特のさびた味わいがあると思っていたら、お醤油に漬けた鉄屑を漆喰に混ぜて仕上げたものという。昔からある技法らしい。この季節、さっぱり花はない。けれど小さな案内板を見ると今では個人の住宅で見られなくなったものが並び植えられ、その季節が待ち遠しい。
2022.01.13
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2022/01/11/火曜日/寒い雨の日三本の毛糸がありました。一つは30gの極細モヘア若草色。一つはおそらく姑が保存していたカセの濃い緑のモヘア100gほど。残りはミックスツイードベージュの残り糸70g N先生の、ノット編みカーディガンの応用でこれらの半端な毛糸でコート上から使えるスヌードケープを編むことに。針は6と8号4段ごとにメリヤス部分を一目毎増やしてみるとかなりな裾フレアーとなってしまった。簡単なゲージはやってみたけれど、やはりスォッチ編み=一つのモチーフを3パターンくらい続けてみるべきだったなあ、と反省。仕上がりイメージが違うので、完成したものの解いて編み直し。まあ大きなものではなし、気に入らないと絶対にムダなものとなる。しかしツイ熱くなって気づくと夜中1時過ぎ、なんてことになる。冷えた身体で固まった姿勢は腰に来てしまう、うう。これも反省。見切りをつけてさっさと床に行くべし。若いときは徹夜明けで仕事していたのだから、大したものだった。上は編み直してコンパクトになったところ。コート上からだとフレアーがもう少し広くても良かったかも。下は、今はもう何処にもないもの。ネックをそのまま閉じるか、ボタン止めにするか思案中。教えて頂いたパターンや技法はできるだけ複数体験して身につけるよう試みる。ついでに残り毛糸も活用。
2022.01.12
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2022/01/10/月曜日/午後から晴↓作夏、山梨のベリーガーデンで。ベリーはスグリ以外はたいてい生で食べるのが好み。かつてベリーガーデンが憧れだったくらいベリー好きだが、ハックルベリーなるものを知ったのは2年ほど前のこと。↓ベリーの摘み取り、一昨年前の高原長野に出かけると立ち寄っていらお蕎麦屋さんの奥さんが庭で育てジャムにしているという。一年越しで先月、やっとハックルベリーを手に入れることができた。見た目はブルーベリーに近い。レシピにもよるのだろうけど、ジェリー状にはならずソースのような仕上がり。やや甘い味の仕上げ。その為か酸味は少なくブルーベリーに比べると素朴な味わい。これがヨーグルトに合う。ハックルベリーといえばマーク・トゥエインの小説とばかり思っていた。そんなベリーがちゃんとあるんですねー。どうやらビルベリーの、北米の方言らしい。そうか、ビルベリーのことだったんだ。↑ベリーとリンゴ、スコーンとクロテッドクリーム、ジャム少々のピクニック。ロンドンの植物園で、もう3年前のこと。
2022.01.11
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2022/01/07/金曜日/南の窓はうららかでも風少しあり〈DATA〉中央公論社/星亮一2003年12月10日印刷2003年12月20日発行中公新書1728〈私的読書メーター〉〈判官贔屓だ。敗者の歴史とその鎮魂であるお能が好きだ。従って心情的に会津藩士にどうしても肩入れするのだが、そのセンチメントを少し払い除けてくれる本書。慶喜の描き方はいささかステレオタイプと感じたが、会津藩周辺の民百姓がどのようであったかの資料調査が充実している。勝てば官軍の薩長同盟に対して負ければ賊軍の奥羽越列藩同盟。官軍とて所詮寄合軍、巻き返す機会がありながら、実践を知る参謀も武器も兵站知略も無く、最後は最新式銃大砲に向かい槍で突撃するしかなかった老兵や哀れ。而、これはその後日本全体が経験した事に他ならぬ〉江戸幕藩体制から明治薩長同盟への移行について、私が学齢期に学んだものは世界に冠たる平和な革命、といった教科書を黙読したくらいで、近現代史は遂に授業内で省かれていた。御一新から150年になる今から5年前辺りから、その当時について書かれた記録や物語を思い出したように読み継いでいる。ついこの前起きた国内戦争の内実は今の地平に繋がっているわけだから。本書はコンパクトな新書版だが、会津戦争の激戦地となった市町村の史料なども読み込み、激戦地の周囲の村々がどんな様子であったか理解が進む。一度戦争が始まれば、生命を落とすのはサムライたちばかりではない。会津では籠城に至ったが為に、城内の女子どもも生命を落とした事はつとに知られているが、領地の、武士階級ではない男たちもにわかに軍内に組織されていたのだ。また官軍の北進にある町々、村々は青天の霹靂のような災禍が襲う。蔵の保存食が供出され、女性らは兵士の慰みに駆り出され、挙句戦略の為に村ごと焼き払われる様が克明だ。浪江町はこの時にも辛酸を舐めている。民百姓が生き延びる為の選択は道理で、当然強い側に着く。間道や山道を案内し、薩長同盟軍を支援した村人たちのあった事は会津藩に手痛い敗戦を強いた原因の一つとなった。そんな地域は長年会津藩政に恨みを抱いた原因にあると言う。本書は画像や地図などの資料も豊富で読みやすく分かりやすい。ただ、やや会津藩に辛口のように思ったのは、白虎隊記念館資料紹介にあって、私の記憶に一番残っている資料は紹介されていないなど散見される点。260年も天下泰平の世で、城内にプールを設営し、水の中の実戦的な騎乗訓練を行うなど、他の藩にはみられない工夫もあった事実を忘れてはいけない。本書紹介、板垣退助が官軍の側から示した敬愛が幾らかの慰めでもある。同時に三浦乾也が蒸気船造船を仙台藩の元に成し得た後、仙台藩内の半目で冷や飯をかこつ事になった時期とも重なり、その際の仙台藩の仕打ちは私には酷く感じるが、著者は仙台ご出身で、矢張り地元に緩いのはご愛嬌か。
2022.01.10
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2022/01/08/土曜日/日差しは温かいけれど北に雪凍みる国立のギャラリー銀風工房さんのコンサートに出かける。朝、玄関扉のお正月飾りを取り外したその日に、何故にクリスマスかというとそれはコンサート主催者のパンフレット裏面説明に詳しい。私はクリスチャンではないけれど、クリスマスやキリストに親和性を覚え、アドベントキャンドルの灯りを灯し、生誕祭の夜のお人形を並べ一陽来福を寿ぐ。松の内まではクリスマスとお正月さまが重なりながらリレーする我が家なのだ。だから、今回25日に始まり本日9日終了のクリスマス古楽コンサートが素直にフィットする。このアンサンブル主催者中村会子さんの力量というか、音楽的宗教的な芯の太さが素晴らしい。古楽器は気温や室内環境に合わせて調律もかなり努力を要する。それはどこまでも肉声に近くキリスト生誕の喜びを伝えたい!ただそれだけの心が歌になる。入れ物と容器がとてもしっくりくるのだ。それゆえに音や歌が流れると情景や風景を呼び覚ますような力がある。「天に栄光、地に平和」をコルトナとフィレンツェのラウダで聴かせ、違いを感じさせた試みも興味深い。前者は私に祭のお囃子の調子を、後者は祈りだけに捧げた教団が生きたフィレンツェの風景を連想させた。コンサートの合間にはヒルデガルドや聖フランチェスコの話なども出て、学術的な用土から真摯に紡がれる音楽であることも付け加えたい。本日コンサート最終、場所は飯能ガレット工房 時、である。ガレット!時!なんか素晴らしい閉じ方だ。
2022.01.09
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2022/01/02/日曜日/午後は温かい晴〈DATA〉株式会社新潮社/川端康成昭和56年12月20日発行昭和60年8月15日四刷川端康成全集第二十巻〈私的読書メーター〉〈初読みは13、4歳頃。この世界にすっかりはまり込み、わざわざ遠くの女子校に編入学したのだから人生を変えた一冊といえる。読み直してみると改めて洋子という少女の崇高さが胸に迫る。人間というものは生きた年数によって、或いはその体験の嵩で完成されるとばかりは言えぬとしみじみ思う。清潔さ思索の深さ思い遣り、といった情緒の種の良し悪しは生まれ落ちた時から既にその人特有であるように思う。一見恵まれたお嬢様洋子のクリスマスの贈り物を心から尊く受け入れる三千子、挫折を通し人間の価値、自分の過ちを認める克子、乙女ら伸びよ。〉〈〈私は人間は生まれつき善なる存在と捉える。それでも自身の重ねた馬齢を通して人間本質の善なるものが人間個々の魂的レベルにおいて位階がある、という実感を覚える。 そう感じたのは勤務先の中学で尊敬すべき図書委員の女子中学生に出会ったことが大きい。彼女は未だ15歳だったが40過ぎの私よりもとてつもなく大きな人間だった。 トラブル対処の彼女の対応は私など足元にもおよばない叡智の輝くもの。彼女の存在は凡ゆる差異を超えて尊敬しうる人間のあることを教え、その感激はいつも新しい。同時にいつも自分の小ささを反省させる。〉〉洋子と克子は、ミッションスクールの新入学生三千子の鞘当てで、感情をもつらせる。洋子は樹木の花を愛する人、克子は濃い紫の匂い菫を愛する人。洋子は賢く控え目で思慮深く、克子は活発、スポーティで自分の感情を全て外に発散させる。そんな彼女は欧米の少女とも対等に交際する。まるで完成された人格者のような洋子という存在、しかしなぜそんなパーソナリティを持ち得たか、洋子の家庭の事情も段々見えてくる。三千子は洋子を敬愛し夢中になり、周囲からも二人はエスの関係であると認知される。そんな二人が離れた夏休み、避暑地で偶然克子に会った三千子は、後ろめたさを覚えながら克子の魅力にも惹かれる。そもそも誰とでも仲良くしてはなぜいけないのか、と考えてしまう三千子…三千世界に咲く花の、匂い立つ艶やかさ、少女たち薔薇は生きている、劇中劇のような洋館の荒れた庭。嫉妬深く意地悪な、強い娘はその強さで自らの過ちを認め許しを乞う勇気、克己がある。その時未来は新たに洋々と開かれる。無垢なものが誤謬を犯し、贖うことで真理に到達する。洋子は見守る人、証言する人であろうか。いや矢張り幾ばくか嫉妬もし恐れもしたのだ。それでも洋子は矢張り遥か高みを行く人。この3人の乙女は3人で一人のパーソナリティかもしれない。其々のペルソナが知性、感情、意志を示すかのよう。物語を読みながら時に宝塚が演じる源氏物語の世界が展開しているような印象も。本作は中里恒子の原作を川端が手を入れた事が定説だ。さて。この本に出会った中学時代。好んで読んでいたのが、哲学入門とか貝塚茂樹の論語とか宮沢賢治伝記とか岡潔や寺田寅彦の随筆だった。その折、人格とは遺伝をベースに環境と教育で作られる三角形、といった表記に出会ったことをよく記憶している。授業で「獲得形質は遺伝しない」法則みたいなことも学んだ頃。数学や音楽の天才が耳に似た形態の渦巻官をもつことはよく知られている。今日では笑い話だが、19世紀にヨーロッパを席巻した人相学、骨相学では犯罪を犯すものの外的特徴に共通するものを学者が真面目に研究したという。音楽、スポーツなどには確かに遺伝上のアドバンテージがあるように思うが、三角形パーソナリティから考察すると、犯罪は教育、環境因子に因ると思う。盗まなければ飢える状況下では私も盗みを犯す。これ間違いない。ところで最近の知見では離婚遺伝子なるものが存在するという研究もあるそうだ。ほんまかいな。その研究者自身に離婚因子があるので、離婚に至らぬよう環境を予め徹底的に考え、時間や趣味のありようを工夫している、というのは知人から聞いた話。知るは防御なり。しかし、簡単に道徳や善から転び落ちる多くの私のような人間の中に、より困っている人のために自分の全てを差し出す驚嘆するような人がいる。多くを持ちながらまだ貪る人もいる一方で。この違いとは何だろうかを考えずにいられない。本当に人格は遺伝、教育、環境の三つだけだろうか。人間は身体と感情と知性だけで認識できるだろうか。私の実感としてある大きな問題は「輪廻転生」という考えだ。因果応報、撒いた種は自ら刈り取らねばならないは道理。それが時空を超えて私という人間の実体に刻印される、今ある生は過去のどかかでの果である、という考えは私に根強くある。ごまかせる、騙せる、そんなものなど一つも無いという実感がある。遺伝は祖先から連綿と受け継いだ命のバトンだが、全き私は幾度か生きた人生でその時その時の私自身が、行為思考の中に記して来た一冊の本のような、何と名づけるべきか、霊魂か。言わばヒトとしての血統とindividualな霊統。この二つを有しているのが人間ではないだろうか。人は全て平等、尊厳を有している。にも関わらず明らかに霊魂において高低がある。ヒットラーもマザーテレサもヒムラーもガンジーも等しく人間だけれど、人間として遥かな距離がある。乙女の港を読んでこんな思索の旅もした。年の始めに。
2022.01.08
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2022/1/7/金曜日/温かい日だけれど昨夕からの雪仕事から帰ると我が家の周囲はこんな雪景色振り返ると私の足跡だけが私に続く音が雪に吸い込まれ静かな道寒い日は何といってもストーブの傍かおこたの中でせっせと編み物、の喜びが倍増する。ブリオッシュでストール編みたい、毛糸のパンツもよろしい、何より毛糸と余り毛糸の山を何とかしたい。と思いつつ、年末にまたこの一冊が増える。毛糸も増える。
2022.01.07
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2022/01/01/木曜日/昨日は寒の入りの寒い曇天カーディガンが編めた後、一玉半の毛糸が残る。アイルランドで買った白い帽子をベースに製図もせずに編んでみた。再現は難しいかも。髪の薄くなり始めた兄に届けよう。
2022.01.06
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2022/01/04/火曜日/日差しコントラストの強い晴昨日の午後は相当密な浅草も、4日の午前10時頃は呼吸もしやすい混み具合。それでもできるだけ少ない路地の方へ。路地で、ふじ屋という手ぬぐい屋さんを発見。三代続く、オリジナルデザイン手ぬぐいが渋い。お店に飾られていた市松人形の女の子、とてもよい作品で思わずお店の方に尋ねてしまう。藤村光還という墨田区一番の名工だとのこと。この作品は光還が明光と名乗っていた時分のもののよう。ソラマチの産業展示館でもっと見られる、と教えられ丁度スカイツリーお膝元に行く予定だし訪ねてみることに。浅草からは目と鼻の先、すみだリバーウォークを歩き向島へ隅田川付近からスカイツリーが色んな額縁で見えてくる。本当に美しい塔だと思う。ようやく辿り着いたソラマチ5階にはたっぷり空間を取り、墨田区マイスターの作品紹介や販売があった。しかし市松人形は一体のみ。お顔も余りピンと来ないもので残念。デパートの販売展示会などではそこそこまとまって見ることも可能らしい。次のご縁を待とう。電車で鐘ヶ淵に出る。向島七福神の多聞寺へ向かう。山門は珍しい茅葺き。真言宗智山派 隅田山吉祥院 多聞寺。ご本尊は毘沙門天。ほんとうのことを見抜く智慧とほんとうのことをまもる勇気を示すお姿という。この一年これを忘れず心がけよう。前回訪れたときはやや裏寂しい白鬚神社だったけれど、お正月は御神輿なども開陳され、人出も賑やかに華やいで、寿老神さまもお喜びの事だろう、おめでたい。最後は向島百花園の福禄寿さま。実は今年のスケジュール帳見返し紙にスタンプを昨日から押していたのでこれで全部揃った。松の内に七福神巡り、の初体験。二つの福神さまの間に素敵なテーラーを見つける。墨田はモノづくりの街だなぁ。センスが光るほんとうに良いものを作る若い人が途切れる事なく続き出て、その仕事でちゃんと上質な暮らしができるような国になってほしい。今度、墨田で仕事用のバッグを探したいものだ。
2022.01.05
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2022/01/03/月曜日/朝雲多く冷えたのち晴9:30頃浅草寺に到着。仲見世通りは平日お休みくらいの混雑。浅草神社はかなり並んでいるので列外から拝礼。待乳山聖天へと向かう道すがら和菓子屋さんを発見。浅草寺と待乳山聖天さん御用達の看板。この地で110年以上営まれているという。あの関東大震災と3.10大空襲を生き延びて。焼き菓子三種を二つずつ購入。美味しいくお財布に優しい。聖天さんに10:30頃か。本日は浅草七福神の毘沙門天さまがご開帳。神楽殿では雅楽がちょうど始まり、お暇する頃には奉納大根を下され、誠に有難い。次回は大根奉納させて頂かなくてはと思いました。隅田川たもとの公園まで来ると浅草混雑は嘘のようにのんびりと静かで地元の子どもたちやジョギングする人の日常風景が…桜橋から向島へ。地元の人と賑わう七福神巡りの中を早めにお蕎麦ランチ。すずめのお宿、はたまたま入れたけどお昼は要予約の印象。流石蕎麦激戦区、味も歯応えもある自家製粉、十割蕎麦。向島をひやかして、言問団子を頂いて三囲神社、牛嶋神社を経て言問橋から浅草戻る。花屋敷前の天然温泉宿で湯に浸かり、浅草六区をうろうろと。途中凄い人出におじけつつ、お好み焼きのつる次郎へ。なんとなんと!待ちリストは次の次の真ん中くらい。未だ5時になったばかり。とりあえず記入。お腹はすく、呼ばれる気配は一寸もない、仕方ない。染太郎は回ると13日だったかにお店開けるそうな。がっくり戻る途中、どこのお好み焼きもんじゃ焼きも若者グループが並び待ち。浅草って今や若者の街なんだなー、お年寄りはあまり見かけない。他のお店で並んで待ちつつ、つる次郎を行ったり来たり。名前を呼ばれた時そこに居なければ即リストアウトルールらしい。結局つる次郎に入れたが、記入してから1時間半が過ぎていた。お好み焼きを食べるのがこんな大変なことだったとは!二人でデラックスモダン焼き、デラックスもんじゃ、浅草焼き。それに水菜サラダとスモークサーモン。生ビール二杯ウーロンハイ。はふはふぐーぐびり、の幸せタイム
2022.01.04
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