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クロエ 監督・利重剛 主演・永瀬正敏/ともさかりえアラスジ:児童館に隣接されたプラネタリウムで勤勉に働く高太郎は、義理の叔母が開いた展覧会にて、クロエと出会う。可憐で不思議な空気を漂わすクロエに、高太郎は一目で恋に落ちた。二人は幸せな結婚をするが、その明るい日々もつかの間、少しずつ歯車が狂い始める。高太郎に降りかかる理不尽なリストラ、友人・英助の無軌道な自己中心ぶりと、それに振り回される恋人・日出美。そして、クロエは肺に睡蓮の蕾が宿る奇病にかかる。クロエを救うため、必死で奔走する高太郎。その事が、逆にクロエとの距離を開く事になり…。ボリス・ヴィアン原作「日々の泡」を翻案。あぁ、また雨垂れ投下だw気が付いたら、またクッキー食っちゃってるし。ログイン出来なくなるかと思った…学習しろ、自分wwwwwwwwwそもそも、この映画観たのって、1ヶ月以上前の事だよ。ウハまぁ、それでもめげずに書く。ちょっと根性wしかも、内容を殆ど覚えていないと言う図々しさ。相当な根性wwwww実は、原作よりこちらの方が先の鑑賞。以前から、レンタル屋に行く度になんとなく気になっていた作品だったので。特に永瀬やともさかのファンと言う訳でもないんだけどね。強いて言えば、監督には興味があったかな。嘗て決別してしまった友が、利重のファンだったから。冒頭、不思議な夢を話す岸田今日子に惹き込まれる。なんだか判ったような判らないような心象風景を、あの独特の語り口で投げかけられると、忘れられる訳はないwこれがこの作品のカラーなのかなと思いつつ見ると、その予感は裏切られる。確かに、岸田のシーンは、全体の行く末を暗示するものだが、映画全体のカラーはもっと甘く切ない。まぁ、よく言えば日本人好み。煌くともさか/クロエの笑顔、永瀬/高太郎のぎこちない含羞が、陰影の美しい映像と相俟って、とても優しい空気を作り上げている。それが、この映画の持ち味であり、限界でもあったようだ。原作が、シリアスなファンタジーだったとすれば、映画はファンタジーな現実。儚くも切ない夢は美しいが、現実となると。さて。嫌いじゃないけどね。魅力のある作品でなかったとは言わない。誠実な映画だと思う。細かな作りも丁寧。ただ、何となく最後まで違和感は拭いがたく残る。とても美しいけれど、どこか造花じみたその美しさに。前衛的な原作を、現代の日本に移し変えてみせた手腕は、中々のものだったとは思う。だが、それによって、枠が狭められてしまったのも事実。足掻いてもどうにもならぬ悪夢より、それでも猶愛し合う二人に主眼を置いた為に、甘い日本人好みのラブストーリーに押し込められてしまった感があるのだ。そんな中で、肺に蕾を宿した悲劇なんぞを語られても、“それなんて造花?”と思わざるを得ない。二人の運命を象徴する美しくも残酷な花が、強靭で残忍な生命力を持つ存在ではなく、ひらひらと薄っぺらい架空の夢物語の仮想に転化してしまったようだ。この物語の主軸が著しくずれてしまった為に、どこか拭えない違和感がそこかしこに漂っているのかもしれない。主人公演じる永瀬は、まぁ、いかにも永瀬。誠実ではあるが、不器用な男。金太郎飴のように永瀬である。ヒロインのともさかもまた、いかにもともさか。あざといほどに、ともさか。可憐で健気に、そして生活感のない不思議な美女である事を、あまりにらしく演じている。と言うか、ともさか自身の持つイメージを、クロエとコラージュして提示しただけな気もした。適役。だが、それゆえに広がりも感じられなかった。さりとて、では、この二人以外に誰が?と言われても思いつかぬ程なんだけどね。あぁ、まさに適役ではあったと思う。正しく適役と言えば、主人公達の裏面と言えるもう一組のカップルの方かな。英助/塚本も、日出美/松田も、流石。殊に、自己中心的な己の哲学に殉じてしまう英助の存在感は凄いと思った。酒場で英助が女の子達に絡むシーン、あの科白たちは、監督の脚本通りだったのだろうか。だとしたら、一寸見直す。現実に生きるって何さ?生きなきゃならんのかね?塚本の熱演と相俟って、深く突き刺さるシーンだった。そして、物語は予定調和的に悲劇を突き進む。花に埋もれて、美しく。どうも、日常に押し込めて仕舞った感が否めぬが、それはそれで手堅く纏めてあったので、良しなのか。監督の、人生や人に対する優しい希望が込められた世界なんだろう。それは、最後の場面にも凝縮されていると思った。原作では、まぁ、はっきり言って身も蓋もない救えぬ終幕で閉じる。だが、この映画では、現実の日常に立ち戻る事が出来た高太郎に、不意に訪れた空白の瞬間に慟哭を与える。その慟哭を放たたせる事によって、彼に救済を施して。あの瞬間、高太郎は、理不尽な運命に抗議を叫び、それによってやっと悲劇を受け入れる事が出来たのではないか。ファンタジーが、現実に立ち戻った瞬間だったのかもしれない。どんな事実でもそれを受け入れて、そこから初めて、人間は立ち上がる事が出来る。前に向かって。だから、あのラストは、監督から高太郎/観客への、励ましの慟哭だったのではと思った。違和感はあったものの、それでもこの映画は悪くないとも思う。何度か記したが、誠実で丁寧な作品であった。テーマへのアプローチが好みとは違ったものの、この作品を日本映画として成立させた手腕には拍手。こう言う愛の物語が好きな人には、お勧めの作品かもしれない。
2006年07月13日
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アラスジ:遺産で裕福に気ままな生活を愉しむ純粋な青年コラン。彼は、可憐な乙女クロエと恋に落ち、幸せな結婚生活を手に入れた筈だったが…。コランの友人シックは分不相応なコレクション癖に没頭し、その恋人アリーズを悩ませる。煌く不思議な世界に繰り広げられる、若く純粋な若者たちの耐え難いまでに哀切な恋愛とその結末を描いた「二十世紀の恋愛小説中もっとも悲痛な小説」。実は、この2ヶ月ほど、殆ど読書に時間を割いていない。脳は確実に退化し続けている。まぁ、読んだからって、無い脳味噌が埋まるもんじゃないけど。この本も、実は読了したのはかなり前。因って、曖昧な記憶にての感想。なら書かなきゃいいじゃん…なんだけどね。書きたいwヴィアンは、好きな作家の愛読書らしいと言うことで、以前「心臓抜き」を読んでみた事がある。…わっかんねーwその独特の感性による前衛的な描写には心惹かれたが、実の処、言いたい事はあまりよくわからなかった。取敢えず、再読待ちの本棚の肥やしになってたりするwで、今更またヴィアンに手を出したのは、この『日々の泡』を翻案した映画を見たから。(そちらの感想はまた別立ての予定)順番が入れ違ったが、慌てて原作を探して読んだ。こちらは、ストンと入ってきた。胸にヤスリを掛けられるような痛みを感じつつ、没頭。伊達に“二十世紀の恋愛小説中もっとも悲痛”と銘打ってる訳じゃなかった。ありふれた若者の日常風景の描写からの導入で、一見すると当たり前の小説のように錯覚する。単にこじゃれたレトリックを使っているだけかと。だが、読み進めるうちに、やはりこの小説も幻想小説ともSFともつかぬ、不思議な味わいの世界である事に直ぐ気がつく。カクテルを調合するピアノ、奇想天外な料理、愛らしく人と戯れるハツカネズミ、恋人たちを包む甘い香りの薔薇色の雲。主人公コランの人生が明るく恋の喜びに満ちている様は、それらの不思議な事柄で表現されているかのようだ。だが、それらも、泡のように儚く弾け消え行く。可憐なクロエは肺に蓮の蕾を宿す奇病にかかり、幸せなイメージは逆方向へ渦巻き雪崩落ちる。“睡蓮”と言う清らかで美しい筈の花が、禍々しい吸引の中心となって。広く豪奢な部屋は醜く縮み、クロエが横たわるベットだけが贄の祭壇のように取り残される。ただ、花々に囲まれて。クロエ自身が蓮に捧げられた贄であり、花々はクロエに捧げられた贄であり。美しく悲惨な連鎖が、この小説を象徴するようだ。クロエの病が重篤になるにつれ、もう一組の恋人たちにも暗雲が立ち込める。シックは、その度が過ぎたコレクションへの傾倒で身を滅ぼし、恋人アリーズは悲しい復讐に走る。コランとクロエが儚くも美しい夢に滅ぼされたのに比べ、シックとアリーズは或る意味、現実に潰えた恋と言っても良いのかもしれない。コランがクロエとの夢を守るために労働と言う現実に没頭していくにつれ、シックは労働=現実を放棄し、己の夢想に逃げ込んでいく。片や相手への愛の為に、片や己が自己満足の為に、供に愛する者との距離を広げていく。二組の恋人たちの対比が、互いの悲惨さを際立たせる。物語は悲劇で終焉する。救済は施されない。現実から逃げたシックは現実に負け、アリーズはその現実に戦いを挑み燃え尽きる。そして、クロエの死は、あっけないほど素早く通り過ぎてしまう。屠られた贄は、役目を終えれば単なる屍骸にしか過ぎないのだ。この物語中、もっとも哀れに感じたのはラストのハツカネズミの選択だ。幸せと不幸せの間、唯一の救い的に取り動いていたハツカネズミが、自らの意思で選んだ答えは切ない。と同時に、明確な意思の強靭さにも胸を打たれる。あぁ、これは青春の恋物語だったのだと、改めて思い知る。青春は、痛くて残虐だ。恋もまた。誰もが知る、或いはいつか知る事になる、そのもっとも純粋な結晶がこの小説でろう。
2006年06月25日
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時は動き、人は変わる。心の琴線を奏でる風も、気が付くと違う方向から吹き寄せはじめていた。いつもと違う音色が、新しい光を導く。といきなり何事もなかったかのように意味不明の文章で、久方ぶりぶりのブログ再開。久しぶりも良いとこだよ。ま、色々あったりなかったり。…嘘です、何にもないですw深刻な事はなく、単にクッキー食いつぶしたらID諸々を忘れ果てて、書き込みが出来なくなっただけだったりするんだなこれが。パス再発行も面倒で放置してたってのは、やっぱり内緒にしておきたいズボラさだ。サボっている間にも、HYDEソロアルバムとか松田賢二関係とか、ネタはなくもなかったが。が。が。唐突だが、いきなりBUMP OF CHICKENで再開してみようと思う。臆病者の一撃が、突風となって襲ってきたんだもんw音楽スキルは非常に低い。且つ狭い。ほぼL'Arcの虹色に染め上げられていると言って、過言ではない。偏執的に一点集中型なのである。(その割に理解度が低いのが哀しい)それが、いきなりのBUMP。唐突にCHICKEN。我ながら青天の霹靂。周囲の白眼視が痛い。今更ばんぷかよーーーーwwwwwそりゃそうだ、何だって今頃と、自分でも思うさ。大ヒットした天体観測やカルマも、聞き流してきたのに。何で今頃?訝しがられても当然。心惹かれたそのきっかけは、『車輪の唄』。BUMPファンには非常に人気の高い曲だそうだ。この唄がキーワードになっているとある恋物語に邂逅した事で、心の琴線がかき鳴らされた。切なくて痛ましいその恋のストーリーに、車輪の唄が柔らかくも哀しい彩を添えていた。で、今、この歌が収録されている『ユグドラシル』を聴いている訳である。(相変わらず、前フリがちょー長いっw)今更、にわかファンが説明するまでもないが、BUMPの音楽はヴォーカルの藤原基央の手によるものがメイン。正直、ヒットした曲々も「曲はいいけど、声が守備範囲外かも」と思って、聞き流していた。面食いは自認しているが、意外な事にラルクを好きになった要素の内、容姿は非常にランクが低い。まず曲の世界観、そしてVo.の声が重要なポイント。声はバンドの顔だから、当然といえば当然だが。BUMPの場合も、同じく。世界観については後に譲るが、この声がジワジワと効いてきたのが大きかった。HYDEの声が管楽器の心地だとすると、藤原の声はギターの弦。最初は抵抗感があったが、一度ツボに入ったら夢中になった。細い声な筈なのに強靭に響き、心をかき鳴らす。心地よい。そして、その藤原の描き出す世界観。声の比較でHYDEを持ち出したのは、単に贔屓している対象を比べるためだけではない。彼らは、何だか奇妙に似通った部分があるように思ったのだ。実は、二人とも、若干ではあるが視覚に難を抱えている。が、共に絵を描くことに長けている点も似通っている。通っていた学校に馴染めずに、早々に辞してしまったなんて共通項もあるwそういった為か、物の見方もどこか相通じる処がありそうな気がする。だが、似ているのに違う。本質は同じような色を持っていそうなのに、表現する方向性は別を向いている。そう思ったら、余計に興味を惹かれた。例えば、二人ともどこかに通った叙情性を持っているように感じる。だが、それを歌詞の世界に広げる手腕が違う。HYDEはより抽象的に昇華させていき、藤原は具象的に構築し直していく。視覚に難と前述したが、HYDEの場合は色に、藤原は視力そのものに弱点を抱える。つまり、色と形それぞれの欠落の方向性によって、求める表現が逆方向になっている。この辺り、勿論本人たちの嗜好による違いもあるのだろうが、比較するのに面白く感じた。ま、屁理屈というかこじ付けですが。アルバムタイトル『ユグドラシル』とは、北欧神話に出てくる世界樹のこと。確か、その樹は世界の全てを内包し、且つ、そこに住まわす者達に体を貪られていたと記憶してる。うーむ、どうも違った気もするぞ。大昔に読んだ北欧神話の本がどっかに転がっているのだが、見つからないw(本て、何で必要な時に消えちゃうんだろうか)曖昧な記憶では、かなり泥臭く悲劇的な、言い換えれば人間臭い神話の世界だったような。まぁ、タイトルとアルバムの世界観は必ずしも一致する訳じゃないですね。このアルバムも、冒頭とラストの2曲のタイトルに北欧神話から材をとっている以外は、特にイメージが重ならないんじゃないかな。車輪の唄でも感じたのだが、今時にしては珍しく歌詞に物語性があるものが多い。そして日本語のみで構成されているものが大多数を占める。なかなか新鮮。(単語レベル以上の英文は入っていない)最近良くある“等身大の歌詞”だの“身近な世界観”だのを掲げた歌、大嫌い。虚構の世界に現実を持ち込むな。と思う。が、バンプの曲は具体的に世界を綴っているように見えて、その手の胡散臭い“リアル感”がない。それが良い。藤原の独白めいた歌詞は、弱さを曝け出しているように見えて、逆にそれ武器にしているようだ。自分の孤独を認めた強さが、そこにはある。冒頭に記したように、「車輪の唄」は思い入れもあり、特別に好き。この唄をラブソングと見るか友情の歌かとみるかは、受け手によってそれぞれかな。私は、青春を懐かしく思って聴いている。失った恋の歌だが、ある真理もついた歌として「同じドアをくぐれたら」も気に入ってる。「ギルド」や「乗車権」のように、人間や人生に対する不信感を露わにした、脆弱な心。反して「オンリーロンリーグローリー」や「Fire Sign」で描かれる、弱いがゆえに持つ人間の強さ。その二つがいつまでも定まらぬ天秤のように、ゆらゆらと惑っているようだ。脆弱と強靭の天秤が、世界樹の上で揺れている。と、格好つけて書くとこんな感じかな。ひっさびさの長文、いつにも増して支離滅裂だ。ぶっちゃけて言えば、青臭いよBUMPはwえぇ、痛いですwwwwwこれを聞いて感動して良いのは、10代の子だけかもしれん。でも、気に入っちゃったもんは致し方ない。うるるんとイテテテをを繰り返しつつ、毎日聴いてます。文句ある?w
2006年06月20日
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アラスジ:ロココ時代に生まれたかった、自分大好きロリータ少女・桃子。15の夜にバイクをかっ飛ばす快感に目覚めた、ヤンキー娘・イチゴ。育った環境も趣味も考え方も、何もかもが180度違う二人の少女。彼女たちの共通点は、ただ、茨城県下妻に暮らしているということ。ロリータ服命の桃子は、代官山のショップで服を買い集めるのが至上の喜び。だが、甲斐性ナシの父親ゆえに小遣いに事欠く。困った末、父親がヤクザ時代に商っていた、とんでもなく胡散臭いバッタモノの服を売りさばく事を思いつく。そして、それを喜び勇んで買い求めたのがイチゴだった。単なる客と売主の関係のはずが、何故かイチゴは桃子の家に入り浸るようになってしまう。“自分が一番、友達なんて要らない”主義の桃子だったが、時代錯誤で熱いイチゴに付き合っているうちに、心境の変化が。だが、それはイチゴも同じだった。そして、イチゴはある決意をする…家人に付き合い、今頃になって下妻物語を観る事に。ディスクをセット。珈琲片手に、気軽に上映開始。………うっ。「か、かぁ~わぁ~いぃ~いぃぃぃぃっ」女二人で、思わず声を上げてしまった。ロリータ深キョン、可愛い、可愛い、可愛い。ア゛ァ゛出てきた瞬間から、余りのかわいらしさにウットリしてしまった。富豪刑事と言い、このロリータ少女と言い、現実感の無い役が何て似合うんだろう。はっきり言って、彼女の演技は、その芸暦を考えると頭が痛くなるものがある。だが、それがなんだ。この浮遊感は、演技力如何こうを超えた得難さ。こういう役しか出来ないと言われればそれまでだが、こう言う役を出来るのも彼女しか居ないのも、また事実だろう。ま、富豪と下妻以外の深キョンは、バッサリ切り捨てたいくらいアレですが。この2作品限定で、私、深キョンファンになります。それにしてもこの映画、兎に角、面白い。展開のテンポの良さ、繰り出される小ネタの切れ味。こういう、陽性のバカバカしさは爽快で良い。CM畑の監督の作ゆえ、非常にテンポが良い。浅薄にすら感じるほど。この辺は、好みが別れるだろう。コマ割やアニメ挿入もあるので、食わず嫌いをされる危険もありそうだ。だが、この勢いがあったればこそ、二人の“オトメ物語”が際立ったと思う。映画離れと言われる時代、この“軽み”が、今の観客をひきつけるのではないか。ただ軽いのではなく、きっちり骨が通っているしね。キャスティングも絶妙。嵌りすぎて、ちょっとあざといけれど。ヘンな八百屋の荒川良々や、おばあさま・樹木希林が殊に良かった。ヤンキー娘の土屋アンナも、頑張っていたと思う。彼女の場合も、かーなり“地”を感じてしまったが。それにしても、ジ●スコの扱いが…だめだ、この先、ジャス●のCM見て笑わない自信がないっっwwwwwww17歳。ロリータとヤンキー。或る意味、現代の底辺部に居る彼女たち。だが、そのふっきれた様はどうだ。彼女らは、己の在り様を悩まない。悩む必要がない。確固たる信念のみが、彼女たちを支えている。“あたしはあたし”(ここは“わたし”ではなく、是非にも“あたし”と言いたい)人生は短い。明確な意思を持って“あたし”を主張できる時期は、尚更。それが、“今”なのだという事を、オトメは知っているのだ。だから、オトメは生産しない。それが砂糖菓子製にせよオイル味にせよ、ただ夢を食べて生きる。現実が待ち構えているのは百も承知で、それでも一時の逃避をする時期、それがオトメ。特に、砂糖菓子ロリータ桃子は、それを理解しつくした上でオトメを生きている。ふわふわとしたリボンの狭間に、リアルに現実を見据えた毒気を隠しながら。そのくらい根性据えなきゃ、オトメ稼業はやってられない。自己中も妄想も暴走も、オトメだからこそ美しい夢になるのだ。短い一時、命の限りなく蝉のように、目一杯オトメを主張して生きる。誰もが出来る訳じゃない。オトメ上等。そこまで吹っ切れた者のみが、短い夏を謳歌出来るのだ。この映画は、そんなオトメの姿を、鮮やかに描き出した佳作だと思う。ゲラゲラ笑って、スッキリして。だが、見終わって、ほんのり心が温かくなり、勇気づけられている事に気が付く。格調高く、大上段に構えた作品ではない。それでも、心に花を咲かせてくれる映画であることは、私が保証します。(と、偉そうに断言)
2006年04月25日
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はてさて、ついに昼メロにまで手を出す日がこようとは。取敢えず、網元家編はざっと流し見。うっかりしていて、トドの心中前後も見逃してしまう。まぁ、良い。ドロドロとお定まりの波乱万丈を予感させる序章で、昼メロ定番と言った感じ。でも、それはそれで品が無くもなく、流石に巨匠wの作品といった風格が。美禰子役の遠山景織子さんは、清楚で幸薄い美女にぴったり。ちゃんと可憐な女学生に見えるのは凄い。演技はラディッシュだけど。(ヲイッ)もう一人のヒロイン・美琶子は、うーん、一寸まぁ、好みの問題もあるけど…ま、はっきり言っちゃって厳しいっすね。同じラディッシュでも、方向性が違う感じで。と言うか、二人ラディッシュちゃんが並ぶと、キツイ。昼メロでも。だが、それを補って余るほど、脇が充実。網元のおやっさん、渋いねぇー、素晴らしい。おっかさんも、良い。美琶子実母のピンキーお丹さんも、元売れっ子芸妓の婀娜と料亭女将の張りを併せ持って、これまたピタリ。海軍に入ったトドは…役が役だし。乙。と、あからさまにサクっと導入部を省き、メインディッシュの伯爵家編に突入。しかしなんですね。何と申しましょうか…松賢さんを見るのが、こんなにも面映い事だったとはw朝っぱらから見るにしても濃ゆいお方ではありましたが、お昼のお茶の間に提供するには、ハラハラドキドキな素材でございまする。録画をまとめて見たら、かーなりクラクラしちまいましたよ。短期間でかなりスッキリと面変わりしていたのは、流石。ちゃんと顕彦お坊ちゃまモードに入ってるんですね。34歳が24歳は厳しいですが、いやいや、それなりに若々しいです。ただ、やはり染み付いたイメージを払拭するのは、かなり困難な作業かと。ぶっちゃけて、まだ893味は垣間見えてしまいますね。貴族らしい品がない、とは思いませんが。役者としてと言うより、松田賢二本人の本質的な品の良さが幸いしている感じ。ですが、逆に、親の金で道楽的左翼運動にうつつを抜かす馬鹿ボンにしては、余りにご本人の経験値の高さが出されてしまっているように見えます。妙に、酸いも甘いも噛み分けたお坊ちゃんに見えちゃうんだよなぁ。ママンに接している場面も、息子と言うより、下手したら情人だよん。もう少し馬鹿になって欲しいかと。違和感に拍車を掛けているのが、残念な事に、松賢さんの魅力のひとつである声。これは、もうお気の毒としか。確かに、科白の通りが悪いのは滑舌にも問題があるのでしょう。が、たとえ科白回しがスムーズになろうとも、あの声では若々しいお坊ちゃまのイメージから遠い事は変わらないでしょうな。言ってもしゃーないけどさ。…と、いつもの如く、まず文句三昧を。でも、やっぱり松田さん、良いっす。左翼活動がばれて、伯爵御前に叱責される場面とか。流石に殴られなれてるw女性の扱いに、実はうぶな処とかもグッ。この辺は、役者より本人の素も見えてるのかな。今週の目玉は、注目の閨房場面でしたが、アハハ、頑張ってたし。あの衝撃の河原尻から数ヶ月、見事スッキリとした背中に感動。(そこかw)触れる手の温もり、見つめる眼差しの優しさ。美禰子の美しさもあって、照れずに見ることが出来て、なかなか良かったです。しかし、遠山美禰子は、今週に入って驚くほど綺麗になったと思う。ラデッ(ryは…w伯爵家編も、脇がしっかりしていてGJ。絵空事を、“魅せる”ものにするには、基礎固めがしっかりしていなければ。その点において、この作品は、期待できるものになりそうで、楽しみです。行動は早かった割には、流れはまだ緩やかだった今週。来週からが、ジェットコースターになるのでしょうか。お坊ちゃま顕彦の、囲いから放たれた後の変化も楽しみです。飼い猫の火遊びが、野に捨てられて、どんな獣に変わっていくか。松田さんの演技に注目。イケイケ中年お坊ちゃま。
2006年04月23日
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もの食う人びと 辺見庸 角川文庫アラスジ:饐えた飯と歯型がついた肉、炭鉱から這い上がって啜る熱い一杯のスープ、放射能の森に生えるキノコ…筆者が飽食の日本を飛び出し、自らの舌で確かめた世界の現実。久々のブログ。書き方を忘れてしまったw(ってか、入力方法もかなり変わってしまっていて、戸惑っている)何と言うか…この処、なんだか無感動に日々が過ぎ行く。読んだり見たり、何か行動する気分になれない。まずい、これが五月病ってヤツなのか?食欲だけは、限りなく旺盛だったりするのだが。ヤレヤレ大丈夫、これだけ食える病人はいない。という訳で、多少の自戒も込めて、この本を読んでみた。まともに読書すらしていなかった身には、いささか荷が重い。リハビリ読書に、おもいっきり骨折。普段から、軽めの本ばかり読んできた報いか。個人的に、人間の生き死にについて思うところがあったりしたので、余計にずしんときた。食べる事は生きる事。悦びにもなり、苦しみにもなり。人の背負う業は数あれど、死ぬまで切っても切れぬ業は“食欲”だろう。制限を設ける事は出来るが、この欲を消し去る事は出来ない。放擲すれば、死に向かうのみ。私が、どんな状況においても食欲を失わないのは、業が深い故か。なんて悠長な業なんだろう。本書の多くの人びとは、もっとリアルに“食べる”事と格闘している。残飯を漁っても、放射能に汚染された食品でも、今、目の前にあるものを摂取するしかない生活。毎日「今晩のオカズは何にしようか」と悩み、冷蔵庫で余った食品を腐り果てさせている日本人には、遠い世界の“生きる事”。筆者の辺見は、その遠い世界に舌を差し出して飛び込む。だが、この本の凄みは、だからと言って辺見が飽食日本の舌=意識を捨てていないところにあると思った。食べられないものは吐き出し、不潔さには眉をひそめる。偽善的に、“ボクは、こんなに同化しています。だからほら、彼らの事、理解してるんです。”とやらない。清潔で過剰な日本に生きる人間が、難民キャンプの埃まみれのパンを本質的に理解出来るはずもないのだから。現代日本人の意識を丸出しに、それでも、現地の食に挑む筆者は、だからこそ潔い。日本人のエゴと言うフィルターが掛かっている故に、逆に、現実がストレートに見えてくる気がした。理想論を唱える前に、まず実際が見えてくるルポ。さて、そんな現実を読んで、私は何を思えば良いのだろうか?無感動で億劫な日々を送っていると言いつつ、満ち溢れる食べ物に囲まれている私は。死ぬまで、“食”とは縁が切れない。業は続く。ならば、せめて輪郭のしっかりした業を生きよう。…こんな時間なのに、我が家の最強生物様が、お食事を所望なさっている。この所、ご機嫌麗しくいらっしゃらない最強様は、何を献上してもおむずかりになられて困る。女王様、ご存知ですか?貴方様が砂を掛けて嫌う缶詰は、それを作っている女の子の1食事代より遥かに高いのですよ。あぁ、ご存知あるまいて。貴方様は、国産のお食事しかお召し上がりになりませんものね…業の深いお方ですこと。はいはい、今、何か差し上げましょうね。イテテテ、噛み付かないで下さいませ。
2006年04月21日
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取敢えず、春です。冬眠を決め込んでズルズルとサボっていたら、4月になっておりました。えー、只でさえ危ういこのザル頭が、寝過ぎで溶けて更にボケボケです。こんな状態ですが、久々にこのブログを再開しようかなぁと。春ですから。この2ヶ月ほど、何をしていたかと言えば…何もしてないw実の処、身内に春を目指して頑張っていた者が居たので、息を潜めて生活していたというのが実情。ぶっちゃけて言えば、受験生様の前に平伏していたと。今日日の受験生は、ネットでお勉強なんぞを致しますので、我が家のPCは占拠されていました。こりゃもう、冬眠するしかないじゃないですか。中々スリリングな冬眠でした。こう言うとオタ臭くてイヤンなのですが、なんちゅーか、リアル明日夢を見ている気分だったんだよなぁ。夢と現実とのギャップ。目指す高み。其処へ至る、どの道を選ぶかの逡巡。欲しいものが、必ずしも本人に合ったものではないかもしれない。目指したものと、その手にしたもの。何が正しいか、何を求めるか。迷走を続けて、それでも猶、自分の中の可能性を信じて前に進む若い強さ。そして、気が付けば春になっていました。桜の花がさんざめいています。幾種類かの桜が妍を競う桜並木が近くにあり、時と色を変え花びらを散らし続けます。早咲きの桜、今を盛りのソメイヨシノ、最後を飾る艶やかな八重桜。どれも、桜は桜。今年の春は、一際、桜の花が美しく見えます。我が家の“明日夢”も、自分の花を咲かせて。そして、前に進み続ける。この桜の下を。どんな春も、春は春。
2006年04月01日
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世代や地域を語るとき、とっかかりになるキーワード的存在がある。巨人のON、ピンクレディー、おにゃん子、ちょっと前だったらモー娘。(芸能ネタ以外だと、ほぼ全県民が歌える県歌があったりするらしい)一世を風靡し、人々を巻き込む巨大なパワーの持ち主が、共通の記憶回路を刺激する。もし、十年後、当地・きゃながわの若人が、過去を懐かしんで回想するキーワードがあるとするならば、それは『SAKU-SAKU』だと思う。この不思議な番組は、極めて強力な電波をきゃながわローカルでまき散らし、ゆるゆるだるだるの魔力で県民(の一部)を虜にしている。この電波の俘虜になった者は、密かな誇りを以って己をこう呼ぶ。『SAKUSAKER サクサカー』と。実は、この番組、歴史はかなり長い。一応、基本的には音楽情報番組だが、ほぼMCの独壇場。好き勝手をやらかす番組だ。なんせ、このMCが中々の曲者揃い。初代はブレイク寸前のpuffyでえ、以後、フリップフラップやイザム等の個性的なタレントが歴任していた。それが、どんどん妙な方向に走り、自局アナ、果てはマペットonlyで番組を進行させちゃうという、荒業を繰り出した事さえあった。(飛び飛びにではあるが、一応、全シリーズを見ている。いわば、筋金入りのサクサカーだ。エッヘン。)そんな長いサクサク史上、最も光彩を放ったのが、現MCの木村カエラ&黒幕(増田ジゴロー&白井ヴィンセント)の二人組みだと思う。恐らく、きゃながわ県民の記憶キーワードも“カエラ・ジゴロー(ヴィンセント)”とインプットされているはず。そのカエラ嬢、2年の永きに亘って勤め上げたサクサクMCを、本日を以って卒業と相成った。誠に寂しい限りだ。実を言うと、登場した頃は、アンチカエラ派。前任の赤城あいが、天真爛漫な如才なさで良かったのに比べ、あまりに無愛想で勘の悪い番組進行をするカエラ。“詰まんねー”と匙を投げ、朝の情報番組で無難な大人の朝TVタイムを過ごす日々が続いていた。が。なんかね。一度味わった電波味は忘れなれないと言うか。気が付いたら、再び出戻りサクサカーになっておりました。慣れれば美味しいクサヤのように、予測の付かぬ傍若無人ぶりを繰り出すカエラの魅力に嵌って病み付き。喋りの脱線暴走車・黒幕とのタッグは、朝から右往左往しながら爆笑と脱力と唖然とを撒き散らかしていました。番組中に、「お腹すいたから」と不機嫌になるカエラ。上の空でそっぽを向き、話を振られても堂々と「あ、聞いてない」と言い切るカエラ。こんなのって、こんなのって、こんなのってwwwwwそう、昔聴いていた深夜ラジオのノリが、そのまんま映像になったみたい。本来なら、視聴層からは大きく逸脱している年齢だけれども、本当に毎朝楽しく見ていた。やがて、カエラが歌手として立ち、想像を超える活躍をするようになり。蝶が孵化し、大空に羽ばたく日が近い事を感じていた。卒業は、来るべくして来たなぁと。実際、サクサクと言う蛹あってこそ、彼女は大きく羽ばたく事が出来たと思う。我が家では密かにサクサク組と言っているのだが、この番組に馴染んだアーティストは、大ブレイク率が高い。MCを勤めたカエラが、最も大きな跳躍を遂げたのも当然かもしれない。この一週間、卒業ムードといつもと変わらぬダルダル空気を並立されたサクサクを見続けた。普通の番組なら、もっと感動的に盛り上げるのにね。でも、このあいも変わらなさが好きだ。どこかピントのずれた馬鹿馬鹿しさが。と思っていたら、不覚にも涙が滲んだ。馴れ合っているようで妙に余所余所しかったり、好き勝手しているようでちゃんと理解しあっているこの番組のクルー。2年間、途中浮気もしちゃったけど、楽しかったよ。途中、一人で先に逝っちゃったご意見番も含め、とても愛すべき番組でした。大ラス、卒業していくカエラじゃなくて、黒幕の言葉で終わってしまう、納まりの悪さも、この番組らしくて良いや。bye-bye Kaelaこれからも、傍若無人に素敵を貫いて、いい歌を歌い続けて欲しい。
2006年03月31日
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うかうかしていたら、こんなに間があいてしまい。鬼たちへの最後の感想文もUP出来ないまま、気がつきゃ1ヶ月近く放置じゃないですか。事情があり、今しばらく落ち着いてブログを書いている余裕がありません。私個人は、至って元気で問題ない生活を送ってるんですけどね。まぁ、自分の都合だけでやっていけないのが、浮世の辛さ。いずれ春が来る事を信じ、今は冬眠生活に甘んじるしかないと。遅くはなりますが、必ず響鬼の総括文を書きたいと思ってますしね。レスやTB下さった方々、不義理を致しまして申し訳ありませんでした。かなり遅れましたがレス入れましたので、お許し下さいませ。ホント、早く春にならないかなぁ
2006年02月10日
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またも次回前日の更新。もう開き直るしかないかと。いえ、別に斬鬼さん昇天で気が抜けちゃったとかじゃないんですよ。えぇ、決してそのような。うん、多分そんな事は無いはず。……あ、言い訳してたら日付が変わってしましたwじゃ、急いでちゃちゃっと要点だけ。《女三人》と書いて、姦しいと読む。斬鬼さんの死や目前に迫ったオロチ問題より、恋話に走る三人娘。お年頃と言えばそれまでですが。一応さー、あんたらさー、猛士の一員どっしゃろ?それも、かなり有能な。他に話すべき事があろうよ。殊に、カスミさんの凋落っぷりには涙。あの凛とした女丈夫は何処に。カウントダウン秒読み段階になって、数分のシーンとは言え、この場面を入れる意味が理解できず。《少女の願い》自分、世間に疎いので良く知らないのですが、今、パネルシアターってメジャーなボラ活動なんですか?上で三人娘の会話が訳判らんと書いた以上に、この処のパネルシアターへの拘りが理解できやせん。ホントーに。“鬼”として以外にも、人助けの道はある。それを提示したいと言う趣旨は判りますが、何故、ここまで煮詰まってからのパネルシアター。ましてや、謎の難病少女の取ってつけっぷりには、もう笑うしか。最後のお願いみたいな形までとって、パネルシアターに走る明日夢を描きたいんすか。わー、すごーい。(棒読み)キリーの行動は、やったこと自体は大馬鹿者と頭を叩いてやりたいですが、心情的には判る。そら、こんな時に気持ちを揺らしていられちゃ、腹も立つさ。幾ら、病気の少女の願いとは言え、説得力ないもん。あぁ、後半の多々なる噛み合わせの悪さ、なんとも気に障りまくる。《脱いでも凄いんです》遅れてきた明日夢を制し、キリーに音叉を預ける響鬼。やっぱり、そっちですか。明日夢の医者フラグは確定のようだし、更正キリーに道は継がれるのか。んーむ、いつのまにやらキリー擁護派になってしまった自分ですが、形にされると、またなんとなく違和感もあり。難しいっすね。それにしても、響鬼さん。「ボク、脱いでも凄いんです」ってか。素晴らしいお体です。そりゃ、脱いで見せたくもならぁなw一部ファンには眼福。鬼にならずして鬼として戦う。少年たちに、鬼の精神を見せたかったのでしょうが、「オロチなのに効率悪っ」と思ってしまった私をお許し下さいませ。しかし、襲ってきたのがバケネコで良かったですね。ウブメとかだったら、如何するつもりだったんでしょ。それにしても、戦闘シーンでは思いっきりの良い脱ぎっぷりを披露して下さったのに、明日夢と語らう場面では寒げな響鬼さんがラヴリーwお手手、あんよの間に挟んで暖めてるし。明日夢の選択が、鬼になるかならぬかは問題じゃない。問題は、彼がいつまでも他力本願で流されるままな事。1年間優柔不断で過ごした。もうそろそろ、自分の腕で泳いでみたら。人間、そうそう性格は変われるもんじゃないですけどね。中途半端な良い子ちゃんじゃ、先打ち。世界はいつまでも広がらないよ。《我思うゆえ我あり》あぁぁぁ、とうとう姫童子の終焉。こっちの二人は、世界を広げんとした処でタイムアウト。一寸、いや、かなり悔しい幕の引き方。あっけない終わりは、時間切れで致し方ないとは言え、勿体無い。「自我を持っちゃって可哀想」で切って捨てられるとは、思ってもおりませんでしたよ…。美味しいキャラだったのになぁ。洋館夫婦にも誤算だった彼らの存在意義って、一体何だったんでしょうか。救いは、姫童子に情の通い合いが合った事かな。中の人たちの演技も。星ちゃんが、とても上手になったと思う。しかし、姫童子の決着のつけ方は、密かに楽しみにしてたんだよぉ。肩透かしにガッカリ。ま、訳わからんまま引っ張られるより、あっけなくも鮮やかな消滅の方が、インパクトがあって良かったのか。合掌《緊褌一番》悩める笛の若旦那、頑張る笛の若旦那、若旦那ったら若旦那。余談ですが、響鬼無関心派の家、若旦那の中の人のブログだけには嵌っておりまして。丁度、若旦那が変身せんとした場面で、「一歩前へ!」だとw「この顔であのセンス、只モンじゃないっ」と、尊敬(?)しているらしい。なら、一緒に響鬼に嵌って欲しかったよぉ。閑話休題。しかし、何処まで行っても中途半端な扱いの若旦那に涙。一生懸命気持ちを立て直して、アリクイと戦おうとしてるのに、良いとこはトドに持っていかれ。緊褌一番、意気込んで儀式に赴かんとしたのに、あっけなく響鬼さんに謀られ。にしても、鬼二人して、なんちゅー見え透いた嘘に引っかかるんでしょうか。少なくとも若旦那は、バイクで町を疾走中でも、妖気に素早く反応できた御仁。それに魔化魍を探すとしても、車を止め捨てるよりバイグ組二人が斥候に出る方が効率的だと思うの。なんて、突っ込むのも意味がないツッコミを入れてみる。いや、しかし、予想を裏切らぬ、響鬼さんの一人暴走でしたね。あまりに常道なので、もう少し裏を持たせてくれるのかと、淡い期待をもっちゃいましたよ。ま、思えば、そもそもが太鼓の使い手が必要なのに、宗家だと言う理由だけで笛の若旦那に白羽の矢が立つ方が不自然。不自然には全て目を瞑るのが、後半の響鬼の鑑賞法。他鬼は立ち入れない筈なのに、3鬼が入り乱れるのも目を瞑り。バイクを追っかけて、あっという間にキリーまで乱入するご都合っぷりにも目を瞑り。あら、目を閉じっぱなしになっちゃったwですが、ラストになってやっと太っ腹な戦闘シーン、お好きな方には嬉しいご褒美だったのでは。明日夢のパネルシアターと同列に並べるのは、萎えます。人助けに軽重はない、と言いたいのでしょうか。流石に、この場合の天秤は……キリーが烈火を拾ってフォローする場面は、嘗ての明日夢を髣髴とさせただけに、何とも割り切れない感じ。さて、さて、さて。一年間って、長いようで短いもんです。特撮番組に夢中になるなんて、去年の今頃には思いもよらなかったわ。しかし、今頃こんな事を申すのは反則なのでしょうが、結局最後まで特撮の特撮たる良さを理解できずに終わってしまった気がします。何かねぇ、向きが違ったみたい。初期の誠実な話の作りに惹かれて観始めたのですが、特撮の醍醐味であるアクションシーンにカタルシスを覚えるまでには至れませんでした。出来れば、強くてかっちょえぇヒーローで売れ筋狙うより、最後まで丁寧な謎の解明をして欲しかったな。すんません、自分の特撮の見方が未熟なのでしょう。未熟ついでにもう1つ。暴挙発言だとは承知しつつも。この所、ずっと思っていたのですが、この響鬼に細川さんを起用したのは、やはりかなり厳しかったのではないでしょうか。いえ、響鬼/日高広志の演技に関しては、文句はありません。イメージにピタリ合っていて、彼なくして響鬼は考えられない。では、何が厳しいかと言うと…今更文句言っても詮無き事ですが、やはりスケジュールに難ありだったかと。それなりの地位を築いた俳優さんなので、1つの番組にだけ向かっていられないのは当然の事。そんな事してちゃ、干上がっちまいますもん。しかし、国営放送のアレとの重複は痛かった。なんせ、あっちは国民的番組ですからねぇ。拘束される時間も、それなりに大きかったのではないでしょうか。結果、主人公不在の物語でやり過ごす事になり、流れを停滞させる事になったように思います。そのお陰で、松田斬鬼さんの活躍と言う余禄はあったものの、全体のバランスを考えると、果たしてそれが諸手をあげて喜べる事だったのか……個人的には、「否」です。誤解なきよう申し添えると、決して、全体のバランスを崩した全責任を一役者に負わせるつもりはありません。細川氏は、厳しい日程の中、フルに活躍して下さったと思います。ただ、ご本人も番組開始前に仰っていたように、1年間通して放映するこの手の番組は、“若手の登竜門”的存在であるべきだったのではないでしょうか。少なくとも、スケジュールの重複を避ける事が出来る者でなければ、この長丁場を維持するのはヘヴィーに過ぎる。この響鬼の打ち出そうとしたコンセプトには、確かに細川氏は適任でした。が、現実問題として押し寄せた、数多の障害の1つになってしまった事も、否めないのではないでしょうか。もし、あの番組が去年の制作でなければ。もし、この番組が去年以外の制作だったならば。また違った響鬼の姿を見ることが出来たのかも…そんな、妄想をしてしまうのです。それくらい、この響鬼と言う“種”に寄せる期待は大きかったんだもん。ごめん、今更。泣いても笑っても、本当に明日が最後。(あ、もう日付的には今日だ)“今日”の現実を、“明日”の夢に繋げる事が出来るのか。数時間後に、答えが待っています。それにしても、何何ナニ、あの最終回予告は。明日夢やキリーの展開は想定内だけど、何故にモッチーが漬けられてるんすかっ!?遠景で良く判らなかったけど、台に乗せられたモッチーを囲んでるのは、洋館夫妻のみならず、鬼まで居るように見えたのは私だけ?それに、あの白い金属臭い鬼は、一体誰なんだぁぁぁっ広げた風呂敷畳めない癖に、何だって最後の最後までこういう仕打ちするですかね。でも、屋久島での出会いが終幕のキーワードになってるっぽいのは、一寸嬉しいかな。それにしても、千々に乱れて乱れて、よくぞここまで。最後には、ひとつの大きな流れに戻して欲しいもんです。屋久島の杉のように、まっすぐな時間の流れにのれるように。う、もうこんな時間だ。果たして、ワタクシ、明日は起きられるのでしょうか?
2006年01月15日
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4.『愛を下さい、ぞおーん』「里見八犬伝」 主演・滝沢秀明 菅野美穂/仲間由紀恵アラスジ:室町時代、暴虐な安房の国主が里見義実に討ち果たされる処から物語は始まる。暴君を唆していた悪婦・玉梓は女ながらに処刑され、里見家を呪って怨霊となる。里見の娘・伏姫は玉梓の呪いによって犬の仔を身篭るが、畜生道に堕ちたのではない事を証明するために自らの命を絶つ。その時、伏姫が身に着けていた水晶の玉八つが弾け、何処へか飛び散る。津図浦々に現れるであろう、伏姫の未生の子供の元へと。姫の清らかな心が生んだのは、八人の剣士だった。彼らは、玉梓の怨霊に苦しめられる安房の国を救う運命の勇士。八人の犬士/剣士を召喚する為に、伏姫の婚約者だったゝ大法師は奔走する。だが、8人それぞれに重い定めを背負い、玉梓の怨霊の妨害によって幾多の困難に晒されるのであった。大軍に囲まれる里見軍、八犬士は間に合うのか!?“仁義礼っ智忠っ信孝悌♪いざとなったら玉を出せぇ~力の溢れる不思議なぁ玉ぁをぉ~♪”この歌を覚えている貴方、お仲間おなかま。今は亡き坂本九氏の主題歌と、ジュサブローの手による妖艶な人形たち。人形劇・里見八犬伝は、幼い頃の私に大きな影響を与えた番組でした。「たまぁーずさのおんりょぉー」これは怖かった、ホントーに怖かった。妹なんぞは、玉梓を見た日は、夜魘されてましたよwでも、おどろおどろした中にもある不思議な美に魅せられて、目が離せなかった。この世ならぬものの誘惑。それに初めて触れたのが、ジュサブローの人形だったのかもしれない。物語の面白さと言うものに目覚めたのも、この番組からだったと思う。まだ漢字も覚束ない頃でしたので、児童版の南総里見八犬伝を買って貰って、夢中で読んだ記憶があります。(でも、長じてからは本格的に原典を読んだりしてない怠け者w)こういう方、多いんではないでしょうか。そう言った懐かし派が、挙って観たであろうお正月特番の「里見八犬伝」。主演が今を時めくタッキーで、ヒロインは綾瀬はるか嬢。脇は、渡部達郎・長塚京三(大好きっす)・佐野史郎・金八センセェ(エ?)など、達者で老練な役者を配し。肝になる黒白二人の美女に、仲間ちゃんと菅野ちゃん。流石、お正月の目玉番組、豪華なり。役者陣の豪華さに驕る事無く、それなりにそつの無い出来だったかと思いました。そりゃ、矛盾や粗はありますが、あの膨大かつ混迷したお話を、よく2日間でまとめたもんだと感心しました。八犬伝初心者には、判りやすくて良かったのでは。(あれが正しいお話だと思われても何ですが)基本のラインは、原典に沿っています。エピソードの端折りや結合は、構成上致し方ないし、それほど無理が無い展開なので許容範囲。でーすーがっやっぱり、八房が出てこないのは寂しい。戌年だから八犬伝だったろうに。でもリアル八房を出しちゃうと、呪いで犬の仔を身篭ると言うのが生臭くなってしまいますし。TV的には無理だったかな。それにしても、犬に絡むエピソードを全部切ってしまったのも戌年企画としては勿体無い。それと、神女となった伏姫の出番も少なかった。神秘的な仲間ちゃんのお姿、期待してたんですが、思ったより少なくてガッカリ。(ラストの姿には満足)このドラマの功労者は何と言っても、玉梓演じる菅野美穂ですな。狂気を孕んだ女人は、彼女お得意の役柄。艶やかな花には、滴らんばかりの蜜毒。非常に良かったです。処で、この八犬伝に出てくる八文字には、「愛」がありませんよね。これがキリスト教圏のお話ならば、必ず上げられるキーワードだと思うんですが。日本的な観念において、「愛」って定着しないみたい。曖昧模糊とした「愛」より、高次の「慈悲」や「仁」が定着しているのは、個人より集団感情が優先される民族ゆえ。事実、剣士たちは、個人的な情より、それぞれの義や信を優先させた行動に出る。八犬士の霊的な母である伏姫が象徴するものも、「慈悲」であり「理」(ことわり)であるように思われます。信乃を一心に慕う浜路は、「愛」より「恋」に身を焦がす乙女だし。結局のところ、登場人物の中で最も「愛」を希求していたのって、玉梓だったんではないでしょうか。一人の女、一人の人間として認め愛される事を求めた反逆。結果的にそれがマイナスの渦巻きとなっての悪行だった訳ですが、玉梓の怨念には、そんな側面もあったかと思います。少なくとも今回のドラマにおいては、そういった含みを感じさせるものだったのではないでしょうか。この辺は、極めて現代的な感覚だと思いました。色事や情はあっても、「愛」の概念に欠けた江戸時代の馬琴には無い感覚でしょうね。建前(義や信)を前面に押し出す男性原理バリバリな封建的世界観に措いて、個人的な感情をむき出しに生きること自体が悪。個人の感情に揺れ動く女は、それだけで悪。況してや、確固たる権威で固められた男性社会に意義を申し立てる玉梓は、領主を篭絡して民を苦しめたと言う実際の行為以上に、許し難い悪だった訳です。竜を狩る者もまた竜と化す、と言います。“個”を主張し愛される事を求めた玉梓もまた、倒すべき男性原理に取り込まれていく。そして、最後に彼女を救うのは、全てを許す“慈悲の心”。「愛が欲しい、自分を認めて欲しい」と叫び続けた魂は、自分自身を許した時に、初めて解放されたのではないか。演じたのがあの菅野美穂だった為か、そんな陳腐な現代的解釈をしながら観てしまいました。ともあれ、彼女の演技には拍手。妙椿として閨に侍った時の、「私は美しいか」と呟くシーンなんか、引き込まれましたよ。伏姫に抱かれ浄化されて涙する姿は、仲間ちゃんともども、神々しい美しさでした。あ、肝心の主人公たるタッキー・信乃は、んー、悪くは無かったんじゃないかな。何分、八犬士もいるんで、印象が散漫になっちゃってね。屋根の上の立ち回り等、綺麗で良かったです。綺麗と言えば、ワダエミの衣装も、今回の目玉の一つ。時代検証的には疑問はありますが、八犬伝って或る種のヒロイックファンタジーでもあるので、幻想的な美々しさもありでしょう。全体的に光の使い方が綺麗で、お正月らしい豪華絢爛さでした。でも、やっぱり“いざとなったら玉を出せっ♪”が一番良かったなぁ。と、懐古ババアは思ってしまったっす。ごみぇんw
2006年01月14日
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1.『侘び寂びJホラー』「感染」 主演・佐藤浩市 監督・落合正幸アラスジ:経営難で明日をも知れぬ病院に、謎の感染病患者が運び込まれる。折悪しく、入院患者の容態が急変。医師・看護士は懸命に対処するが、過労が祟ったのか、単純な医療ミスであっけなく落命させてしまう。事件の露呈を恐れた彼らは、事実を隠す小細工を始める。処がそんな中、放置されていた感染病患者が異様な容態を見せる。医療事故を糊塗する細工が終わらぬ内は通報も出来ず、手をこまねく医師たち。だが、確実に病魔は彼らに忍び寄り…。だから、何故、正月早々こう言う映画を放映するのか。あ、観ちゃうヤツがいるからかwホラーって、特に好きではないのですが、主演の佐藤浩市に釣られました。木村多江サマも出てるし。えっと、ハデ派手しく血膿の飛び散るハリウッドホラーと違い、しみじみと怖いのがJホラー…なんですよね?いや、こっち系、詳しくないので良く判らないのですが。思い切って怖がって見るのも悪くないかと思い、電気を消し一人深夜の鑑賞をしたのですが、生憎とゾッとするほどは怖くならず。と言うか、全く怖くない。ゾンワリするのを期待していたので、肩透かしを食らった気分。“一番怖いのは、人間の心の闇”と言うのがセオリーなJホラー、ならばもう少し落ち着いた演出が欲しかったかな。佐藤浩市が取り乱す姿は大変セクシーで宜しいのだが、あたふたと病院を駆けずり回れば回るほど、怖さが薄らいでしまう。オチは、“かのヒト”が出てきた瞬間に判りますし。あからさまに怪しいですからねぇ、冬彦さんwかのヒトの不自然な出没に、“浩市、気がつけや”と突っ込みを入れたくなる。謎の感染症が撒き散らす緑の体液も、安っぽくて。んー、こういう場合、確かに赤い血に対比して緑を持ってきたくなるも判らんでもないんですが。日本人が農耕民族だからかな、緑の血に怖さがないのって。日本に吸血鬼伝説がないのは、肉食がベースでなかったからとの説を読んだ記憶があります。民族的に“血”に対する恐怖が薄いのかも。もともと血に思い入れがなきゃ、緑の血の怖さも半減。ま、そういう問題以前に、この緑の血やらスライム体液は、安っぽくってダメダメっすよ。でも、過労や状況の悪化で追い詰められた医療従事者たちの姿は、恐ろしい。病院って、内情大変な所が多いですし。注射がド下手なナース、未熟な医師。救急センターに担ぎ込まれた経験ありの身としては、そっちの方がリアルにゾッと致しましたよ。誠実であろうとしつつも、泥沼に堕ちて行く医師を、佐藤が好演。見た瞬間、立っているだけで“この人、破滅しちゃうんだろうなぁ”と思わせる雰囲気がありありだ。私のお気に入りの多江さんも、ぴったりな役で良し。彼女、今一番好きな女優さんだわ。処で、実はこの映画で一番怖かったのは、ドロドロヘゲヘゲ感染症でも、奇行に走る病院関係者でもない。一番の恐ろしいヤツ。それは、狐面を被って病院内を徘徊する少年だ。最初の数分観ていないので、設定を見逃していたのかもしれないが、アレは誰なんですかね。妙におびえた表情を見せる癖に、意味もなく狐面で病院内を彷徨い、あちらこちらを覗く少年。うえぇ、怖いよぉw2.『天晴れ大リーガー』 「古畑任三郎 フェアな殺人者」 主演・田村正和/イチローアラスジ:古畑も大ファンな、大リーガー・イチロー。チャリティに協力するため、日本に一時帰国していた彼に、古畑一行は偶然に出会う。古畑の嘗ての部下であった向島が、実はイチローの異母兄弟だったのだ。その向島が警備を担当するホテルに滞在するイチロー。実は、彼の目的は、悪者に強請られている兄・向島を救う事にあった。恐喝者を完全に葬り去ることによって。嘘が大嫌いなイチローの手によるフェアな完全犯罪を、古畑の推理が突き崩す。古畑シリーズ、好きでした。ミステリとしてはトリックが多少強引だったけれど、洒落た構成と洒脱な会話は、流石、三谷幸喜で、毎回安心して愉しむ事ができるドラマ。なんて、態々言わずもがなですよね。残念ながら、諸般の都合で、最終三部作の内、このイチローがメインの話だけしか観る事が出来ず。ちと無念なり。それにしても、イチロー、天晴れなり。何これ。フツーに上手じゃないですか。素人が芝居に出ると、観ている方が面映くなってしまうのに、今回はそれがなかった。多少、台詞回しが平坦になるきらいはあったものの、いやはや、素人の芝居とは思えぬ表情の作り方はお見事。一球入魂の世界に生きているお方ゆえ、気合の入れ方が違う。出色の出来だったのは、凶行シーン。生真面目さと狂気が混在した表情は、圧巻。犯行が成功した後の、高揚感と稚気がにじみ出る笑みとか。なーにー、この勘のよさは。ずるいっすよ、野球のみならず芝居までこなすなんてwしかし、イチローを起用しようと思い立った三谷も凄い。だが、こんな役を請け負って易々とこなしちゃったイチローが、やっぱり一番只モンじゃない。古畑マサカズは、もはや芸の域。どこまで行っても田村正和なんだけれど、どっからみても古畑任三郎。これが最後なのは惜しいけれど、終わりがあるのが世の常。ともあれ、お疲れ様でございました。ファイナル3部作、春になったら全部見ようっと。3.『魔性の黒髪』「女王蜂」 主演・稲垣吾郎/栗山千明アラスジ:名探偵・金田一耕助と作家・横溝が宿泊したホテルで、事件は起きる。ホテルオーナー・大道寺の養女・智子の婚約者候補の一人が撲殺されたのだ。その傍らで、血のついた月琴を持って茫然自失の態で立ち尽くす智子。引き続き、智子に限りなく不利な条件で、婚約者候補者たちが殺されて行く。智子は先ごろまで、家庭教師の神尾と共に生地の月琴島で暮らしていた。母の遺言に従い上京するも、当初から脅迫文が送られるなど、禍々しき境遇に置かれていた。金田一は、そもそもの事件の根源が月琴島にあると見て、智子の亡母・琴絵と実父・日下部について調べる。そして、若かりし琴絵・神尾・大道寺・日下部の相関図があぶりだされ……TVをゆっくり観ている環境じゃないと言いつつ、お正月なのでついつい観てしまう2時間ドラマ。どの局も力入れて撮ってるなぁ。平常時に比べ、破格に綺麗なセット、綺麗な映像。このドラマでも、月琴島の主である大道寺家の作りが奇抜で素敵。なんせ、頼朝の子孫だっちゅー設定ですからw赤を基調とした、妙に女郎屋くさいと言うか大陸調なあしらいの御殿、好みです。ついでに言えば、東京の大道寺家の智子の部屋の感じも、遊郭ぽいぞ。あの色ガラス窓なんか特に。キッチュで、妖艶な栗山の魅力を引き立てる内装だ。金田一シリーズ、振り返ってみると殆ど見てるかも。好きですねぇ、こういう虚構《ウソ》の世界。ただし、TVで映像化されたものは、俗っぽさが強調されたものが多く残念。その中では、今作は健闘していたのでは。石坂浩二、古谷一行は別格にしても、稲垣のゴロちゃんの金田一は思ったより悪くない。愛嬌があって可愛いじゃないっすか。まだまだ薄っぺらではあるけれど、と同時にそれ故、軽やかな金田一像は好感が持てる。今回の話は、全般にキッチュで遊びが多く感じられたので、ゴロちゃん金田一で合ってると思った。蛇足か否かは評価が分かれるであろう作家・横溝を出したのも、個人的にはマル。ってか、小日向さん好きなんだもんwコヒさんのぬらりひょんとした柔和な笑顔と、人の良さ気なゴロちゃんの2ショットは、まったり出来るなぁ。(あ、コヒさんは兎も角、ゴロちゃんには特に思いいれないっす)ただ、それだけに、横溝ワールドな暗澹たる妖気は失せてしまったのは残念。栗山千明の魔性の黒髪に、僅かにその片鱗が感じられたのみだ。今までの女王蜂の中では、一番、彼女が雰囲気があったのでは。精神が激昂すると譫妄状態になる美女と言う役が、ぴったり嵌った。ひたすら受身で神秘的な母・琴絵と、ちょっとおきゃんな娘・智子と、二役ともに良かったと思う。ただ、全体に軽い作りだったので、男を食い殺す“女王蜂”の魔性までは感じられなかったかな。方向性が違ったから、致し方なしか。
2006年01月14日
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1.『汝もヒトなり』「アジア怪食紀行/知恵の森文庫」「不味い!/新潮文庫」 著・小泉武夫年末、お節を作る合間に読んだ本。前者は既に何度か読み返している本で、微妙に気に入っていなくもないかな。(どっちやねん)異文化食ネタは面白く読めて好きなのだが、この本そのものをまるっと受け入れるには、何となく違和感あり。成る程、“鋼鉄の胃袋”“冒険する舌”である。出会う食べ物食べ物を、闊達に食べつくす様は天晴れなるかな。だが、そこにそこはかとなく欺瞞の香りが。非常にフランクな人柄にに見えつつも、そこはかとなく倣岸さが垣間見えるような気がするんだよなぁ。“これだけの異文化に、差別意識なくすんなりと溶け込める文化人なオレ様”って感じ。そこまで言ったら言い過ぎかしらん。この本の文体が、飲み屋のおっちゃんに語り掛ける態なのも、鼻に衝く一因なのかも。そもそも、殊更“臭いが旨い”と言い募っているのも怪しい。どんなムリクリな食べ物でも、味わい深くお召し上がりになる舌って、どれほど寛大なんやねん。と思っていたら、タイムリーに「不味い!」を発見。此方は、素直に“こいつぁ不味い”と、ブチブチと文句をたれてらっしゃる。そうだよなぁ、リトマス紙が濃紺になるほど強アルカリな発酵した魚料理(フォンフェ/韓国料理。エイを発酵させたもので、激烈なアンモニア臭だとか)なんて、慣れぬ日本人にとっちゃ、異食以外の何物でもないはず。「アジア怪食」の方では、フォンフェ食堂に3日間通い詰めただけで、“慣れたら味わい深い”なんて仰って、嵌ったかの如くの記述だったのに。血の腸詰なんかも、「怪食」では好物のように記していたが、やはり苦手だった模様。さもあり南京玉簾。その方が、遥かに人間的だと思うよ。どれだけ許容範囲の広い舌とて、あらゆる異文化食を受け入れるとは信じがたいもん。その他の不味いネタは、ありがちな話。予想の通り、“現代の食は間違っとる!”なブーイングが書き連ねられて、新味なし。化学調味料や油分過多に対する苦言は判らなくもないけれど、“卵の耐え難い生臭さ”についての文句が繰り返されるには疑問。そりゃ、卵って生臭くなくはないけどさ。安い卵だと、特に。でも、そこまで論って言い立てる程だとは、思えないんすけど。“鋭敏な味覚・嗅覚”を誇示されているようで……っと、文句つけすぎかな。汝もヒトなり、そして、我もヒトなり。お互い様ですな。読み物としては、圧倒的に「アジア怪食紀行」の方が面白い。文句をつけたが、怯まずに土地土地の食べ物に挑戦する姿勢には脱帽。居ながらにして異国の味に触れる気分になれる本。2.『時代相手の一人遊び』「血と薔薇3」澁澤龍彦編集 河出文庫此方は年明け早々読んだ本。今年一年、こんな幕開けで良いのだろうか?w正直、購入する気はなかったのだが、年末に勢いでget。今更な感もあり。昭和43年刊、或る意味、伝説の雑誌だ。かの澁澤龍彦が編集し、エロティシズムを声高に表明して世に生み出された。所謂カストリ誌とは違い、学術・芸術性からのエロスの探求が旨。名前だけは聞いていた雑誌なのだが、こういうのも文庫として出ちゃうんですねぇ。ヘーセーって、凄いなw澁澤をはじめとして、稲垣足穂、種村季弘、堂本正樹etc…錚々たるメンバーが名を連ねる。うっかりして3号「特集・愛の思想」から買ってしまったが、創刊号の「特集・男の死」の方が面白そうだった。三島由紀夫/篠山記信の「セバスチャンの殉死」フォトが掲載されているし。すんません、キョーミの方向が下世話です。でも、余り専門的で難しいのは一寸。澁澤の本に親しんでいるものの、“愛の思想”だ何だ言われても、素養が足りないので厳しいっす。こういう時、何事も雰囲気だけで愉しんで、本質的な理解に至る努力をしていない自分の浅はかさを痛感してしまう。何事においても、教養は必要って事ですな。譬え、エロスの探求をするにせよ、ね。っと、閑話休題。余りに過去の作品で、余りに著名な人々の競演ゆえ、既視感のある文が多い。この手の世界が好きな向きには、目新しいものはない。逆に言うと、この雑誌によって、世にマニフェストされたものも多かったとも言えるのかな。マンディアングの「城の中のイギリス人」とかも、この雑誌が初出だったのね。結局、3号で放り出されたこの雑誌、澁澤の“時代”を見物客にして為された一人遊びだったのか。書斎の王子は、果てる前に飽きてしまわれたが。(手を引いた理由は、原稿料の不払いと言う極めて現実的な理由だったらしいけど)エロティシズムが一人遊びの箱庭に迷い込んでしまった今、振り返ると、遥か最初に居るのはこの雑誌なのかも。文庫と言えども一寸お高めなので、興味と懐に余裕のある方はどうぞ。個人的には、読んで悔いなしとは言え、血と薔薇3冊分の代金を考えると、内心忸怩たるものがあったりなかったり。ビンボボなんだもん。
2006年01月13日
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“七草粥は微妙に土臭い”と言いつつ鱈腹食べ、新年もはや一週間が終わり。今年からは、斬鬼さんが本当に居ない響鬼だなぁとボンヤリ。ボンヤリしている内に成人式も過ぎ、鏡開きで餅ウマーとうかうかしてたら、はや2週間が。えぇ、食べてばかりでございましたよ。満腹過ぎてちょーっちサボってたこのブログ、放置プレーしても困る人はいないんですが。お見捨てにならずにいて下さる方々、誠に有難うございます&申し訳ございません。しかし、光陰矢の如し。年を取るほど時間の流れが速くなるって、ホントです。そして、このザル脳の記憶消滅度も、恐ろしいほど加速が。ってな訳で、覚えているうちに、自分の記録用に年末年始の感想雑文を。それにしても、松田さんは、今年も頑張ってらっしゃるなぁ。年末年始も着々と仕事をなさっている由。ワクテカで期待しておりますよ。
2006年01月13日
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とうとう、次回放映当日の朝にまで引き伸ばした感想文になっちまって。アハハハハ…ハもう今更な感が強いのですが。残り僅かですもの、取敢えず書くだけ書きまっす。しかし、ホントねぇ。新年になったら、コロっと切り替わりましたね猛士の皆様方。斬鬼騒動を連綿と引きのばすのも如何なものかと思いましたが、この連中の初詣には……処で、このタイトルでどーよ?「鬼道」って言われると、それこそ斬鬼さんがやった呪術を連想しちまうんですが。ま、いいや。以下、簡単にですが気になったところを。《君子豹変す》えー、彼らが君子かどうかはさて置き、意識転換の素早さは見上げたもの。同僚の死をいつまでも引き摺ってちゃ、前に進めないと言う事でしょうか。しかし、目一杯好意的に解釈しても、アレです。キミ、変ですよ、笛の若旦那。「お賽銭が少なくて神様ゴメンなさい」って、どういう新年の願いなんじゃい。吉野も、資金不足に喘いでいるんですかねぇ。宗家の跡取りなんだから、お賽銭くらいパーっとねwでも、良く考えると、鬼が神社にお参りって妙な姿ですよね。(あー、神道だと、荒ぶる存在は鎮められて、神として奉られるんでしたっけ?)そんな中、響鬼さんの和服姿がナイス。一人思わし気に無言で祈る姿も渋い。前回の風に向かってシュっ!は、一寸狙い過ぎな気もしましたが、今回の無言の祈りは、トドを除いては斬鬼さんを最も悼んでたのは響鬼さんだったと感じさせる演出。《いつもの…》すっこーんと突き抜けたかのような、トドの新年の挨拶。あれはあれで、良かったかと。大人が見れば「無理しやがって…」、子供が見れば「頑張るトロロギ偉いっ」って感じかな。長い長い師匠離れの話が、やっと本当に終わったのだなぁと。でも、実の処、一生彼の斬鬼からの精神的独立はなくなっちゃったんですよね。死んだ人にには敵いませんもの。あぁ、ヒナちゃん哀れ。《一意専心》今回のキリーは、登場以来最も支持を集めたのでは。そりゃ、言葉の端々は、相変わらずのキリーですが。でも、パネルシアターに傾倒する明日夢に対する苦言は、正鵠を射ているのでは。キリー、キミは正しい。あぁ、こんな言葉を口にする日がこようとはwもっちー・あきらたんのみならず、パネルシアター少女にまで囲まれて、両手両足に花で鼻の下を長くしているアスムンは、この番組の当初の予想図には無かった姿だろう。そりゃ、一人勝手に退学届けまで出して突っ走るキリーも、やっぱりキリーかよなおバカっぷりですけどさ。でも、一意専心。流されるでなく、自分の意思で何かを掴み取ろうとする。その重さを、このところ成長著しい中村君が、頑張って演じていたかと思います。しかし、それって、本来なら迷える少年である明日夢がなるべき姿だったんだよなぁ。思えば、明日夢って、徹頭徹尾、自分から選択をしてないきがする。「まるで透明」なまま、相変わらず流されているような。このまま“パネル少女の病が気になって、そっちにほだされる”展開になるのは、萎える。けど、その可能性高いんだろうなぁ。“戦う以外の方法で人助けを”とか言って、医者を目指したり。キリーくんの成長は嬉しいけれど、やっぱり、キャラクターの役割を二分させるべきではなかったかと思いますね。いっそ、最初から出してたらまだしも。響・斬もそうでしたが、無駄に対比させる為にキャラ造型するの、私は好かんです。明日夢は明日夢として、成長して欲しかった。この物語って、大人の後姿を見て、少年が何かを感じ取るものだったはず。今だ、流れ続ける明日夢は……つーか、唐突ですってば、あの少女もパネルシアターも。この話から、唐突な展開を除いたら何も残らなくなるかもしれんっちゅーくらい、唐突に次ぐ唐突なエピソードの連鎖。あぁ、ストーリーの方も、一意専心してくれていれば…。もう2話しかないのに、言うのもバカですな。《もぉ、どうにもとまらないっ》しぇー、久々の姫童子かと思ったら、反抗期の暴走っすか。バランスってもんを、全く考えてらっしゃらないようで。結局、洋館サイドの謎って、解明されないまんま終わるんだろうなぁ。ちくちょー、ご馳走を前にしてオーダーストップされたような心境だ。星ちゃん、エロカワだったのによぉ。この番組、美味しい人材が多すぎたのも逆に不幸だったのかしらん。どの素材も上手く回そうとすればするほど、上っ面なでるだけに終わった感あり。そんな中で、郁子母さんのずっと変わらぬ堅実な温かさは、賞賛に値します。ほんの一寸の出演だったけど、毎回良いっす。それにしても、ほんっとーに後2話ですよね?今週、頻繁に「やっつけ仕事」という言葉が脳裏を過ぎりました。一年間かけてやってきたのに、何だか泣けてきます。(某所のサイドストーリーみたいに、いい意味で泣きたいよん)所々、いい科白出てくるのになぁ。響鬼がキリーを諭す「今居る場所を大切にしなければ、先に進めない」なんて、ありふれてはいるけれど、細川氏の表情と相俟って良いシーンだったし。生は真剣勝負。memento mori だから、死は恐れても良い。死を恐れぬ勇気は蛮勇。恐れて尚、立ち向かう努力こそが誠の勇気。さて、あと2時間で最後から2番目の放映。うん。メメント・モリ。
2006年01月08日
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遅ればせながら、初春のお喜びを申し上げます。旧年中は、拙ブログをご愛顧頂き、誠に有難うございました。本年も、ゆるゆるブチブチと書き連ねると思いますが、御笑覧下さいませ。どろろーんと三箇日を過ごし、久々の日記です。えぇ、たんと堪能しましたよ、寝正月を。って、いつも寝てばかりな日常を過ごしている事は内緒ですw昨年は、響鬼に廻り合い、よもやの鬼漬けな日々。殊に、松田賢二氏に出逢ったことは望外の喜びでございました。あぁ、ちあわちぇ。そんなこんなですっかり手抜きな日々を過ごしたツケが、年末に一挙に押し寄せてきまして、どっとはらい大掃除やなにかに追われているウチに年が明けてしまいましたよ。……うっ、紅白の「少年よ」を観逃した。お節作ってたら、時間配分見誤ったんだよぉぉぉぉっ家人が他チャンネル見てたのに気が付かず、慌ててチャンネル回したら、終わったばかりだったっす。観たかったよーん、紅白での鬼たちの勇姿。細川氏が出演するだろうとは予測していたけど、そんな大サービスまであったなんて。昨年一番の不覚でござった。そして、昨年の本の読み納めが小泉武夫氏の「不味い!」だった事も、かなり不覚なり。いえ、本自体はそれほどアレだった訳じゃないんですけどね。お節作りながら読む本には、ちょーっと相応しくなかったかなぁwま、本に影響される事なく、お節は美味しく出来ましたが。斬鬼さんの「自分流で行け」の言葉に従い、とっちらかった部屋には目を瞑り、料理の方に力を入れて大正解。我ながら上出来なお正月料理が出来て、満足。と、さりげなく自慢してみる。で、そのお節で一杯やりながら観た今年最初の映画が、「感染」。その後、極道に朝風呂を愉しみつつ読んだ今年最初の一冊が、「血と薔薇」。微妙に不適切な一年の始まり方な気が致しますw「里見八犬伝」もしっかり見ましたので、後ほど時間があれば感想なぞを。と、こんな感じの年末年始でございました。正月ももう4日、そろそろ日常モードに戻さねばなりませんね。うーん、そう言いつつも、またぞろ眠たくなってきた。膝の上の最強生物様も、気持ち良さ気に熟睡なさってますし。じゃ、おやすみなさいませ……って、寝るなっっっこんな調子ですが、呆れてお見捨てにならず、どうぞ今年も宜しゅうに。
2006年01月04日
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眠い、眠いよ。今年も余すところ後3日。皆様、恙無く新年を迎える準備はお済でしょうか。私?んなもん、出来てたらこんな時間に起きてないっちゅーの。と、逆切れをしてみる。逆切れでもしていないと、やってられないっ。斬鬼さん昇天から3日間、ショックでネットする気力もわかず…と言うのは嘘で、ぱりんぱりんにテンパって家中を片付けていまさぁな。一年間分のツケが廻ってきちまった。えぇ、判っています。事此処に至るまで、荒れ放題の汚家を見てみぬふりしていた自分が悪いと言うことは、重々承知しておりますよ。でもね、本棚の片付けをしていたら、上から我が家最強生物である猫様が飛び降りてきて踏み台にして下さいますし。窓磨きしていたら、ご一緒になって手を振り回し、頬引っ掻いて下さいましたし。物入れ整理していたら、埃まみれの中に潜り込み、お救いしようとした手に噛み付いて下さいましたし。な、泣かないぞ。私、泣いてなんかいないもん。ウゥッにしても、日記は溜まる一方だ。今日やっと届いたラルクのカレンダーも、まだ観ていない。(ってか、DVDも写真集もまだだぁぁぁ)本を買ったは良いけれど、読む余裕ないし。お正月本に取っておくか。でも、お正月に読むのもアレな本だなぁ。小泉武夫の『不味い!』と澁澤龍彦編集の『血と薔薇』、それと、年内到着するか微妙な竹本健治の『虹の獄、桜の獄』の3冊。我ながら、ヘンなチョイスだw明日、最強生物さまと和解出来て、大掃除が終了したら、響鬼の感想書きたいっす。取敢えず、本日は寝る。寝たい。寝られたらいいなぁ。もっと時間が欲しい!
2005年12月28日
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非常に複雑な感慨を抱きつつ、日常の忙しさにかまけて、またまた遅更新。忙しいっていっても、一寸言い訳だな。うん。やっぱり、気が乗らないから書いてない訳で。ウワァーンと泣いちゃえば、楽だったんでしょうけどね。ともあれ、斬鬼さんのご冥福を祈り合掌。いい年して、思い入れにも程があるたぁ自覚しております。客観的に己をみれば、気色悪いっす。ゴメンwしかし、正直、此処までのめり込むとは想定外でした。毎週、日曜の朝が待ち遠しく。文句を入れてばかりですが、それでも響鬼の世界が好きで、斬鬼さんが好きで。この30分、本当に心躍る時間だった訳です。そして、斬鬼さんが本当に消えちゃった今、心にぽっかりと穴が開いたような気分。架空の世界の、架空の人物なのにね。ホント、大の大人が何なのよ状態だ。死相の出たキャラだってのは、比較的当初から覚悟はしておりました。物語の盛り上げの為に、ここでひとつドラマチックに人死にをさせたい制作サイドの意向も判らぬでもない。寧ろ、4番手格以降の脇役を、よくぞ此処まで持ち上げてくれたとすら思います。ます、ます、ますが。だが、それでも感じるこの違和感。“時過ぐ”―さだすぐ。時機を失う事。斬鬼さん自身は、その人気の盛り上がりでは、時花であるかもしれません。が、ストーリー展開的に見た時、その死は時機を逸した“時過ぐ”ものだったのではないでしょうか。残り話数が少なくなってから斬鬼さんへ比重の偏り、掛けた時間は、全体の展開のバランスを崩すものだった気がします。これが、“仮面ライダー斬鬼”なる番組でしたら、構わない事なのですが。いや、構うか。一体どこまで、弦師弟のヘタレ密着度を強調すれば気が済むのかと。死に至るまでやらにゃ自立させられぬのならば、あの、1シーンで鮮やかな印象を残した雨の自立宣言は、全く意味の無いものだったんかいっ。あそこであぁ言う形で自立をマニフェストさせたならば、その後の斬鬼さん悲劇フラグは蛇足。(と言い切っちゃうのも、斬鬼ファンとしては断腸の思いだ)何度も言っていますが、展開上必要だからではなく、人気におんぶに抱っこ便乗した故の死。それが、喉に刺さった小骨のようにチクチクと感じられて、この四十五之巻、素直に泣く事も出来なかった訳です。かてて加えて、この1話内でもバランス悪かったしね。何で、太鼓師弟のエピソードと抱き合わせた。信頼の絆を以ってしての卒業編と、信頼を築き始めた入門編との対比と言う事なんでしょうけれど。納得いかねー。両者喰い合って、印象が散漫になっただけじゃん。(おっと、お口が悪くなってるわ)そんなこんなをあげつらって憂さ晴らし。《朝から》しかし何度観ても、朝からあの裸体のインパクトは……OPで気を取り直す。2番でちょっと新鮮。斬鬼・松田賢二の名前が〆に来ていた事が、嬉しいような切ないような。《矛盾》を言い連ねるのは、こういう番組では無粋な事なのでしょうけれど。笛の若旦那よ、斬鬼さん死亡を確認したら、まずおやっさんに報告が筋なのでは?報告した後だったとしても、響鬼さんと連れ立ってトドに問い質しに行くなんて、ヘンだぞ。ま、再弟子入りを嬉々として惚気るトドが、一番ヘンなんだけど。ありゃ、絶対惚気だよなw男同士の絆に挫折感味わってるヒナちゃんが可哀想なり。《長足の感》ここに来て、キリーの中の人の演技がこなれて来たと思う。いや、若いって凄い。達者なトッチーと比較されて気の毒だったけれど、今週の彼は、それほど悲惨に見えなかったよ。(って誉めてないなw)初登場の時から比ぶれば、長足の進歩。そして、ホントに足も長いっと。しかし、キリー自身は進歩しているようで、やっぱりキリー。根本的な誤りが痛い。目的のためなら手段選ばず。窃盗がばれても開き直るところがキリー。お約束な“喧嘩の後の心の交流”(交流ってか、一方的なキリー語りだ)でのキリー、言ってることは悪くはないんだけど。友達の物を盗んでおいて、どの口が言うっ。と、グリグリと、口を抓ってやりたくなりますw妙に晴れ晴れと盗品持ってちゃうしさ。根本的な問題と言えば、オロチ魔化魍になるとターゲットの選り好みをするようになるんでしょうか。廃校でのヨブコが響鬼を追いかけて来たのとは、事情が違いますよね。餌になる人間がウヨウヨいる街中で、態々、キリーの元級友を追いかける必然性はない。キリーにつなげる為のムリクリ感だけが残る。火車と対峙するのは、消防士だったトーチャンを乗り越える事との絡みでしょうか。そのあたりは、ふむふむ上手いじゃんとは思ったけど。キリーにしちゃ、最大限頑張ったと思う。これをきっかけに、弟子の正道を歩み直すのも、悪くない。だから、だからこそ、認めちゃいけなかった。響鬼さん、受け入れるにしろ、人のものを盗んだ事を流しては駄目だよぉ。何度も言ってるけど、これ、子供番組だから。啓蒙も考えなきゃ。いっちばん、流しちゃいけない事だと思う。結果が如何あれ、まずは叱る、謝らせる。そこが抜けているのが為に、非常に白々しく感じた響鬼の笑顔。キリーの笑顔が、登場以来、初めて本当の笑顔になってただけに……《モミモミ》えっと、鬼とは言え治り早いねトド。脊髄やられちゃった?状態から、あっと言う間に胡坐かくまでに回復たぁ驚きよ。ホントに鬼として再起不能だったかすら、怪しい。初診に医療ミスがあったんじゃないかと思わせるほどの長足の回復力。こっちの足は毛だらけよんwその毛脛をマッサージする師匠。はっはっは。うつむき加減の松田さんが滅茶苦茶色っぽい事は、気にしないで良いかな。しかし、すかさずマッサージをしてあげるなんて、死して後の方が気配り上手になっている師匠。処で、裏っ返されて放置されたトドは、その後、どーしたんでしょうか?w《組織崩壊》だぁかぁらぁ。何で、鬼二人だけで、そんな重要な相談してるわけさ?猛士の組織は、完全に崩壊してますよね。本来ならば、“金”であるおやっさんに報告を上げ、その後の指示を待つ。それが筋、それが組織ってもんじゃないでしょうか。猛士と言う組織のアイディアは、なかなか良かったと思うんです。特撮は疎いのでこう言う設定が普遍的なのか判りませんが、少なくとも私にとっては斬新な世界に感じられたのさ。それだけに、惜しい。初期からそれほどキッチリと組織図を描いていなかったのが祟って、後半に入っては、全く蔑ろにされている。ダラダラとした展開を端折って、こう言う、響鬼的世界観を持った設定を、もっとキッチリ描いてくれていたら。岸壁で鬼二人が相談する姿を見つつ、そんな事を考えてしまいました。なまじ、知名度の高い役者さんを起用してしまったが為に、展開と役者のスケジュールのの折り合いをつけると、こういう形にならざるを得なかったのでしょうが。兎に角、バランスが悪くて、なんだかなぁ。《トド崩壊》「まるで死んでるみたいに冷たい」んじゃなくって、ホントに死んでますから。“あの人が死んでるなんて、信じないっ。えぇ、あたし、絶対信じなくってよっ!”と泣き伏す乙女キャラのトドも、リアルな手の冷たさには、現実逃避出来ず。鬼なんだから、その前に死者の冷気なりを感じ取れ。この鈍感さがトド。きっと今までも、妖しの存在を見逃して来たに相違ない。でも、今回のトド川口氏は良かった。リキ入った演技でした。《ありがと》私の中では、ラストの2鬼共闘より、階段でのシーンが山場。切なかったね。ただ一心に弟子を思っている筈なのに、本人の意思を裏切って心が冥界に彷徨いだしそうな斬鬼さん。松田さんの演技の細かさに、改めて脱帽。トドが転げる直前、半分、人外に飛んでた。一瞬の間が、心と魂のブレを感じさせて。この番組の中で、実は一番情が深くて人間臭かった斬鬼。その彼が、“人でない者”に堕ちる気配が、短い1シーンでしたが、哀切に感じられました。「止めてみろよ」で、己を奮い立たせて人/鬼に戻った姿も、切ないよーそして、これが最後のアテレコ。松田さんのあてぶり、好きでした。臨場感があって。でもね。正直に言おう。ワシ、感動すべきツインギター姿に、吹き出しちゃったっす。ごめん、頭では感動したいと思いつつ、こういうベタなのダメなんだよ。(と言いつつ、今も一度観なおしてみたら、ちょっとウルっときました)そして、最後の言葉。何故、あの「ありがと」が、かくも軽やかだったのか。あの瞬間、彼は“師匠”でも“斬鬼”でもなく、一人の人間“財津原蔵王丸”に戻ったのだと思う。そして、ただの人間として、渾身の力で弔ってくれた友・戸田山登己蔵に感謝した。武張った言葉遣いでなく、対等の友に向かっての語り口でこの世を後に出来た彼は、幸せだったのかも。ふっと消えてしまった最期も、斬鬼さんらしいや。(と言いつつ、“あの最初の川原に、全裸体に戻って転がってるかも”なんて考えちゃった不届き者をお赦し下さい)最期は良かったんだけどなぁ。死ぬ事も、私個人としては“有り”だったんだけどなぁ。でも、やっぱり納得出来ない、このタイミングでの昇天。もっと早い話数のうちに、弦師弟の成長話にケリをつけておくべきだったと思う。ってか、39話でケリはついてたんだから。その後のこの中途半端な時間の掛け方が、何とも勿体無い。こんなに引っ張るでなく、残りの話数との兼ね合いを考えて欲しかった。それと、他のエピソードと絡めるのではなく、集中してパキっとした話運びで。引きでファンの気を惹く効果はあったかもしれないけれど、それで犠牲にした部分も大きかったのでは。後3話じゃ、いろんな意味で無理がありすぎでしょ。でも、結局、多くのファンにとって、この物語で最大のインパクトを残したのは斬鬼になるんだろうな。いつもの如く、文句ばかりですが。男の強さ、優しさ、そして脆さ、色んな魅力を体現した斬鬼さん、今までありがと。そして、演じた松田賢二さん。この番組を通して、今まで思っても無かった世界が開けましたが、その中でも最大の宝石が貴方です。ここまで三拍子揃って好みの役者さんに巡り合えるとは、思ってもいなかった。斬鬼を演じた事が、糧となるか枷となるか。苦節を経てきた松田さんならば、きっと更なる跳躍を遂げてくれると信じています。今後の貴方に、益々目は釘付けです。にしても、後3話だぞー暢気に餅食べてる場合かー?そして、私よ。今年は後、33時間だぞー暢気にブログ書いてる場合かー?ああぁぁぁっ我が家は、オロチな魔化魍“ゴミノヤマ”に襲われておりまする。ヘルプミィー!
2005年12月25日
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ノリ・メ・タンゲレ 作画・道原かつみ/原作・麻城ゆう 徳間書店アラスジ:第三次世界大戦後、大脳工学の発達により意識改革をなした人類は、西暦を銀河暦と改め、新たなる文明を啓いていた。その一端として、意識の分離による過去遡行を可能とし、“歴史調査局”の手により第三次大戦以降の歴史探索がなされている。“調査官”は過去の人物にシンクロニティし、その肉体を通して、歴史を検分するのだ。だが、或る時、歴史の可動性を標榜する学者が違法に過去遡行してしまう。彼の目的は、歴史の改ざん。それを阻止する為、調査官も急ぎ過去に追う。学者がシンクロした“神の子イエス”の行動を監視する為に、その“使徒ペテロ”にシンクロして。そこに、一心にイエスを見守るユダが絡み……。神とは、人間の思考とは。壮大なテーマを描いたSFコミック。久々にマジメに感想書いたら、up寸前、何故か接続切れてた……。ガックリ不貞寝しようかと思ったけれど、悔しいので再トライ。“感想を書くときは、必ずメモ帳から”の教訓を、毎度性懲りも無く忘れる自分が憎い。さて、そのメモ帳に書きかけて放置してある雑文やら、本日の鬼の感想やらを書くべきなんでしょうが。今朝は、朝から曰く言い難い30分を過ごしてしまったので、鬼についてはもう少し熟成させてから。日付が変わっちゃったけれど、クリスマスに因んだ一冊を。実の処、大掃除と称して本棚を漁っていたら、引っかかっちゃったのだwいやぁ、大掃除に本棚は鬼門だね。でも、部屋に溢れた本を片付けねば、掃除は進まないし。ウウム最近、あまり新規開拓する元気が無くなっている。気がつきゃ、手垢にまみれた古い本を、飽かず繰り返し読んでいる始末。今年に入って、本何冊買ったかしらん。漫画に至っては、もう何年も買ってない気がする。(年なんだから当たり前だけど)これ言っちゃうと年寄りじみた感があって嫌なのだが、「昔の作品の方が面白い」んだもん。事、少女漫画の世界に関しては、80年代のパワーって凄かった。少女が少女である事のカテゴライズにに反逆し、ありとあらゆる素材をテーマとした作品が描かれていた。この「ノリ・メ・タンゲレ」もそんな中の1つ。SFと宗教、人間の想いを絡めて、底力のある作品に仕上がっている。作画の道原かつみは、あの「銀河英雄伝」を漫画化した作家として有名。(未読だけど)他の作品は一部を斜め読みした程度なのだが、この作品は、そのテーマと画力に惹かれて購入した。最近の画風は知らないが、力強い線で、重みを感じさせる体を描く事が出来る、貴重な女性漫画家の一人だ。「ノリ・メ・タンゲレ」―私に触ってはいけない。イエス・キリストが復活を遂げた朝の言葉である。だが、本作では、真に意味のある「ノリ・メ・タンゲレ」は、別の人物から発せられる。話は変わるが、自分自身の思考なのに、もどかしさを感じたことはないだろうか?自分の頭で、自分が考えた事なのに、上手く理解や表現が出来ない。何となく判ったつもりでいるが、実は何処まで把握できているか不安。私はしょっちゅうだ。現に今、「あぁ、何を言いたいんだろう???」と自分の感想を持て余しながら、無い知恵を振り絞って描いているしwそんなおばかさんを尻目に嘲笑うが如き設定なのが、本作品。意識革命をなした未来の人間は、脳細胞をフルに活用し、意識レベルだけならば過去へも遡行する事が出来る。実に羨ましい話だ。だが、同時に、その世界は“神”や“信仰”と言った、揺らぎに満ちた思考を打ち捨てた世界でもある。そんな合理性の未来知性と、不条理な情念の古代感性が交差することで生じる、葛藤と融合を描いている。我々の思考には常に無駄が付きまとう。その無駄が揺らぎとなって、文化や宗教を生み出すのであろう。私は、宗教に関しての知識も乏しいし、信仰心もこれっぽっちも持ち合わせぬ、弱い人間である。(信仰を持つのは、或る種の“強さ”だと思う。神=他者に自己を預ける度胸なんて、あたしゃ到底持てませぬ。)そんな者だが宗教には胡散臭さを感じており、この作品のように逆説的な解釈をするものをみると、フムフムフムと興味を惹かれてしまう。この作品の中では、教義は兎も角、イエスは悪役扱いだし。裏切り者ユダは、極めて純粋な人物として描かれている。見た目も可憐な美少年だしねwペトロ/調査官が、歴史の保持と言う使命に沿ってイエス/犯罪者を監視しているのに対し、ユダはその率直な感性と無垢な信仰心で、イエスに懐疑的な眼差しを向ける。ユダ自身、ある秘密を抱えており、それ故、人一倍イエスの事を想い愛している。歴史を変えたいイエス/犯罪者、正史を守りたいペテロ/調査官、そして余りに真摯な想いを抱えるユダ。3者の葛藤が丁寧に描かれており、よって、既に読者は知っている悲劇(ユダの裏切り)に至る意外性が際立つ。この作では、イエスの自作自演として描かれており、ユダは単なる駒にしか過ぎない。(更に言えば、イエス自身が、銀河暦人に操られた駒なのだが)駒だが、ユダにはユダの想いがある。誰よりもイエスを愛し、守ろうとした想いが。そんなイエスを、愛するがゆえに手にかけてしまうユダの行為は、究極の自己犠牲なのかもしれない。その果てに発せられるのが、「私に触れてはいけない」と言う、哀切極まりない叫びなのだ。(うー、無駄な思考に満ちた者ゆえ、上手く言い表せない。唯一言、“読め”と言い捨てたい気分だw)ユダとペテロの心の交流の描写が、丁寧で良い。イエスを監視する張り詰めたペテロの描写と、コントラストをなす。総じて、心理的描写は悪くないのだが、残念な事に、根幹を成す“大脳工学の発達によってもたらされた、脳細胞のフル活用”についてのツメが甘いのが気になる。具体的な姿が見えてこない。“思考を分離し、過去の人間とシンクロさせて歴史探索”する設定と、“暗示をかける”能力くらいしか、表記されていない。未来人たる調査官も犯罪者も、脳味噌をフル回転させている、無駄な思考を排除した人間には見えないのだ。もう少し、そのあたりを突っ込んだ描写があれば、よりこの世界を深めたのに。ただ、発想は骨太で面白いと思った。人間の能(脳)力のフル活用と言うテーマでは、後年「ナイトヘッド」と言うヒット作があるが、それに先んじた発想は、当時中々斬新なものとして評価されたと記憶している。(私のザル脳の記憶なので、アテにはならぬがw)作中、人間が操り損ねた思考は集団エネルギーとなり、“壁”なる磁場を発生させるとなっている。打ち寄せられた、有象無象の想いが、大いなる壁=神を発生させたのだと。となると、私なんぞは、相当なエネルギーの寄与をしているはずなのだが。“神”に寄り添い損ねているのは、不器用な人間なんだろう。大いなる壁に触れるのは、勇気がいるからね。人類の巨大な情念を“神”に転化させた中近東の大工の息子さん、一寸遅れたけれど、お誕生日おめでとう。メリークリスマス。
2005年12月25日
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またまた遅ればせな話。ビジュアルボーイにて配信される松田さんの日記、登録しちゃいましたよ。ご本人も申されていますが、「ま、確かに三十路で“ボーイ”は厳しいのぉ」と思っていたら、ビジュアルダンディなる項目に括られてたんですね。なら納得w恐らく殆どのファンの方が登録なさったかと思いますが、これは“買い”ですね。動画あり、フォトあり、日記あり。ホニャララな話題についての、予想外なお答えが聞けたり。そうか、そういう経験ありなのね。と、フムフムニマニマと、何度も読み返してしまっておりますwで、も1つ遅れ話題で、師弟コラム最終回。あはは、何か松田さんらしいや。おちゃらな話に、しれっと聖書の一節をひいたりして。只モンじゃないっす。そうか、聖書ときたか。どういう経緯で、聖書を読む松田青年になったのか、ちょいと興味がありますね。と言うか、彼の読書傾向も知りたい。宮本輝氏を読み、英語版ドラちゃんを読み、聖書を読み。ううむ、良く判らんwしかし、この「明日の事は…」という言葉、良いですね。松田さんは、味わえなかった“かき氷紅”に思いを馳せていらっしゃいますが。今を確かに生きれぬ人間は、明日を語る資格なし。逆に言うと、今をきちんと生きていれば、明日は必ずついてくる。思い悩むより、今を生きよ。ここに至るまで紆余曲折あっただろう松田さんゆえ、この言葉を選んだ重みを感じます。ネタは、『食べたかったなぁ“かき氷紅”』だけどwホント、甘いものお好きなのね。それにしても、この写真って…つくづく、色んな意味で幅が広い人だと思う。いいから、そういうサービスしなくても、もう良いから。真面目なイケメン風トドと並ぶと、タハハハな気分になりますよ。
2005年12月24日
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また時間が経っちゃったけど、一応、ラルクTVの感想。Mステ長いっ。正直、ラルクの出番は中盤だと思っていたので、きつかったっす。ま、国営放送の大晦日のより、Mステの方が実質的な今年の音楽の流れに沿っていて、面白いけど。でも、長い、長いよ4時間はっw(処で、何で平井のけんちゃんは出演しなかったんじゃろ?)で、ラルク。えーっと、幸さん……あの、その、えっと、ユキーロさん……その髪型は。リアルにゴブリン認定しても宜しいんでしょうかね?w何も、自ら過酷な状況に追い込まなくても。頭部、ご自愛下さいませ。トークで、メンバー全員が“マイクのタモリ持ち”を披露は、ちょっとワロス。その微妙な良く判らないセンスが、流石ラルク。kenが話している脇で、タモさんの手元を見ながらマイクを確認するユキーロがラヴリーだった。しかし、今日のhyde、体調不良か?いつにも増して、化粧濃し。一緒に観ていた家人に、「hyde、顔の御直しした?」と聞かれちまったわよ。妙に目の淵が赤らんでいたので、風邪だったのかな。その割には、まぁまぁ声出ていたが。で、肝心の歌だが。何故、また新世界なんだろうねぇ?いや、この歌、ユキーロの曲だから支持したいのは山々なんだけど。ぶっちゃけ、かなり博打な曲だよね。今回も、歌いだしが相当酷いものだったので、ガックリ。中盤から持ち直して、意外に善戦したけど。高音が出ていたので、いままでTVで歌った新世界の中では、まずまずの出来か。それにしても、あの寝っ転がりは何の意図が?転げまわって歌うって曲でもないし、トドのように横たわって歌うhydeの姿は謎だった。あ、そうか。あれは、もしかして“野球中継を寝そべって見るお父さんの図”だったのか?wうーむ、今年のラルクを代表する曲は、この曲って事になるのか。自分としては、叙情詩が一押しだったのだが。新世界演奏が続いたので、せめてLINKあたりをやって欲しかったっす。ついでに、その後の音楽戦士も。いやぁ、風邪っぴ寝不足なのに、辛い思いして起きていたんだが。ありゃ、なんじゃらほい。たまたま、この時も家人が同席して観ていたのだが、「ラルク、この番組に何か弱み握られてるの?」と真顔で聞かれてしまったw音楽戦士でプッシュしてくれるのは有難い話なんだろうけれど、実際の所は全くメリットがない気がする。手に入れた物は、世間様の笑い者、ファンの呆れ顔…じゃ、あるまいか?我侭三昧やってきたツケで、大人の事情を飲み込まざるを得ないんでしょうが。なかなか、厳しいものがあるね。最後の幸発言(大変だねぇ)、しみじみと聞いてしまったわ。それにしても、深夜頑張って起きてても、あの扱い、あの短時間出演か。あぁ、ファンって……さて、今日こそはラルク全曲制覇しつつ、大掃除するぞっと。(まだしてないんかっ)
2005年12月23日
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ひっさびさのラルクネタ。今年に入って、すっかり鬼たちに魅入られてしまったが、私の基本はこいつ等にある。多分。流石にこの1・2年は途絶えたが、何年も毎日欠かさずに聞き続けて飽きないんだから、我ながら筋金入りの虹中毒だと思うwホント言うと、今月は虹祭り月間でもあるんだよな。ライブ写真集、DVD、テレ朝特番と連続TV出演。紅白こそ出ないものの、ライブ以降雲隠れしていた虹たちに会える時間が多い師走なのだ。…すんません、そう言いつつ、DVDも写真集もまだ観てなかったりして。あぁぁ、何て罰当たりな。写真集に至っては発売日忘れてて、昨日購入したばかりだし。(つーか、近所の書店じゃ売ってなかったんだよぉっ)DVDは落ち着いた環境で観たいし、年末年始のお楽しみにお預け。自分的には一寸考えるところの多かったAWAKEのライブなので、じっくり鑑賞してから感想上げようかと。でも、今日のラルクTV三連発はリアルタイムで観る。観るったらみる。ちょびっと風邪気味だけれども、眠い目をこすりつつ頑張ったさ。いや、なかなか良い特番でしたな。前半CMナシ、ぶっ通しでインタビューやライブ映像が流れ、久々の彼らの姿に暫し感慨にふける。いやぁ、ラルクだw当たり前の事に、偉く感動。正直言って、ラルクのライブはまぁアレである。“ライブが”と言うより、“hydeの生歌”は、「アハ、アハハ、見逃してやってくれぃ」なレベルから始まることが多い。弁明すると、喉が開いてくるにつれ、少しは上昇していくんだけれどね。この特番で初めてラルクライブを見た方は、若しかしたら、絶句するかもしれない。ファンの自分だって、時々居た堪れなくなるもんなぁ。それでも、やっぱりライブは良い。あの独特の空気は、他の何にも代え難いものがある。今日も、TV画面の前で思わず一緒に腕振り上げそうになっちまったさwそれにしても、トツクニの方々のパワーは凄いね。空港での熱狂振りもだが、ライブ会場での狂乱振りは日本の比でないかも。ま、トツクニの方々にとっては、初体験だから異常な盛り上がり感も当然か。ただ、マナーの点は一寸。お国柄の違いと言ってしまえばそれまでだが、日本の観客の方が、鑑賞中の態度は良いかもね。その海外ライブの感想やオフショットなど、各メンバーのインタが良かった。惜しむらくは、ユキーロのオフ映像がなかった事。でもま、インタで結構喋っていたから良いか。帽子から突き出たお耳が新鮮。一寸尖ってみえて、ゴブリンみたい。(オイオイw)ライブ前・後とかーなり違う、姑息な髪型もイイ。hydeを観ているよりも、ユキーロが画面にチラっと映るだけで胸がときめいてしまった。…こりゃ、本格的に雪に転んだかしらんwちくちょー、あの二の腕堪らんわ。ライブ風景や前後の様子は、大体想像の通り。いつもみたいな。この特番で特筆すべきなのは、改めて彼らの“強靭さ”を感じられたこと。インタの終盤で、15周年を迎えるラルクについての、各々の感慨を聞いていて思った。更に一皮剥けたな、と。あの、長い長い本当に切なかった休止期間も、無駄な時間じゃなかったんだなぁ。ま、あれ以降、ファンの間に、一寸の餌で放置プレーされても文句の言わない奴隷根性が蔓延しちゃったと言う、弊害も発生したけどさw「ずっとこのまま」と断言するhyde。酸いも甘いも潜り抜けた、大人の余裕を感じた。お哲もkenもユッキーも。全員、互いの必要性と、自分自身の価値を十分理解している大人の関係。何だかんだ言って、彼等、健全な大人だ。必要以上に馴れ合うこともなく、排他的に己の殻に固執することもなく。健全で独立した大人だから、こんなビックバンしつづけるようなバンドを組んでいられるのだ。永遠はない。でも、永遠を夢見ることは出来る。虹はいつか消え去るが、その彼方には光が差している。だから、私はラルクを愛する。最後に「虹」の映像を流した。もう何回何百回、いや何千回聞いたか判らぬほど聞き込んだこの曲。このライブにも行ってるので、リアルで聴いている。それでも、また胸が熱くなり、涙が溢れそうになった。メンバー全員にも、胸に去来するものが。(ken、泣いてないって言ってたけど、怪しいゾw)特別な状況で生まれた曲だから、各人思い入れもあるし。でもそれだけじゃない。この曲、このhydeの歌唱には、心をを浄化し、救う力がある。少なくとも私には。虹は消え、虹は生まれ、世界のどこかに在り続ける。困った。写真集もDVDも、それどころか、過去全作品を観たくなってきた。こんな深夜に激烈な衝動と戦っている。(とりあえず、さっきの特番はリピして見ちゃった。で、こんな時間だ。)明日は、大掃除しながら全アルバムを聞くとするか。あぁぁぁ、全部聞き終わっても掃除が終わっていない悪寒がする。このまま現実逃避して、虹の彼方に逝っちゃおうかなぁw
2005年12月22日
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えー、週も半ば過ぎになっての感想文は、果てしなくマヌケなんですが。それでも、書くさ。えぇ、色んな意地を込めて書いてやる。あ、祝・紅白「少年よ」布施さん、紅白は観ない予定でしたが、貴方の為に観る事にしました。先ほど“色んな意地”と書きましたが、実の処、もうどーもなんと申しましょうか。開いた口が状態で。意地も何も、全てを吹っ飛ばす今回でございました。んじゃ、地雷を1個っつ掘ります。《危機管理》危機管理が限りなく甘いのは、猛士の伝統なんでしょうか?と嫌味を言いたくなるような、お粗末な展開。陰陽環ねぇ…。話ここに至って、そういうアイテム出すですか。販促必死な事情もわからぬでもないので、ま、それは目を瞑り。でも、響鬼さん、貴方、そういう飛び道具を堂々と人前で。昼日中の公園であげな怪しげな炎飛ばしてちゃ、ピーピーングキリーじゃなくったって、誰だって目ん玉ひん剥いて見ちゃいますよ?オマケに、街路樹焦がしてるし。それ、立派な器物損壊では?“12月18日正午頃、葛飾区の○×公園にて、火炎瓶らしきものを振り回し樹木に放火した男が逮捕されました。容疑者は無職・日高広志(34歳)。容疑者は、「火炎瓶は使用していない。修行の最中のアクシデントで樹木を損壊してしまった」と供述。反省のそぶりは見せているものの、その供述には不審な点も多く、警察は更なる調査を進めている。”なんてニュースが流れても知らんぞなもしwそんな師匠のお弟子、明日夢くんってば、学校に貴重品を持って行かないのはデフォな事知らないんですかね?制服の間に隠しても、全く意味ないっすよ。貴重品はロッカーに。これ常識。師匠が師匠なら、弟子も弟子だわ。でも、乙女な髪型が可愛いので、大目に見ようw《若気の異たり》で、それより更なる困ったちゃんな弟子キリー。響鬼さん、良い事言ってくれてるのになぁ。「俺の弟子だから、味方する」この年頃の子は、自分の全てを肯定してくれる人を渇望している。それをさらりと言える響鬼さんの包容力も、今の彼には馬耳東風なのか。あー、ケンカ予告シーン、てっきり明日夢と取っ組み合いしてるのかと思ってた。なんだか、今更なキリーの過去同級生だなぁと思っていたら、死亡要員でしたか。あーあ。あれだけ怪しげな行動をとっているキリー、普通のドラマや小説じゃ、陰陽環盗っ人である可能性は低いのが常道ですが。はてさて、この脚本家さんは、どうなんですかね?あぁもあからさまに“ボク犯人でーす”な姿で本当に犯人だってのも、裏の裏でアリだと思ってらっしゃるのかしらん。それにしても、酷い展開ですね。話し半ばでならまだしも、もう後がない状況で、こういう爆弾投げますか。あの高校生は、死ぬ意味があったのでしょうか?人の生き死にが軽い。視聴者のお子様に、あの高校生の死を納得できる形で説明できる制作サイドの方がいらっしゃったなら、是非名乗りを上げて下さい。それにしてもアスムン、呆然としとらんでキリーを追っかけろよっ《い、いつも…》今回、響鬼さん、いい科白だなぁ。「愛されているヤツが強い鬼」キリーへの言葉もそうだったのですが、相手を肯定する事ってとても大切。相手を認める事が出来る人間は、強い。響鬼のよさが出た、良いシーンでした。それにしても、えー…毎回申しますが、この番組は健全な青少年を育成する日曜朝8時の番組ですよね?なんすか、あれ。あの空気は。トド、ガチ認定。と喜ぶバイヤス思考な一部のファンを狙ったとしか思えぬ、あのリハビリルームでの経緯。愛する女性に甘えたくないと言う、トドの心理は判る。全面的に受け止めフォローすると言う、お師匠さんの心理も判る。だが、それをあんな風な撮り方するのは、どっかなぁ?絶対に、ヨコシマフィルムで撮ってますよね?何、あの家政婦は見た的なカーテン越しの抱擁姿は。だ、誰の視点だ?ヒナちゃんか?ワタクシ、仰け反っちまったでsyよ。更に、たちばな地下室での、おやっさん発言「あの二人の絆は普通じゃない」が駄目押しで、がっくりと崩れ落ちました。あの一連の姿を、仰け反ったり崩れ落ちたりしながら観る私が、普通ではないのでしょうか?“あぁ、固く篤い師弟愛なのね”と感動するべき?いえいえ、絶対、撮影する側にも、歪んだ意図があったはずだっそういうあざとさ、嫌い。大騒ぎしておいて何だけど。もっとさ、別の方に力入れようよ。そういうファンが多いからって、擦り寄った演出は気持ち悪い。重ねて言いますが、日曜朝8時です。も1つ気になった点。あの病院がどの程度の規模か判りませんが、通常、リハビリは専門のスタッフが付くはず。ましてや、半身不随に近いトドの場合、素人だけで歩行訓練なんぞさせるはずないよ。屋上手すりなんて、以っての外。危険だよー《お腹一杯、和洋中無国籍フルコース》今週は、まごう事無く“仮面ライダー斬鬼”でした。響鬼さんは、いつになったら完全に主人公を張らせて貰えるんでしょうか。30代の中堅俳優を主役に据えるって発想は良かったのになぁ。大河と重なったのは、やはり痛かった。さりとて、群像ドラマとしても中途半端だったし。自分がはまった欲目もあるかもしれないが、結局、弦師弟ばかりが目立つ展開で終わってしまいそうだ。残念なり。と言いつつも、そりゃ、斬鬼さんがメインな話が続くのが嬉しくない訳はない。ない。ない…のかなぁ。いや、やっぱり嬉しくないわ。役者・松田賢二のファンとしては、今回の演技は嬉しく堪能出来たけど。仮面ライダー響鬼の世界の斬鬼ファンとしては、嬉しくにゃい。“ほれほれ、好きなんだろ?なら食えよ。これだけ沢山料理してやったんだから、有難く食べろよ”と、ごってり山盛りの料理を無理やり口元に突きつけられているような気分になった。ゆっくり静かに噛み締めて味わう、あの世界は何処に行ったんだろう。そして止めが、あの川っぷち全裸体か。げっぷ。《気を取り直して口直し》夜中(明け方だわ)に書くと、いつにもまして愚痴グチっすね。気を取り直して、松田さんの演技を褒め称えようっと。冒頭の変身シーン、先週もだけれど、何度見ても素敵だ。しかし、戦う相手が因縁のバケガニだってのは。狙ってますねw今週の松田斬鬼は、兎に角、凄みがあった。渾身の演技ですな。力入りまくってて、多分、お子様には怖かったのでは。喀血蔵王丸は壮絶の一言。鏡を食い入るように見つめる瞳に鬼を見た。返魂の術の是非は兎も角、糸巻きマキ斬ちゃんは、いかにもそれっぽい感じだし。(あー、でも。ま、考察サイトさんが突っ込みいれてらっしゃると思いますが、これでもかって位突っ込み処満載な返魂術。アングリ)問題の、師弟抱擁シーンは。えーっと、えーっと、優しい瞳だなぁ。ってか、こういう人に「俺がついているから」って言われたら、そりゃトドじゃなくても頼りたくなるわ。さて。色々書いてきたが、避けて通れない最大の関門が、今回の最大の山場だったんだろう。そう。あの見事な脱ぎっぷりだ。役者・松田賢二には、惜しみない拍手を送ろう。ニュートラルを心がけ、演出には素直に従った松田さんならではの力演だ。だ。だ。だ、が。おねげぇしますだ、断る処は断りましょうよぉぉ死によって無防備な状態になった事を示すのに、あのアングルは必要ないっしょ。ぷにぷにツヤツヤのおいどを拝めた事は、嬉しくなくはないと言うに吝かではないですが。顔半分、殆ど息も出来ない状態で水に突っ込んでた根性は凄いと思います。“ちゃんと死体だよなぁ”と感服。でも、おいど、臀部、御尻。それが、30分の全てを覆い尽くしてしまった感です。ふぅそれにしても、菊花の契りな終わり方。露骨過ぎるっつーのっ。青ざめて水を滴らせる蔵王丸さんのボーテネブルっぷりも、素敵ですが。陰陽環、返魂の術、オロチ。さてさてさて、残り少なさに対してこの風呂敷の広げっぷり。あ、謎の洋館夫妻もだ。この話、まともに収拾させる気がないと見たが如何に。少年の成長と言うテーマも、実質的には放擲されてるし。残りも、このまま斬鬼さんの話で引っ張るつもりでしょうか。私は斬鬼さんのファンではありますが、見たいのは「仮面ライダー響鬼」。力いっぱい主人公やってる響鬼さんと、丁寧な話が見たい。出来ないかなぁ?某所では、素人が見事な響鬼の世界を描いているぞ。(主人公は裁鬼さんだけど)大人の事情で大政奉還があったのは致し方ないけれど、その後の世界を、もっと愛して作って欲しかった。需要に媚びるのではなく。信念を持って世界を築いてくれたら、もっと愛されたのに。飽食の果て、残された皿の残骸をぼんやりと眺める気分だ。
2005年12月21日
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どうもお久しぶりでございます。気が付いたら、日記の記入率が9割切りそうになってました。あはは、サボるととことん逝っちゃうねぇ。別に、斬鬼さんのおいどにショックを受けて不貞腐れているって訳じゃないんですが。PC使う時間がどんどんずれ込んで、気が付くと寝ちゃってるんだよなぁ。努力はしてるの。でも、おこたの誘惑に勝てず。(布団で寝ろっ)先日は、更新中にメンテで消えちゃうし。楽天さんのイケズぅ。メモや走り書きで感想を書いたものもあるんですが、以前も言い訳したけど、upに至る可能性は限りなく…ゲホゲホゲホ一応、最近の記録を。「黒と茶の幻想」「ねじの回転」恩田陸「ライト・ジーンの遺産」神林長平「文人悪食」嵐山光三郎「恐るべき子供たち」萩尾望都「STAY ああ今年の夏も何もなかったわ」西炯子「秘密」清水玲子「うさぎは眠っている」ちばひさと漫画が多いっすね。あ、ちばひさとの感想文は書いておきたかったなぁ。それよりも、買ったまんま放置プレーのラルクのライブDVDを何とかせねば。あ、いかんいかん。明日の深夜は、テレ朝のラルク特番じゃん。で、金曜はMステだ。そう言えば、録画したトリックも見てないし。うわ、うわ、うわわ。と、こんな深夜に焦ってみる。ホントは、こんな事じゃなくって、大掃除の方を焦らなくちゃならんのだが。誰か、ボランティアしに来てくれないかなぁ。松田さん、お掃除して下せぇませw
2005年12月21日
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楽園の瑕 東邪西毒/Ashes of Time1996年香港 主演/レスリー・チャン、マギー・チャン、レオン・カーフェイ 監督/ウォン・カーウァイアラスジ:風吹き荒れる砂漠。殺し屋の仲介業を営む“西毒"こと欧陽峰の元に、毎年、決まって訪なう友人がいた。その友人・“東邪"こと黄薬師が、或る年、不思議な酒を土産に持参する。「飲めば思い出を忘れる」その酒を勧められるも口にしない西毒。東邪は強か酔い、記憶を失ったと告げ、去って行く。西毒は殺し屋仲介業を続け、その元には、幾多の剣士たちが訪れては去っていった。二重人格の女、盲目の剣士、裸足の剣士。彼らを見守る西毒は、己の若き日を思い返す。嘗て、高名な剣士になるために分かれた恋人の事を……。中国の人気武侠小説「射鴎英雄傳」の登場人物たちの若き日の姿を、カーウァイ流に描いた作品。94年ヴェネチア映画祭金のオゼッラ賞受賞。カーウァイ監督の、独特の美学溢れる映像が好きだ。と言うと、さも精通しているように聞こえるが、実はきちんとスクリーンで鑑賞した事がない。(更に言うと、全作品を観ている訳でもない。あぁ、なんちゃってファン)だって、片田舎じゃ上映してくれないんだもん。ブレイクし始めた頃は、都心の映画館に通う余裕がなかったし。で、レンタルでの鑑賞から嵌った監督である。邪道ですまぬ。(今年公開された、日本の某トップアイドルが鳴り物入りで参加してコケた作品も見ていない。あのCMで食傷した。)本作品は、剣客たちの物語だが、単なるアクション映画とは一線を画したものに仕上がっている。何せ、あのカーウァイ作品だ。単純明快、すっぱりと割り切れる痛快娯楽映画になる訳がない。と言うか、アクション物としてみると…そっち方面には明るくないので良く判らないが、かなり問題作なのでは。独特の映像感覚が、アクションならではのスピーディな動きを封じてしまっているからだ。そもそも、この映画、観る者をかなり選ぶ。選民意識で言っている訳ではない。ぶっちゃけ、カーウァイファンでも、途中でリタイアする危険性のある映画なのだ。体調が万全じゃないと、寝ちまったりしますぜ。実際に、私の初回がそうだった。一度目には途中で爆睡。体調を整えて見た2度目も、完走はしたものの今ひとつ良く理解出来ず。今回、3度目の挑戦で、やっと面白さが判って来たような次第。間違いなく、アジアを代表する監督の一人であるウォン・カーウァイ。なかなか難しい御仁のようで、作品への拘りが強い余り、製作中のトラブルが絶えぬと仄聞する。本作も相当なトラブルがあったそうで、撮り終えてから編集もせず放置、上映までかなり間があいたらしい。出来上がった作品も難渋で、賞を取ったものの、その評価は毀誉褒貶。場所によっては、ブーイングも出たとか出ないとか。特にこれと言ったストーリーがある訳でなく、時間が前後して描かれるので、かなり判りにくい話だ。一度納得出来ると、倒置な展開の妙を感じることが出来るのだが、如何せん、その納得に至るまでが苦労。いや、冒頭と終盤のリンクが、納得出来るとなんとも絶妙なんだけどね。体調次第で、最後まで完走するのが困難な作品だと、理解するのがなかなかに大変。拒絶反応も無理はないと思う。有名な武侠小説の前日譚だが、そのベースになっている話を知らない人間には、一度観ただけではさっぱり意味不明。外国の人に、八犬伝の創作後日譚映画を見せたら、こんな気分になるのかも。時々、レスリー・チャンとトニー・レオンの見分けが付かなくなるのも厳しい。(いや、これは私だけだろうよw)それと、これは効果を狙った為なのか、かなり映像が荒いのも気になる。カーウァイらしいっちゃらしいのだが、それも程度問題かと。と、これだけマイナス要素がありつつも、それでも惹きつけて止まぬ何かが、この作品にはある。いや、この作品に限らず、カーウァイ作品には独特の味わいがあり、一度その味の虜になると後を引くのだ。深く理解している訳ではないので、飽くまでも個人的感想だが、“死の影”が漂う世界だ。もっと言えば、その死の影に潜むエロスが、観客を惹き付けるのかもしれない。カーウァイ作品、人死にが多い。かなりの作品に、殺し屋が登場しているし。ストーリーにも、不毛な傾向が窺われる。そう、不毛だからこそ、なんとも言えぬエロティックな空気がそこにあるのだ。で、本作である。剣客が主人公なので、当然の事ながら人、死にまくり。だが、この映画の主眼は、彼らが繰り広げる剣戟よりも、その愛にこそあるのであろう。実に、実に不毛な愛の形が、そこにはある。己の野望のため一度は捨て去った恋人に、兄嫁になると言う形で復讐される主人公・西毒。西毒の友で、女たちを翻弄した末、親友の妻に深く思いを寄せてしまう東邪。その東邪を一心に慕うあまり、心に傷を負い、二重人格になってしまう男装の女。東邪と妻の仲に耐えかね、故郷を捨てるが、それでも尚、妻を思い続ける盲目の剣士。そして、残酷な復讐を果たしたものの、それが己をも空しゅうする行為だった事を嘆く西毒の恋人。彼らの思いは、複雑な糸の様に絡み合い繋がる。曖昧な輪郭だった話がラストで繋がり、全て腑に落ちた時、もつれあい死の淵に落ち行く彼らが発する不毛な愛の香りに、観客は陶然となるのだ。叶わない、報われない愛ゆえに、限りなくエロティックな世界が其処にある。この匂いを好むか好まぬか。それ次第で、この映画を堪能出来るか否かが分かれるであろう。この作中、女性は水の領域にあり、男性は砂に象徴されるような気がした。水郷に住む盲目の剣士の妻、湖で独り修行をする男装の女、そして海を眺める西毒の恋人。ゆらゆらと揺れる水面のように、彼女たちの心は不安定だ。ただ一心に男を思い続けていると本人は思っていても、掌から零れ落ちる水のように、それはいつしか失われてしまうものだからかもしれない。だからこそ、彼女たちは儚く美しい。安定し、完結したものには、エロスは存在しない。対して、男たちは砂のように地を流離う。砂は、何も生み出さない。偶さか、水に巡り合って吸い込む事は出来ても、その身に留め置く事はできぬ。いつかまた、乾いた砂に戻って、風に吹かれて流れるだけだ。不毛で、哀しい。実は、登場する女の中には、水から遠ざかった世界に生きる者もいる。西毒の元で剣客をする洪七が思いを寄せる女と、洪七の妻である。彼女達は、大地に根ざす存在。この場合、男である洪七が“水”だからか。(その名からも、彼が水に縁がある存在として描かれる)女性の水の場合、命を生み出す象徴と考えられるが、男性の場合、死を司る水か。生物は水から出でたが、水はまた、レテや三途の川ともなり、命を流し去るものでもあるから。思いを寄せた女は、自分の復讐を果たしてもらう代価として卵を差し出す。卵1つで、命を購おうとするのだ。(いや、1つっきりじゃないけどさ)己の身代わりに卵を選ぶ女。卵は確かに1つの命ではあるが、だが、女自身がその身から何かを失うわけではない。したたかである。その結果、洪七は剣士として致命的な怪我を負う事になる。そして、そんな彼を癒す為、粥を炊き、草履を綯う妻。夫と妻と言う、形を得て安定に向かう彼らには、不毛なエロスは似合わない。冒頭、西毒の元を訪れた東邪は、記憶を失うと言う酒を飲み干す。作中の或る女に託されたその酒は、女=水そのものであろう。飲み干しても、飲み干しても、やがてはサラサラと乾いてしまう。乾いて、消えるかに見えて、だが、その真髄だけを砂に残す。“思い出こそ悩みの源”と嘯いてみても、忘れようとするほど、その思いは消え去らぬものだから。カーウァイにとって、愛は忘れ去りたいほど不毛で、だが、それ故にエロティックなものなのかもしれない。普通のアクション映画を期待しない人、是非一度お試しあれ。ただし、体調の万全な時にね。(或いは、途中で寝ちゃってもOKな体制でw)しかし、この映画、邦題が上手い。原作を知らないとピンと来ない原題に比べ、日本人にはアピール大。「楽園の瑕」、アートでおされなタイトルだ。スノッブなので、そそられちゃうw
2005年12月15日
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えー、毎度、愚痴グチ乾燥日記っす。一身上の都合にてブログ書く余裕がなく、寝かせて乾燥した感想ですが、ご寛恕の程を。んー、今週もパートパートは良かったんですけどねぇ。と言うか、科白は光っていた。ですが、全体をはめ込むと何となく其処此処に齟齬が。そこどこあそこを1つづつ。《千尋の谷》主人公は伊達じゃない。って、非常に失礼な感想ですね。でも、今週の響鬼さん、胸に沁みる言葉が多くて。冒頭の「今の自分を超える事が大事」や、「経験は修行なり」これ、これですよ、響鬼の精神は。決して多くは語らない、でも、真髄は示す。今の少年らには、伝わり難いかもしれない。画面の向こうで見ている子供たちにも。でも、何年か先かもしれないけれど、いつかきっと残響が心を打つ、そんな科白だと思う。そして、轟鬼を見舞った穏やかな暖かさ。「頑張りやさんだな、トドはいつも」には、不覚にもウルっときちまったじぇ。「おまえを待っているから」と言えるのが、主人公の度量。でも、無駄な慰めはしない。静かに諭し、励ます。いいなぁ、大人の男だなぁ。しかーし、プールサイドではペントハウスが似合いそうなガウン姿。しかーし、崖の上では、三十路男にそぐわぬ可愛いボア付空色ダウン。なんだ、そのTPOに違和感ありまくりの格好はっwでも、いずれも似合っている処が、恐ろしい。流石だ主人公。処で、崖まで車運転したのってダレ?もしかして、響鬼さん?いや、他に誰が居るのか…それって、修行の一環ですか?だってほら、下手なジェットコースターに乗るのより怖そうですし。胆力つきそうだわw《若気の言い足りん》で、そんなジェットコースター運転に耐え切れず、一人逃亡を図ったキリー。(エ?)ま、大方の予想通りの、逆切れリタイア。が、このままじゃ終わらないだろうと言うのも、想像に難くない。あーあ、なんだか嫌な展開。母さんモードに入っちゃったし、気になるじゃないですか。切れるにしても、もうちょっとどうにかしてやってよ、脚本のヒト。「自分を超える」と言う事が理解出来ない卑小な人間だと表現したい旨は、判る。だからって、幾ら何でもタクシーでマラソン中抜けは。間抜け過ぎー自己顕示結構。だけれども、書道や数学で鬼(戦う存在)になれると思う15歳が居るとお考えか?ギャグのつもりでも、笑えねぇ。その崖から滑り落ちちまえ。ズルが見つかって、直ぐに素直に謝るキリーは良かったのに。罰掃除にぼやくのもあり。だから、その辺で止しにして、それ以上愚行を犯させないでやってくれぃ。それにしても解せないのは、明日夢の放置プレー。今週の彼、殆どまともな科白なしですよね。ママンとの健全な親子の会話、で、孤独なキリーかい。ベタで姑息な構図。あ、唐突に挿入されたモッチーの場面でも、あきらたんと一緒にとってつけたような説明を言わされてましたっけ。この2場面は、主筋にはあまり関係ないのでさて置き。肝心な鬼修行の場面で、彼の立ち位置が曖昧な気がする。表情で演技しているものの、今ひとつ、彼が何を考えているのかが不明。響鬼さんの言葉を素直に咀嚼し、黙々と自己鍛錬に励んでいる…それは判るけど、何となくなぁ。曲がりなりにも、“父を越えたい”とマニフェストしているキリーに比べ、そもそもの志望動機がぼやけている明日夢。ここにきて、ますますその存在の意味がぼやけまくっている気がします。キミは何を目指しているのか、本当はまだ言い足りないんじゃないのか?噛ませ犬キリーに場面をすっかり食いちぎられて、“まるで透明になったみたい”状態に逆戻り。まったく。仮にも主人公の一人であった彼の立場ってもんは、いったい何処に吹っ飛んじまったんでしょうか。キリーの狂犬度を修正して、明日夢と切磋琢磨する展開にしてくれればいいのに。あぁ、若気の至りが度を越して、言い足りないったらありゃしない。《或る意味、いつもの彼》トド、果報者だよなぁ。あんな可愛いヒトがベットに寄り添ってくれるし、お師匠さんはまんじりともせず。ヒナちゃんの献身(叱咤する表情が綺麗!)に、ママンのように宥めるお師匠さん。しかし、或る意味、今回の轟鬼は、演じる中のヒトの素に近い姿かも。はしゃぐトドを演じている時は、「あ、ちょっと一杯イッパイ?」と痛々しく感じた事もあったけど、今回の演技は動きは少ないけれど彼的には感情移入しやすいものだったんじゃないかな。虚ろな表情が、なかなか良かったと思います。流石、素は暗いヒト。あー、でも泣きの演技がもちょっとねぇ。エグエグ泣きの次は、ヒックヒック泣きかい。あとね、あのね、言っちゃうけどね…スネゲ~!!!ゴメン、すっごく良いシーンだったのに、あのスネゲのアップみて吹いたwいや、“不潔っ!ヒーローに無駄毛なんてある訳ないわっ!”と逆上するよな年じゃないですけどさ。“わー、毛虫みたい”と思っちまったもんで。ゴメンね、トド(の中のヒト)しかし、今回のトド、ヒナちゃんに付きっ切りの看病されているにも関わらず、「斬鬼さん、斬鬼さん、斬鬼さん」の連呼。まぁ、これも或る意味、いつもの彼ですが。特異な状況とは言え、こうも斬斬斬されちゃうと、やはりこの師弟の親離れ子離れは不可能なのかと思わざるを得ない。彼の中では斬鬼さん映像は、キラキラフィルターがかかっているようだし。これは、狙っているのか?綺麗な蔵王丸さん映像は嬉しいけれど、なんだか生温い気持ちになるのは、こっちがバイヤスが入っている所為なんでしょうかねぇ。ま、それはおいておいて。鬼断念宣告をされたトドの運命は如何に。このまま“リハビリに励むけれど、鬼には戻らずサポーター人生”になるのか、“一発逆転裏技鬼復活”があるのか。お子様への教育的配慮は地味に前者だけれども、見場良く派手な展開にするには後者だよな。ってか、既に色々なフラグが林立していて、もうもうもう。取敢えず、これだけは言っておこう。トド!次は日菜佳ちゃんの「お食事アーン」を断ったら、許しませんからね。…よもや、影でお師匠様に「アーン」してもらっているなんて事は。プルプルプル、恐ろしい図を想像してしまった。《甘いも辛いもフルコース》お師匠様……貴方って方は……何なの?何でこんなに綺麗に撮ってもらってるんだ?w夕日に照らされ苦悩する蔵王丸さん。トドを諭して後光さしてる蔵王丸さん。日曜朝8時、何か別の番組を見ている気分になりました。なんちゅーか、作る側も見る側も、フィルター掛かりまくってんなぁ。でもね、ま、判らぬでもない。トドを心配し、憔悴した蔵王丸さん。あぁぁ、また無駄にフェロモン駄々漏れなんだから。告知のタイミングに疑問はあっても、あの表情、あの佇まい。あんな風にやられちゃったら、画面の前で紅涙を絞るご婦人方が山積ですよ。彼は、全てを引き受ける覚悟で、敢えて一番残酷な事実をズバリと告げた。手を差し伸べるだけが、優しさじゃない。共に痛みを受け止める、そういう寄り添い方をするのが斬鬼さん。と、峻烈な男の関係を見せたかと思えば、その次には、うって変わって甘い顔。食事を拒む轟鬼を宥める表情は、子供をあやす母親かい。結局、この師弟の関係って、どこまでもアレなのね。トドも甘えきっているから、斬鬼に殺して欲しいと訴える訳で。これに対した斬鬼の科白、これもまた今回の名科白でしたね。「鬼というはひとつの生き方。常に自分に勝つ、そういう生き方」この時の表情が、これまた良い。静かで深くて、本当に綺麗な瞳。噛み締めるように言われると、ほれ、また紅涙がwそれにしてもトドよ。確かに、今回のお師匠さんは、一体どうしたレベルで美々しい。が、後光までさすこたぁないだろうがよ。トドの脳内じゃ、蔵王丸さんはあんな風に映ってるんですか。以前の妄想ウェディング日菜佳より、脳内お師匠さまの方が遥かに綺麗って、どういう事だ?wと、病室編の蔵王丸さんは、切なく紅涙を絞って。メロドラマばかりじゃなく、現場でお仕事姿もお見せ下さり。笛の若旦那とのタッグですが、おいおいおい、何その偉そうなサポーターっぷりはw「ちゃんとサポートする」と言いつつ、何にもやってなさそうなところが、流石、蔵王丸さん。怪人サイズとは言え、また、魔化魍と素手でバトルしてるし。(あー、もうこの点は…)遅れて馳せ参じた響鬼さんにも、でらデカイ態度だよ。こ、ここまで態度Lでしたっけ?と、一寸退いたものの、言葉に出す以外の阿吽の理解がある大人の関係だってのが判る演技で、このシーンも一寸良い。兎に角、どの場面でも、目で語ってる。松田さん、良い瞳を天から授かって、本当に宜しゅうございましたね。そして、その瞳に決意を込めての、再びの変身。その是非は措いておいて一言「カッコいい」はっきり申し上げると、今の変にフラグ乱立させて盛り上げる流れは、感心致しません。致死宣言されても変身する、悲劇のヒーローかいな。なんだかなぁ、そこまで斬鬼人気にオンブ抱っこしたいのかなぁ。そう、ヒネ者は思ってしまう訳ですよ。が、そう言いつつも、変身する姿の渋さ、格好よさには抗いがたいものが。暗転から、雷光、悲壮感すら漂う斬鬼の勇姿。してやられたり。(でも、最初の影を作る処が、雑でとってつけたようなのはNG)以上、松田さんのお芝居は良かった。あぁ、渋くて格好いい、苦悩する蔵王丸師匠だったよ。が、此処で問題なのは、この番組が仮面ライダー“響鬼”だという事だ。そう、仮面ライダー“斬鬼”ではないのである。当初は、端役扱いの予定だった斬鬼。それが松田の演技と弦師弟人気の波にのり、番組を支える柱の一つと言っても良い存在にまでなってしまった。私は、斬鬼は響鬼を補完する存在だと思っている。大人の事情で響鬼出演にムラがあった中盤、本来なら主人公が抱えるべき問題点を、代わって負わされたのが斬鬼であろう。だが、その存在は諸刃の剣となってしまったのではないか。この数話、誰が主人公か、ふと判らなくなる時がある。制作サイドに、斬鬼人気におんぶに抱っこしている気配が見え隠れするのも、なんだかモヤモヤとする。そして、ここに来て、轟鬼の挫折物語だ。これは、轟鬼自身を語るために作られたと言うよりも、斬鬼を劇的に飾り立てる為の演出に重きを置いていると感じてしまうのは、私だけであろうか。勿論、トド本人の葛藤も描かれている。響鬼の、主人公らしい励ましの図も。だが、重点を置かれているのは、あきらかに斬鬼の苦悩の姿であろう。そりゃ、私は蔵王丸さん崇拝者ですよ。登場シーンが多い、それが嬉しくない筈はない。でも、釈然としない。朱鬼のエピソードは兎も角、何故、トドまで斬鬼さんの引き立て役にならねばならぬのか。ストーリー上必要な事と言うより、あからさまな客寄せの撒き餌としか思えないんだけど。ドラマティックな展開であるとは思う。松田斬鬼さんに目は釘付けになって、堪能はした。が、「仮面ライダー響鬼」として、こういう道を辿るのは如何なものか。私個人としては、未だ答えを出す事は出来そうもない。と言う訳で、甘くて辛いフルコースだった訳である。そんな感じで、今週も、良い場面は多かったにもかかわらず、齟齬を抱えたまま終わったのであった。文句、つけすぎっすかね?蔵王丸さん堪能したんだから、黙って喜んでいるべき?“響鬼の世界は斯くあるべし”って、固定概念持ちすぎ?43話か。あっと言う間で、とても長い時間。色んな感慨が湧き、色んな感情が流れ去って行った時間でした。残り僅か、愛しい時間です。そ、それにしても何っすか、あの予告はっ!?お、恐れていた事がついに。うわぁぁぁっ、糸マキマキ斬ちゃんだぁぁぁぁぁぁっうわっ、うわっ、うわぁぁぁぁぁぁぁっ
2005年12月11日
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Rodeo Drive 主演/佐伯大輔・北村一輝・松田賢二 監督/加納周典アラスジ:浮気調査や人探しをする、ごく普通の冴えない探偵所に勤めるミノル。だが、或る日、ヤクザの家出娘を探す仕事を請け負った為に、思いもよらぬ騒動に巻き込まれる。知り合いの、気遣いに異常な情熱を傾けるチンピラ・原田が、一方的に用心棒を買って出た挙句、ターゲットである家出娘・カナと喧嘩、スタンガンで気絶させてしまう。始末に困った二人はカナを攫い右往左往しているところに、原田の借金仲間である薬中のケンが介入してくる。処がこのケンがトンでもない男で、あたふたするミノルを尻目に、自体は予想外の方向へ転がる。更に、その混乱に、ケンと原田を追いかける借金取りトミー、カナの恋人や友人が拍車をかけ……。ぶっとび爆走ピカレスクムービー。えー、また間があいた日記っす。言い訳すると、一応、感想文の走り書きはつけてるんですけどね。一寸事情があって、アクセス出来る時間に制約が。と言いつつ、単にサボっているだけだったりして。あぁ、坂道を転げ落ちるわ。このRodio Driveも、火曜に見た感想を、今まで寝かせてしまい。熟成を通り過ぎて、腐敗寸前っす。ネバネバ。めげずにupしちゃいます。お目汚しにて失礼をば。これが、ご近所にある松田成分映画のラスト。観るのが嬉しいような、寂しいような。未見の作品はまだまだあるが、今後はオンラインレンタルなりの手段を検討するしかない。うーん、田舎って悲しい。いっそ全作品購入じゃ~!と突っ走りたいのは山々なれど、それも懐が許さず。ううーん、ビンボボって悲しい。取敢えず一通り観て、それから気に入ったものから揃える予定ではあるが。で、真打「Rodeo Drive」である。VERSUSとはまた違う意味での、松田さんにとって記念すべき作品である「Rodeo Drive」、今に至るまで待ってやっと鑑賞したのは、美味しいものは後に取っておく主義ゆえ。待っている間にデッキ故障などのアクシデントがあり、ここまで延び延びになってしまったじぇ。ジリジリしたっす。が。うむ、我慢は報われた。テーマの是非はさて置き、“映画”として、これは中々のクオリティの作品なのではないかと思う。非常に巧みな展開で、見るものを飽きさせない。恐らくかなり低予算で撮っていると思われるが、その枷を感じさせぬ、いや寧ろそれを逆手に取ったような無駄のない映像に仕上がっているのは見事。加納作品はこれが4作目だが、そのカラーがなんとなく見えてきた感じ。彼の場合、まず映像が良い。適度な翳りのある映像が、ぶっとびストーリーを、妙にリアルに感じさせてくれる。軽すぎず重すぎず。絵空事でなく、肉をまとった人間たちが動き回っている感じが伝わってくる映像だと思う。深いテーマより、めまぐるしく変わる状況を愉しむ疾走感が、お好みなのかとも感じた。その辺が上手に廻った秀作に仕上がったのが、本作品であろう。冒頭から引き込まれる。走るミノル、きれる原田。躍動感のある画面が、加納色。観客の引き込み方が上手な監督だなぁと思う。走るミノルの独白で、登場人物の説明を簡略且つ端的になし、それぞれに少しの謎成分を含ませて観客の気を惹く。巧いねぇ。こういう演出技術は、若さに似合わぬ卒のなさ。卒がないといえば、低予算のフォローも。この映画、後から思い返すと、お金かけていなさそうなんだよね。でも、ちゃちさが全くない。無駄な場面や演出がなく、地に足をつけて撮っているからだと思う。(ストーリーは全く地道じゃないけど)STRAY SHEEP以外の作品、全般的にそんな印象を受ける。(残念ながら迷える子羊は、監督の資質と映画が噛み合ってなかったと思う。全作品に精通している身でもないのに、こんな事言っちゃうのはおこがましいけど、そう感じちゃったんだもん。)若いのに手堅い監督だ。加納監督の作品は、私の趣味の範疇から外れるものの、十分愉しむ事が出来る。(ただし、テーマには少し疑問あり。後述)しかし、この作品でもっとも注目すべきは、薬中ケンちゃんを演じる北村一輝氏だ。松重さんも、相変わらず良い。脇ながら、須藤真魚氏も良い味だしていた。勿論、われ等が松賢さんも、良かった。が。北村ケンちゃんは、予想を超えた演技で、図抜けているのだ。正直、松田さん目当ての自分としては、歯噛みしたくなるほどの演技。いや、北村さんも好きな俳優なので、非常に堪能しましたが。聞くところによると、脚本段階では、主役より主役らしいケンの役は松田さんを想定していたとの事。なので、ぶっちゃけ、作品を見るまでは、北村氏にお株をとられたようで悔しいような残念なような気がしていたのだが。だが、参った。脱帽。役者・北村一輝、賞賛に値する。(上様も蛍大名も良いよん)ケンちゃんの役自体、かなり面白い役柄だと思う。借金まみれの薬中、独自の哲学(?)を持ち飄々と好き勝手をする男。“無”を恐れぬと嘯き、性欲と排泄しかない人生を標榜する。こんなぶっ飛びキャラ、役者なら美味しく思わぬはずがない。だが、やりようによってはどれほどでもエキセントリックに演じる事のできる役なのに、北村氏は深い罠を仕掛けた演技に出た。一見、知的にすら感じさせる、穏やかな語り口。だが、そこに奇矯なズレを含ませる巧みさ。彼が語る度に、場面が渦巻状にケンちゃんに集約されてしまう。惹き込まれた処で、破裂。ぶっとぶ。ケンにとっては、世界全てが“遊び”強姦も誘拐も、自分の生き死にすら。目隠しをして、命のエッジの上を歩く事を愉しむ。いずれ訪れる転落を、密かに心待ちにしながら。だから、借金取りや切れたミノルに拳銃を突きつけられても、己のルール内であるうちは悠然と構える。だが、警察という、自己ルールとは別の、秩序や枠を振りかざすルールには、牙をむく。枷をはめられると、ゲームは続けられないから。虚無へのゲームをひた走るケンと言う男の本質が、この牙を剥いたシーンに出ていた気がした。もし、この役を松田さんが演じていたら。うーん、どうだったかなぁ。何となく、資質が違う気がするんだよなぁ。松田ケンちゃんだったなら、どこかに悲しみを湛えたキャラになりそうな気が。あ、そうか。あの目がなぁ。虚無とは違うものを湛えた目だから。自然、役の造形も北村氏と違ったものになってしまうだろう。そういうケンちゃんも、有りだとは思うけどね。その点、原田の役は、松田さんにピッタリ。いい加減なダメチンピラなのに、異常に気配りな男。可笑しい。良いよ、良い味だよw虚勢を張ってるけれど、どこか小心者。基本的にはお人よしな部分もあり、律儀でもある。弟体質な松田さんには、うってつけの役かもね。終盤、ケンと結託してミノルを捕縛するものの、気遣いを見せる場面が良い。ケンちゃんのパワーになびいたものの、友人であるミノルも捨てきれない。さりとて、全面的にミノルを庇って、ケンちゃんに楯突くほどの勇気もなし。逡巡しつつも命乞いし、守られるか判らないケンの約束に不安そうな表情を見せる。この何とも不安げな表情が良い。保身、欲、良心、色んなものがせめぎあった良い演技だったと思う。コミカルな部分は、チンピラ味で楽しい。強烈なおばちゃんにやり込められる情けない姿、似合ってるじゃんw口ばっかりで、その実は小心な原田から滲み出る妙な律儀さが、何となく松田さんご自身を髣髴とさせる。そして、毎度、哀愁のあの瞳。冒頭で瞳がどアップされるシーンがあるのだが、もうもうもう。視線が釘付け。監督ぅ、掴みはOKっすよぉ~w加納監督は、松田さんをとても魅力的に撮る。付き合いが長いってのは、ホント伊達じゃない。原田は無精ひげだしヨレヨレ(終盤、ドロドロっす)なのに、妙に綺麗なんだよねぇ。ダメ人間なのに、ピュアな雰囲気があっていい。ラスト近くの、なっさけないあのシーンも、「うちの原田は、可愛い、可愛い、可愛い。ア゛ァ゛」そっかぁ、あんな格好じゃ、ポロリもしちゃうよw残念ながら、情けなくも可愛い姿で、この作品からは退場。笑えるし、あの中途半端なダメダメっぷりが原田らしく印象的な消え方ではあるが、ファンとしては最後まで画面に残って欲しかったかな。でも、あの警官を生かした筋は見事。あや取りのように関係が移り変わり、縺れるかにみせかけて、ちゃんと全部の糸がつながった。こう言った展開の巧みさは、加納監督はたいしたもんだと思う。それにしても原田、おちりが冷たそうだったよなぁw全体的に松田さんの演技も良かったが、しかし、今回は芝居巧者に囲まれた為か、ちょっと硬さが感じられた気も。だって、松重トミーも北村ケンちゃんも、非日常的なキャラクターを至極自然に天晴れ演じちゃってるから。キャリアの違いを感じざるを得ない。お二方とも、凄いっすよ。でも、鮮烈さでは、松田さんだって負けてはいなかった。(と思いたい)彼らは彼ら、松田賢二は松田賢二。もっとこなれていって、更なる躍進を望みたい。(もういい加減長くなっているので割愛するが、ヘンな借金取りトミーの松重さん、最高っす)と、役者の演技には満足できたし、転げる展開も楽しかった。あ、主演の佐伯氏。んー、どうも演技が弱いかなぁと思わなくもなかったけど。これは、凡庸なキャラと言う事だし、擱いておくとして。問題は、この映画の本質が、ね。うむむ。ネタバレになるが(って、もうしちゃってるか)、女を拉致して強姦・誘拐するこの話、こんなにコメディで語って良いのかな。それぞれのエピソードが入るべくして入ったものであるのは、理解するに吝かではない。拉致ちゃうのも、無意識の女を強姦するのも、完膚なきまでに痛めつけるのも、それぞれのキャラクターを際立たせるには有効な場面ではある。だが、それをすんなりと認めるのにも、抵抗がある訳で。別にフェミニストを気取るつもりゃないけどさ。面白いは面白い、だが同時に、釈然としない不快さも感じてしまう。カナの造形もアレだし、監督の鬱屈した女性観を垣間見るような気が。基本的に、女性より男の絆の方に重きを置くタイプなのかな。うーん、それとも一寸違うか。何だろう。女性にたいして、非常な重圧感でも感じているのかと思ってみたり。その重圧感に鬱屈して切れ、蹂躙に走り、正気に戻っておのれのしでかした事に慌てているみたい。「おまえが嫌いだ」でも感じたけれど、女性に対して、複雑に屈折した崇拝と唾棄の念の両極端の間を、心が行ったり来たりしていると思った。ラストでも、それが出ていた。情けないけれどホロリとくる愛情を見せるカナの恋人に対し、荒ぶる女神のようなカナ。監督は、カーリーのような“女”の凄さを、嫌悪と憧憬で眺める。振り子のように揺れる視線で。この屈折が彼の衝動でもあり、壁にもなりそうな気がした。“若さ”と言ってもいいのかもしれない。加納周典。ストーリーの面白さ、場面を捌く手腕の巧みさ、いずれも良いものを持った監督だと思う。年齢・経験を考えれば、たいしたものだ。それだけに、今後、彼が“若さ”に振り回されるか、昇華出来るか。これから作り出す世界に注目したい。処で、この作品のDVDって特典映像とかありますかね?監督と松田さんの対談なんか、あったら面白そう。あ、弟気質の松田さんが甘える姿を想像しちゃったw(おいおい)共に映画を愛し、素晴らしい才能の持ち主。まだまだ若い。時間はたっぷりある。慌てずに、ゆっくりと熟成していって欲しい。将来が愉しみなお二人である。あれこれ言ったが、この爆走感(いや、爆転・爆飛翔・爆裂かw)の面白みは格別。役者も良い。女性観に目を瞑れる方なら、見て損はない作品である。ってか、四の五の言わず観るべし。と、今頃遅れて見ている癖に、偉そうに言ってみる。いかんいかん、高飛車は。「面白い作品ですので、宜しければご覧になってみて下さいね」こんな風じゃなきゃ、気配り原田にぶっ飛ばされまっせw
2005年12月09日
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何なんだ、このワクワク感のなさは。先週は“勿体無い”と悔しがりましたが、残念ながら今週はそんな感慨は湧かず…期待してたんだけどなぁ。期待しすぎたのかしらん。トドや蔵王丸さん、注目すべきポイントが多々あったにもかかわらず、このテンションの低さ。カタルシスが感じられない。これに尽きます。今までの中でも、ダークキリーが場面を混沌の渦に叩き落して終わるような、何となく納まりの悪い話は数回ありました。全話にカタルシスを求めている訳でもないのですが、流石にあの先週の次にこの話ってのは、如何なものかと。期待して糸を手繰ったのに、ぶっつり断ち切られ、断ち切られ、断ち切られ。一体、何度、新しい糸の色にため息をつきながら、結び直してきたんだろうか。そんな事を考えてしまった、寒い寒い日曜の朝でございました。んー、ま、取敢えず縦糸横糸、それぞれチェックしてみましょうか。《青天の霹靂》んまー、キリーが提供読みですって!?《少女賛歌》んまー、久々のあきらたん制服姿、可愛らしいこと。モッチーはお嬢さん風、あきらたんは清潔な優等生風。紅白、いずれの花も可憐で宜しい。キッパリと鬼卒業をしたあきらたん、普通の女の子に戻っても、清々しいとても良い表情。本音を言えば、子供が戦いの場に在るってのは、正しくない姿なんですよ。だから、制服姿で寛ぐ二人の姿には、一寸ホっとするものがある。なんて事を今頃言うのも、“少年の成長”という、響鬼のテーマの1つを否定しちゃうようでアレですが。ただ、響鬼の場合、敵の殲滅より克己による自己鍛錬が重要なので、まだ許容範囲としてみてますが。しかし、キリー。どこまで行っても、やはりアンタはキリーのまんまなんだな。先週の気持ち良い終わり方もあったし、母心で期待してたのに。自分の能力のなさを誤魔化すのは、キリーなんだから許そう。(そう言う問題でもないけど)そこから何か学ぶ余地があるから。でも、恩あるあきらたんにあの態度は、流石の母さんも許せないぞっ。あきらの断ち切りのよさを表現する為だったのかもしれないけれど、観客を置き去りにした感じで不愉快。もっと別の表現方法があったのでは。《安い!》この処、私的評価上昇中の笛の若旦那。ノーブルで天然で隠れダーク。良いキャラだw今週も若旦那は大人のコメント。「あきらが成長した」と言えるのは、若旦那本人も成長したからこそ。しかし、男二人がラーメン啜るシーンは、なんとなく可愛くもあり可笑しくもあり。中々安いお店っすね。そのお安いラーメンを奢られてご機嫌になる30男ってw葱坊主のような髪型と相俟って、やんちゃ坊主みたいだ。《前菜》今週の蔵王丸さんは、何皿分もご登場。それは、素直に嬉しい。珍しく、ちゃんとサポーターやってる蔵王丸さん。斬新だwこの師弟の一人立ちは、出来ているようないないような。ま、無理することもないかな。(と、この時点では生暖かく見守っていた)トドよ、トド。君は何故に、ムリクリにまで蔵王丸さんの隣に座ろうとするんだい?どう考えても、あのスペースに尻を突っ込むのはヘン。一寸驚いたように腰をずらす蔵王丸さん。日曜の朝っぱらから、何やってるんだか。そのトドの変身は、今週も格好良し。何やってるんだかと言えば、蔵王丸さんも。今週からは、生身で危険地帯に無意味な随行ですか。何が何やらもう。しかし、逃げ足はやいっす。鬼のトドより、ダッシュ力ありそうだw《オロチ始動》…あぁ、そうね。うん、あと残りの回数考えると、この表面的には派手な設定で、賑々しく終わろうって算段ですか。何だか、何だか、何だか。キッパリ言ってしまおう。残念だ。やはり、こういう終幕でなきゃ、特撮ってダメなんですかね?(大きな事件で終わる)何だか、中身の伴わないハリボテを見ているようで、白ける。魔化魍の大盤振る舞いで、お子様たちは満足するのかな。それならそれで、致し方ありませんが。本来の視聴者は彼らなんですから。それにしても、無茶苦茶な出し方。カッパやオオナマズの胃袋、斬っても良いんか?分裂する、溶かされる、それぞれの重要な特性だったのでは?オオナマズ編であれほど苦労してた笛の若旦那の立場ってもんが…そんな前の設定なんて、どうでも良いんですか、そうですか。いいよ、もう。オロチでもなんでも始動させてくれ。《若気の行ったり来たり》キリー、君がいつも間違った人だと言う事は判っている。贔屓目の母さんだって、それは判っているさ。(あぁ、すっかり“母”が板についちゃってるなぁw)だけど、「響鬼さんはノンキ過ぎる!」はあるまいて。響鬼さんはね、ノンキだから良いの。いや、寧ろ、ノンキじゃなかったら響鬼さんじゃないの。判る?(アレ?)やはり、どこまでいってもキリーは間違い続ける存在なんだろう。あきらたんへの暴言は頭を抱えたが、鬼特訓でのへたれ振りは想定内なのでOKw言い訳して誤魔化して。自分が一番情けないって判ってる、そういう設定なら良いんだけど。表面通り、ただただ嫌なダメな奴で、キャラ設定されたまんまなんだろうなぁ。最初から優等生(優柔不断だけど)な明日夢より、間違って迷って挫折する存在である京介が、響鬼たちの姿を見て自分を立て直す物語が展開される。そんなストーリーを期待してたんですが。…そこまで、もう期待出来ませんね。立花の庭に忍び込んで盗み聞きまでする、そんな卑劣なダークさを、こういう番組でやって欲しくなかったな。奇麗事のようですが。ふと思い出した言葉があります。「どうしても、何度やりなおしても道を踏み外してしまう人間がいる。何故ならば、彼らには“正道”と言うものが存在しないからだ」キリーは、そういう存在で終わるのかな。出来れば、母さん、君には若気の行ったり来たりをしつつ、それでもがんばって欲しかったんだよ。《いつもじゃない》蔵王丸さんにワンコのようにまとわりついたり、鬼後輩候補の存在にはしゃいだり。トドってば、トドだw今日の衣装は普通だけど、お洒落な若旦那と並ぶと、なんとなくモッサリ見えるのもやはりトドだw(でも、あの赤いジャケを変身燃やしてしまうのは勿体無い。若旦那ってば、お坊ちゃまなんだからぁ)キャラクターの変化が少ないかと思っていた日菜佳ちゃんにも魔の手が。仮にも金の彼女が、「オロチこわーい」なんてなるとは、興醒めも良いところ。恋人同士の甘い会話だとしても。ま、温泉旅行でどぎまぎしたり、お泊りじゃなくてガッカリしたりってのは、微笑ましくて良いけどさ。でも、お泊りなしの温泉旅行って、デートとして楽しいかぁ?《メインディッシュ&デザート》処で、今週の松田蔵王丸さん、いつにもまして巻き舌でございませんこと?べらんめい調が一寸入ってて、それはそれで素敵wえぇ、もう、病膏肓に入るって奴で、何が何でも素敵に見える色眼鏡が常に掛かってます。ただ、そんな色眼鏡で見ても、魔化魍戦闘に素手で突入しちゃった蔵王丸さんはアレなんですが。ぱっきり言っちゃえば、おまいさんが居たせいでトドは…となっちゃいますよね。松田さんの演技が、益々渋くていい感じになっているだけに、キャラクターの筋の通ってなさが残念です。「あぁぁー、斬鬼さんはそんな事しないぃぃぃー」と叫びたい気分。以前の童子たちを追いかけたときとは事情が違い、サポーターの領分じゃない。その辺の区切りが出来ているキャラクターだと思ったのになぁ。しかし、上手いですよね松田さんは。童子にやられて苦しむ演技、見ているほうも身悶え。(オイオイ)無残に踏みにじられた轟鬼に駆け寄り絶叫するシーンは、胸に迫るものが。表情のある演技するなぁ。惹き込まれちゃう。褒めすぎ?wあぁ、褒めついでに今の髪型も良いっすね。一寸すっきりなさったお顔に、とても似合ってるっす。さてさて、相変わらずアレなフラグが立ちっぱなし、いやそれ処か師弟そろってどうなるんじゃ!?なフラグ乱立。来週、さらなる悲劇が展開されるのは…もう、諦める。いいや、松田さんの演技がしゃっきりしてれば。しかし、本当は番組にとっては、決して良いことじゃないんですけどね。内容より俳優に目が行ってしまうのは。と、テンション低いと言いつつ、いつものように文句タレタレな私。文句=執着ですから、長文感想を書いている内は、まだ愛があると思って頂きたい。(でも、即時upにならず、時間が開くあたり……)結局、持ち上げては落とす、この展開が嫌なんだろうなぁ。最終局面に入っても腰の定まらないストーリー、キャラクター。前半で丁寧に紡いでいた世界は、どこへ行ったのかと。咬ませ犬は狂犬のままで暴走し続けそうだし。少年の成長を見守り、そっと背中を押してやる物語だったのに。折角、前を向き始めたんじゃない。もう、良いのでは?もう、泥沼化は沢山だと思うのは、私だけ?日曜の朝、子供が目をキラキラさせてチャンネルをつける。ピンチにはドキドキし、ヒーローと一緒に戦って成長した気分を味わう。仲間がいて、僕(私)がいて。そういう番組だと、今週の響鬼は胸を張って言えるだろうか?大人が愉しむ前に、まず子供のための番組だと言う事を、忘れてはいけないと思う。もっとカタルシスを。大きなお友達にも、小さなお友達にも。それでもまた、来週もTVに噛り付く私がいる。一寸虚しく感じながら。頼むよぉー、今、リアルタイムで見てる番組って、響鬼一本なんだからー頑張れ、響鬼。(そんな私だが、今、密かな愉しみになっているのが、某所で書かれている裁鬼さん主人公のお話。これが凄い。場所がアレだから晒さないが、あの巨大掲示板のスレである。今まで書いた不満点が、ほぼ全てクリアされた素晴らしいSSで感嘆。裁鬼さんが、格好よく素敵すぎるゾ…なんとも愛すべきキャラクターだしw。興味のある方は、是非探して見て欲しい。下手したら、今の本編より面白いかもよ。)
2005年12月04日
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全日本食えばわかる図鑑 椎名誠 集英社文庫アラスジ:阿鼻叫喚ぬぬぬめぬめりの青イソメ・ゴカイ丼は死んでも食いたくないが、郷愁のコンガリおごげご飯や味噌汁ぶっかけ飯の味は忘れられぬ。わっしわっし食べまくる男のエッセイ集。笛の若旦那こと渋江譲二氏のブログは面白い。短い文章で、絶妙のくすぐりを入れてくれる。大変センスの宜しい方だ。で、その渋江氏のブログのこのネタで、記憶を刺激されて読んだのが本書。「くればわかる」おぉ、懐かしい。椎名誠のエッセイで、何度か目にした事のある店名なのだ。以前は、独特の椎名節が好きでかなり読んでいたのだが、最近は殆ど縁切状態。愛読している時には気にならなかった、氏の偽悪っぷりが鼻につくようになちゃって。偽悪と言ったら変かな。『オレ、男。食う、寝る、出す。ドスドスドス』と言った、いかにも野放図な男性アピールに、作為性を感じるようになってしまったんだよなぁ。冷静になって読んでみると、かなり上目使いで粘着質な中年男の姿が透けて見えてくるようになってしまい。多分、ご自身が思っているほど、単純明快な日本男児ではない。いや、本人もそれを自覚していて、演出しているのか。まぁ、それはそれで結構。だが、ファンだったときには判らなかったその演出の拙さが、一度気がついてしまうと、受け入れ難いものに変じてしまった。以来、まったく受け付けられず。手元にある本も、押入れの奥深くにしまいこんでしまった。が、偶然にもこの一冊だけは、本棚の1つに入れ忘れたままになっており、渋江氏のブログが縁で、十年ぶりに読み返した次第。内容は、まぁ、特に取り立てて如何こうと言うまでもない、他愛ない食べ物話。所々“オレ、男だもんね”が垣間見られて鼻白まなくもないが、概ねはまったりと読む事が出来る。食えばわかる図鑑と銘打っていても、味噌汁やお新香、おでんなんかの日常食への思い入れを、軽い文章で綴っているので、肩のこらない時間つぶしには悪くない本だ。結局、人間、子供のころから慣れ親しんだ味が一番なんだよなぁ。で、くだんの「くればわかる」なのだが、もし椎名氏が若かりし頃に通っていた店だとしたら、もはや老舗の域に達した居酒屋だ。本書のあとがきに記述されているが、椎名氏が20代前半(渋谷氏と同じ年代の頃だ)に、弁護士の木村普介氏やイラストレーターの沢野ひとし氏と、しばしば足を運んだ店だとか。氏の年齢から計算するに、ざっと40年前くらい前のお話。もし、渋谷氏の「くればわかる」が中野のお店だとしたら、ビンゴ。この手の居酒屋が創業40年以上って、凄いんじゃありませんかね?因みに、このお店、非常にお安いそうだ。(当時の話では)沢野氏が空腹になると機嫌が悪くなる御仁だそうで、このお店にひっかけて“食えばわかる男”と言われていたらしい。そして、そこから本書のタイトルに至る、っと。(他の椎名本同様、この本にも沢野氏のイラスト入り。氏の、何とも言えぬシュールなセンスのイラストは好きだ。)さて、妙なつながりで、思いかけず過去の本を発掘してしまった。趣味に合わなくなったとは言え、それなりに愉しむ事が出来たので、まぁ良し。これも縁という事で、思い切ってTBさせて頂いちゃったりしようかと、さっきから逡巡中。えぇい、ままよ。ポチっとな。
2005年11月30日
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さて。今頃ですが、今週の感想。一言。ひっじょーに、勿体無い。って、ずっと言っている気もするけれど、今週は特に感じた。細かい突っ込み処はさて置き、今週の話は面白かったし、頑張っていたと思う。でも、何故。何故、あきらちゃんの引退と明日夢たちの弟子入りを、1つの回に投入してしまうんだっ。いや、判りますよ。もう時間がないって事ぐらいは。判っているけれど、釈然としない。せめて、あの鰹の回の時間を、有効に使っていれば…と、詮無い事を愚痴グチと未練がましく思ってしまう。ともあれ、あきらたん、お疲れさまでした。明日夢、キリー、胸を張っていけ。それじゃ、もぐら叩きいきます。《見たか、見たのかっ!?》と、全国の男性諸氏の叫びが聞こえそうな、あきらたんの変身解除wえぇ、女性の私も叫んでしまいましたとも。若い素肌って、透明感があって綺麗だなぁ。(おいおい)しかし、あの時、思わず駆け寄ろうとした少年2名に攻撃を仕掛けた木の根、GJ。あの攻撃に関してだけは、魔化魍の判断は正しいと思ったぞw《漢字の若旦那》後半戦に入って、すっかり漢字しゃべりが板についた感のある笛の若旦那。今週は、なかなか良い演技を見せていたっす。池のほとりで、あきらを問い詰めるシーン、焦燥感が感じられて良かった。でも、デートだと平仮名しゃべりに戻っちゃうのね。いや、もしやあのたどたどしい喋りで、カスミさんの母性本能に訴えかける作戦か?隠れダークなお人だからなぁw微妙に髪型に変化あり。微妙に姑息な細工が入っているような気もするが、見て見ぬふりをしてあげるのが情けなんだろう。(と言いつつ書くw)《いつもの…》先週、「普通のセンスの服になってきた」と言った途端、またいつものティストに。猛士衣装部頑張るなぁ。濃緑に虹二つのトレーナー。わたしゃ洋服のセンスない人間なので、如何こういう資格ないんですが。一般的にはイヤーンな服だけれど、トドが着ていると許せる。いや、むしろ嬉しい。流石、トドwそれにしても、今回も変身シーンが素晴らしく格好良かったです。笛の若旦那と並んで変身の場面、光の当て方が秀逸。二人の目がガラス玉のようで、「あぁ、この人たちって異能の存在なんだなぁ」と、改めて感じさせられました。でも、二人とも武器ぶっ飛ばされちゃったねw《樫の木おぢさんの深慮遠謀》どう見ても樫の木おぢさんな、コダマ本体。カスミさんを襲ったのに直ぐ殺さないでいたのは、何か企みがあるのかと思っちゃったよ。…単に、若くて綺麗なねえちゃんに巻きついていたかっただけなのね。えっち。それにしても、あの叫びは頂けない。(演技としては上手だったけど)カスミさんは、あんなに情けない女性じゃなかったのに…少年たちに助けを求めるくらいなら、黙って食われる人だぞ。後半戦の変化の中で、登場人物中、一番割を食っている気がする。あぁ、カスミさん。綺麗で凛々しいおねいさん好きな私としては、非常に納得し難い。(えっと、そういう趣味はないっすよ。ホントに)でも、少年二人で頑張った姿は良かった。《失われた時を求めて》話が前後しますが、響鬼さんが少年たちの弟子入りを渋っていたシーン。先週書いたように、己自身の迷いもあったかと思います。が、同時に、彼は失われた少年時代を愛しんで(惜しんで)いるのかも、と感じました。自らの意思で捨てたとは言え、通常なら保護され、自由を満喫すべき時期である少年時代。その貴重な一時期を、鬼とならんため犠牲にさせる事への逡巡が、彼らの弟子入りを受け入れるのを阻んでいたのではないでしょうか。偏見かもしれませんが、女性が少女時代を振り返って感じるものと、男性が少年時代に思い入れるものとは、違うように思うのです。女性の場合、幾ばくかの嫌悪感が混ざった感慨を持つ傾向があるように見受けられるのですが、男性の場合、もう少し甘酸っぱいものがありそうな気がするんですよねぇ。こればかりは経験した事のないので、かなりの憶測、と言うか思い込みなんですが。響鬼は、過ごす事なく失われてしまった少年時代を、明日夢たちに重ねて愛しんでいる。だから、再びの少年時代の喪失を恐れ、弟子を取りたくないのかも。そんな風に感じたのですが。ま、結局は、受け入れましたが。“失われた時間”への思い入れを吹っ切るという事は、大人の階段を昇る上で、避けては通れないですものね。《でも、若気のイタタ》えー、でも実際は、誰の青春時代もキリーのように痛たたたーな行動の繰り返しなんでしょうが。でも、キリー、頑張った!おかあさん、ちょびっと目頭が熱くなった…りは、しなかったけどw若いって凄いなぁと、感心。キリー本体も、中の人・中村くんも。演技がアレだ、アレだと言われ続けて数ヶ月。今回、かなり上達したと感じましたよ。横断歩道のシーンや、いい表情を見せてくれた場面が多々あり。最初から良い子だった明日夢より、彼のような子が改善されて行くほうが、子供たちの教育的指導には有効なのかもしれませんね。…って、最初があまりにアッチョンブリケ過ぎて、教育的もなにもないか。明日夢が若さの上澄みだとしたら、恭介は葛藤の澱。100%報われる存在だとも思わないし、そうなるべきでもない。でも、単に嫌な悪いやつで終わらせられなかったことに、ほっとしています。明日夢が長時間もがいてやっと手に入れた“名前の呼びかけ”。これをアッと言う間に手に入れたのは、雑な展開感がいや増して残念ですが、二人の少年の晴れやかな笑顔で終わった今回、後味が良かったので目をつぶりましょう。ただし。個人的には、この回で弟子入りさせたのには文句を言いたい。もっと早くにするか、最終回まで引っ張るかにして欲しかった。せめて、今週だけは外して欲しかったなぁ。今週に入れる意義も判らぬでもないけれど、あきらたんが…《少女は振り向かない》だって、今週くらいは、あきらにだけ焦点を当てて欲しかったんすよ。彼女、最初は邪魔なキャラだなと思っていました。単にお飾りのおんにゃのこかと。でも、この数回の存在感は評価すべき。演技は未熟ですが、あの物寂しさを伴った透明感は、得難いものがあります。心の葛藤が演技として表現出来れば、さらに良かったとは思いますが。女の子であると言うこと、心の闇を抱えてしまったと言うこと。欲を言えば、それらを飲み込んで咀嚼する場面描写が、もう少し欲しかった。でも、彼女の決断には拍手。鬼の弟子であった事を誇り、次の道を進む決断をする彼女の表情は、晴れやかで美しかったです。それを言葉少なに受け入れた師匠もまた、大人になった。少女は振り向かない。女ってのは、いざとなったら思いっきりが良いんです。《異端が居たん?》今週はメインディッシュどころかデザートにもならない斬ちゃん。来週は、巨大なお皿に乗って出てきそうですので、取敢えず我慢wその代わり、今週は京極堂なカップルがちと気になりました。なんと、式神使ってるよっ古式ゆかしい正しき式神だし、朱鬼さんとの会話と言い、彼らが猛士と無縁の存在でないのは、これでかなり濃厚になったかと。先週の感想で、“猛士の異端、さしずめグノーシス派?”と書きましたが、当たらずとも遠からずかもしれません。グノーシス派とは、キリスト教で異端とされた存在(大元はギリシャにあるらしいが)で、善悪二元論と人間性の解放を探求した人々。(めちゃくちゃ大雑把な捉え方です)大いなる神にではなく、人間の本質そのものに神性があると考えるのが特徴。そして、神性を持つにも関わらず、この世の闇に苦しむ存在である事に疑問を持って、知識によって覚醒を模索している。キリスト教では否定的な女性の存在も認知しており、肉と物質も否定せずに、その中に存在する精神=真の己の解放こそが、人間を救済する事だと考えている。…みたいな感じに解釈していますが、生齧りなので、かなり間違った解釈かも。(かもってか、相当間違ってるよ、ウン。…知ったかぶりぶりでゴメンナサイィ)グノーシスに限らず、キリスト教異端派では、楽園に忍び込んだヘビを知性の覚醒者として尊んだりします。要は、人間の叡智に真の光を求めている訳で。(これまた乱暴な解釈ですが)それらが嵩じると、黒魔術だのに行っちゃう。京極堂カップルは、そういった存在なのではないでしょうか。神と魔化魍は異質ではありますが、共に巨大な壁的存在。その巨大な壁へのアプローチが、猛士とカップルたちとは正反対なのだと。魔化魍を、自然の驚異(脅威)として認めた上で、共存出来なくば排除する猛士に対し、己の知識の中に取り込み、捻じ伏せようとする京極堂カップル。その彼らをして、共に対処せざるを得ない最大の敵とは。…うわぁ、安っぽい展開だわ。と、自分勝手な解釈で、独り善がりな事を言ってみてます。この項、全面的にいい加減ですので、悪しからず。(なら、どの項目は厳密であるかと突っ込みいれられたら、困る。あぁ、困るさ。)何文字分のモグラ叩いたかなぁ?wメモ帳に書いてから貼るので、一万文字超えてたらトホホっす。1話に詰め込みすぎの不満はあれど、それ故、お話がズンズンと進んだのも確か。全体的に、益々演技のレベルが上がっており、その力にも助けられて面白みが増していたと感じました。でも、残り一桁。広げた風呂敷は畳みおえるのか?彷徨い続けた道の辿りつく地は何処?どうなる、どうなる、どうなる!?続くっ
2005年11月27日
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百器徒然袋-風 京極夏彦 講談社ノベルスアラスジ:僕・本島は、しがない電気工事会社の図面引きである。平々凡々を絵に描いたような人間なのに、この所、妙な事件に巻き込まれてばかりいる。“あの人”と知り合ってから。招き猫に振り回される母娘の「五徳猫事件」、僕自身が殺人犯に仕立て上げそうになった「雲外鏡事件」、そして、奇妙な面が発端となり、こそ泥の真似事までさせられた「面霊気事件」。中野の古本屋主によれば、全てあの人と係わり続けている僕が悪いらしい。あの人-薔薇十字探偵こと榎木津礼二郎に関わるものは、皆、「物凄い勢いで馬鹿に」なるのだと。あぁ…確かに、僕は馬鹿になっているのかもしれない。 京極堂シリーズの番外編、傍若無人な神である榎木津礼二郎が快刀乱麻の暴走をする、薔薇十字探偵シリーズ第二弾。あぁ、また間が空いてしまった。いやぁ、一旦怠け出すとずるずるっと行っちゃいますね、ブログって。無理して書くもんでもないですし。読書や鑑賞関係も滞ってるなぁ。ぼやぼやし続ける毎日、無為な時間が過ぎるのって早い。こんな人間は、榎さんにかかったら「下僕の価値もない!」と斬って捨てられそ。で、そんな日々の中、ごろんと横になって伸びをしたら、上から降ってきたのがこの本。…痛い。痛いっす。京極堂の本は、充分凶器になります。(涙)この本、一読したきりだったので、「ちゃんと読め!」とのご神託だったのでしょう。でもデコに当たる事は…痛いってば。ま、鉄鼠だのが降ってくるより、まだましですが。京極の本で、一番重量級のってどれだろう?ざっと見て、鉄鼠・絡新婦あたりが一番分厚い感じ。豆腐小僧もなかなかな重みだし。物理的な理由で肩凝りになる本だわw寝っころがって読むのにも不向き。支えられません。(いや、そんな姿勢で読むのが悪い)と言いつつ、分厚ければ分厚いほど嬉しいのが、京極ファンなんですけどね。この百器シリーズは、中編でもあり、本編に比べるとより一層ラノベ感が強く、サクサクと読み易い。本編のこれでもかな薀蓄は多少控えめで、その分、下僕の悲哀の方に文章が割かれていますw榎木津の天晴れなまでの神っぷりより、語り手の本島の愚痴めいた語りの方が多いので、爽快感はイマイチかな。破壊力は第一弾の「雨」の方が上だと思う。それよりもなによりも、やはり京極の愉しみは薀蓄なんだよなぁと、改めて痛感。このシリーズでも興味深い話はされているものの、なんとなく消化不良な感じ。本編で語られるような、ズズーンと重く大きな文化的謎解きが欲しい。と言いつつ、基礎的な素養がないので、完全には理解しきれていないのが実情ですが。でも、その訳判らんちんな薀蓄が好きなんだよなぁ。緩やかに連動している3作品のうちでは、最初の五徳猫が面白かった。招き猫は身近なものだし、理解し易い。間の雲外鏡は、ちと凡庸な気もした。〆の面霊気、これはもう、笑うしかない。うははは、にゃんこ!映画は見ていないのだが、脳内で、阿部ちゃんが招き猫を持って暴走している姿を想像したら死にそうになりましたw「榎木津に関わると、物凄い勢いで馬鹿になる」と、京極堂に語らせる。何の付加価値もつけずに相手を映し出す榎木津は、まさに鏡。ありのままの自分の姿を突きつけられると、人間は…そりゃ、自分が馬鹿に見えてきてしまうわなぁ。端から自己を逸脱した存在だと認識している薔薇十字探偵一味はいざしらず、虚飾を配した自分を突きつけられ、平穏でいられる人間はそうは多くないだろう。と同時に、心のどこかで“物凄い勢いで馬鹿になりたい”とも思っていたり。「自分」と言う虚飾の仮面は、気がつかないうちに重くなっているもの。榎さんの前で引っぺがされるのは、恐ろしく疲れる行為だけれど、そのどこかには爽快感もあるんだろうな。だから、本島も、巻き込まれたことに文句をたれつつも、居つく。そして、読者もウムムと首を傾げつつ、読み続けるっと。ラスト、ちょっとしたオチあり。よかったなぁ、本島文左衛門ゴンザレス五十三次。すこーしだけ報われてw
2005年11月26日
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あぁ、またこんな深夜に。ネット巡回をして、松田さんの公式サイトでコメントが更新されているのを発見。いや、久しぶり。…し、しまった。鬼挽歌の雑誌買うの忘れとる。遅ればせながら、慌てて購入。よって今日は松田日和。(と言ってる割に、タイトルは今聴いているラルクの曲名だったりするw)まずは鬼挽歌。いいなぁ。非常に大人な松田氏を感じる。“静かな強さ”これ、判る。彼がそう言う志向でいるのだろうなとは、今までのインタやコメントから想像に難くない。そして非常にオタ的痛発言を致してしまうと、あんなに静かで深い瞳を持つ人間が、そう言う強さを持っていない筈がない…と、思っているのですよ。彼の瞳は、自分の奥底深くに向けられている。目は心の鏡なり。そんな言葉を想起してしまう、松田氏の瞳な訳で。この瞳の表情が曇らない限り、彼は静かな強さを増し続けると思うな。“あとは10年経た俳優松田がそこにあるというだけ”この科白、痺れました。一過性の人気に踊らされる事なく、自分の立ち位置をしっかり保てる大人の男の強靭さがありますね。ただの強さじゃなく。しなやかな粘りを持った強さ。そう言えば、以前の日記で、松田さんを青竹に喩えたことがありましたっけ。今回のコラムでもまた、同じ感慨を持ちました。しかし、この科白が吐ける彼は、もう既に“静かな強さ”を身に着けているのではないでしょうか。大変おこがましいですが、彼に入れ込んだ自分の目は間違っていなかったと、嬉しく感じたコラムでもありました。ま、真五とバカ師弟やってる松田さんも、それはそれで魅力的ですけどねwそして、真面目に芝居を語り合う二人も。いいなぁ、何かに打ち込んでいる人間って、なんて魅惑的なんだろう。そして、公式コメント。うははは、これもまた、松田賢二だ。誰やねん、大木こだまひびきってwいやはや、関西のお方は、お笑いの血は決して消えぬものなのですね。(あ、独断的?関西の方、スンマセン)でも「おおきに」って良い言葉。この謙虚さを持つ松田さん、素敵だ。…でも、チッチキチーな冬将軍。って、何?チッチキチーって、何なのよぉ~w
2005年11月24日
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やっとTV一部解禁となって、さっきまでsakusakuの再放送をみてました。sakusaku(サクサク)とは、TVKの誇る、ゆるくてタルタルな音楽情報番組。曜日によっては、日本津図浦々の放送局で放映しているので、ローカル番組の割には知名度が高いのでは。MCの一人が、今を時めく木村カエラ嬢ですし。もう一人のMCが、白井ヴィンセントwith黒幕。ご存知ない方に説明を加えると、ヴィンちゃんはマペット。実も蓋もなく言ってしまえば、ま、ぬいぐるみです。実は二代目で、初代MCは“ふわふわ界の風雲児”増田ジゴローなるサイコロ形のマペットで、一世を風靡した御仁。神奈川では、ほんとーに売れたんですよ。大人の事情で、先ごろ引退し、白井ヴィンセントにバトンタッチしましたが、非常に秀逸なキャラでした。と言っても、中の人(黒幕)は同じ人間なので、性格は全く同じなんですけどねwsakusaku自体の歴史は古く、あー、もう何年やってるんだろう?初代MCはパフィーだったかな?フリップフラップやイザム、果ては自局アナまでMCに投入して、朝からマターリと放送し続けています。一通り観てきましたが、今のカエラ&黒幕体制が最強。一応、“音楽情報番組”と銘打ってはいるんですが、ほっとんど音楽とは無縁の会話が、だらんゆるんと続けられる。カエラ、収録中でも、空腹になると機嫌悪くなるしw深夜ラジオ、そう、オールナイトニッポンなんかのTV版と思っていただければ判るかも。ちなみに、DVDも発売されてますんで、興味のある方はどうぞ。(と言いつつ、自分は購入していないw)この番組のファンを、サクサカーと称しまして。音楽業界内にも、結構いるらしいです。(aiko嬢が有名)どんなにゆるゆるでも、一応、音楽番組なので、時々アーティストが1週間ゲストとして登場する事があります。で、中には、妙に相性が合って、居ついてしまう方々がいるんですねぇ。クリスタル・ケイやコブクロさんなんか、準レギュラー的存在。ちなみに、今週のゲストがコブクロ兄さんたち。彼らは、以前に専コーナーを持っていたくらい、サクサカー。今は、担当バトンタッチしてデパペペがやってます。そう、サクサクのすごい所は、この番組に関わるとブレイクする!って事。まぁ、売れそうな面子だから、番組に関わってくるって事なのかもしれませんが。デパペペも、この番組から人気が出たようなものじゃないかな。と、すっごく前振りが長くなりましたが、ここでやっとタイトルのスキマスイッチに繋がる訳です。最近、彼等もサクサクに良く出てくるようになりまして。まぁ、スキマスイッチの場合、既にかなり売れてはいますが。この番組に馴染む感性のヤツは、更にブレイクします。(と、断言w)大体に、我が家の音楽偏差値は、ひっじょーに低いのです。一番音楽を聴くのが私なのですが、それもラルクonly。絶対にラルク。何が何でもラルク。何か問題でも?wサクサクは音楽PVも流すので、それなりに今の流れは判っていますが、積極的には聴く気になれず。そんな中、珍しく、家人がこのスキマスイッチに反応しまして。先日、レンタルしてきて絶賛。私にも聴くようにと薦められました。感想。ふむ。元気で前向き。何となく懐かしい感じ。声に惹かれる私としては、ちょっとイマイチかなぁ。温かみのある、悪い声じゃないんですけどね。好みの問題なんで。でも、曲はなかなかいい感じのものが多い。最後に収録されている「雨待ち風」が良い。(夏カルビーのCM曲)この曲には、ぐっときてしまいました。切ない恋心が、曲にも歌詞にも込められていて。とても美しいメロディラインに、もう届く事のない想いを乗せて歌われると、胸がキュっとしちゃう。日本人はバラードが好きwこの人たちの曲は、地に足がついた日本語で好感が持てる。のめり込むタイプの曲はないけれど、聴いていて気持ちの良いアルバムでした。しかし、ラルク関係以外のアルバム、ひっさびさに聴いたわ。了見狭すぎっすねw
2005年11月22日
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久々に、ゆっくり文章を書いてみる…って、また深夜だよ。しかし、久しぶりだと、こんな文章でも緊張するっすwあれですな。日々鍛錬。どんな稚拙なものでも、毎日続けてりゃそれなりのコツが掴める。でも、付け刃だから、2・3日サボると、そのコツもあっと言う間に錆びて落ちちゃうのが哀しい。取り合えず、17日からの覚え書きをしたためておきゃぁしょう。17日 過負荷都市 神林長平18日 19日 仮面ライダー響鬼vol.1 (1~4話)20日 仮面ライダー響鬼 40之巻21日 「猫を背負って町を出ろ!」「行きそで行かないとこへ行こう」 「のほほんだけじゃダメかしら」大槻ケンヂ合間に、ポーの一族全巻 萩尾望都うにゃ、溜まっちゃった。ま、別に書かなくてもいいんだけど、折角続けてきたのに欠番を作ると言うのが、なんちゅーか気持ち悪い。ま、ちょびっとづつでも感想文書くかなぁ。覚えてたらだけどw
2005年11月21日
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家人の都合で、ちょいとTV断ちをしておりまして。見たい番組は、低空飛行でいつ爆発するか不明なビデオ録画に。博打状態っすw(…トリック、まだ見てないよ…)で、今週の仮面ライダー。録画失敗しちゃったら泣くっ、と脅かしてみた。無事見ることが出来ましたwでも、話の流れで一緒に観る事に。初めて、誰かと一緒に仮面ライダーを観るかも。うは、ちょい処じゃなく恥ずかしい。前週、“アンビバレンスなものを感じた”と書きましたが、よくよく考えると、余計な感情を排すれば30話自体の出来は満足出来る物でした。んー、それが複雑な感慨を持ってしまった所以は、感情的な反感もありますが、40話の予告にもその一端があったかと。例のお方の脚本に戻るとなると、構えてしまいまして。ねぇ。その問題の40話です。…おんや。思ったほどにあらず。あら、チョイと拍子抜け。平坦と申しましょうか、薄味な感じ。殊更、アラを突付く気にもならず。尤も、これは第三者と一緒に観ていた為に、私が気も漫ろだったからかもしれませんが。(エロいの観るより恥ずかしかったかもw)では、個別面談を。《噂のヤツら》朝寝坊なもので、毎週8時ギリに起床して、即、鬼とご対面しております。録画も8時丁度からしていたので、ジャンクションは殆ど観た事がなく。でも、先週のが“いい!”との評判でしたので、今週は頑張って5分前に起きて観ましたwこ、これはっ…なんて格好良いんだ!!!!あまりの渋格好よさに、第三者の目を忘れて身を乗り出してしまったです。夜の森が似合うヒーローって、凄い。これだけのレベルのデザイン、寝かせておくの勿体ないなぁ。もっと活躍させて欲しい。ってか、フィギア系には興味なかったのに、この鬼たち欲しくなってきた。あぁぁ、そこまで手を出したら、ほんまに泥沼に堕ちるでぇ~《朝から美声》旧OPの賛美者ですが、このところ、気がつくと“大空ぁに青っ、だぁいちに命っ”と口ずさんでいたりして。朝からあの美声聞かされちゃ、洗脳されても致し方あるますまい。流石です、小暮さん。(違っ)《おにぎりコロコロ》明日夢、今日のおにぎりは何個だ?いい子だから、最初の食べ終わってから次のに手を出そうね。しかし、いくら好きだからっておにぎりだけの昼食って。炭水化物ばかりじゃ、栄養に偏りが出る上に太りますよ。そのうち、モッチーが手作り弁当持ってくるのかね?w《ちっちょりーな》子供の頃読んだイタリアの童話で、いつもシャツをはみ出してる設定の小僧がいました。その小僧の名前、“チッチョリーナ”だったと記憶しております。以来、シャツ出し小僧をみると、「あ、チッチョリーナ」と思ってしまいます。明日夢のお見舞いに対して失礼な態度とったキリーの後姿にも、「ちっちょりーな!」と叫んでしまった訳で。そう言えば、ヌード女優から国会議員になった方もチッチョリーナさんでしたっけ。それにしても、ちっちょりーなキリー、なんちゅーかアンタって子は…。かあさん、もしかしてキミにやられてまったかもしれないぞwと、既に母の心境になってしまっているあたり、桐矢くんの毒気に染まっています、私。傲慢でも、勘違いでも、若気の至りでも。あれだけの熱意ありゃ、応援するとまでは言わずとも、どうなるか見守ってやりたくなるじゃないですか。えぇ、この子はおバカで嫌なヤツですよ。でも、もしかして…とてつもなく凄いヤツでもあるのでは。そう思わせるだけでも、恐るべし、ちっちょりーなw《母の心》母の心と言えば、今週、久々のご登場の郁子さんが素敵過ぎて感動。こういう母親、理想だよね。我が子の芯を捉えているから、余計な事は言わずに、どーんと構えていられる。見習いたいものです。しかし、受けるトッチーのお芝居も達者だなぁ。こういう部分は、ホント、響鬼の魅力だと思う。《土下座》恐ろしい事に、今週の私的メインディッシュはキリーだったりします。なんだ、なんだ、なんだ。どうした、自分。ちっちょりーなの白シャツに悩殺されたか?wま、冗談はさて置き。どれだけ自分勝手、独りよがりであったとて、今回の桐矢少年の熱意には脱帽。響鬼の対に斬鬼がいて、明日夢の対に桐矢。響鬼って、背中で大人を見せ、少年の背中をそっと押し出す物語。だとしたら、明日夢だけじゃなくキリーも導いてやって欲しいなぁと思ってしまうのは、私がヘンに母性本能を擽られてしまった所為かね。ま、キリーの場合は、そっと背中を押すんじゃなくって、首に縄をつけて思いっきり軌道修正してやって下さいと言いたいのですがw…ヤバイ、本当にヤバイぞ。術中に嵌ってしまったか?wま、ヘンな母性本能は兎も角、あの土下座にちょいと胸が熱くなってしまったのは事実。お馬鹿はバカなりに、真剣なんだなぁと思うと、ね。寧ろ、明日夢より純粋に真摯な姿に見えちゃった。威吹鬼にチャレンジして、剣もほろろにあしらわれ。トドの心を擽って、取り入ろうとして。ホント、馬鹿だなぁ…馬鹿だから、悩む前に行動しちゃうんだろうなぁ。石橋を叩いてまだ悩む明日夢、突っ込んで橋が崩れなきゃ判らないキリー。私、突っ込む馬鹿の方なんですよ。あぁ成る程、自分観てるようだから、反応しちゃうのかも。にしても、弟子に弟子入りたぁ…考えたな。ってか、フツー考えつかんべ。考え付いても、実行しない。それをやっちゃうのが、お馬鹿パワーなのね。しかし、お馬鹿パワーに引っ張られる明日夢も、どうかと思う。受け入れたあきらは、なにやら思惑がありそうなので、何ともいえないけど。出てきた当初は、悪し様に言ってたキリーですが、今は彼が成長してくれる事を願っております。頑張れ、ちっちょりーなwそれにしても、これで中の人の演技力さえ…いやいや、それは言うまいて。今はアレでも、これから中の人も成長すれば宜しい。細川氏の太鼓判ありの良いヤツならば、自分を“鍛えなきゃ”ね。《笛師弟》今週も漢字で喋れた笛の若旦那w(最近、中の人のブログにはまっている。才能あるね)端正な、悩む姿もまさに宗家の鬼と言った感じで、宜しゅうございました。響鬼さんに楯突いた処、ノホホンとした嘗ての姿が嘘のような。響鬼は誰にでもオープンで優しい。でも、それは裏を返すと、誰にも本当に心を明け渡していないと言う事なのかも。弟子を取るという事は、相手の心身全てに責任を持つと同時に、自分自身の心も弟子に預ける事。今、その心のやり取りで悩みもがいているのが笛の師弟。弦師弟は、お互いを預けきっちゃい過ぎて癒着、ようやっと分離に成功しつつ…あるのか?w結構、怖いことですよね。己の心の弱さまで、相手に晒すんですから。響鬼は臆病になっているという、威吹鬼の指摘は正しい。威吹鬼自身が、あきらとの軋轢の中で、やっとそれを自覚出来るようになったからこその指摘だったのでしょう。で、そのあきら。か、可愛い。驚くほど可愛い。回を追うごとに、透明感が増してますよね。一緒に観ていた者も、出てきた瞬間「この子、すごく可愛い!」と反応しておりました。(それまでは、かなり無関心だったのに。ちぇ、洗脳失敗w)演技は一本調子だけれど、雰囲気があるから許す。キリーの弟子入りを認めちゃったけど、何か思惑ありそうだから許す。そして、師匠の制止も聞かず変身したけれど、許す、許すぞっどんな姿になるのか、来週までお預けなのが残念なり。《忘れてたよ》トド、いつものトド。でも冬場になって、流石にアレな衣装じゃなくなったのは、良かったのか悪かったのか。「つまらん服よのぉ」と画面にぼやいてしまうのは、正しいトドファンの姿か否か?w取敢えず、頑張れ猛士衣装部。しかし、先週の感動的な雨の自立宣言。あれは、一体どこへやら。一応、一緒に謎の森視察に行っても「一人で頑張るっす」宣言はしてましたが。精神的癒着、完全には解けてませんな、この二人。キリーに煽てられてその気になった時も、事の是非よりも、斬鬼さんの顔色をうかがって断っているあたり、まだまだまだ。(この場合、トドの性格まで見抜いたキリーの戦略を褒めてやるべきかもw)トドに、真の自立の日はやってくるのでしょうか?斬鬼さんだけじゃなく、他の鬼にもまだ頼ってるしなぁ。謎の森での情けない声、ありゃダメだよ。でも、咄嗟にオマタを守ったのは、褒めて遣わすw《ポ○モン》動く森は良いのですが、なんすかあの魔化魍は。予算不足は判る。夏場限定の小型魔化魍がデフォになったのも、苦肉の策だから許容しよう。しかし、先週のヨブコもアレだったけど、今週のはまるでポ○モンのようじゃございませんか。皮を着てアクションする事を考えると、このデザインでも致し方ないのかねぇ。でも、ポケ○ン。そう見えちゃったんだったら、見えちゃったんだもん。げっつだぜ。久々の京極堂カップル。このところの冷え込みの中で見ると、その夏の和装は流石に寒々しい。予算ないから、冬支度して貰えないのかな。哀れなり。でも、二人の和装、良いですよね。格好とそぐわないカジュアルな口調も、面白いと思う。あの台詞と予告から推察するに、京極堂カップルは猛士の亜種と言う可能性もありそうな。亜種と言うより異端派、んー、さしずめグノーシス派かな。今回の謎の森が大きな鍵になるようですが、その異端派謎カップルですら恐れる存在とは。でも、あと10話。どう収拾つけるのさ。しかし、あの○ケモン魔化魍、途轍もない敵には見えへんど~《今週のデザート》流石の私も、毎週メインディッシュが蔵王丸さんだと言い切るには苦しくなってきましたwと言いつつ、一番楽しみなデザート的存在ではあるのですが。ちゃっかり定位置の助手席キープしている蔵王丸さん、素敵だ。たちばなでおやっさんに状況説明をする蔵王丸さん、しゅてきだ。浮かれるトドに呆れる蔵王丸さん、す、素敵だぁぁっ。すみません、ちょっと理性が吹っ飛びそうになりました。だってほら、甘いものは別腹って言うじゃないですか。(言い訳になってないし)先週の無言の演技の渋さ、ファンの心をますます鷲掴みにしてくれちゃいましたが、やはりあの低音の魅力は堪らんものがあります。うーん、抗い難いあのお声。かてて加えて、細かな表情や仕草の演技。耳目が吸い寄せられてしまう。森を前にしての、緊張感を保ちつつも、トドと馴染んでいる佇まい。「先生」に舞い上がる元弟子に、呆れつつもさりげなくたしなめる咳払い。松田さんご本人の癖と思しい、口元に指を這わせる仕草が効果的。(そして、非常にセクシー。画面の前のご婦人方、全員がクラっときた筈だ。と横暴に断言しておこう。)しかし、やっぱりまだこの師弟は。トドもトドですが、子離れしてない師匠もなw本格的復活するのかしないのか。さすれば、アレなフラグが立つのか立たぬのか。なかなかに予断の許さぬ立ち位置に置かれ続けている蔵王丸さんですが、今後の展開がどうあれ、頑張って頂きたいものでございます。さぁて、個別面談はこんな処かな。いい加減な面談で相すまぬ。各自研鑽して、志望校を目指してくれ。(エ?)毀誉褒貶、多々取りざたされている例のお方の脚本ですが、ま、今週は壊れぬ程度に橋を叩いて、真ん中を歩いたって感じかな。ただ、その橋の行き着く先が、なにやら得体の知れぬ気配に満ち満ちているのが不安ですが。来週はどうなるか。刮目して待つべし。ってか、響鬼さん、いきなりシュッ!の指導ですか…。鬼の弟子制度には、何か根本的な問題がありそうな気がするのは、私だけではあるまいw
2005年11月20日
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えっと…まず懺悔致しましょう。毎回、偉そうな事をほざいておりますが、実は響鬼の初回、今まで見ていませんでした。す、すみません。烈火でドンドコ叩かれても文句は言えません。でも、出来れば斬鬼さんに烈斬でバッサリの方が…(おいおいw)今回確認したら、恐らく2話の後半部分からは流し見をしていました。で、本格的に観るようになったのは3話から。以前にも書きましたが、今まで特撮とはトンとご縁のなかった身が、斯くも嵌ったのは川原で撥の色塗りをする響鬼さんの姿を見た為。これは、かーなり衝撃的な映像でした。ヒーローが、一人寂しく、手作業で。「こ、これって、一体どういう世界観なわけ!?」と興味を引かれたのが運の尽き。ってか、ラッキーだったと言うべきか。土日は寝ていたい派なのに、家人の都合でたまたまこの時間にTVをつけていて、たまたま響鬼を観てしまったと。もう、運命としか言えないwお陰で、松田賢二さんという素晴らしい俳優の存在も知る事が出来たし。いやぁ、新しい世界が開けましたよ。でも、今頃の1話鑑賞。だってね、行きつけのレンタル屋、響鬼置いてないんだもん。他の店、遠いんだもん。と、言い訳も見苦しいので、とっとと感想行きましょう。今回、1話から4話を見て、そのクォリティーの高さの驚きました。しかし。冒頭の5分間を観て、「ココから観てなくって良かったかも」と、ちょいと安堵wでも、その5分後には、「最初から観たかった」とプチ痛恨しましたが。噂には聞いていましたが、ミュージカルの破壊力、凄いですね。しかも、のっけから。狂気に近い天才のやることは、理解不能です。歌う響鬼さんの姿は可愛いけれど、ミュージカル中学校のパートは一寸なぁ。ま、物凄く退くけれど、インパクトも大であることは確かですね。しかし、トッチーが幼い。細川氏もまだ一般人な体つきだ。(十分立派な体型でいらっしゃいますが)変わらないのは、おやっさんと郁子かあさんくらいか?成長期真っ最中のトッチーは兎も角、細川氏の鍛錬っぷりには感服致しました。どんどん胸板厚くなっていってるよね。“鍛えなきゃ”を実践する姿は、響鬼だけでなく細川氏本人もまたヒーローであると感じさせてくれました。選ばれるべくして選ばれた、ナイスキャスティング。それにしても、初期の魔化魍のCGの美しさよ。CG以外の部分も、映像が圧倒的に綺麗で目を見張る。ツチグモの口蓋のリアルな禍々しさに、思わず「おおおっ」となってしまいました。小屋ごと移動する姿は、ちょっとお間抜けですがwそして、姫童子。この二者の設定の奇抜さが、響鬼ワールドに一味捻った味わいを齎してくれていた事を、改めて感じました。よく考えれば、最初から妖姫・怪童子で出てきてもなんら問題のない存在なはず。それを、曲がりなりにも人語を操る人間態で登場させた事に、響鬼世界の只者でなさを感じました。形態が人間に近ければ近いほど、その思考の理解出来なさが際立って不気味感が弥増す。あの美男美女が、妖しい服装で出てくるだけでも、視聴者のつかみはOKだし。しかし、まだ硬さはあるけれど、星ちゃん可愛いね。足が綺麗で、うへへへへ(おいおい)しかし、初期のみつぅの声って、何となく美輪さんっぽいような気がするぞ。「父君は鬼さんに殺されてしまったの」なんてツチグモに語りかける声は、まるでオーラの泉のようでございますw一年間て長いなぁと思わせてくれる、各キャラの変化が面白い。トッチーや細川氏のみならず、香須実さんや日菜佳ちゃんの感じも違ってますね。日菜ちゃんは、ものすごーく綺麗になった。キャラは変わってないけどw残念なのが、香須実さん。前半だと、活躍してたのにねぇ。真面目でキリキリ働いて、でも一寸ドジな素敵な女性だったのに。(お餅を焼いていて、何度も落とす姿が可愛い。「あちゃっ」って表情で誤魔化そうとしながら、また落としているのが秀逸w)今じゃ、看板娘の役しかしていないのが、勿体無い…只管勿体無いぞ、こんな美人を放置プレーするなんて。3話で響鬼さんを嗜めたり、“鬼”と言う異界と現実の社会とを繋ぐ、クッション的存在だったのになぁ。彼女に限らず、折角のサポーター設定、もう少し上手に続けていたら、鬼の世界に広がりを持たせる事が出来たのでは。いやはや、勿体無い。(つーか、響鬼って“勿体無い”のオンパレードなんだよなぁ。素材は極上だったのに…)と、後ろ向きな愚痴はこのくらいにして。ワクワク出来るって、良いですよね。素直に格好いい、面白い。斬鬼さんの所為で夢中になったかと思っていましたが、ちゃんと初期から嵌る要素に感応していた自分。ちょっと見直したwしかし、はぁ…レンタルしたものの、諸般の都合で1回しか見ることが出来ず、かなり欲求不満。これだけのめり込んでいるんだから、買うべきなんでしょう。ってか、買う。買うけど、買うけど、買うけど…今年は、家電貧乏でお財布がピンチなんだよっ。松田さんのDVD購入もまだ棚上げ状態だし、いやはや困ったっす。サンタさーん、オババの処にも来て下さいませんかね?w
2005年11月19日
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色々と事情が重なって、感想日記停滞。本や漫画、DVD、ネタは毎日あるんですが。本人自身も暇っちゃ暇なのに、PC使う時間の間が悪い。と、こんな時間に愚痴を書いてみる。“目指せ、毎日更新”だったんだけどなぁ。後から遡って書くには、そろそろ記憶に限界がきそう。折角、鬼のDVD借りてみたのに。…あぁ、睡魔の限界もきたようっす。Zzzzzz
2005年11月18日
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STRAY SHEEP 主演/高野八誠 出演/松田賢二・須田真魚・佐久間梨乃 監督・脚本/加納周典アラスジ:犯罪集団RJ10。実は彼らは、犯罪検挙率を上げるために政府によって仕組まれた、自作自演の犯罪を遂行する集団であった。犯罪者だった彼らは政府によって仕込まれ、1年間の任務の末、最後の“お勤め”を終える。だが、アジトへ戻る途中、軽いアクシデントがおき、二手に分かれる事に。お目付け役・グランドとチームリーダー・栄太郎の帰りを待つ備前らは、やがて疑心暗鬼に陥り…。リベンジ成功。やったよ、今日は電車も乗り越さなかったし、迷わず辿り着けたよ!と、非常に志の低い喜びに浸っておりますwでも、実は一寸危なかったんだよね。公式サイトでは上映日だったけれど、本当はお休みだったそうで。先にいらした方がスタッフさんに掛け合って下さったお陰で、無事観る事が出来ました。感謝。盛況だった前回に比べ、今日は非常に少ない観客数。ってか一桁。ゆったりと落ち着いて観る事が出来、良かったっす。(隣席になった方と、松田さん談義に花が咲いちゃったし)で、前回半分観損ねたSTRAY SHEEPを。オチは判っているので、面白みが半減していたのは百も承知していたのですが…うーん、その辺の事情を差っ引いても、この作品は一寸。少なくとも、私はあまり良いと思いませんでした。加納監督、手堅く撮っているとは思います。導入部は手際良いし、映像の感覚も悪くない。監督お好みのアメリカンテイストも感じられましたし。ですが、監督、本当にこの映画を撮りたいと思われて製作なさったのでしょうか?と言うと、キツイ言い方になるかな。でも、「おまえが嫌いだ」に比べ、止むに止まれぬ思いみたいなものが、あまり感じられなかったんですよねぇ。んー、上手くいえないけれど、お仕着せ感があると言うか。もしかして、まず企画ありきだったのでしょうか。“裏切りのオセロゲーム”を描きたかったのは判りますが、そこに主張が感じられないので、「だから?」と思っちゃった訳で。まぁ、この手の話は、それほど考えずに、単純に駒が次々と変転する様を愉しめば良いのでしょうが。でも、その点でも、低予算・短期間撮影のチープさが際立って感じられてしまい、残念。これは、監督の手腕が云々の問題ではないと思います。密度を持続できないんですよね、この条件じゃ。その点、ロードムービーは得。インディーズや低予算モノに、ロードムービーが多い理由が、少しわかった気がしました。一箇所に留まらぬ登場人物を、リアルタイム感覚で追うロードムービーだと、その点がフォローし易いのかもしれませんね。高野氏演じる栄太郎と須田氏のグランドが、車中で語らう冒頭は、良い感じだったのですが。廃工場のようなアジトに場面が移ると…。思うに、あの工場、大きすぎたのでは。碌に隠れる場所のないあの室内では、襲撃シーンが何となく間抜けっぽく感じてしまいました。そう、間抜け。なんかねぇ、お話のスジの割には、全般的に緊迫感が感じられない。誰が裏切り者なのか、誰を信じるべきなのか。本来なら、手に汗握る展開になる筈なのに、何だか登場人物たちがただ無能に感じられたのは私だけなのかな?ぶっちゃけ、ホンマにあんたら犯罪エリートなのかと。フツーのニイチャン・ネエチャンが、おバカに仲間割れしている風にしか見えなかったぞ。で、そんなニイチャンの中では毛色がちょと違う備前を演じるのが、我らが松田賢二。存在感は、流石ピカイチ。系統で言うと、VERSUS系のキレ男。ノリノリで演技してます。ってか、ノリノリ過ぎですね。手数の多い演技だとは思います。恐らく、ファン以外が観ても、松田さんに視線が集中してしまうでしょう。が、備前の役割を考えると、疑問が。だって、悪人面過ぎるんだもんwバレバレじゃあござんせんか。登場シーンの凄みある男から、ぶっとびまくる中盤の変貌も、聊かキャラクターを作りすぎなのでは。栄太郎の高野氏が手堅いキャラ作りだったので、対照的。しかし、演技の手数には感心。日曜日の蔵王丸さんの渋さからは、想像もつかないっす。この作品の中では、仲間を毒殺する回想部分で見せる嘲笑、グランドを追い詰めるシーンが、気に入りました。で、チェックメイト寸前に、頭に銃口を突きつけられる表情が白眉。松田さんの目の魅力がっ(はぁと)映画のラストは、展開がミエミエでしたが、映像が良かったので○。真の裏切り者が、逆でも良かったかな。(こちらでもOKですが)ですが、前述したようにこの手の話の醍醐味は、駒がパタパタと裏返り続ける姿。メリハリのない黒い羊たちばかりじゃ、裏返っても面白くありゃあせん。(備前は、メリハリのありすぎる上に真っ黒クロだw)文句ばかりで申し訳ないが、結局、この映画は私の肌には合わなかったって事で。撮影4日間かぁ…そんなもんなのかな。
2005年11月15日
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光堂 赤江瀑 徳間文庫 アラスジ:久々に訪れた新宿で、涼介は懐かしい映画に邂逅する。二十数年の時を経て、再び目の前に現れたその映画「火雨」の上映を待ちながら、涼介の思いは過去へと遡る。一人上京し慣れぬ大学生活を送っていた彼は、ひょんな事から売り出し中の映画監督である三千社と意気投合する。やがて三千社の所有するアパートに居を移した涼介は、美大生・黒木と知り合う。その頃、三千社は戦争孤児を主人公に据えた映画の構想を練っており、その重要なモチーフである“妖怪”のアイディアを、涼介と黒木に求めた。考えあぐねる二人。そして、ついに黒木は…。表題作『光堂』他、濃密な赤江美学に彩られた短編9作を収録。先日松田映画を観に行った際、私を渋谷から新宿まで誘ってくれちゃった犯人が、この本w陶然たる文字に溺れて、はっと気がついたら「次はぁ~新宿ぅ~」とアナウンスされてるんだもん。愕然としましたよ。トホしかし、もう何度も読み返しているにも関わらず、それでもそれだけ熱中させてしまう魔力を持つ赤江は凄い。と言いつつ、この本自体は、赤江の中ではそれほど高く評価していない。脂の乗った頃に比べると、聊かマンネリ。ま、全盛期も“偉大なる同じ歌”の繰り返しだった事は、否めませんが。良いときゃそれが魅力になるし、下がり調子になれば鼻につく。赤江に限らず、使う“声”が限られる作家は、多かれ少なかれそう言う事態になるのは、致し方ない事かと。でも、好きだから飽きず読んでしまいます。やっぱり赤江魔力恐るべしwこの『光堂』は、赤江の作品にしてはエロティシズムは押さえ気味で、代わりに“邂逅”がテーマになっていると思う。懐かしきものとの邂逅が生み出す揺らぎ、それもまた、赤江ワールドにおいて意味を持つ。エロティシズムと書いたが、何も三流春文学のように、淫猥なことばかり書く作家ではない。男女(に限らない。男同士もありだ)の波動が生む揺らぎ、フェティッシュな嗜好が生む揺らぎ、家族の、友人の人間関係が生む揺らぎ。赤江は揺らぎの間を泳ぐ作家だ。その揺らぎの海の一つに、本書に多く取り上げられた“時間の揺らぎ”もある。時間とは多分に恣意的なものであり、客観的な時間とは別に、その流れに身を置く者だけの尺度がある。本書だと、気紛れに降り立った町の夜祭で自分の過去に出会う『夜市』がそう。(ネタバレになるから控えるが、極めて恣意的な時間を描いた話だ)赤江の世界の住人は、揺らぎに在ってこそ、いきいきと輝く。懐かしさがゆらゆらと陽炎を立て、邂逅が揺らぎの海になる。その海に飲み込まれる一瞬、赤江住人たちは最期に異様な光を放ち、それに読者は陶然となるのだ。本書では、残念ながら、その光が以前に比べて平坦な気がする。敢えて挙げるなら、『ようよう庭の幻術』が気を吐いているか。(よう=火に華。機種依存文字なので、変換不可)タイトルからして妖しげなこの作は、赤江お得意の、老獪な女、家族の因縁、友情というには少し濃い男同士の想いなどを取り込んだ、みっしりとした短編。だが、立ち上る陽炎の揺らぎは濃密であるものの、詰め込みすぎて純度に欠ける気もする。逆に、ストーリー展開はさほど良くないのだが、場面の印象度が鮮明なのが表題作の『光堂』。作中で語られる映画が良い。『火垂るの墓』を彷彿とさせる戦争孤児の映画の話なのだが、妖怪話にだけ反応を示す知恵足らずの少年を主人公とし、幻想的でありつつ悲劇を表現しているこの「火雨」と言う映画のほうが、『火垂る』より興味をそそられる。この映画の製作に携わった主人公・涼介が、過去と邂逅し、揺らぎの海の一歩手前で物語は終わる。先ほど、“海に飲み込まれる一瞬、最期に異様な光を放つ”と記したが、実は赤江の凄みは、この一瞬を描いて止めるところにあると思う。最後まで全てを書かない。一歩踏み出した処で物語を解き、読者を立ち往生させるのだ。そう、読者自身が、揺らぎに取り込まれて抜け出せないまま終わるから、赤江魔力から離れられないのかもしれない。だから、私が電車を乗り越してしまったのも、不思議ではないのだ。(と、いじましく言い訳し続けてみる)脂浮きしてマンネリとは言え、逆に読みやすいかもしれないので、赤江文学の入門には悪くない一冊かもしれない。そして、この陶然たる揺らぎに、身を委ねてみて欲しい。…あら、でも絶版かも。いまや、古本屋の棚にばかり並ぶ作家になっちゃったからなぁ。文庫版だと辻村ジュサブロー人形の表装なので、その点でも手に入れる価値あり。機会があれば、お読み頂きたい。
2005年11月14日
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ついてないっす。我が家のオンボロデッキ、低空飛行ながらどうにか動いてくれてるんですが。使い手がボケボケなんで、今週の録画は失敗。OPまで気がつかないで、別物のテープに撮っていて、慌てて入れ替えた鬼ビデオは…残量チェック忘れてたよ、オーマイガッ!残り10分もないじゃん。って訳で、あたふたするわ録画は出来ないわで、今週は一寸混乱気味。いや、自分が悪いんすけどね。トホホ何時にも増して、記憶が曖昧な感想文ですが、お許しを。でも、僅かな蔵王丸さんの出番だけは、ちゃっかり録画成功している自分を褒めたいw先週は「安定感があった」と書きました。えぇ、今週も安定感はあったと思います。ですが、うーん。それだけに、逆にアンビバレンスなものを感じてしまっています。人間たぁ、贅沢なもんですな。気に入らないと文句を言い、気に入ったら気に入ったで、僅かな誤差に文句を垂れる。我ながら、勝手だとは思うのですが。気になっちゃうもんは、気になっちゃうの。勝手なB型だからwこのエピソードの脚本、なまじ旧鬼の匂いがなくもない。だけどそれがかえってあだとなりそうな気が。うねりの向きを変えた新鬼の世界には、旧鬼の残り香は邪魔なモノなんじゃないかなと感じてしまったんですよね。覆水盆に戻らず。全き形で元に返ることは無いのなら、割り切るべきでしょう。似ているけれど微妙に違うものは、観ていて切なくなるだけ。今週は、シーン毎は良かっただけに、逆にそんな居心地の悪さを感じてしまいました。じゃ、戸別訪問します。《いつもの事》今回は、初っ端から何時ものアレっぷりが更にアレに暴走なトド。お汁粉30杯食べても糖尿病の心配はないんでしょうか?w以前見たダーマ&グレッグ(米ドラマ)で、スティックシュガーでトリップするヒロインにぶっ飛んだ記憶がありますが、トドもそう言う体質なのか。流石、トド。何か、何をやっても“流石トド”の一言で片付けられる事が出来そうな彼は、最強のカードの持ち主なのかも。うーん、流石、トドwお汁粉で二日酔いも、“流石、トド”。赤チャンチャンコに無精ひげも、“流石トド”。おやっさんのアドバイスも早合点して、己を獅子と思い込むのも“流石トド”しかし、本当に頑張っちゃって獅子に近づいちゃうのも、“流石トド”。(あー疲れたw)走りながらの変身、久々にカッコいい轟鬼を見たような気がしました。(蔵王丸さんとの場面は後述)《歯が命》哀れ魔化魍の餌食となるか、明日夢&みどりさん。いやぁ、ゲーノー人は歯が命ですね。ヨブコの粘糸を噛み千切る明日夢は、きっと歯磨きも万全な歯医者知らずだったんでしょなwみどりさんの「鍛えてますからっ」には萌えたけど、でもやっぱりご都合主義ったらご都合主義。逃げる展開は当然だけど、アッサリ逃げすぎだって。《若気な終太郎》いつのまにやら、キリー擁護派になりそう。いや、擁護はしないけどさ。お馬鹿な子ゆえ、不憫で不憫で。でも、アレはアレなりに頑張ってるじゃないかね。(あー、もう少し演技がアレになればなぁ。言うても詮無いけどさ。)しかし「暗いの怖いよー」って、おまいは面堂家の総領息子かっw(書いてから不安になった。もしや、このネタ、知らない年代のほうが多いのだろうか…)終太郎さんの方が、遥かに実力も肝も座ってますが。頑張れ、暗所恐怖症。考えようのよっちゃ、キミは弱点や欠点の分だけ、逆により大きく強くなれるチャンスがあるんだ。…おや、擁護しちゃってるよ。《宗家の若旦那》見出しの通り、本日の若旦那は、ちゃんと漢字で喋ってらっしゃいました。踏み切りでのシーン、ヨブコに倒れてのシーン、良かったっす。トドもだけど、イブキもココに至ってやっと大人の顔を見せる事が出来て。雨に濡れた生え際は、大人を一直線に突っ走っちゃいそうな気配がしてアレでしたが。ガンバレ毛根余談ですが、若旦那の中の人のブログ、なんとも言えぬ味わいで面白いぞ。響鬼に興味の無い人に見せても、普通に受けてました。あのお顔で、このセンス。若旦那、タダモンじゃないwしかし、鬼の一味、皆さん良い感性だ。《がんばれ美声》あぁ、やっぱり素敵。その、無駄に美声なアフレコw「変わった武器、何だか今回は頑張るんじゃないか?」と思ったのも束の間、やっぱり何時もの展開でしたね。がんばれ美声、がんばれ最年長。例え負け続けても戦うことを止めない貴方は、とても素敵だ。てか、こんなにかっちょええ皮のライダーなんだから、一度くらい全面的勝利の場面を見せてつかーさいよ。《やっぱり主人公》当たり前だけど、やっぱり主人公は主人公なんだなぁ。幾ら魅力的でも、斬鬼さんじゃエッジが切れすぎて主人公には向かない。そう感じてしまう、響鬼さんの包容力。音叉においたして倒れる若気の終太郎を、突き放すでなく諭す。この表情が良かったです。大人が、ちゃんと子供と向き合う表情で。飽くまで、桐矢クンはまだ“子供”なんですよね。明日夢の“少年”以前の段階。だから、勝ち負けに必死になって、自分が見えていない。今回のテーマは、「答えを内に聴くか、外に聴くか」だと思っています。“父を越えたい、人に勝ちたい”な桐矢くんは、外に求め。“自然を介して自らの声に耳を傾ける”事が出来た明日夢は、内に向かい始め。斬鬼さんと言う大きな外から、自立に向かう轟鬼はベクトルを内に。多分、内外、片側だけに答えを求めているうちはダメなんだと思う。内省と外的刺激、その両方を知って、人は強くなるのではないでしょうか。響鬼さんはそれを知っているから、強い。(斬鬼さんもね)で、その強い響鬼さん、カッコよく再登場したのにみどりさんの「遅い!」の一言に、素に戻っちゃう所がらしくて良いっすwでもでも。明日夢でも見抜くことが出来たヨブコの波動が聞き分けられないのは、どーかと思うよ。こういうアラ、嫌だなぁ。嫌って言えば、ヨブコ。萎える。なにあのメガフォン。魔化魍って言うより、“なんかもぉ”って感じ。前回の無敵ぶりが嘘のように、アッサリとやられちまって。問題はその後。あの響鬼さんの表情は…ここで、自らの“老いの声”を聴いてしまったような気がします。鍛えても超えられない限界ってある。それを感じたから、あの複雑な表情だったのでは。そう思っていたら、初めての「明日夢」呼びで終わって。あぁ、やはりそう言う方向に、話は行くんですかねぇ。《軽くメインディッシュ》例え一言も台詞がなくとも、今週も蔵王丸さんがメインディッシュだwま、バランス的に、今週はこのくらいの短時間の出陣で良かったと思います。あくまでも、この番組は「仮面ライダー響鬼」なんですから。しかし、わずかな時間で、掻っ攫っていく人…もとい、元鬼です。雨の中、佇むだけで絵になるんだもんなぁ。一言も発せずに、表情だけで魅せる。堪らないっす。倒れる轟鬼を見つめる瞳は、全てが判っているかのよう。弟子の成長を理解し、喜びつつも、一抹の寂寥感が漂っていて。助けを拒み、自立宣言をして去っていく轟鬼の背後で、天を仰ぐ。師匠を見送り、弟子を見送り、この人は今一人立つ。すごく切なくて、でも凛とした姿だと思う。もし、雨に涙を流していたのなら、鬼である、そして人間であることが報われた涙だったのではないでしょうか。こうやって一つ一つ挙げて書いていると(既に記憶が曖昧なのはさて置き)、良いシーンが多い話だったとは思います。だけど、いや、だからこそ、この違和感を拭う事が出来ないのかもしれません。「始まる君」新しく始まる明日と、築き上げてきた昨日。二兎を追って行くのは、難しいのでしょうか。とりあえず、今週も終わりました。あと僅か。残された謎は山積、来週の予告は「!」と絶句するようなアレだし。着地点がまだ見えないのは、私だけなんでしょうかねぇ…
2005年11月13日
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蒲公英草紙 常野物語 恩田陸 集英社アラスジ:まだ戦争が幽かな予兆だった頃の、緩やかな時間が流れる農村。大地主・槙村一族は村の為に力を尽くし、人々は穏やかに暮らすことが出来ていた。村の医師の娘・峰子は、体の弱い槙村の末娘・聡子の話し相手として少女時代を過ごす。人の出入りの絶えぬ槙村家だったが、或る時、不思議な雰囲気の一家が訪れた。人々の記憶を“しまう”事が出来る彼らは、異能を持ち放浪する“常野一族”だった。彼らを受け入れ、時間は穏やかに過ぎる。だが、思わぬ悲劇が村を襲い…夜中、と言うより未明に蠢動する大ばか者。諸般の事情で、この処、PCに触れる時間がどんどんずれ込んでいる。で、夕べ折角書いた感想文が、楽天メンテでダメになっちゃいましたとさ。フンッ気を取り直して、もう一度書き直し。さてさて。どうしても泣いてしまう本と言うものがある。何度読んでも泣けてしまう本。私には3冊。恩田陸の『光の帝国』もその一冊。(もう1冊は、恥ずかしながら…銀英伝のヤン提督の死の下り。数年読んでないから、今も泣けるか判らないけど。そしてもう一冊は、嶋田双葉のbird。えー、この本を知ってる人は一寸好事家w)更に、この『蒲公英草紙』が加わることになりそう。本を読んで泣いたのは、いつぶりなんだろう。久々に、ポロポロと涙を流しながら読んだ。実は、少女趣味なのだwあぁ、こっぱずかしい。だが、そう言うのも悪くはあるまい。人は、ひとつくらいはきらきら光るがらす玉を、心の中に持っていたいのだから。美しく、穏やかで知的な人々が、ゆったりとだが綿密に時を紡ぐ、何時もの恩田ワールドが展開される。これが性に合わない人には、嘘臭さが鼻について我慢出来ないだろう。キャラクターが少女漫画と指摘されれば、確かにその通り、一言もない。それと、まどろっこしさに苛々する向きもあろう。殊に前半のテンポは緩やかで、物語が動き出す後半までが長い。私はこの緩やかな前半が好きなので、しみじみと恩田の空気を吸い込み愉しんだが、退屈だと感じる人がいるだろうし。結局、これはこういうものとして受け入れることが出来る人のみが、甘露のような常野の話に耳を傾けるべきなのかもしれない。今回の常野物語は、『光』から更に時代をさかのぼり、主人公は一族以外の少女。彼女の視線は、常野と聡明で美しい聡子に二分されるので、さらにもどかしさが強く感じられるかもしれない。だが、この無垢な少女の視線を介することで、読者の「常野って何?」との疑問を、判りやすく示してくれていると思う。人間の本質的な美しさ、それを聡子や常野一族に象徴させている。個である人間は、美しく、寂しく、そして強い。だが、戦争という時代のうねりに乗った集団としての人間の、醜さと弱さ。小さな、だが重い自己犠牲を見せた聡子の行為の後、慌しく時代を駆け抜け終戦まで飛ぶ。ここに恩田の想いを見た。聡子の、そして常野一族の強く美しい想いに、我々日本人は値するのか、と。いや、彼らの思いに答えることの出来るだけの“心”を、我々は持たなければならないのだ。敢えて一足飛びに時代を通過させた事で、それを問いかけたのだと感じた。小説の中で事細かに訴えるのではなく、飛んだ空間を読み解くことで答えは自分で考えて出せ、と言う事なのかもしれない。私はそう読んだ。が、戦争中の話を飛ばしたことで、物足りなく感じた人もいても可笑しくはないと思う。その辺も、解釈は人それぞれで。解釈といえば、聡子が評する日本画と西洋絵画の違いについての考察が面白かった。目の前の物そのものより、それが有する全てを俯瞰した解釈を画布に展開する日本画に、今見えているものを写し取ることで本質を抽出しようとする西洋画。若き仏師と画学生の対峙は、全体的な流れから浮いてはいるものの、その場面そのものはかなり良いと思った。しかし、やはり白眉は、聡子の健気な自己犠牲の場面であろう。本当は、この手の展開は好きじゃないんだけどね。でも、お涙頂戴ぽいなぁと思いつつも、泣いちゃったんだから仕方ないw素直に、恩田の力量に敬意を払い、泣かせて貰おうではないか。恩田にとってきっと、人間とは恐ろしい、でも底の底では壊れぬ美しさを持った存在なんだろうなぁ。人物が表面的とか評価される事もあるけれど、私は彼女の書く人々が好きだ。全体的に、『光の帝国』ほどの重さや深さには至っていないが、これはこれで良いと思う。“蒲公英”と言う、どこにでも咲くありふれた、だが観るだけで優しい心持になれる花をタイトルにもつ本だ。ふわふわと飛び立った綿毛が、きっと心のどこかに、新しい花を咲かせることが出来ると思いたい。
2005年11月12日
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雛の家 久世光彦 中央公論社アラスジ:日本橋の老舗人形問屋・津の国屋の三姉妹。艶やかに美しい娘たちが、それぞれ恋の想いに身を焦がす。親子ほど年の離れた侠客と関係を続ける、長女ゆり子。抗日運動をする朝鮮の若者と情を交わす、次女真琴。口の利けぬ頭師の若者に想いを寄せられる、三女菊乃。第二次大戦の最中、嘗ての栄華を喪い衰退していく大店と、そこに育った誇り高き娘たちの物語。老舗に育った姉妹たちと言うと『細雪』を連想するけど、実はちゃんと読んだ事がなかったりする似非読書家な私ですwまぁ、それはさて置き。いかにも久世っぽい作品だなと感じました。何処までも、“女”。装う晴れ着の衣擦れの音、雛を飾る赤い指先、そしてただ一人の前で零す熱い吐息。そんなものが、文字の中からあふれ出てくるよう。意識しなかった己の“女の匂い”までも突きつけられているようで、少し苦しく感じる。しかし、久世の書く女は“肉”を感じさせるのに下卑たものがないので、どんな恋に身を焦がしても凛としている。艶やかに淫らなのに、決して汚れを身にまといつかせる事はない。だから読んでいて、同性でも惚れ惚れとしてしまう。久世については殆ど知らないので感覚だけで物を言ってしまうが、もしや、中井や赤江とご同類なのではなかろうか。(見当違いだったら、大変申し訳ないが)それなら、とても納得出来る。男の作家が書いた女の嫌らしさが、殆ど感じられない。女を貫く為ではなく、女に同化する為の視線なのだ。男に命ごと預けるゆり子のように、新たなる命を育む真琴のように、そして一身に想いを捧げられる菊乃のように、久世自身がなりたいのではないか。そう思いながら読んだ。また、この作品には、戦争に関わる男の心も描かれている。思いのたけ全てを男に向ける女に対し、男たちはその心の半ばを戦争や主義主張に恋する事に向ける。未読だが『陛下』などの作品からして、久世はそういった男の心にも、何か思う所があるようだ。恋と戦争、二つの大きな波がうねり合い、この小説を作っている。但し、この作品、小説としてはいささか散漫ではないか。3姉妹の恋、それぞれが濃厚であるのだが、それゆえ印象が散ってしまう。ゆり子の造詣が、多少不安定と言うか、作品の中で変化しているように感じられ、もう一つ踏み込めない。真琴もだ。或る意味、三姉妹の中で一番現実を生きている彼女なのに、どうも性格が見えてこない。描写が多い所為か、三女の菊乃が一番はっきりとした女を息づかせていると思う。それぞれがとても面白い素材なのに、3人いっぺんにだと相殺されてしまったようで勿体無い。作中、何度か「自分の恋を突付かれるのが嫌なんだから、他の姉妹の恋をとやかく言うな」と言った感じの台詞が出てくる。なら、一つの作品で3つの恋の話を書く必要もないんじゃないかなぁと思ったり。久世はとても良い薫りのする日本語を使うのだが、この小説では、何とはなしに文に空疎さが感じられた。それも、この恋が散漫に感じられてしまう要因だったのかもしれない。もう少し、もう少しだけ何かが足りず、何かが多すぎる。そんな気がした。それなりに面白く読んだだけに、その瑕瑾が気になってしまい、勿体無く感じた。時代に酔い、女に酔う。それを感じさせてくれる作品だった。
2005年11月11日
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映画の感想、何がなんだか訳ワカメになっちまいました。収拾ついていないぞなもし。うーむ、私、何が言いたかったんでしょうねぇ?w気を取り直し、項を改めまして「おま嫌」の細かな感想を。って、“松田賢二さんサイコー!”な褒め言葉が続く訳ですが、何も問題ありませんよね?www映画館と言うより、公民館での上映会レベルな画質でしたので一寸残念。映幕サイズの所為か、みょーにスタイル悪く見えたし。でも、概ね、満足した作品です。(あ、5coinsのスタッフの方も良い人でした。方向音痴のおバカに、丁寧な接客有難うございました)私的には、あの悲劇落ちは“有り”ですね。でなきゃ、あの話の意味がないと思います。あ、但し、百合カップルの悲劇は兎も角、安奈の姉の死には納得がいきませんね。郡司行くところ、無駄な死の山が築かれると言いたいのでしょうが、それでもあの姉は殺すのは酷い。そりゃ、部外者が消えた方が、武山曰く「話が簡単で良いや」なんでしょうが、あまりに乱暴な展開に違和感が最後まで残りました。違和感といえば、安奈の母性。前項で、“女とは”と書き散らしましたが、それでも納得できないぞラストの子供放置。3歳前の我が子が、目の前であんな目にあったのを見ても、男のほうに意識がいく母親が……いる訳ないって書きたいのですが、実際にいるから怖いんだよなぁ。母性が全てだとは言いませんが、自分がこの世に送り出した者に対して責任を取らぬ人間は、唾棄すべき存在だと思っています。だから、この安奈の行為も、どうしても許せないですね。ストーリーを〆る為に、子供は不要と判断されたとしても。これは、私の生理的な感情なので、映画としての評価はまた違うのでしょうが、ダメなものはダメ。最後の最後で、この部分が残念。で、松田さんです。役者です。(当たり前だよ)前髪を下ろした横分けヘアが、一寸目新しい感じ。この髭の感じもナイス。いつもの如くひっじょーに美しい双眸、クラクラしますぜw演技の質的に、割とパターンが見えてきたような感もありますが、それでもやはり役者松田賢二、おいそれと底を割るような真似は致しません。派茶めちゃに突っ走るいい加減な郡司の演技は、そここで見たような気がしますが、ラブホや最後のシーンの繊細な演技には瞠目しました。いや、ホント、抽斗が深くて多い人です。ビアン宅で、安奈と一枚の毛布に包まるシーンも良かったなぁ。これは、唯一、心和む場面だったのでは。一瞬、再び心が通じ合ったかに見えた、優しい場面。でも、その翌日には、外人のおねいさんを英語で口説いてましたが。アメリカを放浪した時の経験が、演技に生きている?w妙に嬉々として口説いているように見えたのは、私だけでしょうかw安奈に子供の存在を知らされるシーンも、大人の男の顔を見せる一瞬の変貌が良いです。真面目な顔が、セクシー。(こらこらw)その後の喜びの爆発っぷりが、やっぱりガキな郡司。松田さんのお芝居では、この後者のキャラや斬鬼さんのような渋い男(893味)が多いのですが、私は、一瞬見せた普通の大人の男の顔が好きだな。これは、最後の死に際の演技にも通じるんですが。ほんの一時、“我が子”との幸せな触れ合いの後の、残酷な悲劇。怒り、悲しみ、そして最後の虚脱感。なんかもうね、役者としての凄みを感じましたよ。あんな死に顔見せられたら、一生ついていきたくなっちゃう。(役者・松田賢二としてですよ)絶対、この人にはもっと広い世界に出て欲しいと思える演技でした。ただ、それだけに少し厳しいこと言えば、一寸ワンパターンになりかけている部分が気になります。ワンパターンと言うより、ちょっとしたアクかな。声と台詞回しが独特なので、どうしてもその印象を追っかけちゃう。低音発声だと、台詞が聞き取りにくい時があるし。ほんの僅か、声を出す時に溜めがあって、それが松田さんの魅力でもあるんだけど、と同時にネックになる危険性も孕んでいるかと感じました。ま、素人の感想です。でも、この作品、松田さんだけではなく全体のバランスも良いし、もっとちゃんとしたスクリーンで見たかったなぁ。いずれ、DVD発売されるのかな?期待して待ってましょう。因みに、先日柏まで観に行った『BATO LOCO』は近々DVD発売との事。うーん、松田貯金しなきゃ。……!!!しまった!都会に出たら探す予定だった「東映MAX」の存在を、忘れてた!いや、でもこの方向音痴な私が、渋谷で本屋を探すのは無謀の極み。絶対、家に帰ってこられなくなってたwこれでも、若い時はよく遊んだ場所だったのになぁ。もう、全然見当つかないだよ。いやはや、歳月って恐ろしい。話がずれましたが、「暑苦しく、ブサイク」な男・郡司の物語。演じる松田さんが秀貌なのでブサイクではないですが、“男ってバカ”が哀れでもあり可愛くもありな映画でした。うん、も一回観に行こう。…迷わずに行けたらw補記:一応、これから鑑賞に行かれる方へ私ほどの方向音痴は論外としても、ちょっと判り難い場所です。時間に余裕を持って行きましょう。(当たり前)判りやすい行き方は、PARCO2の前の大通りに真っ赤な建物があるので、それを目標に。V6のイベント会場なので、かなり目立ってます。(5coinsは誰も知らなかったけど、V6の会場なら道を尋ねるランドマークになる筈です)この真っ赤な建物とデニーズの間の路地を入り、直ぐの辻の地下が会場。帽子屋とデザート王国がある辻ですので、直ぐわかります。タワレコ側の路地から入るより、PARCOの通りまで上がって曲がるほうが、判りやすいと思うっす。健闘を祈る。…って、駅から40分近くも迷った奴が言う資格ないっすよね。トホホ
2005年11月10日
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おまえが嫌いだ 主演/松田賢二・村井美樹 監督・脚本/加納周典アラスジ:白昼堂々と脱獄を果たし、郡司は恋人・安奈の元へ急ぐ。だが、安奈は喜ぶ気配を見せず、既に新しい恋人がいる事を明かす。しかも、その相手は、自分を嵌めた京平だと聞き、何とか安奈を取り戻そうとする郡司。安奈はそんな郡司を軽く受け流し、オーディションに赴く。実際の所は、プロデューサーと枕を共にする行為だと知り憤慨する郡司だったが思いがけず拳銃を手に入れてしまった事で、予想外の事態を引き起こしてしまう。一方、京平は郡司の脱獄を知り激昂、安奈を取り戻すために知り合いの刑事武山を呼び出し、二人を追うのだが……女はわからん…一旦、感情に支配されると多角的に物事を判断することが出来なくなる。空想と現実という「ま逆」の世界を縦横無尽に行き来しやがる。それじゃあ男は惑わされるに決まっている。そういう女は最低だが、そんな女だからこそ追っかけちまうのが男の性ってもんだ。だから、俺はあいつに会いに行く。あいつに会ってこう言ってやる。「おまえが嫌いだ」行って来ました、渋谷5coins cinema。携帯よりのレポでも書きましたが、まぁ迷う迷う。大の大人として如何よ?ってレベルで迷った挙句、1本目のSTRAY SHEEPは半分見逃しましたとも。(そもそも渋谷で降りられなかったし。乗り換え判んないし。駅の中からもう迷うし。トホホ)あぁぁぁぁ、自分のおばか加減に泣けてくらぁな。という訳で、STRAY SHEEPについての感想は今後リベンジ出来たらにして、今回は「おまえが嫌いだ」のみを。(軽くネタばれあり)冒頭の「女はわからん」で始まる独白が、鮮やかな印象で飛び込んでくる。観客は、この郡司の独白に沿ったストーリー展開を予想して見始めるのだが、直ぐに何となく齟齬を感じるようになるだろう。“感情に支配され”“多角的に物事を判断出来なく”なっているのは、何あろう郡司その人だから。寧ろ安奈は、郡司に引き摺られるように逃亡している意外は、極めて現実的に物事を判断している。しかも、その巻き込まれ逃亡も、ちゃんと訳がある行為であることが、終盤で明らかになる。女は無駄を生きているようで、その実、一番のシビアな部分は決して忘れないものなのだ。ストーリーの是非は置いておいて、ずっと冒頭独白と、内容の乖離が引っかかりつつ観ていたのだが、最後の最後で何となく腑に落ちた。この映画は、郡司が死に堕ちる瞬間に観た走馬灯だったのではないか。郡司が最後に見た、あの切ないような青空。あそこに投影された一瞬の夢に、彼は呟いたのかもしれない。「おまえが嫌いだ」と。加納監督、非常にロマンティストではないか。この映画、監督の男女観が出ているようで、興味深い。郡司のみららず、殆どの男が地に足の着かぬ存在。武内氏演じるプロデューサーが、レゴで飛行機を作り続けている姿が、男の幼児性と空想性を象徴しているよう。気の毒な彼が、最も無邪気な男の稚気を演じているので、余計に不憫に思えてしまうのだが。最も醜悪な男の狂気を象徴する京平。そして、老獪で男の毒気を懐に忍ばせる武山。(因って、更に異質な存在なのだが)郡司は、そんな男たちの中間に立つ。彼は、トリックスターだ。極めて低次の。郡司には秩序や境界線は存在しない。いや、存在を理解し得ないのだ。トリックスターの精神は或る意味幼児レベルに留め置かれており、玩具を欲しがって泣き喚く子供と変わりない。己の“空想の世界”にある“安奈”を求め、郡司はただただ突っ走る。空想と現実、「ま逆」の世界を縦横無尽に行き来するのは、トリックスターの得意とする処だから。だが、郡司は、破壊の後に新たなる世界を創造出来るほどの高次のトリックスターではない。巻き込まれ破壊された骸が、意味もなく増えるだけの事である。(安奈の友人のビアンカップルの殺害も、本質的な破壊者は郡司だ。直接の加害者は京平たちであっても、それは単なる砲身であるに過ぎず、意識せずにトリガーを引いたのは惑乱を司るトリックスター)そんなトリックスターは、封じ込められるしかない。誰が?そう、それを為すのが“女神”たる安奈。そして、その背後から糸を引く“偉大な父”なのだ。一番最後に、字幕で『全ての女神たちへ捧ぐ』と有った一文に、引っ掛かりを覚えた。安奈が女神?安奈の造詣は、途中までは、“母”と“女”を共に持ち合わせた存在なのかと思って観ていた。だが、その予想も裏切られる。終盤、母性の強さを匂わせる部分もあったが、安奈の視線は子供に止め置かれることはない。母性より、飽くまで“女”であることを選んでいる。己の欲するものに最も忠実である、それが女という者。苛烈なまでに自己を主張し、男を滅ぼすのもまた、女神の為せる業の一端なのだ。そうか、だから安奈も女神なのか。女神は、ただ癒しだけを与えてくれる存在ではない。女神は、その“母性”さえ武器にして、男を揺落させる。安奈は、母であり女であり、そして女神。ただ無秩序に遊ぶ郡司は、その前に膝を屈するしかあるまい。トリックスター郡司の陥落は、一瞬、幼児たる精神を失わされた所から始まる。父親宣告(実際には、具体的な言葉ではなされていないのだが)を聞き、その本質でありパワーの源である幼い心を打ち破ってしまう。親子関係(家庭)と言う秩序に取り込まれたトリックスターは、もはやその存在を自己否定したも同然。いずれ破滅への道を歩んでいたにせよ、これで、前後が絶たれた。破天荒な力で前だけに進んできた異質の存在が、単なる普通の男に堕ちてしまう。女神・安奈の背後に、武山が居たことも何ら不思議はない。トリックスターが挑み続けてきたのは、常に“大いなる父”なのだから。武山が“大いなる”存在かはさて置き、狡猾な父である事には間違いない。トリックスターであることからすら降りてしまった郡司に、勝ち目はないのだ。後は…お定まりの悲劇へ至る道のみが、真っ直ぐに続いている。だが、その悲劇は、何とはなしに呆気なくも乾いたものだ。湿って重くまとわりつく感情はない。ただ、突き抜ける青空のように、ぽっかりとした空洞が残る。トリックスターは解けて消える。そして、後に残った一時の夢の欠片。寄せては返す波のような男の夢が、最初の地点に戻っては呟く。『おまえが嫌いだ』と。それは男の最後のダンディズムであり、最後の愛の言葉なのかもしれない。
2005年11月10日
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たまには携帯から、リアルタイムで更新してみる。 5coins cinemaにて、松田映画を鑑賞中。これから「お前が嫌いだ」だよん。 しかし、散々な目にあった。読書してたら、電車を乗り越し。渋谷じゃん、なんでこんなに閑散としたホームなのさ。引き返して、かなり時間のロスした揚げ句…迷った。完膚なきまでに迷ったっす。懇切丁寧に道順教えてもらったのに、30分以上迷いました。実はとんでもなく、方向音痴なのだw って訳で、1本目は半分位しか見られなかった。無念なり。備前~イイっす。も一回来ます。 さて、そろそろ「おまきら」だ。楽しみ。 あ、予想よりお客さん多いだよ。ご婦人ばかり
2005年11月10日
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今読んでいる本も途中だし、今日の日記はどうしようかのぉと思っていたら、気になる記事を発見。一月ほど前の日記で読書感想を記した飛鳥部勝則氏が、盗作騒動を起こしていたらしい。あ、こりゃビックリ。夏に刊行された『誰のための綾織』に、故・三原順氏の名作『はみだしっ子』から、かなりあからさまな盗用があった由。ネットで話題になっていたようなのですが、気が付かなんだわ。当然のことながら、『誰のための綾織』は、絶版回収です。図書館で次の借りる本としてチェックを入れてけれど、遅かりし由良之介になってしまったぜ。(図書館に収められた本は別扱いなのかな?)飛鳥部氏も興味を寄せる作家の一人ですが、私にとって、更に大きな存在なのが三原順さん。既に物故され、今はもう知る人ぞ知ると言う漫画家になってしまわれましたが。70年代半ばから書かれた代表作『はみだしっ子』は、およそ少女漫画の常識を打ち破った作品で、そのテーマの重さと深刻な展開に衝撃を受けた人は多かったはず。斯く言う私も、その一人で。佐藤史生が漫画ファーストインパクトで、セカンドインパクトが『はみだしっ子』。自分の意思で初めて買い求めたのが、このシリーズでした。(年がばれるなぁ)今にして思えば、本当に凄い漫画です。アメリカを舞台に、放浪するストリートチルドレン4人組のお話。4人とも親との関係に悩み、幼くして家庭を捨てて“はみだし”た子供ら。彼らのシビアで斜に構えた視線で語られる、人間への考察が少女漫画の枠を超えたものがありました。あの当時に、ネグレクトやアダルトチルドレンをテーマに据えて描いたなんて、先見の明があり過ぎとしか言えません。少しアクが強い明確な線の作画、ウィットのきいた科白、宗教観も含めて非常に深い展開。異色の名作でした。それだけに、思い入れの深い人も多い作品です。私自身、心を深くえぐる作品があると言うことを、子供ながら、この漫画で初めて知りました。親や周囲との人間関係の軋轢への悩み。そんな悩みを知り染めた少女たちには、まさにバイブル状態の漫画でした。心に刻み付けるように読んでいた人が多いはず。そんなコアな漫画です。まして、作者の三原氏が若くして物故している故、伝説的作品になっているのに、何故、飛鳥部氏は盗用なぞ致したのでしょうか。飛鳥部氏の年齢なら、男性でも三原フリークは結構いたと思うので、影響を受けても不思議ではない。だが、指摘されている盗用部分は、オマージュと言えぬほどお粗末な抜書きで、弁解の余地なし。記憶がザルの私でも、『綾織』を読んでいたら気がついたと思われるレベル。こういう作家だとは思っていなかっただけに、残念と申しましょうか、腹立たしいと申しましょうか…ただ、思えば、確かに飛鳥部氏の作風にも変化があったんですよね。粘りのある、良い意味での泥臭いミステリを書いていた人が、派手なオカルト色をとりいれるようになって。先月読書した『鏡陥穽』でも感じたのですが、何か急いているようでした。ネット上に上げられている感想をざっとチェックした限りでは、問題部分以外についても、『綾織』の評価はミステリとしても低いものが多いみたい。ミステリって、数をこなすほど厳しくなっていくんですよね。パズラーに力を入れるか、それ以外に偏るか。新たなトリック、奇をてらった展開、要求されるものがどんどん高次になっていくし。はっきり言って、飛鳥部程度の作家だと、問答無用で好きなものを書いていられるポジションには至っていないでしょう。自分の書きたいもの、書けるもの、そのギャップに苦しんでいたのですかねぇ?それが、作風の荒れや性急さに繋がったのかな。うーむ。網羅している訳ではないので、断言はしかねますが、振り返ってみるとそんな感触を受けました。しかし、盗作は作家の誇りを捨てる行為。程よい暴投は予想外の愉しみとして甘受出来ますが、悪意の八百長は断じて許せません。思い入れを昇華出来ぬなら、創作する者の資格なしだと思います。飛鳥部氏、初心を思い出して下さい。地味ながら、貴方には貴方の味があったはず。はみだしっ子の世界に共鳴したとしても、貴方は貴方の言葉で語るべきだったのです。あの科白たちを引いて使う位なら、貴方も三原氏を敬愛していたのでしょう。ならば、天にいる彼女に恥じぬ作品を送り出して欲しかった。ただただ、残念なり。この先、飛鳥部勝則がどういう作品で答えを出すか、注目したいと思います。ただなぁ。臭い物には蓋をしろな世界ですから。彼程度のキャリアの作家なら、今後の展開は断たれたかもしれませんね。それもまた、残念なり。
2005年11月09日
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白い館の惨劇 倉阪鬼一郎 幻冬舎アラスジ:砂嵐吹き荒ぶ中、一人の男が白い館に辿り着く。彼は“名探偵”。だが、記憶を失っていた。高名な画家の美術館を兼ねた白い館の中では、若い女性が惨殺される事件があり、その解明の為、名探偵である彼は招かれたのであった。記憶喪失を隠し、事件の捜査をするのだが、一人、また一人と被害者は増え…。と言う作中作である第一部のミステリをベースに、人畜無害(?)な吸血鬼コンビが、作家の妻殺しの謎を探る第2部。そして更なる惨劇は引き起こされ…。入れ子細工な4部構成の、ホラーとミステリが融合した長編小説。クラニーの「色名・館シリーズ」の第一弾。館シリーズと言うと綾辻行人のものが連想されるが、全く別の趣の作品。なんせ、クラニーだから。何かもう、何でもありって感じですぜw作者本人と思しいキャラが狂言回しに出てくるのはご愛嬌。流石に、黒猫(ぬいぐるみ)のミーコちゃんまで出てきたのには、唖然としましたが。でも、私、こういう作品、嫌いじゃないだよなぁ。倉阪の作品は3作目。取敢えず、なんとなく作風と言うか、癖は見えてきた感じ。ホラーとミステリの結婚を目論んでいるようで。この2者、源は近いんだけれど、今の流れの位置は逆方向なので、円満な結婚生活は難しいだろうな。ミステリが謎(闇)の収拾にベクトルを向けているのに対し、ホラーの目指しているのは闇(謎)の拡散だから。これを一つに融合させるのは簡単なように見えても、生半な事じゃ上手くいきゃあせんって。以前読んだ『迷宮』でも感じたのだけれど、ホラーの拡散パワーに乗っ取られて、散漫なイメージが残ってしまう。以前に比べれば、格段に洗練されているけれどね。やはり、ホラーとミステリの相性の問題と考えるべきなんだろうなぁ。第一部は、ミステリ色を前面に押し出していて、普通にパズラー的楽しみが出来る…途中までだけど。記憶喪失な名探偵と言う設定に鍵があるのだろうと思ってはいたが、謎解きがホラー展開になり、思いっきりメタな終わり方で第二部に続く。“なんじゃこりゃ”と思いつつ読み進めていくと、ラストに至ってやっと第一部の意味が腑に落ちる。巧みだ。アラスジでは割愛したが、かなり入り組んだ構成。第二部で、吸血鬼が出てくるのに面食らう。このクラニー吸血鬼たちは、不死以外は人間と同じで、ごく普通の顔をして人間の世界に紛れ込んでいる。だが、平和主義の主流派と、闇の眷属である事を主張する原理主義の2派に分かれて争っていると言う設定が、話の本筋に絡んでくるのだから、一筋縄ではいかない話だ。この吸血鬼設定が今後の館シリーズに絡むのだろうけれど、白い館惨劇(ザ・ヒヌマ・マーダー)のミステリ部分はミステリ部分として、もう少しスッキリ終結させても良かった気もするし。さりとて、この“謎だオカルトだ文句あっか(w)”な幕引きも嫌いじゃないんだよね。細かい部分でのお遊び等、部分部分の楽しみも持てる作品なので、読んでいて飽きると言うことはない。(惨劇の一族の名前が日沼=ヒヌマってのは、ミステリファンなら擽られるツボ)吸血鬼たちがいかにもなキャラ立てをされており、ミステリ部分との色合いのキャップにNGな読者もいそう。私は嫌いじゃないですけどね。ただ、うーん、どうなんだろうか。結局のところ、「好きな人には傑作、ダメな人には駄作」と言う、逃げの科白でお茶を濁すしかない作品なのかも。卑怯な奥の手、「読者を選ぶ作品」と言うのもあるな。多分…私は補欠くらいで合格って処でしょうか。流れ出た血は、止めなく拡散するもの。ならば、この惨劇の謎も、どこまでも謎のままで良いのかもしれない。
2005年11月08日
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戦場のメリークリスマスアラスジ:第二次世界大戦、戦況が悪化つつある中のジャカルタの捕虜収容所。所長のヨノイは英国軍人セリアズの出現で、心穏やかならざる状態になる。実質上、収容所を取り仕切っているハラは、そんなヨノイを危惧する。彼らを心配しながら、仲裁に奔走し見守る連絡将校のローレンス。セリアズはヨノイの思惑を裏切り、反抗的な態度に出る。二人の葛藤は緊迫の度合いを増し、終には…インターネットTVのGyaOに登録してみた。ふむふむ。退屈しのぎに、悪くないラインナップかも。懐かしのアニメが泣かせる。韓国ドラマが充実。(あたしゃ好きじゃないが)映画の方も、数は少ないが悪くない。大島渚特集か。おおっ、戦場のメリークリスマスをやってるじゃないかね。この映画、何度も見たし、原作も持っている。(『影の獄にて』著ヴァン・デル・ポス 多分絶版)えぇ、そう言うお年なんですよwどこかに録画したものも転がっているはずだが、思わず視聴してしまった。…映画自体は懐かしくて良かったが、疲れるぞコレ。CMが入るのは良いとして、ぶち切るポイントが一寸ねぇ。(CMは回避不可)早送りも、CMごとに一単位なので、一瞬前を見直すってのも出来ない。ま、無料なので、文句言うたら罰が当たる。久々に懐かしいものを見せてもろたのだし、有り難く思いましょう。“世界の北野”になったたけしが、芸人タケちゃんとして初めて映画に参加したのがこの作品。坂本教授にデビッド・ボウイ、当時、最先端を行っていた面子を揃えた驚愕のキャスティングで、話題をさらった。(勿論、音楽も教授担当)文化人・北野武になる前の、本能で動いているようなたけしが凄い。台詞回しは拙いものの、その存在感は圧倒的。そして、D・ボウイの美しさにも改めて感動した。こんなに綺麗だったんだなぁ。(一寸口元がお下品なのも良しw)教授は…いやぁ、誰かに似てる似てると思いつつ見ていたのだが、ハタと気がついた。花輪和一描く処の、イガグリ美少年だわwあの怪しい(妖しいではなく、“怪しい”だ)までのツヤツヤまぶたと言い、への字富士山唇と言い、初期の花輪の絵にソックリ。(『赤ヒ夜』収録の『帰還』と言う作品に出てくる、訳有り退役軍人の姿を連想してしまった。って、マニアック過ぎっすねw)兎に角、このメンバーで映画なんぞを作ったら、怪作にならない訳がない。と言いつつ、実は色物と言う訳ではなく、なかなか高次な作品なのである。戦争の闇の中、それよりも大きな心の闇の葛藤を描く。2・26事件に死に遅れた負い目を持つヨノイの抑圧された狂気が、周囲を巻き込んで深化していく様が、濃密な空気で息苦しいほど伝わってくる。その狂気を誘発するセリアズもまた、心の奥底に歪みを抱えている存在だ。狂気と歪みが接触し、飛び散った火花は、恋にも似たギリギリの感情の暴発となる。ハラだけが、暴力的で短慮にあるにせよ、澱のない心でいられる。目の前の事象に本能的に反応する彼だけが、心の闇に囚われずに居ることが出来たのかもしれない。もっと即物的な戦争の闇だけが、彼の神だ。だから、訝しげに、だが無骨なまでに真っ直ぐに見詰める。「奇妙な顔だが、目だけは美しい」と言われた、その瞳で。彼には理解できない。屈折の果てに、ヨノイの見てしまった恋にも似た感情が。結局、ヨノイの恋にも似た感情は、或る意味、成就したのかもしれない。戦争と言う大きな闇と、個人の心の影と言う硬い闇。その二つがウロボロスのように互いを飲みあって転げまわった時代にあっては、片身の死を以ってせずば終りのこない感情だったのだから。しかし、ハラってこんなに好人物(?)だったのね。確かに粗野な人間だけれども、実はかなりきめ細かな目配りの出来ていた人物だった事に、今更ながら気がついた。そうか、だからたけしだったのか。温厚だったローレンスが理不尽な処刑宣告に激昂して暴れる中、ハラが淡々と経を読むシーンに、監督の戦前戦中の日本人観が出ていると思った。しかし、ラストのたけしの笑顔。何度見ても、胸に迫るものがあるなぁ。終り近くのセリアズとヨノイの別離シーンは、なんとも日本的なセンスの美がある映像だと思う。白砂の上、暗闇にぽつんと浮かぶ金髪の美しさ。たけしの笑顔とこの映像を見るだけでも、この映画は見る価値があると思う。それと、音楽も。教授の手がけたテーマ音楽も良いし、劇中歌われるボーイソプラノの歌も素晴らしい。(時々思い出して口ずさんでしまうほど、素晴らしい歌だった。尤も、改めて聞いてみたら、かなり間違って覚えてたけどw)たーだし、演技力はアレだ。ムンチャのhydeと、どっちがアレなのか判断に苦しむくらいのアレっぷりに、悶絶しつつ愉しんで欲しいwま、演技に関してはズブの素人を揃えてメインをはらせているから、あまり突っ込んじゃいけないんだろう。ローレンス演じるトム・コンティのみ丁寧な良い演技をしていて、逆に浮いている。(でも良い役者さんだと思った)人は、己の想いの獄に繋がれて、その生を全うせねばならぬ生き物。たまさか、想いと想いがスパークして、何かが生まれる。それが恋だったのか、悲劇だったのか。想いの獄から開放されるその時、それがどんな意味を持っていたのか、やっと判るのかもしれない。ちょっと難解な映画であると思う。ぶっちゃけ、私もよぉ判らん。腐った嗜好には、偏った視点で楽しめる作品だけれどwそれでも、やっぱり良い映画だと言ってしまおう。あー、疲れた。やっぱり普通にTVで映画観たほうが、楽っすね。
2005年11月07日
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ウは宇宙船のウ 萩尾望都(原作レイ・ブラッドベリ) 集英社漫画文庫アラスジ:土曜の朝、僕たちは連れ立って宇宙空港に行くのが大好きだった。ロケットが宙“ソラ”へと飛び立つのを見るのが、堪らなく大好きだったのだ。学校も好き、家族も好き、だけども何よりも宇宙に飛び立つ存在になることを渇望している。だって、僕らは男の子だから。世界一の仕事に手を染めることの出来るのは、ほんの一握りの人間だけ。そして、それはある日突然やってくる。宇宙への窓口へ通じる切符を持った使者が。そう、僕は踏み出すんだ。宙への第一歩へと…。表題作『ウは宇宙のウ』の他、全8編。ブラッドベリの世界を漫画化した珠玉の短編集。ブラッドベリは『火星年代記』と『二人がここにいる不思議』しか読んだ事がないが、とても美しい世界を描く作家だと感じた。そのガラスのような世界を見事に描き、且つ、その上に独自の色彩を塗り広げることにも成功した萩尾の凄さを堪能出来るのが本書。巡り合えた事をしみじみ幸せだなぁと思えり作品の一つだ。萩尾は少女漫画界の最高峰に位置する人間だと思うが、中でもこの作品の頃の画力は素晴らしい。優しい、懐かしい線を描いていて、その一本一本を見ているだけで陶然となる。話そのものも、甘やかに懐かしく、そして切なく寂しい世界を描いている。“男の子の夢”そのものの表題作も良いが、私は『霧笛』が好きだ。これを“残酷なまでに切ない恋の話”と読むのは、間違った解釈かな。だが、灯台に同胞の夢を投影してしまった恐竜も、その心情を推し量って語る灯台守も、狂おしいほど切ない恋に身を焦がしているように、私には見えてしまうのだ。恐らく、これは原作のと言うより、萩尾の色がより強く滲んでいる為だろう。恐竜は、灯台だけに惹かれてやってくるのではあるまい。灯台の放つ霧笛に乗って漂う、灯台守の遣る瀬無い想いにも惹きつけられてやってくるのではあるまいか。共に歩むものを持たぬ悲しみ。それは一人たつ灯台と同じく、ただ“自分はココに居るよ”と、いずくとも知れぬ地にいる魂の片割れに向けて啼くしかない。更に穿った(腐ったw)見方が許されるならば、灯台守の想いの相手を、一緒に恐竜を目撃する青年かもしれないと思っても宜しいだろうか。「あるものを、それがきみを愛してくれるのより、ずっとずっと愛している」こう呟く灯台守は、恐竜の想いを代弁しているかにみせて、青年に向けて語りかけているのかも…なんて思ってしまうのは、ブラッドベリに対する冒涜ですね。ゴメン、仄かに腐っててw何れにせよ、自分の過剰な想いに耐え切れず、その対象をいっそ壊してしまうしか術を持たぬ恐竜の姿には、胸が痛む。それにも増して、青年が去った後も一人残り、新たな灯台の守も勤める男の横顔の哀切さよ。「ねえきみ この世の中では何をいくら愛しても、愛しすぎることはないって…そう思うね」だが、青年も、判っていたのではないだろうか?判っていても、受け止めえないなら、ただ霧笛に耳を傾けるしかない。ここにいるよ、ここにいるよ。ただ声のみが、咽び泣く。とまぁ、何でも腐った視点で見てしまう私の悪癖はさて置き、本当に哀しくも美しい物語であるのは確か。この他に、幼い日に喪ってしまった恋に殉じる『みずうみ』も良い。人は、決して二度と手に触れえぬものだからこそ、いつまでもいとおしく思うのかもしれない。文学と絵の見事なコラボレーションの果実であるこの作品集、是非一度ご賞味頂きたい。どこか懐かしく切ないその味に、あなたは何を思うだろうか?
2005年11月06日
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アラスジ:夏休みの補習を受ける、やる気のない女子高校生たち。さぼるつもりで、野球部の応援に赴く吹奏楽部の昼食を届け役を買って出るのだが、寄り道のし過ぎでお弁当を腐らせてしまう。吹奏楽部員は1名を除いて全滅。野球部の応援の為、補習組の彼女たちが責任を取らなければならなくなった。唯一無事だった吹奏楽部員の男子のアイディアで、ジャズのビッグバンドを結成することになる。最初は文句タラタラだった彼女たちだったが、やがてスィングの楽しさに目覚め始める。たどたどしいながらも、どうやらバンドの形になってきた時、吹奏楽部員たちが復帰してきてしまう。ぽっかりと心に穴が開いたようになる彼女たち。自分たちでバンドを結成しようと、バイトをしたりするのだが中々うまくいかない。だが、ひょんな事から大金を手にし、念願の(中古)楽器を買い揃える。ジャズオタの高校教師の指導の下、一念発起し、スィングにかけるのだが…楽天、メンテ多いっす。夜中に感想書いてたら、うp間に合わなかったw昨年話題になった映画を、TV放映していたので見てみた。上野樹里や本仮屋ユイカなどの若手女優が売り出し中に出演していた作品で、セーラー服がかあいらしい。物語としては、完全にウォーターボーイズの焼き直し。実は理論だけのジャズオタ教師を竹中直人が演じていたり、Wボーイズの匂いが、そこかしこに感じられる。人生に目標がもてなかった若者が、紆余曲折、色々な経験と苦労を積んだ末に成長していく“ビルドゥングスロマン”なのだが、これがなんとも緩い。兎に角、主人公の少女がゆるゆるだるだるな女の子なので、共感出来ない。全ては、彼女たちのいい加減さが発端になっているのに、何も反省はしないし、その経験から学び取ると言うこともしない。兄弟映画のWボーイズの方が、まだなんぼか悩んだり成長しようとする努力が感じられたのだが。彼女たちは、だだユラユラと揺れているウチに、棚からふらふら落ちてきた牡丹餅を手に入れるのだ。およそ成長したとは言いがたいぬるさなのに、目出度く大団円で幕は閉じられる。“教養小説”としてみると、なんとも肩透かしな映画だった。が、決してつまらなかった訳ではない。ふつーに考えれば今時の女子高校生たちがやる事なんぞ、あんなもんだろう。逆にあの生ぬるーい棚ボタっぷりを愉しむのが、この映画の正しい味わい方なのかもしれない。小ネタは一寸笑えるし、なにより女の子たちが可愛いので許す。(オイw)惚れっぽい良江ちゃん、可愛い子だなぁと思っていたら、染子様だったよ。いい加減でずぼら過ぎる友子には共感出来なかったが、上野樹里は若いのに達者な女優になりそうな感じで○。無口でゲベ扱いされる関口を演じる本仮屋ユイカも、なかなかの演技。今の若い子って、意外に頑張ってるなぁと思った。実際に演奏している姿は立派。(展開はあまりに予定調和すぎたけど)この映画を見て、野球部から吹奏楽部に転向した知り合いのお子さんがいるのだが、なるほどなぁと納得。うん、こりゃ若い子もスィングしたくなるわ。厳しい自己鍛錬は求められない。今は、ユラユラゆれっぱなしの時代だもんね。土曜の夜、まったりと見るには悪くない作品でした。
2005年11月05日
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