星の国から星の街へ(旧 ヴァン・ノアール)

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2022.02.08
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カテゴリ: 日本への帰省
  2020年12月に書いた日記ですが写真が消えてしまっているので内容を修正してアップします。

 「アーティゾン美術館」の前身「ブリジストン美術館」の創設者であり近代美術最大のコレクターと言われる石橋正二郎氏(1889-1976)は第二次世界大戦前から絵画の鬼集に意欲を見せ始めていました。

​​​最初は郷土(福岡県)の先輩であり日本の近代洋画の発展期を飾る明治浪漫主義の天才「青木繁」の作品への愛着から始まったようです。

 1966年に日産自動車と合併した「プリンス自動車工業」の育ての親で一代で「石橋財閥」を形成した実業家ですが、その14年前の1952年に「ブリジストン美術館」を開館しています。

 手元にある「ブリジストン美術館ガイド」の中に石橋氏によっていかに精選され、
フランス近代絵画の神髄を理解した作品が集められたかということが記されています。

 『セザンヌ研究家の「ベルナール・ドリヴァル」氏は同館を訪れ「フランスを遠く離れた日本でこれだけ精選された、しかもフランス近代絵画の神髄を理解したコレクションを見ようとは想像もしなかった」と語り、その後50余点による「東京石橋コレクション所蔵 コローからブラックに至るフランス絵画展」が「フランス絵画の里帰り展」の名で1962年にパリ国立近代美術館で開催された』


​「生木と枯木のある風景」 ピカソ 1919年 

 1930年代のナチスの台頭までヨーロッパでは束の間の平和を享受し、ピカソもオルガとの結婚によって伝統に回帰して「新古典主義時代」と呼ばれる絵画の制作を始めます。その特質を示す貴重な一枚と書かれています。またピカソにしては「珍しくまともな風景表現が見られる」とも・・


​若き農婦の肖像」 モディリアーニ 1918年頃 

 モディリアーニは亡くなる2年前に療養で訪れた南フランスで多くの肖像画と珍しく数点の風景画を描いたそうです。「なで肩で細長く延ばされた身体、傾いた卵型の顔、アーモンド型の目など、モディリアーニの人物像がここに集約されている」と書かれています。


「梨」 ブラック(1882-1963) 1924年 

 「1918年頃までピカソとキュビズムを推し進めたブラックは第一次世界大戦以降は急速に古典主義の作風に転じ、晩年まで古典的世界を希求した」と書かれています。この作品は1920年代に描かれた古典主義的な静物画の一枚だそうです。 


「腕を組んですわるサルタンバンク」 ピカソ 1923年 

 ​​美術館ガイドには「伝統破壊者中の最たる存在であったピカソが、それまで高貴な存在に限定されていた絵のモデルに下層の芸能が絵画の主題になり得ることを広く世間に知らしめた」とあります。

​ 巧みな技を見せるデッサン、赤と黒の絶妙な色使いなど最初見た時に一体誰が描いた絵なのだろうと思ったのを思い出します。

 日本画もヨーロッパ絵画も珠玉の作品を所蔵している美術館ですが、現在も同じ場所にあるのかとネットで調べてみると「ARTIZON Museum(アーティゾン美術館)」と2020年の1月に改称して同じ京橋ですがミュージアムタワーに移転していました。


「ブリジストン美術館ガイド」 表紙には「モネ」の「睡蓮」が使われています。​





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最終更新日  2022.05.05 14:19:17
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