星の国から星の街へ(旧 ヴァン・ノアール)

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2024.05.04
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カテゴリ: 本帰国で再発見!
 先週の日曜の北海道立近代美術館の学芸員による「ミュージアム・トーク(30分)」のテーマは「ユトリロの描いた街並み」で、日本で過去に開催されたユトリロ展の多さからも日本でも長く愛され続けている画家である事の紹介で始まりました。


​​「モンルージュの通り(セーヌ)」1910年ごろ  ​「雪の寺院と教会」​ ネットからの画像

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左は 「近美」所蔵の「白の時代」を代表する1点で漆喰の壁の白さをよりリアルに出すために実際に絵具の中に漆喰や卵の殻を入れたりしたそうです。通りに面した家々の窓が全て閉ざされている事からユトリロの人物を排除するような孤独感が伝わってくるとの説明もありました。そしてこの時代よく描いていた「サクレクール寺院」と「サンピエール教会」は「実は外で絵を描いていると随分からかわれたり追いかけられたりして、そんな時にはサンピエール教会はユトリロの逃げ場所だったんですよ」にはちょっとゴッホの人生がオーバーラップしました。

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アルコール依存症から絵筆を握ることになったユトリロが何故「人物画」でも「静物画」でもなく「風景画」をテーマに選んだのか?については慣れ親しんだモンマルトルの風景に自分自身の孤独や苦しみを投影させたというような学芸員さんの説明で、なかなか奥深いと思いました


「シセイ・アン・モルヴァン」1914年頃 見ずらいですが右下最後の文字が「V」です。

 特に私にとって興味深かったのは学芸員さんの「ユトリロのサインの最後のVの意味が分かりますか?」との問いかけで今までサインを注意してみた事は無かったと気が付きました。そして答えは「母親シュザンヌ・ヴァラドンのVです」と言われ「なるほど」でした。まるで一卵双生児のように重なり合う2人の人生の表れだったのだと・・。

個人的にユトリロ(1883-1955)の絵に惹かれる理由の一つにゴッホと同じように孤独と謎めいた人生にあるのかと思います。ただ謎めいたというのはユトリロより母親の「シュザンヌ・ヴァラドン」」の人生で、貧しい洗濯女の娘として生まれ、曲芸師になるも怪我で挫折し母親の仕事の手伝いで洗濯物を届けているうちに画家達の目に留まり絵のモデルとなった経緯、ちょうどルノワールが彼女をモデルにした「都会のダンス」を 描き終えた後に私生児ユトリロを産んだ事、その後ドガに師事して自らも画家の道へと進んだ恋多き女性。彼女がユトリロに与えた多大な影響(アルコール依存症やあくまでも母性を求める姿)はユトリロの風景画の中の人物の描き方にもよく表れています。

 ミュージアム・トークが終わって学芸員さんに「個人的には誰がユトリロの父親だと思いますか?」と聞くと気さくに「私は当時の大御所画家かなとか思いますが、自分が父親である事を認知したスペイン人のミゲル・ウトリーリョ・イ・モルリウス
はユトリロの晩年の顔と良く似ているそうです。でも・・実のところ恋多きシュザンヌ・ヴァラドンにとって誰が父親なのか分かっていなかったのかも」と謎を残すような素敵な締めくくりでした。





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最終更新日  2024.05.06 13:01:44
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