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書名マンガでわかる 自己肯定感低めでもうまくいく「心のクセ」読本 [ 山根 洋士 ]目次第1章 「自己肯定感低めの人」が仕事で悩まなくなる方法優等生ノイズ/ありのままの自分封印ノイズ/操り人形ノイズ第2章 「自己肯定感低めの人」のやりたいことの見つけ方我慢癖ノイズ/無関心ノイズ/完璧主義ノイズ/出ない杭ノイズ第3章 「自己肯定感低めの人」が人間関係をラクにする方法他人ファーストノイズ/他人が怖いノイズ/一匹狼ノイズ第4章 「自己肯定感低めの人」のパートナーシップの築き方愛情不信ノイズ/人間不信ノイズ/幸福恐怖症ノイズ/オンリーユーノイズ第5章 「自己肯定感低めの人」の親との関係親依存ノイズ/お母さん見下しノイズ/復讐ノイズ/パーフェクトマザーの呪いノイズ第6章 「自己肯定感低め」だから、自分らしさを取り戻せる感想「マンガでわかる」とあるけど、全編マンガではなくて、文字(どうして?)→マンガ(原因となるエピソード)→文字(なぜなら・どうすれば)、という構成でした。マンガがな…これ、プロなんやろうか。中高生がノートに描いている少女漫画みたいなクオリティ…。途中から気にならなくなったけど、最初「え??」ってなった。まあこういう本を読み漁ったところで、楽になるわけではないんだよね。でも自分の「心のクセ」を知ることは大事。同じ出来事でも、人によって捉え方がまったく違う。たとえば、私は率先して何かを指示して動かす、誰かに采配するということが苦手。先日仕事でそういうことがあって、私がまた例によって例のごとく「私ってなんてダメなんだ」とズドーンと落ち込んでいて、「私ってやつはなんにも出来ない」と泣き言を言っていたら、夫が「僕もそういうの向いてないから出来ないよ〜。だから得意な人に任せて、指示してもらうの待ってる」とニコニコ言うから、「え?」って思った。おま、それ、それでいいのか…?たぶんこういうことなんだろうな、と思った。一事が万事。ものごとの捉え方。受け止め方。この本は、それを幼少期に身に着けた「心のクセ」として、「メンタルノイズ」を直し、理想の人生を手に入れようという内容。自分の自己肯定感の低さに気づいているからこそ、あなたは伸びしろだらけなのです。という序文は勇気づけられる。私は「優等生ノイズ」(何かを出来る自分には価値があり、出来ない自分には価値がない)があてはまる。・仕事で叱られると過剰に落ち込む・外では常に気を張ってしまい、家に帰るとドッと疲れる・「できる自分」をアピールするためにマウンティングしてしまうきゃーやめてー!!(じたばたじたばた)で、これは子供の頃に「否定され続けたこと」が原因だという。あてはまるよねー。うん。思い当たる節しかない。古傷を抉られるぜ!大学生のときに「どうして自分はこんなにも生きることが苦しい(かった)のか?」と、ようやく向き合えるようになり、心理学系の本を大学の図書館で読み漁った。これは自分のせいなのか?私だけの問題なのか?ある本で「アダルトチルドレン(AC)」を知り、「機能不全家族」で育った子どもの特徴が自分に当てはまって「え、私これなのでは?」と思った。アダルトチルドレンにはパターンがあって、私は「優等生」と「道化師」。兄妹は「優等生」で「問題児」だったんじゃないか?まあそんなの自己診断なので、どうかなんて定かではないんだけど。その時初めて、「私の特性だけではなく、生育環境に問題があったとも言えるのでは?」と思った。すべてがすべて、「私のせい」じゃないんじゃないのか?すべてを責任転嫁するのは違うし、親になって親としてあることの難しさ(親もまたひとりの人間であるのだから)も感じている。すべての親は毒親だよな…。と、私は思っている(自分の存在も含めて)。その毒が強く効いてしまう子どもと、そうではない子どもがいる。優等生ノイズが強い人は、心のなかに自分の太鼓持ちをしてくれる舎弟を作ればいいのですって。自分を褒めて褒めて褒めて、ダメ出しを減らしていく。むずいのよな、これな!!息をするように自分にダメ出ししてるからな!でも私は大人だから、いつまでも親を原因だと言って甘えているわけにはいかないのだよ。「ありのままの自分封印ノイズ」もあるなあ。自分のままではダメだ、という強い思い。「他人が怖いノイズ」もある。わざと嫌われようとする「キックミー」という嫌われ役なんて、すごく当てはまる。偽悪的にふるまうことで相手の出方を探るようなところ、ある。「愛情不信ノイズ」では、「お母さん、お父さん、大好き」と声に出してみるワークをやる時に苦虫を噛み潰したような顔をするそうなんだけど、私これまず言えないんですが…。(声が出ない)自分がいろいろたくさん問題を抱えていて、まあそれでもこの自分でやっていくしかないわけで、折り合いをつけて足りないネジを補っていくしかないんだよね。松本大洋のマンガ『鉄コン筋クリート』で、シロが「ちっぱい(失敗)してんの。神さまいっぱい」と言うシーンが好き。「だからシロいっぱいネジ無いの。心のネジ……」そして相棒であるクロもまたネジが無いと言い、シロは続ける。「でもクロの無い所のネジ シロが持ってた。シロがみんな持ってた。」ランキングボタンです。クリック頂くとブログ更新の励みになります!
2023.10.12
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本のタイトル・作者科学のカタチ [ 養老 孟司 ]本の目次・あらすじ第1話 於 鎌倉 養老邸 2021年3月いにしえの「死」をいだく街、鎌倉いつもいた「まる」との別れ二人の獣医師との出会いから、ネコの体の「ごみ掃除」を研究 ほか第2話 於 鎌倉 養老邸 2021年5月新型コロナワクチン接種は「壮大な実験」専門家でないからこそ「ご破算で」ができる科学者と政治家の感染症対策会議は「バベルの塔」みたいなもの ほか第3話 於 東銀座 時事通信社 2021年11月AIM研究への寄付金、2億円を超える幼虫・蛹・成虫でゲノム構造が異なっている点が多々あった「なぜ完全変態しなければならなかったのか」という謎は残る ほか巻末レポート 養老先生へのご報告引用「なぜだろう」と興味が湧いたこと、好奇心をかき立てられたことに対して、心の赴くままにその答えを追い求めていく。これが、本来の自然科学者のあるべき姿です。感想2023年030冊目★★★面白かった。養老先生の今回の対談相手は、「タンパク質「AIM」の研究を通じて、腎臓病や認知症をはじめさまざまな現代病を統一的に理解し、新しい診断・治療法を開発することを目指している」免疫学者・宮﨑先生。宮﨑先生の著書『猫が30歳まで生きる日』は、その研究内容がネットで紹介されるやバズり、多額の寄付が押し寄せたのだそうだ。私はこのネットニュースを知らなかったのだけど、すごいね。日常にある「当たり前のもの」って、もう大概分かっていたりするのかなと思ってるけど、違うんだな。知らないことがたくさんある。宮﨑先生は、アメリカで免疫学の基礎研究をしていた頃、血液の中に存在するあるタンパク質の遺伝子を見つける。これが、AIM(Apoptosis Inhibitor of Macrophage)。AIMは、体の中に溜まる「ごみ」にくっついて、「ここにごみがある」と示す札のようなもの。そこにマクロファージがやってきて、AIMごと「ごみ」を食べ、効率的に掃除する。2013年に六本木ヒルズで行われた一般向けのセミナーで、宮﨑先生がふと「猫にはAIMがない」と漏らす。それを獣医の人たちが質問し、研究がスタート。研究の結果、猫にもAIMの遺伝子は存在するが、作られたタンパク質が活性化しない(ごみのありかを知らせる「札」として機能しない)ために、腎臓のごみが掃除されず詰まってしまい、腎不全を起こすことがわかってきた。AIMはふだん、血液中にある「免疫グロブリンM(IgM:Immunoglobulin M)」抗体が5つ組み合わさってできた「五量体」とくっついているが、「ごみ」が溜まってくると、五量体から外れて「ごみ」へ向かっていく。しかし猫は、ヒトやマウスの1,000倍の強さでIgMと結合しているため、尿中に移動できない。へえええええ!!!!!私が飼っていた猫も、腎臓が悪かった。猫には多いと獣医に言われたが、そういう理由だったのか。で、この本はその内容についての対談がメイン…のはずだったんだけど、ひょんなことから「昆虫が完全変態するの、意味わかんなくね?」という話になり、「幼虫から蛹、成虫になるときにゲノムが変わっているのでは?」という仮説を立てて、それを宮﨑先生が対談の最後に研究成果として養老先生に発表するという謎展開。笑でもこのあたりの話も面白かった。科学者って好奇心の塊だし、それを確かめずにはいられないんだね。確かに、毛虫が蝶になるのって、不思議だ。子供のころに納得できなかったものね。おたまじゃくしが蛙になることだって。毛虫は蝶になるときに、蛹の中でいったんドロドロに溶けてもう一回再形成されるらしいんだけど、ここらへん養老先生が「もともとは寄生された生物が共生した結果、あとから出現しているのでは?」という説を仰っていて面白かった。すごい発想〜。そして門外漢の宮﨑先生が立てた仮説は、昆虫学者たちからは「何を馬鹿なことを」と思われて相手にされなかった。しかし調べてみると、幼虫・蛹・成虫でゲノム構造が異なっている点が多々あった。世界は知らないことで溢れているんだな。というよりは、私達が「知った(つもりになっていること)」のほうがうんと少なくて、それで世界を知ったような気になっているだけなんだろう。そういえば、この本のタイトルは『科学のカタチ』。それはまさに、引用部のように「なぜだろう」を追い求めていくことなんだろう。そういうものなんだよ。と、長じるにつれ、世界を既知のものとして捉えるようになる。けれどもう一度、幼子の目で世界を見れば。世界に「なぜ?」を問い続けること。生きている間に、そのすべての答えを得ることは出来なくても。『ヒトの壁』で、養老先生が言っていた。「世界は「こうなった」という結果の集積であって、そこでなにかが問われるとすれば、いったい「どうしようとしたのか?」という問いであろう。」解答から問題を遡る。私達は何の「答え」合わせをしているのか?それってめちゃくちゃワクワクする。これまでの関連レビュー・世間とズレちゃうのはしょうがない [ 伊集院光×養老孟司 ]・養老先生、病院へ行く [ 養老孟司×中川恵一 ]・ヒトの壁 [ 養老孟司 ]・地球、この複雑なる惑星に暮らすこと [ 養老孟司×ヤマザキマリ ]・年寄りは本気だ はみ出し日本論 [ 養老孟司×池田清彦 ]ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。にほんブログ村
2023.02.15
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本のタイトル・作者揺れる大地を賢く生きる 京大地球科学教授の最終講義 (角川新書) [ 鎌田 浩毅 ]本の目次・あらすじ第一章 日本は「大地変動の時代」に突入第二章 2035プラスマイナス5年、南海トラフ巨大地震の激甚さ第三章 20の火山がスタンバイ状態 第四章 富士山噴火をシミュレートする 第五章 地球温暖化は自明でない 第六章 減災の意識を持つ第七章 ポストGAFAを見据えて --必要となる思考、知識、教養第八章 地球46億年の命をつなぐ 引用知的生産というのは、自分の知力を人のために使うという考え方が根底にあります。だから私は、人生でする知的活動の最たるものである勉強を、知的消費だけでなく知的生産にも繋げてみてはいかが、と学生たちにも説いてきました。感想2022年332冊目★★★★『すずめの戸締まり』を読んだこともあり、このタイトルだけで選んだ本。著者は1955年生まれ。東京大学理学部地学科卒業、通商産業省(現・経済産業省)主任研究官を経て、1997年~京都大学大学院人間・環境学研究科教授。専門は火山学。この本は、2021年3月10日、京都大学で著者が行った最終講義の内容をもとにしたもの。専門的な内容なのだけれどすごく読みやすくて、珍しいな、どうしてだろうと思っていた。この本は、前半が日本という震災大国の現状(特に火山)、後半は思考や勉強の方法について。後の方を読めば分かるのだけれど、この方は自らを「科学の伝道師」と称し、どうすれば自らの知見を世の中に還せるのか考え抜いている。自らの学問を象牙の塔に留まらせず、多くの人に伝える。著者は自らの願いを一言で表す。「みんな死ぬなよ」。東日本大震災を経て、自身の研究を「どう伝えるか」を工夫し、その見せ方を心得ている。情報を伝達しても、実行に移させ、それを継続させることは難しいと著者は言う。だからこの人はそれを「教育」というステージで、伝道師として市井の人々に伝え続ける。辻説法。専門の人以外の人に、聞いてもらえる内容にしなくてはいけない。関心を持ってもらわなくてはいけない。誰も死なせないために。というわけで、本のタイトルにもなっている最終講義の部分は知らなかったことをたくさん知って身を乗り出して聴く感じ。・太平洋側から日本列島に向かって押し寄せてくるプレートは、1年に8cmずつ。これは、爪が伸びるくらいの速さ。・東日本大震災で、日本列島は東に5.3m動いた。・前回の南海地震は1946年、前々回は1854年。この間隔92年を最短と考えると、次は2038年。2030年代には南海地震が起こる。どんなに遅くとも2050年までには起こる。聞いたことはあっても、改めて言われると「どうすればいいんだ…」と途方に暮れる規模の災害が十数年以内に間もなく起こる。それも確実に。私が生きている間に。おそらく私はそれを目の当たりにする。2038年―――16年後。いったいどれだけの人が亡くなるだろう。子どもたちは、私は、私の周りの人は、その時生きているだろうか。復興には、どれほど途方もない期間がかかるだろう。この国はそれだけの大打撃を受けても、また立ち直れるのだろうか。いやもう、そんなこと考えたら、絶望的な気分になるんよ。それでもこの国のこの場所に住み続けるのか、とすら思う。たぶん、だから人間は遠い未来のことを考えないように出来ているんだろうな。怖くて生きていけなくなるから。生きることは「致死率百%」であることを知っていながら、今日を生きていけるのも同じで。防災は不可能だ。いつどこで地震が発生するのかは誰にも分からない。出来ることは減災しかない。著者は、まずは「知ること」だと言う。知は力なり。「率先避難者」という言葉は初めて聞いた。知識があったらまず自分が助かること。まず自分の身を守り、そして家族やコミュニティを守る。助かるためには、勉強する必要がある。というわけで、後半は「学びかた」についての内容。こちらも大変興味深く読んだ。著者は京大に赴任した時、独りよがりの授業をする教師だったのだけど、録画した映像を生徒にダメ出ししてもらい、授業は今や京大一の人気を誇るようになった。ラジオのような双方向でライブ性のある熱い情報伝達。ひとつの分野の研究だけではいけない。様々な分野の研究が相互に関係しあう「地球惑星システム」。また、古文書から地震の記録を読み解き、心理学で災害時の行動を理解する。そしてそれを、マーケティングの手法等を用いて人々に伝達する。理系文系の枠組みを超えた学び。「地球にやさしく」という言葉に私はずっと違和感があって、それもこの本を読んでいて得心した。地球は困っていない。巨大なシステムの中に吸収されるそれが、「人間の困っている」問題であるだけ。それは、人間の自意識過剰かもしれない。うん。「地球にやさしく」は、欺瞞に満ちた言葉なんだよな。だって、やさしくしてほしいのは人間のほうなのだもの。地球の自転スピードが元々は速く、1年が1500~1600日だったというのは初めて聞いた。それが、月の引力によって24時間になったのだって。へええ!そうして気候の変動がゆっくりになった地球で、生命の進化も始まった。私はバリバリの文系の人間だけれど、こういう話を聞くとSF小説好きの食指が動く。著者はそうやって興味がない人を、話に引き込んでいく。すごい。この方、授業ではパワーポイントを使用せず、A4コピー用紙(裏紙)を1人1枚渡して、ニックネームでコメントを書いてもらい、授業の中でフィードバックするのだそう。ライブ感がすごい。火山などの本以外に、学習方法などについての本も出されているので読みたいと思った。本を読みなさいと、著者は言う。それが一番効率の良い勉強手段であると。アウトプットはこれまでのインプットに比例する。幅広いジャンルの本を読み、多様で価値ある情報を、教養を身につけること。あえて興味のなかったジャンルにも手を広げてみる。読書に対する世界観を広げる。「難しい本は書いた人が悪い」という言葉には勇気を貰った。(笑)私は本を読むけれど、それは果たして「知的生産」であるだろうかと自問する。私がしていることは、あらゆる本を手当たり次第に読み散らすことは、「知的消費」なのではないかしらん。それは私のためにはなるかもしれない―――けれど、それを何らかの形で還すことはできるのだろうか。『すずめの戸締まり』で、扉を閉め、鍵をかけて「閉じ師」は言う。―――お返し申す。自らの得たものを、繋げて、「自分の知力を人のために使う」。たとえばそれは、絶望的な未来が待ち受けると知り、それを前に立ち竦まずにいられることだろうか。すべては知ることから始まる。けれど文字は、言葉は、そこで終わってしまうのだ。その先を、そしてそこから一歩を踏み出すのは、肉体は、私が動かさなくては。揺れる大地を、賢く生きる。この地に生まれついた。祈るだけじゃなく、嘆くだけじゃなく、賢くなれ。賢くあれ。その時、動けるように。ランキングに参加しています。「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです。にほんブログ村
2022.12.25
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本のタイトル・作者不機嫌のトリセツ (河出新書 河出新書) [ 黒川 伊保子 ]本の目次・あらすじ第1章 不機嫌を生まない対話術第2章 女の不機嫌には理由がある第3章 不機嫌の根源は、脳の違いにある第4章 この世の不機嫌にメスを入れる引用私は、息子の小学校の入学式の日に、彼にこう告げた。「あなたはこれから、いろいろな教科を学ぶことになる。(略)そのすべては、この世の見方を学ぶことなの。いくつもの見方を学校は教えてくれる。やがて、そのうちの一つか二つかで、人は世の中を見ていく。(略)小さいうちは、どれがその人に合うかわからないから、学校はすべてを教えてくれるの。ものの見方を豊かにすること。問題解決の仕方を知ること。勉強は、そのためにする」感想2021年235冊目★★★タイトルがもはや内容とリンクしていない。これまでのトリセツシリーズの内容と同じことが繰り返し書いてあり、なんだろこれ。エッセイ?でもまあ、このひとの考え方が嫌いじゃないんだろうな、それでも読む私…。スマホ授乳に対する否定的見解は、うーん…。私めちゃくちゃやってましたし、たぶんそうでもしないと正気を保てなかったと思うんだけど。昔も授乳しながら上の子の相手したりラジオ聞いたりテレビみたり本読んだり新聞読んだりしてたやろ、と言いたくなる。その子たちは今どうなったん。もっと前の赤ん坊なんて、畑仕事の間かごに入れられてあぜ道に置かれててんけど。引用部分の、著者が愛息の小学校入学時にかけた言葉が素敵。「なぜ勉強するのか」という問題に対する答えって、何なんだろと思う。私は、「せずにはおれないから」だと思うのだけど…。「知りたいという思い」って、人間の根幹にある欲求じゃないのかなあ。与えられていると、気付かないだけで。ちなみに私は、来年小学校に入学する娘に「小学校へ行くか?」と訊きました。「行かんでもええの?」と問われたので、「行かなくてもいいよ。自分で勉強せなあかんけど」と伝えました。娘はしばらく考えて、「じぶんでやるのたいへんやから、とりあえずいくわ」と言ってたけど。私が娘に言いたいのは、「学校に行く」というのは方法の1つでしかない、ということ。私はそこがすべてだと思ってほしくない。そこに絶対いないといけないわけじゃない。そこは、ただの場所だ。だから、選べる。そこにいるかどうか。決めるのは自分だ。その責任を取るのも。そのことを覚えていてほしい。これから先どこに行っても、何をしていても。(今回「へえ」と思ったこと)・「いいね」ボタン=心の動き(いちいち言語化しなくて良い)→「をかし」「カワイイ」と同じ・角田忠信『日本人の脳』…日本人(母音主体)と欧米人(子音主体)の脳の聞こえ方の違い「左脳(ことば)で聴く音、右脳(機械・信号)で聴く音」が違う→日本人は自然界の音を左脳(ことば)で聴く。=蝉の声は左脳、エアコンのファン音は右脳。(母音は自然音と音の構造がよく似ている)・人工知能は「しあわせになる」ことが出来ない→AIが発達した後、人に残るのは「しあわせになること」これまでの関連レビュー・妻のトリセツ [ 黒川伊保子 ]・夫のトリセツ [ 黒川伊保子 ]・家族のトリセツ [ 黒川伊保子 ]・娘のトリセツ [ 黒川伊保子 ]・息子のトリセツ [ 黒川伊保子 ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2021.10.11
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本のタイトル・作者ジェンダーと脳ーー性別を超える脳の多様性 [ ダフナ・ジョエル ]"GENDER MOSAIC"by Daphna Joel and Luba Vikhanski本の目次・あらすじ1 性別と脳第1章 覚醒第2章 ねじ曲げられた事実の歴史第3章 脳の性差が積み重なると第4章 生まれか育ちか2 人間はモザイク第5章 変化する脳第6章 性別がすべてではない第7章 脳のモザイク第8章 現れては消えるわけ第9章 ブラインドデートに何を期待する?第10章 脳のタイプーー典型的な脳と稀な脳第11章 ストレス下の女と男第12章 健康のモザイク第13章 心のモザイク3 ジェンダーの何が問題か第14章 男女というバイナリーから多様性のモザイクへ第15章 ジェンダーという幻想第16章 バイナリーの洗脳4 ジェンダーのない世界へ第17章 ジェンダーという神話にどう対処するか第18章 混ざりあうジェンダー第19章 ジェンダーフリーの教育第20章 子どもたちをジェンダーから解放する第21章 ジェンダーへの気づき第22章 行動に移す第23章 未来の展望原注参考文献索引謝辞感想2021年読書:229冊目おすすめ度:★★★黒川伊保子さん(脳機能論とAIが専門)の本を読んで、「男脳女脳っていうのはなくて、それぞれ使う部分が違う」みたいな話だったな…とこの本を読んでみた。昔、「地図が読めない女」みたいな本あったじゃないですか。男女の能力の差は、脳の機能によるものなんだ、みたいな論調。だから私も漠然と、そうなのだと思っていた。この本はそれを真っ向から否定する。人の脳は「男」「女」で二分されない。それは、その人それぞれのモザイク。「女らしい」「男らしい」とされるものの組み合わせ。そしてそれは、習慣や経験により変化する―――社会的「性」がそれを強化している。だとしたら、いったい「何ができるか」「できないか」を「男」と「女」で分けることに一体何の意味があるのか。読了メモ。科学が性差が「あること」を証明するために使われてきたの、人種差別の本でも読んだ。やっぱり、同じだな、と思う。人を人の下に置くために、上に置くために、必要とする。理由を。宗教を、その名を代えた科学を。でも、「理由」が必要な時点で、それはもう「理由」でないのではないか?子どものオモチャのコーナーは、ブルーとピンクの二色に分けられている。私もついつい、子どもを「性」でカテゴライズしてしまう。この本を読んでいて、赤ん坊が黄色や、性別の分からない色の服を着ていた時のことを思い出した。大人は戸惑う、のだ。その赤ん坊の性別が分からないことに。「可愛い赤ちゃん」の次に訊く。「男の子?女の子?」そして安心して話し始める。そこにはすでに「男」と「女」の型があるから、あてはめやすいんだ。なぜこんなにも性別は重要なファクターになるのだろう。その昔、私が子供だった頃にはまだ、「左利き」は矯正されるものだった。世の中の多数が「右利き」だから不便であるというのもあるのだろうけれど。でも今は、矯正するというのはほとんどない。右利きは右利きのまま、左利きは左利きのまま。そして誰でも、利き手とは逆の手で書いてみたことがあるのでは?それと同じことが、性別にも起こるのだろうか。私が物心つくころ、世界は二色対立だった。ランドセルは赤と黒。けれど今、世界はもっとカラフルになってきてる。そのモザイクを、見てみたい。「万華鏡のように」と著者はいう。色を変えていくモザイク。それはきっと、きれいだろうな。これまでの関連レビュー・妻のトリセツ [ 黒川伊保子 ]・夫のトリセツ [ 黒川伊保子 ]・家族のトリセツ [ 黒川伊保子 ]↓ 「見たよ」のクリック頂けると嬉しいです ↓
2021.10.05
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