ラッコの映画生活

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2006.12.13
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カテゴリ: ベルイマン監督
VARGTIMMEN
Ingmar Bergman

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人格崩壊の物語。『ペルソナ』(1966)と対をなす作品でしょう。主人公の相手はどちらもアルマです。『ペルソナ』では舞台で『エレクトラ』上演中に突然笑いに襲われ、翌日起きると声の出なくなった女優役のリヴ・ウルマンは最後には回復しますが、この『狼の時刻』は悲劇的な最後です。生の不安と、子供時代のトラウマと、画家としての無能感から、ユーハンの人格は崩壊してしまいます。『ペルソナ』では容貌の似たリヴ・ウルマンとビビ・アンデルソンの人格が重なり合いますが、ここでは「長く連れ添った夫婦は容姿も考えも似てくる」という思いの妻アルマの人格の融合が見られます。

この作品、個人的には思い出のあるものです。まだレンタルビデオも登場する前のことですが、この『狼の時刻』と『恥』が地方UHF局で放映されました。吹替え&短縮版ですが。で学生だったボクはこの2本を録画するために当時まだ25万円以上したβのビデオデッキを2年ローンぐらいで買いました。テープも当時は2時間のが1本2500円くらいでした。『狼の時刻』は劇場未公開なので何度も録画を見ていましたが、今回レンタルDVDで初めて完全版を見たわけです。

映画は「数年前、北海に浮かぶ小島から、画家ユーハン・ボイルが突然姿を消した。彼の日記帳を保管する妻アルマが、当時の事情について語ってくれた。この映画は彼女の話と日記にもとづいている。」というテロップが出た後、物語を語る妻アルマで始まります。

絵を描きに行っている夫ユーハンが不在の家に白い服の謎の老婆がやってきて、ベッドの下のカバンに隠したユーハンの日記を読むようアルマをそそのかします。日記にはユーハンの妄想や不安や苦悩が綴られています。そしてかつての愛人ヴェロニカ・フォーゲルを夫がまだ忘れられずにいることをアルマは知ります。

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(以下そろそろネタバレ)
2人は島の所有者のメルケンス男爵の城に招かれますが、アルマは無視され、ユーハンは奇妙な怪物のごとく好奇・嘲笑の対象として翻弄されます。

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そこで簡単な人形芝居のようなものが上演されます。モーツァルトの『魔笛』の1シーン、タミーノがパミーナを探してザラストロの城の門で追い返され、絶望するシーンです。ちなみに小さな人形芝居のセットなのですが、タミーノの人形は巧みに実際の人間がはめ込まれていて、表情などが動くのが面白い。上演者は「金のための依頼仕事ではあるが、モーツァルトは立派な芸術を作りあげている。」と解説します。食卓で手のつけようのないほどバカ騒ぎをしていた有閑の貴族たちですが、この『魔笛』だけは静かに、うっとりと鑑賞をしています。ユーハンの絵の行き詰まりと、モーツァルトの真の芸術が対比されているのかも知れません。

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そして狼の時刻。古来から言われている夜明け前の数時です。子供が生まれるのも、病人が死ぬのもこの時間。不吉な力がパワーを増す時刻。ユーハンは不安で夜が明けるまで眠れません。ユーハンは話します。「子供の頃悪さをして父親にクローゼットに閉じ込められた。真っ暗な闇。中には子供の足を食べる怪物がいるという。恐くて逃げようとするが上手くいかない。必死に「ごめんなさい」と繰り返した。父親は反省したかと訊いたが、ただ「ごめんなさい」を繰り返していた。ソファーに臀を出してうずくまり、父が笞で何度も臀を叩いた。痛かったが我慢した。母親に許してくれるか問うと「もちろんでしょ」と母は言った。」

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そしてユーハンはある日海岸で釣りをしていたらまとわりつく子供がじっと見つめていて、襲われたので殺して海に落としたと、告白します。

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夜が明けると、ユーハンがホモセクシュアルだと恐れている心理学者が来て、城への再度の招待を伝え、かつての愛人ヴェロニカ・フォーゲルも来るといいます。そしてピストルを置いて帰ります。アルマは真剣に話そうと日記を取り出しますが、既にユーハンの精神は錯乱していて、アルマに向けてピストルを発砲します。そして再度の城訪問とヴェロニカ・フォーゲルとの逢瀬、既にユーハンは錯乱の中の妄想の世界にいます。アルマが森の中へユーハンを探しに行きます。森の中で貴族連中が彼の恐れる鳥、いや鳥男になって彼を襲います。アルマは呼びますが、彼はそのまま森の中に消えてしまいます。

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最後にまた冒頭のアルマの述懐の最後に戻り、「私はユーハンと悩みを共有しようとしたけれど、それが間違っていたのでしょうか?。」と語ります。

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この映画の物語はユーハンの妄想、幻影が中心に描かれますが、ユーハンの芸術創造がモーツァルトに対比されていることは既でに書きましたが、ユーハンの恐れる鳥男は『魔笛』のパパゲーノの変形なわけです。パパゲーノをモーツァルト、つまり芸術創造の象徴とすれば、芸術創造に行き詰まるユーハンはパパゲーノを恐れるわけです。最初のタイトルロールのとき、まさにこの映画を撮影するスタッフたちの声が聞こえ、「はい、静に!、スタート」とか言う声で映画が始まります。これは映画作品を作ることがこの映画のテーマともなっているわけです。そして画家ユーハンの芸術創造と重ね合わせれば、ベルイマンにとっての映画を作ることの疑問というものと結びつきます。『ペルソナ』ではタイトルの前の最初の部分で、本編の筋とは無関係の映像、映写機のアーク灯が点いて、アニメーションフィルムが映写される映像があります。これも映画とは何か、というベルイマンの問いなわけです。アジアのどこかの国のマニフェストで坊主が焼身自殺をしている映像をテレビで見て『ペルソナ』のウルマンは怯えますが、この世界を前にして映画で何を語り得るのか、あるいは得ないのか。この世界の不安と、画家の個人的不安が重ね合わされ、その中で映画を作ることの意味は何かという問いも描かれているのだと思います。最後になりましたが、『ペルソナ』とともに、「完璧」と言いたくなるほどの美しい白黒画面です。

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Last updated  2006.12.13 04:08:17
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