ラッコの映画生活

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2007.12.26
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カテゴリ: ヨーロッパ映画
LA SPETTATRICE

98min
(DISCASにてレンタル)

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この映画、何故かDISCASのジャンル分類で「エロエィック」になっています。イタリア映画にはある種のエロティック系の系譜があって、そのことに関してはここでは書かないけれど、大抵がそれほど内容的に質が高いものではない。なのでこの映画への期待は低かったのだけれど、見てビックリ。かなり面白い人間ドラマの映画でした。それにはたぶん主演女優のバルボラ・ボブローヴァーという人の魅力が大きかったと思います。映画の製作過程というのには、もちろん最初から映画のテーマや物語が脚本として書かれる場合もあるけれど、映画作家は、ある役者がいるからその映画を作るということも少なからずやる。映画監督の多くは男性だからそういう役者は女優である場合が多い。ゴダールなんてアンナ・カリーナ、アンヌ・ヴィアゼムスキー、ミリアム・ルーセルなんかがいなかったらかなりの映画を構想すらしなかったのでは、と思えるほどだ。この映画の監督にとて女優バルボラ・ボブローヴァーがどんな存在かは知らないが、この女優さんを知っていたらこういう映画を作って、こういう役を演じさせたくなるような気がします。絶対に他の女優では代替不可能ということはないだろうけれど、この映画の魅力は彼女に帰するところが大きいと思います。

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舞台はまずはイタリアのトリノ。バルボラ・ボブローヴァー演ずる同時通訳を仕事とする26才の女性ヴァレリア。毎日道を隔てた向いの家を覗き見ている。そこに住むのは四十前くらいの物静かな男性マッシモ。犬を溺愛している。かなり大きな犬なのだけれど、ある日ヴァレリアが外に出るとその犬を抱えたマッシモはタクシーを探して慌てた様子。彼の後をつけたヴァレリアはタクシー乗り場でマッシモにタクシーを譲る。関係とは言えないほどほのかな二人の接触。ヴァレリアが通訳を勤める会議に偶然マッシモがいるのだけれど、彼女はうろたえてマッシモの発言の通訳が出来ない。思考停止状態。そこでも同時通訳のボックスのガラスを通して、インカムで対話するが、もちろんマッシモにとっては見知らぬ単なる通訳だ。朝タクシーを譲った日の夜、ヴァレリアがいつものようにマッシモの部屋を覗き見ると、愛犬のヒモだけを手に沈んだ様子のマッシモが帰宅する。そしてマッシモはローマに越してしまう。ある日ヴァレリアは親しい女友だちとその恋人を駅に迎えにゆくのだけれど、「ローマ行き列車」という駅のアナウンスを耳にして突発的にその列車に乗る。

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マッシモは化学研究者なのだけれど、より自由な仕事をしたいと愛犬が死んだのを期にローマの研究所に転職した。ローマには年上の愛人フラヴィアも住んでいた。ヴァレリアはディスコのウエイトレスの仕事につき、バーテンの男性が不在の友人とルームシェアする部屋に転がり込む。それからヴァレリアはフラヴィアにうまく近付き、フラヴィアが執筆する彼女の死んだ前夫に関する本の口述パソコン入力と編集の仕事を得る。こうしてマッシモに近付いていくのだが・・・。

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レビュー見てたら「ようするにストーカーなんだけれど」とか「ルコントの 『仕立て屋の恋』 の女版」とかあった。ストーカーに関してちょっと書けば、この語があまりに流行語のようになっている昨今で、だから観客も彼女の行動を「ストーカーの一種」として見てしまうのだろうけれど、こんな語が一般に流布する以前だったら見方も少しニュアンスが違ったのでは、なんて思ってしまった。また『仕立て屋の恋』はまったくの的外れで、むしろキェシロフスキだ。最初に書いたように大きな期待を持っていなかったので考えもしていなかったのだけれど、この映画キェシロフスキの世界にかなり通じるものがある。ある意味では彼の遺稿をもとに作られたティクヴァの 『ヘヴン』 『美しき運命の傷痕』 なんかより雰囲気はキェシロフスキの世界に近い感じがする。決して真似とか亜流とか影響とか簡単に片付けられる体のものではないけれど、この監督のイメージ世界にはかなりキェシロフスキがあるような気がする。そう考えて見ると、異性の部屋を覗き見て愛するようになり、でもストレートには相手と関れないというのは 『デカローグ 6』ないし『愛に関する短いフィルム』 だし、自分の感情を自分で処理できなくなるとプールで泳ぎ、あるいは水に沈むというのは『トリコロール 青の愛』だし、同時通訳のガラス張りの殻というのも『愛に関する短いフィルム』や『トリコロール 赤の愛』ともつながるし。そしてそうなると主演のバルボラ・ボブローヴァーもどこかジュリエット・ビノシュやイレーヌ・ジャコブに似て見えてくる。

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ヴァレリアに共感するとか彼女を批判するとかではなく、彼女は自分の現在の状態を真摯に生きているとも言え、それがキェシロフスキにつながる。『愛に関する短いフィルム』の若いトメクとは違って、ヴァレリアは友だちもいれば、男性との関係をも持つことはできる。どうして彼女がそういう状態であるかの心理学的な背景が語られることはない。途中から逆に彼女がマッシモに追われるような状況にもなるけれど、彼女は逃げるばかりだ。彼女がストレートにマッシモに向かえないのは、決していわゆる「自分が傷付くのを恐れて何もしない症候群」ではない。そういうプライドの高さであるよりも、自分と他者との関係で他者を自分に巻き込むことの恐れだ。だからむしろ「他者を傷つけるのを恐れる症候群」ではないだろうか。しかしマッシモを思う気持ちが彼女の中に存在することも事実で、それゆえその自己葛藤に落ち入るし、ああいう秘密に追うこともしてしまう。もちろん彼女にはマッシモが頭にあるわけではあるけれど、ルームシェアするバーテンの男性に「これ以上深入りすれば泥沼になってしまう」というようなことを言っていた。もちろん相手にも自由意志があるということを無視してだから一種の傲慢と言えないこともないのだけれど、自分を他者に主張することによって相手を悩ませたり、傷つけるかも知れず、それができないということだ。ヴァレリアがそういう彼女だから、逆にすべてを自分ペースで運ぼうとして自分を主張してくる年上のフラヴィアからマッシモの目はヴァレリアにも向かったわけで、ある種対比的に描かれもしていた。(以下ネタバレにならないように書くので見ていない方にとっては意味不明だろうが)そしてまたあのような状況になってしまったから、そういうヴァレリアはラストでああいう行動を取るしかなかったのだ。

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Last updated  2007.12.28 02:22:08
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