2009年11月22日に行われた 「セ、パ両リーグ誕生60周年記念試合・プロ選抜vs
大学日本代表」
のこと。
J-SPORTSで中継したこの試合。昨日書いたとおり実況アナは 島村俊治
さん、
そして解説は 山中正竹
さんと 秦真司
さんだった(どちらも法政大OB)。
今日の記事は 山中正竹
さん(佐伯鶴城高-法政大-住友金属)。
■スコア1-1で引き分けたこの試合の終了後、山中さんはこんな感想を話した。
「まずこの試合が行われたことがよかった。試合内容もよかった。そしてプロの選手
たちが手を抜かずプレーしてくれたこともよかったと思います。プロ野球の底辺を
支えているのはアマチュア野球です。今後において両者の健全な発展のために、
今日の試合は意義あるものでしたし、将来この大会が意義あるものだったと評価
できるようになってほしいものです」
「まずこの試合が行われたことがよかった」という言葉は、アマ(監督)・プロ(横浜
フロント)の両方を経験した山中さんの言葉だけに重い。少なくともボクにはそう
思える。
田淵幸一
、 山本浩二
、 富田勝
ら 「法大三羽ガラス」
とともに法政大
の黄金時代を支えたエース。4年間の通算成績は48勝13敗、東京六大学リーグ
の最多勝記録保持者である(2位は法政大の 江川卓
で47勝12敗)。
卒業後に入社した住友金属でも活躍、その後に住友金属の監督に就任し1982年
の都市対抗野球では優勝監督も経験。92年のバルセロナ五輪では日本代表の
監督を務め、チームを銅メダルに牽引した。
94年からは母校の法政大監督に。2002年までの間にリーグ優勝が7回、全日本
大学選手権でも優勝を経験した。
92年五輪の時の主な選手は 伊藤智仁
(元・ヤクルト)、 大島公一
(元・近鉄)、
小久保裕紀
(現・ホークス)らがいた。また法政大監督時代には 矢野英司
、
土居龍太郎
ら元・横浜選手や現・西武の 後藤武敏
などを育てた。
※横浜フロント時代(2004年~09年)のことは、あえて省略する。
■話題は変わるけど、「怪物」と呼ばれた江川がなぜ、山中さんのもつ最多勝記録を
抜くことができなかったか? ボクには不思議だった。その謎を解くエピソードを
『東京六大学野球80年史』(ベースボールマガジン社刊)に見つけた。
1977年秋の江川にとって最後のシーズン。明大1回戦に勝った法大はV4へ王手
をかけた。江川は通算勝利を47勝とし、先輩の山中正竹の持つ48勝に王手。
だが江川は「これですべてが終わりました。ほかの投手がたくさんいます。僕の勝ち星
はもうこれで結構です」とあっさりこの日で”サヨナラ公演”を決め込んだのだ。
48勝の通算記録も先輩を追い越す可能性は十分にあったし、周囲も協力を惜しま
なかったはずだ。それを自分から記録への道を閉ざしてしまったのだ。
「僕だけが野球をやっているわけじゃない。チームワークの勝利ですよ」と淡々と話し
ながら静かに神宮を去った
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