あま野球日記@大学野球

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2009.12.10
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カテゴリ: 大学野球

2009年11月22日に行われた 「セ、パ両リーグ誕生60周年記念試合・プロ選抜vs
大学日本代表」
のこと。

J-SPORTSで中継したこの試合。昨日書いたとおり実況アナは 島村俊治 さん、
そして解説は 山中正竹 さんと 秦真司 さんだった(どちらも法政大OB)。

今日の記事は 山中正竹 さん(佐伯鶴城高-法政大-住友金属)。


■スコア1-1で引き分けたこの試合の終了後、山中さんはこんな感想を話した。
「まずこの試合が行われたことがよかった。試合内容もよかった。そしてプロの選手
たちが手を抜かずプレーしてくれたこともよかったと思います。プロ野球の底辺を
支えているのはアマチュア野球です。今後において両者の健全な発展のために、
今日の試合は意義あるものでしたし、将来この大会が意義あるものだったと評価
できるようになってほしいものです」

「まずこの試合が行われたことがよかった」という言葉は、アマ(監督)・プロ(横浜
フロント)の両方を経験した山中さんの言葉だけに重い。少なくともボクにはそう
思える。 


田淵幸一 山本浩二 富田勝 「法大三羽ガラス」 とともに法政大
の黄金時代を支えたエース。4年間の通算成績は48勝13敗、東京六大学リーグ
の最多勝記録保持者である(2位は法政大の 江川卓 で47勝12敗)。

卒業後に入社した住友金属でも活躍、その後に住友金属の監督に就任し1982年
の都市対抗野球では優勝監督も経験。92年のバルセロナ五輪では日本代表の
監督を務め、チームを銅メダルに牽引した。

94年からは母校の法政大監督に。2002年までの間にリーグ優勝が7回、全日本
大学選手権でも優勝を経験した。

92年五輪の時の主な選手は 伊藤智仁 (元・ヤクルト)、 大島公一 (元・近鉄)、
小久保裕紀 (現・ホークス)らがいた。また法政大監督時代には 矢野英司
土居龍太郎 ら元・横浜選手や現・西武の 後藤武敏 などを育てた。

※横浜フロント時代(2004年~09年)のことは、あえて省略する。


■話題は変わるけど、「怪物」と呼ばれた江川がなぜ、山中さんのもつ最多勝記録を
抜くことができなかったか? ボクには不思議だった。その謎を解くエピソードを
『東京六大学野球80年史』(ベースボールマガジン社刊)に見つけた。

1977年秋の江川にとって最後のシーズン。明大1回戦に勝った法大はV4へ王手
をかけた。江川は通算勝利を47勝とし、先輩の山中正竹の持つ48勝に王手。
だが江川は「これですべてが終わりました。ほかの投手がたくさんいます。僕の勝ち星
はもうこれで結構です」とあっさりこの日で”サヨナラ公演”を決め込んだのだ。
48勝の通算記録も先輩を追い越す可能性は十分にあったし、周囲も協力を惜しま
なかったはずだ。それを自分から記録への道を閉ざしてしまったのだ。
「僕だけが野球をやっているわけじゃない。チームワークの勝利ですよ」と淡々と話し
ながら静かに神宮を去った

なるほど、そういうことだったか。江川らしいと言えば、江川らしいが・・・。


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Last updated  2010.03.09 23:31:40
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