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では、眉のどの部分をボカすのかは、ほんとの意味では全部なんですが、どうすればよいのか?という問いには答えようがない。というのが答えなんです。と言うのは、感性のもんだいなのですから、それを言葉で伝えるという作業は、大変なんですネ。で、やってみせてということしますが、それもまた、なかなかなんですが、今のところこの方法がベストかなと思っています。つまり半分だけやってみせて、残りの部分を自分でやつてもらうということですが、時間の都合だったり、つけて又落とすということでのお肌の疲れなどを考慮すると、何回もということは難しいものがあります。ですから、その人の心だったり、感性というものを見抜いて、それを伝えるという作業のほうが、その人への伝え方としては、より丁寧ということも言えます。例えば画用紙に鉛筆で書いて、それを消しゴムでゴシゴシとしますが、その方法で、お肌にゴシゴシとやってしまうと、必要以上の刺激になり、お肌をいじめるという結果になってしまいますから、その方法は採れない。ですが、理解出来ない場合は、それを無視して、何度もになるとしたら、それはそれで、お肌に対しての考慮が成さす技ということなんです。結果論は、何度も、時間を取って、練習をしてもらうということしかないのではないかと思いますネ。ただ、眉の為にそれだけの時間をかける人がいるかどうかでしょうけれど。
2013.07.31
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できるだけボカすということを心がけて欲しいものですネ。理由は、つくりものにしか見えないので、それをよしとすれば、メイクの荒廃とも言えると思うからですが、ワタシが一人で口にしているだけでは、誰も振り向かないことは判っているので、どうしたらようのか?と考える毎日ですネ。マンツーマンがベストな伝達方法であるとの結果を出しているワタシとしては、その程度の試みでは、日が暮れてしまう。と考えてしまいます。ですが、有名人でも無いワタシが遠吠えをしたところで、誰の耳にも届かないという現実もまた理解はしていますから、いかんともしがたいジレンマですネ。まぁ、このように届かないまでも、発信をし続けるしか能が無いのですから、やむをえません。テレビというものをみながら、色んな女性が登場し、その場面場面で、眉、眉、眉と見続けているのは異常なのでしようかネ。ですが、そのことから、よりキレイを見続けるということをしつづけることで、何か人の役にたてればと熱望しているのも事実なんですネ。眉だけでは、人に届かないのかもしれませんが、たまたまワタシの心を捉えたものが眉だったというだけのことなんですけれどネ。
2013.07.31
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その部分から描き始める。という人が多いのですが、最初が肝心とばかりに、必要以上に力が入って、クッキリと描いてしまいますネ。そこが問題なんです。その部分をハッキリさせてしまうと、キリッとした顔立ちになってしまいます。ではねキリッとは、キレイなのか?否!きつい印象を与えるだけで、優しさに欠けますネ。それをキレイとは表現しませんネ。では、どうすれば。が、ワタシの提唱している眉山を頂点とし、その部分から描くことが、一番後か道だと思います。眉頭の扱いは、ボカすか、何本か眉を描き加える。かのどちらかを選択できますが、ワタシは、個人的には何本か描き加えるほうがいいとは思っています。でも、そのへんは好みですからネ。くれぐれも、ハッキリはタブーだと認識して欲しいものではあります。たかが眉でしょうが、たったその部分に気をつけるだけで、その人の印象というものが変わってしまいますからネ。お顔は、玄関のようなものですから、やはりキチンと整理整頓され、なをかつ馴染みやすい雰囲気というものが要るのではないでしょうか。メイクにおける眉ではなく、その人の印象を決めかねない部分が、たったひとつの部分であることもある。と知っていて欲しいものですネ。
2013.07.29
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そう、自分の素肌の状態を、どのように認識しているのか?まったくのスッピンで、お出かけが出来る。という人は少ないかもしれません。では、メイクをするのを前提としているのか?には、意外にメイクが面倒、あまりしたくないなども少なくはないのでは。なんの為に、メイクは存在するのか?下着はなんの為にあるのか?に近い質問なんですネ。決して正装とまでは言わないまでも、メイクは、それに近いものまでを含みます。少しだけしかしなくてもメイクですし、バッチリ決めてもメイクです。料理で言うところの下ごしらえの状態を、スッピンと、ワタシは考えています。できるだけ、あるものを利用し、手を加えることを最小限にする。そんなことも大切な準備なんですネ。よく食べて、良く動いて、よく眠る。こういった、当たり前のことを日常に意識をしてやっているのかどうかということでもありますネ。こういったことは、なにげにやるのが常。と思うのなら、その視線こそが過ちなんですネ。このような身近なことに意識を持つことこそが、キレイというテーマを完結させる為の準備なのですからネ。スッピンを鍛える。なにも難しいことをするのではなく、自分の分析をキチンとし、自分を知る。ということからなんですネ。
2013.07.27
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対人という場合に必要になるのが言葉の使い方ですよネ。特に、別れ際の言葉は大切なのかと。軽く会釈をしながら、短くても心を込めた言葉を。このような行動は、人に、余韻を残すのだと思います。キレイという言葉の持つ意味は、小心に響くものだと思いますから、自分の努力でかなえられるものなのだとしたら、して欲しいものだと思います。では、どんなことを努力と言うのかですが、意外にも、形に表すことではなく、心の持ちようを言うのだと、ワタシは思っています。まぁいいかや、このくらいとか、みんなそうなんだからなどなど、つまり言い訳がましい心のありようは、止めるようにしたいものなんですネ。それを自分で自分に言い聞かせ、これは止めようと自制する。つまりこのようなことを努力。と呼べば判りやすいですよネ。心の中は、自分しか判らない。ではなく、自分だけは、判っている。なんですネ。そのような毎日の生活の中で、自分の苦を楽に変えられるとするようにすることで、自分の心をキレイに導くことができるようになります。結果が全てとは言いませんが、結果は必ずでますから、あきらめずに続けることが、それも努力ということなのではないでしょうか。
2013.07.27
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相手が美という名のこと。モノならば手に取ることもできように、形の無さそうなモノが相手で、どのような交渉をしろというのか?先ず、自分のイメージする美とは、どういうものかを考察し、そのことに対して、今の自分はどうなのかを確認することから。自分というものが、どの程度の完成度なのかをみつけてしまえばいいだけの話ですネ。イメージですから、細かいことは適当でいいんです。そこまでというほどではなく、アバウトな感性でいいということなんですから、そんなに難しく考える必要はないですネ。次に、自分がなにをしなければならないのか、何を考えればいいのかなどなどを、自分にすることなんです。つまり自問自答ですネ。そのことからでてくる答えが美の回答なんです。自分で答えているということは、自分でも出来ることばかりだと思いますから。つまり、キレイという概念を磨いて磨いて、それを発見する。そして、その発見したものと対峙し、真面目に向き合うことでのみ、答えがでますから、その答えを遂行するだけのことなんです。他人に、とやかく言われるよりは、自分でも納得がいく方法だと思いますネ。でも、鏡だけに頼ってはいけません。伽津観的に合わせ鏡を使って、自分を他人の目で見るということが大切なんですネ。裸から、衣装を身につけるまでの360度を見続けることで、客観的に観るということができますネ。
2013.07.26
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誰でも、心配なことがあれば、心が浮かないので、お顔の表情だって、浮かないようになりますネ。その状態では、キレイとはほど遠いことになりますから、出来るだけ、心配事は、早めに手を打っておきたいものですネ。物事の内容にもよりますが、自分自身でなんとかなる場合は、それなりのスピード解決が出来るものですが、他人が絡んでの問題では、そうもいかないのが常ですネ。その場合、ガマンをする必要が多分にあるものですが、その時の心のありかたを、どうコントロールできるかで、自分の心を壊さずにガマンできるかに分かれますネ。キレイというものに対しての心のありかたとしては、ひとつひとつを紡ぐような気持ちでのぞんで、クヨクヨすることを最小限にする。という考え方がありますネ。ただし、人によってですから、必ずしもそうであるとは言えませんが。ワタシ個人は、できるだけ問題を重ねないようにしながらのガマンを試みるようにして、ひとつひとつを紡ぐというふうにしています。それを人に伝えるのは難しいのですが、できるだけ咬んで含んで伝えるようにはしています。そうすることで、その人が、少しでも楽になれて、その日をキレイに過ごしてもらえればいいなぁと思っていますから。心配事は、溜めずに直ぐに手を打つことで、複雑にしなくて済む。ということですからネ。キレイということの原点は、シンプルだと思います。
2013.07.26
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そうなんです。やっとこ届いたプチネックの留め具がこわれちゃったんですネ。6月のはじめに注文をし、月末に、やっとこ届いたモノだったのです。それがもうこわれちゃって、安もんだから、しょうがない??そうではないでしょう。ワタシは昔、化粧品の販売をしているお店で、アクセも担当していて、仕入れから販売までをしていた経験では、こんなに簡単に壊れはしませんでしたから。まぁ、販売元へ、クレームです。という内容のメールをだし、丁寧には返信いただいてますが、壊れたモノの扱いは、まだ決定されていません。果たして、どのくらいの時間を要するのでしょうか。プチネックは、夏の間の襟刳りの開いたモノを着用する為のアクセなんですネ。その期間は、ある意味限られていますから、その時間のムダ使いは、いかがなものなのか?ということなんです。ワタシは、奥さんに、その時間を楽しんでもらうべく、やっとこ用意できたモノだったんですネ。お洒落心をくすぐって、キレイを目指してもらうべく用意したその時間を弁償することは出来ないことになりますネ。販売元では、そのことを理解しているのでしょうか?消費者は、モノだけを購入しているのではありません。ワタシは、このような説明を問題が終えたら言おうと思っています。モノの販売は、心も同時に販売するくらいの心がけを持って欲しいものなんですからネ。
2013.07.25
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基本は、喜怒哀楽の表情をしてみると、自分の眉の表現が理解できますから、その中から、基本の眉丘をみつけること。これが全ての始まりですから、そのことをよく研究してみましょう。ワタシの基本ですネ。そして、それを理解できたなら、その中の頂点に軽く印をつけ、それを基本に眉の下側に眉尻へむかって践を引き、次に眉頭へむかって践を引き、次に眉の印から眉尻へ践を結び、次にまゆの印から、眉頭へ向かって践を引きます。これで、眉の基本の形というもののアウトラインができあがりますから、それを基本にして、眉の長さの調整をするなり余分と思う眉毛を抜くなりして形を整えます。と、これが、ワタシの基本的な説明で、全員の方に伝えるものなんですネ。この言葉をどの程度理解し、それを実行し、眉を自分のものにしていけるかは、その人次第ですからネ。所詮、基本などというものは、その程度のものなんですから、それを理解し、自分のものにできるまでの努力が自分を上昇させるのだ。ということを理解して欲しいだけのことなんですネ。何度となくこの表現はしていますが、果たして、どの程度伝わるのかが。マンツーマンでの伝承でも、意外に、それができませんネ。多分、菊川に問題があるのだと思いますが、伝える側にも、言葉の使い方の問題があるのかも知れません。まぁ、ワタシは、この基本を変えるということは無いので、これ以上もなければ、これ以下もないのですネ。
2013.07.25
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メイクにおける眉というだけではなく、昨今は、男性も美的意識に目覚めたのか眉をいじる人が増え増したネ。そこそこであるならいいとは思いますが、やりすぎはいただけませんネ。女性と違って、かきくわえたりはしませんからネ。メイクをするならいざしらず、キレイではありませんネ。まぁ、好きずきですから、あからさまに文句は言えませんが。女性の場合も、年齢に限らず逆上がりをしているような眉をみかけますけれど、本気でキレイと思っているのなら、こちらはいただけませんネ。強烈に強きの顔を作っているだけなんですネ。そのお顔をだれもキレイとは感じないと思います。ワタシだけでしょうか?ものごとは、ひとつひとつに意味があると思います。ですから、意味の無いような逆上がりのような眉は止めて欲しいです。好みだからと言ってもです。まぁ、ここで、このように言っているだけでは、どこにも伝わらないのでしょうけれど。ですが、誰かが異をとなえなければ、ほんとになんでもありになってしまいますからネ。蛇足ですが、今回の美白化粧品云々は、今に始まったことではありません。所詮、化粧品なのですから、それを信じ切るということに無理があるのですからネ。物事の真実は、闇の中です。そのような考え方も必要なのだと思いますネ。
2013.07.24
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今、あさいちという番組を見ながら書き込みをしています。今朝のテーマは、エイジングストレスと戦う女たち。と表題をし、そのことをうんぬんと言う内容なんですが、個人的にワタシは、この手の話合いがキライなんですネ。理由は、そんなことは話すのではなく、自己努力の結果論ですから。誰もが、年齢は重ねるものなんですが、それに逆らうのではなく、納得のいくカサ根方をしながら、自己努力をする。というのが、ワタシの提唱する年齢のありかたなんです。無理矢理の努力ではなく、毎日の生活の中での心のありかたなどを自己管理しながら、自分というものを確立していければいいのであって、つくりまくったり、必要以上に努力をするのは、そのことへの冒涜と言えなくもない。努力は、必ず報われるものではありますが、結果ありきということではないのですネ。キレイをテーマにするのは、受けがいいのかも知れませんが、必要以上に偏った情報は、必ずしもそれがいいのではなく、心理作戦に過ぎないという危険もはらんでいます。また、それを見ている人は、知らない内に受け入れているといった効果もあったりします。知らず知らずに、その偏った情報に毒されていく危険をワタシは危惧してしまいますネ。キレイというものの自然さは、てにいれるまでのプロセスが大切なのであって、結果ありきではないと思いますネ。ワタシの意見でした。
2013.07.24
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テレビでの例を挙げるとすると、某国営放送の朝の番組の女子アナの何人かと、シーエムでみる井川さんと、剛力さんの二人。好きかどうかという意味ではなく、眉の自然さが、表情の表現に顕著にでている。という意味です。国営放送での二人は、眼の表情がおだやかに表現されている。という意味です。眉のありかたを参照にするとするならば、の例として、挙げただけですから、その人の個性とか、人格とか、そんなことまでは知りません。ですから、マネをして欲しいという意味ではありませんからネ。あまり、こんな挙げ方は好きではないのですが、判りやすい例としてのことですから、かんべんしてください。ワタシは、特別に眉だけを取り上げているのではないのですが、表現のいちパーツとしての力は、確信していますから。メイクということを通じて、その人が、その人らしさを表現できるとして、そのことを大切に考えています。ですが、らしさであって、それ以上にしろとか、特別に目立ちなさいとかを推奨しているのではありません。あくまでも、らしさ。という拘りが欲しいと思っています。メイクは楽しいものであって、毎日なにげにやるものではないと思いますヨ。
2013.07.24
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毎日のメイクの時に、なにげにやってしまうのか、意識してやるのかで結果は違うはずなのだが、必ずしもそうではなく、その日の心のありかたが出来具合に左右することもありますネ。ただ、そういったことは、潜在意識のようなもののちからなどによるものだから、その時の自分では判らないことなんですネ。その潜在意識に左右されるとしても、丁寧に自分の眉への取り組みをしたならば、それほど、そのような左右は受けないのだと思います。つまり、丁寧という意識で、なにごともあたることが底辺にあることが必要なのがメイクなのだと思いますネ。そして、眉は、その最たるものだと、ワタシは勝手に思っているわけですネ。どこまでが必要なのかなんていうことではなく、いつでも丁寧にが要るのですネ。キレイというテーマをワタシは追求しますが、みなさんが本気でいるかどうかは判りません。仮に相対してもすぐすぐに判るわけではないんですネ。メイクの方法を伝えて、自分でやってきてもらっての繰り返しの中で、あぁ大丈夫だな。というのが判った時なんですからネ。意外と、それが時間がかかるもんなんです。で、ワタシ思うに、本気で人の話を聞いている人は、案外とすくないんだなと。たかがメイク。眉くらいの話なのかも知れませんが、伝える側は、本気なんですネ。菊川の問題のほうが多いと、ワタシは感じていますネ。眉くらい。
2013.07.23
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メイクをする時の心のありかたが眉に出ますネ。よくても悪くても、表現をする心というものが存在します。なにも、眉だけの世界ではありませんが。どんな時でも、心のあるがままにできるのであれば、自然なのですが、心に左右されてしまうということが表現になってしまえば、それはね自然ではなくなってしまうということなんですネ。今日は上手くいかない。なんてことはありませんか?そんな時の話です。眉の一本の線を描き加えるだけで、その意味がかわってしまう。というくらいの真剣さがあればこそのメイクの仕上がりなのですが、そこまで考える人は、多分いないんでしょうネ。そこまで拘るほどのものなのかもでしょうからネ。ワタシくらいのものなのかも知れませんネ。ワタシの場合は、サプライヤーの側なので、余計にそのようでなければいけないのではと思っていますが、受け取る側にも、キレイに対しての拘りくらいは持って欲しいものですネ。いつ、どこで、誰に見られても、その時には、いつも同じ。くらいでいて欲しいものですからネ。メイクに於ける眉は、それほどの意味があるのではないでしょうか。その人を左右するくらいのことがあるのかも知れませんヨ。
2013.07.23
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では、骨格とはなんでしょう。誰でもが持っている頭蓋骨、そして表情を司る筋肉、そして表皮。この筋肉というものが、骨格を元に動いて、その人のオリジナリティあふれる表情を作る。ということですネ。それを利用して、眉の辺りの筋肉の動きを割り出し、それを利用しての眉の設定を試みる。というだけのことなんです。これを自然と言わずしてなんと言うということですネ。一人一人の表情筋というものが存在するのですから、眉などは、皆それぞれでいいのですからネ。それを、わざわざ平均的なものを要求するほうに問題がある。というのが、ワタシの見解です。はやりだから、とか、誰それがやってるからなどの理由などは、なんの個性も無い話なんですネ。個性とは、自分というものを知り、それを表現してこそのものですからネ。で、ワタシは、そのことを声を大にして伝えてきたつもりなんですが、人の話を聞く人が少なかった。というだけのことなんでしょうネ。それとも、ワタシの言葉が足りなかったのか。ですかネ。眉がその人の人生を変えるかも、などと言えば、そんな大袈裟な。と思われるのかもしれませんが、そんなこともあるのかもしれませんよ。表情のありかたで、その瞬間のことなんでいう話ですからネ。いつなんどき、自分の人生が変わるのかなんて、誰にも判りませんからネ。ある意味、毎日真剣に生きる心のありんたなんて、誰も考えていないかもしれませんが。
2013.07.23
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ワタシが眉を整えて仕上げを伝えて、それを自分でできるようになって欲しいと思っていると、何故かごしゅじんがとか、友達がとかと言いつつ、こうしたほうがいいんじゃないかとか、もつと自然にとか言われることがあります。これって、ワタシの伝えた方法が、いかにも独特なように聞こえません?ところが、ワタシに言わせると、その人の骨格を参照にしたものなので、特別なものではないと思っているのですが、何故でしょう。自然というものの認識の違いとでも言えばいいのでしょうか。それとも、みなさんの認識の方が自然なのでしょうか。否!!つくられたイメージというものがあって、それが自然なのだという認識の方が強いと思います。ワタシの場合は、あくまでも、平均的なものを望んでいるのではなく、その人の為のものを考察することにしていますから。これを客観的に評価するとしたら、このギャップは埋められないものとも言えますネ。言えることは、自分の評価軸を持っていない人が多すぎるということだとも言えますネ。ワタシは、その人のことだけを考えますから、それ意外の人の意見など、もともと気にもしていませんが。果たして、キレイというものの概念とは、どのようなものなのでしょうか。
2013.07.23
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ワタシは、相対して座ってメイクをするときに、眉をみただけで、その人の生活のありかたが判ります。大袈裟なようですが、そのくらい眉の手入れだけで人生までもが手に取るようにみえるのです。では、誰でも、そのように見ることが出来るのかとというと、否!そうではないでしょう。そのように観察をする習慣を誰もがもっているわけではないですからネ。では、見えたからどうだと言うのか?は、別に、どうでもいいんですが、そのことよりも、その人のキレイに対しての真剣度というものが判ってしまいますネ。そうすると、ワタシの中の真剣度が変わってしまいます。本気で無い日とを相対しても、燃えませんからネ。そんなぁ、かも知れませんが、やはり、本気度の高さで、その人の結果が見えますからネ。つまり、ワタシ一人の力では、どうしようもない結果がありますからネ。最後は、その人の本気度で結果が出るものなんです。そのことを知っているワタシは、100%の力を発揮できないことを悟ってしまいますから、そこから先へは進めなくなってしまいます。で、その程度でと妥協せざるを得ないことになってしまいますネ。そんなときは、そこそこできりあげますが、砂を咬むような心のあり方になってしまいますが、それはそれと思うことにしています。本気というのは、どこまでなのかは、ワタシにも判りませんが、ワタシは、いつも、それを求めてやみません。キレイというものは永遠ですからネ。
2013.07.22
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このままずっと眉の話をするのかも知れませんネ。眉は、ワタシのライフワークとし考えています。どんなに言葉を使ったとしても、語り尽くせるものではないのですが、決して伝えきれないものではないのだとも思っていますからネ。ただ、ひとりびとりに伝えていくのでは舌対数が足りない。が、しかし、このように複数や不特定の場合は、本来の本当を伝えるのが難しい。やっかいなことですネ。1ミリの世界観というものが存在する以上は、その心意気を伝えなければならないのでするそして、それが、伝えられたときには、その理屈をものにして欲しいのではありますが、そのことが、より難しいというのもまた、ほんとの話なんですネ。お化粧をする心というものをどのように捉えているのかで、解釈はまったく違ったものになってしまいますからネ。丁寧に伝えても、それを菊川に、その気がなければ、何も伝わらないのと同じ。いつも、このようなジレンマに陥ってしまいます。が、もしかしたら、それを楽しんでいるだけなのかも知れませんネ。ワタシの本当は、伝えられればそれだけでいいので、自分という人間の存在は、それほど大切ではないのです。ですから、ワタシを気に入って欲しいなどとはのぞんでいません。人間って、意外にそなにことで左右されますよネ。
2013.07.21
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絵画のごとくに描くものではないのだが、描くという言葉のほうが適切なのだろうと思う。しかし、自然にあるものをほったらかしてでもというわけではない。お顔の表情のあるようにするのがいいのだが、自分で自分というものが理解できていなければ、それもおぼつかないということになってしまう。年齢を重ねるごとに自分というものが見えなくなるのか、見なくなるのか。個人。は個人ではあるのだが、例えば、誰それさんの奥さん。とか、個人名ではない人称をされる場合は、その相手の人格までをしょっていることになる。その場合、が一番の問題なのです。自分個人の責任というものは、自分で負えるものですが、その他の重荷は負えない場合もある。否応なしにおわされている。その場合の重圧は、誰も感じてはいないようだから、問題にはならないと思う。ワタシは、そういった、目に見えない重圧も全てを込みで自分という個を作って欲しいと思います。そんな流れの中にキレイというものが存在するのではないだろうか。そして、眉の作り方などを考えて、自分という個を作っているのだとは思うのだが、それは自然なのだろうか。誰かのマネをしているだけなのだろうか。はやりだから、そのようにしているのだろうか。それは、個性ではないと思う。個性は、自分のオリジナリテイを発揮したときにだけ言えるのではないのか。また、そうあって欲しいものですネ。たかが眉、されど眉なのです。
2013.07.21
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ワタシの中での眉という存在は、メイクの仕上げをするものとしてだと思っています。眉の出来いかんでは、そのメイクの完成度が分かれるくらいにですネ。では、そんなに違うのか?の問いには、否!でしょうけれどネ。見た目は、そんなに変わりはしないんです。表情がまんまならです。その表情に喜怒哀楽が加わった瞬間に崩れてしまうのが、完成度の低さというだけのことですから。そこまでのものを求めるのは、いかがなモノかでてもあるでしょう。まぁ、一人くらい、こういった拘りを持ち続けてもいいんじゃないでしょうか。だからといって、ワタシがみなさんのお役に立てるかどうかなんてのは判りませんが。ただ、こういった発言を通じて、人それぞれが、いろんなことを考えて、自分のキレイを目指して貰えればいいなあというだけのことですからネ。こういった発信をすること自体が、ワタシの心を鼓舞しているということですから。もう止めようと思ったら、止めてしまえばいいだけのことなんですネ。止められない理由としては、昔、4年半くらい眉を描くということで悩んだ時期があって、その結果に導き出されたことをより追求してきたということだけなんですネ。それを自分がどう思っているのかということですネ。
2013.07.21
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ネットで注文した品物が何点か足りないが届いた。ものは、今使う夏物の色と柄と素材のバッグ、ドルマンスリーブのプルオーバー、いんなーのタンクトップ。これは、全て奥さんのもの。こういったものを押しつけて喜んでいるワタシはなんなのか。こういったことの本意はどこにあるのか。実は、特には無いのですネ。こういったものというものは、ものであって、それ以上でもなければそれ以下でもない。というものなのですからネ。ただ、意味があるとすれば、一瞬見せる奥さんの目の色。ですネ。その結果の先にあるのは、奥さんのお洒落心がすこしだけ動く。ということではないでしょうか。ですが、そういった一瞬のものというものは、それだけのことであって、その先は、毎日の日常が脈々と続くのですネ。ワタシは決してもの至上主義ではないと思っていますが、ものの役割というものには、期待しているものもありますし、また、それを利用しての人心操縦というものも期待しています。奥さんは、そういったワタシの心の中の要求を否応無しに受け入れてくれているわけですから、ある意味申し訳ないなぁというのが本音ではあります。ワタシが勝手にきにいったものを、おしつけているだけですからネ。これも、大袈裟に考えるのならば、キレイを手に入れる為の算段ということなのですネ。
2013.07.21
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拘って他人を観察してみると、それぞれの歴史というものさえ理解できることがありますネ。特にテレビに出るような人はです。その変の個人でも、それはみることができますが、良く知らなければ、比べることができないので、歴史までは無理ですネ。ワタシの拘りは、その人をキレイにすること。ですから、無理に過去の歴史は必要ではないのですが、その人が、普段どのようにしているのかを知ることはだいじな要件になりますネ。たいしてイジらなくても、少し手を入れただけで、その人の雰囲気を変えることはできます。しかし、ほんとの目的は、ワタシの手ではなく、その人が自分でできる。ということなんですネ。ほんのすこし。それがだいじなんです。たくさんいじって、その人が違和感を感じてしまえば、その瞬間に、その人にとって、それは変。ということですから。どんなことも、その瞬間ということの積み重ねですからネ。人間、その気持ちを大切にすることの積み重ねで、結果は地がつて来るということを知ると、その瞬間を疎かにはしなくなりますよネ。どんなことでも、必ず結果を導き出すものですから、ひとつひとつの感性を大切にするようでありたいものですネ。見られていることを意識の中に持てると、自分でメイクをする瞬間に、いつもと同じ。ということが少なくなるはずなんですネ。その日の気分というものもありますが、丁寧にする習慣さえ持てれば、間違いなく、自分で納得のいく結果をだせるはずですからネ。
2013.07.21
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皆さんは人の眉を注意して見ることはあるだろうか。無ければ、是非、そのようにしてみてください。ワタシの言わんとすることの意味が否応なしにご理解いただけると信じています。人がそこにいる限り、その人々の個性というものが表現されていますからネ。人々のひとりびとりが、それはそれていいのではありますが、果たしてそれが、ほんとの個性になっているのかどうかは、判りませんネ。特別な問題ということではなく、人を観察してみてください。そして、その観察の仕方として、眉を見比べる。ただそれだけのことなんです。その上で、ひとつの答えが導き出されたのなら、それはそれで答えなのですネ。はやりに流されるのではなく、自己観察の結果に導き出された答えが、そこにあるのなら、それは唯一無二の答えなのですネ。人は、一卵性双生児といえども、骨格のありように違いが存在する。そして、それは、その上の筋肉組織の違いを生み出しますから、それらが個性というものを表現するのですネ。世界でひとつだけの花というのは、そういうことなんです。たかが眉、されど眉なんですネ。
2013.07.20
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メイクにおける眉だけを見ているわけではないんですが、叔母さん達の眉などは、ほつたらかしとか、極端にお化粧!ってしているとかで、なんかなぁーって思っちゃいます。一人ずつの人生があるのだから、皆それぞれでいいのですが、見せるという意識もあってはいいのではないだろうか。誰にも見ていられるわけじゃあないんだから、こんなもんでいい。そうではないのではないでしょうか。自分が見ているのだから、自分を誤魔化すのはよくないんじゃないか。神様よりも、自分のほうが自分に近いはずなんだからですよネ。意外と、表情の表現には、眉のちからがあるのですネ。だからと言ってそれだけを強調するのはどうなのか?というようなジレンマをいつも感じていますネ。キレイな人の側にいるのは気持ちがいい。だけど、そうではない人の側にわざわざと近寄ることはしたくはない。まあ、そんなことばっかり考えているわけではないのですが、意外と自然にそのような取得選択をしているのではないでしょうか。ワタシは、そうであっても、そうでなくても、できるだけ人の側に近寄らないようにはしていますが。その理由は、客観的に観るという意識のほうが強いからです。そして、その観察を、分析するのが好きなんですネ。そして、その結果をこのように描き込んだりしながら、自分の記憶に留めるようにしていますから。
2013.07.20
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その気になって、テレビの出演者や人々を見回してみたらば、逆上がりの眉が六割くらいに感じました。ジェジェジェです。はやりというのは、誰の手でも止められません。手放しで、見守るしかない。というのが事実なのでしょう。ワタシは、勝手に思っていました。必ず人をキレイにできる日がくると。でも、今は、ガクゼンですネ。ただし、諦めたわけではありません。今年の発念が難しいというだけで、絶対にダメということではないのですからネ。諦めるのは簡単ですが、そういったことでの逃げをしてしまうと、人生、そんなもん。と、自分で要ってしまいますからネ。現実と、自分の理想は、ギャップがあって当たり前。そんなことは、この歳になれば判っているはずですから。ところが、年齢を重ねても、ワタシという人間は、わかってないみたいなんですネ。でなければ、このように、ブログへの投稿をするはずがないですしネ。何を考えているんだとおもいながらも、このように書き込みをしていますから、面白いのかも知れませんけれど。
2013.07.20
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眉の形というものへのワタシの拘りは、眉頭、眉山、眉尻のありかたで表現をするということ。その存在は、主役が眼ということですので、あくまでも脇役という役処を演じる必要があると思います。では、脇役はどういったことを弁えるのかといえば、しっかりと、その所在を見せながら、それでも、自ら動くものではない。といった役処なのではないだろうか。メイクにおける眉は、ともすれば簡単に処理してしまうが、それは、メイクそのものに役処というものが無いようなものなのではないだろうかと思う。ひとつひとつのパーツには、その意味があり、それらが総合して役割をこなすから、態勢が整うということなのでばないだろうか。メイクは、その人の心を映す鏡のようなものなのですから、自分を大切にするのであれば、適当ということではないだろう。そういった考えの中で、眉の存在というものが、ワタシのメイク感では、かなりの主役の座を占めていますが、だからと意って決して表に出そうとするものではありません。むしろ、できるだけ自然にありながら、その存在を示すということをこころがけて貰いたいなあと言うのが、ワタシの主張ですネ。
2013.07.19
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自動的になされているもののはずなんですが、場合によっては、そのリズムが崩されるということもありますネ。どんな場合かというと、一番多いのが、今の季節のお肌の洗いすぎ。汗をかいたり、ベタベタとした感触になつたりと、それを嫌がって、洗顔剤を使っての洗顔。お水だけでも、ある意味洗いすぎになってしまうのに、洗顔剤を使って、サッパリした。と思うことに問題があります。本来、必要なだけ新陳代謝されているのに、いやおうなしにそせられてしまって、そのリズムが狂うことにより、ただしくあるべきものが、そのありかたを見失ってしまって、狂ったリズムになってしまう恐れがある。ということなんです。それは、今の季節だけにとどまらずに、つづいてしまう危険がありますから、適切な洗顔というものを心がけるようにしてほしいものですネ。洗いすぎは、メイクをしている場合は、ある程度はガマンをするので、それほど心配はしていませんが、ノーメイクの場合はね洗うのが簡単にできちゃいますから、つい。というかんじでやってしまいますネ。そのときに起こりうることに、新陳代謝の異常というものがかんがえれられるということなんですネ。男性にも、そのような傾向がみられますが、化粧品メーカーが売り出すシーエムの責任というものが大きいですネ。ある意味仕方のない話ではありますが。
2013.07.19
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時代を感じるのが眉。ですネ。で、今のはやりのかたちは、逆上がりのような眉。女性の世間への進出があるのかもしれませんが、きつい感じのする眉の形は、ワタシにはいただけませんネ。眼を優しく演出することで、それがキレイに通ずる。という考え方をしているワタシにとっては、眼がつり上がってみえるような錯覚をさせるような、逆上がりのような眉は、ガッカリするだけです。キレイという言葉の中には、ワタシは、柔らかさや、優しさが籠もっていると思っていますから。宝塚でいうところの男役的なイメージのする逆上がりをしているような眉は、決してキレイではない。と思っています。何故にして、今、そのようなのか。は、考えつきませんが、女性の名かの変革がある。とも思えますネ。それならそれでいいとは思いますが、いつの時代にか、それを見たときに、あぁあれはなぁー。となりそうだから、今から警告をしたいと思いますネ。ワタシは、キレイをテーマにしていますから、自分のキレイを一番だとも思っていますからネ。
2013.07.19
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かいてもかいてもかく場合、イライラしたりするかも知れませんが、そうならないようにしたほうがいいですネ。健康という観点からは、汗をかくということは大切なんです。そして、その汗の内容によつては、自分でも、自分のいまが理解できるということでもありますしネ。そして、汗をかく時期は、そうなんだと考える必要など無いのではないか。という考え方をキレイに置き換えてみるといいですネ。キレイは、感性の問題なので、そのことを意識しているうちは、キレイという点に達してはいないのではないだろうか。自然に、取得選択をする感性でいるからこそのキレイなのだと思いますネ。問題を、自分に定義し、それを結果を出して、ひとつひとつ解いていければ、そのうちそういった点に辿り着くことができると思いますネ。キレイという点は、いろんなところに存在するのですから、自分さえよかったら、それでいいのではないかと思いますネ。今日もキレイでいる。という意識が大切なのかも知れませんネ。
2013.07.19
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当然のことで、やっておかなければなりませんネ。何の話かというと、秋口になって、空気の乾燥というものが始まれば、当然そのことによる肌荒れ。ということに慌てることになりますから。判っているのなら、何故今から手を打たないのか。ということなんです。空気中に湿度が潤沢にある状態の今は、何の心配も無い。と考えているのであれば、そうではないということを知って欲しい。つまりは、ゴマかされているだけで、自分のお肌の本質はなんら変わってはいないのだ。という認識が欲しい。では、どうするのか?当たり前のことですが、簡単な時ほど、丁寧にする。人間、つい楽を覚えると、何故か、そのほうがよくなってしまうものですネ。そこが問題なんです。楽をすれば、その分の苦はかえってきますから、いつでも同じように丁寧な心構えは大切なんですネ。つまり手を抜くときというのはないもんなんですネ。目先の欲だけとか、簡単にとか、美的生活には存在しないはずなんですネ。結果として、楽ができることはなくはないのですが、それを初めから求めるようでは何の答えも出ない。ということを知っておかなければだと思いますネ。美は、結果論ではないのです。計画的に求めてこその結果なのですから。
2013.07.18
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ものごとが何事も計画通りにいくとはかぎりませんが、計画性を持っての生活は必要なのだと思いますネ。全てがまかなえるわけではないものの、ある程度の完成度は保証されていますよネ。それらは、長い目でみてのことを考えるのなら余計ですネ。美的生活は、それが大切なのだと思います。漠然としてケアなどではなく、いまはこうだからこうする。だけではなく、こうなったらこうする。が前もってすり込まれていれば、慌てずに対処できるし、トラブルもすくなくなる。こうなる予定。は、決定ではないので、変化が伴うこともある。そうすると、計画は変更を余儀なくされるが、計画の段階で、アバウトには、変更も折り込み済みということさえできますネ。美的生活は、この予定的な行動が何パターンも用意できるということで、突発的なことへの対処が、意外と簡単に対応できますネ。なおかつ、予定的なことがスムースにできるので、精神的には余裕も生まれますから。結果だけを求めるのではなく、生活の流れの中で、より完成度の高い美的生活を求められるのではないかと思います。例え、一日前でも時間的余裕というものを生めば、そのぶんだけの精神的な余裕は、身体への負担すら減らしてくれますからネ。その結果が美的生活ということになるでしょうから。心のあるがままにがベストなんですけれどネ。
2013.07.18
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おでかけの前のヨシッという一言に、エライなぁと思います。奥さんは、昨日はお休みで一日中グデッとしていましたが、今朝のおでかけ前の一言で、自分を鼓舞するかのような一瞬を餅、元気良くでかけていきましたが、申し訳ないという気持ちと、有り難いという気持ちの真ん中でいますネ。ワタシは、今のワタシのできることを精一杯やるだけのことなんですけれど。マインドコントロールとしては、前向きに考えるということとと、明日のことだけをみるということですネ。そして、バックアップのできることは全てに関わるということですネ。キレイでいるということの意味は、隠れている部分に余裕があることが必要なんですネ。ワタシは、そのことだけを考えることが、今はできるはずですから。そのようにワタシはワタシのマインドコントロールをすることで、自分というものを成立させているということなんですネ。そのような積み重ねで、結果として人をキレイにできるのであれば、それはそれで意味がありますからネ。マインドコントロールということの意味は、それぞれがそれぞれの意味を知っているのかどうかということでもあるのですから。
2013.07.17
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どんな表現がナチュラルと言うのかは、人それぞれの意見の分かれるところでしょうが、ワタシの推奨するナチュラルとは、できるだけ人それぞれのあるものを利用し、作り替えるということではない。言葉にするとこのようになりますが、それぞれとは、このようにするという目的あってのメイク術ではなく、なぞる。くらいのもので、それぞれの個性を引き出す。という感覚ですネ。それは、ひとつひとつのパーツだけを指すのではなく、モノの使い方や、お顔の洗い方などもが、すべてそのような方向を向いて行うという感覚なんですネ。全てのことがらがそのようであることで、出来上がりは、いつも自然なんですネ。これみよがしに、ここ!!みたいな必要は無いのです。年齢がいけばいくほど、そのような感覚を持って欲しいと切に思います。オーバーメイクの中年女性をみかけると、それだけで悲しくなってしまいます。あなたは、何を学んできたのですかと。どれだけ大勢の人々と行き会ったのか知れませんが、いろんなことを学んだことだと思いたいのですが、結構な確立で、残念!な人に行き会いますネ。そんなにぬりたくっても、なんのことは無いのです。誰も、それをキレイ!と認識はしませんからネ。自分を磨くとは、人から学ぶことでもありますからネ。特に暑苦しいのは嫌!!ですネ。
2013.07.15
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紫外線がこわい。ということで、ついつい厚塗りになってしまう。そうなんですネ、人間の潜在意識というものが、そのようなことを招きますが、どんなことにも言えるものですネ。ということは、潜在意識への刷り込みができるならば、キレイへの道も造れるのでは。そのことをマインドコントロールといいますが、強い意志だけではなく、自分を観るということにより、そのようなことは磨かれるものなんですネ。まぁ、周りとの確執などがあるような問題以外ならば、どんどん自分に対しての刷り込みをするといいと思いますネ。その結果、自分を確立できるのであればいいと思いますネ。美というものへの飽くなき情熱や、自分でできる努力を惜しまない。といったことが、確立できれば、それだけで、道の第一歩と言えるでしょうから。努力は裏切らない。ということを信じられれば、キレイを手にすることはできます。他人へ対しての文句を言わない日々というものが大切なんだと理解できるようであれば、その瞬間から、自分というものへの意識の変革に繋がっていますから、その瞬間を努力なんだと気がついて欲しいと思いますネ。毎日のルーティーンをつくるのは、そうした一瞬の積み重ねなんですネ。
2013.07.15
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実用的なことは、それぞれの人々の問題なので、細かくはふれませんが、結果として、気持ちの中にどれだけのお洒落度を持っているか?によって、その実用性も、単に合理的なことになってしまうのか、そこにお洒落心を持ち込んでいるのかで、暑さの乗り切りかたの違いがあるのではないでしょうか。あと二ヶ月くらいの暑さが続くものとして、そのことを意識の下に置いておけるのか。日一日と、その日を淡々と過ごせればこそ、あっという間に過ぎたと言えるのだと思いますネ。人間、気象のありかたで、意外とむしゃくしゃしたり、妙に短期になったりして、つまらないトラブルなどに見舞われてしまうことがありますが、ワタシ思うに、君子危うきに近寄らず。ではないでしょうか。そんな時ほどマイペースでいければいいのではないかと。つまらない気遣いをしたりするよりは、しないほうがかえって何事もなく淡々といけるかも知れませんネ。美的生活とは、そのように、何事もなく、自分のペースで淡々とが、精神的には安定するのだと思いますネ。年間を通じても、必要な時以外は、なにもなくていいのではないかと思っています。毎日をルンルンで過ごす秘訣は、マイペースなのかも知れませんネ。
2013.07.14
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とのタイトルだけが決定しているのが、ワタシのホームページなんですが、開設はのびてしまいそう。内容はともかく、目標からスタート。どんな結果を求めるのかという目標がハッキリしているのが大切なんですネ。足をその方向にむけるからこそ、その方向へ進むことができますからネ。毎日の潜在意識の中にそのような目標を持っているからこそ、毎日の些細なことの積み重ねというものが結果をだすということになります。モノは使いこなしてこそモノなんですが、意外と、持つだけで満足する人は多い。そして、変化を楽しむのではなく、毎日の安定を繰り返す。きっかけがあっても、それを大事にしないなんて、変でしょ。周りの観察も大切だし、自分のことも気をつけて観察するのも大切ですから、それらの継続をすることに意味がありますネ。誰しもがキレイでいたいと思っているはずなのですが、そのようなことの繰り返しを本気でしているのかが疑問ですネ。毎日がなにごとの変化も無く過ぎることは、とても大切な時間の経過ではありますが、その中に、せめて自分のことくらいは、意識しながらの変化を加えてもいいのではないでしょうか。目に見えてのことばかりが必要しはいいません。ミリ単位の進歩でいいのです。自分を高められるのであれば。
2013.07.13
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汗をかくからと、日に何度も洗うのは、よしましょう。洗うということの諸刃の剣の意味が存在します。結果オーライではなく、そのような気遣いをすることが必要なのだと。キレイということの為には、自分でしか守れないということを。暑いことから逃げられる人は、にげましょう。それができない人も、そのことへの対処を真剣に取り組みましょう。どーせとか、ムダだからとか、努力する前から投げやりになるのはいけませんよネ。これからまだまだ暑さはつづくでしょうけれど、そのことへのガマンだつたり、なんらかの対処は、自分でしかできないのだ。と思うしかないと思いますネ。何度も書きますが、洗い流す。という作業は、一見気持ちいい。なのですが、そのぶんだけ、お肌への負担になる。ということを知っていて欲しいですネ。タオルでポンポンとたたきながら取る。ということが、お肌への負担が一番少ない方法だと思います。ですが、出るたびに取ってしまうと、お肌の表面が赤裸。という状態になりかねませんから、そのことも気をつけてですネ。
2013.07.12
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自分の為には、そのような心のありかたも大切なものなんです。その時々のご都合主義などではなく、想いつづけるような熱い心が。キレイというテーマは、永遠のものなのかもしれませんが、そのテーマを追い続けるだけのことなんです。ワタシは、そのことができますが、肝心の相手が、そのようでなければ、いかんともしがたいということなんですネ。そう、お客様が肝心なのですネ。もっとも、もう現役の美容師ではないので、お客様はいません。仮想の空間があることで、ワタシのキレイというテーマは維持できますから。女性が美しくいることで、周りの人の心をキレイにすることだって出来ますからネ。そのことを、伝えつづけることで、必ずそのようなことを、本気で伝えられるようになると思っていますから、必ずそのような日がくることをしんじています。こんな話をするつもりではなかったと思いますが、ついしてしまいましたネ。
2013.07.11
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自分の満足をいかせる為だけのこころづもり。それはそれでいいのではないか。自己満足の世界というものを理解しながらも、それを出来得ずにいる人のなんとおおいことか。そのばそのばでしかできないと言えばそうではあるのでしょうが、心のありかたで、そのようなことは、どのようにでも加減出来るのではないでしょうか。自己表現などというものは、自分勝手でもなりたつわけですから、どんなほうほうでもいいのです。ただし、そこにこころあらざけば否。という観が宇方を言おうとしているだけなんですネ。キレイというものの価値観は、自分次第なのですから、どんなさまでもいいのでしょう。そこに、自己満足が出来得るのであれば。毎日の生活の中には、自分ではどうしようもないことのほうが多いとは思いますが、それを悔やむのではなく、出来ることをできるだけしようとする心があればいいのだと思います。毎日の中に、そのようなことを持ち続けられるようであればこそ、キレイという世界観を持つことが出来得るのだと、ワタシは信じています。こころから派生する勢いというものは、精というう言葉に例えられるような真摯たるものであるような気がしますネ。そういうものを大切にすることで、キレイという世界観を作れれば、自分の満足のいく世界をつくれるのかもしれませんネ。
2013.07.11
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ほんとにそうだなぁと思いますネ。最後の最後までが、その一瞬なんだと信じて、そのことを意識し続ける。全てのことがらに通じることだと思います。いいことだと聞いたならば、それを実践し、結果がでたにらば、それを続ける。そんなことの繰り返しが継続。自分で発案するもよし、人からの摂取もよしではないのか。自分が進歩するのであれば。そんな考え方をメイクの世界に持ち込んでいるのがワチシの考え方なんですネ。常に考え、常に人を観察し、分析をし、総合し、応用を考える。そんな当たり前のようなことの繰り返しを日々毎日続けながら居る。そのことによるここちよさことが、シアワセという世界観なのだと思っています。もちろんそのほかのこともあるのでしょうけれど、そのように自分の世界を作り続けることも大切なのではないでしょうか。そんな世界観から派生する美意識というものが、自分の周りに波及していくことを感じられればいいだけのことですから。自分の手に負えないものは、諦めるしかないので、そんなものだと思えますしネ。できることをする。そして、それを続ける。継続こそちからなりと信じて。それらの結果論は、皆それぞれなのですから、そんなにその結果は意味がありません。やることがだいじなんですネ。
2013.07.11
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AKB以来に、それが浸透してきたのだとワタシは思っています。それは、それで、いいことなんですネ。行き過ぎメイクよりは、その人らしさが表現できるのですから、後は、その人の個性の努力で人物像がかたちづくられるということでもありますネ。メイク術なるもので、誤魔化してしまっての美形作りには、ほとほとうんざりしていましたから。ただ、どんな時代も、時間をかけて熟成するものですから、それが本物になれるか同化は時間の経過というものが必要なんですネ。いわゆるプロと呼ばれる人たちのメイクは、それはそれなんですから、別に何の違和感も無いものではありますが、素人といわれる人たちが勘違いをしてしまって、それが闊歩していただけなんですネ。それらの棲み分けというものがなされるのであればいいのですが、世の中は、なんでもありですから、玉石混合のままなんですネ。あとは、その人の自覚であったり、一挙手一投足の意味を理解しての意識の問題ですからネ。ナチュラルメイクの難しさは、自分というものをどれだけ理解しているのかが分かれ目ではあります。基本がなければ、応用なんてありませんからネ。接客を主とする人たちが、それらのことを感じてくれるといいなあと、思っています。これみよがしの顔よりは、一歩控えるくらいの自然さが、優しさを醸し出すのだと思います。
2013.07.11
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自分のことを間違って認識するのを錯覚と言う。のではありません。のように見えるという意味を錯覚という言葉で表現するのが正しいのかなと思っての言葉です。人が、すぐ側にいても、違和感がない状態をつくれれば、そのことは錯覚と言えるのではないかとも言えます。そのようなことを意識して作れれば、それはキレイということと同義語でもあります。つまり、手の届かない状態ではなく、手が届きそうでいて、届かないという事実が側にある。という状態。ワタシの考えるそのシチュエーションは、レジ前のその瞬間だと思えます。そして、さの時の違和感の無さは、居心地のよさにも通ずるのではないかと思えます。では、何故そのように思えるのかは、そのレジ係の方の対応のありかたなんだとは思いますが、その時のメイクのナチュラルさというものを常に考えますネ。特別にメイクをする必要もないのに、場違いのような人もいる場合もありますが、大概は、ナチュラルではないかと思います。ただ、足りないものに笑顔がありますネ。その笑顔はただなんだから。と思います。それぞれの仕事への姿勢というものなんでしょうけれど、錯覚をおこさせるくらいに自然で、かつ、いい対応をしてもらえればいいなぁと思っていますネ。それこそ、また買いにいきたくなる。のかも知れませんネ。
2013.07.10
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のように見える。これこそが、メイクの目的であり、結果論だと思います。ということは、のようにが何なのかがハッキリしていなければ、漠然と進むだけということになりますネ。のようにとは、自分の中にある形の無い目標なのです。で、形が無いものを目指すわけですから、自分の中に明確なものをこさえる必要があるということなんですが、ある意味の自覚ということですから、自問自答を繰り返し、自分をどのように表現したいのかということを確立しなければならないということなんですネ。言葉遊びのようではありますが、形の無いものを表現するということの説明は、自分でしかできない世界ということでもありますから、それぞれの人々の心のありかた次第ということでもあります。具象的であればこそ、あーだのこーだのがありますが、偶像的なものを指しているわけですから、これだ。という説明の難しさはありますネ。わたし思うに、錯覚というものは、感性のもんだいなのではありますが、実際に手に取るということが出来ないだけで、のように見える。は出来得るものなのですから、自分の心の中に、明確な目標を持って、努力をすることでしか掴むことは出来ないと思います。まあ、絵に描いた餅のようなものかも知れませんが、自分の中で納得できるまでが勝負なのです。
2013.07.10
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無尽蔵に流れ出る。なんて思ってないですよネ。汗は、でた分の水分補給が要る。ということなんです。ですが、でたものは、やっかいもの扱いですから、そのあたりを気をつける。ということが美容では必要なんですネ。まず、ゴシゴシふき取る。これはしないほうがいい。ポンポンと叩いて取る。これが望ましい。それから、やつかいもの扱いをし、次から次ぎへとやたらふき取る。一見、気持ちいい。ところが、その瞬間にお肌は、むきだしの状態になるので、空気中のカビや最近がくっつきやすい。目にはみえないのですが、空気というものは、実はやっかいなものなんですネ。だからといって、無菌状態の場所にいることなんでできないのですから、ある意味野性的でなければならない。日になんどもシャワーを浴びる。などと、キレイの代表のように言うが、取りすぎは禁物なのですネ。度が過ぎると、取り返しがつかないということになりますから、自分なりに限度をもちましょう。お肌の表面は、分泌された皮脂と汗の水分で覆われていてはじめて正常なんですネ。その皮膜をやたらめったら取りまくる。ということは、常にむき身になつてしまいますからネ。ものごとには、理由があります。汗をかけるということは、実は健康のバロメーターなんです。ある程度の年齢になると、その汗がでにくくて、熱中症などというものをよんでしまうことだってありますからネ。気持ち悪いだけではなく、それもありなんです。堅実な対処を。
2013.07.07
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汗でメイクがとれてしまう。そんな時は、素直にギブアップするのがいいと思います。お直しをしようにも、元がグチャグチャならば、いかんともしがたい。どうしてもなおしたければ、クイッククレンジングを。コットンに水を含ませ、固くしぼって、化粧水を含ませ、メイクを落とす。下地がなければ、そのままコンパクトで。このような応急処置もありなんです。部分メイクもしかり。無理して取らなくても、周りを丁寧に押さえれば、なんとかなります。用は、その時だけしのげればいいのですからネ。もともとが、メイクの持続時間などというものは、せいぜい3時間。そのくらいの割り切りがなければだと思いますネ。それを長持ちさせようというところに無理がありますから。まぁ、仕事中に、お直しする時間なんてと思うのなら、それはそれで仕方のない話なんです。ものごとは、それなりのなりたちというものが有る以上は、その法則に従うのが正論でてすしネ。正しくはというものと、応急のものは別ものではありますが、両方に忌みが存在しますから、両方ともは認めるしかないですネ。そう言う意味では、両方できるほうがいいのだと思います。
2013.07.06
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実は、それどころではない状況がうまれてしまった。わたしが草むしりをしましたところ、左足の裏側の筋肉に、帯状疱疹が発生。結果的に、昨日まで、痛くて動くのも嫌なくらいでした。今日も、まだまだではありますが、動くようにしないと、もっと大変なことになりそうな状態ですネ。この付近の天候はね午前中が雨の予報。午後は暑くなりそう。従って、外へはでかけない。ということになりそう。ワタシがこの状態では、フェーシャルどころではないですネ。それどころか、いろんなことで、奥さんにお世話になつてしまっているのが現実です。監視やではありますが、何もできないということのもどかしさがありますネ。できるだけ早期回復を目指します。草むしりくらいでと、悔しいのではありますが、体調の不安があつたりする場合は注意すべきでしたネ。
2013.07.05
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