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表情を操ることもメイクテクと言えるのではないでしょうか。 一番は、唇の使い方でしょうか。 特に口角のありかたで、その表現は決まるのだと思いますネ。 ようはしゃべる時のことですネ。 ハッキリとした発声をしながらも、口角は、常に意識して上がるようであること。そのようであることで、その表情がハッキリとし、更には、眼の輝きというものが確保できますからネ。 メイクというと、塗ることと思いがちだと思うのでが、その前のこうした身体の使い方というものが身についていれば、なを、完成度の高いメイクができるのですネ。それぞれのパーツにそれぞれのテクは要るのでしょうが、それらは、そんなに難しいものではありませんからネ。 その前のイメージというものが明確であればいいだけのことですから。
2013.11.30
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テレビドラマの話、主演女優の眉がいままでより、よりシヤープになっていた。 この女優さんは、割と好きなほうなんですネ。 女性としてとかではなく、役者のキャパがいいので。 で、眉も注目してみてしまうのですネ。 演者なので、そのひとに文句をつけるつもりはありません。 が、それを見て、視聴者が、あれでいいんだとマネをするのが困りますネ。あくまでも、演じる人と、現実の人のメイクには差があって当然なのですが、現代は、その垣根がなくなり、なんでもあり。の世界なのですネ。そのことは、人が自分というものの立場をを正確に理解していないことによるのですが、まさか、こんなひとは、こんなメイクをしてはいけない。などと、きまっている訳では無いので、なんでもありのようになっているっていうのが現実ですよネ。 ワタシ思うに、バーチャルの世界と現実をはき違えているってことにまでは、誰も考えないのだから、いたしかたないのでしようねェ。事実は小説より奇なり。なので、現代に生きるには、そのくらいの割り切りは要るのでしょうが、みたくないものは見たくないですネ。 で、しかたないので、嫌な感じの人が居る場合は、すみやかにそのばから離れるようにしています。
2013.11.29
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テスターを使う場合には、手の平や、手の甲の一定の場所を使ったほうが、その使用感を比べることができますネ。 ということは、なんでもかんでも比べるのではなく、自分に必要なモノをチョイスして、二種類くらいを比べればいいようにすべきなのでしょうネ。感覚的には、自分のイメージというものが完成していれば、その程度のチョイスはできるはずですからネ。メイクを楽しむ為にも、自分の持ち物は、納得のモノを持っていたいですからネ。毎度同じ事を言いますが、ワタシの経験上、化粧品というモノは、ブランドや金額で選ぶのではなく、使用感が納得できるのであればいい。 ということは、自己責任ですからネ。 そして、そのようなモノには、過度な期待をしないように。 自分の身体の維持管理は、自己責任ですからネ。 モノには、特別な力はありませんから。 それをどのように使うのかをチョイスするのが楽しいということなのですからネ。 楽しむは、所詮、趣味の世界だったり、道楽のたぐいにすぎませんからネ。メイクは、自分の心の為にするものであって、人にみせる為のものではないと思いますネ。
2013.11.28
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モノを購入する場合にテスターを使用してみますネ。 その時には、そのモノの感触というものがありますが、その結果を、自分の好みで選べばいいだけのことなんですネ。 それが、結果として、メイクの仕上がりを決めますから。 その感触というものは、あくまでも、自分だけのものだということを認識して欲しいですネ。 だとしたら、その精度を高めることが自分をキレイに導くのだということになりますネ。 僅かの差ではありますが、感触というものを自分のものにするには、何度もトライして、結果をだすしかないということだと思いますネ。 その場合、他人の評価は関係ないものになります。 よく、口コミということを効きますが、それほどアテにならないものはないのだと思いますネ。 自分の感覚が統べたなのだと知って下さい。結局は、自分の為ですからネ。 どの程度のモノが、どの程度の結果を出すのかを知ることで、自分のプランに見合うものかどうかを割り出せるようになるわけですからネ。結果として、メイクを楽しむことができるようになれればいいだけのことですから、何度もテスターを利用して、納得のいくことをしたほうがいいですネ。慣れてくると、あれ?的な感覚が身に付くはずですからネ。
2013.11.27
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最近の売っているモノ達は、オールインワンタイプが多くなりましたネ。料理用の調味料も、そのようなタイプが増えました。 これって、イーズなのでしょうか。 それとも、売らんが為なのでしようか。 それともマルチな考え方なのでしょうか。メイクとは、マルチな考え方をしたほうがいいのですが、モノたちは考え物ですよネ。 普通にメイクをする場合には、できるだけ、自分の素というものを生かすことを考えたほうがいいに決まっています。 メイクを落とした時とのギャップが無いほうがいいのですから。 それと、自分の心を偽らなくてすみますからネ。 キレイの表現なのだから、なんでもあり。と、考えるのか、自分を大切にするのかは、言わずもがなですから。 なんらかの理由で、時間が切迫していて、そのなかで、メイクをする必要がありの場合などは、何分もかからずにできる人と、出来ない人は、その後の時間の使い方が大きく違ってしまいますネ。 まぁ、そんなことはほとんど無い話なのでしょうが、人生、なにがあるのかは、判りませんからネ。 ある意味での、ハラをくくった自分を知っておく必要というものはあるのではないでしょうか。
2013.11.27
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身のまわりのモノを注視してみますと、意外とエージリミットに至ったモノが多いのにビックリしました。 それほど、日常では使用頻度の高いモノは、数少ないのだと。 で、買わなくてもいいようなモノを、衝動買いするのが人間の性なのだと思いました。日常的には、片づけるものは限られていますよネ。 これからは、できれば季節ごとの片づけを努力しようと思いましたネ。このような心境の変化は、なにげにあるものだとは思いますが、メイクなどは、何時も通りではなく、そのときドキのありようでいいのではないかと思います。 と言うより、その時だからこそのありかたでいいのではないかと思いますネ。使うモノは数ある必要は無いのかとも思いますし、最低限のモノでも、応用さえできるのであれば、数限りないバージョンをこなせるのではないかと思いますネ。まぁ、購入の際にはこころがけようかと思いました。
2013.11.27
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今年のファッショントレンドは水玉。 じゃあ、そればっかりかと言うと、そんなことは無いですよネ。 そうなんですネェ、なんでもそうですけれど、メイクも、これだけ。と、決めつけないで、こうでもいいかな?をテストしてみて、ファッションとの融合を、幾重にも、手にすることが大切ですネ。小物づかいを楽しめるようになれば、メイクにも、それぞれの楽しみかたを持つことができるのではないでしょうか。メイクの持つマジックとは、のように。を簡単に演出できることなのですが、それは、ある意味亜流ですよネ。基本として、意識して欲しいことは、自分流、マイトレンドですよネ。いつでも、どこでも、自分流であれば、アレンジも即興でできるし、楽しさもマイブームになること請け合いです。
2013.11.20
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予定の行動がいつもと違う日のメイクは、思いの外、メイクも手が入る可能性が多いと思いますネ。 それは、いつもは、行動のパターンが決まっているので、これくらいという思い入れがある訳なんですネ。それが、予定が判っていない場合は、不意の出来事や、ちょっとしたものごとに対応する。という思い入れがあることで、いろんなパターンを想定すると、マルチパターンなものになってしまうということではないでしょうか。それが悪いと言うことではありません。それも、イメージしていることなのですからネ。 では、そのイメージはどんなことを根拠にしているのかですが、多分に対人関係を想定しているのではと見受けられますが、それはそれで必要なのでしょうが、自分を大切にするという本質を勘違いしているということになるのではないでしょうか。 自分の気持ちという部分を一番に置くことで、その時々の自分を表現することになるのではないでしょうかネ。
2013.11.20
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こうでなければならない。 と、ワタシは言うつもりはありません。 提言しているのは、ナチュラルメイクでと。 では、そのナチュラルメイクとは、どういったものを言うのか。 ですが、自分の持っているものをフルに利用して欲しい。 それは、モノマネメイクではなく、オリジナルメイクというものを目指して欲しいと思いますネ。 個々人の個性というものは、それが輝いた時には、限りなく美しいものなのだと知っていて欲しいと思いますネ。 人それぞれに歴史があり、その中で磨いてきたものが、積み重なり、それが個性となって表現されるものなのだということなんですネ。自分が、そういったものを知っていても、知らずにいても、それは、遠からず、旬と成って、表れるものなのですネ。 意図的にそれを表現しようとしても、その時期にならなければ、決して、表現できるものではないのですけれど、慌てるものではないのですネ。いつかは、必ず、その人の上に輝くものなのですから。
2013.11.18
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毎日のメイクを漫然としているのであれば、それはいかがなものなのかです。自分と、真摯に向き合って、自分のメイクの完成度というものを知ること。 それができなければ、自分を何処へ向かわせているのかが判らないですよネ。自分というもののイメージを捉えているのかが、自分で判っているのかどうかで、メイクの完成度を把握することができるのですから、それなりに程度のもので、妥協するようではいけませんネ。 自分に対してのプロは、自分だけなのですから、常に進歩です。 これでいいと思ったら、そこで終わりですから。 完成度とは、ゴチャゴチャするということではありません。 できるだけシンプルに。 それも、より効果的でなければ意味がありません。 そのように、より、自分を高めるという意識の問題があることで、自分に自信というものが生まれてきますから。
2013.11.18
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ファンデの使い方に、いまいちな気がします。 なじませるという感性が感じられないのですネ。 薄付きだけではなく、なじませるという感性を持ててないと、化粧!!という感じになってしまいますが、本人にその気がなければ、自然に見えるという感じは難しいものだと思いますネ。メイクを楽しむということは、ある意味、自在に使えるということでもありますからネ。いろんなパーツを自在にできる前の問題として、バックグラウンドであるファンデくらいは、自然に見えるようにつかいこなせなければだと思いますネ。 それができていれば、その他のパーツは、そんなに難しいものではないものだと思いますからネ。 メイクの基本は、点と、線と、面なのですから、その面の部分とは、まさしくファンデが担っているパートなんですネ。 確かにコンシーラーなどで、簡単にシミなどは隠せるものなんですが、丁寧さに欠けると、逆効果となる場合もなきにしもあらずなのですネ。毎回その丁寧さを持続しながら、新発見をしながら、自分らしさを追求できるようであればこそ、メイクを楽しむということになりますからネ。自分への新発見の日々をすごしましょう。
2013.11.16
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本来、ワタシの希望は、個々人のキレイを一緒に探すということなんですネ。 ですから、フェーストゥーフェースが一番なんですネ。 ところが、物理的なことや、時間的なことなどから、本気モードでキレイを望む人と行き会えないのが現実なので、ある意味モンモンとしているわけですネ。自分のことを自分でキレイにできるようになれれば、それが一番いいに決まっていますから、毎日、少しでもお役にたてればいいなぁと思いながら、自分の経験値からの情報をつぶやいているわけなんですけれど、情報は、いまや星の数ほどあるので、何がいいのか悪いのかの検証すらままならないのが現実なんですネ。 テレビなどの情報は、テレビという前提で加工されたものなので、一見、判りやすく、本当らしいのではありますが、以下同文的に省略されたものが多くて、ほんとのところが隠されてしまっているという印象は否めないものなんですネ。ワタシの場合は、ワタシ自身が有名人ではないので、なにを言おうが、振り返って貰えないということを承知で言っていますが、全てほんものなんですネ。
2013.11.15
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難しく考えるのではなく、丁寧にすることで、誰でも、キレイなメイクはできますネ。キレイにとは、作りまくることではなく、自分というものの表現ができるということです。メイクは、作ると言うことよりも、自分らしさの表現を心がけてこそなんですネ。誰にもできないことは、自分を見つめるということなんです。そして、自分は、どのような特徴があるのかを知り、それをどう表現するといいのかを考える。 そういった作業が優先的になされて、初めて、メイクというものの手がかりがつかめるのではないでしょうか。 それからが、自分の演出をする作業になりますけれど、丁寧にやりさえすれば、誰でもキレイにすることはできるのだということを知っていて欲しいのですネ。
2013.11.13
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メイクのバックグラウンドであるファンデの薄付きについては、何度も提言していますが、間近で見る機会は少ないので、確かなことはいいにくいのですが、テレビを見る限りでは、依然として厚塗りが多くみうけられますネ。その理由は、テレビなのだから的な意識の表れなのでしょうけれど、普段から、その人たちは、多分にそのようなのではないかと思いますけれどネ。自分のメイクをどのようにするのかは、自分の環境を確認しながら、それに合わせるということをしているのだと思いますが、それだけでは、キレイという世界には手が届きません。 自分で演出することができるのは、メイクという世界ではありますから、それを進化させて、自分の世界を作れれば、それを自分の表現方法というものにできるのですネ。細かくパーツに合わせた知識も必要ではありますが、トータルなイメージを構築することが先決なんですネ。 その際に、目に付くものを優先しながら、把握していければ、メイクというものの真髄に辿り着くことはできるものだと思いますネ。
2013.11.13
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キレイを標榜するのなら、せめて、眉くらいは。 もっとも、眉くらいはではなくて、眉だけはの間違いかも知れませんネ。眉のひとつで、その人の品格までが表現されるのではないかと。キレイというものは、際だつ必要はないものの、そこはかとなく、憂いを内包し、表にはりんとしたものが漂うような気品が感ぜられるようでありたい。その為の部分に、眉というひとつの存在がありますネ。手を入れすぎず、手をいれながら、さりげなくのありかたで、お顔を形作ることができるようであれば、そのひとは、おのずと、キレイを手にすることができるのではないでしょうか。というよりは、そこまでの手をもつことになれれば、ほかのことは、完成の域にたっしているはずなんですネ。 くらいに、大切な部分が眉なんだと、考えて貰えると、ありがたいのですが。
2013.11.13
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眼だけではなく、お顔の形などなどが、眉を形作る為の要因として存在しますが、それがどのようであれ、自分というオリジナルなのですから、眉を人まねして作るというのは、間違いなんですネ。骨格の上に表情筋が存在し、皮膚で覆われて、表情の流れに従った産毛で構成されていますから、その一部分が眉になっています。 ですから、その人だけのオリジナルということができますネ。体格しかり、お髪しかり、いろんな意味の環境しかり、人と同じものはひとつとして無いのですからネ。 自分という人間は、唯一無二の存在なのですから、自信を持って生きるようでなければなのではないでしょうか。キレイという目的は、自分の毎日を彩ってくれますネ。 その毎日のなかに表情があり、そのなかのひとつに眉があるのですネ。 そのひとつずつの集合が自分なのですから、そのひとつずつを大切にする心というものがありさえすれば、毎日が楽しく過ごせるようになれるのではないでしょうか。たかが眉、されど眉なのですからネ。
2013.11.10
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眉だけで、キレイの演出ができるわけではありませんが、その表現の味付けを担っているのですネ。メイクの完成度を決めると言っても過言ではないのですネ。どういったことが、そのようなのかと言えば、全体のバランスだったり、眼が輝いたり、優しさの演出だったりします。 では、それがどのようにすれば自分のものになるのかと言えば、自分の生えている眉を大切にし、その骨子を大切にすることです。 微妙には手をいれる必要はありますが、必要以上に入れないというのが大切なんですネ。 これは、なにも眉だけに限ったことではなく、お洒落心の全体に言えることなんですよネ。自分の骨子を大切にし、そこから発生するオリジナルなものを生かすことこそが、お洒落なのではないでしょうか。 自分のイメージというものを大切にし、そのものを手に入れるということに努力をし、素というもののありかたの完成度を高めることでこそ、キレイというものが手に入るのではないかと思います。では、何故、ワタシが眉に拘っているのかは、ワタシ自身が、そこに見いだしてしまった美があるからなんですネ。 どんなことにも、一点の輝きというものがあるのだと思います。
2013.11.09
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眼との関係性というものを、よーく考えてみて欲しいと思いますネ。眼が心の窓なのだとしたら、その窓を開けるようにしたいですネ。 その時に眉がどうあれば、眼の輝きを表現できるのか? 自分の目をどのように表現したいのか? などなと、自分だけを観ていても判らないようであれば、人を観察してみるといいですネ。 できれば生きている人がいいですけれど、気持ち悪がられますから、テレビのいろんな人を観るといいですネ。 いろんなチャンネルのいろんな時間帯を見てみると、面白いですネ。ワタシは、同じ時間、同じチャンネルを見ていますが、それでも、そのような見方をすることで、いろんな発見がありますネ。 で、ワタシは、作る側の人間ですから、あーしたら、こーしたらと、勝手に考えて楽しんでいます。 いつもこのようなことばかりを考えることによって、現役の発想を維持管理するようにしているつもりなんですネ。
2013.11.08
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全部のモノをこれでもか!!という風に使う傾向は、相変わらずですネ。AKB効果で、少しはライトメイクになって、よかったよかっただったのですが、何故に型にはまろうとするのでしょうかネェ。 多分、日本人的傾向なのでしょうが、いい加減に、そんな部分も国際的になって欲しいものではありますネ。いろんな人種が混在する地域とは言い難い国なのでしかたない。と、言ってしまえばそれまでですから、それを言い訳にしたくはありません。 確かに、周りを見て、それに近い風をすれば、それなりにかも知れませんが、全てがそんなものなんでしょうか? メイクなどは、自分を中心にできるものの最たるものではないのかと思いますけれどネェ。自己満足の世界でいいですから、ジックリと取り組んで欲しいものだと思いますネ。
2013.11.07
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眉をスッキリとするとキレイ。と考えるのは早計ではないでしょうか。全部がスッキリとするメイクは、キレイ。ではなくて、お人形のようなものではないでしょうか。 そういった美もあるのでしょうが、完成度は低いですよネ。はじっこを、キチンとすることで目に見えないような始末をつけることができますネ。 しかし、眉だけは違います。 眉の周りの産毛の処理は、し過ぎてしまうと、キレイ過ぎるということになるんですネ。 ですから、産毛を残しながらの手入れができるようになれれば、メイクの完成度を高めることになります。メイクは、過ぎないくらいの完成度を目指して欲しいと思います。
2013.11.06
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お天気で気持ちも左右されちゃいますけれど、それは人間の本質なので、いたしかたないのかなと思います。 要は、気持ちのもんだいですからネ。メイクも、そのようであるのではないだろうか。 それはそれでいたしかたないと思います。だから、こんなもんでいいんです。的な、手抜きのメイクは意味無い話なんですネ。 なんでもかんでもを、いい加減なんて言う言い方は、自分のだらしなさを、言い訳しているにしかないのですからネ。せめて、自分でコントロールできるものに対しては、ちゃんと自分と向き合いたいものですネ。 キレイでいることは、心のもんだいなのだと思います。 誰かがみているのではなく、自分が見ているのですからネ。言い訳を用意しながら、自分の行動を当然とするのではなく、結果がすべてでもなく、そのプロセスに心を添えながら、メイクをするようでいて欲しいものだと思います。年齢にもよるのでしょうが、おばさんと称されるには、それなりの理由もあると思いますネ。 折角の経験と、年輪を利用しないのは、いかがなモノなのか。衣装にしろ、メイクにしろ、このくらいでいいやは無いのではないでしょうかネェ。ワタシの周りは、そんなことばかりではないとは思うのですが、なかなか、それなりの御仁と行き会えないのはです。
2013.11.06
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美とは、そのように決めつけるものではなく、のようでありたい。くらいの柔らかな感性であって欲しいものなんですネ。未完成の美というものがありますが、それは、最初から手が届かずのものではなく、一旦完成させて、敢えて壊すという手法から生まれる美というものなんですネ。 それは、ある意味でラフというものに通ずるものですネ。特に、メイクは、そのようでありたいものでてすネェ。 キレイというタイトルをかかげながらも、もう一歩手が届かない様子に、そのような、ものうげな儚いものがあることで、決して手は届かないものの、いまにも、手が届きそうなもの。先日、宝クジ売場の女性が、バッチリメイクをしていましたが、ちょっとビックリしました。そこまでしなくてもと、思っちゃいました。 誰が、どこで、なにをしようが、勝手ではありますが、できれば、未完成の美であって欲しいと思いました。世の中、こんなもんだと思うことだらけではありますが、せめて、夢を売る売場ならではですからネぇ。 でも、別にけなしているわけではありません。 それこそ、自由ですから。
2013.11.04
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女子アナのメイクが一皮ずつむけていくのが楽しみ。同じ時間にテレビを見ていると、同じ人が担当をするので、その人のその日の調子が伝わってきますネ。 同じに、その人のメイクの進歩も見てとれるんですネ。 まぁ、そんなみかたをするのは、ワタシくらいだとは思いますけれどネ。ちゃんと自分の出演したものは、みているはずなんですから、進歩するのは、当たり前とは限りません。 日進月歩でいいので、キレイという本質を目指して欲しいものだと、思いながら見ています。民放の場合は、そんなに厳しくなく、その人任せ的にみえますネ。その日その日で、キレイの度合いというものが進歩するのであれば、それに対してのクレームの気持ちはないのですが、そのように、人前でしゃべるのが職業の人たちは、そのくらいの気の使い方をして欲しいものだと思いますネ。側には、メイクの専門家がいるはずなのですからネ。 それなりにではなく、その人のベストを一緒に探して欲しいと思いますネ。局によっては、ひどい場合もありますが、全般的には、まずまずなんですが、進歩のあとが見てとれないのが残念ですネ。 演技者ではないので、それくらいでいい。と思っているのなら、それは間違いだと思いますネ。 人前でしゃべるという事自体が演技者と同じなのですからネ。がんばってみて欲しいです。
2013.11.03
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