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どこまで書いていいかわからないし、正確に記憶しているとも言い難い。いつかきちんと事実を確認したい。いまはメモのようにして書きつけておく。その人は、従軍慰安婦の聞き取り調査をしている。どこからそんな話になったのか、あるお婆さんの話をしてくれた。お婆さんは、戦時中、サハリンで従軍慰安婦として働かされていた。そこは民間経営だが、実態は軍の許可がなければどのような営業の自由もない。日本の敗戦後、まあかなりはしょるけれど、なんとか命からがら、サハリンを離れ朝鮮半島北部にたどり着くことができた。しかしそこまでにすでに数年が過ぎていた。彼女の故郷は朝鮮半島の南部にある。朝鮮半島にたどり着くことができたのだから、あとは歩いてでも故郷に帰ればいい、彼女はそう考えた。しかし南北の分断はすでに抜き差しならないところに来ていた。そうしてすぐに朝鮮戦争がはじまった。生き残ることが先決だった。彼女は結局「北」にとどまることになり、結婚をし子どもを育てた。彼女の左肩には刺青が施されている。それはサハリン時代の楼主の名が入っている。こうしたことは普通のこととして行われていたらしい。つまり脱走しても彼女の「所有者」が誰なのか、たちどころにわかるからだ。なかには体のあちこちにそうした刺青を施された女性もいた。一緒に話を聞いていた友人が思わず言ったものだ。「それは家畜の烙印と同じですね」。そういうことだ。お婆さんの刺青はつい最近まで、彼女の娘すら知らなかった。その話をお婆さんと、お婆さんの娘から直接話を聞いたその人は、俄には信じられなかった。だか、娘さんはしっかりと頷いたのだという。お婆さんは、結局、故郷にたどり着くことはないだろう。話をしてくれたその人はいう。「拉致」の問題で日本政府は「原状復帰」と言う。それは正しい。だが同じようにして、さまざまな形で故郷を離れることを余儀なくされた人々の「原状復帰」はどうなのだろう。「拉致」は現在の問題であり、それらは過去の問題なのだろうか。いま実際、ここにこうして生きているお婆さんの人生を「過去」として、どのような神経で括ることができるのだろう。「直接的な関与」と「間接的な関与」の違いはなんだろう。すべてが直接関与でなかったとしても、開業廃業の自由も移転の自由もない民間業者の手によって、烙印までもされ、ほとんど監禁されるようにして「慰安」した人たちに、軍が直接か間接か関与していたか、あなたはそれがわかりますか、と問うことの意味はどのようなものだろう。昨日の話だ。私たちは喫茶店でコーヒーを啜りながら、小さな声で話すその人の話を聞いている。
2007.05.16
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