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彼のなかに居座るものは、誰のなかにあらわれても不思議ではなく、あらかじめセットされた時間になれば、スイッチがはいるかもしれないのだ。けれどもそれはいま彼のなかにいて、ひっそりと様子をうかがっている。その店のテーブルには濃密な時間が流れ、彼は震えだし、そうして泣いた。追いつめたのは私だったのか。とたんに空気が薄くなるようで、息が苦しくなった。夕方になると、冷たい風がやってきて、雷が光った。約束の時間は過ぎていたけれど、その店にまっすぐ向かう気になれなかった。そこでコーヒーを飲んだ。そのうちに大粒の雨が落ちてきた。私鉄の小さな駅、雨宿りする人たちが静かに雨を眺めている。パチンコ屋の自動扉が開くたびに、いくつもの電子音が絡み合うようにして、それから薄っぺらな中音域だけになったラップの旋律が、流れ出してくる。プレゼンに参加してくれ、この仕事はとりたい。留守電は言っている。昼間の打ち合わせでは酸化還元なんてことばが呪文のように繰り返し唱えられていたものだから、参加、酸化、参加、酸化と頭のなかで繰り返していた。面倒くさいな、だけど約束は守りたいから必死になって提出した構成案だ。酸化しよう、仕事なんだから、何を着ていこう。テレビドラマみたいに、久しぶりにネクタイなんかを結んだりして、これまた久しぶりの官庁街だ。どうでもいいんだ、ほんとうは。だからおもしろいんだ。きっとね。深夜、駅を降りて仕事場まで歩く。この街には雨が降った形跡もない。街灯がにじんで見える。仕事場に戻って、折りたたみベッドを引き出して横になり、本を開く。少しばかり赤色に傾いた銀のインクと墨とのダブルトーン。風景とポートレート。音がどこかに吸い込まれたような静寂の写真の連なり。うまく言えないけれど、そんな写真集。そんな写真集のような紀行文をゆっくりと読んでいる。そのうちすぐに眠くなるだろう。
2007.08.29
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いいか、マミヤ中尉、この国で生き残る手段はひとつしかない。それは何かを想像しないことだ。『ねじまき鳥クロニクル』村上春樹というのは、まったく関係ないのだけれど、それは埃のかたまりみたいにふんわりと降りてきてのだ。テレビの通販番組で紹介されるような折りたたみ式ベッドが仕事場にある。真ん中で二つ折りになって逆Vの字の形態になって収納されるものだ。間違ってもそのベッドに足からのぼってはいけない。底板はただの薄っぺらな合板だからね。そのベッドでときどき休んだりしながら、もう24時間以上、仕事場にいるんだ。いや、いたんだ。自宅にもどって昨夜は誰もいなくて、部屋中の電気を点けて、それからシャワーを浴びた。本は大きな小説を読み終えたばかりだし、新しい本をひらく気力もなかった。そこでムルキムチをつまみ、最近はまっている電子チャージしたという水を飲みながら、取りためておいた連続ドラマを見ることにする。「数台のトラックがブリキのレストランの外にずらりと並び、潮が満ちてフェリーを浮かび上がらせ、向こう岸へ渡してくれるのを待っている。そばには三人の年老いたスコットランド人が立っていた。彼らの薄いブルーの目は充血し、歯はすり減って小さな茶色の尖塔のようだった。レストランの中ではぴちぴちした女がベンチに腰掛けて髪をとかし、連れのトラック運転手が女の舌に薄く切ったソーセージを乗せていた」『パタゴニア』ブルース・チャトウィン 芹沢真理子訳なんだか痺れませんか。私は痺れます。
2007.08.28
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ワイドショーというのは人間の感情を食べて生きる怪物である。不定形な生きもので、ただひたすら食べ続けている。人間の妬みや嫉妬や羨望や恐怖や嫌悪や憎悪といった、どちらかというネガティブな感情がとりわけ好みだ。そうしたものに裏打ちされた薄っぺらな正義や倫理なんかも好んで食す。それらは結局のところ人間の欲望と括ることができるかもしれない。ワイドショーは食べ続ける。かと言って、ワイドショー自体、他になにをするのでもない。生きる目的もない。向上心など問題外だ。ワイドショーはそうしてひたすら咀嚼する。それから時折、大きなげっぷをしたりする。そんなワイドショーを眺めることがある。それはもちろん長時間、正視に耐えうるものではない。激しい嫌悪におそわれることもある。だが一方でワイドショーという怪物がひたすら消費するその姿に、不思議な懐かしさを覚えることがある。それはそうだ、自分が排泄した様々な感情を、こうしてワイドショーが食べ続けているのだから。ワイドショーはあるとき自分自身だ。不定形でひたすら消費する、まったくもって自分自身だ。とかは、どうでもいいんだけれど、数日前、NHKのニュースを見ていた。朝青龍が久しぶりに自宅を出た、というニュースをやっている。ふつうにニュースを伝えるアナウンサーがふつうにそれを伝えていた。なんだかびっくりする。もう、みんな朝青龍のごたごたは言わなくても知っているよね、みたいな前提を視聴者と共有している。だけど驚くことはない。その通り、大抵の人は朝青龍をめぐるごたごたを「知っている」のだから。「ところでこの朝青龍という人間はなにをしたんだい?」 キツネは聞く。「いや、大事な用事をさぼることにしてサッカーをしていたんだ。それで、えーと」ちょうどテレビ画面には、サッカーに興じる朝青龍の姿が映っている。もう数え切れないほど繰り返し使われた映像だ。「実に生き生きしている。これがなにか問題なのかい?」キツネがいう。そうだね、どこかでは問題なのだろう。私は自分の知っていることを、知っていると思っていることを説明する。そうしながら、恥ずかしさの感覚にとらわれている。説明はしだいにどうでもよくなってくる。キツネはそんな私をじっと見ている。そして唇をひしゃげて笑ってみせる。「それだけ?」
2007.08.25
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何日か前に超常現象のことについて少しだけ書いた。自分は悲しくなるほど、そういう経験がない。例えば、親しい人が亡くなったときに、自分の身の回りに非日常的なことが起きるとか、いわゆる「虫が知らせる」というようなこと。そんなこともない。友人の話だけれど、例えば渋谷駅前のスクランブル交差点を行き交う人のなかに、すでに死んでいる人を見つけることがあるという。それもめずらしいことではない。そんなばかな、と思うけれど、この人はふだんずば抜けて冷静な人である。また別の知人に、この人はそんな経験がないだろうと話してみると、彼はいう。「いや、けっこうあるよ。でもそのての話は妙な盛り上がり方をするからさ、人には話さないことにしているんだ。」彼にとっては、特別な経験だが、それは誰かに話すようなことではなく、極めて個人的なこと、というわけらしい。遊体離脱についても驚くほど証言がある。だったらそれらは本当にあることかもしれない。多くの人にとって、少なくとも「本当にあったと感じられている」ということは確かだろう。私はこうした自分にとってはあり得ない現象を頭から否定もしないし、ばかにもしない。なぜなら、ものすごく現実的と思われる自分の日常も、「本当にあったと感じられている」、ただの脳内幻想かもしれないのだから。それにちょっと願望もする。「本当にあったと感じられている」現実は、少しばかり退屈だったり、過酷だったりするからだ。あれだけの暑さを経験したのだから、今日の暑さなどなにほどのこともない。はずなのだけれど、蒸し上がる午後だった。何かが降りてくるのを待っている。でも降りてこないんだよね。
2007.08.20
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それでも書いておく。その人は亡くなられてはじめて知ったのだけれど、同い年だった。学年はその人がひとつ上。今日はお通夜。あれは7、8年前だったと思うけれど、広尾の中央図書館の館内エレベーターの扉が開いたとき、その人が本を抱えて立っていた。こんなところで近所の人に会うとは思わなかったから驚いた。その人はこちらに気づかずに通り過ぎていく。私は声をかけなかった。弟さんは何かが溢れ出すように、話した。私はそれを聞いていた。私は話を聞く。私、私、私。弟さんは、私の家の前を、大きなシェパードに引きずられるようにしていつも走っていく。弟さんは母親を亡くされてから4年、兄であるその人の最も身近な人間として生きてきた。そして、その人は亡くなった。弟さんの人生は続く。
2007.08.18
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母親の兄嫁にあたる伯母が亡くなった。夫を30代で亡くし、それからは自分で商売をはじめた。堅い仕事だった。80を 過ぎ、倒れる直前まで自分で車の運転をこなし、仕事を続けた。親戚の法事で顔を合わせると、最初にこちらに気づいてくれ、ここにすわりなさいと手招きをしてくれるのだった。そんなとき、若い頃の話を聞かせてくれたことがある。東京の下町に生まれ育った。東京では小料理屋を営んでいた時期もあるらしい。年老いてもきりりとした身のこなしで、気っ風のいいところがあった。いつも着物を上手に着こなしていた。亡くなったのは7月なのだが、私がそれを知ったのはつい数日前なのだった。こどもはいなかった。伯母の妹の息子さんが喪主となった。若いときから息子のように可愛がられ、学生時代には寄宿もしていた。大学を出て東京で就職し、結婚をした。それからまもなくしてこの伯母の店の近くに土地を買い、家族で移り住んだ。足元がおぼつかない母親を連れて、線香をあげにいく。ぎらぎらと太陽が容赦なく照りつける。熱風がゆらりと吹き寄せる。
2007.08.14
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打ち合わせにアイスクリームを差し入れに持っていく。アイスクリームと言えばラムレーズンである。会社に出向くと、前の打ち合わせが押していた。そこの打ち合わせに参加していたのが偶然知り合いの女性で、某局でディレクターをやっている。およそ声がでかい。他を圧するテンションだ。誰もが振り返る声で私の名前を呼んでくれる。ははは。暑い。美術手帖のバックナンバーをぱらぱらとめくって打ち合わせが終わるのを待つ。美術手帖は写真家の特集である。あいつがひよっこり取材を受けていないかと探してみる。そろそろ露出しないかな、とその友人とは疎遠になってしまったけれど、気にかかる。あ、一緒に仕事をしたカメラマンの名前がある。それから野口里佳さんとか。野口さんはドイツを拠点にしていて、そのことを語っている。うろ覚えだけれど、こんなことを言っていた。「フジヤマ」をお土産みたいにして持っていくのは嫌だった。ここにいるなら、ここでの写真を見てもらいたかった。そんな感じだ。「フジヤマ」は間違いなく彼女の代表作のひとつだ。なるほどな、そんなふうに考えるのか。その地にいて、そこで写し撮るもの。そのことこそを見てもらいたい。ちょっと目が覚める話である。打ち合わせは10分で終わる。それから雑談する。この人と雑談するのはいつもながらの楽しみだ。私は最近自分が会った人物について話をする。少年時代の貧しい暮らしを経て、様々な紆余曲折があり、会社をおこし、いま、独特な商品を作り上げ財をなした。その人と話していると、超常現象の話がよく出てくる。遊体離脱とか、余命を宣告された人が奇跡的な帰還を遂げる話とか。もちろんそんな話ばかりではない。例えば現実日本政治に話が及ぶと恐ろしく明晰な分析をしてみせたりもする。そんなことから脳内の化学反応とか、脳内信号とか、神経症とか統合失調症とか、様々な話をする。もちろん雑談に過ぎない。人間の脳がつくりだすさまざまなビジョン。そういうことを考え出すと、「自分」とは何か、ということに行き着く。自分は、どこからどこまでが自分なのか。自分の境界とか。そう、雑談にすぎない。だがそうやって、今週がちがちになった頭がほぐれていくのがわかる。それもそういうイメージを作り出す脳の気まぐれかも知れないけれど。
2007.08.11
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ここのところ、「しょうがない」について考えている。今更だけれど、久間クンの発言から。今や「問題外」扱いされている久間クンの発言だけれど、本当にそれでいいんだろうか。実は「え、そんなにいけないわけ?」と思っている人だっているんじゃないだろうか。こんなときは自分がもっと頭がよかったらなあ、と思う。こういうことを考え出すと、たちまち靄の中に佇んでいるようになってしまうのだ。久間クンは戦争後のことを考えての発言だった。日本が白旗をあげるのは時間の問題だった。アメリカは戦後体制を考えていた。極東における戦後のイニシアティブの問題。相手は共産主義である。そのための原爆投下だった。日本が赤化していいのか。彼はそれで「しょうがない」と言った。かくいう自分も久間クンを弁護するつもりはさらさらない。だが、彼のように考えている人はけして少なくないはずだ。久間クンにとっては失言でも暴言でもない。きっと本当にそう思っていたのだ。政治家として、自分の発言が及ぼすであろうことへの想像力の欠如はいかんともしがたい。しかし、「問題外」として切り捨ててよいとも思えないのだ。この発言の根底には、「全体のためには多少の(!)犠牲はやむを得ない。それが政治のリアリズムだ」という思想が流れている。すごく粗雑で危険だけれどそういうことだと自分は思っている。このこと自体への批判がなければ、問題は深まっていかないように思うのだ。ここにはふたつ、ちゃんと考えなければならいことがあると思う。ひとつは「多数のために少数の犠牲は本当にやむを得ないか」ということへの問いだ。そして、もしその考えを採用したとしても、すごく嫌な言い方だけれど「その少数の犠牲は多数のために有効か」という問いだ。ほんと言って、この問い自体が正直なところ私には嫌悪がある。「原爆投下」に対して「しょうがない」とする思想を私は認めたくない。だが、それならば数々の「玉砕」はどうなのだろうか。「本土の犠牲を少しでも遅らせ、減らすための玉砕」にたいして、「しかたがなかった」とする人はけしてすくなくないはずだ。なぜ降服してはならなかったのか。その「玉砕」にどれだけの意味があったのか。ひとりひとりの人間の命のリアリズムは、政治のリアリズムにはかなわないのだろうか。その時、その決断は、正しかったのだろうか。
2007.08.09
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「俺の娘は新垣結衣に似てるんだ」ってタニグチさんは臆面もなく言う。最近覚えたばかりの「ガッキー」とか「ゆいぼ」とか、そんな言葉が浮かんだけれど、ここは黙っておく。「今、東芝日曜劇場に出てる子、知ってる?」タニグチさんは続ける。でも、タニグチさん、もうとっくに東芝日曜劇場って言わないんだよ。まあいいけど。タニグチさんはそうして煙草をくゆらす。そう、タバコだ。先日の九州で何十年ぶりにタバコ畑を見たんだ。昔は関東地方でもタバコ畑を見ることができた。今でもあるかもしれないけれど、タバコ農家なんて言葉も聞かなくなった。知り合いのおばあさんが言っていたっけ。「タバコはほんとうに神経を使うんだ。何本植えたかだけじゃない。葉の数だって一枚一枚数えて記録しなければいけないんだよ」。それから思い出した。団塊の世代の先輩はそれに続けて、子どもの頃、タバコの葉を乾燥させる、それを取り込む、そんな仕事をよく手伝わされたものさ。「ものすごい量の農薬を使用しているんです」タバコ畑を示してくれた仕事先の人は言った。「とにかく散布しているところをみたら禁煙したくなりますよ」東京に戻って、American Spritというタバコを買った。能書きはこうだ。「ご存じですか? 一般のタバコには、化学添加物が多く含まれている事実を…」さらに続けて「一般のタバコには、合成保存料、燃焼促進剤、香料といった多くの化学添加物が含まれています」このブランドのタバコにはオーガニックをうたっている製品もある。なんだかそうしたこといっさいが冗談みたいな話だ。タニグチさんが話している。「実際、気がついたら仕事を続けてきたってことだけだよね。もし仕事がなかったらさ、俺なんかなんの価値もないよ。なにもできないし」。そうして年々、プレッシャーが強くなっている、と力なく笑ってみせる。こちらからみれば、タニグチさんは立派に仕事をこなしている。知っている限り納期を遅らせることもない。それでもタニグチさんはよく夢にうなされる。仕事がまったくこなくなる、あるいは仕事がまったく片付かなくて、誰かがやってきてタニグチさんを罵倒し続けるのだ。「妹から電話があってさ、そこに甥っ子がいるんだけれど、息子がほんとうにやりたいことを探しているから相談に乗ってやってくれっていうんだ」タニグチさんはまたタバコを手に取る。それから「わかるだろ?」って顔でこちらを見やる。すっかり薄くなった髪の毛を掻き上げる。「そんなものどこにある? まあ、そういうのを探すのもありかもしれないけれど、まずは働いてみることだなって俺は言うよ。考えるより働けってことだ」タニグチさんは大きなため息をつく。自分だったらなんと言うだろう。結局は自分の経験から考えることしかできない。様々な局面で何かを選択してきたはずだけれど、振り返ってみれば偶然の積み重ねでしかないようにも思える。人生論は嫌いだし、人に言えることなんてなにもない。それからふっと言葉が浮かぶ。「続ケラレル仕事ヲ見ツケナサイ」「えっ?」タニグチさんが聞き返す。
2007.08.06
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なんだ、そうだった。前に20歳年上の友人のことを書いた。友人と言えるほどほんとうは親しいわけではないのだが、自分のなかでは十分に友人なのだ。彼が大切にしている言葉があって、それは「私はそうは思わない」というものだ。佐野洋子のエッセイ集のタイトル。彼がそれを読んだのかは覚えていない。私の人生は、まあ多く見積もってもあと10年だと思っている。大したことをしてきたわけではない。これからもできるものでもない。それにもう十分に老人である。何かを伝えたいか? そのように願っていたこともある。だが私には無理なようだ。私はただ本を読み、いくらかは歩き、世界を見つめ、親しいもの、あるいはあなたのような新しい友人に、その話ができたらばいい。何かしら伝えることがあればいい。そうして、もし引っかかることがあるならば、世界に、あるいはそれが知人であったとしても「私はそうは思わない」と言いたい。そのように生きたいと願っている。そのようなことを、その人は言ったのだ。私はその言葉を持ち帰って、ときどき懐から取り出してみている。私はそうは思わない。それから自分の中になぜか残り続けた言葉をひそかにつぶやいたりもする。それはこのようなものだ。「そうかもしれない」「私はそうは思わない」と「そうかもしれない」の距離。「そうかもしれない」は耕治人という私小説作家の小説のタイトルである。昔々、知人からそのストーリーを聞いたのみで、読んだことがない。それで話すのもなんだけれど、知人から聞いたのは次のようなものだった。作家の分身と思われる主人公の妻がアルツハイマーとなる。妻は入院を余儀なくされる。ある日、主人公は妻の見舞いにでかける。看護師であったか、ベッドに横たわる妻に話しかける。「ほら、ご主人がお見えになりましたよ。ご主人でしょ?」妻は、主人公のほうに顔を向ける。そうして言う。「そうかもしれない」正確ではないかもしれない。でも、そのとき以来、この言葉が自分の中にすみついてしまったのは確かだった。それ以来、その言葉はしだいに意味を変えていくようにも思われる。あるとき、人に問われる。あなたは座右の銘として「そうかもしれない」と書かれていますよね。どういう意味ですか? 私はでたらめを言う。保留するという意味です。断定を避ける。「そうかもしれない」とはいう。しかし一方でそこで抱いたはずの世界への違和感を大切に考え続けるという態度表明です。嘘だけれど。けれど実際はその嘘を少し考える。保留はほんとうは思考停止に近い。そうではなくて、断定せぬまま、棚にしまい込むでもなく、考え続けることはできるか。それはたんに問題の先送り、決定することからの逃走ではないのか。とか。まあ、大げさではある。このへんにしておこう。ただでさえ待ったなしのことが多いのだ。仕事の納期、来月と再来月の生活費、そして明日の朝のお弁当。今日もまた、どこへも行かない日記である。
2007.08.03
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