全9件 (9件中 1-9件目)
1
ちっとも深まらないのだけれど、あれから折に触れてAshes and Snowのことを考えている。確かに見事に作り込まれた映像である。それらの映像が生み出されたのにはどれほどの忍耐と知力が使われたのかと考えると目眩がする。しかしそうした苦労も感じさせないほど、ずば抜けて完成度が高い。賞賛されるだろう(されているだろう)ということも納得できる。興味を持たれた方はサイトをのぞいていただきたいのだが(これも相当な作り方です)、作家の言葉としてつぎのように記されている。たとえば、「全ての動物が共有できる言葉と詩的感性を探求しながら、私はかつて人間が動物と平和に共存していた頃の、共通の土台を再発見することを目指しているのです」「私の画像が描き出す世界には、始めも終わりもなければ、こちらとあちらという観念もなく、過去も現在も存在していません」―Ashes and Snowの制作者グレゴリー・コルベールうーむ、脱帽というほかはない。よくわからないけれど。しかし、私にはこの世界がとっても閉じられたもののようにも感じるのである。完璧で作為的な世界。独特でありながら、既視感のようなものすらある。もっというと、西欧からの消費され尽くしたアジア観というのも透けて見える。そして繰り返すけれど、ひたすら美しい。だけどその美しさはどこかとっても不自由だ。自然とか、神話とか、サンクチュアリとか、遊動(!)とか、そして当然なんだろうけれど、各方面、絶賛の嵐とか。落ち込む必要なんてないはずなのに、なんだか哀しい。この世界でひとりぼっちのような(似合わないけれど) 笑それでぼんやりとシネノマドの、Three Windowsのことを思い出したりした。あれはやっぱりすごかったなあ。あの作品には奇跡に近い(そういう言い方は同じく安易で危険だけれど)、自由さがあった。誰もどこかへ連れて行こうとはしない。しかししだいに笑いがこみ上げてくるようだった。
2007.07.31
コメント(0)
福岡を夜の8時に出発し羽田へと向かう飛行機は乗客で満杯だった。友人のデザイナーは、PCを取り出して、Ashes and Snowをみせてくれた。それは60分の映像作品で、無音のまま私はそれをきっかり25分みて、PCを閉じ、友人に戻した。それは美しく、完成度の高い映像作品であることは間違いがなかった。私が眺めていた25分間、画面はセビア色で、1カット1カットがそのまま静止写真としても完成度の高い、見事な語り口なのだ。だが、私にはそうしたこと一切が息苦しく感じた。見事に作り込まれた映像が、それは皮肉でもなく本当に見事なのだが、私にはそれがやりきれないのだ。これがAshes and Snowとの最初の出会いである。このことを書き付けておく。
2007.07.28
コメント(0)
今度はタケウチくんの話。タケウチくんの娘はこの春、小学1年生になった。おめでとうっ!娘さんの名前を仮にケイコちゃん(いまどきいないけれど)としよう。ケイコちゃんが教室で遊んでいると、同じクラスのユウナ(仮名です)ちゃんに声をかけられた。ユウナちゃんはケイコちゃんをなぜだか階段のそばまで連れて行った。ケイコちゃんと遊んでいたお友達のアキナちゃんもなんだか気になってふたりの後を追った。ちなみに教室は校舎の2階である。ユウナちゃんはケイコちゃんに言った。「あんた、ここから突き落とすからね」ケイコちゃんはあまりのことに口がきけなかった。そこでお友達のアキナちゃんが言った。「そんなことしたら死んじゃうかもしれないよ!」「そうよ、死ねばいいじゃない!」ユウナちゃんは叫んだ。ケイコちゃんはやっと「どうしてそんなこと言うの?」と言った。涙がでてきてとまらなかった。ユウナちゃんは階段を見下ろしたまま何も答えず、それから二人を残すと教室に戻ってしまった。同じ日のお昼休みのことである。子どもたちは校庭で遊んでいた。ジャングルジムとその周辺が、その日は1年生の女の子たちの遊び場になっていた。ユウナちゃんはジャングルジムの一番てっぺんに恐る恐る立っていた。ユウナちゃんは叫んだ。「ここから落ちたら死ねるわよ!」ユウナちゃんはまわりの子どもたちを見下ろしてさらに続けた。「死んだら自由になれるのよ!」アキナちゃんは言った。「自由になんてなれないよ!」「嘘よ! 死んだら自由になれるんだからっ」ユウナちゃんはそうして泣き出した。みんなはユウナちゃんを黙って見つめていた。そのうちにお友達の誰かが先生を呼びに走った。「それからどうしたの?」「いや、それから先のことはわからない。だけど、次の日もその次の日もユウナちゃんはフツーだよってケイコは言ってる。ケイコもユウナちゃんとフツーにつきあっているって」オチなんてないんだ。僕らは沈黙している。
2007.07.19
コメント(2)
あくまでタケルくんの話である。笑タケルくんの娘は今年、小学校に入った。今週が終わると、もうはじめての夏休みである。はじめての夏休み。なんかいい響きだ。それで、学校からはいろんなプリントを持ち帰ってくるそうだ。いわく夏休みの過ごし方とか、夏休みに必ずやること、それからごていねいに見本つき絵日記帳なんかもある。必ずやることのなかには、例えば作文があり、あわせていくつものコンクールとか、懸賞作文が紹介されている。それぞれにはテーマがあり、例えば「私と下水道」とか「トンボ」とか「お米とわたし」とか「非核平和」なんかが並んでいる。そうしたなかから「ひとつより多く」作文を書かなければならない。なんといっても娘のはじめての夏休みである。ま、いちおうね、ということでそんなプリント群をいちいち眺めていた。そうしてタケルくんは次第に腹が立ってきたのである。「なんかさ、うるさーいって言いたくなってさ。いちいち何から何まで余計なお世話だ! ていうか」タケルくんは思った。怒濤のようにはじめての一学期が終わろうとしている。はたから見ていると、娘は十分に盛りだくさんの新しい規則やら勉強にぶつかってきたのである。これ以上、なにをやらせようというのだろう。なんと言っても夏「休み」なのである。なにをしようが勝手ではないだろうか。ていうか、学校のことなどパシッと忘れてぐたーっと過ごせばいいではないか。ひたすら遊ぶか、ひたすら好きなことをする。もうこれ以上何をしていいかわからない。あるいは、たとえば「む」とか「を」の書き方なんて忘れてしまう。9-2=なんて、あれ? いくつだっけ? そんなんでいいではないか。それでもやがてはじめての夏休みに終わりはくるのである。忘れてしまったことも思い出さなくてはならない。いつかは規則や決まり事だらけの世界にもどっていく。おかえり、われわれの世界へ。タケルくんはわなわなと怒りに震え、やがて大きな溜息をついた。娘が不審そうにタケルくんを見ている。いけないいけない。ここは鎮まらなくては。間違っても「学校なんてくだらねーっ!」なんて感情にまかせて言ってはいけないのだ。娘は毎日たのしそーに学校に通っている。前の晩には、「あすがっこうへもっていくもの」なんかをいそいそと揃えている。それを大人が「くだらねー」なんて言ってはいけない。だっていま、大人であるタケルくんは娘に「学校」以上の世界を提示できないのだから。タケルくんは娘に笑ってみせる。「いろいろあるねー。なつやすみ、たのしくしよーねー」。ほとんど意味がないことばが放たれて、やがて空中で霧散する。それでもとにかく来週からは夏休みがやってくるってわけだ。(写真は本文に関係がありません、とか)
2007.07.18
コメント(0)
お盆のお迎えにきゅうりの馬となすの牛をつくるのはなぜか?先祖の霊をお迎えする。そのときに、きゅうりの馬に乗ってなるべくはやく帰ってこられますように、そうして戻られるときには、なすの牛に乗ってゆっくり行かれますように。ということだった。昨日の山手線の車両内の広告にそのように書いてあった。広告主は上野・浅草通り神仏具専門会とか。その人たちは自分たちのことを「機械屋」と呼んだ。仕事でなければまるで縁のない世界なのだが、ある機器の使用法と改良方法についての講義を4時間にわたって聞いていた。丸ビルのコンファレンスルーム。前にここには来たことがある。竹尾のペーパーショーだった。質問はどれもどこまでも具体的で、そのためにこれに応える回答もとても明解なのだった。自分にはそのことがとても新鮮だった。自分は正解のないような世界でいつも右往左往している。それでも間違いははっきりしている。もちろん間違いはあってはならないのだが、万一誤っても、そのことで誰かが怪我をしたり、死に至るわけでもない。別に特別な仕事でもない。だがとにかくそれを続けてきた。夜半を過ぎてベランダに出てみた。煙草に火をつけた。嵐はすぐそこに来ているのだが、ひんやりとおだやかな風が静かに流れている。
2007.07.13
コメント(0)
「おとうさん、ママチャリタロウ… なんだっけ?」「ああ、ママチャリタロウスケマサね」「そうそう、それ。その人のお話しして」ママチャリタロウスケマサは、そうして生まれた。もちろんママチャリに乗っていなければならない。ママチャリタロウスケマサは男の子でそれなりの身長があるから、まあ、おとうさんよりちょびっと高いくらいだけどさ、本当はサドル(あ、自転車の座るところね)を上げたほうがいいんだけれど、ママチャリというのは誰もが乗るものでしょう? だからサドルを高くしてしまうと後で文句を言われたりするわけ。もちろん自転車を降りるときにきちんと元通りにサドルを下げればいいんだけれど、面倒くさいじゃん。だからそのまま乗っちゃうわけ。すると、なんかこう、足が余っちゃうというかさ、自転車って、高いところからペダル(あ、足を置くところね)を踏み下ろしてそれで力が入るでしょ。それがうまくいかないから、なんかだらけたかっこうになっちゃうんだ。でもママチャリタロウスケマサは背筋をぴしっと伸ばして、こう前傾姿勢になって、前傾姿勢というのはこんな感じね、前に傾けるっていう意味。それでまあ、颯爽と進んでいくんだな。颯爽っていうのはだな、すっきりとか、さわやかーっみたいな感じでね、そんなふうにして自転車を漕いでいくわけだ。どこへいくの?そうだな、どこへ行こうか。
2007.07.12
コメント(0)
今年の11月から河出書房新社が配本する世界文学全集。ちょっと(かなり)わくわくする。池澤夏樹個人編集だ。選び出された作家と作品をつらつらと眺めていたら、なんだかドキドキした。それだけなんだけど。そんなわけで、チャトウィンの「パタゴニア」を本棚から取り出してみる。だからブロントサウルスなのだ(なのだって)。マリコさんはそうして森で踊るのだ。幸か不幸か、ワタシはこれまでに何人ものすっげえブンガクの読み手に出会ってきた(ほんとは数人だけど)。だから自分がただのブンガクファンだってことが痛いほどわかっている。それはちょっと哀しみをともなっている。でも今さら嘆いてみてもしかたがない。確かなことは、結局のところ、ブンガクに触れるときめきを手放せなかったってことだ(ベタかよ)。優れたブンガクに出会うと震えることがある。どうしてこうも人は言葉に執着するのか。優れたブンガクには、深い業としか言いようがないような、語ることへの執念がある。信じがたい緻密な思考があり、集中がある。しかしそれほどまでに執着し、思考し集中しながら、それでもなお、生み出した人間にもおそらく説明することのできない瞬間がくる。語りは書き手を離れる。書き手はその瞬間が訪れたことを知る。興奮は抑えなければならない。冷静に昂揚し、駆使できる技術を総動員し、そうしてそれを注意深く定着させるのだ。ワタシはそうしたことを感応することしかできない。だがそれはある。優れたブンガクはそのようにして息づいている。たぶん。だが優れたブンガクも、世界を変えるわけでもない。ただのことばの羅列にすぎない。ひとりの人間を揺さぶることさえ稀なことだ。そしてたとえ揺さぶられたとしても、その人間を変えることなどできない。ブンガクはそのようにして、ここでもただそこに在るだけだ。ただそこに在るブンガク。オチにもならないけれど。さあ、「パタゴニア」へ
2007.07.11
コメント(2)
ブロントサウルスは世界の果てに棲んでいて、大きすぎてノアの箱船に乗せてもらえず、溺れ死んだ動物である。
2007.07.09
コメント(0)
昔世話になった人が少し前にお亡くなりになり、そのお宅に線香を上げにいった友人が言う。そうそう、川口さんの息子夫婦な、子どもを育てているんだよ。えっ? 子どもはいなかったろう? うん、あずかることになったらしい。4歳でな、幼稚園の制服とかが壁にかかっていてさ。あずかるって?18歳になるまでは預かるらしい。里親ということ?そうそう、それだ、里親。電話でそんな世間話をした後に、しばらくぼんやりした。川口さんに会っていた頃、息子さん夫婦を一、二度見かけたことがある。夫妻は子どもを望んでいるのだが、なかなか授からない。「不妊治療を受けているんだが、見ていると楽ではないんだ。子どもにこだわらなくともいいと思うんだが、本人たちの問題だからな」。生前の川口さんがなにかの折りにそんなふうに言っていたのを思い出す。子どもは授かるもの、という思いがある。子どもはやってくるかどうかわからない。子どもがやってくることがあるとしたら、自分はどうするのか、そのことは最初に考えておく。産まない性である自分はそんなふうに考えていた。受動的ではあるけれど、どのようなことが起きても主体的に受け止めよう、というような。一方で、不妊治療についていくらかは知っていた。ほんのいくらかだが、やはり近くで、不妊治療を続けていく苦労を聞くことがあった。例えば北海道に住む人が不妊治療で有名な栃木県の病院に通うというようなこと、あるいはまた、さまざまな副作用で苦しむ人の話、そしてそれを続けた先に、子どもを断念することがあることも。そうしたことを知る前に、私は不妊治療にたいして、否定的な思いがあった。よく言われていることだが、それはある意味不自然な医療行為であるからだ。だが、実際に治療を通して子どもを授かった人たちの話や、先に書いた断念した人の話を知ることを通して、しだいに私はなにも言えなくなった。産まれる、あるいは産まれないという事実は、とても重たい。それは不自然な医療行為かもしれないが、それを言うなら、子どもに限らずほとんど誰もが、そうした「不自然な」先端医療を通して、今を生きているともいえるからだ。子どもを授かることを切実に望み、そのために具体的に費やしたものがあり、その上で断念した川口さんの息子さん夫婦のことを思った。そして詳しい事情は知らないけれども友人が会ったという、夫妻の「こども」のことも。家族はあたりまえのようしてそこにあるのではない。そのことも思った。彼ら夫妻は「こども」を引き受けただけではない。彼らは家族であるということもまた、あらためて引き受けようとしたのだ。
2007.07.04
コメント(0)
全9件 (9件中 1-9件目)
1

![]()
![]()