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きっと、知っている人は知っているのだろう。中国地方、とある駅で下車すると目の前はもう海である。この日は蒸し暑く、もやりと潮の香りが漂っている。駅前広場を抜けるとすぐに古びた商店街につながる。路地を入ればすぐに海岸である。海岸には漁船と、自動車数台を積載できる渡し船が何艘か停泊している。すでに夕方、海岸には女子高生数人が座って喋っていたり、老人が海を眺めていたり、子どもが貝殻を並べていたり、これまた高校生のカップルが抱き合ったりしているのである。できすぎな風景だが、つまり映画を撮るなら、ここに女子高生をおいて、向こうに老人がいて、みたいに、まるで作り込んだような風景なのだが、本当のことなのである。話はずれてしまったけれど、その古びたアーケードをもつ商店街の一角にその店はあった。ウバ車である。だが、店内はほとんど老人が主に使用する手押し車が並べられている。あの、疲れたときには座ることもできるし、座席の部分には荷物をいれることのできるものである。思いを馳せてみる。なんといってもウバ車店なのだ。例えば昭和30年代、子どもたちは街にあふれ、なによりこの商店街は堂々たるメインストリートだったのだろう。子どもが生まれたと言えば、両親やあるいは祖父母が、この店にやってきたのである。幼い子どもを抱いた夫婦が、店先にならんだ乳母車に、そっと子どもを置いてみてその感触を確かめたりする。財布をはたいて買った真新しい乳母車に、帰りは子どもをのせて帰ろう。海辺に続く道を通って、少し寄り道するのもいい。かくして時は流れる。子どもたちにも、店主にも、そして商店街にも。アーケードを走り抜けていく子どももほとんどいない。乳母車はいまやバギーである。片足でレバーを下げれば母親が片手でもあっという間に折りたたむこともできる。コンビとかアップリカとか。けれどどうして「ウバ車」、カタカナなのだろう。ウバ、乳母、姥…フェリー、渡し船が、チャイムを鳴らし到着を告げる。接岸したかと思うと、あっという間に車が降りてきて、すれ違うようにして乗船する車が続く。そんな日常的であろう光景も、私には新鮮な驚きだ。波がコンクリートの岸壁を静かに洗い、水道対岸の工場のモーター音が微かに聞こえてくる。
2007.09.21
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メール返信ありがとうございます。ナショナリズムについてのAさんのお考えは、私なりに染み入るように入ってきます。特に日本においてそれを考えるとき、おっしゃっていることが本当にそうだと感じます。私自身、ナショナリズムからできるだけ遠く離れて生きてきたように思います。先日の二次会で、どなたかがオリンピックやワールドカップの有り様を批判していましたが、私の中ではそうしたレベルでの「日本」への肩入れはほとんどありません。また自分なりに日本の風土に対する思い入れと、日本という「国家」に対する考えは、別のものとしてあることを意識してきたようにも思います。しかし一方で、どこへでもころがっていってしまう「自然な感情」としてのナショナリズムに背を向けてしまうとしたなら(私の場合です)、ナショナリズムにとらわれる人たちへの言葉は届かないのではないか、と考えたりもするのです。最近、メディアにおいて、「反日」という言葉をよく目にします。日本のしてきたことに批判的な言説を行うものもの、それが日本人であっても、そこに「反日」というレッテルを貼るのです。これは「反日」が歴史的にどのように生まれ、ことばとしてどのように使われてきたかを考えれば、恐るべきことだと思います。胸が塞がる思いがします。すごく矛盾するのですが、日本という国を愛することを突き詰めていくのなら、日本という国に誇りを持とうとするなら、朝鮮問題に思いをいたし、戦争責任を考え、沖縄について考え、「特定の外国に対する敵意をナショナリズムと呼ぶ」ようなことを批判し、そのようにしてナショナリズムを通過した先に「世界」と繋がっていくことはできないだろうかとも考えるのです。Aさんは「自然な感情には、あらかじめ論理を封じる危険な作用がある」とおっしゃいます。それはその通りだと思います。しかしその自然な感情を否定するのではなく、相対化することのできる想像力を常に自ら問いながら寄り添うことはできないか、ということです。私は長く、日本におけるナショナリズムを軽蔑していました。しかし軽蔑もまた一種の思考停止であって、それでは自然な感情で(それが危ういものだとしても)日本を愛する人たちへ届く言葉は持てないようにも思えるのです。Aさんは、私が「現場を肌身に感じながら考えている」とおっしゃいます。そのように感じていただけるのは有り難いですが、実際はただ夢想していることが多いのです。現実的な人間でもないと思います。これまでの話とずれるようでもあり、繋がっているとも思えるのですが、北朝鮮による拉致被害者のご家族のことをときどき考えます。ご家族たちはなぜ、北朝鮮に対して強硬な措置を訴えるのか。過去の植民地政策の実態を明らかにし、強制連行や強制労働、従軍慰安婦との関わりを詳しく公開し、戦後における政策において反省すべきは反省し、戦争責任と戦後責任をはっきりと認めて北朝鮮と向き合うこと、そうして国交回復へと努めること。乱暴に言ってしまえば、これまでの日本の北朝鮮政策と同格のものとして「拉致」があると認めること、そうであるならば、道義的にまず日本が、ほとんどが取り返しのつかないものであるとしても一歩でも前へ進むことが拉致問題の進展に繋がるのではないか。拉致被害者のご家族こそが北朝鮮の人々の痛みを知るものたちではないのか。私は夢想するのみです。勇気を振り絞り、傲慢は承知でご家族たちに直接問いかけることをよく夢想します。しかし実際はただ新聞を読み、複雑な思いを抱えるのみなのです。「責任の共有の自覚は、ナショナリズムという感情とは別物ではないか」この問いかけについて、自分なりにもう少し考えてみたいと思います。それはその通りかもしれない。いや、そり通りだと思います。しかしモヤモヤしたものが残る。そのモヤモヤを今は捨てず、抱えたまま考えたいというのが現在の心境です。Aさんの問いかけてくださったことからずれてしまったかもしれません。申し訳ありません。それでもこうした機会を与えてくださり(勝手に書いていますけれど)、深く感謝いたします。
2007.09.17
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あれは木曜日のことだったと思うけれど、ほんとに溶け出してしまうのじゃないかと思った。まず、朝、駅の構内でSuicaを落とす。結局見つからなかった。次に会食をしたレストランにジャケットを忘れる。これは翌日連絡をもらった。さらに終電間近の電車で乗り過ごし、タクシーで仕事場に戻った。書いてみるとそれだけか、それだけでも十分だけれど。金曜日には大手町にてビルの谷間で煙草を吸った。通りには人がまばらなのに、近隣のビルからやってきたのだろう、喫煙スペースにはたくさんの人たちがたむろしていた。カエルは声を上げずに叫んでみた。空に向かって叫んでみた。その声は霧散してどこへも届くことがない。
2007.09.16
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「ぼんやりしていると泣きたくなってくるんだ。よくないことばかり考える。…それに実際のところ、よくないことばかりしているんだよ」水口さんはそう言って、黙り込む。突然黙り込むものだから、カエルさんはどうしていいかわからない。しかたがないから目の前の冷たい飲みものをストローですすってみたりする。そのうち水口さんは眠ってしまう。信じられる? 打ち合わせの途中で本当に眠っちゃったんだよ。だけどきっと必要なことだったんだ。カエルさんはそう思う。だから水口さんのつかの間の休息に付き合ってみようと思う。幸いこの後の約束もない。でも、テーブルの向こうで人が眠っているって相当に変だよね。泣かれてしまうのも困るけれど、これはいったいどんなシチュエーションなんだろう。カエルさんはカバンのなかをのぞき込み、有意義な時間の過ごし方を考える。読みかけの本だってある。手帳に水口さんとの打ち合わせで決まったことを書き付けてもいい。最近すぐに忘れてしまうんだよね、いろんなこと。「頼りない感じなんだ。ゆらゆらする。そのうちゆっくり自分は溶け出して地面にしみ込んでいくんじゃないかって思う」うわっ、水口さんが喋っている。顔を上げると水口さんがカエルさんを見つめている。少なくとも10分は眠っていたと思うんだけれど、話はそのまま繋がっているみたいだ。えーと、何の話だったっけ。見つめないでよ、水口さん、それにぼくらはそんなに親しいわけではないじゃない。水口さんはこっちを見ている。だけどよく見るとカエルさんを見つめている、というわけでもない。水口さんはぼんやりしている。ほんとに溶け出してしまったら、どうしたらいいのだろう。
2007.09.11
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かつて、キルゴア・トラウトは、時間をアトランダムに輪切りにしていくとしたら、死んだ人も生きており、生きている人も死んでおり、そのように考えると生死の区分けは無意味となり、あれ? 全然違いますか? 何の本に書かれていたか、忘れてしまっているのですが。「生物は炭素からできているはずという考え方は、かなり時代遅れになっている。現代の考え方は、持続する組織とエネルギー流のパターンこそが生物の本質、というものだ」http://wiredvision.jp/news/200709/2007090623.htmlとか。そのように考えるとなんだか救われたような気持ちがします。これはちょっと落ち込んでみたりもした私に、友人がくれたヒントのようなものなのでした。持つべきものは友達です。そうなのか? 笑台風が去り、恐らく金曜日の夜か土曜日の午前中が水位のピークだったのだろう。ちょっと大げさだけれど、向こう岸が見えないくらいな川面に夕日が沈んでいったのだ。ええ、けっこう考え込んではいます。ない頭で、ということになりますが、それでも考え込むことをしたのです。それが何の足しにもならないとしてもね。
2007.09.09
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夜中に目を覚ましても、それは本当にあったことなのだろう。台風が近づく夜は、恐ろしく湿気を帯びた空気がどんよりと漂っている。そういうものだ。昔々の知り合いであり、後に彼が選んだパートナーを偶然知っており、それでまた出会うことにもなり、彼が彼の仕事で阿賀野にいたときには、友人たちと泊まりがけで脳天気に押しかけもした。それから随分と時が流れたが、折々に、彼の活躍を知ることになる。とある会場で何回か顔を合わせもする。いまでは年賀状だけのやりとりだけだ。恐ろしく勉強家で粘り腰だった。そんなことしか言えないのだから、それはそれだけの付き合いなのである。それはわかっている。私は今日まで生き延びて、それで何をしている?結局は自分のことかい?闇夜を疾走して疾走して。そんなかっこいいものじゃない。這いつくばって。
2007.09.05
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