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【内容情報】(「BOOK」データベースより)男は雪山に暮らし、地下の天文台から星を見ている。死んだ親友の恋人は訊ねる、あなたは何を待っているの?岐阜、クレタ。二つの土地、「向こう側」に憑かれた二人の男。生と死のはざま、超越体験を巡る二つの物語。2編とも、友人を亡くした男性が抱える ココロの深淵を描いた短篇。とてもいい話なのだけれど、感想が思い浮かばなくて、戸惑った。読後、感想というか感情というか、ココロの動きがほとんど感じられないのだ。『感動した』というのでもないし、『切ない』というのでもないし、おもしろい!のでも、心温まる話でも、おどろおどろしい話でもない。ただ、ココロが、しん、としている。こんな本のレビューをどう書こうか、と悩みに悩んで、ひらめいた。そうか。 この「しん」とした感じ。けっして恐くはないけれど、暗闇にひとり佇むような空気。これがきっと、著者が現したかった世界なのだ。『星に降る雪』はカミオカンデ(天文台)で技術者として働く男が主人公。2年前に友人数人で登山中、雪崩にあい、親友だけが助からなかった。なぜ親友が死に、自分が助かったのか。自分が死に、親友が助かってもよかったのに、そうならなかったのは何故か。向き合う事を避けていた「事故」。あれ以来、自分は「変わってしまった」。ある日、一緒に雪崩に巻き込まれて助かった、親友の元彼女が訪ねてきてお互いに触れられなかった過去を語り始める。『修道院』は、怪我をした旅人に、老婆が昔話を語る形をとった二重構造の話。主人公は、50年前、ギリシャのクレタ島にふらりと表れた都会風の男。その男は、自分の名前以外、己や過去を語らず、毎日毎日、戦争で破壊された修道院の修復にあたっていた。誰にも手伝わせようとせず、ひとり黙々と仕事をする彼。その、過酷なまでに己に厳しい姿は、どこか「祈り」を思わせた。一年程経ったある日、美しい貴婦人がこの男の元を訪れ、一緒に帰ろうと促すが男は拒み続ける。貴婦人が男の家を訪れた翌朝、ほぼ修復を終えた修道院で、男が語り始めたのは逃れようのない魂の罪と、贖罪だった・・・。岐阜県の山奥と、海に囲まれた夏のクレタ島。場所も設定も全く異なるが、物語の中の空気はとても似ている。そして、ふたりの男も、どこか似た道を歩んでいる。『死』の瀬戸際から生還したふたりの男は見えないものの存在を、ありありと感じるようになる。ひとりは、星からのメッセージ。ひとりは、神。あるいは、天使。「生」と「死」が枝分かれするY字の分岐点に立ち、「死」よりも尚、過酷な「生」を選ぶ(あるいは選ばざるをえない)人生。そこには他者が介入できない、祈りと心がある。
2008.04.29
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【内容情報】(「BOOK」データベースより)高校の先輩、小田切孝に出会ったその時から、大谷日向子の思いは募っていった。大学に進学して、社会人になっても、指さえ触れることもなく、ただ思い続けた12年。それでも日向子の気持ちが、離れることはなかった。川端康成文学賞を受賞した表題作の他、「小田切孝の言い分」「アーリオ オーリオ」を収録。 タイトルにもなっている『袋小路の男』と『小田切孝の言い分』でひと続きの話になっている。『袋小路…』だけでは、ワガママ気まぐれ男に振り回される主人公の独りよがりで終わり、な感じで「ええ? それってどうよ??」と、少々納得いかなかったのだけれども続く『小田切…』のラスト数ページで、流れのすべてが納得できて、さすが、絲山さん!! そうこなくっちゃ!と、スッキリ(笑)特に最後の一文は痺れた。背中で語らせて終わるところが、ひねくれ男のすべてを表していてさすがだなあと思う。続く『アーリオ オーリオ』は、全く別の独立した話。叔父と姪が一緒にプラネタリウムを見に行ったことから始まる手紙を通じた気持ちのやり取りが描かれている。姪の、両親には言えないけれど誰かには打ち明けたい素直な気持ちやそれに対する叔父の、事務的ともいえるような短い返事。何でもかんでもメールで済ませる、リアルタイムのこの時代で、タイムラグがあるからこそ生まれる想像の世界、見えない世界がとても上手に描かれていて、私は断然こちらの話の方が好き。数日前に書かれたものが届く、手紙の期待と不安感。何万光年も彼方から届く、星の光のロマンと不思議。それらに共通するのは目に見えるもの(手紙自体や星の瞬き)だけではなくてその間にあるものを確かめたい、埋めたいと思うココロだ。受験生の姪は、手紙の中で言う。 おじさんがこの手紙を読んでいるときに、 もしも私が死んでしまっていたらどうしようと思うのです。 明日の朝起きて自分がどこにもいなかったらと思うと恐くてたまらないのです。 (中略) 私が死んでしまっても、世界はこのままなんでしょうか。 宇宙はずっとあるんでしょうか。 こんなこと考えるのって変ですか? 何万光年も離れている星の輝きは何万年もかかってようやく光が地球に届く。何万年のタイムラグ。その中で、ほんの一瞬のような、自分の人生。でも、そんな彼方の星が実際に見えるように儚く思える自分の命も、いま、確かに此処にある。 (←単行本/文庫本→)
2008.04.28
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著者が沖縄に住んでいた頃の(現在、氏はフランス在住)日常のふとしたことや、海や空にうつるココロの風景スケッチ的詩集。全部で30編あまりの、とても短いこの詩を四季の流れにそって読み進めるとなんだか自分が沖縄の海辺で暮らしているみたい。池澤さんの小説の文章が端麗なのはきっと詩的に物事を切り取るからだ。池澤さんは、元々は詩人。でも、単発で、いくつか昔の詩を読んだことはあっても、詩集としてまとまったものを読むのは、実はこれが初めて。本書が一番新しくて、2004年刊行。あと4冊もある!きゃー!(←嬉しい悲鳴)いくつか気に入ったところをご紹介。ひとつめは 『そら』 家を建てるんなら まわりに ヤシの木を植えるといい あれはブラシみたいに いつも空を磨いている だから きみの家の上の空だけは いつもぴっかぴか 顔が映るほどさ (中略) きみが外出するときは ちょっと上を見て 映る姿で 装いを確かめてから 行くといいさふたつめ 『自省』 秋のこの時期になると 南の島でも海の色が変わる 海面で反射する光が減って 光は水の中深く深くまで潜り 明るい藍色に身を染めてから また水面に上がってくる (中略) 夜ともなれば満天の星 それで おまえはこれ以上 何を望むというのだ?みっつめ 『グラウンド』 いろいろな道具で 線を引いてきました (中略) 昨日は 運動会の準備で グラウンドに石灰の線を引きました (中略) 目の前だけを見て しずしずと進む まるで人生のよう ところが振り返ってみると 曲がって はずれて かすれて 我が人生の軌跡はみっともないものでしたでも、一番グッと来たのはトリを飾る、本書のタイトルにもなった『この世界のぜんぶ』たぶん、プロポーズの詩なのだけれど、ほんとうに、ここに全文掲載しちゃいたいくらいハートにずきゅん☆と来てしまった。 足りないのなら 言葉を少し添える 実はもう添えてあるんだ それがこの詩なのさ いっしょに来るかい?実際、こんな事いう男に遭遇したらきっと私は、ゲラゲラ笑ってしまうだろうけど(そしてそういうリアクションは、もっとも男を傷つけるのだろうけれど 汗)文字で見ると、すんごいずっきゅーんだなあ。淡々とした風景詩の締めくくりが これだもの。これは、かなり、ズルい(笑) (←単行本/文庫本→)
2008.04.27
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図書館に予約してあった本が一気に5冊も来てしまいました。前回紹介した予約本のうち、桜庭さんと山崎さんの本以外全部川上さんの新書は285ページ。池澤さんの小説は、彼にしては短めの232ページのこれまた新書。(もう一冊は、4年前刊行の写真詩集)絲山さんは、いつもの短篇、165ページ。読みかけの重松さん(初チャレンジ!)は325ページで一番長編の上下巻モノ。しかし、下巻が来るのは随分と先。現在の予約待ち人数から察するに、下巻が来るのはあと一ヶ月後くらいか??果たして、下巻を読む頃まで内容覚えていられるかしら・・・ (-"-;)・・・来週は黄金の読書週間になりそうです。 毎日のように読書日記を書き綴り、『アレ』する暇などなさそうですわ。とほほのほ・・・で、やっとのことで分厚い対談集を読み終えました。 『生きる意味を教えてください』 田口ランディ【内容情報】(「BOOK」データベースより)一人の読者からメールをもらった。知らない人だ。「どうして自殺をしてはいけないのですか?」「いつか死ぬのであれば、自分の意志で死ぬ時を選んでもいいじゃないですか?」この宗教的ともいえる疑問に、どう答えよう。〈私〉はこの「問い」を携えて、信頼する先輩たち友人たちの元を訪ねることにした。「どうして人は人を殺すのだろう」「どうして社会は良くならないのだろう」「人はなぜ死ぬんだろう」この世の矛盾や、残虐や、やりきれなさについて、考えている人たちがここにいる。答えの出ない問いをめぐって交わした9人との対話の記録。 【目次】(「BOOK」データベースより)生きる意味を教えてください/死を想えば生きていることの重荷が降りる―藤原新也さんとの対話/死者からのメッセージをどう読むか―内田樹さんとの対話/太古の時代の生命観をITで復元できるか―西垣通さんとの対話/ケアとは「ただ在ること」を肯定する体験―鷲田清一さんとの対話/「みずから」と「おのずから」の「あわい」を生きる―竹内整一さんとの対話/大丈夫、一生かけて帳尻が合えばいい―玄田有史さんとの対話/ヒロシマとアウシュヴィッツの体験から―森達也さんとの対話/“世界”を経由して“社会”に戻る―宮台真司さんとの対話/頭で考えない!からだに訊け!―板橋興宗さんとの対話/対談を終えて何しろ対談集なので(表紙には「命をめぐる対話」と書かれている)感想を一概には言えないのだけれど、生と死というものを、真っ正面からではなくて、各界の専門分野のひとたちが、それぞれの立場からそれぞれの得意分野的見方で語っているのが興味深く、面白かった。『ケアとは「ただ在ること」を肯定する体験』という鷲田さんの話はとても納得できたし、『「みずから」と「おのずから」の「あわい」を生きる』という竹内さんの話では自発的な意味付けをする「みずから」と、もともと意味なんてない「おのずから」との混ざり具合というか距離のとりかたというか、「みずから」も客観視することになるほどと頷いたりもしたけれど特に、興味深かったのが死者からのメッセージをどう読むか―内田樹さんとの対話“世界”を経由して“社会”に戻る―宮台真司さんとの対話頭で考えない!からだに訊け!―板橋興宗さんとの対話このお三方との対談だ。内田さんは、合気道の世界ではその名を知られた方で何でも後手後手にまわるのではなくて、先手先手で先を読んで、自分側に相手の動きを引き寄せる、という考え方が、とても私には新鮮で、なるほど~!って感じだった。この場合の先手というのは、いわゆる「さき読み」とは違って(「先読み」はただ己だけの空回り)、それは本書を読んでいただければわかるのだけれど、なんというか、うーん、武道って奥が深い!と改めて思う。そしてその合気道がレヴィナスという思想ととても結びつきが深いというのも興味深い。「全然別分野と思われるものが 実はものすごく深く繋がっている」というのは、私も年を重ねるにつれて、徐々に、少しずつ、わかってきたような気がする。宮台さんの話は<世界>と<社会>の話。簡単にいうと、いわゆる<あちら側(スピリチュアル的?)>と<こちら側(現実主義?)>のことで難しい思想の単語やら人名やら、主義やらなんやらがたくさん出てくるのだけれどそんな小難しいところは全部すっとばして、わかるところだけ読めば面白い!(私は現にそう読んだ、だって思想の話なんてさっぱりわからん!w)<世界>に触れる事が出来る<超越的体験>がもたらすことの意味や重要性を説くとともにそれだけではダメだとも説く。『往相還相』、つまり、「<行ったきり>ではなく、<もどってくる>」ことの大切さを手を変え品を変え形を変え話を変えて切々と訴える。対談の中では、他の方々が約40ページ前後なのに対し、宮台氏だけ80ページを割いていることからもこの話の奥深さと面白さがうかがえる。昨今のスピ・ブームで、どうも<あちら側>に<行ったきり>になってしまっている人が多くてなんか、それって間違ってはいないけどちょっと気持ち悪いよなあ、と思っていたココロのもやもやが、ちょっとすっきりした感じ。あと、「謎は解けず、超えられるしかない」という部分も、ものすごく共感できた。「超える」のではなくて、『超えられる』と表しているところに、そのニュアンスがよく表れていると思う。「超えよう、超えよう」と、どんなに努力しても、超えられないものは超えられないのだ。それが、どんどん悩みや謎が深まって、もうどうにもならなくなって「ああ、もういいや」と「あきらめ」たとき、(『諦め(断念)』ではなく、『明きら目(ものごとをありのままに見て受け止める)』)気がつくといつの間にか『超えられている』。これは、『超えられない』と悩む人に、いくら説明してもおそらくわかってもらえなくて(と、宮台氏もおっしゃっている)『超えられた』人にしかわからない感覚なのだろう。その宮台氏と、続く板橋禅師の話に共通するのは「もっと身体を使え!」ということと「どんなに考えても答えのでないこともある」ということ。意味だのなんだの、頭で考えすぎる。頭ではなく、身体で感じる事が大事なのだ。わからないことはわからない。それでもただ、生きて行く事。、と言い切ってしまうのは無責任かもしれないけれどそれが、私が本書を読んだ、「生きて行く意味」の答えだ。
2008.04.26
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あと4年あと1年あと2ヶ月この短い時間で何が出来る?どこまで出来る?
2008.04.25
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ついに、ついに佐々木丸美さんの復刊本が完結!全18巻が手元に届きました!20歳で『雪の断章』文庫本に出会って以来、単行本で全巻手元に揃えたい!と願い続けた夢が、ようやく、ようやく実現しました。楽天さんは、相変わらず画像UPが遅いようですので(笑)アフィリ画像はUP次第、後ほど貼付けるとしてまず、各帯文からご紹介。 『水に描かれた館』招かれざる客の殺意館の悲劇は終わらないさらなる事件に揺れ動く<館>の物語いとこ達が命を落とした冬も過ぎ、春の足音が聞こえ始める頃。おばの財産の継承する甥と姪として、館の財産目録作成に立ち会うべく再び百人浜を訪れた涼子たちだが、おばが招いたコレクション鑑定家の中に<招かれざる客>がいることに気づく。館は嵐のため断海の孤島となり、またしても奇妙な事件が発生するが・・・。 『夢館』前世の記憶を抱く少女伝説の<館>は永遠にーー伝説の<館>3部作、ついに完結!吹原家の当主・恭介と孤児の千波は不思議な縁に引き寄せられ、運命的な出会いを果たす。雪の屋敷に帰り着いた、転生と夢と記憶の物語。幼くして縁の河を流され、吹原家にたどり着いた孤児の千波。何者かの悪意を感じながらも、当主である恭介を「先生」と呼び恋い慕い続ける。そんな中、繰り返し夢に見る<崖の上のガラスの家>と<ドレスの少女>は千波の記憶を揺り動かすがーー。今回も味戸さんの表紙絵が素敵です。『夢館』の巻末には、佐々木丸美作品の登場人物の相関図も掲載されており、「あれ?この人の名前、確か何処かで見たような・・・」「この人の親は誰で、これはどの物語の流れからくるものだったっけ?」という丸美ワールド初心者にありがちな、しかし、そこがわからないと世界全体がつかめず面白さも半減するという混乱も、これがあれば一目瞭然(とまではいかないけれど ^^;))。しかし、改めて相関図を眺めてみると、その複雑怪奇さに驚くばかり。これを作成したかた(復刊活動の中心であった一ファンの方々)のご苦労もさることながら、これを脳内で組み立てた佐々木丸美ってぇ人は、なんて、なんてすごいんだ!!!と感嘆しきり。また、『水に描かれた館』の単行本だけに掲載された「あとがき」も収録されており、痛烈なマスコミ批判と著者の孤高の精神が目を引きます。『私が一言いえば、門前の小僧が何を言うかとばかりあげ足を取る者もいるが、 推理を文学に近づけんとしてささやかに努力する者の道をはばむ輩には石を投げ返す。 また、お遊び推理小説をふりかざして、これが推理文学であるなどという一群とは一線を引きたい。 おごり高い暴言と思わば思え。誰がなんと言おうと私はユートピアをめざす。 人々はよく、どのジャンルを書く作家になりたいのかと聞く。私は答え方を知らない。 (中略) すべての楽器をこなして音楽家であり、すべての対象物を描いて画家であり、 すべてのジャンルを描いて小説家であると思うのだが。』 (『水に描かれた館』 あとがき より)写真一番右側は、ブッキングさんの全巻予約特典『佐々木丸美の軌跡』という小冊子。年表や、丸美さんご本人がスクラップしていた作品やインタビューの新聞記事、復刊前のオリジナル表紙絵など、ファンなら涙モノの内容なのですが、中でも一番嬉しかったのが、『直筆原稿』のコピー!!!昔の事(昭和50年代)ですから、当然、パソコンはなく、手書き原稿。パソコン原稿だと、訂正箇所はきれいに消えて修正されてしまいますが、手書き原稿は、著者の試行錯誤の軌跡が垣間みれるのが、ファンにとってはとても嬉しい。また、きっちりとかかれた個性的で読みやすい文字にも佐々木さんご本人の気質が表れているように感じました。復刊活動にご尽力された皆様、本当にほんとうに、素敵な宝物を、どうもありがとうございました 尚、今回の復刊完結を記念して5月9日(金)~15日(木)まで北海道の紀伊国屋書店 札幌本店さんで『佐々木丸美展』が開催されます。味戸ケイコさんの趣のあるカバーイラストや直筆原稿の展示の他、トークイベントや朗読会も開催されますので、お近くの方は是非足をお運び下さいませ。入場無料です※このポスター画像は二次配布用に許可をとってあるものだそうですので 丸美さんファンの方々は是非、この画像を利用してご自分のブログで宣伝なさってくださいませ♪
2008.04.24
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昨年、三浦しをんさんの『あやつられ文楽鑑賞』を読んで以来、すっかり文楽の魅力に取り憑かれている。 生しをんさん逢いたさにトークショーに行って、人形遣いさんのワザに魅了され(記事はこちら)、11月には初文楽『曾根崎心中』(観劇日記はこちら)今月には『競伊勢物語/勧進帳』(観劇日記はこちら)、周囲にも「これはいいよ!」としをんさんの文楽小説『仏果を得ず』を勧めまくったりとその魅力に激ハマりの私であるがその文楽が!ハリウッドで映画化決定!!しかも準主役をつとめるのが、あの!Gackt!!! 『風林火山』の妖艶な上杉謙信役で、ロックになんぞちっとも興味のない世のおばさまがたをメロメロにし、ファンを激増させたという、あのがっくんですよ。元・MALICE MIZERの、(当時のライブ映像発見!こちら)あの!!!がっくんが 俳優としてハリウッドデビュー!サムライ役で!!!ww気になる映画の詳細はこちら。ただでさえありえないストーリー展開を見せる文楽をハリウッドで、しかもサムライ映画にするって、もう想像しただけでもとんでもないストーリー展開になりそうである意味、どきどきわくわくします (≧m≦*)映画、特にハリウッドには全く興味のないワタクシですがこれは、ぜひとも観てみたいものです。あ、もちろんお家でねw - * - * - * -<<追記(独り言)>>「アレ」が全然ダメです。すすみません。というか、いくら期間をかけても無理な物は無理だ~~~!!!
2008.04.23
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ここのところ、生活サイクルが妙なことになってきていて真っ昼間に睡魔に襲われます。仕事していれば、「ねむいなあ」くらいで済むものを、家にいるもんだからついついゴロンと横になってしまい、気がついたら2時3時で吃驚して目が覚める、という・・・。今日もやってしまいました。あーーー また本読めてないじゃん!!今週返却予定の分厚い田口ランディさんの対談集!!先週、先々週と、衣替えやら何やらで家事を張り切りすぎたのでしょうか。どうも春先は、あれもしなきゃこれもしなきゃと気が急いていけません。でもまあ、おかげでようやく夏への準備も完了したし、ちょっとくらい昼寝してもいいわいな。。。って だめだめ!!ずっと先延ばしにしてきた、アレはどうする!来月末までにはなんとしても終わらせないと!・・・というわけで(いいんです、自分一人で納得できれば)これからしばらく、読書日記以外はあまり書かなくなるかもしれません。来月末の藤井兄弟ライブ前には、なんとかアレを終わらせて弾けたライブ日記を書きたいなあ。。。ちなみに、上記に出てきた田口さんの本は、これ。 『生きる意味を教えてください』【内容情報】(「BOOK」データベースより)一人の読者からメールをもらった。知らない人だ。「どうして自殺をしてはいけないのですか?」「いつか死ぬのであれば、自分の意志で死ぬ時を選んでもいいじゃないですか?」この宗教的ともいえる疑問に、どう答えよう。〈私〉はこの「問い」を携えて、信頼する先輩たち友人たちの元を訪ねることにした。「どうして人は人を殺すのだろう」「どうして社会は良くならないのだろう」「人はなぜ死ぬんだろう」この世の矛盾や、残虐や、やりきれなさについて、考えている人たちがここにいる。答えの出ない問いをめぐって交わした9人との対話の記録。 【目次】(「BOOK」データベースより)生きる意味を教えてください/死を想えば生きていることの重荷が降りる―藤原新也さんとの対話/死者からのメッセージをどう読むか―内田樹さんとの対話/太古の時代の生命観をITで復元できるか―西垣通さんとの対話/ケアとは「ただ在ること」を肯定する体験―鷲田清一さんとの対話/「みずから」と「おのずから」の「あわい」を生きる―竹内整一さんとの対話/大丈夫、一生かけて帳尻が合えばいい―玄田有史さんとの対話/ヒロシマとアウシュヴィッツの体験から―森達也さんとの対話/“世界”を経由して“社会”に戻る―宮台真司さんとの対話/頭で考えない!からだに訊け!―板橋興宗さんとの対話/対談を終えて 私は最初に板橋興宗禅師との話から読み始めたのだけれどどこかでたしかに書いたようなことがそのままでてきて軽くデジャヴ(笑)意見を突き合わせる討論や対談ではなく、ランディさんが話を聞き出す形になっているのでそれぞれのひとの考え方がよく表れていて、面白い。重いテーマを扱ってはいるものの、話自体はさほど重くはない。でも、それぞれの対話に、それぞれ思うところがあるのがいい。前回の予約本日記から、随分経ちますがまだまだ手元に来ていない本がたくさんありますが(市内で一冊しかない本や市外から取り寄せの本があったりするので)新たに追加した数冊をご紹介。『赤朽葉家の伝説』桜庭一樹【内容情報】(「BOOK」データベースより)“辺境の人”に置き忘れられた幼子。この子は村の若夫婦に引き取られ、長じて製鉄業で財を成した旧家赤朽葉家に望まれ輿入れし、赤朽葉家の“千里眼奥様”と呼ばれることになる。これが、わたしの祖母である赤朽葉万葉だ。―千里眼の祖母、漫画家の母、そして何者でもないわたし。高度経済成長、バブル景気を経て平成の世に至る現代史を背景に、鳥取の旧家に生きる三代の女たち、そして彼女たちを取り巻く不思議な一族の姿を、比類ない筆致で鮮やかに描き上げた渾身の雄編。 『この世界のぜんぶ』『星に降る雪/修道院』池澤夏樹『この世界のぜんぶ』【内容情報】(「BOOK」データベースより)動物、植物、雨、海、空―めぐりゆく季節、身近な自然との交歓のむこうに、やさしく映し出される「この世界」。宇宙の果てを見晴るかす、詩人・池沢夏樹の眼差しと、美しいイラストが紡ぐ、小さくて温かな詩画集。『星に降る雪/修道院』地上の冒険を捨て「向こう側」をめざした、二人の男の、二つの物語 山の中に造られた天文台から、星を臨む男。クレタ島に現れ、廃墟となった修道院を修復する男。生と死、愛と憎悪のはざまで、この世ならぬものを得ようと望んだ彼らは。冷ややかな熱を帯びた、二つの短篇を収録。『風花』川上弘美【内容情報】(「BOOK」データベースより)夫に恋人がいた。離婚をほのめかされた。わたしはいったい、どう、したいんだろう―。夫婦の間に立ちこめる、微妙なざわめき。途方に暮れながらも、自分と向き合い、夫と向き合い、少しずつ前へ進みはじめた、のゆり、33歳の物語。『論理と感性は相反しない』山崎ナオコーラ【内容情報】(「BOOK」データベースより)神田川歩美、矢野マユミズ、真野秀雄、アンモナイト、宇宙、埼玉、ボルヘス、武藤くん。神田川(24歳、会社員)と矢野(28歳、小説家)の2人を中心に、登場人物がオーバーラップする小説集。「小説」の可能性を無限に拡げる全15編。 『袋小路の男』絲山秋子【内容情報】(「BOOK」データベースより)指一本触れないまま、「あなた」を想い続けた12年間。“現代の純愛小説”と絶讃された表題作、「アーリオ オーリオ」他一篇収録。注目の新鋭が贈る傑作短篇集。第30回川端康成文学賞受賞。
2008.04.21
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明日は満月。満月といえば フリフリ♪今月は4/20(日)19:25が満月ジャストタイムです!今月もお月さまの力を借りて通帳やお財布を楽しくフリフリ♪しちゃいましょう!フリフリとは?ご存じないかたのために、御説明。「フリフリ」とは、mix○で見つけた『満月の力で臨時収入を得る会』で使われている 素敵な言葉。-------満月に預金通帳を見せて? 臨時収入が入っちゃう?? そんなことってアリアリ??? あるらしいです、それが。 満月にはお金に関するいい気が空気中に出てくるそうです。 ホントかよ??だったら検証しよーじゃん!というのがこのコミュの主旨。 毎月、満月の光に貯金通帳を開いて当てて、後日、いくらの臨時収入が入ったかを報告しあいましょう。 * * * や * り * か * た * * * 1. 通帳またはお財布を用意する 2. お財布からクレジットカード、領収書など「お金を使う事に関係する」ものを抜く。 お札は入っていてもいなくてもかまいません。 3. 満月の日に、外の気にお財布や通帳を晒しながら(このときに振ると良いです) 「今月も臨時収入がたくさん入りました。お月様ありがとうございます!」 と、過去完了形で宣言をする ※ 曇り、雨、日中であっても、満月の「氣」は満ちていますので、 安心してフリフリしてください。 ※ 満月の前後一日間も、「満にする氣」が大気中にありますので、 前後にお振りいただくのもOKです。 ※ こだわる方は、満月の一日前から満月になるきっかりの時間までに振ってください。 ※ 振り振りする場所にお月様の光が届かない、お月様が見えない!ってときでも大丈夫。 空気中に充満する満月の「氣」は、お月様本体が見えなくてもそこにあるのです。 安心して振り振りしてくださいませ☆ ※ 冬などの寒い時期も、ちょっぴりだけ我慢しておうちの外で振ってください。 ※ 長時間振る必要はありません。-------ただ通帳をフリフリするだけ。臨時収入、あったら儲けもん。なくても笑ってすませられる、実害のない、このお馬鹿企画。さあ みんなで Let's フリフリ♪♪
2008.04.19
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怒れと煽るひとがいる怨めと煽るひとがいる殺せと叫ぶひとがいるそれが正義と疑いもせず
2008.04.18
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作家/田口ランディさんの今日のブログの記事にとても興味深い話があった。中学を受験したいと言い出した娘さんにランディさんが「受験してもいいけれど、受験勉強してほしくない」という話で、何故かというと「ああいう勉強の仕方を覚えると、将来、なんでも答えを求める人間になりそうで怖い」からだそうだ。受験勉強の是非を論じても、現状の社会ではこれは避けて通れない問題なのでとりあえず置いておくとして、「なんでも答えを求める人間」が増えてきているのは事実だと思う。「答え」というよりは「正解」だ。みんなこぞって「正解」を求めている。「正解」とは、今の社会の価値観で言えば、おそらく「成功する」ことだろう。でも、それが果たして本当に『正解』なのだろうか。テストの問題に対する答えは、大抵 ◯とX、正解か不正解しかない。その考え方でいえば、人生には「成功」と「失敗」があり失敗したら落第なのだ。でも、人生のあらゆる問題に対する「答え」は、大抵、正解も不正解もない。むしろ、そのどちらでもない事のほうが圧倒的に多い。例えば、恋人が浮気をしたとして「そんな人とは別れて、別の人と付き合う」という答えもあるし「あやまちを許し、元通り仲良く付き合う」という答えもあるし「一旦分かれて様子を見て、反省していたらよりを戻す」という答えもあるし、「だったら自分も浮気してやる」という答えもある。どれが正解でもないし、どれが不正解でもない。友達全員に「そんなひととは別れなさい」と言われたとしても自分自身が「相手を許そう」と思うのならば、そう生きるしかない。自分で考えて、自分で選びとる。選ぶからには、自分の選択に責任を持つ。たとえ、自分で選んだものではなくても自分自身の「人生」を他者のせいにしない。結果を引き受ける。結果を引き受けて、ただ生きる。それが、「ほんとうの正解」なのだろう。人生には たくさんのさまざまなハードルが待ち受けているけれど「『正解』を求める」生き方というのはそのハードルを跳べたら成功、飛べなかったら失敗、というふたとおりの考え方しかできない気がする。飛べなければ、飛ばない、という選択肢もある。脇をすり抜ける、という手もある。ハードル自体を脇にどけてしまうことも出来る。手で倒して、またぐ事も出来る。「競技」(他の誰かと競う事)であれば、これらは失格だけれども「人生」(誰かと共に歩む事)であれば、これらはユニークな個性のひとつだ。あらゆる物事は、白か黒かだけではない。あらゆる事象は、善と悪だけでは量れない。全ての対称となるものは、表裏一体。善悪も、男女も、生死も、何もかも。少しだけ、物の見方を変えたなら今までとは全く違った世界が見えて来る。
2008.04.17
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(左:単行本 右:文庫本)【内容情報】(「BOOK」データベースより)宝くじに当った河野は会社を辞めて、碧い海が美しい敦賀に引越した。何もしないひっそりした生活。そこへ居候を志願する、役立たずの神様・ファンタジーが訪れて、奇妙な同居が始まる。孤独の殻にこもる河野には、二人の女性が想いを寄せていた。かりんはセックスレスの関係を受け容れ、元同僚の片桐は片想いを続けている。芥川賞作家が絶妙な語り口で描く、哀しく美しい孤独の三重奏。いい!この物語はいい!!!今まで絲山さんの小説をいくつか読んできておそらくあと2,3作品で読破できそうなんだけれど、中でもこの作品が飛び抜けていい!!!154ページという短い物語の中に、人生の悲喜交々が凝縮されていて珍しく中盤で落涙してしまった。薄い本だから電車内で読もうと思っていたのだけれど、家でよかった。部屋で一人でじっくり味わいたい、手元においてまた読み返したい、そう思える数少ない本にまた巡り会えた。この作品は第130回芥川賞候補だったそうなのだけれどこの時の受賞者は確か最年少記録を更新した若い二人。なぜ、本作が選ばれなかったのか。こういう良書こそ、話題になって多くの人に読まれて欲しいのに。私は、お涙頂戴的に人の死を扱う物語が嫌いだ。主人公の過去のトラウマや心の傷で読者の憐憫を誘う作家も苦手だ。それらは程度や種類の差こそあれ、誰でも抱えているものなのにそれをさも特別な悲劇であるかのように描かれている文章を読むと主人公のそのエゴや傲慢さが、作家のそれをありありとそこに浮かび上がらせるようで。本書の中にも、そういった「影」の部分は出て来る。主人公の男性は幼少期の体験から性的不能だし、大切な人を失ってしまったりもする。でもそれは物語に起伏をつけるためだけのものではなくましてや、悲劇的に主人公を飾るものでもなく、それにけなげに立ち向かう『こころの強さ』を強調するがゆえのエピソードでもない。登場人物たちは、みなそれぞれに心に痛みを抱えている。そしてみな、悩みながらも、それをそのまま噛みしめ、受け止めている。誰のせいにもせず、もちろん自分のせいにもせず、痛みを抱えた自分を、そのまま受け止め、生きている。その真摯な姿勢が、潔く心地いい。もちろん、そんな傷を自分ひとりでそのまま引き受けるにはつらすぎて誰かに頼りたくなるときもあるけれどそんなときも主人公たちは、「自分の輪郭」を崩さない。大切な相手だからこそ、依存しない。誰かがつらいときにはそっと寄り添う。寄り添うけれど、踏み込まない。自分がつらいときには、寄り添って欲しいと願い、友達や恋人に「たのむ」。でも、「頼らない」。登場人物ひとりひとりが、本当の意味でオトナであり、自分と他者との距離のとりかたを、きちんと心得ていて「甘え」がない。それが物語を安心して読み進められる所以でもある。「孤独ってえのがそもそも、心の輪郭じゃないか? 外との関係ではなくて自分のあり方だよ。 背負っていかなくちゃいけない最低限の荷物だよ。 例えばあたしだ。あたしは一人だ、それに気づいているだけマシだ。」主人公に思いを寄せる女友達のこの台詞には絲山さんが真摯に自分と向き合ったココロの軌跡が確かにある。また、ぜんぜん役に立たない神様である「ファンタジー」の存在もいい。見える人と見えない人がいるから、「ファンタジー」なんだけれどなんだか俗っぽいいい加減な神様。でも、その台詞が「さすが!」なのだ。「役に立たないがゆえに神なのだ」「俺に救われるんじゃない。自らが自らを救うのだ」(「ファンタジー、なにかをするってことは前に進むってことなんですか?」)「どっちが前かわからんがな。 物事が連鎖するのは間違いないから、前に進む事もあるだろう」「ただ、人間が生きていくためには俺様が必要なのだ」「だから思い出せないのが一番正しいのだ。 真実とはすなわち忘却の中にあるものなのだ」いい加減な中で、ぽろっというひと言がいい。「真実」を、どこにも書いていないところが、またいい。この話はストーリー展開がすべての肝なのでここに詳細を書けないのが歯がゆいのだけれど、生きて行く上でおこるさまざまな出来事をただ淡々と受け止めて、仙人のように静かに生きる主人公のその姿勢こそがあえていうなら唯一の『真実』なのだと思う。意外な展開を見せる中盤からは、随所で涙がぽろぽろ落ちた。 自分は本当に最初から最後まで手前勝手だった、なにもわかっていなかった大切な人をなくし、主人公が自問するシーンでは何かを突きつけられた気持ちになる読者も多いのではなかろうか。
2008.04.16
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パワーストーンのアクセサリーはたくさん持っているのにまた買っちゃいました♪金のルチルルチルクォーツとは水晶の中に針状の内包物があるもので和名では「針水晶」といい中でも金色の針を持つ石には強いパワーがあるとされています。金の線が入っていることから「きんせん(金銭)が入る」などと意味をこじつけているところもありますが(笑)実際にはこの石は、波動を上げたり、ネガティブなものから持ち主を守るちからがあります。(詳細はこちら)私の誕生石は12月 → ターコイズ(石の意味はこちら)射手座 → ラピスラズリ(石の意味はこちら)なのですが、あまり惹かれないんですよね~(笑)でも何故かルチルはとても惹かれてしまう。相性もいいらしく身につけているととても落ち着くので一番のお気に入りそんなこともあって、いくつももっているのに見かけるとつい手が伸びてしまいます。今回買ったお店は以前もこのブログでご紹介した『クロージョーアイズ』さん。前回同様、オークションで半額以下で落札しちゃいました(写真は私が落札した石)写真で見ると、ちょっと白っぽく見えたのであまり針(金色の糸のような内包物)がないのかも、と心配だったのですが届いてみてびっくり!!細いけれどもタイタンルチルが二本も入ってる!!!タイタンルチルとは金糸が何本も集まって、太く力強い束状になっているものでそれが入っていると、より強力であるとされている貴重な物。当然お値段もそれなりにします。それがこんなに低価格で手に入ってしまうなんて!このお店で以前買ったネックレス(やっぱりルチルw)にも驚くほどくっきりはっきりしたタイタンが入っていてどっひゃーーー!!!だったのです。なんて良心的なお店なんでしょ今日は早速、届いたばかりのネックレスを身につけて家事をしたせいかものすごく手際よく片付いちゃいました冬の間ずっと気になっていたカーテンの汚れも洗濯して真っ白になったし、明日から気分よく過ごせそうです♪
2008.04.15
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・・・と言っても、脚や腕の筋肉を痛めたわけではございません。この半月ほど、家で『肉』を使った料理をしていなかったのですこんなことは今までなかったので驚きました。別に意識して食べないようにしていた訳ではなく、お魚はしっかりいただいていましたし(先週は金目鯛がお買い得だったので、まるまる一匹煮付けにして食べました。 関西では高級魚の金目鯛、久々に食べられて美味しかった!)外食の際には、しっかりお肉もいただきました。元々、野菜でお腹が満たされるように工夫していはしますがそれはバランスよく栄養を摂るためであって、ベジタリアンを目指している訳ではありませんし、それにどうしても、お肉を食べないとお腹いっぱいにはなりにくいもの。そのうえダンナは肉体労働者(畳屋)。肉や魚を食べなければ、力は出ません。でも、そのダンナが、最近、肉を食べたがらなくなってきているのです。きっかけは、『牛肉離れ』から。元々、関西(大阪)は『食い倒れ』の街。(※関係ないですけれど、ミナミの『くいだおれ』本店、今年7月で閉店だそうです)肉と言えば牛肉!というお土地柄。カレーや肉じゃがには必ず牛肉だし、「牛スジ」という関東人には馴染みのない食材が幅を利かせていて(牛のアキレス腱をやわらかく煮込んだ物)オムレツやおでん、お好み焼き等、さまざまなものに入り込んでいるのです。が!元々、牛肉はあまり好きではなかった私はなかなかその文化に馴染めませんでした。以前、読んだ本のなかにも出てきたのだけれど最近の牛肉(スーパーで特売されているようなもの)ってなんだか火を通すと妙に薬品臭くありませんか?「え?そんなことないよ」というひとが大半だと思いますが私にはそれがどうにも気になって牛肉はほとんどまったく家では購入しなくなりました。代わりになんでも豚肉や鶏肉!そのほうが安価で栄養もあるし、実家でもそれで料理していたので扱いなれていたのもあります。最初こそ「カレーはともかく、牛を使わない肉じゃがなんて信じられない!」と言っていたダンナに合わせ、なるべくダンナ好みの甘辛い(かなり甘め)の味付けにしていたものの、じょじょ~にじょじょ~~~に私の味付け(薄味・塩分控えめ)に移行(←洗脳ともいうw)今では「牛肉が世の中からなくなっても全然困らない」などという関西人としてあるまじき発言をするまでになりましたwwふふふ。洗脳成功!などと密かにほくそ笑んでいた私ですが。食費やガス代電気代を安価に抑え、なおかつ栄養を摂れるように、と工夫を凝らした食生活が知らず知らずのうちに、私の無意識まで洗脳していたらしく。気がつけば野菜炒めに肉を入れ忘れる事が多くなり、(忘れ物というのは、無意識の現れともいわれています)あぶらを使う料理をしなくなり(火を止めてフタをして蒸し焼きにしてしまう事が多い)それでも特に『物足りない』と感じることもなくなっている自分たちがいました。この意識の変化には我ながら吃驚。これから先も、特にベジタリアンになろうなどとは思っていませんがなんとなく、じょじょ~にじょじょ~~~に肉や魚のエンゲル係数は減って行きそうな予感です。
2008.04.14
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【内容情報】(「BOOK」データベースより) いつもあなたを見つける度に、ああ、あなたに会えて良かったと思うの。 会った瞬間に、世界が金色に弾けるような喜びを覚えるのよ…。17世紀のロンドン、19世紀のシェルブール、20世紀のパナマ、フロリダ。時を越え、空間を越え、男と女は何度も出会う。結ばれることはない関係だけど、深く愛し合って―。神のおぼしめしなのか、気紛れなのか。切なくも心暖まる、異色のラブストーリー。 あまーーーーーーい!!!少し前の某漫才師の一発ギャグじゃないけれどとにかくあまーーーい!!!作者が『メロドラマが書きたいと思って書いた』という作品だからストーリーがあまあまのは仕方ないのだけれどあんまりにも運命論的、且つ、甘ったるすぎ、且つ、同じような話が何度も何度も時代を変えて登場するだけ。途中で何度も放棄しようかと思ったのだけれど、ここでやめたらオチがわからん!と、根性で読了。その結果のオチが「それかい!!」と思わずはたき込みを食らわせたくなるほど「お決まりのパターン」で、かえって驚いた(笑)ストーリーはエドワードとエリザベスが、時空を超えて何度も再会する話。二人はとても惹かれ合っているのだけれど、何度生まれ変わってもほんのつかの間(数時間とか数分)しか心を通わせる事が出来ない。けれどもふたり(のうちどちらか一方)は、何度も相手の事を夢で見ていて巡り会う前から相手に再会することがわかっている。それなのに、さまざまな事情で、やっぱりふたりはすれ違ってしまい、沿う事が出来ない。というもの。いわゆる「輪廻転生もの」のお話は基本的に好きなはずなのだけれどこの話はまったく受け付けなかった。おかしいなあ。。。恩田さん、文章も巧みで嫌いな作家じゃないんだけれど。受け付けない理由をあれこれ考えてみたのだけれどどうも輪廻をロマンティックに捉えすぎている処が私に取ってはだめなのかもしれない。なにしろ、会った瞬間に、世界が金色に弾けるような喜びを覚えるのよ。この表現だ。この台詞が何度も何度も出て来る。誓ってもいいけれど、お目目の中に星が瞬いているようなひと以外、こんなことはあり得ない。初めてあったのに懐かしいような、ずっと前から知っているようなそんな感じはあるけれど、はっきりばっちり【わかる】衝撃に「うぎゃー!」って思う事はあるけれどそれをこうもメロメロに描かれると、ちょっとどころかかなり引く(笑)「会えて良かった」とは思うだろう。けれど、それはあとから思い返してみて、じんわりと心の底から湧いてくるような感情で、出会った瞬間に「おお!ロミオ!!」となるのは漫画かドラマの世界。小説で文字として読むと、とたんに白けてしまうと感じる私はよほど醒めているのだろうか?恩田さんの作品は(あくまでも「私にとっては」、だけれど)当たり外れが大きい。私がラブストーリーが不得意、というのもあるけれど(そのわりには佐々木丸美さんの作品なんか敬愛を通り越して崇拝しているけれど)これは・・・ うーん・・・(笑)唯一共感できたのがエドワードの紋章の意象とそれに付随するモットー。 魂は全てを凌駕する。時はつねに我々の内側にある。 命は未来の果実であり、過去への葦舟である。そう。時は我々の内側にある。今まで読んだ中でいちばん好きな恩田さんの作品は『光の帝国』。これはとても好き。 【内容情報】(「BOOK」データベースより)穏やかで、知的で、権力への志向を持たずにひっそりと生きる人々。時を超えてよみがえる風景。彼らが生かされている場所と帰るべきところは?あなたのまわりにも彼らはいる。不思議な能力を持つ一族の物語。それにつづく『蒲公英(たんぽぽ)草子』も割と好きだったな。 『蛇行する川のほとり』もよかった。 【内容情報】(「BOOK」データベースより)あの夏の日、少女たちは川のほとりにある「船着場のある家」で合宿を始めた。夏の終わりの演劇祭に向けて、舞台背景の絵を仕上げるために。それは、楽しく充実した高校生活の最高の思い出になるはずだった。ひとりの美しい少年の言葉が、この世界のすべてを灰色に変えるまでは…。そして、運命の歯車は回り始めた。あの遠い夏の日と同じように―。運命の岸辺に佇む少女たちの物語。
2008.04.12
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【内容情報】(「BOOK」データベースより)既存の堅苦しいことわざや標語は時代に合わないものばかり。そこで作られたのが、ひろさちや流のことわざ。「二度でやめとけ、無駄な努力」「嘘つきは愛情のはじまり」「未練残さずさっさと逃げよ」など、心が温かくラクになる生き方、考え方が凝縮された一冊。世間体なんて何も気にすることなく、もっと自由にのびのび生きたくなることウケアイ。ひろ氏の著書は、わかりやすくて共感できる物が多い。本書も思わず「うんうん」と頷く箇所がたくさんあった。印象に残ったものをいくつか抜粋。「日にち薬をお忘れなく」堪え難い苦しみや悲しみには、どんな慰めの言葉も励ましも役には立たない。激しい怒りや嫉妬を感じ、相手に報復したとしても、鬱屈した感情は消えず、かえって関係がこじれるだけ。そんな時には「日にち薬」。ほとんどあらゆる問題を解決できる万能薬にして副作用なし。是非ともこれを服用してください、と、ひろ氏の弁。ただし、この万能薬にも欠点があって、それは「一度にたくさん服用できない事」。10年経てば、大抵、どんなつらい出来事でも『想い出』にすることができるけれど10年分を服用するには10年かかる。でも『一日に一日分は確実に服用できます』なんとあたたかい、心強い言葉。今日あったつらい事も、明日になれば「昨日つらいことがあった」となり明後日になれば「一昨日つらいことが…」となる。ずっと哀しい思いをしないために、悲しみが過去の物となるように、神様は昼と夜を作ったのだ、なんていうインド神話の「いい話」も出てきます。「二度でやめとけ、無駄な努力」『努力』というと、日本人は『美徳』ととらえがち。でも努力には実は二通り種類がある。「自己肯定型の努力」と「自己否定型の努力」。自己肯定型の努力は、仏教で言う【精進】。自己否定型の努力は、何かに負けまいとして『頑張る』こと。大切なのは<ありのままの自分>で努力すること。現実をしっかり見つめ、自身や現状をきちんと把握し努力する。そうすれば自信に繋がるけれど女性が男性に負けまいとしたり(女性が男性になる事はできない)貧しい人が金持ちに負けまいとすると(現実を見つめないで無理をする)その「がんばり」は劣等感につながってしまう。だから無理に「がんばる」ことはやめなさい、との提言。本書には書いていなかったけれど何かに負けまいとして「頑張る」事は、たとえその負けまいとする相手が『自分自身』であったとしても競争意識に繋がると、私は思う。競争意識とは、何かと何かを比べる事。何かと何かを比較しても、あんまりいいことはないように思う。この世にある物事は総て、必ず、存在意義がある。何かが何かに比べて、『意味がない事』なんて、ないのだから。「苦が苦になるのは、苦にするからだ」わたしたちは、思い通りにならないことを思い通りにしようとするから「苦」に感じるのです。思い通りにならないことを、思い通りにしようとしなければ、なにも「苦」になりません。と本書にあります。『病』も『老い』も、『暑さ』『寒さ』も、自分ではどうしようもないことを考えても仕方がない。「あきらめ」ましょう。『諦め』(断念する)ではなく、『明きらめ』(物事をありのままにみつめる)。先日読了した田口ランディさんの『キュア』の中の一節にもあったけれど『私』という意識が身体を支配しているのではなくて「意識は身体の一部」と考えた方が、多分いろんな意味で理屈が通るように思う。もし、意識が身体を支配していて、身体が自分の思い通りになるのだとしたら、きっと誰も病気になどなりはしないだろう。本書の話題からちょっと外れるけれど身体は、『私』という魂の入れ物(乗り物)だ。『私』は、今の自分の身体を、自分自身で選んで、この世に生まれてきた。『身体』は、魂のよりどころだ。『私』を受け入れてくれたこの『身体』。『身体』あっての、この世の『私』だ。上手く言えないけれど、つまり、意識も肉体も、同じくらい大切だ、と思う。昨今のスピリチュアル流行りといい、極端な健康志向といい、『意識』(あれこれ考える事)ばかりに関心がむかいがちだけれどもっと「ありのまま」を大事にしたい。そのほうが、気持ちも身体も、きっと楽だ。
2008.04.10
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昨日の記事(『競伊勢物語』)の続きです。今回の上演パンフレットのインタビュー記事の中で今春、朝日賞を受賞された文楽技芸員・竹本住大夫さんは次のように語っていらっしゃいます。 - * - * - * - * - * -(『競伊勢物語』の)作品そのものは、一級品やのうて二番手ぐらいやと思いますが、それだけに勉強になりまんなあ。完成度の高い演目は演者を助けてくれますけど、二番手を上演する時は、よっぽど自分が勉強せんと、お客さんに理解してもらえまへん。 - * - * - * - * - * -『競伊勢物語』が二番手ならば、続く『勧進帳』は間違いなく一級品でしょう。<あらすじ>『勧進帳』兄・源頼朝から追われる身となった弟の源義経が武蔵坊弁慶ほか数人の従者をしたがえて、山伏の姿に身をやつし、奥州・藤原氏を頼って落ち延びる途中、加賀の国の関所で止められる。我々は東大寺大仏殿建立を勧進するものとして義経らは関所を通ろうするが山伏はひとりも通すなとのおふれが出ており関は通れない。そこへ関守である富樫介正広(とがしのすけまさひろ)が登場し本当でれば勧進帳を持っているはず、読み上げよ、と弁慶にせまる。弁慶は白紙の巻き物をさもそのものであるかのように朗々と読み上げる。それでもなおも怪しむ富樫は、自身が多少仏教に通じていることから山伏の修験法や秘密の法、なぜ僧であるのに脇差しを指しているのか、等を弁慶に問い詰める。それに少しもひるむことなく、よどみなく応える弁慶に感じ入った富樫は通行を許可する。ほっとしたのもつかの間、強力(ごうりき・荷物持ち)に扮した義経が顔が似ているとして役人に呼び止められる。弁慶は「疑われるのはお前のせいだ」と、主君である義経を杖で滅多打ち!なおも撲殺しようとする弁慶に、富樫らは疑いは晴れたと止めに入り、ようやく一行は関を抜ける。抜群の機転に感心する従者らに、弁慶が主君を打った悔いを吐露しているところへ先の富樫らが追いつき(!)先ほどの詫びにと弁慶に酒を勧める。弁慶は喜んで受け、延年の舞を舞う。関所を留守にしていいのか、富樫!とか山伏が優雅に舞を舞っていいのか?とかいう突っ込みどころもあるが個人的には、弁慶が妙に山伏について詳しいことに感心。「シテ篠懸の因縁は」「これぞ九会曼荼羅(くえまんだら)を表す」「黒き脚絆は」「胎蔵界の黒色なり」「八つ目の草鞋は」「八葉の蓮花を踏むに象る」「シテ山伏のいでたちは」「すなわちその身を不動明王の尊容に象るなり」「出る入る息は」「阿吽(あうん)の二字」 (床本より)富樫と弁慶の掛け合いが絶妙。山伏のいでたちが不動明王を真似たものだなんて初めて知った。九字の真言が法華経からとったものだということも初めて知った。今まで知らずに「九字切り」などということばを使っていた事よ(滝汗)それにしても、この演目はなんと言うか、もう完璧に弁慶の独り舞台、まるで『歌舞伎』でした。普段はあまり動かない人形の表情がめまぐるしく動き、表情で演技するかんじ。それだけ、人形(弁慶)が主役ということ。普通、人形さんは主遣い(頭と右手担当)さんだけが顔を出し、あとのふたり(左手さんと足遣いさん)は黒子として顔を隠しているのですが3人ともばっちり顔見せ!(しかもこの日の弁慶は、大好きな桐竹勘十郎さん♪)床には三味線さん7人、大夫さん9人がずらりとならんで壮観!!!演奏も大迫力なら、人形もすごい!最初の弁慶と富樫のやりとりのところは、弁慶は力強く応酬するも直立不動で、動きはまったくの「静」。それがラストの舞の場面では、もう、ほんとうに人が舞うように人形が舞うのです!!これがすごい!!!めっちゃくちゃすごい!!!右に左に扇をもちかえ、見えを切り、地団駄を踏み、上手(かみて)から下手(しもて)へ、下手から上手へと走り回り三味線の演奏と相まって大迫力!!!あまりの激しい舞い踊りに、若い足遣いさんが全くついていけてません(笑)『足10年』といわれる文楽世界のようですが、おそらく10年近くになるであろう若手の中でも割合年上の、『兄さん』格であろう人でもそんな風ですからその激しさは相当なもの。でも勘十郎さんは涼しげな表情。ぴしっと背筋も腕ものびていて、表情ひとつ変わらず。あまりのかっこよさに私、惚れてしまいそうでした(ぽ) 先のインタビューで竹本住大夫さんはこのようにも語っていらっしゃいます。- * - * - * - * - * -文楽は教養番組やのうて娯楽番組でんねん。とにかく肩の凝らんようにしたいものです。ああしんど、はよ帰って楽になりたいわ、とお客さんに思わせたらあきまへんなあ。いかにも浄瑠璃語ってまっせ、というのやのうて、浄瑠璃を語らんと語ってる様、客席に自然にとけこんでいくような浄瑠璃が理想でんな。- * - * - * - * - * -元々庶民の娯楽であった文楽や歌舞伎。それが時が経つにつれ、作品中の言い回しや登場人物の思考/価値観のの古くささにだんだんと客の足が遠のき、(不思議と少し前のもののほうが、うんと昔のものよりも古くさく感じるものだ)いつの間にか、お手軽で「カッコいい」とされる西洋文化のライブやミュージカルなどにとって代わられてしまった。自分も今までそうだったので、それを批判はできないけれどこんなにもおもしろいもの、しかも2等席ならたったの¥2300で観られるものを観ずにおくのはほんとうに、ほんとうにもったいない事だと思う。下手なドラマなんか観るよりも、文楽はダイナミックで、洒落も効いていて設定もある意味めちゃくちゃで、すごくおもしろいものなのだ。何故か、日本人は西洋の文化を変に崇拝する傾向にある。同じ古典芸能なのにオペラやバレエだと「カッコいい」「オシャレ」と言われ歌舞伎や能だと、同じ言葉を言われても、その裏に『一風変わったひと』『通ぶった人』といった皮肉な意味が込められてしまう気がする。オペラだってバレエだって、大抵の人は外国語で上演されるものは、台詞や設定がわかりづらいから大抵パンフレットなどで予めあらすじをアタマに入れておくだろう。それは現代人では理解しにくい古い言葉で上演される歌舞伎や文楽だって同じだ。オペラやバレエは外国の文化が下地にあり、わかりづらいけれど歌舞伎や文楽が日本の文化であるぶん、ずっと馴染むしわかりやすい。上演前の十数分、ちょっと予習するだけで、正確な言葉はわからずとも、そのニュアンスや大夫三味線の迫力だけで十分伝わって来るものがある。小さな人形が演じているのに人間が演じるよりダイナミックで楽しい文楽。素晴らしい。これから益々、のめり込んで行きそうな予感です♪
2008.04.09
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先週の土曜日、紅ずきんさまと文楽鑑賞に行って参りました。桜満開のお花見日和さすが、晴れ女が二人揃うと某ライブの時とはちがうわ~ww今回の演目は、『競伊勢物語(はでくらべいせものがたり)』と『勧進帳』またまた初心者にもわかりやすい、馴染みのある物語をチョイスいたしました。後半の『桂川連理柵』(かつらがわれんりのしがらみ)もストーリー展開がドロドロの昼ドラっぽくて見てみたかったのだけれど前回、一日ぶっ通しで観劇して疲れきってしまったので(笑)また次回。今回も紅ずきん様は、一目で彼女とわかる個性的なお洋服でご登場。確か、ワンピースの上に黒のジャージをはおっていらっしゃったのだけれどよぉ~く見てみるとこのジャージの織が凝っていたりして、やはり「おしゃれさん」♪前回同様、今回も勇んで公演初日にかけつけたのですが亀の歩みのごとくノロノロとしたエスカレータに乗って開演時刻少し前にロビーに到着すると、会場内から何やらパチパチと拍手の音が。「あれ?何かやってたんだね?」なんぞと、素人丸出しの会話を繰り広げつつ、(結局、何をやっていたのかは不明。 過ぎた事にはこだわらない我ら射手座O型同盟)ロビーの広くて大きなソファでのんびりパンフレットを広げ、今日の演目を予習。<あらすじ>『競伊勢物語(はでくらべいせものがたり)』 玉水渕の段 春日村の段信夫(しのぶ)と豆四郎は新婚ほやほやの仲睦まじい若夫婦。京の都から奈良の春日村の信夫の実家への帰り道の茶屋で、「玉水渕という池に、天皇の三種の神器のうちのひとつで、現在所在不明になっている鏡が沈んでいるらしいからあの淵の周囲にはくれぐれも近づかぬように、おふれが出ている」という話を耳にする。それを聞いた豆四郎は主君(伊勢物語の主人公である在原業平公)のため、早速この鏡を手に入れようと試み、いきなりラブラブの信夫に「今生の別れ」を切り出すがこの茶屋まで荷役を頼んだ鐃八(にょうはち)に「ひとまず、明日まで待った方がいい」と諭され、それもそうかと思い直して(笑)奈良へと急ぐ。ところが賢い信夫は帰路の途中で夫を巻き、自分ひとりで罪をかぶって鏡を手に入れそれを夫に渡す。そのいきさつを信夫から聞いた豆四郎は、このままでは信夫の母の小よしにまで罪が及ぶからと信夫に「母から勘当されるように仕向けよ」と命じる。驚く信夫はまだかぞえ17歳。うまい機転もきかず、どんなに母につらくあたっても、小よしは信夫の機嫌が悪いのは自分のせいと娘を心配し、気をもみ、詫びるばかり。そこに信夫の実の父であるという、公卿・紀有常が現れて、信夫を返してくれという。このまま自分との縁を繋いでも、信夫の命は守れない。科人(とがにん・罪人のこと)として命を落とすよりはましと、小よしは泣く泣く娘を勘当し有常に渡す。ところが信夫が、在原業平と共に姿を隠している(かけおち?のようなもの?)井筒姫と瓜二つであったこと、豆四郎が業平と似ていた事からふたりは業平と井筒姫の身代わりとして、断腸の思いの有常に首をはねられる。あらすじを書くだけでも「それってどうなの?」状態で観ていると更に脳内回路がイカれそうなほど、波瀾万丈の展開で突っ込みどころ満載のこの物語。悲劇的なラストではありますが随所にコミカルなシーンを挟み、重苦しくならずに話はすすみます。そのコミカルさが、もう!!!おそらく江戸の昔でも超ド級のぶっとびワザの連続!まず、淵に鏡が沈んでいるという話。ふたりを諭したはずの鐃八が、何故か夜中の淵に現れ、おもむろにもろ肌脱いで池へざぶん!!!褌(ふんどし)姿で池へ潜って鏡を探し始めます。しかも泳法はバタフライ!!!いるかのごとく、ざんぶざんぶと舞台を右へ左へ泳ぐ鐃八。断っておきますが、文楽は人形劇です。3人で一体の「人形」を操っているのです。この泳ぎがまあすごいのなんのって!!!あの迫力は見た人でないとわかりませんわね>紅ずきんさま (≧m≦*)途中、何度か潜っては、雑草を引き抜いてしまったり、がらくたを手にして放り投げたりと芸が細かいのもすごい!そしてやっとこさ鏡を見つけると、淵に上がって湛然に身体を拭きます。アタマに巻いていたねじり鉢巻をほどいて(ホントにほどく)、左腕、右腕、腹、足、左脇の下(笑)、右脇の下(爆)まで丁寧に。拭き終わると、ぎゅっと手ぬぐいをしぼり(ほんとに絞る)おもむろに丁寧にお宝の鏡を拭き始め・・・・と、いつの間にか真後ろにいた信夫が素早く鏡を持ち逃げ!!!(爆)夜とはいえ、何故真後ろに来るまで気がつかないのだ鐃八!!!ここで鐃八と信夫が鏡の奪い合いをして、信夫は肩袖を鐃八に引きちぎられてしまいます。後に鐃八はこれをネタに、豆四郎に金をゆすりにくるのですが対応に出た豆四郎のにぶいことといったら!!袖を見せられても「はて、どこかでみたような」妻が命がけでお宝を奪取したというのに、乱れた髪の妻をみて浮気を疑う有様。嗚呼、信夫!!! こんなバカ男の為に命を捧げなくとも!!その後も大どんでん返しの連続で「忠義に散った哀しいふたり」の物語のはずが随所でもれる笑いの渦。だってさあー信夫が母に勘当を迫る場面だって、理由が「行商から帰ってきて風呂が沸いてないからって怒る娘にあやまる親があるか! 何故そんな親不孝な娘を勘当しないんだ!!」ってそりゃーそんなことで17年も育てた娘を勘当しないよぉー 信夫ちゃんよお・・・wそれに、生まれてすぐの娘を小よしに押し付けておきながら17年ぶりにひょっこり現れて「返せ」っていう有常!!信夫を守る(という建前)とはいえ、もっと言い方があるだろう!!自分の子供でもないのに長年育ててきた小よしの立場がなかろうが!しかも、17年ぶりに感激の再会を果たした直後(その日ですよ、当日!)にいくら主君とその愛人をまもる為とはいえ、実の娘の首をはねるか!この非道ものめが!!!その信夫が首を打たれる前、琴を弾く場面(ちゃんと床にも琴が登場!!)なんか、更にすごくて琴を弾く信夫の横で一足先に切腹をする豆四郎に驚き、駆け寄ろうとする信夫をいかせまいと有常、琴を立てて盾にしちゃうんです!!!しかも信夫、立てたままの琴を涙ながらに弾いちゃってます!!!そんな、ついたての向こうの不穏な空気を感じ取った小よしがのぞこうとするのをはねのけ、まるで大根でも切るみたいにバサッバサッ!とふたりの首をはねる有常!お前、にんげんぢゃないよ!!!(T_T)おまけに、その場面をかいま見た鐃八が代官に密告してやろう♪と うひひひひと笑いながら帰るところを見た有常、鐃八を手裏剣で射止めやがった。・・・・・・お前は忍者か。はあ、何だかもっと色々あった気がするけれども長くなるのでこの辺で。後半『勧進帳』に続く。
2008.04.08
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週末は二日間ともよいお天気で絶好のお花見日和でございました。土曜日には紅ずきんさまと文楽鑑賞に行ってきたのですがそれはまた後ほどUPすることにいたしましてまずは、昨日の京都某寺でのお花見から。ダンナと行ったので特に記事に書く事もないのですが(汗)満開の桜は見事!今年は月曜日の開花宣言から満開までの時間が短くて週末までもつかどうか心配だったのですがご覧の通り、まるで待っていてくれたかのように満開でした。(右端に映り込んだ私の指はご愛嬌ということで ^^;) 新しい携帯はレンズの位置が悪く、写真が撮りにくいのが難点・・・)このお寺は桜が綺麗な割には観光客が少なくて毎年このお寺にお花見に来ているのですが例年より、今年は混み合っておりました。(それでも清水さんの方に比べればはるかにマシですが)風が吹くと、桜吹雪がはらはらと。まるで絵に描いたような美しさでした。 ウチの近所も桜の名所なのですがバーベキューやら宴会やら子供が走り回るやらで慌ただしく。ゆっくりと桜を堪能するには、やっぱりお寺が一番♪来年も、このさくらたちに出会えますように。
2008.04.07
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毎月恒例 新月のお願いです。 今月は牡羊座で新月が起こります。牡羊座は12星座のスタートの星座ですので、何か新しい事をはじめたい人、前進したい人にはぴったりです。今月の新月は 4/6(日) 12:56。 新月になった時刻から8時間以内に(※ 8時間以内に間に合わなかった場合、効力は薄れますが、48時間以内でもOKです )2個以上10個以内 願い事を「手書き」で書いて 日付をつけて大事にしまっておくと願いが現実に向かいます。 ※ 必ず自分自身に関するお願いを書いて下さい ※このお願いは「なんでも叶う魔法のおまじない」ではなく何度も繰り返して願い事を書くことにより、 新月の力を借りて、自分の深層心理(無意識)に作用させるものです。(無意識は、表層意識よりもずっと大きな影響力があります) したがって 地球環境や 他人の言動についてのお願い事、 「宝くじ当選」など、100%運頼みの願い事はこの『新月のお願い』では 叶いません今回の新月は牡羊座で起こります。 今月の叶いやすいお願いキーワードは・・・ 新たな始まり自分を見つめる、純粋さ・本物、自己発見、独立、勇気、悪癖を絶つ等に関する願い事が 特に有効です。<主な願い事カテゴリ> ・何かを始めるエネルギーを刺激する願いごと ・健全な自己をはぐくむ願いごと ・自分らしくあるための願いごと ・自己発見を促す願いごと ・自立を強める願いごと ・勇気を奮い立たせる願いごと ・自己耽溺に陥らないための願いごと(これらの事柄に関することが比較的叶いやすいというだけで これ以外のことをお願いしてはいけない、というわけではありません。 叶いやすいお願いを無理に探すよりも、 自分が本当に叶えたいお願い事をしてください。 何度も繰り返し願うことにより、夢は実現に向かいます) また にきび、目、頭・顔・頭皮・脳、頭痛・めまいなどの身体の部位や症状も牡羊座に属するので、 上記の箇所で症状のあるかたは お願いしてみるといいかも知れません。◆今回の新月直後~2日後までの間のヴォイド・タイム◆ (星の並びがよくなく、トラブルが起きやすい時間帯) 4/7(月)0:00分 ~ 10:19 までの間** 注意 **お願いごとを書くときには 「○○しますように」という書き方よりも「○○しました」「○○になった」というように 過去形で書いたほうが有効です。 皆さんの真摯な思いを お月様はきっと、そっと後押ししてくれますよ ^^。
2008.04.06
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桜の名所の満開の花「きれいね」とみんなが見上げる並木道の傍らでひっそりとひっそりと 幹にしがみつくようにけなげに咲いている花その一輪のいとおしさ
2008.04.04
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【3/30】夜久々の東京studio COASTでのライブ。今回一緒に参戦したのは、このブログの読者でもある東京在住の同い年のYさん。私と一緒で、デビュー当時からのちぇっかるずファン。確か、a-bra:zデビューライブチケットのやりとりがきっかけでお友達になったから(そうだったよね?Yさん?(笑))かれこれ5年のおつきあいだけどなんだかもっと前からお知り合いだったような気がしてしまう。Yさんは大の藤井兄ファンで、私は兄ライブのファンだけれど(笑)兄の活動へのリアクションというか、突っ込みどころが一緒なのがツボw「俳優・藤井フミヤというのはいかがなものか?」とか「あの髪型はイケてない!!」とか「今回のツアー、アレはナシでしょ!!」とか愛あるが故の苦言提言愚痴戯言を遠慮なく並べ立てられるのがいい(笑)兄ファンに限らず、熱狂的ファンのなかには、自分の好きなアーティストを少しでもけなすようなことを言おうものなら烈火の如く怒りまくる人もいるので、こういう友達はとても貴重だ。そんなYさんも、今回のa-bra:zライブはとても楽しんでもらえたようで、「来てよかった!」と何度も言ってくれて、私は我が事のように嬉しかったのだけれど一昨日、改めてお礼のメールを頂いた。ライブの感想の最後に、こんな一文があった。やっぱりいい人には良い人達が集まるんだわ。この世界で生きて行く為にはとても重要なことでそれも運だと思う。一人じゃ何も出来ないから。。。この人とお友達になれて、本当によかった。【3/30】ライブ後翌朝早いYさんと別れ、これまた東京のちぇっかるず仲間であるyさん&Mちゃんと合流し飲み会。yさん&Mちゃんは、私たちと整理番号が離れていたので、別の場所でステージを見ていたのだ。yさん&Mちゃんは、私より少しだけおねいさん。秋田出身のyさんとは、10年前、尚之のFCツアーinハワイで知り合った(笑)Mちゃんは、yさんのお友達で、東京出身/兄ファンだ。yさんは、尚之との間にロープの如く太い縁が結ばれているらしく(笑)イベントの際、必ず尚之と劇的な接触がある。それが、わざとであったら白々しくて、彼も周囲もドン引きだけれど本人が全く意図していない(どちらかといえば尚之との接触を極力避けている)のに毎回毎回起こるから可笑しい。出会いのハワイでは、尚之との2ショット写真をかけたファン同士のドッチボール大会で(みんなかなり殺気立っていて本当に怖かったwww)誰かの投げたボールをモロに顔面でキャッチ!(爆)目の前で見ていた審判役の尚之から見事「ファインプレイ賞」を授与された。(ちなみに商品は私物のTシャツと肩を組んでの2ショット)その後も、ファンがひとりずつステージに上がって彼と握手するイベントではステージ上で思い切りコケて尚ちゃんから異例のひと言をいただいたり(その時、ステージ上では会話は禁止されていた)まつりの屋台メシを食べながら歩いてたらちょうど楽屋から出て来る尚之にぶつかり、「おっと、ごめんよ」と肩を抱かれたり。(このイベントでそんなことをされたのは、おそらく彼女だけw)前回の東京サミットではわざわざはりつくように壁際によけ、通り過ぎる尚之をかわしたにもかかわらずなぜか足を踏まれてしまい、「ああ、ごめんごめん」と、足先を撫でようとする尚之に対し、「あの尚之に、私のこの、汚い靴を触らせるなんて、とんでもない!」とパニック状態に陥り、やおらかがみ込んでいる彼の肩をむんずとつかんで立ち上がらせ「だめ!やめて!!!」と叫んで、尚之をきょとんとさせ、周囲を爆笑の渦に包んだらしい(笑)いつも行動をともにしているMちゃんとは、そんな接触は一度もないのに、何故かyさんは毎回毎回、こういったネタを提供してくれるのでイベント後の飲み会はいつも爆笑だ。大阪ではいつも大抵ひとり参加のライブだけれど終わったあとにこうしてまたひと盛り上がり出来るのは、やっぱり楽しい。【3/31】遅刻魔女と久々の再会。彼女とは、10数年前、横浜の某ホテルの仕事仲間として知り合った。当時から、仕事でもプライベートでも遅刻ばかりしていてそれでもなぜか、みんなに愛されるキャラクターの持ち主。おそらく2年ぶりくらいにあったというのに会えばたちまち時間が埋まる。想い出話に花が咲き、本当に久しぶりに、心の底から、涙が出るほど、何度も笑った。ずっとずっと、大切にしたい素敵な仲間。
2008.04.03
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【内容情報】(「BOOK」データベースより)闘争と潜伏にあけくれ、20年を棒に振った「おれ」。だが人生は、まだたっぷりと残っている。旅先の京都で始まった、長屋の教会での居候暮らし。あやしげな西洋坊主バンジャマンと、遅れすぎた活動家だった「おれ」。そして不在の「あいつ」。あきらめを、祈りにかえて生きるのだ。―いつわりと挫折の日々にこそ宿る人生の真実を描く傑作小説。 今やすっかり「過去の遺物」となってしまった『闘争』にあけくれた四十男の「おれ」。ようやく真っ当な仕事に就くことになった「おれ」は、就職までの一週間をぶらりと京都で過ごしてみようかと思い立つ。 * - * - * - * 「きゅうばんせんの、でんしゃは、きゅうこう、ぎんが、おおさか、ゆきです」わかってらい。でも、黙って汽車を待つ。汽車が来ることだけを待つ。おれこういう静かな確信みないなもんに弱いの。おれの汽車が来た。おれの、美しい銀河が。すすけたブルートレインが。紺とベージュに塗り分けられた機関車の、小さな二つの目玉がまっすぐに関西を指している。(中略)こんなんで大阪まで行ける、なんてアナクロなんだ。なんてつつましいんだ。客車は六両だ。小田急線だってもっと長いわ。汽車に乗り込むとき、振り返ると、北へ行く新幹線がホームを離れて行くところだった。北には行かないぜ、べいべー。さよならべいべー。 ( 本書より 抜粋 )* - * - * - *エスケイプ。逃走。逃走と闘争に明け暮れた20年間。世間から見れば、収入も地位も職もなく、ただ無駄に過ごしたとも思われる「おれ」の半生。確かにそうかもしれない。目に見える形で、確かな形で積み上げてきたものはなにもないかもしれない。でも、じゃあ、「有意義な時間」って、何?主人公の「おれ」自身、この20年が有意義だったとは思っていない。すっかり時代遅れだったことも、結局は引きこもっていただけで何も出来なかったことも自覚している。でも、決して後悔してはいない。そのある種の開き直ったような気持ちが、この小説をテンポよく牽引していく。一週間後には妹の保育所を手伝おうとしている「おれ」。でもそれが今までの「無意味な人生」よりも「有意義」という保障はどこにもないのだ。「まともな」「ふつうの」人生から抜け出すのも『エスケイプ』なら、その信念を捨て、新しい「まともな」道へ舞い戻るのも『エスケイプ』。でもほんとは、どっちが「まとも」かなんて、わからない。「まっとうな人生」なんて、所詮他人の価値観。いつ、何が起きて、その価値観がひっくり返るかわからない。型にはめたような「ふつう」なんて、実際はどこにもないのに現代人は、必死でそれを探している。結局、先のことなど、誰にもわからないのだ。人生など、終わってみなけりゃ、いや、終わってみたって、その意味なんて、誰にもわかりゃしないんだ。かっこわるくたってなんだって、ただただ、生きたいように、そう生きるように生きていくしかないんだ。誰もが。京都に降り立つと金のない「おれ」は、とあるレコードを探してふらりと立ち寄った店で出会った長屋の教会の神父バンジャマンの元に居候させてもらう。長屋のおばあちゃんたちに人気があり、毎朝、長い祈りをささげるものの、どうにもあやしげなこの神父。直感で訳ありなもの同士が嗅ぎ分ける臭覚。音楽、賛美歌、言葉、雑踏。それらに対比させる無音、祈り、思い、静けさ。その響き合いが、この物語の世界を形作る。人、もの、音、そのつながり。世界は総てつながっていて独立したモノなんてひとつもない。誰かの喜びは、同時にその人の悲しみでもある。* - * - * - *「神さまよ、たびたびすまんね。質問だ。あんたは、人の為に流す涙があるのか。おれか?おれはそれなりに涙もろかったりするからね、まあおれのことはいい。でも、みんななんのために涙とか汗とか流すのかって、絶対あんたのためじゃない。(中略)世界はあんただけのものじゃないし、だからといっておれたちのものでもない。だけど、あんたとおれの共通の弱みは、世界から必要とされたがることだ。歌子ばあさんのすごいところは、そのへんを突破しちまったことだ。(中略)悪いな、おれは必死だよ。でも必死って祈ることに少しは似てないか。もしもあんたが信用に値するなら、おれにだって頼みたいことはある。でもそれがわかんねーから、ぐだぐだ言ってるだけだ。またな、また祈るよ」 ( 本書より 抜粋 )* - * - * - * 何でもないワンシーンで「ひとって、いいな」と思わせるのが絲山さんの筆の強さでありそれに浸ることで、何かをこころから信じられる温かさや勇気や強さを持てることが「小説」という架空の世界の存在意義なのだろう。人生に、成功も失敗も 有意義も無意義も ない。ただただ 生きればいいんだ。「生きるため」に みんな、生まれてきたのだから。
2008.04.01
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