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夏が来ると思い出す小説がある。原民喜の「夏の花」と三島由紀夫の「酸模」である。どちらも叙情的で哀しい。原民喜の「夏の花」は原爆をテーマとしている。これはまた別の機会に書こうと思う。今回は三島由紀夫の「酸模」である。この作品は脱獄囚と幼稚園児の交流を描いた小説である。最初に北原白秋の詩を載せ、物語がはじまる。著作権の関係で、文をのせることは出来ないが、みずみずしい文体である。この小説の驚くべきことは、三島がこの作品を13歳、つまり今の中学1年生のときに書いているということである。とても13歳の少年の書く文ではない。文庫本にはのっていない。三島由紀夫全集にのっているので、図書館などでぜひ読んでみていただきたい。私は子の小説を読むたび、かれの天才に驚かされる。自分が中学一年生のときはどうだったかと。後年、かれの作品は形容動詞がきらびやかにあふれすぎて、わたしにはついていけないところがあるが、この作品はそういうこともない。
2008.08.18
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今、小林多喜二の蟹工船がブームであるという。蟹工船は大正時代から昭和初期にかけて出現したプロレタリア文学である。その以前にマルクスブームが起こり、ついに1917年にはロシア革命が興る。日本でも前記小林多喜二をはじめ宮嶋資夫、黒島伝次、壺井繁治(二十四の瞳を書いた壺井栄えの夫)など多数のプロレタリア作家が輩出する。今の蟹工船ブームはそういう思想めいたこととは関係ない。先の保証のない、使い捨て、日々暮らしのフリーターや派遣社員をなぞらえて自嘲めいた感じでブームになっているのだろう。芥川龍之介の自殺の一旦はプロレタリア文学の出現といわれる。あのころのプロレタリア文学に象徴される共産主義活動は、天才芥川を死に追いやったエネルギーがあった。元共産党委員長宮本顕治氏が若き日、「敗北の文学」で芥川のことを哀感をながらも否定していくことでこのことがわかる。単なる文学青年であった宮本青年が書いた「敗北の文学」論が当時第一流の雑誌「改造」で首席をとったのだから。(ちなみに次席は、小林秀雄の様々なる意匠)天才芥川を否定し、20世紀最大の評論家小林秀雄を抑えて首席を取ったプロレタリア文学の威力は当時いかにすさまじかったかがわかる。今の蟹工船ブームはこれらとなんの関係もない。ここには思想もテーマもない。ただ何も考えず、その場その場を生きている今の日本人の姿を現象として映しているだけに過ぎない。戦後、新本が出るとなんの本なのかわからないけれどその行列に並ぶ、といった思想に枯渇している日本人はいなくなってしまったのか。来年はみな蟹工船を忘れているのだろう。
2008.08.13
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労働貴族、という言葉がある。労働者の側にいて、その実、貴族のような生活をしているもののことを言う。私が地方の電話局にいるとき、労務厚生課の後輩が私のところに来て、「この地域で何か名産ありますか」と聞いた。なぜ?と聞くと、労働組合の幹部が毎週この地域にゴルフに来て、そのたびごとにお土産を渡すのだと。この幹部、ゴルフが三度の飯より大好きで、毎週やってくる。もちろんゴルフ代は労働組合費である。私の勤めていた電話局は、ゴルフ場が多く、そのため対労働組合のための課である労務厚生課の人間は心労並々ならぬものがある。やがてこの幹部は定年退職を迎え、ある地方労働金庫の理事になった。労使ともに出世競争があり、それに打ち勝てば労働者の代表でも貴族になれる。天下りがささやかれる昨今、官公庁と労働組合幹部、その差はあるのだろうか。自民党総裁は早稲田大卒である。民主党のトップは慶応大卒である。共産党は東大、公明党代表は京大卒。労使ともに学歴社会なのか。不思議な国である。
2008.08.12
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北京オリンピックが始まった。このブログは一応文豪のつぶやきなので、オリンピックに関する小説のことを書く。「オリンポスの果実」という小品がある。作者は田中英光、田中英光が実際にオリンピックに参加したときのことを基にした淡い恋愛小説である。田中英光は太宰治の弟子で、無頼派作家のその名の通り破天荒な人生を送った。はじめ左系の小説を書いていたが、後太宰の門下に入り、最後は太宰の一周忌に太宰の墓前で自殺する。睡眠薬を肴にしてぽりぽりかじりながら酒を飲んでいたという。おなじ無頼派作家の坂口安吾もあきれたぐらいである。かれはろくな作品を書かなかったが、このオリンポスの果実だけは唯一文壇史上に残った。ちょっと前までは文庫本で出ていたが、今は図書館か古本屋に行かないとないと思う。ポニョもいいけど、この夏読んでみてはいかがだろう。
2008.08.10
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NTTには不可思議な人事がある。私が勤めていた職場に、1人の男が転勤してきた。かれは年は40歳ぐらい、もともとは隣の電話局で採用されたのだが、車の免許を取るとすぐに外車を購入した。もちろんローンである。かれが入社したのは昭和40年代でまだ民高公低のオイルショックの前であったので薄給である。かれはその電話局御用達のガソリンスタンドで付けでガソリンをいれ、消費者金融で金を借り、豪遊していた。つけのガソリン代は半年を越え、数十万になったとき、再三再四平身低頭でかれに付けの支払いを懇願していた、スタンドの店長が思い余って電話局にねじ込んだ。驚いたのは電話局幹部である。結局お金のほうは幹部で出し合い事なきを得た。問題はかれの処遇である。今は連合となっているが、電電の労働組合は30万人の組合員を誇る、日本でも有数の全電通である。会社の管理職はかれが平社員なので組合員だと知っている。このころの全電通は管理者にとって恐怖であった。このことは別で話す。幹部たちはこの男がここにいたのではまた何をしでかすがわからず、かといって近隣の局へ出すと、彼のことは有名になっているので引き取り手がない。局幹部は結局かれを優秀な人材として本社機関へ栄転させた。かれは数年後、私の勤めていた局へ課長代理として赴任する。
2008.08.09
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昔のNTTはその前までは電電公社といっていた。戦後ぐらいまでの局長はその権勢はすごいもので家にはお手伝いさんがいたという。その名残が残っていた昭和30年代~40年代、この頃は全国に電話を引くため急ピッチで電柱をたてる工事が進められていた。私が中学生だった昭和45年は電話を申し込んでもその設置までは2、3年かかった。その頃、ある山脈にケーブルを通すというので山の中の一軒やの旅館に電電職員が数十人長期に渡って宿泊することとなった。旅館の主人としては大喜びである。なにせ、宿泊客といえば登山客が夏にあるだけ、文字通り電電公社はお得意さんである。下にもおかないもてなし振りである。そこへ、中央から局長が視察にやってきた。この局長、酒癖が悪いうえに、昔の局長の悪い権勢意識を持っている。旅館の主人ののもてなしで酒が進むにつれ、主人にはかわいい娘がいることを知る。あろうことか局長は主人に、「娘に酌させろ」とからんできた。こうなれば、悪代官である。はじめは、平身低頭の態でやんわりこばんでいた主人もとうとう堪忍袋の緒が切れた。「出て行け」かくて、電電社員はこの先数年にわたって野宿して工事する羽目になった。これは実話である。
2008.08.09
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芥川龍之介が彗星のごとく大正文壇に現れたとき、当時の文豪夏目漱石はその才能に目を瞠り家に連れてこいとその門下に命じた。 漱石門下は小宮豊隆はじめ評論家が多く学をもってなる錚々たるメンバーである。 芥川はもとより孤独の人ではじめ渋っていたが、漱石は東京大学の大先輩であり、かつ大文豪でもある。やむなく漱石を訪れた。 漱石は一目見るなり、才能、容貌、そしてなによりも自分と同じ東京下町出身であることに惚れ込み、娘との結婚を言い寄る。 芥川は、当時東洋英和女子にすでにエンゲージを交わした女(ひと)がいることを話し、この申し出を丁重に断る。 当時芥川が所属していた大学の文学サークル新思潮派では久米正雄が、芥川が手を引いたなら俺が手を上げる、と立候補したがかれは醜男でありまた素行もあまりよくなかったので、行儀にうるさい夏目門下から総すかんをくい、芥川ほどではないが、眉目秀麗な松岡譲に白羽の矢が刺さった。 これにより久米に同情が集まり、松岡は次第に新思潮派から遠ざかることになる。 松岡譲は自分の家である越後長岡の浄土真宗をモデルにした「法城を護る人々」を書き、名を成すこともなく世を終える。 作家の今東光は、「文が生硬で後輩の俺らが見てもたいしたさくひんではない」といっている。 ともあれ、芥川、久米は文学史に残り、松岡の名はどこを探してもない。
2008.08.09
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新潟県はもともと農民運動の強いところで戦後まもなくのころは、社会党の議員が多数を占めていた。 私の伯父は戦争で朝鮮半島に渡り、そこで敗戦を迎え、抑留された。 ようやく帰国が許されたのは戦後しばらく経ってからだ。 かれは子供のころからガキ大将的な気性だったので、故郷、新潟の片田舎に帰ると戦争帰りの青年を集め、戦争時かれらをそそのかして戦地に行かせた、村の議員たちの家に日本刀を持って殴りこんだ。 その後青年団、消防団を作り上げ農民運動を展開しようとする。 しかし、ここで異変が起こる。 同郷のかれのほんの数百メートル先の家から、田中角栄という怪物が出現する。 田中角栄はかれの数年上の先輩である。 農民運動のために組織された青年団、消防団はそのまま越山会になり、かれの意図したこととはまったく別に進み始める。 ときは移り、田中角栄は竹下派の出現とともに衰退し、やがて田中角栄もこの世を去る。 今、伯父は寝たきりの生活をしている。 かれが見つめる天井にはなにが映っているのだろうか。
2008.08.08
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先日、ある中小企業の社長と話した。 この社長、社員募集の面接のとき、相手が営業希望だとぼろくそに言うという。 わけを聞くと、「営業はお客になにをいわれても怒ってはだめなんだ。だからわざと怒らせるようなことを言って、我慢できずに席を立つやつは採用しない」 営業の仕事とは、けなされて我慢することとは無関係である。 以前テレビで、保険勧誘が日本一の人が出ていたが、氏は限度を超える誹謗をされると席を立つという。時間の無駄だからだ。 この社長、営業のことを延々と一時間も話、私は頭痛がしてきた。 こういう勘違いしている人々のなんと多さよ。 昔、作家の藤本義一氏が新幹線に乗っていると、後ろのほうで政治家が数人、骨董の壺の話をしていたという。 内容は、この壺はいくらするという話だったという。 壺は芸術的にどれくらい価値があるかを判断するものなのだが。 氏があきれて振り返るとその中心に田中角栄氏がいたという。 無論田中角栄氏は中小企業の社長とは日本になした功績が違い、比べるべくもないが、共通点はある。
2008.08.01
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