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河井継之助という人はその死に望んで、自らを火葬する火を見つめていた人である。 長岡落城後、重傷を負った河井は、会津へ向かう途中、奥只見の寺で若党の松蔵に命じ、庭で火を焚かせる。 それを部屋の布団の中から横たわったまま見つめている。 河井の眼光は、太陽をずっと見続けることが出来たという。 かれはその目で何を思っていたのであろうか。 越後人は共通して悲劇人が多い。 上杉謙信、山本五十六、田中角栄。 越後の雪深い純朴人の宿命であろうか。
2008.07.31
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この小説を書くにあたって、幕末のことをいろいろと調べた。 九州の中津藩に増田宗太郎という若者がいる。 かれは、同藩出身の福沢諭吉のまたいとこにあたる。 西南の役のときに郷土の同志と西郷軍に参加し、やがて西郷軍が敗亡するとき他藩の参加者、同藩の同志が故郷に帰ろうとするのを、かれだけが残るという。残って西郷隆盛に殉じるという。 同志が理由を問うたところ、「私は城山に来てはじめて西郷先生に接し、それ以来景慕の情を禁じ得ないのだ。1日先生に接すれば1日の愛があり、3日接すれば3日の愛がある。だから先生の許しを去るに忍びない。先生と死生を同じゅうするほかないのだ」 桐野利秋や、村田新八など同郷の若者ではない。西郷にはまったく縁もゆかりもない若者である。 西郷隆盛には、若者をして死に身を投じさせる魅力があったのだろう。 西郷のことは以前にも書いたが、西郷の魅力と増田の純粋さは改めて書いてみたい。
2008.07.31
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白井は振り切るようにその場を立ち去ると、地蔵峠への険しい道を登った。 やがて、峠の頂上に差しかかった。 ふりかえると長岡城が燃えていた。(お城が燃えている) 白井はへたへたとしゃがみこんだ。 炎天を焦がすように長岡城が燃えている。 一つの時代が終わった、と白井は思った。 そしてあのあたりには、と足軽横町付近に目をやった。 青木、矢口、伊藤、加藤の亡骸が転がっている。 白井が今しゃがみこんでいる所は三ヵ月前五人で脱藩する時休息した場所である。 それが今は白井一人、しかも敗残兵となって力尽きてしゃがみこんでいる。 ふと見ると、目の前に煙管が落ちていた。 煙管には剣片喰の紋が入っている。 これは伊藤が先々代の藩主から拝領したもので生前愛用していたものである。 伊藤はこれを脱藩してから失くし、しきりに気にしていた。 その煙管がここに落ちている。 白井はその煙管を拾うと両手で握りしめ号泣した。 それはあたかも子供が母親にすがるような泣き声であった。 何もかも失くしてしまったという悲しみが白井の胸を締めつけた。 やがて涙も嗄れ果てるほど泣くと、しゃくりあげながら立ち上がり燃えつづけている長岡城に背を向けた。 眼下には夕陽に輝く三田陣屋が見えた。 白井はしゃくりあげながらも涙を袖でごしごしと拭いた。(帰ろう。三田へ帰ろう) お幸の顔が浮かんだ。 姉上、これから帰ります。 帰れば罪人である。捕縛されるであろう。 しかし、河井先生と約した。 どんなに辛い目にあっても新しい時代をつくりあげるんだと。 白井は伊藤の形見の煙管を手拭いでくるみ懐に入れると、地べたに刀をそっと置いた。 そして大きく深呼吸をすると、沈み行く日本海に向かうように地蔵峠を疾風のように駆け降りた。 完
2008.07.30
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白井が三島谷にさしかかった時、畦道に倒れている一人の少年を見つけた。 白井は思わず駆け寄った。 長岡藩の家中か、袖印には五間梯子の家紋が付いている。 少年は砲弾を浴びたのであろう左肩から先はちぎれてなかった。 白井は少年を抱き起こすと、「しっかりしろ」 と声をかけた。 少年は虫の息で、かすかに眼を開けたが焦点がさだまらない。 すでに眼は見えなくなっている。(これでは助かるまい) 白井は思った。「私は死ぬのでしょうか」 息絶え絶えに呟いた。「大丈夫だ」 と白井は励ました。 突然少年は泣きはじめた。「死にたくないよう。死にたくないよう。死ぬのはこわいよう」「大丈夫だ。しっかりしろ」「痛い、痛い、肩が痛い。死にたくないよう」 少年はなおも泣きつづけた。 やがて、その声も小さく途切れ、少年は息絶えた。 白井は、少年を抱きながら、(これが戦さか) 涙声で呟いた。 そして立ち上がると静かに少年を寝かせ、近くの農家に行き、有り金を全て渡し、少年を。手厚く葬るよう頼んだ。
2008.07.30
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河井がたおれて長岡軍は士気が衰えたのか白井の前を長岡兵が城にむかって続々と退却しはじめた。 白井はそれを呆けた表情で見ている。「白井さん」 城に向かう長岡兵の群れの中から声がした。 白井は顔を上げた。 そこには担架にのせられた河井が例の鋭い眼差しで白井を見ていた。「先生」 白井は転がるように河井の前に跪いた。 河井の顔は蒼白い。「お怪我のほうは」「なに大丈夫さ。左足をやられたよ」 見ると左脛が銃弾に砕かれている。「長岡もいよいよだ」 いよいよ終わりということであろう。 白井はうなだれている。 河井は白井をじっと見つめると、「いままでありがとう」 本当にありがとう、と云った。 そして、咳をひとつすると、「おめさんは国へおかえり」 と云った。 白井は驚き帰りませぬ、と云った。 帰るくらいならここで腹を切ります、私は三田の罪人です、おめおめとかえれません、と白井は云った。 河井はそれには答えず、「さっき報告があってな、伊藤も矢口も青木も加藤も皆死んだ。彼らは古い門閥の子じゃ。古い人間は幕藩体制とともに滅び、おめさんのように才覚で出世してきた人間が新しい時代を創っていくのじゃ」 傷が痛むのか、河井はうーむと唸り、一息ついた。「白井さん」 河井は優しく云った。「おめさんは帰れば罪人じゃ。しかし命までは取られまい。何年か牢の中にはいって牢の中で勉強せよ。新しい世の中で民衆を導く勉強をせよ。これからは武士の世の中ではない。幸い、三田藩には篠原がおる。悪いようにはすまい。白井、剣は捨てよ。なっ、たのむ。生きてくれ」「せっ先生は」 白井は問うた。 河井は白井にむかってにっこり笑った。しみとおるような笑顔である。「わしは、古い人間じゃ。滅びゆくさ。それに」 片目をつぶってみせ、「あの世で矢口らが待っておるじゃろう。あいつらは閻魔様の手に終える相手ではないからの。わしが行かねばどうにもなるまい」 河井は真顔になると、「白井、きっと約したぞ」 そういうと担架をもっている者に、「行け」 と命じた。 担架は長岡城に向かってしずしず動きはじめた。 白井はそれを見送っている。 やがて白井は去り行く河井の方を向き直ると端座し頭をぺこりと下げた。(わかりました。河井先生、私は帰ります。帰って、新しい世の中で民を救います) そう呟いた。 そして、立ち上がると三田の方に向かって駆けだした。 砲声はすでに止んでいる。
2008.07.30
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この時、数人の長岡兵が血相を変えて白井の前を駆け抜けようとした。「あっ、白井殿、大変です。」 一人の藩兵が立ち止まった。 河井が撃たれて重傷であるという。 声が震えている。「河井先生が」 白井は絶句した。「河井先生はどこに」 御引橋のたもとにある民家へ運ばれております、そういうと藩兵は駆けだした。 白井は急に力が抜けたようになりその場にしゃがみこんだ。(河井先生が) 重傷を負ったとあれば、ほどなく長岡軍も敗れるであろう。 白井は青木と加藤の最期を思い浮かべた。 銃弾の飛び交う中、加藤の亡骸を掻き抱き、泣き叫びながら加藤の名を呼んでいた青木。 砲煙の中で揺れていた青木の剣片喰の袖印。 伊藤さんも矢口さんも死んだに違いない、と白井は思った。 砲声は去りつつある。
2008.07.29
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白井は足軽横町の辻に出た。 そして、左に折れ新町に向かって駆けに駆けた。 新町では白兵戦が行われていた。 薩摩兵らしいのが三十人、長岡軍はわずか五人である。 伊藤と矢口はいない。 白井は白兵戦に飛び込んだ。 白井のまわりを十人の薩摩兵が囲んだ。 皆、独特の構えをしている。 薩摩藩の剣技は示現流である。 右袈裟か左袈裟に相手を斬りたおす。 あとはない。 いわば捨て身の剣法で初太刀をはずされればなすすべはない。斬られるだけである。 しかし、この初太刀を防いだ者はこの幕末の時期ほとんどいない。 薩摩兵がその独特の掛け声とともに一閃すれば相手は常に二つの肉塊と化した。 それほど凄まじい。 薩摩兵は次々に白井の体めがけて刃をふりおろした。 白井はそれを髪の毛ほどの間合いでよける。 ふれれば即死である。 薩摩兵のふりおろす刀の風圧が白井の顔をなぶる。 白井はいなごのように飛び回りながらもキラッキラッと切っ先を返してゆく。 またたくまに五人の薩摩兵を斃した。 さしもの薩摩兵もひるんだ。 が、白井はなおも手をゆるめない。 天才、といわれた白井の剣は舞を舞うように優雅に流れてゆく。 また薩摩兵が三人たおれた。「引けえ」 隊長らしき男の声で薩摩兵は四散した。 白井は肩で息をしているが無傷である。 倒れている薩摩兵の袖で血糊のついた刀を拭うと、町屋の軒下で壁に寄り掛かって休んだ。
2008.07.29
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伊藤は新町に着いた。 前に数人の薩摩兵がいる。 その姿を認めるや伊藤は刀を抜き薩摩兵の群れに躍り込んだ。 またたく間に二人の薩摩兵を斬り殺した時、銃弾が伊藤の顔をとらえた。 伊藤の右顔面は吹っ飛び、即死した伊藤の体は地面に叩きつけられた。 矢口は足軽横町の辻に飛び出た時、左肩に飛弾をうけたが駆けつづけた。 袖印がみるみるうちに血で染まり、剣片喰の家紋を濡らした。 左手がぶらぶらしているがそれでもなお駆けつづけている。 やがて新町に入ると辻にいた薩摩兵が大挙して矢口に向かってきた。 矢口は走りながら刀を抜くと片手で薩摩兵に突入した。 左手をぶらぶらさせながら数人の薩摩兵を倒したが、十重二十重に囲まれ最後は切りきざまれるように戦死した。
2008.07.28
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新町は修羅場と化していた。 官軍は十二潟、黒津、大口、それに森立峠からも大挙して来ていた。 その雲霞の大群が新町口を守る三間隊を攻めに攻めたてた。 特に新町口攻撃の官軍の中心をなす薩摩軍の猛攻は激しく、長岡軍銃卒隊長の篠原伊左衛門がたちまちのうちに戦死した。 五人は長町を抜けた時まで固まって走っていたが、足軽横町にさしかかった時、伊藤が抜きんでて先を走りだした。「伊藤さん」 四人は追ったが飛び交う銃弾の中、伊藤の背だけがみるみるうちに遠ざかってゆく。 やがて伊藤は砲煙の中に消えた。「伊藤ー」 青木が叫んだ。 ここまで来ると銃弾が耳元をかすめはじめた。 その時、新町の方向から閃光が走った。「来るぞ」 白井はそう叫ぶと町屋の影に飛び込んだ。 爆裂が起こり四人の走っていた位置を吹き飛ばした。 青木と矢口はとっさに軒下に転がり込んだが、加藤は遅れた。 砲煙の立ち込める中には、手足を吹き飛ばされた加藤の遺骸が転がっていた。「加藤」 青木がしぼりだすような声で叫んだが銃弾が激しく近寄ることが出来ない。「青木さん、俺は行くよ」 そういうと矢口は軒下から飛び出、新町にむかって走り出した。 足軽横町の辻を左に折れれば新町である。 青木はよろよろと道に出ると、加藤の遺骸を抱きしめた。「青木さん、あぶない」 白井が声をかけた瞬間、二度目の砲弾が加藤を掻い抱く青木を捕らえた。 二度目の砲弾はさらにすさまじく白井は体をかがめ顔を手でかばい、衝撃に耐えた。 やがて砲煙が晴れ、白井はゆっくりと目を開けた。 そこには二つの肉塊が重なっており、わずかに残った青木の袖印がかすかに揺れていた。 白井はそれをじっと見ている。 が、やがて深呼吸を一つすると刀を抜いた。(俺はやるよ) 誰に言うともなくつぶやくと道に飛び出、駆けた。
2008.07.28
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その気分は特設隊である太子堂組にも伝わっている。彼らは長岡城占領をしたあと、市街へ出て痛飲した。やがて宿舎に戻ると斎戒沐浴し、香を焚きしめた。 そして、静かに車座になって座った。 どの顔も戦さにつぐ戦さで疲れ果てた顔をしているが表情はすがすがしい。 皆、押し黙っている。 やがて新町口の方で砲声が聞こえてきた。 官軍の進撃が始まった。 矢口が口を開いた。「いよいよだな」 伊藤が諾、と頷くと、「もう、そろそろ終わりにしようや」 城が落ちてももう退却しないでここで討ち死にしようとということである。 伝令が敵襲でござる、新町口に敵襲でござる、執政は今、新町口に向かいました、とさけびながら廊下を駆けていった。 執政とは河井継之助のことである。「行くか」 矢口が立ち上がった。「これは置いていこう」 青木がかたわらにおいてあるミニエー銃を指さして云った。 戦がはじまる時、河井がみなに一挺ずつ渡した最新式の銃である。 青木は武士として死んでいくのに銃は不要だと思ったに違いない。「そうだな」 ミニエー銃をすでに持っていた加藤も丁寧に畳の上に置いた。「白井」 伊藤が声をかけた。「おめさん、本当に帰る気はないか」「白井さん」 矢口が白井をじっと見つめている。 青木も加藤も声なくうつむいている。 砲声が激しく鳴った。 そしてそれは彼らの宿舎を震わせた。「白井」 伊藤は再び云った。 白井は小さく首を横に振った。「そうか」 伊藤はそういうときっと顔をあげ、「じゃあ、行こう」 白井の肩を叩いた。「あの、これ」 加藤が恥ずかしそうに白い布を出した。「おめさん、これは」 剣片喰が染め抜かれた袖印であった。 剣片喰は三田藩の家紋である。 皆、袖印は長岡藩の家紋である五間梯子をつけている。 最後は三田藩士らしく三田の家紋をつけようということであろう、加藤はこれを密かに生来の器用さで作っておいた。「最後ぐらいはのう」 加藤は顔を赤くして云った。(加藤はいつもそうだ) と矢口は思った。 決して表面に出ることなく人一倍気を使う。 三田に残っていれば、篠原を助け幕僚として存分にその力を発揮出来たであろう。 矢口は加藤の才を惜しんだ。 加藤はもともと武士道という思想めいたものはない。 この人のいい男は伊藤や矢口が行くから私も行く、といった多分にそういうような人情的な気分でついてきた。無論、それは家を潰し、死をともなう。 青木にもそういう所はあるが加藤のそれは実務的に有能な分だけ凄みがある。 その加藤は黙々と皆に針と糸で袖印を付けている。 この時、皆の心から河井継之助は消え、三田藩士に戻った。 加藤は最後に自分の袖印を付けようとすると矢口がそっと加藤から針と糸をとり加藤の袖に付けはじめた。 再び砲声が轟き、近くに落ちたのか土煙が部屋にも入り込んできた。 が、そんな事に気づかうふうなく、矢口は袖印を縫い付け、回りの者はそれをだまって見ている。 やがて縫いおわった。 五人は互いにうなずきあうと宿舎を新町口にむかって出ていった。
2008.07.27
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河井ら長岡人が踊り狂っている頃、山県は妙見峠で敗走する兵をまとめていた。 山県は十二潟、黒津、大口にいる官軍に長岡以北にある新町口をせめるように伝令をとばし、みずからはまとめた兵を率い宮原へと兵を進めた。 河井も手は打ってある。 官軍が攻め寄せてくるとすれば、長岡以北からであり、長岡市街への入口は新町口である。河井はそれを予想し、河井の後継者といわれている三間市之進ををこの新町口にあてている。 ただ、官軍は大量にやってくる。 河井は長岡城にいる少数の官軍と戦ったにすぎず、十二潟、黒津、大口の官軍の部隊は無傷のまま温存されている。 いわば河井は十重二十重に長岡城のまわりを囲っている官軍を避け、兵をおく必要のない天然の要害八丁沖を渡って核に潜入したにすぎない。 間もなく、官軍が大挙して長岡にやってくるであろう。 しかも、官軍には最強の薩摩軍がいる。(三間はほどなく破れるであろう) と河井は思っている。 この時すでに河井は北越戦争の負けを確信しはじめていた。 長岡城は平城である。攻めるには容易で守るには難い。 しかも官軍は長岡軍の数倍おり、日々京の本営から陸続と援軍が有り余る物資を持って越後に入って来ている。 少数の人数で長岡を奪回しても意味はない。 河井が本気で勝つつもりなら長岡城は攻めなかったであろう。むしろ、今町を捨て温存した兵力を会津に持ってゆき、ここで奥羽越の大連合をつくり官軍に対し一大決戦をしたに違いない。 東北には、会津、仙台、米沢と大藩がいる。それに旧幕軍もいる。これに最新兵器をもった河井の長岡軍が加われば会津戦争はもっと変わっていたものになっていたろう。 しかし、河井はあえてその方法をとらなかった。 時勢が官軍にある、ということを河井は知っている。 である以上いたずらに生をのばしても詮ない。 このうえは故郷の長岡の地で、いかに潔く死ぬかということを考えた。 この時点で河井は政治家という職を脱ぎ捨て彼の素である「武士」に戻った。 「武士」に戻った河井はいかに花のある処し方をするかということだけを思った。
2008.07.26
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こうして白井家の復興は成り、竹蔵は白井家に住むこととなった。 婚儀の方は非常時ということもあり、この争乱を終えてということになった。 篠原は安堵した。もとより白井家の復興は篠原の望むところであり、なんらかの対策を考えていた篠原としては竹蔵の行動はまさに渡りに舟であった。 無論、旗本である竹蔵が徳川方だというので、官軍を奉じている三田藩としては不安な印象を持ったが、竹蔵の母が天皇に歌学を教授している公家の出で、しかもこの公家の家が今回の北越戦争の官軍総督西園寺公望と遠戚であるということがわかり逆に三田の救世主のようにあつかわれた。 しかし、竹蔵の日常とはなんの関係もない。 俺の仕事はここまでだ、と思っている。 竹蔵は白井家の復興だけが目的であり、それ以外には興味がない。 だから、竹蔵と西園寺公望との関係を利用して篠原ら首脳部が画策しても、(放っておくさ) と思っている。 それよりも、(白井ちゃん、後顧の憂いなく存分に戦え) と願っている。 その白井は今、これから起こる長岡城奪回の決戦の真っ只中にいる。 八丁沖を瀕死の様相で渡った長岡軍は富島村で官軍を破り、長岡城下になだれこんだ。 長岡兵は口々に、「長岡に死にに来たぞ」 と叫んだ。 その形相は修羅を思わせるほど険しい。 故郷を思う気持ちが藩兵にそう叫ばせた。 一度は奪われた故郷である。 それを取り戻そうという情熱が数倍もの敵を凌駕する攻撃にかえさせている。 伊藤は白兵戦の先頭に立ち、「殺せ、殺せ、皆殺しだ」 声が嗄れるほど叫んでいる。 白井も矢口も刀が血糊で切れなくなるほどになっている。 白井はやむなく刀で殴りたおした。 斬るのではなく殴りたおす道具として使った。 矢口は名刀といわれた家祖伝来の備前国光の業物を捨て、路傍に転がっている戦死した敵兵の刀を使った。 この時長岡城下を守っていたのは屈強の長州兵であったが、この長岡軍の必死の猛攻に逃げまどい長岡城下はさながら屠殺場と化した。 官軍は転がるように妙見峠まで敗走した。 こうして七月二十五日午後、長岡軍は悲願の長岡入城を果たした。 城下の町人は長岡軍入城で狂喜した。 市街には武士町人の区別なく満ちあふれ、振る舞われた酒に酔い、踊り、夜通し長岡甚句が唄われた。 河井は戦後の処理を済ますとあとは酒を浴びた。 河井はこれで官軍は当分立てまい、と思っていた。(それに) 久々の長岡であり、悲願の奪回である。(死ぬほど呑んでやれ) という気持ちがある。 河井は大手通りに出ると町人の振る舞う酒を呑み長岡甚句を踊った。 その光景はさながら長岡全体が大盆踊り大会を催しているかの感があった。
2008.07.26
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竹蔵は三田陣屋まで来るとお幸を陣屋の前で待たせ門番に取次ぎを頼んだ。 取次ぎ相手は篠原正泰。「お手前は」 門番は訝しげに問うた。 それはそうであろう。刀は差しているが、竹蔵の身なりは乞食のそれと変わらない。「徳川慶喜家来竹村大蔵でござる」 門番は不信がりながらも、その言動の堂々としていることに圧倒され、篠原に取り次いだ。 お幸はちょっと離れた所でその様子を心配そうに見ている。 一方門番から取り継がれた篠原は驚いた。 竹村大蔵といえば旗本ではないか。 三千石と家祿は三田藩主より軽いが幕府での序列は三田藩主とはくらべものにならないほど高い。 まして竹村家は旗本の中でも名門である。 先年、大坂城代添役を勤めていた竹村格人の長子が格人の死去後、弟に家督を譲り行方不明になっていたとは篠原も聞いているがそれだと思った。 篠原は転がるようにして玄関に飛び出た。 竹蔵は腕を組み門の外に立っていた。 篠原はその前にはいつくばると、 お殿様におかれましてはご機嫌うるわしゅう、と口上を述べはじめた。 門番らは呆然として見ている。 お幸の方はもっと驚いている。 篠原といえば、三田藩の筆頭家老ではないか。 その篠原が地べたに額をすりつけるように平伏している。 篠原は口上を終えると陣屋の客間に招じ入れた。 竹蔵はお幸の所へ来ると、「さっ、行きましょう」 と手を引いた。 お幸は呆けた表情でずるずると竹蔵に引かれていく。 あまりの驚きで何が何だかわからないのであろう。 竹蔵は書院に通されると当然のように上座に座り、お幸を隣においた。 篠原はすでに就寝中であった藩主を起こし、おもだった者を呼び出した。 やがて、藩主が書院にはいり上座にいる竹蔵に平伏した。 篠原、青木ら陪臣は次の間より平伏している。 お幸はここで我にかえった。 お幸の目の前には藩主泰範公が平伏している。 あわてて上座から逃れようとするお幸を竹蔵は制止した。「お幸さん大事ない大事ない」 そう小さな声で云った。 そして藩主の方を向き直ると口を開いた。「仄聞でござるがこの度三田家中において白井家が断絶されたと聞き及び、こうして参上仕った。というのも」 と竹蔵はお幸の方をちらりと見て、「ここにおられる白井家のお幸殿と拙者竹村大蔵この度私事ではござるが婚約することとなり申した。しかし白井家が断絶とあっては、これは姻戚であるわが竹村家としても黙認するわけには参らぬ。そこで」 竹蔵は一段と声をあげ、「白井家の復興をお願いしたいと思いまして拙者罷り申した」 復興ならぬときは旗本の竹村家を敵にまわすことになるという意味が竹蔵の言外にはある。 いかに、去年幕府が崩壊したとはいえ旗本の権威はまだ残っている。まして、竹村家といえば旗本の中でも名門である。自らを廃嫡したとはいえ竹蔵の姻戚は天皇家にもつながっている。竹蔵がその気になれば三田藩などは軽くふっとんでしまう。 藩主は幼少である。言葉に窮した。「恐れながら」 はるか次の間で篠原が平伏しながら云った。「この度の白井家の一件、筆頭家老であるこの篠原が独断で下したもの、差し違えにござりますればただちにその罪を解き再興を致したいと思いますのでなにとぞ宜しくお願い申し上げます」 竹蔵は大きく頷いた。「よきにはからえ」 やがて、深夜に酒宴が始まった。 篠原はただちに下僚に命じ白井家再興を事務化した。 この酒席が終わる頃には白井家復興は成っているだろう。 お幸は上座で夢見心地でいる。「お幸さん」 竹蔵が云った。「さっき、いったことは俺の本当の気持ちなんだぜ」「えっ」「俺と一緒になってくれな」 お幸は小さな声で、「はい」 と頷いた。
2008.07.25
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篠原は山県に会うと、藩主を人質に差し出すということを申し伝えた。 そのかわり、と篠原は山県の要求である三田藩の出兵を拒絶した。 篠原としてもこれがぎりぎりの条件であり、これが不調に終わればついに官軍に叛旗を翻さざるをえない。 驚いたのは山県である。(そこまでやるか) 三田を護るためには藩主まで差し出す。山県は篠原の凄味に肝を冷やした。 爾来、江戸期を通して藩民のために藩主を犠牲にした例はひとつもない。篠原一人がそれをやってのけた。 山県は平伏して返事を待っている篠原を前に思案している。(どうしたものか) ところがおりしもこの時、変化が訪れた。 長岡軍が長岡城に向けて侵攻を開始したという知らせであった。 河井は八丁沖を渡って富島村に出たという。(なんという人だ) 底無し沼の八丁沖を越えてくるとは。(河井殿は鬼神か) 篠原はいまさらながら河井の凄さに驚いた。 しかし、このことが山県の態度を軟化させた。 この方面の兵はうすい。しかも他の勢力は間延びしたように広がっているため援軍が間に合わない。 長岡城が長岡軍によって奪回されるのが時間の問題となったいまここで三田藩がつむじを曲げ長岡軍についてしまうと官軍は越後から追い落とされると山県は判断した。 山県は篠原の条件に応諾すると戦さの指揮をとるためそそくさと部屋を出ていった。 篠原は関原の官軍本営を出ると、沖見峠を越えて三田藩の領地である刈羽に入った。 すでに天には星がさんざめいている。 ふと見ると一人の女が農作業をしていた。(もうとっくに陽も暮れたというのにご苦労なことだ) 篠原は馬を止めた。 越後人が働き者だというのは有名であるが、こんな夜まで働いている者はいない。 女は黙々と田んぼの畦刈りをしている。 次の瞬間、篠原は息が止まるほど驚いた。 草を刈っているのは白井一馬の姉、お幸であった。 お幸は篠原に気がつかないのか一心不乱に草を刈っている。 その姿はかつての上士白井家の貴婦人のそれではなく、ただの中年の小作の農婦であった。 もし、と声をかけようとした篠原は言葉を呑み込んだ。(こういう姿を見られることを彼女は望むまい) 篠原はそっと彼女から離れた。 胸中苦い思いがある。(この戦乱が終われば必ず) 篠原は自らに言い聞かせるように三田陣屋に向かって駆けた。 篠原が彼女から遠ざかっていった時、一人の武士がお幸に近づいてきた。 林幸蔵である。「これはこれは」 林は声をかけた。 お幸は顔をあげた。 林はにやっと笑うと、「三田藩大身の白井家のお幸様ともあろう方がこんな所で泥遊びでございますか」 お幸は林を無視して再び草を刈りはじめた。 林はいきなりほえた。「この藩賊め、足軽の分際で過ぎた事をするからこういうことになるのだ。ざまあないな」 林はお幸にぺっと唾を吐きかけた。 唾はお幸の菅笠にかかり、たらーっと垂れた。「お前の弟は大罪を犯したのだぞ。恥ずかしくないのか。死ね、死ね、死んでお詫びしろ」 林がお幸にずかずかと近づき足蹴にしようとした時、「おい」 と背後で声をかけた者がいる。 林はぎょっとして振り向いた。 竹蔵である。「なっなんだ。お前は」「俺か、俺は貧乏竹蔵だよ」 いうなり、剣を抜いた。「お前が白井の居候だな。乞食の分際で」「やめて」 お幸があわてて竹蔵を止めた。「お幸さん。こんな野郎生かしておくわけにゃいかねえ」 林は剣には自信がある。すらりと抜くと、「乞食を斬るには刀のけがれだが、致し方ない」 と青眼に構えた。 お幸は竹蔵をかばうように林のほうを向くと、「林様、この方は関係ありません。斬るなら私を斬ってください。それにこの人はあなたに歯の立つような相手ではありません。この方は」 直心陰流の達人で江戸でも十指にはいる剣豪と一馬から聞いている。林程度の田舎剣法などとても相手にならない。 お幸が喋りおわらぬうちに、竹蔵はお幸を飛び越えた。 一閃。 林は一個の肉塊と化していた。「ああ」 とお幸は泣き崩れた。「竹蔵さん。あなたはお役人を斬ってしまったわ。逃げてください」「お幸さん」 竹蔵は刀を林の衣服でぬぐうと、「俺のことは心配しねえでいい。それよりも」 竹蔵は刀を鞘におさめると、「これから俺は陣屋にいって白井家の再興を談じ込んでくるよ」 さらりと云った。「なっなにを」 いっているの、とお幸がいった。 気がふれたとしか思えない。 竹蔵はたったいま役人を斬ったばかりである。無宿者の竹蔵が陣屋に行けばその場で捕縛され磔、獄門はまちがいないだろう。「お幸さん、俺あ今度の白井家の取り潰しどうも納得がいかなかったんだ。上士の子弟がお構いなしで、足軽出身の白井家だけが罪を得るなんてよ。それで調べてみたら、こいつがかんでいた」 竹蔵は転がった林の死体に目をやった。 竹蔵は林が勘定奉行加藤博信に白井一馬の脱藩について処罰を強く願い出ていた事を調べ上げていた。「お幸さん」 竹蔵はお幸の方に向き直ると、「このうえは邪魔者もいなくなったし、藩主泰範公に会うよ」「えっ」 お幸は驚いて座り込んだ。「こちらの殿様はまんざら知らないわけでもないからさ。ここの本家の米沢家の殿様いるだろう。あの人知っているから。まあ身分は俺より低いけどね」 そういうと竹蔵はお幸に片目をつぶり、「まあ、まかしておいてよ。さっ行こう」 呆然とするお幸の手をとりスタスタと三田陣屋の方に向かって歩きだした。
2008.07.25
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篠原は三田に帰るやただちに首脳部を招集した。「兵を出すしかあるまいの」 青木がそっと呟いた。「よいではないか。三田武士の強さを見せてくれようぞ」 押見が云った。押見は一個の武弁である。 むしろこの事を喜んでいるようにも見える。「それにしても太子堂の連中も罪なことをしてくれたものよな」 加藤博信が深刻な顔をして云った。「このことが露顕せねばあるいはうまくやれたかもしれんからな」「いや」 篠原が云った。「河井さんがそれほど凄かった、ということでしょう」 篠原は越後一帯に偵察隊を放っている。 この偵察隊がもたらす情報はことごとく河井の凄さのことばかりである。 河井は会津藩ら奥羽列藩の援軍をうけているとはいえ官軍の四分の一の兵力で戦っている。 しかも、官軍はひましに兵を増強しているにもかかわらず戦況は長岡軍に分がある。「いっそ、長岡軍につくか」 矢口秀春が冗談っぽく云った。「もしかすると河井は長岡城を取り返すやもしれぬ」「まさか」 加藤博信が云った。「まあ、そんな事はあるまいが」 矢口秀春があわてて訂正した。「いや、考えられる」 篠原がこわい顔をしていった。(河井先生ほどの男だ。とんでもない事を考えているだろう)「本与板から十二潟、富島、森立峠まで官軍で埋め尽くされている。薄いのは八丁沖だけだ。攻め込む隙間などあるまい」 押見は手を振って否定した。押見は三田藩の軍司令官である。兵法の常道からいって長岡攻略は無理だということを知っている。 八丁沖は長岡の北にある大沼地で、天然の要害としてあり、長岡城もこれを考慮して築城されている。即ち長岡城は平城であるが東は信濃川、西は森立峠、南は悠久山に護られ北は一度足をさらわれたら二度と浮かび上がれぬ八丁沖がある。 河井軍は今町にいる。長岡城は今町の南にあるから中之島から十二潟を抜け新保を経て長岡へはいるしか道はない。 しかし、十二潟には官軍が充満している。 しかも、この方面には最強といわれた薩摩兵がいる。「所詮、河井の長岡攻略は無理だ」 押見が云った。 篠原はちょっと違うと思った。 河井は多分何かするであろう。(しかし) よしんば長岡城を奪取して長岡を河井の元におさめてとしても時勢は官軍にある、と篠原は思った。 いずれは河井も時勢の前に流されるだろう。 それゆえ、今は忍従しても官軍に従わなければならぬ。 篠原は一つの提案をした。「殿さまに官軍本営にご動座願いましょう」「げっ」 皆のぞけった。 ありうべきことではない。 こともあろうに藩主を人質に出すというのだ。「しっ篠原殿」「これしかありませぬ。三田を護るためには、これしかありませぬ」 篠原は握った手を震わせながら云った。「万が一の事があったとしてもこの篠原が腹を切ったとてそれで済むとはおもいませぬ。が、しかし私は」 三田を護るためにはこれしかない、と再び云った。「でなければ、私をこの場で斬り捨てて兵を挙げてください」 篠原はそういうと脇差を前に置き、静かに首を差し出した。「わしらは篠原殿を江戸家老に推挙したときから、篠原殿に一切をまかせている」 押見が優しく云った。「篠原殿に全てをお任せ申す」 かくて、藩主を人質に差し出すことに決まった。 篠原はすぐさま藩主に目通りを乞うと事情を説明した。 この幼い藩主は篠原に全幅の信頼をよせている。「なんだ。そんな事でよいのか」 と逆に篠原を気づかって気軽に云ってくれた。「私は江戸と、この三田しか知らぬ。他の所も色々と見聞したいと思ってた。それにかねがね陣中とはどのようなものかも見てみたいと思うていた。丁度よい機会じゃ」 その言葉が篠原には痛い。 篠原は拝謁を終えるとただちに山県のもとへと急いだ。
2008.07.24
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今町を奪取した長岡軍は建て直しを図る官軍との間でしばらく小競り合いをしたが、大過なく六月を終えた。 この頃、三田藩は篠原の命令一下密やかに息を殺していた。 四方の藩境では砲声がいくたびも轟いていたが、「三田藩は一切黙殺せよ」 との篠原の厳命で、時折道をそれた砲弾が三田の田に爆裂するのを除けば平穏な日々が続いている。 が、水面下では篠原は奔走している。 今町が長岡藩により落とされたことにより危機感をもった官軍が三田藩に兵の要請を求めてきたのである。 篠原はそのため長岡城にある官軍の本営まで六里の道をせわしなく往復している。 三田藩にとって不利な事は本家である米沢藩が長岡軍に援兵を送った事である。 三田藩としてはそのため米沢藩と絶縁宣言をしたが、官軍の不信の目ははれない。 官軍としてはそうであろう。本家である米沢藩が朝敵である奥羽越列藩同盟の主たる位置にあり、長岡藩に援兵を送っている。そして、分家の三田藩は物資の面では協力するが兵は出さないといっている。 しかも、三田は北越戦争の激戦区の真っ只中にあり、地蔵峠を越えれば官軍のもう一つの本営の関原である。もし、三田藩が叛けば官軍は瓦解する。 官軍としては三田藩に喉元に刃を突きつけられている思いであろう。 しかし、篠原としては、藩の金蔵を引っぱたいて洗いざらい官軍に出している。 もし、軍を出すとなれば負担は百姓にかかってくる。 民は、ついには妻や娘を売りに出さねばならないであろう。 天明の大飢饉にもなんとかしのいできたこの三田治世三百年の幕引きにそれだけはしたくない、という思いが篠原にはある。 兵を強要する山県としてもこれほど北越戦争が長引くとは思っていなかった。 理由がある。 これより前、彰義隊は江戸上野において一日で壊滅している。 江戸にいる官軍首脳部も長岡藩は二三日で降伏すると思っていた。 ところが開戦以来二ヵ月経っても未だ戦争中である。 しかも戦況は官軍にとって不利である。(それもこれも岩村のせいだ) 山県は歯噛みした。(あの小僧が、河井と和しておればこういうことにはならなかったものを) 山県は岩村の慈眼寺での河井に対する傲慢な態度を聞いている。(わしが会見しておればこういうことにはならなかっただろう) 山県は河井の高名は聞いている。山県ならばうまく河井を調略し、和議にもっていったであろう。しかしいまとなっては詮方ない。 山県は篠原を呼び出すと事情が変わった、と云った。 それにもう一つ、お手前の藩士が長岡藩に加担しているではないか、と山県は迫った。 太子堂組の事が露顕した。 篠原は絶句した。 山県は巧い。 恫喝しておいて、このとおりじゃ、助けてくだされ、兵をだしてくだされ、と頭を下げた。 篠原は、今はやむなし、と承諾した。
2008.07.24
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一方、三田に宮下がようやっと戻ってきた。 宮下は、三田へ帰ると藩主に拝謁した。 幼い藩主は、「激動の時期であるがよろしくたのむ」 と頭を下げた。 宮下は藩主の前から辞去すると篠原がすでに招集した首脳会議に出席した。 そこで宮下は江戸の情勢を述べた。「俺は五月十五日の官軍と彰義隊の戦いをこの目で見てきたよ。一千人の剣自慢の幕臣がたった一日で壊滅だぜ。官軍は間断なく砲弾を浴びせてさ。俺たちが子供の頃には考えられなかったことが今起きようとしているんだ。時代は確実に変わっている。それに」 宮下は皆を見まわすと、「相模の横浜にも行った。外国の船を見たよ。それこそこの陣屋ぐらいの大きさだよ。それに大砲をいくつもつけてよ。そんな船があめりかやえげれすにはいくつもあるというんだ。こんな船が出雲崎にきてみなよ。俺はそう考えるとぞっとしたよ」 出雲崎は三田藩の漁港である。 一座にいる者はまだ実物の黒船は見たことはないが、例の嘉永の黒船騒ぎを知っている。宮下の話を聞きながら腹の中に鉛を呑み込んだような顔つきになった。 宮下はさらに云った。「何もかもが新しく変わってゆく。三田藩もそれに乗り遅れてはならない」 宮下はふうとため息をつくと、「俺は今まで槍の名人と云われてきたが、そんなものは糞の役にも立たない。それがよおくわかったよ」 武でならした押見もぐうの音も出ず黙っている。「宮下、そんなとこでいいだろう」 篠原が云った。「それより、宮下には当面内政をやってもらう」 宮下は槍の名人でありながら経済に明るい。 それに穏やかで明るい性格は家中でも評判がいい。内政にはもってこいである。「おめさんは」 宮下が顔をむけた。「私は官軍の交渉にあたる」 篠原は顔を引き締めた。 今までは外交、内政とも総指揮は篠原が執っていたが宮下が戻ってきたため篠原の負担は半減する。 それにこの役目は篠原でなくては出来ぬであろう。なにしろこの激動期、一歩間違えば藩は滅びる。「わかった」 篠原は青木正和らの方を向くと、「ではそういうことで宜しくお願い申します」 と頭を下げた。 三田藩の首脳は才はないが聡明であった。 有能な者を上へ押し上げ、自らは手足となる。そして権能を有能者の排除としてではなく擁護として使った。 無論皆に異存はない。「宮下殿、わしらをすりこぎでするように使って下され」 青木正和が代表して云った。
2008.07.23
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七人は河井の陣所をたずねた。 河井は片肌を脱ぎ、若党の松蔵に包帯をとり替えさせていた。 側には植田、三間、山本など長岡藩首脳が座っている。「どうですか、具合は」 伊藤が心配そうに云った。「なあに、引っ掻き傷さ」 河井は笑った。が額からは脂汗が滲み出ている。心なしか顔も蒼ざめている。(これは、相当ひどい) だれしもがそう思った。 河井は包帯を巻き終えると松蔵を下がらせた。「お歴々が揃って何用かな」「河井殿、こうなった以上会津に行かれてはいかがですかな」 七人の中では年長の色部がきりだした。 色部は越後に踏ん張って官軍と対戦することに利がないことを説いた。 植田など長岡藩の幹部たちも頷いている。 大将が負傷し、長岡城が奪取された以上、大軍である官軍と少数の長岡軍が戦っても勝ち目はない。このうえは会津藩にゆき東北諸藩と合流し、一大決戦をしたほうがよい。 河井は黙って聞いている、が色部がしゃべり終わると一言云った。「長岡城を奪回する」 皆、唖然とした。「し、しかし」 色部がなおもいいかけたが、河井が眼光鋭く睨むと押し黙った。 河井はさらに、「おめさんら怖いのなら国へ帰れ」 皆うつむいた、が伊藤だけは河井を見据えている。 伊藤はこの件に関し、ずっと黙っていたがこの戦さはさがるべきでないと思っていた。 伊藤はすでに死を決していた。 かれの頭には勝敗はなかった。武士として華やかに死ぬことだけがあった。 それには長岡城攻防戦は伊藤が武士として生涯を閉じる恰好の舞台であり、河井は脚本家であり、監督であった。「わしは河井先生に従う」 そう一言云った。 河井はからっと笑うと、「いま少し、わたしに任せてくれんかの」 と云った。 皆もうなずいた。 河井には思案がある。 かれは人払いをして一人陣所に籠もった。 やがて陣所から出てくると、主だった者を集めた。「まず今町を奪回する」 河井はそう宣言した。 戦線が海べりの与板から山岳の菅峠にいたるまで延々十里近く拡大している。 この中で長岡と信濃川をはさんだ今町だけが官軍の戦備がうすい。 ここを衝けば必ず今町奪回はなる、と河井は云った。 河井は今町攻略の策を言い渡した。 今町攻略に際して牽制隊、主力隊、別働隊と軍を三隊にわける。 牽制隊は山本帯刀が率い三条より山王を通り、本道を進む。 別働隊は米沢藩の千坂太郎左衛門が米沢兵を率い大面口へ。 そして主力軍は河井が自ら率い三条を出たのち二隊にわけ中立島口と安田口よりそれぞれ進む。「六月一日を期してこの作戦を決行する」 河井が云った。 もとより皆に異存はない。 決行の日がやってきた。 特設隊のいる主力軍は丸山興野で官軍と遭遇、彼らは銃撃戦の後の白兵戦で再び奮迅の働きをした。 河井は特設隊が敵を草を刈るように斬り倒してゆくさまを馬上で見ながら長岡藩士に、「三田藩士に手柄をとられては三河以来の長岡藩士の名折れぞ」 声高く叫んだ。 長岡藩士も次々と戦塵のなかに入ってゆく。 この奮闘により長岡軍は安田口に迫り、さらに死闘四時間ののち安田口を落とし、夜になってついに今町を占領した。 河井は今町の大竹邸に兵を集結させ、ここで勝利の勝鬨を上げた。 皆、死闘を演じたためか返り血を浴びている。中でも凄まじいのが伊藤で、頭から足の先まで真っ赤に濡れている。「まるで飯田神社の鬼神じゃねっかや」 矢口が三田訛りで茶化した。 三田にある飯田神社には鬼神が祀ってある。「うおお」 伊藤がおどけて刀を持ち仁王立ちになって鬼の真似をした。「ひゃあこりゃこわい鬼じゃ」 青木が頭をかかえて逃げるふりをした。 皆、それを見て笑った。(和んだようじゃな) 河井がそれを見ながら思った。
2008.07.23
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河井は長岡に着いた。 河井の目には崩れ行く長岡軍が映った。「砲を用意せよ」 河井は機関砲隊に最新式のガットリング・ガンを準備させると自らガットリング砲を撃ちまくった。 ガットリング・ガンは機関銃の一種で、一分間に百発の弾を放つ。 官軍の兵がばたばたと倒れた。(凄い) 官軍、長岡軍のたれしもが思った。 ガットリング・ガンの威力がである。 河井も息を呑んだ。(これなら勝てる) 今までは刀槍か弾を一発ずつこめる火縄銃による戦闘であった。これではどんな有能な兵士でも一度の戦さでせいぜい二、三人を倒すことしか出来ない。(ところがどうだ) この最新式の兵器はわずか一回の速射で数十名の兵が斃されてゆく。 河井は高笑いをしたくなった。(勝てる。勝てるぞ) 官軍は新型兵器の前に潰走をしはじめた。 河井は特設隊の方を見やると、「おめさんがた、退屈したろう。存分に働いてくだせえの」 と云った。 五人の目がきらっと光った。 と同時にそれぞれ剣を抜きつれ、猟犬のように河井の許を飛び出した。 伊藤が斬り、矢口が刺す。戦場はまさに屠殺場と化した。 形勢は長岡軍に有利に展開しだした。 その時、ガットリング・ガンを撃ちまくる河井の左肩に敵の飛弾がはじけた。 河井は、両足を踏ん張り辛うじて倒れることからまぬがれた。(骨が砕かれたか) 激痛がはしり、左腕がぶらんとしている。「執政」 横にいた機関砲隊の若い隊士が声をかけた。 河井は脂汗を流しながらも、「大事ない。大事ない」 と云った。「しかし」 隊士が見ると、左肩がみるみるうちに血で真っ赤に染まった。 近侍していた数名の者が、河井のもとのばらばらと駆け寄った。「執政、とりあえず退却しましょう」 手当てをしながら一人が云った。「いや」 河井はかぶりを振った。「今下がってはせっかくの戦機が失われる」 そこへ急報をうけた五人が戻ってきた。 伊藤は負傷した河井をみると逆上した。「おのれ」 官軍に向かって飛び出そうとする伊藤に、白井と加藤が抱きつき止めた。「伊藤さん、無駄だ」「とにかく城に戻るのだ。河井先生が先だ」 青木が云った。「いや、いま退いては」 という河井を遮り、矢口は、「先生、こらえてください。なあにまだまだこれからですよ」 からっと云うと近侍の者に指示し、河井を無理矢理担架に乗せ長岡城まで運ばせた。 城に戻った河井は傷の手当てをした。幸い骨は折れておらず、弾も貫通していたので消毒だけで済んだが医師は、「もうすでに膿みはじめている。陣頭指揮は無理でしょう」 と云った。 河井はその日のうちに城を捨てることを決めた。 元々が不意をつかれた戦闘に加え、指揮官河井の負傷で長岡軍は収拾がつかなくなっている。この状況では長岡城を持ちこたえるのは無理である。「加茂に行く」 河井はそう命じた。 河井は負傷しているため駕籠でゆく。 特設隊の面々が馬で周りをかためている。 悠久山から、栃尾を経て葎谷までの道のり、河井の駕籠からはうめき声が聞こえた。 駕籠のそばについて歩いている河井の若党の松蔵が、時々駕籠の中の河井に声をかけるが、「大丈夫だ」 と云うだけである。 葎谷に着いた河井はさらに榎峠、朝日山にいる主力軍も呼び寄せると本陣を加茂に移した。 この時、米沢藩が色部長門を総督に四百五十名を援軍としてよこした。 米沢藩は三田藩の本家である。 色部は副将格の千坂太郎左ヱ門を伴い特設隊の陣所までわざわざでかけてきた。 矢口らはむろんこの二人とは旧知である。「このたびの義挙ご苦労様でございました」 色部と千坂が五人にむかって頭を下げた。 三田藩から唯一、義にのっとり奥羽越列藩同盟に参加したことに感謝している。「色部殿たちこそ援軍痛み入ります」 矢口が云った。 それから色部たちは戦況を聞いた。 矢口は五月三日の慈眼寺の決裂から今までの経過を話した。 矢口には戦略眼がある。戦況の一つ一つを正鵠に伝えた。 色部、千坂の顔色がみるみるうちに蒼ざめていった。「戦況はきびしいですな」 千坂がぽつりと云った。「左様」 矢口はうなずいた。 長岡城を奪われているのである。「どうでしょう」 色部が云った。「このまま会津へ行っては」 色部は皆を見回すと、「河井殿も負傷されておるし、会津へ行って体制を整えては。会津には兵も武器もある。それに東北は殆どが佐幕じゃ。あそこで奥羽越列藩同盟を結集して戦うのが一番だと思うが」 無論、矢口らも異存はない。いやそれどころが矢口らもそう考えていた。「それでは、それがしが河井殿に進言してみます」 色部はそういうと矢口は、「いや、こういうことは皆で行ったほうがよいでしょう」 と云い、結局七人で河井の陣所を訪なうことになった。
2008.07.23
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河井は長岡に着いた。 河井の目には崩れ行く長岡軍が映った。「砲を用意せよ」 河井は機関砲隊に最新式のガットリング・ガンを準備させると自らガットリング砲を撃ちまくった。 ガットリング・ガンは機関銃の一種で、一分間に百発の弾を放つ。 官軍の兵がばたばたと倒れた。(凄い) 官軍、長岡軍のたれしもが思った。 ガットリング・ガンの威力がである。 河井も息を呑んだ。(これなら勝てる) 今までは刀槍か弾を一発ずつこめる火縄銃による戦闘であった。これではどんな有能な兵士でも一度の戦さでせいぜい二、三人を倒すことしか出来ない。(ところがどうだ) この最新式の兵器はわずか一回の速射で数十名の兵が斃されてゆく。 河井は高笑いをしたくなった。(勝てる。勝てるぞ) 官軍は新型兵器の前に潰走をしはじめた。 河井は特設隊の方を見やると、「おめさんがた、退屈したろう。存分に働いてくだせえの」 と云った。 五人の目がきらっと光った。 と同時にそれぞれ剣を抜きつれ、猟犬のように河井の許を飛び出した。 伊藤が斬り、矢口が刺す。戦場はまさに屠殺場と化した。 形勢は長岡軍に有利に展開しだした。 その時、ガットリング・ガンを撃ちまくる河井の左肩に敵の飛弾がはじけた。 河井は、両足を踏ん張り辛うじて倒れることからまぬがれた。(骨が砕かれたか) 激痛がはしり、左腕がぶらんとしている。「執政」 横にいた機関砲隊の若い隊士が声をかけた。 河井は脂汗を流しながらも、「大事ない。大事ない」 と云った。「しかし」 隊士が見ると、左肩がみるみるうちに血で真っ赤に染まった。 近侍していた数名の者が、河井のもとのばらばらと駆け寄った。「執政、とりあえず退却しましょう」 手当てをしながら一人が云った。「いや」 河井はかぶりを振った。「今下がってはせっかくの戦機が失われる」 そこへ急報をうけた五人が戻ってきた。 伊藤は負傷した河井をみると逆上した。「おのれ」 官軍に向かって飛び出そうとする伊藤に、白井と加藤が抱きつき止めた。「伊藤さん、無駄だ」「とにかく城に戻るのだ。河井先生が先だ」 青木が云った。「いや、いま退いては」 という河井を遮り、矢口は、「先生、こらえてください。なあにまだまだこれからですよ」 からっと云うと近侍の者に指示し、河井を無理矢理担架に乗せ長岡城まで運ばせた。
2008.07.22
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山県は柏崎へ戻った。 これが時山との今生の別れになった。 五月十三日山県は浦柄への到着が遅れてしまったのである。 この日は濃霧。朝日山を強襲するには絶好の機会である。山県の来着を待っていては戦機を逸すると判断した時山は、手勢をひきい朝日山へ向かった。 時山の隊は霧の中を粛々と進む。 朝日山を守る長岡軍はたれもこの隊に気づいておらず、少数での攻撃とはいえ山県を待たずに朝日山に向かった時山の戦術は間違っていなかったといえる。 ただ、一人の男がいたために時山に不運が起こる。 朝日山を守る長岡藩の兵の中に立見鑑三郎という男がいる。 長岡の人間ではない。 桑名藩の出身である。この二十歳そこそこの若者は、桑名藩主とともに会津藩に落ちのびていたが、奥羽越列藩同盟が結ばれたため将校として長岡藩に来ていた。 立見は生来の戦さ好きで、鳥羽伏見の戦いでは江戸にいたため戦闘には参加出来なかったことを悔しがっていたが、北越戦争がはじまるとただちに志願した。 立見にとってこの戦さが初陣にあたる。 官軍が山を登ってきた時、立見は朝日山の陣地の一番前に立っていた。そこへ官軍が濃霧の中ひょっと顔を出した。 立見には機知がある。官軍の不意の出現に内心驚いたが、騒がず、「ご苦労」 と官軍を装って声をかけた。 官軍の兵が、「貴方は」 というと、「私は官軍麾下の特別隊のものである。すでに朝日山は我々が占領した。貴方がたは安心して山をくだってもらいたい」 と云った。 いままで張り詰めていた気持ちがゆるんだ官軍の兵が、ほっとして立見に背をむけ山を下りようとした時、立見は配下の者に、「かかれい」 と攻撃を命じた。 安堵していた官軍は何が何だかわからずともかくもわれさきに逃げはじめた。 一人時山のみは陣容をささえようとしたが流れ弾にあたって戦死した。 こうして天才戦略家立見の巧妙な作戦により、時山率いる官軍は朝日山を転がり落ちていった。 立見ははるか後年日露戦争のとき、唯一幕軍側の中から将星に選ばれる。 後の立見尚文である。 山県が朝日山に登りかけたとき、時山は山県の前に戸板にのってあらわれた。山県は後年この時の遅れによる時山の戦死を、顕職を成した松下村塾の同窓に攻められる事になる。 一方、朝日山から官軍を追い落とした長岡軍はわきにわいた。 本営のある摂田屋村でも長岡城でも戦勝気分であった。 しかし、河井だけは冷静である。 朝日山の戦闘は単なる局地戦である。 官軍にはありあまる軍隊と豊富な武器がある。わずか七万四千石の小藩は勝ちつづけなければならない。 そのためには引き続き官軍に大鉄槌をくらわさねばならない。 河井はこの余勢をかって小千谷と本大島の官軍の両本営を十九日夜襲することを決めた。 河井は早速前島付近に長岡軍の主力軍を集結させた。 一方山県は、(このままでは官軍はずるずると後退する) と考えていた。 山県をはじめ他方面にいる官軍の首脳は、最大の敵は会津藩としていた。それがこんな越後の小藩に手間取っていたのでは天皇政権が危うくなる。 山県は起死回生の策として、出雲崎に温存していた三好軍太郎の軍に長岡急襲を命じた。三好は夜行軍で静かに信濃川を渡り、長岡城をめざした。。 それが十九日払暁。 わずか数時間の作戦決行の差で勝敗は決した。不意をつかれた長岡の藩兵はたちまち潰乱した。 長岡急襲、の報をうけた河井は機関砲隊と三田五人組の特設隊ら数名の者を引きつれ摂田屋を飛び出て長岡に向かった。(しまった) 河井は長岡に向かう馬上でいくたびも呟いた。 河井はまさか官軍がこうも早く攻撃してくるとは思ってはいなかった。 河井は官軍の作戦本部は小千谷にあるとおもっていた。小千谷の本営の官軍幹部は榎峠、朝日山を重要さを知らない無能ぞろいである。あの岩村を官軍の頭にいただいているかぎりこの戦さは長岡藩有利のまま進むというのが河井の頭にあった。(あの岩村の小僧にこんなことが出来る訳がない、とすればこの方面の官軍で将器を備えているのは山県しかいない。) 河井は柏崎の本営に山県がいることを知っている。しかし山県は北陸道鎮撫隊の一軍の将でしかないとおもっていた。全軍を指揮する立場にはないとおもっていたのである。(山県が北陸道の官軍を掌握しているとなればこの戦いは容易ならぬものになる)
2008.07.22
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翌日、篠原は藩主に拝謁し、白井家断絶の許可を得るや早速書状を起草し、白井家に使者を立てた。使者は土田尚平、べとである。 土田家はかつての白井家の上司にあたる。 のみならず土田家のお慶は白井一馬の許嫁である。 篠原は渋るべとに因果を含めて言い聞かせ使者として送り出した。 やがて、べとは戻ってきた。「もう、いやですよ。こんな役目は」 べとは帰るなり愚痴った。 べとの来訪にお幸は正装して玄関で三つ指をついて迎え入れた。その表情は普段とかわらない。 お幸はべとを客間に請じいれると下座でべとの読み上げる書状を平伏して聞いた。 べとは読み終えると憐憫の情でついお幸に声をかけようとした。 しかし、お幸がそれを制するように、「わかりましてございます。殿さまには白井家のためにここまでお目をかけていただきましたにもかかわらず当主一馬がこのような大罪を犯してしまいましたこと、誠に申し上げる言葉もございません。このうえは速やかにこの屋敷を去り、殿さまのお目の汚しにならぬよう密やかに隠れるつもりでございます。また本日は土田尚平様、名代としてのご足労ありがとうございました」と云って再び平伏した。 べとはとりつくしまがなく、お幸と門の外に出た。 べとの配下の者がてはずどおり門に板を打ちつけ始めた。 お幸はほつれ毛をそよ風になびかせながらそれをじっと見ている。 やがて、作業が終わるとお幸はべとに一礼して風呂敷包みを脇に抱え、立ち去った。その後を、下男らしき男が荷車を引いて行く。 お幸は最初から最後まで涙一つ見せなかったという。「そうか」(辛かろうな) 篠原はべとの方を向くと、「おぬしには辛い事ばかり申しつけてきた。しかし、世の中が安泰になるまでの辛抱じゃ。こらえて仕えてくれ」「そんな事はいいですよ。しかし」「どうした」「林だけは許せませんね」「・・・・」「あの野郎、自分の出世が思うように行かなかったから白井さんを苦しめやがって、武士の風上にもおけぬ奴だ」 白井家の断絶が林の強弁によるものだということをべとは知っている。「軽々しいことを申すな」 篠原がたしなめた。「しかし」 べとは抗しようとした。 篠原はそれをさえぎり、「いいか、林は正しい。脱藩は大罪ぞ。それに、役人というものはああでなくてはならぬ。役人が人情で動けば藩の機能は停止する。役人は林のように杓子定規で動かねばならぬのじゃ」 べとは納得がいかない。「ではなにゆえ篠原様は藩首脳部のご子息は許されるのですか」「私は役人ではない。政治家だ」 政治家だから藩全体を考える超法規的な措置を行なうことが出来るといいたいのであろう。「いいか、今回のこのことについては一切意見を言うな」 篠原はこわい顔をしてべとに云った。 べとはしぶしぶ承知した。 お幸は屋敷を出ると、かな山の方にむかって歩いた。 お幸の後から荷車を引いている竹蔵が、「お幸さん、これから何処へ」 と尋ねた。「北野へ」 お幸は答えた。 北野村には遠縁にあたる百姓がいる。一馬脱藩をあらかじめ予想してお幸はすでにその百姓に農家を借り受けている。「そこで近在のお百姓さんの小作でもいたしましょう」 二人が妙法寺にさしかかった時、一人の娘が風呂敷包を抱え立っていた。 お慶である。「お慶さん」 お幸は駆けよった。「どうしたのですか」「えへへ、家を出てきました」 お慶はぺろっと舌を出すと、「義姉さま、私は今日から白井家の嫁です。どうぞよろしくお願いします」 と頭を下げた。「でも」 お慶はお幸の言葉をさえぎるように、「私は婚儀が決まった時から白井さまの嫁になることを決意しております。家が断絶のなろうとも関係ありません」 お慶は胸から懐剣を出すと、「拒否されるなら私はここで死にます」 すらりと抜き、喉にあてがった。その眼は真剣である。 お幸は唖然として声も出ない。「お幸さん、この人は本当に死ぬぜ」 竹蔵が横から云った。「連れていってあげましょう」 竹蔵は首にかけた手拭いをはずしお慶のほうを向き直ると、「お慶さん、私は竹蔵という白井一馬さんの友人です。白井さんからあなたのことはきいております。いやあ、私は久々に本物の武家の娘を見ました」 と感心した風に首を振った。 お幸もやむなく頷いた。 お慶は、「義姉上さま、ありがとうございます」 そういうとそそくさと荷車の後ろにまわり、竹蔵をうながし荷車を押しはじめた。 三人はあらかじめ借りていた北野村のはずれの農家の廃屋で生活をしはじめた。 お幸と竹蔵は、田畑を耕し、お慶は近隣の百姓の子守りに出掛けた。 ただ、竹蔵は夕方になるといつもいずこともなく姿を消し、決まって夜中に帰ってきた。 越後の野に乱が起きた。 五月十日払暁、長岡藩の軍隊は朝日山、榎峠の官軍に襲いかかった。 小千谷官軍首脳部は藩閥人事の帳尻合わせのためか無能者ばかりが集まっている。 そのため重要な戦略拠点であるこの地への官軍の軍備は薄い。 朝日山、榎峠はいとも簡単に長岡藩の手に落ちた。 山県は朝日山、榎峠陥落の報告をもう一方の官軍の本営である柏崎で聞いた。山県は戦略眼がある。かれは朝日山、榎峠をこの戦さの命運を分ける戦略地として見ていた。 当然朝日山、榎峠には多数の軍隊をおいていると思っていた。ところが物見程度の数名しか兵を置いていなかった。(やはり、岩村の小僧に小千谷なぞ任せるのではなかった) 歯噛みしたがどうしようもない。 山県はすぐさま単騎小千谷にむかった。 山県が小千谷本営に飛び込んだ時、岩村ら幹部は遅い朝食を摂っていた。 戦争中に箱膳で下女に給仕をさせている。(なんという馬鹿者) 山県は怒りで手が震えた。 その中には白井小助ら山県の先輩がいる。 山県は白井小助ら先輩を叱るわけにはいかず土足で部屋に入るといきなり岩村を殴りつけた。「小僧、なんて事をしてくれた」 殴られた岩村は膳とともに吹っ飛び頬を押さえて怯えている。 下女は悲鳴をあげて部屋を飛び出た。 山形は情けなくなった。(こんな男をどうして) この重要な戦いの、それも軍監という最高の役職に据えたのだろう。「時山はどうした」 時山とは時山直八のことで山県とは長州松下村塾の同窓であり、小千谷官軍の唯一の有能な指揮官であるが藩閥、年功序列の人事のため身分の低い小隊長として組み込まれている。 むろん、首脳のいる小千谷にはいない。前線に出ている。 このうえは時山と相談して策を練るしかない、と山県は思った。 圧倒された一人が慌てて浦柄にいます、と答えた。 山県は岩村を蹴り飛ばすと、部屋を飛び出た。 浦柄で時山と会った山県は朝日山を奪回するため意見をかわした。 朝日山にいる長岡軍は兵が少ないので、山県が柏崎に戻り、援軍をつれてくる。そして時山の手勢とともに五月十三日を期して朝日山を攻撃をするということで話は決まった。
2008.07.22
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その夜屋敷に戻った篠原は一人、思案していた。(戦さがはじまる) 篠原は全身から血の気が引くのを感じた。 篠原は袴の裾をきつく握りしめ手の震えを抑えた。 藩史上かつてない激動がはじまる。 篠原がいかに度量がすわった人間であろうと大乱世ははじめてである。 せまりくる不安の中、(俺が落ちつかなくてどうする) と自らをなだめたが震えは止まらない。 なんせ三田藩は篠原一個の頭脳に委ねられているのである。 篠原としてはこれからの藩の進むべき構想は出来上がっているのだが、それが正しいという確信はない。 俺は不識庵の末裔ではないかと自らを鼓舞してみるがどうにも震えが止まらない。(俺は存外臆病者だな) 篠原は知らずうちに笑いがこみ上げてきた。(おかしなものだ。人間というものは不安が極度になると笑いがこみあげてくるらしい) まず、この震えを止めなければならない。 篠原はやにわに、そばにあった脇差を手にとり、腿をぶすりと突いた。 脇差は篠原の腿を深く突き差し、袴はみるみるうちに血に染まって雫は裾から垂れた。 この時、妻の静が部屋に入ってきた。 静は篠原を見て小さな悲鳴をあげた。 そしてあわてて篠原の腿から脇差を抜くと手拭いを裂き、止血した。 篠原は介抱をされながら、静よ、震えを止めるためだと笑った。 恐怖からくる震えを打ち消すために腿を突いたのだと云った。 静もそういう点では奇女である。止血しながらも、「腿を突いて震えは止まりましたか」 と尋ねた。 尋ねてから、(私はなんて馬鹿なことを聞いているのだろう) と思った。「うん、痛みの方が強くて震えはすっ飛んだ」 篠原は少し笑うと、「しかし、どうにも痛いのう」 止血の終わった足を伸ばすと傷口の部分をさすりながらいった。「では」 と静は再び云った。「もう片足を刺せばそちらの足の痛みは忘れましょう」 静は真顔である。 篠原は笑いながら静の尻を思いっきり引っぱたくと、「わはは、それぐらいの気概があれば俺も足など刺さんわい」 静は泣きそうになって尻をさすりながらも、「それにしましても足ぐらいでそのように痛いのなら腹を召すのは相当痛いのではないでしょうか」「うむ」 篠原はうなずくと、「しかし、腹を切るのはわしの問題。それはたやすい事だ」(俺は、三田藩一万の民を救わねばならぬ) それにしても静のこの放胆さはどうであろう。「静、俺よりもむしろおめさんの方が家老にむいているのう」 篠原はくっくっくっと笑った。 静はわけがわからずきょとんとしている。
2008.07.21
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その頃、三田藩では太子堂組の脱藩で大騒ぎになっていた。 急遽五人の脱藩について首脳会議が開かれた。 といっても、篠原以外の首脳はそれぞれわが子が脱藩しているためこの問題に苦慮している。「このうえは篠原殿以外は役を解いて蟄居するより他はない」 青木が苦渋の面持ちで云った。 それはそうであろう。 本来、法を護らせるべき要職にある者たちの子が法を破ったのである。 しかも最も大罪である脱藩である。「その前にわしが兵を率いてあやつらを斬り殺してくれる」 押見八郎太が云った。 押見は軍奉行であるとともに藩の警察の長でもある。藩への忠誠心も強い。しかも脱藩者の中に自分の伜も入っている。首脳部のなかでもとりわけ憤りがある。「ちょっと待ってください」 篠原が押しとどめた。「しかし」「押見殿、まあ聞いてください」 篠原は押見をなだめた。「罪は私にもあります。かれらの脱藩を手助けしたのは私です。私は地蔵峠の通行手形を出しました。私も同罪です」 皆、押し黙っている。 篠原が再び口を開いた。「今は非常時です。この件は保留致しましょう。全ては長岡藩と官軍が戦さを終え、三田に平穏が訪れてから我々が腹を切れば良いでしょう」「うむ」 押見が頷いた。「白井家はどうなさる」 と云ったのは加藤博信。「実は、足軽小頭の林がさきほど私のところへ来ました」 加藤がいうには林は、白井一馬めはもとは足軽にありながら殿様の格別の引き立てにより上士にとりたてられた。しかるに脱藩という大罪を犯した。このうえは速やかに処断なさるべし、さもなくば藩の規律にかかわると申し述べて帰ったという。「ううむ」 篠原は唸った。 皆、林と白井の確執を知っているし、林の意地の悪さも知っている。「打ち捨てておけばよい」 と云ったのは押見。林は押見の家来筋にあたり、その支配下にある。藩主にとっては陪臣にあたる。「あやつはどうも才走りて昔からいけ好かぬ。篠原殿、林はわしの配下である。わしが一喝してくれるわ」「いや」 と篠原が止めた。 林はそんなことで引っ込むはずはない。それに道理は林にある。これで林にごねられたら首脳部は総辞職、藩の行く末さえ危うくなる。 篠原はしばらく思案していたが、「白井家は断絶に致しましょう」 震える声で云った。「えっ」 一同驚いた。 皆の脳裏に白井一馬の姉お幸の顔が浮かんだ。 娘盛りからろくに化粧もせずに田に出て働くお幸の姿を皆知っている。「白井家を見せしめにするのでござるか」 青木が唾を呑み込むように云った。「やむをえまい」 と云ったのは矢口秀春、その声はかすれている。 いま首脳が辞職すれば藩は間違いなく瓦解する。 矢口秀春は藩体制の瓦解を恐れた。(なによりも藩が大事だ) そのためには情に流されてはいられない。 それに絞り出すような悲痛な気持ちで白井家断絶を云う篠原の気持ちもよくわかる。「それならばわが青木家も断絶してくれ」 青木はなおも云った。 青木は数十年、藩の宰領を任されてきている。穏和な性格で藩を統治してきた青木としてはとてもこのような処置は承知出来ない。「わしはこんなむごいことをお幸に強いる事は出来ない」「青木殿、皆も同じ気持ちじゃ。こらえてくれ」 矢口秀春が云った。「それに一番辛いのは篠原殿じゃ」 矢口秀春に促され青木は渋々承知をした。「それでは、明日私から殿さまに上奏し、藩主の名において白井家の断絶を申し渡すように致します。いつか私が白井家は必ず復興させるように致します。それまで堪えてください」 篠原は皆に頭を下げた。 青木は黙っている。「やむをえまい」 矢口秀春が皆を代表するように云った。 会議が終わった後、矢口秀春が青木の詰所に入ってきた。「青木殿、ゆめゆめ妙な気をおこされるな」 青木は家に戻って自決する気であった。 矢口秀春は青木と同年である。青木の性格は知り抜いている。お幸を思う青木の心情からして、青木がこの処置に納得するとは到底おもえない。青木は仏の青木といわれた人物でかれが筆頭家老として藩を統治した間は罪をゆるやかにし、処刑者は一人も出していない。これが青木の自慢であった。「一揆の時は、たいへんじゃったのう」 青木はぽつりと云った。 青木がまだ筆頭家老になって間もないころ三田の領地で飢饉のため一揆が起きそうになったことがあった。青木はこれを聞くと早速藩の米蔵を開け百姓に配った。しかも首謀者には当然死はまぬがれないところをお構いなしにしている。そして一揆が起きるのは藩の政治が悪いということで、自らの俸祿を減知した。 この頃矢口秀春も藩政に参加していて、反対の多かったこの処置にただ一人、青木の味方になってかれを助けている。 矢口秀春はそのころから青木と二人で藩を切り盛りしてきているので青木の心の襞々までわかる。 矢口は逆らわずに云った。「あの頃の青木殿は立派でござった」 青木は遠くを見つめるように眼を細めている。「押見八郎太殿の父上などは青木と矢口は百姓になりさがったのかとえらい剣幕で馬廻組の若い連中をひきいて暗殺に参ったものよなあ」「しかし、あの時は矢口殿が殿さまの弟君であるゆえ陣屋に匿もうてもらって命拾いを致しました」「そんなこともありましたな」 矢口秀春はうつむきながら微笑った。「平和な時代だったとはいえ、こうしてみると色々とありましたな」「私はこれといった才もないが民百姓にいたるまで楽しく暮らせるようにと考えてきました」 青木はふうとため息をついた。「お気持ちはわかりますが篠原殿の意も汲んでやってください。かれはかれでつらいのだ」 青木もそれは知っている。白井と篠原は同年であり、太子堂組の中でも特にこの二人は仲がよかった。「分かり申した」 青木は力なくうなずいたがぽつんと、長生きするのでは無かったと呟いた。
2008.07.21
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太子堂組が長岡城に着いたのは夕暮れだった。 河井はいない。 重役の植田が応対した。 植田は彼らが藩留学により長岡に滞在していた時の世話役である。 よう来てくれましたのう、よう来てくれましたのう、と何度も頭を下げた。 本陣が長岡の南、摂田屋村にある。 河井はそこにいるという。 植田は五人に腹ごしらえをさせると自らそこに案内してくれた。 摂田屋村に着いたのは夜半。 先に知らせを聞いていた河井は本陣の玄関まで出て待っていた。「先生」 五人は馬から転がるようにして飛び下りると河井のもとに駆け寄った。「来てくれたのか。すまんのう」 傲岸、といわれた河井が顔がほころんだ。 河井は太陽を見つめても瞬きしない男といわれたほど眼光するどく、この目に睨まれて目をそむけなかった者はいないといわれたが、笑うと相手の心にしみとおるような笑顔をする。「わしが頼りないばかりにこうして他の藩からも助けに来てくれる」 そういうと一人一人の手を握り、「皆の衆、わしの不徳の致すところで戦さになってしもうた。よろしく頼みます」 河井は頭を下げた。 植田がまあまあ立ち話もなんですから、と本陣へ招じ入れた。 本陣に入ると河井は講和の決裂、戦さの不可避等をかいつまんで説明した。 そして、これからの作戦は五月十日を期して二軍を派遣、それぞれ榎峠、朝日山を攻略する、と云った。 長岡という所は西は信濃川が流れ、東は山脈が連なり、天然の要害を成している。 長岡を攻略するとすれば北か南しかないが北の新潟は、元幕府の天領であり、すでに旧幕府軍が手中に治めている。 とすれば、主力が小千谷にある官軍は信濃川を渡り南の朝日山、榎峠から攻めるほかない。 むろん、官軍はすでに朝日山、榎峠を占領している。 が、偵察隊程度である。 小千谷にいる官軍の軍監の岩村精一郎が無能なため、この両地の重要さがわかっていない。 この朝日山、榎峠を奪回すれば長岡に官軍が足を踏み入れることは出来ない。 そのための榎峠、朝日山攻略である。 河井は五人の三田藩士には長岡の正規軍に組み入れず、河井の親衛隊としてそばにおくことにした。 無論、五人に異存はない。 五人は特設隊という名で長岡藩に組み入れられた。 話が一通りすむと河井は、「篠原さんは元気かの」「彼も来たかったでしょう」 矢口が云った。「彼はわしと同じよ」 河井と同じ一藩を背負う立場にあるということである。 それゆえ篠原の気持ちはよくわかる。 出来れば、自由自在に生きてみたい。 しかし、藩がある。篠原は筆頭家老である。 一藩を背負っていかねばならない立場にある。 その点では河井と同じである。「あれはあれで辛いのさ」 河井は目をしばたたかせた。「しかし、篠原さんもすごいの。噂は聞いておるよ。勤王で藩論をまとめるや柏崎の官軍の山県殿と会見し、出兵はおろか三田の地に官軍の陣所をおかぬよう約束させたというじゃないか」「彼の周旋の才は日の本を見回してもそうそうおりませんでしょう」 矢口が頷いた。「これで三田藩も安心じゃ」 そういうと河井は皆の前で急に土下座をした。「皆の衆、このとおりじゃ。ありがとう」「なっ、何を急に」 皆、驚いた。「おめさんがた、万が一の勝つ見込みがないのにわしのために三田藩を捨ててしもうた。ありがとう。河井継之助、このご恩は死んでもわすれはせぬぞ」「河井先生、手を、お手を上げてください」 白井がそばにより河井の手を掴んだ。「皆、気持ちは一つです」 伊藤が云った。「わしらは武士として死にたいのです。そして、武士としての死所を教えてくれるのは河井先生なのです。先生」「まだ、敗けると決まったわけではないぞ」 河井は苦笑した。「それもそうですな」 伊藤は頭を掻くと、やおら剣を抜き、「官軍がせっかく京より遠路はるばるのお越しでありますから胴田貫をたっぷり馳走して差し上げましょう」 河井は大笑した。
2008.07.21
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陽が昇りはじめる頃、五人は地蔵峠の番所についた。 地蔵峠の番所はいのっかえりという所にある。 いのっかえり、とは猪帰りまたは、猪返りと書くといわれている。 猪が帰って行く草深い山という意味か、けものの猪も引っくり返るほど難所ということか。 番所は長岡領との境ということもあって物々しく、藩兵は十人ほど警護にあたっている。三田藩の兵力はおよそ百人程度であるから十分の一をこの地に割いているということになる。 伊藤は番所の役人に手形を差し出した。 この番所の責任者は足軽小頭の林幸蔵である。 無論この狭い藩の中であるからおたがいに旧知である。 林は歳二十三、かつては白井の上司の身分であった。 白井とは般若寺の同門で、剣もそこそこに優れ、勉学の才もある。 しかし、優越意識が強くそれが性格に災いしていて人望がない。 要するに文武ともに才能があるため他人を見下す性格がある。しかし出自が低い。封建社会の階級制度の中では林程度の才能では浮き上がるのはまずむずかしい。そのため、代々の足軽小頭を継いでいる。 ところが、白井は三田藩史上希有といっていいほどの幸運により藩階級を駆け上がった。 白井に対して妬みがある。 林は白井の方に眼をやりながら、伊藤に一礼をして手形を受け取った。 なまじ才があるだけに、俺もこの仲間に入りたい、けれど入れなかったという思いが林にはある。 林は手形を確認するとうやうやしく伊藤に差し戻した。 伊藤は諾、と鷹揚に頷くと、「お役目、大儀である。」 そういって通りすぎた。 残る四人も次々と林の前を通りすぎてゆく。 その中に白井もいる。 林は深く頭を下げたまま見送らねばならない。 屈辱のなか、林は五人を見送った。 五人は番所を抜けると背の高い草をかきわけながら地蔵峠をめざして登った。 というより登山したというほうが適切であろう。 五人は何度も足をすべらせ転びながら地蔵峠の頂上についた。 陽はすでに天にある。 ここから先は長岡領である。険しい坂をくだれば長岡藩の三島谷番所がある。 そして、地蔵峠の山裾からはじまる田園地帯の先に長岡城が見えた。「いやあ疲れたっや」 青木がひょうきんそうにへたへたと座り込んだ。 それにつられ、皆が笑った。「地蔵峠に来たのは何年ぶりかなあ」 矢口が感慨深げに云った。「子供の頃来たことがあるろう」 加藤が云った。「ああそうそう、確か不識庵様の時だった」 青木が云った。「何です。不識庵様って」 白井が尋ねた。 不識庵とは彼らの家祖上杉謙信のことである。 このことは白井も知っている。 謙信が幼少時代に辛酸をなめて成長したことから藩の上士の子は十才ぐらいになると肝力をつけるため三田藩内をくまなく歩かされた。 日数は十日間に及び持ち物は脇差のみである。 その間、物は一切乞わず自給自足をする。 山菜を食い、川の魚を捕まえ、山のうさぎを捕る。 この行事を不識庵様、という。 白井は足軽の子であるからこれに加わっていないが他の四人と篠原、宮下は一緒に回った。 この時に地蔵峠に来たのである。「では、青木さんも加わったのですか」 肝力のない青木さんが、とでも言いたげな顔で白井が笑った。「ば、馬鹿、俺が一番の年長だぞ。あたりまえだ」「でも、真先にへばって秀郷がおぶってたっけ」 伊藤がちゃちゃを入れた。「もう、昔のことは忘れた」 青木はそっぽをむくとふくれた。 皆が笑いさざめいた。 ひとしきり笑ったあと、伊藤がぽつりと云った。「でも、最後の晩、物見山を抜けて陣屋に戻る途中、山道に迷い、どうにもならなくなって皆で刺し違えて自決しようという事があったなあ。あの時、篠原が皆を殴りつけ頑張ろう頑張ろうと励ましたことは終生忘れられんなあ」「見ろ、陣屋が見える」 矢口が指さす方向、青々と木の繁った物見山を背に三田陣屋が見えた。 そして陣屋の前には青木、伊藤らの豪壮な屋敷も見える。 陣屋の門を忙しなく行き交う、三田家中の者。 五人は感慨深げにその情景を見つめている。「子供のころはたのしかったのう」 伊藤が呟いた。「白井が最初に麒麟館に来たときのこと、憶えているか」 矢口が悪戯っぽく笑った。「憶えているとも」 伊藤が云った。「おとなしそうな子供だった」「ところが顔に似合わず剣は強かった。伊藤、矢口の両雄が苦もなく叩きのめされたんだからな」 加藤が笑いながら云った。「そんな事はもう忘れましたよ」 白井が顔を赤らめた。「いやいや、わしは憶えとるぞ。わしは剣では敗けたことはなかったからのう。この三田じゅうを見渡しても少年のわしに勝てる者は、剣術指南役の義父上様と秀郷ぐらいじゃった」「いや、私より伊藤さんの方に分があった」 矢口が口をはさんだ。「そのわしが白井の突きで道場の板壁に叩きつけられたんだからのう」「わたしもだ」 矢口も頷いた。「あの痛さといったら、夜も眠れんかった」 矢口は痛さを思い出したのか喉のあたりを撫でた。「白井の突き、か。伊藤の岳父様の義清殿でも白井の突きは見えなかったといっていたものな」「そのうえ、白井はいなごのように動き回るしのう」「われわれは影を突いていたものな」 伊藤が矢口を見ていった。「しかし」 と矢口が云った。「剣の時代はこれでもう終わるかもしれん」 皆が矢口の方を見た。 矢口は今年の一月鳥羽伏見の戦いの時、藩命により京にいた。 この時、白兵戦で臨んだ幕府軍が薩長の最新式の軍備の前にばたばたと斃されていくのを見ている。「新選組なんぞ酷いものさ。あれだけ京の町を震撼させた屈強の男どもが大砲一発で手足もぎとられて一巻の終わりさ」「俺たちは最後の武士になりましょう」 白井が云った。「これが最後の見納めだ。陣屋をよく見ておこうぜ」 青木が立ち上がった。 皆立ち上がり陣屋のほうを食い入るように見つめた。 やがて、加藤が嗚咽をあげて泣きはじめた。「加藤、泣くな」 伊藤が涙声で加藤の背を撫でた。「さあ、行くぞ」 青木は促すように云った。「河井先生をびっくりさせてやろうぜ」「腹も減ったし、長岡についたら大宴会だ」「よし、もうひと頑張りだ」 そういうと五人は聳える長岡城に向かって粛々と地蔵峠を下りはじめた。
2008.07.20
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篠原は陣屋に向かいながらつい不覚にも落涙した。(矢口、伊藤、青木、加藤、白井) その一人一人の名を呟く毎に嗚咽が洩れ出た。 篠原は思わず立ち止まった。 風が出てきたのか、立ちすくむ篠原の袴をしきりにふるわせた。(俺はこれから一体どうすればよいのだ) 宮下が残っているとはいえ、幼いころからの友をなくすことは三田の将来を背負った今の篠原には苛酷すぎた。 篠原は陣屋の前を流れる飯田川に顔を沈めた。そして大声で泣いた。 篠原が政務に携わっていると、べとがやって来た。「どうした。遅かったな」 と篠原は声をかけた。「伊藤さんのところへ行ってきました」 べとは胡座をかいてどかっと腰を下ろした。 目が真っ赤で泣きはらした跡が見える。 そして今見てきたことを篠原に話した。「伊藤さん、泣いていましたよ」 べとは篠原に背をむけるとごろっとねころんだ。「あーあ、なにもかもいやになっちゃったなあ」「ここが正念場ぞ」 篠原は立ち上がるとべとの前に座った。 べとが泣いている。「汝は泣いておるのか」「泣きたくもなりますよ」 べとはうつぶせになると、背を震わせた。「伊藤さん、娘さんのことおもって」 泣いてましたよ、泣いてましたよとべとは声をあげて泣きはじめた。「土田」 篠原はべとの肩に優しく手をかけた。「俺たちの仕事は伊藤の娘を立派に育てることだ」「わかってますよ」 頭ではわかっている、がかなしくてどうにもならないとべとは泣きじゃくった。「土田よ」 聞け、と篠原はこわい顔で云った。「俺は汝より伊藤とはつきあいが古い。物心がついたころからのつきあいぞ。伊藤だけではない。青木も加藤も矢口もしかりだ。その俺が耐えておる」 べとは、篠原の顔を見た。 篠原は噛んだ唇から血が滲んでいた。「篠原さん」「土田よ」 篠原は優しく云った。「三田の人々を護ろうぞ」「はい」 べとは力なくうなずいた。
2008.07.20
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白井は屋敷へ入るなり、お幸と竹蔵を客間に呼んだ。「姉上、竹蔵さん、いよいよ河井先生が戦さを起こしました」 お幸も竹蔵も黙って聞いている。「私はこれから脱藩致します」「俺あ悪いから席をはずすよ」 竹蔵が立ち上がりかけた。 竹蔵にすれば姉弟の今生の別れに他人がいるのはばつが悪いと思っている。 白井はそれをとどめた。「いえ、竹蔵さん、ご同席下さい」 白井はお幸のほうを向くと、「姉上さま長々お世話になりました。一馬このご恩は一生忘れません」 ふかぶかと頭を下げた。 お幸はにっこり笑った。「一馬さん、私のことは一切忘れてしっかりおやりなさい。ご武運をお祈り致しております」 白井は竹蔵のほうに向き直ると、「竹蔵さん、姉上さまのことくれぐれもよろしくお願い申し上げます」 そういうと再び頭を下げた。 竹蔵は腕を組んだままでいたが、「白井ちゃん、姉上さまのことは心配しないでください。この俺が命に代えても」 頭をふかぶかと下げた。「では」 白井は立ち上がった。「一馬、元気で」 お幸は一言云った。 白井は頷くと屋敷を飛び出た。 白井が去ると、今までこらえていたお幸がいきなり突っ伏して泣きだした。(あわれだな) お幸の泣く姿を見て竹蔵はそう思った。 それは、科を負って家祿が没収されるからではなく、お幸が手塩にかけて育てたこの世にたった一人の肉親の最愛の弟が永遠の別れになるかもしれないというお幸の切なさを思ってのことであった。 竹蔵は思わずお幸を抱き寄せた。 お幸は驚きもせず、竹蔵の胸に顔をうずめた。(今、俺にしてやれることはこんなことぐらいしかない) お幸は子供のように泣きつづけた。(白井ちゃん、俺あどんなことがあってもお幸さんを護ってやるぜ) 竹蔵はお幸をきつく抱くとそう呟いた。 伊藤には娘がいる。 年はまだ三才である。 名は、菜摘という。 伊藤はこのたった一人の娘を溺愛した。 妻の加代は、過去三度流産している。 本来ならば石女として離縁するか、伊藤の家格ならば妾をもつのが普通である。 事実、伊藤の岳父伊藤義清も妾をもつことをそれとなく勧めた。 無論、伊藤は女好きであり、三田領内の大和田の遊廓では伊藤の名は有名である。 しかし、伊藤は婿入りの気兼ねからか妾をもつことを拒んだ。 伊藤家は、加代が一人娘である。跡取りがなければ名門伊藤家は終には途絶えてしまうであろう。 妾の件が義父義清からあったときも、伊藤は笑って和やかに拒否した。 なおも義清がいうと伊藤は、「それならば、義父上様が妾をとって我らの弟なり妹なりおつくりになって跡を継がせればよろしゅうござる。さすれば私ども夫婦はこの家を出て二人で暮らしまする」 と眉間に皺を寄せ答えた。 加代は後にこの話を義清から聞いて涙をこぼしたという。 それほどこの夫婦は仲がよい。 その伊藤に女児が誕生した。 伊藤は狂ったようにこの女児を愛した。 その伊藤がこれからこの女児に最後の別れにゆく。 夜がしらじらと明けてきた。 伊藤はいつもの見慣れた道を家にむかって歩いてゆく。 その頭上を山から下りてきたのかうぐいすが啼いている。「うぐいすがないておるのう」 何年か先、菜摘が大きくなったらやはりこのうぐいすの声を聞いてなんらかの感慨をもつのであろうか、と伊藤は思った。 しかし、それは伊藤が今こうして最愛の娘に別れを告げにいく時に切なく聞こえるうぐいすの声ではないだろう。 本来、うぐいすの声は春に聞く明るい音色であるが、こうして切なく聞くうぐいすの声もあるのだな、と思うと伊藤は泣けてきた。 やがて、林が切れると伊藤の屋敷が見えてきた。 伊藤は唇を噛み、声を忍びつつ歩いた。 ふと見ると門の所にべとが立っている。 伊藤は慌てて涙をごしごし拭くと、べとのそばに寄っていった。「なんじゃ」 べとは伊藤の顔を見ると、にこやかに笑った。 べとはじっと伊藤を見つめている。 伊藤は気恥ずかしそうに、「この前はすまんかったのう」 頭を下げた。「篠原さんから聞きました」 そういうとうつむいた。 伊藤はべとの横顔を見た。 その表情は大人の顔になっている。(驚いたな) 今までべと、べとと少年を揶揄し内心軽侮していたが、今見る横顔は頬から肉付の良さがなくなり引き締まった顔をしている。(この一ヶ月の篠原の下での苦労がこの顔を造り上げたのか) 伊藤は思わず云った。「菜摘を菜摘をたのむ」 そういうとべとの前で土下座をした。 べとはじっと伊藤を見ていたが、やがて伊藤の前に正座して座るとその手を握り、「伊藤さん、安心して行ってください」 そして、立ち上がると、「伊藤さん時間がありません。早くご家族の人と今生の別れを」 踵を返すとさっと道を駆けていった。 伊藤はその後ろ姿に手を合わせた。 伊藤は屋敷に入っていった。 そして、加代を呼ぶと眠っている菜摘に盛装をさせるように云った。「いよいよでございますか」 加代は小さな声でいった。「うむ」 伊藤が短く云った。 加代が盛装をさせた菜摘をつれてきた。 菜摘は眠そうに目をこすりながら伊藤のもと来たが伊藤の顔を見ると、「ととさま」 と抱きついてきた。 伊藤はしばらく菜摘を膝の上の乗せていた。が、やがて床の間の上座に座らせ、自分は下座に下がり菜摘を眺めていた。(菜摘を目にやきつけておく) ともすれば、涙で愛娘がかすみそうになるのをこらえながら伊藤は目をこらした。 菜摘は首を傾げながら愛くるしい顔で伊藤を見ている。 伊藤はやがて加代のほうを見た。 加代はうなずくと、「さあさ、もう一度おやすみしましょうね) 菜摘を抱くと伊藤に一礼し、部屋を出た。
2008.07.20
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五月に入った。 この時期、越後の情勢は切迫してきている。 長岡藩執政河井継之助は官軍と会見することを決意、五月一日小千谷の官軍に使者を送った。 官軍はこれを了承し、あくる五月二日河井は供一人を連れ小千谷に乗り込んだ。 会見場所は官軍の本営慈眼寺。 河井は会見相手が高名な西郷隆盛ではないにせよ、それに比する例えば、薩摩の黒田了介か長州の山県狂介だと思っていた。 が、出てきたのは、二十三才の若造であった。 河井は失望した。 若造の名は岩村精一郎という。 この細面の見るからに生意気そうな若者は土佐宿毛の出身で、幕末に多くの志士が倒れ人材が払底した時に登場し、土佐の出身というだけで幕府追討軍の幹部に補された。 幕末動乱期の幸運児の典型で、のち逓相、男爵、枢密院顧問。むろん明治後はなにするなく生涯を終える。 余談になるが、岩村には兄と弟がいる。 兄は精一郎と同様、薄っぺらい人物で精一郎と同様明治期をうまく遊泳し男爵にまでなっている。 弟は林有造という。 この時期はまだ少年であったため、明治初期に出現する。 林は、「謀反人でも林は玄人」といわれた人物である。 明治初期、武士の反乱により、西郷隆盛、江藤新平らが次々と滅んでゆくなか、板垣退助の懐刀として、日本中に自由民権の運動を広げてゆく。 岩村は河井を知らなかった。 むろん、河井の背景にある軍事力も。 岩村の目には河井は田舎の小藩の無能家老としてしかうつらない。 そういう偏見の中、河井は説いた。 要旨は、 一、長岡藩は独立国である。官軍にも旧幕軍にも組しない。 二、今は国内戦争をしているときではない。そんな事をしていると外国に植民地にされてしまう。 三、長岡藩が官軍と旧幕軍の主力である会津藩との仲介の労をとろう。 というものであった。 しかも河井の説き方は嘆願というものではなく、非難するような言い方である。 もし、これが受け入れられない場合は「大害ガ生ズル所」とまで云っている。 長岡藩が許さない、ということであろう。 これはもはや脅しである。 岩村はせせら笑った。(こいつ狂人か) それはそうであろう。 岩村は田舎の家老が血迷ったと思った。 岩村にしてみればわずか七万四千石の小藩が官軍に喧嘩を売っているとしか思えない。 河井は河井で自らを侍むところが強く独善的になっている。 むろんその背景にはわずか七万四千石の小藩をその才能で近代的な軍事藩に仕立てあげたという自負がある。 会見はたちまち決裂した。「帰れ」 岩村は席を立った。 河井は再三、交渉を願い出た。 が、聞き入れられず、河井はついに長岡へと帰路についた。 翌、五月三日奥羽越列藩同盟に加入した長岡藩は旗幟鮮明にし、官軍に襲いかかった。 世に言う北越戦争はこうして幕をきっておとされた。 後の北越戦争指揮官になった山県有朋が、「夏でも寒し越の山風」と詠った悲惨な戦争のはじまりである。 慈眼寺の会見の交渉破談の話は静かに流れ出た。 三田藩で一番最初にこの報を聞いたのは篠原。三日の早暁である。 篠原は小千谷の官軍本営に人を入れている。 その伝令が河井が長岡へ去るのを見届けると、すぐさま信濃川を駆け渡り篠原に注進した。 篠原は床の中でこれを聞いた。(戦さがはじまる) 篠原は跳ね起きると伝令にべとにもこの旨伝え、陣屋に来るようにと命令した。 そして自らは、着替えももどかしく太子堂へ向かった。 太子堂には五人ともいたがまだその情報は伝わっていなかった。 篠原は官軍と河井の決裂を告げた。 伊藤が云った。「篠原、おめさんには随分世話になったなあ。俺等はこれから脱藩する」「どうしても行くか」 篠原は宮下の白井説得不調の話は聞いている。こうなれば友情として太子堂組をつつがなく長岡へ到着させねばならない。おっつけ伊藤の父である超愛国者の押見八郎太がこの報を聞き、追手となるだろう。「これを持っていけ」 篠原は懐から一枚の紙を取り出すと伊藤に渡した。 藩境である地蔵峠を通行する通行手形である。 三田から長岡にはいる場合、通常は刈羽をぬけ沖見峠を越えてゆく。 街道になっているため道は広くゆるやかである。しかし、長岡領との藩境にある山を迂回してゆくため道のりはある。 地蔵峠は道らしい道はないが、長岡へは最短である。ただし、急な斜面を背の高い草をかきわけ、けものみちにそって越えるしかない。 藩境の地蔵峠のふもとには番所がある。 そこを通るための手形を渡した。「すまん」 太子堂組は頭を下げた。「私はこれから陣屋に上がって時間を稼ぐ」 そういうと篠原は太子堂を出、陣屋に向かって歩きだした。 五人は表に出ると遠ざかる篠原の後姿に再び頭を下げた。 が、篠原は振り返らない。 篠原の姿が見えなくなった時、矢口が横にいた白井に声をかけた。「白井さん、家に帰って姉上さまに最後の挨拶を」「し、しかし」「なあに、気にするな」 と伊藤が云った。「汝をここまで育ててくれたんじゃないか、わしらは支度をして飯田神社で待ってる。さあ行ってこい」 伊藤は白井の背中をどん、と突き出した。 白井は照れくさそうに笑うと、「半刻後に飯田神社で」 屋敷に向かって駆けだした。 白井を見送った後、矢口が伊藤のほうを振り向き、「伊藤さん。あなたも家に戻ってください」 と云った。 伊藤だけが太子堂組の中で唯一妻子持ちである。「いや、俺は」「伊藤さん。もう会えなくなるんですよ」 矢口は云った。「わかった」 伊藤はそういうと駆けだした。 伊藤を見送った後、矢口が、「さて、われわれはどうする」「親父殿の顔を見たってしょうがねえや」 青木が云った。「そりゃそうだ」「それではわれわれは準備をするか」「こんな事ならいい娘の一人もつくっておくんだったな」 加藤が云った。「おめさんに来てがあるかよ」 青木が云った。 加藤は、「そりゃあ三国一の良い婿じゃもの」「そうだ。そうだ。まっこと、加藤は三国一の花婿じゃ」 矢口が手をたたいて笑った。「馬鹿いってないで、支度をするか」 矢口はそういうと加藤の尻をたたいて太子堂の中に入っていった。 一方篠原の使いから連絡をうけたべとは伊藤の家に向かった。 伊藤とは仲違いしたまま別れたくないという気持ちがある。 太子堂にゆけば、他の者がいる。 べとは二人きりで話をしたい。(伊藤さんのことだ。子供に会うために一度家に戻るだろう。それを待ち伏せすればよい) べとは歩きながらそう思った。(しかし大変な事になったな) 顔が上気しているのがわかった。 藩主の馬廻役が揃いも揃って脱藩するのである。しかも彼らは近い将来、藩の首脳になるべき地位にある。 三田藩史上空前の出来事である。 べとの心の中には暗澹たる思いが広がっていった。(ともかく、俺は篠原さんを信じてついてゆけばよい) べとは自身にそう言い聞かせると暗い気持ちをふりきるように駆けだした。
2008.07.20
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五月に入った。 この時期、越後の情勢は切迫してきている。 長岡藩執政河井継之助は官軍と会見することを決意、五月一日小千谷の官軍に使者を送った。 官軍はこれを了承し、あくる五月二日河井は供一人を連れ小千谷に乗り込んだ。 会見場所は官軍の本営慈眼寺。 河井は会見相手が高名な西郷隆盛ではないにせよ、それに比する例えば、薩摩の黒田了介か長州の山県狂介だと思っていた。 が、出てきたのは、二十三才の若造であった。 河井は失望した。 若造の名は岩村精一郎という。 この細面の見るからに生意気そうな若者は土佐宿毛の出身で、幕末に多くの志士が倒れ人材が払底した時に登場し、土佐の出身というだけで幕府追討軍の幹部に補された。 幕末動乱期の幸運児の典型で、のち逓相、男爵、枢密院顧問。むろん明治後はなにするなく生涯を終える。 余談になるが、岩村には兄と弟がいる。 兄は精一郎と同様、薄っぺらい人物で精一郎と同様明治期をうまく遊泳し男爵にまでなっている。 弟は林有造という。 この時期はまだ少年であったため、明治初期に出現する。 林は、「謀反人でも林は玄人」といわれた人物である。 明治初期、武士の反乱により、西郷隆盛、江藤新平らが次々と滅んでゆくなか、板垣退助の懐刀として、日本中に自由民権の運動を広げてゆく。 岩村は河井を知らなかった。 むろん、河井の背景にある軍事力も。 岩村の目には河井は田舎の小藩の無能家老としてしかうつらない。 そういう偏見の中、河井は説いた。 要旨は、 一、長岡藩は独立国である。官軍にも旧幕軍にも組しない。 二、今は国内戦争をしているときではない。そんな事をしていると外国に植民地にされてしまう。 三、長岡藩が官軍と旧幕軍の主力である会津藩との仲介の労をとろう。 というものであった。 しかも河井の説き方は嘆願というものではなく、非難するような言い方である。 もし、これが受け入れられない場合は「大害ガ生ズル所」とまで云っている。 長岡藩が許さない、ということであろう。 これはもはや脅しである。 岩村はせせら笑った。(こいつ狂人か) それはそうであろう。 岩村は田舎の家老が血迷ったと思った。 岩村にしてみればわずか七万四千石の小藩が官軍に喧嘩を売っているとしか思えない。 河井は河井で自らを侍むところが強く独善的になっている。 むろんその背景にはわずか七万四千石の小藩をその才能で近代的な軍事藩に仕立てあげたという自負がある。 会見はたちまち決裂した。「帰れ」 岩村は席を立った。 河井は再三、交渉を願い出た。 が、聞き入れられず、河井はついに長岡へと帰路についた。 翌、五月三日奥羽越列藩同盟に加入した長岡藩は旗幟鮮明にし、官軍に襲いかかった。 世に言う北越戦争はこうして幕をきっておとされた。 後の北越戦争指揮官になった山県有朋が、「夏でも寒し越の山風」と詠った悲惨な戦争のはじまりである。 慈眼寺の会見の交渉破談の話は静かに流れ出た。 三田藩で一番最初にこの報を聞いたのは篠原。三日の早暁である。 篠原は小千谷の官軍本営に人を入れている。 その伝令が河井が長岡へ去るのを見届けると、すぐさま信濃川を駆け渡り篠原に注進した。 篠原は床の中でこれを聞いた。(戦さがはじまる) 篠原は跳ね起きると伝令にべとにもこの旨伝え、陣屋に来るようにと命令した。 そして自らは、着替えももどかしく太子堂へ向かった。 太子堂には五人ともいたがまだその情報は伝わっていなかった。 篠原は官軍と河井の決裂を告げた。 伊藤が云った。「篠原、おめさんには随分世話になったなあ。俺等はこれから脱藩する」「どうしても行くか」 篠原は宮下の白井説得不調の話は聞いている。こうなれば友情として太子堂組をつつがなく長岡へ到着させねばならない。おっつけ伊藤の父である超愛国者の押見八郎太がこの報を聞き、追手となるだろう。「これを持っていけ」 篠原は懐から一枚の紙を取り出すと伊藤に渡した。 藩境である地蔵峠を通行する通行手形である。 三田から長岡にはいる場合、通常は刈羽をぬけ沖見峠を越えてゆく。 街道になっているため道は広くゆるやかである。しかし、長岡領との藩境にある山を迂回してゆくため道のりはある。 地蔵峠は道らしい道はないが、長岡へは最短である。ただし、急な斜面を背の高い草をかきわけ、けものみちにそって越えるしかない。 藩境の地蔵峠のふもとには番所がある。 そこを通るための手形を渡した。「すまん」 太子堂組は頭を下げた。「私はこれから陣屋に上がって時間を稼ぐ」 そういうと篠原は太子堂を出、陣屋に向かって歩きだした。 五人は表に出ると遠ざかる篠原の後姿に再び頭を下げた。 が、篠原は振り返らない。 篠原の姿が見えなくなった時、矢口が横にいた白井に声をかけた。「白井さん、家に帰って姉上さまに最後の挨拶を」「し、しかし」「なあに、気にするな」 と伊藤が云った。「汝をここまで育ててくれたんじゃないか、わしらは支度をして飯田神社で待ってる。さあ行ってこい」 伊藤は白井の背中をどん、と突き出した。 白井は照れくさそうに笑うと、「半刻後に飯田神社で」 屋敷に向かって駆けだした。 白井を見送った後、矢口が伊藤のほうを振り向き、「伊藤さん。あなたも家に戻ってください」 と云った。 伊藤だけが太子堂組の中で唯一妻子持ちである。「いや、俺は」「伊藤さん。もう会えなくなるんですよ」 矢口は云った。「わかった」 伊藤はそういうと駆けだした。 伊藤を見送った後、矢口が、「さて、われわれはどうする」「親父殿の顔を見たってしょうがねえや」 青木が云った。「そりゃそうだ」「それではわれわれは準備をするか」「こんな事ならいい娘の一人もつくっておくんだったな」 加藤が云った。「おめさんに来てがあるかよ」 青木が云った。 加藤は、「そりゃあ三国一の良い婿じゃもの」「そうだ。そうだ。まっこと、加藤は三国一の花婿じゃ」 矢口が手をたたいて笑った。「馬鹿いってないで、支度をするか」 矢口はそういうと加藤の尻をたたいて太子堂の中に入っていった。 一方篠原の使いから連絡をうけたべとは伊藤の家に向かった。 伊藤とは仲違いしたまま別れたくないという気持ちがある。 太子堂にゆけば、他の者がいる。 べとは二人きりで話をしたい。(伊藤さんのことだ。子供に会うために一度家に戻るだろう。それを待ち伏せすればよい) べとは歩きながらそう思った。(しかし大変な事になったな) 顔が上気しているのがわかった。 藩主の馬廻役が揃いも揃って脱藩するのである。しかも彼らは近い将来、藩の首脳になるべき地位にある。 三田藩史上空前の出来事である。 べとの心の中には暗澹たる思いが広がっていった。(ともかく、俺は篠原さんを信じてついてゆけばよい) べとは自身にそう言い聞かせると暗い気持ちをふりきるように駆けだした。
2008.07.20
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その夜、白井は橋姫に今生の別れを告げにきたことを宮下に伝えた。 宮下は、わかった、というと早速宮下の身の回りの世話をしている毛呂藩の中間を呼び、橋姫への目通りを奉行に伝えにやらせた。 翌日、宮下は白井を送りだした。 白井は宮下に、「おめさんは行かんのか」 といったが宮下は笑いながらかぶりを振った。 宮下にすれば白井には橋姫と二人きりで主従の別れをさせてやりたいという気持ちがある。白井にとって橋姫は恩人である。上士出身である宮下とは違い、橋姫への思い入れはまた格別なものである。 白井は橋姫のためならなんでもする、命もいらぬという感情がある。 無論宮下にもそういう感情はあるがそれはあくまでも主従の域をでない。 白井の場合は生まれ変わっても未来永劫に橋姫を主に戴き尽くす、といった感がある。(その中に俺ははいれない) と宮下は思っている。 青木や加藤が白井一人のみを橋姫との別れに送りだしたのもそういう気持ちがある。「なあに俺はいつでも会える。早く行って来い。姫様が首をなごうして待っとるぞ。白井さんは姫様のお気に入りだてがんに」「うん」 白井ははにかむように笑うと踵を返して陣屋に向かった。 橋姫は陣屋の書院で白井を引見した。「おなつかしゅうございます」 白井は頭を下げた。 橋姫とは去年の輿入りに伺候して以来である。「今更、目通り願えた義理ではございませぬが、今生のお別れに恥を忍んで参上致しました」 白井は頭を下げたまま低い声で云った。 橋姫は人払いをすると侍女を部屋の外に立たせ見張らせた。 橋姫は、「これで二人きり、ゆっくり話が出来ましょう」 そういうところころと笑った。(姫は昔からそういう人だ) 貴門に生まれながら目下の者に非常な気を使う。「そなたたちの事、聞いておりまする。随分思い切った事をしますね」「はっ、申し訳ございませぬ」 白井は思わず額の汗を拭った。「責めておるのではございませぬよ」 橋姫はにこっと笑った。 そして一呼吸すると、「天下に三田武士の気概をお見せしておあげなさい」 と云った。「えっ」 白井は驚いて顔をあげた。「この先あなたがたがどういう汚名を着せられようとも私はあなたがたの味方です」「姫様」「あなたがここに来たのは私を思ってのことでしょう」 橋姫は聡い。白井がなぜ橋姫のところにやってきたか見抜いていた。「この毛呂藩は徳川家の親藩とはいえどすでに官軍に恭順しています。実家の三田藩から朝敵を出したら私の立場は」「ひっ姫様」「白井殿は優しいのですね」「・・・・」「でも」 「私のことなら心配はいりませぬ」「申し訳ございませぬ」 橋姫は白井の顔を見つめ、「あなたたちは、最強の軍団とうたわれた不識庵上杉謙信公の末裔です」 橋姫はすうっと立ち上がると、「帰って皆のものにお伝え下さい。今こそ上杉侍の強さをお見せしなさいと」 そういうと橋姫は部屋を出た。 白井も転がるように部屋を飛び出た。 長い廊下を歩いてゆく橋姫の後ろ姿がさしこむ陽にゆれている。 白井は土下座をした。(姫様ありがとうございます) 白井は橋姫への拝謁を終えると宮下の宿所に戻った。そしてその足で帰途についた。 宮下は一晩ぐらい泊まってゆけと引き留めたが、白井にとって事態は切迫している。振り切るように帰国の途についた。 宮下はやむなく篠原に白井来訪の手紙を書いた。 篠原は宮下の手紙により、白井が橋姫に別れの挨拶のため武州毛呂藩に行ったことを知った。むろんその中には宮下が白井説得に失敗したことも書いてある。 篠原は宮下に三田藩に戻るよう返書をしたためた。 情勢は急速に変化している。もはや江戸の情報は必要としなくなってきている。それよりもこれから越後で起こるであろう大変革に対し、三田藩をまもらねばならない。そのためには宮下が必要である。 篠原は宮下とべとを両輪にしてこの難局を乗り切らねばならない。(橋姫には申し訳ないが宮下が必要だ) 篠原は上士の中から屈強の者を数人選び、宮下の代わりに橋姫のもとに送りだすことにした。(もう武辺の者だけでよかろう) 純粋に橋姫の護衛だけが出来るだけでよい。
2008.07.19
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結局白井は、不得要領のまま土田家を出た。 翌朝、白井は竹蔵にお幸を託して陽が明けきれぬうちに家を出た。 武蔵国に出るのは通常信濃国まわりでいくのであるが、白井は火急の場合にとられる三国峠越えの上州まわりを選んだ。 この方が三日ほど早く着く。 白井が宮下の宿所に着いたのは篠原が毛呂を出た翌日である。 驚いたのは宮下である。「おめさん、どうした」 宮下はこの日所要があって夕方戻ってきた。 白井は宿所である長栄寺の門の前の松の根方でしゃがんでいた。「やあ」「どっどうしたっや」 白井はそれには答えず、足もとに生えている草を抜くと、口にいれくちゃくちゃと噛んだ。 白井は本来無口である。 その無口さが白井の迫力にもなっている。宮下は一歳年若のせいもあって白井に遠慮がある。宮下は仕方なく白井の隣にしゃがみこんだ。 白井は草をもう一本引き抜くと宮下の前に差しだした。「もち草だ。三田では田んぼの畦によく生えている。子供の頃よく口に入れて噛んだっけ」 宮下は仕方なくそれをうけとり、口に入れた。 口の中に青臭い苦みが漂った。「最初は苦いが噛んでいるうちに甘みがでてくる」 宮下も子供の頃に噛んだことがあるから知っている。 宮下は、白井の来訪の肚をはかりかねた。 何故突然やってきたのかを聞きたかったが、一つ年上の白井に機先を制されたため黙ってもち草を噛んでいる。「このもち草はこちらではなんというんだ」 白井の話はとりとめもない。「さあ」 宮下は噛みながら答えた。草はますます苦く、一向に甘くならない。 白井は宮下の性格を知っている。 宮下は家中きっての能弁家である。先に篠原が宮下のもとに来た事を知っている白井としては、すでに太子堂組が脱藩することを篠原が宮下に伝え、かつ白井の脱藩慰留を依頼されたことも容易に推察出来る。 白井は宮下の雄弁には敵わない。 そのため機先を制して宮下の口を防ごうとした。 白井は宮下と無用の摩擦を起こしたくないという気持ちがある。 直情の宮下とまともにぶつかって、刃傷ざたまではいかないにせよ積年の友情を潰したまま脱藩をしたくない。 宮下は相手が目上であるため、自分の方から脱藩説得はおろかこの毛呂に来た理由すら聞き出すことが出来ない。 宮下は長幼のことには素直な性格である。 白井の計略どおり宮下は沈黙した。 白井は故郷の田は去年に比べ青々としているから豊作になるぞとか、かな山の炭焼きの家に男の子が生まれたとかとりとめもない話をしつづけた。 これにはさすがの宮下も参ってしまい、陽がとっぷりと暮れる頃には、「白井さん、わかった。脱藩のことについては一切言わない」 宮下は両手を合わせて拝む真似をした。
2008.07.19
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翌朝、篠原は橋姫にご機嫌伺いのため毛呂陣屋に上がった。 まずは橋姫の夫である藩主紫藤忠義に挨拶をした。 忠義は齢二十八、藩主の血筋か細面の顔に育ちの良さが感じられた。 人柄もいい。 ただ国を宰領する能力はなく、諸事側近に任せ、自らは唯一の趣味である読書に没頭しているという。 江戸三百年の泰平が生んだ貴人武士の典型といえよう。 そのため政治の事は何もわからない。 篠原に引見したときも、「そちの国は良寛が出たな。なにか面白い話はあるか」 とたずねたりした。(ああ、この方は元禄の世に生きている) 篠原は深刻な気持ちになった。 太平の世ならば、なにも問題はなかろう。 しかし、いまは激動期である。しかも、いままさに革命が起ころうとしている江戸からわずか十数里の所にありながら、まるで別世界にいるような感覚で世を過ごしている。 それだけではない。 毛呂藩内部にいくつかの閥があり、そのため閥同士が日夜謀事をめぐらし、政争が絶えない。さらにこういう時勢になったため勤王佐幕の思想が加わり、より複雑な状況を呈している。 宮下を毛呂藩において橋姫の護衛にあてたのも、幕府瓦解による政情不安のためというよりもそういう理由による。 忠義に挨拶を終えた篠原は橋姫に目通りを待つ間、控えの間にいる。 庭に目をやるとため息をついた。 綺麗に手入れがされている。 広い池があり、そのまわりをつつじ、楓などで彩り、池の向こう側には小さな茶亭がある。 そして、茶亭の背後には臥龍山が聳えている。(見事な借景だ) これほどの庭園はそうはあるまい。 聞けば忠義が命じて造らせたものだという。(この才能が芸術ではなく、政治に出ておれば) 篠原は庭を見ながら忠義の才能を惜しんだ。 やがて、呼び出しがかかり、篠原は橋姫の前に出た。 橋姫は引見すると、「庭へ出ましょう」 と云った。 橋姫は二人の侍女をつれて外へ出た。 池の向こうには茶亭がある。 橋姫は侍女を従え、茶亭までの小径をゆっくりと歩く。 そのあとを篠原がつづく。 やがて橋姫は茶亭の前までくると、侍女二人に館のほうへ戻るように命じた。 二人は橋姫に深く会釈をすると今来た小径を戻りはじめた。 橋姫は茶亭のぬれ縁に腰掛けた。 そして立ちすくんでいる篠原に声をかけた。「篠原殿もおかけなさい」「えっ」 篠原は驚いた。 主筋と家来が同じぬれ縁にかけるなど考えられない。 篠原は思わず回りを見た。 池の向こうには侍女たちが心配そうにこちらを見ている。「しっしかし」「ここは三田ではありませぬ」 ぬれ縁の長さは一間しかない。 しかも橋姫はぬれ縁の中央に掛けている。(なんという人だ) 篠原は背中に汗が流れるのを感じながら縁の端に座った。 橋姫とは息のかかる位置である。「お国はどうですか」 橋姫は懐かしむように云った。「はっ、つつがなく」 篠原は汗を拭いながら云った。「篠原殿、また痩せましたね。わが弟泰範殿はまだ幼少の身、色々と大変でしょうがどうかもりたてていってください」 橋姫は篠原を見つめて云った。「そのことは命に代えましても」「篠原殿」 橋姫は篠原の手を握ると、自らの膝の上に引きよせた。「ひっ姫様」 篠原は絶句した。「先日、矢口秀郷殿から手紙が参りました。何も言わずに太子堂組の脱藩を許してあげてください」 橋姫は篠原の手をぎゅっと握った。「あの方たちは武士として生きたいのです。私からもお願いします。武士としていかせてやってください」 篠原は目を潤ませて願いを乞う橋姫を見ながら思わずうなずいた。 翌日、篠原は宮下に見送られ馬上の人となった。 前夜、二人は相談し、宮下のかわりに橋姫護衛となるべとを待って、宮下が三田入りするということになっている。 そして三田入りした宮下は御用人に就任するということで話は決まった。 宮下の家柄は名門で、その家系からは御用人になったものも少なくない。 むろん宮下は御用人としての資質も度量もある。 首脳会議にかけても異論はない。(宮下が三田に入れば一安心だ) 篠原は暗黒の闇に一縷の光明を見出した気分になりながら一路、越後三田へ馬を駆けさせた。 その頃、太子堂では矢口、伊藤を中心に脱藩の準備が進められていた。 たびたび来る長岡藩の河井からの手紙により矢口らは、ここ数日の間に長岡藩が意志を明確にすると見ていた。 すでに官軍は小千谷と柏崎に軍を置き、戦さの準備をはじめていた。対する奥羽越列藩同盟の主力会津藩も村上藩をはじめ越後の旧幕府系の藩に援軍を送っている。 河井の手紙には、奥羽越列藩同盟との仲介をとるため、小千谷の官軍本営に赴くことが書かれてあった。 狂気の沙汰ではない。 わずか七万四千石の小藩の家老が日本を二分している勢力の仲介に入ろうというのである。 矢口らは長岡藩の中立は無理だと感じている。(おそらく交渉は決裂するだろう) 河井の場合、あわれな幕府と幕府系の諸藩である奥羽越列藩同盟に寛大な措置を情義でもって懇願するのではなく、河井の性格からすれば自藩の強大な武力を背景に(といっても官軍側にとっては笑止なことだが)その非をなじり、正義をもって相手の肺腑をえぐるように論詰するであろう。 河井から来る手紙の文の端々に官軍に対する不遜さがみてとれる。 河井の弟子である矢口の目から見ても、(河井先生は狂ったのではないか) と思ったほどである。 口には出さないが他の太子堂組の面々もそれは感じている。 河井の自信は、官軍には通用しない。 交渉が決裂すれば、河井は官軍に恭順するはずがなく奥羽越列藩同盟に参加する。 矢口は脱藩する時期が近いことを知り、皆を集め河井の手紙を見せた。「いよいよ戦さがはじまります。あとは伊藤さんと私で準備をしますから今のうちに家に帰ってのんびりしておいてください」 脱藩の準備のため、ここ数日誰も家には帰っていない。 白井らはうなずいた。 太子堂を出たところで白井は青木と加藤に、「たまには家に来ませんか」 と誘った。 二人ともまだ独身であり、家に帰ってもすることはない。「白井の姉上さまにご挨拶じゃ」 はしゃぎながらついてきた。 二人は随分白井の家に行っていない。 白井は二人を連れて家に帰った。 お幸は突然の来訪に、「なにもありませんが」 と昼餉の用意をした。「おおこりゃおどせじゃねっかっや」 青木が喜びの声をあげた。 おどせは残り物の冷や飯に山菜などをいれ、粥状に煮込んだいわばおじやみたいなもので、これをさらに冷や飯にかけて食べる。 食生活の貧しい下級武士や農民の常食で、白井家はすでに上士になっているので食卓を豪華に飾ることができるのだが、一馬は子供のころからこれが好きでお幸が時々作っている。 青木は門閥家老の出だから、おどせなどは食べたことはなかったが、白井とつきあいはじめてからおどせを初めて食べ、以来、青木にとってはこのめずらしい庶民の味が好物になっている。 三人はおどせを食べながら酒を呑んだ。 寒い国の男たちであるので皆酒を呑む。 太子堂組のなかでは下戸といわれている白井でさえも一升は呑む。 呑みながら青木が白井に云った。「白井よ、おめさん本当に脱藩するのか」 白井は頷いた。「お慶さんとの婚儀はどうするんじゃ」「破談にしますよ」 白井はさらりと云った。「お慶殿には今夕話をしようと思っています。それより」 白井は二人をじっと見ると、「橋姫様のところに参ろうと思っています」 青木も加藤も黙っている。「私を一番引き立ててくれたのは橋姫様ですから」 前藩主慶範の小姓時代、橋姫は白井の稚気をことのほか愛した。 太子堂組への加入も橋姫の強い口添えによる。 青木も加藤もそのことはよく知っている。「姫様へ挨拶なしに脱藩したら私は恩知らずになってしまいます」「わかった」 青木はそういうと、「白井、行ってこい」 と笑った。「で、出立はいつだ」「明朝」「では白井さん。道中手形は私がこれから手配する。今夜私の屋敷まで来てください」 加藤が云った。加藤はこういう細やかなところによく気がつく。「かたじけない」 白井は頭を下げた。白井はこういうことには無頓着で山越えをして勝手に藩境を越えようと思っていたから加藤の好意に喜んだ。無論藩境の小役人たちは白井の剣の凄みを知っているので制止する者はいないだろう。 その日の夕方、白井はお慶と会うため土田家を訪れた。 お慶は家中でも評判の美人で、色が雪のように白く、口もとが受け口で愛らしい。越後美人の典型で白井との婚儀が決まった時、三田の独身者たちは皆この婚儀を羨んだ。 白井は土田家の客間に通され二人きりになると、「噂で聞いたとおりだ。私は脱藩する。まことに申し訳ないがこの婚儀はなかったものとしてくれ」 頭を下げた。 お慶はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。「いいえ、白井様。一度婚儀を決めた以上祝言をしなくても私は白井家に入ります」「いや、それは」 お慶はにっこりと微笑むと、「これはもう私が決めたこと。白井様がいなくても私は義姉上様をお助けします」「お慶殿、私が脱藩をすればあなたにも塁が及びます」「白井様、私のことは大丈夫です。どうかわたくしをお嫁にもらってください。お願いします」 お慶は三つ指をついた。 この女性のどこにそんな大胆さがあるのか、白井は驚かずにはいられなかった。
2008.07.19
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白井家からの帰り道、篠原は満天の星の下ゆるゆると歩いていた。 白井への説得が不調に終わった今、最後の頼みの綱は宮下俊輔しかいない。(宮下に説得をたのもう) 篠原はそう思った。 宮下は去年の橋姫の輿入れの時に護衛として同行したが、幕府が瓦解したため関東の政情が不安になり、橋姫警護のためそのまま武州毛呂藩に滞留している。(宮下をつれもどろう) 篠原はそう決意した。 篠原は早速青木正和ら首脳を呼びよせるとそのことを打ち明けた。「して誰が呼び戻しにゆきます」 青木が尋ねた。「私が」 ゆかねばなりますまい、と篠原は云った。 宮下と同じ太子堂組にいた篠原が話がしやすい。年も同年である。 それに、江戸に近い武州の毛呂藩にいる宮下に江戸の情勢を直接聞きたい。 宮下は槍の名手というだけではなく、情報分析力もある。武州から送ってくる彼の情報は的確で、しかもそれに添えてある意見はいちいち正鵠を得ている。篠原が三田藩の舵をうまく操作出来ているのも宮下の力を得ているところが大きい。 篠原は来週出立することを伝え、青木らに後事をこまごまと指示した。 篠原が武州毛呂藩に着いたのは閏四月も終わろうとしている夕暮れ。 供はない。 異例というべきであろう。 小藩とはいえ、一国の首相が単身他国へ出向かうということはありえない。(仰々しい行列など無用だ) 篠原は御用人になったときからまわりに人をおかず、江戸にいるときも洗濯から裁縫まですべて自分でしている。 政務の補助としてはべとをおいているのみである。 この一事を見ても篠原の合理さが伺える。 篠原は、宮下が宿所にしている妙源寺に入った。「おう、来たな」 先に早飛脚で連絡をうけていた宮下は境内まで出ていて篠原の来るのをいまかいまかと待ちかねていた。「わざわざお出迎えか」 篠原は馬から下りると手拭いで袴の埃を払った。「単身ではさみしゅうてのう」 宮下は男振りのいい笑顔をみせた。しみとおるような笑顔である。 何せ、昨年の橋姫の輿入れから半年余、たった一人で異国に滞在している。 「風呂を沸かしてある。とりあえず旅の埃を落とせ」 宮下はそういうと篠原を中へ誘った。(よく気がつくのう) 篠原はくすくすと笑った。 宮下も苦笑した。「おめさんのいいたいことはよくわかる」 宮下は男のくせに如才なく気がつくことを気恥ずかしく思ったのだろう。 篠原は宮下の肩をぽんと叩くと、「許せ、感心したんじゃ」 風呂の窓からは木々の梢が見えた。「どうですかのう、湯加減は」 寺男らしい老爺の声がした。「ああ、ちょうどいい湯です」 篠原は湯船の中で大きく伸びをすると、(こんなにゆっくり出来るのもいまのうちだな) と呟いた。 国へ帰れば激務が待っている。(せいぜいゆっくりするか) 篠原は湯船を出ると頭を洗いはじめた。 明日は毛呂の館に登城し、ご機嫌伺いのため橋姫に会うので身ぎれいにしなければならぬ。 その時、後ろで声がした。「お背中流しましょう」 若い女性の声である。「いや、拙者は」 断ろうとするのをおかまいなしに女は垢すりに糠をつけ背中を流しはじめた。「では好意に甘えて、たのむか」「はい」 女の動作はきびきびして小気味がよい。「おめさんは背中を流すのが上手だが、こういう商売でもしているのか」 女はくすくすと笑いながら、「いいえ、あなたさまは特別でございますよ」(かわった女だな) 女は湯船の中から湯を汲みあげて頭からざぶざぶとかけ、「はい、お粗末様でございました」 と云った。 篠原はすまないのう、とふりむいて、 げっ、と声をあげた。 橋姫である。「ひっ姫様」 篠原は慌てて、すのこの上で平伏した。 橋姫はたすきをほどくと、にこにこと笑いながら、「篠原殿、長い道中ご苦労さまでした。また、この度は江戸家老ご就任おめでとうございます」 そういうと、丁寧に頭をさげ奥のほうに去っていった。(橋姫はかわらぬのう) 篠原は湯船に入り直すとそう呟いた。 橋姫は今年で二十四になるが三田藩にいた時からああいう性格で、茶目っ気がある。 国元にいる時も軽装で、陣屋を抜け出しては、百姓の家に入り込み赤ん坊のお守りをしたり、祭りの時なぞ町人の中に混じって団子を売ったりしている。 そのせいか、三田の民百姓からは姫様姫様と慕われきた。 橋姫の人気はすごいもので輿入れの時には、三田全領民が陣屋前から国境の沖見峠まで沿道に平伏し、橋姫の行列を見送ったほどである。 篠原は風呂を上がると膳の前に座った。「姫は帰られたか」 宮下は頷きながら銚子をむけた。笑いを噛み殺している。「姫もあいかわらずじゃな」 篠原は、苦虫をつぶしたような顔をしている。「まことにわが姫様は天下一じゃ」 宮下は顔をほころばせつつ云った。「三田の者はみな姫様が大好きじゃ」「ところで」 と篠原は杯を置いた。「江戸の情勢はどうじゃ」「うむ、緊迫しておる。」 宮下は情勢を述べた。 宮下の話によると、旧幕府系の彰義隊が官軍と一戦を交えるため、上野の山に籠もっており、そのため江戸に下ってきた官軍と一触即発の事態になっているという。「いよいよはじまるな」 篠原は緊張した顔で云った。「うむ」 破壊と創造がである。「国もとはどうじゃ」 宮下が聞いた。 篠原は藩論を勤王に統一し、山県ひきいる官軍に恭順したことを話した。「妥当だ」 宮下は頷いた。「だが」 篠原は太子堂組が長岡藩の河井継之助を慕って脱藩するということと、べとの説得失敗を伝えた。「馬鹿な」 宮下は声をあげた。宮下は江戸に近い毛呂にいるため天下の情勢が手に取るようにわかっている。いまさら徳川に殉じたところで詮ない。「河井先生に殉じたところでどうにもならぬ。それに」 かれらは三田藩士ではないか、と唾をとばして怒鳴った。 宮下は物事を巨視的に考える性格で、情義に流される事は少ない。かれは自身を三田藩士に定義している。自らの存在は自らを定義して初めて成立する。三田藩士として定義してこそ自分があるのだ。物事はそれを基準に考えればよい、とかれは思っている。その点で、篠原の考え方に近い。 今回かれが太子堂組の面々から、脱藩の誘いをうけなかったのは、橋姫護衛の役目についていたということもあるが、そういう考え方の違いがある。 宮下としてみれば、長岡藩留学は三田藩のためであり、河井はあくまでそのための技術教師にしかすぎぬ。「彼らの決意は堅い」 篠原は唇をかみしめながらうつむいた。 ただ、太子堂組の脱藩慰留は絶望的だが白井はまだいくぶんかの余地がある、と篠原はつけくわえた。「宮下」 篠原は顔をあげると、「おめさん、三田に戻ってかれらを説得してくれぬか」 篠原は三田藩の宰相となっており、太子堂組とはすでに距離がありすぎる。 宮下はその点、籍はまだ太子堂組にある。 宮下もそのことはわかっている。「わかった。白井さんだけでもなんとか慰留せねば」 宮下は頷いた。
2008.07.18
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翌朝、竹蔵は薪を割る音で起こされた。 竹蔵はごそごそと布団から這い出ると、障子を開け、縁側から音のする方にむかって出た。 陽はすでに天に昇りつつある。(よく寝たなあ) 夕べは白井と久しぶりに痛飲した。(二人で四升は呑んだろうか) 裏の方にまわるとお幸が手拭いを頭にかぶりたすきがけをして薪を割っている。「おはようございます」 竹蔵が声をかけた。「あら、竹蔵さん。おはようございます。すみませんね、起こしちゃったみたい」 お幸は頭から手拭いをとると顔を拭った。「いえ」 竹蔵ははにかみながら云った。(きれいだな) 竹蔵は汗を拭くお幸を見て思った。(人は働く姿が一番美しい)「今すぐに朝飯の用意をいたしますから」 お幸はそういうと屋敷のほうにむかって歩きだした。 竹蔵はお幸の後姿を見つめている。(惚れちゃったのかな) 竹蔵は顔をつるりと撫でた。 しかし、すぐに思い直した。(いかん、いかん、あの人は一馬の姉上さまじゃ) 竹蔵は井戸の所へ行くと水を汲みざぶざぶと勢いよく顔を洗った。(俺はとんだすけべだな)(しかし) 顔を洗いながらもにやけているのが自分でもわかる。(お幸さんは可愛いな)「竹蔵さーん、支度が出来ましたよ」 屋敷からお幸の声がした。 竹蔵は膳につくと、「白井ちゃんは」 と聞いた。 お幸は味噌汁をよそりながら、「墓参りに行くといってでかけましたよ。どういう風のふきまわしか、今までずっと行ったことなんかなかったのに」 お幸はそういうと笑った。(亡くなられたご両親に最後の別れにいくのだろう) と竹蔵は飯を口にかっこみながら思った。 無論、お幸もそれは察しているが口には出さない。 お幸はわざと明るく振る舞うように、「さあさ、竹蔵さんおかわりを出してください」 と空になった竹蔵の茶碗に盆を出した。 朝、白井は本受寺を訪れていた。 本受寺は白井家の菩提寺である。宗派は日蓮宗。 ここには白井の父母の墓がある。 白井は父母の墓前に最後の別れをするためにやってきた。 日ならずして脱藩するであろう。そうなれば二度と三田の地を踏むこともない。 だが胸中まだ白井の心はゆれている。 白井家の墓は最近建て替えたもので大きさ、豪華さがひときわ目立つ。(それもこれも上士にひきたてられたからだ) 白井は墓前に花を供え、線香をたてるとしゃがんで手を合わせた。 その時、後ろで声がかかった。「一馬さんじゃねっかや」 振り返ると腰の曲がった老婆が立っていた。 この寺の住職の母のおかねである。「おばさん」 白井はおもわず云った。「やっぱり一馬さんじゃ」 おお、おお、なつかしいこて、とおかねは一馬に抱きついた。 おかねは一馬が幼少の時父母を亡くしてから親がわりに一馬の面倒を見ていた人でお幸が忙しい時などよく寺に泊め親恋しさで泣く幼い一馬の添い寝をした。 やがて白井は藩主の小姓としてとりたてられ、本受寺にも足が遠くなり、おかねも寄る年波でめったに外には出なくなった。そのためここ数年は会っていない。 おかねは、「もう幾つになりなさったかのう。りっぱになられて」「二十五になりました」「一馬さんは小さい頃から良した子で、ほんに可愛い子じゃった」 おかねは両の手で白井の手をさすりながらも良した良したと涙をぼろぼろとこぼした。白井のことがわが子のように可愛くてしょうがないらしい。「おばさん、お元気そうでなによりです」「いやあ、今年でもう八十ですじゃ」 というと、さあさ本堂の方へどうぞ、と白井の手を引いて歩きだした。 おかねは本堂に来るなり、「住職様、住職様一馬さんがいらしたよ」 と大声で呼ばった。 やがて奥から人の良さそうな壮年の僧侶が出てきた。 名は日観、この寺の住職である。「これは、これは一馬さんではねえっけえのお」 なつかしさに顔をほころばせ、「さあさあ、中へどうぞ」 と客間へ請じいれた。 白井は手厚い歓待に戸惑いながらも客間へすわった。「陣屋も色々と大変だのう」 日観は白井に酒をつぎながら云った。「ええ、篠原が頑張っております」「そうでしたな。篠原殿は筆頭家老になられたそうな。しかし、一馬さんも立派になって」「いえいえそんな」 白井は照れたように云った。「今日はどういう風のふきまわしかの」 日観はたずねた。 父母の命日ではない。 白井は父のように慕っていた日観を見ているとつい内情を吐露した。「実は脱藩しようと思っております」 日観は黙って聞いている。「そのため父母に別れを言いに来ました」 白井は懊悩を洗いざらい述べた。 白井の胸中には、武士として生きたいという気持ちがある。 しかし、反面取り立ててくれた藩に対する旧恩、それにこれまで育ててくれたお幸への恩もある。 武士として生きるには、藩を裏切ることになり、また姉を苦労させることになる。「私はどうしたらよろしいのでしょうか」 日観が口を開いた。「武士のおめさんに説教を垂れても詮ないが、法華経に不自惜身命という言葉がある。仏教という法を広めるのに自らの命を惜しまず、という意味だ」「ふじしゃくしんみょう」 白井は呟いた。「おめさんは坊主ではなく武士だ。これをおめさん流に解釈したらいい」「・・・・」「この世に絶対なんてものはないんだよ。すべてが自らの価値で決めるものさ。例えばこの寺の本堂にある南無妙法蓮華経の板御本尊。宗祖日蓮上人がしたためられたものです。これは私にとっては命より大事なものです。しかし、おめさんにとってはただの板切れでしょ。なんの価値もない。逆におめさんが腰にぶら下げている刀、武士の魂といわれていますが私にとっちゃあただの人斬りの道具でしかない。すべてそんなものです。自分の立場で判断すればいいんです。僧侶は僧侶として、武士は武士として。おめさんは武士です。武士なら武士らしく生きたらいい。武士道とはなんぞや、藩主のために生きることではなく、また家族のために生きることではなく、おめさん自身が武士らしく生きる事ではないのですか」「・・・・」「一馬さん、思う存分やったらいい。それでまちがったと思ったらまたやりなおせばいい。じゃありませんか」 日観はそういうと、「これだから破戒坊主といわれるんですよね」 笑った。「不自惜身命、信じた道に自らの命を惜しまず、ですよ」 白井は領解した。「日観さん、ありがとうございました。目の前が開かれました」「いや、いや年甲斐もなく説教などしてしまいました。それより、まあ一献」 日観は照れたように笑い白井に酒を差し出した。「いえ、私はもう帰ります。今日は本当にありがとうございました」 そういうとそそくさと辞去した。 帰り道、白井は先ほどの日観の言葉を噛みしめていた。(不自惜身命、不自惜身命) やがて、白井の心の中に晴れやかな気持ちが広がっていった。 この日の夜、篠原が突然白井の屋敷を訪れてきた。 篠原はべとから白井説得不調の話を聞いていたが政事に忙殺され、今日まで何も出来ないでいた。それがようやく一段落ついたのでやって来たのである。 この夜、竹蔵は夜釣りにいって不在、お幸も酒肴の用意を済ませると、席をはずした。「汝と二人して呑むのも久しぶりだな」 篠原が云った。「篠原、説得しに来たのか」 白井は突然云った。「それなら、無理だ」 篠原は杯を置いた。「白井」「まあ待て篠原、武士とは美しいものだ。そして、悲しいものだ。俺は武士として生きたい。足軽であった身分からこうして上士になった。それは殿さまはじめ皆の力であるとわかっている。しかし、足軽出身であるからこそ、上士になったからには武士らしく生きたい。足軽は武士ではない。だがこうして、念願の武士となった以上武士という型のなかで生きてみたいのだ。汝はもともと武士だ。生まれた時から。そして死ぬまで。篠原家という三田藩では名門のな。しかし、俺は違う。武士になったのだ。足軽が武士になったのだ。汝の家だって不識庵様の頃には名もない雑兵だったろう。それが戦功をたて上士に取り立てられた。俺もそうだよ。俺のとき上士にとりたてられた。しかし、汝の先祖と違うところは武士道は功をあげるためではなく、今の時代はいかに武士として生き、死ぬかということなんだ。俺は武士にこだわりたい。いかに美しく死ぬかを」 武士というものが江戸時代以前は一所懸命という言葉であらわされるように、「ひとつの所(領地)に命を懸ける」という唯物の考え方であったのに対し、江戸期に山本常朝という思想家がでて葉隠を説き、武士のあり方を形而上学的な唯心の考え方に変え、武士道という思想を確立してしまった。 白井はその生き方をしたいという。 物欲を捨て去って美を唯一至上主義とした生き方をしたい。 篠原もそれは痛いほどわかっている。 しかし、今は江戸の太平の時代ではなく近代国家が生まれようとしている動乱の時代である。すでに徳川慶喜は大政奉還をし、イギリスをはじめとする欧米諸国が文明をもたらしてきている。日本は近代への道を歩みはじめている。 篠原の前には現実がある。 もう武士の時代は終わったのだ、と篠原はいいたかった。「篠原、説得は無用ぞ。あとは呑もうっや」 白井はぴしゃっと云った。(これ以上何をいっても聞くまい) 篠原は黙って頷いた。「白井、おめさんの気持ちはわかった。ただ一言だけいわせてくれ。この世の中に絶対ということはない。おめさんがそうやって自分自身を縛りつけて生きるのもよい。しかし解きほどくのもまた自由だという考え方もあるのだ。戻ってきたくなったらいつでも戻って来い。今日のところはひきさがるがまだ俺はあきらめんぞ」 白井は苦笑した。
2008.07.18
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いつの間にか陽がかな山のむこうに沈み、あたかもかな山から後光が射しているかのような幻想的な空間を創り出している。 白井はそのかな山を目指して歩いている。(皆、俺のことを心配してくれているんだな) 白井はそう思いながらも逡巡している。 白井の歩く畦道の両側には田植えの終えた田園が広がっている。 やがて、畦道が切れ、かな山の山裾に差しかかった時、「白井ちゃん」 と声をかけた者がいる。 白井は振り向いた。 品は卑しからぬ顔をしているが着ているものは擦り切れた木綿の粗末な身なり、二本差しがかろうじてこの男の身分が武士であることを証明している。「竹さん。竹さんじゃないですか」 白井は驚いたように男の側に駆け寄った。 白井とは江戸留学中での蘭学塾の同窓で、秀才といわれた白井がどうしても敵わなかったという男である。 竹さん、といわれたこの男はさる大身の旗本の息子で本名は竹村大蔵と云った。 当時何らかの事情で親から勘当されており、身なりも貧しく、金も持っていないため皆からは貧乏竹蔵といわれていた。 剣に関しても直心影流の男谷道場で免許皆伝をとっているので達人といえよう。 竹蔵は人間嫌いで人と付き合うことを好まず、白井とも塾中の秀才同士として互いに意識はしていたが、殆ど話を交わしたことはなかった。 ただ、ある事件をきっかけにして二人は親しくなっていく。 白井が数年前藩命で江戸留学をしていた頃、居酒屋で町奴といさかいがあった。 白井は小藩とはいえ武士である。それにこの時すでに上士である馬廻役になっている。 対外的にいえば藩の顔でもある。 その白井に対して町奴は愚弄した。 町奴は江戸っ子で威勢もいい。 この当時一部を除いては日本国中の武士は徳川体制三百年の太平の中で怯懦に育てられている。江戸期の武家階級は個人よりも家が大事であり、無闇に刀を抜いたりすると本人は切腹、家は取潰しである。このため町人はおろか百姓にも愚弄された。 江戸という所は商業地のためとくに商人に力があり、この傾向が強かった。 町奴もそれは知っている。それが町奴の惨劇を生んだ。 三田藩はまだ三百年前の遺風を残している。 白井もまたその上杉の末裔である。 居酒屋はたちまち修羅場となった。 町奴は三人、それに居酒屋に呑みに来ていた町奴の顔見知りが五人加勢した。 白井は一人。 白井の剣は天才の剣である。町奴ふぜいなど相手にならない。 たちまち三人を斬り倒した。 残りの者は白井の腕の凄さに驚き逃げた。 白井は悠々と藩邸へ引き揚げた。 白井はこの時藩責任者に事情を説明し、越後へ帰ればよかった。 しかし、そのまま藩邸に残った。 白井としては当たり前であろう。町奴と喧嘩したことなど切り捨て御免の感覚から言えばたいしたことではない。そのままほおっておいた。 翌日、逃げた町奴が仲間を引きつれ藩邸に押しかけた。 その数、五十人。 はちまきにたすきがけをして、手にそれぞれ刀、かけやなどを持っている。 その男たちがふうふういいながら、「でてきやがれ」「弔い合戦だ」「野郎、たたっころしてやる」「田舎者の芋侍は串刺しだ」 とわめいている。 藩邸には江戸屋敷詰の五人と留学生の白井のあわせて六人。 この時の藩邸の責任者は加藤善右ヱ門の祖父加藤善信、御用人である。 加藤はこれといって取り柄のない男であるが、お家に対しては作男のように謹直である。 白井は加藤善信に昨夜の事情を話し、「こうなったのは私の責任です。私は腹を切ります」 と云った。 加藤善信は生真面目である。白井をなだめると、「三田藩士がなめられたとあっちゃあ殿さまに申し訳がたちません。おめさんはまちがってないですよ」 江戸詰めの長い加藤善信はきれいな江戸弁で云った。 加藤善信は皆を集めると、「これから戦さをはじめます。三田藩士の名を江戸中に轟かせてやりなさい」 芝居がかったように下知した。 皆それぞれに鎧、鉢金などを着、戦さの支度をしはじめた。 白井が部屋に戻って刀の目釘を確かめていると若党が入ってきた。「白井様、客人がお見えになっておりますが」「誰ですか」「さあ、お名前を聞きましたがとにかく会わせてくれと」 若党もけげんそうな顔をしている。 白井はとにかく会ってみようと部屋を出た。 白井が出てみると、式台の所に貧乏竹蔵が立っている。 竹蔵はにこっと笑うと、「白井さん、話は聞きましたよ。あんなくだらない連中を相手になんかすることないですぜ。ここは一つ私にまかせちゃあくれませんかね」 貧乏竹蔵の家はさる大身の旗本だということは白井も聞いている。 町奴の噂などすぐに耳に入る。 白井は部屋にもどると加藤善信に話した。「では、その御仁にお任せしましょう」 竹蔵は白井を門の前で待たせると町奴の方に行き、首謀格と話をしていたが、やがて話がついたのか首謀格は町奴たちに声をかけ、町奴たちは引き揚げていった。 その後、留学中に白井と竹蔵は急速に親密になっていったがやがて竹蔵は突然姿を消し、白井もまた越後に帰っていった。 噂によると上方の方に行ったと風聞に聞いた。 それ以来である。「竹さん、とりあえず家に来てください」 白井は竹蔵の手を引かんばかりに家に連れていった。 家に戻ると白井は早速竹蔵を風呂に入れ着替えさせた。 そして姉のお幸に酒の支度をさせた。 良き友と酒を酌み交わすことほどの愉悦はない、と竹蔵は杯を重ねた。 竹蔵の話によると、あれから上方へ行ったという。 竹蔵は大身の旗本の息子で、放蕩が過ぎ勘当されていたが、大坂城代の補佐をつとめていた父が赴任中に病気で亡くなったため大坂へ向かった。そこで葬儀を済ませ、再び江戸に戻り弟に家督を継がせると漂白の旅に出て越後に流れ着いたということである。「そういう訳だから、白井ちゃんしばらくここにおいてくれんかね」 竹蔵ははにかみながら云った。「いいですとも。好きなだけいてください。ねえ姉上」 白井はお幸に云った。「まあまあ、きたないところですがわが家だと思って気楽にいてくださいね」 お幸はにこやかに云った。「ところで」 竹蔵は真面目な顔になり、「尊藩はどうなさるのかね」 と云った。「というのも」 と竹蔵は越後に来る途中の情勢を語った。 それによると関東から越後にかけて官軍がひしめいているという。「弊藩は官軍に恭順でござるよ」「その方がいい。越後もこの国最大の高田藩をはじめほとんどの藩が官軍に恭順だ。徳川を押し立てるのは長岡藩ぐらいだろう。しかし、あれじゃ勝てまいて」「何故です」 白井は聞いた。「長岡の河井という男、昔お前さんがよく言っていたように確かに傑物さ。頭もいい。肝力もある。しかし」「しかし、なんです」「藩が小さすぎるよ。彼の土台になっているのは僅か七万四千石だぜ。薩摩は七十余万石、毛利は三十五万石だ。薩長だけで長岡の十倍以上ある。そのほかに土佐、肥前、広島、それに」 時流は天朝様にある、京を出発した数百人の官軍は江戸に着くころには数万に膨れ上がっている、これは機を見るに敏である道中の藩や商人が兵や金を出すからだ。官軍には兵も金も無尽蔵に湧いてくる、と竹蔵は云った。「これじゃ、いくら河井が凄くても勝てねえよ」「そのとおりです」 白井は頷いた。 そのとおりだが。 白井は意を決したように居ずまいを正した。「実はその事で竹蔵さんにお願いがあります」「私は洗い物をしてまいります」 気配を察して席をはずそうとするお幸を留め、白井は脱藩の事を打ち明けた。 竹蔵もお幸も黙って聞いている。「私はどうしても脱藩して河井先生の下で働きたい」 白井は竹蔵の方をむきなおると、「竹蔵さん、私の気がかりは姉上の事です」 お幸が口を開いた。「一馬、私のことはどうでもいいのよ。武士らしくやりなさい」「竹蔵さん。誠に勝手なお願いだが、この家にしばらく逗留してもらって姉上の事をみてもらえないか。私が脱藩するとこの家もどうなるかわからないが」「一馬」 白井はお幸の言葉を遮るように、「突然のことで身勝手だということはわかっています。しかし、今、竹蔵さんと話していて頼れるのは竹蔵さんしかいないと確信したのです。なぜかわからないが」 白井は座布団から滑り降りると竹蔵に土下座をした。「竹蔵さん、お願いします」 竹蔵は黙って腕を組んでいたがやがてにっこり笑うと、「事情はわかった。もしご両人さえよければ姉上さんのことはおれにまかせてくれないか。白井ちゃん、みずくさいな。姉上の事は心配するな。後のことは私が引き受けた。負けるとわかっていてもやらなきゃならないのが武士ってもんだよ。しかし、驚いたな。白井ちゃんにこんな侠気があったなんて」 そういうと、「話はすべて承知した。今夜は久しぶりに飲み明かそう」 盃を一気に飲み干した。
2008.07.17
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べとはとりあえず白井の家に向かった。 歩きながらも思案をしている。(白井さんが若輩者の私にいわれて脱藩を押し留まるわけがない) それはそうであろう。白井は二十四才、べとは十六才である。年が八つも違う。(である以上、周りの者に説得してもらうほかない) それには姉のお幸が一番いい。姉には頭があがらない。(お幸さんに頼もう) べとは白井の家をたずねた。 姉のお幸が出てきて、「一馬なら太子堂へ行っていますよ」 まあまあお久しぶり、おあがりなさいな、と声をかけた。 べとは白井の不在を知ってしめた、と思った。 べとの家は足軽頭の家である。形式的には足軽であった白井家とは主従の関係にある。 しかしこの藩は身分に対してはあまり厳しくなく主従といっても下級武士同士でどちらかというと家族的なつきあいかたである。 べとも子供の頃からお幸を知っているし、随分可愛がられもした。 お幸がべとの家に奉公に上がっていたこともある。 お幸としてはおしめを取り替えたこともあるべとが年のはなれた弟のように思えるのであろう、べとにやれお茶をどうぞ菓子を食べなさいと世話を焼いた。 べとはお幸の世話焼きに苦笑しながらもひとしきり雑談をしたあと真顔になり、「義姉さん、話があります」 と居住まいを正した。「一馬さんが脱藩を考えています」 お幸もそれはうすうす気づいている。「長岡藩の河井継之助さんが戦さをしようと準備をしています。一馬さんはこれについていこうとしています。知ってのとおり脱藩は大罪です。家祿は没収、家は断絶、そして姉上であるあなたは」 罪人の縁者として罵られながら生きていかねばならないでしょう、と云った。「義姉さん、我々は三田の人間です。三田のためならなんでもします。しかし河井という人は長岡の人、他藩である長岡を助けても意味はないと思います。それに」 べとは続けた。「私は義姉さんの苦労を知っております。義姉さんが一馬さんを育てるために嫁にも行かず、百姓の小作までして働いていたのを。そのおかげで白井家は藩の上士になった。これはわが足軽組土田衆の誇りです。義姉さんお願い致します。何とぞ一馬さんの脱藩を押し留めてください」 べとは頭を深く下げた。「尚平殿はりっぱな大人になりましたね」 お幸はにこやかにそういった。 皮肉ではない。 自分がおしめを取り替えて育てた赤ん坊がしっかりとした意見をもちはぎれよく話している。お幸はべとが頼もしくおもえた。 べとは赤くなりながら頭を掻いた。「尚平殿、私はねえ、一馬の好きなようにさせてやりたいのよ」 お幸は庭先に目を移した。 よく手入れされた庭木の向こうにゆるやかな稜線を帯びたかな山が見える。「だって家名っていったってもともとは足軽ですもの。そう、もとに戻るだけ。簡単なことよ。私は」 お幸はべとを見やると、「貧乏に馴れているし、働くことは嫌いじゃないもの。流されたら、流されたところで一所懸命働けばいいわ」 そういって笑った。「尚平殿、そういう事ですから本当に申し訳ないんだけど一馬の好きなようにさせてやってください。私からもお願いします」 お幸は頭を畳にこすりつけてべとに頼み込んだ。「義姉さん頭をあげてください」 べとはあわてて云った。「義姉さんの気持ちはわかりました。しかし、一馬さんは三田藩にとって大事な人です。私としてもみすみす脱藩をさせられません。なんとか押し留めます」 べとはそういうとぺこりと頭を下げ白井家を飛び出た。 べとは太子堂に向かって歩いている。 お幸説得は駄目だったがあきらめたわけではない。(よし、考えても仕方ない) 物事を考えることが苦手だが、おもいきりはいい。性格がからっとしている。べとは上杉の末裔である。戦国の先祖の血濃く武辺の風を残している。(当たって砕けろだ) そう呟くと、口笛を吹きながら太子堂に向かった。 べとは太子堂の前に立った。さすがにすぐには入らず、玄関の前で立ち止まった。(入りにくいな) 太子堂組の連中が中にいるとおもうと気が萎えた。 べとから見ると皆大人であり、とくに伊藤は押しが強く、怖い存在である。(伊藤さんがいなければいいな) これから皆の前で白井を説かねばならないのである。(こんなところで立っていてもしょうがない。いくぞ) べとはふううと深呼吸をしてがらり、と戸を開けた。「土田です。入ります」 囲炉裏のある部屋に入ると青木正之がぽつんと座っていた。「なんだ青木さんだけか」 べとは拍子抜けがした。「なんだ青木さんだけか、はないだろう」 青木は少しむくれたような顔をした。 青木正之は門閥家老の出で真綿で包まれたような育ち方をしている。そのため少年がそのまま大人になったような男で、この太子堂組のなかでは最も年長でありながら皆からは弟のように思われている。文武ともさしたる才はないが、ただ人に対する慈愛の念が強くそれが太子堂組のみならず家中からも慕われている。「すいません。白井さんは」 青木にだけは軽口がたたける。べとは部屋の中を見回した。「白井か、白井は伊藤と矢口の三人で出掛けておる。半刻もすればもどってくるじゃろう。白井になにか用か」「そうですか」(青木さんを味方に引き込もう) べとは思いついた。 べとは青木をじっと見ると、「青木さん、お願いの儀があります」「なんじゃ、かしこまって」「白井さんを脱藩から外していただきたい」「馬鹿、そんな話どこから聞いた」 青木は目を剥いた。「そんな根も葉もない事」「ごまかしても無駄ですよ。藩内中噂が広まっております。それに」「私は篠原さんの意をうけてきております」「なに」 べとは篠原から白井説得の内意をうけたことを告げた。 青木は腕を組んで黙りこんだ。「ねえ、青木さん」 べとは甘えるように云った。「白井さんは青木さんたちとは違う」 べとはお幸に話したように再び青木に説いた。 青木は黙っている。 べとは白井らがもどったら一緒に白井を藩に慰留させるよう青木に頼み込んだ。 青木は人がいい。 べとに攻められついに、諾と云ってしまった。 やがて、白井らが戻ってきた。 伊藤はべとを見かけると、「何じゃ、べとか、来とったのか」 べとは伊藤が苦手である。 どうも位負けしてしまう。 しかし、死を決して説かねばならない。「今日は皆さんに話があって参りました」「何じゃ、急に改まって」 べとは白井さんの方をちらりと見て、「白井さんを脱藩の組から外していただきたい」「えっ」 一同驚いた。「なにをたわけたことを」 伊藤は険しい顔をして云った。「まあ、話をきいてやれ」 青木が伊藤たちをなだめた。 べとは恐らく一生で一度の熱弁を振るった。 伊藤は正面、べとをじっと見据えている。 伊藤はべとの話を聞きながらも篠原に失望と怒りをおぼえた。(篠原はこんな若造に白井説得の依頼をしたのか) 伊藤はべとを軽侮している。伊藤から見ればべとはまだ年端もいかない半人前の少年である。 べとはやがて話を終えた。口端には白い唾が溜まっている。 伊藤がゆっくり口を開いた。「小僧になにがわかる」 べとはかちんときた。こう頭ごなしにいわれてはお話にならない。「私は筆頭家老の名代で来ている。伊藤さん、口を慎んでもらおう」 べとは興奮して云った。「小僧だから小僧と云ったまでよ。子供の出る幕ではない。すっこんでろ」 べとは遂に切れた。 普段から軽侮されているとはいえ、武士にいう言葉ではない。 べとは席を蹴って立ち上がった。「伊藤、そういうお前はどうなんだ。藩から代々お祿を頂戴しながらいざというときには何もしないでそれが武士か。お前のその身なりはどこから出ているんだ。お前のその刀はどこから出ているんだ。すべてお祿から出ているのではないか。お前が武士として安穏としていられるのはお祿のおかげではないか。民百姓が汗水を流し、血のにじむような思いで年貢をおさめているからではないか。殿さまを護り、民百姓を護り、三田を護るのが武士ではないか。それをお前はどうだ。一人よがりに武士道だと。おれが小僧ならお前は馬鹿だ。武士の風上にもおけぬ屑だ」 伊藤は眉間が蒼くなっている。「表に出ろ」 そういうと刀を握って立ち上がった。「小僧、たたっ殺してやる」 べとも望むところだ、と刀の柄に手をかけた。 青木と矢口が慌てて二人の間に入った。 青木は伊藤を、矢口はべとをそれぞれ抱き抱えるように押さえ込んだ。(いかん、べとが殺される) 白井はそう思った。 伊藤とべとでは剣の腕は数段違う。伊藤の怒りでは本気でべとを斬り殺してしまうだろう。そう白井は判断した。 刹那、白井は立ち上がると、べとの顔をいきなり殴った。 べとは矢口を巻き込んですっ飛んだ。「何をしやがる」 というべとの声があまりの痛さで慄えている。「痛てえじゃねえかよお」 べとは殴られた頬を押さえながら涙声で云った。 白井は凄味のある声でべとに云った。「これは俺の問題だ。余計な口をはさむな」 そして、伊藤の方を向くと、「伊藤さん、子供のしたことですよ。相手になるなんてみっともない」 そういうと、白井は皆を尻目にさっさと太子堂を出た。
2008.07.17
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篠原は単騎、柏崎へ入った。 本営で会見したのは、山県狂介。 長州の松下村塾出身で、奇兵隊軍監を経て官軍の最高幹部。後に名を有朋と変え、内閣総理大臣、侯爵等と位人臣を極める。また、近代の陸軍の創始者で晩年まで明治陸軍の院政をしいた。 この経歴を見ても山県は軍略家というよりむしろ軍政家であり、そういう点で相手に対する懐は広い。 篠原が本営に着いた時も、山県はわざわざ玄関まで出迎え、みずから会見の部屋まで案内した。 山県としては天皇の政権が薩摩長州等数藩の上に成り立った不安定なものであるということはわかりすぎるほどわかっている。 官軍の戦略は、現地で各藩を味方に取り入れ兵力を増強しながら鎮圧していく、という非常に心細いもので、もし一敗でもすれば天皇政権はたちまち崩れさってしまう。 しかも、最大の相手は無傷のまま兵力を温存している会津藩である。 こんな北越の小藩の感情を逆撫でして後で尾をひいては大変だとおもっている。 そのためたとえ小藩でも官軍に好意がある藩には丁重に応対した。 会見はなごやかにおこなわれた。 篠原は武器弾薬を供出することを約束し、さらに軍費五千両を献納することを申し入れた。 山県は驚いた。(こやつ、ただものではない) 五千両といえば一万石の藩としては有り金をすべて差し出すようなものである。 まして、西国諸藩のように貿易で利を得ることもなく、特産物などもない田舎の小藩である。「それでは、尊藩は」 潰え去ってしまうでありましょう、と山県は云った。「いかにも。しかし、わが藩は天朝さまにすべてをおまかせしております」 小藩が生き延びるには、いちがばちかの賭けをするしかない。しかも生半可な事ではこの動乱の時代、わずか一万石の三田藩などは木の葉のように吹き飛ばされてしまう。 篠原はそのことをよく知っている。 そのため先の首脳会議では、軍奉行の押見を説き伏せて武器をすべて供出することに承服させ、さらに渋る勘定奉行の加藤をなだめ、金蔵の金を用意させた。 山県は篠原の度量に敬服した。「ただし」 と篠原は口を添えた。「一つお願いしたき儀がございまする」「なんでござろう」「わが藩は藩祖以来、二百七十年間ただの一度も争いにて血を流したことはございませぬ。ねがわくば、このまま無血にて天朝様の新しい世を迎えとうございまする」 篠原は金を出す代わりに三田の兵は徴兵しないということと三田の地を戦場にしないことを頼んだ。 「わかり申した。三田の地には兵は置きませぬ」 山県は了解した。 三田はこの戦さにおいてさして重要な拠点ではない。兵にしても三百年前の元亀天正の頃の兵備の田舎の小藩の動員力などたかがしれている。 篠原は山県に幾度も叩頭すると、天朝様の寛やかな大御心に感謝申し上げ、これよりもなお一層惜しみない忠勤を励むようにいたします、と云った。(したたかな奴だ) 山県は篠原のそらぞらしい言葉を苦々しく聞いている。(したたかではあるが大した奴だ) 以下雑談となり、和やかなうちに会談は終了した。 半刻後、玄関で見送る山県を尻目に馬上の人となった篠原の顔には安堵の顔があった。(これで三田を戦火から救うことが出来る) 篠原は柏崎から三田に至る海岸づたいを駆けながら思った。 海のむこうには佐渡が浮かんでいる。 そして、沈みいく夕陽に照り映えて出雲崎村の漁民の小舟が網を投げている。 篠原は海岸沿いを馬を走らせ、荒浜まで来た。 ここは松林が美しい。 篠原は松の木に馬をつなぐと砂浜へ出た。 砂浜には二人の武士が座っていた。 二人は篠原に気がつくと、「すまんのう」 と声をかけた。 伊藤と矢口である。「なあに」 篠原は二人の横に座った。 実は昨夜篠原は秘密裡に二人から手紙を貰っている。 内容は明日の夕刻荒浜の海岸に来てくれ、というものであった。 太子堂組のうち二人だけでしかも藩境の荒浜へ呼び出すということは尋常ではない。「ところで話とはなんだっや」「白井さんの事だ」 矢口は顔を引き締めて云った。「われわれは長岡の河井先生がなにかあったら脱藩する」 矢口はいきなり宣言した。 なにか、とは長岡藩が官軍を事を交えたらということであろう。 篠原は伊藤の方を見た。伊藤も黙って頷いた。「矢口、俺は藩の役人だぜ」 篠原はくすりと笑うと、「そんなことを聞いちゃあ俺はおめさんがたをしょっぴかなくちゃなんねえ」「篠原」 矢口が篠原を見つめた。「私は小さい頃からの幼なじみの友人としておめさんに話している」「わかった」 篠原も無論わかっている。 矢口はうなづくと、「しかし、白井さんは三田に残しておきたいと思っている」 篠原は黙って聞いている。「彼はわれわれとは立場が違う。それに」 矢口はかな山での一件を話した。「白井さんはゆれている。篠原」 矢口は篠原の方を見ると、「われわれは白井さんを説得することは出来ない。脱藩しようとする者が白井さんだけにやめろとはいえない。同じ志をもってきたのだから」「篠原」 伊藤が突然篠原の前でいきなりがばっと土下座をした。「たのむ。白井を説得してくれ。俺はあいつを殺したくない。まして、姉上様の落ちぶれる姿を見たくない。姉上様の小作姿を二度と見たくない」「ところでこの事は汝ら二人だけで決めたのか」「そうだ。青木さんも加藤も知らぬこと、まして白井には云っていない」「わかった」 篠原は立ち上がった。「白井の決意がどのようなものかわからないがやれるだけやってみよう」 そういうと土下座している伊藤の手をとり、「伊藤さん手をあげてくれ」 といって砂のついた伊藤の衣服を払った。 篠原が三田陣屋に戻ったのは陽もとっぷり暮れた頃であった。 篠原は帰るなり首脳を招集した。 そして、柏崎での山県との会見の様子を話した。 座に安堵の空気が流れた。 篠原が云った。「そちらの方はとりあえずなんとかなりました。ところで、長岡の河井殿の方はどうなっていますか」「今、横浜の方でさかんに武器弾薬の買い付けをおこなっているようですな」 軍奉行の押見八郎太が詳しく状況を説明した。 事実、この時期河井は横浜でオランダの武器商人エドワ-ド・スネルから大量に武器を購入していた。 そして、その武器を大量に積み込んだ船で新潟港に向かいつつある。「男子一生の快事ですな」 押見は武人である。説明しながらも暗に、河井の行動を羨ましげに思っている。かれにすれば二百数十年ぶりの乱世に一軍を指揮して武者ぶりを発揮したいという気持ちがある。だから、篠原が平和方式で、官軍に全面的に藩を預けたことを残念に思っている。 篠原は押見の口ぶりに閉口しながらも、「わが藩はなにがあっても戦さは致さぬようにします」 と云った。「河井殿は本気で戦さをするおつもりか」 矢口秀春は唸った。 矢口秀春が唸るにはわけがある。 この当時反勤皇の藩は越後にもある。 しかし、それらの藩は仙台、米沢両藩(実質的には会津、桑名両藩)を盟主とした奥羽越列藩同盟に参加しようという藩である。つまり、背後には巨大な勢力を戴いている。 だから、これらの藩には会津系の軍勢と武器が入り込んでいる。 ところが、長岡藩は奥羽越列藩同盟に加入するどころか会津の兵が長岡領内に一兵でも入った場合、これを討つと宣言している。 勤皇にもつかず、佐幕にもつかず長岡藩は独立国を目指している。 たかが、七万四千石の小藩がである。 動かせる兵力は、千人にも満たないであろう。(河井殿は乱心されたか) と誰しもが思った。 しかし、河井は河井で目算がある。 河井は数年前に長岡藩の家老に抜擢されてから藩の大改革を行い、またたく間に城の金蔵の梁が折れるほどの富を蓄財した。 その金で当時日本に三台しかないといわれたガットリング砲のうち二台を手に入れ、ミニエー銃も数千台購入している。 また、藩兵に対し洋式の軍事教練を徹底的に行い、いつでも実戦で戦闘が出来るようになっている。 いまや長岡藩は薩摩長州に匹敵する巨大軍事藩になった。 河井の強気にはそういう背景がある。 まして、傲慢といわれたあの性格である。 勢い盲目的にならざるを得ない。 河井が無能な田舎の家老であれば名もない小藩のまま、新しい時代を迎えることが出来たであろう。 しかし、長岡藩は不幸にもわずか七万四千石の藩で怪物を生んだ。 どんなに、近代的な軍事国に仕上げたところで趨勢は勤皇にあることを篠原は見抜いている。(あの性格と才能がついに長岡藩を滅ぼすか) と篠原は思った。 しかし、今は河井の事よりも三田藩の行く末の舵取りをせねばならない。 翌日から篠原は官軍の本営である柏崎へ往復六里の道を日参した。対官軍応対は篠原本人でなければ出来ない。 内政は青木らに任せてある。かれらはもともと実務家であるので、こういうことはそつなくこなす。(問題は白井だ) 篠原が官軍工作に忙殺されている以上白井説得はほかの者に任せるしかない。 宮下俊輔が適任だが、かれは今武蔵国にいる。とても呼び寄せている時間はない。(適任かどうかはわからぬが使ってみるか) 篠原には心当たりがないでもない。 翌日、篠原は一人の男を呼んだ。 土田尚平、齢十六才、まだ口元に童臭がある。 足軽頭の嫡男で藩主に小姓としてついていたが篠原の江戸家老就任以来篠原の側役をつとめている。 子供の頃から機転がきき、誰からも好かれるような性格をもっている、ために家中からも太子堂組の連中からも「べと、べと」と呼ばれ可愛がられている。 「べと」とはこの地方の言葉で土のことを意味する。土田だから「べと」と呼ばれたのであろう。 篠原はべとを呼ぶと、「そのほうに頼みたいことがある」 と白井の説得を頼んだ。 べとの姉、お慶は白井の許嫁で二人は今秋婚儀の予定になっている。 いわばべとにとっては白井は義兄にあたる。「そちの姉上のためでもある」 篠原は云った。 べとは目をくりくりさせながら話を聴いていたが快諾した。 姉のことよりもべとは白井を脱藩させるのは惜しいと思っている。 それに尊敬する篠原の頼みである。「命に代えましても」 べとは白井に兄事している。 それに初の大仕事に気負った。 篠原はべとの若さを懸念したがあとはべとの才覚に頼るしかない。 荒浜での一件でですでに篠原は太子堂組の慰留をあきらめていた。 かれらの決意は固い。(一個の男子の決意は変えられるものではない) と思っている。 篠原とて立場が違っていたら同じ事をしただろうと思っている。 ただ、白井だけは残しておきたい。 白井は他の者と違い、彼の家名と家族は彼一人の力で支えられている。 彼が脱藩すれば家は断絶、家族は罪人、白井家の名は三田藩から永久に削られてしまうであろう。(白井一人だけでも説得できたなら) 篠原の思いはそこにある。 伊藤、矢口との約束もある。「白井は我々と気持ちは同じでも、立場が違う」 出来るなら、白井を藩に残していきたい。 後の事はおめさんにたのむ、と両名は頭を下げた。伊藤などは土下座までした。 べとに対する不安がないでもなかったが今はべとしかいない。篠原は唇をきゅっと噛むとべとを見送った。
2008.07.17
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白井の手配で二人は遠戚にあたる三田の小間物屋の使用人に身を変えた。 白井と矢口は高田に行くのに海路づたいを歩くことに決めた。三田から高田までの間はおおむね幕府の直轄領になっており、幕府が瓦解した今は無政府状態に近く、容易に往来が出来る。 二人は柏崎、直江津と過ぎてゆく。 矢口は藩主連枝の育ちのためか、この町人の変装がすっかり気に入ってはしゃいでいる。 それに見るものすべてが珍しいらしく、道中、柏崎の遊廓に昼間から上がろうといいだしたり、日蓮ゆかりの番神堂に寄ろうといったりして白井を困らせた。(のんきでいいよな) 矢口を横目で見ながら白井はぼやいた。 高田城下の旅籠にはいったのは三月三十一日の夕刻。 白井は早速旅籠の若い衆に金を握らせて官軍の情勢を窺いに出した。 やがて若い衆は帰ってきた。 官軍が見あたらないという。 官軍といってもその数二百五十人であるがそれにしても一人もいない。「お城にでもいるのではないですか」 と矢口はとりとめもない。 それより、ここまで来たのですから春日山城に参りませんか、と矢口は云った。 春日山城は上杉謙信公の城である。 そこにお詣りに行きましょう、と矢口は云った。 白井はとりあわずにさらに官軍の異変を八方手をつくして調べた。 やがて、判明した。 三月十九日に越後全藩の重役に勅命を出した直後、江戸の総督府からすぐ江戸へ急行せよとの命令があり、その日の内に早々と高田を立ち去ったということであった。 白井らが高田に入った時には官軍はすでにいない。「三田へ帰りましょう」 と白井が云った。 官軍が去ってしまった以上高田にいても意味がない。 矢口はよほど町人の姿が気に入ったのか、この旅が終了することを残念そうにしている。「そうだ、白井さん」 矢口は目を輝かせ、「私たちも官軍を追って江戸までいきましょう。江戸がどうなっているか探索ですよ」「なにを」(馬鹿な事を云ってやがる) と白井はあきれた。 江戸へいくまでの間、道という道は官軍に埋めつくされている。 この素性のあやしい町人姿の二人はたちまち殺されてしまうだろう。「帰りますよ」 白井は立ち上がった。 矢口もやむなく立ち上がった。 四月に入った。 越後は再び騒がしくなって来た。 官軍に追われた衝峰隊と名乗る旧幕軍が越後に入ってきたのである。 旧幕臣古屋佐久左衛門率いる八百名の軍が江戸を脱出、関東各地を転戦しながら会津に向かっている。 これが群狼のごとく、洋式化した長岡藩だけを除き、越後の守旧の弱小藩を洞喝した。 三田藩も例外ではない。 いかに勇猛な上杉軍団の末裔とはいえ、たかだか百名程度のしかも、三百年も前の旧式の武装ではひとたまりもなく潰えさるであろう。 衝峰隊は三田藩に五千両要求した。 三田藩の蔵にある金のすべてである。 この時期、官軍はまだ越後にはいっていない。 北陸道先鋒総督府が去ったあと、山県らを軍監にした部隊がようやく京都で結成され、北陸を北上しつつある。 篠原は切歯厄腕しながら官軍の越後入りを待っていたが、やむなく古屋ら衝峰隊のいる新潟へ単身向かった。 無論時間稼ぎのためである。 新潟へは朝出れば、昼には着く。 明け方早く屋敷を出た。 篠原が三田の領地である礼拝を過ぎた頃、後ろから二人の武士が馬で追ってきた。 篠原は馬を止めた。 見ると伊藤と白井であった。「何だっや」 篠原が云った。「おめさん、あいつら狂犬だで、おらたちも一緒につきあうっや」 伊藤はにこっと笑った。「伊藤さん」「なあに、おらと白井がおればむざむざと斬られはすまい。おめさんにはもうちっと長生きしてもらわねばな」 伊藤ははにかんだ。 篠原らは弥彦村で早い昼食をとると、新潟へはいった。 新潟は幕府直轄領であったが昨年大政奉還がおこなわれてより、統治する権能者がいなくなり無法状態となっている。 そこに衝峰隊が入り、狼藉を働いたため店という店はすべて戸が閉じられている。(ここまでひどくなっているのか) 篠原は城下を馬で歩きながら思った。 伊藤も白井も無人の荒れ果てた町並みを見て息を飲んでいる。(政治の瓦解とはおそろしいものだ) 篠原は思わざるをえない。 社会とは法と秩序で護られている。しかしそれを行使する力が失われれば、社会は崩壊し、法と秩序の上で生活している力無き者たちは路頭に迷わざるをえない。(商家の中のか弱き者たちの啜り泣く声が聞こえてきそうだ) 篠原は三田の民たちの顔を思い浮かべた。 会見の場は新潟城下の商家の一室。 衝峰隊は、大将格の古屋佐久左衛門、副将格の今井信郎の二人が会見した。 篠原は最初、官軍が越後に来るまでの時間稼ぎのため、無能家老を装いくどくどと話をした。「われらはお手前の愚痴を聞きに来たのではない」 いきなり、今井が吠えた。 この男、目が尋常ではない。(何十人も斬り殺しているな) 篠原の後ろで平伏している伊藤や白井はそう思った。 剣士というよりも殺人嗜好者と云ったほうが近い。 今井は京都の見廻組の元幹部で新選組とならんでその剣は勤皇の命知らずの志士を恐れさせた。 余談になるが、この前年の十月土佐の巨魁坂本龍馬と中岡慎太郎が今井らによって暗殺されている。 伊藤は短気だ。 思わず剣の柄に手をかけた。 白井も足袋を脱いだ。 室内で争闘になった場合、下が畳敷なので足袋だと足がすべる。そのため裸足になった。 白井はそういう点喧嘩馴れしている。 今井はそれをじっと見据えている。(やむをえぬ) 馬鹿を装い、話をうやむやにして帰るつもりであったが通用しそうもない。 篠原は目で伊藤と白井を制すると、古屋らの方を見た。 その目は、先ほどまでの無能家老のそれではなく、聡明な輝きを帯びている。 篠原は今井の殺気を受け流しつつ云った。「では、はっきり申そう。わが藩は藩主が幼少でござる。しかも、先月藩主になられたばかり、藩情はまだおさまっておりませぬ。不肖、それがしが藩政をまかされておりまする。その藩の顔ともいうべきそれがしにそういうお言葉、小藩といえどもわが藩は武によってその名を知らしめた上杉の藩風。話にならないのなら武によって、決着あるのみ。ここで斬りあいをするもよし、帰って合戦もまたよし如何」(さすがは篠原) と思ったのは伊藤。 喧嘩の駆け引きがうまい。 ここでよしんば斬りあいになり篠原が倒れたとなると、小藩とはいえ篠原は一国の首相である。越後諸藩の政情は勤皇に傾く。 無論、今井が切りかかってきても上杉軍団の末裔、喧嘩する度胸はある。 間に割って入ったのは、古屋である。 古屋は篠原の意図を見抜いた。 それに古屋率いる衝鋒隊が越後で評判が悪いことを知っている。 歴とした武士団ではなく無法者の寄せ集めなのである。 だから、行く先々で強盗、強請、殺人とし放題の事をしてきている。 今井はその最たるものであろう。 いまここで篠原と喧嘩になれば越後を全部敵にまわすことになる。 古屋は篠原に向かい、「貴殿も色々と事情はござろう。わかり申した。」 ということで軍資金差し出しのことは不問になってしまった。 篠原らは今井の睨みつける形相のなか、悠々と立ち去った。 閏四月、官軍は浸水するようにひたひたと越後国へ入り込んできた。 十九日、再び高田に集結した官軍は二手に分かれ、二十八日、土佐藩の岩村精一郎引きいる一隊は小千谷を占領、長州藩の山県狂介引きいるもう一隊は柏崎に入った。旗幟不鮮明な長岡藩を攻略するためである。 柏崎から三田までわずか四里。 たちまち三田藩全土に緊張感が走った。 時あたかも田植えの季節である。 三田の領民たちは不安におののき、三田陣屋へ押しかけた。 青木らは領民への対応で忙殺された。 篠原は青木らを集め、「いよいよ官軍が来ました。私はこれから会いに行ってまいります。あとのことはたのみます」 と領民への対応を頼み、柏崎へとんだ。
2008.07.17
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数日後、異変がおこった。 越後高田に駐屯している官軍が越後国内の藩重役を突然召集したのである。 官軍、正式名は北越道先鋒総督府。 三田からは篠原が出席した。 長岡藩は河井が所用のため長岡にはおらず、代理の藩重役植田十兵衛が出席していた。 内容は官軍に帰順せよ、ということであった。 そして、帰順の証明のために金を出すことと、軍勢を出すことが要求された。 その要求は洞喝に近い。 新発田藩や長岡藩など越後の大藩の重役がそれに対し、のらりくらりと話をかわし即答を避けている。 篠原は小藩のため末座から黙って会議の内容を聞いている。 (植田殿は辛かろうな) 頭ごなしに若い官軍の将は植田をどなりつけている。「お手前はぼんくらか」 おそらく薩長か土佐か、その若い男は武士とさえ呼べない足軽あたりの出身であろう。 それが時流に乗り、譜代のしかも大身の重役を怒鳴りつけている。 ほんの数年前まではこういう光景は絶無だったに違いない。 無論平伏している篠原も屈辱を味わってはいるが。(時勢とはかくも恐ろしいものなのか) 篠原は平伏をしながらも溜め息をつきつつそう思った。 若い将は刀を引き寄せると柄をなで回しつつ植田を脅している。(こういう男どもが新政府の親玉になるのだ) そして篠原もこういう男の下で屈服しなければならない。(新しい天皇の時代とはどうなってゆくのだろう) 篠原には暗澹たる思いが拡がった。 篠原は植田とは旧知である。 篠原が太子堂組の一人として長岡藩留学をしているときに植田が世話役としてかれらの面倒を見た。人柄はいいし長岡藩では大身にもかかわらず腰は低いし面倒見もよい。そしてなによりも有能である。が長岡藩はいまや河井の独裁となっており、決定権のない植田としては河井の意向を聞かねばどうすることもできない。 その植田がしきりに汗を拭き陳弁している。 ともかくも、官軍は数日以内に金を出すことと兵を出すことを強引に約束させ、この会議を散会させた。 篠原が城を出たところで長岡藩の植田が待っていた。 植田は人懐っこそうな顔で、「篠原殿、お久しぶりでございます」 と深く頭を下げた。 篠原はあいさつを返すと、「植田さん、大変なことになりましたね」「いやあ、まいりました。官軍様に叱られてしまいました」 さきほどの会議で、官軍にさんざん脅され罵倒されたにもかかわらずよほど感情をつつむ脂肪が厚いのか植田はにこにこと笑いながら頭を掻いている。(植田さんらしいな) 篠原は思った。「まあ、むずかしい世の中になりましたが、私たちは河井殿についてゆくだけです」 植田はきっぱりと云った。「それより」 植田は真顔になると、「篠原殿こそ、大変ですな」 篠原の筆頭家老就任の噂は植田も聞いている。 植田は心から気の毒そうに云った。 植田は河井の側近である。 河井がこのとんでもない時代に血を吐くような思いで政務を切り盛りしていることを知っている。 篠原もその河井と同様、藩の指導者になった。(辛いであろうな) 植田は思った。 篠原は藩官僚としての能力は抜群である。 しかし、線が細い。 指導者としてはあくの強さがない。 清濁併せて呑む、ということが苦手である。 植田はそれを知っている。(おそらく、夜は眠れまい) 篠原の繊細な神経では。 と植田は哀れんだ。 ただでさえ、痩身の篠原がまた一段と痩せている。それは、こけた頬が篠原の苦悩を物語っている。「篠原さん、ご自愛なされよ」 植田はそういうと地に頭がつくかとおもえるようなお辞儀をし、馬上の人となった。 篠原は急いで三田に帰ると首脳を集めた。 首脳部の意見は官軍に帰順するということで一致しているが、官軍に対しては、はきとした返事はせずもうすこし返答を遅らせるということで話は決まった。 理由がある。実は、新藩主長尾泰範が三田に戻ってくるのである。そのため矢口秀春が江戸まで迎えに行っている。 官軍に回答を出すのは、藩主が戻ってきてからということになる。 三月ももう終わろうとしている。 わきあがるような新緑のなか、百姓たちは雪がまだところどころ残っている田畑にのそのそとでてきて田づくりの準備を始めた。あと一月もすれば田植えが始まる。(そのころには、大勢はきまっているか) かな山の山頂から眼下を見おろしながら白井はそう呟いた。 三田は越後平野の端に位置し、低い山脈の山裾が田に入り込んでいる。 その山裾を背にして三田陣屋が見える。 白井は他の六人の馬廻役と事情が違い、藩に対する旧恩がある。 他の六人が藩貴族であるのに対し、彼は足軽の出身である。 それをここまで引き上げてくれたのは、青木正和ら藩首脳である。そして何よりも先代の幼き藩主が白井、白井と可愛がってくれた。そのおかげで、先年の京上洛も、江戸留学もそして長岡遊学も藩主の格別の好意により叶った。 その、藩を捨てて長岡の河井のもとにゆけるのか、目の前に映るこの緑濃い伸びやかな故郷、三田を捨てて行けるのか、と白井は考えている。 のみならず、他にも事情はある。 姉のお幸のことである。 白井は幼少の時、父母に死なれている。 それを、八つ上のお幸が家を守り、白井をここまで育てた。 七才で家督を継いだ白井の家は貧窮で、お幸は武家の出ながら百姓の小作をし、子守りをして糊口をしのいだ。 そのため、婚期をのがし、三十路をすぎてなお、嫁に行かず白井の家を守っている。 今は高禄になったためお幸はゆるゆると平穏な日々を過ごしているが、白井が脱藩すれば家禄は没収、士籍すらも剥奪されお幸はたちまちもとの貧窮生活に戻らねばならない。 その思いが白井にはある。 その時、後ろで声がかかった。「白井さん」 ふりむくと矢口秀郷が立っていた。「家に行ったら姉上様がかな山の方に出かけたというのでこちらの方に参りました」 矢口は白井の横にしゃがんだ。「今日もお館がきれいですねえ」 そういうと両手を上げて大きく伸びをした。 矢口は育ちの良さのためか屈託がない。 白井はうつむいたままである。「白井さんどうしました。元気がないですね」 矢口は、江戸住まいが長かったためきれいな江戸弁を使う。 しかも、生来の温厚な性格のためか言葉が丁寧である。「いや、なんでもないです」「姉上様のことですか」 矢口が白井の顔をのぞき込んだ。 白井は黙っている、がその顔は暗くなった。「白井さんは脱藩せぬほうがいいです」「えっ」 白井は顔をあげた。「あなたはわれわれと立場が違います。失礼ながら私や伊藤さんたちは藩の上士の出身です。父祖代々門閥としてきました。しかも、今現在、父が藩の要職にあるものばかりです。脱藩してもそうはとがめられないでしょう。よしんば、罪をこうむったとしてもわれわれの家は藩の名門ですし、親類縁者もみな上士です。そうひどい扱いはされません。しかし、白井さん、あなたは違う。足軽の出だ。擁護するものがない。脱藩すれば、たちまち罪を得て家禄は没収、家は取潰し、姉上はたちまち路頭に迷うでしょう。いままで姉上がどんな思いであなたと白井家を守ってきたのか。それを考えると私はあなたに脱藩を勧めることはできない。それに」 と矢口は言葉を継いだ。「あなたには、篠原と一緒にこの三田を守っていってほしいと思っている」 矢口は眼下に見える百姓を指さし、「見て下さい、彼ら農民を。平穏に働いているではありませんか。あの農民たちがずっとずっとあのように平和に暮らしてゆけるように守ってやってください。お願いします。あなたは、われわれの中で文武とも特に優秀でした。その頭脳を三田のために捧げてくださいませんか」 と白井より一つ下の藩貴族の青年は頭を下げた。「矢口」 と藩主連枝に同志として好意で呼び捨てで呼ばせてもらっている足軽上がりの青年は云った。「おめさんは頭がいいからわかっとろうが、日ならずして天皇の時代がやってくる。しかもわが三田藩は外様だ。徳川には遠祖景勝公が減知され、恨みこそあれ恩義などない。しかし、しかしだ。おめさんもご存知のとおり私は河井先生に出会うてしもうた。あの人の魅力にとりつかれてしもうた。あの人は私を武士として死なせてくれる。死に場所を教えてくれる。おめさんもそうではないか。確かに姉上には苦労をかけた。それを思うと辛い。辛い」 白井は涙をこぼした。「しかし、私は武士として、河井先生の弟子として行動を共にしたいのだ」「白井さん」「私はあんたがおっしゃるとおり、足軽上がりだ。しかし、足軽あがりであるがため、こうして上士になったからには武士として全うしたいのだ」 白井は袖で涙をごしごしと拭うと、「矢口さん、私には勤皇も佐幕もない。私はただ武士として生きたいのだ」 白井は武士としては最下級の足軽の地位から歴とした上士になったがゆえになおさら武士らしく生きたいという思いが強い。 が、そう云いきる反面、矢口のいうように姉のお幸のことが白井の心に重くのしかかる。(わかっている。わかっているのだ) 矢口のいうことはすべてわかっている。「白井さん、まだ日はある。ゆっくり考えればよいでしょう」 矢口は慰めるように云った。「それより」 矢口はにこっと笑うと、「越後高田の城下に官軍が来ているそうです。どうです。一緒に見に行きませんか」「えっ」「探索ですよ」 他藩に潜入するなど尋常ではない。 しかも、藩の上士がである。 まして、矢口は藩主相続人の筆頭である。 現藩主に事あれば藩主になる立場にある。 他藩に潜入してそれが露見すれば、二人とも斬罪、そして事は藩対藩、国対国の問題に発展してしまう。(この人のどこにそういう大胆さがあるのか) 白井はいたずらっぽく笑う矢口の顔を見た。「二人でですか」「はい」 矢口は頷いた。「だって伊藤さんをつれていくとあの人はああいう気性の人だから」 白井もそれは知っている。 先年、藩主が京上洛のおり、白井ら馬廻役も随行した。 宿所は清水、長楽寺。その時酒好きの伊藤は夜陰に乗じて一人祇園にくり出している。 その帰り三条大橋のたもとで新撰組にでくわした。 幕威盛んな頃の新撰組である。 新撰組に出会うということは、志士や浪人にとっては白昼化け物に出くわしたような感がある。 ただ伊藤は歴とした藩士である。しかも上士。 藩名と名前を名乗ればすむ。 しかし伊藤は人が悪い。 それにこの時の新撰組の態度が高圧的であった。 伊藤を舐めまわすように見ながら、「我々は会津御支配新撰組の者である。貴殿の藩名と名を名乗られよ」 と刀の柄頭を叩きながら云った。 伊藤はにやっと笑うと尋問する新撰組の足元に唾をぺっと吐いた。 このときの新撰組の見回りは大石鍬次郎率いる五人。 大石は「人斬り鍬次郎」と恐れられた使い手である。 大石らは顔色を変え、剣を抜いた。 が伊藤の剣はそれより逸く鞘を離れている。 伊藤は大石の懐に入り込むやいなや大石の剣をたたき落とし、ふりかえりざま隊士の一人の腕を夜空高く飛ばした。(至芸) 大石は思わず呟いたろう。 そして、たじろぐ大石らを尻目に、悠々と佐渡おけさを唄いながら去った。 そういう爆弾みたいな男と一緒に他国へ探索になぞつれていけない。「ね、白井さん行きましょうよ」 矢口は甘えるように云った。 白井はやむなく頷いた。
2008.07.17
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「ところで」 と矢口が云った。「太子堂の連中はどうしました」 篠原は額の汗を拭った。「どうも、長岡藩の筆頭家老河井殿に殉じるということで」「うぬ、それはどういう事か」 押見は気が短い。かっとなって刀を掴むと立ち上がった。「三田の恩顧を忘れ他藩に殉じるとは」「まあ、お待ち下さい」 篠原があわてて制止した。「長岡はまだ中立です。あの藩は河井殿の力で軍事力も強大になり、そのために自らの力を過信しております。うわさによると、官軍、会津双方につかず、独立独歩でゆくということです」 篠原の話では、河井は小藩ながら強大な武力を背景にして長岡共和国を思案しているという。「ううむ、独立国家か」「そのため、太子堂組の面々は脱藩が考えられます」「皆、河井殿の心酔者だすけにの」「ともかく太子堂組のことはしばらくほおっておきましょう」「しかし、篠原殿も同じく河井殿の薫陶をうけたであろうに」「私は、武士である以前に、政治家ですから」 と篠原は笑った。(辛いであろうな) 青木は心の中で思った。 篠原も皆と一緒に行動したいであろう。出来れば師である河井と共に行動し、武士として生きたいであろう。しかし、篠原は藩の首相である。青木は篠原の心中を察してすまぬ気がした。快活に笑う篠原を筆頭家老に据えたのはほかならぬ青木自身である。(我らが今少ししっかりしておれば) それには、年をとりすぎている。おいぼれにはもうどうにもならないぐらい時代は急旋回している。青木らもまた、江戸時代の泰平のぬるま湯につかりすぎた。気がつくと、手足の隅々まで皺が伸びきりどうにもうごけなくなってしまっている。(だからせめて) この若い首相が仕事のしやすいように老体の一命を賭してもやる所存でいる。それは、ここにいる他の幹部も同じ気持ちである。
2008.07.17
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一週間後、矢口秀春が戻ってきた。青木正和はその前日に戻っている。 篠原は藩首脳を召集した。 顔ぶれは前回同様六人。 ただ席順が変わった。 篠原を中心に車座になっている。「どうでした。米沢は」 篠原が矢口に尋ねた。「徳川様につくようじゃな。どうも米沢の本家には魂胆がある」「魂胆とは」 篠原が訊ねた。 矢口は驚くべきことを云った。「これを機会に上杉家を復興させようとしておる」 上杉家は景勝の時、関が原の戦いで破れ百二十万石の大身から三十万石に減封された。 しかも故国である越後から出され、米沢に移封された。 無論、処罰したのは徳川幕府であったが三百年の長い歴史の中で徳川家に対する恨みは消え、上杉家復興だけが積年の思いとして残っている。 もともとが、天下に名を馳せた大上杉である。 あわよくばこの戦乱期に上杉家の版図と広げ、越後に戻りたいという旧い考えが米沢上杉の首脳部の頭にはある。 なにを今更、と篠原は思った。 米沢は中央から遠国で新しい情報が行き届いていない。そのため功なり名を遂げて、という三百年前の思想から抜け出ていないのであろう。「それに藩の大勢は会津に同情的じゃ。奥羽越列藩同盟に組みするじゃろう」 奥羽越列藩同盟とは朝敵となった会津、桑名両藩に同情的な親幕府系の東北、越後の諸藩の連合で、大藩である米沢、仙台藩が盟主となっている。「新発田はいかがですか」「新発田は官軍に従う様子じゃ。もうすでに、武器弾薬をそろえ官軍がいつきても差し出せるようになっておる」「さても、どうしたものかな」 青木が首をかしげた。「いや、わが藩はあくまでも官軍に恭順でいきます」 篠原はきっぱりと云った。「私は江戸でつぶさに現状を見て参りました。幕威はいまだ健在でも時の趨勢は官軍にかたむいております。徳川慶喜公もすでに上野の寛永寺で恭順しております。この先はどのようになっても日ならずして天朝様の時代は必ずやってきます。その時代に三田が乗り遅れぬようにしなければなりません。われわれはどのような事があっても三田を護り抜かねばなりませぬ。それがわれわれの使命です」 皆一様に頷いた。
2008.07.17
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いままで黙っていた矢口が顔を上げた。「なにも、まだ河井先生が奥羽越列藩同盟に参加するときまったわけではない。まあおいおい考えていけばよいではないか。それより」 矢口は篠原の顔を覗き込むと、「うちの親父殿たちとなにか話はあったのか」「うん」 篠原は恥ずかしそうにうつむくと江戸家老就任の話をした。「そうか、筆頭家老に就任か。大変なことじゃが、まずはめでたい。篠原、祝いじゃ。飲め飲め」 伊藤ははしゃぎながら酒をついだ。「まあ、今日のところはこういう話はやめて飲もうや」(そうだな、とりあえず今夜はへどが出るまで呑んで、明日はゆっくり休もう。それからだ) 篠原は伊藤につがれた酒を一気に飲み干した。
2008.07.17
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河井先生、とは長岡藩家老河井継之助のことである。 河井は、経済においてはこの当時天下随一と云われた伊予松山の藩制改革家山田方谷に師事、数年前から藩の財政を立て直し、長岡七万八千石の小藩を三百諸藩有数の金満藩にした。しかも、その金で外国製の武器を購入、兵制を洋式化し、今や薩摩、長州に比するほどの強大な軍備をもった。 太子堂組の七人は数年前、藩幹部になる勉学のため長岡に遊学、河井のもとに預けられた。河井はこの七人の資質を見抜き、三年間にわたり、藩の経営学、兵学、財政学を徹底的に教えこんだ。 七人は河井の実務家のそれよりも英雄的な人格的魅力にひかれとりこになった。 いわば、この七人にとって河井は師匠にあたる。 その河井が旗幟不鮮明なのである。 薩摩長州を中心とした官軍にもつかず、会津、桑名を中心とした旧幕府軍にもつかない。 筋からいえば譜代の長岡藩は旧幕府軍につくのが妥当であり、事実会津藩からも東北諸藩で形成している奥羽越列藩同盟への参加を何度もうながしてきている。 また、時代の趨勢をみるならば官軍に従うのが当然であろう。一月、鳥羽伏見の戦いで旧幕軍を破った官軍は勢いにのり北上を開始している。 しかし、河井は動かない。「だから、わしらはいちがいに京の天子さまを奉るわけにはいかねえんだっや」 伊藤が云った。 篠原は伊藤の眼をじっと見ると、「伊藤、おめさんが代々三田から禄を貰い、藩の上士として安穏と暮らしてこられたのは誰のおかげじゃ。この三田の肥沃な田からうまい米を食んできたのは誰のおかげじゃ。殿さまから頂戴し、民百姓から頂戴してきたからじゃないのか。。この火急の時こそその恩を殿さまはじめ民百姓にかえすのが武士ではないのか」「頭ではわかっとる。しかし、汝は藩の御用人になるため途中で連れ戻されたがわしらは河井先生と三年間みっちりと起居したのじゃ。ここにおる者皆が河井先生に心酔した。篠原、おめさんもわかっとろうが」 無論、篠原もわかっている。 英雄児、と評された漢である。 篠原も数カ月ではあったが教えを乞うている。 性格は豪放磊落、性行は大胆不敵にして細心緻密である。 出来れば伊藤等のように河井のもとで武士として生きたいという気持ちがある、が篠原は三田藩の筆頭家老、武士としてよりも政治家として行動せねばならない。「篠原」
2008.07.17
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「入るぞ」 篠原は太子堂の戸を開けた。「久しぶりだっや」 そう声をかけたのは伊藤孫兵衛。腕枕で寝そべっている。 篠原は囲炉裏の前にどかっと座った。「尻が痛えすけ敷けえや」 加藤が穏和そうな顔で筵座布団を差し出した。「疲れたろう」 そういうと、伊藤はやおら起き上がり茶碗を篠原に渡すと酒を注いだ。 篠原は、一気に飲み干すと茶碗を置いた。「おめさんがた、さっき聞いたとおりだや」 篠原が云った。 伊藤はその茶碗にさらに、酒をついだ。「大変なことになったのう」 むろん五人とも先ほどの大広間の中に混じっていたので話は聞いている。「殿さまがみまかったかや」 加藤が涙ぐんで云った。「加藤、いつまでも泣いてはおられん」 篠原はしぼりだすような声で云った。「わが藩存亡の時ぞ」「江戸はどうじゃった」 伊藤が聞いた。 皆、一月に鳥羽伏見の戦いで幕府軍が敗れたことは知っている。「先月、京の朝廷より徳川討伐の詔勅がくだった。江戸は大騒ぎだっや」「徳川様に殉じるか、天朝様に恭順か」 加藤が呟いた。「時勢がかわった」 篠原は顔を上げた。「天皇の時代が来たのだ。わが藩は一万石しかない。いかにうまく時流にのり、この三田をまもりぬくかが問題なのだ。長尾家を護り、民を護り、三田をまもらねばならぬ」「篠原」 伊藤は酔った眼で篠原を見据えると、「それは、おめさんの仕事だ。おめさんのいうことはわかる。しかし、おめさんも知ってのとおり、長岡の河井先生がどうするかだ」
2008.07.17
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太子堂は三田陣屋のすぐ近くにある小さな堂で聖徳太子が祀られており、板敷きの部屋の二間のそのひとつには囲炉裏がある。 もともと、このお堂は藩祖景範が謙信の毘沙門堂に倣って建立したものであり、代々の藩主がここで一人籠もって瞑想に耽ったりした。 それが、いつの頃からか藩主の親衛隊ともいうべき馬廻役の集合場所となった。 馬廻役は上士の子弟から選ばれる。彼らはこの太子堂に寄り合い、寝食を共にし、友情を深め、やがて藩幹部になってゆく。 無論、青木ら先ほどの藩首脳の面々も若き日太子堂の囲炉裏を囲んでいる。そして篠原もまた、一昨年御用人に抜擢されるまでは太子堂の囲炉裏の前に座っていた。 太子堂の顔ぶれは六人。 青木正之、国家老の青木正和の長子で齢二十七。 伊藤孫兵衛、軍奉行の押見八郎太の次子。剣術指南役伊藤家に婿入りし、姓を変えた。齢二十六。 加藤善右ヱ門、勘定奉行加藤博信の次子。齢二十四。 矢口秀郷、藩主連枝矢口秀春の長子。齢二十四。 宮下俊輔、郡代官宮下九郎治の長子。槍の名人を買われ、昨年の春より藩主の姉橋姫の武州毛呂藩輿入れの供として随従、護衛のためそのまま毛呂に滞在していてこの男だけが三田にはいない。齢二十四 白井一馬、他の五人が上士の出身なのに対しこの男だけが藩貴族ではない。出自は低い。武士ですらない。足軽の出である。しかも足軽頭にさえなれない家に生まれた。この藩では上士の子弟が藩校である麒麟館で学ぶのに対し、足軽の子等は般若寺で学ぶ。般若寺は真言宗の古刹で格も高い。ここの住職は代々藩主連枝がなる。白井一馬はここで学んだ。文武両道に優れていたが特に剣は抜群で藩主の弟であった住職が藩主に推挙した。早速、麒麟館で上士の子弟相手に試合をしたが、当時麒麟館の龍虎と云われた矢口、伊藤を苦もなく叩きつけ、麒麟館師範の藩剣術指南役伊藤義清を相手に三本中二本までとった。 白井はこれにより藩主連枝の住職と藩剣術指南役伊藤義清の推挙をえて上士になった。齢二十五。
2008.07.17
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「それがしは、御用人でさえ過分の職、まして江戸家老など」 篠原は首すじの汗を拭いながら言った。 青木は、「いやいや、これは篠原殿がこちらに来る前にすでに皆の者と決めたこと、今は藩存亡の時、若くて才のあるお手前でなければこの危機は乗り切れぬ。われら、老爺の時代ではござらぬ。殿さまも幼少でござる。何卒おうけくだされ」 と頭をさげた。 篠原は皆を見回した。 皆頷いている。 篠原はその任をおうけできませぬ、と固辞した。 が、田舎の純朴な人のいい老爺のかわるがわるの叩頭についに、うけた。「では、これから篠原殿の下、一丸となってこの難局にあたりましょう」 青木はそういうと、「篠原殿、お指図を」 皆、篠原の言葉を待っている。 篠原は腕を組んで暫く黙っていたが、「では僭越ながら」 と喋り始めた。「矢口殿は明朝使者となって、本家の米沢上杉の意向を聞いて下さい。青木殿は越後の諸藩の動向を探って下さい。とくに新発田藩を。新発田は越後でも有数の大藩ですから。押見殿はこれからすぐ藩国境へ兵を出して下さい。あわせて官軍の動向も探って下さい。加藤殿は、藩主の葬儀の準備と、藩の蔵にある米を金に変えて下さい。もし戦さになると武器を仕入れるため金がいります」 青木等は篠原の頭脳の明晰さに舌を巻いた。そして、自分たちがこの若い藩官僚を大抜擢したことは間違っていなかったと思った。 篠原は首脳に細々と指図すると、「では、お願いします。私は、これからちょっと出かけてきます」 そういうと立ち上がった。「篠原殿、少しお休みになられては如何ですか」 青木は思わず云った。 藩主急逝でここ数日、篠原はろくに眠っていまい。疲労は極致に達しているはずである。「それにこんな夜半どちらへまいられるというのですか」「あなた方のご子息たちの所へ」「太子堂ですか」「はい、彼らの力を借りぬとどうしようもありませんから」「いかにも」 皆が一同に笑った。
2008.07.17
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半刻後、国家老青木正和は藩首脳を召集した。 顔ぶれは、 御用人、篠原正泰。 軍奉行、押見八郎太。 勘定奉行、加藤博信。 藩主連枝、矢口秀春。 の五人である。 青木が云った。「次の藩主は慶範様の弟君の泰範様が最も妥当と考えられるが、年が十二とお若すぎる。また、慶範様と同じく病弱じゃ」「秀郷殿はどうじゃろう」 押見八郎太が矢口秀春を見ながらいった。 皆が一斉に矢口を見た。 秀郷は秀春の嫡男である。秀春は慶範の父の弟にあたるので秀郷はいわば、慶範の従兄弟になる。「秀郷殿なら年も二十四だし、文武ともにすぐれておる。異存はござるまい」「そうじゃ、目下のものにもお優しいし、まさに棟梁の器じゃ」「皆もああいうておりまする。矢口殿いかがでございます」 青木は矢口に目をむけた。「あれが、承知するか」 矢口は苦笑した。「最もじゃ」 一同も笑った。(最もじゃ) 篠原は秀郷の顔を思い浮かべた。 篠原は秀郷と同い年、藩校の同窓である。 秀郷は藩貴族に生まれ、しかも文武ともに優れていたが、そういう気位が全くなく、またそういう欲もなかった。 三田藩においては藩主に次ぐ家格にいながらむしろこれを嫌った。 その秀郷がいかに藩主後継者としてもっとも近い位置にいるとはいえ、藩主などうけるはずがない。「では、やはり藩主は泰範様ということでよろしいですかな」 青木の言葉に皆一様に頷いた。「では、次に篠原殿を江戸家老にお願いしたいと存ずるが如何」「えっ」 篠原は顔をあげた。 江戸家老という職は三田藩には今はない。 もともと家老職は二つあり、江戸家老と国家老であった。 江戸家老が筆頭で国家老は二番目の地位であったが、泰平の世が続き、江戸よりもむしろ国に政治の比重がおかれたため、江戸家老は廃止され、かわりに国家老に準ずる職として御用人という江戸において藩の一切を取り仕切る役がもうけられた。 それが、二百年ぶりで復活するのである。 しかも、篠原は上士の家柄であっても門閥の家ではない。 かつて、家門からは勘定奉行は出たことはある。しかし、御用人は篠原がはじめてである。
2008.07.16
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もともと徳川の幕藩体制というものはあいまいに出来ている。 各藩主に対して君臣の関係ではないのである。 いわば、各国の連合体のリ-ダ-にすぎない。 それを家康以来二百七十年間、徳川の絶大な力でねじふせ君臨して来た。 それが二百七十年の末期にきて崩れた。 薩摩長州等の西国諸藩が京にいる天皇を擁し、その名のもとに倒幕を遂行している。 そして、官軍は今年の一月、戌辰の役を起こした。 革命である。 三田藩はもともと外様である。先祖上杉謙信公の後を継いだ甥の景勝が関が原の戦いで破れ、減知されて会津に転封される時、愛すべき越後と関係を絶たせぬために幕府に懇願し末弟を分家させ、一万石の大名として残した。 その時、景勝は上杉軍団の精鋭をことごとく末弟につけた。 それは、まだ年若だった最愛の弟を心配してのことであったし、また、上杉軍団は越後にいるべきだとおもったのかもしれない。が、ともかく謙信以来の最強軍団は越後三田藩に残った。 そして、その子孫はその血を受け継ぎ、今もなお屈強の軍団として、三百年の歴史を越えてそのまま残っている。(そのいかつい男たちが泣いている) 篠原は国家老の話をうけながら啜り泣く声を聞いている。(国を誤ってはならない) そういう気負いが篠原にはある。
2008.07.16
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不識庵の末裔 江戸表より越後三田藩の三田陣屋に早駕籠が着いたのは慶応四年三月三日の夜半のことである。 使者は御用人篠原正泰。藩内での地位は国家老に次ぐ、江戸屋敷においての最高責任者である。その御用人が自ら使者になるなど尋常ではない。しかも単身である。 篠原は齢二十四、家柄も名門ながら三田藩きっての英才であり、若年ながら抜擢された。 篠原、三田陣屋の門を抜けると旅塵も払わず伝令をとばし、藩士を召集した。 ほどなくして藩士たちは三田陣屋の大広間に集まった。 国家老以下お目見以上の藩士は五十人、一万石の家禄にしては決して少なくない。 やがて、太鼓が打ち鳴らされると藩士たちは平伏した。 篠原はただひとり上座。 藩士たちは息をひそめ篠原の言葉を待っている。 「殿さまがみまかられた」 篠原はそう言うと、懐中から油紙で包んだ書状を取り出し読み始めた。 殿さまとは越後三田藩十二代藩主長尾慶範のことである。 十年前、先代の死去によりわずか六才で家督を継ぎ、幕末の動乱期にその命を翻弄され続け、五年前に江戸で倒れてそのまま病床についていたのである。 それがここにきて、容体が急変し、二月二十五日に終に亡くなった。 篠原が書状を読むあいだ大広間からは啜り泣く声が聞こえた。 篠原は読み終えると書状を国家老青木正和に渡した。 青木正和は平伏して受け取ると、上座に座った。 篠原は入れ替わり下座へ。「三田藩存亡をかけたこの時期に殿さまがみまかったのは無念至極であるが、この難局を何とか乗り切らねばならない」 国家老青木正和は悲痛な声で云った。 難局なんてものではない。 前年の十月に大政奉還が行われている。事実上の日本の国王、徳川慶喜が政権を放り出したのである。盟主を失った藩主は路頭に迷わざるをえない。
2008.07.16
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