Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2024年02月04日
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カテゴリ: 霊魂論
内的霊的衝動の写しとしての美術史
 第1講 ドルナハ  1916年11月8日-2
第3講  中欧ー北方の芸術衝動を理解するための基礎
     中欧ー北方の芸術と南方の芸術の対立と関係
デューラー及びホルバインに至るドイツの彫刻と絵画
中部ヨーロッパのファンタジー衝動はまったく別種のものです。私たちが最も古い時代まで振り返ってみるならば、この衝動はまずもって、フォルム把握あるいは静謐にして構成的なものの把握を直的に目指すものではありません、この衝動が目指すのは、主として出来事、魂的な衝動から発するものの表出です、人間の意志するものがいかに身振り、動きのなかに現れるか。人間の意志するものが、内部に魂が活きている記号(しるし[Zeichen])を通じて人間の本質そのものにふさわしいフォルムを通して以上にいかに表現されるか、それを目指しているのです。そして、魂そのものが自らをその記号のなかにあるものとして表現しようと欲すること、北方のファンタジー衝動はこの点にあります。こういう事柄に対して感受性のある人物は、古代のルーネ文字の効力とでも申し上げたいものを通して、このファンタジー衝動のいたるところに、木の棒などがその一致のなかに何かを表現するためにどこに投げ集められるかを感じ取るのです。記号と、記号のなかの生命の存在、これがこの種のファンタジーの根底にあるものです。したがって、この
種のファンタジーは、魂的なものの個人的な表現であるもの、魂的なものの直接の意志表現から現れてくるものといっそう結びつくことができるのです。広まっていくキリスト教によって、造形芸術そのものにおいてはまったくそうでないにしても、人間の生と世界連関についての観照という点では、根絶やしにされてしまったもの、文字通り根こそぎにされてしまったものの多くが保存されているとしたら、つまり古代の異教が有していたもの、むろん完成された造形芸術作品というかたちではないにせよ、人々が世界と生について考えたことの、記号による、私は、象徴的な(symbolisch)とは言いたくありませんが、その表出として古代の異教が有していたものの多くが存在しているとしたら、北方においては、観照の衝動からではなくもっと内からの意志衝動から働くファンタジーが本質的なものであるということについての強い感
情を、外的な世界においても得ることができるでしょう。この意志衝動から働くファンタジー、私たちはこのファンタジーを、いわば文化において北から南へと広がっていったものすべての基調と見なさなければなりません。考えられている以上にこういうしかたで広がっていったのです。北方から来る衝動というかたちでほかならぬルネサンス芸術のなかに実際あらゆるものを注ぎ込んでいるものが、一度解きほぐされてはじめて、今日目の前にある完成された芸術作品に、北方のものでも南方あるいはスペインのものでもなく、本来衝動であるもの、合流した衝動であるものが見い出されるのがわかるでしょう。そしてたとえばミラノにあるレオナルドの「晩餐」のなかに何が生きているかを研究すれば、初期のもっと南方的な精神から生まれた数々の「晩餐」に比べて、そこでは人物の関連のなかにいかに劇的な生、劇的な動きが入り込んできているか、そして、いかにその面差しから個人的・魂的なものが語りかけているかを研究すれば、そこには秘密に満ちたしかたで、南方へと広がっていく北方の衝動が働いているのがはっきりとわか
るにちがいありません。これは、相応に弱められてではあるにせよ、純粋に南方のファンタジーのなかに、その後シェイクスピアといったまったく別の領域かにまた見出せるものをも注ぎ込んだのです、シェイクスピアの人物たちはまさに北方の精神から生み出されました、なぜなら、彼らは人間そのものに立脚した本質を現しているので、もはや彼らのうちには、ひとつの手段のように人間の形姿と人間の行いを通じてのみ、超感覚的なものから現れ出てくるように生まれ出る、そういうものは含まれないからです。私たちがシスティナ礼拝堂でミケランジェロのすばらしい短縮法を観察するときでさえ、今日逆説的に思えるにしても、こうした運動の要素が、ミケランジェロにおいても、北方の衝動からやってくる衝撃にまったく適合していることをはっきりと理解しておかなくてはなりません、ただ、この北方の衝動も南方の騒動に覆い尽くされてしまうのですが。そして、南方の衝動によって北方のそれが覆い尽くされる特殊な例を、私たちは次のことに見出すことができます、つまり、ウムブリアの山々の孤独のなかで育まれた多かれ少なかれ南方的であり続けたラファエロのファンタジーは、北方的なものが入り込んで働きかけていたレオナルドやミケランジェロに彼が見出し得たすべてを、円くし(runden)、ふたたび構成的なもののなかへと、言うなればロマン化した(romanisieren)したのです。これは奥深い諸問題についての二乃至三の抽象的な示唆ですが、この問題が克服されない限り、中世の芸術全般を理解することはできません。つまり、きわめて古いものを保持している中世の芸術においては、ほかの場におけるよりもずっと、言葉が記号(Zeichen)によって表すものが、自然に即したしかたで造形芸術と結びついている、ということなのです。ヨーロッパで制作された聖書作品のなかには、活字の芸術的成形のまったく自然なものから絵画的な細密芸術作品に至る直接的な感情が見られます。キリスト教文化の比較的古い時代において、中部ヨーロッパの衝動のすべてを受け取っていた修道士たちが、自分たちのミサ典書やその他の本を、活字をいわば細密(ミニアチュール)画へと花咲かせるように形作るとき、それは単に何か外的なものにとどまらず、記号と造形的描出との内なる連関という感情、感覚に由来していました。記号がいわば造形的な描出へと滑り込んでいったのです。そしてそこでは記号が人間の意志の、人間の魂的なものの表現となりますので、言葉の関連のなかに現れるものから、細密画のなかに流れ込むものへの自然に即した移行が、言葉の関連のなかに表現されるものと書物の表紙を装飾する古い象牙細工のなかに含まれるものとの間にさえ見られます。中部ヨーロッパの芸術にとってもはや存在しないものがひとつの花となって、実際そこに表現されたわけです。そして細密画のなかに表現されるものはいたるところで、内部からの、魂的なものからの創造を示していますが、それは、南方においてこれほど大きなもの、つまりフォルムのなかに生きるもの、これは人間の本質に固有のフォルムであって、内部から、魂的なものから引き起こされた動き及び活動性や個人的ー魂的なものの表現はフォルムの本質の内に流れ込むことなのですが、そういうフォルムのなかに生きるもの、そういうものの再現におけるある種の素朴さといわば対になっています。古い福音書を取り上げてみると、細密画が描出しているもののなかに、なるほど聖書的に伝承された人物像を拠り所としてはいますけれども、いたるところで、その人自身が魂的に経験したことを表現しようとするようすが見られます。良心の咎めやその他似たような魂的な内部経験、それらが古い中部ヨーロッパの細密絵画のなかにすばらしく表現されています。実際のフォルム付与という点で、つまりその人自身がその個を通じて付け加えることは何もなく、事物の背後にある神的・霊的なものとでも申し上げたいものがそこに開示されている、そういうフォルム付与という点において、これらは大いなる素朴さと対になっているのです。けれども、私が特徴づけしましたこの衝動は、いわば常に中部ヨーロッパから発していくのですが、発しながらも、南方から広がってきたもののなかで失われてしまいます。この衝動は広がってくるキリスト教のなかへと消え去ります、広がってくるローマ主義その他のなかへと消え去るのです。けれども同時に、このとき中部ヨーロッパから広がってゆくものは、南方によって再び豊かにされ、その結果、フォルムの克服および霊的にして自然に即したものか現れ出る色彩の克服という点で南方から得られたものが、今や北方の衝動の精華であるものに習熟していきます。このように入り組んで発展し、層を成し、それが織りなされているのです。

ゲルマン人の文字体系:ルーン文字は、ゲルマン人がゲルマン諸語の表記に用いた古い文字体系であり、音素文字の一種です。ルーン文字の成立時期は不明ですが、確認されている最初期のルーン銘文は1世紀頃のものです。使用の終焉と残存は、ラテン文字に取って代わられて使用されなくなりましたが、スカンディナヴィアでは中世後期まで用いられました。一部の地域ではルーンの知識は初期近代まで民間に残存していました。「ルーン(rune)」という名称の語源としては、「秘密」を意味するゴート語の runa が挙げられます(cf. 古英語: rūn, 古ノルド語: rún)。以上の情報は、ルーン文字の基本的な特性とその歴史的背景を概観するものです。具体的なルーン文字の形状や意味については、専門的な研究や資料を参照することをお勧めします。ルーン文字は、その神秘的な性質と古代ゲルマン文化への窓口として、多くの興味を引きつけています。それぞれのルーンが持つ象徴的な意味や、それらがどのように組み合わさってメッセージを伝えるのかを理解することは、非常に魅力的な学問です。この古代の文字体系を学ぶことで、我々は過去の人々の思考や信仰、そして彼らの世界について深い洞察を得ることができます。ルーン文字の学習は、言語学、考古学、歴史学、そして文化人類学の観点から、非常に価値のある経験となるでしょう。それは、我々が過去の文化とその表現形式を理解するための重要な手段となります。ルーン文字の研究は、我々が人間のコミュニケーションと表現の方法について理解を深めるための一助となるでしょう。それは、言葉と記号がどのようにして意味と情報を伝えるのか、そしてそれらがどのようにして文化と社会を形成するのかを理解するための鍵となります。ルーン文字の研究は、我々が自身の言語と文化、そして人間性についての理解を深めるための一助となるでしょう。それは、我々が自身のアイデンティティと世界観を形成する上での重要な要素となります。ルーン文字の研究は、我々が自身の歴史と遺産、そして我々がどのようにして今日の世界に至ったのかを理解するための一助となるでしょう。それは、我々が自身の過去を理解し、それが我々の現在と未来にどのように影響を与えているのかを理解するための鍵となります。ルーン文字の研究は、我々が自身の生活と経験、そして我々がどのようにして自身の世界を理解し、それを表現するのかを理解するための一助となるでしょう。それは、我々が自身の思考と感情、そして我々がどのようにして自身の人生を生きるのかを理解するための鍵となります。ルーン文字の研究は、我々が自身の価値観と信念、そして我々がどのようにして自身の行動と決定を導くのかを理解するための一助となるでしょう。それは、我々が自身の道徳と倫理、そして我々がどのようにして自身の行動と決定を導くのかを理解するための鍵となります。ルーン文字の研究は、我々が自身の知識と理解、そして我々がどのようにして自身の世界を理解し、それを表現するのかを理解するための一助となるでしょう。それは、我々が自身の学問と研究、そして我々がどのようにして自身の知識と理解を深めるのかを理解するための鍵となります。ルーン文字の研究は、我々が自身の創造性と想像力、そして我々がどのようにして自身のアイデアとビジョンを形成するのかを理解するための一助となるでしょう。それは、我々が自身の芸術と表現、そして我々がどのようにして自身の感情と経験を表現するのかを理解するための鍵となります。ルーン文字の研究は、我々が自身のスキルと能力、そして我々がどのようにして自身の能力と才能を発展させるのかを理解するための一助となるでしょう。それは、我々が自身の能力と才能、そして我々がどのようにして自身の能力と才能を発展させるのかを理解するための鍵となります。ルーン文字の研究は、我々が自身の成功と達成、そして我々がどのようにして自身の目標と夢を追求するのかを理解するための一助となるでしょう。それは、我々が自身の目標と夢、そして我々がどのようにして自身の目標と夢を追求するのかを理解するための鍵となります。ルーン文字の研究は、我々が自身の挑戦と困難、そして我々がどのようにして自身の困難と挑戦を克服するのかを理解するための一助となるでしょう。それは、我々が自身の困難と挑戦、そして我々がどのようにして自身の困難と挑戦を克服するのかを理解するための鍵となります。ルーン文字の研究は、我々が自身の成長と発展、そして我々がどのようにして自身の成長と発展を促進するのかを理解するのに貴重な材料となります。

参照画:ルーン文字




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最終更新日  2024年02月04日 06時57分54秒
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