Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2024年02月18日
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カテゴリ: 夢有無有
ルドルフ・シュタイナー 初期哲学論文-4
真理と学問 Ⅰ:序章
 認識論は、その他一切の学問が吟味することなく前提としていること、即ち認識そのものの学問的探求でなければならない。それ故、認識論には最初から哲学的基礎学の性格が与えられている。つまり、我々は認識論によって初めて、他の学問によって獲得された洞察がどのような価値や意味を持っているのかを知ることができる。認識論はこの点で一切の学問的努力を基礎付けている。しかし、認識論そのものが無前提であるときにのみ、認識論はこの自分の課題を果たせられることが明らかである。このことはなるほど、一般的に認められるであろう。それにも関わらず、著名な認識論の体系の数々を詳細に吟味すれば、その後の論述の説得力を本質的に損なう一連のことが、既に考察の出発において前提されていることを見出すのである。とりわけ、通常、認識論の根本問題を立てるときに、既に或る隠された仮定がなされていることに気づくであろう。しかし、或る学問の問題の立て方が間違っているのなら、解決が正しいことを初めから疑わざるを得ないだろう。それでも学問の歴史は、あらゆる時代が苦しめられた無数の誤謬が、ひとえに特定の問題が間違って立てられていたせいだと考えられることを、我々に教えてくれる。この命題を裏付けるため、我々はアリストテレスの自然学やアルス・マグナ・ルリアーナにまで遡る必要はなく、近代に十分に事例を見つけることができる。或る有機体にとって退化した器官が何を意味するのかに関する無数の問いは、進化論の発見を通じて、この問いのための諸条件が整えられたときに初めて、より正しい仕方で立てることができるのである。生物学が神学の見解の影響下にある限りは、当の問題を満足に答えられるように提起することはできなかった。例えば、特に人間の脳の中のいわゆる松果体の役割を問う限りで、そのような役割についてなんと荒唐無稽なイメージを持っていたことか。比較解剖学という仕方で事柄自体を明確にしようとし、この器官が低次の進化段階に由来する単なる痕跡器官なのかどうかと問うて初めて、正しく問題を立てられるようになったのである。或いは、更に一つ例を挙げると、熱力学の第一法則と第二法則の発見によって、物理学における問いの立て方はなんという変容を経験したことか。要するに、学問的研究の成果は、本質的に、問題を正しく立てられるかどうかによるのである。認識論があらゆる他の学問の前提として全く特別な地位を占めるとしても、それでもやはり、認識論においても正しい形式で根本的な問いが投げかけられるときにのみ、探究において実りの多い進歩が可能になるだろうと予見できるのである。
以下の議論は、まず第一に、完全に無前提な学問であるという認識論の特徴に相応しい表現を認識の問題に与えるよう努める。次に、J.G.フィヒテヨハン・ゴットリープ・フィヒテ(Johann Gottlieb Fichte/1762年5月19日 - 1814年1月27日)の知識学とこのような哲学的基礎学との関係についても明らかになるだろう。諸学にとっての無条件に確かな土台を作りだそうとするほかならぬフィヒテの試みを、我々がなぜこの課題と緊密に結びつけるのかは、研究の経過の中で自ずと明らかになるだろう。
参考:ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ




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最終更新日  2024年02月18日 06時10分06秒
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