2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011
2010
2009
2008
2007
2006
2005
全13件 (13件中 1-13件目)
1
お昼過ぎ、ちなこと2人、とーちゃんの病院へ。ちょうど家を出てすぐ位から激しい雨が降ってきた。あーつくづく自分って雨女やなぁと思う。今日は朝から透析の日。病室に着くととーちゃんはしんどそうにしていた。透析の日はいつもそうだ。お昼ごはんにサンドイッチを作っていった。昨日の晩、ハムが食べたいと電話があったから。メンチカツサンド、ハムとチーズ、ハムと卵サラダの3種類を作った。とーちゃんはメンチカツとハムとチーズを食べ、「美味しい」と言ってくれた。それで昼ごはんは終わり。もう少しキチンと食事が取れるようになれば身体のほうも回復が早くなるのではないかと思っている。調子の良くないときにとーちゃんにとって、来てほしくないのがちなこ。元気いっぱい声を出してはしゃぐ。今のとーちゃんにとって、そのちなこは苦痛以外の何者でもないらしい。早く「元気やな、可愛いな」と思える日が来てほしい。時間が遅くなるにつれ、とーちゃんのちなこに対する苛々は激しさを増す。かーちゃんも帰ったほうがいいなと思う。かーちゃんが病室のトイレに入ってすぐ、「しばきあげんど!!」と、とーちゃんのちなこに対する罵声が飛ぶ。何ぼしんどくても、イラついても、その言葉は無いんちゃう?トイレを出てすぐに、そんな風に子供に言うもんじゃないとキチンと言っておく。ちなこにも、悪いこと(小さなちなこには判りづらいだろうけど)はしてはいけないと教える。ちなこの散らかした物を片付けて、とーちゃんの手の届くところに使うものを置き、病室を後にした。時間はすでに夜の8時半。帰るまでにちなこは寝てしまうだろうと思ったので、病院の向かいにある前にも入った食堂でご飯を食べる。ここの食堂はほっとする。無口だけど、やさしそうな主人。明るいおかみさん。前にちなこが嘔吐してしまった時も、お店のご主人は何も言わずにポンと机にティッシュを置いてくれた。今日もちなこが余所見をしてうどんのお汁を全部溢してしまった時、すぐに拭いてくれた。「ちゃんと前向いて食べなあかんやんか!」とちなこに言ったら、ご主人は下を拭きながら「はい、やな。」とボソッと。ちなこも片手を高く上げて元気よく「はい!」って言えました。お汁入れよ。と新しい熱々のお汁を足してくれました。もううどんはあんまり残ってなかったんやけど。。。ありがとう。おっちゃん!!とーちゃんのちなこに対する態度に、かーちゃんも苛立ちを覚える時がたくさんある。そんな時ちなこが言うことを聞かないと、かーちゃんもちなこに厳しく当たってしまう事がある。ちなこは大好きな2人から厳しく当たられ、精神的にとても辛い思いをしていると思う。気をつけているんやけど、こんな苛々したかーちゃん、自分でも大嫌いや。そんな時、この食堂には癒される。ちなこと2人楽しい食事の時間。何度も訪れているわけではないけど、大好きな大好きな食堂だ。案の定、ちなこは家に着くまでに寝てしまった。家へ帰って布団を敷いて、気管切開口のガーゼ交換を済ませ、寝ているちなこを抱きしめた。 辛い思いさせてごめんね。精神的に自分でも弱くなっていると思う。負けたらダメ、かーちゃん自分に負けないように頑張るからね。
2004年05月31日
しばらく壊れていたパソコン、前にも何度も止まって動かなくなったことがあったので、今回思い切って新しいのを買った。とーちゃんにはまだ内緒だ。このお金が沢山いる時に!(医療費だけで月¥140万程。実際いくら掛かっているのか見当もつかない)ってな感じだけど、借金ついでに、かーちゃんのストレス解消も含めて買ってしまった。今回のはデスクトップ。前のはノートで人様の中古品だったので、なんだか新しくて嬉しい。たまにはいいよね。何か良いことあっても。掛かったお金の事を考えると後から怖くなるので自分に言い聞かせているかーちゃんであった。みなさん、書き込みなど沢山していただいて嬉しい限りです。とーちゃんの身体の様子も少しずつ良くなってきました。1万しかなかった血小板も、7万(普通の人は14万くらいらしい)と人様の半分まで上がってきました。黄疸の数値も下がりつつあります。輸血も10日に1回くらいのペースで行けそうです。ただ、薬を多量投与しているので肝臓が少しずつ回復してきた分、今度は腎臓がやられています。透析は入院中の一時的なものだけではなく、生命を繋ぐための維持透析となりそうです。身体が良くなり出した分、ベッド上のみに制限されている動きに苛立ちを覚えだしてます。とはいえ、まだ自力では身体を起こすことさえ出来ません。それがまた、ストレスになり、精神的にはかなり厳しいです。空いていた日記の分をまた少しずつ埋めて生きたいと思います。
2004年05月30日
<携帯より>とうとうコンピューターが壊れて、にっちもさっちも行かなくなりました。みんなと繋がれなくて、淋しい限りです。
2004年05月21日
<携帯より>ちなこのカニューレ交換を病院で済ませた後、ちなこと一緒にとーちゃんの病院へ。今、とーちゃんは自分の事で精一杯なんで、ちなこが部屋の中で喧しくするとかなりいらいらしてしまう。ちなこにも怒り散らしてしまうのだ。昨日は義兄さんが泊まっているので、今日はかーちゃんの番。しかもちなこと一緒。ちなこがいると苛々してしまうのなら、このさい、泊まり無しではどうか?と聞いてみた。すると。。。怒る怒る。自分一人では何も出来やしないと。確かにベッドから降りられないし、全てが不便である事は解っている。しかし、かーちゃんがいてると、薬さえ飲ませてもらおうとする。そんな事じゃしまいに手さえ使えなくなってしまう。してもらう事が当たり前、右といえば右、左といえば左、何でも思いのまま。そうなってきているのは誰もが認識し始めている。このままじゃいけない。どこかでとーちゃんを取り戻さなければ。それにこのままじゃ、これからの長い戦いはの乗り越えられない。周りの人達も潰れてしまう、って事をとーちゃんに話した。けど、やはり今のとーちゃんには自分の主張しかなく話は噛み合わない。とーちゃんの力になってあげたい。それは大前提なんやけど、私達には「ちなこ」という小さな子供もいる。かーちゃんに付いて回るちなこも、病院に来たらとーちゃんにどやされるのは解っているけど、かーちゃんと一緒にいるには病院に来るしかないんだ。少しでも病院に行く時間を短くしてちなこと一緒にいてあげたい。小さなちなこも、遊べず発散できず、少し様子がおかしい。結局、夜遅く、「ちなこ連れて帰ってくれ。」と言った。いい機会だから泊まり無しでやってみよう。4月20日から1ヶ月、毎日誰かが泊まってやってきた。まだまだ良くなって来ているとは言い難いが、ここ数日で錯乱するような様子を見せることが無くなった。ある程度とーちゃんにも頑張って貰わなければやっていけない。夜が長くて長くて恐い。淋しくて仕方が無い。とーちゃんの気持ちも理解しているつもりだが、ちなこだって我慢している。少しでも早く、とーちゃんが良くなって気持ちの余裕が出来て、落ち着いて欲しいと願わずにはおられない。 病気は恐い。身体だけでは物足らず、気持ちや色んな物、大事な物をたくさん壊していく。
2004年05月20日
今日はかーちゃんとちなこにも、オウム病の抗体が出来ているかの検査のための採血がある。夕方3時過ぎに地元の保健所の人が病院にやって来る。ちなこにはその話が決まった随分前の日から、注射プッツンするよ、と教えてある。「とーちゃんと同じ病気が無いか調べるねん、かーちゃんと一緒やからね。」と。嫌がるやろな、って思っていたが話をしたときにも「うん、がんばゆ!がんばったや、とーたん、かえってくゆねん。」って腕をまくり上げて頑張るのポーズ。かーちゃんの腕に引付けて一緒一緒って言ってた。いよいよ保健所の人達がやって来た。かーちゃん達は別室に呼ばれる。ちなこ、泣くやろな。ごめんな。部屋にはいると保健所から来た保健婦さん、役所の人、採血を行う小児科の先生の3人がいた。先生は注射器の用意をしていた。この時点で、今までのちなこだったら半泣きだ。けど、元気にこんちわ!と挨拶。そしてみんなに向かって「がんばゆ!」のポーズ。最初はかーちゃん、注射針が血管に刺さって、血が出ていくのをちなこはじっと見てた。そして一言、「ち、でてゆ。」次は自分の番、って思って見てたのかな。かーちゃん、終了。そしてちなこ。かーちゃんの膝の上に乗せ、右腕を出す。針が近づく。ここで大泣き!のはずが、針が刺さるまでじっと見ていた。いよいよ「チクッとするからね。」先生の言葉と共に針が血管の中へ。途端に、涙がポロポロポロ。。。。。。。。嫌で嫌で仕方ないはずのちなこ。よだれと涙が机の上を濡らす。肩を震わせ泣いている。けど、暴れずにじっと我慢していたよ。採血なので時間が長い。かーちゃんの「頑張れ頑張れ、もう終わるよ。」の言葉と一緒に頑張ったちなこ。最後はわーん!って声を出したけど、本当に頑張った。嫌々ーー!ってしなかったね。ちなこに何で暴れなかったん?って聞いてみた。ちなこは言った。「がんばったや、とーたん、かえってくゆ。」って。そっかぁ。泣いたらアカン注射頑張らなアカン、とーちゃんが帰ってくるために!って自分に言い聞かせてたんやね、きっと。保健婦さんも「まだ2才やのに。頑張ったね、本当に頑張った。嫌なことしてごめんね。」って涙がポロリ。部屋を出て行くときには、腕で涙を拭って、きちんとみんなに「ありやとう。」って言えたね。役所の人に「嫌な事したのに、ありがとうって言ってくれて、ありがとう。」と言って貰えました。部屋を出て、偉かった。本当に偉かった!ってギュギューーッッと抱きしめてあげました。とーちゃんの部屋に帰る途中、ナースステーションの前を通る。丁度とーちゃんの主治医の先生がいて声を掛けてくれる。「痛い痛い(採血)終わった?」ちなこは腕を上げて頑張ったのポーズ。先生は「偉いね~」ってニコニコ。そうさ!自慢していいよ。今日のちなこの出来事、自慢していいさ!とーちゃんが早く帰れますように、いつもそう言ってみんなが送ってくれた神様に手を合わせているちなこ。とーちゃんが帰って来れると思って、大嫌いな採血だって頑張った。肩を震わせ涙を流しても、じっとじっと我慢した。 かーちゃんの誇り!やで。本当は嫌やったよね。嫌に決まってる。「たった2才」のちなこは強かったよ。今日のこと、ずっとずっと忘れない。頑張ってるのはとーちゃんだけじゃない。今のとーちゃんには病気のせいで、こんな出来事も理解が出来ないけど、とーちゃんがとーちゃんに戻ったとき、話してあげよう。「ちなこも一緒に頑張ってたんやで。」って。きっと勇気を貰えるに違いない。
2004年05月14日
雨の日だった。何処にも行けないから、かーちゃんばぁばん家へ行って遊んだ。我が家は団地だけど、ばぁばん家は一軒家だから走り回っても怒られない。今日はかーちゃんも一緒で嬉しさ一杯のちなこ。かーちゃんも嬉しいよ。ちなこと一緒でとっても嬉しい。今日は実家でゆっくりとしよう。大丈夫とは言っても、疲れているのは確かだ。身体的よりも、精神的な疲れが出て来てるようにも自分でも思う。とーちゃんに何か言われる度に、考える度に胸が苦しくなり、咳が止まらなくなる。やばい。しっかりしなくちゃ!「おかーちゃん」やろ!!今晩は自分ちへ帰ってちなこと2人で寝よう。ばぁばには2日も続けてちなこを見て貰った。二晩もかーちゃんなしに泊まったのは初めてだ。カニューレが何かの拍子に抜けやしないかと、ばぁばも気が気でなかったやろう。何もない子と違って吸引だって大変だ。本当に助かりました、ありがとうばぁば。明日は病院に行かなければならない。元気な顔してとーちゃんに会わなくちゃね。
2004年05月13日
朝、とーちゃんは静かに目覚めた。夕べ睡眠薬は半錠しか飲まなかった。眠りは浅かったが静かだった。回復の兆し、そう思いたい。今晩から義姉に泊まりを1週間ほど変わって貰うことにした。それがとーちゃんにとって良い。そうかーちゃんは判断した。かーちゃんはやっぱり、とーちゃんにしっかりして欲しいから「いけないことは、いけない。」と言ってしまう。それが今のとーちゃんにとってはしんどいのかも。とーちゃんが看護婦さんに対して、偉そうに子供用な頑固を言った時にも、義姉さんは「そうや、向こうは仕事やねんから言ったり。」と頭をなでなで。とうていかーちゃんには出来やしない。病気は気からと言うが、今はまた違った意味で気持ちを好なようにした方が病気にも良いのかも知れない。とーちゃんの事は心配だが、「あんたの好きなようにしたらいい。姉ちゃん、ずっといたる。なんやったらもう1週間仕事休んでもいいから(今回は1週間休んでくれている)。」と言ってくれてる事やし、少しお任せしよう。ちなこのこともずっとほったらかしやし、良い機会だから一緒に遊んであげよう。とーちゃんの所にはまた一緒に面会に行こうね。かーちゃんの力が足りなくて悔しくて寂しいけど、とーちゃんが楽なのが一番やから。
2004年05月12日
とーちゃんは今日も朝から透析とビリルビン吸着を行った。かーちゃんは透析中も、いつ何時もとーちゃんの側を離れられない。離れるととーちゃんが探すからだ。透析後の睡眠から目が覚めたとーちゃんは、少しいつものとーちゃんに戻っているような感じがした。黄疸の要素が少しでもましになったからかな。少し色んな事を話せた。けれど会話が楽しい物にはならない。とーちゃんの記憶は昔の事に思いを寄せてるみたいで、かーちゃんやちなこの事はあまり話さない。それどころか、かーちゃんを何故か否定するようなことばかり。悲しくなって堪えきれず涙が出る。かーちゃんやちなことの生活は何やったんかな?とーちゃんにとって楽しい物ではなかったん?とーちゃんにとって一番の家族とは私達ではなく、結婚する前のみんな血の繋がった人達なん?とーちゃんの病気が言わせるものやとは解ってる。けどやっぱり、とーちゃんの心のドコカでかーちゃんの事否定する、そんな思ってるのかな。そんなこと考えて、胸がギューッと苦しくなる。毎日神経が張りつめていたこともあり、「かーちゃん」を否定されて自分自身が壊れそう。苦しいよ。夜はあまり眠れそうにないとーちゃんだけど、一昨日のような様子はなく、静かにすごせそうだ。とーちゃんの気分や身体に負担のない夜が過ごせますように。
2004年05月11日
<5/10携帯より>昨晩、とーちゃんはとーちゃんで無くなった。睡眠薬を2錠、安定剤を2錠、痛み止め1錠と1本。結局薬はそれだけ使った。夜中2時頃から覚醒し始め、意味不明な事を口走り、静脈点滴も抜いてしまった。様子がとてもおかしかったので、かーちゃんは注意をとーちゃんに向けていた。尿菅や透析の為の管、あらゆるものを抜こうとする。点滴を抜いたその時も、かーちゃんはとーちゃんの手を押さえていたんやけど、力で押し切られてしまった。とーちゃん何で?!涙が出た。血が止まりにくいねんで!バタバタと看護婦さん達がやってきた。ただならぬ様子にちなこも目が覚める。手を押さえておきながら止められなかった無力感と脱力感、大量の出血。色んなものが圧し寄せて、くらっときた。看護婦さんが処置をしている時、少し横になった。ちなこはしっかりと、とーちゃんの出血口を見て、「とーちゃん、ち、でてゆ。」そして「かーたん、だいじょうぶよ、とーたん、だいじょうぶ、かんごふさん、きれいきれい、してくれてゆ。」とかーちゃんに口づけしてくれた。ちなこをギュッと抱き締めた。それからも、とーちゃんは奇行を止めなかった。とうとう、他の管も抜く危険があるからと両手をベッドに縛られた。涙が出た。とーちゃんごめんね、朝までやから。こんな事してごめん。ちなこはそのとーちゃんの縛られた右手をぎゅっと握っていた。いつもの様子でないとーちゃんは、触られると嫌なので、ちなこの小さな手を跳ね退け、大切な人工鼻も跳ね飛ばす勢いだった。それでも離れた手を探し、一生懸命手を握り直していたちなこ。「だいじょび、だいじょびよ(大丈夫)、とーたん」って話かけていた。錯乱し続けたとーちゃんも朝6時頃には眠りについた。ちなこも安心したのか、後を追って眠った。お昼は透析だったとーちゃん。夜まで一日中、ぼんやりした状態だった。今日の先生からの話は、貧血の度合いが激しく、普通の人でも命の危険に関わる数字が出ています。というものだった。血が止まりにくいので、少しの出血でも大変な事になりかねない。血小板輸血もあった。黄疸の要素が進み続けている為、止まるのをまっている余裕が無いので、明日血漿交換をまた行い、次回の透析から「ビリルビン吸着」をするらしい。黄疸の要素を血中から取り除く作業だ。何でもいい。良くして欲しい。とーちゃんはまるで、とーちゃんでは無いようで、もう何日もとーちゃんと話していないような気がする。目の前のそのままがとーちゃんなのにね。今晩は、ばぁばん家へ連れて行かれたちなこ。少し「かーたんもいこ。」と愚図ったけど最後は笑って手を振って行きました。ごめんね、ちなこだってかーちゃんと一緒にいたいに決まってる。寂しい思いさせてごめん。ちなこ、とてめ強くなったね。それだけ我慢もいっぱいしてるんや。かーちゃん、沢山生きてるけど、2才のあなたに励まされてます。頼もしいです。嬉しいです。ちなこ、かーちゃんの子供でいてくれて、ありがとう。かーちゃんの所に、生まれて来てくれてありがとう!
2004年05月10日
<5/9携帯より>金曜日からお義姉さんが泊まっているので、今日は夕方帰る事にしていた。昼とーちゃんから、「ばぁばにカーネーションを今日中に渡して」と電話があった。実は昨夜も意味不明の留守電が入っていた。夕方4時過ぎ、家を出たその時、とーちゃんから電話。「かーちゃんがおらんと抑制でけへん。回りにも当たり散らしてしまう」と。病院に着いて直ぐ、とーちゃんはこう言った。「ノイローゼになると思う。もう、どうしようもない。自分は大丈夫だと思ってたけど。」とーちゃんは起きているのか寝ているのか解らない状態。片目は開いて片目は閉じている。睡眠薬も効かないので、別の種類のものに変わった。ちなこは2日ぶりのとーちゃん&病院に大興奮。電話が入っているといけないので、とーちゃんの携帯をチェックすると、金曜日から何度も。。。 かーちゃん、かーちゃん、かーちゃん。かーちゃんに電話していた。寂しかったんやね。今日はかーちゃん戻って来たけど、とーちゃん、静かに眠れるかな。
2004年05月09日
今日はちなこのカニューレ交換。今週は連休が入ったこともあり、病院は沢山の人だった。待合いに行くとお友達の顔が見えた。お友達もちなこを見つけ、お互い喜んでいた。混んでいて、待つ時間が長くなると他の色んなお友達にも会えた。かーちゃんも、久々にお母さん達とお喋り。何だかホッとした時間だった。帰り際、勇気をくれる素敵なママにも会えたよ。とーちゃんの看病を肩肘張ってやっているわけでもないと思う。けど自分の能力以上にフル回転で、走ってるのかな。家に帰ってきて、大きなお風呂にばぁばと3人で行った。マンスリーマンションは、トイレとバスが一緒になったユニットバスなのでゆっくりと入ることが出来ない。足を伸ばして入った久々の浴槽。気持ちよかった~。夜はじぃじと焼き肉屋へ。とーちゃんが頑張ってるのに不謹慎だけど、命の洗濯。今晩、久々に家に寝るんだけど、何だかワクワクしてしまった。自分の家なのにね。見慣れた物に囲まれている安心感、自分の家はいいな。かーちゃん。 (PM 09:59)<携帯より>金曜日からお義姉さんが泊まっているので、今日は夕方帰る事にしていた。昼とーちゃんから、「ばぁばにカーネーションを今日中に渡して」と電話があった。実は昨夜も意味不明の留守電が入っていた。夕方4時過ぎ、家を出たその時、とーちゃんから電話。「かーちゃんがおらんと抑制でけへん。回りにも当たり散らしてしまう」と。病院に着いて直ぐ、とーちゃんはこう言った。「ノイローゼになると思う。もう、どうしようもない。自分は大丈夫だと思ってたけど。」とーちゃんは起きているのか寝ているのか解らない状態。片目は開いて片目は閉じている。睡眠薬も効かないので、別の種類のものに変わった。ちなこは2日ぶりのとーちゃん&病院に大興奮。電話が入っているといけないので、とーちゃんの携帯をチェックすると、金曜日から何度も。。。 かーちゃん、かーちゃん、かーちゃん。かーちゃんに電話していた。寂しかったんやね。今日はかーちゃん戻って来たけど、とーちゃん、静かに眠れるかな。
2004年05月08日
昨夜のとーちゃんはとても、とーちゃん本人では無いようだった。意識が錯乱し睡眠薬を飲んでも全く寝れなかった。とーちゃんもかーちゃんも辛かった。朝、先生が来て、黄疸の要素がどんどん進んでいるので、透析中に血漿交換します、と仰った。それで、意識が少しはっきりすると、本人もとても楽になるやろう。夕べ、看護婦さんに、「明日から2日、かーちゃんがおれへんねん。だから何するか解らん。こんなに呆けてしまった。」というようなことを言っていた。自分でも何をしてしまうか言ってしまうか解らない不安が、かなりの恐怖なんだと思う。明日はちなこの病院なので、かーちゃんは帰らなければならない。その替わり義姉が今晩、明日と泊まってくれる。義姉は前から泊まりたくて仕方なかったので、ちょうどいい機会だと思う。今日は朝から、レントゲン、透析、血漿交換、エコー、血小板輸血と色々忙しい。とーちゃんの側を離れるのはやはり不安なので、先生に今本当にどういった状況なのかもう一度訪ねてみた。答えは「黄疸がドンドン進み、このまま行くと駄目になってしまう。けれど、他の炎症反応や血液、腎臓その他もろもろは良くなっている。なので何でこんなに黄疸が進むのか解らない。何かもう一つ違う物が潜んでいる。打開策が見つかれば、何とかなるかも知れない。」というものだった。未来が無いわけやない。けど、でもこのままでは。。。。私達に出来ることは信じて待つことしかないんやろうか。とーちゃんにしてあげられること。。。
2004年05月07日
今日は、夕方からとーちゃんの病院へ向かおうと思ったので、少し実家でゆっくりしていた。夕方一度家に帰り、用事を済ませてちなこを迎えに実家へ向かうその時、病院から電話が鳴った。ドキドキして出てみると、看護婦さんからだった。「奥さん今日来られますか?本人さん(とーちゃん)が、来て欲しいので電話して欲しいと言われました。」と言う事。長い時間、空けてしまったから不安になってしまったのかな。病院に着くと、とーちゃんは泊まって欲しいという。精神的に参ってしまってるのだそう。夜も眠れず、時間が経つのが恐いと。かーちゃんとちなこは今晩から少しの間お泊まりすることに。それでとーちゃんの不安が少しでも和らぐなら。。。腹の立つことを沢山言うけど、それでかーちゃんが一々怒っていたら、どちらの身も持たないんかな。とーちゃんが変なことを沢山いうのも、肝機能が低下しているせいもあるんやし。。。(肝機能が低下すると色んなところが蝕まれる。脳の機能もその一つ)もう、入院してから1ヶ月経つ。劇的な進展も見られず、身体は動かなくなり、頭も働かなくなり、とーちゃんは不安で一杯なんだと思う。とてもとても辛いところだけど、精神的な部分を乗り切って欲しい。気持ちが潰れると、身体にも良くないよ。とーちゃん。。。
2004年05月02日
全13件 (13件中 1-13件目)
1
![]()
![]()
![]()