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2018年は日本人にとって重要な年になりそうだ。政治家、官僚、大企業経営者など日本の管理を任されている人々が従属している相手、つまり日本を動かしている権力はアメリカに存在しているのだが、そのアメリカの支配システムが揺らいでいるからである。アメリカに存在する権力が日本を動かしているということは、日本の庶民が国のあり方を決める権利を持っていないことを意味する。つまり日本を民主主義国家だということはできない。安倍晋三政権と対立した前川喜平前文科省次官によると、「権力のために奉仕しなければ、理財局長も地位危ない」という。政治家が権力を握っていないことは、小沢一郎がひねり潰され、鳩山由紀夫が総理大臣の座から引きずり下ろされたことからも明らかだが、このふたりを攻撃した検察やマスコミが権力だということもできない。これらを動かしているものが権力なのだろう。かつて、日本には田中角栄という絶大な力を持つと思われた政治家がいた。その田中はリチャード・ニクソン米大統領が中国を訪れた7カ月後、1972年9月に中国を訪問した。日中両政府は戦争状態の終結と国交正常化を柱とする共同声明を発表、1978年8月には日中平和友好条約が締結されている。この時、両国の間には問題が横たわっていた。尖閣列島の領有権問題だ。日本の外交記録によると、当時、田中は周恩来に対し、「尖閣諸島についてどう思うか?私のところに、いろいろ言ってくる人がいる。」と質問、それに対して「今回は話したくない。今、これを話すのはよくない」と周は答えたという。また、官房長官だった二階堂進は「この問題について、今後ゆっくり解決しましょう、ということで双方が合意した」と明言、「田中首相は会談の最後に『尖閣列島の共同開発をやりましょう』」と提案していたとしている。また外務省条約課長だった栗山尚一は尖閣列島の問題が引きずり出された後、日中「両首脳の間で棚上げの暗黙の了解があった」とした上で、「72年の暗黙の了解が、78年にもう一度確認された」と語っている。こうした動きの中、田中角栄の周辺が騒がしくなる。その幕開けは「文藝春秋」誌の1974年11月号に掲載された立花隆の「田中角栄研究」と児玉隆也の「淋しき越山会の女王」だ。その2年後、1976年2月にアメリカ上院の多国籍企業小委員会で明るみ出たロッキード社による国際的な買収事件で田中の名前が浮上し、その年の7月には受託収賄などの疑いで逮捕される。事件が発覚する切っ掛けは小委員会へ送られてきた資料だった。田中が逮捕される前、アメリカで発行されていた高額の購読料をとるニュースレターに田中の逮捕が決まったとする記事が載り、それを某財界人から知らされたジャーナリストが目白の田中邸を訪れて取材したという。その際、田中は検察も警察も押されているから大丈夫だと楽観していたというが、実際は逮捕された。このロッキードによる賄賂工作の暴露はジョン・マックロイの調査から始まっている。アンゴラで革命が起こった後、アメリカ支配層は「制裁」に出るのだが、それを無視する形でガルフ石油はビジネスを継続しようとし、それに怒った支配層の意向でマックロイは動いたと言われている。その延長線上にロッキード事件もあるというのだ。このマックロイはウォール街の大物で、第2次世界大戦後、世界銀行の総裁を経てドイツの高等弁務官を務め、高等弁務官時代にはナチスの大物を守ったことでも知られている。例えば、大戦後に収監されていた元ドイツ国立銀行総裁、ヒャルマール・シャハトを助け出したのもマックロイ。シャハトの義理の息子で元ナチス高官のオットー・スコルツェニーも収監されたが、シャハトのアドバイスに従ってアメリカと協力関係に入った。このスコルツェニーは拘留される前にナチスの高官仲間をアルゼンチンへ逃がすために秘密組織ディ・シュピンネ(蜘蛛)を設立していたが、自由の身になった後の1948年には同じ目的でODESSAを創設している。ロッキード社は何人ものエージェントを抱えていたが、児玉誉士夫の10倍以上の報酬を得ていた人物がサウジアラビア人のアドナン・カショーギ。ロッキード事件で名前が出てきたほか、1980年代にはBCCI事件でも登場する。この銀行の大株主だったカマル・アダムはサウジアラビアの情報機関、総合情報庁の長官だった人物で、カショーギの友人で仕事上の仲間でもあった。BCCIはCIAの銀行のひとつで、主にアフガニスタンでの工作で使われていた。その秘密工作の中心にいたのがズビグネフ・ブレジンスキーで、サウジアラビア、イスラエル、パキスタンなども協力していた。この辺の話は本ブログで何度も書いてきたので、今回は割愛する。ロッキード事件の背後では、少なくともウォール街、CIA、ナチス、サウジアラビアが蠢いている。本ブログでは何度か説明したが、CIAはウォール街が作り上げた機関。ナチスにはウォール街から資金が流れていた。そうした資金パイプのひとつを動かしていたのがジョージ・H・W・ブッシュの母方の祖父にあたるジョージ・ハーバート・ウォーカー。勿論、ブッシュのHはハーバート、Wはウォーカーのイニシャルだ。田中角栄に対するバッシングが始まった1974年にはアメリカでも大きな出来事があった。この年の8月にニクソン大統領がウォーターゲート事件で辞任、副大統領から大統領に昇格したジェラルド・フォードはニクソンが進めようとしたデタント(緊張緩和)を止め、デタント派の粛清を行っている。その黒幕とされている人物は金融界出身のポール・ニッツェや元トロツキストでシカゴ大学の教授だったアルバート・ウールステッター。ポール・ウォルフォウィッツはウールステッターの教え子のひとりで、フォード政権で始動したCIAの反ソ連プロパガンダ機関、チームB(Bチームとも呼ばれる)の一員になっている。チームBはニクソン政権で設置されていたが、動いていなかった。1976年1月にCIA長官がウィリアム・コルビーからジョージ・H・W・ブッシュへ交代したことが大きい。その前年、1975年11月には国防長官がジェームズ・シュレシンジャーからドナルド・ラムズフェルドへ入れ替えられた。ラムズフェルドが務めていた大統領主席補佐官の穴を埋めたのがリチャード・チェイニーである。こうした人事を含む粛清は「ハロウィーンの虐殺」と呼ばれている。これは事実だが、その事実を屁理屈をこねて否定しようとする人がいるのは滑稽だ。1970年代の半ばにアメリカと日本では中国との友好関係を築いたふたりの首脳が失脚したことになる。フォードは1976年の大統領選挙でジミー・カーターに敗れるが、このカーターに目をかけてホワイトハウスへ導いたのがデイビッド・ロックフェラーとズビグネフ・ブレジンスキー。カーター政権で安全保障補佐官を務めたブレジンスキーはソ連をターゲットにした秘密工作をアフガニスタンで始める。1978年にCIAとイランの情報機関SAVAKはエージェントをアフガニスタンへ派遣させ、軍内部の左派将校を排除して左翼政党を弾圧するように工作し(Diego Cordovez and Selig S. Harrison, “Out of Afghanistan”, Oxford University Press, 1995)、翌年の4月にはNSC(国家安全保障会議)でアフガニスタンの「未熟な抵抗グループ」に対する同情を訴え、CIAはゲリラへの支援プログラムを開始した。その年の5月にはCIAイスタンブール支局長がアフガニスタンのリーダーたちと会談、サウジアラビアが戦闘員を送り込む。その中心はサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団。資金調達のためにケシ系の麻薬(ヘロインなど)の取り引きが行われ、これは今でも続いている。カーター大統領はイスラエル一辺倒の人物ではなかったことからネオコン/シオニストに嫌われ、1980年の選挙でロナルド・レーガンに負けてしまう。1982年12月にアメリカは戦術弾道ミサイルのパーシングIIをヨーロッパに配備してソ連を刺激、その直後の1983年1月に中曽根康弘首相はアメリカを訪問した。その際、ワシントン・ポスト紙のインタビューで中曽根は日本を「巨大空母」と表現した。首相は日本をアメリカの「不沈空母」だと表現したと報道され、これを誤訳だと騒いだ人もいるが、本質的な差はない。ワシントン・ポスト紙によると、中曽根首相は「日本列島をソ連の爆撃機の侵入を防ぐ巨大な防衛のとりでを備えた不沈空母とすべきだ」と発言、さらに「日本列島にある4つの海峡を全面的かつ完全に支配」し、「ソ連の潜水艦および海軍艦艇に海峡を通過させない」と語る。この挑発的な発言から3カ月後、つまり1983年の4月から5月にかけて、アメリカ海軍は千島列島エトロフ島の沖で大艦隊演習「フリーテックス83」を実施する。この演習には3空母、つまりエンタープライズ、ミッドウェー、コーラル・シーを中心とする機動部隊群が参加、演習では空母を飛び立った艦載機がエトロフ島に仮想攻撃をしかけ、志発島の上空に侵入して対地攻撃訓練を繰り返し、米ソ両軍は一触即発の状態になったのだが、この演習を日本のマスコミは無視した。(田中賀朗著『大韓航空007便事件の真相』三一書房、1997年)そして同年8月31日から9月1日にかけて、大韓航空007便がソ連の領空を侵犯、アラスカの「緩衝空域」と「飛行禁止空域」を横切り、ソ連軍の重要基地の上を飛行した末に、サハリン沖で撃墜されたと言われている。さらに、その年の11月にはNATO(北大西洋条約機構)軍が軍事演習「エイブル・アーチャー83」を計画、核攻撃のシミュレーションも行われることになっていた。これをソ連の情報機関KGBは「偽装演習」であり、全面核戦争を仕掛けてくるのではないかと疑って応戦の準備を始めるという事態になる。そのソ連は1991年12月に消滅、アメリカが唯一の超大国になったと考えたネオコンが翌年の2月に世界制覇プランを作成したことは本ブログで何度も説明してきた通り。そのプラン作成を受け、日本では1994年8月に細川護煕政権の「防衛問題懇談会」が「日本の安全保障と防衛力のあり方(樋口レポート)」を作成するが、自分たちの意図するものと違って国連中心主義だったことにネオコンは怒り、95年2月にジョセフ・ナイ国防次官補が「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を作成した。その後、日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれていく。この戦争マシーンは侵略を目的としている。ウォルフォウィッツ・ドクトリンから20年以上が経過した。アメリカ支配層の内紛も影響して安倍晋三政権は揺らいでるが、それでも総仕上げにかかっていることは確かだろう。その20年間、日本の「左翼」や「リベラル派」はおとなしく、「反戦運動」が盛り上がらなかったことも確かだ。
2017.12.31
マシュハドを含むイラン北東部のホラーサーンで12月28日、政府を批判する小規模なデモがあった。最高実力者のアリー・ハーメネイーを批判しているわけではない。アメリカ国務省はこのデモを利用し、イラン政府を批判している。政府の中心人物、ハサン・ロウハーニー大統領は核開発の問題をP5+1(国連安全保障理事会の常任理事国5カ国とドイツ)の合意で解決、「経済制裁」の解除、好景気というシナリオを描いていたが、その通りに進まないことに対する不満があるようだ。その抗議活動へMEK(ムジャヒディン・ハルク)が潜り込み、暴力行為で社会不安を煽ろうとしているとも言われている。これはアメリカが得意とする手口だ。このMEKはかつてマルクス主義を掲げていたが、1979年のイスラム革命の後に弱体化、21世紀に入るとイスラエルの強い指揮下に入った。2002年からイランの核開発に関する情報を流しているが、その信頼度には疑問が持たれている。2010年から11年にかけて、イスラエルの指示でイランの科学者などを暗殺したという。ところで、12月始めにイスラエル政府は国家安全保障顧問を中心とする派遣団をアメリカへ送り込み、ホワイトハウスでアメリカ政府高官と会談した。ドナルド・トランプ政権の包括的な対イラン戦略を討議、またシリアにおけるイランの活動に対する反撃の見通しも検討したと伝えられている。この会議と28日のデモは関連しているという推測もある。イランがイラクやシリアと同様、遅くとも1991年の段階でネオコンは殲滅の対象にしていた。これについては、ウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官が2007年に語っている。(3月、10月)1991年の段階で西側の支配層はソ連を解体する目処をつけ、この年の12月にはロシア大統領だったボリス・エリツィンが勝手にベロベーシの森で秘密会議を開き、国民に諮ることなくソ連からの離脱を決めて連邦を崩壊させている。その直後、1992年2月、ネオコンの中枢グループに所属するポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)が国防総省のDPG草案という形で世界制覇プランを作成した。エリツィンは西側支配層の傀儡で、ロシアは西側巨大資本の属国になった。残るは東アジアの中国と中東の雑魚。ウォルフォウィッツなどネオコンは旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアなどの潜在的なライバルを潰し、ライバルを生む出すのに十分な資源を抱える西南アジアを支配するだけだと考え、彼らにとっての重要地域はヨーロッパから東アジアへ移動する。この計画は21世紀に入ってウラジミル・プーチンがロシアを再独立させたことで破綻したのだが、それでもネオコンは執着、あがいている。2006年に3/4月号のフォーリン・アフェアーズ誌(CFR/外交問題評議会が発行)に掲載されたキール・リーバーとダリル・プレスの論文では、アメリカ軍の先制第1撃によってロシアと中国の長距離核兵器を破壊できるようになる日は近いと主張されている。しかし、この考えが間違っていることはすぐに判明する。イスラエルとアメリカを後ろ盾とするジョージアが2008年8月に南オセチアを奇襲攻撃、ロシア軍の反撃で粉砕されてしまったのだ。イスラエルがジョージア軍の装備を強化、軍事訓練を始めたのは2001年のこと。同国の軍事会社がジョージアへ無人飛行機、暗視装置、対航空機装置、砲弾、ロケット、電子システムなどを含む武器/兵器を提供、軍事訓練も行っている。(Tony Karon, “What Israel Lost in the Georgia War”, TIME, August 21, 2008)ジョージアのエリート部隊を訓練していた会社はイスラエル軍のガル・ヒルシュ准将(予備役)が経営する「防衛の盾」で、予備役の将校2名の指揮下、数百名の元兵士が教官としてジョージアに入っていた。しかも、イスラエル軍の機密文書が使われていたとする証言もある。イスラエルは「イラクでNATO軍を助けるため」に訓練していることになっていたのだが、実際はオセチアやアブハアーズへ派遣される兵士だった。(The Times, August 8, 2008)2008年1月から4月にかけてはアメリカの傭兵会社MPRIとアメリカン・システムズが元特殊部隊員を派遣している。こうした準備を終え、2008年7月10日にはアメリカの国務長官だったコンドリーサ・ライスがジョージアを訪問、そして8月7日にミヘイル・サーカシビリ大統領は分離独立派に対して対話を訴え、その8時間後の深夜に南オセチアを奇襲攻撃したのだ。あまりの惨敗だったことからジョージアの作戦が無謀だったと「解説」する人が日本にはいたが、実態は違う。7年間という時間をかけて装備を増強、軍事訓練をし、おそらくイスラエルが立てた作戦で攻撃したのだ。それでジョージアは完膚なきまでに叩きのめされてしまった。アメリカやイスラエルはロシアに正面から挑んでも勝てないということだ。8月15日にライスは再びジョージアを訪問、サーカシビリと会談している。2003年3月にアメリカ軍は属国の軍隊を率いてイラクを先制攻撃、サダム・フセイン体制を倒したが、当初の目論見、つまり親イスラエル体制の傀儡国家を樹立することには失敗している。そらにジョージアの件も重なり、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟は1970年代終盤にズビグネフ・ブレジンスキーが始めたサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を主要戦闘員とするゲリラ戦を始める。そのターゲットになったのがリビアとシリア。こうしたCIAの訓練を受けた戦闘員は登録リストに載せられる。それがアル・カイダ。そのリストを使って傭兵を集めて侵略したわけだ。2015年9月30日にシリア政府の要請で同国へ軍事介入したロシア軍によって、その傭兵部隊は壊滅状態。残された戦闘員をアメリカ軍は救出、一部はアフガニスタンへ運ばれたようだが、クルドが支配するシリアの北部にあるアメリカ軍の基地でそうした戦闘員も訓練を受けている。一時期、アメリカとの関係が悪化したと見られていたクルドだが、ここにきて再び手を組み、アメリカ軍がシリア北部に築いた軍事基地で新たな武装勢力「北部シリア軍」を編成、訓練を受けている。その中心はSDF(シリア民主軍)やYPG(クルド人民防衛隊)で、そこにアル・カイダ系武装集団やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)が加わっているということになる。この新たな戦闘部隊はシリア政府軍を倒すために使われると見られているが、イランへ送り込まれることもありえるだろう。リビア、シリア、ウクライナでアメリカはまず抗議活動を演出、武装勢力を潜入させて流血の惨事を創り出し、その責任を政府に押しつけて軍事介入するというシナリオを使ってきた。イランでも同じシナリオを使っても不思議ではない。
2017.12.31
日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれつつあり、大陸への攻撃準備を進めているように見える。本ブログでは以前にも書いたが、日本は「専守防衛」を放棄、安倍晋三政権もこの理念を尊重する気など更々ないだろう。最近の動きを見ると、2015年に就航したヘリコプター護衛艦の「いずも」は艦首から艦尾まで平らな「全通甲板」を有し、垂直離着陸が可能なMV22オスプレイやステルス戦闘機F-35Bの離発着が想定されていると言われていた。その外観は2014年にアメリカ海軍が就航させた強襲揚陸艦「アメリカ」を連想させる。F-35は高額低性能な戦闘機で、「空飛ぶダンプカー」とも呼ばれている。2015年1月にカリフォルニア州のエドワード空軍基地近くで行われたF-16戦闘機との模擬空中戦では完敗している。攻撃してきた戦闘機を迎え撃つには適さないということだ。唯一のセールスポイントはステルス性能で、これを生かすためには敵の艦船や基地に近づいて攻撃するしかない。日本が購入する目的はそれだと思われても仕方がない。日本政府が導入を決めた地上配備型イージスシステム「イージス・アショア」は韓国へ持ち込まれているTHAAD(終末高高度地域防衛)と同様、攻撃兵器へ容易に変更できる代物。旧ソ連圏を含むヨーロッパ各地にアメリカ軍/NATO軍が配備してきたミサイルと目的は同じだ。前にも書いたように、イージス・アショアはソフトウェアを変えるだけで攻撃用兵器に転換することができる。イージス・アショアやTHAADを含むミサイルで中国や朝鮮半島の沿岸を攻撃、F-35を侵入させて相手の防衛体制を破壊、そこへオスプレイで戦闘員を送り込んで橋頭堡を築くというシナリオは成り立つだろう。本ブログでは何度も指摘してきたが、アメリカは中国制圧を目論んできた。フランクリン・ルーズベルト、ジョン・F・ケネディ、リチャード・ニクソンといった大統領はそうした意思が薄かったかもしれないが、ルーズベルトはドイツが降伏する前の月に急死、ケネディは暗殺され、ニクソンはスキャンダルで失脚した。ロナルド・レーガンが大統領に就任した翌年の12月、アメリカは戦術弾道ミサイルのパーシングIIをヨーロッパに配備してソ連を刺激。その直後の1983年1月に中曽根康弘首相はアメリカを訪問、ワシントン・ポスト紙のインタビューで日本を「巨大空母」と表現した。中曽根首相は日本をアメリカの「不沈空母」だと表現したと報道され、これを誤訳だと騒いだ人もいるが、本質的な差はない。ワシントン・ポスト紙によると、中曽根首相は「日本列島をソ連の爆撃機の侵入を防ぐ巨大な防衛のとりでを備えた不沈空母とすべきだ」と発言、さらに「日本列島にある4つの海峡を全面的かつ完全に支配」し、「ソ連の潜水艦および海軍艦艇に海峡を通過させない」と語ったのである。日本をアメリカの空母に見立て、ソ連を攻撃する拠点にすると宣言したのだ。空母が「不沈」か「巨大」かは本質的な問題ではない。この挑発的な発言から3カ月後、つまり1983年の4月から5月にかけて、アメリカ海軍は千島列島エトロフ島の沖で大艦隊演習「フリーテックス83」を実施する。この演習には3空母、つまりエンタープライズ、ミッドウェー、コーラル・シーを中心とする機動部隊群が参加、演習では空母を飛び立った艦載機がエトロフ島に仮想攻撃をしかけ、志発島の上空に侵入して対地攻撃訓練を繰り返し、米ソ両軍は一触即発の状態になったのだが、この演習を日本のマスコミは無視している。(田中賀朗著『大韓航空007便事件の真相』三一書房、1997年)そして同年8月31日から9月1日にかけて、大韓航空007便がソ連の領空を侵犯、アラスカの「緩衝空域」と「飛行禁止空域」を横切り、ソ連軍の重要基地の上を飛行した末に、サハリン沖で撃墜されたと言われている。そこで撃墜されずに飛行を続けた場合、その延長線上にはウラジオストクがある。さらに、その年の11月にはNATO(北大西洋条約機構)軍が軍事演習「エイブル・アーチャー83」を計画、核攻撃のシミュレーションも行われることになっていた。これをソ連の情報機関KGBは「偽装演習」であり、全面核戦争を仕掛けてくるのではないかと疑って応戦の準備を始めている。その後、ソ連では牧歌的親米派のミハイル・ゴルバチョフとエドゥアルド・シュワルナゼのコンビがソ連解体の道筋を作り、ロシア大統領だったボリス・エリツィンが1991年12月、勝手にベロベーシの森で秘密会議を開き、国民に諮ることなくソ連からの離脱を決めて連邦を崩壊させた。これがいわゆる「ベロベーシ合意」だ。エリツィンはロシアをアメリカの属国にし、国民の財産を略奪して西側支配層と山分けすることになる。ソ連消滅でアメリカが唯一の超大国になったと信じたネオコンは1992年2月に国防総省のDPG草案という形で世界制覇プランを作成する。作業の中心にいたのは国防次官だったポール・ウォルフォウィッツ。そこで、このプランはウォルフォウィッツ・ドクトリンとも呼ばれている。そのプラン作成を受け、日本では1994年8月に細川護煕政権の「防衛問題懇談会」が「日本の安全保障と防衛力のあり方(樋口レポート)」を作成するが、自分たちの意図するものと違っていたことからネオコンは怒る。そこで1995年2月にジョセフ・ナイ国防次官補は「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を作成した。中曽根首相は専守防衛を放棄する姿勢を見せていたが、本格的に日本がアメリカの戦争マシーンに組み込まれていくのはナイ・レポート以降だ。アメリカの戦争マシーンにとって日本と韓国はいずれも手駒であり、この両国が対立している状況は好ましくない。そうした状況の中、スキャンダルで機能不全になっていた韓国の朴槿恵政権はTHAADミサイル・システムを導入させ、従軍慰安婦に関する問題で日本と合意している。この間、朝鮮が行ったミサイル発射や爆破実験はアメリカにとって好都合だった。岸信介の孫、安倍晋三にしてみると、アメリカの侵略戦争に加担すれば祖父たちが東アジアで行った犯罪的な行為を封印できるということになる。勿論、中国やロシアから見れば、安倍政権が行っていることは自分たちに対する戦争の準備だ。
2017.12.30
他国に対して軍事的、経済的、あるいは政治的な攻撃を仕掛ける際、アメリカは「テロ支援国」というタグをしばしば使う。「テロリスト」は反体制派だというイメージを利用してのことだろう。このタグをアメリカが宣伝に使い始めるのは、おそらく1972年のことだ。その当時、CIA長官だったリチャード・ヘルムズがソ連を「テロリストの黒幕」だと呼んだのである。第2次世界大戦からしばらくの間は「アカ」というタグをつけていたが、その効果が薄らいだと判断したのだろう。1979年にはアメリカとイスラエルの情報関係者がエルサレムに集まり、「国際テロリズム」に関する会議を開き、ソ連を「テロの黒幕」だと根拠なく非難している。1970年代の終盤は、ズビグネフ・ブレジンスキーがアフガニスタンで秘密工作を始めた時期でもある。1976年の大統領選挙で勝ったジミー・カーターの政権で安全保障補佐官を務めているが、このカーターに目をつけたのがブレジンスキーとデイビッド・ロックフェラーだった。1978年にCIAとイランの情報機関SAVAKはエージェントをアフガニスタンへ派遣させ、軍内部の左派将校を排除して左翼政党を弾圧するように工作する。(Diego Cordovez and Selig S. Harrison, “Out of Afghanistan”, Oxford University Press, 1995)翌年の4月にはNSC(国家安全保障会議)でアフガニスタンの「未熟な抵抗グループ」に対する同情を訴え、CIAはゲリラへの支援プログラムを開始した。そして5月にはCIAイスタンブール支局長がアフガニスタンのリーダーたちと会談している。戦闘員の中心はサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団で、雇っていたのはサウジアラビア。資金調達のためにケシ系の麻薬(ヘロインなど)の取り引きが行われ、これは今でも続いている。BCCIはそうした資金を扱っていた「CIAの銀行」である。麻薬取引は今でも続いている。CIAやアメリカ軍の訓練を受けた人たちは「派遣戦闘員」として登録される。ロビン・クック元英外相が指摘しているように、CIAから軍事訓練を受けた「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイルがアル・カイダ(データベース)だ。アメリカが供給したTOW対戦車ミサイルや携帯型対空ミサイルのスティンガーに苦しめられたソ連軍は1989年2月までに撤退した。そのアフガニスタンを支配するため、アメリカはパキスタンの支援を受けて1994年にタリバーンを組織、96年9月に首都のカブールを制圧している。その際にムハンマド・ナジブラー大統領を拘束、大統領兄弟の睾丸を切り取るなど残虐な行為を繰り返した。そうした経緯を考えれば当然のことだが、アメリカ支配層はタリバーンを支持する。例えばCFR(外交問題評議会)のバーネット・ルビンはタリバーンと「イスラム過激派」との関係を否定、国防総省と関係の深いRAND研究所のザルマイ・ハリルザドも同じ見解を表明している。タリバーンのアメリカにおけるロビイストはリチャード・ヘルムズ元CIA長官の義理の姪にあたるライリ・ヘルムズだった。現在、アメリカはそのタリバーンと戦うという名目でアフガニスタンに軍事介入している。本ブログでは何度も書いてきたが、リビアやシリアを侵略する手先としてもアメリカ、イスラエル、サウジアラビアを中心とする勢力はサラフィ主義者やムスリム同胞団を使い、そうした武装勢力と戦うという名目で軍事介入している。その実態は軍事侵略だ。アメリカは第2次世界大戦の直後から戦略の道具として「テロリスト」を使い始めた。大戦の終盤、イギリスと共同で編成したゲリラ戦部隊のジェドバラがその始まり。その人脈が中心になって破壊工作(テロ活動)を目的とした極秘機関OPC(政策調整局、当初の名称は特別プロジェクト局)が創設され、1952年8月にはこの機関が中核になってCIAの内部に計画局が設置され、53年1月にドワイト・アイゼンハワーが大統領に就任すると、アレン・ダレスがCIA長官になる。CIA計画局が作られた後、秘密工作を監督するために工作調整会議が設置されて議長にC・D・ジャクソンが就任する。この人物は1931年にTIMEへ入り、43年から45年にかけて戦時情報機関のOSSに所属、戦後はTIME-LIFEインターナショナルの常務取締役、フォーチュンの発行人を務めたり、ドワイト・アイゼンハワーのスピーチ・ライターになったりしている。1963年11月22日にジョン・F・ケネディ大統領が暗殺された際、証拠の「ザプルーダー・フィルム」を隠したのはこのC・D・ジャクソンにほかならない。そのフィルムが日の目を見たとき、そこには大きな傷があった。この人脈は「NATOの秘密部隊」も操ってきた。NATOは1949年4月に創設されたが、それより前から秘密部隊は存在、WUCC(西側連合秘密委員会)が統括していた。NATO創設後の1951年からはCPC(秘密計画委員会)の下で活動、後にその下部組織として設立されたACC(連合軍秘密委員会)が指揮するようになる。この委員会を動かしてきたのはアメリカとイギリスの情報機関だ。秘密部隊の中でも特に広く知られているのがイタリアのグラディオ。イタリアはヨーロッパを支配する上で重要な国で、しかも歴史的にコミュニストの力が強い。そこでアメリカ支配層は1948年に実施された同国の総選挙へ介入した。アメリカはナチが略奪した財宝を押収、それを工作の資金として使ったと言われている。ソ連封じ込めで有名なジョージ・ケナンは、イタリアの選挙結果がアメリカ側の思惑どおりにならなければ、フォッジア油田をアメリカ軍が直接占領すると言っていた。(クリストファー・シンプソン著、松尾弌之訳『冷戦に憑かれた亡者たち』時事通信社、1994年/Christopher Simpson, “Blowback”, Weidenfeld & Nicolson, 1988)その程度の介入ではイタリアのコミュニストを潰すことができず、グラディオは1960年代から80年代にかけて極左を装い、爆弾攻撃を繰り返している。いわゆる緊張戦略だ。テロ活動で社会不安を煽り、左翼にダメージを与え、治安体制を強化使用としたのだ。この作戦は成功した。アル・カイダ系武装集団などを使う手口は、このグラディオと基本的に同じである。アメリカは「テロ帝国」なのだ。
2017.12.29
ロシアのバレリー・ゲラシモフ参謀総長は12月27日、シリアからアル・カイダ系武装集団のアル・ヌスラを2018年に一掃すると語った。イラクからシリアへ侵入したAQIをアル・ヌスラと呼んでいたが、今年(2017年)1月に他のグループと合体、ターリル・アル・シャム(レバント解放機構)と名乗っている。この武装集団にしろ、ライバルと言われるアラー・アルシャムにしろ、あるいはダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)にしろ、その主なメンバーはサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)。当初はイスラム同胞団も中心的な位置を占めていた。アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟を中心とする外部勢力によって、こうした戦闘集団がイラク、リビア、シリアなどへ侵略の先兵として送り込まれたことは本ブログで何度も指摘してきた通り。現在、三国同盟はシリアでの巻き返しとイランへの軍事侵略を目論んでいる。こうした侵略計画をアメリカのネオコン(シオニスト)は遅くとも1991年に立てていたと見られている。この年、国防次官だったポール・ウォルフォウィッツがイラク、シリア、イランを殲滅すると語っていたとウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官が2007年に語っている。(3月、10月)2003年3月にアメリカのジョージ・W・ブッシュ政権は従属国を従えてイラクを先制攻撃し、サダム・フセイン政権を倒した。イラクでは現在も破壊と殺戮が続いている。この攻撃を正当化するため、アメリカ政府はイラクが大量破壊兵器を保有、今にもアメリカを核攻撃するかのように宣伝していた。それが嘘だということは当時から指摘されていたが、西側の政府や有力メディアのプロパガンダで強引に侵略したわけだ。大量破壊兵器の話が嘘だと明確になっても、こうしたプロパガンダの実行者は責任をとっていない。いや、責任をとっていないどころか、ウクライナ、リビア、シリアなどでも「独裁者による民主主義勢力の弾圧」という新たな嘘で侵略を後押ししてきた。当初、ブッシュ・ジュニア政権はフセインを倒した後、親イスラエル体制を樹立させようとしていたが、これは失敗した。それが影響したのか、2007年にはシリア、イラン、レバノンに対する秘密工作の存在が明らかにされている。2007年3月5日付けのニューヨーカー誌に掲載されたシーモア・ハーシュのレポートによると、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟がシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を開始しているというのだ。そのレポートの中で、サウジアラビアは「ムスリム同胞団やサラフ主義者と深い関係」があり、「最悪のイスラム過激派を動員することができる。一旦、その箱を開けて彼らを外へ出したなら、2度と戻すことはできない。」とするバリ・ナスルの発言が引用されていた。この人物はジョンズホプキンス大学高等国際関係大学院のディーンで、外交問題評議会の終身メンバーでもある。つまり、支配層に近いのだが、そうした人でもネオコンなど好戦派の行動を懸念していたということだ。ムスリム同胞団やサラフ主義者で編成される武装集団が登場したのは1970年代の終盤。ズビグネフ・ブレジンスキーがアフガニスタンで行った秘密工作が最初だ。戦闘員をサウジアラビアが雇い、アメリカ政府が兵器を供給、CIAなどが軍事訓練、イスラエルが支援するという構図は基本的に今も崩れていない。1997年から2001年までイギリスの外相を務めたロビン・クックも指摘しているように、アル・カイダとはCIAがアフガニスタンでロシア軍を潰すために雇い、訓練した数千名に及ぶムジャヒディン(聖戦士)のコンピュータ・ファイル。アラビア語でアル・カイダとは「ベース」を意味し、「データベース」の訳として使われる。そうしたデータベースから要員を集めて戦闘手段は組織され、さまざまなタグが付けられる。そうした戦闘集団に最も大きな影響力を持っていると言われていた人物がバンダル・ビン・スルタン。1983年10月から2005年9月まで駐米大使を、05年から15年にかけては国家安全保障会議事務局長、12年7月から14年4月まで総合情報庁(サウジアラビアの情報機関)長官を務めた人物で、チェチェンの武装勢力も動かしていた。ブッシュ家と緊密な関係にあることでも知られ、バンダル・ブッシュとも呼ばれている。なお、サウジアラビア皇太子モハンマド・ビン・サルマンの粛清では、このバンダル・ビン・スルタンも拘束された。本ブログでは何度も指摘しているように、三国同盟を中心とする勢力は「テロリスト」をターゲット国へ送り込み、その「テロリスト」と戦うという名目でターゲット国へ軍隊を送り込み、その体制を転覆させるという計画を持っている。リビアではその計画が機能したが、シリアではロシア軍がバシャール・アル・アサド政権を支援し、三国同盟の侵略計画は失敗した。そこで三国同盟はクルドを使おうとする。途中、侵略勢力の思惑通りに動かなくなったようだが、ここにきてアメリカ軍はシリア北部に築いた軍事基地で新たな武装勢力「北部シリア軍」を編成、訓練しているとロシアやイランは主張している。その武装勢力にはSDF(シリア民主軍)やYPG(クルド人民防衛隊)が含まれているという。本ブログでも指摘してきたが、アメリカの軍や情報機関はダーイッシュやアル・カイダ系武装集団の戦闘員、特に幹部を救出してきた。トルコへ亡命したSDF(シリア民主軍)の元広報担当、タラル・シロによると、ダーイッシュの戦闘員数千名はアメリカとの秘密合意に基づき、ラッカを脱出してデリゾールなどへ向かったとロイターの記者に語ったという。またBBCによると、脱出にはトラック50台、バス13台、ダーイッシュの車両100台が使われと脱出に加わった運転手のひとりから聞いたと伝えている。またトルコのメディアによると、SDFはアメリカ政府が武器をYPGへ供給するために作り上げた隠れ蓑で、実態は同じだとシロは話している。このクルド勢力と対立関係にあるトルコはすでにロシアやイランと連携する姿勢を示し、トルコのメブリュト・チャブシオール外相はシリアを脅威と見なさないと発言した。ところがレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は記者会見でアサド大統領を「テロリスト」だと表現、アメリカ側にとっては好ましい雰囲気になっている。イスラエルの意向だけでなく、アメリカ支配層は自分たちの支配体制を維持するためにロシアや中国を制圧しようと必死で、新たな戦争で逆転を目論んでいるはずだ。ロシアや中国を中心とする多極化を目指す勢力に敗れたなら、アメリカは唯一の超大国という妄想が崩れるだけでなく、過去の悪事の責任をとらされる可能性が出てくる。彼らにとって、これは人類死滅よりも避けたい事態だろう。その狂気の集団に日本の支配層は従っている。そうした日本人が見ているのはアメリカの旗だけだ。
2017.12.28
アメリカ政府はキエフのクーデター政権に対して対戦車ミサイルのFGM-148 ジャベリンを含む兵器を供給すると伝えられている。(例えばココやココ)その直後、ロシアのセルゲイ・リャブコフ副外務大臣はアメリカが一線を越えたと発言した。アメリカのネオコンがネオ・ナチを使い、クーデターでビクトル・ヤヌコビッチを排除したのは2014年2月のこと。当初の想定ではクリミアを制圧し、セバストポリからロシア海軍の黒海艦隊を追い出そうとしたのだが、これは失敗した。同年3月16日に住民投票が実施され、95%以上がロシアの構成主体になる意思を示したことが大きい。クリミアでの住民投票は国外からの監視団も受け入れ、日米に比べれば遥かに公正なものだったようだが、その投票結果を認めるわけにはいかない西側の支配層は投票に不正があったと宣伝していた。ネオ・ナチによるクーデター、つまり憲法の規定を無視した暴力的手段で実権を握ったキエフの体制を正当だとする一方、クリミアの民意は認めないというわけだ。つまり、キエフ政権を支持するということは、憲法と民意の否定を意味する。クリミアの東部に住む人々も多くがクーデターに反対、ドンバス(ドネツクやルガンスク)でも5月11日に自治権拡大の是非を問う住民投票が予定された。賛成が多数を占めると見られていたが、その9日前、5月2日にウクライナ南部の港湾都市オデッサで反クーデター派の住民がネオ・ナチのグループに虐殺されている。オデッサで住民を殺したのはアメリカ/NATOを後ろ盾とするネオ・ナチ。虐殺はその日の午前8時、「サッカー・ファン」を乗せた列車が到着したところから始まった。その「ファン」を赤いテープを腕に巻いた一団(UNA-UNSOだと言われている)が反クーデター派住民が集まっていた広場へ誘導、広場にいた住民は労働組合会館の中へ避難するように言われたという。その建物に向かって火炎瓶が投げ込まれ、火事になる。焼き殺された人もいるが、中へ入ったネオ・ナチに殺害された人も少なくなかったようだ。建物へ向かっての銃撃も映像に残っている。48名が殺され、約200名が負傷したと伝えられているが、これは確認された数字で、住民の証言によると、多くの人びとが地下室で惨殺され、犠牲者の数は120名から130名だろいう。虐殺の詳しい調査は現時点でも実施されていない。そうしたことから、外で殺すと実態がわかってしまうので、外から見えないように建物の中へ反クーデー派を誘導したと推測する人もいる。オデッサの虐殺から1週間後の5月9日にキエフ軍の戦車がドネツク州マリウポリ市に突入し、住民を殺している。9日はソ連がナチスに勝ったことを記念する戦勝記念日で、街頭に出て祝う住民がいた。そうした人々を攻撃したわけである。そうした状況の中、住民のクーデターに反対する意思は示された。そこからドンバスでの戦闘が始まるのだが、軍や治安機関の中にもクーデターに反発する人はいて、ドンバスの武装勢力に合流している。そうした離反組には戦闘能力の高い人が多かったようで、キエフ政権はネオ・ナチの戦闘員を前面に出さざるをえなくなった。そのキエフ軍へアメリカ政府は対戦車ミサイルなどの兵器を供給するというわけで、これがドンバスの勢力に向けて使われた場合、ロシア軍が出てくる可能性もあるだろう。が、この武器はシリアへ運ばれ、バシャール・アル・アサド政権を倒すためにアメリカ、イスラエル、サウジアラビアが編成中の新しい戦闘集団に流れるのではないかと見る人もいるようだ。事実を直視すれば、ウクライナにしろ、シリアにしろ、アメリカが傭兵を使って侵略していることは明白だった。シリアへの侵略が始まると西側の政府や有力メディアは「独裁者による民主化運動の弾圧」というシナリオでアサド政権を攻撃していたが、その情報源のインチキはすぐに発覚、翌年の5月にホムスで住民が虐殺されると、その責任を政府軍に押しつける宣伝を展開した。シリアではキリスト教徒が殺戮の対象になっていたこともあり、カトリックの司教が現地で調査している。その司教の報告をローマ教皇庁の通信社が掲載したが、その中で反政府軍のサラフィ主義者や外国人傭兵が住民を殺したとしている。それによると、その修道院長は「もし、全ての人が真実を語るならば、シリアに平和をもたらすことができる。1年にわたる戦闘の後、西側メディアの押しつける偽情報が描く情景は地上の真実と全く違っている。」と語っている。また、現地で宗教活動を続けてきたキリスト教の聖職者、マザー・アグネス・マリアムも外国からの干渉が事態を悪化させていると批判していた。2012年8月にはアメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)がバラク・オバマ大統領に対してシリア情勢に関する報告書を提出、反シリア政府軍の主力はサラフィ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQI(アル・ヌスラと実態は同じだとしている)だとしている。オバマ大統領は「穏健派」を支援していると主張していたが、そうした武装勢力は存在しないと指摘しているのだ。さらに、オバマ政権がその政策を変更しなければ、シリアの東部(ハサカやデリゾール)にはサラフィ主義者の支配国が作られる可能性があるとも警告したいた。それは2014年にダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)という形で現実のものになっている。この報告書が書かれた当時のDIA局長がトランプ政権で安全保障担当補佐官に就任、1カ月足らずで辞任させられたマイケル・フリン中将だ。こうした侵略の中枢にはアメリカ、イスラエル、サウジアラビアの支配層がいる。アメリカの場合、戦争に反対すると大統領であっても排除されてきた。つまり真の支配者は表から見えない。そこで「ディープ・ステート(深層国家)」と呼ばれている。日本で権力を握っているように見える人は、そうした深層国家の住人に従っている人々だ。1980年代、体制に批判的な人は発言の機会を奪われていき、1990年代以降、日本の「言論界」でアメリカの暗部に触れる人は見当たらなくなった。支配層に刃向かうとさまざまな形の報復が待っているからだろう。権力者が定める枠の内側なら右だろうと左だろうと自由に名乗れるが、外に出たなら、そうしたことは許されない。そうした枠の外に出て権力者に「かかってこい」と言う「言論人」の存在は寡聞にして知らない。
2017.12.27
ドナルド・トランプ米大統領は12月6日の演説でエルサレムをイスラエルの首都だと認め、アメリカ大使館をそのエルサレムに建設する方針を示し、世界的な規模で反発を招いた。国連総会では12月21日、この決定を撤回するべきだとする決議案を賛成128カ国、反対9カ国、棄権35カ国で採択している。事前にアメリカ政府は賛成国に対する資金援助を打ち切ると脅していたが、効果はなかったようだ。ニッキー・ヘイリー米国連大使はチンピラ風に、賛成した国々の名前を覚えておくという台詞も吐いたようだ。アメリカは自分たちが「裸の王様」だということを明らかにしてしまった。本ブログでも指摘してきたが、トランプの演説はアメリカ議会の意向を受け入れただけの話。議会は1995年、エルサレムをイスラエルの首都だと承認し、1999年5月31日までにエルサレムにアメリカ大使館を設置すべきだする「エルサレム大使館法」を成立させ、今年(2017年)6月5日に上院はその法律を再確認する決議を賛成90、棄権10という圧倒的多数で採択している。トランプ政権だけでなく、アメリカの政界が「裸の王様」だということだ。しかし、この「王様」に従った国も存在する。イスラエルは当然だが、そのほか太平洋に浮かぶマーシャル諸島、ミクロネシア、ナウル、パラオ、アフリカのトーゴ、そして中央アメリカのホンジュラスとグアテマラだ。ホンジュラスとグアテマラはCIAのクーデターで民主主義的な体制を破壊されてきた。ホンジュラスでは2009年6月にマヌエル・セラヤ政権がクーデターで倒された。約100名の兵士が大統領官邸を襲い、セラヤ大統領を拉致してコスタ・リカへ連れ去ったのである。その当時、現地のアメリカ大使館は国務省に対し、クーデターは軍、最高裁、そして国会が仕組んだ陰謀であり、違法で憲法にも違反していると報告しているが、バラク・オバマ政権はクーデター政権を認めている。当時の国務長官はヒラリー・クリントンだ。クーデター政権は翌年、最初の半年だけで約3000名を殺害したという報告がある。クーデターを支援していたひとり、ミゲル・ファクセが麻薬取引が富の源泉であることもアメリカ側は認識していた。ちなみに、ミゲルの甥にあたるカルロス・フロレス・ファクセは1998年から2002年にかけてホンジュラスの大統領だった人物である。クーデターの中心になったロメオ・バスケスが卒業したSOA(現在の名称はWHINSEC)はアメリカ支配層がラテン・アメリカ諸国の手先を育成するため、1946年にパナマで設立された施設。対反乱技術、狙撃訓練、ゲリラ戦、心理戦、軍事情報活動、尋問手法などの訓練を実施してきた。グアテマラのジミー・モラレス大統領は2015年の選挙で当選、16年1月から大統領だ。モラレスは喜劇俳優だった人物で、人種差別主義者としても知られている。またCICIG(グアテマラ無処罰に対する国際委員会)はモラレスが麻薬業者から違法な寄付を受け取っていた疑いで調べている。大統領の兄と息子のひとりは汚職とマネーロンダリングの容疑で逮捕された。CIAは1954年にグアテマラのヤコボ・アルベンス・グスマン政権をクーデターで倒している。その前年にはイランの体制をクーデターで倒していたが、両国とも民主的に選ばれた政権だ。この両国に限らず、アメリカは「民主主義の破壊者」として世界に君臨してきた。イランのクーデターを担当したのは極秘機関OPCに所属していたカーミット・ルーズベルト(セオドア・ルーズベルト第26代米国大統領の孫)。OPCは1951年に設置されたCIAの秘密工作(テロ)部門、作戦局の中核になっている。グアテマラのクーデターを指揮したフランク・ウィズナーはOPCを指揮していた人物。第2次世界大戦の時からアレン・ダレスの側近として破壊活動に手を染めている。グアテマラの工作ではウィズナーの下にトレイシー・バーンズやE・ハワード・ハントがいた。ハントはジョン・F・ケネディ大統領暗殺やウォーターゲート事件でも名前が出てくる。ウィズナーはモッキンバードと呼ばれる情報操作プロジェクトでも中心メンバー4名のひとりでもあった。残りの3名はアレン・ダレス、リチャード・ヘルムズ、そしてフィリップ・グラハムだ。ウィズナー、ダレス、ヘルムズはCIAの人間だが、グラハムはワシントン・ポスト紙の社主だった。ちなみに、OPCの東アジアにおける拠点は当初、上海にあったが、中国でコミュニストが優勢になると、上海から日本へ移動している。日本における中心は厚木基地にあった。中国では1949年に中華人民共和国が建国されている。その1949年には国鉄を舞台とした怪事件が相次ぐ。7月5日から6日にかけての下山事件、7月15日の三鷹事件、そして8月17日の松川事件だ。その翌年の6月に朝鮮戦争が勃発した。
2017.12.26
アメリカがロシアや中国に対する軍事的な圧力をエスカレートさせてきた。バラク・オバマ政権では全面核戦争の脅しという段階に達している。そうした政策の後継者がヒラリー・クリントンであり、それを批判したのがドナルド・トランプだったが、そのトランプも軍事力でロシアや中国に圧力を加えるという流れに逆らえなかったようだ。ロシアや太平洋を舞台とした戦争が近づいているとロバート・ネラー海兵隊総司令官が懸念している理由はそこにある。日本周辺の海兵隊もそうした想定の下で動いているだろう。本ブログでも繰り返し指摘してきたが、アメリカ支配層が軍事力でロシアや中国を屈服させようとしている最大の理由はドルを基軸通貨とする体制が揺らいでいることにある。この基軸通貨を発行する特権でアメリカ支配層は自分たちの支配システムを維持してきたわけで、通貨体制が揺らぐと支配システムそのものも揺らいでしまう。このドルは1971年8月に金との交換が停止された。つまり金という裏付けがなくなったわけだ。そうした状態でドルを支えるため、社会からドルを吸い上げる仕組みが考えられた。そのひとつがペトロダラー。サウジアラビアをはじめとする産油国に決済をドルに限定するよう要求、その代償として国の防衛や支配者の地位と富を保証した。また、1970年代には金融取引の規制緩和が始まり、投機市場の拡大やオフショア市場の整備が進んだ。そうした場所は各国の法秩序が及ばぬ場所であり、金融の世界は不法地帯化し、巨大資本や富豪は税金を回避できるようになった。それをさらに進めるために持ち出されてきたのがTPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)の3点セットであり、そのキーワードがISDS(国家投資家紛争処理)条項だ。アメリカを中心とする支配システムの中核にはドルが存在しているわけだが、世界ではドル離れが始まっている。そうした動きの中心にいるのがロシアと中国。イラクやリビアのようにドル離れを目論んだ国はアメリカの軍事力によって破壊されてきたが、ロシアや中国に対して同じように対処すれば全面核戦争になりかねない。通常の感覚なら核戦争を避けると考えるのだろうが、ジョージ・W・ブッシュやバラク・オバマはロシアや中国に対しても軍事的な脅しで屈服させようとしてきた。それを引き継ごうとしたのがヒラリー・クリントンだった。しかし、昨年の大統領選挙ではロシアとの関係修復を主張したドナルド・トランプがクリントンを破ってしまった。そうした流れの中、始まったのがトランプに対するCIA、FBI、そして有力メディアによる「ロシアゲート」攻撃だ。そうしたスキャンダル攻勢は失速気味だが、すでにトランプ政権もロシアや中国との戦争へ向かっているように見える。ネラー海兵隊総司令官の発言にはそうした状況が背景にあるわけだ。ヨーロッパでロシアへの攻撃を想定したミサイル配備を実現するために「イランの脅威」が使われたように、東アジアでは朝鮮を使って中国への攻撃を想定した軍備増強が進められている。イスラエルの意向を受けてアメリカはイランを攻撃したがっているが、ここにきてウクライナでも戦争の準備を本格化させはじめたと伝えられている。朝鮮半島への軍事侵攻はその先に中国が存在、中国は反撃してくるだろう。最近はロシアもアメリカの軍事作戦に対応する準備を進め、朝鮮との国境近くにS-400防空システムを配備したようだ。
2017.12.25
戦争が近づいているとする判断をアメリカのロバート・ネラー海兵隊総司令官はノルウェーで明らかにした。その舞台として想定しているのはロシアと太平洋だ。アメリカの国家安全保障戦略ではジョージアやウクライナに対するロシアの「侵略」が指摘されているが、前者はアメリカとイスラエルを後ろ盾とするジョージアが南オセチアを奇襲攻撃して反撃されたであり、後者はネオコンがネオ・ナチを利用して実行したクーデターに反発したクリミア住民の意思。つまり、南オセチアとウクライナへの侵略計画がアメリカの思惑通りに進まなかったということだ。しかも中東ではシリアの体制転覆に失敗、ロシアの影響力が強まっている。こうした状況を逆転するため、アメリカはロシアや中国に対する軍事的な圧力を強めてきた。そうした流れに逆らい、ロシアとの関係修復を訴えて大統領に選ばれたのがドナルド・トランプだったが、民主党、CIAやFBIの幹部、有力メディアなどの反ロシア・キャンペーンに押され、関係修復は難しくなっている。日本に配備される地上配備型イージスシステム「イージス・アショア」や韓国のTHAAD(終末高高度地域防衛)はヨーロッパに配備されたミサイルと同じように、ロシアや中国を威嚇、場合によっては先制攻撃に利用するためのもの。12月8日に小野寺五典防衛相は長距離巡航ミサイル(JASSM-ER、LRASM、JSM)を導入すると表明したようだが、その理由もネラー総司令官の発言が示している。「朝鮮が相手なら勝てる」と高をくくることは危険。朝鮮だけが相手でも日本は無傷でいられないだろうが、朝鮮は中国やロシアに対する戦争の準備を進める口実として、また戦争を始める時の引き金に利用されるだけだろう。
2017.12.24
アメリカ国務省のヘザー・ナウアート広報官は12月22日、同国がウクライナに「強化された防衛装備」を提供することを明らかにした。その一方、アメリカの有力メディアは対戦車ミサイルのFGM-148 ジャベリンを含む兵器をキエフのクーデター政権へ提供すると報道(例えばココやココ)している。この報道が正しいならば、アメリカ政府の決定はロシア政府に対する挑発行為。実際、ロシアのセルゲイ・リャブコフ副外務大臣はアメリカが一線を越えたと発言している。このところウクライナはジョージアの大統領だったミハイル・サーカシビリにかき回されている。今年9月10日にバスを使ってポーランドからウクライナへ入り、12月5日に逮捕されたが、この時はサーカシビリ支持者が奪還に成功、8日に再び逮捕された。保釈されたのは11日のことだ。ジョージア時代のサーカシビリはイスラエルの強い影響下にあり、ウクライナで結びついているユリア・ティモシェンコは2007年12月から10年3月にかけてウクライナの首相を務めていた人物で、そのパトロンは投機家のジョージ・ソロスだった。ソロスはロスチャイルド家に近く、ヒラリー・クリントンを操っていたことでも知られている。ティモシェンコが首相だった時代の大統領はオレンジ革命で実験を握ったビクトル・ユシチェンコ。2010年に行われた大統領選挙ではティモシェンコもユシチェンコもビクトル・ヤヌコビッチに負けた。そのヤヌコビッチをアメリカのネオコンは2014年2月にクーデターで倒している。その手先として活動したのがネオ・ナチのグループだ。2月18日頃、ネオ・ナチはチェーン、ナイフ、棍棒を手に、石や火炎瓶を投げ、ブルドーザーなどを持ち出しただけでなく、ピストルやライフルを撃つ人間も出始めた。そして22日に広場では狙撃で市民側にも警察側に多くの死者が出ている。これを西側の政府や有力メディアは政府側の仕業だと宣伝したが、2月25日にキエフ入りして調査したエストニアのウルマス・パエト外相の報告は違う。パエトは26日にキャサリン・アシュトンEU外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)へ電話、反政府側が実行したと強く示唆しているのだ:「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(暫定政権)が調査したがらないほど、本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合の誰かだというきわめて強い理解がある。」その当時、広場をコントロールしていたのはネオ・ナチの幹部として知られているアンドレイ・パルビー。この人物はソ連が消滅した1991年にオレフ・チャフニボクと「ウクライナ社会ナショナル党(後のスボボダ)」というネオ・ナチ系の政党を創設、クーデター後には国家安全保障国防会議(国防省や軍を統括する)の議長に就任、2014年8月までその職にあった。当時から外国のスナイパーが関与しているいう話が流れていたが、イタリアのドキュメンタリーに登場した3名のジョージア人は自分たちが狙撃したと認めている。ウクライナのクーデターは、ミヘイル・サーカシビリがジョージアで実権を握った2003年11月の「バラ革命」と同じシナリオだったとも語っている。(ココとココ)この3人によると、彼らは狙撃者の一部で、治安部隊のメンバーとしてジョージアから送り込まれたいう。狙撃の指揮者はアンドレイ・パルビーだとも語っているが、これもクーデター直後から言われていた。ジョージアの狙撃者はウクライナ行きを命じたのはサーカシビリだとしているが、この人物は2013年11月17日に大統領を辞めているので、その前の決定だということになる。サーカシビリは2015年5月から16年11月にかけてオデッサの知事を務めたが、このオデッサでは14年5月2日に反クーデター派の住民がネオ・ナチのグループに虐殺されている。クーデター政権がドンバス(ドネツクやルガンスク)へ戦車を突入させて民族浄化作戦を始めたのはその7日後。オデッサの虐殺で脅し、逃げ出すことを狙ったのだろうが、ウクライナの軍や治安機関でクーデターに反対していた人びとが終結したこともあり、アメリカの思惑通りには進んでこなかった。現在、ウクライナで最も平穏な場所はクリミア。ここはほかの地域より早くクーデターに対抗する動きがあり、周囲を海に囲まれていることから軍事侵攻を防ぐことができた。ここでは2014年3月16日、ロシアの構成主体としてロシアに加盟するかどうかを問う住民投票が実施されている。投票率は80%を超え、そのうち95%以上が加盟に賛成したという。住民の意思は明確に示されたのだが、西側では憲法違反のクーデターを支持、クリミアの民意を否定する人が今でもいる。有力メディアはその姿勢を崩していない。アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟は2011年春にリビアとシリアを制圧するため、アル・カイダ系武装集団を送り込んだ。リビアではアル・カイダ系武装集団とNATO軍が連携して体制転覆に成功、今では瓦礫の中を武将集団が跋扈する破綻国家で、奴隷売買も行われている。そうした状況を作り上げたのは三国同盟だけでなく、西側の国々が含まれていることを忘れてはならない。しかし、シリアでは体制転覆に失敗、このままではイランを破壊することも難しい。最大の障害はロシアであり、ウクライナで戦争を始めればイランをロシアが守れないのではないかとネオコンあたりは考えているかもしれない。本ブログでも指摘したが、2018年にアメリカが新たな戦争を始めると懸念する人は少なくない。
2017.12.24
関西電力は大飯原発の1号機と2号機を廃炉にするのだという。福島第一原発で大事故を引き起こし、状況によっては東京を含む東日本を壊滅させかねなかった東京電力は事実上、その責任が免除されているが、それでも運転の継続はできないと判断したのだろう。事故後の福島第一原発がどういう状態になっているのかは明らかにされていない。政府や東電も状況を把握できていないだろう。状況が把握できていない以上、放射性物資による環境の汚染がどのようになっているかも把握できないだろう。勿論、汚染があったとしても秘密保護法が存在している以上、日本の安全保障と深く関係した原発に関する情報を明らかにすると刑事罰の対象になってしまう。秘密保護法を安倍晋三政権が閣議決定したのは2013年10月。12月には成立している。閣議決定の直前、9月には東電が招聘したアメリカの専門家レイク・バレットは汚染水を海に放出する準備に着手するべきだと助言、同月には気象庁気象研究所の主任研究官だった青山道夫がIAEA(国際原子力機関)で原発北側の放水口から放射性物質のセシウム137とストロンチウム90が1日に合計約600億ベクレル、原発港湾外へ放出されていると報告していた。そうした環境下ではあるが、東電は今年2月、2号機の下に少なくとも1平方メートルの穴があり、そこで毎時530シーベルト(53万ミリシーベルト)を記録したと発表した。チェルノブイリ原発で記録された最大の数値は300シーベルトだと言われ、それを大きく上回る。ちなみに、7〜8シーベルトで大半の人が死亡すると言われ、いずれも人間が近づける状況ではない。1号機と3号機の状態は2号機より悪く、溶融した燃料棒を含むデブリが地中へ潜り込み、それを地下水が冷却、高濃度汚染水が太平洋へ流れ出ていると考えるべきだろう。メルトダウンした原子炉の数だけでも福島第一原発の事故がチェルノブイリ原発の事故より遥かに深刻だということは明らか。当初、福島第一原発から環境中へ放出された放射性物質の総量はチェルノブイリ原発事故の1割程度、あるいは約17%だとされたが、その主張を信じないひとは少なくない。そうした疑問を持つ専門家のひとりが原発の元技術者であるアーニー・ガンダーセン。福島第一原発の場合は圧力容器が破損、燃料棒を溶かすほどの高温になっているため、99%の放射性物質を除去するという計算の前提は成り立たない。圧力抑制室(トーラス)の水は沸騰状態で、ほとんどの放射性物質が外へ放出されたはずだと指摘、少なくともチェルノブイリ原発事故で漏洩した量の2〜5倍の放射性物質を福島第一原発は放出したと推測している。(アーニー・ガンダーセン著『福島第一原発』集英社新書)別の元エンジニアは、圧力容器内の温度が急上昇した結果、爆発的な勢いで溶けた固形物が気体と一緒にトーラスへ噴出したはずだとしている。その面からも水が放射性物質を吸収するという前提は成り立たない。そもそも格納容器も破壊されていた。大飯原発の場合、廃炉作業に30年ほどが必要だとされているが、かなり楽観的な予測。この程度なら日本に住む人々が受け入れるだろうということから決められた数字だろう。1世紀は覚悟する必要がある。大事故で崩壊した福島第一原発の場合はさらに困難。イギリスのタイムズ紙は福島第一原発を廃炉するまでに必要な時間を200年だと推定していたが、数百年はかかるだろうと推測する人は少なくない。日本政府は2051年、つまり34年後までに廃炉させるとしているが、これは非常識なおとぎ話にすぎない。その間に新たな大地震、台風などによって原発が破壊されてより深刻な事態になることも考えられる。廃炉作業が終了したとして、その後、10万年にわたって放射性廃棄物を保管する必要があると言われている。荒唐無稽な話だ。
2017.12.23
ドナルド・トランプ米大統領は12月6日の演説でエルサレムをイスラエルの首都だと認め、アメリカ大使館をそのエルサレムに建設する方針を示しているが、この決定を撤回するべきだとする決議案が国連総会で12月21日に採択された。賛成128カ国、反対9カ国、棄権35カ国で、反対したのはアメリカとイスラエルのほか、グアテマラ、ホンジュラス、マーシャル諸島、ミクロネシア、ナウル、パラオ、トーゴ。本ブログでは前にも書いたことだが、エルサレムをイスラエルの首都として認めるというトランプの決断はアメリカ議会の意向に沿うものだ。「1995年エルサレム大使館法」という法律はエルサレムをイスラエルの首都だと承認し、1999年5月31日までにエルサレムにアメリカ大使館を設置すべきだとしている。今年(2017年)6月5日に上院はその法律を再確認する決議を賛成90、棄権10で採択している。アメリカとはそういう国であり、パレスチナ問題を公正な立場で仲裁することなど不可能な立場にある。これはトランプ個人の問題ではない。パレスチナ問題が顕在化するのは1948年5月14日にイスラエルの建国が宣言されたときだが、その前にシオニストはユダヤ人をパレスチナへ移住させる工作を展開、移民をエルサレムの周辺に集中させるという演出をしている。その一方、先住のアラブ系住民を追い出すため、シオニストは1948年4月4日に「ダーレット作戦」を発動、デイル・ヤシンという村をテロ組織のイルグンとレヒ(スターン・ギャング)が9日午前4時半に襲撃して住民を惨殺した。その3日前にイルグンとレヒの代表がハガナ(後のイスラエル軍)の副官と会談している。襲撃の直後に村へ入った国際赤十字のジャック・ド・レイニエールによると254名が殺され、そのうち145名が女性で、35名は妊婦。イギリスの高等弁務官、アラン・カニンガムはパレスチナに駐留していたイギリス軍のゴードン・マクミラン司令官に殺戮を止めさせるように命じたが、拒否されたという。(Alan Hart, “Zionism Volume One”, World Focus Publishing, 2005)この襲撃は単に住民を殺すことではなく、恐怖で人々が逃げ出すことを狙っていたと見られている。実際、この虐殺を見て多くのアラブ系住民が避難、約140万人いたパレスチナ人のうち、5月だけで42万3000人がガザ地区やトランスヨルダン(現在のヨルダン)へ移住、その後1年間で難民は71万から73万人に達したと見られている。こうした状況に対し、国際連合は1948年12月11日に難民の帰還を認めた194号決議を採択したが、現在に至るまで実現されていない。1967年6月の第3次中東戦争もパレスチナ問題で大きな意味を持っている。当時、イスラエル政府の内部には中東における軍事的な支配者はイスラエルだということを思い知らせるべきだという勢力が存在、この年の3月から4月にかけてイスラエルは軍事的な緊張を高めるため、ゴラン高原のシリア領にトラクターを入れて土を掘り起こし始めている。それに対してシリアは威嚇射撃するが、イスラエルは装甲板を取り付けたトラクターを持ち出して挑発、シリアは迫撃砲や重火器を使うというようにエスカレート、そして銃撃戦に発展していった。その一方、エジプトは5月15日に緊急事態を宣言して2個師団をシナイ半島へ入れてイスラエルとの国境沿いで防衛態勢をとらせる。イスラエルがシリアを攻撃すると信じていたガマル・ナセル大統領は、イスラエルがエジプトも同時に攻撃することはないと考えていたようだ。大統領は21日に10万の予備軍に動員令を出し、22日にアカバ湾の封鎖を宣言している。イスラエルはこの封鎖を「イスラエルに対する侵略行為」と主張し、モサドのメイール・アミート長官がアメリカへ乗り込む。帰国したアミート長官は6月3日に開かれた秘密会合でリンドン・ジョンソン米大統領が開戦を承諾、イスラエルの撤兵を求めることもないと説明している。そして6月5日、イスラエル軍はエジプトに対して空爆を開始、第3次中東戦争が勃発した。この時、アメリカ空軍は4機の偵察機RF4Cをドイツからスペインのモロンへ移動させ、そこから6月4日にイスラエルのネゲブにある基地で塗装をイスラエル軍の航空機のように塗り替えている。そのRF4Cはエジプトの地上軍がどのように動いているかを偵察、撮影してイスラエルへ渡していた。アメリカ政府は政治的にも支援、しかもアラブ諸国が分裂していたことから戦争はイスラエルの圧勝で終わった。1967年11月にはイスラエルの占領を無効だとする国連安保理決議242が可決されたが、その後もイスラエルはガザ地区、ヨルダン川西岸、ゴラン高原の占領を続けている。この戦争では6月8日にイスラエル軍がアメリカの情報収集船リバティを攻撃した。アメリカの艦船だということを知った上での攻撃で、乗組員9名が死亡、25名が行方不明になり、171名が負傷している。事実によって否定されているが、アメリカの公式見解はイスラエルによる誤爆だ。リバティが攻撃されていることを知った第6艦隊の空母サラトガは戦闘機を離陸させて救援に向かわせようとしたが、ロバート・マクナマラ国防長官は第6艦隊に対し、戦闘機をすぐに引き返させるようにと叫んでいる。実は、このリバティ攻撃は事前にジョンソン政権は承認していた疑いもある。ジョンソン政権で秘密工作を統括していた「303委員会」で1967年4月に「フロントレット615」という計画が説明されている。リバティを潜水艦と一緒に地中海の東岸、イスラエル沖へ派遣するというもので、実際、後にリバティは派遣された。この計画ではリバティの撃沈が想定され、それを利用してエジプト、あるいはソ連と戦争を始めるつもりだった可能性がある。ジョンソン政権がリバティ救援を止めた理由はそこにあると推測する人もいる。この出来事を隠蔽する工作の責任者はジョン・マケイン・ジュニア(ジョン・マケイン上院議員の父親)。アメリカやイスラエルの交信を記録したNSAのデータは廃棄されたという。ちなみに、ジョンソン政権は1964年7月30日から8月2日にかけて北ベトナムに対する秘密工作を実行して本格的な軍事介入の口実を作っている。まず南ベトナムの哨戒魚雷艇が北ベトナムの島を攻撃、その翌日に米海軍の特殊部隊SEALsの隊員が率いる20名の南ベトナム兵がハイフォン近くにあるレーダー施設を襲撃、8月2日に北ベトナムは報復として情報収集活動中だった米海軍のマドックスを攻撃するという展開になり、8月7日にアメリカ議会は「東南アジアにおける行動に関する議会決議(トンキン湾決議)」を可決、本格的な軍事介入をはじめた。(Douglas Valentine, "The Phoenix Program," William Morrow, 1990)
2017.12.22
二言目には「財源が足りない」と言われる。「健康で文化的な最低限度の生活」は実現されず、公的な教育はほとんど破壊された。ところが軍事予算は膨張し続け、「空飛ぶダンプカー」とも呼ばれる高額戦闘機F-35をアメリカから購入する一方、最近では巡航ミサイルを日本で開発をすると言い出している。こうした日本の政策はアメリカの戦略に基づいて決められてきた。その戦略とは巨大資本に国を上回る権力を与え、軍事力を使って世界を制覇すること。国内での略奪によって大多数の庶民は疲弊、搾り取る対象としては効率的でなくなっている。権力は資金や情報が流れていく先に誕生する。こうした権力構造が確立されると、社会的な強者はより強く、弱者はより弱くなる。この仕組みを正当化するために使われた戯言が「トリクルダウン理論」。もっとも、これは理論に値する代物ではない。単なる信仰だ。資本主義の勃興期、19世紀には不公正な手段で巨万の富を築いた人を「泥棒男爵」と呼んだ。例えば、石油業界を支配することになるジョン・D・ロックフェラー、金融帝国を築いたJ・P・モルガン、鉄鋼業界のアンドリュー・カーネギー、ヘンリー・クレイ・フリック、鉄道のエドワード・ヘンリー・ハリマン、金融や石油で財をなしたアンドリュー・W・メロンなどが含まれている。こうした富豪たちは富で新たな富を生み出すため、投資で新たな産業を生み出した側面があることは否定できない。しかし、現在はオフショア市場へ資金を沈め、投機市場へ資金を回している。単なる資金のコロガシであり、生産活動には結びつかない。また、税金を回避するシステムも整備され、かつてより略奪は効率的だ。租税を回避する仕組み、いわゆるタックスヘイブンが肥大化したのは第1次世界大戦のころだと言われている。戦費を賄うために増税され、富豪たちは税金から逃れる仕組みを求めたのだ。スイス、ルクセンブルグ、オランダ、オーストリア、ベルギー、モナコなどヨーロッパのタックスヘイブンはそうして誕生したという。アヘン戦争以来、香港は麻薬取引を含む中国での略奪された資金のロンダリングに利用されてきた。いずれも有名なタックスヘイブンだが、1970年代からの主役はイギリスの特別行政区域であるロンドン市(いわゆるシティ)を中心とするネットワークが中心。ジャージー島、ガーンジー島、マン島、ケイマン諸島、バミューダ、英領バージン諸島、タークス・アンド・カイコス諸島、ジブラルタル、バハマ、香港、シンガポール、ドバイ、アイルランドなどが含まれている。このネットワークでは信託の仕組みが使われ、沈められた資金の持ち主を割り出すことは困難だ。こうしたこともあり、ロンドン市にメスを入れようとする動きはあったのだが、その壁は厚い。何しろ、その奥には世界の支配者が隠れている。ロンドンを中心とするオフショア・ネットワークに対抗する形で、アメリカは1981年にIBF(インターナショナル・バンキング・ファシリティー)を開設、これをモデルにして日本では1986年にJOM(ジャパン・オフショア市場)をオープンさせた。ブルームバーグによると、ロスチャイルド家の金融持株会社であるロスチャイルド社のアンドリュー・ペニーが2015年9月、サンフランシスコ湾を望むある法律事務所で税金を避ける手段について講演、その中で税金を払いたくない富豪に対して財産をアメリカへ移すよう、顧客へアドバイスするべきだと語ったという。アメリカこそが最善のタックス・ヘイブンだというわけである。オフショア市場を禁止、少なくとも厳しく規制しな限り、世界はごく少数の富豪が圧倒的多数を支配する独裁体制から抜けですことはできない。逆に、こうした仕組みをシステム化する目的で考え出されたのがTPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)の3点セット。そのキーワードはISDS(国家投資家紛争処理)条項である。この条項によって、生産活動やサービスのルール、労働条件、環境汚染、食糧の安全などに関する規制、あるいは健康保険や年金など社会保障の仕組みを決める最終的な権限をアメリカを拠点とする巨大資本が握ることになる。政府、議会、司法といった仕組みは機能しなくなる。1938年4月29日にアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領は「個人、あるいは私的権力をコントロールするグループ、あるいはそれに類する何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ」と定義したが、そうした体制を作り上げようという仕組みがTPP、TTIP、TiSAだ。この仕組みを西側支配層が諦めることはないだろう。タグを付け替えてくるだろうが、何度でも実現しようと試みるはずだ。ファシズム化を実現するため、軍事力で障害になる国々をアメリカ支配層は破壊しようとしてきた。そのため、アメリカはロシアや中国を核戦争で脅しているが、効果がない。じりじり追い詰められている。アメリカの戦争マシーンに組み込まれた日本はロシアや中国との戦争で最前線になり、崩壊する。もし戦争になれば、生き残れる人は多くないだろう。
2017.12.21
アメリカのジェームズ・クラッパー元国家情報長官はCNNの番組で、ドナルド・トランプ米大統領はウラジミル・プーチン露大統領の協力者であるように見えると発言した。サンクト・ペテルブルグで計画されたテロを防ぐためにCIAが情報を提供したことに対して感謝の意をプーチンがトランプに伝え、トランプがロシアをパートナーと表現したことに反発したようだ。サンクト・ペテルブルグで攻撃を計画していたのはダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)のスリーパーだったとされているが、このグループはアル・カイダ系武装集団と同じようにアメリカ、イスラエル、サウジアラビアを中心に編成された武装集団。2011年春にシリアやリビアへの侵略が始まった段階では、イギリス、フランス、トルコ、カタールなども参加していた。この中からすでにトルコとカタールは離脱してロシアへ接近、その配下の武装集団も離脱しているだろう。残っているのはサウジアラビアが雇い、CIAの破壊工作部門や特殊部隊が訓練した傭兵のはずだが、サウジアラビアでそうした武装勢力を指揮してきたバンダル・ビン・スルタンは11月4日から始まった粛清で拘束されたと言われている。ビン・スルタンはブッシュ家と緊密な関係にあり、必然的にCIAとも深く結びついているが、粛清を実行したモハメド・ビン・サルマン皇太子はイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフやトランプ大統領の義理の息子にあたるジャレッド・クシュナーと緊密な関係にある。このクシュナーは粛清が始まる直前、10月25日から28日にかけてサウジアラビアを極秘訪問していた。トランプ大統領の資金源やジャレッドの父親が親しいネタニヤフはイスラエルの情報機関モサドとつながりが深く、モサドはCIAの内部に協力者のネットワークを築いている。バンダル・ビン・スルタン人脈の計画をトランプに近い人脈が潰した可能性もある。ところで、アメリカは侵略を繰り返してきた国であり、1991年12月にソ連が消滅した段階でその支配層は世界制覇が最終局面に入ったと考えたのだろう。そこでウォルフォウィッツ・ドクトリンが作成された。その後、21世紀にロシアが再独立したことで計画に狂いが生じ、それを1992年の段階に戻そうともがいている。そのためにロシアや中国を制圧しようとしているのだが、アメリカの支配層は遅くとも20世紀の初頭から中国やロシアへの侵略を考えていた。先住民の殲滅が一段落、1898年2月のメーン爆沈を利用してアメリカがスペインと戦争を始め、南アメリカだけなくフィリピンの植民地化にも成功、このフィリピンを利用して中国を侵略を目論んでいる。当時、すでにイギリスはアヘン戦争で中国に対する侵略を本格化、イギリスの支援を受けた日本も日清戦争で東アジアにおける利権を獲得していた。その中へ割って入るため、アメリカは門戸開放政策を打ち出している。こうしたアメリカについて、「真にキュバ叛徒の自由のために戦えるか、何ぞ比律賓(フィリピン)人民の自由を束縛するの甚しきや。真にキュバの自主独立のために戦えるのか、何ぞ比律賓の自主独立を侵害するの甚しきや。それ他の人民の意思に反して、武力暴力をもって弾圧し、その地を奪い富を掠めんとす。」と1901年の時点で批判したのは幸徳秋水だった。(『廿世紀之怪物 帝国主義』警醒社、1901年)それ以降、アメリカの支配層、つまり巨大資本は中国やロシアを制圧を目指してきた。同じアングロサクソン系のイギリスではそうした戦略をハルフォード・マッキンダーという学者がまとめ、1904年に公表している。彼は世界を3つに分けた。ひとつはヨーロッパ、アジア、アフリカの「世界島」、ふたつめはイギリスや日本のような「沖合諸島」、そして最後に南北アメリカやオーストラリアのような「遠方諸島」だ。世界島の中心が「ハートランド」。具体的にはロシアを指している。その上でインド、東南アジア諸国、朝鮮半島をつなぐ「内部三日月帯」を、またその外側に「外部三日月地帯」を想定し、そのふたつの三日月地帯でハートランド、つまりロシアを締め上げようとしたのだ。内部三日月帯の上にはイギリスの植民地になっていたインドがあり、東の端には手先としての日本が存在する。そうした戦略のため、イギリスは日本の軍事力増強を行ったと考えるべきだろう。1932年に出現したサウジアラビア、1948年に建国が宣言されたイスラエル、いずれも内部三日月地帯の上にイギリスが作り上げた国だ。現在、イスラエルとサウジアラビアが同盟関係にあることを公然と示しているが、歴史を振り返ると、それは必然だ。
2017.12.20
ロシアのウラジミル・プーチン大統領はシリアに派遣した軍の主力を帰還させ、サンクト・ペテルブルグで計画されたテロを防ぐためにCIAが協力したとして感謝の意をドナルド・トランプに伝えたという。ロシアは軍事的な緊張を緩和させる方向へ進もうとしている。しかし、アメリカの支配層はロシアやイランの中東における影響力が強まることを阻止するため、新たな戦争を目論んでいるようだ。これはイスラエルやサウジアラビアの意向でもある。1992年2月に国防総省のDPG草稿としてポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)を中心に作成された世界制覇プランをあくまでも実現しようとしている。このプランはウォルフォウィッツ・ドクトリンとも呼ばれ、旧ソ連圏だけでなく西ヨーロッパ、東アジアなどの潜在的なライバルを潰し、膨大な資源を抱える西南アジアを支配しようとしている。1991年12月にソ連が消滅すると、ソ連政府との約束を反故にしてNATOを東へ拡大、その一方で1991年にウォルフォウィッツが口にしていたようにイラク、シリア、イランの殲滅を目指すことになった。ウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官が2007年に語ったところによると、ウォルフォウィッツはイラク、シリア、イランを殲滅すると口にしていたという。(3月、10月)2007年には調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュが3月5日付けのニューヨーカー誌で、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟がシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を開始したと書いている。2003年3月にアメリカ主導軍はイラクを先制攻撃、サダム・フセイン体制を倒すだけでなく、すでに国を破壊し、国民を虐殺していたので、ウォルフォウィッツ・ドクトリンの残り2カ国、つまりシリアとイラン、さらにイランと関係が深いヒズボラがターゲットになるわけだ。2011年春にリビアとシリアに対する秘密工作が顕在化、その手先としてアル・カイダ系武装勢力が使われる。ハーシュのレポートではジョンズホプキンス大学高等国際関係大学院ディーンのバリ・ナスルの話として、サウジアラビアがムスリム同胞団やサラフィ主義者を雇うと見通しているが、その通りになった。アル・カイダ系武装集団にしろ、ダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)にしろ、その中心はムスリム同胞団やサラフィ主義者である。そうした武装集団は2015年9月30日にシリア政府の要請で軍事介入したロシア軍によって壊滅させられ、ロシア軍が引き揚げることになったのだが、アメリカは新たな戦争を目論んでいる。まず手先をクルドへ切り替えようとして武器/兵器を供給、アル・カイダ系武装集団やダーイッシュに対してクルドを攻撃しないように指示していた。ところが、クルドはアメリカ側の思惑通りには動かない。そこでシリア北部へ侵入、居座ろうとしている数千人のアメリカ軍は厳しい状況に置かれたが、まだクルドへの軍事的な支援は続けていると伝えられている。すでにロシアへ接近しているトルコとクルドの関係は悪く、その点をアメリカが利用て懐柔した可能性がある。ここにきてシリア政府はクルドを裏切り者と非難している。アル・カイダ系武装集団やダーイッシュは傭兵にすぎず、その本体はアメリカ、イスラエル、そしてサウジアラビア。イギリスのロビン・クック元外相は2005年にガーディアン紙へ寄稿した文章の中で、アル・カイダはCIAから軍事訓練を受けた「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル、つまり傭兵の登録リストだと指摘している。ちなみに、アル・カイダはアラビア語でベースを意味し、データベースの訳語としても使われている。アメリカはロシア軍に敗れた武装勢力の幹部をヘリコプターで救出、戦闘員をバスや戦闘車両などで逃がしてきた。一部は希少金属を確保するためにアフガニスタンへ運んだようだが、新たな戦闘集団を編成する準備も進めている。例えば、シリア領内、トルコとの国境から70キロメートル、イラクとの国境から50キロメートルの場所にあるハサカー難民キャンプで戦闘員を訓練を始めたと伝えられている。この武装勢力とクルドを連携させるつもりだろう。新たな戦闘をアメリカは中東だけでなく、ウクライナ、場合によっては東アジアでも始める可能性がある。オリンピック、サッカーのワールドカップ、ロシアの大統領選挙など2018年にアメリカが開戦の切っ掛けとして好むイベントがあることは不気味だ。
2017.12.19
アメリカの民主党が主張、有力メディアが広めてきた「ロシアゲート」は「FBIゲート」になりつつある。権力バランスに変化が起こっているようだ。ドナルド・トランプに対する敵視する立場から政治的に動いているFBI幹部の存在が明確になり、トランプの国家安全保障補佐官への就任が予定されていたマイケル・フリン元DIA局長に対して仕掛けられた罠を問題にする人もいる。昨年(2016年)はヒラリー・クリントンの電子メール問題の捜査を指揮、今年に入ってからロバート・ムラー特別検察官の下でロシア政府による大統領選挙への介入疑惑を調べ、8月にムラーのチームから離れたピーター・ストルゾクは同僚に対して反トランプのメッセージを送っていたことが判明している。この人物に対し、昨年8月6日に「反乱」を促していたのがFBIのリサ・ペイジ。この人物の問題は公正な立場で捜査していなかったといるだけでなく、クリントンが公務の通信に個人用の電子メールを使い、しかも3万2000件近い電子メールを削除した件も問題視されている。ジェームズ・コミーFBI長官(当時)は彼女が機密情報の取り扱いに関する法規に違反した可能性を指摘、情報を「きわめて軽率(Extremely Careless)」に扱っていたとしていた。この「きわめて軽率」は元々「非常に怠慢(Grossly Negligent)」だと表現されていたのだが、それをストルゾクが書き換えていたことが判明している。罰金、あるいは10年以下の懲役が科せられる行為について後者の表現は使われるようで、クリントンが刑務所行きになることを防ぐために書き換えた疑いが濃厚だ。ところで、トランプに対する攻撃は2016年から展開されているが、ロシアゲート事件の幕開けと言われているのは下院情報委員会におけるアダム・シッフ議員の声明。今年3月のことだ。2016年のアメリカ大統領選挙にロシアが介入した主張している。イギリスの対外情報機関MI6の「元」オフィサー、クリストファー・スティールの報告書に基づく主張だった。MI6時代、スティールはアレキサンダー・リトビネンコのケース・オフィサーだったとも言われている。当時、リトビネンコはMI6のために働いていた。ちなみに、リトビネンコはソ連/ロシアの情報機関、KGB/FSBに所属していた人物。ボリス・エリツィン時代の終焉に伴い、2000年にイギリスへ渡っていた。彼を雇うことになるオリガルヒのボリス・ベレゾフスキーも2000年からロシアへ戻らず、2003年にはイギリスが政治亡命を認めた。リトビネンコは2006年11月に放射性物質のポロニウム210で毒殺されたとされている。2016年1月20日付けテレグラフ紙によると、リトビネンコは死ぬ直前、ウラジミル・プーチンがウクライナの犯罪組織のボス、セミオン・モギレビッチと「良好な関係」で、このボスは「アル・カイダ」に武器を売っていたと主張している。アル・カイダ系武装集団をシリアやリビアへの侵略にアメリカ、イスラエル、サウジアラビアの3国同盟が使ってきたことは本ブログでも繰り返し、指摘してきた。この武装集団の多くはサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団。シリア政府の要請を受け、ロシア政府は2015年9月30日にシリアへ軍事介入し、こうした武装勢力を本当に攻撃、戦況は一変した。ロシアより1年早くアメリカは勝手にシリアで軍事作戦を開始しているが、実際にはシリアのインフラを破壊し、住民を殺害するだけだったと言われている。そこで、アル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)はシリアで勢力を拡大していた。2015年11月24日にトルコ軍のF-16戦闘機がロシア軍のSu-24を待ち伏せ攻撃で撃墜しているが、これはロシア軍による攻撃にブレーキをかけるためだった可能性が高い。ただ、ロシア軍機の撃墜をトルコ政府だけの判断で実行できるとは考え難く、撃墜の当日から翌日にかけてポール・セルバ米統合参謀本部副議長がトルコのアンカラを訪問してこともあり、アメリカ政府が許可していたと見る人は少なくない。ロシア軍の空爆でアル・カイダ系武装勢力やダーイッシュが押されはじめ、アメリカ軍に対する視線は厳しくなる。そうした中、テレグラフ紙はロシアとアル・カイダを結びつける記事を掲載したわけだ。ところで、MI6を離れたスティールはオービス・ビジネス・インテリジェンスなる会社を経営、この会社を雇ったのがフュージョン。この会社は情報戦を仕掛ける傭兵的な存在で、ウォール・ストリート・ジャーナル紙の記者や編集者だった3名によって設立された。フュージョンを創設したひとりであるグレン・シンプソンによると、同社は2016年秋にネリー・オーなる人物にトランプの調査と分析を依頼している。2010年当時にCIAのオープン・ソース・ワークスで働き、その夫であるブルース・オーは司法省の幹部。この夫とシンプソンは2016年11月に会っている。その直後にブルースが司法省のポストを失いと、フュージョンはスティールと結びついた。このフュージョンへトランプに関する調査を依頼、102万ドルを民主党の法律事務所であるパーキンス・コイが支払った。言うまでもなく、この法律事務所はヒラリー・クリントンと民主党のために働いていている。アンドリュー・マッカビFBI副長官も注目されているひとり。妻のジル・マッカビは2015年3月にバージニア州上院議員選挙への出馬を表明、67万5000ドル以上をクリントンと親しいテリー・マコーリフなどから受け取っていた。問題はその時の夫の立場。2015年当時、アンドリューはFBIのワシントンDC担当で、クリントンの電子メール捜査を指揮する立場にあったのだ。本来ならこの件を担当してはならなかった。FBI関連で問題になっている人物がもうひとり存在する。特別検察官のロバート・ムラーだ。2001年9月4日から13年9月4日にかけてFBI長官を務めているが、長官就任から1週間後にニューヨークの世界貿易センターの3棟とバージニア州アーリントンにある国防総省の本部庁舎が攻撃されている。この事件の真相を上手に隠蔽したと陰口をたたかれているのだ。9/11の直後、事前にFBIは攻撃に関する情報を入手していたと内部告発したFBIの翻訳官だったシベル・エドモンズはフェトフッラー・ギュレンについても事実を公表しようとした。トルコでは1980年にCIAを後ろ盾とするクーデターがあり、軍事体制になった。この権力奪取を実行したのはトルコにおけるNATOの秘密部隊、カウンター・ゲリラ。このときにギュレンはクーデター派として台頭している。それ以降、ギュレンはCIAの手先として活動、アメリカに「スリーパー」のネットワークを構築していた。ギュレンを守る中心人物は「元」CIA幹部のグラハム・フラー。その事実をエドモンズは明らかにしたのだが、そうしたことを口にするなと命じたのがFBI長官だったムラーにほかならない。今でもCIAの保護下にあるギュレンは2016年7月15日のトルコにおけるクーデター未遂でも中心的な役割を果たしたとトルコ政府から批判されている。この武装蜂起はレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領がロシアへ接近する姿勢を見せた直後に引き起こされた。
2017.12.18
2014年2月22日にビクトル・ヤヌコビッチ大統領を排除したクーデターの後、ウクライナは破綻国家と化している。そのウクライナでジョージアの元大統領、ミハイル・サーカシビリが混乱に拍車をかけるような行動を展開している。サーカシビリは2013年にジョージアを離れ、その直後に指名手配されたが、15年5月29日にペトロ・ポロシェンコ大統領からウクライナの市民権を与えられ、5月30日にオデッサ州の知事に任命され、12月4日にジョージアの国籍を失っている。オデッサでは2014年5月2日に反クーデター派の住民がネオ・ナチのグループに虐殺されている。ネオ・ナチの後ろ盾はアメリカ/NATO。西側と連携したオリガルヒが資金を提供していた。虐殺はその日の午前8時、「サッカー・ファン」を乗せた列車が到着したところから始まる。赤いテープを腕に巻いた一団がその「ファン」を広場へ誘導するのだが、そこではネオ・ナチのクーデターに対する抗議活動が行われていた。誘導した集団はUNA-UNSOだと言われている。不穏な空気が漂う中、広場にいた反クーデター派の住民は労働組合会館の中へ誘導される。危険なので避難するようにと言われたようだが、実際は殺戮の現場を隠すことが目的だったと推測する人もいた。外から建物の中へ火炎瓶が投げ込まれて火事になり、焼き殺された人は少なくない。建物へ向かって銃撃があり、内部でも殺戮が繰り広げられた。48名が殺され、約200名が負傷したと伝えられているが、これは確認された数字で、住民の証言によると、多くの人びとが地下室で惨殺され、犠牲者の数は120名から130名だろいう。虐殺の詳しい調査は現時点でも実施されていない。虐殺の前、アメリカ政府の高官がキエフを訪れていた。まず4月12日にジョン・ブレナンCIA長官がキエフを極秘訪問、4月22日にはジョー・バイデン米副大統領もキエフを訪問し、それにタイミングを合わせるようにしてオデッサでの工作が話し合われている。この会議に出席したのは大統領代行、内相代行、SBU(治安機関)長官代行、ネオ・ナチの中心的な存在だったアンドレイ・パルビー国家安全保障国防会議議長代行、そしてオブザーバーとしてドニエプロペトロフスクの知事になるイゴール・コロモイスキーだ。コロモイスキーはウクライナのほか、イスラエルとキプロスの国籍を持ち、スイスをビジネスの基盤にしている。会議の10日後にオデッサで虐殺があったのだが、その数日前、パルビーは数十着の防弾チョッキをオデッサのネオ・ナチの下へ運んでいる。ところで、ウクライナをクーデターは2013年11月、キエフのユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)で始まった。当初はカーニバル的な抗議活動で、混乱をEUは話し合いで解決しようとする。そうした方針に怒ったのがアメリカのジェオフリー・パイアット大使やビクトリア・ヌランド国務次官補。このふたりが電話で話し合う音声が2014年2月4日にインターネット上にアップロードされている。パイアットとヌランドは電話で次期政権の人事について話し合っていたのだが、その中でヌランドが強く推していた人物がアルセニー・ヤツェニュク。実際、クーデター後、首相に就任している。その会話の中でヌランド国務次官補はEUが話し合いで解決しようとしていることに怒り、EUに対して「くそくらえ(F*ck the EU)」と口にした。その音声が公開された頃からキエフでは暴力が激しくなるが、その中心はネオ・ナチ。2月18日頃から棍棒、ナイフ、チェーンなどを手にしながら、石や火炎瓶を投げ、ピストルやライフルで銃撃を始めた。ネオ・ナチは広場へ2500丁以上の銃を持ち込んでいたとも言われている。その当時、広場をコントロールしていたのはネオ・ナチの幹部として知られているアンドレイ・パルビー。この人物はソ連が消滅した1991年にオレフ・チャフニボクと「ウクライナ社会ナショナル党(後のスボボダ)」というネオ・ナチ系の政党を創設、クーデター後には国家安全保障国防会議(国防省や軍を統括する)の議長に就任、2014年8月までその職にあった。ヤヌコビッチを暴力的に排除する切っ掛けになったのは広場における狙撃。治安部隊の隊員も抗議活動の参加者もターゲットになり、少なからぬ犠牲者が出た。西側の政府やメディアはヤヌコビッチ政権側が狙撃していると宣伝したが、2月25日にキエフ入りしたエストニアのウルマス・パエト外相は事実が逆だと報告している。反大統領派で医師団のリーダー格だったオルガ・ボルゴメツなどから聞き取り調査をした結果だという。その結果を26日にEUの外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)だったキャサリン・アシュトンへ電話で、狙撃手は反ヤヌコビッチ派の中にいると報告した。「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(暫定政権)が調査したがらないほど、本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合の誰かだというきわめて強い理解がある。」としている。パエトはクーデター派が狙撃したとアシュトンへ知らせているのだが、この報告は無視された。先月、この報告を裏付けるドキュメントがイタリアで放送されている。(その1、その2)その中で自分たちが狙撃したする3人のジョージア人が登場、警官隊と抗議活動参加者、双方を手当たり次第に撃つよう命じられたとしている。この3人は狙撃者の一部で、治安部隊のメンバーとしてジョージアから送り込まれたいう。また、彼らによると、キエフのクーデターはジョージアで実行された「バラ革命」と同じシナリオだった。狙撃の指揮者はアンドレイ・パルビーだとも語っているが、この人物が指揮していたことはクーデター直後から指摘されていた。ジョージアの狙撃者はウクライナ行きを命じたのはサーカシビリだとしているが、この人物は2013年11月17日に大統領を辞めているので、その前の決定だということになるだろう。2016年11月にサーカシビリはオデッサ州知事を辞任、今年7月にウクライナ国籍を剥奪された。一旦出国したが、今年9月10日にバスを使ってポーランドからウクライナへ入った。12月5日に逮捕されたが、この時はサーカシビリ支持者が奪還に成功、8日に再び逮捕された。保釈されたのは11日のことだ。
2017.12.17
サウジアラビアで大規模な粛清が始まった今年(2017年)11月4日、レバノンのサード・ハリリ首相が辞任を表明する録画映像をサウジアラビアのテレビが流したが、その表明は後に取り消された。粛清が始まった頃、ハリリとビジネスで緊密な関係にあったアブドゥル・アジズ・ビン・ファハド王子の死亡説も流れたが、サウジアラビア情報省はすぐに否定している。軟禁状態だとされたハリリをサウジアラビアから連れ出したのはフランスのエマニュエル・マクロン大統領。招待という形でハリリはフランスを訪問した。家族同伴と伝えられているが、ふたりの子どもはサウジアラビアに残っている。人質だと言う人もいる。マクロンは2006年から09年まで社会党に所属、その間、08年にロスチャイルド系投資銀行へ入り、200万ユーロという報酬を得ていたといわれている人物。つまり、ロスチャイルドの使用人。粛清を主導したと見られているモハメド・ビン・サルマン皇太子とも親しいと言われている。今年9月にビン・サルマン皇太子はイスラエルを秘密裏に訪問していることから、今回の粛清はイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ政権と連携してのことだった可能性がある。また、粛清の直前、ドナルド・トランプの義理の息子にあたるユダヤ系のジャレッド・クシュナーがサウジアラビアを秘密裏に訪れていることも注目されている。ところで、サード・ハリリの父親、ラフィク・ハリリは2005年2月に殺されている。この殺害事件を扱うために「レバノン特別法廷(STL)」が設置され、ヒズボラに所属するという4名が起訴されている。この事件では早い段階から「シリア黒幕説」が流された。2005年10月に国連国際独立委員会のデトレフ・メーリス調査官は「シリアやレバノンの情報機関が殺害計画を知らなかったとは想像できない」と主張、「シリア犯行説」に基づく報告書を安保理に提出しているのだが、証拠は示されていない。メーリスはアメリカやイスラエルの「情報機関が殺害計画を知らなかったとは想像できない」とは考えなかったようだ。メーリスの報告書では犯人像が明確にされていないうえ、暗殺に使われた三菱自動車製の白いバンは2004年に相模原で盗まれたのだが、そこからベイルートまで運ばれた経緯が調べられていないなど「欠陥」が当初から指摘されていた。また、アーマド・アブアダスなる人物が「自爆攻撃を実行する」と宣言する様子を撮影したビデオがアルジャジーラで放送されたが、このビデオをメーリスは無視。また、ズヒル・イブン・モハメド・サイド・サディクなる人物は、アブアダスが途中で自爆攻撃を拒否したため、シリア当局に殺されたとしているのだが、ドイツのシュピーゲル誌は、サイド・サディクが有罪判決を受けた詐欺師だと指摘する。しかも、この人物を連れてきたのがシリアのバシャール・アル・アサド政権に反対しているリファート・アル・アサド。サディクの兄弟によると、メーリスの報告書が出る前年の夏、サイドは電話で自分が「大金持ちになる」と話していたようだ。もうひとりの重要証人、フッサム・タヘル・フッサムはシリア関与に関する証言を取り消している。レバノン当局の人間に誘拐され、拷問を受けたというのだ。その上で、シリア関与の証言をすれば130万ドルを提供すると持ちかけられたと話している。メーリスの報告書が出された後、シリアやレバノンの軍幹部が容疑者扱いされるようになり、レバノン軍将官ら4人の身柄が拘束されたのだが、シュピーゲルの報道後、報告書の信頼度は大きく低下、シリアやレバノンを不安定化させたい勢力の意向に沿って作成されたと疑う人が増えた。2005年12月になるとメーリスは辞任せざるをえない状況に追い込まれ、翌月に辞めている。後に特別法廷は証拠不十分だとして4人の釈放を命じ、その代わりにヒズボラのメンバーが起訴されたわけである。STLは2007年、国連の1757号決議に基づいて設置されたのだが、国連の下部機関というわけではなく、サウジアラビア、アメリカ、フランス、イギリス、レバノンが年間85億円程度だという運営資金を出していた。この法廷が設置される前年、2006年7月から8月にかけてイスラエルはレバノンに軍事侵攻、ヒズボラと戦っている。その際、イスラエル海軍のコルベット艦がヒズボラの対艦ミサイルで損傷を受けたるなど予想外に苦戦した。イスラエルが単独で攻め込むことは難しい状況になったのだ。一方でハリリ・グループは「未来運動」なる活動を開始、武装部隊(テロ部隊)を編成した。その部隊を財政的に支援してきたのがデイビッド・ウェルチ米国務省次官補を黒幕とする「ウェルチ・クラブ」なるプロジェクトだと言われている。WikiLeaksが公表した外交文書によると、ロンドンを拠点とする反アサド派を2000年代の半ばからアメリカ政府は資金面などで支援、亡命シリア人のネットワークの「正義発展運動」も生み出した。2007年3月5日付けのニューヨーカー誌に掲載された調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュのレポートによると、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟がシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を開始している。また、1991年に国防次官だったポール・ウォルフォウィッツがイラク、シリア、イランを殲滅すると語ったことは、2007年にウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官が明らかにしている。(3月、10月)2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンにある国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されてから数週間後、ジョージ・W・ブッシュ政権はイラク、イラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンを攻撃する計画をたてていたともクラークは語っている。シリアの体制転覆は遅くとも1991年の段階でネオコンのスケジュールに入っていた。そうした状況の中、ラフィク・ハリリは暗殺された。アメリカはその責任をシリア政府になすりつけてアサド体制を倒そうとしたが、まだ倒されていない。
2017.12.16
ドナルド・トランプ大統領は12月6日の演説でエルサレムをイスラエルの首都だと認めた。それ以来、イスラム世界ではアメリカに対する批判が高まり、シスラム教徒が団結する雰囲気も出てきた。しかし、この演説でパレスチナ人の状況が悪化したわけではない。これまでイスラエルはガザを繰り返し軍事侵攻、ヨルダン川西岸は入植で浸食されて収容所化が進んできた。そうしたパレスチナを世界の人々が思い出しただけのことだ。本ブログでもすでに書いたことだが、アメリカには「1995年エルサレム大使館法」という法律がある。エルサレムをイスラエルの首都だと承認すべきで、1999年5月31日までにエルサレムにアメリカ大使館を設置すべきだという内容だ。今年(2017年)6月5日に上院はその法律を再確認する決議を賛成90、棄権10で採択している。その流れの中でドナルド・トランプ大統領はエルサレムをイスラエルの首都だと認める演説をしたのである。トランプは議会を尊重したとも言えるのだ。アメリカがパレスチナ問題の仲介者になることは不可能だということでもある。今回の演説までパレスチナは世界から見捨てられていたのだ。ヤセル・アラファトの死後、PLOはスポンサーのサウジアラビアの言いなりになるが、そのサウジアラビアはイスラエルと緊密な関係を築いている。そのPLOのライバルと見なされているハマス(イスラム抵抗運動)を育て上げたのもイスラエルだ。アラファトが率いるPLOの影響力を低下させるため、イスラエルはムスリム同胞団の一員としてパレスチナで活動していたアーマド・ヤシンに目をつける。彼はガザにおける同胞団の責任者に選ばれ、シン・ベト(イスラエルの治安機関)の監視下、イスラム・センターを創設する。1976年にはイスラム協会を設立、このイスラム協会の軍事部門として1987年に登場してくるのがハマスだ。アラファトはノルウェーのオスロでイスラエルのイツハク・ラビン政権と秘密裏に交渉、1993年9月に両者はアメリカのワシントンDCで「暫定自治原則宣言」(オスロ合意)に署名している。その後、クリントンはスキャンダル攻勢でホワイトハウスにおける影響力が低下、1995年11月にはラビンが暗殺される。この暗殺から5年後、イスラエルの軍事強硬派、リクードのアリエル・シャロン党首が数百名の警察官を従えてエルサレムの神殿の丘を訪問、和平の雰囲気は吹き飛んでしまい、2004年にアラファトが死亡た。その間、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンにある国防総省の本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されている。ジョージ・W・ブッシュ政権は詳しい調査をする前に「アル・カイダ」が実行したと断定、アメリカをはじめ西側世界では反イスラム感情が広がっていった。トランプは中東におけるアメリカの存在をアピールすることも狙ったと見る人もいる。バラク・オバマ政権はシリアのバシャール・アル・アサド大統領を排除すると宣言、イスラエルやサウジアラビアなどと手を組み、サラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を中心とする傭兵を送り込んだ。アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟が使った傭兵にはアル・ヌスラ(アル・カイダ系)やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)といったいくつかのタグが付けられていたが、所詮はタグに過ぎない。ところが、この侵略戦争はロシアに阻止される。クルドへの切り替えも思惑通りには進まなかった。戦争が長引くにつれて侵略勢力は結束が緩み、すでにトルコやカタールは離脱してロシア、イラン、シリアのグループに接近している。2003年にアメリカ主導軍から先制攻撃を受けてサダム・フセイン体制を倒されたイラクもこのグループと手を組んでいる。アメリカの中東における影響力は急速に低下し、ロシアの存在感が強まった。トランプは世界の目をアメリカへ向けさせようとしたと考える人もいる。
2017.12.15
アメリカ、日本、韓国の3カ国が朝鮮半島周辺で合同軍事演習を始めた12月11日、ロシア軍のワレリー・ゲラシモフ参謀総長は米日韓の軍事演習を軍事的な緊張を高めるものだと批判した。その翌日、12日にアメリカのレックス・ティラーソン国防長官は朝鮮と前提条件なしに対話する用意があると発言、その翌日にはロシアの軍事使節が朝鮮を訪れている。朝鮮が「火星15」と名づけられたICBMの発射実験を実施した11月29日にはロシアの議員団が朝鮮を訪問、また11月20日から6日間にわたって日本経済団体連合会、日本商工会議所、日中経済協会で構成される経済代表団約250名が中国を訪れていた。軍事的な緊張を高めようとする勢力と緩和させようとする勢力の対立が鮮明になっている。東アジアでの経済発展を目指し、鉄道網やパイプラインの建設を計画している中国やロシアは軍事的な緊張を緩和させようとしているが、それを妨害しているのがアメリカ、日本、韓国の好戦派、そして朝鮮。本ブログでは何度か指摘しているが、朝鮮はアメリカや日本の好戦派にとって都合の良いタイミングで爆破やミサイル発射の実験を実施してきた。アメリカの好戦派は朝鮮を利用して東アジアの軍事的な緊張を高めてきたが、そのターゲットは朝鮮でなく中国だろう。歴史的にアメリカ支配層は中国の制圧と略奪を目論んできたのだ。アングロ・サクソンというとらえ方をすれば、その歴史は19世紀までさかのぼることができる。フランクリン・ルーズベルト大統領が急死してホワイトハウスがウォール街に奪還された後、アメリカは国民党を支援したが、その国民党と戦っていた解放軍が1949年1月に北京へ無血入城、5月には上海を支配下におき、10月には中華人民共和国が成立した。上海を拠点にしていたアメリカの極秘破壊工作機関OPCは日本へ移動、厚木基地を中心に活動することになる。朝鮮戦争勃発の4カ月後、1950年10月にOPCはCIAへ吸収されて秘密工作部門の中核になり、中国南部へ侵攻する計画を立た。そこでラオスにいた国民党軍を再編成し、1951年4月にCIAの軍事顧問団は2000名の国民党軍を率いて中国へ軍事侵攻、片馬を占領した。そこで反撃にあい、追い出されている。1952年8月にも国民党軍は中国へ侵攻して約100キロメートルほど進んだが、やはり中国側の反撃で撃退されてしまった。1953年にドワイト・アイゼンハワーが大統領に就任、国務長官はジョン・フォスター・ダレスになった。その年の7月に朝鮮戦争が休戦になるが、翌年の1月にダレス国務長官は国家安全保障会議でベトナムにおけるゲリラ戦の準備を提案している。それを受け、CIAはSMM(サイゴン軍事派遣団)を編成した。この段階でベトナムへの軍事介入が見通されている。ベトナムから軍隊を撤退させる決断をしていたジョン・F・ケネディ大統領が1963年11月に暗殺され、副大統領から昇格したリンドン・ジョンソンは本格的な軍事介入を始めた。アメリカ人の中には「神の軍隊」であるアメリカ軍がベトナム戦争で苦戦していることに不満を抱く人が少なくなかったが、そうした時期に勃発したのが1967年6月の第3次中東戦争。この戦いで圧勝したイスラエルを新たな「神の軍隊」として崇める人もいたようである。その後、デタント(緊張緩和)を目指したリチャード・ニクソンはウォーターゲート事件で1974年8月に失脚、副大統領からジェラルド・フォードが昇格して誕生した新政権ではポール・ニッツェやアルバート・ウールステッターがデタント派の粛清をしている。ちなみに、ニッツェはナチスとの関係が疑われた元銀行家で、元トロツキストのウールステッターは核の専門家として国防総省系のシンクタンクRANDで働いていたことがある。シカゴ大学で教えた学生の中には後にネオコンの中心的グループに入るポール・ウォルフォウィッツも含まれていた。粛清の中で最も重要な意味を持っていたと考えられているのは国防長官とCIA長官の交代。1975年11月に国防長官はジェームズ・シュレシンジャーからドナルド・ラムズフェルドへ、また76年1月にCIA長官はウィリアム・コルビーからジョージ・H・W・ブッシュへ交代している。また、ネオコンの台頭も目立つ。例えば、ラムズフェルドはNATO大使から1974年9月に大統領主席補佐官へ、そして国防長官になったが、空いた首席補佐官のポストに収まったのがリチャード・チェイニーだ。当時、CIA長官になったブッシュは「情報の素人」だとされたが、実際はエール大学でCIAにリクルートされた可能性が高く、ジョン・F・ケネディ大統領が暗殺された当時、ブッシュがCIAの幹部だったことはFBIの文書で確認されている。ブッシュが長官になったCIAではソ連脅威論を宣伝するチームBが始動する。CIAの分析部門は事実を重視するため、チームBで好戦派に継ごうが良い偽情報を流すことになった。社会不安を高め、軍事力増強や治安体制の強化へつなげようとしたのである。そのチームBを率いたハーバード大学のリチャード・パイプス教授はヘンリー・ジャクソンの事務所で顧問を務めていた人物。その事務所は後にネオコンと呼ばれる人々が育成のために送り込まれていた。また、Bチームのメンバーにはポール・ニッツェやポール・ウォルフォウィッツも含まれていた。1991年12月にソ連が消滅した直後、92年2月に世界制覇プラン、いわゆるウォルフォウィッツ/ドクトリンを作成した中心人物がウォルフォウィッツ。そのプランに基づいて1995年2月にジョセフ・ナイ国防次官補が「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を作成、公表している。それ以降、日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれていく。そうした流れに逆らう鳩山由紀夫が2009年9月に内閣総理大臣となると、マスコミや検察から激しい攻撃を受けて潰されてしまい、10年6月に首相は鳩山から菅直人へ交代した。その年の9月に海上保安庁は「日中漁業協定」を無視して尖閣諸島の付近で操業中だった中国の漁船を取り締まり、田中角栄と周恩来が「棚上げ」で合意していた尖閣諸島の領有権問題に火がつけられた。その結果、軍事的な緊張が高まり、経済面にも悪い影響が出ているのだが、それにも限界がある。今年、日本が大規模な経済代表団を中国へ派遣した理由のひとつはその辺にあるのだろう。アメリカの好戦派に従属して日本を破壊するのか、そうした事態を回避するために方針を転換するのか、日本の支配層は選択を迫られている。
2017.12.14
アメリカ、日本、韓国は12月11日から合同軍事演習を実施した。アメリカから参加した2隻のイージス駆逐艦、「ステセム」と「ディケーター」を中心に、日本のイージス駆逐艦「ちょうかい」、韓国のイージス駆逐艦が参加している。東シナ海ではアメリカのB-B爆撃機やF-35戦闘機、F-18戦闘機、また日本から4機のF-15戦闘機が飛行したという。この演習は朝鮮を想定しているとされているが、実際の相手は中国とロシアのはずである。アメリカと緊密な関係にあるイギリスでは1945年5月にドイツが降伏した直後にソ連を奇襲攻撃する計画を立て、アメリカは1949年に中華人民共和国が建国されてから中国への軍事侵攻を目論んできた。今もその延長線上にある。イギリスの奇襲計画はウィンストン・チャーチル英首相がJPS(合同作戦本部)に命じて作成させたもので、「アンシンカブル作戦」と名づけられた。それによると、1945年7月1日に米英軍数十師団とドイツの10師団が「第3次世界大戦」を始める想定になっていたが、参謀本部に拒否されて実行されていない。日本が降伏する前にソ連を攻撃した場合、日本とソ連が手を組む可能性があると懸念する人もいたようだ。この計画が流れた後、7月26日にチャーチルは退陣するのだが、日本が降伏して第2次世界大戦が終わった翌年、1946年の3月に彼はアメリカのミズーリ州で「バルト海のステッティンからアドリア海のトリエステに至まで鉄のカーテンが大陸を横切って降ろされている」と演説して「冷戦」の開幕を宣言している。それだけでなく、1947年にチャーチルはスタイルス・ブリッジス米上院議員と会い、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得して欲しいと頼んでいたと報道されている。チャーチルは執拗にソ連の破壊を目論んでいた。ドイツ軍の主力がソ連に攻め込んでいたとき、西側が手薄になっていたにもかかわらずチャーチルはドイツを攻撃させていない。フランクリン・ルーズベルトが1945年4月に急死した後、副大統領から昇格したハリー・トルーマン大統領は1947年3月、世界的な規模でコミュニストを封じ込める政策、いわゆるトルーマン・ドクトリンを打ち出した。ジョージ・ケナンがXという署名でソ連封じ込め政策に関する論文を発表したことも有名な話だが、これらは1904年にハルフォード・マッキンダーというイギリスの学者が発表した理論と合致する。イギリスは一貫してロシア制圧を目論んできた。マッキンダーは世界を3つに分けて考えている。第1がヨーロッパ、アジア、アフリカの世界島、第2がイギリスや日本のような沖合諸島、そして第3が南北アメリカやオーストラリアのような遠方諸島だ。世界島の中心がハートランドで、具体的にはロシアを指し、そのロシアを支配するものが世界を支配するとしていた。そのロシアを締め上げるため、西ヨーロッパ、パレスチナ、サウジアラビア、インド、東南アジア諸国、朝鮮半島をつなぐ内部三日月帯を、その外側に外部三日月地帯をマッキンダーは想定している。日本は内部三日月帯の東端にあり、侵略の重要拠点であるのみならず、傭兵の調達地と認識されていた。第2次世界大戦後、アメリカでは外交官や軍人の好戦的な勢力がソ連の打倒を目指す。例えば、トルーマン・ドクトリンが発表された2年後、アメリカの統合参謀本部はソ連の70都市へ133発の原爆を落とすという内容の研究報告を作成、1954年にアメリカのSAC(戦略空軍総司令部)はソ連を攻撃するための作戦を作り上げた。SACの作戦は600から750発の核爆弾をソ連に投下、約6000万人を殺すという内容で、この年の終わりにはヨーロッパへ核兵器を配備している。300発の核爆弾をソ連の100都市で使うという「ドロップショット作戦」が作成されたのは1957年初頭だ。こうした動きの中、沖縄では1953年に布令109号「土地収用令」が公布/施行され、アメリカ軍は暴力的な土地接収を進める。1955年には本島面積の約13%が軍用地になったという。沖縄の軍事基地化はアメリカの世界戦略と結びついていると言えるだろう。こうした軍事基地化が推進されていた当時、1955年から57年にかけて琉球民政長官を務めていたのがライマン・レムニッツァー。第2次世界大戦でイギリス軍のハロルド・アレグザンダー元帥に取り入り、アレン・ダレスを紹介されている。ダレスとレムニッツァーは大戦の終盤、ナチスの高官を保護する「サンライズ作戦」をルーズベルト大統領に無断で実施している。レムニッツァーは琉球民政長官の後、ドワイト・アイゼンハワー政権時代の1960年から統合参謀本部議長に就任するが、次のケネディ大統領とは衝突、議長の再任が拒否されている。衝突の主な原因はソ連に対する先制核攻撃をめぐるものだった。本ブログでは何度も書いてきたが、テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、レムニッツァーやカーティス・ルメイを含む好戦派は1963年の終わりにソ連を奇襲攻撃する予定だったという。その頃になればアメリカはICBMを配備でき、しかもソ連は配備が間に合わないと見ていたのだ。そのために偽旗作戦のノースウッズも作成されたのだが、1963年6月にケネディ大統領はアメリカン大学の学位授与式(卒業式)でソ連との平和共存を訴える。そして11月22日にテキサス州ダラスで暗殺された。その翌年、日本政府はルメイに対し、勲一等旭日大綬章を授与している。これも繰り返し書いてきたが、「核の傘」とはアメリカの先制核攻撃の拠点になることを意味する。1991年12月にソ連が消滅した直後、ネオコンをはじめとする好戦派が作成した国防総省のDPG草稿、いわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリンはソ連がアメリカの属国になったという前提で立てられた世界制覇プラン。21世紀に入るとロシアがウラジミル・プーチンの元で再独立に成功、国力を回復させたのだが、それでもアメリカ支配層の内部にはボリス・エリツィン時代のイメージが残っていたようで、例えば、キール・リーバーとダリル・プレスはフォーリン・アフェアーズ誌の2006年3/4月号に掲載された論文の中でロシアと中国の長距離核兵器をアメリカの先制第1撃で破壊できるようになると主張している。その論文が出た2年後の2008年にアメリカ支配層の幻想を打ち破る出来事があった。その年の7月10日にアメリカのコンドリーサ・ライス国務長官はジョージア(グルジア)を訪問、8月7日にミヘイル・サーカシビリ大統領は分離独立派に対して対話を訴えてから8時間後の深夜に南オセチアを奇襲攻撃したのだ。ジョージアは2001年以降、イスラエルの軍事会社から無人飛行機、暗視装置、対航空機装置、砲弾、ロケット、電子システムなどを含む武器/兵器の提供を受け、軍事訓練も受けていた。2008年1月から4月にかけてはアメリカの傭兵会社MPRIとアメリカン・システムズが元特殊部隊員を派遣している。つまり、アメリカやイスラエルは周到に準備した上でジョージアに南オセチアを奇襲攻撃させたのだ。圧勝する予定だったのだろうが、ロシア軍に粉砕されてしまった。この時点でアメリカ軍やイスラエル軍はロシア軍に通常戦で勝てないことが明らかになったと言える。その後、力の差が開いたことはシリアでの戦闘が示唆している。それでもアメリカ支配層の一部はロシアと中国を制圧しようとしている。アメリカ経済は半世紀近く前に破綻、その後は資金のコロガシ、投機市場の肥大化で誤魔化してきたのだが、その仕組みが揺らいでいることが大きい。ドルが基軸通貨の地位から陥落しそうだなのだ。投機市場が縮小しはじめたなら大変な勢いで西側支配層の富は消えていく。ロシアと中国が健在である限り、そうした展開になってしまうだろう。来年、アングロ・シオニストの支配者たちはギャンブルに出る可能性がある。
2017.12.13
ロシアのウラジミル・プーチン大統領が12月11日に突如シリアのラタキアにあるフメイミム空軍基地を訪問、シリアのバシャール・アル・アサド大統領と会談した。その際、シリアに派遣されたロシア軍の主力を帰還させるよう国防相と参謀総長に命じたことを明らかにしている。ただ、フメイミム空軍基地とロシア海軍が使っているタルトゥース基地はこれまで通りだという。軍に帰還を命じたのはダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)の殲滅に成功したからだとしているが、アル・カイダ系武装勢力と同じように、この戦闘部隊をアメリカ、イスラエル、サウジアラビアを中心とする侵略同盟は手先として使ってきた。その同盟からトルコやカタールは離脱したが、中核の3カ国はシリア侵略を諦めていない。アメリカ軍はそうした武装集団の逃亡を助けてきた。幹部をヘリコプターで救出したと伝えられている。「新ダーイッシュ」を編成する準備はできているだろう。アメリカ主導軍がイラクを先制攻撃した2年後、イギリスのロビン・クック元外相はガーディアン紙に寄稿した文章の中で、アル・カイダはCIAから軍事訓練を受けた「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル、つまり傭兵の登録リストだと指摘した。1970年代の終盤にズビグネフ・ブレジンスキーが計画した秘密工作で戦闘集団が編成されて以来、そうした仕組みは維持されている。ちなみにアル・カイダはアラビア語でベースを意味し、データベースの訳語としても使われている。アメリカ軍はロシア軍より1年前、2014年9月23日からシリア政府の承認を得ないまま軍事介入、トルコ政府によると、シリア北部に13基地をすでに建設済み。駐留している将兵は7000名に達するとする情報もある。この軍事介入の口実としてアメリカ軍もダーイッシュ殲滅を掲げていた。ダーイッシュは2014年1月にイラクのファルージャでイスラム首長国の「建国」を宣言、6月にファルージャを制圧した。その際、トヨタ製の真新しい小型トラックのハイラックスを連ねたパレードを行い、その様子を撮影した写真が配信されたことも有名になった。8月にはジェームズ・フォーリーの首をダーイッシュが切ったとする映像が公開されている。しかし、本当にダーイッシュをアメリカ政府が危険だと考えていたなら、ファルージャ制圧を黙認したはずはない。ハイラックスの車列は格好のターゲットだったはずだ。こうした行動をアメリカの軍や情報機関はスパイ衛星、偵察機、通信傍受、人から情報を把握していたはずだからだ。アメリカは2014年9月、ダーイッシュの出現を口実にして連合軍を組織、アサド体制の打倒を目指す。連合軍に参加したのはサウジアラビア、カタール、バーレーン、アラブ首長国連合のペルシャ湾岸産油国、ヨルダン、トルコ、さらにイギリス、オーストラリア、オランダ、デンマーク、ベルギー、フランス、ドイツなどだ。この連合軍は2014年9月23日に攻撃を始めるが、その様子を取材したCNNのアーワ・デイモンは翌朝、最初の攻撃で破壊されたビルはその15から20日前から蛻の殻だったと伝えている。その後、アル・ヌスラ(アル・カイダ系)やダーイッシュはシリアで勢力を拡大していくが、その理由は連合軍が本気で攻撃していなかったからにほかならない。その後、アル・カイダ系武装集団やダーイッシュは支配地を拡大、アメリカ主導軍はインフラを破壊、住民の犠牲が増えていく。このようにダーイッシュが売り出される2年前、2012年8月にアメリカ軍の情報機関DIAは反シリア政府軍について、その主力はサラフィ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団だと指摘、バラク・オバマ政権が宣伝していた「穏健派」は存在しないとする報告書をホワイトハウスへ提出している。しかも、その中で東部シリア(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配国が作られる可能性があるとも警告されていた。つまり、ダーイッシュの出現を見通していたのだ。当然、バラク・オバマ大統領もわかっていただろう。そうした経緯があったこともあり、2014年にダーイッシュが登場するとオバマ政権の内部で激しい対立が起こり、その年の8月にマイケル・フリンDIA局長は解任されている。ファルージャやモスルをダーイッシュに支配させることはオバマ政権の主流派が望んでいたことだと言えるだろう。その翌月、マーティン・デンプシー統合参謀本部議長(当時)はアラブの主要同盟国がダーイッシュに資金を提供していると議会で証言している。退役から1年後の2015年8月にフリン元DIA局長はアル・ジャジーラの番組へ出演、ダーイッシュの出現が見通されていたにもかかわらず阻止できなかった理由を問われ、自分たちの任務は提出される情報の正確さをできるだけ高めることにあると答えている。その情報に基づいて政策を決定するのは大統領の仕事だということであり、ダーイッシュの勢力が拡大したのはオバマ政権が決めた政策によるというわけだ。ロシア軍主力の撤退はシリアへ居座ろうとしているアメリカ軍への圧力という側面もあるだろうが、一旦占領した場所からアメリカ軍は引き揚げようとしない。実際、シリアでもそうした発言をしている。11月にはロシア軍を挑発して軍事的な緊張を高めようとしていたが、緊張が高まる前にロシア政府は主力の帰還を命じてしまった。このままアメリカ軍が居座ろうとすれば自分たちが単なる侵略軍に過ぎないことを明らかにすることになる。それでも日本などはアメリカを侵略者だとは認めようとしないかもしれないが、世界の目は違う。
2017.12.12
エルサレムをイスラエルの首都だとし、1999年5月31日までにそこへ大使館を建設するべきだとする法律をアメリカ議会が作り上げたのは1995年のことだった。歴代大統領の判断もあってその日程は守られていないが、上院は今年(2017年)6月5日、その法律を再確認する決議を賛成90、棄権10で採択している。その流れの中でドナルド・トランプ大統領は12月6日、エルサレムをイスラエルの首都だと認める演説をしたのである。民主党も共和党も関係なくアメリカの議員は遅くとも22年前からエルサレムをイスラエルの首都だ認め、それをトランプ大統領は尊重したという形だ。しかし、トランプの演説がイスラム世界の怒りに火をつけたことも事実。アメリカ政府の妨害もあり、これまで各国政府はイスラエルによるパレスチナ人弾圧に有効な対策を打ち出せずにきた。民間レベルではイスラエルに対するBDS(ボイコット、資本の引き揚げ、制裁)運動がヨーロッパを中心に展開されているものの、国レベルではせいぜい口先で批判するだけだ。イスラエルはガザを繰り返し軍事侵攻、ヨルダン川西岸は入植で浸食されて収容所化が進んでいる。そうした状況を苦々しく見て生きたイスラム教徒の怒りが今回の演説で爆発しつつあり、イスラエルと緊密な関係にあるサウジアラビアにも怒りの矛先が向けられている。そのサウジアラビアから資金を得ているパレスチナ自治政府のマフムード・アッバース大統領もトランプ大統領を批判せざるをえない。アッバースは2004年11月に死亡したヤシル・アラファトの後継者とされ、PLO(パレスチナ解放機構)の議長でもあるが、PLOにかつての面影はない。アラファトの死は中東情勢の大きな転換点になった。そうしたこともあり、その死は人為的なものだったのではないかという疑いが消えていない。その疑惑が正しいのか間違っているのか、それをカタールのメディア、アル・ジャジーラが9カ月にわたって調査、死の直前までアラファトが健康だったことを確認している。しかも彼の衣類や歯ブラシなどもの回りの品から放射性物質、ポロニウム210を検出、遺体の調査を求める声が出た。イスラム世界でアラファトの存在が大きかった理由のひとつは、イスラム諸国の支配層がヨーロッパやイスラエルに立ち向かわず、自分たちの地位と富を優先してきたことに対する反発がある。シオニストがイスラエルの建国を宣言したのは1948年5月14日のことだが、アラブ諸国の軍隊が参戦するのはその翌日から。それまでにシオニストが行っていた破壊と虐殺を何もせず傍観していたのだ。その年の4月4日にシオニストは「ダーレット作戦」を発動し、8日にデイル・ヤーシーン村でアラブ系住民を虐殺しても動きは鈍かった。この虐殺は単に住民を殺すというだけでなく、パレスチナ人全体に恐怖を与え、逃げ出すよう仕向けることが目的だった。一種のテロ作戦だ。アラファトが人々から英雄視されるようになるのは1967年から。この年の6月にイスラエル軍がエジプトを奇襲攻撃(第3次中東戦争)、アラブ軍を蹴散らしてエルサレム、ガザ地区、シナイ半島、ヨルダン川西岸、ゴラン高原などを占領している。このとき、イスラエル軍に立ち向かったのはアラブ諸国の軍隊ではなく、ファタハだった。このファタハでスポークス・パーソンを務めていたのがアブー・アンマール、つまりヤセル・アラファトである。1969年2月、アラファトはPLOの執行委員会議長に選ばれた。イスラエルから見ると、このPLOが最も警戒すべき敵になる。そこでイスラエルが目をつけたのがアーマド・ヤシンだった。当時ムスリム同胞団の一員としてパレスチナで活動していた人物だ。ガザにおける同胞団の責任者にヤシンは選ばれ、シン・ベト(イスラエルの治安機関)の監視下、彼はイスラム・センターを創設する。1976年にはイスラム協会を設立、このイスラム協会の軍事部門として1987年に登場してくるのがハマス(イスラム抵抗運動)だ。アラファトの死後、パレスチナで主導権を握った。ところで、アラファトはノルウェーのオスロでイスラエルのイツハク・ラビン政権と秘密裏に交渉、1993年9月に両者はアメリカのワシントンDCで「暫定自治原則宣言」(オスロ合意)に署名している。この時のアメリカ大統領はビル・クリントン。政権がヒラリー人脈に乗っ取られる前だ。ビル・クリントンのホワイトハウスにおける影響力を低下させた大きな要因は彼に対するスキャンダル攻勢だった。1993年頃から激しくなっている。そのヒラリー人脈を含む好戦派、あるいはイスラエルの軍事強硬派にとってその宣言は許し難いこと。彼らの怒りは当然、クリントン大統領にも向けられた。1996年にリチャード・パールやダグラス・フェイスなどネオコンは「決別」という文書を作成、この中でイスラエルのオスロ合意を守る義務はないと明言している。1995年11月にはラビンが暗殺されたが、この暗殺も公式見解に疑問を持つ人が少なくない。例えば、イスラエル人の調査ジャーナリスト、バリー・シャミシュによると、アミールが撃ったのは空砲で、ラビンは病院へ向かう車の中で射殺された可能性が高いという。この暗殺から5年後、イスラエルの軍事強硬派、リクードのアリエル・シャロン党首が数百名の警察官を従えてエルサレムの神殿の丘を訪問、和平の雰囲気は吹き飛んでしまい、2004年にアラファトが死亡するわけだ。その間、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンにある国防総省の本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されている。ジョージ・W・ブッシュ政権は詳しい調査をする前に「アル・カイダ」が実行したと断定、アメリカをはじめ西側世界では反イスラム感情が広がっていった。そうしたプロパガンダの上で西側の有力メディアが果たした役割は大きい。
2017.12.11
アメリカのドナルド・トランプ大統領は12月6日午後1時にエルサレムをイスラエルの首都だと認める演説をしたのだが、アメリカ上院は6月5日に同じ趣旨の決議を採択していることをWikiLeaksのジュリアン・アッサンジが指摘している。その決議では賛成90、棄権10だった。これがアメリカの実態。カネの力なのか脅しの力なのかはわからないが、有力メディアと同じように、政界もイスラエルの強い影響下にある。その点、ヒラリー・クリントンも同じだ。
2017.12.10
トルコへ亡命したSDF(シリア民主軍)の元広報担当、タラル・シロによると、ダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)の戦闘員数千名はアメリカとの秘密合意に基づき、ラッカを脱出してデリゾールなどへ向かったとロイターの記者に語ったという。BBCは脱出に加わった運転手のひとりから脱出にはトラック50台、バス13台、ダーイッシュの車両100台が使われと聞いたと伝えている。またトルコのメディアによると、SDFはアメリカ政府が武器をYPG(クルド人民防衛隊)へ供給するために作り上げた隠れ蓑で、実態はYPGだとシロは話している。こうした脱出作戦を秘密裏に行うため、ラッカでの戦闘も演出したという。トルコ側はシロと同じ主張をしているが、アメリカ側は否定している。ラッカだけでなく、イラクのモスルなどからアメリカはダーイッシュやアル・カイダ系武装集団をデリゾールへ移動させているという情報は以前から伝えられていた。デリゾールの南東地域、ユーフラテス川沿いには油田地帯た広がり、それをアメリカは押さえたがっていたのだ。武装集団の幹部クラスや金庫番をヘリコプターでアメリカ軍が救出していたとも伝えられている。しかも、クルドがアメリカの思惑通りに動かず、YPGとロシアが共同記者会見を開くという事態。アメリカは逃がした戦闘員で「穏健派」を編成しようとしているが、そうした「穏健派」がインチキだということは2012年8月の段階でアメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)がホワイトハウスへの報告という形で明らかにしている事実だ。それは今も変わらない。反シリア政府軍の主力はサラフィ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQI(アル・ヌスラの実態は同じだとしている)で、バラク・オバマ政権が「穏健派」に対する軍事支援を継続したなら、東部シリア(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配国が作られる可能性があるとも警告している。この報告が作成された当時のDIA局長がマイケル・フリン中将だ。この事実の基づき、フリンは退役後、アル・ジャジーラの番組でダーイッシュの勢力が拡大したのはオバマ政権が決めた政策によると語っている。アメリカ/NATO軍がアル・カイダ系武装集団と連携して侵略作戦を展開していることはリビアで明白になり、シリアではダーイッシュという別のタグをつけた武装集団が登場してきた。その集団が売り出されたのは2014年。1月にイラクのファルージャでイスラム首長国の「建国」を宣言、6月にファルージャを制圧したが、その間、アメリカの軍や情報機関は傍観していた。ジェームズ・フォーリーの首をダーイッシュが切ったとする映像が公開されたのはこの年の8月。この映像はフェイクだった可能性が高く、凶暴性を演出してアメリカ軍が介入する環境を作ろうとしたという見方もある。こうしたアメリカのシナリオを狂わせたのが2015年9月30日のロシア軍による空爆の開始。アメリカ軍とは違い、シリア政府の要請を受けてのことだった。これでダーイッシュやアル・カイダ系武装集団は劣勢になる。ロシア国防省のスポークスパーソンは12月9日に会見で、アメリカ軍がロシア軍のダーイッシュに対する攻撃を妨害してきたと非難している。その一例としてあげたのが11月23日の出来事。2機のSu-25がダーイッシュの拠点を破壊する作戦を展開中、アメリカ軍のF-22が現れて攻撃を妨害、Su-35が救援に現れるまでそうした行為が続いたとしている。F-22はイラク領へ逃げたという。アメリカ軍はシリア北部に基地を建設、7000名とも言われる部隊を侵入させているのだが、クルド軍がアメリカの手先になっていないことから戦闘になるとアメリカ軍は厳しい戦いを強いられるだろう。こうした状況を打開するためにアメリカは新たな戦争を目論んでいると推測する人が少なくない。ドナルド・トランプ大統領のエルサレム発言で中東の軍事的な緊張が高まり、レバノンへの軍事侵攻が現実味を帯びてきた。しかし、この発言で分裂していたパレスチナ陣営が連携する動きを見せ、イスラム諸国では庶民の突き上げで支配層はアメリカやイスラエルと対峙せざるを得なくなるかもしれない。これまでアメリカのネオコンはウクライナのクーデターでロシアを締め上げようとしたが、それが原因でロシアと中国との同盟を強化させ、中東や北アフリカでの侵略戦争によってイラク、イラン、シリア、トルコ、カタール、ロシアを結びつけてしまった。パキスタン軍もアメリカのドローンを撃墜すると警告している。
2017.12.10
今から76年前、1941年12月7日の午前7時48分(現地時間)に日本軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃した。ここは海岸が遠浅で攻撃が技術的に難しく、守りの堅い軍港。非常識とまでは言えないだろうが、攻撃のリスクは高い。それを厳しい訓練でクリアしたということだ。アメリカ政府の対日制裁でやむなく攻撃した、あるいはアメリカ側は事前に攻撃を知っていたと主張する人がいるが、日本軍は実際に攻撃している。つまりアメリカによる偽旗作戦ではない。日本に対する制裁には歴史的な背景がある。1872年の琉球併合から74年の台湾派兵、75年にはソウルへ至る水路の要衝である江華(カンファ)島へ軍艦(雲揚)を送り込んで挑発、日清戦争、日露戦争を経て東アジア侵略を本格化、米英の利権と衝突して対日制裁になるわけだ。こうした制裁が軍事行動を誘発すると考えている人は、例えば朝鮮に対する制裁にも反対しているのだろう。そうでなければ矛盾だ。あるいは朝鮮に圧力を加え、戦争を誘発したいと考えているのだろうか?明治維新から1932年までの日本はイギリスとアメリカというアングロ・サクソン系の国に従属、その手先として動いた側面がある。明治維新はイギリスの思惑と違って内戦が早い段階で終結、徳川時代の人脈が生きていたので完全な属国にはならなかったが、大きな影響下に置かれたことは間違いない。ここでいうアメリカとはウォール街を意味する。1923年9月1日に相模湾を震源とする巨大地震、つまり関東大震災が発生、復興に必要な資金を調達するために日本政府は外債の発行を決断、それを引き受けることになったのがJPモルガンだ。この金融機関の総帥はジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアだが、大番頭として銀行業務を指揮していたのはトーマス・ラモント。このラモントは3億円の外債発行を引き受け、それ以降、JPモルガンは日本に対して多額の融資を行うことになる。この巨大金融機関と最も強く結びついていた日本人のひとりが井上準之助。1920年に対中国借款の交渉をした際にこの巨大金融機関と親しくなったという。ラモントは日本に対して緊縮財政と金本位制への復帰を求めていたが、その要求を浜口雄幸内閣は1930年1月に実行する。そのときの大蔵大臣が井上だ。この政権が進めた政策はレッセ-フェール、つまり新自由主義的なもので、その責任者で「適者生存」を信じるある井上は失業対策に消極的。その結果、貧富の差を拡大させて街には失業者が溢れて労働争議を激化させ、農村では娘が売られると行った事態になった。一般民衆に耐え難い痛みをもたらすことになったわけだ。当然のことながら、アメリカでもJPモルガンを中心とするウォール街の住人は強い影響力を持ち、1929年に大統領となったハーバート・フーバーもそのひとり。フーバーはスタンフォード大学を卒業した後、鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルドの鉱山で働いていた人物で、利益のためなら安全を軽視するタイプだったことから経営者に好かれ、ウォール街と結びついたという。(Gerry Docherty & Jim Macgregor, “Hidden History,” Mainstream Publishing, 2013)ところが、1932年の大統領選挙でフーバーは負けてしまう。当選したのは巨大企業の活動を制限し、労働者の権利を認めるという政策を掲げるニューディール派のフランクリン・ルーズベルトだ。大きな力を持っていたとはいえ、今に比べるとアメリカ支配層の力はまだ小さく、選挙で主導権を奪われることもありえた。このフーバーはホワイトハウスを去る少し前、1932年にJPモルガンと関係の深いジョセフ・グルーを駐日大使として日本へ送り込んだ。なお、この年に井上準之助は血盟団のメンバーに暗殺されている。グルーのいとこにあたるジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥の妻で、グルーが結婚していたアリス・ペリーは少女時代を日本で過ごし、華族女学校(女子学習院)へ通っている。そこで親しくなったひとりが九条節子、後の貞明皇后だという。グルーの皇室人脈はそれだけでなく、松平恒雄宮内大臣、徳川宗家の当主だった徳川家達公爵、昭和天皇の弟で松平恒雄の長女と結婚していた秩父宮雍仁親王、近衛文麿公爵、貴族院の樺山愛輔伯爵、当時はイタリア大使だった吉田茂、吉田の義父にあたる牧野伸顕伯爵、元外相の幣原喜重郎男爵らにもつながっていた。(ハワード・B・ショーンバーガー著、宮崎章訳『占領 1945〜1952』時事通信社、1994年)こうした人脈を持つグルーが日本軍の動向に関する機密情報を入手していても不思議ではないが、このグルーとルーズベルト大統領との関係が良好だったとは言えない。情報がきちんと伝えられていたかどうか疑問があるが、JPモルガンへは詳しく伝達されていただろう。グルーが大使として日本へ来る前年、1931年に日本軍の奉天独立守備隊に所属する河本末守中尉らが南満州鉄道の線路を爆破、いわゆる「満州事変」を引き起こした。この偽旗作戦を指揮していたのは石原莞爾や板垣征四郎だ。1932年には「満州国」の樹立を宣言するのだが、この年にアメリカでは風向きが変わっていた。本来なら日本はその変化に対応する必要があったのだが、そのまま進む。そして1937年7月の盧溝橋事件を利用して日本は中国に対する本格的な戦争を開始、同年12月に南京で虐殺事件を引き起こしたのだ。そして1939年5月にはソ連へ侵略しようと試みてノモンハン事件を起こし、惨敗した。本ブログで何度か指摘したように、このソ連侵攻作戦はアングロ・サクソンの長期戦略に合致している。その作戦が失敗したことから南へ向かい、米英の利権と衝突するわけだ。ドイツ軍がソ連に対する大規模な軍事侵攻、いわゆるバルバロッサ作戦を開始したのはその2年後、1941年6月のことだ。この作戦でドイツは軍の主力を投入したが、ドイツ軍の首脳は西部戦線防衛のために大軍を配備するべきだと主張、反対している。日本が真珠湾を攻撃する前で、アメリカは参戦していないが、それでもイギリスがその気になれば、西側からドイツを容易に攻略することができるからだ。この反対意見を退けたのはアドルフ・ヒトラー。この非常識な「判断」との関連で注目されているのがヒトラーの側近だったルドルフ・ヘスの動きだということも本ブログでも指摘した。1941年5月10日にヘスは単身飛行機でスコットランドへ飛んでいるのだ。ドイツ軍は1941年7月にレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)を包囲、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点まで迫り、42年8月にスターリングラード市内へ突入して市街戦が始まった。ここまではドイツ軍が圧倒的に優勢だったが、1942年11月にソ連軍が猛反撃を開始、ドイツ軍25万人を完全に包囲して43年1月に生き残ったドイツの将兵9万1000名は降伏する。主力を失ったドイツ軍の敗北はこの時点で決定的だ。その4カ月後、1943年5月に米英両国はワシントンDCで会談して善後策を協議、7月にアメリカ軍はイギリス軍と共にシチリア島に上陸した。ハスキー計画だ。このとき、アメリカ軍はマフィアと手を組んでいる。9月にはイタリア本土を占領、イタリアは無条件降伏した。ハリウッド映画で有名になったオーバーロード(ノルマンディー上陸)作戦は1944年6月になってからのことである。ノルマンディー上陸作戦の結果、ドイツ軍が負けたと思い込んでいる人も少なくないようだが、これはハリウッドによる洗脳の効果を証明している。その一方、スターリングラードでドイツ軍が壊滅した後にアレン・ダレスなどアメリカ支配層はフランクリン・ルーズベルト大統領には無断でナチスの幹部たちと接触を始めている。例えば、1942年の冬にナチ親衛隊はアメリカとの単独講和への道を探るために密使をOSSのダレスの下へ派遣、ドイツ降伏が目前に迫った45年初頭にダレスたちはハインリッヒ・ヒムラーの側近だった親衛隊の高官、カール・ウルフに隠れ家を提供、さらに北イタリアにおけるドイツ将兵の降伏についての秘密会談が行われている。(Christopher Simpson, “The Splendid Blond Beast”, Common Courage, 1995 / Eri Lichtblau, “The Nazis Next Door,” Houghton Mifflin Harcourt, 2014)イタリアとスイスとの国境近くでウルフがパルチザンに拘束された際にはダレスが部下を派遣して救出している。(Eri Lichtblau, “The Nazis Next Door,” Houghton Mifflin Harcourt, 2014)ドイツは1945年5月に降伏しているが、その前の月にルーズベルト大統領は急死、ホワイトハウスの主導権をウォール街が奪還した。副大統領から昇格したハリー・トルーマンはルーズベルトとの関係が希薄。トルーマンのスポンサーだったアブラハム・フェインバーグはシオニスト団体へ法律に違反して武器を提供し、後にイスラエルの核兵器開発を資金面から支えた富豪のひとりとして知られている。
2017.12.09
小野寺五典防衛相は12月8日、閣議後の記者会見で長距離巡航ミサイルを導入すると表明したようだ。JASSM-ER、LRASM、JSMだという。JASSM-ERはロッキード・マーチン製で射程距離は約1000キロメートル。B-1、B-2、B-52、F-15、F-16、F/A-18に搭載できるが、F-35も可能だという。対艦ステルス・ミサイルのLRASMもロッキード・マーチン製で、射程距離は600キロ程度だと見られている。まだ配備されていないようだ。搭載できるのはF/A-18、B-1B、F-35など。レイセオンとノルウェーのコングスベルグが共同開発したJSMの射程距離は約300キロメートルで、F-35に搭載できる。この決定が「専守防衛」に接触するかどうかで議論されているようだが、日本はとうの昔にそうした方針を捨て去っている。1992年2月にアメリカのネオコンが世界制覇プラン、いわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリンを作成してから日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれてきた。その戦争マシーンは軍事侵略が目的であり、専守防衛という考え方とは相容れない。アメリカ軍は日本列島を中国への軍事侵攻を行うための「巨大空母」と認識、それを首相時代の中曽根康弘が口にしている。アメリカが沖縄を軍事基地化した1950年代、アメリカ軍ではソ連や中国に対する先制核攻撃計画が動き始めた。「核の傘」とは先制核攻撃の拠点になることを意味する。日本政府が導入を決めた地上配備型イージスシステム「イージス・アショア」は韓国へ持ち込まれているTHAAD(終末高高度地域防衛)と同様、攻撃兵器へ容易に変更できる代物。韓国政府が導入に反対した理由のひとつだ。そうした反対の声を封じる上で朝鮮のミサイル発射や核兵器開発の果たした役割は大きい。旧ソ連圏を含むヨーロッパ各地にアメリカ軍/NATO軍が配備してきたミサイルと目的は同じだ。高額低性能で「空飛ぶダンプカー」とも呼ばれるF-35は2015年1月、カリフォルニア州のエドワード空軍基地近くで行われたF-16戦闘機との模擬空中戦で完敗、攻撃してきた戦闘機を迎え撃つには適さないことが明白。唯一のセールスポイントはステルス性能で、これを生かすためには敵の艦船や基地に近づいて攻撃するしかない。専守防衛を本当に理念としているなら、こんな戦闘機を購入するはずがない。今年(2017年)10月16日、イスラエル軍はロシアのセルゲイ・ショイグ国防大臣の同国訪問に合わせてシリアを攻撃したが、その際にシリア軍は保有する旧型の防空システムS-200で応戦、イスラエル軍のF-35が損傷を受けたのではないかとも言われている。イスラエル軍のF-35がコウノトリと衝突して飛行できない状態になったと発表されたのだが、その状況を示す写真などが明らかにされていなこともあり、ミサイル攻撃での損傷ではないかというわけだ。これが事実ならF-35のステルス性能も怪しく、S-400はF-35を容易に撃墜できると推測できる。本ブログでは繰り返し書いてきたが、アメリカは第2次世界大戦の直後からソ連に対する先制核攻撃、中国に対する軍事侵攻を目論んできた。朝鮮戦争やベトナム戦争もその一環だと私は考えている。そう考えるのが自然であり、それを裏付ける証言もある。だからこそ、中国は朝鮮戦争に介入してきたわけで、現在もアメリカが朝鮮を先制攻撃したなら阻止すると警告しているのだ。そうした軍事侵攻があったなら、ロシアも動くだろう。
2017.12.08
アメリカの情報機関と治安機関、つまりCIAとFBIをドナルド・トランプ大統領はコントロールできていない。こうした機関はヒラリー・クリントンを担いでいた勢力の手先として動いていると言え、大統領は信用していない。そこでトランプは私的な情報機関を編成しようと計画していうとする情報が伝えられている。2017年12月5日付けのインターセプトによると、1997年に傭兵会社のブラックウォーター(2009年にXE、11年にアカデミへ名称変更)を創設したエリック・プリンスにトランプの私的情報機関を作らせようとしているという。プリンスの姉、ベッツィ・デボスはトランプ政権で教育長官を務め、夫のディック・デボスは「アムウェイ」の創設者だ。エリックは海軍の特殊部隊SEAL出身で、熱心なキリスト教原理主義者。今は未公開株を取り引きするフロンティア・リソース・グループを経営、軍事的サービスを提供するフロンティア・サービス・グループの会長を務めている。いずれもアフリカをビジネスのターゲットにしているようだ。歴史的に見て、イギリスやアメリカの情報機関、つまりMI6やCIAは金融機関と関係が深い。例えばアメリカの場合、第2次世界大戦の際に創設されたOSSの長官、ウィリアム・ドノバンはウォール街の弁護士。ドノバンの友人で、その当時から戦後にかけて破壊活動を統括、CIA長官にもなったアレン・ダレスもウォール街の弁護士。ダレスの側近で、大戦後に破壊活動を指揮したフランク・ウィズナーもウォール街の弁護士。やはりOSS時代からダレスの側近だったリチャード・マクガラー・ヘルムズの母方の祖父にあたるゲーツ・マクガラーは国際決済銀行の初代頭取であり、ジェラルド・フォード政権でCIA長官と務めたジョージ・H・W・ブッシュの父親プレスコット・ブッシュ、その妻の父親であるジョージ・ハーバート・ウォーカーは大物銀行家で、ウォール街からナチへ資金を流す重要なパイプのひとつだったと言われている。ジョージ・H・W・ブッシュのHはハーバート(Herbert)、Wはウォーカー(Walker)のイニシャル。それだけウォーカーはブッシュ家にとって大きな存在だと言える。CIA長官に就任した際、ジョージ・H・W・ブッシュを情報の素人であるかのように言う人がいたが、エール大学に在学中、CIAのリクルート担当だった人物と懇意で、もし彼がCIAに入っていなければ驚きだ。ジョン・F・ケネディ大統領が暗殺された7日後の1963年11月29日に作成された大統領暗殺に関係したFBIの文書に、「中央情報局のジョージ・ブッシュ氏」という表現があることをジョセフ・マクブライドがネイション誌の1988年7月16/23日号で明らかにした。これに対し、CIAのスポークスパーソンはAPの記者に対し、「その人物は1963年当時、本部にいたジョージ・ウイリアム・ブッシュに間違いない」と話したのだが、その後、マクブライドは「ジョージ・ウイリアム・ブッシュ」が文書の登場するブッシュでないことを確認している。また、有力メディアと同様、FBIや軍の内部にはカネと地位で懐柔された人物が少なくないと見られている。少なくとも今回の件でFBIの幹部が公正でないことは再確認されている。司法省も信頼できなことを示す出来事が1980年代に発覚している。ある私企業が開発した不特定多数の情報を収集、蓄積、分析するシステムを司法省が不公正な手段で手に入れて情報機関へ渡し、そのシステムにトラップ・ドアを組み込んで各国政府、国際機関、大手金融機関などに売っていた疑いが強まったのだ。この件は裁判になり、1988年2月にワシントン破産裁判所のジョージ・ベイソン判事は司法省が不正な手段を使って会社を破産させ、システムを横領したと認め、翌年の11月にはワシントン連邦地裁のウィリアム・ブライアント判事も破産裁判所を支持する判決を言い渡している。1992年9月には下院の司法委員会が破産裁判所の結論を支持する内容の報告書を公表した。下院の調査により、相当量の重要書類が「行方不明」になっている事実も明らかになっている。破産裁判所のベイソン判事は判決後に再任を拒否された。後任の判事は裁判で司法省側の弁護士が就任する。また控訴裁判所は「破産裁判所と連邦地裁に裁判権がない」という理由で原判決を破棄、1997年8月に最高裁判所は司法省の言い分を認める判決を言い渡した。イラン・コントラ事件で偽証して有罪になったロバート・マクファーレン、あるいは証券詐欺や銀行詐欺などでロサンゼルスの連邦地裁で有罪の評決を受けるアール・ブライアンを「信頼できる証人」だとしての逆転判決だった。こうした事情はあるが、勿論、私的な情報機関を大統領が編成することは問題が大きい。1970年代に議会が情報機関の秘密工作にメスを入れたことから議会の目を避けるため、80年代には私的情報機関が作られ、活動した。実際にはCIAと連携していたが、形式的に別組織だとされたわけだ。ちなみに、イスラエルも「元情報機関員」が多くの「私的企業」を創設し、情報活動を行っている。アメリカやイギリスの支配層は現在、巨大資本が国を支配する体制を築き上げようとしている。TPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)はそのための協定。ISDS(投資家対国家紛争解決)条項によって、各国の立法府も司法府も無力化されてしまう。この条項によって巨大企業のカネ儲けを阻むような法律や規制を政府や議会が作ったなら企業は賠償を請求できることになり、健康、労働、環境など人びとの健康や生活を国が守ることは難しくなる。法律家の話を聞くと、この問題には法律体系の問題があるという。TPPの場合、アメリカのほかオーストラリア、カナダ、ニュージーランドは判例法を基本とする英米法の国であるが、日本は国会で制定された法律を基本とする大陸法を採用している。統一した法体系を作りあげることは不可能だ。そして、問題が起こって仲裁になると出てくる法律家は英米法の人間だろう。日本が主導権をとることはできない。米英の巨大資本が日本を支配するということだ。フランクリン・ルーズベルト大統領は1938年4月29日、ファシズムについて次のように定義している。「もし、私的権力が自分たちの民主的国家より強くなるまで強大化することを人びとが許すなら、民主主義の権利は危うくなる。本質的に、個人、あるいは私的権力をコントロールするグループ、あるいはそれに類する何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ。」私的情報機関は傭兵組織と同様、そうした体制の暴力装置になるだろう。
2017.12.08
アメリカのドナルド・トランプ大統領は12月6日午後1時にエルサレムをイスラエルの首都だと認める演説をした。エルサレムを聖地だと考えているイスラム教徒をはじめ、少なからぬ人から批判されている。軍事的な緊張を一気に高め、新たな戦争の引き金になりかねないからだ。アメリカやイスラエルの言いなりになってきたパレスチナ自治政府のマフムード・アッバース大統領もトランプ大統領を批判せざるをえない。本ブログでもすでに指摘したが、イスラエルとサウジアラビアだけでイランを倒すことは難しい。ヒズボラが相手でも勝てないだろうと推測する人がいる。つまりアメリカ軍を引き込む必要がある。アメリカ支配層としても、ロシアに押されている状況を変えるため、ギャンプルに出ても不思議ではない。自爆攻撃のようにも見える。バラク・オバマ大統領は地上部隊を派遣しないとしていたが、実際は相当数のアメリカ兵がシリアへ侵入、居座っている。アメリカの国防総省によると、アメリカ軍の部隊はイラクに8892名、アフガニスタンに1万5298名、シリアに1700名、合計2万5910名いるとしているが、実際はこの数字を大幅に上回っていると言われている。シリアの場合、トルコ政府によると、クルドが支配している北部に13基地を建設済み。将兵は7000名に達するとする情報もある。アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟が考えていた最初の計画では、シリアのバシャール・アル・アサド体制を倒してサラフィ主義者の国を作ることになっていた。それが破綻、次にシリアを解体しようとしたが、これも失敗、イラン、イラク、シリア、トルコにまたがるクルドの国を作るという計画も思惑通りに進まなかった。クルドがアメリカの思惑通りに動いていないようだ。その間、イラク、イラン、シリア、ロシアが連携を深め、そこへトルコやカタールも加わるという展開になり、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟は窮地に陥っている。シリア占領軍も孤立し、撤退せざるをえなくなるかもしれない。戦闘になればアメリカ軍は新たな泥沼へはまり込むことになる。アメリカではトランプを担ぐ勢力とヒラリー・クリントンを担ぐ勢力が今でも激しく対立しているが、その背後には前者がシェルドン・アデルソンやベンヤミン・ネタニヤフ、後者には投機家のジョージ・ソロス、さらにその後ろにはロスチャイルドがいる。少し前からネタニヤフとソロスの対立が伝えられているが、その理由はこうしたところにある。2016年の大統領選挙でトランプへ最も多くの資金を提供したのはアデルソンだが、そのアデルソンと緊密な関係にあるネタニヤフはチャールズ・クシュナー、つまりトランプの娘と結婚した相手の父親と友人関係にある。このネタニヤフ-クシュナーのラインに結びついているのがサウジアラビアのモハンマド・ビン・サルマン皇太子。ビン・サルマンに皇太子の座を奪われたホマメド・ビン・ナイェフはソロス-ヒラリー・クリントンのライン。皇太子の交代はアメリカ大統領がクリントンでなくトランプになったことと関係しているとも言われている。その後、今年(2017年)11月4日からサウジアラビアで反皇太子派に対する大規模な粛清が始まり、48時間で約1300名が逮捕され、その中には少なからぬ王子や閣僚が含まれているとされている。例えば、サウジアラビア国家警備隊を率いていたムトイブ・ビン・アブドゥッラー、衛星放送のMBCを所有するワリード・ビン・イブラヒム・アル・イブラヒム、ロタナTVを含むエンターテイメント会社のロタナ・グループの大株主であるアル・ワリード・ビン・タラル王子、ネットワーク局ARTを創設したサレー・アブドゥッラー・カメル、そしてバンダル・ビン・スルタンといった名前も流れた。拘束された人々はアメリカの傭兵から拷問を受けているとする情報も伝えられている。本ブログでは何度も書いてきたが、バンダル・ビン・スルタンはブッシュ家に近く、1983年10月から2005年9月にかけてアメリカ駐在大使、2005年10月から2015年1月にかけて国家安全保障会議事務局長、2012年7月から2014年4月にかけて総合情報庁(サウジアラビアの情報機関)長官を務めた。サラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やチェチェンの反ロシア勢力を動かしていたことでも知られている。リビアやシリアを侵略する際、サラフィ主義者を動かしていたのはビン・スルタンにほかならない。暴力的という点では皇太子派も前皇太子派も大差はないということだ。しかし、両派のボスには違いがある。前皇太子派はブッシュ家、ヒラリー・クリントン、ジョージ・ソロス、ロスチャイルドであり、現皇太子派はクシュナー親子、そしてネタニヤフにつながる。粛清が始まる数日前、ドナルド・トランプの義理の息子にあたるユダヤ系のジャレッド・クシュナーがサウジアラビアを秘密裏に訪れていることから、粛清との関係が噂されている。クシュナー親子はネタニヤフと近く、粛清にイスラエル政府が関与している可能性もある。ネタニヤフ首相の父親はウラジミール・ジャボチンスキーの秘書を務めていた人物だ。ネタニヤフは一時期、頻繁にロシアを訪問していた。イランを攻撃するため、ロシアを排除したかったのだろうが、失敗している。パレスチナ問題でも批判されたようだ。【追加】トランプがエルサレムをイスラエルの首都として認めると発表した6日、ロシア軍参謀本部はシリアをダーイッシュから解放したと発表した。ダーイシュを壊滅させたということだが、この武装組織はアメリカ、イスラエル、サウジアラビアの傭兵であり、新たなプロジェクトで傭兵が集められ、新たな武装集団が編成される可能性はある。アメリカの軍や情報機関はダーイッシュやアル・カイダ系武装集団の幹部を救出してきたので、実際、そうしたことを目論んでいるのだろう。
2017.12.07
FBIの幹部捜査官の疑惑が話題になっている。昨年はヒラリー・クリントンの電子メール問題の捜査を指揮、今年に入ってからロバート・ムラー特別検察官の元でロシア政府による大統領選挙への介入疑惑を調べ、8月にムラーのチームから離れたピーター・ストルゾクがその捜査官だ。恋愛関係にある同僚に対し、反トランプのメッセージを送っていたことが判明したことが理由だと言われている。この人物の問題は公正な立場で捜査していなかったといるだけでなく、クリントンが公務の通信に個人用の電子メールを使い、しかも3万2000件近い電子メールを削除した件も問題視されている。ジェームズ・コミーFBI長官(当時)は彼女が機密情報の取り扱いに関する法規に違反した可能性を指摘、情報を「きわめて軽率(Extremely Careless)」に扱っていたとしていた。この「きわめて軽率」は元々「非常に怠慢(Grossly Negligent)」だと表現されていたのだが、それをストルゾクが書き換えていたことが判明している。罰金、あるいは10年以下の懲役が科せられる行為について後者の表現は使われるようで、クリントンが刑務所行きになることを防ぐために書き換えた疑いが濃厚だ。なお、コミーはFBI長官だった今年5月3日に宣誓の上で捜査を打ち切るように圧力を受けたことはないと証言しているが、その発言から5日後に彼は解任された。民主党本部のサーバーをハッキングして入手したと思われる1万9252件の電子メールと8034件の添付ファイルをWikiLeaksは2016年7月22日に公表しているが、有力メディアはその中身を無視、ロシア政府によるハッキングだという宣伝を続けてきた。もし本当にロシア政府がハッキングしたならNSAが証拠を握っているはずで、新たな捜査は必要ない。捜査を演出するのは証拠がないからだ。NSAで通信傍受の仕組みを設計した人物を含め、内部で入手されたと断定する専門家は少なくない。電子メールをWikiLeaksへ渡した人物ではないかと言われているのがDNC(民主党全国委員会)のスタッフだったセス・リッチ。2016年7月10日に殺されている。この殺人事件の捜査を担当したのはワシントンDC警察だが、リッチの両親が雇った元殺人課刑事の私立探偵リッチ・ウィーラーによると、捜査は途中で打ち切られている。その当時のワシントンDC警察長、キャシー・ラニエーは8月16日、9月で辞職してナショナル・フットボール・リーグの保安責任者に就任すると発表、実際に転職した。ウィーラーがそうした話を記者にした直後、セス・リッチの遺族からウィーラーや話を伝えたFOXニュースへ抗議があり、ウォーラーは発言を撤回する。パストラム・グループの危機コンサルタント、ブラッド・バウマンが遺族のスポークスパーソンとして発表した。WikiLeaksが公表したメールの中には、バーニー・サンダースが同党の大統領候補になることを妨害するよう民主党の幹部に求めるものがあり、サンダースの支持者を怒らせている。民主党幹部たちが2015年5月26日の時点でヒラリー・クリントンを候補者にすると決めていたことを示唆している電子メールの存在も知られている。民主党がクリントンを候補者に選ぶ方向で動いていたことはDNCの委員長だったドンナ・ブラジルも認めている。彼女はWikiLeaksが公表した電子メールの内容を確認するために文書類を調査、DNC、ヒラリー勝利基金、アメリカのためのヒラリーという3者の間で結ばれた資金募集に関する合意を示す書類を発見したという。その書類にはヒラリーが民主党のファイナンス、戦略、そして全ての調達資金を管理することが定められていた。しかも、その合意は彼女が指名を受ける1年程前の2015年8月だ。トランプのロシアゲートは根拠がなく、作り話の可能性が高いのだが、ここにきて新たなロシアゲートが浮上している。2013年にロシアのロスアトムが子会社を介して買収したウラニウム・ワンの問題だ。買収が承認された2010年当時の大統領はバラク・オバマ。ヒラリー・クリントンは承認を担当した国務長官で、FBI長官はロバート・ムラー。このとき、ロシア側からクリントンの基金へ寄付としてカネが渡った。証拠が示されることなく有力メディアが宣伝を展開しているトランプのケースとは違い、クリントンの件は根拠が示されている。
2017.12.06
イエメンのアリ・アブドゥラ・サレーハが前大統領が11月4日、首都サヌアの南でフーシ派(アンサール・アラー)の戦闘員に殺されたと伝えられている。生存説もあるが、拘束されたことは確かなようだ。サレーハは殺される直前にフーシ派との決別を表明、それに対してフーシ派は裏切りだと怒りをあらわにしていた。ちなみに、フーシ派と呼ばれている人びとはシーア派の分派であるザイド派に属し、イランのシーア教徒と同じではない。サレーハはマアリブを経由してアラブ首長国連邦へ逃れる計画だったというが、その首都アブ・ダビにある原子力発電所に向けてミサイルを3日に発射したとフーシ派は主張している。今回の出来事で不思議がられていることがある。サレーハに近いと見られている戦闘集団が助けに来なかったのだ。準備せずにフーシ派との決別、つまりサウジアラビアとの同盟をサレーハは宣言しなければならない事情があったのか、あるいはサレーハが見捨てられたのもしれない。サウジアラビアから見ると敵が分裂したわけで歓迎すべきことなのだろうが、フーシ派は戦乱がサウジアラビアやペルシャ湾岸へ広がる可能性を示している。戦乱がイランまで拡大することになると、それはイスラエルやサウジアラビアの思惑に合致するのかもしれないが、それは中東全域が瓦礫と死体の山になることを意味する。世界大戦になる可能性も高い。ところで、サレーハが大統領だった2004年に政府軍とフーシ派は軍事衝突した。その前年にアメリカ主導軍がイラクを先制攻撃、それに抗議する目的でフーシ派のメンバーがモスクで反アメリカ、反イスラエルを唱和するようになる。政府は弾圧に乗り出し、サヌアで800名程度が逮捕されたという。これが切っ掛けで戦闘が始まり、2010年まで続く。その途中、2009年にサウジアラビアはフーシ派を叩くため、イエメンへ空軍と特殊部隊を派遣した。その年にはイエメンで「アラビア半島のアル・カイダ(AQAP)」が創設されてフーシ派と戦い始めたが、AQAPは劣勢。そこでサウジアラビアが軍事介入したと見られている。AQAPをサウジアラビア軍はターゲットにしていない。ロビン・クック元英外相が指摘しているように、アル・カイダとはCIAから軍事訓練を受けた「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル、つまり傭兵の登録リスト。雇い主はサウジアラビアをはじめとするペルシャ湾岸の産油国だ。アル・カイダはアラビア語でベースを意味し、データベースの訳語としても使われている。欧米が「アラブの春」を叫んでいた2011年にアメリカ、イスラエル、サウジアラビアを中心とする勢力がアル・カイダ系武装集団を使ってリビアやシリアへの侵略を始めるが、その年にイエメンでは「革命」があり、サレーハ大統領が辞任した。2012年2月に副大統領のアブド・ラッボ・マンスール・アル・ハディが新大統領の座に納まるが、イエメンに権力の基盤がないハディはさっさとサウジアラビアへ逃走した。その後、フーシ派が優勢になって首都も影響下に起き始める。そうした事態に危機感を感じたのであろうサウジアラビアは2015年3月に大規模な軍事介入を始める。戦闘機を100機、15万名の兵士、さらに海軍の部隊を派遣(国境を越えているかどうか不明)、フーシ派を指揮していた3名の幹部を殺害したという。攻撃にはアラブ首長国連邦、バーレーン、カタール、クウェートなどの国も参加し、アメリカも物資や情報の面で支援したようだ。アメリカのバラク・オバマ政権はこの軍事侵攻を支持した。フーシ派の攻勢がアメリカやサウジアラビアを慌てさせた一因は、CIAのイエメンにおける活動内容が漏れたことにあるようだ。イエメンの情報機関とCIAは緊密な関係にあるのだが、治安機関のオフィスが制圧された際に機密文書の一部がフーシ派へ渡ったというのである。
2017.12.05
国会で安倍晋三首相が迷走している中、マスコミはマイケル・フリンの話を大々的に報道している。「ロシアゲート」のカギを握る人物だという取り上げ方だ。バラク・オバマ政権がロシアとの関係を悪化するため、大統領の任期が終了しようとしていた2016年12月に外交官35名を含むロシア人96名を追放しているが、そうしたオバマ政権の政策を修正すると公約して当選したのがドナルド・トランプであり、その方針に従ってフリンは動いた。それが問題になっているのだ。フリンが局長時代のDIAは反シリア政府軍に「穏健派」は存在しないと指摘、オバマ政権の政策はサラフィ主義者の国を作ると警告していたが、今問題になっているフリンの問題を解くカギはフェトフッラー・ギュレンにあると指摘する人がいる。ギュレンはトルコ人で、ビル・クリントンが大統領だった1999年、病気療養という理由でアメリカへ移り住んだ。2013年までレジェップ・タイイップ・エルドアンとも友好的な関係にあったが、今はエルドアン政権からテロリストだとされ、逮捕令状が出ている。2016年7月のクーデター未遂でトルコ政府はギュレンを黒幕だとしている。ギュレンやそのネットワークを調査するためにエルドアンが雇った相手がフリン。今年(17年)5月17日、ロシアゲートを調べるためだとして特別検察官に任命されたロバート・ミューラーは当初の口実を超え、フリンとエルドアンとの関係を問題にする。ちなみに、ロシアゲート事件の幕開けを下院情報委員会で告げたのはアダム・シッフ下院議員。今年3月のことだ。2016年のアメリカ大統領選挙にロシアが介入したという彼の主張はクリストファー・スティールの報告書に基づいている。この根拠薄弱な報告書を作成したスティールはイギリスの対外情報機関MI6のオフィサーだった人物。MI6のために働いていたアレキサンダー・リトビネンコのケース・オフィサーだったとも言われている。情報機関を離れてからはオービス・ビジネス・インテリジェンスという民間情報会社を経営している。2001年9月11日の攻撃直後、ギュレンがアメリカに潜在的テロリストのネットワークを構築していると警告した人物がいる。FBIの翻訳官で、9月11日の攻撃を事前にFBIは知っていたと告発したシベル・エドモンズだ。彼女によるとギュレンはイスラム過激派で、彼の「兵士」は彼が合図すれば行動を起こすことになっているという。いわゆるスリーパーだ。当時のFBI長官、ロバート・ミューラーはエドモンズに対してこうした情報を口にするなと命令、彼女は解雇された。その後、この問題は裁判になる。エドモンズによると、ギュレンがマネーロンダリングを行い、テロ関連の活動をしていることをFBIは20年ほど前から知っていたが、黙認してきた。ギュレンは資金が潤沢で、アメリカに140以上の学校網を作り上げているが、その背後にはCIAが存在しているとも言われている。アメリカでギュレンを守っている中心人物は元CIA幹部でアフガニスタンのイスラム武装勢力を動かしていたグラハム・フラー。この人物の娘が結婚した相手の甥ふたりは2013年のボストン・マラソンにおける爆破事件で容疑者とされ、兄は射殺された。弟は重傷を負い、外で証言できない状態だ。ところで、第2次世界大戦の終盤、アメリカとイギリスの情報機関はジェドバラという破壊工作の部隊を組織、それがアメリカのOPC、そしてCIAの破壊工作部門になった。そうした米英の組織が軸になってNATOの内部に秘密部隊が編成されたことは本ブログでも何度か指摘した。中でもイタリアのグラディオは有名で、1960年代から80年代にかけて極左を装い、爆弾攻撃を繰り返した。アルド・モロの誘拐/殺人の実行者だとも言われ、シャルル・ド・ゴール暗殺未遂やジョン・F・ケネディ暗殺でも名前が出てくる。ギュレンがそうした仕組みに組み込まれている可能性は否定できない。
2017.12.04
アメリカ司法省はロシア系メディアに対して「外国のエージェント」として登録し、その金融に関する情報を開示するように強制しはじめた。それに対抗してロシアでは対抗措置として新たな法律を成立させている。ロシア国内で活動、外国が資金提供する報道機関に対して財務内容と活動の詳細を開示することを要求することになりそうだ。ロシアのメディアと似た状況にあるカタールのアル・ジャジーラ、フランスのフランス24、イギリスのBBC、ドイツのドイチェ・ベレ、あるいは日本のNHKに対してアメリカ司法省はそうした要求をしていない。ロシア系メディアのメディアが狙われた理由はアメリカの報道統制にとって邪魔な存在だからだろう。アメリカでは情報源が政府、議会、大企業など支配層に偏り、そうした支配層に批判的な意見は採りあげられないに等しい。イスラエルのパレスチナ人弾圧を批判していたユダヤ系の学者が大学から追放されるということもあった。選挙では民主党と共和党という2大保守政党以外の弱小政党にも発言のチャンスを与え、イラク、リビア、シリアなどでは現地で地道に取材しているジャーナリストの報告も取り上げている。つまり、アメリカの有力メディアを通して伝える「大本営発表」の嘘がロシア系メディアを通して明らかにされてきたのだ。本ブログでは繰り返し書いてきたように、アメリカの支配層は第2次世界大戦の直後から組織的に情報操作を行ってきた。1948年頃に始まった情報操作プロジェクトはモッキンバードと呼ばれ、その中心メンバーは大戦中からアメリカの破壊活動を指揮していたアレン・ダレス、ダレスの側近で極秘の破壊工作機関OPCを指揮していたフランク・ウィズナー、やはりダレスの側近で後にCIA長官に就任するリチャード・ヘルムズ、そしてワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハムである。(Deborah Davis, “Katharine The Great”, Sheridan Square Press, 1979)この4人のほか、CBSの社長だったウィリアム・ペイリー、TIME/LIFEを発行していたヘンリー・ルース、ニューヨーク・タイムズの発行人だったアーサー・シュルツバーガー、クリスチャン・サイエンス・モニターの編集者だったジョセフ・ハリソン、フォーチュンやLIFEの発行人で、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺の様子を撮影したザプルーダー・フィルムを隠すように命じたのC・D・ジャクソンなど多くのメディア関係者の名前が協力していたと言われている。フィリップ・グラハムは1963年8月、ケネディ大統領が暗殺される3カ月前に自殺、妻のキャサリン・グラハムが新聞社を引き継いだ。キャサリンの友人の中にはフランク・ウィズナーの妻ポリーがいる。このキャサリンから目をかけられたワシントン・ポスト紙の記者ベンジャミン・ブラッドリーが結婚したトニー・ピンチョットの姉、マリー・ピンチョット・メイヤーはCIAの秘密工作部門の幹部だったコード・メイヤーと離婚した後、ケネディ大統領の愛人になったと言われている。マリーは1964年10月、ケネディ大統領暗殺に関する報告書が公表された3週間後、散歩中に射殺された。ウォーターゲート事件を調査、リチャード・ニクソン大統領を辞任に追い込んだのはキャサリン・グラハムが率いるワシントン・ポスト紙だった。事件を担当したのは若手記者だったカール・バーンスタインとボブ・ウッドワードで、実際の取材はバーンシュタインが行ったという。そのバーンシュタインはニクソン大統領が辞任した3年後の1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、その直後に「CIAとメディア」という記事をローリング・ストーン誌に書いている。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)それによると、その時点までの20年間にCIAの任務を秘密裏に実行していたジャーナリストは400名以上。そのうち200名から250名が記者や編集者など現場のジャーナリストで、残りは、出版社、業界向け出版業者、ニューズレターで働いていた。1950年から66年にかけて、ニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供しているとCIAの高官は語ったという。現在の情報操作ネットワークはこの当時よりシステム化が進み、その規模も大きくなっているだろう。2014年2月にはフランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング(FAZ)紙の編集者だったウド・ウルフコテもドイツでCIAとメディアとの関係をテーマにした本を出している。ウルフコテによると、ジャーナリストとして過ごした25年の間に教わったことは、嘘をつき、裏切り、人びとに真実を知らせないこと。ドイツだけでなく多くの国のジャーナリストがCIAに買収され、最近では人びとがロシアに敵意を持つように誘導するプロパガンダを展開、人びとをロシアとの戦争へと導き、引き返すことのできない地点にさしかかっているとしていた。今年(2017年)1月、心臓発作によって56歳で死ぬまで警鐘を鳴らし続けていた。今年5月には英語版が出版されたはずだったが、流通していないようだ。モッキンバードの中核メンバーだったヘルムズはCIA長官時代、「アカの脅威」に替わる新たな呪文として「国際テロリズム」を考えだした。ズビグネフ・ブレジンスキーがアフガニスタンでサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を中心とする戦闘集団を編成、訓練を始めていた1979年7月、アメリカとイスラエルの情報機関はエルサレムで「国際テロリズム」に関する会議を開いている。イスラエル側からは軍の情報機関で長官を務めた4名を含む多くの軍や情報機関の関係者が参加、アメリカからもジョージ・H・W・ブッシュ元CIA長官(後の大統領)やレイ・クライン元CIA副長官など情報機関の関係者が参加していた。ロナルド・レーガンが大統領に就任した翌年の1982年、CIAのプロパガンダを担当していたNSC(国家安全保障会議)のスタッフはウォルター・レイモンド。その年の6月にレーガン大統領はイギリス下院の本会議で「プロジェクト・デモクラシー」という用語を使う。このプロジェクトの目的はアメリカの巨大資本にとって都合の悪い国家、体制を崩壊させることにある。いわゆるレジーム・チェンジだ。国内の作戦は「プロジェクト・トゥルース」と呼ばれた。1983年1月にレーガン大統領はNSDD(国家安全保障決定指示)77に署名、プロジェクトの中枢機関としてSPG(特別計画グループ)をNSCに設置、心理戦の中心になる。相手国の人々を偽情報で混乱させ、や文化的な弱点を利用して操ろうとしたのだ。(Robert Parry, “Secrecy & Privilege”, The Media Consortium, 2004)このプロジェクトと並行する形で始められたのがCOG(政府の継続)。その源はドワイト・アイゼンハワー政権で始められたソ連に対する先制核攻撃計画だった。核戦争後に中心的な役割を果たす8名が選ばれたのである。これはジミー・カーター時代の1979年にFEMAと言う形で表面化、1982年にはNSDD55が出され、COGが承認された。1988年に出された大統領令12656でCOGの対象は核戦争から国家安全保障上の緊急事態へ変更され、2001年9月11日の出来事で始動、そのひとつの結果として愛国者法が出されたと言われている。カリフォルニア大学バークレー校のピーター・デール・スコット教授によると、COGプログラムは二重構造になっていて、ジョージ・H・W・ブッシュ、ドナルド・ラムズフェルド、リチャード・チェイニー、ジェームズ・ウールジーたち上部組織と、ホワイトハウスの役人、将軍たち、CIAの幹部、「引退」した軍人や情報機関員など数百人で編成される下部組織に分けられたという。COGの始動で秘密政府が動き始めたのではないかと疑う人もいる。西側、特にアメリカの有力メディアは支配層の情報統制機関にすぎない。かつては気骨ある記者が活躍する余地もあったが、今では事実を探すのが困難な状況だ。
2017.12.03
アメリカの政争はシオニスト内の権力抗争やサウジアラビアの粛清劇と深く結びついている可能性が高い。ロバート・ミュラーの中身がない主張
2017.12.02
ドナルド・トランプ大統領の安全保障補佐官だったマイケル・フリン中将が「偽証」したとする声明を特別検察官のロバート・ミュラーが発表した。ロシアのセルゲイ・キスリャク駐米大使との会話についてFBIに間違った情報を伝えたということが理由。フリンとキスリャクとの会話は電子情報機関のNSAが盗聴、記録し、その内容とフリンの話を照らし合わせた結果だという。つまり、会話の内容は問題にされていない。アメリカの支配層(トランプ大統領ではない)はターゲットを潰すため、NSAが盗聴した会話の内容を本人が正確に語らなかったという「犯罪」を使ったわけだ。フリンの通話に限らず、NSAは全ての通信を傍受し、記録している。つまり、NSAで通信傍受システムを開発した人物を含む専門家が指摘しているように、トランプやその周辺の人々がロシア側と不適切な遣り取りをしていたならNSAが証拠を握っているはず。新たな捜査は必要ない。ミュラーを特別検察官に据えたという事実が「ロシアゲート」のインチキを示している。民主党本部のサーバーをハッキングして入手したと思われる電子メールと添付ファイルをWikiLeaksは2016年7月22日に公表、その中にはバーニー・サンダースが同党の大統領候補になることを妨害するよう民主党の幹部に求めるものが含まれている。民主党幹部たちが昨年5月26日の時点でヒラリー・クリントンを候補者にすると決めていたことを示唆している電子メールの存在も知られている。WikiLeaksによる電子メールの公開を民主党や有力メディアは「ロシアの陰謀」だと主張し、その内容に人々が目を向けないように大々的なキャンペーンを張っている。この主張が事実なら、その証拠をNSAは握っているはずで、FBIもすぐそれを手に入れることができる。そうした証拠が提示されていないのは、証拠がないからだろう。少なからぬ情報関係者は内部から漏れていると指摘している。ところで、民主党がクリントンを候補者に選ぶ方向で動いていたことはDNC(民主党全国委員会)の委員長だったドンナ・ブラジルも認めている。彼女はWikiLeaksが公表した電子メールの内容を確認するために文書類を調査、DNC、ヒラリー勝利基金、アメリカのためのヒラリーという3者の間で結ばれた資金募集に関する合意を示す書類を発見したという。その書類にはヒラリーが民主党のファイナンス、戦略、そして全ての調達資金を管理することが定められていた。しかも、その合意が証明されたのは彼女が指名を受ける1年程前の2015年8月だ。ヒラリーは投機家のジョージ・ソロスと緊密な関係にあり、その人脈はサウジアラビアのムハンマド・ビン・ナイェフにつながる。この人物は2015年4月に皇太子となったが、ヒラリーがアメリカ大統領に選ばれなかったこともあり、今年(17年)6月にそのポストから引きずり下ろされる。後任はムハンマド・ビン・サルマンだ。ビン・サルマンはイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフに近い。ソロスとネタニヤフとの関係は悪いと伝えられている。今回、ミュラーが起訴したフリンは2012年7月24日から14年8月7日にかけてDIA(国防情報局)の局長を務めた人物。その間、2012年8月にDIAはシリア情勢に関する報告書をバラク・オバマ政権へ提出し、その中で反シリア政府軍の主力はサラフィ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIだと指摘している。バラク・オバマ政権が主張するところの「穏健派」は事実上、存在しないというわけだ。また、オバマ政権が「穏健派」に対する支援を止めなければ、シリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配国が作られる可能性があるとも警告していた。それはダーイッシュという形で現実のものになった。このダーイッシュは2014年1月にイラクのファルージャで「イスラム首長国」の建国を宣言、6月にはイラクのファルージャやモスルを制圧している。その際にトヨタ製の真新しい小型トラック「ハイラックス」を連ねてパレード、その後継を撮影した写真が世界規模で流れ、多くの人に知られるようになる。このとき、アメリカの軍や情報機関はスパイ衛星、偵察機、通信傍受、エージェントなどから情報を得ていたはずだが、反応しなかった。つまり、ダーイッシュの軍事侵攻を容認していた。パレードしている車列などは格好の攻撃目標だったはずだ。こうしたオバマ政権の姿勢にフリンは反発、政権の内部で対立が生じたようだ。そして8月にフリンは追い出される。退役後、フリン中将はアル・ジャジーラの番組に出演、ダーイッシュの勢力が拡大したのはオバマ政権が決めた政策によると語っているが、これは事実だ。「ロシアゲート」では1799年に制定されたローガン法が重要な役割を果たした。民間人が外交へ介入することを禁じた法律だが、問題にされた時期、トランプが次期大統領になることは決まっていた。形式的には民間人だが、事実上、大統領としての準備を始めねばならないときの出来事。司法長官代理だったサリー・イェーツはフリンを「偽証トラップ」で引っかけるため、この法律を使ったようだ。
2017.12.02
中国の対テロ部隊がシリアへ派遣されると伝えられている。アル・カイダ系武装集団やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)に加わっている東トルキスタン・イスラム運動などウイグル系武装集団とダマスカスで戦うことが目的だという。すでにアル・カイダ系武装集団やダーイシュは壊滅寸前。幹部クラスはアメリカ軍のヘリコプターで救出されているようだが、援軍的な立場の武装勢力は出身国へ戻る可能性があり、中国もそれを警戒している可能性がある。反シリア政府軍の主力はサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団で、その黒幕はアメリカ(ネオコン)、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟で、これは1970年代にズビグネフ・ブレジンスキーがアフガニスタンで始めた秘密工作に端を発している。ソ連の消滅が視野に張っていた1991年、ポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)はイラク、シリア、イランを殲滅すると語っていたことは本ブログでも繰り返し書いてきた。2007年にウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官が明らかにしている。(3月、10月)2001年9月にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンにある国防総省の本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されると、詳しい調査をしないままジョージ・W・ブッシュ政権は「アル・カイダ」が実行したと断定、2003年3月にはアル・カイダ系武装集団と敵対関係にあったイラクのサダム・フセイン体制を先制攻撃で倒し、中東から北アフリカにかけてそうした武装勢力を拡散させた。アル・カイダはアラビア語でベースを意味、データベースの意味でも使われるが、1997年から2001年までイギリスの外相を務めたロビン・クックはCIAから訓練を受けた戦闘員のコンピュータ・ファイルだと説明している。つまり派遣戦闘員の登録リストで、主な雇い主はサウジアラビア。リビアやシリアへの侵略作戦ではカタール、トルコ、イギリス、フランスなども三国同盟と手を組んでいた。2015年9月30日にシリア政府から要請を受けたロシア軍が三国同盟の手駒である武装勢力を攻撃、戦況は一変した。窮地に陥った三国同盟はクルド勢力へ切り替えようとしたが、思惑通りに進んでいない。戦争の長期化で経済的に追い詰められていたトルコはロシアへ接近、そこでアメリカはクーデターを目論んだが失敗、クルドの問題でアメリカ離れはさらに進んだ。アメリカ軍はクルドが支配しているシリア北部に13基地を建設、7000名の将兵を送り込んでいると伝えられている。言うまでもなく不法占領で、今後も居座る姿勢を見せている。それを牽制するためなのか、ロシア軍は「テロリスト」をほぼ壊滅させたとして軍隊を引き揚げるとしている。シリア政府軍と連携、巡航ミサイルや空爆を有効に使ってきたロシア軍としては大規模な地上部隊を駐留させるメリットを感じていないのかもしれない。そうした中、アメリカ軍のような大規模な部隊ではなく、ウイグル系に特化した理由で中国の特殊部隊がシリア入りする。ロシアと中国との連携を見せつけるという意味もありそうだ。
2017.12.02
11月25日にアメリカ軍は哨戒機P-8A ポセイドンを黒海からロシアの国境に向かって高速で飛行させ、ロシア軍のSu-30が緊急発進するという出来事があった。公海上ではあったようだが、国境までの距離が10キロメートルを切っている。ロシア側の防衛体制や電子戦に関する情報を得ようとしたのだろう。万一、P-8Aが領空を侵犯した場合、その地域の重要性を考えると撃墜という事態もありえただろう。その前に対処できたのは好運だった。言うまでもなく、黒海はロシアにとって防衛上、重要な場所。そこでアメリカ軍は2014年、ウクライナでクーデターを成功させた後にも艦船を使い、ロシア軍を威嚇しようとしていた。例えば、4月10日にイージス艦のドナルド・クックをロシアの国境近くまで航行させている。いつでも攻撃できるというメッセージでもあった可能性がある。その際、ドナルド・クックの近くをロシア軍のSu-24が飛行、その直後にドナルド・クックはルーマニアへ緊急寄港、それ以降はロシアの領海にアメリカ軍は近づかなくなった。ジャミングで米艦のイージス・システムを機能不全にしたと言われている。船の場合、電子機器が機能しなくなっても浮かんでいるが、航空機の場合は墜落する可能性があるのでロシア軍は電子戦を仕掛けられないと考えたのかもしれない。すでにアメリカ軍はロシアの国境線近くにミサイルを配備し、先制攻撃の準備を進めている。ロシア側としては、それを脅しだけだと高をくくるわけにはいかないだろう。先制核攻撃の準備を進めることになる。ウラジミル・プーチン露大統領が自国の大規模製造業者に対して戦時体制への切り替えができるよう、11月22日に指示したのもそのためだろう。アメリカ/NATO軍は1991年12月にソ連が消滅して以来、部隊を東へ移動させてきた。当然、ロシアの国境が近づいてくるわけだが、それを西側ではロシアの好戦的な姿勢を示すと説明している。来春からアメリカ軍は40名から50名の将校をジョージアへ派遣、3年にわたって将兵を訓練するとしている。最近、イタリアのメディアが2014年のウクライナにおけるクーデターに関するドキュメンタリーを伝えていた。アメリカのネオコンを後ろ盾とするシオニストの富豪が資金を出し、ネオ・ナチが最前線に立ってビクトル・ヤヌコビッチ大統領を暴力的に排除したのだが、そのクーデターの大きな節目になった広場での狙撃に関する証言が紹介されているのだ。このクーデターは2013年11月にはキエフのユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)へ約2000名の反ヤヌコビッチ派が集まるところから始まった。当初は平和的だったが、2月になってから西側の軍事訓練を受けたネオ・ナチが前面に出始め、2月18日頃になるとチェーン、ナイフ、棍棒を手に、石や火炎瓶を投げ、ブルドーザーなどを持ち出し、中にはピストルやライフルを撃つ人間も出始めた。そして22日に狙撃で市民側にも警察側にも多くの死者が出ている。これを西側は政府側の仕業だと宣伝していた。しかし、事実は違った。2月25日にキエフ入りして調査したエストニアのウルマス・パエト外相はその翌日にキャサリン・アシュトンEU外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)へ電話、反政府側が実行したと強く示唆している:「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(暫定政権)が調査したがらないほど、本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合の誰かだというきわめて強い理解がある。」当時から外国のスナイパーが関与しているいう話が流れていたが、イタリアのドキュメンタリーに登場したジョージア人は自分たちが狙撃したと認め、任務として行ったと弁明している。ウクライナのクーデターは、ミヘイル・サーカシビリがジョージアで実権を握った2003年11月の「バラ革命」と同じシナリオだったとも語っている。(その1、その2)サーカシビリが大統領だった2008年、ジョージアは南オセチアを奇襲攻撃している。北京オリンピックにタイミングを合わせた作戦だった。7月10日にアメリカのコンドリーサ・ライス国務長官がジョージアを訪問、それから1カ月足らずの8月7日にサーカシビリ大統領は南オセチアの分離独立派に対して対話を訴え、その約8時間後に深夜に奇襲攻撃を開始したのだ。この軍事作戦にはアメリカ以上にイスラエルが深く関係している。2001年からイスラエルの会社がロシアとの戦争に備えてグルジアに武器、無人飛行機、暗視装置、対航空機装置、砲弾、ロケット、電子システムなどを提供、同時に軍事訓練を行っていた。(Tony Karon, “What Israel Lost in the Georgia War”, TIME, August 21, 2008)2007年からイスラエルの専門家がグルジアの特殊部隊を訓練し、重火器、電子兵器、戦車などを供給する計画を立てとする主張もある。(Jerusalem Post, August 19, 2008)ジョージアとイスラエルとの関係を象徴する人物がジョージア政府内にいた。イスラエルに住んでいたことのある閣僚がふたりいたのだ。ひとりは奇襲攻撃の責任者とも言える国防大臣のダビト・ケゼラシビリであり、もうひとりは南オセチア問題で交渉を担当しているテムル・ヤコバシビリだ。ふたりは流暢なヘブライ語を話すことがでる。その当時、南オセチアに駐留していた平和維持部隊の軍事的能力は低く、アメリカやイスラエルの軍事訓練を受けているジョージア軍の前になす術がなかった。そこでロシア軍は戦闘車両150両を送り込むなど即座に反撃、空爆も始めてジョージア軍を粉砕してしまったのである。ロシア軍が出てくればこうなる。正規軍ではロシア軍に太刀打ちできないことが明確になった。軍事侵攻に失敗した後、8月15日にライス国務長官は再びジョージアを訪問、サーカシビリと会談している。本ブログでは何度か指摘したが、アングロ・シオニストは遅くとも20世紀初頭からロシアを侵略する戦略を始動させている。日本もその手先として使われた可能性が高い。第2次世界大戦後、ドイツとの死闘で疲弊したソ連を破壊するため、アメリカの好戦派は1957年にドロップショット作戦を作成、300発の核爆弾をソ連の100都市で使い、工業生産能力の85%を破壊しようとしていた。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、ルメイを含む好戦派は1963年の終わりに奇襲攻撃を実行する予定にしていた。その頃になれば、先制核攻撃に必要なICBMを準備できると見通していた。これが「核の傘」である。この計画に強く反対し、好戦派と激しく対立したジョン・F・ケネディ大統領は1963年11月22日に暗殺された。ソ連消滅後、ロシアはボリス・エリツィン大統領の時代に国の資産は略奪され、軍事力も大幅に低下した。アメリカ支配層の内部でもそうした感覚は21世紀に入っても残っていたようで、キール・リーバーとダリル・プレスはフォーリン・アフェアーズ誌(CFR/外交問題評議会が発行)の2006年3/4月号で、ロシアと中国の長距離核兵器をアメリカの先制第1撃で破壊できると主張している。ネオコンをはじめとするアメリカの好戦派は今でもロシアや中国を核戦争で脅している。米ロ、米中間で相互に核兵器発射はしない体制を構築しているということはない。正常な感覚の持ち主なら、この状況を知れば恐怖するだろう。
2017.12.01
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