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ジョセフ・ボーテル米中央軍司令官は3月29日、下院軍事委員会でイエメンでアメリカの利権が危険な状態になっていると述べた。その原因はイランにあると主張したが、その根拠は示していない。そうした怪しげな主張に基づき、イランに対する軍事的な作戦を実行するべきだとも語っている。イエメンの戦乱はサウジアラビアの軍事侵攻で深刻化した。アリ・アブドゥラ・サレーハ政権とフーシ派(アンサール・アラー)が軍事衝突したのは2004年。アメリカ軍がイギリス軍などを率いて2003年にイラクを先制攻撃したが、この侵略行為に抗議するため、フーシ派はモスクで反アメリカ、反イスラエルを唱和するようになった。そのフーシ派を政府は弾圧、首都のサヌアで800名程度が逮捕された。これが切っ掛けで戦闘が始まったのである。サウジアラビアは2009年に空軍と特殊部隊を派遣するが、この年に「アラビア半島のアル・カイダ(AQAP)」が創設されている。アル・カイダ系武装集団を操っているのはアメリカ、サウジアラビア、イスラエルなどだ。戦況がAQAPにとって思わしくない展開になっていることからサウジアラビアはイエメンに対する本格的な軍事介入を開始、泥沼から抜けさせなくなっている。ロシアを揺さぶるためにサウジアラビアとアメリカは原油価格を引き下げたと言われているが、そのロシアよりアメリカやサウジアラビアがダメージを受け、サウジアラビアの財政赤字は深刻化している。基軸通貨として扱われているドルを発行する特権で生きながらえているアメリカはドルを社会から回収することでインフレを防いでいる。そのひとつの仕組みが石油取引のドル決済、いわゆるペトロダラーだ。産油国がドルを集め、それをアメリカへ還流させている。金融取引の規制緩和で投機市場もドルを吸収してきた。サウジアラビアは重要な産油国だというだけでなく、ドルを使ったアメリカのマルチ商法を維持する上でもなくてはならない存在。そのサウジアラビアが揺らぐとアメリカも揺らいでしまう。かつてドル離れを目論んだイラクやリビアは破壊されたが、現在、ロシアや中国もドル離れを進めている。昨年12月、ボーテル司令官は大統領選で勝利したドナルド・トランプに対してシリアの反政府軍、つまりアル・カイダ系武装集団やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を支援し続けるように求めていた。マイケル・フリン前DIA局長やマーティン・デンプシー前統合参謀本部議長とは逆の考え方だ。シリアでもイエメンでもボーテルが参加している作戦は同じだと言えるだろう。そうした人物がイランを攻撃したがるのは必然。2007年3月5日付けのニューヨーカー誌でシーモア・ハーシュはアメリカ政府がサウジアラビアと手を組み、イラン、イランを後ろ盾とするヒズボラ、そしてイランの同盟国であるシリアに対する秘密工作を始めたと書いている。この侵略勢力にボーテルも所属しているわけだ。
2017.03.31
イランのハサン・ロウハニ大統領が3月27日から28日にかけてロシアを訪問、ウラジミル・プーチン大統領と会談した。すでに両国とシリアは連携を強めていて、昨年4月には防空システムS-300がイランへ引き渡されている。このイランやイランの同盟国であるシリアに対する秘密工作を始めたアメリカ、サウジアラビア、イスラエルの3カ国がロシア、シリア、イランの3カ国と対立していることは間違いない。2013年6月に行われたイランの大統領選挙で勝利したロウハニはハシェミ・ラフサンジャニ元大統領の側近と言われ、欧米では「改革派」、あるいは「穏健派」と呼ばれていた。かつて、ラフサンジャニは「経済改革」を実施、新たな経済エリートを生み出して庶民を貧困化させている。つまり、欧米の支配層にとって好ましい人物。ラフサンジャニ時代にできあがった利権集団は欧米の巨大資本と結びつき、現在に至るまで大きな力を持ち続けている。その利権集団と戦ったのがマフムード・アフマディネジャド前大統領。まずパールシヤーン銀行にメスを入れようとしたのだが、成功しなかった。西側の支配層はラフサンジャニの側近にも同じことを期待したかもしれないが、その願いは実現しなかった。ラフサンジャニ流の「改革」を推進しようとすれば庶民が強く反発するはずで、ラフサンジャニの側近だったといえども、露骨な資本主義化は難しい。実際、露骨なことはしなかったようだ。ロシアと中国はBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)やSCO(上海協力機構/中国、ロシア、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、ウズベキスタン、2016年にインドとパキスタンが加盟の署名)という形でまとまっているが、現在、SCOのオブザーバー国になっているイランはSCOの正式な加盟国になろうとしている。その一方、マネーゲームにのめり込んでいるアメリカは生産力が大きく低下、基軸通貨を発行する特権で生きながらえている状態であり、サウジアラビアは原油価格の下落や侵略戦争で財政赤字が深刻化、カネの力で維持してきた支配システムが揺らぎ、イスラエルはロシアへ接近する姿勢も見せている。アメリカが経済力で中国やロシアに勝つことは難しい状況で、アヘン戦争の時と同じように軍事力を使うしかないのだろうが、その軍事力も怪しい。アメリカ軍は人間を虐殺する能力はあっても戦争に勝つ能力はないと言われているが、それだけでなく、肥大化した軍事産業が金儲けを優先、高性能より高コストの武器/兵器を開発していることも大きい。通常兵器でアメリカがロシアや中国に勝つことは難しく、ロシアとアメリカが軍事衝突すれば全面核戦争になるだろう。1991年にソ連が消滅した後、報復核攻撃の心配が薄らいだと考えたネオコンは核兵器を実際に使える兵器だと見なすようになったと言われている。ベトナム戦争の当時、ペンタゴン・ペーパーを作成したポール・ジョンストンもそのように分析していたという。(Paul H. Johnstone, “From MAD to Madness,” Clarity Press, 2017)バラク・オバマ大統領もそうした流れで政策を作成していた。昨年の大統領選挙でヒラリー・クリントンが負けたことで核戦争の危機は薄らいだと見られているものの、消えたわけではない。そうしたアメリカと対峙するため、ロシア、中国、イラン、シリアといった国々は手を組んでいる。
2017.03.30

ジェームズ・ウールジーはウォール・ストリート・タイムズ紙やCNNでマイケル・フリンとトルコ政府高官に関する話をした。昨年9月、ウールジーとフリンはトルコ政府の高官と会ったが、その際、CIAと緊密な関係にあり、アメリカに住んでいるフェトフッラー・ギュレンをアメリカからトルコへ送還する話をしたとウールジーは主張している。言うまでもなく、ウールジーはネオコンで有名な元CIA長官。政権移行時のドナルド・トランプに雇われていた。この事実からトランプの背後にはイスラエルが存在していると言われたものである。ほどなくしてウールジーはトランプに解雇された。今回の発言もネオコンとしてのもの。フリンも国家安全保障問題担当補佐官を辞めているが、その直後にトルコ大統領と関係のあるイノボ社のロビー活動を昨年8月から11月までしたと登録した。そのイノボ社がフリンを雇った理由は、イスラエルの企業が天然ガスをトルコへ売るためだったという。本ブログでも書いたことがあるように、地中海の東岸、エジプトからギリシャにかけての地域に大量の天然ガスが存在している。2009年に発見されたのだが、USGS(アメリカ地質調査所)の推定によると9兆8000億立方メートルの天然ガス、そして34億バーレルの原油が眠っているという。シリアは1991年の時点でネオコンが殲滅すると宣言していた国であり、リビアはアフリカを自立させようとしていた国。こうしたことから侵略され、リビアのムアンマル・アル・カダフィは倒されたのだが、この資源も「アラブの春」を引き起こした一因であり、イスラエルがガザ攻撃を激化させたのもそのためだと考える人もいる。以前から、イスラエルにはシリアを経由し、トルコへパイプラインで運ぼうという計画がある。シリアのバシャール・アル・アサド体制がすぐに倒れていればイスラエルにとって問題はなかったのだろうが、ロシアの介入でその目論見は狂った。シリアの体制を転覆させるために送り込まれたアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)は敗走している。新たな戦闘集団をCIAは編成しているとも言われているが、厳しい状況だ。アサド政権と話をつけるため、ロシア政府に接近したようにも見える。
2017.03.29
2013年3月にシリア政府は反政府軍が化学兵器を使ったと発表、反政府軍も政府軍が実行した反論するのだが、これについてイスラエルのハーレツ紙は、攻撃されたのがシリア政府軍の検問所であり、死亡したのはシリア軍の兵士だということから反政府軍が使ったと推測している。また、国連独立調査委員会メンバーのカーラ・デル・ポンテも反政府軍が化学兵器を使用した疑いは濃厚だと発言していた。8月になるとダマスカス郊外のゴータで政府軍が化学兵器を使ったアメリカ政府は宣伝し始めるのだが、ロシアのビタリー・チュルキン国連大使がアメリカ側の主張を否定する情報を国連で示し、報告書も提出している。チュルキン対しが示した情報には、反シリア政府軍が支配しているドーマから2発のミサイルが発射され、毒ガス攻撃を受けたとされるゴータで着弾していることを示す文書や衛星写真が含まれていたようで、その後、国連内の雰囲気が大きく変化したという。12月に調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュもこの問題に関する記事を発表、反政府軍がサリンの製造能力を持ち、実際に使った可能性があると指摘している。また、国連の元兵器査察官のリチャード・ロイドとマサチューセッツ工科大学のセオドール・ポストル教授は、化学兵器をシリア政府軍が発射したとするアメリカ政府の主張を否定する報告書を公表している。ミサイルの性能を考えると、科学的に成り立たないというのだ。シリア政府軍が化学兵器を使ったという口実でアメリカはシリアへ軍事侵攻しようと目論んだが、この口実は崩壊したわけだ。2013年1月30日に行われた4機のイスラエル戦闘機がシリアを攻撃しているが、その8日前、アビブ・コチャビAMAN(イスラエルの軍情報部)司令官はワシントンで攻撃計画を説明、同じ時期にイスラエル政府は安全保障担当の顧問、ヤコフ・アミドロールをロシアへ派遣して攻撃を通告していたとも言われている。2013年5月や14年12月にはシリア領内で大きな爆発があった。まるで地震のような揺れがあり、「巨大な金色のキノコに見える炎」が目撃された。爆発の様子を撮影したCCDカメラに画素が輝く現象(シンチレーション)も見られた。2013年8月下旬にはNATOもシリアを攻撃する姿勢も見せ、9月3日には地中海の中央から東へ向かって2発のミサイルが発射されている。ロシアの早期警戒システムはミサイル発射をすぐに探知、2発のミサイルは海中に落ちた。その直後、イスラエル国防省はアメリカと合同で行ったミサイル発射実験だと発表したが、事前に周辺国へ通告されてはいない。ジャミングで落とされたのではないかとも見られている。アメリカがイランと交渉するポーズを見せるのはそれ以降で、同年11月のイラン核開発に関する中間合意につながっている。その当時、アメリカ政府はシリア近くの基地にB52爆撃機の2航空団を配備し、5隻の駆逐艦、1隻の揚陸艦、そして紅海にいる空母ニミッツと3隻の軍艦などの艦船を地中海に配備していたが、それに対抗してロシア軍は「空母キラー」と呼ばれている巡洋艦のモスクワを中心に、フリゲート艦2隻、電子情報収集艦、揚陸艦5隻、コルベット艦2隻がシリアを守る形に配置したと報道されている。地中海にはアメリカ軍、ロシア軍、中国軍の艦船が集結し、軍事衝突に発展しても不思議ではない状況にあったのだ。シリアに対する直接的な軍事侵攻に失敗したネオコンなどアメリカの好戦派はソチ・オリンピックに合わせ、ウクライナでクーデターを実行、2014年2月23日にビクトル・ヤヌコビッチ大統領を憲法を無視する形で解任している。中東では2014年1月にイラクのファルージャで「イスラム首長国」の建国が宣言され、6月にはモスルを制圧。この集団はアル・カイダ系武装集団から派生、後にダーイッシュ、IS、ISIS、ISILとも呼ばれるようになる。DIAの警告が現実化したわけだ。その際にトヨタ製の真新しい小型トラック「ハイラックス」を連ねてパレード、その後継を撮影した写真が世界規模で流れたが、それをアメリカ軍が黙認した。スパイ衛星、偵察機、通信傍受、人から情報でアメリカの軍や情報機関は状況を把握していたはず。アメリカ政府を疑惑の目で見ている人は少なくない。ダーイッシュによるモスル制圧から2カ月後の8月、サラフ主義者の支配国が出現する可能性を指摘した報告書が作成された当時のDIA局長、マイケル・フリン中将は退役に追い込まれた。2011年10月から統合参謀本部議長を務めていたマーティン・デンプシー大将もアル・カイダ系武装集団などを危険視していたが、2015年9月25日に退役して好戦派が後釜にすわる。その3日後にロシアのウラジミル・プーチンが国連で演説、オバマ米大統領が自分たちに従えと威嚇したのに対し、プーチン露大統領は「自分がしでかしたことを理解しているのか?」とアメリカを公然と批判した。ロシアがシリアでアメリカの手先であるアル・カイダ系武装集団やダーイッシュを空爆しはじめたのは演説の5日後だ。この空爆でシリアの戦況は一変、政府軍が優位になり、侵略軍は崩壊寸前だ。アメリカは新たな戦闘集団を編成しようとしているとも言われているが、劣勢は否めない。そうしたロシア側の作戦の一環として昨年、ロシア海軍の重航空巡洋艦(空母)クズネツォフ提督を中心とする艦隊がシリア沖に派遣された。ロシア海軍は潜水艦を重視しているので、NATOによる今回の軍事演習が潜水艦をターゲットにしているのは必然だ。
2017.03.28
NATOは地中海で艦隊演習「ダイナミック・マンタ2017」を3月14日から24日にかけて実施した。参加国はアメリカ(駆逐艦、潜水艦)のほか、カナダ(フリゲート艦)、フランス(駆逐艦、潜水艦)、ドイツ、ギリシャ(フリゲート艦、潜水艦)、イタリア(駆逐艦、潜水艦)、ノルウェー、スペイン(タンカー、フリゲート艦、潜水艦)、トルコ(フリゲート艦、潜水艦)、イギリス。水上の艦船が10隻、潜水艦が9隻、さらにP-8Aポセイドン(哨戒機)やヘリコプターも投入されたという。演習の拠点はシチリア島の東岸にあるカターニアのアウグスタ基地とシゴネラ基地だった。言うまでもなく、シチリア島は地中海の真ん中にある要石的な存在であり、古代から戦争の舞台になってきた。北アフリカとヨーロッパをつなぐ中継地点であり、中東を睨む位置にもある。ここにきてロシア軍は中東での軍事的な存在感を強め、アメリカ/NATO、イスラエル、サウジアラビアなどの侵略戦争を妨害している。そうした動きも意識しているだろう。2011年春にシリアやリビアで侵略戦争が始まり、同年10月にリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制はNATO軍とアル・カイダ系武装集団LIFGなどの連携で倒され、その際にカダフィは惨殺されている。そのことをCBSのインタビュー中に知らされたヒラリー・クリントンが「来た、見た、死んだ」と口にし、喜んぶ光景はインターネットで今でも見ることができる。その直後、反カダフィ勢力の拠点だったベンガジでは裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられ、その映像がYouTubeにアップロードされ、イギリスのデイリー・メイル紙も伝えていているが、そのベンガジにあるCIAの施設を拠点にして戦闘員や武器/兵器がトルコ経由でシリアへ運ばれている。輸送にはマークを消したNATOの輸送機が使われたともいう。2012年になるとアメリカの情報機関や特殊部隊がヨルダンの北部に設置された秘密基地で戦闘員を軍事訓練、その少なくとも一部はダーイッシュに合流していると報道された。トルコと同じようにヨルダンにはシリアへの侵入ルートがあると言われている。その年の5月にはシリアのホムスで住民が虐殺され、西側は政府側は実行したと宣伝しはじめるのだが、現地を調査した東方カトリックの修道院長も反政府軍のサラフ主義者や外国人傭兵が実行したと報告、「もし、全ての人が真実を語るならば、シリアに平和をもたらすことができる。1年にわたる戦闘の後、西側メディアの押しつける偽情報が描く情景は地上の真実と全く違っている。」と書いている。現地で宗教活動を続けてきたキリスト教の聖職者、マザー・アグネス・マリアムも外国からの干渉が事態を悪化させていると批判、ドイツのフランクフルター・アルゲマイネ紙も、キリスト教徒やスンニ派の国会議員の家族が犠牲になっていると伝えていた。そうした中、2012年8月にアメリカ軍の情報機関DIAは政府向けの報告書を作成した。反シリア政府軍の主力はサラフ主義者(ワッハーブ派)、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIであり、アル・ヌスラはAQIの別名だと指摘している。つまりバラク・オバマ政権が主張するような「穏健派」は存在しないということであり、そうした武装集団は西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているともしている。さらに、東部シリア(ハサカやデリゾール)にサラフ主義者の支配国が作られる可能性があるとも警告していた。CIAの工作を警告しているともとれる内容だ。その報告書が出た翌月、2012年9月11日にベンガジのアメリカ領事館が襲撃され、クリストファー・スティーブンス大使も殺される。領事館が襲撃される前日、大使は武器輸送の責任者だったCIAの人間と会談、襲撃当日には武器を輸送する海運会社の人間と会っていた。スティーブンスもCIAの秘密工作に加担していたわけだ。大使の上司にあたるクリントン国務長官(当時)も当然、知っていたはず。当時のCIA長官、デイビッド・ペトレイアスはクリントン長官と近い関係にあり、この人脈からもクリントンは工作に関する情報を得ていた可能性が高いが、このペトレイアスは領事館襲撃の2カ月後、2012年11月にCIA長官を辞任した。(2へ続く)
2017.03.27
ロンドンのウェストミンスター橋の南側で自動車が歩行者の中に突入して3名を殺し、50名以上を負傷させた。その直後に自動車はフェンスに激突、中から出て来た人物は非武装の警官を刺し殺したという。その犯人は別の警官に射殺された。3月22日の出来事だ。伝えられるところによると、その人物はハリド・マスード。イスラム風の名前だが、生まれたときはエイドリアン・ラッセル・エルムスだった。この人物は2000年、35歳の時に傷害事件を起こして懲役2年を言い渡されている。2003年にはナイフの不法所持で6カ月を刑務所で過ごした。改名は刑務所にいたときだったというが、2001年9月11日以降、イギリスの刑務所には「イスラム過激派」と見なされる人が収監されていて、新たな「過激派メンバー」をリクルートする場になっていたとも言われている。そのマスードが2005年11月から06年11月、そして2008年4月から09年4月にかけてサウジアラビアへ渡り、英語の教師をしていることはイギリスのサウジアラビア大使館が確認したと伝えられている。この時期、アメリカ、サウジアラビア、イスラエルがシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を始めていたことは、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュが2007年3月5日付けのニューヨーカー誌に書いている。その手先はサウジアラビアと関係が深いサラフ主義者(ワッハーブ派)やムスリム同胞団だ。つまり、アメリカ、サウジアラビア、イスラエルがサラフ主義者(ワッハーブ派)やムスリム同胞団を使った秘密工作を始めた時期にマスードはサウジアラビアへ渡っていたことになる。これは偶然なのだろうか?ダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)は自分たちが実行したと主張しているようだが、むしろサウジアラビア政府に注目すべきだろう。
2017.03.26
WikiLeaksが発表した新たな資料「DarkMatter」によると、アップルのコンピュータやiPhoneには製造ラインから消費者の手に渡る間に有害ソフトが感染しているという。もっとも、こうした工作はアップルだけの問題ではなく、むしろアップルは遅い方だ。例えば、イギリスの調査ジャーナリスト、ダンカン・キャンベルによると、ニッコ・ファン・ソメーレンは1998年、Windowsのセキュリティ機能をコントロールするソフトウェアに2種類のカギが存在していることを発見、ひとつはマイクロソフトが作業に使う合法的なカギのようだが、もうひとつが謎だと指摘していた。その後、アンドリュー・フェルナンデスはマイクロソフトの開発者が削除を忘れたカギのラベルを発見した。ひとつのカギには「KEY」、もうひとつには「NSAKEY」と書かれていたのだ。素直に読めば、NSAのカギということになる。OSR2以降のWindowsにはNSAのカギが組み込まれていると言われている。さらに、ファン・ソメーレンはWindows 2000の中に3種類のカギを発見した。第1のカギはマイクロソフト用。第2のカギはアメリカ政府の「合法的合い鍵」だという可能性がある。第3のカギは説明不能だ。(Duncan Campbell, "Development of Surveillance Technology and Risk of Abuse of Economic Information Part 4/4: Interception Capabilities 2000," April 1999)Windowsを開発したマイクロソフト側はこうした疑惑を一切否定しているが、会社側の主張を裏付ける証拠は示されていない。1970年代の終盤に開発された不特定多数のターゲットを追跡、情報を収集、分析するシステムのPROMISの場合、アメリカやイスラエルの情報機関がトラップ・ドアを組み込んで各国政府、国際機関、あるいは金融機関に売っていた。このシステムを日本人で注目したのは原田明夫と敷田稔。法務総合研究所は1979年3月と1980年3月、2度にわたってPROMISに関する概説資料と研究報告の翻訳を『研究部資料』として公表している原田と敷田はふたりとも検察官で、1970年代終盤に原田はアメリカの日本大使館で一等書記官として働いていた。その下で動き、システムを開発した会社と接触していたのが敷田。後に原田は法務省刑事局長として「組織的犯罪対策法(盗聴法)」の法制化を進め、事務次官を経て検事総長に就任した。敷田は名古屋高検検事長になっている。あらゆるエレクトロニクス製品は情報機関によって何らかの操作がなされている可能性は高く、個人の動向を監視する道具として利用される危険性をはらんでいる。
2017.03.25
ロシアの特殊部隊がエジプトの西部、リビアとの国境から100キロメートルほどの場所にある空軍基地へ派遣されたという情報が流れている。ロイターによると、その部隊の規模は22名だとエジプト治安当局者から聞いたという。別の基地へロシア軍の6部隊が入ったとも言われている。ただ、エジプト軍はロシア軍がエジプト領へ派遣された事実はないと主張している。そうした情報もあってか、アメリカ支配層はロシアのリビア介入を恐れている。2011年春、アメリカ、フランス、イギリス、サウジアラビア、カタール、イスラエル、トルコなどはムスリム同胞団やワッハーブ派/サラフ主義者を主力とする傭兵部隊を使い、リビアやシリアに侵略戦争を仕掛けた。リビアではNATOの航空兵力とアル・カイダ系武装集団LIFGの地上軍が連携して「レジーム・チェンジ」に成功、ムアンマル・アル・カダフィを惨殺した。2011年10月のことだ。リビアでもシリアでも西側諸国をはじめ、いくつかの国が特殊部隊を潜入させている。リビアの場合、戦乱が始まった翌月の3月上旬には6名のSAS(イギリスの特殊部隊)メンバーと2名のMI6(イギリスの対外情報機関)オフィサーがヘリコプターでベンガジの近くに潜入、後にベンガジの港からフリゲート艦「カンバーランド」で帰路についている。NATOによる空爆が始まるのは3月中旬。イギリスのデイリー・メール紙によると、当時、地上ではSASの隊員が潜入していた可能性がある。最終局面、トリポリ攻撃の数週間前から、イギリスの軍や情報機関は反カダフィ軍に対する支援を活発化させたとも言われている。例えば、TNC(暫定国民評議会)が作成した攻撃プランをMI6のオフィサーが添削して整え、イギリス軍は武器、通信機器、そして精鋭部隊をトリポリに送り込んでいたという。首都攻撃は始まるとすぐにイギリス軍は5発の精密誘導爆弾をリビア情報機関の基地に落とし、夜にはトルネード戦闘機がトリポリ南西部にある重要な通信施設を破壊している。カダフィは10月にシルトの近くでイギリスの偵察機に発見され、フランスの戦闘機が2発のレーザー誘導爆弾を車列に投下、アメリカ軍の無人機プレデターの攻撃も受け、最後は反政府武装グループからリンチを受けた上でカダフィは殺された。シルト攻撃には電子機器を専門とするアメリカ人が市内の動向を監視、SASは反政府軍を指揮していたとも伝えられている。カダフィ体制が崩壊した後、CIAは戦闘員と武器をトルコ経由でシリアへ輸送しているのだが、その拠点になっていたのがベンガジのアメリカ領事館。武器の中には化学兵器も含まれていたと言われている。その後、リビアは無政府状態になり、シリアでは今でも戦闘が続いている。侵略軍であるアル・カイダ系武装勢力やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)はアメリカ、イギリス、フランス、トルコのNATO加盟国、サウジアラビア、カタールのペルシャ湾岸産油国、そしてイスラエルが後ろ盾になっている。イスラエルはシリアに対する空爆を繰り返し、負傷したアル・カイダ系武装集団やダーイッシュの戦闘員を救出、治療してきた。2013年9月には駐米イスラエル大使だったマイケル・オーレンがバシャール・アル・アサド体制よりアル・カイダの方がましだとエルサレム・ポスト紙のインタビューで語っている。大統領時代、バラク・オバマはアメリカ軍の情報機関DIAが「穏健派」は存在しないという警告を無視、反シリア政府軍を支援し、少なくとも結果として、ダーイッシュの勢力を拡大させた。この政策を批判したDIA局長、つまりマイケル・フリンは2014年4月に退役を発表している。現在でもアラブ首長国連邦やフランスは特殊部隊を入れているようだが、リビアの混乱は治まりそうもない。そうした中、昨年11月に選挙で選ばれた政権の軍総司令官を務めるハリファ・ハフターはロシアを訪問、ロシアの外相と会談している。ハフターはロシアに軍事的な支援を要請したと言われている。2015年9月28日にウラジミル・プーチン露大統領は国連の安全保障理事会で演説、その中で「民主主義や進歩の勝利ではなく、暴力、貧困、そして社会的惨事を我々は招いてしまった。生きる権利を含む人権を少しでも気にかける人はいない。こうした事態を作り上げた人びとに言いたい:あなたは自分たちがしでかしたこと理解しているのかと。しかし、誰もこの問いに答えないでしょう。うぬぼれや自分は特別で何をしても許されるという信念に基づく政策は、捨てられることがなかった。」と語っている。この「あなた」はアメリカをはじめとする西側がの好戦派だ。その2日後、9月30日にロシア軍はシリア政府の要請に基づいて同国内で空爆を開始、アメリカなどと違ってアル・カイダ系武装勢力やダーイッシュを本当に攻撃、戦況は一変した。その結果、今では侵略軍は追い詰められている。そうした武装勢力の幹部をアメリカ軍が救出、替わってアメリカ軍を要衝へ派遣している。例えば、ラッカには第11海兵遠征部隊、アレッポのマンビジにはアメリカ陸軍第75歩兵連隊といった具合だ。アメリカ政府の指示に従っている限り、戦乱が続くことは明白。シリアでアル・カイダ系武装勢力やダーイッシュを敗北寸前まで追い込んだのはロシアだ。ハフターのロシア訪問はそうした事実を反映したものだろう。
2017.03.24
ドナルド・トランプのキャンペーン・マネージャーを務めたポール・マナフォートがロシアの富豪、オレグ・デリパスカと反ロシア勢力の撲滅を目的としたロビー活動の契約を結んでいたとAPが伝えている。ジョージ・W・ブッシュ政権の時代から2014年まで続いたとしているが、その間、アメリカとロシアとの関係は悪化している。これに対し、デリパスカの広報担当、ベラ・クロチキナは報道内容を否定、デリパスカはロシア関係の仕事でマナフォートに金銭を支払っている事実はなく、デリパスカの投資に関して助言するだけだと反論した。デリパスカが世界最大のアルミニウム会社といわれるRUSALを所有していることは事実だが、ウラジミル・プーチンに近い人物だとする説明は正しくないだろう。デリパスカが結婚した相手の父親であるバレンチン・ユマショフはボリス・エリツィンの一派に属し、その妻はエリツィンの娘タチアナである。デリパスカはプーチンに近いのではなく、しっぽを握られないよう、慎重に動いているだけのはずだ。エリツィンが西側巨大資本の傀儡としてソ連を消滅させた経緯は本ブログでも何度か書いてきた。そのエリツィンは飲んだくれだったこともあり、クレムリンはタチアナが仕切っていたと言われている。その時代、「規制緩和」と「私有化」を旗印にして国の資産を一部の人間が略奪していた。この当時のロシアでは腐敗したクレムリンの高官と結びついた人びとが不正な手段を使い、富を略奪していたのだ。フォーブス誌の編集者だったポール・クレブニコフはそうした状況を詳しく書いている。略奪集団は犯罪組織を従え、情報機関や特殊部隊の隊員や元隊員を雇っていた。そうした略奪集団は巨万の富を築き、オリガルヒと呼ばれるようになる。(Paul Klebnikov, "Godfather of the Kremlin", Harcourt, 2000)クレブニコフが焦点をあてたオリガルヒはボリス・ベレゾフスキーだった。チェチェン・マフィアと結びついた人物で、ユダヤ系だったこともあり、イスラエルとの関係も深い。ベレゾフスキーはプーチンを屈服させることに失敗、イギリスへ逃亡した。そのイギリスでは2003年に出た裁判の判決でクレイブニコフの著作は読めなくなったが、そのほかの国では購入できる。それを阻止できないのは、裁判を起こしても名誉毀損が極度に厳しく取り締まられているイギリスのような結果を期待できないからだと見られている。そのクレブニコフは2004年7月にモスクワで射殺され、当然のことながら、少なからぬ人はベレゾフスキーを疑った。ベレゾフスキーの背後にはチェチェンの反ロシア武装勢力や犯罪組織が存在、ひとりのジャーナリストを殺すことは難しくない。チェチェンの反ロシア勢力がCIAと深く結びついていることも本ブログでは指摘してきたが、サウジアラビアの情報機関、総合情報庁で長官を務めていたバンダル・ビン・スルタン(通称、バンダル・ブッシュ)がチェチェンで武装勢力を動かしていた可能性が高いことも今では知られている。言うまでもなく、CIAとサウジアラビアの情報機関はパートナーの関係にある。2014年にウクライナでネオコンを後ろ盾とするクーデターが成功した際、ネオ・ナチとチェチェンの武装勢力との関係も指摘された。2011年にシリアで始まった侵略戦争にもチェチェンの戦闘員が参加している。このチェチェンにおける戦闘を調べていたことで有名な記者がいる。アンナ・ポリトコフスカヤだ。2006年10月に殺され、西側ではウラジミル・プーチンが殺したとするキャンペーンが展開された。プーチンが命令した可能性もゼロではないが、彼女の立場がどうであれ、知ってはならないチェチェンの事実を知った場合は危険な状況になる。シリアでの出来事を見ても、アメリカ、サウジアラビア、イスラエルの「三国同盟」はジャーナリストの犠牲が必要だと判断すれば殺す可能性が高い。ところで、デリパスカはエリツィンの娘を中心とする腐敗勢力と結びついているだけではない。ビジネス上、密接に結びついているRUSNNOのアナトリー・チュバイスは外交問題評議会(CFR)やJPモルガン・チェースの顧問会議で顧問を務め、CIAと関係のある国際開発ハーバード研究所(HIID)ともつながっている。現在、ロシアに残っている西側巨大資本の傀儡ネットワークの中心人物と見られているのがこのチュバイスにほかならない。また、デリパスカが融資を受けている相手はナット・ロスチャイルド、つまりジェイコブ・ロスチャイルドの息子。言うまでもなく、現在、ロスチャイルド親子はプーチンと熾烈な戦いを展開、ジョージ・ソロスやヒラリー・クリントンとも結びついている。もしAPの記事が正しいなら、ポール・マナフォートはロスチャイルドやエリツィンの娘、つまりプーチンと敵対関係にある人脈と結びついていたことになる。それはそれで興味深い。
2017.03.23
共謀罪は日米支配階級にとって目障りな人びとや団体を攻撃するために使うことが想定されているだろう。そうした弾圧の手段を導入しようという目論見は、東アジアにおける軍事的な緊張の高まりと無縁ではない。日本軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃した翌年、言論関係者を中心に60名以上が逮捕され、30名以上が有罪判決を受けるという「横浜事件」があった。外務省と密接な関係にある世界経済調査会で働いていた川田寿と妻の定子が9月に逮捕され、川田の交友関係から同調査会の益田直彦が翌年1943年1月に、また高橋善雄が同年5月に逮捕され、満鉄関係者へと捜査の手は伸びた。その一方、川田夫妻が逮捕された1942年9月には雑誌「改造」に掲載された論文「世界史の動向と日本」を書いた細川嘉六も検挙され、捜査の過程で発見された写真に写っていた細川の友人たちが逮捕されていく。問題の写真は細川の著作『植民史』の刊行記念で催された会食の際に撮影されたもので、細川や満鉄関係で逮捕済みの平館利雄と西沢富夫のほか、中央公論の木村亨、元改造の相川博、改造の小野康人、東洋経済新報の加藤政治、そして満鉄の西尾忠四郎が写っていた。特高警察はこの会食を「共産党再建準備の謀議」だとするストーリーを描いたのだ。裁判の結果、30名以上が有罪になり、そのうち浅石晴世、和田喜太郎、高橋義雄、田中正雄の4名が獄死、また相川博、西尾忠四郎、加藤政治、小野康人は釈放直後に獄中の心神衰弱が原因で死亡している。この事件がでっち上げだったことは間違いない。「共謀」の疑いがあったから摘発したのではなく、一部の支配層が主導権を握るために反対勢力を潰しにかかったのだ。その「陰謀」の中心には思想検察出身の平沼騏一郎たちがいた、あるいは東条英機の懐刀と言われた唐沢俊樹がシナリオを書いたとも言われている。この弾圧を実行したのは思想を取り締まった特別高等警察(特高)だが、その活動を統括していたのは内務省の警保局長。その警保局長を1932年から36年にかけて務めたのが唐沢だ。事件当時は内務次官で、警保局長は町村金五だった。ちなみに、平沼騏一郎の兄、叔郎のひ孫が衆議院議員になった平沼赳夫であり、町村金五の息子が町村信孝である。金五は1952年に衆議院議員、59年に北海道知事、71年には参議院議員、そして第2次田中角栄内閣では自治大臣に就任した。唐沢は1955年に衆議院議員になって岸信介内閣の法務大臣になる。治安体制に注目すると、日本は戦前も戦後も基本的に変化していないことがわかる。天皇制官僚国家は護持されたのだ。本ブログでは何度も指摘しているが、その背後にはアメリカの巨大金融機関JPモルガンが存在していた。そのキーパーソンがジョセフ・グルー。いとこがジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥と結婚している人物で、1932年に駐日大使として来日、42年まで日本に滞在した。離日の直前、グルーは岸信介とゴルフをしている。日本が降伏した後に岸が関係した団体のひとつがMRA(道徳再武装運動)。CIAのフロント組織と言われる「疑似宗教団体」で、岸のほか三井本家の弟、三井高維も参加していた。このMRAに接近したひとりが中曽根康弘で、1950年にはスイスで開かれたMRA世界大会に出席している。(グレン・デイビス、ジョン・G・ロバーツ著、森山尚美訳『軍隊なき占領』新潮社、1996年)MRAで中曽根はヘンリー・キッシンジャーと知り合いになるが、1953年に中曽根はキッシンジャーが責任者だった「ハーバード国際セミナー」というサマー・スクールに参加した。そのスポンサーはフォード財団、ロックフェラー財団、あるいはCIA系の「中東の友」などだ。その翌年、中曽根は国会に原子炉購入予算を上程している。戦後、岸に近い政治家は「新日本政治経済調査会」を結成、そこに小泉純也なる人物も参加している。1953年に岸は40名の同志を虎ノ門の「晩翠軒」に集めたが、その中にも純也はいた。このグループが「岸派」の基礎になる。小泉純也は1969年8月に死亡、息子の純一郎が留学先のロンドンから呼び戻されて同年12月の衆議院議員選挙に立候補したが、落選している。通常、こうしたケースでは「弔い合戦」ということになり、当選することが多い。父親の地盤を受け継ぎながら落選したわけで、よほど地元では個人的に人気がなかったということになるだろう。その翌年から福田赳夫の書生を務めることになった。小泉純一郎が初当選したのは1972年のことだ。中曽根や小泉は「規制緩和」や「民営化」を叫び、新自由主義を日本へ導入、社会を破壊していった。その路線を岸の孫にあたる安倍晋三も推進している。新自由主義が最初に導入されたチリを見ても明らかなように、この「経済政策」は破壊と殺戮を伴う。新自由主義は市場を絶対視するが、その市場は一部の巨大資本が支配する場にすぎない。つまり、強力な私的権力に対する規制を弱め、国家を上回る力を与えようとする政策だとも言える。そうした体制をフランクリン・ルーズベルトはファシズムと呼んだ。TPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TISA(新サービス貿易協定)は参加国全体をそうしたファシズム体制にすることが目的だ。ファシズムの創始者とも言えるベニト・ムッソリーニは巨大資本が支配するシステムを「企業主義」と呼び、資本主義や社会主義を上回るものだと主張していた。これがムッソリーニの考えたファシズムだ。安倍政権が共謀罪とTPPを推進しようとしているのは必然である。
2017.03.22
東京琉球館で4月15日18時からCOGプロジェクトについて話します。予約制とのことですので、興味のある方はあらかじめ下記まで連絡してください。東京琉球館住所:東京都豊島区駒込2-17-8電話:03-5974-1333http://dotouch.cocolog-nifty.com/COGは「Continuity of government(政府の継続)」の略称で、憲法の機能を停止させる一種の戒厳令計画です。第2次世界大戦後、アメリカでは「レッドパージ」の嵐が吹き荒れましたが、その実態は「反ファシスト派狩り」と呼ぶべきものでした。本ブログでは繰り返し書いていますが、1930年代にはドイツの巨大企業だけでなく米英の巨大金融資本がナチスを支援、1932年の大統領選挙でニューディール派のフランクリン・ルーズベルトが当選すると、翌年からクーデターを計画しています。これは海兵隊の伝説的な軍人、スメドリー・バトラー少将が議会で証言して明らかになりました。少将はクーデター派に対し、カウンター・クーデターを宣言していたとも言います。大戦の末期になるとルーズベルト大統領はアメリカの親ファシスト派を摘発する動きを見せるのですが、1945年4月に大統領が執務中に急死、金融資本がホワイトハウスの主導権を奪還しました。そして1950年9月には、スパイ活動や破壊活動を企む恐れがあると判断された人物を逮捕、拘留する権限を大統領にあたえるマッカラン治安法が発効、71年に反拘留法が成立するまで続きます。その間、ドワイト・アイゼンハワー政権の好戦派はソ連や中国に対する先制核攻撃を計画しますが、それにともない、1958年には緊急時における秘密政府の閣僚、いわゆるアイゼンハワー・テン(E-10)が選ばれました。まだマッカラン治安法が生きていた1970年には憲法が認めていないような行為、例えば令状なしの盗聴、信書の開封、さまざまな監視、予防拘束などをFBIやCIAなどに許す内容の法案が成立しそうになります。これはJohn Mitchell司法長官がリチャード・ニクソン大統領を説得して廃案にしました。(Len Colodny & Tom Schachtman, “The Forty Years Wars,” HarperCollins, 2009)こうした治安強化の動きは反戦運動の高まりと無縁ではありません。公民権運動から反戦運動へ活動の範囲を広げていたマーチン・ルーサー・キング牧師は1968年4月に暗殺されますが、その直後に各地で暴動が起こります。そこでアメリカ軍は暴動鎮圧を目的とした2旅団(4800名)を編成(ガーデン・プロット作戦)しましたが、ケント州立大学やジャクソン州立大学で学生に銃撃したことを受け、ニクソン政権は1971年に解散させます。そのウォーターゲート事件でニクソン大統領は1974年に辞任、それにともなって政権は終わりました。副大統領から大統領に昇格したジェラルド・フォードの政権ではネオコンが台頭、中ソとの緊張緩和を目指すデタント派が粛清されています。次のジミー・カーター政権ではサミュエル・ハンチントンやズビグネフ・ブレジンスキーによってFEMA(連邦緊急事態管理庁)が組織され、ロナルド・レーガン政権になると反乱鎮圧チームや強制収容所が計画されたようです。この流れでCOGプロジェクトは始まりました。(Peter Dale Scott, “The American Deep State,” Rowman & Littlefield, 2015)COGが議会で始めて取り上げられたのは1987年7月に開かれた「イラン・コントラ事件」の公聴会においてです。オリバー・ノース中佐に対し、ジャック・ブルックス下院議員が「大災害時に政府を継続させる計画」について質問したのですが、委員長のダニエル・イノウエ上院議員が「高度の秘密性」を理由にして質問を遮ってしまいました。その翌年、1988年に大統領令12656が出され、COGの対象は核戦争から「国家安全保障上の緊急事態」に変更されました。そして2001年9月11日に「国家安全保障上の緊急事態」が発生したとされ、「愛国者法」が出現、アメリカの憲法は機能を停止します。COGがなければ愛国者法があれほど速やかに提出されることはなかったでしょう。日本で問題になっている緊急事態条項を考える上でも、このプロジェクトを知る必要があるはずです。
2017.03.21
イスラエルのアビグドル・リーバーマン国防相はシリアに対し、もしシリア政府軍が再びイスラエル軍機をターゲットにしたなら、シリアの防空システムを破壊すると脅した。その一方でロシア政府は3月17日にロシア駐在イスラエル大使のガリー・コレンを呼び、イスラエル軍機によるシリア領内空爆について説明を求めたようだ。リーバーマンは狂信的なユダヤ至上主義者と言われているが、ロシア政府にパイプを持っている人物でもある。シリアの防空システムを破壊するようなことを目論んだ場合、ロシアが反撃するだろう。もしロシアが傍観したなら、ウラジミル・プーチン時代になって築いてきた信頼を一気に失うことになる。そのロシアにリーバーマンは何らかのメッセージを送っての「過激発言」だろう。今回の空爆は4機の戦闘機が午前2時40分(現地時間)にシリア領空からシリア領空へ侵入してパルミラ近くの空軍基地を空爆した。ヒズボラの高性能兵器を破壊することが目的だとしているが、そこにヒズボラはいないとされている。理由はともかく、これまでイスラエルは何度もシリア領内を爆撃してきた。何らかの核兵器を使用した疑いも持たれている。が、それでも今回、リーバーマンが行ったような反応はなく、ロシア政府がイスラエル大使を呼び出すこともなかったようだ。シリア軍によると、イスラエル軍機はパルミラ近くのシリア軍を攻撃、この地域にいたダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を支援することが目的だったという。また、侵入した4機のうち1機を改良版のS200地対空ミサイルで撃墜、別の1機も損傷を与えたとしている。イスラエルやロシアの反応を見ると、本当に撃墜された可能性が高そうだ。もしS200でイスラエル軍機が撃ち落とされたとするならば、S300やS400はイスラエル軍やアメリカ軍にとって脅威だということを確認できたと言える。イスラエルと緊密な関係にあるアメリカ軍は同じ頃、イラクのモスルやシリアのデリゾールでダーイッシュの指揮官たちをヘリコプターで救出しているとイランのメディアは伝えている。イスラエルがアル・カイダ系武装集団やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を助けても不思議ではない。例えば、2013年9月に駐米イスラエル大使だったマイケル・オーレンはシリアのアサド体制よりアル・カイダの方がましだと語っている。オーレンはベンヤミン・ネタニヤフ首相の側近だ。また、2016年1月19日にモシェ・ヤーロン国防相(当時)はINSS(国家安全保障研究所)で開かれた会議で、イランとISIS(ダーイッシュ、IS、ISILとも表記)ならば、ISISを私は選ぶと発言したという。2015年1月18日には、ダーイッシュを追い詰めていたシリア政府軍とヒズボラの部隊をイスラエルは攻撃し、イラン革命防衛隊のモハメド・アラーダディ将軍を含む幹部を殺している。この年の10月には、ダーイッシュと行動を共にしていたイスラエル軍のユシ・オウレン・シャハク大佐がイラクで拘束され、シリアで反政府軍の幹部と会っていたイスラエルの准将が殺されたと言われている。また、イスラエル軍の兵士はシリア軍と戦って負傷した戦闘員、つまりアル・カイダ系武装集団やダーイッシュを救出、治療してきた。調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは2007年3月5日付けニューヨーカー誌で、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの「三国同盟」がシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始した書いている。イスラエルがアル・カイダ系武装勢力やダーイッシュを助けても不思議ではない。
2017.03.20
国際連合は今月、ふたつの興味深い報告書を公表した。3月1日の報告書は、2016年9月19日に「人道的支援物資」を運んでいた車列をシリア政府軍が空爆したと主張するもので、もうひとつは15日に出されたもので、イスラエルをアパルトヘイト国家だと指摘している。9月19日の出来事はシリアのアレッポで起こった。国連の車列が攻撃されて12名が死亡、アメリカ政府は証拠や根拠を示すことなく、一方的にロシアやシリアを批判したのだ。現地の国連スタッフとシリア政府の関係は悪くない。関係が悪かったのは反政府軍(侵略軍)の方だ。車列をロシアやシリアが攻撃する理由が見当たらない。車列は政府軍が支配している地域をすでに通過、爆発の瞬間を撮影した映像の分析からアメリカ軍の攻撃用ドローン、プレデターから発射されたヘルファイアー・ミサイルではないかという見方が出ている。ロシア国防省は車列の横を迫撃砲を引いて走る車両の映像を公表したほか、トルコのインシルリク空軍基地を飛び立った攻撃用ドローンが空爆の頃に車列の上空を飛行していたことを示す証拠を持っていると発表しているので、符合する。今月16日にアレッポのモスクが爆撃され、75名とも100名近くとも言われる市民が殺された。当初、アル・ジャジーラなどはロシア軍やシリア政府軍に責任をなすりつける内容の「報道」をしていたが、当初は攻撃を否定していたアメリカ国防総省だが、後にアメリカ政府も自分たちが実行したと認めている。爆弾の破片が回収されるなど、証拠を突きつけられて否定できなくなったようだ。近くでアル・カイダ系武装集団が会議を開いていたと弁明している。昨年9月に国連の車列をシリア政府軍が攻撃したと主張する根拠は「白ヘル(シリア市民防衛)」の証言。このグループを主人公にした映画「白いヘルメット」が2月26日にアカデミー賞の短編ドキュメンタリー映画賞に選ばれている。白ヘルはアメリカをはじめとする西側の政府から資金を提供され、アル・カイダ系武装集団やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)などと緊密な関係があり、そうした事情を知っているであろうFBIはリーダーのラエド・サレーを「テロリスト」、あるいはそれに準ずる人物だと判断しているようで、バラク・オバマ政権下でアメリカへの入国を拒否している。そうした事情を知っているであろうFBIはリーダーのサレーを「テロリスト」、あるいはそれに準ずる人物だと判断しているようで、バラク・オバマ政権下でアメリカへの入国を拒否している。国務省の記者会見でもこの件に関する言及があった。アレッポは政府軍がほぼ奪還に成功、アル・カイダ系武装集団やダーイッシュは大多数が撤退しているが、彼らと白ヘルとの緊密な関係を示す痕跡が残されていった。現地でその様子を撮影した映像もインターネット上で流されている。一方、イスラエルに関する報告書は西アジア経済社会委員会のリマ・カラフ事務次長(ヨルダン人)が中心になって作成された。この報告書を認められない事務総長のアントニオ・グテーレス(ポルトガル人)は報告書を撤回するように要求、これを拒否したカラフは辞任することになった。すでに国連のサイトから報告書は削除されているが、別の場所で読むことはできる。イスラエルがアパルトヘイト国家だということは公然の秘密。それでも幻影を映し続けなければ、アメリカはアパルトヘイト国家を支援していることになり、アメリカが民主国家だという幻影も消えてしまう。リビアやシリアへの侵略ではワッハーブ派/サラフ主義者やムスリム同胞団を主力とする傭兵、ウクライナのクーデターでは配下のネオ・ナチを使ったことが明らかになっている。これも公然の秘密。こうしたことを認めない人がいるとするならば、それは国際問題に興味がないのか、認めると都合が悪いのだろう。嘘の上に嘘を塗り重ねてきた西側の政府や有力メディアは醜悪な姿を曝しているが、国連も醜悪度を増している。
2017.03.19
4機のイスラエルの戦闘機が3月17日午前2時40分(現地時間)にシリア領空からシリア領空へ侵入、そのうち1機がシリア軍の地対空ミサイルに撃墜され、別の1機も損傷を受けたとシリア軍は発表した。イスラエル軍機はパルミラ近くのシリア軍を攻撃してダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を支援したという。イスラエル側もシリア領内を空爆したことを認めているが、戦闘機が損傷を受けたことは否定している。強さを誇示することで支配体制を維持しているイスラエルが自国戦闘機の撃墜を認めることはないので、今回、実際に撃ち落とされたのかどうかは断定できない。戦闘機が撃ち落とされたかどうかはともかく、イスラエルがシリアを侵略したことは間違いないが、西側の政府や有力メディアが非難することはないだろう。よく聞く弁明は「イスラエルにも自国を防衛する権利がある」というもの。たとえイスラエルが世界を破壊しても西側の支配階級にとってそれは防衛なのだ。これまでイスラエル軍の戦闘機やヘリコプターは何度もシリア領空を侵犯、攻撃してきた。例えば、2013年1月30日に4機の戦闘機が攻撃しているが、その8日前、アビブ・コチャビAMAN(イスラエルの軍情報部)司令官はワシントンで攻撃計画を説明、同じ時期にイスラエル政府は安全保障担当の顧問、ヤコフ・アミドロールをロシアへ派遣して攻撃を通告していたとも言われている。ロシアがイスラエルのシリア攻撃に同意したとは思えないが、バラク・オバマ大統領は承認した可能性が高い。また、2013年5月や14年12月にも攻撃があったようで、その時はまるで地震のような揺れを伴う大きな爆発があり、「巨大な金色のキノコに見える炎」が目撃された。爆発の様子を撮影したCCDカメラに画素が輝く現象(シンチレーション)もあり、小型の中性子爆弾が使われたと推測する人もいる。この推測を荒唐無稽だと一笑に付すことはできない。1986年にイスラエルの核兵器開発を内部告発したモルデカイ・バヌヌによると、イスラエルは150から200発の原爆や水爆を保有しているだけでなく、その当時、中性子爆弾の製造を始めていたという。その中性子爆弾を使ったとしても不思議ではない。2015年10月にダーイッシュと行動を共にしていたイスラエル軍のユシ・オウレン・シャハク大佐がイラクで拘束されたが、シリアでも反政府軍の幹部と会っていたイスラエルの准将が殺されている。また、イスラエル軍の兵士はシリア軍と戦って負傷した戦闘員、つまりアル・カイダ系武装集団やダーイッシュを救出、治療してきた。一時期、イスラエル政府はロシアへ接近していたが、ネオコンに同調してシリア空爆は続けている。アメリカやイスラエルの支配階級は「神軍信仰」から事実を見ず、「神風」を信じているとしか思えない。この信仰は両国が壊滅するまで消えないだろう。
2017.03.18
アメリカ、サウジアラビア、イスラエルを中心とする国々がリビアやシリアで始めた侵略戦争の傭兵グループ、つまりアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)は崩壊寸前にあるようだ。西側の有力メディア、「人権擁護団体」、あるいは国連などは侵略軍を攻撃しているシリア政府軍やロシア軍などを激しく批判しているが、戦況を変えることは難しいだろう。 そうした中、アメリカ軍はイラクのモスルやシリアのデリゾールでダーイッシュの指揮官たちをヘリコプターで救出しているとイランのメディアは伝えている。ここにきて侵略軍は逃げ場を失っているので、そうせざるをえないのだろう。 アル・カイダについてロビン・クック元英外相はCIAから軍事訓練を受けた「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイルだと説明している。アル・カイダはアラビア語で「ベース」を意味し、「データベース」の訳語としても使われているようだ。なお、クックはこの指摘をした翌月、保養先のスコットランドで心臓発作に襲われて死亡している。享年59歳だった。 こうした訓練は1970年代の終盤にジミー・カーター政権の大統領補佐官だったズビグネフ・ブレジンスキーが考えた戦略に基づいて始められた。アフガニスタンの武装集団とCIAを結びつけたのはパキスタンの情報機関ISI。資金を提供し、サラフ主義者/ワッハーブ派やムスリム同胞団を中心とする戦闘員を送り込んだのがサウジアラビア。アメリカはTOW対戦車ミサイルや携帯型のスティンガー対空ミサイルを提供、戦闘員を訓練していた。こうした構図の戦闘は1989年2月にソ連軍が撤退するまで続いた。 2001年9月11日、ニューヨークの世界貿易センターやバージニア州アーリントンにある国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された直後にジョージ・W・ブッシュ政権は証拠を示すことなく、アル・カイダという名前を「テロの象徴」として使い始める。その組織を率いているのがオサマ・ビン・ラディンだというのだが、この主張を嘘だとクック元英外相は2005年に指摘したわけだ。 その翌年、フォーリン・アフェアーズ誌(CFR/外交問題評議会が発行)の3/4月号にロシアと中国の長距離核兵器をアメリカの先制第1撃で破壊できるとするキール・リーバーとダリル・プレスの論文が掲載された。ロシアや中国の反撃を恐れる必要はないという主張だ。当然、この論文はロシアや中国の人びとが読むことを念頭に置いて書かれたわけで、アメリカのすることの口出しするなという恫喝だったのだろう。 その一方、2007年3月5日付けのニューヨーカー誌には、アメリカがイランとシリアを標的にした秘密工作を開始、イスラエルとサウジアラビアが参加していると調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュが書いている。 この工作を作成するにあたって中心的な役割を果たしたのはリチャード・チェイニー副大統領(当時。以下同じ)、ネオコンのエリオット・エイブラムズ国家安全保障問題担当次席補佐官、ザルメイ・ハリルザド、そしてサウジアラビアのバンダル・ビン・スルタン国家安全保障問題担当顧問(元アメリカ駐在大使、後に総合情報庁長官)だという。ビン・スルタンはアル・カイダ系武装集団を動かしていた人物だ。 2007年には調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュがニューヨーカー誌に興味深い記事を書いている。アメリカ、イスラエル、サウジアラビアがシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を始めたというのだ。 その記事の中で、ジョンズホプキンス大学高等国際関係大学院のディーンで外交問題評議会の終身メンバーでもあるバリ・ナスルの発言を引用している。「サウジは相当な金融資産があり、ムスリム同胞団やサラフ主義者と深い関係がある」としたうえで、「サウジは最悪のイスラム過激派を動員することができた。一旦、その箱を開けて彼らを外へ出したなら、2度と戻すことはできない。」と指摘している。 そのサウジアラビアの国王がアジア大陸の東岸に現れた意味は重い。彼らが見せびらかす札束の向こう側には地獄が存在している。
2017.03.17
アンドリュー・ナポリターノ元ニュージャージー州最高裁判事はFOXニュースの番組の中で、バラク・オバマは昨年の大統領選挙でドナルド・トランプ陣営の盗聴をイギリスの電子情報機関GCHQに依頼したと語った。これは情報機関の情報源から得た情報だという。 これは十分にありえる話だ。アメリカの電子情報機関NSAとGCHQはUKUSAという連合体を作り、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの機関を従えてい情報を収集、分析している。多国間の情報機関が連携することで、各国の法律に拘束されず、外国人だろうと自国民だろうと監視できる。実際、UKUSAはそうしてきた。 昨年5月、ナポリターノは、ロシアで外務省と情報機関との間でヒラリー・クリントンの2万に及ぶ電子メールを公開するかどうかが議論されていると語っているのだが、これは正しくなかった可能性が高く、今回の発言が信頼できるものかどうかは不明。ただ、そうしたことは日常的に行われていることで、ナポリターノの発言に関係なく、そうした盗聴が行われていた可能性は高い。 情報機関の連携は通信傍受以外の分野でも行われている。例えば、かつて、ラテン・アメリカの軍事政権(アメリカ巨大資本の傀儡)は情報機関のネットワークを作り、自分たちの支配システムにとって好ましくない人びとを世界規模で暗殺していた。「コンドル」作戦だ。 最近ではエレクトロニクス技術が発達して便利になったが、監視にとっても便利になった。その実態の一端を先日、WikiLeaksは「Vault 7」として公表している。以前から想定されていたことだが、インターネットに接続されている機器は全てCIAにハッキングされる危険性を秘めていることを具体的に示した。 CIAはマルウエア(有害ソフト)を使うことで、iPhoneやアンドロイド系のスマートフォン、スマートTV、またWindows、OSx、LinuxといったOS、あるいはWi-Fiルーターに侵入し、その情報を入手することができる。利用者が危機をオフにしたつもりでも、利用者に気づかれずオンにすることも技術的に可能で、そうした電子機器は監視カメラ、盗聴器になる。PASMOやSUICAといったIC乗車券、あるいはGPSが搭載されて携帯電話などを所持していたりいれば、行動もトレースされてしまう。 こうした電子的な監視は1970年代から始まり、技術の進歩に伴ってその能力も高まってきた。その能力を懸念する声は1980年代から世界的に強まったが、日本ではマスコミも「運動家」も興味を示さなかった。それに対して法務省/検察がそうした技術に興味を持っていたことは本ブログでも指摘してきた。 例えば、1970年代の終盤、駐米日本大使館に一等書記官として勤務していたのが原田明夫や、その下で活動していた敷田稔は不特定多数のターゲットに関する情報を収集、分析するシステムPROMISを調べている。調査結果は1979年と80年に「研究部資料」として紹介された。 監視を容易にするため、アメリカでは1994年にCALEA(法執行のための通信支援法)なる法律が制定されたが、こうした動きは西側世界全域に及んでいる。1993年から毎年、アメリカはヨーロッパ諸国の捜査機関ともこの問題に関する会議を開催、日本政府も当然、アメリカの意向に従っている。 軍と同様、情報機関は「安全保障」という口実で秘密のベールで守られ、その実態は国民に知らされていない。その情報機関は国民の一挙手一投足を監視、支配階級に背く疑いが生じたなら弾圧できる仕組みも作られている。日本の支配階級は、特定秘密保護法や国家安全保障基本法に続き、共謀罪を成立させようとしているが、これはそうした流れに沿ってのことだ。
2017.03.16
WikiLeaksのジュリアン・アッサンジは3月14日にTwitterで、マイケル・ペンス副大統領を大統領にする計画が進行中だと書いている。ドナルド・トランプを排除してペンスを後釜に据えようということらしい。ジョン・F・ケネディ大統領が暗殺されて大統領になったリンドン・ジョンソン、ウォーターゲート事件で失脚したリチャード・ニクソンを引き継いだジェラルド・フォードと同じパターン。この情報はペンスに近い情報関係者から今月、入手したようだ。 アッサンジによると、こうした動きをヒラリー・クリントンは歓迎、水面下で支援しているとも書いている。ペンスの動きは予想可能で、打ち負かすことができることが理由だとしている。 こうした情報を「ばかげている」と否定しているペンス副大統領はキリスト教系カルト(キリスト教シオニスト)に近く、アメリカはイスラエルと共にあると公言している人物。インディアナ州知事の時代に成立させた「宗教の自由復活法」は、LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)の顧客を宗教的な理由で差別しても処罰されなくすることが目的だったと言われている。トランプ大統領も親イスラエルを表明しているが、ペンス副大統領はシオニストの領域に入っていると言え、ネオコンに近い。 ネオコンはロシア、中国、イランなどを軍事的に制圧する戦略を持ち続けていいるが、トランプが国家安全保障担当補佐官に選んだマイケル・フリン元DIA局長はロシアとの関係改善を訴えていた。そのフリンは2月13日に国家安全保障担当補佐官を辞任している。 その辞表を読んでみると、辞任する理由は事実上、書かれていない。次期政権の国家安全保障担当補佐官として、各国の安全保障担当者、大臣、大使と電話で話をしたが、それは政権の移行を円滑に進め、大統領、補佐官、外国の指導者との必要な関係を築く手始めだったとしている。これは正しい。辞任する理由として挙げられているのは次期副大統領のペンスに対する電話に関する説明が不完全だったということくらいだが、これが辞任の理由だとは思えない。 そこで、イランに対する強硬姿勢が本当の理由だとする人もいるが、イランに対する軍事的な圧力はロシアとの関係悪化に直結する。つまり、ロシアとの関係改善を掲げている人物はそうした方向へ進みたくないはずだ。 1991年にイラクやシリアと同様、イランの破壊を主張していたのはネオコンのポール・ウォルフォウィッツである。その姿勢は現在に至るまで変化していない。アメリカの話し合いは時間稼ぎ、あるいはカラー革命、軍事クーデター、軍事侵略などの環境整備に過ぎない。 タックスヘイブンのひとつであるパナマを舞台にした資金の情報を明らかにしたパナマ文書についてロシアの情報機関がリークしたと主張していたクリフォード・ガディ、シリアに飛行禁止空域を作るべき(アメリカが制空権を握るべき)だと主張していたマイケル・オハンロンが所属するブルッキングス研究所はネオコン系で、トランプを敵視している勢力。 ネオコンなどアメリカの好戦派のプランを作成しているのはブルッキングス研究所だと見られている。バラク・オバマ政権で国連大使を経て安全保障問題担当大統領補佐官に就任したのはスーザン・ライスだが、彼女の母親、ロイスはブルッキングス研究所の研究員だった。 ロイスはマデリーン・オルブライト(ユーゴスラビアを軍事侵攻したときの国務長官)と親しく、その縁でスーザンは子どもの頃からオルブライトを知っていた。そのオルブライトの師はアフガニスタンで戦争を仕掛けたズビグネフ・ブレジンスキーだ。 そのブルッキングス研究所はイランをいかに攻撃し、破壊するかを提案をしている。しばしば好戦派の人びとが使う台詞、「本当は避けたいのだが、やむを得ず、苦汁の選択で戦争する」を使える環境を整備して戦争を仕掛けようということだ。これはネオコンのプランであり、ヒラリー・クリントンやバラク・オバマの政策を決めてきた。そうした政策にトランプが抵抗するならフリンのように排除してペンスを次の大統領に決めるということ。そうした動きがあるとアッサンジは言っている。
2017.03.15
日本政府は5月から8月にかけて自衛隊が保有する最大の艦船を南シナ海へ派遣する計画だと伝えられている。その艦船は「ヘリコプター搭載護衛艦」というタグが付けられた「いずも」。艦首から艦尾まで平らな「全通甲板」を有して多数のヘリコプターを運用できる一方、艦砲、対艦ミサイル、対空ミサイルを持っていない。国際的にはヘリ空母(航空母艦)、あるいは揚陸艦などを兼ねた多目的空母と見なされているようだ。垂直離着陸型のステルス戦闘機F35Bも離発着できるという。 ロイターによると、「いずも」はシンガポール、インドネシア、フィリピン、スリ・ランカへ寄港した後、インド洋でインドやアメリカとの合同艦隊演習に参加するとも報じられている。演習も含め、中国に対する示威行動だと言うべきだろう。 2016年9月15日、稲田朋美防衛相がCSISで講演した際、アメリカ海軍による「航行の自由作戦」への支持を表明、両国は共同で「巡航訓練」などを南シナ海で実行すると語っている。この時の司会者はマイケル・グリーンだった。 その3カ月前、6月後半に中国の程永華駐日大使は南シナ海に関する要求で譲歩したり主権を放棄することは戦争が勃発する事態になってもありえないと日本側に警告したと言われている。稲田の発言は中国を挑発するものだったが、今回のヘリ空母派遣はそれを実践に移すものだとも言える。 南シナ海は中国政府が描く「一帯一路」のうち海のシルクロードの東の端にある場所。中国としては「平和の海」にしたいところだが、2010年9月、菅直人政権が軍事的な緊張が高まる切っ掛けを作った。海上保安庁が尖閣諸島付近で操業していた中国の漁船を取り締まり、日中漁業協定を無視して漁船の船長を逮捕したのだ。当然、海上保安庁は協定を熟知しているはずで、国土交通大臣だった前原誠司の意思がなければ不可能な行為だ。 2011年12月には石原伸晃がハドソン研究所で講演、尖閣諸島を公的な管理下に置いて自衛隊を常駐させ、軍事予算を大きく増やすと発言した。2012年4月には石原知事が「ヘリテージ財団」主催のシンポジウムで尖閣諸島の魚釣島、北小島、南児島を東京都が買い取る意向を示している。 こうした言動の背後にはネオコンの大物でハドソン研究所の上級副所長だったI・ルイス・リビーがいたと言われている。安倍晋三もハドソン研究所と関係が深いが、そのつながりを築いたのもリビーだ。 こうした始まったこの海域の軍事的な緊張は高まり続けている。「いずも」の派遣が緊張を低下させることはないだろう。
2017.03.14
自衛隊が引き揚げるという南スーダンは破綻国家になっているようだ。中央アフリカも似た状況で、この周辺は不安定な状況になっている。そうした状況に陥った最大の理由は西側巨大資本の侵略にある。 1974年にアメリカの巨大石油会社シェブロンがスーダンで油田を発見したのだが、90年代の終盤になるとスーダンでは自国の石油企業が成長してアメリカの石油企業は利権を失っていき、中国やインドなど新たな国々が影響力を強めていく。 そうした中、スーダン南部ではSPLM(スーダン人民解放軍)が反政府活動を開始するのだが、SPLMを率いていたジョン・ガラングなる人物はアメリカのジョージア州にあるフォート・ベニングで訓練を受けた人物。この基地にはアメリカ巨大資本のために働く軍人を訓練するWHINSEC(治安協力西半球訓練所/以前の名称はSOA)があり、反乱鎮圧の技術、ゲリラ戦や心理戦の戦い方、狙撃の訓練、さらに拷問や暗殺のテクニックが教えられている。結局、ガラングが率いる勢力は独立に成功した。国境の周辺に油田があるのはそうした事情があるからにほかならない。 スーダン西部にあるダルフールでも資源をめぐる戦闘が2003年から激化した。当初、欧米の国々は南スーダンの石油利権に集中、ダルフールの殺戮を無視していたが、ネオコンはダルフールへ積極的に介入する。その資源に目をつけた隣国チャドの政府が反スーダン政府のJEM(正義と平等運動)へ武器を供給したことも戦闘を激化させる一因だ。チャドの背後にはイスラエルが存在していると生前、リビアのムアンマル・アル・カダフィは主張していた。 自衛隊が戻ってくる東アジアも軍事的な緊張が高まっている。先月、ジェームズ・マティス国防長官が韓国と日本を訪問したが、これも両国にアメリカへの服従を誓わせルことが目的だろう。THAAD(終末高高度地域防衛)ミサイル・システムの配備も急ピッチで進めている。中国の喉元に合口を突きつけて脅すつもりだろう。東ヨーロッパでロシアに対して行っていることと基本的に同じだ。 勿論、アメリカがTHAADで狙っている相手は朝鮮でなく中国だ。第2次世界大戦の終盤、中国ではコミュニストの紅軍と国民党軍が日本軍と戦っていたが、1944年9月にソ連駐在のアメリカ大使だったアベレル・ハリマンはモスクワでソ連のヴャチェスラフ・モロトフ外相から中国共産党を援助しないと言われた。1945年4月にヨシフ・スターリンやモロトフと会談したパトリック・ハーレーによると、スターリンは蒋介石に好意をよせていたともいう。国際連合の創設に関する会議に中国共産党の代表を呼んだのはアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領だった。(堀田善衛著『上海にて』筑摩書房、1959年) ところが、そのルーズベルトは4月に急死している。アメリカの支配層は最新装備の国民党が日本軍の旧式兵器の紅軍に勝利すると確信していただろう。アメリカは国民党軍に対して20億ドルの援助をするだけでなく、軍事顧問団も派遣していたのだ。 そうした予想に反し、1947年の夏になると人民解放軍(1947年3月に紅軍から改称)が勢力を拡大、48年後半になると人民解放軍が国民党軍を圧倒、49年1月には解放軍が北京へ無血入城し、10月には中華人民共和国が成立する。 この間、アメリカは破壊工作部隊のOPC(この組織については何度も書いているので、今回は割愛する)が上海などを拠点にして活動していたが、人民解放軍が北京入りする前に拠点を日本へ移動させている。その中心がアメリカ海軍の厚木基地だった。ちなみに、1949年7月5日に下山事件、7月15日に三鷹事件、そして8月17日に松川事件が引き起こされている。 1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発するが、ダグラス・マッカーサーに同行して日本にいた歴史家のジョン・ガンサーによると、半島からマッカーサーに入った最初の電話連絡は「韓国軍が北を攻撃した」というもの。「開戦」の2日前から韓国空軍は北側を空爆、地上軍は海州を占領している。 しかし、当時のアメリカ軍は山岳地帯での戦闘に不慣れで、釜山の近くまで追い詰められてしまう。そこで旧日本軍の参謀がアドバイスを始め、仁川上陸作戦などで反撃に転じたと旧日本軍の関係者は語っていた。 その間、1951年4月にCIAの顧問団は約2000名の国民党軍を率いて中国領内への侵攻を試み、翌年8月にも再度、軍事侵攻したが、結局失敗に終わる。その後、アメリカはベトナム戦争を始めるわけだが、朝鮮戦争もベトナム戦争も本当の敵は中国だったと考えるべきだろう。 朝鮮戦争は1953年7月に休戦協定が成立するが、その2カ月前にベトナムではアメリカの支援を受けていたフランス軍がディエンビエンフーで北ベトナム軍に包囲され、翌年の5月にフランス軍は降伏した。 その前、1953年1月にドワイト・アイゼンハワー政権が成立し、ジョン・フォスター・ダレスが国務長官に就任するが、この新長官は翌年の1月にNSC(国家安全保障会議)でベトナムにおけるゲリラ戦の準備を提案、それを受けてCIAはSMMを編成して秘密工作が始まった。 朝鮮戦争もベトナム戦争も最終的な目的は中国だったと考えるべきだろう。中国の完全制圧(略奪)はアヘン戦争からアングロ・サクソンが抱いている野望だ。それにロシア制圧も目指すハートランド理論が重なる。このプランは今でも生きているように見える。
2017.03.13
2003年、今から14年前の3月20日にアメリカ軍はイギリス軍などを引き連れてイラクを先制攻撃、中東から北アフリカにかけての地域を戦乱で破壊と殺戮の地にした。この地域に存在する自立した国を破壊しようという人びとは現在でも侵略戦争を続けている。 2006年10月にイギリスの医学雑誌「ランセット」はジョンズ・ホプキンズ大学とアル・ムスタンシリヤ大学の共同研究による調査報告を掲載、それによると、2003年3月から2006年7月までの間に65万4965名以上のイラク人が死亡、そのうち60万1027名は暴力行為(要するに戦闘)が原因だという。イギリスのORB(オピニオン・リサーチ・ビジネス)は2007年夏までに約100万人が殺されたという調査結果を公表している。 イラク攻撃を推進していたのはネオコンと呼ばれる親イスラエル派で、その中心グループに属すポール・ウォルフォウィッツは1991年にイラク、シリア、イランを殲滅すると口にしている。これはウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官が2007年に語っている。(3月、10月)1991年当時、ウォルフォウィッツは国防次官を務めていた。 1991年12月にはソ連が消滅、ネオコンたちはアメリカが「唯一の超大国」になったと思い込み、目前に「パクスアメリカーナ」の時代があると認識、自立した「雑魚」を潰しにかかる。その基本プランが1992年2月に国防総省で作成されたDPGの草案。いわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリンだ。 ソ連の消滅で世界は平和になると思った人びとは冷戦の構造を見誤っていたということである。武力による世界支配というアメリカ支配層の野望をソ連の存在が押さえ込んでいたのだ。実際、アメリカ支配層がソ連に圧勝できると考えたとき、全面核戦争の危機が高まった。そうした時期のひとつが1960年代の前半だ。 アメリカの統合参謀本部(JCS)が1949年の段階に作成された研究報告で、ソ連の70都市へ133発の原爆を落とすということが書かれている。1954年にSAC(戦略空軍総司令部)が作成した計画では、1954年にSAC(戦略空軍総司令部)は600から750発の核爆弾をソ連に投下、118都市に住む住民の80%、つまり約6000万人を殺すことになっている。そして1957年初頭には、300発の核爆弾でソ連の100都市を破壊するという「ドロップショット作戦」が作成された。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012) テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、1960年10月から62年9月までJCS議長を務めたリーマン・レムニッツァーやSAC司令官だったカーティス・ルメイを含む好戦派は1963年の終わりに奇襲攻撃を実行する予定だったという。その頃になればアメリカはICBMを配備でき、しかもソ連は配備が間に合わないと見ていたのだ。そのために偽旗作戦のノースウッズも作成されたが、この目論見はジョン・F・ケネディ大統領によって阻止された。 ウォルフォウィッツ・ドクトリンは2001年9月11日の攻撃で一気に動き出す。ネオコンの基本戦略はシリアとイランを分断することにあり、そのためにイラクのサダム・フセインを排除して親イスラエルの傀儡国家を成立させようとした。その口実に使われたのが大量破壊兵器。 実際はそうした兵器をイラクが保有、あるいは開発している事実はなかったのだが、西側の政府や有力メディアは偽情報を盛んに流す。そうした中でもニューヨーク・タイムズ紙のジュディス・ミラー記者は目立った。その偽報道が露見すると彼女は同紙を2005年に辞めるが、07年には政策研究マンハッタン研究所へ迎え入れられ、08年にはFOXニューズに入る。2010年にはケイシーの家族やリチャード・メロン・スケイフという富豪が支援していたニューズマックスへ移籍した。また、偽報道の功績からか、CFR(外交問題評議会)のメンバーにもなっている。つまり、支配層から仲間として迎え入れられている。 CFRが発行している雑誌、フォーリン・アフェアーの2006年3/4月号にアメリカはロシアや中国との核戦争で圧勝するとする論文が掲載された。これを書いたのはキール・リーバーとダリル・プレスで、ロシアと中国の長距離核兵器をアメリカの先制第1撃で破壊できるとしている。アメリカの好戦派は1960年代と似た心理になっていたと言えるだろう。 これに対し、ロシアはシリアで自分たちの軍事能力をアメリカに見せつけた。通常兵器での戦闘ならアメリカはロシアに負けると考える人は少なくない。歴史的に見てアメリカ軍が勝ったのは先住のインディアン、すでに国力が衰退していたラテン・アメリカのスペイン軍、そして日本くらいだろう。核兵器を手にして自分が世界の支配者になったと思ったようだが、ベトナムでもイラクでも勝てていない。シリアではアル・カイダ系武装集団やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)などワッハーブ派/サラフ主義者を主体とする集団、ウクライナではネオ・ナチを使って侵略戦争を繰り広げている。現在、ロシアや中国を軍事的に挑発しているが、通常兵器では勝てない以上、アメリカは核兵器に頼らざるをえない。2003年の先制攻撃によって、私たちはそうした世界に突入してしまった。
2017.03.12
シリアやイラクでアル・カイダ系武装集団やダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)が敗走する中、アメリカの第11海兵遠征部隊の一部がシリアで戦闘態勢を整えたという。これまでアメリカは特殊部隊をシリアへ潜入させて拠点を築いていたが、今回は海兵隊を侵入させたわけで、ロン・ポール元下院議員(1997年〜2013年)はその目的をアメリカ軍がシリア北東部の要衝ラッカをシリア政府軍より先に制圧することだと推測、軍事的エスカレーションだと批判している。 また、アレッポのマンビジにはアメリカ陸軍の第75歩兵連隊の車列が入ったとも伝えられている。アレッポは現在、ロシア軍の支援を受けたシリア軍が制圧寸前。アメリカ軍としては完全に抑えられる前に部隊を送り込んだとも解釈できる。この軍事作戦をシリア政府が承認したという話はなく、シリアへの侵略にほかならない。 第11海兵遠征部隊にしろ、第75歩兵連隊にしろ、ダーイッシュやアル・カイダ系武装集団に替わってシリア侵略を続けようとしていると見られても仕方がない。こうした「ムジャヒディン」ではシリア軍とロシア軍に太刀打ちできないことから、アメリカ軍が出て来たということだろう。かなり危険な行為だ。 こうした動きは大統領の交代と関係ない。バラク・オバマ政権は偽情報を利用してシリアをアメリカ軍/NATO軍に直接攻撃させようと目論んでいる。また、WikiLeaksが公表した民間情報会社ストラトフォーの電子メールによると、シリアで戦闘が始まった直後からアメリカ、イギリス、フランス、ヨルダン、トルコの特殊部隊が入っている可能性がある。イスラエルの情報機関モサドと関係が深いとされるデブカは、イギリスとカタールの特殊部隊がシリアへ潜入しているとしていた。 また、イギリスのエクスプレス紙は2015年8月、すでにイギリスの特殊部隊SASの隊員120名以上がシリアへ入り、ダーイッシュの服装を身につけ、彼らの旗を掲げて活動していると報道した。ダーイッシュを騙すためだという説明も可能だが、ダーイッシュと一緒に戦っていた可能性もある。シリア政府によるとドイツも特殊部隊を侵入させたという。 こうした行動は米英の基本的なパターンだ。例えば、1941年6月にドイツ軍がソ連に向かって進撃を開始、7月にレニングラード(現在は帝政時代のサンクト・ペテルブルグに戻った)を包囲、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点まで迫り、42年8月にはスターリングラード市内へ突入、市街戦が始まっている。 この間、フランクリン・ルーズベルト米大統領はソ連支援に前向きだったが、実際は傍観している。後にルーズベルト政権の副大統領になるハリー・トルーマンは「ドイツが勝ちそうに見えたならロシアを助け、ロシアが勝ちそうならドイツを助け、そうやって可能な限り彼らに殺させよう」と主張していたが、これはアメリカやイギリスの支配層で一般的な姿勢だった。 状況が変わるのは1942年11月。ソ連軍が猛反撃を開始、ドイツ軍25万人は完全に包囲され、43年1月には生き残った9万1000名の将兵が降伏している。これを見たアメリカとイギリスの首脳は5月にワシントンDCで協議、7月にシチリア島へ上陸する。この島はコミュニストの影響力が強かったため、それに対抗する意味もあってアメリカ軍はマフィアと手を組んでいる。戦後、シチリア島がマフィアに支配された原因はここにある。 そして1944年6月、映画の宣伝で人びとの印象に強く残っているノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)が実行され、45年2月にヤルタ会談、4月にルーズベルト大統領が急死、そして5月にドイツが降伏する。ウィンストン・チャーチルが米英独の連合軍でソ連を奇襲攻撃するというアンシンカブル作戦を作成させたのはその直後だ。 シリアでも、規模は小さいながら、この時を似たようなことをしている。ドナルド・トランプはロシアとの関係修復を訴えて民主党、共和党の一部、有力メディア、リベラル派から激しく攻撃されていた。そうした勢力に引きずられているようにも見える。アメリカの好戦派はロシア軍がアメリカ軍の行動を止めようとすることはないと思っているのかもしれないが、今回の軍事作戦はロシアとの戦争を勃発させかねない。
2017.03.11
インターネットに接続されている機器は全てCIAにハッキングされる危険性を秘めている。このことをWikiLeaksが公表した「Vault 7」によって再確認することができる。情報機関がその気になれば、誰でも監視できるということだ。その一方で支配層は「安全保障」、場合によっては理由も明らかにせず国や自治体の運営に関わる情報を秘密にできる。国の「安全保障」に関わる契約をしている企業は何をしても秘密の壁で守られことにもなり、研究者の場合は支配層にとって都合の悪いことを発言できなくなる。 CIAのマルウエアはiPhoneやアンドロイド系のスマートフォン、スマートTV、あるいはWindows、OSx、Linux、またWi-Fiルーターに侵入、その情報を入手することができる。利用者が危機をオフにしたつもりでも、利用者に気づかれずオンにすることも技術的に可能だ。2015年にサムスンのスマートTVが利用者の会話をスパイしていると問題になったが、こうした危険性があることはインターネットに接続されている機器全てに当てはまる。 本ブログでは何度も書いてきたが、アメリカの情報機関は1970年代の前半から電子的な監視能力を保有している。エレクトロニクス技術が未発達だった時代には封書の開封工作が行われていたことも判明している。 電子的な監視システムについて日本では関心を持つ人が少なかったが、検察には興味を持つ人もいた。例えば、駐米日本大使館に一等書記官として勤務していた原田明夫とその下で活動していた敷田稔だ。原田は法務省刑事局長(1996年)、法務事務次官(98年)、東京高検検事長(99年)を経て2001年には検事総長になっていた。敷田は後の名古屋高検検事長だ。 ふたりが注目したのは不特定多数のターゲットに関する情報を収集、蓄積、分析するシステムのPROMIS。このシステムはアメリカの司法省や情報機関も注目、法務省は1979年と80年に「研究部資料」として紹介している。こうしたシステムの危険性を話しても「有名ジャーナリスト」は聞く耳を持たなかった。 技術の発達は通信傍受を難しくすることも可能だが、そうした能力の発達を支配層は阻止、セキュリティ・レベルを下げさせてきた。例えば、1994年にアメリカでは盗聴を容易にするため、CALEA(法執行のための通信支援法)なる法律が制定されている。1993年から毎年、アメリカはヨーロッパ諸国の捜査機関ともこの問題に関する会議を開催、日本政府も当然、アメリカの意向に従っている。勿論、住民基本台帳ネットワークも被支配層を監視するために使われることになるだろう。 PROMISは1970年代の後半に開発され、80年代には全世界で売られた。その際、開発した会社をアメリカの司法省は1985年に倒産させ、プログラムにトラップ・ドアを組み込んで情報を盗めるようにしていたと言われている。 この倒産は裁判になり、1988年2月にワシントン破産裁判所のジョージ・ベイソン判事は司法省が不正な手段を使って開発会社のINSLAWを破産させ、PROMISを横領したと認めた。翌年11月にはワシントン連邦地裁のウィリアム・ブライアント判事も破産裁判所を支持する判決を言い渡し、下院の司法委員会も1992年9月に破産裁判所の結論を支持する内容の報告書を公表している。 その後、1997年8月に最高裁は司法省の言い分を認める判決を言い渡したが、そう判断する理由とされたのはイラン・コントラ事件で偽証して有罪になったロバート・マクファーレン、あるいは証券詐欺や銀行詐欺などでロサンゼルスの連邦地裁で有罪の評決を受けるアール・ブライアンという「信頼できる証人」の証言だ。 その後も不特定多数のターゲットを追いかけ、分析するシステムの開発は進み、学歴、銀行口座の内容、ATMの利用記録、投薬記録、運転免許証のデータ、航空券の購入記録、住宅ローンの支払い内容、電子メールに関する記録、インターネットでアクセスしたサイトに関する記録、クレジット・カードのデータなどあらゆる個人データを収集し、分析できるようになっている。 さらに、スーパー・コンピュータを使って膨大な量のデータを分析、「潜在的テロリスト」を見つけ出そうとする取り組みもなされていた。つまり、どのような傾向の本を購入し、借りているのか、どのようなタイプの音楽を聞くのか、どのような絵画を好むのか、どのようなドラマを見るのか、あるいは交友関係はどうなっているのかなどを調べ、分析し、国民ひとりひとりの思想、性格、趣味などを推測しようというのだ。当然、日本も同じ政策を推進中のはずで、共謀罪もリンクすることになる。 アメリカの支配層でも大きな力を持っている巨大金融資本は第2次世界大戦の前にナチスを資金面から支えていたことは何度も書いてきた。フランクリン・ルーズベルトが大統領に就任すると、ニューディール派の排除とファシスト政権の樹立を目指すクーデターを目論んでいる。これは海兵隊のスメドリー・バトラー少将が議会で明らかにしている。 その巨大金融資本が作り上げたのがCIAであり、大戦の終盤からナチスの科学者、元幹部、協力者を救出、逃亡させて保護、雇用もしている。1945年4月、ドイツが降伏する前の月ににルーズベルト大統領が急死した後、ウォール街は主導権を奪い返した。それが日本の「右旋回」にもつながる。 アメリカでは戦後、人種差別に抗議する運動が広がり、そのリーダーだったマーチン・ルーサー・キング牧師は1967年4月4日、ベトナム戦争に反対する意思を鮮明に示す演説をした。テネシー州メンフィスで暗殺されたのは1年後の4月4日だ。 この暗殺が切っ掛けになってアメリカ各地で暴動が起こり、アメリカ軍は暴動鎮圧を目的とした2旅団(4800名)を編成したが、ケント州立大学やジャクソン州立大学で学生に銃撃したことを受け、リチャード・ニクソン政権は1971年に解散させている。その間、令状なしの盗聴、信書の開封、さまざまな監視、予防拘束などをFBIやCIAなどに許すという内容の法案も成立しそうになるが、これはジョン・ミッチェル司法長官がニクソン大統領を説得して公布の4日前、廃案にしている。(Len Colodny & Tom Schachtman, “The Forty Years Wars,” HarperCollins, 2009) このニクソンはウォーターゲート事件で失脚、ジミー・カーター政権になるとサミュエル・ハンティントンとズビグネフ・ブレジンスキーは共同でFEMA(連邦緊急事態管理庁)を組織した。この延長線上に一種の戒厳令プロジェクトであるCOGがあり、2001年9月11日の攻撃を口実にして始動、愛国者法も成立している。アメリカのファシズム化は第2次世界大戦の前から進められてきたとも言えるだろう。そうしたプランの下で、CIAやその影響下にある有力メディアは動いている。
2017.03.10
WikiLeaksは3月7日に「Vault 7」と名づけられた文書の公表を始めた。CIAにはサイバー情報センター(CCI)があり、その中で活動しているUMBRAGEグループは攻撃テクニックの重要なライブラリを集め、維持しているのだという。そのテクニックはロシアを含む他国で創り出されたマルウエア(有害ソフト)を盗んだもので、他国の機関が実行したように見せかけ攻撃することができるわけだ。サイバー版の偽旗作戦とも言える。 もっとも、昨年からアメリカでは民主党や有力メディアは証拠を示すことなく、ロシア政府がドナルド・トランプを支援するためにハッキングしていると叫び続けている。こうしたテクニックを使った工作ではなく、単なる「お話」を流しているにすぎないということだ。 有力メディアの「報道」が正しいなら、彼らはCIA、司法省、財務省などから情報の提供を受けているはずだが、情報公開法に基づいてその件に関する資料の公開を求めても拒否されている。こうしたことから、CIA、司法省、財務省を訴える団体が出て来た。 ところが、先日、トランプ大統領がバラク・オバマによる自分に対するハッキングに言及したところ、有力メディアは「証拠がない」と連呼している。天に向かってつばを吐く行為だ。顔につばが降り注いでも気づかないかもしれないが。 アメリカの電子情報機関NSAが世界規模で通信を傍受し、情報を蓄積、分析していることは1970年代から指摘されている。電子技術の進歩に伴い、そうした情報活動は大規模になってきた。 NSAの存在は1972年8月号のランパート誌に掲載された内部告発で明らかになり、イギリスのGCHQについては、76年にダンカン・キャンベルとマーク・ホゼンボールがタイム・アウト誌で詳しく書いている。ちなみに、この記事が原因でアメリカ人のホゼンボールは国外追放になり、キャンベルは治安機関MI5から監視されるようになった。キャンベルは1988年8月に地球規模の通信傍受システム、ECHELONの存在も明らかにしている。 NSAとGCHQは緊密な関係にあり、UKUSA(UKとUSA/ユクザ)と呼ばれる連合体を作り、カナダ、ニュージーランド、オーストラリアの情報機関を従えて活動している。こうした連合体を編成する目的のひとつは、各国の法律の規制を逃れることにある。自分たちが調べられないターゲットを別の国に頼むわけだ。 この5カ国は英語圏、あるいはアングロ-サクソン系ということでまとまっているのだが、さらにイスラエルの8200部隊も手を組んでいる。この8200部隊とNSAはイランの核関連施設を攻撃するためにコンピュータ・ウィルス、つまり侵入したコンピュータ・システムに関する情報を入手して外部に伝えるFlameとそのプラグインであるStuxnetを感染させたことがある。この攻撃をニューヨーク・タイムズ紙が初めて伝えたのは2012年6月のことだが、ウイルスが発見されたのは10年のことだった。発見が遅れたなら深刻な核事故が起こっていた可能性が高く、核攻撃に準ずる行為だと言えるだろう。日本も人ごとではない。
2017.03.09
朝鮮の最高実力者とされている金正恩の兄、金正男が殺されたのはマレーシアだった。ここ数年、マレーシアは不可解な出来事に登場してくる。例えば、2014年3月8日にマレーシア航空370便(MH370)が行方不明になり、4カ月後の7月17日にウクライナでマレーシア航空17便(MH17)が撃墜されている。 マハティール・ビン・モハマドが首相だった時代(1981年7月〜2003年10月)のマレーシアは自立した政策を推進、2002年3月には「金貨ディナール」を提唱、つまりドル体制から離脱する意思を示している。1997年にジョージ・ソロスのヘッジ・ファンドが「通貨戦争」を仕掛けた一因はそうした政策にあり、その経験からドルを基軸通貨にしておく危険性を認識したマハティールは金貨ディナールを提唱したのだろう。 しかし、2009年から現在まで首相を務めているナジブ・ラザクはアメリカの強い影響下にあるようだ。2013年に再選される直前、タックスヘイブンの英領バージン諸島からスイスの銀行のシンガポール支店へというルートでラザクはサウジアラビア王室から6億8100万ドルの受け取っていたが、サウジアラビアの背後にはアメリカの支配層が存在している。MH370が行方不明になったのはラザク首相が再選された直後だ。 後にMH370の残骸が発見されたことになっているが、墜落したと断定することはできない。当時からインド洋の真ん中にあり、アメリカの重要な軍事基地があるイギリス領のディエゴ・ガルシア島へ降りたのではないかと推測する人は少なくない。 疑惑を深めている一因は、公開されたパイロットと管制官との7分間にわたる交信が編集されていたことにある。隠さなければならない何かが記録されていたのだろう。 また、同機には2453キログラムの貨物が積まれていたのだが、221キログラムのリチウム・バッテリーをのぞき、その内容が明らかにされていない。公表されていない2トン以上の貨物が旅客機の行方不明と関係があるかもしれないと疑う人もいる。 この航空機に乗っていた4名の中国人が半導体の特許を持っていたことも注目されている。その特許を保有しているのは中国宿州出身の中国人4名とアメリカのテキサス州にある「フリースケール半導体」なる軍事関連の会社。4名はこの会社で働いていて、特許の権利はそれぞれ20%だった。4名の中国人がいなくなれば特許の権利は100%、フリースケール半導体が握ることになる。 フリースケール半導体は2004年にモトローラから分かれた会社で、電子戦やステルス技術が専門。ブラックストーン・グループのほか、ブッシュ家が関係しているカーライル・グループやイスラエル系アメリカ人の富豪デイビッド・ボンダーマンが会長を務めるTPGキャピタルが2006年に買収している。 グレイストーン・グループはジェイコブ・ロスチャイルドの金融機関。密接な関係のある会社のひとつ、ブラックロックを経営しているラリー・フィンクはアメリカとイスラエルの2重国籍。そのほか、投機家のジョージ・ソロスやキッシンジャー・アソシエイツも仲間のようだ。 そのほか、MH370にはアメリカ国防総省の20名も搭乗、いずれも電子戦の専門家で、レーダーの探知を回避する技術に精通していたという。しかも、そのうち少なくとも4名は不正なパスポートを使っていた疑いが持たれている。 MH370が行方不明になった4カ月後、アムステルダムからクアラルンプールへ向かっていたMH17がウクライナで撃墜された。西側では「親ロシア派」、つまりキエフのクーデターに反対する勢力がブーク・ミサイル・システムで撃墜したと宣伝されているが、その可能性が小さいことは本ブログでも繰り返し指摘してきた。 西側メディアの取材でも西側やキエフ政権の主張は否定されている。つまり、7月23日にBBCの取材チームはキエフ政権の治安機関SBU(ウクライナ保安庁)が主張するブーク説を確認するために現地入りし、そうした事実がないことを確認しているのだ。BBCはこの映像をすぐに削除したが、コピーがインターネット上を流れた。 MH17の事件を調べていたJIT(統合調査チーム)が調査結果を公表、ロシアから運び込まれたブーク・ミサイル・システムで撃墜され、そのシステムはロシアへ戻されたと主張しているが、このチームのメンバー国はNATO加盟国のオランダとベルギー、アメリカの属国であるオーストラリア、そして実際に撃墜した可能性があるキエフ政権だ。この構成を見ただけで公正な調査が期待できないことは明白である。 今年2月下旬からサウジアラビアのサルマン・ビン・アブドゥルアジズ・アル・サウド国王はマレーシアをはじめ、インドネシア、ブルネイ、日本、中国、モルディブを歴訪中だ。 サウジアラビアはサラフ主義者/ワッハーブ派やムスリム同胞団と関係が深く、そうした勢力が主力になっているのがリビアやシリアを侵略してきたアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)だ。そのライバルであるシーア派をマレーシアは2010年、シリアやリビアで侵略戦争が始められる前年に禁止した。 フィリピン南部を拠点にしているワッハーブ派の集団もサウジアラビアは支援しているが、そうした武装集団との対決姿勢を見せているのがロドリゴ・ドゥテルテ大統領。中東や北アフリカでアル・カイダ系武装集団やダーイッシュと戦っている政権を倒すべきだと西側の有力メディアは宣伝してきた。その西側メディアがドゥテルテを攻撃するのは必然だろう。 ロシアのチェチェンや中国の新疆ウイグル自治区から戦闘員がシリアで戦うアル・カイダ系武装集団やダーイッシュへ送り込まれてきたがその手引きをしていたのはトルコの情報機関MITであり、その移動ルートにはカンボジアやインドネシアが含まれていると言われている。その戦闘員が東南アジアで戦争を始めても不思議ではない。 実際、インドネシアの首都ジャカルタでは昨年1月14日に3回以上の爆破と銃撃戦があり、攻撃グループの5名を含む7名が死亡したと伝えられている。ダーイッシュが攻撃を認めているようだ。アメリカへの従属度が高くないインドネシアに対する揺さぶりだとする見方もある。 すでにサウジアラビアは東南アジアで破壊活動、あるいは戦争を本格化させる準備を整えている。そうしたことを念頭に置いてサウジアラビア国王のアジア東岸の歴訪を見る必要がある。
2017.03.08
東京電力の福島第一原発で炉心が溶融する深刻な事故が発生したのは6年前の3月11日だった。その日の14時46分に地震が発生、約1時間後に全ての電源が失われ、現在はチャイナシンドローム状態だろう。打つ手がない。 今年2月に東電は2号機の下に少なくとも1平方メートルの穴を発見、毎時530シーベルト(53万ミリシーベルト)を記録したと発表した。チェルノブイリ原発で記録された最大の数値は300シーベルトのようで、それを大きく上回る。もっとも、7〜8シーベルトで大半の人が死亡すると言われ、いずれも人間が近づける状況ではない。 また、1号機と3号機の状態は2号機より悪く、溶融した燃料棒を含むデブリが地中へ潜り込み、それを地下水が冷却、高濃度汚染水が太平洋へ流れ出ている可能性はきわめて高い。その状態が長期にわたって続くことは不可避だ。 福島第一原発の事故はチェルノブイリ原発の事故より遥かに深刻なのである。福島第一原発から環境中へ放出された放射性物質の総量はチェルノブイリ原発事故の1割程度、あるいは約17%だとする話が流されたが、原発の元技術者であるアーニー・ガンダーセンによると、福島のケースでは圧力容器が破損、燃料棒を溶かすほどの高温になっていたわけで、99%の放射性物質を除去するという計算の前提は成り立たない。圧力抑制室(トーラス)の水は沸騰状態で、ほとんどの放射性物質が外へ放出されたはずだと指摘、少なくともチェルノブイリ原発事故で漏洩した量の2〜5倍の放射性物質を福島第一原発は放出したと推測している。(アーニー・ガンダーセン著『福島第一原発』集英社新書) 別の元エンジニアは、圧力容器内の温度が急上昇した結果、爆発的な勢いで溶けた固形物が気体と一緒にトーラスへ噴出したはずで、その面からも水が放射性物質を吸収するという前提は崩れている。格納容器も壊れているので、トーラスの状況に関係なく放射線物質は環境中に放出されてしまうが。 イギリスのタイムズ紙は福島第一原発を廃炉するまでに必要な時間を200年だと推定していたが、これは楽観的な見方。数百年はかかるだろうと推測する人は少なくない。日本政府は2051年、つまり34年後までに廃炉させるとしているが、これは非常識なおとぎ話にすぎない。その間に新たな大地震、台風などによって原発が破壊されてより深刻な事態になることも考えられる。その間、放射性物質による太平洋の汚染を止めることは困難だろう。情報を隠しても事実は進行する。 昨年7月、原子力損害賠償・廃炉等支援機構は福島第一原発をコンクリートで封じ込める、いわゆる石棺で処理する案を示したのだが、福島県の内堀雅雄知事はそれに抗議したという。「元の生活を取り戻そう」という妄想を壊すような発言はするなということのようだ。 勿論、石棺には問題が少なくない。「長期の安全管理が困難」だということも間違いないが、現在の状態が非常に危険だということも確か。その状態が数百年にわたって続くのだ。 事故前に原子力安全基盤機構が作成していた炉心溶融のシミュレーション映像を見ると、全電源喪失事故から30分ほど後にメルトダウンが始まり、約1時間後に圧力容器の下に溶融物は溜まり、約3時間後に貫通して格納容器の床に落下、コンクリートを溶かし、さらに下のコンクリート床面へ落ち、格納容器の圧力が上昇、外部へガスが漏洩し始めると予想されている。つまり、遅くとも16時の時点で東電は勿論、政府もメルトダウンは不可避だと考えていたはずだ。 元東電社員の木村俊雄によると、「過渡期現象記録装置データ」から地震発生の1分30秒後あたり、つまり津波が来る前から冷却水の循環が急激に減少し、メルトダウンが始まる環境になったとしているので、実際の進行はシミュレーションより速かったかもしれない。 当然、その見通しに基づいく対策を考え、避難を進めるべきだったのだが、官房長官を務めていた枝野幸男は11日夜の段階でも放射能漏れはなく、外部への影響は確認されず、被害が出る状況にもないと説明、「直ちに特別な行動を起こす必要はない」と語っていた。その結果、住民の被曝量は多くなっただろう。 衆議院議員だった徳田毅は事故の翌月、2011年4月17日に自身の「オフィシャルブログ」(現在は削除されている)で次のように書いている: 「3月12日の1度目の水素爆発の際、2km離れた双葉町まで破片や小石が飛んできたという。そしてその爆発直後、原発の周辺から病院へ逃れてきた人々の放射線量を調べたところ、十数人の人が10万cpmを超えガイガーカウンターが振り切れていたという。それは衣服や乗用車に付着した放射性物質により二次被曝するほどの高い数値だ。」 言うまでもなく、徳田毅は医療法人の徳洲会を創設した徳田虎雄の息子で、医療関係者には人脈があり、これは内部情報。これだけ被曝して人体に影響がないはずはない。政府も東電、おそらくマスコミもこうした情報を持っていたはずだ。 こうした爆発が原因で建屋の外で燃料棒の破片が見つかったと報道されているのだが、2011年7月28日に開かれたNRCの会合で、新炉局のゲイリー・ホラハン副局長は、発見された破片が炉心にあった燃料棒のものだと推測している。この説明も政府、東電、マスコミは知っていただろう。 NRCが会議を行った直後、8月1日に東京電力は1、2号機建屋西側の排気筒下部にある配管の付近で1万ミリシーベルト以上(つまり実際の数値は不明)の放射線量を計測したと発表、2日には1号機建屋2階の空調機室で5000ミリシーベル以上を計測したことを明らかにしている。 また、事故当時に双葉町の町長だった井戸川克隆によると、心臓発作で死んだ多くの人を彼は知っているという。セシウムは筋肉に集まるようだが、心臓は筋肉の塊。福島には急死する人が沢山いて、その中には若い人も含まれているとも主張、東電の従業員も死んでいるとしているのだが、そうした話を報道したのはロシアのメディア。 ロシア科学アカデミー評議員のアレクセイ・V・ヤブロコフたちのグループがまとめた報告書『チェルノブイリ:大災害の人や環境に対する重大な影響』(日本語版)によると、1986年から2004年の期間に、事故が原因で死亡、あるいは生まれられなかった胎児は98万5000人に達する。癌や先天異常だけでなく、心臓病の急増や免疫力の低下が報告されている。このチェルノブイリ原発事故より福島第一原発の事故は深刻だという事実から目を背けてはならない。
2017.03.07
新自由主義という考え方を導入した国では、腐敗した政治家や官僚と手を組んだ一部の人間が国民の財産を不正、あるいは不公正な手段で手に入れて巨万の富を築いてきた。国有地が格安の値段で学校法人に売却されても不思議ではない。 ドナルド・トランプは離脱を宣言したが、安倍晋三政権を含む日本の支配層が今でも執着しているTPP(環太平洋連携協定)は私的権力に国を上回る権力を与えようとするものであり、そうした「新秩序」を前提にして、日本の「エリート」たちは動いているように見える。 本ブログでは何度も指摘しているように、アメリカの第32代大統領のフランクリン・ルーズベルトは1938年4月29日、ファシズムについて次のように定義した:「もし、私的権力が自分たちの民主的国家より強くなるまで強大化することを人びとが許すなら、民主主義の権利は危うくなる。本質的に、個人、あるいは私的権力をコントロールするグループ、あるいはそれに類する何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ。」 ファシズムの創始者とも言えるベニト・ムッソリーニが1933年11月に書いた「資本主義と企業国家」によると、巨大資本の支配するシステムが「企業主義」で、それは資本主義や社会主義を上回るものだとしている。これが彼の考えたファシズムである。 つまり、TPPはファシズムにほかならない。勿論、TTIP(環大西洋貿易投資協定)やTiSA(新サービス貿易協定)でも同じことが言える。「富める者が富めば貧しい者にも富がしたたり落ちる」という「トリクルダウン理論」なるものがあるようだが、これは人びとをファシズムへ導く虚言だ。ため込まれた富を強制的にはき出させる何らかの仕組みが作られない限り、そうしたことは起こらない。 かつて、宗教がそうした仕組みの一端を担っていたことがある。例えば、カトリックでは貧困層を助けることが神の意志に合致すると考え、仏教の場合は「喜捨」、イスラムでは「ザカート」や「サダカ」などの教えがある。 また、キリスト教の聖典である新約聖書のマタイによる福音書やマルコによる福音書では、「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」と書かれていて、富を蓄積すること自体が良くないとされている。かつて、カトリックではイスラムと同じように、金利を取ることも禁止されていた。 こうした倫理規範を破壊したのはプロテスタントの主張だとする指摘がある。マックス・ウェーバーによると、プロテスタンティズムの「禁欲」は「心理的効果として財の獲得を伝統主義的倫理の障害から解き放」ち、「利潤の追求を合法化したばかりでなく、それをまさしく神の意志に添うものと考えて、そうした伝統主義の桎梏を破砕してしまった」(マックス・ウェーバー著、大塚久雄訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波書店、1989年)というのだ。 ジャン・カルバンらが唱える「予定説」によると、「神は人類のうち永遠の生命に予定された人びと」を選んだが、「これはすべて神の自由な恩恵と愛によるものであって、決して信仰あるいは善き行為」などのためではない(ウェストミンスター信仰告白)。つまり、人間にとって善行は無意味であり、自分が「選ばれた人間」だと信じる人びとは何をしても許されるということになる。強欲を認める教義だ。 富と情報が流れていく先に権力が生じることは歴史が証明している。「トリクルダウン理論」は権力を集中させ、独裁体制を強化しようと目論んでいた連中が流した戯言にすぎないということ。 不正を難しくするためには資金の流れを明確にする必要があるのだが、日本では逆の政策がとられてきた。つまり、政治家、官僚、大企業の経営者たちは不正を容易にする仕組みを作ってきたのだ。 昔から証券界では相場が下がると「財投出動」を期待する声が高まった。「財政投融資計画」の資金、つまり郵便貯金、国民年金、厚生年金、大蔵省(現在の財務省)の資金運用部に預託される資金、簡易保険の積立金、金融機関から調達した資金などだ。この仕組みは2001年に変えられたというが、透明度が高まったとは思えない。事実上、日本の国家予算は「特定秘密」だ。安倍晋三政権が年金を怪しげなものに投入しようとしていることは最近、問題になった。そうした国民資産の略奪が話題になる中、国民資産を略奪する仕組みを確固たるものにするために共謀罪を安倍政権は導入しようとしている。 アメリカでは1960年代に支配階級の利益に反する主張をしていた人びとが次々と暗殺された。1963年11月のジョン・F・ケネディ第35代大統領、65年6月のマルコムX、68年4月のマーティン・ルーサー・キング牧師、68年6月のロバート・ケネディなどだ。 キング牧師が殺された直後にアメリカでは暴動が起こり、それに恐怖した支配層は暴動鎮圧を目的として2旅団(4800名)を編成、憲法の規定を無視して令状なしの盗聴、信書の開封、さまざまな監視、予防拘束などをFBIやCIAなどに許す計画を立てた。1970年に作成されたヒューストン計画だ。 この計画を知ったジョン・ミッチェル司法長官はリチャード・ニクソン大統領を説得して公布の4日前、廃案にしてしまった。(Len Colodny & Tom Schachtman, “The Forty Years Wars,” HarperCollins, 2009)また、ケント州立大学やジャクソン州立大学で学生が銃撃されたことを受け、ニクソン政権は暴動鎮圧旅団を1971年に解散させてしまう。 しかし、ニクソン大統領がウォーターゲート事件で1974年8月に辞任、ジミー・カーター政権下の78年には「文明の衝突」で有名なサミュエル・ハンチントンがズビグネフ・ブレジンスキーと一緒にヒューストン計画を生き返らせている。そして創設されたのがFEMA(連邦緊急事態管理庁)だ。(Peter Dale Scott, “The American Deep State,”Rowman & Littlefield, 2015) ロナルド・レーガンが大統領になるとFEMAを発展させる形でCOGプロジェクトが始まり、1988年に出された大統領令12656でCOGの対象は核戦争から「国家安全保障上の緊急事態」に変更された。そして2001年9月11日、その「国家安全保障上の緊急事態」が発生したとされ、「愛国者法」が成立してアメリカ憲法は麻痺させられる。日本はその後を追いかけている。
2017.03.06
サウジアラビアのサルマン・ビン・アブドゥルアジズ・アル・サウド国王が2月下旬からアジア大陸東岸の国々を歴訪している。マレーシア、インドネシア、ブルネイ、日本、中国、モルディブの6カ国だ。 このサウジアラビアはサラフ主義者/ワッハーブ派やムスリム同胞団と関係が深く、そうした勢力が主力になっているのがリビアやシリアを侵略しているアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)。そこにチェチェンや新疆ウイグル自治区などからの戦闘員が加わっている。 こうした武装集団の資金源がサウジアラビアをはじめとするペルシャ湾岸産油国だが、モルディブも資金を提供していると言われている。インドネシアは世界で最も多いイスラム教徒を抱えている国であり、新疆ウイグル自治区は中国。 当初、侵略は成功するかに見えたのだが、2015年9月末にロシア軍がシリアで空爆を始めてから戦況が一変、アル・カイダ系武装集団やダーイッシュは劣勢になっている。イラクに親イスラエル/サウジアラビアの傀儡国家を作ることに失敗した後、シリア東部からイラク西部にかけての地域をダーイッシュが支配していたが、これはバラク・オバマ政権が望むところだった。 これはアメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)が2012年8月に作成した報告書が指摘していた。東部シリア(ハサカやデリゾール)にサラフ主義者の支配国が作られる可能性があり、それこそがシーア派拡大(イラクやイラン)の戦略的なカギを握っているシリアの体制を孤立化させると分析、それは反対勢力を支援している国々(アメリカ、イギリス、フランス、トルコ、サウジアラビア、カタール、イスラエルなど)が望んでいることだとしている。 2009年12月30日にアメリカ国務省が出した電子メールには、サウジアラビアの寄付者が全世界のスンニ系テロリスト集団に対する最も重要な資金供給源だと書かれ、2014年8月19日にヒラリー・クリントンが出したものには、秘密裏に資金や物資をその地域にいるISIL(ダーイシュ)や他のスンニ系過激派へ供給しているカタールやサウジアラビアという表現がある。アル・カイダ系武装集団やダーイッシュのスポンサーはサウジアラビアなどペルシャ湾岸産油国だとヒラリーは認識していたということだ。 シリアより1カ月早く、2011年2月に政権転覆を目的とした軍事侵略が始まったリビアではNATOの航空兵力とアル・カイダ系武装集団LIFGを主力とする地上軍の連携でムアンマル・アル・カダフィ体制は2011年10月に倒された。 リビアでの目的を達成した戦闘員は武器/兵器と一緒にトルコ経由でシリアへ入るが、その拠点になったのはベンガジにあったCIAの施設。そうした工作をアメリカの国務省は黙認していた。その際、マークを消したNATOの輸送機が武器をリビアからトルコの基地まで運んだとも伝えられている。 ベンガジにはアメリカの領事館があるのだが、そこが2012年9月11日に襲撃され、クリストファー・スティーブンス大使も殺された。領事館が襲撃される前日、大使は武器輸送の責任者だったCIAの人間と会談、襲撃の当日には武器を輸送する海運会社の人間と会っていた。 この時、リビアの武器庫から兵器が持ち出されてシリアの反政府軍、つまりアル・カイダ系武装勢力やダーイッシュへ渡された。その武器庫には化学兵器も保管されていたわけで、化学兵器もシリアへ持ち込まれた可能性は高い。その輸送をCIA、そしてヒラリー・クリントン国務長官(当時)が承認していたと考えても良いだろう。 何度も書いてきたことだが、2013年3月にシリアでは化学兵器が使われたと言われている。まず政府が反政府(侵略)軍の化学兵器使用を発表、それに対して反政府軍も政府軍が実行した主張する。 これについてイスラエルのハーレツ紙は攻撃されたのがシリア政府軍の検問所であり、死亡したのはシリア軍の兵士だということから反政府軍が使ったと推測、国連独立調査委員会メンバーのカーラ・デル・ポンテも反政府軍が化学兵器を使用した疑いは濃厚だと発言した。 その5カ月後、つまり2013年8月にダマスカスの近くで化学兵器が使われ、西側の政府や有力メディアはシリア政府が実行したと叫びはじめ、シリアに対する軍事侵攻を正当化しようと宣伝をはじめるが、この宣伝が嘘だということはさまざまな形で指摘されていることは本ブログで書いてきた。(今回は割愛する。) トルコの国会議員エレン・エルデムらは捜査記録などに基づき、トルコ政府の責任を追及している。化学兵器の材料になる物質はトルコからシリアへ運び込まれ、そこでダーイッシュが調合して使ったというのだ。この事実を公表した後、エルデム議員らは起訴の脅しをかけられている。 中東、北アフリカ、チェチェン、新疆ウイグル自治区などで活動している武装集団の背後にはサウジアラビアがいて、化学兵器の使用にも関係している。さまざまなタグがつけられているが、こうした集団はアメリカなど西側支配層が侵略のために雇っている傭兵集団だ。 侵略戦争が泥沼化しているだけでなく、原油価格の低迷で財政赤字が深刻化しているサウジアラビアは東南アジアや東アジアへ「転進」するつもりかもしれない。サウジアラビア国王のアジア歴訪は不吉だ。
2017.03.05
ロシア空軍の支援を受けたシリア政府軍が3月2日、パルミラを奪還したようだ。昨年12月11日にダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)は約4000名の部隊で奇襲攻撃、下旬にはこの地域を制圧していた。その際、ダーイッシュは住宅地伝いに侵攻、ロシア空軍機は爆撃できなかったとも言われている。またシリア政府軍は兵站線が弱く、偵察が不十分だったと指摘されていた。 昨年、イラクのモスルを制圧していたダーイッシュが攻撃されているが、その際、アメリカやサウジアラビアは「ムジャヒディン」をモスルからシリアのデリゾールやパルミラへ安全に移動させることで合意していたとされているが、そうした形でシリアのダーイッシュやアル・カイダ系武装集団は戦闘態勢を整えていたのだろう。モスルからシリアへ9000人程度が移動すると言われていたが、実際にどの程度が動いたかは明確でない。 デリゾールの場合、昨年9月17日にシリア政府軍をアメリカ主導の連合軍がF-16戦闘機2機とA-10対地攻撃機2機で攻撃、80名以上の政府軍兵士を殺害している。空爆の7分後にダーイッシュの部隊が地上でシリア政府軍に対する攻撃を開始していることから、両者は連携していると見られている。その作戦が今回の攻撃を実現させたと言えるだろう。28日には2つの橋を、30日にも別の橋2つをそれぞれ爆撃して破壊した。当時、シリア政府軍はダーイッシュに対する攻撃を準備しているところだった。また、アメリカ軍の偵察衛星のつかんだ情報が反政府軍へ渡されていた可能性が高いとする分析もある。 ロシア系メディア(アラビア語のスプートニク)によると、その後、アレッポの山岳地帯にある外国軍の司令部をシリア沖にいるロシア軍の艦船から発射された3発の超音速巡航ミサイルが9月20日に攻撃、約30名が殺したという。その中にはアメリカ、イギリス、イスラエル、トルコ、サウジアラビア、カタールから派遣された軍人や情報機関の人間が含まれ、この司令部がデリゾールでの空爆を指揮したとも言われている。 当時、バラク・オバマ政権は特殊部隊をシリア北部にある7つの基地へ派遣、そのうちマブロウカには少なくとも45名、アイン・イッサには100名以上、コバネには300名以上、タル・アブヤダには少なくとも200名だとされている。言うまでもなく、こうした派兵はシリア政府軍が承諾したものでなく、最終目的はバシャール・アル・アサド体制の打倒。手先として利用してきたダーイッシュやアル・カイダ系武装集団がロシア軍の空爆で劣勢のため、テコ入れしているように見える。 安全保障担当補佐官を辞任したマイケル・フリン中将は2012年7月から14年8月まで軍の情報機関DIA(国防情報局)の局長を務めていたが、12年8月にDIAが作成、ホワイトハウスに提出された報告書には、東部シリア(ハサカやデリゾール)にサラフ主義者の支配国が作られる可能性があると書かれている。 オバマ政権は反シリア政府軍の「穏健派」を支援すると主張していたが、その報告書はそうした味方を否定、反シリア政府軍の主力がサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIだとしている。その勢力を西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコが支援しているとも主張している。こうした指摘は正しいのだが、この報告書が意味していることは、ダーイッシュを生み出し、育てたのはオバマ政権にほかならないということ。そのダーイッシュをアメリカ軍が支援するのは必然だ。 一方、任期切れ寸前のオバマ大統領は昨年12月にロシアの外交官35名を含む96名のロシア人を国外へ追放、年明け後の1月6日にはアブラムズM1A1戦車87輌を含む戦闘車両をドイツへ陸揚げ、戦闘ヘリのブラック・ホーク50機、10機のCH-47、アパッチ24機なども送り込んだ。派兵されたアメリカ兵の人数は2200名。アメリカ欧州陸軍のベン・ホッジス司令官はポーランドに送り込まれたアメリカ軍の戦車に一斉射撃させているが、同司令官によると、これはロシアに対する戦略的なメッセージなのだという。 また、12月にはジョン・マケインとリンゼイ・グラハム、ふたりのネオコン上院議員がジョージア(グルジア)、バルト諸国、そしてウクライナを訪問、ウクライナではキエフ政権が1月下旬からウクライナ東部のドンバス(ドネツク、ルガンスク、ドネプロペトロフスク)に対する攻撃を激化させている。2月4日にはルガンスクの軍司令官の自動車が爆破され、司令官は殺された。 その間、12月19日にトルコのアンカラでアンドレイ・カルロフ駐トルコ露大使が射殺され、20日にはロシア外務省の幹部外交官がモスクワの自宅で射殺され、29日にはロシアの石油会社ロスネフトの会長に近いという元KGB/FSBの幹部の死体が自身の自動車内で発見され、1月9日にはギリシャのアパートでロシアの領事が死亡、26日にはインド駐在露大使が心臓発作で死亡、そして2月20日にはビタリー・チュルキン国連大使が心臓発作で死亡している。CIAがロシア政府に対して「恐怖(テロ)戦術」を始めたと疑う人は少なくない。 2月26日にはアメリカ映画界のイベント、アカデミー賞の授与式でシリア市民防衛(白ヘル)の活動に関する映画「白いヘルメット」が短編ドキュメンタリー映画賞に選ばれたという。本ブログでは何度か指摘してきたが、この白ヘルはアル・カイダ系武装集団やダーイッシュの宣伝部隊だ。 チュルキンが急死した8日後、アカデミー賞の授与式から2日後に国連ではアメリカ、イギリス、フランスが提出したシリアに対する制裁強化を求める決議がロシアと中国の拒否権で阻止されている。 1992年2月にネオコンが始めた世界制覇戦争は破綻の瀬戸際に立っている。その手先として活動してきたのがダーイッシュやアル・カイダ系武装集団、あるいはウクライナのネオ・ナチ。シリア政府軍によるパルミラ再奪還はアメリカ支配層の置かれた厳しい状況を象徴する出来事でもある。
2017.03.04
(その1からつづく)DIAの報告書が作成される3カ月前、2012年5月にシリア北部ホムスで住民が虐殺され、西側の政府やメディアは政府軍が実行したと宣伝し始めるのだが、その話は矛盾点が多く、すぐに嘘だとばれてしまう。 現地を調査した東方カトリックの修道院長は虐殺を実行したのは反政府軍のサラフ主義者や外国人傭兵だと報告、その内容はローマ教皇庁の通信社が伝えた。ドイツのフランクフルター・アルゲマイネ紙も、キリスト教徒やスンニ派の国会議員の家族が犠牲になっていると伝えている。 その修道院長は、「もし、全ての人が真実を語るならば、シリアに平和をもたらすことができる。1年にわたる戦闘の後、西側メディアの押しつける偽情報が描く情景は地上の真実と全く違っている。」と語っていた。 この当時、西側の有力メディアが盛んに登場させていた情報源のひとりがシリア系イギリス人のダニー・デイエムなる人物。シリア政府の弾圧を訴え、外国勢力の介入を求める発言を続けていた。 ところが、しばらくするとダニー・デイエムのグループが「シリア軍の攻撃」を演出する様子を移した部分を含む映像がインターネット上に流出してしまう。彼を使っていたメディアは反省するかと思いきや、そんなことを気にする様子は見られず、堂々とプロパガンダを続けている。つまり確信犯だ。 デイエムの正体がばれ、ホムスでの虐殺を政府軍に押しつけることに失敗した侵略勢力は政府軍が化学兵器の使用したという宣伝を開始する。2013年3月にシリア政府は化学兵器を反政府軍が使ったと発表、それに対して反政府軍も政府軍が実行した主張する。 これについてイスラエルのハーレツ紙は攻撃されたのがシリア政府軍の検問所であり、死亡したのはシリア軍の兵士だということから反政府軍が使ったと推測、国連独立調査委員会メンバーのカーラ・デル・ポンテも反政府軍が化学兵器を使用した疑いは濃厚だと発言した。 その5カ月後、つまり2013年8月にダマスカスの近くで化学兵器が使われ、西側の政府や有力メディアはシリア政府が実行したと叫びはじめ、シリアに対する軍事侵攻を正当化しようと宣伝をはじめる。 それに対し、攻撃の直後にロシアのチュルキン国連大使は反シリア政府軍が支配しているドーマから2発のミサイルが発射され、ゴータに着弾したと国連で説明、その際に関連する文書や衛星写真が示されたとジャーナリストがフェースブックに書き込んでいる。 それだけでなく、メディアも化学兵器とサウジアラビアを結びつける記事を掲載、すぐに現地を調査したキリスト教の聖職者マザー・アグネス・マリアムはいくつかの疑問を明らかにしている。 例えば、攻撃のあった午前1時15分から3時頃(現地時間)には寝ている人が多かったはずだが、犠牲者がパジャマを着ていないのはなぜか、家で寝ていたなら誰かを特定することは容易なはずであるにもかかわらず明確になっていないのはなぜか、家族で寝ていたなら子どもだけが並べられているのは不自然ではないのか、親、特に母親はどこにいるのか、子どもたちの並べ方が不自然ではないか、同じ「遺体」が使い回されているのはなぜか、遺体をどこに埋葬したのかといった疑問を発している。(PDF) 12月になると、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュもこの問題に関する記事を発表、反政府軍はサリンの製造能力を持ち、実際に使った可能性があるとしている。また、国連の元兵器査察官のリチャード・ロイドとマサチューセッツ工科大学のセオドール・ポストル教授も化学兵器をシリア政府軍が発射したとするアメリカ政府の主張を否定する報告書を公表している。ミサイルの性能を考えると、科学的に成り立たないという。 また、トルコの国会議員エレン・エルデムらは捜査記録などに基づき、トルコ政府の責任を追及している。化学兵器の材料になる物質はトルコからシリアへ運び込まれ、そこでダーイッシュが調合して使ったというのだ。この事実を公表した後、エルデム議員らは起訴の脅しをかけられている。 その後、アメリカなどシリアのアサド政権を転覆させて傀儡体制を樹立させようしている国々は「化学兵器」に執着しているようだ。新たな侵略のシナリオを思いつかないのだろう。 2015年9月30日にシリア政府の要請に基づいてロシア軍がシリアで空爆を始めると戦況は大きく変化、アル・カイダ系武装集団やダーイッシュは崩壊寸前だと言われている。アサド体制の打倒を目的にしていたアメリカ軍などとは違い、ロシア軍は実際にそうした武装勢力を攻撃したからだ。司令部、戦闘部隊、兵器庫だけでなく兵站線を叩き、盗掘した石油を輸送するタンカーも破壊してきた。シリア侵略を目論んだ勢力は何が何でも戦争を継続したいはずだ。平和が訪れたなら、自分たちの行為を隠しきれなくなる。
2017.03.03
ロシアのビタリー・チュルキン国連大使が急死して8日後の2月28日、国際連合ではシリアに対する制裁を強化するように求める決議がロシアと中国の拒否権で阻止された。勿論、大使の死でびびるような2カ国ではない。この決議はアメリカ、イギリス、フランスが提出したもので、これらの国々はOPCW-UNの報告書を根拠に、2014年と15年にシリア政府軍が塩素を使用したと主張している。 しかし、この報告書が示している根拠、証拠は信頼度の低いもの。その根拠薄弱な話を西側支配層の配下にある有力メディアがその中から都合の良い部分を都合良く解釈し、大声で叫んでいる。つまり、いつものパターンだ。 シリアのバシャール・アル・アサド政権を倒すためにアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)をシリアへ侵入させ、破壊と殺戮を繰り広げてきた国はアメリカ、イギリス、フランス、トルコ、サウジアラビア、カタール、イスラエルなど。今回、決議を提出した3カ国も含まれている。 1991年にポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)はシリア、イラン、イラクを5年から10年で殲滅すると口にしたと欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)の元最高司令官、ウェズリー・クラークは語っているが、その中で最初に破壊されたのはイラク。大量破壊兵器という偽情報を有力メディアに広めさせ、2003年3月に配下の国々を従えて軍事侵略したのである。 シリアでの戦闘は2011年3月に始まっている。リビアで似たことが始まった翌月のことだ。両国でも侵略勢力は偽情報の流布に力を入れてきた。そうした偽情報を発信していたひとつが2006年にイギリスで設立された「SOHR(シリア人権監視所)」。そこから出てくる話を西側のメディアや「人権擁護団体」は垂れ流してきた。 SOHRは設立当時からCIAやイギリスの情報機関MI6が背後にいると指摘されていた。アメリカの反民主主義的な情報活動を内部告発したエドワード・スノーデンが所属していたブーズ・アレン・ハミルトン、プロパガンダ機関のラジオ・リバティが存在しているとも言われている。 内部告発を支援しているWikiLeaksが公表した文書によると、SOHRが創設された頃からアメリカ国務省の「中東共同構想」はロサンゼルスを拠点とするNPOの「民主主義会議」を通じてシリアの反政府派へ資金を提供している。2005年から10年にかけて1200万ドルに達したようだ。 こうした工作が始まった直後、調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは2007年3月5日付けニューヨーカー誌で、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの「三国同盟」がシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始した書き、その中心にはリチャード・チェイニー米副大統領、ネオコン/シオニストのエリオット・エイブラムズ国家安全保障問題担当次席補佐官、ザルメイ・ハリルザド、そしてバンダル・ビン・スルタンがいると書いている。 ハーシュの記事に登場するバリ・ナスルはサウジアラビアについて「相当な金融資産があり、ムスリム同胞団やサラフ主義者と深い関係がある」としたうえで、「サウジは最悪のイスラム過激派を動員することができた。一旦、その箱を開けて彼らを外へ出したなら、2度と戻すことはできない。」と語っている。 このナスルはジョンズホプキンス大学高等国際関係大学院のディーンで、CFR(外交問題評議会)の終身メンバー、つまりアメリカ支配層の一員だ。そのナスルもムスリム同胞団やサラフ主義者、つまりアル・カイダ系武装集団を使う危険性を警告していた。 2011年10月にリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制は倒され、カダフィ自身は惨殺された。NATOの航空兵力とアル・カイダ系のLIFGの地上部隊が連携しての攻撃だった。政権が崩壊した直後にベンガジでは裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられたている。その映像はYouTubeにアップロードされ、デイリー・メイル紙も伝えていた。リビアでの任務が終わったアル・カイダ系武装集団の戦闘員は武器と一緒にシリアへ移動していく。 その後のシリア情勢に関するホワイトハウス向けの報告書をアメリカ軍の情報機関DIAは2012年8月に作成している。その中で反シリア政府軍の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIであり、そうした勢力を西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているしていた。バラク・オバマ政権が主張するところの「穏健派」は事実上、存在しないとしているわけだ。 また、オバマ政権が政策を変更しなかったならば、シリアの東部(ハサカやデリゾール)にはサラフ主義者の支配国が作られる可能性があるとも警告、それはダーイッシュという形で現実のものになった。この報告書が書かれた当時のDIA局長がトランプ政権で安全保障担当補佐官に就任する予定のマイケル・フリン中将だ。(つづく)
2017.03.02
アメリカでトラック運転手組合の年金が破綻していると伝えられている。ほかの年金も似たような状況らしく、危機的な状況。庶民(つまり大多数の人びと)は0.01%とも言われる一部の富裕層を儲けさせるカモにすぎないわけで、必然的な結果だ。その怒りがどのような結果をもたらすかを支配層は監視、人びとが自分たちに向かって牙をむく前にファシズム体制を盤石のものにしようとしているように見える。 勿論、アメリカの属国である日本も基本的に同じ状況。かつて、経済が破綻した日本は1931年9月に柳条湖事件(南満州鉄道の線路を日本軍が爆破した偽旗作戦)を引き起こして中国を本格的に侵略しはじめ、満州国なる傀儡国家を築いて略奪体制を整えた。資源は略奪対象の重要部分ではあるが、一部にすぎない。 第2次世界大戦前、日本経済の苦境はウォール街の巨大金融資本にとっても深刻な問題だった。関東大震災以降、多額の資金を日本へ投入していたからだ。 その金融資本の中心的な存在がJPモルガンだが、そのJPモルガンが担いでいたハーバート・フーバー第31代大統領は1932年の選挙で再選されず、ニューディール派のフランクリン・ルーズベルトが選ばれてしまう。ルーズベルトは支配階級の出身だが、自身が病気で下半身不随になってから弱者に目を向けるようになり、巨大企業の活動を制限し、労働者の権利を認めるという看板を掲げていた。 一方、フーバーはスタンフォード大学を卒業した後、鉱山技師としてアリゾナにあるロスチャイルド系鉱山で働いていた人物。利益のためなら安全を軽視するという姿勢を見込まれて出世したという。(Gerry Docherty & Jim Macgregor, “Hidden History,” Mainstream Publishing, 2013) 1932年11月8日の投票で勝利したルーズベルトだが、翌年の2月15日にフロリダ州マイアミで演説中に銃撃される。その際、隣に立っていたシカゴ市長のアントン・セルマクが殺されているが、ルーズベルトが狙われていた可能性も小さくない。銃撃したジュゼッペ・ザンガラは3月6日、大統領就任式の2日後に処刑されてしまった。事件の背景などは詳しく調べられていない。 大統領就任後、ルーズベルトを排除しようとする計画がウォール街で立てられている。スメドリー・バトラー退役少将の議会証言によると、1934年の夏に訪ねてきた「コミュニズムの脅威」を訴える人物は巨大金融資本が派遣した使者だった。 彼らはルーズベルト政権を倒すためにドイツのナチス、イタリアのファシスト党、フランスのクロワ・ド・フ(火の十字軍)の戦術を参考にし、新聞を利用して大統領を攻撃してクロワ・ド・フのような50万名規模の組織を編成、大統領をすげ替える計画だった。 しばらくの間、バトラーはクーデター派と接触し、その計画内容を聞き出した上で申し出を拒否する。その当時、アメリカ軍の内部で強い影響力をもっていたバトラー少将の説得にクーデター派は失敗したのだ。50万人の兵士を利用してファシズム体制の樹立を目指すつもりなら、自分はそれ以上を動員して対抗するとバトラー少将は通告したという。 バトラー少将の知り合いだったジャーナリストのポール・フレンチもクーデター計画について議会で証言している。彼によると、クーデター派は「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」と語っていたしている。(Public Hearings before the Special Committee on Un-American Activities, House of Representatives, 73rd Congress, 2nd Session) 反ルーズベルトの動きは民主党の内部にもあった。デュポンや「右翼実業家」から資金の提供を受け、「アメリカ自由連盟」なる組織を設立している。1972年のジョージ・マクガバン候補に対する民主党内の動き、あるいは現在のドナルド・トランプに対する共和党内の動きと似ている。 1935年にバトラー少将はFBIのJ・エドガー・フーバー長官に接触してウォール街の計画を説明したが、起訴するために必要の証拠はなく、自分には捜査を命令する権限がないとして断っている。(Peter Dale Scott, “The American Deep State,” Rowman & Littlefield, 2015) そのFBIは1940年にポール・ニッチェとナチスとの関係を調査、ニッチェはネルソン・ロックフェラーの米大陸問題調整官室へ逃げ込んだ。大戦後の1947年にニッチェはCIAの創設させた国家安全保障法を執筆、また1970年代、ジェラルド・フォード政権でデタント(緊張緩和)派が粛清された際の黒幕は彼だった。 1945年4月、ドイツが降伏する前の月にルーズベルト大統領は急死、ウォール街がホワイトハウスを奪還した。ルーズベルトが死ぬ前からOSSのアレン・ダレス(ウォール街の弁護士)はナチスの幹部たちと接触、ルーズベルト大統領が死亡してからはナチスの幹部や科学者、協力者を逃亡させて保護、さらに雇用する。 冷戦がアメリカの姿勢を変えさせたのではなく、こうしたアメリカ支配層の一貫した政策が冷戦を生み出したと言うべきだ。第2次世界大戦後、こうしたアメリカの支配層に立ち向かった大統領はジョン・F・ケネディくらいだろう。 なお、1932年から真珠湾攻撃まで駐日大使を務めたジョセフ・グルーはJPモルガンの総帥(ジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア)の義理の従兄弟で、戦後は日本を「右旋回」させるジャパン・ロビーの中心的な存在になっている。 ニュルンベルクの「国際軍事裁判」にしろ、東京の「極東国際軍事裁判」にしろ、基本的にファシズムを支持していたアメリカの支配層が大戦前の権力秩序を維持するために実施したセレモニーにすぎない。その延長線上に現在のファシズム的な状況はあり、圧倒的多数を占める庶民の富が奪われるのは必然だと言える。
2017.03.01
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