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人間関係はバランスだ、義理と人情を秤にかけりゃ義理が重たい男の世界、義理というのは貰った恩は返さねばならないという共同体の規範で、これは男の世界だけではない、女の世界も同じ事で、男女の世界も然り、結婚だって互酬の原理に基づいている。共同体の内部では互酬交換によって信頼関係を維持していく、だから日本のような比較的閉じられた共同体では中元や歳暮などの贈り物のバランスが重要視される。人間同士なんてもともと信用できるはずのない他人同士なのだが、バランスを維持することで「信頼」という蜃気楼を作り殺し合い・騙し合いを避けることができる。特に宗教という第三者(=神)的な監視人のいない社会では互酬・バランスしかない。しかし、バランスに囚われ過ぎると何が自分の本当の気持ちがわからなくなる。「本当」というのは言い過ぎにしても、例えば、レストランで食事をしているとする、インテリアや音楽などの雰囲気、周りにいる客の質、店員のサービス、などに注意を払いすぎると、食べ物そのものを味わっているのか環境に影響されて味を判断しているのかが、わからなくなってくる、そういった現象を指しているのだ。誰かと恋愛関係にあったとしよう、こちらが愛情を傾ければ相手もそれ以上に返してくる恋愛の初期段階、つまり情熱恋愛の段階では、バランスの崩れは概して起こらない。一方が、自分の方がより多く愛情を注いでいる、と感じ始める時バランスに不均衡が導入される。一度入り込んだ不均衡は、まるでオセロのデズデモーナに対する猜疑心が膨れていくように成長していくのが常だ。この猜疑心を相手にぶつければ相手の気持ちは更に遠ざかり、内に収め込めば猜疑心の癌が悪化する、というにっちもさっちも行かない状態なのだ。こういうときの一番の良薬はこの恋愛関係を解消することなのだが、ちょっと待ってくれ、バランスにとらわれた猜疑心のお陰で、キミは自分の相手に対する気持ちそのもののことを忘れてやしないか?いかにバランスしてないからとは言え、キミ達二人は互いに気持ちがあるのだ、それなのにその気持ちよりもバランスを重視しすぎたため、キミは大事なものを失くしてしまってないか?ところで、柄谷行人は、社会が氏族社会から変遷して封建社会を通過して資本主義的社会に辿りつく過程を交換の様式という視点から見直している(例えば、「世界共和国へ」岩波新書 2006年)。交換の様式には三つある、(1)氏族的な社会で支配的な互酬、(2)アジア的、古典古代的、封建的社会で優勢となる略取=再分配、(3)そして、資本主義的社会で中心となる商品交換。つまり、互酬(互恵的な贈答の交換)は氏族的な閉ざされた共同体で中心となる交換の様式、と言うことができる。資本主義の発展した日本社会でどうしていまだに互酬交換が支配的なのか、いくつかの理由が考えられるが、まず日本では氏族間・国家間の競争が西ヨーロッパほど激烈でなかったこと、中国やアラブなどの帝国の力が完全に届かない周辺に位置したこと、そしてもう一つ政治的権力抗争の低層を支配したキリスト教やイスラム教といった一神教の存在がなかったこと、などが上げられる。互酬交換で事が足りるような政治的・地理的土壌があったし、強力な一神教の不在が人間の信頼関係を維持するのに互酬交換を必要としたとも言える。いずれにしても、日本という共同体では互酬交換がいまだに人間関係の軸をなしていると言えるだろう。欧米でももちろん互酬交換は補完的な役割を果たしているが、それよりも中心になるのはやはり契約に基づいた商品交換だ。正高信男は「他人を許せないサル」(講談社ブルーバックス 2006年)の中で、「信頼で結ばれる欧米社会」と書いているが、これは明らかに言い過ぎで、日本でも他の社会でも「信頼」というのは人間関係の間に存在する、違うのはどうやって「信頼」という砂上の楼閣を作り上げるかという点だ。欧米では契約が中心になり、日本では横並びの互酬交換の継続が信頼の維持を可能にしている。横並びから抜け出てもいけないし、互酬交換を怠ってもいけない。日本型の信頼構築で問題になるのは、人間が個として自立・成長・孤立・関係する余地があまりない点だろう。格差社会の進展と共に、自立してない個人はより傷つきやすく、より絶望しやすく、より切れやすくなる。この点で、前述の正高信男の指摘は当たっていると思う。つまり、横並びが崩れた時に、自立していない個人は不公平な世間を許すことができないのだ。何故自分だけが横並びから外れるのか、バランスだけに拘る彼・彼女には受け入れることができないのだ。つまり、今の日本は互酬型の信頼社会が変化・崩壊しつつあり、その転換期に自立していない個が泣き喚いている、という状況ではないだろうか。バランスを崩した恋愛関係に話を戻そう。何故それほどバランスを問題にするかと言えば、自分の方がよりのめり込むことで受ける心の傷が怖いのだ。傷つくことを防ぐ自己防衛に他ならない。しかし、自己防衛ばかりしていては、相手の良さも自分の良さも良く見えてこないだろう。横並びもバランスも共同体全員で感じるもののあわれも、この際、棄てるとまでは言わないが、ちょっと横においてみる時代が来ているのではないだろうか。これからの若者がこの社会変化についていくためには、個の確立が急務だろう。僕のような初老の人間は自己カウンセリングで対応するしかない。取りあえず、投資信託をバランス・ファンドからよりリスクのあるエマージング・マーケット・ファンドに乗り換えてみようか。
2007.01.27
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傷つくことが怖くて心の扉を閉ざして生きる惨めさを描くのが、ジェームス・アイヴォリー(監督)とイスマイル・マーチャント(製作)のコンビの作る映画の主題なのかもしれない。「上海の伯爵夫人」も、盲目の引きこもり、元アメリカ人外交官トッド・ジャクソン(レイフ・ファインズが演じている)の苦悩を描いている。同じコンビが作った「日の名残り」はカズオ・イシグロの原作だったが、今回はイシグロが脚本を書いている。僕はこういう映画は嫌いではない、が残念なことにイスマイル・マーチャントの製作はこれが最後になってしまった、2005年5月に逝去した。ファインズ演じるジャクソンは、ヴェルサイユ講和会議で日本の中国に対する不当な要求を押さえたという、トップ外交官だった過去が語られる。そのあと、不幸にも妻と息子を火災で失くし、更に娘までも路面電車の中に仕掛けられた爆弾で失う、その時に両目を失明した。アメリカ政府の繋がりか何かである会社の役員を務め上海であちこちの酒場・ダンスホールを徘徊する暮らしをしている。現実から拒絶され、現実を拒絶したジャクソンは、空想の中で上海のほかのどの酒場より美しくて悲しい自分好みの店を作ろうと、夢想している。1936年、日本の中国進出が本格化した頃で、盧溝橋事件が起きたのが1937年7月である。中国人運転手と杖を頼りに夜の上海を歩き回るジャクソンとマツダという日本人スパイが、計画されたものではなく偶然に知り合う。偶然だと僕は思うのだ、何しろ日本人スパイにとってジャクソンはもう現役を引退した用のない存在で、意図して近づく必要はないだろう。マツダは真田弘之が演じている。マツダも上海の夜を散策するのが好きなのだ、もちろん仕事柄ということもあろうが、上海の夜の賑わいといろいろな人種が語り合い、踊りあい、殴りあう姿を観察するのが好きなのだろう。ジャクソンとマツダは、あの店がどうのこの店がどうのと意見を交わし親しくなる。ジャクソンにとってはこういう話題についてくる人間は珍しく、マツダもジャクソンの盲目でありながらも鋭い観察眼に惹かれる。ジャクソンはマツダに、自分の夢の店にはセクシャリティと悲劇を両方具えた女性ホステスが必要であるというような理想をあれこれ話し、もし店が実現したら来てくれるように頼む。そして、この理想の店が実現してしまう、ジャクソンが有金をつぎ込んだ馬が勝ち、巨額の賞金を手に入れたのだ。さて、この理想の女性ホステスに選ばれるのが、ナターシャ・リチャードソンの演じるロシアの伯爵夫人だ。ロシア革命で国を追い出されたロシアの貴族達の一人で、夫はすでに死に、自分の一人娘と夫の母や娘達と暮らしている。ダンスホールで踊り子として働き、時々「恋に落ち」ながら(と映画の中では表現されるがつまり売春しながら)皆の暮らしを支えている。にもかかわらず、夫の身内たちは彼女が家の恥だとか、仕事に出かける時は彼女の娘を近づけるべきではない、とかいう昔日の栄光を笠に着た小言をぶつけてくる、姑・小姑のいじめだ。そして、この白い肌の美しくも悲しい伯爵夫人が、ジャクソンの新しい店のホステスに選ばれたわけだ。だから、ジャクソンの店は「白い伯爵夫人(White Countess)」と名づけられた。映画の原題でもあるが。果たして、ジャクソンが重い心の扉を開くことができるのかそれとも自分の心の箱庭に作り出した耽美的な世界に籠もり続けるのか、鍵を握るのがマツダなのだが、それにしてはマツダの演技はあまりにモノトーンではないだろうか。台詞にしてもジャクソンとの親交を納得させるには弱い、と感じる。これがアイヴォリー監督の演出によるものか真田弘之の限界なのかわからない。だが、「たそがれ清兵衛」での後半に表現されるような感情の発露がまったくない演技・演出で、そんな人物がジャクソンの今後を決めてしまうのは、説得力に欠けないか?ところで、この映画を観たあとで「たそがれ清兵衛」をもう一度観たが、山田洋次監督の映画の細かい機微というのは恐ろしく琴線に響いてくるなあ、と思った。自然な泣き所がちゃんと具わってるのだ。「伯爵夫人」もそれなりに巧く作られて入るが、何か頭でっかちのように思える。つまり、理論的に創り上げられた印象が否めず、それがいまひとつ感情移入を妨げているような気がするのだ。「伯爵夫人」で一番気に入ったことは、ジャクソンと伯爵夫人・ソフィアが一瞬の情熱で愛を交わしてしまわないことだ。だいたい、ほとんどのハリウッド映画で男女が結ばれるタイミングというのがあまりにも馬鹿らしい、あるいは予想できる、あるいは型に嵌っている。それが現実なのかどうなのか知らないが、あまりにも読めてしまうとしらけるものだ。トリヴィア: ナターシャ・リチャードソンはこの映画にも出ているヴァネッサ・レッドグレーヴの娘で、ヴァネッサの妹(ナターシャの叔母)のリン・レッドグレーヴも意地悪な姑として出演している。カズオ・イシグロの脚本ではトッド・ジャクソンは盲目の設定ではなかったそうだが、主役男優のレイフ・ファインズのアイディアだそうだ。もう一つ、ジャクソンが他の店から引き抜いた(すべて引き抜いたわけだが)歌手の一人、哀愁をたたえたピエロのコスチュームで歌うのはピエール・セズネック(Pierre Seznec)という人で、ジャクソンも気に入っていたが、僕もなかなかいいと思う。アメリカでサントラを探したが見つからず、どうやら日本では手に入るようだ。彼の本業は銀行員だそうだ。
2007.01.15
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いよいよ女性大統領の誕生の可能性も現実のものになってきた。ケネディが暗殺された時に大統領に昇格したのが副大統領だったジョンソン、ニクソンがウォーターゲートで辞任した時に昇格したのが副大統領だったフォード(フォードはニクソンの親友でもあって大統領に昇格してからニクソンに特赦を与え訴追の可能性から救った)、というように、大統領が任期中に職を去ることはままあるわけで、トム・クランシーだったかの小説では正副大統領と上下両院の議長が死んでしまって(日本人によるホワイトハウスの爆撃だったか)、国防省長官の主人公、ジャック・ライアンが大統領になってしまうというのもあったが、アメリカ大統領の継承順でいくと二番目の地位に始めて女性が上り詰めた。一番目はもちろん副大統領、その次に来るのが下院議長で、昨年の選挙で民主党が過半数を獲得した為、下院民主党のリーダー、サンフランシスコ選出のナンシー・ペローシ(Nancy Pelosi)女史が下院議長になることになり、大統領継承順位二番となったわけだ。因みに、このあとの順番は上院議長、国務省長官、財務省長官、国防省長官、司法長官、内務省長官、農務省長官、商務省長官と続いている。英語ではPresident pro tempore of the Senate、Secretary of State、Secretary of the Treasury、Secretary of Defense、Attorney General、Secretary of the Interior、Secretary of Agriculture、Secretary of Commerce。ただし、帰化したアメリカ人は大統領になることはできない。憲法を改正すれば別だが。ペローシ女史が女性初の下院議長になれたのも、今選挙での民主党の勝利があったわけだが、多くの中道あるいは左よりの人達は、「やっとね」という遅すぎた安堵の気持ちでいっぱいだ。二度の大統領選挙で共和党に大統領を半ば盗み取られたように感じている普通の市民にはほんとうに長い冬だった。金と組織力とマーケティングの力に負け続けていたのだから。ここまで暴走が軌道を外れ続けたのは多くの一般市民がマーケティングによって惑わされたことだけが原因ではない。国会がそのCheck and Balanceの責任を果たさなかったからだ。三権の分立は、それぞれのブランチがお互いに暴走しないように監視しあうことで正常に機能する。民主党が過半数を取った今、どういった国会運営をしていくのか注目される。それいかんによって次の大統領が民主党になるか共和党になるかが大きく左右される。具体的に何ができるのか、何をしなければいけないのか?まず議員の不正を減らすこと、利害の抵触するような人間関係・社会関係に関わらないこと(いわゆるconflict of interest)、具体的には賄賂をもらったり接待を受けたりすることの厳禁。次に、国会で議事討論をする時間を増やすこと。最近の議員のスケジュールは火曜の昼に国会に来て木曜の昼に地元に帰るんだそうだ。アメリカはだだっ広いので、スケジュールがこうなる理由もわかる。僕達も東海岸の会議に参加するときは火曜から始まり金曜の昼でお開きにすることが普通だ。難しいのはわかるが、最近の立法の質と量の低下を考えると、改善しないわけには行かない。三つ目は、もっと真剣に議論して大統領の言うなりにならないこと。建国のデザインをした人たちは(the founding fathers)立法府を一番重要な機関と考えていた。ところが今は、大統領の強い信念と意思がそのまま通っている。お座なりではなく答えるのが難しい質問をし白熱した議論をすることが必要だ。信念には穴がある、穴を認識し綻びを繕うことがお目付け役としての義務だ。ペローシ女史の初仕事は予算規則の一変更だった。新規の歳出は、これは減税も含まれるが、必ず額の匹敵する他の歳出削減か増税が伴わなければいけない、という規則だ。この規則で際限のない予算膨張が抑制されることは間違いない。と同時に、民主党が欲している福祉予算の増額も困難になることも確かで、諸刃の剣ということになる。ペローシがどれだけの改革をもたらすのか、期待したい。
2007.01.08
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1月2日付のエッセー「座談会と開かれた議論」のあとに、tomooさんとそれこそ開かれた議論を目指して合計17回のコメントを交換した。読み返してみると、最後にtomooさんがまとめてくれるまで全体のスレッドがよくわからなかった。その時その時のコメントに答えているうちに、相手の趣旨はもちろんのこといつしか自分の趣旨がどこにあるのかもわからなくなってしまった。口頭の議論もこうなることがよくある、口喧嘩なんかもそうだ、「で、僕達何を言い争ってるんだっけ」となる。さて、tomooさんのまとめに沿ってもう一度振り返ってみようと思う。>、「あたらしい社会への期待」=「既存の権力をぶち壊す」にご趣旨があると感じました。僕の趣旨はこうじゃなかった。もしそう読まれたとしたら、僕の書き方が悪かったのかtomooさんが深読みしすぎたのだ。僕は啓蒙の精神そのものは大変に評価している、これなくして近代はなかったと思う。フランス革命となると、半々の気持ちだ。権力を壊すことそれだけですべてがいいとは思わない。ただ、澤田氏の態度はあまりに保守的で、そのイデオロギーの色眼鏡で見たフランス革命評価なので信用できない、と思った。コメント応酬の過程で紹介した僕の一つの仮説、人間はいろいろな制度や概念を共同の幻想として作り出し、それに拘束され抑圧され殺戮しあう、という仮説が誤解を呼んだようだ。僕の頭にあるのは、キリスト教やイスラム教などの宗教、共産主義、貨幣、消費と言う欲望、フロイトの精神分析、そしてネーション・ステートという国家、などがある。これらの想像の産物は時代的な要請はあったとしてもなくてはならないというものではなく、ポジティヴな面もあるが、僕にはネガティヴな面の方が大きく感じられる。というよりも、ネガティヴな面があまり強調されないので、それに眼を向けるべきだと思う。過去の遺物となってしまってからは、多くの人がネガティヴな面を認識するが、ネーション・ステートのような現在時制の負性は余り言及されない。僕のような異国に生活する日本人には、僕が日本人であるという必然性がよくわからないのだ。国を愛する心がどうして大切なのかわからない。別の国に生まれていればその国を愛しただろうし、別の国に長い年月生活すればその国を愛するだろう。前から書いていることだが、人間にはグループ・アイデンティティが必要なだけだ。それが現行の国家の枠組みである必要は、まったくない。これが僕の仮説で、今後の思索の過程で仮説が崩れるかもしれない。この仮説は、権力がどうのということは一切触れていない。往々にして、人間を抑圧するのは権力だから、僕の言う共同の幻想を権力と定義するなら、それでも構わない。しかし、共同の幻想=権力を壊せばいいのか、というとそうは思わない。むしろ、共同の幻想を対象化したほうがいいんじゃないの、と言っているのだ。ポジもネガもあるんだから、それをちゃんと認識した方がいい、と。あばたもえくぼでないが、ちゃんと対象化しないと盲目の愛になってしまう。>「ナベツネ」=「権力」=「いつの時代も同じ」という線形的なイメージに見えるナベツネのことを知らないのでちょっとよくわからないが、いろいろなことを共同の幻想(つまり人間の意識の集合が作り出したある概念のカタマリ、ベネディクト・アンダーソンのいう想像の共同体というのもその一つの言い方)とまとめてしまったことは線形的と批判されるかもしれない。例えば「商品」という概念がいろいろなものやサービスを指すのと同じようなもので、一つの概念に過ぎない。でも、僕はすべての共同の幻想が悪である、と言っているのではないのだ。上に書いたように、客体化あるいは対象化しよう、と言っている。そして、いつの時代も同じとも言っていない。その時代その時代特有の共同の幻想が生まれてきているのが歴史だ。tomooさんの引用した宮台氏などのネットに対する考え方を読んで、確かにネット社会が新しい共同の幻想を生みだすだろう、ということはわかった。このあたりで、未来のことはわからない、と発言したのは僕の自己防衛の発露であった。ただ、新たな共同の幻想がアンシャン・レジームを壊している(壊すかもしれない)時は、新たな幻想の側に廻る、というのは多分僕の理念だろう。これは、結構性格的なものかも知れない。で、これが権力=壊すべき、という態度に傍から見れば見えるのだろう。それが保守と革新の違いだろうか。僕は、保守的でないことは確かだ。>「開かれた議論」は今日ますます困難になっていますが確かに難しい。「開かれた」態度をとっても最後の部分は閉じられているだろう。tomooさんは、このことを「前提」と呼んでいるのだろう。僕の前提は、社会が変化していくことは必要でかつ必然で、どういう風に変化するかはできるだけ多くの人々の意見で決められるべきだ、ということだろうか。どんなにすばらしいリーダーだろうと独裁者は必ず腐敗するし道を誤る。James Surowieckiという人がThe Wisodm of Crowdsで指摘しているように、具衆かもしれないが人々の集まりは結構正しい選択をする、共同の幻想をちゃんと認識しさえすれば(これは難しいことだが)。開かれた議論は難しいけれども、これからも挑戦していただけると有難い。よろしく。
2007.01.07
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雑誌でよく行われる座談会というものが実際にはどう進行するのか、とても興味がある。対談の場合でもどちらかが舵取りになることがあるだろうし、あるいは誰かが司会役になって進行させることもあるだろう、三人以上になると、三人ともが相当の識者や学者であるから、ダイナミズムがどのような展開をもたらすのか予期できないのではないだろうか?具体的に言うと、参加者の一人一人が持っているトピックに対する見解の違い、学会など社会的な潜在的(あるいは顕在的な)上下関係、主催している雑誌との過去の関係とこれからの関係への見通しなど、こういった背景的要素が座談会でのやり取りのぬるま湯さや白熱度の違いに現われてくることは、疑いない。ただ、編集の過程でテーブルの下の争いをどれだけ残すか、そして読者がどれだけ読みとることができるか?昨日の日記で触れた木村尚三郎、澤田昭夫、村松剛のフランス革命についての座談会だが、三人の構え方が微妙に違う。まず、木村氏、この辺りが彼の専門なのだろう、冒頭で口を開いたのも彼だし、取りも彼だ。フランス革命に対する視点も納得のできるものが多い。「絶対主義の時代に国民国家」を「名実共に完成させた」、「本当の目標、本当の敵は、実はカトリック教会であったろう」、「(カトリック教会などの聖界の権力を)ぶち壊さないことには」産業革命で先に進んでいた「イギリスに対抗できない」、「暴力的に農村の原理を国全体に広げ」た、「聖と俗が分離されたのが、革命最大の成果だったかも知れない」。木村氏の視点は、主としてフランス革命が歴史の中でどういう役割を果たしたか、という機能的な考え方のように思える。同じ東大西洋史科出身の澤田氏の場合、視点が若干違う。彼はきっとリヴィジョニストなのではないか、<フランス革命が歴史の必然として起った>というマルクス主義的史観を否定することに、非常に拘っている。彼にとっては、「避けることのできたミス・マネージメントというのが、フランス革命の原因」ということになる。フランス革命は「功罪相半ばするのじゃなくて、罪の方が多いような気がしている」という点をさかんに強調する。澤田氏は、ジロンドからジャコバンの恐怖に至る経過はある程度必然で、人間の思い上がりの仕業だと考える。更に彼は、「カトリック教会を撲滅しようというところにつながっている」、と主張している。つまり、カトリック教会という聖界の権力を壊そうとした、その意志の中に人間の思い上がりを見、フランス革命の残酷さの原因を見るわけだ。村松氏は、先の二人とは違って東大仏文科出身で、西洋史学会とは恐らくあまり関係のないところで独自の活動をしてきたのではないだろうか。もともと文芸評論家で、1975年の「死の日本文学史」というのは読んだことがある。行動する批評家で、アイヒマン裁判やアルジェリア戦争の現場も訪れ、「中東戦記」や「ナチズムとユダヤ人」という作品もある。この座談会での村松氏は、木村氏の見解と澤田氏の信念表出の陰に隠れて、あまり独自の見解を述べる機会をもらっていない。貴族・僧侶側の土地に対する執着が日本の武士階級に比べて非常に強かったという点、ジャコバンの支配が二年で崩壊した原因は直接的には経済政策の失敗だったという点、くらいがユニークな発言だろうか。他の場面では、誰かの極論を否定したり傍証を提出したりするにとどまっている。優れた司会者のいない座談会というのは、信念の表出、知識の開陳、太鼓もち、に帰着してしまうことが多いのかもしれない。まあ、これはブロッグなどへの書き込みとそのリスポンスにもよく見られることだが、開かれた議論というのはなかなか難しい。「開かれた」というのは受け答えする人の心が開かれているという意味で、「これはこうじゃないの」というコメントに対して、「あ、そうかもしれない」という気持ちを持つことだ。反射的に自己防衛に走ってしまう人がほとんどで、僕もそうなる時がよくあるのだが、これでは開かれた議論はできない。政治的・経済的・年齢的上下関係を忘れ、聞く耳を持ってコミュニケーションに臨まなくては生産的な発展は得られない、と思うのだ。
2007.01.02
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1989年から3年ほど、母が月刊誌「中央公論」をアメリカまで送ってくれた。2005年の4月、認知症との長い戦いの末母はこの世を去ったが、送ってもらった中央公論は多分全巻残っている。僕自身も大分脳の機能が低下してきたので認知症に侵される前に面白い記事を再読(もっとも以前読んだ物もほとんど覚えてないので、初読ということになる)しておかなくてはと思いつき、幾冊か引っ張り出してきた。1989年7月号は、フランス革命二百年ということで特集を組んでいる。木村尚三郎、澤田昭夫、村松剛の三人が「思い上がりが生んだ『悪夢』」という題で座談会をしている。その中で、澤田氏が「あの『マルセイエーズ』、あれほど残忍な歌も少ないでしょう」と発言していたので、その内容を知らなかった『マルセイエーズ』の歌詞を調べてみた。一番だけだが、原語と和訳を下に載せる。Allons enfants de la Patrie, Le jour de gloire est arrivé! Contre nous, de la tyrannie, L'étendard sanglant est levé! L'étendard sanglant est levé! Entendez-vous, dans les campagnes, Mugir ces féroces soldats? Ils viennent jusque dans nos bras Egorger nos fils et nos compagnes! [ Refrain ] Aux armes, citoyens ! Formez vos bataillons ! Marchons ! marchons ! Qu'un sang impur abreuve nos sillons ! 行け、国家の子どもたちよ栄光の日は来たいまや、われらに対し、暴虐の血塗られた旗が掲げられている血塗られた旗が掲げられている!聞こえるか、野や畑で残忍な兵士たちがわめき騒ぐのが?やつらはやって来る、われわれの腕の中にまで抱かれた息子や同志の喉をかき切りに武器を持て、市民諸君、ただちに軍団を形づくれさあ、進もう!進もう!(やつらの)不純な血でわれらが畑のうね溝を浸してみせるぞ(和訳は共立女子大学教授の鹿島茂氏が訳して日本経済新聞 2002年7月14日の文化欄に掲載したものを、このウエッブサイトから転載しました。http://www.hfc-south.com/23shoukan/236.html)防衛のためとは言え自分達の土地を敵兵の血で真っ赤にしようという、戦争というのはここまで精神を昂ぶらせなければ戦えないんだろうなとは理解できるが、確かに残酷な歌詞だ。日本の国歌が時代錯誤なら、この歌も負けるとも劣らない時代錯誤で、歌詞付では絶対に聴きたくない歌だろう。ところで、ビートルズは「All You Need Is Love」の前奏に「La Marseillaise」の一節を使っている。「All You Need Is Love」は世界同時衛星放送のために作られたもので、前奏の「La Marseillaise」の他に、バッハの曲、グリーン・スリーブズ、グレン・ミラーのイン・ザ・ムード、自分達の初期の作品シー・ラヴゥズ・ユーなどが組み込まれた世界向けのメッセージ・ソングということもあろうが、愛の必要性を説く歌に好戦的な曲を使うというのは、何か意図があったのだろうか?ところで、とまた話が飛ぶのだが、「All You Need Is Love」は歌うのが結構大変だ。というのも、All You Need Is Love というサビの部分は普通の4拍子でいいのだが、底に至るまでが、4拍子と3拍子を組み合わせた7/4拍子で、ついていこうとするとずっこけるのである。澤田氏によれば、「三色旗の真ん中の白いのはブルボンの印」だそうで、僕はてっきり三色は自由、平等、博愛を表すものだとばっかり思っていた。だって、クシシュトフ・キェシロフスキのトリコロール三部作もこの三つのコンセプトを表現したものじゃなかったの?フランス三色旗の起源についてはいくつか説があるようだが、その中の有力な一説によれば、ラファイエットが三色旗の考案者らしく、彼はパリの紋章の赤と青の間に象徴としてブルボン家の白を挿入したと言う。革命当初は立憲王政派も多くいたわけで、この説もありえないことはない。別の説によれば、やはりラファイエットが考案者らしいが、アメリカの旗の色からとったとも言う。オランダの旗を参考にしたとも言う。木村氏に面白い発言があった。日本ではフランス革命が非常に高く評価されたそうで、「世界史の教科書でも、一日一日の変化を書くような調子です。突出して記述が多い。平成六年度からの教科書は変わりますけれども」。確かに、僕の持っている山川の教科書(1991年改訂版)を見てみると異常に詳しく、その叙述は6ページに及んでいる。日本人は「世直し」が好きで国民国家の発想が強く、戦後この二つのメンタリティがあわさり、これから新しい日本ができるんだということで、フランス革命が絶対視されたところが大いにあった、そうだ。現実のフランス革命は、この三人が指摘するように、三十万人以上が犠牲になった革命で、貴族とカトリック教会に対抗した、そしてジャコバンの支配になってからは中産階級の一部も敵になった、国民国家建設のための内乱であり対外戦争だった。ジャン・ジャック・ルソーの思想が一役買っていたことは間違いない。
2007.01.01
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