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こういう類の音楽が日本にもあるんだ、とユーチューブを辿りながら見つけた。比較的単純な8ビートのロックではなく、ドラムやベースが若干複雑なリズムを刻む。ところが彼らの多くはひたすら英語で歌っている。英語じゃないとリズムに乗れないということなのか、英語で世界市場に進出しようとしているのか、はわからない。サンプルを作るほどに惚れているわけじゃないので、ユーチューブのリンクだけあげておきます。Harvard の Catch Me Againala の Please MeUnchain の Make It Glow椿屋四重奏 の 恋わずらいJazzin' park の Free to Believe (これは日本語でリズムはサンバ)似た感じでサンバのリズム、歌はChara風です(ボーカルはcanaだそうです)。このグループはセンスもいいし洗練度も高いな。Sotte Bosse の 太陽のキスなんと「島唄」をボサノバでやってますね、なかなか面白いね。一風変わったこの手のバンドというと、思い出すのは原田郁子のClammbon(苦楽無凡、クラムボン)だなー、約10年前に聞いた彼らのシカゴは実によかった、今でもいいと思う。もうちょっと最近の曲ではコントラストがあります。
2011.01.08
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人間にとって夢と現実の違いはなんだろう?現実といっても、僕達が知っているのは感覚を通して脳に再現される像に過ぎない。これは生体一般について多分言えることなのだろうが、人間の場合には言語という象徴化の道具を持っているので、話はもっと込み入ってる。夢は、外部刺激の感覚が記憶として貯蔵され、脳が睡眠の状態になったときに貯蔵された記憶が、あるいはランダムにあるいは欲望に掻き集められて、ひとまとまりの像を結び、それが脳の劇場で演じらている状態だろう。こうしてみると、生体一般にとっても人間にとっても、夢と現実の間にたいした違いはないんじゃないだろうか。どちらも脳で起きている感覚のジグソーパズルということだ。コブとマルは二人で夢の夢のまたその夢の中、リンボを彷徨っていた、およそ50年ほどの歳月、そこでは時間の流れ方違う、夢の50年は現実の50日くらいだろう、二人は全てを創造することが出来た、二人で築き上げる世界での時間は幸福といえば幸福だった。問題は、二人ともそれが現実でないと知っていたことだった。夢を見ているときに、それが夢であると知っている自分、それが彼らを悩ませた。コブとマルは、違った方法でこれが夢であるという意識に対応した。コブは現実に戻らなくてはいけない、という龍宮城からの帰還を決意したが、マルはこれが夢であるという意識を忘却の河に投げ捨てて、龍宮城に留まることを望んだ。深い夢から目が覚めたとき、マルはこの現実が夢であるという思いを拭い去ることが出来なかった。現実というこの夢から目覚めて、二人で築いたリンボの現実に戻らなければ幸福にはなれない、と。夢から覚める安全で容易い方法は、死ぬことだ。死ねば現実に戻れる。マルは、コブに一緒に死ぬことを要求した。今いる世界が現実であることを知っているコブは、必死に止めたが、マルは聞かなかった。それだけではない、コブが躊躇するのを知っていたマルは、コブがマル殺しで捕まるように仕組んでいた。こうしてマルは死に、コブは殺人容疑で追われているのだ。
2011.01.02
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