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2月のイベントです。東京でちょっとアイルランドが、楽しめます。楽器のワークショップやケイリー、セッションから、ちょっとギネスを飲んでみるみたいな体験をこの機会にどうぞ....♪http://www.ismusic.ne.jp/irishfestival/index.htm
2004年01月26日
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Kilkelly(Peter Jones)Kilkelly, Ireland, 1860, my dear and loving son JohnYour good friend schoolmaster Pat McNamara’s so good as to write these words down.Your brothers have all got a fine work in England, the house is so empty and sadThe crop of potatoes is sorely infected, a third to a half of them bad.And your sister Brigid and Patrick O’Donnell are going to be married in June.Mother says not to work on the railroad and be sure to come on home soon.Kilkelly, Ireland, 1870, my dear and loving son JohnHello to your Mrs and to your 4 children, may they grow healthy and strong.Michael has got in a wee bit of trouble, I suppose that he never will learn.Because of the darkness there’s no turf to speak of and now we have nothing to burn.And Brigid is happy, we named a child for her and now she’s got six of her own.You say you found work, but you don’t say what kind or when you will be coming home.Kilkelly, Ireland, 1880, dear Michael and John, my sonsI’m sorry to give you the very sad news that your dear old mother has gone.We buried her down at the church in Kilkelly, your brothers and Brigid were there.You don’t have to worry, she died very quickly, remember her in your prayers.And it’s so good to hear that Michael’s returning, with money he’s sure to buy landFor the crop has been bad and the people are selling at every price that they can.Kilkelly, Ireland, 1890, my dear and loving son JohnI suppose that I must be close on eighty, it’s thirty years since goodbye.Because of all of the money you send me, I’m still living out on my own.Michael has built himself a fine house and Brigid’s daughters have grown.Thank you for sending your family picture, they’re lovely young women and men.You say that you might even come for a visit, what joy to see you again.Kilkelly, Ireland, 1892, my dear brother JohnI’m sorry I didn’t write sooner to tell you, but father passed on.He was living with Brigid, she says he was cheerful and healthy right down to the end.Ah, you should have seen him play with the grandchildren of Pat McNamara, your friend.And we buried him alongside of mother, down at the Kilkelly churchyard.He was a strong and a feisty old man, considering his life was so hard.And it’s funny the way he kept talking about you, he called for you in the end.Oh, why don’t you think about coming to visit, we’d all love to see you again.アイルランド キルケリーにて。1860年 親愛なる我が息子ジョンへおまえの良き友人、学校の先生をしてるパット・マクナマラが、親切にも私の言うことを書き取ってくれている。おまえの兄弟たちは皆、仕事を捜しにイングランドに行った。家はがらんとして悲しい。今年のじゃがいもは、ひどく病気にやられていて 3分の1から2分の1がだめだ。そう、妹のブリジッドとパトリック・オドーナルが6月に結婚することになった。母さんは鉄道の現場では働かないようにと言っている。いいかい、早く家に帰ってくるように。アイルランド、キルケリーにて。1870年 親愛なる我が息子ジョンへおまえの奥さんと4人の子供たちによろしく伝えてくれ。子供たちが元気に強く、育ちますように。マイケルは、ほんのちょっとした面倒に巻き込まれているが、やつは全く懲りないようだ。悪天候のせいで、ピートは話にならず、わたしたちはもう燃やすものもない。それからブリジッドは、おまえが娘に彼女の名前をつけてくれたので、ご機嫌だ。彼女には、自分の子供が6人もいる。おまえは仕事を見つけたというが、どんな仕事かは書いてないなぁ。いつ頃帰ってくる、とも。アイルランド、キルケリーにて。1880年 親愛なる我が息子マイケルとジョンへ辛いがとても悲しいことを知らせる。母さんが死んだ。キルケリーのあの教会に母さんを埋葬した。おまえたちの兄弟とブリジットも見送った。心配しなくていい、母さんは苦しまずに逝ったから。祈りを捧げるときは、母さんを思い出すように。それから、マイケルが土地を買えるだけのお金を持って帰ってくるというのはとてもいいことだ。収穫はもうずっとひどく、誰もが土地を売ろうとしている。どんな値段であろうとも。アイルランド、キルケリーにて。1890年 親愛なる我が息子ジョンへ80になったら私もお終いだろうと思う。おまえが行ってしまってから、もう30年たった。おまえが送ってくれたお金のおかげで、私はまだ自分のことはなんとかできている。マイケルは自分で立派な家を建てたし、ブリジットの娘たちはみんな大きくなった。そうだ、家族の写真をありがとう。みんな素敵な娘さんと若者になったな。遊びにいくかも知れないと書いてくれたが、おまえに会えればどんなに嬉しいことか!アイルランド、キルケリーにて。1892年 親愛なる兄さんジョンへすぐに手紙が書けなくてごめんなさい。父さんが亡くなりました。父さんはブリジットと一緒に住んでましたが、最後まで明るく元気だったそうです。父さんが兄さんの良き友人パット・マクナマラの孫たちと遊ぶところを兄さんに見せたかった。ぼくたちは父さんを母さんの隣に埋葬しました。あのキルケリーの教会の墓地に。父さんは強くて、怒りっぽい人でした。自分の人生はとても辛いと思っていました。いつでも、不思議なことに兄さんのことばかり話し、息をひきとるときも、兄さんを呼んでました。一度遊びに来ませんか?皆とても喜ぶでしょう。兄さんとまた会えれば。---------------------------------------------------------------------130 years after his great grandfather left the small village of Kilkelly inCo. Mayo, Peter Jones found a bundle of letters sent to him by his fatherin Ireland. The letters tell of family news, births, death, sales of land andbad harvests. They remind the son, that he is loved, missed and rememberedby his family in Ireland. The final letter informs him that his father, whomhe has not seen for 30 years, has died, the last link with home is broken.Peter Jones used these letters to make this song.The "trouble" in verse two is probably the Fenian rising of 1867.recorded by Moloney, O’Connell & Keane on "Kilkelly" (1988)Green fields of America"Live in Concert"(1989)Cast"?Winnowing" (1996)Jimmy Keane"Bringing It All Back Home" [BBC] (1991)Matt Molloy"?Music at Matt Molloy’s "(1993)etc.
2004年01月14日
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ワイヤード・ニュースによると「温室効果ガスの排出量を大幅に削減しなければ、地球上に存在する全動植物種の4分の1が2050年までに絶滅するという結果が出た。」「コンピューター・シミュレーションの結果、気候変動に適応できるかもしれない生物種もいるものの、多くの生物種が温暖化の影響で絶滅することが判明したのだ。」http://www.hotwired.co.jp/news/news/20040114303.html
2004年01月13日
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===== Theorie und Praxis (理論と実践) =========== 12/01/2004 ■■■ 気になるニュース━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━●防衛庁「取材はしないで!」「ビデオをあげよう!」 私たちはよく、自分にとって都合の悪い情報を伏せて、都合のいい情報だけを発表したり、時にはウソをついたりすることを「大本営発表」などといいます。 この言葉は、もともとはアジア・太平洋戦争の時に、日本の最高統帥本部であった大本営が、不利な戦況を隠して、都合のいい発表・偽りの発表ばかりしていたことを指しています。 安易に「時代の逆行」などという表現は用いたくないのですが、それでも思わず「はあ?」と問い返したくなるような出来事が、自衛隊のイラク派兵を巡っていくつも飛び出してきました。 * * *その1)「自衛隊の取材はしないで!」 石破防衛庁長官は9日、新聞・放送など報道各社の幹部を防衛庁に呼び、イラクでの自衛隊の「復興支援活動」について、「現地での取材を可能な限り控えるように」との取材自粛要請をしました。 防衛庁は当初、イラクでの現地取材を受け入れることを念頭に、現地に派遣される記者を対象にした「安全確保訓練」を行っていました。しかし、政府からの指示で急遽、陸上自衛隊先遣隊への派遣命令時に実施することで報道各社と合意していた部隊長へのインタビュー取材を取り消し、さらに先遣隊の現地での取材対応も拒否することにしたのです。 その理由として挙げられているのは、「取材時に発生する不測事態に関しての責任は負いかねるため」、「報道関係者の行動が、現地の経済状況、社会状況等に思わぬ影響を与えることも懸念されるため」、「派遣される部隊および隊員等の安全確保を含めた防衛庁の円滑な業務遂行を阻害しないため」など。 それにしても、省庁が公式な形で報道機関に自粛を要請するのは異例のことです。そして防衛庁が、「その代わりに……」と持ちかけたのが、次の提案。 「防衛庁としては現地部隊と連携して積極的にホームページや本庁におけるブリーフィングによる情報提供を行いたいと考えています。」 (http://www.jda.go.jp/j/iraq/syuzai.htm ) * * *その2)「自衛隊のビデオをあげよう!」 報道自粛要請の一方で、教育の場では非常に気前がよいようです。 防衛庁は、初めて小中学生向けの広報ビデオを制作、送付を希望する小中学校への無料送付を始めました。 ビデオのタイトルは、「ディフェンス・スリー」。以下に、そのあらすじを防衛庁のホームページから転載します。【マモル、友達のダイスケ、マモルの妹ユリコが新しいテレビゲームを始める。ゲームの中にミスター・ピースが登場し3人にゲームの進め方を案内する。マモルたちは自分たちの住むゲームの中の国をユリユ国と名付ける。海の向こうの水のないカラカラ国(ユリユ国を占領しようとする国)が、ユリユ国を狙って攻め込んでくる。国を守る方法がないからどうしようもないと嘆く3人に、ミスター・ピースはこのゲームの目的はユリユ国を守る手段をつくりあげることだとゲームの目的を告げる。3人は日本の自衛隊をモデルにユリユ国防衛隊をつくることにする。ミスター・ピースは、日本国憲法にある戦争放棄・戦力の不保持・交戦権の否認を守ることと条件をつける。「それじゃ戦えない」と抗議するマモルたちに「自衛のためにだけ戦う、つまり専主防衛なら防衛力を持てる」と助言する。第二の条件は必要最小限度の防衛力に留めること。しかしカラカラ国の圧倒的な力を見たユリコは、不安を訴える。それに対してミスター・ピースは日本の防衛にアメリカの協力を求めているようにユリユの隣の大国グリン国と共同してユリユ国を守ることにするよう助言する。 このような条件の下、3人は防衛隊づくりを始める。まず、空の守りから手をつける。次に海の守り、陸の守りと各種自衛隊の役割、訓練、装備の実際の映像を見ながらそれぞれの防衛隊をつくりあげる。 こうしてユリユ国防衛隊は完成と思ったが、ミスター・ピースはまだゲームは終わらないと告げる。怪しげな顔をする3人のもとに、遠方の国パラパラとポロポロから防衛隊の助けを求める連絡が入る。これに対応できないと防衛隊は未完成ということになる。困った3人にミスター・ピースは自衛隊のPKO(国連平和維持活動)の実例を説明して、国際社会の一員として責任を果たすことの重要性を教える。納得した3人はユリユ国防衛隊をPKOで派遣する。その他に自衛隊と同じ災害派遣の役割も担わせる。そこへカラカラ国から「水を貯める方法を教えて欲しい」と連絡が入ってくる。それはユリユ国防衛隊の力が抑止力として働いているということだった。 ユリユ国防衛隊の実力を確信した3人を見て、ミスター・ピースはゲーム終了を宣言する。3人の頭には、平和な日本を守っている自衛隊の役割がはっきりと刻まれている。】 (http://www.jda.go.jp/j/defense/video/index.htm ) * * * なるほど。イラク派兵による「国際社会の一員として責任を果たすことの重要性」が、小中学生の「頭にはっきりと刻まれる」わけですね。 ところで、パラパラ国やポロポロ国での防衛隊員の活動に対しては、やはり「報道自粛要請」が出ているのでしょうか? まあ、きっと「ホームページや本庁におけるブリーフィングによる情報提供」で、ユリユ国の人々はその活動の姿を「正確かつ充分に」知ることができるから、問題ないんでしょうけど。以上メルマガからの転載です。 関連サイトは http://d.hatena.ne.jp/entre/ ビデオの件はトホホ...です。
2004年01月12日
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日 程:2004年3月7日(日曜)雨天決行会 場:京都市役所前広場 (パレード:御池通の烏丸から木屋町)イベント内容(予定): ●アイルランド大使スピーチ ●小泉 汎さんスピーチ(小泉八雲記念館館長) ●セントパトリックスディパレード ●アイリッシュダンス紹介(発表会) ●アイリッシュダンスミニワークショップ ●アイリッシュ音楽ライブ ●アイルランド物産店 ●アイルランド観光紹介 ●フェイスペインティング(シャムロックや国旗をペイント!)セント・パトリックディーのイベントとして、こんな計画があります。ダンスのバックなどで、演奏で参加させていただけるかもしれません。あと、パレードに参加予定です。めずらしいところでは、アイリッシュ・セッターもいっぱい来るかも!パレードの参加者やイベントのお手伝いも募集してるようなので、Irish Pub "The Hills of Tara"の花井さんまでよろしく!http://www.thehilloftara.com/なお、セント・パトリックディーのパレードは世界中であります。日本では東京と横浜でもありますよ~ん。http://www.inj.or.jp/
2004年01月10日
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▼▼▼ 【バスラ(イラク南部)小倉孝保】イラクで劣化ウラン弾によるとみられる被害の対応に当たっている2人の医師が8日、バスラでインタビューに応じ、イラク戦争における劣化ウラン弾被害について「5年後には出てくるのは間違いない」などと語った。 バスラ教育病院のジャワッド・アリ医師(60)とバスラ小児産婦人科医院のジャナン・ガリブ・ハッサン女医(47)の2人。ともに91年の湾岸戦争以来、劣化ウラン弾の被害調査に携わり、がん患者の治療のほか世界各地で講演をしたりシンポジウムに出席し、被害実態を訴えている。 アリ医師は「私の調査では、バスラのがんによる死者は88年には34人だったのが02年には644人と19倍になった」と指摘。イラン戦争について「湾岸戦争では郊外に集中していた劣化ウラン弾の使用地域が、今回はバスラやバグダッドの市街地にも拡大した。5年後には被害がはっきり出てくる」と語った。 また、ハッサン女医も「最近私の患者には骨のがん患者が増えている。劣化ウラン弾被害は収まる気配をみせていない」とし、「今回の戦争ではバスラ以上にバグダッドで劣化ウラン弾が使用された可能性がある。次に被害が続出するのはバグダッドかもしれない」との見方を示した。 フセイン政権下、2人が主張する劣化ウラン弾被害は同政権にとっても都合が良かったため、一部には「政権が2人を利用している」という見方があった。政権崩壊後、バスラ教育病院では一部の医師から「劣化ウラン弾被害はフセイン政権が作り上げたもの。2人の医師は政治利用された」と批判もあった。 これについて、2人は「科学的な根拠に基づいて発言しており、政権が変わっても、主張に変化はない。医師の中には米政府を怖がったり、米政府に接近するため、被害を否定するものがいる」と口をそろえた。 バスラ教育病院のネザル・マフフーズ外科部長は「政権崩壊後、劣化ウラン弾の被害についてさまざまな意見が出たが、アリ医師らの調査は信頼できるものだと考えている」としている。[毎日新聞1月9日] ( 2004-01-09-19:02 )▼▼▼
2004年01月09日
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チベットで昔から行われていた鳥葬に変化のきざしが......。ひとつには中国の自治区政府が「不衛生だ」ということで、「信仰は尊重」すると言いつつ 火葬を提唱する動きがある。急に禁止すると反発必至なので、とりあえず鳥葬台を全面修理するらしい。ジョカン寺の僧侶ニマツレンさんによると「霊魂は鳥によって天国に運ばれ、生命の輪廻(りんね)が始まる。肉体を施せば鳥は他の生物を殺さなくなる。仏教の教えからいっても鳥葬が一番いい」 そうだ。『霊魂は鳥によって天国に運ばれ』というのはなんだかなぁ?!と思いますが、最もエコロジカルではあると思います。ところが、チベット族が人口の2割を占める青海省で鳥葬に異変が起きているそうです。野生のハゲタカが遺体を食べなくなる現象が広がっているということ。『省民政庁は、暮らしの現代化に伴って、西洋の薬や残留農薬、食品添加物などを摂取する機会が増え、化学物質が遺体に蓄積しているためとみている。』.............これかなり恐いかも(;;)
2004年01月07日
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米の空港で外国人、入国者の写真と指紋の採取がはじまった。テレビのニュースでは日本の法務省も同様にこうしたシステムの導入を考えているそうだ。「テロに対する」というお題目は、着実に私たちの日常生活を住みにくくしていく。「テロから守ってもらう?!」かわりに、私たちが強いられるのは、一体何なのか? 片手で軍隊を動かし、片手で靖国に参拝することの先に見えるものは何か?ワイアードニュースが行った、われわれの生活全体に影響を与えそうな分野の専門家に「2004年に起きてほしいことと、実際に起きると思うことは?」という質問に対して、サイモン・デイビス氏(『プライバシー・インターナショナル』責任者)は次のように語っている。 「2004年には、すべての人たちに、市民の自由を守ることにもっと積極的になってほしいと望んでいる」 「実際に起きそうなのは、政府が、漠然としたイメージと現実に起きていることの境目をあいまいにしようという明確な意志をもって、今後も嘘をつき、世論を操作しつづけることだ。政府は、人の目を欺くのが非常にうまくなった。かろうじて保っている自由をさらに弱めようとし、当局の権限の及ぶ範囲を増やしつづけている。公権力側は、個人の権利とプライバシーの擁護を公言しながら、その実、なくしてしまおうと秘かに画策している。こうした風潮に怒りを感じることを、人々が学んでほしいと私は強く願っている」
2004年01月06日
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『塹壕のクリスマス』作詞作曲:ジョン・マカッチョン アラバマ州バーミンガムの舞台裏で、ある老婦人と交わした会話に触発されて作ったこの歌は、真実にもとづいているだけでなく、ヨーロッパでは広く知られた話です。***私の名はフランシス・トリヴァー、リバプールからやって来た2年前 学校を卒業したら戦争が待っていたベルギー、フランダース、ドイツへ そしてここへ私は 王と私の愛する国のために闘った塹壕のクリスマスは 霜に覆われひどい寒さ凍りついたフランスの大地はとても静かで誰もクリスマスの歌など歌っていなかったイギリスにいる僕らの家族たちは その日僕らのために祖国から遠く離れた、勇敢で素晴らしい若者たちのために乾杯をしていただろう糧食仲間と 冷たい岩の地面に横になっていたら戦闘地帯の反対側からおかしな音が聞こえてきた「ホラみんな、聞いてごらんよ!」と言ったら みんな聞き耳を立てたひとりの若いドイツ兵士が はっきりとした声で歌っていた「とっても上手に歌ってるね!」と仲間が言ったすぐに ドイツ人の声がどんどん唱和し始めて大砲の音も止み 煙も立ち消えたクリスマスが 戦争からの休息をもたらしてくれたのだ彼等が歌い終わると うやうやしい沈黙が流れケント出身の若者たちが 讃美歌『世の人忘るな』を歌い始めたその次は『スティル・ナクト』、つまり『きよしこの夜』だふたつの言語で歌われるその歌で 空が満たされた前線の歩哨が「誰かがこっちに来るぞ!」と叫んだみんなの目が 近づく人影に釘付けになった彼が勇敢にも丸腰で 夜の闇に歩き出したとき彼の掲げた休戦の旗が クリスマスの星のように平原に明るく輝いたじきに双方から一人、また一人と中間地帯へと歩み出し銃も銃剣もなしで 我々は手を取り合った隠していたブランデーを分け合い 共によかれと祈り照明弾の明かりの中でやったサッカーでは 彼等を打ち負かしてやった家族から遠く離れたこの息子や父親たちはチョコレートや煙草を交換し 家族の写真を見せ合った若いサンダースがアコーディオンを弾き 彼等はヴァイオリンを持っていたなんとふしぎで ありそうもないバンドだったことかやがて夜が明け 再びフランスはフランスに悲しい別れとともに 僕らはまた戦争へと戻り始めたしかし その驚くべき一夜を過ごした者たちの心には疑問がつきまとった「照準を合わせていたのは 一体誰の家族だったのだろうか」と塹壕のクリスマスは 霜に覆われひどい寒さでも 平和の歌が歌われた間 凍りついたフランスの大地は暖かかった戦争という名の元に我々を隔てていた壁は永遠に崩れ去り なくなっていたのだ私の名はフランシス・トリヴァー、リバプールに住んでいるあの第一次大戦のクリスマス以来 ずっと学び続けてきた「撃て」と命じる者たちは 死にもしないし傷つきもしないライフルの両サイドにいるのは 同じ人間なのだということをc1984 John McCutcheon/Appalsongs (ASCAP)"Christmas in the Trenches" words & music by John McCutcheonInspired by a back-stage conversation with an old woman in Birmingham, AL, this song tells a story that is not only true, but well-known throughout Europe. For some of the history behind the 1914 WWI Christmas Truce, http://history1900s.about.com/library/weekly/aa122100a.htm?once=true& My name is Francis Tolliver, I come from Liverpool, Two years ago the war was waiting for me after school. To Belgium and to Flanders to Germany to here I fought for King and country I love dear. ’Twas Christmas in the trenches where the frost so bitter hung, The frozen fields of France were still, no Christmas song was sung, Our families back in England were toasting us that day, Their brave and glorious lads so far away.I was lying with my messmate on the cold and rocky ground When across the lines of battle came a most peculiar sound Says I, "Now listen up, me boys!" each soldier strained to hear As one young German voice sang out so clear. "He’s singing bloody well, you know!" my partner says to me Soon one by one each German voice joined in in harmony The cannons rested silent, the gas clouds rolled no more As Christmas brought us respite from the war.As soon as they were finished and a reverent pause was spent "God Rest Ye Merry Gentlemen" struck up some lads from Kent The next they sang was "Stille Nacht," "Tis ’Silent Night’," says I And in two tongues one song filled up that sky. "There’s someone coming towards us!" the front line sentry cried All sights were fixed on one lone figure coming from their side His truce flag, like a Christmas star, shone on that plain so bright As he bravely strode unarmed into the night.Soon one by one on either side walked into No Man’s land With neither gun nor bayonet we met there hand to hand We shared some secret brandy and we wished each other well And in a flare-lit soccer game we gave ’em hell. We traded chocolates, cigarettes, and photographs from home These sons and fathers far away from families of their own Young Sanders played his squeeze box and they had a violin This curious and unlikely band of men.Soon daylight stole upon us and France was France once more With sad farewells we each began to settle back to war But the question haunted every heart that lived that wondrous night "Whose family have I fixed within my sights?" ’Twas Christmas in the trenches, where the frost so bitter hung The frozen fields of France were warmed as songs of peace were sung For the walls they’d kept between us to exact the work of war Had been crumbled and were gone for evermore.My name is Francis Tolliver, in Liverpool I dwell Each Christmas come since World War I I’ve learned its lessons well That the ones who call the shots won’t be among the dead and lame And on each end of the rifle we’re the same.ゥ1984 John McCutcheon/Appalsongs (ASCAP) 第一次世界大戦の最初の年だった1914年のクリスマスの日、ドイツ、イギリスとフランスの兵士たちは上官の命令に反抗し、西部前線の3分の2にわたって敵と親しく交わった。ドイツ兵たちは「メリー・クリスマス」「あなた、撃たない。私たち、撃たない」というメッセージをつけたクリスマス・ツリーを塹壕から掲げた。何千もの兵士たちが、腐りかかった死体の散乱する、どちらの陣地でもない最前線の無人地帯を渡って行ったのだ。 彼等は一緒にクリスマス・キャロルを歌い、家で待つ愛する者たちの写真を見せ合い、配給された食糧を分け合い、サッカーをやり、ブタの丸焼きまで一緒に作った。兵隊たちは、ホンの数時間前まで殺そうとしていた男たちと抱き合った。上官たちが敵を撃つように強制した場合には、上方を撃つようにして互いに警告しあおうという約束まで交わした。 双方の司令部は身震いした。これはとんでもないことだ! 兵士たちは敵と同胞関係を築き、闘うことを拒否しているのだ。両方の将軍たちは、この自然に発生した平和的行為は反逆行為であり、軍事裁判に値すると宣言した。 1915年の3月までに、敵兵との交友行為は根絶させられ、殺傷兵器がフルに稼動されるようになった。そして1918年の休戦合意までには千五百万人もが惨殺されることになったのだ。 このクリスマス休戦の話を知る人は少ない。軍の首脳たちは、わざわざこんな話を広めようとはしなかったからだ。*** 1988年のクリスマスの日、ボストン・グローブ紙は、地元のFM局がクリスマス休戦を歌った『塹壕のクリスマス』というバラードを何度か流し、それへの反響に驚いたという話を載せた。 その歌は、クリスマス休暇の間、ボストンのいくつかのFM局で最もリクエストされる歌となった。「リクエストの数以上に私が驚かされたのは、そのバラードをはじめて聴いたという人たちからの反応でした」と、あるラジオ番組のホストは語る。「とっても感動して電話してきて、ときには涙まで流しながら、『今聴いたあの歌は一体なんなの!?』って聞くんです。」 そうやって電話をかけてくる聴取者たちがどうして泣いてるのか、私にはよくわかる。クリスマス休戦の逸話は、人間について私たちが教え込まされたこととは正反対の話だからだ。それは私たちが、「こうあるといいのになぁ」と思う通りの世界を垣間見せてくれ、「これは本当にあったことなんだよ」と教えてくれる。テレビや新聞で語られる、「人生なんて卑劣でつまらないものだ」という概念を超えた、私たちが普段隠し去っている考えを思い出させてくれるのだ。それは、私たちの心の奥底に持っている願いこそが本当は真実なのだと聞かされることであり、世界は本当に変えられるということなのだ。デイヴィッド・G・ストラットマン著『世界は本当に変えられる-日々の暮らしの本当の意味』(ニュー・ディプロマシー・ブックス、1991)より引用。?
2004年01月05日
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ちょっと好きなお菓子です。中国茶なんかと一緒にいただいてもいいし、刻んでケーキに使ってもいいと思います。
2004年01月04日
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今、私が使っているギターは北アイルランドにある小さな工房でつくられたものです。大西洋と太平洋を超えて私のところへやってきました。上の写真がここのギターをデザインしたGeorge Lowden氏です。ちょっと丸っこい独特の形で、一見シンプルに見えますが、木をつかったパインディングなど、非常に美しく、随所に細かな工夫があるギターで、膨らみのある独特の音がします。私のところにやってきたのはシリアル・ナンバー9999。表はスプルースで、側面と裏はキルティッド・メープルという非常に美しい材でできています。私は主として、アイリッシュ・ダンス・チューンの伴奏に使うので、低い方からDADGADというチュー二ングで、まぁ、簡単に言うとコード+ベースみたいな感じでやってます。アコースティックギターは私の感覚では、開放弦がきれいになるのが好みなのと、短調でもなく長調でもないコードが、弾きやすいのでこのチューニングなのです。(きまりではありません。アイリッシュではよく使われます。)弦はElixerというメーカーのコーティングしてある、ちょっと高価な弦が長持ちするので、使っています。(結局安上がり!)この弦はすべりがよく弾きやすいのと、新品でも、ちょっとこもり気味な感じなのですが、ギターとは相性がいいようです。普段フラットピックを使って弾いてますが、本当は指弾きで真価を発揮しそうなギターです。
2004年01月03日
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つらいことも多い世の中ですが、煩うことなく 笑いにあふれているように 光とともに ポジティブに歩まれることをお祈りいたします。Sheel
2004年01月01日
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