ホンダT360公道復帰

ホンダT360公道復帰

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Comments

越前SR @ Re[1]:インターナショナル・ブガッティミーティング2025(11/26) New! やすじ2004さんへ こんばんは、この時期、…
やすじ2004 @ Re:インターナショナル・ブガッティミーティング2025(11/26) New! こんにちは!! 11月も残りわずか。季節の…
Tabitotetsukiti @ Re:シライハウス jazzBer(11/22) おはようございます🌞 ジャズを聞きながら…
越前SR @ Re[1]:シライハウス jazzBer(11/22) 情報ありがとうございます(AJ)さんへ こ…
情報ありがとうございます(AJ)@ Re:シライハウス jazzBer(11/22) 2025年末まで翌日が祭日の木曜日が無いよ…
越前・・@ @@@ Tabitotetsukitiさんへ こんにちは、こち…
Tabitotetsukiti @ Re:コッパデ東京 明日開催(11/22) こんにちは😃 明日は天気が良くなるといい…
越前SR @ Re[1]:バルケッタミーティングその3(11/20) やすじ2004さんへ こんばんは、そろそろ…
やすじ2004 @ Re:バルケッタミーティングその3(11/20) こんにちは!! 初冬の寒さに負けず工夫し…
越前SR @ Re:原付ミニカー全国大会 TVer(11/20) こんにちは、一気に寒くなりました。こち…

Category

カテゴリ未分類

(2486)

T360メンテナンス

(189)

T360のパーツ

(197)

T360歴史

(86)

他のT360情報

(145)

T360の資料

(95)

試作車・初期型・S360

(55)

T360・500の話題

(137)

本の紹介

(254)

旧車イベント2005まで

(119)

ホンダS(AS)

(50)

鈴鹿AHSM

(245)

AK講習会

(111)

走行記録

(11)

ベスパカー・アペ

(491)

フレンチトースト・ピクニック

(428)

クラシックカー

(19)

海外のAK

(3)

石油発動機

(563)

日本海クラシックカーーレビュー

(47)

旧車イベント2011~

(34)

旧車イベント2012~

(86)

旧車イベント2013~

(67)

アペ・ツーリング

(29)

ダイハツ・ソレックス

(15)

ダイハツソレックス

(8)

旅行

(42)

ラビット

(3)

ラビット Sー25

(28)

旧車イベント2007~

(38)

旧車イベント2006~

(24)

旧車イベント2010~

(53)

ゆめおーれ勝山

(1)

ゆめおーれ勝山・発動機

(23)

CB125JX

(19)

イベント2014~

(55)

越前国発動機愛好会

(87)

ベスパPX200

(26)

イベント2015~

(97)

イベント2016~

(83)

2016

(17)

水戸天狗党

(27)

イベント2017~

(47)

過去のブログ

(1)

北陸のイベント2017~

(60)

水戸天狗党ツーリング

(5)

発動機運転会2017~

(42)

北陸のイベント2018

(95)

発動機運転会2018~

(78)

イベント2018

(19)

発動機運転会 2019

(113)

イベント2019~

(61)

アぺミーティング

(10)

発動機運転会2020

(122)

イベント2020

(32)

ライブスチーム

(97)

石油発動機2021

(83)

イベント2021

(65)

ホンダノビオ

(80)

イベント2022

(167)

家庭用除雪機

(11)

釣り

(5)

探せ幻の絶版車NHK

(27)

イベント2023

(157)

発動機運転会2023

(70)

ラフェスタ・プリマヴェラ

(63)

ミゼットMP5レストア

(10)

イベント2024

(88)

発動機運転会2024

(61)
2004年01月14日
XML
大正11年、16歳の本田宗一郎は上京し自動車修理業「アート商会」に見習いとして入社したのは良くご存知のはず。

この時期、全国から小学校卒業後(16歳)上京し、自動車会社に見習いとして入社した青年は多い、特に福井県から上京した青年が多い。
福井に帰って自動車業を始め、前日日記の自動車草創期の聞き取り調査で思い出を残している。
これを読んでいると、本田宗一郎とダブル。大正11年東京に来て本田は自動車の多さに驚く。大正7年上京した本県の菱川氏はヤナセに入社、当時、東京でもタクシーは滅多に走っていなかったと書いている。ヤナセでの自動車修理は部品は何も無いので自作するだけ、パッキングも段ボールをハサミで切って作った。スプリングが折れても、自分で焼入れし作ったらしい。

この話で思い出すのは、本田宗一郎の神話に近い修理技術だ、レースの途中でスプリングが折れてリタイヤかと考えた時、社長がガスバーナーと墨(炭素)で修理したなどの話、若い時に何度も修理していたので過熱の炎で炭素含有量と強度が読めた。
これを見ていた若い社員が「神がかり」と思ったのも、うなずける。
当時の修理工は酸素バーナーと旋盤を使って部品を作った。

同時期、上京した福井の時松氏も自動車会社に見習いとして入り、大正11年、石川県知事公用車の運転手として月給100円で雇われる。当時の校長、警察署長が60円の月給の時、20前後の修理工が100円の月給だった。

運転できるだけで女性にはムチャクチャもてた時代だった。今のパイロット以上だったらし、本田宗一郎の時代がかった芸者遊びもこの時代の自動車関係者なら当然だったのかも。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2004年10月18日 20時14分02秒
コメントを書く
[T360・500の話題] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: