2013/04/21
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テーマ: 社交ダンス(8732)
カテゴリ: アートのはなし
<ルーベンス>

ルーベンスと言えば『フランダースの犬』にも出て来るベルギーのアントワープの画家ですが、 スペインのプラド にもたくさんの作品がありました。

入ってすぐに、まるで間違い探しをしろと言わんばかりに並んでいるそっくりな2枚の大きな絵があるんです。

1枚はティッツァーノ、もう一枚はルーベンス。二人の天才画家の描く『アダムとイブ』です。

アダムとイブ.jpg
『アダムとイブ』1628年 - 1629年


ルーベンスが生まれたのは1577年。若くして才能を見いだされた彼は推薦状を持って1600年から8年間イタリアへ留学しました。

ティツィアーノやラファエロの絵に大きな影響を受けたそうです。

イタリアから戻った彼は、アントワープに工房を開きます。





『東方三博士の礼拝』1609年は、停戦協定の記念として市の注文で描かれ市庁舎に飾られたものです。

東方三博士.jpg
『東方三博士の礼拝』1609年

イタリア帰りのルーベンスは多くの制作依頼を受ける有名画家になりました。宗教的にも生活習慣的にも王室や有力者たちの好みに合って、才能を遺憾なく発揮出来る後ろ盾が得られたんですね。

ルーベンスの作品がスペインに多くあるのは、当時のスペイン国王フェリペ4世がルーベンスの大ファンだったからなんです。

最初の妻イザベラが亡くなって4年後、53歳のルーベンスは16歳のエレーヌと結婚します。ちょっと太めの若妻がモデルになっていると言われる『三美神』1635年がありました。左の金髪の女性。


三美神.jpg
『三美神』1635年


この絵だけは生涯手元に置いていたそうですが、亡くなってから間もなくフィリペ4世のもとに渡ったとの事。

ルーベンスは非常に優秀な人で、画家としてだけでなく外交官としても大きな働きをしました。

7カ国語も話せたそうです。

スペインとネーデルランドの平和のために奔走し、スペインのフェリペ4世からもイングランド国王チャールズ1世からもナイトの爵位を受けています。



このころ日本も戦国時代。まだ交通網はそれほど充実している訳ではないでしょうから外交に飛び回っていて絵なんか描いてる時間あったんでしょうか。

ヤン・ブリューゲル とは友達でよく合作を描いてました。



スペインではベラスケスが友達で『一緒にイタリア旅行しよう』なんていう話しもあったそうです。

プラド美術館のルーベンスコレックションは数で言ったら世界一とガイドブックには書いてありました。

でも リヒテンシュタイン も3万点で英国王室に次ぐ世界最大級の個人コレくションと言ってましたから、生涯にいったいどれだけ作品を残したのか計り知れないものがありますね。



週末も大将は仕事で忙しかったので、私一人で行こうと目論んでいたんですが、 足痛い し48年ぶりとか言う大寒波到来で行く気を削がれ、残念ながら見逃してしまいました。

ご興味ある方、こちらの公式サイトに紹介の動画があります。

ルーベンス 栄光のアントワープ工房と原点のイタリア





<こちらも合わせてご覧下さい>
プラド美術館の思い出(1)

プラド美術館の思い出(2)





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Last updated  2013/04/22 12:59:18 PM
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