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おっとっと。今年も上半期終盤なので、たまにはここで近況報告しておかねば。と思います。前回の日記見たら、まだ息子さんの名前も決まっていないような状態だったのね韓国名、ヨンウに決まりました。(っていつの話?)「ヨン」は、使わなければいけない漢字だったので、(好きになれない漢字ではあるけど)仕方なく承諾。シアボジは「ヨンチョル」という名前をひたすら押していたのだけど、わたしたちが納得いかなかった。いかにも・・・という名前で。そこで、威力を発揮したコモ。「ヨンウ(ヨヌ)のが現代的よ」と押し捲り、「ヨヌ」に決定。やっと韓国名が決まり、韓国領事館に出生届をダンナが提出しに行ったら、領事館の人「どうして韓国籍ほしいんですか?男の子なのに。最近、お父さんが、息子が18歳になる前に韓国籍抜くの忘れて、韓国語がきちんと喋れず、愛国心もないのに、軍隊に送られるケースが増えてるんですけど、大丈夫ですか?後になって国籍を抜くなら、はじめから入れなくてもいいんじゃないんですか?」と言われ、「考えます」と返事したダンナ。そして半年。うちのヨヌ、韓国籍持ってません。日本&ホジュのみで、韓国名はどちらの国にも登録されてないので、韓国人であるダンナと、韓国人の友達、それから韓国にいる家族だけがこの名前で呼んでます。3カ国の名前で呼ばれてるから、自分の名前を自覚するのに、すごく時間がかかりそう。そんなヨヌも、生後そろそろ7ヶ月になろうとしてます。早産なので、修正5ヵ月半。でも、ちゃんとお座りもできるようになりました。離乳食もモリモリ食べて、夜もがっつり10時間くらい寝てくれて、とても扱いやすい子です。人見知り以外は・・・これはうちのDNAかしら。お姉ちゃんとそっくりです。未熟児で生まれた子は風邪が重症化しやすようで、よく風邪をひくし、なかなか治りません。わたしも風邪ひいて、咳が1ヶ月くらい引かなかったら、なんと、肋骨を疲労骨折してしまいました。なさけなーーーい。カルシウムが十分じゃなかったのかな?エナは、幼稚園ライフを楽しんでます。だいぶ活発になって、仲良しのお友達もできて。おませちゃん。ダンスを習ったり、日本語の教室に通ったりするのも大好き。お陰で日本語はかなり上達。ひらがなを勉強するのも好きみたい。英語も、ダンナが知らない単語を使うようになって、危機を感じてるみたい。韓国語は、うーん、いまいちかな。スカイプでハラボジ、ハルモ二と話すときも、日本語ばかりで、気がひけます・・・じゃなければ、知ってる韓国語をリピートばかり。ま、ダンナが話しかけてれば、そのうち喋り始めるでしょう。特に変わったこともなく、平凡に幸せな毎日が続いております。
May 26, 2009
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34週6日。10月29日。早産で生まれてしまいました。3週間前に破水してしまい、自然分娩を希望していたため、抗生物質を投与されながら陣痛を待ったのですが、1週間、8分間隔の陣痛からそれ以上進むこともなく、前回が帝王切開だったため、促進剤も使えず、結局帝王切開で、2.3キロの男の子を出産しました。2.3キロで生まれたわりには元気で、私が退院した1週間後の昨日、無事家に連れて帰ることができました。保育器に入り、チューブで授乳されるわが子を見て、長くお腹に入れておいてあげられなかったことを申し訳なく思ってみたりして、涙も流しましたが、本当に頑張ってくれたお陰で小児科のドクターも助産師もびっくりするほどの成長ぶりで、レコード破りの早い退院となりました。私の退院後は直接授乳や、搾乳した母乳を持っていくのに、1日に何度も病院に足を運び、疲れましたが、二人目だからか、帝王切開の傷の痛みからの回復も早く、おっぱいもよく出ます。ベビくんは、4時間おきに起きておっぱいを飲む以外はよく寝てくれて、楽チンです。今回の出産は、破水からの1週間、とても辛かったーーー。こんなに羊水がなくなって大丈夫?って思うほど破水し続けたのに、羊水は作られ続けるから大丈夫だと言われ、1週間、毎晩陣痛を経験し、骨盤が割れるかと思った!!1週間ほとんど睡眠もとれず、体力もなくなり、感染症の可能性が高まったのが帝王切開の原因にもなりました。でも、自然主義?のオーストラリアで、産科医療トップ、保育器開発の国での出産は、安心できました。ドクターや助産師さんたちに、本当に感謝です。2週間お留守番を強いられた娘にも感謝。そして、何より仕事を休んで、娘と私の世話に励み、家事全般をしてくれた夫に一番感謝です。ベビの韓国名が決まりません。シアボジに一任したら、田舎くさい名前ばかり。
November 13, 2008
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どうして、うちの子たちは早く出たがるのかしら?今回も随分早いうちから、お腹が張り始めたんだけど、33週。ついに切迫早産と言われました。一昨日の夕方から、5分間隔でお腹が張って、お腹も腰も押されるような痛み。あぁ、あの日の痛みに似てるなぁと思ったけど、我慢できる程度の痛みだったので我慢。なかなか寝付けずに、「入院のバッグ詰めたほうがいいかなぁ」「ガーゼ、まだ水通ししてないなぁ」「ベビーベッドもまだ出してないなぁ」色んなことを考えながら朝を迎えてしまった。だるーい午前中を過ごして、お昼頃にはまた5分間隔。病院に電話して、医師の指導を電話で待った。秘書に「身の回りの整頓をして、御主人に連絡とってからすぐに来てくださいね」と言われて、ドキドキ。でも、娘は幼稚園じゃなかったので、家にいた。仲良しの友達は一人は出産したばかり。もう一人は仕事。そして、もう一人は子供のお迎えがあるし・・・仕方ない、連れていこ。と飽きないように、おやつや塗り絵を持って病院に行った。待つこと1時間。眠かったのに、娘は全く愚図ることなくいてくれて、ホッ。すごく楽観的なお医者さんなのに、「何で、もっと早く来なかったんですか? まだ33週ですよ。」と厳しく言われ、診察。なんと、赤ちゃんの頭はもうすぐそこまで降りてきていたのでした。ただ、幸い、子宮口が閉じていたので、出産には至らなかっただけ。でも、このまま5分間隔の張りが続くと、いくら私の体が抵抗したって、子宮口が開いてきてしまうので、自宅で絶対安静を命じられてしまった。座っていても、重力で?赤ちゃんはおりてきてしまうかもしれないので、なるべくベッドにいましょう。とのこと。パソコンやってる場合じゃないんだけど、娘も幼稚園に行ったことだし、メールチェックのついでの更新。しかし、この国は、こんなときでも薬は鎮痛剤パナドールのみ。体にはそのほうが優しいんだろうか?料理もできないので、ダンナが家事。韓国料理ばかりの毎日になりそうな気配。そうすると娘が全然食べないので、それが大変。こんなとき、自分の実家が近かったら・・・と思ってしまうけど。自分の選んだ道だからしょうがないなぁ。家の中、ぐしゃぐしゃになりそう・・・目をつぶっておこう。
October 17, 2008
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通い始めた韓医院。逆子は10日かけて少しずつ治るはず。との先生の言葉を信じて、毎日ダンナにお灸をしてもらっていた。お灸を始めてから、すぐに足の冷えがなくなって、とってもいい感じだぁと思っていた。そしてぴったり10日後。胃のあたりでボコっと衝撃。ん?パンチかな?そして、やっぱり 膀胱のキックがない。数日後、検診の際、超音波で確認してもらうと、見事逆子が直っていたのでした。(*゜▽゜ノノ゛☆パチパチ娘も一生懸命お腹に向かって、「頭下だよー」なんて言ってくれてたし、みんなの意志が伝わって一件落着ー。のようなんだけど、相変わらずお腹が張りやすく、前回の帝王切開の傷も時々痛むような気がして。診察の結果、自然分娩か帝王切開かはぎりぎりで決めるとのこと。32週の現在お腹の張りは1日30回以上。お腹に痛みはないけど、不快だし、ちょっと息苦しいような感じ。足の付け根と恥骨が痛い痛い。一人目はそんなこと全然なかったんだけど・・・年のせいか? それとも二人目妊娠で体力消耗してるのか?お医者さんにもなるべく安静を指示されているので、車でばかり行動していて、体重も鰻上りー。妊娠前プラス7キロまで増えてしまって、既に目標体重越えそうです。ま、ここは日本じゃないので、体重管理にうるさくないのが救いですが、産後のダイエットが大変だな、こりゃ。私の逆子がなおったことで、周りの日本人の友達の間でも韓医院はやっちゃってます。出産は予定日よりかなり早くなるだろうと言われてるので、妊婦生活もあと1ヶ月ちょっと。楽しみたいけど、身が重くて楽しめないのが現実。そしてやることがいっぱい。出産前にクリスマスショッピングも済ませなくちゃいけないし、部屋も赤ちゃん用にしなくちゃいけないし、そろそろ入院バッグもつめなきゃね。今日は、あかちゃんの肌着を洗って干してみた。あかちゃんの小さな服が風にゆれてるのが、なんかいい。男の子も可愛いじゃないかーと思えてきたよ。
October 10, 2008
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韓国に住んでいた頃に行く勇気がなかった場所。「韓医院」。あのニオイといい、客層?いや、患者層といい、理科の実験室みたいな雰囲気といい、倦厭してた。今、近所に韓医院が3件ほどある。そのうち2件は韓国語の看板しかない。ひとつは売春宿?みたいな怪しげでピンクなお店のお隣。もうひとつは自宅を改造してやってるけど、電話番号すら書いてない。1件は小奇麗で、地元の白人も出入りしている様子が見えたため、なんとなく、その小奇麗な韓医院に興味があった。友人が妊娠後期に浮腫みがひどくて、産婦人科の先生に相談してみたけど、出産するまでは、仕方ないねーと言われただけで、日々むくみがひどくなっていったことに辛さを感じていた。浮腫みすぎて指もまげられなくて。そこで、私が産後お世話になったホバクムルを思い出した。美味しくもないカボチャ汁。産後浮腫みがひどかった私にシオモニとイモがどかんと2か月分買ってきた。だけど、効いたような気もするホバクムル。それで、友人と韓医院を訪ねていったのが始まり。英語が万が一通じないと困るからと、同行した。韓医院の先生、うちのダンナと同世代っぽい感じで、しかも顔が似てた。(女なのに)英語もとっても上手で何の問題もなし。友人は浮腫み解消のため、週に2回、鍼とお灸に通ってすっきりした様子。評判もよかったので、いつか行ってみようと思ったけど、別に行く理由もなく、時間は過ぎていった。が、今週の検診で逆子発覚。胎動の感じからして、わかってはいたけど、もどかしい。上の子も下の子も逆子とは、私に問題があるとしか思えない・・・・今回は自然分娩を希望していたため、噂の逆子お灸を試してみようと決心。ダンナに付き添ってもらって、ついに韓医院デビューした。すぐに相談に乗ってくれて、早速鍼とお灸。小指の爪の下に刺す鍼は、通常より痛いらしいんだけど、私にはOK。針の傷みには強いのだ。それからモグサでもんもんに焼かれた。実際火がつくわけじゃないけど、やっぱり熱い。そして、熱さには弱い私であった。ダンナに指導があり、自宅で毎日10日間お灸をしなくてはいけないことになった。しっかり教えてもらって、モグサスティック10本いりも頂いてきた。結果、まだ逆子ではあるけど、いつも足先の冷たい私が、靴下を脱ぎたいほどいつもぽかぽか。東洋医学的に冷えていると子宮が硬くなって、赤ちゃんが逆子になるということらしいので、ぽかぽかしているのはとっても良い兆候のような気がする。それから、子宮の下のあたりもホットパックで温めるといいといわれたので、湯たんぽ抱えて頑張ってる。東洋医学、あなどれない。産婦人科のドクターにもこの話をしたところ、逆子にお灸は効果ありと立証されているらしく、お勧めされた。チャイニーズ系のドクターなので、東洋医学にもすごく興味もあって、「名刺もらってきてください」と言っていたほど。ちょっと韓医院、私の中で流行ってしまいそうな気配。これで、逆子が治ったら、何かと理由を見つけて韓医院通いしてしまいそう。産後は腰痛を見てもらわなくちゃ!モグサのにおいも今じゃ心地よくなってきたー。でも、人によってはマリファナと間違えてしまうようなニオイだから、出かける前のシャワーは必須。ヒッピーな服なんて絶対着ちゃいけない、この10日間。
September 19, 2008
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日本に住む純日本人の子供もそうなんだろうか?とにかく、娘の日本語がおかしい。文法的にとか、そういうことじゃなく、表現がおかしい。これは、ダンナの日本語が変だからか、「おかあさーーん、早く脱いでー」**(/▽/)**な、なにを????「みかん」皮を「剥く」ことを、何度直しても脱ぐというダンナと娘。最近では、訂正するのが面倒になった。そして、私がものすごく娘をひどく叱って、しゃくりあげて泣いてる娘の反省の言葉。「ママ、ごめんなさい。パパとママと幸せにくらしましょ・・・ うぅ・・・・ ごめんなさーーーいぃ・・・・」すごく真剣に誤って、本気で泣いてる娘。血管切れそうなほど怒ってた私は、これを聞くと噴出しそうなほど可笑しくて、笑ってしまいそうになるのをこらえて肩が震える。どこから来たのか、この日本語。たぶん、何かの昔話からだと思われる。そして、前にハルモ二から送ってきた新しいブーツ。少し、足が大きくなったので、履けるかな?と思って娘に履かせたら、「おかあさん、このブーツ、まだ くまくまだよ。」って何のことかと思ったら、「ぶかぶかだよ」と言いたかったらしい。一文字もかぶってないんだけど(ーー;)それから、青空を見て、「パパ!!! 大変。嵐が来るよ!!」と言っていた娘。「嵐」という日本語を知らなかったダンナが私に「嵐って何?」私が「ポップンみたいなやつ」と発音の悪い韓国語で言ったら、思い切り日本語発音で「ポップコーン??」と聞き返すダンナ。「違う、ストームだって、ストーム」と向かいの家の屋根に来たのはからすだった。うちの周りじゃ、黄色いトサカがついた大型の白いオウムみたいな鳥とか、青とオレンジと緑のインコみたいな鳥とか、グレーとピンクの中型オウムみたいな色の鳥ばっかりだから、黒一色のカラスのが娘には珍しくて、興奮して言ったんだろう。確か、嵐と言う言葉は、「金太郎」を読んで覚えたはずなのに、すごい間違いをしたもんだ。
September 2, 2008
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明日は4家族合同バーベキュー&餃子パーティーをすることになっている。肉。コギ。ってことで、どうしても思考がバーベキューっていうか焼き肉になってしまう我が家。チェユッボックムを持っていくことにした。最近、私の体は辛いものばかり欲している。一人目妊娠時には韓国料理なんて食べたくもなかったのに、今回は赤いものを見るとなんだか異常に食欲が湧いてくる。それから餃子。韓国風の餃子は家では作ることはまずなく、ほとんど日本風だけど、今回は友達のリクエストにより韓国風餃子を作ることにした。シオモニのレシピを思い浮かべてみる。洗った酸っぱいキムチ、豆腐、豚ミンチ、時々トラジ。これがお正月のマンドゥクッに入る本家の餃子。でも、何年か前のお正月に時間がなくなり、急遽買ってきた餃子でマンドゥクッを作ったことがあった。家族、親戚ブーイング。「赤いキムチが入っている」そうだった。本家は平壌出身だから、餃子もビンデットックも北朝鮮風で辛くないんだった。赤いものが入った餃子は南風なのね。ってことを思い出したけど、既にキムチは洗ってしまったし、明日も幻の北朝鮮風餃子を出すことにしよう。日韓夫婦の家では、皆さんどんな餃子を食べてるんだろうー。ダンナと付き合い始めたばかりの頃、「私が北のスパイだったらどうする?」と言って本気で一瞬怖がっていたダンナを思い出した。でも、ダンナを拉致っても何のメリットもないよねー、今思えば。動きも鈍いし、国家の役に立ちそうにない。(゜m゜*)プッ
August 30, 2008
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小学生の作文みたいなタイトルの今日の日記。そのわけは、家賃高騰、物価上昇、教育費の値上がりでちと息苦しさを感じる我が家の「私たち、30年後、どこにいるだろうね?」という疑問から。一般市民の私たち。お給料はあまり上がらないのに、一ヶ月の家賃が一気に120ドルも上がった。韓国にいたら、1週間の食費は10万ウォンあれば十分以上だったと思うけど、ここじゃ100ドルで収めることは不可能。週200ドルの出費。それに高いガソリン代。それから娘の幼稚園、1日あたり68ドルから71ドルに値上がり。でも、ここに住んでる韓国人たちって本当にお金持ち。さっとビジネス始めたかと思えば、すぐに家買ったり。ホームローンの利子だってとっても高くて、今の御時勢、ローン返せなくて家を売ってる人が数え切れないくらいいると言うのに。というわけで、ついため息をついていたら、ダンナが「韓国帰る?」と聞いてくる始末。一瞬色々想像してみた。韓国に住んだら日本に頻繁に帰れる!とか、食事の支度したくなかったら、ペダルや外食できる!とか。それから、それから?後はあまり考えたくないことばかりだった。ので、「韓国には戻らない」と言って、「じゃ、日本行く?」とダンナに聞き返す私に、「絶対嫌だ」というダンナ。結局、私たちが住む場所はここ。だけど、30年後、私たちが60過ぎて70に近くなった頃、どこにいたら安心するのかな。ダンナは「韓国」、私は「日本」?でも、私はできれば、子供たちがいる国には住んでいたいなぁと思うから、やっぱりこの国なのかな。自分たちの親が年取って、助けを必要とするときが来たら、また考えちゃうんだろうなぁ。
August 29, 2008
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日本にも韓国にもいない私は、このもどかしい試合を見ることができない。オリンピック中継するテレビ局は2局だけ。主にオーストラリア選手が出ているものしか中継しない。でも、どうしても野球が見たくて、インターネットでずっと試合経過を追っているんだけど、あぁ・・・・ また日本は韓国に負けそうじゃないか。今日は、韓国食材店に行くのやめよ。ダンナが帰宅してくるのもなんか悔しい!でも、在韓日本人妻は、テレビつけたら「ウリナラ、ウリナラ」で鼻血が出そうなほどむかつくんだろうなぁと思う。その点、日本とオーストラリアが試合をしても、なるべくレポーターは中立な立場で放送しようとしているから、見てても、それほどイライラしない。サッカーでもなんでも、大きな試合になると、アパート中から奇声のあがる韓国はほんとに嫌だったもんな。それにしても、日本はいつも気持ちで韓国に負けてる気がする。技術では韓国より上だったりするのに。なんで、韓国に負けるのはこんなに悔しいのだろう。韓国人のダンナさんがいる日本人の友人が、「ここでは絶対韓国車は買わない。負けた気がして、嫌だ」と言ってて、そこまでのこだわりはなかった私だけど、なんか分かる気がしてきた。
August 22, 2008
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親になったんだなぁと思った。2歳10ヶ月。初めての個人面談。先生とお話。先生、まだ20代前半で、とってもかわいい。かわいいけど、しっかり者で、芯のある感じ。でも、適度にリラックスした感じが良い。そして、保育士として自信もある。ちょっとぽっちゃりして、キレイな長い金髪に、グレーの目。娘がなつくのも分かる。安心感がるのよね。2歳児として普通に成長している娘。英語でもコミュニケートしようと頑張っていて、先生の言ってることはきちんと理解している様子。少しずつ発語数も増えているのだそう。でも、受身で、自分から助けを求めることをしなくて、トイレも先生が「おしっこしようか?」と言うまでは行かない。とか、みんなで何かしようとしても、自分からしようとはしなくて、順番を待って最後のほうに先生が声をかけると行動したり、時にはただ見てるだけだったりするらしい。とっても日本人気質。日本だったら、別にいいんだけど、この国で生き抜いて行く以上、もっと積極的になってほしいなぁ。ダンナの血をもっと引いていてくれればいいのに、と思う。ランチの時間も、途中まで自分で食べるけど、甘えて最後のデザートを食べさせてくれと頼んだりしてる様子。そのほかの問題点は特にないとのことだけど、クレヨン、色鉛筆、筆、を持たせると、全部持ち方が違うらしい。クレヨンはただ握って、ぐしゃぐしゃお絵かき。色鉛筆は指を使ってきちんと持って、ママやパパの顔も描けるようになった。筆はその時の気分によって違う。来年からは少しずつアルファベットを書く練習もするから、お家でもきちんと鉛筆がもてる様に注意して見てあげてくださいといわれた。この国にしては、ずいぶんきちんと子供のこと見てくれてるし、指導もしてくれてる。やっぱり良い幼稚園を選んだなぁと思った。今はお教室の中が海の中みたいなデコになっている。貝やヒトデが飾られて、青いオーガンジーで窓を覆っていたり、お魚やイルカ、くじらの写真が壁に掛けられている。季節ごとに先生が考えて変えてくれているみたいで、その前はジャングル仕立てだった。子供部屋もこんな風にしてあげられたらいいなというイメージが湧いてきて、ステキ。とにかく、女の子のお友達もできて、週2日、楽しく通っているようだし、色んなこと吸収してきてくれて本当によかった。二人目も同じ幼稚園に通わせてあげたいな。そんな感じで平和に個人面談は終わったのでした。
August 12, 2008
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どこに連れて行っても、「おとなしくて、聞き分けがよくてお利口さんね。」と言われていた娘が、それはそれは、家では大変な暴れようだ。保育園に行き始めてから、男の子のまねをよくするようになり、ソファーからジャンプしたり、階段から飛び降りたり、なんか汚い話をしてみたり。まさに「子供」という感じ。それならまだいいが、最近、全く小さいことにこだわって、大きな声で喚き散らしたり、愚図ったり、夜になると、警察でも呼ばれそうなほど大きな声で泣いたり。今まで、夜8時になれば、ベッドに入って本を読んで自分で寝ていた子が、毎晩泣き叫び、夜中もギャーギャー泣いて起きるようになった。ダメと言われることは特にやってみたい年頃なのか?今まで、食事もおとなしく座ってもぐもぐ食べてたのに、途中で立ってどっか行ってしまうこともあるし、牛乳飲みたくないと、わざとこぼしたりしたこともあって、私の怒りの琴線に触れまくり。ダンナが帰ってくると、さらにエスカレート。体当たりでふざけてる。それで、ダンナは「いい加減にしろ」と怒って、娘は泣く。それの繰り返し。また、韓国人だから声がでかい。もっと静かに言えばいいのに・・・・私も感情的になって、怒鳴ってしまうこともあるけど、とにかく静かに、大きな声を出さず、まずは娘の話を聞くようにしてる。とはいえ、ほんとにこれは難しいチャレンジ。私が妊娠していることは、娘は理解していて、お腹に話しかけたり、なでたり、お腹の上に乗ってくることはない。そういうところで聞き分けが言い分、違うところでしわ寄せが来てるのかな?外では絶対に悪さはしないのが、これまた不思議。幼稚園では相変わらず、大人しい女の子キャラらしい。とにかく、赤ちゃん返りのような状態が続くこの1ヶ月。その上、家族全員ひどい風邪をひいて、咳がひどく、この2週間は寝不足。ということで、私のストレス&疲労はかなりのもの。赤ちゃんの胎動で起こされることも出てきたし。これはただ、嵐が過ぎるのをじっと待つしかないのかな。親としても、成長しなくちゃいけない時期なのかもしれない。でも、子供らしさが出てきた分、覚えたての英語の歌を一生懸命歌ってたりするのがかわいい。韓国語にも興味が出てきて、韓国のバラエティ番組「一泊二日」なんて大好きだ。いつも、その番組が始まると、真似してる。もともと、あまり人前では、ハシャガない子供だったから、ちょっとは人並みになったかも。さて、お腹の子の性別ですが・・・・やっぱり男の子でした。周りには女の子だと言われてたけど、私は男の子な感じがしていて、予感的中。正直、少しがっかりだったけど・・・がっかりしている暇もないほど、韓国サイドは祝賀ムードで、色んな人から「おめでとう」の国際電話をもらった。娘の時はそんなこと言われなかったのに、やっぱり男の子が嬉しいのね。これで、韓国親戚軍団からは「次は男」と言われなくてもいいし、そういうプレッシャーから逃れられるってことで、これでよかったんだと思うようになった。名前は考え中。ファーストネーム英語で、ミドルネームは純日本風にいくつもり。娘も女の子がよかったようで、しかも、勝手に妹の名前を「ニコラ」と命名してたので、ピンクの服じゃない・・・とがっかりしてたけど、今は、おもちゃのカタログを見ては、「この電車、弟に買ってあげる」なんて言っている。ダンナはそれなりに嬉しそう。男の子のがどうやって遊んであげればいいか、分かるし、友達の子(男の子)ともよく遊んでいるので、きっと既に実感が湧いているんだろうな。ということで、娘の反抗期が早く終了して、お腹の子が元気で生まれてきてくれることを祈るばかりです。
July 29, 2008
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これまた、久しぶりの日記。やっぱり長年使い慣れているせいか、楽天のが使いやすい。ということで、ぼちぼち更新です。この数ヶ月何をしていたかというと、のんびり仕事しながら、育児して、よく寝てました。そして、吐いてました。はい、ただいま妊娠5ヶ月。16週。今日からやっと安定期。数日前までは、まだ嘔吐してましたが、昨日、今日と絶好調。ということで、つわりが終わったと思いたい!娘は今月から幼稚園に週2日、行き始め、朝はメソメソしてしまうものの、一日中楽しく過ごしている様で、やっと自分の時間ができたーという感じ。基本的には日本語を普通に話す娘ですが、幼稚園から帰ってくると、英語ばかり話すので、最近、絶対に英語の質問には答えないくらい、日本語徹底中。変に英語で対応すると、2歳の小娘に「マンダリン」の発音を直されたりして、癪なのもあり(汗)単語ですら、日本語だけにしたい私。何はともあれ、第二子が生まれる頃には娘は3歳2ヶ月。今よりずっと聞き分けがよくなってくれてるんじゃないかと期待してる。最近では、トイレも一人で行けるようになったし、洋服もだいぶ上手に脱ぎ着できるようになった上、さすがに2歳半をすぎているので、お腹に赤ちゃんがいることもちゃんと分かっていて、抱っこをせがんだりってこともほとんどないので、このくらい年を離してよかったかなと思う。でも、子供にしてみれば、もうちょっと年が近いほうが楽しく遊べるのかな。お腹の赤ちゃんの性別はまだ分からないけど、3週間後の超音波で判明する予定。こっちでは18週~20週の超音波スキャンで、ほとんど性別が分かってしまうらしい。超音波にかける時間は最長3時間と、予約した時に言われたほど、綿密にやる。この前、ダウン症の検査を12週でした時も、赤ちゃんが途中で寝てしまったので、「チョコレートを食べて散歩してきて」と言われた。つわりでチョコレートなんて絶対食べたくなかったので、フルーツを食べて、散歩。その超音波スキャンも1時間半かけた。妊婦にチョコレート食えなんて、さすがオージーだ。実は私も娘も第二子も女の子がほしい。幼いうちは、どちらでもいいかもしれないけど、大人になって、年とって、ちょっとさびしくなったころ、同性の姉妹のほうが心強いし、楽しいだろうなぁと思ったり。ダンナは相変わらず「どっちでもいい」そうです。でも、彼も私もやっぱり女の子の名前しか考え付かないー。男の子だったら、今回は英語名にしてしまうかも。国籍もオーストラリアだし、日韓共通の男の子の名前ってなかなかない。子供はよく、お腹の赤ちゃんの性別を当てるというので、娘を含め、友達の子にも「男の子?女の子?どっち?」と聞くけど、全員一致で「女の子」。でも、それって、ただの希望っぽい。女の子、女の子といわれると、男の子が生まれるような気がするので、心の準備しておかなくちゃ。予定日は12月4日です。今回は水中分娩できるでしょーか。楽しみです。
June 19, 2008
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明けましておめでとうございます!日記を更新しないまま、2008年を迎えてしまいました。ポリリン一家、皆元気です。娘が2歳になる前に、日本へ2ヶ月行き、たくさん遊んできました。娘も日本大好き!!!になってくれて私も嬉しいです。日本にいた2ヶ月で日本語がとても上達し、今では普通に文で話すようになりました。そして、豪州に戻ってから朗報が!第二子妊娠!! ではなくて・・・・出版社から連絡があり、私が書いたエッセイが書籍化されることになりました。それに引き続き、他の会社からもお仕事をいただくことができました。とてもいい形で2007年を締めくくれると思ったのですが、12月初旬からシオモニ、ヒョンニム、チョッカの3人が来ています。この狭い家にー。ヒョンニムは元々チョッカを連れて3ヶ月滞在する予定になっていて、私もそれは了承したのですが、シオモニまでもが旧正月が嫌だからという理由で来ることになり、そしてその滞在も3ヶ月だと来てから言われ、毎日、脳の血管が切れそうなほどイライラしている私です。クリスマスも年末もイライラ、ムカムカ。「笑う角には福来る!」とは思っても、日本人の私の常識ではあり得ないことが日々起こり続け、プチ家出を繰り返すミョヌリ。でも、娘は置いていけませーん。どうしてもシオモニを信頼できないので、どんな時も娘を連れて出かけてます。毎日、家にいたくないので、出っ放しー。そして迎えた2008年。娘はPreschoolに行き始めました。なんと2歳の誕生日を迎えると同時に、たった2日でオムツがはずれた娘。Preschoolの準備も万端。だったはずだけど・・・・ やっぱり人見知りなので、毎回号泣です。私の足にしがみついて泣いて、先生にメリメリメリ~~~とはがされて、私は置いてくるという感じ。泣くわりには「がっこう、おべんとー もって いくー」と毎回言うので、楽しんでいるのかも??Preschoolから帰ってくると、「学校ごっこ」を始めます。椅子に座り、みんなを床の上に座らせ、本を読む真似をしたりして。そんなこんなで英語も少しずつ話すようになったし、韓国からの滞在者のおかげで?韓国語もかなり話すようになりました。子供ってすごいなぁと思います。きちんと3ヶ国語使い分けてます。私には絶対韓国語で話しかけず、日本語と英語のみ。ダンナの家族には韓国語と英語。とはいえ、2歳。反抗期真っ盛りです。「やだ」「No!」「アニャー!」家の中にそんな言葉が響いてます。私はそろそろ二人目がほしいけど、こんな状況ではできませーん。みんなが帰ってくれないとねー(;一一) また近況報告します!
January 11, 2008
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生きてます。そろそろ日記のひとつでも更新しておかないと消えていってしまいそう。娘は今月末で2歳。そして再来週からいよいよ2ヶ月間のお里帰り。韓国には予算上行けそうにありませんー。2年後、シアボジの古希がやってくるらしく、長男であるうちのダンナがそのお祝いをしなければならないとのこと。これが結婚式並みというから、何千万ウォンのお金が必要なんだと。そんなお金ないんですけど・・・・どうすれば?ヒョンニムたちも出してくれるとはいえ、そのための貯蓄をしておくように最近言われ、ますます韓国に遊びに行くのは面倒。そして娘は2週間前、インフルエンザにかかり、治ったと思ったら昨日からウィルス性胃腸炎。ついでに私も昨日はトイレ通いに時間を費やしました。今日もすごく辛そう。来週は準備で忙しいというのに。でも、先週1週間はすごく元気だったので、日本に帰る前にと思い、お誕生日会をしました。うちでは最近、バースデーケーキの注文をよくもらいます。そのたびに、娘はそれが自分の分じゃないということが悲しくてよく泣いていて、ちょっと可哀想だった。そこでダンナが頑張って3段ケーキを作りました。 久しぶりに日記を書いたら、写真の登録方法とか変わってて、よく分からないなぁ。。。娘がピンク好きということもあって、少しだけ食紅を入れたんだけど、中途半端すぎてオレンジみたいな色になり、すごく安っぽくなったことを二人で後悔。お誕生日会は近くの公園でピクニックを兼ねてやりました。予報は雨だったけれど、晴れてくれてラッキー。いつも娘と遊んでくれている近所のお友達だけを招待してこじんまりと平日にパーティーとなりました。朝から大はしゃぎで羽をつけてます。 家に帰ってきてからは、もらったプレゼントに大興奮。 とても楽しい一日だったようです。友達にも良いパーティーだったと言って貰えたのでよかった~。もうすぐ2歳になる娘。スタートダッシュはよかったのだけど、最近言葉の方ではそれほどの進歩も見られず、まだ簡単な2語文を日本語で話すのみ。だけど理解力と記憶力はどんどん高まっているのが見える。突然先週のことを話し出したり、誕生日のことを話していたら「ハッピーバースデートゥーユー」と歌い出したり。(そんなはっきりとした発音では歌えないけど)そしてここ最近、なんとか韓国語への拒否反応も和らぎ、コモにだけ「アンニョン」と言うようになったし、韓国食材店に行くと「アンニョン」とつぶやく。ところが、彼女の独り言は日本語と英語。お店屋さんごっこみたいなことをしていると英語で”Hello” ”Thank you” ”Bye”を繰り返してるし、お人形で遊んでいれば、「ご飯食べる?」とか「行って来ます。ばいばーい」とか言ってる。子供が状況で言語を覚えるというのは本当だ。新聞を見て、韓国語の新聞は「パパの」日本語は「ママの」英語は「ハロー」(人名ではないが)分かっている。だけど、韓国語をダンナが言ってもリピートすることは全くない。私がハルモ二に電話させようとするとき、一生懸命リピートを促すとするかどうかという程度でやはり他の言語に比べると反応は薄い。言葉の発達はそれほど顕著でないけど、お箸でご飯やおかずを上手に食べるようになって、スプーンやフォークを出すと「いらない」と怒るようになったり、服もだいぶ一人で着替えられるようになった。ボタンはさすがに私が閉めるけど。悪いことをしたら、「ごめんね」とちゃんと言える様になったし、お友達が泣いていると「どうしたの?」と心配したり、人間らしく成長していることを感じる。娘が悪いことをして私が説教すると「分かった。バンってしない。わかったーー、ごめんね。ダメだね。バンしたら」みたいなことを一生懸命自分で言って反省する様子すら見えて健気だ。自己主張もますます激しくなって、毎日好きな服を自分で選ばないと大泣きするし、自分の好きなピンをつけて、髪の毛も「け(毛)、ピョンピョンってして」と二つに分けて結ぶように注文すら受ける。そして自分のピンを入れている箱と櫛を持って座る。1歳までは体の成長が見えて嬉しかったけど、1歳から2歳の間には知能の面での成長がたくさん見えて嬉しかった。2ヶ月間、日本にいたらもっと色んな日本語を覚えてくれるかなと期待中。
September 8, 2007
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日記も書き始めると書いてしまうのに、さぼると月単位でご無沙汰してしまうものですねぇ。ただいま、豪州は日本でいうところの確定申告の時期。この国ではみんな個人で申告しなければならない。で、今年は我が家が永住権取得後、初めての確定申告。移民後最初の確定申告では払った税金のほとんどが戻ってくるといううわさもあることから、(期待はしていないが)今回の申告は紹介してもらった税理士さんにお願いすることにした。それで、今まで取っておいた領収書をまとめる作業を「明日までにして」と言われたもんだから私は大忙し。捨てた領収書もあるものの、その量の多さ。辞書並みだ。その中から絶対にタックスリターンしてもらえるシェフ用の靴、バッグなど仕事に関係があるものを抜き出したりしているとものすごい時間がかかる。二人でやればいいはずなのに、この3週間「具合悪い」ばかり言うダンナ。確かに咳きもしてるし、風邪はひいている様子。だけど、横で「アイゴー」連発されたりため息つかれたりされるとちょっとうんざり。男なら黙っとけ!!!!と言いたくなる。それで、領収書の片付けもあまり手伝わず・・・なのに、キッチンでなぜかピクルスを作っている。これは「オンマ」が最近電話で美味しいと言っていた醤油入りピクルスだ。レシピを受け取りそれを早速作る息子。こういう親子関係ってどうなの?具合悪いのに、何でそんなことを。そして後片付けだけを私に残す。私は翌日持ち寄りランチ会があって、それも家で催されることになってたので、掃除もしたかったし、料理の下ごしらえもしなくちゃいけなくて、大忙し。結局午前1時までノンストップで働いた。ダンナは「具合悪い」と早々に寝床へ。何だろう。生理前だからか??? やたらとこの「アイゴー」とため息と「具合悪い」にイライラしてしまう自分。だって、私が風邪ひいて咳きしてたって、しなくちゃいけない仕事はするし、いちいち具合が悪いことを主張したりしない。甘えんな~って言いたくなる。だから嫌みったらしく、「そんな具合悪いなら病院入って来なよ。結核だったらどうするの?」と言ってみたけど、「行かない」そうだ。やれやれ。困ったおっちゃんだ。というより、甘えん坊の末っ子根性丸出し?「コムタン食べる」ってそのコムタン誰が作るん?まぁたまにはそういうものもいいかと肉を買いに韓国食材店に行き、「コムタンにはカッドゥギ(カクテキ)だろ」という言葉に今は冬で大根も美味しいし、たまにはいいだろうと大根を買いに行く。おっと、白菜もいいのが出てるね。と一人でプチキムジャン。私って良い嫁してる!と自己満足。でも、やっぱり「アイゴー」にはイライラ。「風邪ひいてるならお酒はダメだね。」と嫌味を言いながら、私一人ワインをあけて飲む。その量が「1杯」からどんどん増えて・・・油に水を注ぎ、水に油を注ぎ・・・私は絶対に年下の男の子と付き合える性質ではないから、(男に寛容ではない)オッパであるダンナに甘えられても限界があるのだということを分かってくれ。
July 10, 2007
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今日は七夕。シドニーの空にはちょっと雲がかかっているよう。昨日は、お友達の家で持ち寄りランチだったので、星型のサーモン&アボカドのお寿司を持って行ったけど、それ以外我が家では変わった様子もない。本当なら七夕のお話でも娘にすればよかったんだろうけど・・・来年はユーカリの木に短冊でも下げてやろう。最近、娘に振り回されて、日記を書く暇もなかった。何せ、2歳を前に昼寝ってものを全くしなくなってしまった。朝起きて、朝ごはんを済ませると毎日、化粧をして自動的に外出。(私はしないが、娘はする)お昼は外だったり、家だったりだけど、基本的に公園でピクニックをするのがお気に入りなので、家に戻ろうとすると泣いて抵抗。「あっちいこ!あっち!」。お昼の後はお絵かきやおままごとをしたかと思えば、1時半から2時になると、コートを着て(寒いんですよ)「いこっ」と強引に出かける準備。靴を隠してみたら、「くつない。くつ~どこ~??」と半泣き。しまいにはお父さんのビーサンで出かけようとする。どこに行けばよいんだろうと考えながら私も準備。だいたい公園へ行く。私のほうが疲れる。帰りたくなさそうにしていても私に限界が来て、無理やりベビーカーに乗せるか、食べ物で釣って歩いて帰宅。しかし、家の前で再び抵抗。「あっち、あっち」とショッピングセンターの方を指差しそちらへ向かう。花を見つければ、そのたびに立ち止まり、鳥が鳴けば話しかけ、いつもいるはずの猫がいなければ名前を呼び続け、初めて見るものには「な~に?これ な~に?」攻撃。時間がかかる!ショッピングセンターに到着すると、「わんわんみるの。さかな シューシュー(泳ぐ音らしい)あ、ねこいた!」とペットショップへ強制連行。そこでねばる、ねばる。犬にひたすら話しかけること数十分。無理やり抱っこしてその場を離れると、「かわいいのみる」とどこかへ向かう。今度は衣料品のある大型スーパー。そこで片っ端から自分に合わせ、「これ、どう? かーぁーいい~(可愛い)」をやり続ける。またそこで数十分。抱き上げてその場を離れる。泣き叫ぶ子をベビーカーに乗せ、無理やりベルトを締めて帰宅。家に着く頃には日も暮れる。ものすごい体力だ。それでも寝るのは8時か8時半。スクールホリデーに入ってから毎日こんな感じ。この体力は韓国のおばあちゃん譲りとしか思えない。夜になっても日記を書く気力もないほど疲れてしまう私。1ヶ月ぶりの更新。なわけだ。
July 7, 2007
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しつこい様だが、娘が2歳になる前に私は日本へ遊びに帰ることを決めている。韓国にいたら、もうちょっと高い頻度で実家へ帰っているだろうけど、ここにいると、9時間のフライト&航空券の料金&労力を考えてしまい、せいぜい1年に一回、いや2、3年に一回の帰国になってしまいそうだ。で、問題の飛行機なんだが・・・ちょっと安くなる9月20日前でも大人一人と乳児一人、TAX入れると1700ドル(約17万円)なり。それが、関空へ飛ぶと、ジェットスターというカンタスの子会社で格安を売りにしている会社が直行便を出しているため(行きはケアンズで乗り継ぎがあるらしい)TAXを入れても大人一人と乳児一人TAX込みで600ドルくらい。実家が関西の人、うらやましい~。私も関空経由で東京に向かうことを考えたが、関空に着くのが夜10時。それから国内移動は無理なので、伯母の家かホテルに泊まってから新幹線で翌日横浜に向かうと、結局飛行機代が安くても、なんだかんだ同じような金額になってしまうし、慣れていない関西の地をこの小娘を連れ歩く労力を考えると2,3万多く払っても、直行便のほうが楽だと思ってしまう。ところが、だ。ソウル経由で東京へ行くということを考慮に入れていなかった。アシアナのマイレージをまだ持っている私たちは、エコノミークラスをビジネスクラスにアップグレードできる。まだ1席確保できない娘と二人エコノミーの座席で行くよりビジネスで行ったほうが当然楽。ちょっとした親孝行を兼ねて、孫の顔を見せにソウルに寄るっていうのもひとつの考えじゃないか。ダンナ抜きでシデクに泊まるのは少々苦ではあるが、昼間は買い物したり、会いたい人に会いに行って、夜の食事くらい家に帰って一緒にする。うんうん、そうしよう。早速カレンダーを見て・・・・・「やっぱりやめた」あはは。ちょうどチュソク(お盆みたいなもの)だった!!!そんな時にわざわざソウルに行くなんて自爆行為そのもの。私はそんなできた嫁ではない。ギリギリずらせるか?旅行会社につとめいる友人のご主人に聞いてみたら、幸か不幸かシドニーからソウルの便は28日まで満席♪アシアナには若干の空席がまだ残っているらしいんだけど、何泊もストップオーバーとなると軽く2000ドルを越えてしまうので・・・やっぱりなしかな。とは言え、会いたい楽天のお友達もいるし、食べたいものもあるし(カンジャンケジャン♪)、行きたいところもあるし、と頭の中で考えてたらやっぱりちょっと楽しかったので、ほんの少し残念な気もする。来月あたりに予約をするつもりだけど、その時にアシアナの空席があったら、そうするかもしれない~。シデクが嫌でもエナはお誕生日が近いから、ハルモ二やハラボジやコモにプレゼントももらえるだろうし、私が「バイト」だと思えば、何のその。チャンソリは聞き流すべし。話は急に変わるけど、エナはアトピーがあるようで、この前ひざの裏に赤い湿疹がいっぱいできて、病院へ行ったら私が幼い頃そうだったようなアトピー性皮膚炎だと言われた。冬の乾燥から来るものだからひどくはないけど、すごく痒そう。足とお腹だけで、今のところ見えるところには出てないからいいけど、こういうことも同居じゃなくてよかったと思う。同居だったら、何言われるか、何されるか分かりません。私の気管支喘息がエナに遺伝していないといいんだけど・・・今はモイスチャライズしてあげて、ひどく痒がる時だけ、ほんのちょっとステロイドが入ってるクリームを塗ってます。
June 4, 2007
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アメリカの首都はどこでしょう?と聞かれて、思わず「ニューヨーク!!」と答えるほど馬鹿じゃないわよ。と思っていても、オーストラリアの首都は「シドニー」と答えてしまう人いませんか?私は中学校の頃から地理が好きで、数学赤点クラスで下から何番目取っても、地理はクラスで一番!なほどでした。物事もう少しバランスよくできたら、人生楽に生きれるのに・・・ε- ( ̄、 ̄A) フゥーというわけで、家族3人、首都「キャンベラ」に行ってきました。オーストラリアの首都は「キャンベラ」ですよ。よろしいですか?4泊5日の旅。在豪の人に言わせれば、キャンベラにそんな長く行ってどうすんの??って話。今回の我が家の目的は「のんびり」。私の親友がキャンベラに住んでいるので、のんびり美味しいものご馳走になって帰ってくる!キャンベラを訪れたのは7年ぶりくらい。うちはシドニー北部なので、車でノンストップ3時間半の道のり。約300キロ南にあります。でも、子連れ&犬連れなので、ノンストップで行くわけにもいかず、まずはまりを犬の寄宿舎??に預けて、それから高速道路のサービスステーションで気分転換をさせて・・・とやってたらちょうど家を出てから4時間半くらいかかりました。高速道路ではウォンバットやカンガルーの死体を目撃。ワラビー、ポッサムくらいなら、たまにうちの方でも死んでいるのをみるけど、私くらい大きいカンガルーが道で死んでるとやっぱりびびる。カンガルーと接触事故起こすとかなり危険なのも分かります。キャンベラはすっかり「秋」。雰囲気もやっぱりシドニーとは違う。友達の家の前にはどんぐりが落ちていて、 エナは新しいボキャブラリー「どんぐり」を習得。「どんどん」と言っているようにしか聞こえないが・・・( ̄ー ̄; 枯葉の中をカサカサと歩くのが楽しいようで、 木の陰に隠れて「いないいないばあ」中。朝の気温は5度なのに、日中25度近く上がったので、脱ぎ着せも大変だし、自分もどうしてよいのか分からない状態の秋のキャンベラ。さすが盆地。翌日はキャンベラ北部のハウステンボスっぽい庭園に行って、 ピクニック。エナは自分の好きな場所でしか写真を撮らせません。いい場所を見つけると「撮って」と言うんだけど、こういう子供って普通なの?最近、すしロール大好きな娘。こっちでは太巻きサイズの海苔巻きに、和のものも洋のものも入っているカリフォルニアロールみたいななのがどこでもメジャーで、エナはそのすしロールの「サーモン&アボカドロール」が大好物だ。余裕で一本食べる。サーモンの刺身を見ると「にんじん」と言ってかぶりつく。オレンジ色のものは全て「にんじん」らしい。翌日は友人宅の近所のルックアウトに行って、カフェでお茶を飲んだり、美味しいピザを食べたり、マーケットに行ったり。この日からキャンベラの寒さが厳しくなった。 エナが鼻水を出し始め、友達の子(10ヶ月)は発熱。さらに次の日は最高気温が13度で雨。ほんとに寒い、キャンベラ。そりゃ、韓国の冬に比べれば屁の河童だけど・・・友達の子も体調を崩したので、この日は私たちだけで触れる科学博物館のようなところへ行ってきた。Questconと言う場所で、大人も楽しめる。赤ちゃん&子供が遊べる施設が充実していてうれしい。エナは師匠(パパ)の指導の下、パン屋ごっこが楽しかったみたい。 エプロンまでしてノリノリ♪で遊んでました。子連れじゃなければ、国立美術館にも行きたかったけど、今回はパス。またエナが大きくなったら一緒にそういうところにも行きたい。毎日たくさん遊んで、キャンベラの雰囲気も満喫。ダンナは「キャンベラ引っ越す?」なんて言う位気に入ってしまった。春夏秋冬がきっちりあるってやっぱり良いよねぇって話していたけど、その日の夜、餃子を作ると決めた友達と「にら」と「餃子の皮」を求めて買い物に行き、中国の「餃子の皮」はゲットできたものの、韓国食材店でも「にら」を買えなくて、しかもそこのアジュマに軽く「そんなものないでしょ」と感じ悪く言われた時点で、キャンベラ移住計画はなし~!!翌日潔く家路についた。が、Hume HWYというシドニー⇔キャンベラ間を結ぶ高速道路で大事故発生。高速道路閉鎖していたので、その大渋滞に巻き込まれて、6時間かけて帰宅。さすがにエナも愚図り、私は彼女のご機嫌取りと迂回して道に迷ったので地図を見ながらイライラするダンナをなだめ、みんなクタクタだった・・・家に帰って夕方のニュースを見たら、ゴルフボールかなんかを運搬している大きなトラックが原因不明の炎上を起こしていたらしい。有毒ガスも出てるかもってことで、高速道路を一時的に閉鎖したらしい。だけど、大きな町に出るまでは迂回もできず、出口付近で大渋滞。イライラしたドライバー同士がまたお釜ほったりして、事故。どうりで時間もかかったわけだ。今日から我が家は普通の生活に戻った。でも、シドニーも寒い!今日は最高気温が17度。冬も近いわ~~~。
May 22, 2007
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もうすぐ母の日。今日は近くの図書館の読み聞かせに行ったらクラフトが母の日のカード作りだった。何も分かってはいないだろう娘はカードに落書きをいっぱいして楽しそうだった。飽きた後、「どーじょ」とそのカードをくれたので、初めての母の日のプレゼントとしておくわ。ハッ!(゜o゜ ) 今日は、韓国、オボイナルではありません??何もしてない! 安否電話もしてない! まっ。嫌なことはとりあえず置いといて。。。先日、ダンナと娘を置いて、友達と新しく出来た小洒落た和風焼き肉レストランに行った。夜お出かけっていうのはそれだけで開放感を味わえる。一応、「和風」なんだけれど、経営者は多分チャイニーズ。働いている人は日本人も韓国人も中国人もいたかな。何しろそこには美味しい「和牛」がある!雰囲気も落ち着いている。「焼き肉や」という油っこいイメージをちょっと逸脱している。前菜はナスとほたてとロブスターのタルタル。それから和牛のたたき風サラダをオーダー。メインはいちばんお高いお肉を注文してみた。美しい霜降り~~~。七輪で表面だけを焼いて食べた。口の中でとろけるような食感と甘さ。ごめん!ダンナくん&エナよ。と思いながら、友達とそのお肉を堪能。シドニーで今まで食べた肉の中ではダントツ美味しかった。いや、日本で食べた肉と比べたって、ランキング3位には入る!霜降りだから、少し食べればもうそれで満足。韓国人のダンナとガツガツ食べる焼き肉とはまるで正反対だ。美味しい赤ワインも一緒に飲んで至福のときを味わった。帰りにはカフェでコーヒーを飲みながらお喋り三昧。帰宅するとエナはもう夢の中。ダンナにもちゃんと寝かしつけができたのでした。次の妊娠までに度々こういうチャンスをいただいて出かけたいと思った。これがまず、一つ目のご褒美。二つ目のご褒美は自分で買ったホームベーカリー。ずっとずっとずっとほしかったホームベーカリー。母の日の前になるとこの手の電化製品が安くなるのを狙って、やっと購入。去年の母の日の頃は引越ししたばかりで他にも買わなければいけないものがたくさんあったので優先順位が下の方で断念。今までパンの生地もこねられるという日本製のブレンダーを使っていたけど、何しろできる量が小さくて、大食いのエナの胃を満たしてあげることができなかった。ピザ食べたいな~と思ってもそのブレンダーを2回に分けてまわさないとピザ2枚できなかった。今月はこれからキャンベラに旅行に行ったりするのにお金が出るからちょっと悩んだけど、買ってよかった。早速ダンナが使用。プロのパティシエが恥じを知れ。生地の量が少なくて焦げ焦げボロボロのパンを作った。言い訳は「オレはパン屋じゃないし、こんな道具を使ってパンは焼かない」だと。はいはい。で、翌朝の分のパンがなかったし、夜になって牛乳食パンというのを焼いてみた。水の代わりに牛乳とコンデンスミルクを入れる。出来上がりは明らかにダンナ作より美しい。調子に乗った私。食べてみたら・・・・ふわふわっというのは良いんだけど・・・ん~~~~~ なんだろ。「あっ! 塩入れ忘れた!!!!」何とも間抜けは味のパン。だけど、朝起きて、エナはモリモリ食べてくれた。午前中のおやつにも1枚半食べて、気にいってくれた様子。これからはオーブンも活用して色々パンを焼いてみよう~。何しろ、エナは一日に食パン3枚は食べるから、すぐにブレッドメーカーの値段も元取れるに違いない。パン作りはかなり初心者。何か美味しいパンのレシピがあったら教えてくださいね。
May 8, 2007
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先週、エナが友達からウィルス性胃腸炎のようなものをもらってきた。下痢で始まり、熱が出て、動かない。起きてもすぐに寝てしまって、朝6時半から午後3時近くまで寝ていたのでさすがに心配になった。午後になってお腹がすいた様子だったけど、ウィルス性胃腸炎の場合、初日は「絶食」が基本。悩んだけど、お粥でも食べさせてみようと白いお粥だけをあげたら少し食べて、また寝た。いつもエネルギー有り余ってる娘がここまでぐったりするとはかなり具合が悪いんだろうなと思っていたけど、下痢は大したこともなく、症状は「寝すぎ」というくらいだった。食欲がその後もあまりなく、機嫌も悪くて、大変だったけど、3日後には普通に戻っていたので、友達とも遊ばせたりしていた。しかし、土曜日の朝、同じ症状が自分に襲ってきた。下痢で始まり、発熱。熱が出ても少しくらいは家のことができる私だけど、何でだか37度台の熱でも動けない。悪寒と胃痛と吐き気で一日中ブルブルしていた。居間に布団を敷いてエナを遊ばせ、私は、羽毛布団にウールの布団と毛布に包まっていた。それでも寒い。ネル素材のパジャマにトレーナーを着ても寒い。こういう時、しばらくすると熱が上がり始めて暑くなってから楽になるはずなのに、上がってくれない。体に鉛がついたみたいに、動けない。でも容赦なく、「(お腹)すいた~」と叫ぶ娘。冷凍庫にエナが食べられそうな物のストックもなく、作る体力も気力もない。食パンとかみかん!みたいなただ「出す」だけのものを与えてダンナが帰ってくるのを待った。帰ってくるまでが長かった~~。エナはダンナが帰ってくると大喜びで今までにないくらい「パパ~」としがみつき、後追いまでしていた。冷蔵庫にあるだけのものを使ってエナのご飯の支度をして食べさせてくれた。お風呂も入れてもらった。いつもならエナにパジャマを着せることくらいはできるはずだけど、37度台の熱でもだるさは41度級。パジャマすら着せてやれない。そのままエナと7時にベッドに入って寝たら、ようやく熱があがってくれて暑くなってきた。何か飲みに行きたい。でも、これまた起き上がれない。大きな声でダンナを呼んだらエナが起きる。と結局何も言わず、朝まで寝たら熱は下がっていた。どうやらこれは風邪らしく、シドニーでは大流行らしい。ダンナの職場でも流行っていて、仕事を休む人が続出だとか。一様に下痢、吐き気、悪寒と微熱のわりには強烈な倦怠感。今日からようやく平常通りの営業に戻った私。最初のお仕事はチョッカ(甥)の学院(塾)探しだよ・・・・12月から3ヶ月うちにホームステイするのに、通う学校を見てきてほしいとだんなに頼まれ、エッチラオッチラ、エナを連れ。行ったら学院長は韓国人(-_-;)渡されたパンフレットも韓国語。この街はどんどん韓国人が増える模様。韓国人の勉強熱はここまで来てる。韓国人のやってる肉屋は、韓国食材のスーパーも始めるらしい。駅周辺に韓国食材店2店舗(肉屋)、韓国レストラン2店舗、韓国人の教会一軒、韓国人経営の塾2軒、韓国人経営の美容室3件、韓医院一軒・・・とそんな感じだ。いつのまに~~~。あの小さな半島の下半分からどれだけ海外に人が流出してるんだろうなぁ。シドニーの元祖コリアンタウンを入れて、韓国人が多く住む街は4つほどあったけど、ついにわが町もコリアンタウンになってしまいそうな勢い。ダンナはもっと田舎に引っ越して田舎ライフを切望。私は便利でいいけど、家賃がますます高くなる~~~~~~~~~~~~!!!!シドニー北部は物価が高すぎ。家賃、生活費全部考えたって、東京で暮らした方がいいってみんな言っているほど。その割に給料は低い。日本人カップルは日本に帰ろうかと検討している人も少なくない。それくらいひどい状態。しがみつくとしたら、子供のためだけ。自然がほどよくいっぱいで近いからね。
May 1, 2007
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母がうちに来た時に殺風景な庭にガーデニングをしていってくれた。花が大好きなうちの娘はすごく喜んで、「おはな きれいー」と言いながら、子供用のイスを外に持っていって観賞していた。母は「この姿見てるだけでこっちが癒されちゃうね」と言っていた。だけど、怠け者の私は水をあげるだけで、あまり花のお手入れは上手じゃない。母が帰ってから、花たちはどんどん野生化している感じだ。芝刈りはダンナの仕事なので、私は一切触れない。雑草もボーボー生えてきたけど、アブラムシがついている時点で、触りたくない。見て見ぬフリ。だけど、雑草はどんどん大きくなって太い茎になり、大きな葉をつけ、最後には花を咲かせた。醜い庭。だけど、母が植えた花だけは枯らせないように一日に一回は庭に出て水をあげていた。私が花に水をあげるのを見て、エナがやりたいと言い始めた。子供用の小さな如雨露で水をあげることがエナの日課になった。「おはなー みじゅ(水)ねー」とお昼寝から起きると言う。不思議なことに最近、ちょっと元気がなかった花たちだけど、エナが水をあげるようになったら生き生きと咲き始めて、花の色も鮮やかになった。ますます目障りで醜い雑草たち。そして端の方で枯れてしまった花もある。エナは如雨露を持って、雑草にも枯れた花にも、色鮮やかに咲く花にも水をやる。雑草があまりに醜いので、「エナちゃん。その雑草には水あげなくていいよ。汚いし。それにその鉢植えの花も枯れてるから水あげなくてもいいよ。」と言ってから、ハッとした。エナはどんな花にも分け隔てなく水をあげていた。キラキラした目で「みじゅー みじゅー」と言いながら。見た目は関係ない。どんな汚らしく見える雑草も強く生き抜くことを教えてくれるし、美しく咲く花はどんな人の心も癒してくれる。枯れた花だってまた種が飛んで新たに美しい花を咲かせるかもしれないという希望を与えてくれる。エナの姿を見ていて、そんなことに気付かされた。エナの目にはどんな花も花。平等に愛を与えるこどもはまるで天使。醜いのは自分の方だった。こどもは色んなことを教えてくれる。いつまでも偏見のない目と優しい心を持っていてほしいな。
April 22, 2007
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わたしが生まれ育った街は、ほどよく都会でほどよく自然が近い所だ。東京まで電車で35分ほど。周りには緑がいっぱいあって、海までは自転車で10分だった。(新しいマンションの中吊り広告のような言い方だけど^^;)元旦になると除夜の鐘ではなくて、港から汽笛の音が聞こえてくる。とここまで言えば、想像がつくかもしれない。そうです。「横浜」です。うちは横浜でも南の方で、夏になると仲の悪い父のウィンドサーフィンやらヨットやらに毎週鎌倉まで付き合わされて、ぶすっとしていた記憶が今でも蘇る。砂が嫌いで、長靴を履いて砂浜を歩いていた子供。子供らしく、どろどろになるのなんて耐えられなかった。公衆シャワーで砂を落とすとき、タイルや排水溝にへばりつく髪の毛を見るだけで泣きたい気持ちになった。海の帰りに蘭の花がちょこっとグラスに付いている「グァバジュース」をマリーナの横のカフェで飲むのが唯一の目的で仕方なく行った夏の海。なんて可愛くない子供だったんだろう。もう30年近くも昔のことだから、車にはエアコンなんてついてなくて、くそ暑かったなぁ。思い出そのものは潮風のベタベタだったり、砂のザラザラだったり、不快な感覚。だけど、心に残っている色彩はすごく鮮やかでキレイだ。グァバジュースのピンク。蘭の花の紫。海の青。父のウィンドサーフィンの帆のオレンジ。車の黄色。ビーチパラソルの赤。そんなところで育った私が、初めてソウルへ上陸した時の空の色と街の色にはショックを受けた。9年前の冬。キンポに降りた時は大雪で、もう日没を過ぎていた。ネオンの明かりに妙に明るく照らされた灰色がかった夜の空からほこりみたいな色の雪がボタボタ落ちてきて、道路を走る車は元々何色の車だったんだか分からないくらい雪をかぶってて、タイヤが雪を融かして泥を跳ね返していた。その反面、不自然にどぎついソウルのネオン。その時はハングルも読めなかったから、完全に別の惑星に来てしまったかのような印象を受けたけど、ちょっとだけ懐かしいような感じもした。お母さんにダメだと言われた体に悪そうな駄菓子を食べてしまったような???そんな感じ。それから5年後そのソウルで結婚し、2年ほど住んだけど、馴染めたとは言えない。そして私たちはシドニーという街を選んでやってきた。ソウルよりはシドニーの方が少しだけ横浜に似ている色がある。今はここが暮らすに心地よいと思えるけれど、年取ったら私は横浜が、ダンナはソウルが恋しくなるに違いない。横浜とソウルの間に住めたらいちばんいい。でも、それってどこなんだろう。済州島? とか対馬?とか冗談で言ってみたけど・・・やっぱりシドニーかな。距離の問題じゃなくて、心の問題で。
April 19, 2007
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韓国での生活で楽しかったことと言えば、日本人のお友達とのランチやお茶や買い物だった。夫婦二人暮らしの時は朝、目覚めてNHKの連ドラ見ながらコーヒー飲んだりで、一瞬、韓国にいることを忘れてしまうようなこともあったけど、同居となれば朝も早う5時からガチャガチャ音が鳴り出して、ニュースが爆音で響き、6時半過ぎれば普通に電話が鳴り始める。6時半の電話がただの「世間話」だったりする。日本だったら何か緊急の電話だと思うところだ。目をつぶって、布団にもぐって、耳を塞いだって、無視できない「韓国での同居生活」という現実。そんな現実を唯一忘れられる時間が日本人のお友達とのお喋りだった。みなさんのお陰でどっぷり重い同居生活をどうにかやれた。そしてオーストラリアへやってきてからそろそろ1年が経とうとしている。いくら学生時代を過ごした所だとは言っても、子連れで住むとなると勝手も違うし、その責任感みたいなもののせいか、いつもはしゃいで暮らしてきたわけではなかった。今でもOZのいい加減さや冷たさにはついため息が出てしまう。私が住んでいるエリアは日本人が多いので、日本人のお友達もたくさんできた。「友達」と「知り合い」を入れれば、数としては多い。だけど、本当の意味で心を許せる友達というものはそう簡単にできるわけではないのよね。大人になると心に知らず知らずバリアを作ってしまうのかしら。それとも子供絡みで知り合う人とは心を割って話す時間とか心の余裕がないからそうなるのかしら。そんな日本人社会もたまに面倒くさいことがないとも言えないような微妙な平和コミュニティー。そんな中、この半年、日韓夫婦と知り合う機会に恵まれて、先日、今まででいちばん大きな?日韓夫婦モイムがあった。よく会うお友達もいれば、初対面の日韓夫婦もいた。我が夫婦はもはや英語で会話することがほぼなく、95%が日本語。そして残りの5%のうちの4.8%が韓国語で、0.2%が英語と言った具合だ。そしてそのモイムでは、韓国人のご主人に英語で話しかけられると突然恥ずかしくなる私。何だろう、この気恥ずかしさというのは・・・うちのダンナも日本人妻に英語で話しかけられるのは違和感を感じるらしく、日本語で応答。「豪州で日韓夫婦」という状況にまだ慣れない私たち。とはいえ、サムギョプサルつっつきながら、チゲにスプーンつっこんで、お酒を飲めば、やっぱり日韓夫婦だ。自然に男達は声がデカくなり、韓国語オンリーの世界に。妻達はソファーでくつろぎ、お決まりのシデクトーク。つい本音で話しをすることがなくなる近頃だけど、韓国人の夫を持つ日本人に会うと自然に色んな話が深いところでできて、素に近い自分になれる。時間を忘れて、久しぶりの夜更かし。(子連れなのに)本当に楽しかった。ワインで乾杯もいいけど、肉焼きながらビールや焼酎っていうのも気取らず、楽だ。日韓夫婦の輪をもっと広げていくために、このモイムを月一のイベントとすることに決定。同じ釜の飯を食う感覚。韓国で言えば同じ鍋のチゲをすするのは同居生活の時は最後までイヤで、自分用のお皿に取り分けていた日本人嫁の私。豪州に来て始めてみんなでチゲをすすることで温かい気持ちになって、人との距離がほんの少し縮まった気がした。
April 17, 2007
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最近の私の楽しみといえば、「オーラの泉」を見ること。エナが昼寝している間に見るのだ。私は昔は霊感みたいなものがあって、霊らしきものを見たことが何回もある。その勘はだんだんと衰えて行って今では鈍感。その方が生きていくには楽だと思う。私自身が数年前、病気をした時、どうしてだか、某医学大学の法医学の教授にお会いしたことがる。法医学と言えば、死体の検証をしたり、何だか不気味な学問だ。今でははっきり顔も思い出せないけど、その教授もやっぱり不思議な雰囲気を醸し出していたような気がする。その先生は私の肩に触れたり、頭に触れたり、脈を取ったりしながら、それから私の話を聞いて、私の過去世やら、今の状態やらを検証していた。あれは、夢だろうか??と思うほど不思議な空間だったけど、紙が残っているから現実だったんだと思う。私の前世は400年前のヨーロッパの修道士。不思議なもので、1600年頃といえば、もう中世は終わりだとは言え、私はヨーロッパの中世史や文学や言葉に興味があって、ずっと勉強していた。小さい頃、「大きくなったら何になりたい?」と聞かれ、「お姫様」と答えるバカなお子ちゃまだったけど、実際、お姫様の研究をしてしまったという偶然とは思えぬ因縁。大学院の時には中世の修道士が写本した本を読んだりすることもしていて、それはそれは楽しくて時間を忘れて写本のコピーに向かったもんだ。江原さん、私の前世はやはり修道士?私の性格ははっきり言って「怠け者」だ。仕事をするのが嫌い。お金は必要だと思うけど、嫌いな仕事をしてまでお金がほしいとは思わない。浮世離れしていると言われても仕方ないんだけど。で、話を戻すと、「オーラの泉」に伊原剛志(で漢字合ってた?)が出ていたのを見て、彼が小さい頃「やりたいことをやれる経済力がほしい」と思っていたと言うのを聞いて、あ~それ、それ~と思った。かと言って、自分でそのために仕事しなさいって言わてもなかなか動けない。なので、結婚して養ってもらうっていうのは私には合っているのかもしれない。だけど、時々虚しくなるのも正直な気持ちだ。家事と子育ては楽しいけど、そればかりだとどうしても、これだけで終わってはいけないと思って焦ってしまう。私の親友は「ダンナのお金は使いたくない」という理由で産後、職場復帰を誓っている。分からないでもない。私だって、自分のお金がほしい。でも会社に通うとかお店で働くとかってどうしもできない。したくない。それだけで病んでしまいそう。困ったさんです。考え始めると、私は何がしたいかってやっぱり勉強するとか本を書くとかそういうことなんだといつもそこにたどり着く。ネタはたくさんあるのに、行動に移せない。そんな時、先日の話だが、本を書かないかと言う誘いをもらった。心理カウンセラーの著作に少しだけ患者として協力したことが数年前あって、その時の文章をその先生が今でも持っていて、もっと詳しく書いてほしいと言われた。だけど、これは元患者の私には精神的にフラッシュバックという恐ろしいリスクがあるので、日本の元主治医に相談した結果、まだ早いのではないかということだった。私も正直自信がなかったし、ダンナに相談しても「やめたほうがいいんじゃない?」といわれることは目に見えてたから、ダンナに相談すらしないで断った。だけど、書きたい虫はどんどん増えてしょうがない。どうせ書くならもっと明るいポジティブなことを書こう。これまた美輪さんが青木さやかに「書き癖をつけなきゃダメよ」と言っていたのを心に受け止め、常に思いついたことを書き留められるようにノートを持ち歩くことに決めた。っていうか、私は「オーラの泉」に影響されすぎ??(笑)顔は伏せて、「オーラの泉」に出演させてほしいと本気で思うポリリンです。やっぱり私は何か書いていないと!!昔の修道士はそうやって毎日を過ごしていた。これが私の生きる道?!私の三十路?!
April 12, 2007
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Yahooに載っていた「えなりくんの初ロマンス発覚」という記事が目に留まってしまい、どうしてもスルーできなかった。えなりくんの私生活に興味があるわけでもなし、「渡る世間」ファンというわけでもないんだけど、えなりくんのロマンスと聞いてはどんなロマンスなのか知らずにはいられず、自分がえなりくんの彼女になったところを想像し、「無理」と思ってみたり(爆)あの若さであのおっちゃんブリはすごいもの。歳の近い今どきの女の子とはどんなデートをするんだろうかと思ったら、お相手はフルート奏者でコンサートがデートと読んで、ん~まぁ納得。というか、やっぱりどうでもいい、えなりくん。ゴメン。実は、去年の今頃、日本に3週間ほど帰国していたが、両親が住んでいるマンションの管理人さんが久しぶりに戻った私に娘がいることにとても驚いていた。子供好きの管理人さんはちょっとプライベートなことを知りすぎるおじさんで、こっちの機嫌が良くないときは、かなり「うざい」。よって、母と二人でそのおじさんを「あのタコ」と呼んでいた、チョイ悪親子の私たち。エナのことが気になって仕方ないらしく、やたら話しかけたりしてくれた。抱っこさせたこともあったが、エナは「あのタコ」が嫌いだった。3週間毎日顔を合わせても、「あのタコ」はエナを「えなりちゃん」と呼び続けたのだから仕方ない(それが理由かどうかは謎)そのたびに「エナです。」と修正しても、次に会うと「えなりちゃん、おかえり~。今日はどこにお出かけしてきたのかな?」と言う始末。そんなわけで、私はえなりくんにはちょっとした思い入れがあるのかもしれない。(マジで?)あれから1年。今日からイースターホリデーだ。今日は「グッドフライデー」てなわけで、ショッピングセンターもスーパーも全部閉まってる。こういうイベントのある時はパティシエがいちばん忙しいので、うちは母子家庭。遊ぶ人もいないし、出かける場所もない。天気がよければ近くの公園にでも行くけど、今日は雨が降って肌寒い。夕方から友達家族が3泊4日で遊びに来るから今回は寂しくないのでラッキー。このイースターホリデーに備え、食料品を昨日は買いだめ。木曜日はちょっと遠くまでエナのプレイグループに行ってるから、買い物は避けたいんだけど、昨日は例外で。とショッピングセンターに行ったら、エナの苦手な男の子のGくん(2ヶ月上)と遭遇。エスカレーターを駆け上って、エナに抱きつき、チューした(笑)ベビーカーに乗ってたエナは一瞬強張った後、Gくんを押し返し、「いやいや」と泣いた。こうしてエナのファーストキスは奪われた?! チューは口ではなかった模様だけど。その後の買い物は最悪で、エナは愚図り、反り返って泣き、夕飯前だって言うのに、ホットクロスバン(グッドフライデーに食べるパン)を買わされた。それをひとつ平らげてご機嫌。案の定、夕飯の時、ご飯いらないと拒否られ、スープだけで終わってしまった。
April 6, 2007
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1歳半、まさに「いやいや期」真っ只中。食べるもの、着るもの、履くもの、すること全て「いやいや」。オムツだけは気持ち悪いらしく、自分でおしっこやうんちが出ると「でた でた」とオムツを持ってきて、コロンと転がる。だったら出る前に自分でトイレに行ってくれると完璧なんだけど・・・トイレトレがそんな楽にできるわけないよなあ。ヨーグルトを食べるというからふたを開けると、「イヤイヤ」。バナナを食べるというから皮をむくと、「イヤイヤ」。一回ふたをあけたり、皮をむいた果物は後で絶対に食べないというこだわりがあるから、結局私がそういうものを全て食べるはめに。さっきは、公園の帰り道、雷と雨にやられて、バギーにビニールカバーつけようとしたら道端で「いやいや」が始まり、無理につけたらガン泣きされた;;いやいやも成長の一過程。喜ばしいことと思わなくちゃいけないんだろうけど、1歳児相手にたまに本気で切れそうになってしまう未熟な自分。母に言ったら、「『食べる、食べない、遊ぶ、遊ばない』でイヤイヤしてるうちは可愛いわよ~。『結婚する、しない、外国に住む、住まない』で反抗された時の悩みなんかとは比べ物にならないと思うけど~??」グサッ ( ̄□ ̄;)!!確かにそうでございます。そんな娘のpreschoolを決めてきた!色んなところ見てきたけど、エナの英語のことが心配で、いきなり白人だけのところに入れて、言いたいこと言えなかったらショック大きいだろうなと思っていた。エナが来年の2月から入るpreschoolは英語が第二言語の子供がいっぱいで、先生も園長先生も「英語のことは気にしなくていいから」と言ってくれ、英語のレッスンの仕方なんかもきちんと見せてくれて、かなり納得。子供のことをちゃんと考えてくれてる感じ。慣れないうちはお母さんが子供と一緒に教室にいてもいいですと言ってくれたし、お弁当もサンドイッチじゃなくて、おにぎりとか持って行くと、白人ばかりのpreschoolではお友達に何か言われたりして大変だって話を聞いたことがあったけど、エナの行くところではそういう雰囲気はないらしく、みんなお母さんの国の食べものをお弁当に持ってくると言っていた。園舎が少々ぼろいのが気になったんだけど、どうやら私が住んでいる街の文化遺産に指定されている建物らしい。中はそれなりにきれいに整頓されているのでまぁいいんだけど、外から見ると突風が吹いたら崩れそう(笑)ダンナはそれが気になったようだけど、キレイな施設のpreschoolが必ずしもいいってわけじゃないし。私は気に入っている。うちから徒歩で行けるのもまたポイント。第二子誕生の時には私の母か、シオモニがエナの送り迎えをするのだから、歩いていけたほうが無難。というわけで申し込みを済ませたわけだ。この前生まれたばかりだったのに、もうpreschoolだ。元気に登園する娘の姿が想像できる。
April 4, 2007
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夫婦喧嘩から始まった1週間。まだ未解決。こんなに長く喧嘩を引きずるのは珍しいかも。ダンナは切れた後、すぐに普通にふるまってたけど、(イッシ~~~韓国男児め!!)私はあそこまで言われたら許せん!くらいにひきずってしまって、シドニーの空と同じく荒れ模様。ほとんど口もきいてない状態。大人気ない・・・と分かってても、今回ばかりは傷を癒すのに時間がかかりそうだ。喧嘩の原因はくだらなくて、車の中のラジオの音量が云々・・・ 話したことに対して返事がない・・・無視は最低だ・・・大きい声出すのは最低・・・ その態度が気に入らない・・・とどうでもいいこと。でも、どうも最近、ダンナに甘く見られてるので、少しきつく行こうかと思って口もきいてない次第です。そんな中、うちでは日本人のお友達に頼まれてケーキを販売しているのですが、その注文が今週は毎日。なんで、今週に限って・・・毎日忙しい中、ケーキの材料を買いに行くのは私の仕事。夕食後、ダンナがケーキを焼いて、口はきかないけど、たまに助けて、翌日の朝、私が配達、または取りに来てもらって・・・エナの夜泣きも重なって、なんか疲労がたまりまくってます。ネントレ始めてから夜泣きエスカレートで、昨日なんて1時間に一回くらい泣いてたよ><私が泣きたい!!くらい寝不足。断乳もとっくにしてるのに何でだろう・・・やっぱりエナを保育園に預けようか・・・と考えて、この前ひとつ見に行って、ウェイティングリストに入れてきたけど、どうもかなり人気のところらしくて、難しそう。一日でもあいている日があれば、家のことも、ケーキの販売のことももうちょっと真剣に取り組めると思う。だから家の近くの保育園を色々見に行って名前だけでも入れておきたいのに、その暇がない。その上、さらにこの半年は私はエナのプレイグループの役員(それも会計・・・お金の計算苦手なのに~~~;;)になってしまい、銀行に行ったりする雑用も多い。ケーキ売るなら、もっと気持ちよく、買ってくれた人を楽しくするような心配りをしたいのに、心にそういう余裕がない。ケーキ屋さんって入っただけで甘いニオイがして、人を幸せにして、気さくにお喋りできる場所なはずなのに、今の私はなんか陰気な雰囲気が漂ってるに違いない。ごめんなさい~~~。今日も午前中プレイグループからケーキの注文があって、エナを連れて行ってきて、夕方はまたまたケーキの材料の買出し。明日は注文二つ。荷物も重そうだ。でも、ダンナはそんなこと気にも留めてないんだよね。自分だけが疲れて大変だと思ってるんだもん。夜泣きのことだって、別にどうも思ってない模様。( ̄s ̄; チェッ早く心も空もスカッと晴れないかねぇ・・・
March 22, 2007
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ここ1週間、こりゃ耐えられん!!と思うほど激しい夜泣き続きの娘さん。午前0時を過ぎると1時間おきに火がついたように泣き叫び、声が枯れるほどだ。何をしても泣きやまず娘さんは怒っている。結局抱き上げて、目を覚ましてから添い寝をするようになった。そしてこの数日、今まで自分が寝ていた布団を拒否するようになったからますますくせもの。噂に聞いていた「いやいや期」が早くも来た感じ。思いどおりに行かないと「いやいや」をして泣き叫ぶ・・・私たちのベッドの下にベビー布団を敷いて寝かせていたんだけど、何故だか寝かせようとしたものなら、嗚咽。でも、体も大きく、寝相の悪い娘と親子3人でクイーンサイズのベッドに毎日寝るのも狭苦しいので、結局、お客さん用のシングルのベッドに寝かせてみるとすぐに寝た。あれ???とはいえ、0時を過ぎるとまた夜泣き。そのたびに隣の部屋まで行くのがいい加減辛くなって、昨日からネントレ開始。絵本を読んで、おやすみ~と言ってからドアを閉める。当然大泣き。うるさくて、うるさくて、アメリカだったら通報されるほどだ。3分後になだめに行って、またドアを閉める。それを数回繰り返した後、5分間隔にした。この5分の間、「ママ~~~~~~~~~」「おっぱい~~~~~~~~」「オンマ~~~~~~~~~~~~」「いやだ~~~~~~~~~」「パパ~~~~~~~~~」「抱っこ~~~~~~~~~」と言う言葉が繰り返されていて、さすがに胸が痛んだ。ダンナが帰宅し、エナの絶叫が聞こえると「可哀相・・・」と一言。でも、ダメ。決めたからにはやるのだ。そしてなだめに入ったらすぐに寝た。トントンもせず、ただ「一人で寝れるよね~」とお気に入りのテディベアを渡しただけで。かかった時間は30分。2時間くらいかかるかと覚悟してたのに・・・そして、先ほどの昼寝。ぐずってぐずって絶叫し5分ほど泣いていたので、抱っこして、ベッドに連れて行ったら5秒で寝た。これは行けるかも!!期待で胸が膨らむ。だけど、韓国で同居してたら、ちょっと「エーーーン」と泣くだけで「アイゴ、アイゴ~。ヌガクレソ?? オンマガクレッソ??」と言われるのが目に見える。こんなネントレしたら、ハラボジあたりに家を追い出される可能性もあるリスキーな問題だよね。別居万歳。ネントレ成功させたい理由には下心もあり・・・最近、子供を早く寝かせて食事にでも行こうというお誘いがしばしばあるのに、エナの夜泣きでそれを実行できずにいるのだ。せっかく断乳も完了したのだし、次の妊娠前に少しだけアルコールのある生活を楽しんでおきたいというわけだ。身勝手な母かもしれないけど、しばしの休憩がほしい。その代わり出来る限り昼間遊んであげて、思いっきり怒ることもあるけど、思いっきり抱きしめてあげることも忘れずにいる。ネントレ早く成功する日が来ないかな。
March 17, 2007
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ちょっとおセンチになった私に渇を入れるのは娘のエナ。ぼーっとしてると遊んでくれとばかりに、私を呼ぶ。それも「ヤーーー!!!!!!!!!!!!!!!」っと( ̄ー ̄;思わず、「あんた韓国人じゃないんだから止めてよ~」と娘に言ってしまうんだけど、彼女、立派な韓国生まれだし、韓国人の血を半分も受け継いでしまってる「韓国人」なんだ。それから、「パン食べる?」と聞くと、答えは「おぉ、クレ」日本語で「くれ~~」と命令しているわけではなく、明らかに韓国人のオヤジが偉そうに「クレ」と言う感じで・・・どこでそんな表現を覚えてきた??ダンナはそんな言い方しない。「ヤー」と人を呼ぶこともない。ハラボジやハルモ二が喋っていた韓国語が生後6ヶ月間で身についてしまったとしか考えられない。もしくは韓国人のDNAがエナに自然に韓国語を喋らせている?とにかく、私もダンナも「ヤー!」と人を呼ぶことだけは必死に「やめて」とエナに教え込んでいるんだけど、本人はお気に入りのご様子。オヤジくさく「おぉ、クレ、クレ」と返事をするのもなんとかならないものか。そんなエナだけど、10日間滞在した私の母にかなり懐き、申し訳ないくらいに韓国の家族への態度とは違った。自分から抱っこ~~~と行くし、リラックスして遊んでいたのが目に見えて分かった。そんな風景を見ると、また来る「別れ」が寂しくて、海外にお嫁に行ったことを心の中で詫びてしまう。初めて海外へ出た10年前から空港での別れは何度となくやってきたものだ。そのたびに泣いて、泣くのをごまかして背中を向けて別れるものだけど、エナを出産して強くなった。母は強し。前回の母との別れでは母に涙を見せず、あっさりと見送った。今回もそのつもりだった。空港のゲートで「今度は私たちが行くからね~」と言って笑顔でバイバイしようとしたら、エナがバイバイしながら泣き始め、本泣きになって母を追いかけようとした。母も私ももらい泣き;;韓国に住むのは大変だけど、日本から距離を考えるともっと頻繁に帰れたなぁなんて思ったりもして・・・エナはもうすぐ1歳半。色んなことが分かるようになってきた。だから「ヤー」と「クレ」はやめようよ(笑)
March 9, 2007
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言葉数が増えてきたのに、最近喋らなくなったことが気がかり。私は物の名前を言う時、ついベイビーサインのようなものを使ってしまう。鳥なら手をパタパタさせたり、星なら指をひらひらさせてみたり。始めはエナ、「とり」とか「ほし」とか言っていたのに、最近はサインだけを使って発音しなくなってしまった。ベイビーサインの本を持っていて、それにはサインを使って話すのはいいことだって書いてあったけど、ほんとにいいのかなぁ。それにエナは発音もそれほどクリアではないのよね。お父さんもお母さんも日本人の子を見てるともっと日本語らしい発音なんだけど、やっぱりエナは3ヶ国語を日常的に耳にしているからかなぁ。クリアじゃないよねぇ・・・マルチリンガル子育てって難しい。エナより2ヶ月月齢が上の子は普通に文で話していて、大人が言っていることも上手にリピートしている。その子はやはり純日本人なので、関係あるんだろうなぁと思う今日この頃。エナは英語の単語はリピートするけど、日本語はあまりリピートしない。英語の方が発音しやすいのかな。そのうちまた喋りだすだろうから気長に待つしかないかな。
February 25, 2007
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断乳後そろそろ2ヶ月経つところで、4キロの激太り。授乳中は何をどれだけ食べても体重にはあまり影響しなかったので油断したのはよく分かっている。胃の大きさは断乳したからと言って変わらない・・・最初の何日かはたくさん食べられなかったので、「体ってよくできてるわ」と思った。とそんなウマイ話はないわけ。育児中は体力勝負だとか言って同じように食べていたし、何せ来客が多いもので、食べる量がすごかった。その上、断乳後に再び生理が規則的にやってきてしまったものだから、生理前の食欲を止める事ができなかった。妊娠前より意志が弱くなったのか・・・いやいや、どうもPMSのような症状もあって、とにかく異常なイライラとだるさ、眠気で気分ダウン。ダンナは逃げてたよ。「箸が転がってもおかしい」んじゃなく、「箸が転がったら激怒」状態だったので、本気でお医者さんに行こうかと思ったほど。あぁ、危ない。でも今はきわめて普通の精神状態でハッピーなポリリンに戻りました。(来月がまた怖いけど)ハッピーとはいえ、体重計に乗るとアンハッピー。努めて歩いてるから体脂肪率は合格だけど、体型と体重は悲劇的。そこで、昨日からダンナと別に食事をしている。それがかなり質素な食事。でも、食事って質素なほうが体にいい。夕食の時間も早いほうがいいと思って、エナと二人夕方に食事。和食のみ。というか、かなりの手抜きで納豆ご飯と煮物!とか。ダンナも一緒にダイエットすればいいんだけど、和食のそういうの好きじゃないし、何せ韓国人だから肉好き。私とは基本的に食生活が違いすぎ。今日なんてダンナには昨日の残りを食べさせて、私はまたまた納豆ご飯。怠けて痩せるとはこのこと。食べたいものは昼に食べる。(友達とのお茶やランチはOKって意味。)腹筋運動に続き、食事制限も始めた私。健康的に痩せたい。結婚式をした頃と比べると只今6キロ増。あの頃に戻りたい!!
February 24, 2007
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同じくらいの子供と遊ばせると、宇宙語で一生懸命コミュニケーションを取っていて面白いなぁと思う。そして変なことも学習してくる。エナにとって、食べ物は全部「バナナ」か「パン」か「チーズ」か「ご飯」。この中で好きなのは「チーズ」。だから「何食べる?」と聞くと「チージュ」と答える。今日はプレイグループでお友達と遊ばせてたら、おままごとをしていて、「チージュ どーじょ」とすすめていた。すすめていたものは、実際チーズではなく、トマトだったんだけど・・・一緒に遊んでいた赤ちゃんはトマトを見て、「チージュ」と言うのだと学習。トマトを「チージュ」「チージュ」と呼んでいた。逆にその子の大好物はブドウらしく、きゅうりを指して「ぶどー」「ぶどー」と連呼。エナはきゅうりを「ぶどー」と呼び始めた。まぁこうやってお互いを高めている(?????)ようなので、よしとしよう。そんなわけで、エナに一生懸命日本語環境を作り、(私もやっぱり日本人といたほうが楽ちん)家でも日本語オンリー育児をしているわけですが、ダンナは韓国訛りの日本語を主に、英語と韓国語をチャンポンで話すので、やめてほしい。最近では、単語をエナに教えるときは英語にすると言って、それだけは守っているようだけど、発音がびみょーな時があり、つい私が直してしまう。我が娘が学校行くようになったら、父ちゃん、娘に英語バカにされそう。私も人のこと言えないけど。そんな娘さん。ついに出た。韓国語。ここ数日、この韓国語が大ヒットらしく、何かと使っているようだ。それは、恐れていた「アイゴー あ~ チンチャ・・・・」であった。(感嘆詞&も~ ほんとに~みたいな感じ)ため息交じりに言う「アイゴー あ~ チンチャ」は私を憂鬱にさせるほどだ。父ちゃんの真似だよね、それは。何故かソファーに座るときだけそう言う。絶妙なタイミング。よりにもよって、エナが言う韓国語はそれだけ。韓国のジジババが聞いたら喜んでくれるだろうか(謎)でも、韓国には行きたくない~。今年の秋に日本に一時帰国する予定を立てているけど、それをシオモニが知ったら、ソウル経由で!!!と言うに違いない。ダンナいないのに、エナと二人でシデクだなんて勘弁。エナが2歳になる前に日本に帰りたいな~。ここでは子連れでお出かけと言っても、たかが知れてて、外食するのも難しい。昼間にカフェへ行くくらい。日本みたいにファミレスがあればいいのになぁ。この国だってファミレスがあれば、みんな行くだろうに。アメリカっぽい文化は嫌いなオージーだからないのかな?それとも別の理由があるんだろうか。無理やりテーマにこじつけたけど、どうして、このテーマを選んだのかは不明・・・日記を書いてると途中で、書きたいこと忘れて話がそれてしまうのよね。
February 23, 2007
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セ福マ~ニ パドゥセヨ。脱韓組初年のソルラル。胃痛のないソルラルと青い空。のんびりと起きて、一応、ダンナにマンドゥトックッを作って、朝ごはんを終わらせた。記念に毎年韓服を着て写真を撮ることにしてるので、アイロンをかけた韓服を暑い中、着た。ドルチャンチの時、まだまだ大きかった1歳用の韓服も、やっとちょうどよくなった娘さん。そして去年はかろうじて着れたまりの韓服。今年はボタンも閉まらない。(あんた、私の仲間だ(* ̄▽ ̄*)ノ") 無理やり真ん中のスナップだけ止めたけど、はじけそうなパツンパツンっぷり。まぁ、今年もみんな健康で楽しく暮らせればいいよ。テンションも下がり、シデクに電話。お決まりの挨拶をしてお勤め終了。親戚みんなが集まる前の早朝に時差を狙って電話した私たち。チョイ悪夫婦だ。しかし、なんだか旧正月のが正月らしく感じるのは、周りに中国人と韓国人が多く住んでいるせいだろうかねぇ。陽暦1月1日は、ふつーの一日だった。今日は夕方からチャイニーズ系マレーシア人の家族主催のパーティーに招かれている。韓国人もいっぱい来ることになったので、午前中から家のダンナはそこのお宅でビンデットクとかカルビチムとか作りに行った。みんなシェフなので、好き勝手に色んな国の料理を作っているよう。男達が集まってソルラルの料理だなんて去年までとは正反対。家でのんびりしてる私は幸せ者~。昼寝までしちゃったもんね。しかし、「パーティー」というからにはジーンズで行くわけには行かないところが面倒。たまにはスカートとかワンピースとか着たほうがいいんだろうなと思ったけど、結婚してからあまりパーティーには行ってないので、服がない!結婚前に着てたちょっと良い服を出して試着。どれを着てもきつめ。入るには入るけど、きつい。鏡の前に立つと、腹が出て、たるんでいるのが一目瞭然。赤のワンピースを着たらピアノの発表会についてきた昔風のお母さんみたいだし、黒のスカートを履いたら、これからお通夜に行くおばちゃん。いっそこのこと、中国系の人もいることだし!とチャイナ服のブラウスを着たら、田舎の中華レストランの安っぽいウェイトレスになった。何を着ても似合わない~~~。き~~~~~~~~~。もう、韓服着てっちゃう?あれはお腹が出ても見えないからいい!でも真夏のシドニーには暑すぎる。そうだ。日本人だから浴衣? あ・・・ 浴衣は実家に置いてきた。( ̄ー ̄; 「着るものないからパーティー行けない・・・・」私はまるでデブのシンデレラだ。ダンナに電話したら、「そんなくだらないことで電話するな」とばかりにムッとした声で相槌を打った後、「妊娠中に買ってあげた黒いワンピースでいいじゃん」という返事が返ってきた。ちょっと待ってよ。それってマタニティーってことじゃん。あぁ憎きこの脂肪。4日前から腹筋50回始めたけど、そんなもん、1年前に始めておけばよかった。鍛えてみせる。来年はレオタードでパーティーに行くぞ(嘘)
February 18, 2007
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うちのご長寿犬が天国へ旅立ちました。16年半、家族を癒してくれてありがとう。私が「飼いたい」と言って、我が家の一員になったのに、こんな遠いところにお嫁に来てしまい、最期を看取ってあげられなくてごめんね。でも父と母の見守る中息をひきとったそう。犬の介護も最後は本当に大変そうだったけど、頑張ってくれた母に感謝です。命あるものはいつか皆、この世を去っていくものだけれど、やはり悲しいものです。日本を出るたびに「これで、ミルクに会うのも最後かな」と覚悟を決めてきたけど、今度、実家に戻るときにはもういないのかと思うとやっぱり涙。昨日の夕方の母からの電話では、ミルクのお墓のことを相談されました。火葬して、家に写真だけ置いておくねということでした。最期にひと目だけでも、ミルクに会いたかったなぁ。久しぶりに朝からボロボロ泣いてしまったけど、無邪気なエナがバスタオルを持ってきてくれて、私に被せて、「ねんね、ねんね」と背中をトントンしてくれたり、我が家の愛犬まりは、涙を舐めてくれたりして、嬉しいんだけど、余計に涙が出てきました。新しい家族に囲まれる幸せと生きている幸せにきちんと感謝しなくちゃいけないな。昔、「ミルクは生まれ変わったら私の赤ちゃんになるかな」と言っていたけど、ミルクが死ぬ前に娘が生まれました。今度こそ、生まれ変わったら人間になって、家族として一緒に生活できたらいいな。なんか悲しい一日のスタートだったけど、遠い空の下にいる私が泣いていても仕方ないと思い、朝から買い物に行き、プレイグループでエナを遊ばせ、帰りには友達とランチをして普通どうりにして帰ってきました。でも、家に帰ってくると寂しい。再来週、母がシドニーに来ます。ミルクは母の気持ちを思って、旅立って行ったのかもしれません。もう、気兼ねしないで行ってきてね~って。ありがとうね。また、いつか会おうね。安らかに眠ってね。小さくて可愛くて、お茶目で繊細だけど、大胆なミルクのことはいつまでも大切な思い出です。
February 16, 2007
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実家には16歳半の犬がいます。名前はミルク。彼女は超小型のヨーキー。我が家に来た16年前、たった400グラムで、まるで黒いネズミのようだった。とてもお茶目で可愛いかった。母の親友が動物病院を経営していて、そこで「うちのヨーキーが子犬産んだんだけど、ポリリンちゃん、可愛がってくれない?」と頼まれた。母の留守の間に受けた電話に私は二つ返事でOKしてしまった。帰ってきた母にその話をして、「私が面倒みるから!」と言って、無理やり承諾させた。そして期末試験の後の台風の朝、ミルクを迎えに行った。何もこんな風雨の激しい日に迎えにいかなくても・・・と母は言ったが、待てなかった。寝ても覚めてもミルクのことばかり。可愛くて、可愛くて、いつもミルクと一緒にいたくて、放課後、友達とファーストフードに寄り道するのも断って、家にすっ飛んで帰っていた。成犬になっても1200グラムしかない超チビ。やたら繊細で、飼い主に従順で、話をすると一生懸命首をかしげて話を聞く子だった。好きな人の話、彼氏の話、学校の話、将来の話、ちょっとした愚痴・・・毎日色んなことを話していた。私は一人っ子だから、家でそういうこと話す相手がいなくて、ミルクは私にとって妹みたいになっていった。母は流産をしたことがあったので、「もしかしたら生まれ変わりなのかもね」と言っていたほど。そんなミルクはすごく寂しがりやで、お留守番をする時は必ずブルブルと震えてドアのところに来るので、出かけるのに後ろ髪を引かれた。お留守番が続くと必ずお腹を壊す。だから、初めてオーストラリアに留学すると決めた時は心が痛んだ。でも、帰ってくるとまたそばにいて、首を傾げながら話を聞いてくれた。数年後、韓国からダンナが結婚の許しを得に家に来た次の日、ミルクは発作を起こした。今でも原因は分からない。それから度々ひきつけのような発作を起こして、獣医さんに「精神的なものかな。最近、犬でもそういう病気はやってるから」と言われ、なんと精神安定剤を処方されてしまった。ある意味、異常に繊細で人間化してしまったミルク。父と私の大喧嘩に私は家出を決めた時、夜中にミルクが私の部屋に来て、何か目で訴えていた。「ごめんね~」と涙を流して、明け方家を出た私。今思い出しても胸が苦しい。結婚を決めて韓国に行った私を見て、ミルクはどう思っていたんだろうね。父とほんの少し和解して、久しぶりに実家に戻ったとき、ミルクは本当に喜んでくれたっけ。でもソウルで病気になって、どうしようもなく、今の愛犬(まり)を日本に連れて帰って、ミルクはショックと犬嫌いのためか、体調を崩し、もらった獣医さんで一年以上預かってもらうことになってしまった。やがて私がエナを妊娠し、ソウルに戻り、ミルクもやっと実家に戻った。すっかりおばあさんになったミルク。目も見えないし、耳もほとんど聞こえない。だけど、エナを連れて帰った時、ニオイで私を分かってくれた。もう歩くこともままならないけど、私の膝の上によじ登ろうとしてからお腹を出して歓迎してくれた。子供が嫌いなミルクも何故かエナだけは大丈夫で、一緒になって離乳食をほしがっていた。ミルクとの思い出はここに書ききれないほどある。何故、今日彼女のことを日記に書いたかというと、彼女は今、2度目の腎不全を患っているから。一度目で、「もうダメ」と言われたのに、不死身の彼女はまた元気を取り戻した。だけど、苦しんで治療を受けるミルクの姿を見て、自然に逝かせてあげたいと母は言い始めた。今回は過剰な治療はしない。苦しまないで、安らかに逝けるように。遠い空の下からミルクのことを想う夜です。今日の横浜は冬の台風のように風雨が激しくて、それはまるでミルクが家にやって来た日のようらしい・・・頑張れ、ミルたん。
February 14, 2007
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私の専攻は文学&言語学だった。そのせいか、言葉の意味や語源を考えすぎてしまって話をとめてしまうことがある。英語の辞書でいちばん大きいものは”Oxford English Dictionary”というやつで、AからZまでかなりの巻数になるんだけど、私は学生時代それが大好きで、それさえあればいつまでも時間をつぶせるほどだった。だからって文法が得意なわけでもない。英語を一生懸命勉強した時は若かったし、いちばん楽しんで色んなことを吸収できたものだけど、韓国語を覚えようとした時はただのストレスでしかなかった。初めて韓国語を勉強し始めたのは今から9年前。韓国旅行が楽しくてすぐにハングルの読み方を覚えた。でも結婚が近づくにつれて、家族や親戚のいざこざなんかがストレスで勉強する余裕はなくなって、ソウルに住み始めたら、ハングルなんて見たくもないほどの韓国語拒絶反応。ダンナの家族と会っても、あえて自分の口から韓国語を発することはほとんどなくて、挨拶のみだった。数年後、その家族と同居することになっても、韓国語を話すことには抵抗があった。話すことが本当にイヤで、やたら無口な嫁だったと思う。とにかく韓国語を朝から晩まで聞いてることがストレスだった。だからダンナが帰ってきたらひたすら日本語ばかり喋っていて、普通の韓国の家族だったら「家では韓国語話しなさい」とか怒られそうなほど・・・言葉を習得するには、その国の文化に興味があって、好きじゃないとできないんじゃないかと思う。好きじゃないのに、喋れるようにはならない。と思っていたけど、逆に悔しいから「勉強する」ってタイプの人もいるんだよね。わたしはできない。初めから諦めるタイプ。ところが、最近変化が出てきた。オーストラリアに来てからあまり生活の中でのストレスを感じないし、韓国人からイヤな思いをさせられることもなくなってきたから、韓国語が自然に出てくるようになった。とは言っても、変なプライドがあって、ダンナに韓国語で話しかけることはまずないが。結婚して4年半。赤子が生まれてからじっと聞いていた言葉を急に発するように、韓国語がす~っと出てくる。話す気がなかっただけなんだと改めて思う。韓国で道を聞かれたら、「なんで外国人の私に道なんか聞くんだよ~?周りに韓国人がわさわさ歩いているのに」となかばムッとしながら、「分かりません」と答えていた自分。昨日は初めて韓国人に道を聞かれて、その場所まで連れて行ってあげるほど、何か吹っ切れた。英語で話し始めたけど、おばさんが韓国人ぽかったので、韓国語で私が喋り始めた。おばさんは急に嬉しそうにして色々話し始めて、私も自然に世間話をしていた。「また、あなたに会えるといいわ~」とおばさんは別れ際に言って、なんかちょっと嬉しくなった。私が住んでいる街では子供が幼稚園に行き始める時、英語が話せない子が園の児童の半数になるらしい。最近、幼稚園に通いだした日本人の子は英語環境に急に置かれて毎日大変そう。休み時間になると、同じクラスにいる日本人と韓国人の子が言葉も通じないのに、お互い日本語&韓国語で喋り、なんでかコミュニケーションを取っているらしい。言葉って「勉強する」だけじゃなくて、その相手の気持ちを知りたいとかっていうのがあってこそ身につくものなんだろうな。上手に話せなくても、気持ちがあれば通じるって言うのは本当かもしれない。韓国じゃ、周りの韓国人の気持ちを知ろうとかって言う気もなかったんだな、私。今日はこれから小学校~大学までずっと一緒だった親友が首都キャンベラから遊びに来る。7ヶ月になる赤ちゃんを連れて。うちに水曜日まで泊まることになっているからとても楽しみ。みなさん、良い週末を。
February 10, 2007
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今日からちゃんと「日記」にするぞ宣言。今日はエナのことについて。私は言うことは言うし、言葉数も多くよく喋る時は喋る。でも、基本的には静かな人です。(ほんとだってば)声も小さいからかなり損することもある。特に韓国じゃぁ、蚊の泣くような声だった。はず。私と母が話をしていると、内緒話か?とダンナは思ったりもするくらいゴショゴショと話しているらしい。韓国の家じゃ毎日が言い争いのような声でみんなが言いたい放題。それでパニック起こしたこと数知れず・・・(私がパニック障害だったのでドクター直々、「ポリリンさんの状態を考慮して声をもう少し小さく、テレビの音量も絞ってくださいね」と忠告が来たことさえある)あれだけの発声をしているからこそ、韓国人は歌のうまい人が多いんだと私は確信している。明らかに韓国人にカラオケさせると声量があって、うまいよね。とにかく実家(日本)とシデク(韓国)とでは正反対の世界。そんな家庭(国)で育った二人から生まれた娘エナ。どっちに似たか?って声のデカさと自己主張の激しさは韓国側の血を濃くひいていること間違いなし!!全身で喜怒哀楽を表現する。私の注目がエナにないと、急に床につっぷして、泣くフリ。それでもダメなら、「あいごー」と言わんばかり、アラーの神を拝むようなポーズをした後、壁に激突。頭を抱えて泣いたフリ。それでもダメなら時間で勝負。いつまでも死んだフリ?! 動かず丸まっている。エナを知る人はこれを見て、みんな大笑い。それから、エナの好みは典型的な白人の男の子なんだけど、そういう子がいると、積極的に自分の所有物を貢ぎまくる。楽しそうに遊ぶのです。ところが、アジア人の子。それも、ちょっとオヤジっぽい赤ちゃん?! でしつこい子が大嫌い。写真に撮りたいほど、顔を歪ませ、目をつぶって、顔をそらす。その後うそ泣き→本泣きへ。そんな顕著に嫌いな気持ちを出さなくても・・・昨日は女の子大好きなエナより2ヶ月上の男の子に手を握られそれだけで大騒ぎだった。エナの将来が不安だ。いっそのこと演劇でも勉強させようかな。演出とかやったらいいんじゃないかと思えてくる。このところ、言葉の数も増えてきて20語以上は話すけど、やっぱり発音がクリアーではないなぁ。色んな言語を聞いてるせいかなぁ。「おはな」→「おわわ」 「木」→「ち」 「バナナ」→「ババ」「ごはん」→「おわん」「でんわ」→「てわわ」こんなもん?さーて。明日も日記更新するぞ。
February 9, 2007
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夏休み真っ只中の我が家。韓国から義姉家族も加わって(そう、疲れてます、わたし)賑やかに過ごしております。今日は写真で夏休みの報告をしま~す。 夏休み直前の週末、家族3人でビーチへ。帽子を嫌がり炎天下、一人で歩き回ってるエナ。 カフェで一休み。最近では食べるものが大人と同じなので何でも食べるよ。 韓国から遊びに来た家族と動物園へ。何ヶ月か前に行った時とはまた反応の違うエナ。大興奮。(小さく私も写真デビュー) KIDZOOで大はしゃぎ。動物好きはまさにムツゴロウ並み。どんなものでも毛が生えてれば触ろうとする。 2泊3日でCentral Coastへ。これはリゾートの前のLake Macquarie。 朝のお散歩で鳥や魚を見つけて嬉しそう。 サンセットがすごくキレイなレストランでディナー。美味しいものをたくさんいただいたけど、韓国人と一緒だと何でもかんでもみんなでシェア。どこでもチゲをつっつく民族と一緒だとちと恥ずかしい。 ワイナリーにも行ったけど、ワイン飲むことに必死で写真はなし(笑)帰りに庭園に寄ったけど、なんと気温38度。 翌日はドルフィンウォッチング。波間に見える黒い点がイルカのヒレ。 帰りに砂丘に寄りました。ここは初めて行ったんだけど、ほんとに大きくてキレイ!もっと時間をかけて遊びたかった~。裸足で砂の上を歩いて気持ちよかった。エナは何故か怖がっていたけど・・・ 幻想的な感じ。 そういえば、香取慎吾が出てる「西遊記」はここでロケしたとか~。明日はまた日帰りで遠出してきます。報告が遅れましたが、傷めた肋骨は9割治りました。みなさんも気をつけてね。
February 1, 2007
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明けましておめでとうございます。今年も日記は月記にならない程度にボチボチやっていくつもりですので、よろしくお願いします。ご挨拶が遅れました。この年末年始はどうもそれらしく過ごさなかった?いや、過ごせませんでした。クリスマスの後、エナが風邪をひき、彼女は鼻水だけだったのに、わたしはご丁寧にまた熱。最近、風邪ひいてばかりです。緊張感がないんでしょうか。あまりにもしんどくて、リビングでゴロゴロしていたら、10キロ以上ある娘に上からダイブされ、それ以来肋骨がおかしい。しんどさに拍車がかかって、授乳もやめたら、おっぱい星人だったエナが卒乳に近い断乳に成功してました。(この話は日記にいずれ詳しく書きたい、『いずれ』)寂しくてちょっと涙が出たりもしましたが、やめたらご飯もたくさん食べるし、(←好き嫌いはかなりあるけど)睡眠時間も連続してとれるようになったし、でやってよかったと思ってます。まだ朝までノンストップ睡眠とはいきません。夜中に1~2回泣くので抱っこして寝かしつけ。早く朝まで寝てくれよ~と思うけど、期待しすぎるとイライラするので眠りの浅い子なんだと思って諦めることにします。肋骨の話。これがほんとに痛い。今まで負った外傷の中でいちばん痛い。風邪をひいているから咳をすると「拷問」並みの痛みだ。この前、電話で爆笑話を聞かされた時、横隔膜が動くので、新年早々死ぬかと思った。それでやっとGPに診てもらい、レントゲンも撮った。結果。肋骨は折れていなかったが不可解なことが体で起こっているようだ。なんでも中で内出血を起こしていて、それが化膿していると言うんだ。そんな症状は初耳である。中国人のGPなんだけど、自信満々にそう語る。パナドールという鎮痛剤は私には欠かせない薬なのだけど、それは全く効かないこと言うとやたら強い痛み止めを処方してくれた。でも、怖くて飲めないので、痛みに耐えている(笑)それからその化膿を止めるための抗生剤を飲んでいる。しかし、薬の効果は表れない!もう10日ほど、この激痛に耐えて生活している。痛みには強い私だけど、かなり辛い。しかも、エナに患部を蹴られたりすると声も出ないほど痛い!それなのに、抱っこじゃないと寝ない娘。それも立って、歩いてないと身を反らしておお泣きされる。だけど、育児は代わってくれる人がいないのよねぇ。痛みに耐えて毎日ご飯もちゃんと作ってる自分を褒めてあげたい。ダンナは頼まなきゃ手伝ってくれないし、やるしかない。年末からそんなわけでバタバタとしていて、日記更新が滞っていたのでした。では、また
January 6, 2007
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犯人画像 ↑この人のせいで、わたしは肥えています。わたしもダンナもほとんど好き嫌いなく、色んなものを食べるし、何しろ大食い。なのに、エナは好き嫌いが激しい・・・見ただけで拒否られるものが多い。食わず嫌いってやつ。「食べてみなってば!食べたら美味しいから!」と言うと、投げられる(涙)でも、まだまだ色んな食材にチャレンジさせなきゃいけない時期かと思って、食べさせるけど、決まったものばかり食べる「ばかり食べ」。結果残りをわたしがたべるはめに。14ヶ月だから、3食おやつ付きの生活。おやつもお菓子じゃなくて、フルーツとか食べて欲しいのに、果物はほとんど食べない。唯一食べるのはグラニースミス種の青りんごと1キロ10ドルもする白桃のみ。りんごはまだしも、桃は一度切ると色も変わって美味しくないから、一口食べさせてはわたしが残りを食べる。あと、赤ちゃん用のヨーグルトなんて見向きもせず、大人が食べるダイエットと書いてあるやつを食べる。ベリー系がお気に入りのようだけど、これを器にあけると食べない。容器に入ったままのやつを自分でスプーンですくって食べる。これもスプーンに軽く10さじ食べればいいところなので、残りはわたしが食べる。3食おやつつきになってるのは母であるわたしだ( ̄□||||!!とにかく、食べることにはそれほど興味を示さない娘。食べることより、わたしに食べさせることのが楽しいようで、食事中はやたらわたしの口に物を入れたがる。ついでに、犬のまりには常に自分の食事を提供している・・・泣いてる時に食べ物で釣るような技は通用しない。行きつけの韓国食材店でお菓子をもらってもその場では手を出さず、車に戻ってから一人で食べる。私に似てる(笑)わたしも昔は食べ物に釣られることはなかった。ちなみに彼女が食べるものはどこか渋いものが多い。切り干し大根の煮たものとか、ひじきご飯とか。昨日はホットケーキ作ったら拒否られ、わたしが買ったハーブ入り(ローズマリーとかバジル)のパンをもくもくと食べた。子供が喜びそうなものは食べません。もうすぐ、エナがお昼寝から覚めて、おやつの時間が来る。また一緒に食べなければならないわたし。。。こりゃ、まずい。でも、エナは誰に比べてもでかい(笑)どうやらエナなりにしっかり栄養は摂っているようだ。ガツガツ歩いてるのに、すごい二重アゴ。って思って自分の姿鏡でうつしたら、わたしも二重アゴだった(爆)
December 12, 2006
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電話するような大事な話じゃないし、メールするようなもんでもない。携帯のメールくらいなら、くだらない話を聞いてくれる友達に送ってもいいかな、程度の話ってありませんか?例えば、電車の中やバスの中の話につい噴出しそうになるようなそんな感じ。まさに今日はそんな話です。でも、そんな話を聞いてくれそうな友達は周りにいないので、日記にしたためたい!明日はうちで日韓夫婦クリスマスサムギョプサル会。なので、朝から韓国モード。韓国の肉屋に行ったり、韓国食材店に行ったり・・・それから駅を通って反対側のショッピングセンターに行こうとしたら、韓国語で叫ぶ3歳くらいの男の子の声が聞こえました。「ハルモ二~~。おしっこ。おしっこ~」おろおろするハルモ二。駅構内にトイレがあったんだっけ??とわたしも気になりながら、電車が到着した人ごみでなかなか前に進めない。ハルモ二はきっと英語ができない。けっこう韓国人のおじいちゃん、おばあちゃんは自分の子が移民すると一緒に住んでいたり、長期滞在する。でも、韓国人社会があるから、英語ができなくてもそれほど苦労はしないんだと思う。トイレがどこかなんて聞けないに違いない。ハルモ二は「まだダメだよ、まだダメ」と焦っている様子で、私の前を横切り飛びついたのはゴミ箱。こ、こ、これは・・・まさか??うわ~~~。久しぶりに見る光景。ハルモ二は捨ててあったコーラのペットボトルを手に、「早く、ほれ、早く」と言っていた。ここは一瞬、韓国か?という錯覚に陥った。バナナウユのボトルはさすがにここでは見ないけど・・・怖いもの見たさで、歩きながら後ろを振り返ると、やはりハルモ二はペットボトルにおしっこをさせているようでした。ものの1分も歩けば、ショッピングセンターの中にトイレがあるのに・・・すっかり韓国的ショックを受けながら私は買い物続行。今度はスーパーのレジで並んでると韓国人の女の人が二人前にいた。今日は韓国人によく当たる・・・と思っていたら、「それでね、○○がね(←子供の名前か?)トイレまで間に合わないからって、最近ベッドの横に瓶を置いてるのよ~。昨日の夜、○○が夜、泣くから私たちのベッドに連れてきたの。2時頃、おしっこって言うから、瓶でさせて、ベッドの下に置いておいたら、主人が朝、一口飲んで、吐いちゃって~。麦茶かと思ったみたいよ~」「昨日、たくさん飲んでだから、喉渇いてたんだね~。」え??って、それそんなさらっと話すようなネタじゃないよ~。今日はどうして、こんなに当たり日なんだろう。こんな外国の町で韓国人のおしっこネタを連続で2回も・・・宝くじでも買いにいこうか。
December 9, 2006
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うちもクリスマスツリーが数週間前から出ています。これ、スーパーで買った安物なんですけど・・・実はわたし、年甲斐もなく? ピンクのツリーがほしいと言ってみましたが、あえなく却下され、ふつーのツリーです。 それから、トイザラスで気に入って離れなかったユニコーンの木馬。これはちょっと早いクリスマスプレゼント。夜はこんな感じ。夏のクリスマスはやっぱり慣れない。でも、クリスマス=ダンナの不在 な我が家では、夏の方が明るい気分になれていいかも。多分、パティシエがサンタと同じくらい忙しいんじゃないかと思うんだけど(笑)エナはすっかり日焼けして、こんな。水が大好き。プールに水入れると、いつまででも遊んでて・・・この前の鼻風邪はそのせいだったり?↑大興奮の様子。去年のソウル地方、確かクリスマス頃雪が降っていたような・・・エナを抱っこしてベランダから外を眺めていましたなぁ~。
December 4, 2006
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ご無沙汰でございます特に変わったこともなく日々過ごしてまっすシドニーはすっかり夏。先日は40度まで気温が上がりオーブンの中で焼かれているよう。と思ったら今日は22度。相変わらず変な11月です。今日は娘のことでも書いてみます。エナはもう13ヶ月の終わり。何だかすっかり幼児になっちゃってます。体も気付けば周りの子より全然でかく、18ヶ月の子なんかより背が高い。もしかして、しおっち似だったり??? いや、うちの父も日本人であの年代にしては背が高く、180cm近くあるので、エナが巨大化する可能性は十分あり。でも、シアボジやわたしの母もちびっこなので、チビになる可能性もあり、私たち夫婦に似ればまぁ普通化することもあり・・・まだまだ分かりませんが。身長は今、80cm弱。体重は10キロ強。女の子にしては大きいです、ほんと。体が大きいのもさることながら、妙にマセているような気がする我が娘。とにかくおしゃべりが好き。まだ喋れないくせに、新聞広げて、指で文字を追いながら意味分からないことを言ってたり、買い物連れて行っても、恥ずかしいくらいとにかく喋りっぱなし。だけど、人見知りがすごいので、誰かに話しかけられると泣くか、顔を隠します。しかし、人見知りを全くしないことがあり、それは若い白人の青い目の男の人ビックリするくらい自分から積極的にアプローチ。先日、友人のフィアンセがうちに遊びに来てくれたんですが、彼に対しては、自分のお気に入りのオモチャを自ら渡してニコニコ手を繋いでもらってキャピキャピこりゃ、うちの娘は将来、白人の彼氏を連れて来るだろうなとダンナと二人目を丸くしてみてました。お陰で初めて美味しくランチがいただけちゃって、ありがたかった。白人の青い目の若い男の人にならベビーシッター頼めるかも!!と本気で思いました。ショッピングセンターでも白人の好みの男の人がいると「バイバイ」と言ってるということに最近気付いた!やるな~オヌシそして、ファッションにもちとウルサイ。自分でたんすをあさり、好きな服を見つけると、それを頭からかぶる。当然、まだ自分では着れないんだけど、着ようとする。だけど、わたしが違う服を着せようとすると怒る。それがすごい頑固で大変~。特に大好きなてんとう虫のついたピンクのパジャマを着て、外に出ようとするので、それはそれは大変なことになる。男の子のママに聞くと、男の子はやっぱりそんなことはないと言うから、エナは女の子なんだなと思う。それから、年下の男の子の面倒を見ようとしているのが笑える。数日前、友達の子が遊びに来てくれた。その子はわたしがシドニーで初めて出会った日韓ベイビーだ。うちと同じく、パパが韓国人。ママが日本人。彼はエナより2ヶ月弱下のゆーくん。ゆーくんはすごくママっ子で、人見知り。うちの子と似てる。でもやっぱり男の子だからか、泣き方がエナよりさらに豪快。そんな彼を心配して、エナはオモチャを渡してみたり、自分のお煎餅をあげてみたり、しまいにゃ「いいこ いいこ」してみたり・・・それでも泣き止まないので自分がもらい泣き最近、年下の子には常にそんな感じ。世話焼き女房タイプなのはうちのダンナに似たのかな~。言葉も多分、マルチリンガルにしては早くて、「ママ」「パパ」「バイバイ」「ありがとう」「いただきます」「ごちそうさま」「どうぞ」「わんわん」「これ」「あれ」「ここ」「まり(うちの犬)」「よいしょ」「じゃあね」「だめ」「はーい」「いや」「いたい」「おやすみ」・・・と毎日ボキャブラリーが増えていってるのには驚き。本の内容も記憶してて、次のページに出てくる絵を真似てみたりするのが好き。韓国語で分かるのは「ヨボセヨ~」くらい。あ、もちろん自分の名前も。(韓国語だからね)やっぱり女の子だなぁと思う言葉の早さ。すっかり話し相手になるのが楽しくて、女の子でよかった~♪と思う。でも、気になる断乳&卒乳のこと。一時期、夜の断乳に成功したものの、また元に戻り、1~2時間おきに目を覚ます毎日。まいったなぁ~。だけど、エナ自身がおっぱいバイバイできる日まで待とうかな・・・と思ってます。
November 24, 2006
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亭主元気で留守がいい!と思えるのは心が健全な証拠~だと思います。夫婦喧嘩・・・いや、わたしが一方的に怒っただけのケンカもすっかり過ぎ去りし日の出来事。エナといると毎日がとにかく充実していて、怒りなんてすぐに飛んで行ってしまうのはいいのか悪いのか。今日はソウルから元同僚たちが料理のコンクールでシドニーにやってきて、ダンナは市内に飲みに出かけました。昼間はエナの友達の家族がたくさん集まって国立公園でピクニックで、きちんとそこで父親の義務を果たしてから出かけたのでわたしは文句なし。「いってらっしゃ~い」と笑顔でお見送りしました。日中、温度計は最高気温33度をさしていて、とっても暑かった~今朝の韓国のニュース見てたら、ソウルはマイナス1度。春川はマイナス4度。いよいよ韓国も冬なんだなぁ~・・・「思えば遠くへ来たもんだ」(笑)ヒョンニムからの電話では、来週キムジャンするとか。う~んそんな季節かぁ。キムジャンから逃れ、冬の寒さから逃れ、左団扇ならぬ左手にビール、右手にマウス。あ~自由っていいなとそこにシオモニから電話だよ。ご丁寧にミヨクッ(ワカメスープ)の作り方のご指導だ。そんなもん、100回は聞いたし、見た!!実はつい数日前、ダンナの誕生日だった。誕生日に何が食べたいか聞くと、答えは「マグロの和風カルパッチォ」。なんて言うと聞こえはいいけど、マグロをちょっと薄切りにして、醤油とみりんにつけ、水菜と細く切った大根の上に乗せ、アボカドに醤油マヨ&わさびを混ぜたのをのせるだけという簡単料理だ。それだけでは気が引けるので、鶏肉の竜田揚げも作ってみた。ちょっと良いシャンパンも買ってみた。パティシエのダンナにケーキ・・・が毎年の難題だ。今年は近所のショッピングセンターのお菓子屋でイチゴのタルトとチーズケーキを1切れずつ買った。準備万端~~。そして家族水入らずで食事。そこにいつものごとくシオモニから電話。「ミヨクッ食べてるかい?」ダンナは「いらないって言ったよ。朝も家6時に出るのにいらないし」あ~ぁ・・・結局またわたしが怠け者の嫁になった。わたしが電話替わったら「ミヨクッ作らなあかんやろ」(なんだこの日本語訳は)と説教されてしまった。それで終わりかと思ったら、今日、ダンナがいない時にミヨクッの件で再び電話をいただいてしまった。ε- ( ̄、 ̄A) フゥーでも、確かに、私自身が韓国で出産したためか、ミヨクッに対する想いは変わった。出産して、これでもかと言うほど1ヶ月、ミヨクッを食べ続け、あんなもん、見たくもない!と思ったもんだけど、それがまた「思い出」になった。それがいい思い出なのだ。切腹の傷が痛くて呻いている時に、いつも変なことしか言わないシアボジに「お疲れ様」と言われた時のこととか、切腹の傷が痛くて呻いてる時に、いつも嫌味しか言わないクンオモニが大福と日本の冷たい緑茶を買ってきてくれたこととか、切腹の傷が痛くて呻いているときに、いつも優しい主治医に「さぁ、立ちなさい」と言われて、泣きながら「あと2時間待ってください」と頼んだこととか、切腹の傷が痛くて呻いているときに、いつもどうりのシオモニがドラマ見ながら携帯で馬鹿でかい声で話していたこととか、切腹の傷が痛くて呻いているときに、日本の母が「ありがとう」と泣きながら電話くれたときのこととか、切腹の傷が痛くて呻いてるときに、蓑虫みたいな我が子を抱いて嬉しかったときのこととかとにかく、あの傷の痛みと子宮の収縮の痛み=ミヨクッ だから、ちょっと思い出に浸るような気持ちでミヨクッを食したくなることがあるような気がする。母の痛みと色んな人の思いとの中で生まれてきたことを忘れないためのミヨクッだから、来年はちゃんと作ろうかな。1年後その気になるかどうかは疑問だが(爆)
November 12, 2006
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すっかり病人になりました。海の子ポリリンあらため、病床ポリリンですやはり韓国からの家族襲来と引越、気温の変化、エナの突発、ダンナ&エナの風邪にチプトゥリ(引越パーティー?)に耐えられる体力の持ち主ではありませんでした。おかげさまで体重が妊娠前マイナス3キロでも、ダンナに「なんでこんな肉が柔らかいんだ?」とつねられた=たるんでて悪かったな!先週末は韓国人とチプトゥリで(涙)・・・ 風邪のひき始めだったにも関わらず、「これだけは断れないからね」とダンナに言われていたので、せっせと掃除、買い物そして料理をしました。風邪をひいていたダンナはソファーに寝転びながら自称「子守」・・・ただ、エナが遊ぶのを居眠り半分見てるだけ~~。その時点でかなりイライラ。チプトゥリは夜だったので、わたしは料理しながら、食べさせながら、エナを寝かしつけたりして大忙し。しまいには引き出しに入っていたスライサーで手をすっぱり切ってしまった血がしばらく止まらなくて、病院行った方がいいかと思ったけど、なんとか止まった。でも、それどころじゃなくて、鼻水タラタラ視界もなくなってきて、「オンニ(私)風邪大変そうですね~。あ、オッパにご飯ください」ってな感じ。韓国にいる韓国人ならわたしがやめてくれ~~~!!!!!と言いたくなるくらいキッチンに入ってきて仕事を始めそうなものだけど、とにかくすごいメークとオシャレで来て、のんびりワインを楽しむような女の子が多いよう。わたしは完全に賄いのアジュマだよ。夜中に帰っていってから、わたしは仕事する体力ゼロ。ダンナが皿洗いを。と言っても食器洗浄機に入れるだけだ。我慢できず風邪薬を飲んでばたんきゅ~。翌日は起きれない・・・薬のせいか?と思ったけど、寒気とだるさが襲ってきて、どうにもならず、エナが生まれて初めてダンナにエナの全てをお任せして、わたしはミノムシになった。でも、ダンナがすることといえば、エナお気に入りのDVDを朝からずっと見せているだけで、結局、エナの食事の支度はわたし。オムツ替えだってわたしの協力なしにはできない模様。前の日のチプトゥリのせいで部屋が汚れていたから、わたしは仕方なく掃除機までかけ・・・次第のマグマがふつふつ・・・冷蔵庫の中はからっぽ。買い物を頼みたいところだけど、「アイゴ~」とため息をつきながら、自分も寝始める。も~~~むかっぱらが立つ。夜は残り物をダンナが温めなおし、食事。わたし、この時点で熱が39.4度。ヘロヘロでケンカを売る気にすらならない。その横で、「赤ちゃんが風邪ひいても機嫌いいのにね~」と嫌味の一発も言われ、わたしの熱が43度まであがるかと思った!「早く寝れば?この国じゃお医者さん行ったって、どうにもならないんだから」と冷たく言われ、エナを寝かしつけるのと同時に自分も寝ることに。でも、寒くて寝れない。30分後には熱くて寝れない。の繰り返し。気付けば喉が渇く。脱水になってはまずいから、お茶でも飲もうと思うけど、フラフラで下まで降りていく気になれなかった。その時、下でお湯を沸かす音がしてお茶を入れているようだった。さらに冷凍庫が開いて、スプーンを出す音。アイスクリームだ!さすが我が夫。こういう時、やっぱり気が利く。しかし・・・30分待ってもだんなは来なかった。ふらふらと下へ行くと、一人、紅茶を飲みながらDVDを見て、空いたアイスクリームの箱が転がっていた。さらに「何?」とダンナに聞かれ、悲しくなって「脱水で死ぬといけないからお茶飲みにきた」と言ったけど、「ふ~ん」だけ。でも、ケンカする気にならず。翌日もやはり具合が悪く・・・最悪なことに咳がひどくなった。わたしは気管支喘息持ちなので、風邪をこじらせるとひどいことになる。それになっちまった!!幼い頃から母が病弱でありながら自分もこの咳が出ると、母を心配させてしまって心が苦しかった。父方の祖母には「ほんと、いやな咳だね」とよく言われた。この喘息を治すのには大変な時間がかかったものなんだけど、シドニーの空気に触れると、たびたびこの喘息が出てしまう。シドニーは変に自然が多いわりに排気ガスもすごいので、喘息の患者が多いところなのだ。今度は苦しくて、どうしようもなくて、でもエナを連れてメディカルセンターに行くのも大変なので、引きこもり。そこに夕方、母から国際電話。わたしの咳を聞いて心配していた。何しろ、この咳が出ると夜は眠れないし、むせるとトイレにかけこむしかない。体力も消耗するので、熱が出たりもする。最悪だ。「近くにいたら、食事の支度でもしてあげるのにね~。エナちゃんちょっと見てる間に、あなたも体休められるのにね~」と言われたらウルウルしてしまった。体弱ってると涙腺もゆるくなるものだ。頑張って咳き込みながら食事の支度をした後、ダンナに「風邪なんて誰でもひくよ」と言われ、言葉にならなかった!!数時間後、溜めていたものがどっか~~~んとなった。でも、静かに噴火静かな噴火だったせいかダンナはわたしが怒っていることに気付かず、「さっきお母さん電話でなんだって?」と会話を始める始末。「そばにいたらご飯作ってくれるって。エナの面倒見てくれるって!」と投げ捨てるように言ったら、「うちのオンマなら『病院行けば?』で終わると思うけど、文化の違い?」と言っているのでさらにムカついてきた。あんたらみたいにデカイ体で丈夫に健康で育ったやつらには分からないんだ!!しかもわたしの母が体が弱いから、色々な面でわたしをサポートできないから、ちょっと母をバカにした感じで「ほんと?お母さんがそんなこと言ったの?お母さんにはできないでしょ」みたいな言い方をしてきた。以前もそれでわたしは切れた。そこで、大きな噴火わたしがなんでダンナと結婚したか?格好いいわけでもない、お金持ちなわけでもない・・・性格しかないじゃない?韓国に旅行でたびたび行っていた頃、水だか空気だかあわなくて、いつも具合悪くて、ダンナは優しく看病してくれた。初めて作ってくれた「アルタン」(たらこのスープ)が美味しくて、感動した。学生の頃、わたしが熱出した時は学校に行く前に「ム クッ」(大根のスープ)を作って置いてってくれた。わたしはそういう人だから結婚したんだぞ!!!そのことを涙ながらに語ったら、「じゃ、明日アルタン作る?」って・・・そういうことじゃない!!どんな時もわたしのことを考えてくれた「気持ち」が嬉しくて、結婚を決めたのに・・・わたしの火山はおさまらない「何?結婚したこと後悔してるってこと?」という問いにわたしは無言・・・・後悔してるとかってことじゃなく、この気持ちを理解しようとする「気持ち」がほしいのに。「心配して『大丈夫?』って電話だって仕事中にしたじゃん?」「昨日はご飯の支度もしたじゃん?」してやった攻撃がいちばん嫌いだ。もう、今度こそはあいつにぎゃふんと言わせるぞ。覚えてろよ。結婚して初めっててくらい怒ってます。怒りすぎて眠れないよ、もう!
November 1, 2006
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子供が生まれ、今までとは違うジャンルの人付き合いが出てきた。所謂「ママ友」ってやつだ。共通の話題はひたすら子供の成長についてとか子育て観。ここに住んでいると日本人で、近い月齢の赤ちゃんがいるママとは自然に話すようになる。今までになかったタイプの出会いでもある。最初はよかったんだけど、最近になってこれにとても疲れてきた。デイケアはどこに名前を入れたか、Preschoolはどこどこがいい。幼稚園はどこそこ。小学校は・・・ 行き着くところはセレクティブのハイスクールに入れるってところに及び、大学はどこそこの何学部・・・そんなのが夢だというママが周りには意外と多い。「ポリリンさんはどう?」と聞かれると、う~ん・・・と唸ってしまう。「エナちゃんはそういうタイプじゃないかな」と言われるとそれまたなんだかムッ。12ヶ月の子を「タイプ」に分けるな。わたしは学校なんてどうでもいい。エナが好きなことをみつけて一生懸命になれることがもっと大事だし、それが勉強であって、いい学校に入れるのならそうすればいい。何がなんでもセレクティブ!!! というのはない。よく周りを見ると、エナは実に手のかかる子供だ。いつでも抱っこだし、よく泣くし、人見知りは激しいし、動き回っていたずらするし・・・同じくらいの月齢の子はベビーカーとかショッピングカートにおとなしく座ってる。今日も公園でセレクティブママに会い、「エナちゃん、大変だよね」と言われた。う~ん、まぁね。でも、子供って大変なものじゃないの?手がかかるってことは、それだけ、わたしが手をかけているってことなのよ。と開き直るようになってきた。周りのママ友は、OZ流子育てと日本流子育てをうまく融合させていると思っているようだ。ねんねトレーニングはOZ式で、赤ちゃん部屋入れてドア閉めて泣かせることで自立心を育てるだとか。離乳食は日本式に柔らかさを調節したりしてあごを鍛えるとか。よく分からないけど、何時間寝るようになった、離乳食は毎食200ml食べるようになった、そんな話ばっかり。最近ではこういう会話、聞き流すようにしている。エナは相変わらず、夜は数回起きるし、離乳食の食べむらなんてすごいものだ。皿は投げられるし、ご飯粒は飛んでくる。確かにむっとするけど、だけど、エナなりに成長している。公園で、周りの子が手元にあるおもちゃで遊んでいても、エナは私に抱っこされながらそっくり返って泣いていたかと思えば、空を見て、「あ」と指差して、空が青いってことを私に教えてくれる。昨日は、エナがいちばん最初に野生の七面鳥を見つけて、わたしに教えてくれた。わたしはエナには心の優しい感受性豊かな子に育ってほしいと思う。マニュアル本どおりに育ってくれなくても、セレクティブに入らなくても、優しくて強い女の子になってくれればよし。手がかかる子だけど、同情してくれなくてもいいのよ~。「うちの子は○○だけど、○○くんは ○○・・・」な会話にはウンザリだ。他人と比べて何の意味があるんだろう。そういうの好きなら日本に帰ればいいのにと思ってしまう。子育ての話も時には楽しい。でも、外面ばかりの子育て話は疲れるのだ。赤ちゃんはママを選んで生まれてくると妊娠中によく読んだ。手がかかったって、わたしだからできる、わたしにしかできないからエナのママになったんだと思うようにしている。人一倍泣くのもエナが何かを感じてわたしに言葉にならない言葉で語っているんだろうなと。他人と比べず、わたしらしくエナに接していきたいな~と思う今日のちょっとした愚痴?!
October 25, 2006
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韓国からやってきた家族が帰ってから数日。やっと落ち着けるかな~、やっと親子営業開始かな~と思っていた。しばらくお友達に会いに公園にも連れていってなかったし、スクールホリデーでプレイグループもなかったし~さ、今週からはエナ中心の生活!のはずが、わたしが39度近い熱を出してダウン。風邪の症状はなく、だるいだけ。これこそモムサルだ。といった感じだった。横で大暴れしながらイタズラするエナ・・・その相手をすることは不可能。次第に家の中は空き巣が入った現場のようになっていった。泣けば仕方なく抱っこしたけど、10キロある彼女は重くて、重くて・・・よくもこんなに肥えたもんだと感心。だけど、エナまで急に何も食べなくなり、ちと下痢気味に。と思ったら体が熱くて、熱をはかると38度。ちょっとしたら39度を越えていた。その割には機嫌もよく、「突発性かな」という予感が過ぎった。GPに連れて行こうか考えたけど、この国って特に何してもらえるわけじゃないしなぁ~と思い、そのままに。医療関係の友達に携帯で「エナが突発性かも~」とメッセージを送ると、「一応、耳とか炎症起こしていないか見てもらったほうがいいんじゃない?」と言われ、翌日、メディカルセンターに連れて行った。診断は「ウィルス性胃腸炎」。はい???母乳、炭酸の入っていないレモネード、湯冷まし以外の飲み物&食べ物48時間禁止。解熱剤も飲ませちゃダメだと言われた。でも、下痢はそれほどひどくもなかったし、お腹が痛い様子もなかったし、嘔吐もなかった。納得いかない診断。エナの熱がどんどん上がり、40度。どうやらオーストラリアでは突発性発疹という病気はドクターですら知らないらしい。翌日には体温計に数字が出なくなり、「HI」だけ。あんなに熱い人間を触ったのは初めてってほど。さすがにちょっと焦り、いつも行っているメディカルセンターに。しかし、予約して行ったのに待ち時間が長い!!熱の高いエナは眠ってしまった。そして診察で起こされたエナは、人見知りと恐怖で泣き叫び、いつものごとく嘔吐。それも3回も。医者は「これはよくないですね~。熱も子供にしては高すぎるし、心拍数も通常の2倍。呼吸も荒いし、危険です。できるだけ早く病院に連れて行って、尿検査、血液検査、心電図を取ってもらってください。紹介状書きますから。」だと。でも、エナが吐くのは知らない人に触られたことによるもので、かなりわたしの中では「普通」だ。この前だって、韓国から家族が来た日は泣き過ぎて吐いた。説明したけど、とにかく危険だとしか言われなかった。「ご主人に電話して一緒に病院へ向かってください。それまでは解熱剤でなんとかしのいで」と言われ、焦ってきてしまった。ダンナに急いで電話したけど、地下の厨房で仕事をするダンナには繋がらない・・・とりあえず、車で家に帰り、座薬を入れ、様子を見ることに。その間、先輩日本人ママさんたちに電話をして意見を仰いだ。みなさん、病院には連れて行かない。とのこと。ダンナからもやっと電話が来て、病院には行かないことにした。1時間ちょっとして、寝ているエナを触ると汗びっしょり。熱は下がっていた。その日の夜には普通に遊び始めた。子供ってのはすごい生き物だ。翌日にはケロリとしていた。ただ、かなり甘えん坊になり、抱っことおっぱいをせがみ続け、わたしも疲れた・・・問題は何故あんな高熱が3日も出たのか?ってところだ。突発性なら熱が下がり始めると同時に赤い発疹が出るというのに、熱が下がっても特に発疹はない。ん~・・・ 発疹の目立たない突発性発疹ってのもあるのかな?さらに翌日。首と顔にあせも?? 多分、顔にはあせもって出ないだろうな。そして翌日。体全体に赤いポツポツ。やっぱり突発性発疹だったんだ。ちょっと発疹が出るのが遅かったけど。変な病気じゃなくてよかった。それにしてもこの国の医者はあてにならないしかし、エナの甘えは続き、機嫌も悪い。買い物に行っても、ベビーカーにはおとなしく乗っていてくれない。仕方ない。毎日10キロをかつぐ母。食事もますます食べず、口から(>Д<) ( -д-) 、ペッ。また麺しか食べなくなったわ。困ったもんだ。私は病気になる暇もないのに、今度はダンナが風邪。もう、休ませてよ~~っと思うんだけど、母は強くなるしかないみたい。よっしゃ。ガンバルか!!!
October 23, 2006
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一昨日のシドニーの気温39度。今日の最高気温19度。ここで生き残るには爬虫類になるしかなさそうです(T▽T)なんだかこの気温差のせいか疲れがすっきり抜けず~・・・いや、気温のせいだけじゃない!!怒涛の家族襲来も間違いなく影響してます。当初、2週間と3日、我が家に滞在する予定になっていたシプモ+ヒョンニム一家は、ヒョンニムの優しい計らいによって、その滞在が10日に短縮されました。最初の数日はパッケージ利用で、ホテル宿泊、毎日観光。本当は、もっと安い航空券のみが取れていたのに、ヒョンニムは「嫁」の苦労を知っているので、シプモには内緒で「ポリリン、疲れるだろうからパッケージで行くわね~」と言ってくれたのだ。「いいえ~、お気遣いなく~。安い航空券で来て、2週間と3日、うちでのんびりしてください」とは言えなかった(爆)ダンナも「いいよ、いいよ。パッケージで来てもらおう」と言っていたので、彼らの計らいに甘えることにした。ありがとう。ヒョンニ~ム。とはいえ~、10日も我が家で濃厚な毎日を過ごすのが辛かったのは言うまでもない。ダンナは週2日の定期休暇に加え2日だけ有給休暇を取っただけ。残りの毎日はひたすらミョヌリ業+ガイド+通訳。どれを取ってもわたしには向かない仕事だ。朝5時に起きるシアボジより早く起きることはできず、さらにはキッチンでガタゴト片付けを始めるシオモニより早く、行動を開始することもできず・・・ミョヌリ失格。みんな英語ができないくせに自分勝手な行動をしようとしたり、買い物で痴話喧嘩を始めると一緒にイライラ。寛容な心を持てず・・・ ガイド失格。外国語を話そうとすると頭の中は英語または韓国語のニ分割。家族と韓国語を話していると、つい店員にも韓国語で話しかけてしまって通訳にはならない・・・・ 通訳失格。それでもダンナの家族とこうやって集うのもあって1年に1度。と言い聞かせ、1週間は笑顔でやってみせた。一方、エナは笑ってしまうほど誰にもなつかず。初日は顔を見ては吐くまで泣いた。2日目はなんとかわたしにくっついていれば、泣かなくなったものの、ハルモ二の強い口調が怖いのか、いきなりみんなが話していると泣き始めたりした。少しずつ、慣れて、最後には自分から一緒に遊ぶようになったものの、抱っこされようものなら、大地が割れるほど泣いた。とにかくハルモ二がダメだった。今回、何故かハラボジはおとなしく、いいこにしていてくれ、得意の命令口調もあまり出なかったし、場所が場所だけに「ウリナラ」連発することもなかったので、私自身がシアボジに対して穏やかに接していられたのがエナにも分かったのかもしれない。最後の数日、わたしはシオモニの「○○ヘヤジ」に噴火寸前だった。言えばキリがないんだけど、とにかく色んなことをコントロールしたがった。エナのこととなれば、食わせるもの、遊ばせるもの、着せるもの、全てシオモニのコントロール下にあった気がする。韓国チックな漫画プリントの服(ロッティ風な感じ)を着せ、バカでかい下品な色のピンをつけられたエナは韓国人にしか見えなくて、記念写真に収めておきたいくらいだった(笑)多分漫画プリントはパジャマになってしまうでしょう。ミアン!いい子なシアボジは何回かゴルフをするとのことで、わたしが車で送り迎えをし、かなりご満悦だった。帰り道、閑静な住宅街を通過中、「韓国の家売って、こっちに家買おうかなぁ」と言われた時ばかりは聞こえないフリをしてしまったが(爆)わたし一人、ここ、ホジュでじーさん、ばーさんの老後の世話は絶対無理です!!久しぶりに刺激的な毎日を過ごしたわけで、エナも初めて本物の「夜泣き」を経験しました。火がついたように泣き出した後、何をしても泣き止まない。おっぱいあげても飲まない。大変でした。シオモニが悔しいのか悲しいのか「ウェハルモ二がいたらきっと、エナもっと大変だよ」と言っていて、なんかムッ。いつもエナがわたしの母にもっと懐くのがイヤみたい。棘のある話し方をするシオモニだけど、半年会わなかったら随分歳をとってしまったようで、わたしの妊娠中に腰を悪くしたままどんどん悪化し、かなりパワフルだったのに、今じゃ買い物してもすぐ休むし、ちょっと心配だ。シアボジは元気はちゅらちゅだけど、片耳がほぼ何も聞こえなくなっていた。ダンナがヒョンニムに「オンマ頼むね」と言ってるのを聞いて、ちょっと寂しくなってしまった。良い嫁にはなれないけど、元気なうちにまた孫の顔でも見に来てほしい。もうちょっと毒素を薄めてきてからね(笑)とにかくヒョンニムには感謝だ。離れて暮らすようになって、色んなことを話せるようになって、初めて色んな気持ちも分かるようになって、よかったような気がする。そして何より、エナの1歳の誕生日を家族にお祝いしてもらえてよかったと思う。
October 16, 2006
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9月29日の朝、たった2.5キロで生まれてきた子がもう1歳になりました。バタバタとしていて日記更新が遅くなりました。29日は結局、韓国の家族とは合流しないことになり、家族3人水入らずでエナをTaronga Zooに連れていきました。動物を見ると大興奮。指をさして「わんわん!」と何の動物でも犬扱い。でも、本物の動物より着ぐるみがもっと気に入っていたようでした。気分が良い時だけだけど、トコトコと歩いているエナ。思えば、生まれてきた時は鶏がらみたいで、新生児用のオムツもぶかぶかで、おっぱいも上手に飲めなくて、頼りない声で泣いていたっけなぁと思うと、この1年の成長ぶりはすごいものだ!!ただ変わっていないのは、自己主張の激しいこと?!エナは32週で逆子になった変わり者。その後、全く回転する風もなく、37週で陣痛が来たのでいきなり心の準備もなく帝王切開だった。何度回転するように頼んでも、逆子体操しても、胃のあたりをぐぐぐ~っと頭突きされるだけ。足でわたしの膀胱を蹴り、32週以降はなんとも不快な妊婦生活だった。ま~、とにかく、おしゃべりで自分のペースを乱さない女。胎児時代からそうなんだろうと思う。そんなことを考える余裕があった誕生日も過ぎ、数日後にはダンナの家族がどど~~っと我が家にお土産やら誕生日プレゼントやら、鍋やら海苔やら焼酎やら・・・を持ってやってきた。家族とのドタバタ劇は後でゆっくり語らせてもらいます。新居に移動後、初めての日曜日に、家族揃ってエナの一歳のお祝い(トルチャンチ)をすることになりました。今年はチュソク(秋夕)とも重なって、買うものもたくさんあって、なんとも韓国らしい雰囲気。韓菓やソンピョンなんかも揃っちゃって(-_-;)果物も並べ、場所がオーストラリアだけに、マンゴーもあり。それからエナの好きなアボカド。シアボジに言わせれば「手榴弾」・・・・りんごはエナの好きなGranny Smithの青りんご。ケーキはもちろん、ダンナの手作り。でも、引っ越してすぐだったので、焼かないブルーベリーチーズケーキ。韓国ではトルチャンチにトルチャビと言われる占いみたいなものをやります。テーブルに色んなものを並べて、赤ちゃんに一品取らせます。糸を取れば「長寿」とか、お米を取れば「食べ物に困らない」とか・・・最近ではコンピューターのマウスを取らせたり、色んなことします。お義姉さんがこれにこだわって、色んなものを買ってきました。医者にさせるだとかゴルファーにさせるだとか・・・まぁ色々。最後になんとなくわたしが絵を描くので、筆を置いたんですが、エナの取ったものは「筆」でした。それが不思議なくらい何度も「筆」。その次が「お金」でした。これから、どんな子になるんでしょうね。
October 12, 2006
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すっかりご無沙汰。生きてます。しかしポリリン一家住居を奪われるという危機に直面し生きた心地のしない毎日を送っております。例の不動産屋の女(とかいて「アバズレ」と読んでください)がかる~く「犬飼ってもいい」だなんて言ったことから管理人はじめ、近所の人まで敵にまわすはめに陥り、無言電話もかかってくる始末。「犬を処分してください」と公式文書で来た日には、立ち直れなくなるかと思いました。久しぶりに食欲もなし。目の下クマだらけ。海を渡って苦労させたまりを捨てるだなんてできるわけがありません!!まりはわたしの家族。その日から本格的に家探しが始まりました。エナを抱えて不動産屋めぐり。子供達は楽しそうに公園で遊んでるというのに、エナは不動産屋からもらったいらなくなった名刺や物件の載ったチラシをオモチャに遊ぶ毎日。ごめんね。しかも、明々後日はエナの1歳の誕生日なのに、計画丸つぶれ。韓国から来る家族は引越し援助隊となります。ある意味よかったかも。どうにか、小型犬をOKしてくれるタウンハウス(母には『長屋ね』と言われた)を見つけ、家賃は今よりだいぶ上がるけど、小さいながら庭のあるいい物件に引越しできることになりました。だけど、私が留守にすると近所の変なじいさんや掃除のおばさんが、モップで我が家の玄関のドアをたたいたりして、わざとまりを挑発して吠えさせ、「うるさい」という証拠を取ってるみたいなので、出かけるのも怖くて・・・まりを2週間、訓練学校に送ることにしました。CM犬なんかも育成しているところで、訓練が終わると別人ならぬ「別犬」になるということなので、是非、CMにでも出てもらって、まりには家賃も収めてもらおう。ちょっとした投資です(笑)というわけでもないんですけど、韓国の家族にはまりのことが原因で引越しとは言ってないんです。だって、そんなこといったら、シアボジに「だから犬なんてどっかにやっちまえって言っただろ」などといわれて気分悪くなること間違いなしですから。それにシアボジが家にいたら、まりがまたいじめられて可哀相です。それならお友達と一緒に楽しく訓練されてきてください!というわけです。ここまで落ち着いた気持ちになるのは大変で・・・心の中はまだ悶々としてます。あの不動産屋の女を(o_△_)oギャフンと言わせてやりたい。訴えてやろうかと考えてます。出費もさることながら、この精神的なハラスメント!!!!!!!!!許せん!!今日、ダンナの家族は韓国を経ち、明日やってきます。でも、お義兄さんのお祖母様の状態がよくなく、お義兄さんだけ、キャンセル。今日、もし、そのお祖母様が亡くなるようなことがあれば、お義姉さんも甥も来られませんがねぇ。今回ばかりは引越しで人手が必要なので、全員来て欲しいくらいです。引越屋も韓国人にするので、戦力になります。時間ができたら日記更新頑張ります。引越後はなるべくちゃんと書こうかな~。ドルチャンチの報告もしますね~。では、また
September 26, 2006
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