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神は、気づきのために、人間にきついメッセージも送ってきます。それは当然人間に気づいてほしいがためで、人間は、そのメッセージを真摯に受け止めなければなりません。少しでも、悔い改める必要があるからです。それは、疑いの余地がありません。一方、私たち光は、世がこれからどうなるか、自分たちがどのように振舞わなければならないか、など等すでに自覚していると思います。ですので、私たち光は、神からのメッセージをそれほど深刻に受け止める必要はないでしょう。そのメッセージは、大方の人々へ向けられるべきものです。ですので、私たちは、それを人々へ伝える必要があります。しかし、受け手の方々は、決してそれを理解することはできないでしょう。たとえ、頭で理解できても、心で理解することはできません。大方の人々は、私たち光が理解できるような深さでは、決して理解できないのです。ご存知のように、私たち光は、生まれる前に、その魂が天と約束をしてきています。今、私たち光が体験していることがそのことです。私たちは、それを天との間で約束をしてきました。ですので、今、私たちはこうしています。一説には、その魂の数は、世界で144000とも言われています。これは聖書の黙示録に出て来る、封印された魂の数です。ちなみに、日本には、そのうちの120000とも言われています。今回、アセンションへの第一陣として、これらのクルーがすでに(天の)船に乗船しており、そして、それぞれの役割についています。最近の話です。と言うことですので、地球上の大多数の人々の目覚めというのは、今回よりも以降となります。宇宙、セントラルサン(フォトンベルトでもいいですが)から次の高エネルギーがやってくるときが、そのときなのでしょう。そして、これが、大多数の受け手が、私たち光の話を決して心で理解できない理由です。大多数が理解し得るのは、次の機会においてなのです。ですので、残念ながら、私たちがどんなに骨折りをしても、大多数の人々が心で理解することは到底不可能なのです。 のりぽんさん、周囲が全然変わらないのはこのためです。 そして、すぐには変わりようがないのです。ですが、次のエネルギーのときに、人々がスムーズに受け入れることができるように、今から、神からのメッセージや愛、光、魂などについてなどの指導というものは必要なものなのです。私たちが他の人々に施していくことは、このことです。そして、大丈夫です。天の導きがあります。すべては、天の計画通りに進められます。光である私たちは、そっと光を放射するだけです。各人にも使命が備わっています。あとは、各人におまかせです。各人を信じ任せること、これも愛です。
2007年04月29日
魂には、好みも判断もありません。ただこの世界を経験するだけです。好みを持って判断をするのは、自我です。魂は、判断をしません。魂には、良いことと悪いこととの区別はありません。ただそれらを経験するだけです。そして、それらの経験を受け入れるのです。良いことも悪いことも判断せず経験し、すべてを受け入れる、これが魂です。そして、この魂の行為こそ「愛」です。すべてを受け入れる、これが「愛」です。これが、真実の「愛」です。魂には、欲がありません。ああしたい・こうしたい、ああ成りたい・こう成りたい、あれがほしい・これがほしい。魂には、そういった欲求はありません。ただ、この世界を経験するだけです。欲を持っているのは、自我です。魂には、欲がありません。それゆえ、他者を犠牲にしません。他者とは、人も含め、この世のありとあらゆるものです。魂は、他者を犠牲にしません。それゆえ、魂は、他者と調和して存在します。私たちは、光のエネルギーにより、「魂」で生きることを知らされています。すなわち、「愛」で生きることを、そして、欲を捨て、他者と調和して生きるということを知らされているのです。
2007年04月27日
私は、スピリチュアルの世界の人間ではありません。そういった能力を持ち合わせているわけでもなければ、ヒーリングを受けたこともありません。そういった意味で、大多数の、全くごく普通の人間です。しかし、どうにもこうにも、この体が反応してしまっているのです。最近強力になっている、この光のエネルギーに反応してしまっているのです。「目覚めよ!」と。平熱は、37度付近となってしまい、睡眠は、最近はもうほとんどありません。そして、すっかりベジタリアンに変わってしまいました。(天との繋がり方で、様子は異なるようです)そして、これが決定的なのですが、肉体の自分が生まれた時に、もうひとつの自分である「光」で、その肉体を見ているという記憶を持っています。なぜか、その記憶は、これまで忘れることがありませんでした。おそらく、これは天の仕業なのでしょう、忘れないようにと、時々思い出さされていたと言ったほうが良いです。そして、今年になって、その記憶に灯りがともったのでした。「目覚めよ!」と。人間は「光」なのです。そして、時期に相違はありますが、全ての人間が目覚めるのです。そして、光の世へ!
2007年04月25日
現在の私たちは、完全に闇の勢力に縛られて生きている。来る日も来る日もネガティブな信念のもと、低い波動の中で生きている。それが当たり前なので、誰も根本的には疑問に思わない。しかし、日増しに強くなる光のエネルギーのもと、私たちは闇の勢力の束縛から、ネガティブな信念から解放されようとしている。そう、浄化のエネルギーも絶えることがないだろう。やがては、世の中のパラダイムが変わる。変えるのは私たちだ。喜びの世界へと。己が神聖に気づき、愛と光で生きる世界へと。生命とは、本来は喜びの中に生きるはずであろう。それが神の計画のはずだ。そう、すなわち私たちは本来の姿へと向かうのだ。
2007年04月23日
2012年も大きな節目になるのだろうが、「完結」の今年も、かなり大きな変化があるのではないか。もしかすると、実質は今年かもしれない。私たちは、今年これから統合を経験する。そして、私たちは、統合をマスターするだろう。そして、私たちは、人々を「統合」へと、そして「光の世」へと導いていく。私たちは、そういう存在となる。これが、私の魂が、私が生まれる前に、天と約束したことであり、このことに同意して私は生まれてきている。これが使命である。そんな気がする。そういうことだと思う。
2007年04月20日
今年は、統合の年と言われます。私もよくわからないのですが、私なりの解釈をしたいと思います。私たちは光のエネルギーを受けて、やがては、ネガティブなことのない、幸せいっぱいの、幸せだけの世を迎えます。私たちは、光の変容のエネルギーを受けて、「定義できないもの」へと拡張して行き、幸せだけしかない新しい世へと進んで行きます。すなわち、それは宇宙と一体となるということです。また、現在の私たちは、男女間のエクスタシーというものに執着していますが、新しい世では、私たちは、いつも、常にエクスタシーを感じていることができる、そんな状態になるのではないかと思うのです。男女間のエクスタシーに執着することがなくなるということ、これが、やがて来る「男女の統合」ということではないかと思うのです。幸せなことがそこら中にあり、常にエクスタシーを感じていることができる、もう男女の関係にとらわれるということがなくなる、そういう世界が来るのだと思います。二元性の統合ということも含めて、新しい世界というのは、ネガティブなことのない、幸せだけの世界なのだと思います。大元の神が作りたもうた世界とは、そういう世界だと思います。 ここで「ネガティブなこと」ですが、私も理解をしているとは言えないのですが、 思うに、心にわずかにでも負担と感じること、とでも言いましょうか。 あるいは、他者も含めて、何かしらを犠牲としてしまうようなこと、 とでも言いましょうか。 他者とは人間だけではありません、この世のありとあらゆるものです。 それゆえ、私たちは「愛」に生きる必要があるのですが。 「男女の統合」を含むクウォンタム・リープ(量子的飛躍)というものが、 今年の9月18日にやってくると言われています。 2007年9月18日は、 年:2+0+0+7=9 月:9 日:1+8=9 さらに、この3つの9を足して、9+9+9=27 さらに、2+7=9となり、 数秘術的に完結を意味する「9」が、四重にも重なる日なのだそうです。 この日は、クウォンタム・リープ、統合と言われている日です。
2007年04月19日
ちょっと前から、特に外の風景を見ていて感じることがあります。例えば空、建物、車、草木などを見ていて感じるのですが、目にしているものは、確かに、空であり、建物であり、車であり、草木です。しかし、それと同時に、それらは、何かしっかりと把握できない、わけのわからないものとしても感じてしまうのです。それぞれ、説明ができない、言葉にできない、ただ「何か」を感じてしまうのです。これもエネルギーの影響かなとなんとなく思っていました。クリムゾンサークルのトバイアスの最新メッセージに、なんとなくそれらしいことが書いてありました。『私たちのエネルギーの拡張とは、「定義できないもの」へと入ること』ということです。『そして、愛のエネルギーがするのは、そういうことです・・・ 拡張し、表現し続けることです。』ということです。私たちの意識、私たちの愛のエネルギーは、「定義できないもの」へと拡張していくようです。そして、トバイアスの最新メッセージからもうひとつ。肉体のない領域では、フィーリングや思考を伝えるのに、具体的な抑揚のようなものが使われているらしいということです。最近、頭に共鳴するように、モワモワモワーンというような、モールス信号のような、言葉にならない抑揚のようなものだけというものが聞こえて来ていますが、それはこのことかもしれないと思いました。肉体のない領域では、言葉で定義してしまうことのない、拡張した伝達方法というものを使うようです。そして、私は自分のこれらの変化を恐れずに受け入れて行きます。全ては天の計画通りに進んでいくのですから。トバイアスの最新メッセージは、http://crimsoncircle.jp/teacher/teacher_09.html
2007年04月16日
天は、今、私たちに、宇宙からの光のエネルギー、すなわち浄化のエネルギーを送り込むことにより、己の本来の使命を思い出させている。今生、生まれてくるときに、天との約束があったのであろう、その約束を果たしなさいと。 浄化のエネルギーにより、意識し得る自我によって生きるのではなく、連綿と存在し続ける、過去世の経験をも含む「魂」によって生きるようにと。肉体は、あくまで現実の世界を経験するためのものであり、しかも、神のものであり、神からの借り物である。魂も、元は神と一体であったものが、世界を経験するために、神から分化した、神の分身である。魂とは、「光」である。そして、それは「ただ在る」だけである。何も欲せず、何も所有せず、何ものにも執着せず、ただひたすら輝いているだけである。そう、本来の私たちは、ただひたすらに輝いているだけなのである。
2007年04月13日
昨日、私は「米軍のイラン攻撃回避」の記事を書きましたが、昨日のYahoo!ニュースで、「第三次世界大戦勃発」「米国がミサイル空爆、イランと開戦」というデマでユーザーをだますウィルスメールが出回っている、というニュースが出ていました。記事はこちらhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070409-00000030-zdn_ep-sci私も、たまたま同じテーマの記事を書いていたので、一瞬びっくりしました。これもシンクロ?ではないですね、多かれ少なかれ関心が集まっている事柄ですから。とりあえず、デマのウィルスメールには注意しましょう。ただし、実際に「第三次世界大戦」「米国がイランと開戦」は、根も葉もない話ではないようです。だから、デマとして使うのでしょうけれどもね。国際情勢については、田中 宇(たなか・さかい)さんのHPがお勧めです。http://www.tanakanews.com/index.html
2007年04月10日
「英海軍兵士15人がイランに拘束」をきっかけに一触即発の状態となっていた米軍のイラン攻撃は、兵士15人の釈放という形で回避された。イラクに続きイランもかと思っていたが、光の勢力による、闇の勢力の撃退と言ったところか。もう、地球破壊は許されない。私たちは、より多くの「光」を放射しなければならない。さらにブッシュ政権は、4月末までにイランの原子炉などを空爆することをすでに決定しているということである。(空爆の理由は、イランによるイラク介入が理由になるらしい)これも、絶対に回避したいところだ。ブッシュは、今年の1月10日のイラク増派の演説の中で、イランはテロに武器供与していると非難していた。
2007年04月09日
今生の私は、地位もありません。名誉もありません。お金もあまりありません。世に、はびこりません。持ち物もあまりありません。欲がありません。そして、執着しません。スピリチュアルでもありません。宗教者でもありません。人を非難しません。争いません。あるのは、家族と若干の友人と。しかし、思い出しました。完全に思い出しました。私は「光」ということを。(そのことを忘れないようにと、天の仕組みがありました。)そして、「愛」に生きます。
2007年04月08日
私たちの魂は、過去において、様々な人生を経験してきました。もしかすると王であったり、政治家、学者、軍人、貴婦人・・・、男も女も経験してきました。地位、名誉、権力、お金、様々な欲求も満たしてきました。中には辛い人生も多々あったでしょう。しかし、私たちはそれらをクリアーしてきました。そして、今ここに居ます。私たちは何とすばらしいのでしょう。私たちは、十分に人生を経験してきました。肉体を使っての経験はもう十分にやってきました。だから、今、私たちは、もうそれらを手放すときが来たのです。進化のときが来たのです。これまでの人生経験を抱いて、魂で生きるときが来たのです。そうです。私たちは、「光」を照らし、あふれる「愛」で、世界に生きるときが来たのです。
2007年04月05日
2012年12月22日には「時間」がなくなると言われていたりします。このことを、私なりに考えてみました。光のエネルギーを受けて、私たちが次元上昇していくと、「自分の可能性」というものも「今」と同等という状況になってきます。つまり、自分の過去も、そして未来も、「今」と同等になるということです。さらに次元が上がると、自分が「他人を生きる」ということも同等になります。もっと上昇すると、「他人の可能性を生きる」ということも同等になります。そうなるとどうことになるか。つまり、自分はそこら中に遍在するようになります。そうです、つまり自分が神のようにこの世に遍在するということになるのです。これが、アセンションの最終の姿、つまり弥勒の世の私たちの姿なのでしょう。そして、このような状況においては「時間」の概念は意味を成さないでしょう。つまり、「時間」がなくなるとは、こういうことだと思うのです。また、この「自分の可能性」とは、つまり「創造」あるいは「体現」「実現」ということであり、つまり、私たちが神のような「創造者」となるということです。ただし、「自分の可能性」が広がると不都合なごとが生じてきます。やましい心を持ち合わせることが一切できなくなります。例えが悪いかもしれませんが、自分が「殺意」をただ単に抱いたとしましょう。すると、その思い、その可能性は「今」ですから、それが直ちに実現してしまうこととなり、自分が自分をも殺してしまうという、そういう事態が存在するということです。自分が「殺意」をただ単に抱いた瞬間に、自分はこの世に存在しなくなってしまうのです。つまり、弥勒の世では、私たちは、自分の心を絶対的に清らかにしておかなければならないということです。絶対に心が清らかでないと生きていけないということです。つまり、宇宙の原理である「愛」で生きるということが、絶対に必要なのです。だから、今、私たちはこうやって、しきりに「愛」を唱えているのです。「愛」で生きることが必須なのです。もうひとつ。「他人の可能性を生きる」ほどに「自分の可能性」が広がるということになると、それではいったい自分は何者であるのか、ということがわからなくなってしまうでしょう。だから、どうしても絶対なる「真の自己」というものを持っている必要があるのです。今、しきりに「魂の浄化」といわれていますが、それは、この「真の自己」を発見することに他ならないと思うのです。そして「真の自己」とは、「光」であることに他ならないと思うのです。そうです、私たちは「光」なのです。だから、「魂の浄化」とは自分が「光」であることに気づくことに他ならないと思うのです。そして、それは、何となくそう思うというレベルのものではなく、確かに「光」であるということを確信することが終着点だと思うのです。しかし、そのように確信できるのは、あくまで自分自身ででしかありません。他人が判断することはできないでしょう。それゆえ、「気づき」とは、他人からしてもらうことはできないことであり、あくまで、自分で気づくしか手立てはないと思うのです。しかし、答えは見えています。あとはプロセスです。さて、それでは光の国へ参りましょう。
2007年04月02日
突然、その子が死んだら。果たして、その子は、幸せな人生を送れたと思えただろうか。楽しい人生だったと思えただろうか。そのとき親は、「また我が家に生まれてきてね」と温かく言えるだろうか。子供を通して、親の自分の願望を叶えようとしてはいないだろうか。自分の欲を、子供を通して満たそうとしてはいないだろうか。いったい、どこまで所有すれば気が済むのだろうか。人間が所有できるものなど何も無いはずなのに。ちょっと前に、テレビ番組を見て思ったことでした。
2007年04月01日
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