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これから来る世においては、やはり「欲」を持たないことが大切だろうな。どんなことにおいても「欲」を持たない。地球規模で考えた場合、人間の「欲」ほど害なものはない。生きているだけで、ただ在るというだけで満足したいものだ。自然と共にある、地球と共にある、神と共にある、他者と共にある、ただそれだけで良いではないか。それ以上、何が必要であろうか、何を望むのか。満たせば満たすほど、他者を傷つけるだけである。何もいらないだろう。生きていることに感謝できれば、何もいらないだろう。全ては天より与えられているのだから。
2007年05月31日
私たちの変容がどういったものになるのかよくわからないので、将来の社会システムについても具体的にはなかなか考え難い。しかし、諸悪の根源である、貨幣経済社会が消え去ることをまずは望む。そのためには、何といっても「食」について、大幅に変化して行かないと、この貨幣経済社会が消え去ることは難しいと思う。例えば、私たちの変容に伴い、食事の量が格段に減少し、高効率の食事が実現する、あるいは、太陽光の摂取のみで食事は取らなくとも生きることが出来る、というような変化だ。そうすれば、労働は不要となり、そして貨幣経済社会は不要なものとなる。私たちは、全てと調和を保ち、創造的な生活を送ることが出来るのではないかと思う。実際自分を例に取ると、すでに食欲というものは少なくなってきており、また、あれが食べたいこれが食べたいという「食」への執着も少なくなってきている。はたして、食事が大幅に変化し、そして貨幣経済社会が無くなるかどうか?また、そのためにも「執着」をどんどん手放す必要があるだろう。
2007年05月30日
今の政治形態は、あくまでも欧米型であるため、そもそも根本的には日本人の精神構造にはなじまない。高度経済成長期には、政治は経済成長とリンクしていたために、ただそれなりに機能できていただけである。おかげで今では、政治家も政治の力をすっかり過信し、錯覚している。今の欧米型政治は日本に対しては効力が薄い。日本人は心の底では欧米型政治を受け入れてはいない。欧米の物質文化は受け入れても、精神性は受け入れてはいない。それは投票率の数字を見ればわかるだろう。今回の松岡農水相の自殺も、大局的に見ればそうった文脈の中にあるものだが、結局、日本は、本当の意味での政治(欧米型)をやっているのではないから。私はここで、そういった日本を批判しようとしている訳ではない。また、欧米型政治への対応を考えるものでもない。そして、悲観的になってはいけないし、諦めてもいけない。天は、神の国日本を見捨てはしない。私たちは、これから、アセンション、次元上昇を迎え、「魂」で生きていくことを選択する。アセンション、次元上昇を迎え、日本は大きく変わっていく。世界の雛形となるのであるから。そして、全ては必然。
2007年05月29日
ここ4日間は、4時間くらいの睡眠が取れている。これだけ眠れる日が続くのは本当に久しぶりだ。ただし、4時間以上は眠れないようだが。最近は、1~2時間寝たか寝ないかのうちに朝になっていたが、とりあえずほっとする。今日は、mixiのviviさんから教えて頂いた、「クジラたちと一緒に瞑想することで、地球の海(水)が回復するよう皆で光を送る時間をとっています。」というプロジェクトがあって、実践してきた。近所の土手を散歩して、川へ、水へ、愛と感謝を送ってきた。川の先へ繋がる海をイメージし、そして地球をイメージし、愛と感謝を捧げてきた。川辺に立つと、その川の水には、温かみと豊かさが感じられた。私は瞑想すらまともにしたことがないが、とりあえず感謝を思うだけでいいんじゃないかなと思う。 以前、多摩川とチャネリングした方がいて、「人間には全然感謝が足りない」と、多摩川は嘆いていたそうです。例えば、その多摩川では、この前のゴールデンウイーク中、バーベキューなどのレジャー客らが、川原へ大量のゴミを散らかし残したまま帰って行ったそうで、行政も否応なしに、多額の資金を使用してその処理を行わざるを得なかった、というような報道もありました。日ごろより、川への、自然への、そして地球への感謝を忘れることなく過ごして行きたいものです。それなくしては、私たちは存在できないのですから。
2007年05月27日
オーストラリアでの干ばつ、中国での干ばつ、洪水、アメリカではミツバチが消えた?四国でも水不足、等々。農作物への影響はもちろんのこと、一部では人命への影響も心配されるとか。もう変化は待ってはくれない。そのうち、食糧不足も生じて来るかもしれない。そんな中にあっても、自分を優先せず、周囲を優先するようにありたいものだが。
2007年05月25日
地球とて、私たちと同じ宇宙の一員。私たちと同じ、神の創造物。神は、私たちだけを特別扱いはしない。神は、私たちと同じように地球も愛す。地球も尊重される。地球の意思も尊重される。たとえ、それが、私たちに多大な影響を及ぼすことであろうとも。神の愛は、人間にとって、慟哭せざるを得ないような、厳しいことをも包含する。全てを包含する。それが、神の愛、そして真実の愛。そして、信じたい。私たちの愛を。地球をも受け入れる愛であると。全てを受け入れる真実の愛であると。なぜなら、私たちは、神の愛による創造物なのだから。しかし、本当の真実の愛とは、もっと深遠なものだろう。言葉にしたとたんに、思ったとたんに、その愛は、真実の愛ではなくなってしまうだろう。今の私たちには、本当の真実の愛を知ることは出来ない、感じることも出来ない。私たちが、そこへ行って、宇宙と一体、全てと一体となったときに、はじめてわかるのだろう。本当の真実の愛がどういうものかが。そして、私たちは、勇気を持って、そこへ行こうとしている。
2007年05月22日
恐怖の話のついでに、どこで読んだのかもう忘れてしまいましたが、エジプト王朝時代?あるいはもっと以前のことなのか、全然覚えていないのですが、当時は、魂は永遠である、すなわち転生することが常識であり、それゆえ、王は生きたまま埋葬されていた、という話をなんとなく覚えています。現役の王の魂を、次世代へと引き継ぎたかったのでしょうね。そして、その頃は、肉体の死すら恐怖ではなかったのでしょうね。そう言えば、小松英星さんによると、人間を支配しようとした勢力、すなわちアヌンナキの遺伝要素が、人間に取り込まれるようになるにつれ、元々は存在しなかった、人体の組織の劣化や老化、病気や死が日常のものになり、人間の寿命は、当初の2000年から100年以下と下がってしまった、ということです。死への恐怖というのも、そういった過程で生じて来たのでしょうかね。いずれ次元上昇し、魂と肉体とが一体となれば、今の死への恐怖というものも消えて行くのでしょうね。
2007年05月21日
現代では特にテレビにより、「恐怖」が私たちへもたらされます。様々な事件、事故、災害のシーンを見せられて、私たちは、日夜「恐怖」に犯されています。そもそも「恐怖」とは、私たち人間を支配しようとしてきた勢力による、巧妙で執拗な道具であるようです。(道具という表現がわかりやすいと思うのでそうしました)しかし、進化を歩む私たちにとって、「恐怖」というネガティブなものは足かせとなるため、どうしても手放さなければならないものです。奇しくも、ミクシィのコミュ:Arrived Energy On Earth の新しい存在パターンー新しい視覚パターン!という記事で、このことが触れられていました。(昨日のkeikoさん紹介による)それによると、どうやら、今は、「恐怖」が高次の存在と共にくっ付いて、地球へ入ってきているようです。(それほどに「恐怖」とは執拗なものなのですが)そして、私たちは、自分に付いているその「恐怖」を見つけ出し、たくさん手放してくださいと。そして、たくさん手放し、「より純粋な存在になったら、高次の領域に行くことも・あなたにできる経験をより活性化させることも、ずっと簡単になります。」というようなことが書かれており、私の昨日の日記のことが、シンクロって言うんでしょうか、なんとなく納得してしまいました。現在、私たちにもたらされている「恐怖」の背景には、こういった経緯があるのかもしれません。”より純粋な存在になるために”いずれにしろ、恐怖は手放す、です。
2007年05月20日
最近の事件で、何が恐ろしいかというと、その残忍さもそうだが、それよりもなによりも、とても身近だということだ。ごく普通の、まさか!というところで起きている。今回の事件もそうだ。あんな静かな田舎で。少し歩けば、たんぼと畑が広がっている。少し行けば、東山温泉、飯盛山、鶴ヶ城。最近は、皮肉にも、「ならぬことはならぬ」の”什の掟”が脚光を浴び、修学旅行先としても人気が上がっていた矢先のことだ。今起きているのは、バランスのシフト。何人も、何処であろうとも、それを免れることは出来ない。出来る限り執着を手放し、身軽になること意外に処方箋はないだろう。この事件は、私の実家の歩いて15分程度のところで起きている。学校は、母親の母校だ。
2007年05月19日
このエネルギーは、真実によるものだ。未知の世界へと向かわせる。我らが行かねば、わからない。自分の神聖性を信じ、自分の言葉を信じ、自分を信ず。自分の外に答えはない。テクニックには答えはない。己が真実。そして、未知へと向かう推進力、それは「勇気」だ。
2007年05月18日
弥勒の世では、今とは、天と地がひっくり返ると言われますが、これは、ひとつには人間社会のことを言っているように思います。現在、私欲の下に世にはびこっているような人々と、逆に無欲で周囲と調和を取りながら普通に慎ましく生きている人々との存在がひっくり返る、というようなことを言っているように思います。また、弥勒の世での指導者という存在も、今までのように、普通の人々の1段も2段も上に居る様な、そういった存在ではなく、普通の人々と全く同じレベルにあって、人々が思う存分人生を謳歌できるように、人々をそっと見守っている様な、そして、全員が主人公で在れる様な、そういった静かな存在なのではないかと思います。日本が世界の雛形になると言われます。そういった指導者と共に、神々と自然と他者と、ありとあらゆるものと調和して、慎ましく、そして光り輝いて生きている、そういう日本人、そういう日本という国を、世界の人々が賞賛し憧れ、そしてそれを模倣していく。そして、やがては、地球が、全世界が、真に、平和な、調和のとれた、光の世となる。これが、色々参考にして、私が勝手ながら描く、弥勒の世、光の世のシナリオです。
2007年05月16日
目覚めたる私たちがすることで、自分なりになんとなくわかったことがある。人間の生活の土台となる、エネルギー、医療、食料の分野で、新しい技術が開発されているようだ。(私も詳しくは知らないのだが)エネルギー・・・石油の埋蔵量は、あと30年分とも言われている。医療・・・治癒の難しい病気がある。食料・・・現在の食事は非常に効率が悪い。 毎日毎日、たくさん食料を摂取している。これらの問題を解決すべく、技術開発が行われているようだ。しかし、どうやら、それらの先端技術においても、行き詰まりを見せているらしい。どうしても、ひとつの飛躍が必要なようだ。そして、必要な「ひとつの飛躍」というのが、スピリチュアリティというか、意識というか、そういったことの関与のようだ。例えば、量子力学でも、人間の意識の関与が、物理現象に影響を与えているという認識がある。つまり、人間の意識の関与が、その先端技術の統合をもたらし、完成をもたらす。そして、その暁には、人間の生活が飛躍的に向上すると言うか、高効率のなると言うか、すばらしいものとなるのではないか。そして、これこそが本題なのであるが、「ひとつの飛躍」のために力となっていくのが、「目覚めたる者」である私たちである、ということだ。目覚めたる私たちの関与が、先端技術を実現し、完成させる。そして、それを広く人々に伝えていく。それを担っているのが、「目覚めたる者」である私たちである。そんな感じがする。ただ、何をどのように関与していくのか、具体的にはまだわからない。おそらく、意識の外にある、無限の想像力あるいは創造力とでも言うようなものだろうか。「目覚めたる者」である私たちに備わるものというか、もともと持っていたものが目覚めるというか、そういったものであろう。そして、その分岐点になるのが、今年の9月18日、クォンタム・リープと呼ばれている日だ。ひょっとすると、やがてやって来るかもしれない、カタストロフィーのときに、生き延びる術がそこにあるのかもしれない。いや、そのための、先端技術かもしれない。だから、私たち「目覚めたる者」は重要な役割を担っているのではないか。クリムゾンジャパン トバイアスの最新チャネリング記事を読んで、私が感じたことでした。そして、これらを実現していくのは、私たちの真実の愛です。
2007年05月15日
小さい子たちが河原で野球の練習をしている。子供たちは、お父さんたちの叱咤激励に従い、声を出して練習に励んでいる。どうということはない、おなじみの当たり前の風景だ。でも、なぜか子供たちが気の毒に思えてしまう。本当は、朝から全開で遊んでいたいだろうに。少なくとも、うちではそういったはことはやってきていない。上の子なんかは、6年間遊んで終わったと言って過言じゃない。もちろん塾なんか行っていない。しかし、中学に入ってからは、人が変わったように張り切っている。部活も柔道部に入りがんばっている。彼は、柔道などやったこともないし、おそらくどんなものかもよく知らずに、ただやってみたいと思ったのだろう。「よく知らないけど、ただやってみたい。」これが、大切なのではないか。教えられていることだけを忠実にやっていくのではなく、「よく知らないけど、ただやってみたい。」これからの社会は、ますます混沌として来るだろう。お決まりのコースを行けば幸せが待っているという時代は、とうに終わっている。これからは、目の前の事態に自力で立ち向かわねばならない時代だ。そんな時代に対応できるように、子供が自由に羽ばたけるように、温かく見守ってあげるのが親の愛情ではなかろうか。「よく知らないけど、ただやってみたい」ことに取り組めるように、温かく見守ってあげるのことが親として必要ではなかろうか。決して放任ということではない、「子供を信じてあげる」のである。ついこの前もニュースで、中学生の4人に1人が「うつ状態」という、かわいそうなデータが出ていた。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070510-00000014-mai-soci「ただやってみたい」ことに取り組んでいるならば、そのようなことにはならないだろう。ちなみに、うちの子は、前生を記憶している、生きのもが大好きな自然児だ。
2007年05月13日
ああ、また眠らない日が始まった・・・。まあいいや、そのうちまたお願いしよう。太陽エネルギーの増強による加圧のためか?日本国中強風の嵐。さんさんと天照らす。やはり今月はエネルギーが強いようだ。頭はクラクラするし、フワーっと自分が持って行かれそうなときもある。今週に入ってから、ハートチャクラというのか胸の当たりが熱くなる時がある。新しく耳鳴りのような、キーーンという周波数の高い音も加わった。これは少し強力で、いつどこに居ても聞こえてくる。そう言えば、嫌なときはお願いすれば音が小さくなると聞いたことがある。まあ、とりあえずいいや。波動も上がっているのだろうか、体にしびれを感じるときもある。感謝で、自分の波動も上げなければ。変容月間、かみしめて頂こう。
2007年05月12日
睡眠不足の理由がようやくわかり、ひとまずほっとしました。Yahooの”光の使者さん”から「眠っている間、無意識のうちに使命の為行動している」ということを教えて頂きました。私も光の使者として、眠っている間も霊的レベルで活動していたのですね。道理で眠っている感じがしないわけでした。睡眠不足で辛かったので、ついでに「お願いして休ませてもらってはいかがですか」とアドバイスを頂きました。そして、早速、昨晩「もう勘弁して」と布団に入ったところ、なんと8ヶ月ぶりに、快適な普通の従来の睡眠を取ることができました。6時間くらい、それもグッスリと眠ることができました。ほっと一息です。天の存在に願いが届いたのですね。感謝ですでも、のんびりしている時間はありません。早速また今晩から任務に就きます。新しい日本、新しい地球の創生のためにがんばります。それが私の使命ですから。”光の使者さん”アドバイスありがとうございました。
2007年05月10日
相変わらず睡眠が少ない。従来のような普通の当たり前の睡眠というものは、もう完全に消えた。ああ、睡眠が恋しい。浅い睡眠しか取れないが、それでも夢を少しは見る。しかし、その夢は、今までのような夢とは何か違う感じがする。リアルな別の現実と言った方が良い。だからか知らないが、朝起きると、いつもぐったりしている。異次元にでも行っているのかなあ?私たちは、無限の可能性の中のひとつの可能性を生きている。そして、睡眠時は、現実とは別な次元へ進入する。しかし、別な次元とはいっても、それはあくまでも夢という仮想現実の世界。しかし、私の経験しているのは、仮想現実ではなくて、れっきとした現実といった感じだ。つまり、ある別の可能性の現実といった感じがする。夢のような奇想天外さはなく、リアルな構成になっている。睡眠状態において現実の時間の垣根、現実の空間の垣根が無くなることの経験、いわゆる時空が開かれる、あるいはその最初というのは、こういう感じかな?などど勝手に思っている今日この頃。変化は、私たちが受け入れ易いように、徐々に緩やかにやって来るのでしょう。いずれにしろ、睡眠が少なくてちょっと体が辛いが、変容も使命のひとつ、感謝して頂こう。 ------------------------------------------------------------------今朝、愛と感謝で輝くセラピスト☆サチエ☆さんのブログにすばらしいメッセージが載っていましたので、どうぞご覧下さい。「真実の愛」マリア・メッセージ http://plaza.rakuten.co.jp/happycolours/diary/?
2007年05月09日
今年早々に、札幌北牛さんから、私は大国主に縁がある、ということを教えて頂きました。私が、ブログをはじめようと思ったのも、このことがきっかけです。また、ニコニコけいこさんからは、以前に、今年は、大国主命が日本を取り仕切る、ということを教えて頂きました。そして、今回、Yahooブログの方からは、私たち光の存在は、大国主命と共にこの日本を導き改革して行く、ということを教えて頂きました。新しい日本へ向けて、いよいよ動き出すようです。日本は、世界の雛形になります。「愛」と「光」の世へ。
2007年05月08日
私たち自身の神聖性に気づくということ。私たち自身が神聖な存在であるということに気づくということ。神聖であるということとは、決して偉いということではない。神を偉い、あるいは人間よりも格上、崇める存在と決めたのは、人間自身あるいは人間を支配しようとした勢力の術数。その罠から開放されてこそ、私たちは、世界に在ることができるのである。世界の、宇宙の存在として、在ることができるのである。そして、私たちをその罠から開放するのは、他でもない私たち自身。すべてを取り去り、裸となり、魂の声を聞くこと。私たちは、元を辿れば、宇宙の創造者である神の分身。私たちが存在するのは、世界を経験するための大元の神の意図。それゆえ、私たちは神聖な存在なのである。だから、私たちは神の性質を有するのである。そして、神の性質とは「愛」そのもの。
2007年05月07日
私は、すべてを愛す。あなたも私も、彼も彼女も、あいつもこいつも、あんなヤツをもこんなヤツをも。なぜなら、私には愛しかないからだ。すべては、私に愛されている。あんなことがあってもこんなことがあっても。すべてを、私は愛す。そして、それが、私の愛。
2007年05月06日
神は、すべてを愛す。私もあなたも、彼も彼女も、あいつもこいつも、あんなヤツをもこんなヤツをも。なぜなら、神には愛しかないからだ。私たちは、神に愛されている。あんなことがあってもこんなことがあっても。すべては、神に愛されている。そして、それが、神の愛。
2007年05月03日
私たちは、主張しません。私たちは、ただ在るだけです。そして、各個の色で輝き、他者にその光を放つだけです。他者に奉仕するだけです。「どうぞ」私たちは、私たちだけではその光を知り得ません。他者が私たちの光を受けて輝いてこそ、私たちを知るのです。他者が在って、そして私たちが在るのです。そして、他者と共に在るのです。他者とは、この世のありとあらゆるものです。さて、奉仕の世の中、それは争いのない、調和の世界。調和は必然を生みます。それは、調和しかない、それ以外はあり得ないということ。そして、それは、完全な世界。これから、私たちが迎えようとしている世界です。神の愛、宇宙の愛、真実の愛を備えた私たちは、調和の世界、完全な世界へと向かいます。
2007年05月02日
光のエネルギーを受けて、私たちは高波動の中へと入っていきます。そして、もう私たちは、神と肩を並べるのです。もっともっと自分を信じましょう。自分の思うこと、感じること、自分の体、細胞、自分のあらゆることを信じましょう。もっともっと自分を信じて良いのです。私たちは光なのです。もっともっと自分というものを信じてあげましょう。決して他者に自分を明け渡さないで下さい。他の物に自分を明け渡さないで下さい。どうぞご自分を大切にしてください。どうぞご自分を信じてあげてください。よく、内なる声を聞きなさいとか、答えは自分の中にある、というようなことを聞きますが、つまりは、自分を信じるということだと思うのです。新しい地球へ、光の世へ、自分を信じることがスタートです。
2007年05月01日
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